ソフトウェアー開発会社の管理職であるOさん(52歳)、検診データでガンマGTP2,643、死に直面した状態から奇跡的に生還、その秘密とは・・・。
2009年11月に開催されたツール・ド・南伊豆140kmに参加して7時間36分で見事完走されたOさんに、エンゾ早川氏から伝授されたロードバイク・バイブルについて詳しく聞いた。(インタビュー/文 戸塚真琴)
医者に「生きていることが不思議」と言われるほどの肝機能障害でした。
-先ず、「ガンマGTP値2,643」と検診された時のことについて教えてください。
2007年当時、身長168cm、体重が88kg、1日にタバコ60本、ウイスキーを2日で1本空けているような生活をしていました。
2007年12月、体調が悪くなって医者にかかったところ、驚くような検診データがでてきました。成人男子の平均値が50以下であり、100をこえたら病院に行って厳格な禁酒が必要で、500をこえたら黄疸など生命に危機的な状態、といわれているガンマGTP値が2,643だったのです。
医者に即入院を指示され、「生きているのが不思議です」と言われました(笑)。
入院するのは嫌だったので、翌日からキッパリ酒とタバコをやめ減量を決意しました。どちらもかなりひどいヘビーユーザーでしたが、かえってさっぱりやめることができました。
2008年7月にエンゾ早川著「まちがいだらけの自転車選び」を読みまして、私も茅ヶ崎に住んでいますので非常にその著者に興味がわいてきました。そこで11月頃からママチャリに乗ってお店に通い出したんです、私にとってはとても入りにくそうなお店で、とりあえず週に1~2回くらい顔だけ出す、といった日々が続きました。
そしてあるとき、勇気をもって「自転車を作ってもらいたいのですが・・・」と言ったら、「注文は年明けになるよ」とそっけない返事が返ってきました。半分、いや、ほとんど相手にされていない感じでした(笑)。それ以降も体重が70kg以下でなきゃダメ!と言われていたので必死になって体重を落としました。
そのころ、ママチャリで週2回くらい茅ヶ崎から熱海まで往復していました(笑。 お店でも「ママチャリで熱海まで行ってる変なオヤジ」として妙に評判になっていたようで、そんな熱意がエンゾ早川さんに伝わったのか、2009年1月ロードバイクの注文を受けて頂きました。そのころ体重は78kgまで落ちていました。
-新車が納車されてからトレーニングは変わりましたか?
2009年4月に新車が完成しました。しかし、その直後、落車して救急車で運ばれました。その事故の前後のことは完全に意識がなく、今でもよく覚えていませんが、集中治療室に入れられたようです。
そのときのMRI検査で脳に2mmくらいの動脈瘤が見つかりました。手術ができない場所なので担当医と相談して、しばらく様子を見ることにしました。今の私としては、「絶対に自転車で治してやる!」と気合い十分で、サイクリング中も心拍数を130拍にキープしながら、この動脈瘤が消えてなくなるのをイメージしながら、走っています。
エンゾ早川さんからもアドバイスをいただいていますが、私にとって心拍数を上げすぎないように走り続ける、ということは生死にかかわる重要なポイントで、新車が納入されてからはこの点を非常に意識するようになりました。
-最後になりましたがこの「エンゾ早川のロードバイク講習」への期待をお聞かせ下さい。
-ヨーロッパには「薬屋行く前に自転車屋に行け」ということわざがあるようですが・・・?
私も全く同感です、この1年間、自転車ダイエットに専念してきたおかげで、すべての身体データが劇的に向上しました。体重88kgが68kg(標準)に、中性脂肪が1,759から97(正常値)に、ガンマGTPが2,643から20(正常値)に、、、。最近、久しぶりに行った病院の担当医にこう言われました、「Oさん、以前はどんな病気でここに通っていたんでしたっけ?」。これであとは脳動脈瘤が跡形も消えてなくなっていれば・・・考えただけでもゾクゾクしているんです。
エンゾ早川さんの自転車ダイエットに関するアドバイスは実に「ソフト」なんです、休み休みできるものばかりでした、だからこんな私でも継続できたんだと思っています。その人その人に合った処方箋を書いてくれますのでとても信頼できました。ゆっくり、そして確実に自分のペースでやっていけますから、どこまでも安心してついて行けるような講習プログラムであると思っています。
心拍数を130にキープしながら完走した富士ヒルクラ
↓ Oさんの人間ドックの検診結果(ガンマGTP値2,643から23へ減少している)