7月8日付長野版の根津八紘医師のコラム「ほーかい」を読んでいてふと思い出したが、私が生まれた時、母親は40歳だった。今や珍しくない話だし、不妊治療の限界という45歳にも至っていないが、三十数年前としては高齢出産の部類だろう。看護婦だった母親は私と姉の前に2人流産したので、逆にその2人が無事生まれていたら自分は居なかったかも、などと考えると不思議な気持ちになる。
記者に限らないが、現代、子どもを育てるのは一層の一大事になったと思う。共働きならなおさらだ。私の先輩の既婚の女性記者に子どもがいない人は結構いる。一方、後輩の女性記者が数年前、子どもが生まれて産休を取っていた。気がつけば自分も40歳まであと3年(男ですが)。子どもはいない。欲しいかは別として、当時の父母が何を思っていたのかくらいは、想像してみたくなる年齢になった。【松尾良】
毎日新聞 2010年7月17日 地方版