最終更新: 2010/07/17 07:41

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復興の岐路にあるアフリカ最大の国・スーダンの今を追いました。

世界中が熱狂し、スペインの劇的な優勝で幕を閉じた2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会。その開催国が、アフリカ大陸南端の南アフリカです。
そして同じ大陸の東部にあって、最大の面積を持つのがスーダンです。
豊かな資源に恵まれながら、内戦や紛争続きで長く破たん国家とされてきましたが、現地取材で目にしたのは、意外な光景の連続でした。
復興の岐路にあるスーダンの今を追いました。

さまざまな危機をよそに、成功裏に終わった2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会。
世界にアフリカの発展を見せつけた南アフリカ。
時を同じく、取材班が向かったもう1つのアフリカ、スーダン。
資源国といわれながら、内戦と虐殺に明け暮れてきたアフリカ最大の国で、今、何が始まっているのかを取材した。
アフリカ東部に位置するスーダンは人口およそ4,000万人、面積は日本のおよそ7倍もあり、アフリカ大陸最大の国家となっている。
今回、取材班はスーダン南部で最大の都市ジュバを訪ねた。
その市場を訪ねると、物がいっぱいあるが、そのほとんどが「メイド・イン・チャイナ」となっている。
市場にあふれるこうした中国製品は、スーダン北部から運び込まれたものだという。
近年、各地に有望な油田が発見されたことで、資源大国となったスーダンには、現在、中国が大きく入り込み、スーダンとの貿易では、第1位の相手国となっている。
活気づく市場、これはスーダンにつきまとっていた今までのイメージとはまったく違うものだった。
反政府的な住民20万人が殺害されたとされ、2003年、国際的に問題となった西部地域のダルフール紛争。
血塗られた歴史は、ほかにもある。
1980年代には、200万人以上が死亡し、住民400万人以上が国内外で難民となった南北内戦が発生した。
そして1990年代には、アルカイダのテロ事件にかかわったとして、アメリカはスーダンをミサイルで攻撃し、今もテロ支援国家としている。
だが、スーダン南部では2005年、20年以上続いた南北内戦が終結した。
2011年1月、住民投票で北部政権から独立を決めるとされる南部では、今、大きな変化が始まっているという。
地元紙シチズンデイリーのニハル・ボール編集長は「かつては1週間に1度しか飛行機のフライトがなかったが、今では20ものフライトがあります。インフラ建設が行われているのを見かけるでしょう」と話した。
独立をにらみ、輸送道路の整備が急ピッチで進んでいる。
これは北部に頼らない新たな物流ルートの開発。
整備が間に合わない橋の付近では渋滞が発生するなど、多くの人と物が都市へ向かっている。
バスから降りた商人は「フルーツを売っているんだ。以前より景気はいいよ」と話した。
加速する復興特需の一方で、人々はどう生活しているのか。
2005年前後、スーダンに戻った帰還難民の暮らす小さな伝統的な家々を訪ねた。
ここでは、雑穀を原料にしたようなお酒がつくられていた。
日本円にして1瓶40円程度で、違法なものではないという。
今、帰還難民の女性たちの間では、国連の援助団体の支援を受けた、小規模な商売が盛んに行われていた。
サイモン・フローラさんも1989年、内戦から隣国ウガンダに逃れた1人。
帰還難民のサイモン・フローラさんは「難民キャンプでの生活は大変で、殺人もたくさん起こっていました。昼間でも人が死んでいました。みんな苦しみながら亡くなっていったんです」と話した。
帰還した今は、こうした小さな飲食店で、家族と生活ができるようになっているという。
そして一部には、こうした商売や出稼ぎ家族の成功で、携帯電話を所有できるまでになった女性もいる。
最近、新築したという家を見せてもらった。
家は一間程度で、電気がないため家の中には電化製品は一切なく、煮炊きも家の中ではなくて外でやることになっている。
夫は現在、出稼ぎ中だという。
子どもと暮らすこの女性は、次に農業を手がけたいという。
南部スーダンが手にした平和の配当は、育ち始めたばかり。

(07/17 01:55)


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