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1. 芹澤博文九段 -内心の憧景-  投稿者:JC IMPACT 投稿日:2010/05/27(Thu) 23:24 No.16804 HomePage

私が子供の頃、といっても中学生だったか、初めて会ったプロ棋士は芹澤博文
九段(当時八段)だった。その時もらった色紙は「歩が命」「将棋は苦し、酒は
楽し、人生は哀し」今でも所蔵している。

「血涙十番勝負」に登場する、あの芹澤八段。当時、山口瞳のその本だけは読
んでいた私は、本人が目の前にいることが信じられない。当時の私には、た
だ、ただ「華のある人」にみえた。

タイトル戦の副立合いだったのである。感想戦のときに対局者が「芹澤さんは
いなくていいの」と誰ともなく声をかける。「八段は呑んでいますから、大局
場には入らないそうです」皆の笑い声が聞こえた。「真面目な人なんだ」と素
朴に思った。

その後も何度かお会いする機会に恵まれた。最後は1986年の夏だったと記憶し
ている。直後に私は「山口瞳の戦友名簿」を読んだ。実は、そういう状況であ
ったことを知らない時に、私は芹澤九段と山口瞳の話をしている。何というこ
とのない、他愛もない内容だ。九段は黙って、少し笑って聞いていた。

亡くなった直後だったか、確か神保町の「アカシア書店」ではなかったかと思
うのだが、芹澤九段(八段だったかもしれない)の色紙をみつけた。そこにはこ
う記されていた。

「将棋は苦し、酒は楽し、人生は面白し」

ふと思った。芹澤九段にとって「人生は哀しかったのか、面白かったのか」
と。

6年くらい前だろうか、たまたま(ハウスマーク)のような記事をみつけた。著者
は芹澤和子さん。九段の夫人である。光景が何となく想像できるようで、不謹
慎なことだが、笑ってしまった。

この記事が間接的な引き金になったのかもしれない。私なりに芹澤博文九段を
追っかけてみようかと思うようになった。キーワードは「内心の憧憬」であ
る。
- Count.68 (Last.2010/05/27 19:59) -


2.  寅金 - 2010/05/28(Fri) 00:53 No.16811
期を同じくして、
日系アメリカ人将棋愛好家のジェシー印泊先生の連載も始まるのですね・・・

多弁故に陽気なエピソードの多い芹澤だが、
自らの影を照らし消す為の道化だったのかと・・
- Count.1473 (Last.2010/05/28 00:34) -


3.  馬って得意なのよね - 2010/05/28(Fri) 02:45 No.16820
uma.gif JC IMPACTはん、前のスレも楽しませてもらいましたで。
今度の芹澤の話もオモロなりそおでんなあ。楽しみにしてますわ。


インキン地上げ屋、

> 自らの影を照らし消す為の道化だったのかと・・

米長は屈折しとる以外はそんな複雑な人間とは思わんけど
芹澤の心の奥底は全く想像でけん。
ゴッツウ複雑なもんを死ぬまで抱いてたと思うわ。
- Count.427 (Last.2010/05/28 02:34) -


4.  JC IMPACT - 2010/05/28(Fri) 08:33 No.16830
>馬って得意なのよねさん。

>今度の芹澤の話もオモロなりそおでんなあ。楽しみにしてますわ。

それはそれはありがとうございます。
頭の中で、あれこれと考えているところですが、私自身も、芹澤九段に比べれ
ば、米長九段は「難しくない人」だとは思っていまして、できるだけ、踏み込
んでお伝えしたいと思っています。
- Count.69 (Last.2010/05/27 23:24) -


5.  初手1八香 - 2010/05/28(Fri) 10:25 No.16833
JC Impact様、

初めまして。
あなた様の記事、楽しく拝読させていただいております。

故・芹澤九段については、私は市井のヘボ将棋指し、
そして物ぐさで熱心ではない一プロ将棋ファンに過ぎないので、
その範囲でしかお人柄などを知る立場にありませんが、
理科系の大学教授然とした風貌や物腰、
また旧12チャンネルの『早差し選手権戦』でしばしば解説(もちろん
出場もされていましたが)されているのを目にし、
その歯に衣着せぬ語り、畏るべき頭の回転の速さに舌を巻いたものです。

谷川現九段がとうとう中原名人を倒さんとする遠い昔の名人戦、
若かりし私は将棋会館へ大盤解説を聴きに行きました。
私の贔屓はなにしろ中原名人でしたので、まだ名人には失礼ながら
若すぎると思えた谷川さんを中原さんが一蹴されるのを期待して、
応援のつもりで千駄ヶ谷に駆けつけたのです。

結果は残念ながら中原名人の負け、
みんなが大盤に釘付けになっているとき、
なんと井上陽水さんが来られ、私のすぐ傍で立たれたのです。
そのときに名歌手と一緒だったのが芹澤九段で、
明らかに酔っておられ、また長時間睡眠を取られていない風情でした。

みんながシンとして解説を聴いているそのときです、
十重二十重の熱心な将棋ファンの群れから離れたところに
座っていた彼はなんと大欠伸をしました。
「ふああああああああ!」

天衣無縫と云えばそうですが、私は実に嫌な感じがしました。
そのとき九段は当時で謂う昇降級リーグ2組か3組におられ、
はっきり言って頂点を過ぎてしまっていた棋士でしたから、
なにしろご自分の現実的な興味関心の中心からは名人戦は
かなり外れてしまっているのだろう、
「ワシにはつまらんぞ」という意思表示に思えました。
「陽水クン、さあ、迎い酒だ!」
とも。

なにしろ彼にとって中原名人は高柳一門の弟弟子、
だから応援するのかと思えば、そう単純なものではないのだな、
と私は思いました。嫉妬なのかな、とも。

米長九段と芹澤九段が大の仲良しであることは雑誌などで読んで
知っておりました。そのお二人は囲碁界の藤澤棋聖とも飲み友達、
清濁併せ呑むというよりは<清濁濁>併せ呑むこの棋士達は
「将棋(囲碁)は苦」、「人生は哀し」と言いつつ、破天荒に生き、
瞬間瞬間に訪れる「人生は快楽ではないか」という想いを抱くがため、
同志として徒党を組んでいるのだろうと私は思っていました。

「何が新たな天才出現だ、何が谷川だ、何が中原だ―
問題は今日の夜、傘がない、じゃなくて、どこで呑むかだ。」

芹澤九段の大欠伸は、いろんな言葉に聞こえたものでした。


長文失礼致しました。
- Count.52 (Last.2010/04/23 05:24) -


6.  ケンチャンア - 2010/05/28(Fri) 20:11 No.16852
私も芹沢九段の思い出話を。

中原さんが名人に就いた直後、二人で大橋巨泉さんの番組に出たとき、巨泉さ
んが中原新名人の事を「中原君、中原君」と呼んだことを「いくら年少でも天
下の名人を君付けとは何事!」憤慨し、以降一切巨泉さんの番組には出なかっ
た。

「アイアイゲーム」のレギュラー回答者をされていたころ「チョメチョメこう
じ」といえば、というお題に、あまり知られていないはずの「谷川浩司」を回
答され「これしかないでしょ」と胸をはられていた。

少なくとも対外的には、大の中原ファン&谷川ファンであられたと思います。

あと、
二上−森の棋聖戦、7月一ヶ月かけて産経新聞に30回観戦記を書かれた事も。
対局前と対局後にも紙を費やされる新聞観戦記は、これ以外に見たことはな
い。

実に魅力的な方でありました。
- Count.17 (Last.2010/05/28 06:40) -


7.  JC IMPACT - 2010/05/29(Sat) 07:37 No.16889
>初手1八香さん。

なかなか、貴重な体験をされたのですね。

拙見を記す前に、私の遭遇した出来事、まぁちょっとした小事件のようなもの
でしたが、披露させてください。少しばかり苦くもあり、なかなか昇華できな
いこととして、抜けない棘のような感じでもあります。

1980年代の話です。

私に1本の電話がありました。学生時代の友人からで、それそれが既に仕事に就
いていました。私の趣味が「将棋」であることを彼はよく知っています。

「催し物に芹澤博文さんを呼びたいのだけれど、もしかして、連絡先とか知ら
ない?」

知っていました。その上で、私はこう応じました。

「それはわかるけれど、芹澤さんじゃないといけないの?」

「いけない、どうしてもいけない」

「どうしてもというなら、直接ではなくて、どこか、イベント会社を経由して
頼んでみたら」

「それじゃ、その分コストが積み増しされる。予算、厳しいし」

「それでも、芹澤さんにこだわるのであれば、直接やらない方がいい。リスク
が高すぎるよ」

「リスクって何?」

ここで、私は言葉を呑み込みました。本当のことを語らなかったのです。しか
し、嘘もつきたくない。「芹澤さん、何度も入院しているし、急にキャンセル
という可能性もある。その時に代わりの人を探してもらうとなったら、会社と
会社の取引にしておいた方がいいよ.....」

友人は半信半疑の様子でしたが、最後は私の提案に沿う選択をしました。

イベント終了後、友人から興奮した様子の電話がありました。

「いやぁ、助かったよ。本人に前入りしてもらったのだけれど、部屋は勝手に
チェンジする。人は連れ込む。シャブリを勝手に何本も頼む。翌朝は迎えに行
っても起きてこない。企画会社の連中が「着せ替え人形でした」と、そりゃも
う大変だった。控室でも直前まで酒をせがむ。突っ伏して寝る。なんとか形は
つけたけれど、酷い。酷かった。本当に酷過ぎる。宿泊、飲食だけで予算を上
回った。そんな費用は、もちろん企画会社に負担してもらったが」

私の想像を遥かに超えていました。噂、伝聞の次元ではなかったのです。

「お前に頼まれた、例のモノは手つかずで残っていたよ」

実は、その友人に頼んで、芹澤九段が宿泊するホテルの部屋の冷蔵庫に、ウィ
スキーを入れてもらっていたのです。芹澤九段が、ボトルを直接冷やして飲む
ということを私は知っていました。

「企画会社の人間が言っていたよ。当日、着せ替えをやっているときに、うつ
ろな顔で、お前の名前、呼んでいたらしい」

その瞬間、私も駄目になりました。早々に電話を切り、もう嗚咽が止まらな
い。示された事実に対して、批判とか軽蔑とか嘲笑とか、そういうことにもな
らない。ただ、哀しかった。今でもそれだけですね。

芹澤九段について「酒さえ呑まなければ」という方が何人かいました。「馬鹿
いっちゃいけない」とその度に私は思ったものです。断酒など、やろうと思え
ばいつでもできたと私は考えています。その理由と、

改めて、初手1八香さん、ケンチャンアさんにコメントをお返ししたいと思い
ます。週明けになるかもしれませんが、ご容赦ください。
- Count.72 (Last.2010/05/29 06:38) -


8.  - 2010/05/29(Sat) 08:34 No.16890
いや〜、JCさん。
凄いお話ですね。でも、間違いなく本当の話でしょうね。
亡くなる少し前なら、こういうこともあろうかとは思ったのですが、1980
年代というと、まだ・・・と書きかけて、・・・、あれ芹沢九段はいつ亡くな
られたのだろう。
亡くなられる直前のお話かなあ。失礼いたしました。
- Count.19 (Last.2010/05/23 20:26) -


9.  世渡り下手爺 - 2010/05/29(Sat) 09:42 No.16896
JCさん

楽しく、悲しく拝見させて頂いております。
JCのHNはどこからなのでしょうかな?青年会議所もJCでしたが、ま、そ
のようなことはともかく芹沢さんの一面をご紹介いただけて懐かしく感じてお
ります。

彼は、将棋と人生とどちらを愛したのでしょうか?酒は愛していらっしゃった
ようですが、将棋は途中で振ってしまったのかな?将棋からは愛されていた筈
なのに。。。

深酒で 横歩きする 芹鴨か
- Count.1033 (Last.2010/05/29 09:19) -


10.  みなもと - 2010/05/29(Sat) 12:19 No.16905
JC IMPACTさん、本当にインパクトの強烈な芹沢さんの思い出話ですね。
読んでいて複雑な思いに駆られます。将棋は好きだったが、自分の才能には
限界を感じていたのでしょうかね?

亡くなる2、3年前にNHK杯での解説を聞いたことがあります。そのとき異常な
ハイテンションで、訝しく思ったものですが、おそらく酒が相当入っていた
のだなと、いまさらながら納得です。

中原さんが「棋士はあまり酒を飲み過ぎないほうがいい」と言っていたとき、
たぶん芹沢さんのことが頭にあるんだなと思いましたが、やはりそうだったの
でしょうね。それにしても凄絶な話です。生きるとは酒のためだったのか。
- Count.610 (Last.2010/05/29 11:51) -


11.  寅金 - 2010/05/29(Sat) 13:08 No.16908
名人に挫折して、棋界の山内容堂に居場所を求めたのかな?
そりゃ〜樂し過ぎやわ!


大人の酒とは嗜好の問題意外では、
一人瞑目する時の安定剤・友と語らう時の調味料・激論の時の予防線。

時には、勝負師の保険としては有効なのでしょうが、
酒に全責任を押し付けちゃ〜酒を神をも冒涜する事になっちゃうね〜

酒飲みは酒飲みに優しいからって甘えちゃ駄目だよな〜

自らも正統派を標榜し何でも一流を好んだ芹澤は、
何時から壊れ始めたのだろうか?

オリックスの土井監督(当時)の様に、
羽生棋界制覇否定論者としての汚名だけが今も残る・・・

片や中原は谷川を有る意味無視し羽生が次代の覇者だと予言していた。
- Count.1484 (Last.2010/05/29 10:38) -


12.  最初で最後で最初 - 2010/05/29(Sat) 14:42 No.16919
同じく酒豪である内藤九段が「芹沢さんは酒を恐れなかった」と書いていた。
自分の兄はかなり前に内藤九段を招いた席でその飲みっぷりに驚いていた。1
升くらいなんて事はなかったそうだ。故・藤沢秀行さんは「芹沢は自分を兄貴
分にして遊んでる」と言っていた。弟分は早すぎたし藤沢氏の意外な長命にも
驚いた。
- Count.28 (Last.2010/05/27 08:21) -


13.  初手1八香 - 2010/05/29(Sat) 16:21 No.16930
JC様、

なんだか貴方様が慕っていらっしゃる故・芹澤九段の、
読みようによっては批判や皮肉にとれてしまう私の文にも
御心寛い対応をしてくださり頭が下がります。
決してそういうことではなく、
私も芹澤さんを懐かしく思っておりますことを念のため
書き添えたいと思いました。

それではいただけるというさらなる御反応を楽しみにしております。

*なお、「早指し」と書くべきところを「早差し」などと変換ミスし、
心から恥じ入っています。「将棋を打つ」というほどに下劣な
間違いでした。深謝しつつ。
- Count.53 (Last.2010/05/28 10:25) -


14.  JC IMPACT - 2010/05/29(Sat) 21:15 No.16940
>初手1八香さん。

>理科系の大学教授然とした風貌や物腰、
>また旧12チャンネルの『早差し選手権戦』でしばしば解説(もちろん
>出場もされていましたが)されているのを目にし、
>その歯に衣着せぬ語り、畏るべき頭の回転の速さに舌を巻いたものです。

>みんながシンとして解説を聴いているそのときです、
>十重二十重の熱心な将棋ファンの群れから離れたところに
>座っていた彼はなんと大欠伸をしました。
>「ふああああああああ!」

初手1八香さんの記述にあります『十重二十重の熱心な将棋ファンの群れから離
れたところ』というくだりを読んで、少しだけホッとしました。


将棋を知らない方が、将棋番組以外で氏に遭遇すれば、棋士というイメージに
は、あまり結びつかないだろうな、と私も思います。マルチタレントという感
じでしょうか。大盤によろよろと歩を進め、突然何の脈絡もなく「大山康晴は
嫌いです。二上達也は了見が狭い」などと口走らずによかった。

大欠伸ですか。本当に眠たかったのでしょう。おそらく。周囲のことは、もう
芹澤九段には何もみえていなかったのでしょうね。

>なにしろ彼にとって中原名人は高柳一門の弟弟子、
>だから応援するのかと思えば、そう単純なものではないのだな、
>と私は思いました。嫉妬なのかな、とも。

内心という言葉をつかいますが、芹澤九段は「心で中原を応援し、しかし、谷
川に中原を一度は超えて欲しい」そう願っていたのではないかと思います。豆
狸のようだった中原誠少年を鍛えたのは、全盛期の芹澤さん。過去にしか生き
る道がみえなくなった芹澤九段には、そういう思いがあったのでは、と想像し
ます。

嫉妬というには、中原や谷川の背中は遥か遠くに霞むばかりですから、そうい
うエネルギーも既に九段は忘れていたでしょう。決して届かない世界は、もう
追うこともできない。

私は芹澤博文九段のことを想うたびに「将棋の世界とは残酷だ」と、しみじみ
知らされるのです。
- Count.73 (Last.2010/05/29 07:37) -


15.  JC IMPACT - 2010/05/29(Sat) 22:48 No.16945
>ケンチャンアさん。

-------------------------------
巨泉が『週刊朝日』に対談のページを持ってたことがあって、ある日、中原を
「中原クン」と呼んだんだよ。中原のほうが年下だからいいようなものだけれ
ど、普通は、ゲストに対しては常識として「クン」とは言わんわな。すくなく
とも中原は将棋の第一人者なんだし。(中略)
「お前、中原に対してこういうことを言ったそうじゃないか」と言ったら、あ
のヤロウがスンナリ謝りやがるんだ。言うなら言ってもいい。自分のほうが上
だと思ったら「クン」と言ったって構わない。それが、ちょっと脅かされた
ら、すぐに謝るところが、限り無く偽物なんだな。男なら言ってしまったこと
は、言ったとおりにするもんだ。
(「依って件の如し」芹澤博文・昭和61年10月1日初版発行・ケント出版)
-------------------------------

この他にも、大橋巨泉をこれ以上はないというほど、悪罵に近い記述に満ち溢
れたコラムになっています。嫌悪感を剥き出しにする面が強い。巨泉に限ら
ず、ですが。

>二上−森の棋聖戦

私の手元にこの観戦記が収録された書籍があり、改めて読んでみました。昔、
何かで「文学の域に達している」というようなコメントをみたことがありま
す。それはともかくとしても、棋士の書く観戦記は、観戦記者の書くものとは
確かに趣が異なっていて、プロの感覚を伝えようとする面に溢れた、興味深い
ものでもありました。

>実に魅力的な方でありました。

私もそう思います。何かこう、不思議な「目立ち方」をするということも含め
て、ですが。
- Count.74 (Last.2010/05/29 21:15) -


16.  ケンチャンア - 2010/05/29(Sat) 23:54 No.16948
JC様

コメントありがとうございます。もう何でもご存知なのでビックリ。

30回観戦記、本になってたのですね。私は故真部一男九段が将棋世界でこの観
戦記を話題にされたのをきっかけに、図書館でマイクロフィルム一ヶ月分回し
て読みました。

当時もうプレーヤーとしては全盛期を過ぎていましたが、あの観戦記で最も印
象に残っているのは「我は何か」というくだりですね。一流の素養を持ちなが
ら一流の戦績を収められなかった、という悔悟が彼にもあったのでしょうか。

それと「もし困ったら5回分は引き受けてやる」という内藤九段の言葉にも泣け
ました。内藤九段の暖かい人柄が良く表れています。願わくばこういう方に連
盟の舵を取ってほしい。

ちょっとスレ違いの話題になりそうなのでこの辺で。(笑)

観戦記を読んでおられない方には、よくわからない発言で申し訳ありませんで
した。
- Count.21 (Last.2010/05/29 17:08) -


17.  世渡り下手爺 - 2010/05/30(Sun) 00:08 No.16949
私は、以前他のスレで芹沢さんの事を書きました。それは如何に天才である
か、如何に将棋を愛していたか、又如何に人を楽しませたか、でした。

しかし、いつも笑っているその目は何時も遠くを眺めていました。笑いが無く
なった時のその瞳は冷たく、鋭いというより黒目が見えず、人を見透かすよう
な怖さを持っておりました。酒が入るとより多弁になり、平気で人をののしり
ました。

自己愛の強い人でした。そして将棋を編愛していました。将棋をどのような形
にせよ否定する者には理由を問わず、食ってかかりました。それだけ将棋に魅
了された姿は異常なほどの毒気を含んでいました。

そして、愛し続けた将棋に見放された事を常に内に持ち、酒に溺れていった破
滅型の天才でした。彼は酒によって自殺をした、将棋の虜であり犠牲者であっ
たことも事実なのだと思っております。でも、大好きでした。
- Count.1038 (Last.2010/05/29 23:13) -


18.  JC IMPACT - 2010/05/30(Sun) 00:22 No.16951
中さん

-------------------------------
「オイ」

と呼ばれたような気がして目をあけると一時半ころでした。お義父さんが呼ん
でいるのかと耳を澄ましましたが、それ以上はなにも聞こえませんでした。ま
た目を閉じてうつらうつらした時、電話がジンジンと鳴り、主人の容態の急変
を知らせてきました。両親を起こして着替えをさせ、孫を暖かくくるんで、病
院へ急行しました。

それまでスヤスヤと眠っているようだった主人が、一時半ごろ急に引きつけを
起こしたようにのけぞり、呼吸が止まりかけたのだそうです。
背中の下に固いビート板のようなものが当てがわれ、大庭先生が懸命に人工呼
吸をしてくださいました。体がゆさぶられるたびに鼻血が流れ出ました。意識
はないので痛さは感じないのでしょうけれど、痛めつけられているようで見て
いられませんでした。

「パパ、ママとあゆみがきたのよ。目をあけてよ」
「親父、シッカリしろよ」
子供たちが口々に叫ぶ声を聞きながら、私は心の中でただ呟いていました。
「神様、二度のお願いはもうダメなのですか」
近くの親族や知人は駆けつけましたが、沼津の兄たちが遅れていました。でも
これ以上はとても無理だといわれ、両親も納得しました。

(「忘れざる優しさの証に」芹沢和子・昭和63年10月8日初版発行・文園社)
-------------------------------
昭和62年12月9日、午前4時2分(1987年)芹澤博文九段は亡くなりました。

それを追うように板谷進九段も黄泉の国へとむかいます。
- Count.75 (Last.2010/05/29 22:48) -


19.  JC IMPACT - 2010/05/30(Sun) 06:50 No.16971
>世渡り下手爺さん

おはようございます。

>JCのHNはどこからなのでしょうかな?

「Japanese Chess」の頭文字です。

>彼は、将棋と人生とどちらを愛したのでしょうか?

難しいご質問です。ただ、芹澤さんは「どこで何をしていても、将棋を忘れた
ことは片時もなかった」と思います。呑んでいても、絡んでいても、遊んでい
ても、ということですが。

俳人でもある野村秋介の句、その代表作に「俺に是非を説くな 激しき雪が好
き」がありますが、晩年の芹澤さんと、この句がかぶるんですね。

「林葉-中原事件」が表に出たときに、中原名人が自宅の庭で、ご丁寧に3回、
記者会見をされました。窓から奥様が無表情にその光景を捉えていたかと思い
ますが、その映像を眺めながら「大山康晴十五世名人と芹澤博文九段が存命で
あれば、どうなっていたか」と考えたものです。

脆弱な組織だなぁと思いました。大山、芹澤、それぞれに動機は異なったかも
しれませんが、事態の収拾にこの二人は真摯に取り組んだと思います。結果は
どうであれ。

私はこの組織の「軋む音」を、この時はっきり聞いたと、今でも思っています
ね。
- Count.76 (Last.2010/05/30 00:22) -


20.  世渡り下手爺 - 2010/05/30(Sun) 07:55 No.16975
JCさん

おはようございます。

>「Japanese Chess」の頭文字です。

なるほど!

>俳人でもある野村秋介の句、その代表作に「俺に是非を説くな 激しき雪が好
>き」がありますが、晩年の芹澤さんと、この句がかぶるんですね。

野村秀介氏がそのような句を歌っておりましたか、行動する右翼としての姿は
確かに芹沢さんにかぶる所があるかもしれませんね。。。やり方はどうあれ、
主義に対する思いは強い方達だったのでしょうね。

「自決と酒による自殺」これが頭に浮かび、なにか生き方に対する強さと寂し
さを感じています。妥協が出来ない生き方はある意味美しいですが、理解をさ
れないことは、本人には悲しく切ないのかもしれません。三島由紀夫の世界で
すか。
- Count.1039 (Last.2010/05/30 00:08) -


21.  JC IMPACT - 2010/05/30(Sun) 18:00 No.17019
>寅金さん

寅金さんがスレ主の「昭和コラム」興味深く拝読しております。
木村義雄名人への芹澤さんの「憧れ」は強いものがありましたね。
或いは「名人への憧れ」であったかもしれませんが。

>時には、勝負師の保険としては有効なのでしょうが、
>酒に全責任を押し付けちゃ〜酒を神をも冒涜する事になっちゃうね〜

>酒飲みは酒飲みに優しいからって甘えちゃ駄目だよな〜

というのが、芹澤九段に対する多くの評価なのでありましょう。

ただ「酒に全責任を押し付ける」生き方であったのかどうか。

甘えていたということになるのかどうか。

このあたりを私も考えてみたいと思っているのですよ。

スレッドの性格上、ということもあるのかもしれませんが、芹澤九段に対して
必ずしも酷評だけの評価ではない、ということが、私には面白いんですね。

それは何故なのか、と思います。

>何時から壊れ始めたのだろうか?

何をもって「壊れる」と考えるか、という面もあるのですが、これ、宿題とし
て預からせていただきますね。
- Count.77 (Last.2010/05/30 06:50) -


22.  寅金 - 2010/05/30(Sun) 18:21 No.17022
>JC IMPACTさん

ん〜当初の予定と違ってコラムの体になって無く、
歴史の編集みたいなもんでお恥ずかしいです。。m(   )m
やはり、コアな物で無いと成り立ちにくいですが、
始めちゃったもんで続けるしかないので、何とかご愛読の程お願いします。

芹澤さんについては、河口さんの著作で中原・米長を語る際に、
常に出て来るのですが、主役では無いので余り判りません。

アイアイゲームで愉快なおっちゃんと言うイメージが離れないので、
どこか憎めない印象も有りますが、
芹澤物語を拝聴させて頂く限りでは余り良い印象が持てません・・

何とか名誉挽回して下さいますよう期待しております。
- Count.1498 (Last.2010/05/30 16:27) -


23.  JC IMPACT - 2010/05/30(Sun) 19:43 No.17025
>みなもとさん

>亡くなる2、3年前にNHK杯での解説を聞いたことがあります。そのとき
>異常なハイテンションで、訝しく思ったものですが、おそらく酒が相当
>入っていたのだなと、いまさらながら納得です。

いつの頃であったか、もう記憶にありませんが、芹澤さんが八段時代にNHK杯
の本戦出場をされたときに、カメラが対局場を捉えたものの、そこに芹澤八
段の姿はなく、聞き手の永井英明さんが「あれ、芹澤八段の姿がみえませんね
ぇ。長時間のタイトル戦ではみかける光景なのですが」と、フォローされてい
た事がありました。

芹澤さん、NHKの他の番組に出演した際のトラブルか何かで「NHKトーナメント
にはもう出ない」と宣言されましたね。これもいつのころだったか。
予選は不戦敗だったのか、勝ちにいく将棋など、最初から眼中にないという状
態を作られたのか、わかりませんが。

なるほど、解説は引き受けていたのですね。
- Count.78 (Last.2010/05/30 18:00) -


24.  JC IMPACT - 2010/05/30(Sun) 20:07 No.17028
>最初で最後で最初さん。

>「芹沢さんは酒を恐れなかった」

私にも、芹澤九段について、そういう印象があります。

>「芹沢は自分を兄貴分にして遊んでる」

藤沢棋聖のドキュメンタリーをDVDで視聴したことがあります。NHKで放送され
たものを発売したものでした。

藤沢道場というか、定期的な研究会の模様が映されましたが、錚々たるメンバ
ーが集まっていました。勿論、皆、正座です。

決して多くを語るわけではないのです。晩年になっても「狼」のようでした。

そういうことも芹澤九段にはなかったように思います。

さて、本日中に、もうひとつ、私と芹澤九段とのエピソードを記してみます。
- Count.79 (Last.2010/05/30 19:43) -


25.  JC IMPACT - 2010/05/31(Mon) 00:18 No.17051
1985年(昭和60年)秋の頃だった。

芹澤博文九段と何人かの面々が会合を持つという機会があった。別に難しい話
は何もない。来訪した九段を囲んで、皆で呑みましょうという趣旨である。

棋士としての芹澤博文を知っている者から、タレントの「芹澤博文」をみたい
という者まで、九段を含めて8人だった。その人数を未だに私が記憶しているの
は、九段が開口一番「七人の侍ですか。それにしちゃ、みなさん堅苦しい。上
着ぐらい脱ぎましょうや」と、にこやかに声をかけられたからである。

宴席には酒もツマミも、盛り沢山である。日頃、私にそんな習慣はないのだ
が、「食べる前に、呑む前に」の胃腸薬を事前に服用して臨んだ。そんな話を
私がすると「JCさん、対局じゃあないんだからさ」と、芹澤九段が一言、何か
を発する度に皆が和んでいく。

幹事の顔など、呑む前なのに、既に紅潮している。「それでは、かんぱ....」
その瞬間である。芹澤九段がニコニコ笑いながら、
「ウーロン茶、ください」

「えっ??」「うっ」「ん?」.....。「先生、ご冗談でしょ??」

「いや、ホントなんです。ウーロン茶ください」

九段は照れ臭そうに、そうリクエストされた。

「酒を止められたのですか?」と、少し遠くから誰かの声。

「止めたんじゃないんです。止めているんです。この違いがわかれば四段です
よ。大山康晴よりは、アタマがいい」

前年の春過ぎ、芹澤九段は三度目の入院をされた。「皆が、心配したふりをす
るので、義理でね、だから今日はウーロン茶」

棋士、芹澤博文を知っている者からみれば、これは「驚天動地」の出来事であ
る。しかし、喜ばしいことでもあるのだ。無論、誰もそれ以上勧めたりはしな
い。

気の早い人間は、酒を全部片付けようとした。芹澤九段が呑まない状況で、
我々が呑むなどということは、芹澤九段を苦しめる。つい禁が破られたりした
ら、それこそ、全国の芹澤ファンに顔向けできない。そう考える者が何人かい
た。

「皆さんは、どんどん呑んでください。一滴も残しちゃあいけません。でない
と、私が呑んで、ほんとにまた暴れちゃう。娘いないから、止まりませんよ」

機関銃の早さで次々に言葉が繰り出される。みんな、夢心地になってしまう。

それから先は、もう芹澤九段の独壇場である。いずれ機会があれば、お知らせ
するが、娘さんの結婚式で、芹澤九段は荒れに荒れた。その日は48時間あった
というくらい荒れたのである。「JCさん、修羅場なんてもんじゃない。自分で
いうのも何だけれどあれは酒乱場(笑)」

そういうことを芹澤九段は決して隠さない。いい格好をしない。「今日は特別
に喋っちゃう」などと言いながら、どんどん話す。将棋以外の話題も沢山出て
くる。このバランスが実に見事なのだ。優しい。今の芹澤さんは、と思った。

「40期の名人戦は、あまりに悲しかったので忘れました。41期の名人戦は一生
忘れません」などと、私も座持ちのようなことを口走る。

芹澤九段、破顔一笑。

「嬉しいね、今日はいい日だ、でも忘れるならさ、そこでチョコレートつまん
じゃ駄目だって」

駒音の読者のみなさんにほんの僅かでも雰囲気をお伝えできているのだろう
か。私は。

芹澤九段は、結局、一滴も酒を口にせず、3次会まで付き合ってくださった。

私はここで「破顔一笑」ということを記した。芹澤九段の笑顔というのは実に
魅力的なのである。邪心も邪念もない。貧困な語彙しかもたない私には、それ
を伝える能力がないのだけれど、透明な笑い、透き通るような笑顔なのだ。

実に楽しい会だった。

しかし、話はこれだけでは終わらなかったのである。
                        (この項、続きます)
- Count.80 (Last.2010/05/30 20:07) -


26.  JC IMPACT - 2010/06/01(Tue) 00:56 No.17124
※(No.17051)の続きです。

この日のような「楽しい会合」に遭遇すると、残った者たちも「余韻」を愛し
むかのように、それですぐに「解散」とはならない。結局、その後も数軒、店
を変わり、私は朝まで酒を呑んだ。最後に残ったのは、私と仮にAさんとしてお
こう。

最後まで残ったというのは「去り難い」という思いがあったから、というのは
勿論事実だけれど、Aさんが「何となく最後は二人で」というシグナルのような
ものを送ってきたからだ。言葉にされたわけではない。阿吽の呼吸とでもいう
のだろうか。将棋が好きで、文学を愛する優しい方だった。この方も、既に鬼
籍に入られている。

さて、二人だけで小さなトリスパーに入った。

「名人戦の話は、しない方がよかったのかもしれませんね」

正面の棚を眺めながら、Aさんが静かに呟かれた。私は、一瞬、考えた。その話
を「座持ち」にしたのは、他ならぬ私である。「破顔一笑」のそれを指しての
ことだろうか。私は黙っていた。そう言われて「ピンとこなかった」というの
が、実は正しい。

第40期の名人戦とは「加藤-中原」戦である。激闘九番、加藤一二三さんが悲願
の名人位を獲得した年だ。次の第41期は「谷川-加藤」戦、谷川九段が初めて名
人を獲得した時期に当たる。芹澤九段がいらっしゃる酒席の肴として、私の軽
口は、場にそぐわない話とは思えなかった。

私は静かにそういう趣旨のことを述べた。Aさんは笑ってその話を受け止めてく
れる。「私も、あの場では、楽しく聞いていました」と。

2次会→3次会への会場は、参加者が歩いて移動した。

たまたま、九段と二人、並んで歩いたAさんは九段からこんな話を聞かされたの
だと、私に教えてくれた。

「Aさん、私は名人にはなれなかったけれど、出世はしました」

Aさんは黙って頷かれる。「(連盟の)役職にでも就くのかと思ったのですが、ま
さか、それはあり得ませんし、何を言われるのかな、と黙って聞いていたので
す」

「この世界の最高は名人位です。それは私には届かなかったんです。だから私
は出世してやろうと思った。出世って何かってね。偉くなることじゃない。世
に出ることだったんです」

「しかし、出世しても、それはそれだけで、生きるに値しないもんですなぁ。
そのことが、よくわかりました。馬鹿な奴ですよね」

私はAさんの意味をここでようやく理解した。芹澤九段という棋士には「名人」
以外の価値など、さほどのものではない。もっというなら「とるにたらない」
その程度のものなのだ。

芹澤九段の辛さをわかりもせずに、氏にとっての生々しさが永劫消えない世界
に、私は、その重みを理解していたつもりで、場つなぎに語った。それは、確
かに控えるべきことだったのだ、と。

私は芹澤九段が語った「出世」という意味も、言い回しも、決して笑えない。

これは、私の仮説である。

没後、私は芹澤九段の著作、関係者の著作、九段を知る者が綴った著作のかな
りを読んでみた。改めて、そのことにも触れてみたいが、この時期の禁酒は娘
さんが結婚されて、ちょうど1年間、実行されたものである。1年後を「喪明
け」と称して、九段は再び、酒の世界へと戻っていかれた。

この1年間の禁酒は、きっと嫁いだ娘さんに父親が残した、最後の贈り物だった
のだ。生きるに値しない世の中で、愛娘が結婚し、せめて1年間は、その娘のた
めにも、父親として存在しなければならない、極端に言えば、ただ、そのため
だけに、九段は禁酒されたのだろう。いわば、娘の行く末を見極めるために、
九段自身が必要とされた時間だったのだ。

人は思うようには誰も生きられない。その際の「折り合い」のつけ方は人それ
ぞれでもある。ただただ、そう痛切に感じるのだ。
- Count.81 (Last.2010/05/31 00:18) -


27.  初手1八香 - 2010/06/01(Tue) 06:05 No.17130
JC Impact様

拙文へのご丁寧なレス、および珠玉のエッセーをありがとうございます。

名人位を獲れるか否かが人生のall or nothingを決めてしまうという
凄まじい境地にはとても立てるものではありません(市井のヘボ将棋
ファンはおろか圧倒的多数のプロ棋士ですらそうでしょう)が、
そういう人生もあるのだろうなと推察することはできそうです。

Good loserになれなかった、ということなのでしょうね。

こうした芹澤九段の人生観やそれに基づく行動は、
もう二度と今の棋士とかには見られるものではないでしょうね。
それは名人位というものの相対的な価値低下もあるだろうし、
なにしろそうした生き方が格好良いとは思えない、
ある意味で冷めた世の中になっていることが大きいと思います。
「ナンバーワンよりオンリーワン」などという考え方が尊ばれる昨今、
なんだか<草食>系的思想が蔓延しつつあるようです。

芹澤さんはNietzsche的な、ディオニュソス的な棋士だったと言えるような
気がしてなりません。
- Count.54 (Last.2010/05/29 16:21) -


28.  越中フンドシ - 2010/06/01(Tue) 18:34 No.17151
JC IMPACTさん、はじめまして。

心の打たれる話ばかりです。どうもありがとうございます。

私が将棋にのめり込んだ小中学生頃では、芹沢九段は既にB1かB2で全敗宣言な
どをしたり、テレビタレント化していらっしゃいました。だから正直に言って
嫌いでした。

一部は将棋世界誌など専門誌で拝見(名人になれなかった挫折など)したこと
があるのですが、芹沢九段の身近な本音に関することが良くわかりました。

これからも是非拝見したいので、どうぞよろしくお願いします。
- Count.276 (Last.2010/05/31 21:17) -


29.  JC IMPACT - 2010/06/01(Tue) 20:04 No.17156
>初手1八香さん

>名人位を獲れるか否かが人生のall or nothingを決めてしまうという
>凄まじい境地にはとても立てるものではありません

そうですね。「境地」の差はありますが、森九段は、近いかもしれませんね。

「四十までに名人位をとれなかったら、俺は郷里に帰ってレッスンコーチにな
る。トーナメント棋士をやめるよ」と森九段が述べたことがあると、これは色
川武大の著作にありました。

数年前、何かのテレビで一瞬映った森九段の対局風景を記憶していますが、何
かこう「仏様」のような顔をされていました。

>それは名人位というものの相対的な価値低下もあるだろうし、
>なにしろそうした生き方が格好良いとは思えない、

今のA級棋士のみなさんは、このあたり、どう思っているのでしょうね。

奨励会を目指す子供たち、その難関を突破して、更に頭角を現し、四段になっ
て、夢はと問われれば「名人」と答えるのでは、という気はしますが、ひょっ
としたら、これで「生涯、自分の好きなことで自活できる」という安心感が彼
らを幸せにする、その結果「羊の将棋」になってしまうという面もあるのかも
しれませんし、奨励会を卒業しても、自分の行末がみえてしまう、この方が圧
倒的に多いのでしょう。

>「ナンバーワンよりオンリーワン」

芹澤九段の辞書にはなかったのだろうと、私も思います。
- Count.82 (Last.2010/06/01 00:56) -


30.  JC IMPACT - 2010/06/01(Tue) 20:47 No.17158
>越中フンドシさん。

はじめまして、こちらこそありがとうございます。こんな昔話におつきあい
いただいて。

>全敗宣言などをしたり

「全敗宣言」ありましたね。41期B1リーグ(1982年)の時でした。

「全勝宣言なら、ともかく.....」
「対局する棋士に失礼だ.....」
「芹澤の好きな競輪選手には絶対にできないこと」

好意的な評価などあるはずもないのです。芹澤九段は「負けても食える将棋界
に警鐘を鳴らすことが目的」と主張されていましたが、それこそ「(将棋以外の
世界で)出世したからこそ出来ること。秘めた優越感が実に厭らしい」と、ある
意味、これも的を射たものかもしれません。

この前年、芹澤九段は「B1を1期でA級へと駆け抜ける谷川浩司七段(当時)」と
遭遇します。「最初で最後になる」ことを無論わかっていました。

芹澤はこの対局を前に1週間「競輪や酒の誘い」を一切断ち、未来の名人と対峙
します。最晩年の芹澤の棋譜で、最も紹介されるものですね。芹澤九段は勝ち
ました。小さなミスはありましたが、快心譜といっていいでしょう。

芹澤の「真剣勝負」はこれで完全に終わったと、私は思っています。以降の勝
敗は関係なく、ということですが。
- Count.83 (Last.2010/06/01 20:04) -


31.  JC IMPACT - 2010/06/02(Wed) 00:49 No.17166

ひとつ棋譜を掲載させていただきました。

後手番の「次の一手」です。みなさん、どうお考えになりますか?

(後手を手前側に棋譜を編集しています)

(勿論、このスレッドに関連する棋譜です)

- Count.84 (Last.2010/06/01 20:47) -


32.  越中フンドシ - 2010/06/02(Wed) 07:36 No.17180
おはようございます。

JC IMPACTさん、御丁寧にありがとうございます。芹沢九段が、谷川当時七段を
全力で撃退しにいった、という話は聞いたことがあります。これで燃え尽きた
のかもしれませんね。また一方で、これならまだまだ行ける、と錯覚したのか
もしれません。

さて、お題が示されていますね。誰の将棋なんだろう? 全然わかりません
が、▽8一飛かなぁ〜 次に▲6一飛と打たれたくないので自陣飛車を打ってお
こう、くらいの軽い乗りです。▽5一に歩が打てないし・・・

解答や続きも楽しみにしています。よろしくお願いします。
- Count.277 (Last.2010/06/01 18:34) -


33.  寅金 - 2010/06/02(Wed) 08:05 No.17184
55角が立てれば面白そうだが、

欲張り過ぎる思惑で76飛と打ちたいな〜
- Count.1509 (Last.2010/06/02 07:49) -


34.  山崎知之蛇 - 2010/06/02(Wed) 08:54 No.17190 HomePage
次の一手は
桂馬が欲しいし
> 次に▲6一飛と打たれたくない(越中フンドシさん)
ので、△6二香とします。

JC IMPACT
> この前年、芹澤九段は「B1を1期でA級へと駆け抜ける谷川浩司七段(当時)」と
> 遭遇します。

将棋の棋譜でーたべーす>
棋譜番号 11350 対局日 1981-12-25
棋戦 順位戦
対局者 先手 谷川浩司 後手 芹沢博文
【リンク】
h ttp://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=11350

> 快心譜といっていいでしょう。
初手から並べて(クリックですが)みました。
確かに!内容的に押している感じがしました(本当に分かっているかは???)。
- Count.1364 (Last.2010/06/02 08:41) -


35.  まるしお - 2010/06/02(Wed) 11:58 No.17201
 昼休みに次の一手というのもオツなもの。

 私も△8一飛
 もし▲8二歩と叩いてきたら△6一飛

 自陣飛車で敵の飛車打ちを消しておいてから、後で美味しそうなお菓子をいた
だくという寸法ですが、まあヘボの勝手読みですから当てにならない。

 JC IMPACT さんのエッセイは駒音の新たな楽しみとなりました。
 乞長期継続。
- Count.209 (Last.2010/06/01 05:16) -


36.  誰の将棋なんだろう? - 2010/06/02(Wed) 12:35 No.17202
△66飛?
- Thank you for your first contribution! -


37.  藁人形 - 2010/06/02(Wed) 13:12 No.17204
芹澤さんは将棋に殉死したんでしょうか
それとも名人位に殉死したんでしょうか

モーツァルトに成りたくても成れなかったサリエリの悲劇が、また此処にも。




後手番の次の一手は「敵の指したいところに指せ」で△6一飛だと思います
が、▲5三桂打が気になりますぅ〜
気になりすぎて、未だ考慮中
- Count.1027 (Last.2010/06/02 10:25) -


38.  JC IMPACT - 2010/06/02(Wed) 20:00 No.17224

沢山の方々に「私の一手」をお示しいただきました。
ありがとうございます。では「種明かし」を致しますね。

この棋戦はスレッドでケンチャンアさんが触れていらっしゃる「第40期棋聖戦
第1局」芹澤九段が30回の観戦記を書きました。▲は森八段(当時)△は二上棋聖
(九段)です。問題図、ここで二上九段が指した手は△6六飛(58分)

-------------------------------------------
(二上九段が指した次の一手をみて*局面問題図)*引用者註

部屋にズイと入って来た米長九段は盤を見て「これ研究?」と聞き、実戦の動き
だと知るや「何だ、こりゃあ」
花ムコ云々とふざけていた時とは違うキツイ表情になる。目には瞋恚(しんい)
さえ感ずる。将棋に対しては実に真面目な米長ならではの表情かと思う。そし
て言う。
「△6五銀、と桂を取り▲6一飛に△3二銀打、▲6五飛成そして△8九とと金を取
り森君は屁もタレられない。だけど二上さんは怒っているだろうから、こう普
通には指さないかもしれない」
米長の予想は当たり二上△6六飛である。一見、角取りと6九飛成から3九銀の寄
せをみて鋭い一手のようであるが無筋である。遊び駒の8六角を取りに行くのは
無筋である。名手二上にしても怒りの心があると手が正しく動かぬものらし
い。
この△6六飛で米長が言うように△6五銀と桂を取り、▲6一飛にありがとうとば
かりガッチリ△3二銀打としてジックリ戦えば、プロの初段の力があれば負けよ
うとしても負けられない。こんなことは二上ほどの腕なら瞬時にしてわかるで
あろうに、気が揺れているとわからなくなるというのも人間らしいと思って我
慢しなければならぬことか。
米長が、「6六飛に何分使った?」五十八分だとの声に「考えて、良かれと思っ
て考えて、どうして人は悪いことをしてしまうんだろう」とポツンと言って池
の鯉をみているが、その後ろ姿に何とも言えぬ寂しさを漂わせていた。
          (「第40期棋聖戦第1局観戦記」芹澤博文記より引用)
-------------------------------------------

私がこの局面を前にしたら、芹澤、米長両氏が指摘するような手順は「読みも
しない」と思います。△6六飛か△8九とを読み耽ったのかなぁと感じます。

芹澤九段は「△6六飛」を無理筋とは書かず「無筋」と書いています。つまり、
この手には「理などない」ということでしょう。厳しいものだなぁと思いま
す。

このあとの手順は次のとおり進みました。

▲7九金寄 △8六飛 ▲6一飛 △5一香 ▲6四飛成 △6三銀 ▲7三龍 △7二歩

掲出した棋譜は△7二歩までてす。

みなさんなら、次の森九段の一手、どう指されますか?

- Count.85 (Last.2010/06/02 00:49) -


39.  JC IMPACT - 2010/06/02(Wed) 22:58 No.17245
芹澤九段は、棋書も含めて、生前、41冊の著書を残している。その内、人生
論、エッセイの類が9冊。国会図書館のデータをみる限り、大山康晴十五世名人
と、いわゆる随想の類では、ほぼ変わらないか、或いは芹澤九段の方が多いの
かもしれない。

中原十六世名人には評伝の類はあるものの、自著としての随想はまだない。

米長邦雄永世棋聖にも対談含めて何冊か、棋書以外の著書がある。ただ、私は
米長氏のそれら作品に、私の琴線に触れたものはなかった。斜に構えた目線と
仄めかしが強いように思ったのである。

芹澤九段の随想、人生論の類、本になったものは全て読んできた。正直、読ん
でいて、明らかな事実誤認、思い込みに満ちたものもあるし、誰彼なく悪口雑
言をぶちまけたようなものは、正直、読んでいて「いくら何でもあんまりでは
ないか」と思うものも多々あった。

ただ、その中でも、芹澤博文九段が、おそらくは素直に、率直に自分の思いを
語ったものがある。(『娘よ』バン・ニューズインターナショナル刊 昭和60年8
月30日初版発行)がそれに当たると、私は思っている。

----------------------------------------
こんなことがあった。娘がまだ幼稚園に通っていた頃、先生が"家の一日"を描
かせたのである。他の子供たちの絵をみると、そこには朝父親が、出勤すると
ころ、昼は母親が洗濯や炊事をしているところ、そして夜は両親と子供が一緒
に食事をしている光景が描かれてあった。ところが、和美の絵を見ると、私を
描いているのは朝だけ、しかも蒲団にくるまって寝ている図である。あとは昼
も夜も私の姿は画面にないのである。それを見て、妻も愕然としていたことを
覚えている。
(『娘よ』バン・ニューズインターナショナル刊 より引用)
----------------------------------------

----------------------------------------
娘を嫁がせて間もなく、カミさんがボソッと言ったことがあった。
「これまで、私は、少しあなたに寛大過ぎたかも知れない。でも、あなたには
伸び伸びと自由奔放に生きてほしかった。私の両親のように、夫は外を飛び回
り、妻は家のことを心配する、そんな家庭にしたいと結婚した頃から思ってい
ました。もちろんずいぶん不安になったことはあったけど、がまんしたとか、
取り残されたような気持ちになったことは、一度もなかった。
(『娘よ』バン・ニューズインターナショナル刊 より引用)
----------------------------------------
だからこそ、没後に奥様は「忘れざる優しさの証に」を書かれたのだろうと、
私は思っている。奥様は、芹澤さんの闘病に寄り添い、最期の一瞬まで戦われ
た。私は芹澤さんの人生は、やはり幸せだったのではないかと思いたい。

----------------------------------------
類い稀な狂気に近い「才能」と「強運」は持ち合わせぬ我が亭主だが、稼業に
対する愛だけは抱き続けてほしい。この愛は、彼にさまざまなことを教えてく
れるはずだ。彼が将棋への愛を持ち続けるということは、将棋への挑戦をやめ
ぬということだ。将棋の世界に没入するということだ。それはお前の協力がな
ければできることではない。責任は重大なんだよ。
(『娘よ』バン・ニューズインターナショナル刊 より引用)
----------------------------------------

芹澤九段は「将棋への愛」を持ち続けてきたのか。「将棋への挑戦」をやめな
かったのか。では「全敗宣言」も愛ゆえのなせる業なのか。それとも、これは
「俺の轍を踏むな」ということなのか。正直に書けば、芹澤九段の「愛し方」
というものが、私には今尚、わからないというか、わかりにくい面がありま
す。

「始末が悪い」という面が、芹澤九段にはあったと思います。ただ、始末が悪
くとも優しいということは、人に存するのではないか。考えてみれば、人はそ
んなに始末よく生きられないのではないのかな、ここまで書いて、私はそんな
ことを考えているのです。

さて、皆さんから色々なご感想、ご意見をいただきながら、このスレッドを、
一緒に作ることができました。そろそろ、ゴールもみえてきたと思っていま
す。

この週末、そして師匠であった高柳九段は、芹澤九段をどうみていたのか、ま
た、山口瞳は九段の没後に何を語ったのかをご紹介したいと思います。

そして、

「お前に頼まれた、例のモノは手つかずで残っていたよ」(No.16889)

この話には「後日談」があります。そのことをここに記して、拙文の仕上げに
したいと思います。

参加してくださったみなさん、読んでくださったみなさん、本当に有難うござ
いました。もう少しだけ、見届けていただきますと嬉しく思います。
- Count.86 (Last.2010/06/02 20:00) -


40.  世渡り下手爺 - 2010/06/02(Wed) 23:47 No.17253
まちがいました。一目7七金でしたが、角がきいておりました^^;;
7銀打ち
- Count.1068 (Last.2010/06/02 23:09) -


41.  最初で最後で最初 - 2010/06/03(Thu) 17:44 No.17296
JC IMPACTさん
最近の一番の楽しみです。升田・大山物にはもはや新鮮味がありません。もう
少しだけ等と仰らずに芹澤九段の「独壇場」の話しなどぜひ披露して頂きた
い。
- Count.29 (Last.2010/05/29 14:42) -


42.  ケンチャンア - 2010/06/03(Thu) 20:47 No.17304
JC様

小生のコメント取り上げていただきありがとうございました。週末大阪に帰る
ので、久々に芹沢観戦記読んできます。

〜1982年7月一ヶ月にわたり、産経新聞に掲載〜
- Count.22 (Last.2010/05/29 23:54) -


43.  越中フンドシ - 2010/06/03(Thu) 23:39 No.17328
みなさんこんばんは。 JC IMPACTさん、おもしろいです!

ここで▽6六飛!ですか。 へぇ〜っ! そして先手の竜が詰んでしまった
と・・・ 斬り合いに行って、ペタペタ底歩&底香を打って、そして・・・ 
中盤に戻ってしまった・・・

まあ、読み筋なんでしょうが、竜が詰んでいる。ここは、竜を切るのか、相手
の飛車を‘責める’のか?

でも、▲6三竜とか▲8七歩とかは気合が悪くて指さないでしょう!(?)

ジッと▲7四歩、はどうですか? あり得ん、かなぁ〜 先手はほぼ全部の筋に
歩が打てないし、既に‘手作り’が難しい、つまり劣勢だと思います。

初段に足りない酔っ払い(私)の戯言です。 駒音諸兄のみなさんの意見も聞
いてみたいので、トップソートなしを外させて頂きます。
- Count.278 (Last.2010/06/02 07:36) -


44.  馬って得意なのよね - 2010/06/04(Fri) 01:06 No.17340
uma.gif JC IMPACTはん、ゴッツウ面白いでんなあ。
楽しませて読ませてもろてます。ホンマ、おおきにですわ。
TVで芹澤はんの笑顔を見て、余程純粋な人なんやろなあと
勝手に想像してたんでっけど、このスレで紹介してくれてはる
様々なエピソードを読ませてもろて中年にもなっとって
何であんな笑顔がでけるんか少しは理解でけた気がしましたで。

芹澤はんの「全敗宣言」する気持ちこそ、今の連盟の棋士が失おてしもた
最大のもんとちゃいまっかいな? すっかりサラリーマンに成り下がって
しもた人間らの指す将棋に何の魅力がありまんねん。

名人になれるかなれんか、それに人生や自分の誇りの全てを賭けて生きる、
少のおとも心の片隅にそん位の性根を持ち続けてへんかったら勝負師やない、
「士」の字を職業に入れるに値せん、とワシはそないに思うんですわ。

芹澤はんが今も生きてはったら、完全に将棋利権の仲間内での分配団体と
化してしもた今の連盟や棋士連中の姿を見て何と思わはるやろな?
- Count.429 (Last.2010/05/30 04:23) -


45.  JC IMPACT - 2010/06/04(Fri) 22:19 No.17392
No.17224 森九段の「次の一手」に関しましては、のちほど記述させていただき
ます。

>最初で最後で最初さん

>升田・大山物にはもはや新鮮味がありません。

両棋士共に「生々しい本音」というものは、本当のところでは、あまり語って
いないのではないかな、という気は致します。
ただ、升田さんの場合、奥様の「聞き書き」は楽しく読ませていただきました
が。

>馬って得意なのよねさん。

>何であんな笑顔がでけるんか少しは理解でけた気がしましたで。

そう言っていただけるだけで、拙文をここにUPした甲斐があったようにも思い
ます。ありがとうございます。

>芹澤はんが今も生きてはったら、完全に将棋利権の仲間内での分配団体と
>化してしもた今の連盟や棋士連中の姿を見て何と思わはるやろな?

少なくとも米長会長の「重石」にはなったと思います。米長会長が意識せざる
をえない棋士が先輩に「いるかいないか」という点は、大きかったのではない
でしょうか。

そして、現状、棋界に存する様々な問題を、将棋ファンをはじめ、社会に問う
ことをなさったと思います。「鴨に失うものなど、何もないからね」と、少し
ばかり見栄を切って、ということですが。

芹澤九段がプロデュースした「第1回将棋の日」イベント、これも後日になって
使途不明金などが問題になりましたが、私は、芹澤九段があのときに果たした
役割の一面を高く評価していますし、今日、棋界と社会を結ぶスポークスマン
が棋士の中に誰もいない、ということを憂いますね。
- Count.4 (Last.2010/05/19 21:32) -


46.  温帯低威圧 - 2010/06/04(Fri) 22:36 No.17394
娘さん、タイプでした。
- Thank you for your first contribution! -


47.  筒井村重 - 2010/06/04(Fri) 23:28 No.17404
>JC IMPACTさん
続き楽しみにしています。

>温帯低威圧さん
ミスタイプですか?久しぶりですね。たまにブログは拝見してましたが。
- Count.24 (Last.2010/06/04 23:05) -


48.  JC IMPACT - 2010/06/04(Fri) 23:42 No.17407
さて、森九段の指した「次の一手」の回答です。
観戦記から、そのまま引用してみましょう。

----------------------------------------
森は「うん、うん」と小さく一人意味なく?呟き「うん、こんなもんか」と言っ
て少時して8七銀である。
これが最善手である。龍はこれで助かるのである。
悪くても交換である。8七銀に二上が同飛成、同金、7三歩と出来るのなら、こ
とは簡単であるが、こうはならない。
8七銀に同飛成は6三銀がある。同金は8七金で二上に何の利もないから6三龍に7
八龍とするだろうが、この時5二龍がある。ここで5八龍と出来れば二上の勝ち
であるが、それは4三龍、3三角、3五桂、同歩、3四銀、2二玉、3三銀成、同
桂、3一角で詰みである。(中略)間違うにしても、単純ミスでなく小ミスの連続
は厭な間違い方である。精神不安定な状態に於ける間違い方だからである。
(中略)だが、この心理状態は容易には元に戻らない。
          (「第40期棋聖戦第1局観戦記」芹澤博文記より引用)
----------------------------------------
この将棋の記録係が大野四段というのも、不思議なものだ。

二上九段はこの後も乱れに乱れて敗れるのである。当事者と傍とは確かに違う
ものだが、記者の面々が松田茂行九段に「(研究局面で)遊んでもらっている」
時には、芹澤も米長も「二上負け」の結論を出している。

例えば「小説」と「批評」について、ある意味、後者は、その作品の理解の手
立てというか、著者と読者の「媒介的な役割」を果たすという面がある。

しかし「棋譜」という作品があって「観戦記」を読むと、観戦記者の筆では、
「棋譜」を読者のものとするには、わからないところがあるというのもおそら
く事実だろう。棋士の観戦記を読むと、そのことだけは、わかるような気もす
る。
- Count.5 (Last.2010/06/04 22:19) -


49.  JC IMPACT - 2010/06/04(Fri) 23:52 No.17408
>筒井村重さん。

>続き楽しみにしています。

ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願い致します。
- Count.87 (Last.2010/06/02 22:58) -


50.  温帯低気圧 - 2010/06/05(Sat) 08:00 No.17425
PCのKのキーが反応が悪くてミスしました。ええ、川柳にはよく来ています
よ。
- Count.345 (Last.2010/06/04 22:09) -


51.  JC IMPACT - 2010/06/05(Sat) 11:56 No.17441
みなさん、おはようございます。

この2日間「駒音」にある他のいくつかのスレッドを読みなおし、私なりに色々
と考えることがありました。今回、このスレッドでお約束をさせていただきま
したことを、果たした上で、私はこの「掲示板」からは撤退をすることに決め
ましたので、ご挨拶も含め、みなさんにご報告させていただきます。

本来、固定ハンドル制の匿名掲示板における「人の出入り」など、実は全くど
うでもいいことなのですが、幸い、私の戯言を「面白がってくださる方々」が
いらっしゃるということが、書込みを通じてわかりました。

私がこのスレで芹澤博文について「語り尽くしたあと」に、全く沈黙を貫け
ば、或いは「JCはどうしたんだ」と疑問を持たれる方々も、いらっしゃるかも
しれません。私自身、短い期間でしたが、何より書き込んでいて、楽しくもあ
りましたし、その意味では、本当に感謝申し上げたいと思います。

そういう方々に「理由(わけ)」を説明するということは、読んでくださった
方々、参加してくださった方々への、義務に近いものがある、そう考えるに至
りました。

私自身、このボードに書き込むようになって、内心「駒音という掲示板の敷居
を上げることの重要性」を感じてもいました。もちろん、自由に書込み、闊達
に議論するという前提は当然ですし、既にそれは担保されているようにも思い
ます。

ただ、残念なことに、何人かの、いわば重鎮、常連投稿者の方々に「自身がこ
こで公言し、宣言した姿勢を、簡単に反故にしてしまう。いわば自らが自身に
課した約束(他者に約束させられたものではありません)を安易に棄て去ってし
まう。私からみれば、それは「重鎮、常連投稿者の方々」に、この場を大事に
するという「意識」が決定的に欠けている、ということを意味します。

私は「どんな場」であれ、自分が書いたものには思いがあります。いい加減な
ことは書きたくないから、色々と調べたりもします。それは、ある種、自己愛
に通じる面もあるかもしれません。「恥ずかしいこと」はできるだけしたくな
いのです。

常連、中核的なメンバーが「その場を大事に思わない」ような場所は、残念な
がら「敷居も上がりません」し、建設的な議論の場も生まれません。少々行儀
が悪くても、私はそんなことは構わないと思っていますが、そういう次元とは
別に「場に想いをもつこともなく、約束をなかったことのようにし、恥じな
い」場に、何かを書き続けるというのは、私には苦痛なんですね。だんだんと
自分を貶めるような気分に陥りますし、そういう気持ちでは、自分の尺度に照
らして「これならば、人様に最低限、読んでもらえる内容」を書くことは困難
になります。そんなつまらないものは、書かない方がよほどいい。

こう書けば、私の撤退理由はおわかりいただけると思いますし、私も、みなさ
んと明るく「お別れ」をすることができます。

実は「馬さん」とは、改めてどこかのスレットで「本当の議論」をしたいと思
ってもいましたし、そのことは私の楽しみのひとつでもありましたが、それは
叶わなくなりました。この点は残念ですが、まぁ仕方ありません。

場違いなことを書きましたが、芹澤のスレッドは、第4コーナー、きちんと仕上
げたいと決意しています。

ありがとうございます。
- Count.6 (Last.2010/06/04 23:42) -


52.  0009 - 2010/06/05(Sat) 13:05 No.17444
一寸覗いたら芹沢のことが出ていたので、少しコメント。
芹沢とは京王閣競輪場で何度も顔を見てるし、口をきいたことも二、三度あ
る。 俺も多少は将棋をやるので芹沢の顔は知っていた。
あれは三十六年前のことだ、芹沢は呑み屋から盛んに車券を買っていたが兎に
角競輪の能書きだけは一人前だったが、実際の知識は半可通。
馬鹿げたレースの読みをして俺の競輪仲間から笑われ、芹沢はプンプン怒って
いた。
その後俺は将棋には全く無縁だったが、週刊誌で芹沢が順位戦で全敗宣言をし
ていると知り将棋雑誌で確認してみると全敗だった。
例えどんな屁理屈をつけるにせよ、プロ棋士が意図的に全敗宣言してそれを実
行するなど馬鹿げたことだとその時俺は感じた。
ただ競輪場で芹沢の人となりを僅かだが知った俺は、アイツならやりかねない
なと思った次第。
- Thank you for your first contribution! -


53.  筒井村重 - 2010/06/05(Sat) 16:01 No.17451
> 私はこの「掲示板」からは撤退をすることに決め
> ましたので、ご挨拶も含め、みなさんにご報告させていただきます

多分とらえ方は違うと思いますが、私も違和感の拡大を感じたので、
この一年間投稿はせずにいました。
JC IMPACTさんの投稿を見るにブログの方が特性にあっている
ような気がしますので、そういったものを始められてはどうでしょうか?
私もはてなダイアリーに無料アカウントを持っていますが簡単に始められます。

掲示板の立ち上げも、やろうと思えば簡単なんですがね。

もし、別に落ち着き先を持たれるようであれば教えて頂きたく。
- Count.25 (Last.2010/06/04 23:28) -


54.  ケンチャンア - 2010/06/05(Sat) 17:31 No.17455
JC様

図書館で、芹沢観戦記読んできました〜。前スレで1982年7月一ヶ月と書きまし
たが、正確には7月2日〜31日の30回です。

棋譜と各回のタイトルをメモって帰って来ました。

マイクロ回してると、その当時の他の記事も目に入ってきます。総理大臣は鈴木
善幸さん、大相撲千代の富士の活躍、野球はタイガースの11連勝&8連敗。もう
28年もたつんですね〜。

JCさんのおかげで、思い出に浸る事ができました。またどこかでお目にかかれる
事を楽しみにしております。
- Count.26 (Last.2010/06/05 09:47) -


55.  初手1八香 - 2010/06/05(Sat) 18:36 No.17459
JC Impact様、

なんやかや多忙で、レスすること能わずのままになりました。
申し訳ありませんでした。

ご丁寧にレスしていただいた内容にまた触れるということよりも、
なんとまあ、駒音よりの撤退されるという、その衝撃について
書かざるを得ません。

私はJC様が認識されている駒音の現況についてそのまま同感とまでは言い切れ
ないまだまだ新参者の部類です。(JC様は少なくとも私より駒音の流れ
についてはお詳しいかと勝手に想像しております。)
さらに個性あふれるプロ棋士が群雄割拠した時代に直接の知遇を得ることも
なかった者ですし、まったくの一市井のファンです。

そんな立場から駒音にお邪魔させていただくようになったきっかけは、
一年前寅金さんと複数の常連様たちとの激しいやりとりにほとんど
釘付け状態になってしまい、その後うつくしい大団円となって、
なんという人間臭い掲示板だろうという感動があったからなのです。

私は最近喝采様の立てられたスレで、昨今の駒音掲示板の多くのスレで
見られるある種の荒れ具合を憂慮する旨の書き込みを致しました。
寅金さんの旋風が吹いた一年前とは何か違っている、
これはあの感動的な大団円が全く兆さない荒れ方だ、と思ったのです。

そんな中、JC様のこのスレは一服の清涼剤などという陳腐な形容を
遥かに超え、<人に何かしらを伝えるとはどういうことか>という問い
へのJC様の渾身の答えを読ませていただいているという、
なにか突き抜けた、ともすると孤高を湛えた爽やかさを感じていました。
ですからJC様のお名前を出して、駒音のさびしい<言語状況>を憂い、
さらに、馥郁たるものに欠け、描くに値しない今の将棋一般の状況を
憂いたのです。

元来将棋は人が指すものであって、その「人」とは複雑怪奇な生き物で、
あるときには魔物のよう、あるときには裏腹に人格者そのものという、
そうした決して割り切れない、無理数のような存在であって、
だからこそ指された駒の軌跡がおもしろいのですね。
「なぜこの手を?」と突き詰めていっても決して分からない、
きっと指した本人も分からない、無理数同士の瞬間瞬間の掛け算、
累乗のようなことが起こっているのだと思うのです。

そうした有様の一部を描く、描こうとするJC様のここでの営みに
大賛意を示すものです!


が・・駒音の現況に厳しい苦言を呈されて撤退されるのですね。

とても残念です。

なにしろ、おもしろいスレッド、エッセーをありがとうございました。
いずれどこかでまたお会いできることを祈念しています。
- Count.57 (Last.2010/06/02 03:58) -


56.  大吉 - 2010/06/05(Sat) 19:25 No.17460
とても心豊かに読ませていただきました。ありがとうございました。
将棋をどれだけ大事にされているかが、基準です。

芹沢八段は興味はあるけれど不思議な棋士でしたので、とても参考になりまし
た、ご都合がついたなら、再度の書き込みを期待いたします。
- Count.56 (Last.2010/05/27 20:10) -


57.  温帯低気圧 - 2010/06/05(Sat) 21:35 No.17469
人間はあやふやで不確かで矛盾に支配されながら短い人生を駆け抜けて行く生
き物でありますが故に、ある程度の許容範囲を自分の中に設定していませんと
他人に対応出来ませんし、他人からしての自分もまた、息苦しい存在になって
しまうのであります。
- Count.347 (Last.2010/06/05 08:37) -


58.  やぶにらみ - 2010/06/05(Sat) 22:12 No.17473
↑なるほど。ピエコの中で設定された許容範囲を越え、息苦しいからあんたは
twitterでブロックされたんだな。
- Count.5 (Last.2010/06/03 16:56) -


59.  温帯低気圧 - 2010/06/05(Sat) 22:28 No.17477
そうです。
- Count.348 (Last.2010/06/05 21:35) -


60.  JC IMPACT - 2010/06/05(Sat) 22:49 No.17478
>0009さん

>芹沢とは京王閣競輪場で何度も顔を見てるし、口をきいたことも二、三度あ
>る。 俺も多少は将棋をやるので芹沢の顔は知っていた。
>あれは三十六年前のことだ、芹沢は呑み屋から盛んに車券を買っていたが兎に
>角競輪の能書きだけは一人前だったが、実際の知識は半可通。
>馬鹿げたレースの読みをして俺の競輪仲間から笑われ、芹沢はプンプン怒って
>いた。

面白いご紹介をいただき、ありがとうございます。

高柳九段の追悼原稿には、芹澤九段自身が競輪で「2億は負けた」と公言してい
るというエピソードが出てきます。話半分、誇張の類なのか、実際の額なの
か、俄かには判断できませんが、芹澤九段がどのような車券の買い方をしてい
たのだろうと思いました。本命なのか、中穴狙いなのか、大穴ばかりだったの
か。いずれにしても「不思議な展開の読み方」をしていたのでしょうね。

>例えどんな屁理屈をつけるにせよ、プロ棋士が意図的に全敗宣言してそれを実
>行するなど馬鹿げたことだとその時俺は感じた。

大半の棋士、将棋ファン、芹澤ファンがそう思ったことでありましょう。私も
「全敗宣言」と、その実施を肯定するつもりはありません。

ただ、その一方で、そんなことは芹澤博文自身が、おそらくは百も承知であっ
たのだろうとは思います。「全敗宣言」などというものは「確信的」に行わな
いと、できるものではないでしょうから。

では、何故、芹澤九段は、それら全てを背負う決意を自ら担ったのか。それし
か手段がないと自身が思いつめてのことだったのか。或いは何らかの効果予測
を自身の中で計画したのか。無冠たる棋士の最大限の抵抗だったのか。

どれも「そうかもしれない」し「全く違うのかもしれない」し、と思います。

ただ、芹澤九段という方は無類の寂しがりだったのではないかな、とは思いま
すね。孤独が苦手ではなかったのか、とは推測しています。
- Count.7 (Last.2010/06/05 11:56) -


61.  越中フンドシ - 2010/06/05(Sat) 23:30 No.17480
みなさんこんばんは。

ついさっきまでモタモタしていました。 JC IMPACTさん、駒音掲示板から撤退
なさると・・・ 

それはおおいにもったいないです。今しばらく御再考をお願いしたいです!

私などは、きっと2004、5年から時々投稿させて頂いている身。マリオ先生と米
長会長の著作権問題でおそらく初投稿し(HNは今と違いました)、女流分裂や
名人戦騒動、マグロの乱(?)などでは、議論はできませんが私見を投稿して
参りました。 3年前の理事選で、あのお方が会長に就任され、昨年再選されま
した。それからはほとんど思想的な板には投稿しなくなりました。

私は、JC IMPACTさんを御引き留めしたいです! 将棋史・棋道を愛する者とし
てのお願いです。 

芹沢九段の‘全敗宣言’は、私の記憶が確かであれば、順位戦の降級、もっと
言えば降級点制度に対する反発であったと思います。 「負けた奴が金をもら
うのはおかしい」というプロの突っ張った気合、と言いますか・・・

そこで、‘全敗してもそのあとに全勝すれば、何も問題ないだろう? 俺はそ
れができるんだぜ!’ というのが芹沢九段の主張であったと思います(B2時
代かな?)。 きっとそうだった、違っていたらすみませんが。

‘全敗宣言’は、全く誉められたことではないし、実際に全敗した後、次の年
の2回戦で早くも破れてしまい、芹沢九段の全勝は無くなった、と記憶していま
す。 これも違っていたらすみません。この頃、私は高校生かもしれない。棋
界情報についてはあやふやです。

JC IMPACTさん、芹沢九段に限らず、一人の魅力的な棋士の素顔を語ってくださ
ることは、私を含めた若輩者の大きな楽しみでもあります。撤退などとは言わ
ず、今一度御再考をお願いしたいです。 と言っても、現在私は異常に酔っ払
っています。 説得力が無くてすみません。
- Count.280 (Last.2010/06/03 23:46) -


62.  寅金 - 2010/06/05(Sat) 23:42 No.17482
>JCさん
短い間でしたが、名文ありがとうございました。

芹澤九段と言う大海を泳ぐマグロの最後の盛り付けを楽しみにさせて頂きま
す。


<撤退宣言>
この一文をみて、正直一気に白けました。
<敷居>の上げ下げの目的も意味も不明ですが、

ご自身で仰られているように<自己愛>に基づく秀逸表現により、
短期間で相当な<信用力>を備えられた事は尊敬の念を禁じえません。

しかし、有る意味自覚されている<信用力>を以って、
暗示的な批判の上、撤退宣言とは嫌味にすぎる様な気がして、
非常に残念な気分です。

何をもって特定住人群(寅金を含む?)に掲示板での振る舞いに警鐘を鳴ら
し、
自意識過剰に撤退するのかが全く理解できません。

敷居や格?等、無意識で書き込む事を許容しているからこそが駒音の特徴で有
ります。

自己表現の場を貰った?掲示板に愛着を感じているならば、
多少自分の意にならなくとも、目的意識や改善啓発を辛抱強く継続する事が普
通の考え方ではないでしょうか。

若しくは、最終稿を披露して黙して去れば良いのではと思いました。

確かに、
多かれ少なかれ馴れ合いが新規の方の障壁に成らない様心掛けているつもりで
すが、
私も含めて掲示板に同化するなどと言う傲慢な住人は皆無とおもいますので、
新規の方や古参等と言う枠決めでの不平等感は有るでしょうが、
<大人の嗜み>の範囲で門戸は大きく広げられているでしょうし、
冷静に見ても特定の<妨害的書き込み>は疑心暗鬼以上確信以下で有るように
思います。

寅金も含めて、<姿勢>への問題点が有るならば、
文学的な書き込み以外の論調で継続為される事を切に願います。

書きたくなくなったら、書かなければ良いだけだと思います。

来られなくなったら、寅金が勝手にラブコール送るだけです。

ヨハヤンは呼ばれてへんけど勝手に帰ってきたし、
筒井さんは醒めた感じで再登場したのだから残るは、
歩慢教授〜 冷酷で残忍な自然流さん〜 カンバック〜

*JCさんの書き込みがきっかけで、
芹澤九段と深く関わりの有った方にお話を聞く事が出来ました。

やはり、
芹澤マグロはあんまり美味しく無さそうなのが寅金の感想です。
JCさんの調理の巧さだけが心に残ってます。
- Count.1529 (Last.2010/06/04 10:45) -


63.  JC IMPACT - 2010/06/06(Sun) 00:15 No.17483
『愛弟子・芹沢博文の死-「明日の名人」はなぜ、酒と博打に溺れたのか-』
             (「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫)

------------------------------------------
「芹沢はもうダメみたいです」という電話を受けたのは、昨年の十二月九日、
午前二時のことでした。私が病院に駆けつけたときには、ただ心電図に心臓の
動いている記録が残っている段階だった。
 人工呼吸をしていましたから、心臓も止まりかけていた。芹沢の子どもたち
が「親父、頑張れ」と励ましていたが、二時間ばかりして息をひきとりまし
た。
 家族が泣き叫んだりしたけど、親父とおふくろが来てましてね。息をひきと
ったときに親父がぽつりと「バカなやつだ」と言ったんですよ。それまで親父
だから泣いたりするわけにいかない。だけどこらえかねたように、ぽつりと「バ
カなやつだ」と言った。それがまたひどく私の胸にこたえました。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
------------------------------------------

私が知る限り、芹澤九段の臨終を描写したのは、和子未亡人、色川武大、そし
て高柳名誉九段の三人ですが、芹澤博文の父親が「バカなやつだ」と呟いたの
を記述したのは高柳名誉九段だけです。確かに読む者の胸にも堪えます。

------------------------------------------
 芹沢は五十一歳。肝不全でした。
 臨終に立ち合うのはだれでも好きではないだろうが、ことに私は嫌いで、じ
いさま(金易二郎九段)のときも立ち合わなかった。しかし、芹沢のときには、
何となく側にいてやりたかった。
 芹沢の死が、無念、残念なのはむろんだが、私の中に、死なれてほっとした
というか、いい時に死んでいったという気持ちがあるのは事実です。芹沢の書
いたこと、言ったことが人を傷つけ、ギャンブルや酒でかなりの額の借金をか
かえ、それでトラブルや事件が持ち上がったときには、私も責任をとる意味
で、場合によっては一門を解散することになるのかなという予感めいたものが
絶えずあった。例えば、もしも芹沢が将棋連盟を除名になったときには、私は
そうしてやろうと思っていた。
 死から数日の間、どうして芹沢がこうなったのか、あれこれ思い返してみま
した。
 将棋の才能としては、十年に一人でるかどうか、という素質ですから、あの
まま将棋だけやっていればかなりの線までいったはずです。それなのに、どう
して芹沢は将棋を投げたのか、どうして酒を飲まずにいられなかったのか、そ
んなことを考えていると、芹沢が子供だった頃のことを思い出すんですよ。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
------------------------------------------

高柳名誉九段の現役引退は非常に早かった。見極めができた途端に、さっさと
やめてしまったという印象があります。ただ、ここに記された「覚悟」はやは
り相当なものだと思いますね。芹沢一人を死なせはしないという姿勢、偉大だ
と感じます。

実は、このあとにご紹介する高柳名誉九段の「ことば」は、私には驚くべき内
容でもありました。「棋界と八百長の問題」「私に似たのは中原ではなく芹
沢」という指摘。「本当の芹沢の将棋とは、本質とは」.....。

実は、山口瞳の日記とも、この点は合致するということが、わかったりもした
わけです。(この項、続きます)
- Count.88 (Last.2010/06/04 23:52) -


64.  金と銀 - 2010/06/06(Sun) 00:33 No.17485
中原さんと芹沢さんとどちらが真に才能があったのかは本当のところは分かり
ませんが、中原さんを育てたのは紛れもなく芹沢さん。
彼が鍛えてやらなかったら、中原さんがあれだけ順調に名人にはなれなかっ
た。

名人になるというただ一点の目標を達成できなかったご自分と、いとも簡単に
到達した弟弟子、彼の屈折の原点はこの辺りにあったのではないでしょうか。
- Count.839 (Last.2010/06/05 23:36) -


65.  JC IMPACT - 2010/06/06(Sun) 01:18 No.17486
>越中フンドシさん

>そこで、‘全敗してもそのあとに全勝すれば、何も問題ないだろう? 俺はそ
>れができるんだぜ!’ というのが芹沢九段の主張であったと思います(B2時
>代かな?)。 きっとそうだった、違っていたらすみませんが。

>‘全敗宣言’は、全く誉められたことではないし、実際に全敗した後、次の年
>の2回戦で早くも破れてしまい、芹沢九段の全勝は無くなった、と記憶して
>います。 これも違っていたらすみません。この頃、私は高校生かもしれ
>ない。棋界情報についてはあやふやです。

越中フンドシさんのご指摘で、確かに「全敗宣言→全勝を目指す」というよう
な動きがあったかのように思いました。

41期(昭和57年)が全敗、そのあとの順位戦では、4連勝しトータルでは7勝3敗で
した。A級の背中も、一瞬、みえているんですね。

>寅金さん

>*JCさんの書き込みがきっかけで、
>芹澤九段と深く関わりの有った方にお話を聞く事が出来ました。

それは本当によかった。私も本当に嬉しく思います。
寂しがりやの芹澤さんは、そういうことを酒かっ食らいながら、ニコニコと笑
っていると思います。また、この掲示板でも色々とお世話になりましたし、い
い刺激も頂戴しました。御礼申し上げます。

>金と銀さん

>名人になるというただ一点の目標を達成できなかったご自分と、いとも簡単に
>到達した弟弟子、彼の屈折の原点はこの辺りにあったのではないでしょうか。

高柳九段によれば「原点」は、どうも遥か前にあったようです。
このあたりは、明日以降、私も考えてみたいと思います。
- Count.89 (Last.2010/06/06 00:15) -


66.  馬って得意なのよね - 2010/06/06(Sun) 05:23 No.17505
uma.gif JC IMPACTはん、撤退宣言には驚きましたけどな、そこに書いてはる理由を
読ませてもろて、そないにしよと思わはった気持ちは分かりまっせ。

筒井はんも違和感を感じて1年間投稿してへんかったと書いてはりまっけど、
確かにその通りですわ。(そやけど、ワシは鈍感やさかい違和感感じつつも
投稿してまっけどな、そんでも1年前に比べたら投稿ペースは明らかに
減ったと思いますわ)

> 実は「馬さん」とは、改めてどこかのスレットで「本当の議論」をしたいと
> 思ってもいましたし、そのことは私の楽しみのひとつでもありましたが、
> それは叶わなくなりました。この点は残念ですが、まぁ仕方ありません。

こりゃ冗談抜きに光栄ちゅうか有難いお言葉ですわ。
ワシは自慢やないけど、将棋界とは全く縁のない市井の一ファンで
自分で指すんはドヘボですわ。

ただ名人戦騒動から「今の将棋界は何かが間違おとる、変な方向へ進もおと
しとる」と感じて、その原因は何処にあるんかを無い知恵絞って見定めよおと
して来て、それで感じたもんをここに投稿させてもろてるんでっけど、
JC IMPACTはんみたいに明らかに将棋界に相当な関わりある人が議論したいと
言うてくれたちゅうんは、ワシにとっても自分の見方が全くの的外れとは
違うんやろなちゅう自信ちゅうか安心になりましたわ。

筒井はんも書いてはりまっけど、HP作りはってブログか何かで、こおゆう
貴重な話を続けはるんでしたら、きっと読みに行かせてもらいまっさかい、
その時は駒音にでもアナウンスしてくれはったら嬉しいですわ。


芹澤はんに関して書かれてはる事を読ませてもろての印象は、結局、
芹澤はんは或る意味で余りに純粋過ぎたさかいに、名人になるっちゅう
願いが叶わんと思い知らされた後は、破滅的な生き方せざるを
得んかったんと違うやろか?ちゅう事ですわ。

そやけど、人並み外れて純粋やったからこそ少なからずの人間には
強い印象を残し続けとるんやと思うんですわ。

結局、何かに純粋っちゅうんは一種の非日常ですがな。日常的には純粋には
生きられへん。その極端な非日常性こそが人に強い印象や感動を与えて
純粋さを感じられる人々にとっては記憶に刻まれるんやろなあ。

升田が大山と同じかそれ以上に強い印象を残したんも、戦績では大山に
劣っても、将棋に対する純粋さは大山以上やったからなんと違いますやろか?

大山にしても、あれだけの盤外戦術に関して必ずしも非難囂々でないんは、
結局、勝つ事に関して桁外れに純粋やったっちゅうんが盤外戦術の裏に
あると将棋ファンの多くに感じさせたさかいと違いまっか?

芹澤はんは名人になる事に関して余りにも純粋過ぎたんやないか?と
このスレを読ませてもろて強お感じてるんですわ。

将棋への純粋さ、名人への純粋さ、勝つ事への純粋さ、そおいったもんを
感じる事こそがプロ将棋を見る醍醐味やと思うんでっけどな。

(ちょいと話は逸れまっけど、三浦は地味な棋士やちゅう印象が
強かったけど、この間の名人戦で若い女の子らで三浦のファンが増えた
ちゅうんですわ。あの三浦が必死の形相で読んどる姿に感動したちゅうん
ですわ。それも三浦の「羽生に勝ちたい、名人になりたい」ちゅう
純粋さが若い女の子の心を打ったんやないか、そないに想像しとるんです)
- Count.431 (Last.2010/06/06 04:52) -


67.  最初で最後で最初 - 2010/06/06(Sun) 16:18 No.17540
JC IMPACTさん、
酒による自死とも言える壮絶な最後にあの小池重明を思い浮かべました。そも
そも山口瞳氏と米長氏の関係についての貴殿の記述に大いに興味を持ってここ
ま付いて来ました。なんと再び山口瞳氏(日記)が登場とは。しかも「棋界と
八百長の問題」?なんちゅう事を予告してくれますのや(笑)
- Count.30 (Last.2010/06/03 17:44) -


68.  紫外線 - 2010/06/06(Sun) 16:55 No.17544 HomePage
yuki.gif JC IMPACT様へ... (書く意欲は有るが)「場が合わぬ」のならば僭越ながら場
所(家マークより)を提供致しますが?気長にお待ちしております。
- Count.102 (Last.2010/05/22 01:53) -


69.  筒井村重 - 2010/06/06(Sun) 17:51 No.17553
紫外線さんの「と金倶楽部」さんですね。僕もちょいと頭の中をよぎったんですが、
あそこで今、重役さんに収まってる某教授と、ちょいとした?諍いがあったんで、
僕とか馬さんとか最近見ない岡目の旦那は、あそこには手出ししないって約束に
なってるんですよ※。そんなわけで特に推薦もしなかったんですが、会員制で議論も
落ちついているし、管理人さんの腕も良さそうだし、いいサイトだと思いますよ。ええ。
こっちは、いろいろノイズも多いですが、とりあえず、続きは、お願いします。

※別スレで、すごい誤解釈されているようですが、この件は、と金倶楽部は、
 紳士協定として某教授の聖域にしておこうという話になっただけで、
 彼をのけ者にするというような意図は全くないです。ただ彼は、
 私たちが来ることを望んではいないと思うので、行かないということです。
 個人的には参加したい話もあるんですがね。駒音に来れば興味のある話なら
 普通にレスを返します。そういうことです。
- Count.34 (Last.2010/06/06 08:54) -


70.  藁人形 - 2010/06/06(Sun) 18:29 No.17557
straw.jpg >管理人さんの腕も良さそうだし

すいません、腕が悪くて。
何しろ管理人稼業は初めてなもんで、未だに右も左も分かりません。
運営に至らない点、不備等がありましたら、
これからも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしますm(. .)m
- Count.1033 (Last.2010/06/06 18:12) -


71.  筒井村重 - 2010/06/06(Sun) 18:32 No.17558
> すいません、腕が悪くて。
> 何しろ管理人稼業は初めてなもんで、未だに右も左も分かりません。

ここの水に合わないという方に言っているので、
こちらと比較してというわけではないです、はい。
誤解を招いたんでしたら、すいません。
- Count.36 (Last.2010/06/06 18:22) -


72.  かかし - 2010/06/06(Sun) 21:38 No.17570
『プロ・アマ3子局 アマ勝局集』(誠文堂新光社刊)に
小川誠子四段vs芹沢八段戦が掲載されています。
ちなみに講評は秀行先生、これがまた最高にオモシロイ。

この本には、ほかに近藤幸子四段vs二上達也九段、
近藤幸子四段vs真部一男六段戦が収録されています。
この3方は、道場では六段+なのでしょうね。
この1冊は、どれも2回ずつ並べましたが、とても
参考になります。
- Count.27 (Last.2010/05/02 18:12) -


73.  JC IMPACT - 2010/06/06(Sun) 23:02 No.17574
>馬って得意なのよねさん

>ワシは自慢やないけど、将棋界とは全く縁のない市井の一ファンで
>自分で指すんはドヘボですわ。

私も「下手の横好き」という点では、馬さんに引けをとらない自信があります
ね。趣味としては、35年以上続きましたが、サエナイものですよ。

>議論したいと言うてくれたちゅうんは

この掲示板では、私が「すれ違いざまに小石を投げ」馬さんが「五月蠅そうに
払った」という程度のやりとりしかできませんでしたが、馬さんの「米長」
「芹澤」スレッドに対する過分な評価は当たらないにしても、ここで何がしか
の意見を表明いただいたこと(肯定的な視点、否定的な視点は全く別の話です)
は、私にとってはこれ以上はないという「励み」にもなりました。

少し話が横道に逸れますが、もう15年以上前、私は3年間ほどweb上でコンスタ
ントに書き込みをした場所がありました。(現在は、その場所はもうありませ
ん)web駒音など、問題にならないほど激しい議論と言葉が飛び交いましたし、
罵詈雑言が「ない日」など1日もなかったように記憶しています。

その時に、では「全員参加でルールを作ろう」という話になりましてね、おそ
らく1年以上かかったと思いますが、まぁ、とにかくそういうものができたわけ
です。ただ、私も含めて誰からも「言葉使いやお行儀などという話」は、全く
俎上にすら上りませんでした。故にその後も達者な人は沢山いましたね。

私自身、馬さんの過去ログを全て拝見したわけではありませんが、このスレッ
ドでのやりとりも含めて、馬さんは「是々非々の方」であるという印象を有し
ていますし、それができる方というのは「大人」だと考えます。私が馬さんと
「いずれ本当の議論をしてみたい」と思ったのは、そういう理由からでした。
生意気なことを申し上げたかもしれません。どうぞご容赦ください。

>升田が大山と同じかそれ以上に強い印象を残したんも、戦績では大山に
>劣っても、将棋に対する純粋さは大山以上やったからなんと違いますやろか?

色々な解釈がここでは成り立つと思いますが、大きな理由のひとつに「升田は
大山を(スコアという意味での将棋の強さ)では、ついに超えられなかった、と
いう面があるのかもしれません。勝者という、いわば到達点に進めた者より
は、そこに届かなかった敗者の人生の方が、ある意味豊かであり興味深いので
はないのかな、とは思いますね。

>大山にしても、あれだけの盤外戦術に関して必ずしも非難囂々でないんは、
>結局、勝つ事に関して桁外れに純粋やったっちゅうんが盤外戦術の裏に
>あると将棋ファンの多くに感じさせたさかいと違いまっか?

実は、私は大山十五世名人の「盤外」が厭で厭で「そこまでして勝ちたいかな
ぁ」と思った面があるのですが、勝つことへの執念に酔いしれたファンは沢山
いると思いますし「勝つことこそが美しいのだ」と大山十五世名人は強く信じ
ていらっしゃったのだろうと感じます。

芹澤九段は、そういう大山十五世名人には、内心の憧憬を抱きながらも、名人
という地位に「それだけではない美しさ」を求めたのではないでしょうか。

>この間の名人戦で若い女の子らで三浦のファンが増えた
>ちゅうんですわ。あの三浦が必死の形相で読んどる姿に感動したちゅうん
>ですわ。

「これ以上はないというぐらいに考える姿」というものをみながら、私もただ
ただ納得しましたね。
- Count.8 (Last.2010/06/05 22:49) -


74.  馬って得意なのよね - 2010/06/07(Mon) 03:50 No.17591
uma.gif JC IMPACTはん、レスおおきにです。

> 実は、私は大山十五世名人の「盤外」が厭で厭で
> 「そこまでして勝ちたいかなぁ」と思った面があるのですが、

そのお気持ちは良お分かりまっせ。ワシも個人的には余り好きやおまへん。
ただ前のレスで書かせてもろたんは、盤外やってまで勝つ事に拘るっちゅう
「一徹な姿」に心を打たれる人間がおるんは不思議やないどころか当然やろ
とも思うんですわ。

丁度、芹澤はんの「全敗宣言」を論外と切って捨てるファンが仰山おる一方で
JCはんやワシみたいに、その宣言の裏に或る種の純粋さを感じ取って心を
打たれる人間が居るよおにですわ。

ともかくチョボチョボちゅうんでは絶対に人の心は打てん、
何かに徹するちゅう気魄や執念が無いと他人に強い感動を与えられんと
思とるんですわ。そんで気魄や執念は或る種の純粋さに繋がっとると
ワシは考えとるんです。

無論、そおゆう気魄や執念を受信でけて共感でけるかどおかは、
受け取る側それぞれの感性や価値観に依るもんでっさかい、
盤外までやる大山の勝負への執念を受け容れられん人や
芹澤はんの宣言に批判的なんも居って当然ですけどな。
- Count.436 (Last.2010/06/07 02:05) -


75.  藁人形 - 2010/06/07(Mon) 06:33 No.17596
straw.jpg JCさんの撤退宣言以降、書くか書くまいか思い悩んでおりましたが…。

他のスレッドでも有吉九段残念さんに見られるように、運営上の一貫性の無さ
が、真摯に将棋界のことを考え、投稿する人達の心を萎えさせる一因と成って
ることを、一管理人の立場として非常に心苦しく思っております。
「表現上の自由」という免罪符を、自由(=無軌道)でもいいと履き違えてる
輩のために、語らいの場が陳腐なものに成り下がるのは、駒音に限らず、どこ
の掲示板にも見られる傾向でありまして、これは匿名掲示板の宿命なんだと思
います。
また「投稿者の参加の自由」は一歩間違えれば「放置」ともなり、管理者の怠
慢と捉えかねられません。


我儘な私の本心としましては(オフ会等で本音を聞いた方であれば知ってるの
ですが)ここの管理人を辞し、駒音を一刻も早く去りたい一心であります。
去りたい理由は多々あるのですが、ここのところ書かれている筒井さんやJCさ
ん、(去ろうとしている?)有吉九段残念さんと凡その部分で重なります。
特に議論が噛み合わないで、枝葉の細かい部分に固執したり、自分の持論と相
容れない方に対する度量や料簡の狭さについては、駒音に来た当初から辟易と
しています。一方で、自分もそのような加担をしていた事実があると思います
が、内部関係者と実際に会い、駒音で書かれているよりも、もっと現実は切迫
した状態であることを知ってるが故に、知らない人には厳しい物言いになって
しまっていたかもしれません。
この傾向は棋界事情通の方と、そうでない方の間に横たわる見えない高い壁
(敷居)となっており、事情通を自負する方には、知らず知らずの内に上から
目線になっていることを留意して頂けたらと思ってます。
また、内部事情をよく知らない方には、背景に逼迫した状況があり、精神的に
かなり追い込まれてることも考慮して頂けたらと思います。
お互いに立場を理解した上で、心にハンドルの遊び(=余裕)があってこそ、
否定に躍起になるでなく建設的な話し合いになるのだと思います。
特に慣習に囚われ、視野狭窄に陥っている内部関係者は慣習というフィルター
を通さずに見た、外部の素人の突拍子も無い話が解決の糸口になったりするこ
とも、覚えていてもらいたいことの一つです。
傾聴に値するかどうかは別にして、そうした姿勢を見せることが閉塞した状況
を打破する一歩になるはずです。

さて、JCさんへ

「清き処には魚も棲まず」

私にも少なからず自尊心はあります。
去りたい一心の私が、何故踏み止まっているかは
そんな自尊心が陳腐に思えるほど過去から現在にかけて「将棋」に人生を賭し
情熱を傾注してる人々を知ってしまったからです。
そんな人々の有形無形の不断の努力の結晶が、或る独りの寂しい考えを持つ老
人の為に、またその老人が就いている将棋界の地位の為に水泡に帰す可能性が
あります。繰り返しになりますが義憤の感情は此処にあります。

短期間で、その卓越した洞察からくる文章力で多くの駒住人の心を掴んだJCさ
んが、去る事により、常連さんに「警鐘」を鳴らす方法は、確かにインパクト
がありますが、私自身は懐疑的です。
「清き処には魚も棲まず」と観念しております。
JCさんを含め、駒住人の何人かは気付いてますが、
駒論客の論客としての資質の是非を問うよりも
棋界を憂いつつ駒音を見ている、日に凡そ三千人にも上るロム専門の所謂サイ
レントマジョリティの為にも、此処に居座る意義は大きいと思うのです。
無理強いはしませんが、この後立ち上げる予定の「自治管理スレッド」の成り
行きを見た上で、撤退を再考して頂けたら幸甚です。



追記

「JC IMPACT編 人間 芹澤博文観」の結末を心待ちにしております^^

追記2(am 8:10)

「当面の間」と謳ってる駒音時限立法により「自治管理スレッド」が立ち上げ
られないようなので、申し訳ありませんが「当面の間」この話は無かった事に
してください。
- Count.1034 (Last.2010/06/06 18:29) -


76.  JC IMPACT - 2010/06/07(Mon) 21:03 No.17655
>藁人形さん

>JCさんの撤退宣言以降、書くか書くまいか思い悩んでおりましたが…。

思い悩まれた結果、No.17596の上記引用以降のことは、書かれなかった方がよ
かったのでは、と思いました。

藁人形さんは「オフラインミーティング」という用語を私との「やりとり」の
中で何度か用いていらっしゃいます。オフ会のことですね。

では、リアルに託した例え話をしてみましょう。

私は「この場」で(web駒音というネット上で)小さな「サロン」を設けました。
「芹澤博文九段-内心の憧憬-」というコミュニティの場です。

そうですね、ひとつの店舗を開店したと考えていただければいいと思います。
開店したのはJCです。web上にどんな方がいらっしゃるかは、無論、JCにはわか
りません。「芹澤??、そんなの知らねえよ」「将棋放り投げて、アホなことや
っていたよな」「芹澤ねぇ、名前は知っているけれど、高松宮杯だっけ、優勝
したのは。そんなのどうでもいいけどさ」まぁ、あまり盛り上がるスレッドで
はないだろうな、と店主は思う訳です。

この掲示板の傾向は「now」ですから、それは「web駒音」上を歩いてみれば、
感覚的にもよくわかります。

「でも書いてみたい」「RESがなければそれでいい」「一人芝居ならそれはそれ
で構わない」と店主は考えます。RESなどという見返りを求めて始めるわけでは
全くありません。

書いている人間が楽しくなければ、或いは、書いている人間に「きちんと伝え
たい」という想いがなければ、読み手に興味や関心など生まれるはずはありま
せんし、場のクオリティも上がらない。これは私の経験則です。

私はNo.17596を拝読して「早朝に、予想だにしない街宣車が飛び込んできて、
アジテーションを語るだけ語って、自分語りを尽くすだけ尽くして踊るように
去っていった」と思いました。

勿論、そういう自由もこのBBSには担保されています。

自由はあるのですが、管理スタッフのお一人が「そういうことをされる」とい
う経験は、かってありませんでしたから非常に驚きました。

私は「米長スレ」で「藁人形さんと私の違いを強く認識できたことはよかった
と思う」旨のことを記しましたが、そのことを確信できたように思いました。

さて、

>「JC IMPACT編 人間 芹澤博文観」の結末を心待ちにしております^

ご期待に沿えればいいのですが。
- Count.91 (Last.2010/06/07 19:52) -


77.  藁人形 - 2010/06/07(Mon) 22:14 No.17667
straw.jpg >「早朝に、予想だにしない街宣車が飛び込んできて、
>アジテーションを語るだけ語って、自分語りを尽くすだけ尽くして踊るように
>去っていった」と思いました。

上記の一文により
最期になって、貴方の正体と私との違いがよく分かって良かったと思います。
後は、賢明なる駒住人、読者が判断してくれるでしょう。
- Count.1036 (Last.2010/06/07 07:32) -


78.  越中フンドシ - 2010/06/07(Mon) 23:44 No.17681
・・・??? そこまでこじれる問題なのですか?

私は、これからもJC IMPACTさんがかつて経験された、棋士が将棋を指していな
い時の素顔を紹介して欲しいだけであるし、藁人形さんが信念をもって管理を
なさる、そして管理以外の時には私見を述べられる、それでいいと思うのです
が・・・

さっき私は、JC IMPACTさんが上で指摘なさっている板を探して、お二人のやり
取りを拝見して参りました。主張の噛み合わない所は少しありそうです。 
‘少し’には語弊があるかもしれません。でも、正直に申し上げて、それくら
いにしか思わないです。

将棋を愛する者であれば、多少の違いは譲り合える範囲であると思いますが。

おっと。 この‘多少’がどの程度か、と言えば「米長さんと中原さんの将棋
ではどっちが好きか」という程度であり、「私は酒を好むが、甘い物を食うヤ
ツを許さん」みたいな違いにはならない、と思うのです。

例えが不味いかもしれませんが、将棋を愛する者の範疇では、小さな問題では
ないのでしょうか。

私は間もなく寝てしまいますが、ROMのみなさんの中にもきっとこのような考え
の方がたくさんいらっしゃるのではないかと思います。明日にでもまた投稿さ
せて頂きます。 (私が書かない方が良かったかな〜 と思いながら)
- Count.281 (Last.2010/06/05 23:30) -


79.  温帯低気圧 - 2010/06/08(Tue) 00:28 No.17688
越中フンドシさんへ

駒音名物ですよ、幾度となく繰り返されてきたね。
どちらが悪いわけでもなくこうなります。

私、無責任すぎるかしら?
- Count.352 (Last.2010/06/07 22:16) -


80.  JC IMPACT - 2010/06/08(Tue) 04:27 No.17693
------------------------------------------
芹沢が親父に連れられて静岡県の沼津から上京し、目黒にある私の自宅に内弟
子として入門したのは中学二年の春だった。切れ味のいい、打てば響くという
才能の持ち主でしたね。
芹沢が小学校六年生のとき、沼津で将棋会が開かれたんです。芹沢は当時の下
平五段と二枚落ちを指してもらって勝った。それをみていた木村義雄十四世名
人が、どれどれ坊や、私が指してあげようと言って、対局した。鮮やかに二枚
落ちで快勝したのは、芹沢の方だった。その勝ちっぷりが「ナミ」ではないと
木村名人を驚かせ、マスコミも「沼津に天才少年あらわる」と騒いだ。そして
芹沢も死ぬまで自分を天才だと思っていました。このことが、どれだけ芹沢の
人生に作用したことか。
うちに入門してからも、新聞等で天才、天才と書かれましたが、私も家内もむ
しろそれを当然だと思っていたんです。しかし、純真な子供にとって自惚れは
よいことではなかったかもしれない。だから八年後の昭和三十二年に小学校五
年の中原誠が入門してからは、一切、「塩釜の天才」なんて記事はみせなかっ
た。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
------------------------------------------

中原が入門したとき、芹沢博文は順位戦2期目(11期)12勝3敗で翌年にはC1に昇
級、15期まで連続昇級し、昭和36年にはA級芹沢博文八段が誕生します。いわば
絶頂期です。

そのスタート台に立った年に高柳名誉九段は「中原への教育方針」を変えてい
ます。勿論、塩釜の天才少年と言われても、高柳の目からみれば、芹沢ほどの
才能をそこに感じなかったのかもしれません。ここでの軌道修正のタイミング
は実に興味深いものがあります。

------------------------------------------
少年は夢を見ていた。"鶴"の舞う夢を見ていた。幼きころ、少年は鶴になりた
いと思っていた。少年はそのあと盲目になった。鶴の姿だけが脳裏に残った。
鮮明に残った。少年は必死に鶴になりたいと思った。少年は夢から覚める。鶴
になれない己を知る。だが何とかと何回か思う。思っては行ない、挫折して三
十年、少年は、ただの老人になった。しかし、不思議なことに老人は未だに鶴
になりたいと思っているのである。心にくすぶり続けているのである。もし鶴
になれたら、腕一本といわず、一年、もし鶴を許してくれるなら命もいらぬと
鶴を希っているのである。老人は思う。いつ鶴になり損なったのかと。
「歩がいのち」(芹沢博文・小説新潮掲載・掲載年月不詳)
------------------------------------------

それがいつのことだったのか、もうまったく記憶にないのだが、この雑誌の記
事を切り抜いて、私は今でも手元に置いている。これほどに心に響いた文章を
私は棋士の随想の中で読んだことはない。なかなか人は正直に、赤裸々にはこ
ういうことを語らない。静かに想いを胸に、退場するからだ。「名人戦」の座
持ちの話など、するものではなかった。未だに悔恨として、整理のつかないと
ころが、私の中にある。

------------------------------------------
(前略)
なぜ、あんなに酒を飲んだのかと。そして、なぜ、将棋を諦めて横っちょのタ
レントの道に行ってしまったのか。
 それで思いあたるのが、加藤一二三君のことです。世間では、弟弟子の中原
がいともたやすく名人になっちゃって、それで芹沢がもう自分の出る幕はない
と思ったとか、いろいろ書かれていますが、私は芹沢が一番の挫折感を味わっ
たのは、加藤君とのことだと思う。
 芹沢は昭和十一年生まれ。加藤君は昭和十五年生まれですから、芹沢の方が
四歳年上になります。入門も芹沢の方が一年早いんですが、初段になったのは
同じ年なんですよ。加藤君は京都の南口九段のお弟子さんでした。
 二人が初段になるちょっと前ですから、昭和二十六年のことだったと思うん
ですが、東に芹沢、西に加藤という天才少年がいるというので、「週刊朝日」
が誌上対決を企画したんです。加藤君が十一歳で芹沢が十五歳。そのときは芹
沢が勝った。
 次に「京都新聞」が、せっかくだからというので、同じ対決をあと二局追加
した。加藤君に確かめたところ、一局は芹沢が勝ち、二局目、加藤君に負け
た。
 芹沢としては、四歳年下の加藤君に負けたわけで、その後、昭和三十年、芹
沢が四段のときに加藤君は五段になっていた。昭和三十三年には、芹沢五段
で、加藤君はすでに八段ですからね。
 芹沢だって、昭和三十六年、二十四歳で八段になっている。これは記録とし
ては大山名人、加藤君、中原に次ぐものなんですよ。しかし、加藤君と比べる
と、かなりの差をつけられてしまっている。芹沢が七段になったとき、加藤君
は大山さんに名人戦で挑戦しているわけですからね。だから「天才芹沢」の挫
折感というのは、強烈なものだったでしょう。芹沢の記録も立派だったから、
私としては、芹沢も確実に成長しているものとばかり、思っていたんだが、芹
沢にとって加藤君の存在はかなりの圧迫感だったに違いない。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
------------------------------------------

私は加藤一二三九段に一度だけお会いしたことがある。名人位を谷川に渡し
て、しばらくたってからのことだ。
「龍之介さんの棋力はどれくらいなんでしょう?」

龍之介さんとは「遠藤龍之介さん」作家、遠藤周作のご子息のことである。こ
のときの加藤九段も破顔一笑だった。「はいはいはい、ええ、ええ、はいは
い、そうですね、うーん、ええ、ええ」と、前置きというか、それが実に長い
のである。真面目な方なのだ。「いい加減なことは言えない」という姿勢がに
じみ出ていた。龍之介さんはいわば、アマチュアとして加藤さんに将棋を習っ
ていた。「三段、うーん、三段かな、二段ぐらいかな、いや、そうですねぇ、
はいはいはい、確実に初段、いや二段ですかねぇ、ええ、ええ、ええ」

かなりお強いのだと思った。

加藤九段が名人位に就いたとき、芹澤九段が相当に荒れたという話は、何度と
なく私の耳に入ってきた。単純に「愛弟子の中原名人を応援されていただろう
から、それは荒れるだろうなぁ」と、その程度のあさはかな考えしか、当時の
私にはなかったが、こういう師匠の分析を前にすると、知らないとはいえ、そ
んな簡単な話ではなかったのだと、それ以上は言葉にならない。

(この項、続きます)
- Count.92 (Last.2010/06/07 21:03) -


81.  世渡り下手爺 - 2010/06/08(Tue) 13:05 No.17705
思い出の中の芹沢博文像、実像としての芹沢博文、随分と違いがあるように見
えてくる。

「名人は将棋の神様に選ばれた人がなる」という言葉があった。芹沢さんが名
人になっていたならば彼は違う人生を送っていたのだろうか。

飲んでも、飲んでも、それでも嫌われなかった。しかし、それはある時まで。
銀座で億もの借金をつくり飲めるところも限られてきた頃には随分と評価も違
っていたのではないだろうか。

破天荒で人間的には魅力がある、しかし周りの人間たちにとっては厄介なとこ
ろが多かったのでは。天才だから許される、才能があるから許される、だけで
は単なる我儘なオッサンとしか映らない。

彼が、もし名人になっていたとしたら、より我儘になっていたかもしれないと
思うと淋しい思いがある。

連載の中失礼いたしました。
- Count.1105 (Last.2010/06/08 12:27) -


82.  JC IMPACT - 2010/06/08(Tue) 17:35 No.17717
------------------------------------------
 それと同時に、うちのかみさんなんかは、芹沢が横っちょの方に行ってしま
ったのは私の責任でもあると言うんですよ。
 というのは、私の親父は静岡で、おふくろは東京生まれ。要するに鼻っ柱ば
かり強い性格で、それが同じ静岡出身の芹沢にもある。
 だいたい沼津というところは街道筋だから、昔から勝負っ気の多いところな
んですよ。私も勝負事が好きな方で、ことに終戦直後、わりと暇があって将棋
もいまほど活発じゃなかったもんで、麻雀屋に入りびたっていた。そうすると
芹沢も見よう見真似で、私の行っている麻雀クラブに顔を出す。
 だけど麻雀なんていうのはその気になればどこでてもやれる。かえって自分
の目の届くところでやってくれた方がいいぐらいに思っていた。
 ところがある時点から、芹沢の賭け金が私などを飛び越えて、巨額なものに
なっていくんです。
 芹沢の親父は沼津の駅前で蒲団屋をしていた。知り合いに保証人を頼まれて
判をついてカネが返せなくなり、芹沢の親父はそれをかぶってしまった。結
局、家を手放して在の方に引っ越すわけです。この親父というのが、またいい
親父でね。将棋が好きで、沼津から東京に来ては息子の顔をみて、渋谷の道場
で将棋を指すのが楽しみだった。
 芹沢は本当に親思い、兄弟思いの子でした。芹沢が、私の知らないところで
競輪でも麻雀でもかなり荒っぽくやり始めたのがちょうど、親父さんが借金を
した頃。なんとか親父を助けてやろうという思いもあって、大きな賭け金のバ
クチにのめり込んでいったんじゃないかと思うわけです。
 以後はもう週刊誌などで本人が話しているように、競輪では計算したら総額
二億円負けているとか、ラスベガスでは一夜で七百万円負けたとか、一回十万
円のジャンケンをしたとか.....。
 動機の一つが家の借金にあるような言い方をして、親父さんの気持ちを思う
と心が痛みます。しかし、芹沢の真意がどこにあったのか。師匠として、芹沢
を弁護する意味でも、あえて言わせてもらいました。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
------------------------------------------

芹澤さんが麻雀、競輪にのめり込んでいった理由のひとつを、高柳俊夫名誉九
段は上記のように述べている。「動機のひとつ」と語っているとおり、ここで
の「理由」が全てを占めるわけではないだろう。「真意」かどうか、それは私
にはわからない。ただ、優しさという点については、疑わないということだ。

藤沢秀行について色川武大は『男の花道』という作品で、こう述べている。

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 もう数十年前のことで、時効だろうから記すが、暗黒街への借金が、当時の
金で何億と噂された。こうなると銀行と同じで、暗黒街も秀行さんを潰そうと
しない。競輪場に秀行さんが暗黒街の番頭を伴ってやってくる。私は近くの席
から眺めている。秀行さんは大声だ。5→1を百万、5→2、5→4を押えで二十万
ずつ、などといっているのがきこえる。もちろん一銭も出すわけじゃない。
 番頭は心得て、穴場の方に歩いていく。が、自分の組のノミ屋に通してお
く。レースが山場を迎えると秀行さんが、行け! よし、そこだ! 怒鳴ってい
る。ゴール前、そのまま、そのまま! という秀行さんの絶叫。満面を赤く染め
て一人で騒いでいる。一応は大枚百数十万を賭けているのだから当然のようだ
が、なに、考えてみると、車券が当たった場合、何億という借金からさっぴか
れるし、はずれた場合、借金が少し増えるだけだ。つまり何も賭けていないに
等しいのに、やっぱり全身で勝負している気持ちになりきっているのがおかし
い。
(「明日泣く」色川武大 1989年11月 実業之日本社刊より)
------------------------------------------

ノミ屋への借金というのは、元々、契約自体が「公序良俗違反」に当たり無効
となるから、支払義務は発生しない。勿論、藤沢秀行が、そういうこととは別
の次元でどう対処したかというのは、これはまた別の話だ。
ただ、芹澤博文には、暗黒街もここまでは信頼しないように思う。

>世渡り下手爺さん

>「名人は将棋の神様に選ばれた人がなる」という言葉があった。芹沢さんが名
>人になっていたならば彼は違う人生を送っていたのだろうか。

その神様とて、時には間違うこともあると私は思いますが、この問いもまた、
非常に難しいものだと感じます。「椅子が人を作る」ことになったか、その椅
子を「さんざん振り回したか」ということですね。

私は、ある程度は振り回しもしただろうが、今のようにメディアが発達してい
ませんから(例えば写真週刊誌がない)乱行は、表沙汰にはならなかったのでは
と想像します。「会長・芹澤博文名人」となると、私にはよくわかりません。

>銀座で億もの借金をつくり飲めるところも限られてきた頃には随分と評価も違
>っていたのではないだろうか。

そのとおりだと思います。というか棋士としての評価は既にありませんでした
し、晩年の芹澤九段はもう「東京」では遊べなくなっていましたから。


>破天荒で人間的には魅力がある、しかし周りの人間たちにとっては厄介なとこ
>ろが多かったのでは。天才だから許される、才能があるから許される、だけで
>は単なる我儘なオッサンとしか映らない。

「天才だから、才能があるから」許される、と芹澤自身は思っていたのかどう
か。私は逆に「天才でも才能があっても、許してはもらえない」ということを
内心、最も感じていたのは当の本人そのものだったろうと思っています。

芹澤九段の晩年、特に1982年、B2に落ちて以降の氏は「観念的自殺」いわばも
う何かを既に決意してしまった状態であり、周囲の誰もがとうとうそれを止め
ることすらできなかった。赦されるなどと思っていたら、ああいう生き方はで
きなかったと私は感じています。「滅びの美学」などというそんな意識すらも
彼には残っていなかった。そのことが哀しく淋しいという気がしています。

赦して欲しいとも思わないし、赦されるはずもないという「生き方」だったの
だな、と思っています。
- Count.93 (Last.2010/06/08 04:27) -


83.  JC IMPACT - 2010/06/08(Tue) 22:22 No.17735
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 むろん私のところに、あまり人の悪口を書かないようにとか、いろんな事を
言ってくる人がいた。私はそれを一切、芹沢の耳に入れていないんです。芹沢
も子供ではないんだし、自分の責任でやっていることだからね。酒にしても、
やめろとか何とか、一切言ったことはありません。それに、もうその時は酒に
してもお金にしても、私が言って引き返せるような段階を過ぎていました。
 それともうひとつ、芹沢のタレント性ですね。これがはたして芹沢の救いに
なったかどうか。頭の回転、ものの本筋を掴むという点にも非凡なものがあり
ましてね。もの真似もうまかった.....。
 将棋会館に芹沢がヨタヨタと、まるで中気の患者みたいな恰好で入ってきた
ことがあるんです。きかない右手を左手でおさえて、ヨダレをたらしながらこ
う言うんだ。「昔、芹沢という将棋の天才がいたけれど、今ではもう中気でご
ざいます」って。大笑いしながら思わず涙がこぼれてね。(中略)
 昭和四十四年。中原と芹沢、勝った方がAクラスに入れるという順位戦があっ
た。これに勝てば芹沢はAクラスにカムバックできるわけです。
 最初は芹沢が優勢でした。しかし、芹沢は苦悶する中原の顔が見ていられな
い。そういう過敏な神経がありました。残り十分というところで棋勢がもつれ
てきた。芹沢が金捨ての鬼手を放った。しかし、狙いの鬼手は飛打ちに桂の合
駒が利いて成立しなかったんです。結局、芹沢は負けた。
 その一番で「俺は名人になれないんだ」という思いが決定的になった。事
実、うちのかみさんに電話があり「もう一度頑張ってAクラスに復帰して、また
中原と指そうという気力はなくなった」と言ったそうです。
 しかし、私には、この将棋を指す前から、芹沢には中原に勝つ気がないんじ
ゃないか、という予感があった。というのは、中原を叩きつけて自分が上がっ
ていくということは、芹沢の性格からできないんですよ。(中略)
 芹沢は本当に将棋が好きでしたね。相手が子供でも気軽に相手をし、こまか
く解説をする。中原には特に目をかけていたということもあるけれど、何とか
強くしてやろうと一生懸命に教えたわけですよ。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
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先月の棋士総会が終わって、私は棋士のひとりから電話を頂戴した。それぞれ
の議案について賛否の数を、まずは伺いたかったのである。数字だけをみれば
承認が圧倒的である。私とその棋士の間で、反対数のひとつの目安があったの
だが、全ての議案に対して、この数はあまりに大差であった。

後日、その棋士とお会いする機会があり、呑んだ。
「そもそも、担当理事の説明というものが、わからないというか、担当ですら
状況が把握できていないんですよ」
「私たちは、何というか将棋しかわからないんでしょうか」と。
そういうことを問われても私の方が困ってしまうのだが、こういうことだけは
申し上げた。「この大差では、事実上、現状、打ちだされている施策について
OKです、と頷いたも同然ですよ」「そうなんですよね」

私はこの棋士を責めるつもりは毛頭ない。将棋ファンでも知っている方は少な
いだろうし、言われて「顔」が思い浮かぶ方も極めて限られる方だ。こうやっ
て酒席の機会を持たしていただくというのは、人柄も、普及に対しての姿勢も
私は立派だと思っているからである。

「棋士というのは何でも勝負なんですね。米長会長は石橋も、石橋のおかあさ
んにも煮えたぎるような憎悪を抱いている。増幅されることはあっても消える
ことなんか絶対にありません。また、一部の棋士を除いては、自分たちの生活
のことで精一杯で、面倒なことは理事がみんな引き受けてくれているのだから
いいじゃないか、という面がある。例えば、中原-米長にしても、互いに、もう
どうしようもないというぐらい酷い関係の時期があった。だけど、ほんのちょ
っとしたことで、二人が肩を抱くように笑いながら、鍋をつついたりする。周
囲の人間には信じられないほどですよ。だけど、それは、二人の中にどこかで
勝負師として同時代を築いてきたという、互いが互いを認める部分があるから
でして、その琴線は切れることがない。そういう共有した価値観がある。だか
らふとしたことで戻ったり、揺れたりもする。大山名人が、米長九段に「あと
のことは頼む」と病室で、ふたりだけの時に伝えたという話がありますよね。
みなさんは「それは米長さんが都合よく話を作った」と思うかもしれません
が、おそらくこれは本当でしょう。大山さんは米長さんの社交性に、晩年は惹
かれていました。期待もしたのはそういう面もあったからです」

「棋士というのは将棋しかわからないんですよ」その方は何度もそう述べた。

私は最後に、こういう話をしてみた。笑いながらである。

「もし、石橋さんが米長会長に平手で勝てば、少しは変わりますか」と。

「3番勝負で勝ち越せば、劇的に変わるでしょう。そういう価値観が、私たちの
中ではどこかに染みついているのかもしれません」

これでは、正直、義憤の感じようもない。ベクトルが違いすぎるのだ。

棋士というのは四段になれば「一人前」である。私がお会いした何人かの棋士
の方々、圧倒的に「そのときが最も嬉しかった」と口にされる。それは「認め
られる」ということを意味するからだ。

例えば「森永」にとって「明治」は競合である。現場では相当な競争がある。
しかし「森永」の社員は、その組織内では仲間である。

プロ野球、ジャイアンツは今でも3軍というものがあるのかどうか、定かではな
いが、個々の選手間にあっては競合する面がある。しかし、野球にはポジショ
ンというものがあるから、内野手と捕手、投手と外野手が競合するということ
はない。故に一定の親和性というものが存する。しかし、棋士は自分以外は全
て競合である。こういう組織は「全体としてどうあるべきなのか」ということ
を考えるのは、おそらく不得手なのだ。

その一方では「牛丼事件」みたいなことが、いつまでも人々の記憶に残ったり
もする。36期名人戦が毎日新聞に移行する際に「朝日新聞は、タイトル戦のと
きに、記録係は、打ち上げの席などには同席を許されず、片隅の小部屋で、ま
るで物でも扱うように牛丼ばかり(或いは「しか」かもしれない)出されたもの
だ。その恨みを忘れてはいけない」ある意味、非常に「わかりやすい」のであ
る。必ずしも銭金ばかりではない、一途な面があった(今、そういう意識がある
のかどうかは知らないが)

もし、高柳名誉九段のいうように、芹澤九段に「(相手によって)勝負に徹しき
れない」面があるのだとしたら、おそらく名人にはなれない。こういう優しさ
は勝負師には致命的である。そういうことは評価もされない。

------------------------------------------
(前略)
 死ぬ一週間くらい前に芹沢が私のところに電話をかけてよこしてね。将棋の
三角八百長を持ちかけられているというんですよ。Aに対して芹沢が負けてくれ
れば、AはBに対して負けてやる。そうするとAもBもお互いに助かるから、と。

 本当にそんなことがあったのかどうかはともかく、芹沢は腹を立て、私のと
ころに言ってきたわけです。
 「これは事件にするつもりだけれど、していいか」そう聞かれれば、「表面
に出さないで済ませたらどうだ。ただ、それは君の判断で、どうにも我慢でき
ないと思えば公にすればいいだろう」と言わざるをえない。
 私が初めて芹沢に批判めいたことを言ったのは、実はこの時です。
 君は何年か前に将棋を投げている。手心を加えて欲しいなどと頼まれるとい
うことは、君は安く見られているんじゃないか。相手にすれば、芹沢さんは将
棋を指す気がないから、頼めば聞いてくれるんじゃないか、と思うかもしれな
い。そういうことを持ち込まれるような軽さが、君の一連の言動にあるんじゃ
ないか。
 そうは言ったけれど、私も引退した年は、もう自分は将棋をやめるつもりで
無理に負けるようなところがあった。B1クラスで負けたら引退すると決めてま
したからね(中略)
 順位戦という機構にもの申す意味で将棋を指す気がないというなら、順位戦
だけ将棋を投げてもいい。しかし順位戦以外の将棋は一生懸命やって、まだま
だ芹沢は健在なりというところを見せたらどうか、そういうことを初めて芹沢
に言いました。
 むろん、その時には一週間後に芹沢が死ぬなんて思ってもみなかった。
(「愛弟子・芹沢博文の死」「文藝春秋」昭和63年3月特別号・高柳俊夫より)
------------------------------------------

「順位戦以外の将棋は一生懸命やって」などと、芹沢の眼中にないことを高柳
名誉九段は何故、伝えたのだろうか。もうそんなことしか、言えることがなか
ったのだろう。読んでいて辛くなる。

最後に高柳名誉九段はこう結びます。

------------------------------------------
(前略)
芹沢は人の悪口を書いて得々とするような人間ではなかった。彼の将棋も、そ
の将棋を支えている理論もまさに本格的で、スケールの大きなものだった。だ
からこそ、若手の欠点が目につくわけです。最近の将棋には勝てばいいという
ようなところがある。どうしたら負けないかというような将棋を指す若手に、
芹沢は耐えられなかった。
 それを激烈な文章で書かざるを得なかった。そこには、だんだんと孤立して
いった芹沢の追いつめられた気持ちがあったんでしょう。(了)
------------------------------------------

週刊将棋だったか、江國滋と芹澤博文の対談で、芹澤は羽生の将棋を徹底的に
こきおろした。「ただのコピー将棋」というような論評だったと記憶してい
る。その羽生は永世名人となり、今期、三浦八段を相手にストレートで勝利し
た。

存命であれば、芹澤はそれを嗤うのだろうか。或いは認めるのだろうか。その
声は勿論、耳をすましても、聴くことはできないのだけれど。



 
- Count.94 (Last.2010/06/08 17:35) -


84.  寅金 - 2010/06/08(Tue) 23:51 No.17738
「俺は名人になれないのか。」

将棋と言う名の魔物の呪縛から逃れたいけど、逃げたくない。
自ら逃げる勇気が無いから、見放される様に振舞った。

その振る舞いに圧し潰されそうになったので、
逃れるために死にたかった。

自ら死ぬ勇気が無いので、酒に殺してくれと縋った。

自分の大きさは自分だけが判る。

事実の前に正対する事が恥ずかしかったのだろうか。

寅金の稼業の知人でも銭名人に挫折して自ら命を絶った者
絶とうとした者は両手では足りない。

気が狂えば楽だっただろうなと思うが、肌で理解できない。

理解したくも無いし、同情する気も不思議と起こらない。

陰鬱なだけの話だ・・
- Count.1563 (Last.2010/06/08 20:59) -


85.  JC IMPACT - 2010/06/09(Wed) 00:00 No.17740
芹澤九段逝去の報に接した時、とりたてて「意外」という印象は私の中にはあ
りませんでした。自殺、病死のいずれか、ということだけを確認しました。そ
のことは今でも鮮明に記憶しています。

興味、というと些か語弊があるかもしれませんが、この当時、山口瞳は週刊新
潮に連載されている「男性自身」で日記シリーズを続けていました。日々の出
来事を綴るという形式です。

山口瞳は芹澤博文の死去に触れるのか触れないのか、触れるとして何をどう語
るのか、当該日の「週刊新潮」が発売される日を計算しながら、楽しみに待っ
たものです。おそらく「何か」は書くだろう、と思っていました。

ここでは、それを1冊の本にまとめた『還暦老人ボケ日記』(1989年7月・新潮社
刊)よりご紹介しましょう。

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(昭和62年)12月8日

(前略)
 芹沢九段死去。五十一歳。彼も浴びるように飲んだ一人だ。飲み続けた。こ
れは人生観の問題であって、他人が関与すべきものではない。僕は人生観が違
うから抵抗を試みるつもりだ。
 芹沢さんに拝み倒されて、将棋の好きな医者のいる京都の病院を紹介したこ
とがある。彼は三日目か四日目で病院を飛び出してしまった。淋しがり屋の彼
が誰も見舞いに来ない病院にいられるわけがないのである。芹沢さんが僕の悪
口を言ったり書いたりしているという話を何度も聞かされた。しかし、どこか
憎めないところがあって、あまり気にとめることがなかった。
 僕が彼を宥すのは彼が無頼の将棋好きであったからだ。僕の家に泊った芹沢
さんと米長邦雄九段とが、朝、下着一枚とステテコで真剣に将棋を指していた
光景など、いま思い出しても清々しい感じがする。また、芹沢さんは、将棋盤
の上に誰かが茶道具を置いたりすると烈火のように怒った。将棋を覚えたいと
いう人がいると、それが幼児であっても、まず盤に対する坐り方や礼の仕方か
ら教えた。そういう棋士だった。
(山口瞳『還暦老人ボケ日記』(1989年7月・新潮社刊)より引用)
---------------------------------------------

---------------------------------------------
(昭和62年)12月11日

(前略)
 芹沢博文九段の話の続き。
 あるとき友人と将棋を指していると、遠くのほうから芹沢さんが「詰んでい
るものは詰ませなくてはいけませんね」と叫んだ。その頃、僕の家の一階はワ
ン・ルームで割に広かったのである。彼は別の仲間と麻雀を打っていた。うし
ろ向きのままで言った。僕の駒音で指し手がわかったのだろう。これは芹沢さ
んが自分の才能を暗示したのではない。彼は麻雀を打っていても、関心はもっ
ぱら僕のヘボ将棋のほうにあったのである。それくらい彼は将棋が好きだっ
た。
 芹沢博文には、将棋を広く世間に知らしめたという功績があったと思う。唄
を歌い、テレビのクイズ番組に盛んに出演するようになった頃には、もう遊び
に来なくなった。将棋界には変わった人がいる。面白い人がいるというPR効果
はあったと思うが、ややイメージダウンの気味がなくはなかった。「あり余る
才能を小出しにする」と冗談半分で豪語していたが、芸能人と対等にジョーク
を披露したところで真の将棋ファンは誰も喜ばない。彼は僕なんかには形勢不
明と思われる局面で投了してしまうことが多かったが、自分の将棋人生をも投
げてしまっているようだった。それにしても五十一歳。「芹沢さん、あんた、
投げっぷりが良すぎるぜ」と訃報に接したとき、咄嗟に思った。
(山口瞳『還暦老人ボケ日記』(1989年7月・新潮社刊)より引用)
---------------------------------------------

説明するのに窮するのだが、芹澤博文九段が好きで、山口瞳の愛読者という立
場は、案外に肩身の狭い思いを感じたりもした。日常で山口瞳の話になったと
きに、芹澤九段について語ると、それこそ殆どが血相を変えて迫ってくる。そ
ういう方は将棋を知らない。だから困ってしまうという面があった。

12月11日の日記(その前も含めて)山口さんは、色々あっても芹澤博文九段のこ
とが好きだったのだな、と私は感じた。芹沢さん、あなたは得な人だと私は思
いますよ。

このスレッドに参加された方々の多くも、芹澤なんて、という方は殆どいなか
ったという印象を私は有しています。正直、ちょっと意外ではありました。

さて、今週中を目処に、残った最後のお約束「残された例のモノの顛末、後日
談」をお伝えして、失礼したいと思います。ご愛読、ご感想をお寄せくださっ
たみなさん、本当にありがとうございました。

皆様のweb内外でのご活躍を祈念申し上げます。
- Count.95 (Last.2010/06/08 22:22) -


86.  馬って得意なのよね - 2010/06/09(Wed) 04:02 No.17744
uma.gif JC IMPACTはん、興味深お読ませてもろてますわ。
オモロイちゅうより晩年の芹澤はんの心中を想像したら(凡人が
天才の心中を想像するなんちゅうんが傲慢極まりない言い方でっけど
許したってや)何やら涙が浮かんできそおですがな。


駒爺はんよ、

> 芹沢さんが名人になっていたならば彼は違う人生を送っていたのだろうか。

こりゃ、芹澤はんと同じぐらい純粋に名人を希求する人間でないと
答えは絶対に分からん問いやと思いまっせ。

凡人の想像では「違う人生を送った」でっけど、所詮は凡人の戯言ですわ。

ただ一般論として、希求する気持ちが純粋であればあるほど、求めたもんが
手に入らんと分かった時の落胆は普通の人間には想像でけんほど大きいもん
なんは確実でっせ。

学問の世界なんぞやったら、自分が解こうとした問題が解けんで、あるいは
他人に解かれてしもたら、自殺するやら発狂するっちゅうんは、そないに
珍しい話やおまへん。この辺は数学に詳しかった昔の常連のフマン教授や
岡目はんあたりの方が良お実例を知ってるやろけどな。

そんでそおゆう自殺や発狂する数学者や理論物理屋の殆どは、若いころから
天才呼ばわりされて来た連中ばっかりや。そんな超の付く難問で無しに
適当な難問に取り組んでたら幾つでも論文書けて出世でけたやろっちゅう
よおなんが殆どですわ。

ワシは芹澤はんの子供時分から天才と呼ばれた人間が名人の夢に破れて
破滅的な人生を歩んだ姿は、正にそおゆう数学者や理論屋が自殺したり
発狂したりしてしもた姿と重なりますわ。

普通の凡人から見たら「何や、たった一つ問題解けんかっただけやろ。
別の問題解いたらエエがな」と思うやろけど、当人らにとっては、
その問題だけが人生の全て賭ける価値のある対象なんですがな。

芹澤はんにとっての名人っちゅうもんもそおゆう存在やったんやろな。
そしたらそれを自分は絶対に得られんと悟った時点で、自分の人生の
意義を見失おたとしても不思議はありまへん。

人生の意義を見定めて生きるんと意義を見失おて生きるんとでは、
その後の人生は全く違うモンになったんとちゃいまっか?
- Count.441 (Last.2010/06/09 03:46) -


87.  越中フンドシ - 2010/06/09(Wed) 23:36 No.17796
JC IMPACTさん、たいへん興味深く拝見しております。

芹沢九段は、確かお酒の席でだったか、「1年じゃなくてもいい。3日でも1日で
もいい。名人になりたい」とおっしゃったことがある、と記憶しています。亡
くなってからの、どなたか棋士の方の追悼文であったかもしれません。

私は、芹沢九段の若い頃の御活躍は存知ませんが、B1での弟弟子・中原当時七
段に敗れた時の話そのものは知っていました。ただし、このような背景や一連
の流れについては、初めてうかがい知ることができました。 ありがとうござ
います。 私の中では、芹沢九段はたいへん魅力的な棋士になりました。

温帯低気圧さんに感謝です! ○ンタイに成り切れない私にとっては憧れの人
です。

世渡り下手爺さん、寅金さん、馬って得意なのよねさん、いい合いの手です。
‘合いの手’は、文法では誤った使い方かもしれませんが、こと芹沢九段に対
しては、きっとすべてが解釈として‘合っている’のでしょうね。

(余計なこと。今、この板が一番上にありました。しかしながら、No.17744の
馬って得意なのよねさんの投稿が今朝の4時過ぎです・・・ どうしてだろう?
 と、一晩悩んでみます)
- Count.282 (Last.2010/06/07 23:44) -


88.  JC IMPACT - 2010/06/10(Thu) 00:07 No.17799
No.16889 本スレッド7番目の続きです。

----------------------------------------------------
今、私の手元に『現代の将棋戦法』(セントラル教育ビデオ株式会社・企画販
売)がある。将棋カセットだ。「花形六棋士名局集」(解説八段/芹沢博文・棋譜
読上/女流名人 蛸島彰子)定価5,800円とある。

中学生の時、私が初めてお会いした棋士は芹澤博文八段(当時)であったことを
冒頭に記した。その直後、私は確か、地元の百貨店でこの商品をみつけた。傍
らには両親がいたと思う。当時の5,800円というのは、私にとって夢のまた夢の
ような値段だった。普通なら、手にとって、それだけで「終わり」である。

駄目元の気持ちで、両親に強請った。「何でもするから買って欲しい」私はそ
れまで、このようにはっきりと家族に「モノを強請ったこと」はなかった。一
抹の期待と賭けに似た心境が、子供心にあったように思う。幸い、小さなカセ
ットレコーダーを、貯めたお年玉をはたいて、不足分を両親に足してもらって
購入していた。幸運だったと思う。

「そうか、芹沢さんに会ったからな」父親は、それ以上、さしたることも言わ
ずに、買い求めてくれた。「学業品は別として、半年、小遣いはなしだがそれ
でもいいか」いいも悪いもない。私の顔は喜色満面だったことだろう。

カセットレコーダーを左に、板盤にプラ駒で何度も棋譜を再現した。高校生に
なって「元のテープが切れては大変」と、複製のダビングテープを作成した。
今日は元のテープで「昭和45年3月13日・順位戦 芹沢博文八段VS中原誠七段」
を聴きながら、これを書いている。若々しい芹沢の、澄んだ声が小さな部屋に
広がっている。本当に久しぶりだ。氏の声を聞いたのは。


「お前に頼まれた、例のモノは手つかずで残っていたよ」

その商品は、私の手元に送り返されてきた。

学生時代の友人からである。

「芹澤さんにお前が託したウィスキー、会社の引っ越しに伴って整理をしてい
たら、出てきてさ。遅くなったけどお前の自宅に送っといたぞ」

「いいよ、いいよ、そんなものは、そちらの仲間内で、適当に呑んでくれれば
それでいいって」

「やだよ。この酒呑んだら、芹澤さんのようにべろんべろんになりそうだし
な」

内々の会話だから何ということはないが、ちょっとだけ心が波立つ。

「芹澤さんが亡くなって何年になるのかな」ふと、そんなことを思った。

数日後、宅急便が届いた。特に開けもせず、そのままにしていた。私に家庭内
飲酒の習慣がないからである。未開封とはいえ、些か古くなったウィスキー、
人様に差し上げるには躊躇するものがある。

当時、私はweb上で「管理サポート」みたいなことを純然たる趣味の部分で行っ
ていた。今より、少し「血の気」は盛んだったかもしれないが、発言のスタイ
ルや調子は、保管している過去ログをみても、殆ど変わることがない。私にネ
ットの歩き方を教えてくださった先輩を、お手伝いさせてもらっていた。

「そう言えば、再来月にオフラインミーティングがあったな。その時に差し入
れ代わりに持参するか、私も呑むわけだし、それならいいだろう」と。

私たちのオフラインミーティングの最後は「公園オフ」と決まっていた。とに
かく最後は公園で呑む。紙コップと乾き物で、ペットボトルやら氷やらを近く
のコンビニで買い揃え、夜空を眺めて酒を呑む。当然、完徹になる。効率的で
はないのだが、男女十五名前後で、とりとめのない話が続く。今でも、彼らの
何人かとは、年、乃至、一年半に一度は会い、公園オフは流石になくなった
が、ああだこうだと酒を呑む。蚊にさされながら、水銀灯の下で将棋を指した
こともあった。

オフラインミーティングの前日、商品を確認せねばならず、私はそれを開い
た。芹澤さんは「(ダルマ)*地域によっては狸ともいう」を冷やして呑むそうな
ので、私は一段上のウィスキーを差し入れた。少しばかりの見栄である。

箱の中にしのばせたメッセージの厚手の封筒と未開封のウィスキー。

私は、もう記憶でしかないが、こんなことを綴った。

「上達は果たせませんが、私がおそらくは生涯の趣味として将棋を続けていく
ことができるのは、芹澤博文九段にお会いしたからといっても過言ではありま
せん。私が家庭を作り、子供ができて、もしも将棋に興味を示したら、芹澤九
段、ぜひ一局、教えてやってください。よく考えてみれば、私もまた芹澤九段
とは一局もご指導を受けたことがないことに気がつきました。共々、今後とも
よろしくお願い申し上げます」そんな趣旨のことだった。

その願いはついにかなうことはなかったのだな、と思って、封筒に手をかけた
とき、何かてざわりが違う。ホテルの便箋がそこにあった。

私の名前が何とか読める。
続いて「ゴメンナ」と書いてあることがかろうじて判読できる。そのあとの数
行はもう全く読めない。鴨なのか鶴なのかもわからない鳥の絵のようなものも
みえるが、それとて何かもう得体の知れない駒のようだ。

「芹澤さん、勘弁してよ。酷いよ」

何でもよかったのだ。褒めてもらいたい、かけがいのない人が、私の前から、
消えた。そのことをはっきりと自覚した一瞬だった。

私は翌日、この酒を皆で呑んだ。白夜のような空の色を、生涯忘れることはな
い。
- Count.97 (Last.2010/06/09 22:24) -


89.  JC IMPACT - 2010/06/17(Thu) 01:37 No.18208
「著作権スレ」で(ご挨拶)をして、その翌日にお前は何事か、と指弾を受けそ
うですが、勿論、それは甘んじて受けます。管理人山崎さんへのご報告もあり
ますので、こちらに書かせていただきました。

◆芹澤博文九段 -内心の憧景-のJC IMPACT記述について、高柳一門に極めて近
 い私の知人より、相当部分を使用したい旨の申出がありました。私にとって
 は「何の異存」もありませんでしたので、管理人さんの著作権に関する見解
 を確認いたしましたのち、承諾の旨の連絡を致しました。対価は一切受け取
 っておりません。活字(電子商業出版なども含む)になりました時には、私に
 連絡をいただけることになっていますので、その際には、著作権スレッドで
 お知らせしました形で、何らかのご連絡を関係者から行っていただくことに
 ついても、了承を得ています。

 ちなみに、そのような依頼がありましたのは、私が本スレの最後にあたる88
 番を記した翌日の午前中でした。つまり、私の撤退宣言の後になりますこと
 も併せて記しておきたいと思います。以上、管理人さんへのご報告です。

--------------------------------------------
さて、これで私の記述云々に関する問題も終わりました。
ここからは、紫外線さん(本スレ68番)と筒井村重さん(本スレ69番)へのご相談
です。但し「(駒音の運営問題ではないにしても)そのような行為をここで行う
のは不適切である」と管理人さんがご判断された場合には、その旨をお知らせ
ください。私の方で何か別の方法を考えたいと思います。

米長九段と山口瞳、芹澤九段について、この場に書き記すことを目的に、実は
改めて、当人以外の随想を結構、読み返すことになりました。そんな中、米長
邦雄永世棋聖についても、何か残せるというか、残してみたい気になりまして
ね。とりわけ51期、米長邦雄九段が中原誠名人に挑み、悲願の名人位を獲得し
た時の様々な出来事というものは、中原ファンの私がみても、実に興味深いも
のがありました。「内心の葛藤」というフレーズはすんなり浮かびました。

他にも色々記したいこともありますし、今回の書き込みをきっかけに、少しネ
ット論みたいなことも、ネット上で未知の方々も含めて、語ってみたいという
思いが膨らんできたことも事実です。

私自身は、これははっきりしていますが「公開運営論者」ですので。

まぁ、それはともかく、今日はまだアカウントは作成していませんが、そうい
う意識で「と金倶楽部」を読ませていただきました。

実は筒井さんが書かれたことで、私、ひとつだけ気になっていることがありま
す。

>あそこで今、重役さんに収まってる某教授と、ちょいとした?諍いがあったん
>で、僕とか馬さんとか最近見ない岡目の旦那は、あそこには手出ししないって
>約束になってるんですよ※。

>※別スレで、すごい誤解釈されているようですが、この件は、と金倶楽部は、
 >紳士協定として某教授の聖域にしておこうという話になっただけで、
 >彼をのけ者にするというような意図は全くないです。ただ彼は、
 >私たちが来ることを望んではいないと思うので、行かないということです。
 >個人的には参加したい話もあるんですがね。駒音に来れば興味のある話なら
 >普通にレスを返します。そういうことです。

「諍いの内容」などには全く関心がないのですが、例えば私が「と金倶楽部」
のアカウントを取得し、活動を行う際に、馬さんや筒井さんは(お二方に限っ
たことではありません)「来たくとも来れないような雰囲気が醸成されてい
る」というのでは「困るな」と思っています。「多事総論」というのが、私の大
原則でもありますし。

それであれば、私が独自で掲示板やコミュニティの場を作った方が、遥かに気
が楽なのです。

お手数をかけますが、この点、紫外線さんと筒井村重さんから、何がしかご教
示をいただけますと幸いに存じます。

「それはこの場ではふさわしい話題にならない」ということでしたら、その旨
をここにお知らせください。次回の発言で、私のメールアドレスをお知らせ致
します。

ただ、どこでどのような活動をするにしても「駒音」は、拙文を十数年ぶりに
登録した場所ですし、だからこそ、不毛な敷居など最初から作りたくはないと
は、強く強く、思っています。

少なからぬみなさんに、これだけお相手していただいた場所です。単に、私に
は「居場所がみつからないかな」と思うだけのことです。居心地とそれは別の
次元ですので、その点だけは、誤解のないようにと願ってもいます。
- Count.104 (Last.2010/06/15 17:59) -


90.  やぶにらみ - 2010/06/17(Thu) 02:36 No.18214
なんだかんだ理由付けしてんけど
結局、自分の料簡の狭さを婉曲して書いてるだけじゃんか
みっともないぜ!JCさんよ
立つ鳥跡を濁さずだろが!

芹澤のコラム読んでも、中島らもの「今夜、すべてのバーで」と何等変わらな
い後味悪い読後感
あんたの行過ぎたナルシズムには正直、反吐が出るわ
- Count.6 (Last.2010/06/05 22:12) -


91.  馬って得意なのよね - 2010/06/17(Thu) 04:02 No.18216
uma.gif > ◆芹澤博文九段 -内心の憧景-のJC IMPACT記述について、高柳一門に極めて
>  近い私の知人より、相当部分を使用したい旨の申出がありました。

やっぱりそんな事でっか。著作権スレでワシの勝手な想像を書かせてもらい
ましたけど、そんなに外れやなかったんでんな。

JCはん自身の個人的な経験に基づいた芹澤はんの思い出として貴重な話や
さかい、将棋界の人間が読んでたらきっと掲載させてくれっちゅうて
言うて来たんやろなと思いましたんや。

> --------------------------------------------
> さて、これで私の記述云々に関する問題も終わりました。
> ここからは、紫外線さん(本スレ68番)と筒井村重さん(本スレ69番)へのご相
> 談です。・・・
> 実は筒井さんが書かれたことで、私、ひとつだけ気になっていることがあり
> ます。
>
> >あそこで今、重役さんに収まってる某教授と、ちょいとした?諍いがあった
> >んで、僕とか馬さんとか最近見ない岡目の旦那は、あそこには手出ししない
> >って約束になってるんですよ※。
>
> >※別スレで、すごい誤解釈されているようですが、この件は、と金倶楽部
> >は、紳士協定として某教授の聖域にしておこうという話になっただけで、
> >彼をのけ者にするというような意図は全くないです。ただ彼は、
> >私たちが来ることを望んではいないと思うので、行かないということです。
> >個人的には参加したい話もあるんですがね。駒音に来れば興味のある話なら
> >普通にレスを返します。そういうことです。
>
> 「諍いの内容」などには全く関心がないのですが、例えば私が「と金倶楽
> 部」のアカウントを取得し、活動を行う際に、馬さんや筒井さんは(お二方
> に限ったことではありません)「来たくとも来れないような雰囲気が醸成さ
> れている」というのでは「困るな」と思っています。「多事総論」というの
> が、私の大原則でもありますし。

と金のオーナー兼管理人はんの紫外線はんやと金の常連はんらの名誉のために
書いときまっけどなワシらが行っても紫外線はんが出て行けなんちゅう事は
言わんと思いまっせ。

そおゆう意味では「来たくとも来れないような雰囲気が醸成されて」まへん。

ただな、筒井はんが書いてはるよおに、そこの常連になっとる某センセと
かつて大喧嘩をやった挙句、互いに駒音とと金とで住み分けるっちゅう
一種の紳士協定が暗黙のうちに出来あがったんですわ。

そやからワシらがその約束を一方的に破るわけには行かんのですわ。
見るだけやったら、と金は時々は覗かせてもろてるんでっけどな、
そんな経緯からワシらは投稿に関しては自主規制しとるっちゅう事ですわ。
(ワシは登録も未だしてまへんしな)
- Count.449 (Last.2010/06/15 03:53) -


92.  紫外線 - 2010/06/17(Thu) 05:22 No.18218 HomePage
yuki.gif お呼びがかかりましたのでちょっくら...

我のポリシーは「管理人ノ逆鱗二触レナイコト」ルール厳守以外は「来るものは
拒まず、去るものは追わず」なので歓迎はしても迫害はしませぬ。駒音に参加し
た縁から誕生した掲示板ですが管理・運営は我の全責任において行っております。

>一種の紳士協定が暗黙のうちに出来あがったんですわ。

...こればっかりは我の治外法権です。駒音のハンドルで都合が悪いならば(今
更言うまでも無いでしょうが)別ハンドルでいらっしゃいまし。
- Count.106 (Last.2010/06/12 15:49) -


93.  筒井村重 - 2010/06/17(Thu) 07:26 No.18220
紫外線さんと馬得意さんの見解の通りです。
(ただし、「互いに駒音とと金とで住み分ける」という部分は違います)
騒動を起こさない範囲で、別ハンドルで参加はするかもしれません。
論調で誰だかばれるかとも思いますが。。。

-------------------------------------------------
以下補足。

「紳士協定」の件は、馬さん、岡目さんは当時、明確に賛意を示された
と記憶しています。

なお、本件、歩蔓教授に駒音に入るな、などということは意味しておりませんでした。
事実彼は、昨年6月頃までは、駒音に投稿を続けましたし、私や、馬さんや、
岡目さんも、彼の投稿を妨害するというようなことはしておりませんでした。
むしろ興味がある意見にはレスも付けていたと思います。

ただ、2年ほど前のある時期、意見対立が深刻化したので、紛争拡大を避けるため
と金倶楽部への侵犯はやめる代わりに、あまり表掲示板で話を蒸し返すのは
やめて欲しいというような話になりました。
(昔のシステムでは掲示板の機能不全を起こしかねなかったので)

教授側は別に、これを応諾したわけではありませんが、こちらが出した条件なので、
数年経過した今も、私は、一応遵守事項だと思っていたという次第です。
- Count.80 (Last.2010/06/15 21:51) -


94.  JC IMPACT - 2010/06/17(Thu) 08:37 No.18221
馬さん、紫外線さん、筒井村重さん

早速コメントを頂戴できましたこと、深く感謝申し上げます。

私の「気になる点」は杞憂に過ぎなかったようですね。

これで「と金倶楽部」に参画させていただく弊害はなくなりました。

近日中にアカウントの登録を行いたいと思います。

ありがとうございました。
- Count.105 (Last.2010/06/17 01:37) -


95.  紫外線 - 2010/06/17(Thu) 10:35 No.18224 HomePage
yuki.gif >近日中にアカウントの登録を行いたいと思います。

参加決定ありがとうございます。つきましては前述の通り専用掲示板を用意して
おきます。
- Count.107 (Last.2010/06/17 05:22) -


96.  寅金 - 2010/06/17(Thu) 15:56 No.18231
筒井さんの言う、紳士協定って<阿吽>の呼吸なんですね〜
凄いテレパシーやね!

筒井さんがと金倶楽部を聖域にするというか、
<照れて>歩慢教授に気遣って言うてるのは判るけど、
馬ちゃんは相変わらず<尻馬乗馬上手>で、
その<照れ隠し>を変換した<紳士協定>って言葉に食いついて、
尚且つ、大喧嘩ならぬ<一方的に騒ぎ>、辟易とさせたって自覚が、
1年以上経っても無いのは寂しいね〜

ってか、紳士協定って<約束>なのか?変な団体に見えるぞ〜
一緒にされたら岡目さんも迷惑とちゃうか〜?

と言うか、何時までも歩慢教授に<一方的冤罪レッテル>貼るのは、
お門違いと言うか、執念深いと言うか、大人げないと言うか、バッカやね〜
ってか、何に怒ってたんや〜?? ボケ寅金は一晩寝たら忘れるぞ〜

でも、と金倶楽部の和気藹々とした雰囲気の中で、
馬ちゃんが関東弁で棋戦予想するのを楽しみに見守るよ〜

迷人って誰か知らんけど、
迷人に香を引いて勝つまで、帰って来なくて良いからね〜〜
実力制初代 迷<惑>人になるんだぞ〜



しかし、高柳一門ってのは、本マグロの中原じゃ無しに、
腐りかけた鰯で勝負するとは、中々の度胸じゃの〜〜

*鰯・・・大衆魚になったり高級魚になったり忙しい魚
鴨葱ところか、生姜で強烈な<臭い>を隠さなければいけない。
結局は、<生姜>次第の魚。


ほんで、山口ー米長戦争の<パンドラの箱>に手をつけるのが、
米長さん<仇敵の駒音>じゃ無くて良かったわ〜

流石の寅金でも<断崖絶壁>に立つような気になり、よう書かんわ〜

開けたら、賞味期限過ぎてて、煙でお爺ちゃんになったりして・・・
- Count.1628 (Last.2010/06/16 06:00) -


97.  茶色空白 - 2010/06/18(Fri) 02:32 No.18283
筒井氏,ふまん教授の件を蒸し返すつもりかな.今まで証拠も出さずに非難して
おいて,「紳士協定」とは笑わせないでもらいたい.馬氏が「出ていけ!」と一方
的にわめいただけではないかな.(そういえば,馬氏は筒井氏にも出ていけとわ
めいていたような記憶がある.)

ついでだから,馬氏について一言.米長氏を悪いといい,LPSAをやり方が拙劣と
いって,どうしてイーブンなのかな.世渡り氏の反発も尤もと思える.

も一つついでに,世渡り氏に一言.相談役当時のLPSA内部情報を,相談役を降り
たからと言って,外部に流すのは信義にもとるのではないかな.

以上,スレ違い失礼.
- Count.6 (Last.2009/06/11 02:48) -


98.  馬って得意なのよね - 2010/06/18(Fri) 03:40 No.18286
uma.gif > 馬ちゃんは相変わらず<尻馬乗馬上手>で、
> その<照れ隠し>を変換した<紳士協定>って言葉に食いついて、
> 尚且つ、大喧嘩ならぬ<一方的に騒ぎ>、辟易とさせたって自覚が、
> 1年以上経っても無いのは寂しいね〜

アホか、お前は当時の延長をちゃんと読んでフォローしてへんかったやろ。
表のクラッキング騒ぎの後のホンマの大喧嘩は延長でやっとったんやで。
筒井はんがと金の聖域化ちゅうか紳士協定を提案したんも延長でや。
まあ最終的に強引に叩き出したんはワシやけど、
向こうも叩き出されるに値するだけの世迷い言や暴言は散々吐いてたわい。

考えてみい、お前が言うよおにワシが一方的に騒いで追い出したんやったら、
常に冷静な論客の筒井はんがワシを断罪せんかったと思うか? 
ワシの方にと金に行けと提案せんかったと思うか?
つまりはそおゆうこっちゃ。

まあ既に居らんよおになった人間の悪口になりかねん話は止めとこ。
当時の事情を把握しとらんと判官贔屓かなんかでお前が書いたさかい
それに釣られて何やら亡霊らしきもんが出て来たみたいやけどな。

ともかく、と金はフマンの大事な居場所やさかい邪魔する気はないで。
関根の御隠居があっちに居付いてしもて駒音に来んよおになったんで
棋戦の時に手の質問とかでけんよおになったんはチョイと寂しいけどな。
- Count.457 (Last.2010/06/18 03:07) -


99.  筒井村重 - 2010/06/18(Fri) 07:43 No.18293
> 筒井氏,ふまん教授の件を蒸し返すつもりかな.今まで証拠も出さずに非難して
> おいて,「紳士協定」とは笑わせないでもらいたい

もう他者の迷惑になるだけの話題なので蒸し返す気もないですし、
彼を責める気もありません。また、証拠がなかったわけでもありません。
この件は、掲示板の本題と無関係なので終了します。
(他の第三のサイトで論争するという話なら受けてもいいです)
- Count.83 (Last.2010/06/17 22:07) -


100.  寅金 - 2010/06/18(Fri) 10:32 No.18299
そう言えば、クラッキングとやらで揉めてたな〜

馬さんよ誤解して悪かったよ。ごめんね。

寅金には、クラッキングやらハッキングやらウィルスやらIPやら、
なんも判らんからこそ鈍感になってるけど、
知識のある人には許されん表現が有るのかいな?

でもさ〜、それぞれそこらには居て無い素晴らしい人ばっかりじゃないか〜

特に、歩慢教授の確信犯のシニカルと語彙の豊富さは凄いぞ!
なんてったって、寅金のゴッドファーザーやから、
師匠みたいなもんやわな・・

ってか、ごぶさた茶色さんも執念深いね〜

紺色さんはどうしてるのか?

筒井さんの信用力も凄いが、人間味を引き出したのだ誰や〜?
- Count.1641 (Last.2010/06/18 01:34) -


101.  筒井村重 - 2010/06/18(Fri) 20:18 No.18349
JC IMPACT氏は、どうやら、と金倶楽部に落ち着かれたようだ。
去り際のやりとりで、やや失望感を覚えていくつかレスを削除したのだが、
早計だったかもしれない。氏の言われた「敷居」をじっくり拝見したいと思う。
- Count.84 (Last.2010/06/18 07:43) -


102.  JCさんが好きでした - 2010/06/19(Sat) 11:21 No.18400
なぜJCさんが駒音を去ったのか。
いまなら、はっきりわかるようなきがします。
- Thank you for your first contribution! -


103.  寅金 - 2010/06/19(Sat) 14:49 No.18408
書きたけりゃ〜書く、
書きたくなけりゃ〜書かない。

シンプルな事やのに、自分の理屈に縛られるって可哀相な位、頭が良いのね!

何も気にしない、アホで良かった〜

ってか、奥山紅樹さんに通じるこってりらーめんマンやね〜

と言うか、将棋を<ジャパニーズ・チェス>ってのは有り得ないね〜
将棋は<SHOGI>若しくは<ジャパニーズ・ボードゲーム>

さて、山口瞳と米長邦雄の<裏事情>を踏み込んで書けるのか?
こればっかりは、ペン沙汰で済むのか?

>筒井さん
<敷居>ってさっぱり意味わからへんねんけどちょっと教えてくれませんか?
- Count.1659 (Last.2010/06/19 14:32) -


104.  喝采 - 2010/06/19(Sat) 15:09 No.18410
 筒さん。   どうもです。

 少なくとも2回は拝見しました。それで、なんとなく違和感を感じましたので
書かせていただきます。

 筒さんは、ご自身が書かれたレスを自主削除される事が多い(あくまで小生
が知る限りでの他の書き手との比較です)ようですが、自主削除しなければな
らないようなものは、最初から書かなければよいのにと、余計なお世話のよう
ですが、感じました。

 単なる想像ですが、板に何らかの影響を与えて痕跡残さずのような、知能犯
的(あくまで的ですよ)な意図も感じられないではありません。

 小生は基本的には、自主削除については書き手の権利のようなものと思いま
すので、どうこう言いたくないのですが。
 あまり多い(これは相対的)と違和感を感じます(非難ではないですよ)。

 JCさんのスレ全体を途中まで読み進めていたので、そしてこれから歩曼氏の
書き込みを見てみようかと思っていたので。。
- Count.795 (Last.2010/06/19 01:39) -


105.  通りすがり - 2010/07/11(Sun) 02:13 No.19496
憧憬の「憬」の字も知らない馬鹿の文章が面白いわけないだろ。
恥しいから、早く消えろ。
- Count.7 (Last.2010/05/21 22:18) -


106.  みなもと - 2010/07/11(Sun) 03:06 No.19498
誤字や脱字は黙って見逃すというのが掲示板のルールではなかったかな?

気がついていても口には出さないというのがマナーなのでは?
いちいち気にしていたら掲示板なんて読めなくなりますよ。

いい読物を提供してくださったJCさんに対して、ひどく非礼なレスだな。
- Count.633 (Last.2010/07/11 02:40) -


107.  ビストロ - 2010/07/11(Sun) 09:42 No.19508
おそらくこれは、誤字ではなく、「造語」だと思います。

「憧憬」だと、文章の内容にそぐわないので・・推測ですが
- Count.524 (Last.2010/07/11 08:30) -


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