ひとつ棋譜を掲載させていただきました。後手番の「次の一手」です。みなさん、どうお考えになりますか?(後手を手前側に棋譜を編集しています)(勿論、このスレッドに関連する棋譜です)
沢山の方々に「私の一手」をお示しいただきました。ありがとうございます。では「種明かし」を致しますね。この棋戦はスレッドでケンチャンアさんが触れていらっしゃる「第40期棋聖戦第1局」芹澤九段が30回の観戦記を書きました。▲は森八段(当時)△は二上棋聖(九段)です。問題図、ここで二上九段が指した手は△6六飛(58分)-------------------------------------------(二上九段が指した次の一手をみて*局面問題図)*引用者註部屋にズイと入って来た米長九段は盤を見て「これ研究?」と聞き、実戦の動きだと知るや「何だ、こりゃあ」花ムコ云々とふざけていた時とは違うキツイ表情になる。目には瞋恚(しんい)さえ感ずる。将棋に対しては実に真面目な米長ならではの表情かと思う。そして言う。「△6五銀、と桂を取り▲6一飛に△3二銀打、▲6五飛成そして△8九とと金を取り森君は屁もタレられない。だけど二上さんは怒っているだろうから、こう普通には指さないかもしれない」米長の予想は当たり二上△6六飛である。一見、角取りと6九飛成から3九銀の寄せをみて鋭い一手のようであるが無筋である。遊び駒の8六角を取りに行くのは無筋である。名手二上にしても怒りの心があると手が正しく動かぬものらしい。この△6六飛で米長が言うように△6五銀と桂を取り、▲6一飛にありがとうとばかりガッチリ△3二銀打としてジックリ戦えば、プロの初段の力があれば負けようとしても負けられない。こんなことは二上ほどの腕なら瞬時にしてわかるであろうに、気が揺れているとわからなくなるというのも人間らしいと思って我慢しなければならぬことか。米長が、「6六飛に何分使った?」五十八分だとの声に「考えて、良かれと思って考えて、どうして人は悪いことをしてしまうんだろう」とポツンと言って池の鯉をみているが、その後ろ姿に何とも言えぬ寂しさを漂わせていた。 (「第40期棋聖戦第1局観戦記」芹澤博文記より引用)-------------------------------------------私がこの局面を前にしたら、芹澤、米長両氏が指摘するような手順は「読みもしない」と思います。△6六飛か△8九とを読み耽ったのかなぁと感じます。芹澤九段は「△6六飛」を無理筋とは書かず「無筋」と書いています。つまり、この手には「理などない」ということでしょう。厳しいものだなぁと思います。このあとの手順は次のとおり進みました。▲7九金寄 △8六飛 ▲6一飛 △5一香 ▲6四飛成 △6三銀 ▲7三龍 △7二歩掲出した棋譜は△7二歩までてす。みなさんなら、次の森九段の一手、どう指されますか?