2010-04-03
■表現は是認である。
反対派が争っているのは性的な表現の正当性であり、犯罪神話の誤解を解くこと。
そして表現の自由、ひいては国民全体の言論の自由です。
しかし賛成派の争っている場所は
「架空の人物だろうが
子どもに性的な興味を
抱く人間の滅亡」
です。
争っている場所が全く違うのです。
全く違わない。と学会会長のようなバカは別として、オツムが正常に機能しているまともな人間は賛成反対を問わず最初から犯罪神話など信じていない。表現の自由や言論の自由についても、賛成派は疑っていない。賛成派が争っている場所は、「性的な表現の正当性」である。よくもまあ、こんなことを公の場でいけしゃあしゃあと言えたものだ。子どもに性的な興味を抱く人間による幼児虐待や婦女子陵辱、輪姦、人身売買、四肢切断その他諸々のどこに正当性があると言うのか。説明してみい、糞戯けが。ポンコツにも程がある。
フィクションだから、二次元だから、CGだから、ゲームだから、架空の人物だから、現実に被害者はいないからなどという戯言は通用しない。何故なら、表現の容認は是認であるからだ。幼児虐待や婦女子陵辱を表現することは、それ自体がその行為を是認している。だから規制しようという動きが生まれるのは当然なのである。
日常生活において我々が目にするものの多くは、社会的に是認されたものである。新聞やTVにおいて韓国人差別は表現されない。表現されるとしたら、それは批判の意味をもってでしかない。差別は是認されていないからである。もしもあらゆるメディアにおいてそれが表現されたならば、我々はそれを是認されたものとして受け取り、自分でも口にし始める。それを是認するようになる。
表現は、それ自体が是認である。光と影を描いた、後に印象派と呼ばれる画家達はその表現を是認していた。だからこそ、それを描いたのである。当初それは否認されたが後に是認された。だから教科書に載っているのである。だから美術館に展示されているのである。Child AbuseやRapeを楽しむ作品を教科書に載せたりメディアが大っぴらに表現すれば、人はそれを是認されたものと受け取る。ロリコン漫画みてロリコンに目覚め、陵辱表現みて陵辱に目覚める。そこに載せること、表現すること自体が、それを是認した証左となる。だから、現実の被害者などいなくとも幼児虐待や婦女子陵辱、その他のあからさまな性的表現は規制の対象とされるのである。それらは社会的に是認されていないからだ。反社会的行為として否認されているからだ。それがいずれ現実の被害者を生む可能性があると思われているからだ。是認されていれば、それを実行する者が出てくるのは当然の成り行きである。そうでなければ、そもそも規制して隠す意味などない。そんなことはちょっと考えれば分かることだ。
公道を裸で歩くと公序良俗に反するとして逮捕される。是認されていないからである。家の中では好きなだけ裸でいても社会的には問題とされない。表現ではないからである。ポルノも「公道」では是認されていない。それが是認されるのはQuality PaperやTVではなく、TSUTAYAの18禁コーナーなど、もう少し「アングラ」な場所においてである。必要悪であると看做されているからだ。国語の教科書に載るのも既に是認されたものである。それは公けにして良いもの、教育に使用しても良いもの、子供に与えても良いと判断されたものである。もしも動物を擬人化することが社会的に否認されていたならば『吾輩は猫である』は教科書に載らない。Dr.Dolittleも同様である。大半の絵本も出版禁止となる。そうでないのは、動物を擬人化することを否認する理由は特に見つからないからである。古典の教科書に掲載された源氏物語も同じである。平安時代のPlayboyの痴態などRealityを持たないからだ。文学的価値の方を優先しても構わないと判断されているからだ。
規制反対派の多くが表現の自由と頒布の自由を混同している。現在、韓国人差別は許容されていないが、米国人差別(Yankee)は戦時中に是認されていた。敵国だったからである。同様に、規制に反対するなら表現の自由などという取って付けたフレーズを振り翳して悦に入るような愚を犯す暇に、幼児虐待や婦女子陵辱、輪姦、人身売買、四肢切断その他諸々の悪行が社会的に容認されるまで運動を貫徹すべきである。それらを教科書に載せても問題ないという根拠を示すべきである。子どもに性的な興味を抱くような「性的な表現の正当性」を明らかにすべきである。性の意味もまだ理解できない幼児に悪戯を働いてTraumaを与えることにどんな「正当性」があるのかを説明すべきである。
表現の自由を抗弁とするなら、Zoningがしっかり実行されていることを証明すれば事足りる。十数年前に規制されたにも拘らず、いつの間にか再び氾濫してしまったかのように見える性的表現をもう一度制限しようという動き自体はごく自然な成り行きに過ぎない。
しつこく繰り返すが、表現はそれ自体が是認を伴っている。この点を無視したまま
表現の自由を主張したり被害者の有無を問題にしたりするから、規制反対派の言論は説得力を持たないのである。
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