Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
トマトは野菜か果物か、という古い論争がある。往時の米国でのこと、輸入野菜には10%の関税がかかるのに、果物は非課税だった。業者がトマトも果物だと訴えると、「デザートにならない」との理由で退けられたという。近刊『極楽トマト』(講談社)で知った▼サラダにしたり、小エビを詰めたり、なるほど、赤い実の役どころは前菜か付け合わせのようだ。蒸し暑い夕には、うんと冷やしたのに塩をふるだけでいい。皿の上の晴れ姿を思い描きながら、トマト2鉢をベランダで育ててきた▼赤いミニとオレンジ色の中玉である。黄色の花がしおれると、小さな青い実が残る。それが膨らみ、梅雨の盛りに次々と色づいた。休日の朝、起きがけにいくつか摘んだ。これ以上のもぎたてはない▼店頭の品より皮が厚いが、ほのかな甘みと酸味がうれしい。ひいき目で合格点とし、苗を下さった人に写真を添えてお知らせした。〈眠り足り朝のトマトの甘きこと〉浦部熾(おき)▼鉢や土への出費を思えば高価な粒となったものの、ささやかな自給自足に学んだことは多い。照れば葉が、降れば根が、吹けば実が気になる明け暮れ。〈オロオロアルキ〉の宮沢賢治である。農家には笑われようが、「食べる」の前にたくさんの「案じる」があると知った▼かなりの地方で一気に梅雨が明けた。農業では盛夏に備えて水をため込む時期ながら、頃合いというものを知らない雨のこと、深いつめ跡も残した。ほどなく「食べるだけ」に戻る身ではあるが、天変地異のない、しっかりした夏を願う。