憂楽帳

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憂楽帳:別れの時間

 兄が死んだのは12年前の夏。36歳だった。くも膜下出血で倒れ、救急車で運ばれた。ほどなく、脳死を告げられた。

 顔色は悪くない。ただ眠っているように見えた。しかし、物々しい集中治療室の医療機器が、わたしたち家族を絶望的な気持ちにさせた。「どうして、うちの子なんだ」。父は涙を流した。義姉は「寝たきりのままでも、いい」と言った。しかし、意識は戻らない。

 日がたつにつれて少しずつ、体がやつれ、顔はやせ、薄くなったまぶたが開き始めた。最後はガーゼで覆った。

 「お義父(とう)さん、もう、いいです」。義姉が父に告げた。疲れ切った父もそのときは、もう、あきらめていた。

 「別れの時間をもらったのかな」。2週間の入院を、義姉は振り返った。

 きょう、改正臓器移植法が施行された。本人の提供意思が不明でも、家族の承諾だけで臓器提供が可能になった。あのとき、臓器提供の依頼を受けたら、父や義姉は「はい」と答えたかもしれない。悲しい別れが、誰かを助ける可能性につながるなんて、その時は想像もできなかった。【古田信二】

毎日新聞 2010年7月17日 12時24分

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