『ハウルの動く城』のわかりにくい所を補足してみる
今日もまた大量に発生するであろう「ハウル意味わからない難民」のために、優しい私が昔書いた解説を再掲しておいてあげよう。まぁ私見なんで、合ってるかはしらんけどな。
なんとなく見ていると実はなんだかよくわからない『ハウルの動く城』、そのわかりにくい部分を原作の内容と照らし合わせつつ補足してみよう。
●最大の罠は“実はソフィーにも魔力がある”という点
劇中では明確に描かれていないが、恐らくソフィーにも魔力かそれに相当する特殊な能力があると思われる。原作版のソフィーは“物に生命を宿らせる”力を持っていて、仕事中に帽子に話しかけては無意識の内に魔力の宿った帽子を出撃させ、荒地の魔女の怒りを買うといった描写があった。
また、劇場版においてもゴム人間が見える、倒れていた(元々は立っているだけだった)カカシが動けるようになる、カルシファーを手懐ける、最後にカルシファーを助ける(後述)等、原作版と同等の能力を持っているであろう故のシーンが多々見られるが、恐らくわざとこの点に関しては触れられていない。
どうして曖昧にしたのか明確な理由はわからないが、個人的には“結局はそれが運命であっても表向き普通っぽい女の子が奮闘する”方が宮崎アニメっぽいから、ということではないかという気がする。
●荒地の魔女がソフィーに呪いをかけた理由
前述の通り、原作版では魔力を行使した結果怒りを買うことになるのだが、劇場版ではその辺りが描かれていないため、単純にハウルと連れだって歩いていたことに対し、ハウルと特別な関係にあると誤解&嫉妬されただけと思われる。その点ではまったくもってとばっちりなのだが、結局は間違っていないっていう、おとぎ話ってステキ系。
“老婆になる”呪いをかけられた理由も不明だが、魔力によって仮初めの若さを保っている荒地の魔女が“老い”に対するコンプレックスを持っていて、「老いてしまえば(私と同じように)ハウルに相手にされなくなるだろう」という意味でかけたように思われる。老いて尚、乙女心は複雑だ。
●ハウルとカルシファーの契約とは?
そうだと言われて見れば確かにそうなのだが、カルシファーの正体は流れ星だ。そして、流れ星の仕様なのか、地上に墜ちると死んでしまうらしい。ソフィーが過去で見たのは、少年時代のハウルが地上に墜ちて死にそうになっていたカルシファーに自らの心臓を与えて助けたところ。
ただあげたのではなく、魔法使いであるハウルは生命の源たる心臓を貸すという“契約”を交わした訳で、その結果、彼は悪魔の魔力という人外にして強大な力を手に入れる。しかし、強すぎる力にはデメリットもあり、劇中でも描かれている通り、ハウルは魔力を使えば使うほど人間らしさを失っていく。これが外見だけ
の問題なのか精神的な部分も含めてなのかは不明だが、サリマンの危惧が事実なのであれば、最終的には完全な魔物になってしうのかもしれない。
また、あくまでも推測だが、サリマンが沼地の魔女の魔力を奪ったりソフィーを助けにきたハウルと対峙するシーンで元カルシファーと同タイプの流れ星悪魔たちが多数現れており、絶大な魔力を持つとされるサリマンも悪魔と契約しているかもしれない。
●ハウルの城の黒い扉はどこに繋がっているのか
開けた人間の“行きたい、行くべき、行かねばならない等の場所”に繋がっているっぽい。だからこそ、ソフィーはハウルを助けるために知る必要のある「過去」へ行けたのだと思われる。ただし、カルシファーの力を宿したリングがソフィーを扉(もしくは過去)に導いた理由は不明だ。たぶん、そうだと都合がいいからだろう。
●ソフィーの外見の変化と呪いの効果
荒地の魔女によって老いる呪いをかけられたソフィーだが、ストーリーが進むに従い、シーンによって外見(若さ)が変化するようになる。この解釈にも諸説あるが、原作版にない描写ということもあり、劇場版でも実際には外見は変わっていない説を支持したい。
ソフィーは派手で人当たりのいい妹と違い、若くして場末の帽子屋で隠居のような生活を送っており、老婆にされた後も意外にあっさりとこの事実を受け入れている。つまり、ソフィーの内面にはそもそも若々しさや前向きさはあまり無かったため、外見が老いたことによってむしろ精神的には自由になった(逃避や諦めの心理に根拠や正当性が与えられるため)といっていい。
若返るシーンに共通しているのは、楽しさ、前向きさ、現実と対峙しようとする強さ 等であり、その度合いが強いほど外見が若く戻る訳だが、戻った状態で「あれ、ちょっと若くなってない?」といったツッ込みを一切入れられていない点からも、あくまでもソフィーの心理状態を示す目安として若返るかのごとく描写されていると思われる。
唯一、サリマンに「随分若いお母さんだこと」と言われるシーンがあるのだが、彼女は魔法使いであるため参考にならない。
その点は同じ魔法使いであるハウルがソフィーが少女であることを最初から知っていればある程度の整合性は取れる訳だが、ハウルは寝ている時の若いソフィーを見ても驚いておらず、やはり最初からわかっていたと考える方が自然だ。
また、寝ている時に若返ることからも、ソフィーの老人度は自らの精神状態と無関係ではない(老化自体は呪いだが、それを許容している精神状態が存在する)=劇中での見た目的な老いの度合いは精神状態の表れ、と考えてよいのではないだろうか。
最終的にソフィーにかけられた呪いが解けたのか否かについては、判断する材料がないのと、ぶっちゃけどっちでも関係ない辺りでスルー推奨。
●ソフィーがカルシファーを持ち出し城を壊した理由
劇場版で最も観客を混乱させたのはこのシーンだろう。これも判断する根拠が劇中で与えられないため、意味がわかる人の方が珍しいのではないだろうか。
ハウルの城は魔除けやカモフラージュのために、そもそも動いている城本体とその中身が同じ場所にあるとは限らないのだが、劇中の引っ越しによって(恐らく序盤は動く城の中にあった)実質的な内部の居住空間がソフィーの生まれ故郷に移動し、逆に空襲の直接的な被害にあう危険に晒されてしまう。そのため、ハウル
は実質的な内部(物質的な居住空間)とその住人たち、そしてソフィーの生まれ育った街を守るために戦わざるを得なくなった。
で、ハウルが自分たちを守るために戦っていることを知ったソフィーは、引っ越しの効果(カルシファーの魔法の効力)が切れれば、魔法の力で街に置かれている居住空間が山でモッサリ移動している元の城の方に戻ると推測(しかも根拠なし)。カルシファーを城の外に持ち出し城にかかっている様々な魔法の効果を切ることでその実行に成功するが(結果オーライ)、魔法で成り立ち動いていた城自体もその物理的な状況を維持できずに崩壊してしまう。
城の一部を復活させて街に向かったのは、自分たちが安全になったことをハウルに伝えなければ彼が戦いを止めることができないと考えたため。
要はソフィーのゴキゲンを取ろうとして裏目に出ただけであり、引っ越さなければよかったっていう話だ。ちなみに、原作版には空襲も城を壊すシーンもない。「戦争はいくない」というメッセージ性を強めるために入れられた設定だろう。
●サリマンが戦争をやめようと思った理由
戦艦がボロボロになって港に帰ってくる、ソフィーの街が空襲を受ける(自国内へ敵軍の侵攻が拡大している)等、そもそもの戦況が思わしくないと伝わる描写は多々されており、元カカシの隣国王子が戦争終結の意向を持っていることが確認されたのを踏まえて、引き際を判断したと思われる。
もちろん、(多くの観客がそう受け取ったように)ハウルとソフィーのハッピーエンドだけを見て急にやめる気になった訳ではないのだろうが、お気に入りだったハウルが危惧していた魔人化から解放されたことや、フリーだった彼に恋人が出来たことは決して無関係ではないだろう。老いて尚、乙女心は(中略)だ。
●ソフィーだからこそ、ハウルを助けることが出来た
「ソフィーなら」と言われた通り、ソフィーだからこそハウルとカルシファーの間で交わされた契約を切り、更にカルシファーをも救うことができた。そもそも、死にそうだったカルシファーが生きているのはハウルの心臓に宿るという契約の賜物であり、ハウルを救うためにこれを解除すればカルシファーは死んでしまう。それが両方とも助かったのは、やはりソフィーに命を宿す力があったためと考えるのが自然だ。
つーか、原作版ではそう描かれているので、曖昧にされつつも劇場版でも結局はそうだったってことだろう。
●わかりやすく例えると「ハウルと動く城」は……
六本木と銀座の大物オーナーママ二人が金やコネを武器に歌舞伎町のナンバーワンホストに言い寄るものの、水商売の世界に飽き飽きしていた彼はキャンピングカーと4つの携帯を使い分けつつ、巧みに自由を貫いていた。ある日、彼は出勤途中に路地裏でヤクザに言いがかりをつけられていたさいたま市役所勤務の高卒女子公務員(18)を救う。その場はすぐに別れた二人だったが、人生に疲れていた彼女がなけなしのボーナスで豪遊をと訪れた店で偶然再会し、成り行きから
そのまま彼のキャンピングカーで一夜を共にする。初めは適当にあしらわれているように思えたが、地味ながらも汚れのないその純朴さが次第に彼の心を動かし
て……みたいな話だよな。