【萬物相】つかこうへいこと金峰雄

 1999年に日本の大衆文化の輸入が許可され、ソウル・大学路の舞台で在日韓国人作家つかこうへいの『熱い波・女刑事物語』(原題『売春捜査官』)の公演が行われた。韓国の警察官ミン・ワンスと、彼のところへ捜査技法を学びに来た日本の刑事が登場する。二人は腹違いの兄弟だ。初めは育ってきた環境や経験の違いから激しい愛憎を示すが、弟が日本に戻るころ、思いを打ち明ける。

 「お兄さん、わたしたち在日韓国人は、言葉はできなくても、祖国を思う気持ちは韓国に住む人に少しも劣っていません。あなたたちには足りない人間に思われるかもしれませんが、わたしは日本で育った自分に誇りを持っています。また、わたしのような人間を今まで育ててくれた日本に礼を尽くして恩返しするのが、人間としての道理だと思います。お兄さん、『礼』というのはですね、人を許すということです。そして『義』というのは、未来に向かって共に夢見ることです」

 そのせりふの通り、在日韓国人2世のつかこうへいが祖国と日本に対して持っていた考えは、差別と抑圧と寂しさに苦労した父の世代とは違っていた。つかこうへいは1948年に九州で生まれ、慶応大学文学部フランス哲学科在学中に演劇の世界に飛び込んだ。大学時代、全学共闘会議(全共闘)の学生運動が激しかったが、「他人の家に間借りしている身分で、主人との争いに参加する必要があるのか」という考えから、演劇に没頭した。つかこうへいが巻き起こした演劇の新しい風は、「つかブーム」という言葉を生んだ。評論家らは、日本の演劇史を「つか以前」と「つか以後」に分けた。

 つかこうへいが本名「金峰雄(キム・ボンウン)」を日本で公にしたのは1990年、韓国を顧みて書いたエッセー集『娘に語る祖国』でだった。日本人の妻との間に生まれた4歳の娘に贈る文章の中で、つかこうへいは「ミナコ、祖国とはお前の美しさであり、母の一貫した優しさのようなものだ。母が父を愛するその熱さの中に、二人がお前を大切に思うまなざしの中に祖国はある」と書いた。

 韓国と日本の間で両方を愛し、二つの国を結ぶ懸け橋となろうとした金峰雄が数日前、日本でがんのため他界した。日本のメディアは、「戦後の日本の演劇を代表する大きな星があまりに早く沈んだ」と惜しんだ。つかこうへいは今年1月1日に書いた遺言状で、「これまでの身に余る厚意に感謝いたします。娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」と書いた。金峰雄を知る日本人は、彼を「韓国が日本にくれた贈り物」と呼んでいるという。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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