index  >>> エッセー

ノスタルジーについて(1)

いずれ逃れられない問題ではあった。かえって20代の今、こんなことにとらわれてい るのは不幸なことかもしれないし、実はあんたの考えていることなんてノスタルジーでもなんでもないんじゃないのと問われてもよくわからない。

ただ、苦しいのはわかっている。それがきっと現在の否定がひっくり返って過去の絶対的な肯定になっているのだと思うと、結局はノスタルジーについて考える ことが現在を生き生きとさせるはずだというもくろみが立つ。とりあえず今はそれを信じて書き進めていきたい。

例によって例による。引用は霜栄『生と自己とスタイルと』から。

 ノスタルジーとは過去の特権化であり物語〈ドラマ〉化だ。
 ノスタルジーに惑わされるとき、僕らは生きることが不定であり不安定であることをうっかりしっかり忘れてしまう。

それは現在という瞬間の持つゆらぎを過去からの照射によって殺してしまう行為だ。これまでぼくはこんな人生を送ってきた、したがって(ああ、この接続詞の 罪なること!)これからもぼくはこのような人生を送っていくだろう、という勝手な思い込み。それがどれだけの可能性の芽を摘んでいることだろう。

百歩譲って、それが甘美なものであると当人が思い込んでいるのならばぼくは何も言えまい。もしかしたら「彼」はその物語を成立させるためにあらゆる努力を 払ってきたのかもしれないし、物語によって人生を立て直す方法も(パトリス・ジュリアン『物語の主人公になる方法』しかり、榎本博明『"ほんとうの自分" のつくり方』しかり)世の中にはたくさんあるし、テレビのスイッチをひねり街に売られている漫画雑誌を開けば物語に対する強烈な飢渇感を反映している。そ れが悪いことだとは思わない。

けれど、それが自分の人生と重ね合わせられた時、きっとぼくたちが取り逃がすのは過去の瞬間瞬間においてもなお生きることの不安定さを確かに感じていたと いうそのこと。過去になされてきた一つ一つの選択が必然性という物語によって結ばれた時の快感はわかる。それは何十年かの人生を肯定する力を充分に持って いる。でもそれが一つの虚構であることを忘れてはならない。語られ方の可能性は他にもいくらでもあるのだから。

……このことは何度かこれまで述べてきたこと。

あらためて、ノスタルジーの問題。

それでもぼくたちは何度も足をとらわれる。昔は良かった、あの頃が一番輝いていた、という懐古趣味。俺が子どものころは、俺が学生の時は、という武勇伝。 ひたすら安定を求め、明日も明後日も変わらぬ日々が続くとぬけぬけと信じ切ってしまう。ノスタルジーを抱え込んだ時、あなたの人生は余生に変わる。

優れた小説家はしかし、ノスタルジーと感傷とが違うことを教えてくれている。以下は保坂和志「夏の終わりの林の中」(新潮文庫『この人の閾』所収)からの 引用だ。

子どもの頃の風景、あるいは記憶にだけ残された風景というようなノスタルジックで情緒的なものは、よく知っている者 同士のあいだでしか意味がないものなんじゃないかと思った。思い出している風景が二人同じものだと思わなければきっと意味がない。

早稲田大学現 代文学会はこれをしてノスタルジーを「個人的な記憶を情緒的に思い出すこと」と定義づける。確かにこれはあたっていて、ノスタルジーとは どこまで行っても赤の他人とは共有されないきわめて閉鎖的な感覚だ。だからこそ扱いが難しい。他人がずかずかと土足で入って来られない場所。神聖不可侵の それは「いまここ」という外界に嵐が吹き荒れれば荒れるほど固く閉ざされ大切に大切に守られる。

守る姿も美しいかもしれない。守りながら立ち向かう姿も尊いかもしれない。でも、あいにくぼくはそういう美意識を捨てたいと願うことでこの文章を書き続け るしかない。悲壮感はナルシシズムに回収される。自分から一ミリも外に出ないのはやはり醜悪だ。

さて「夏の終わりの林の中」では感傷について次のように語られる。実はこれがすごく救いのある話なのだ。

秋になって感傷的な気分になるわけは、そこに何か感傷的にさせるものがあるわけではなく、思い出が増えたからでもな く、たんに習い性とか条件反射のようなもので、〔中略〕感傷を感じるのは中身ではなくて、むしろ型の働きによるんじゃないか〔後略〕

うんと短くまとめるなら、感傷とは外的要因によるってこと? 季節の変わり目にに人は心を揺り動かされる、風邪なんかひいたりして。一日の中でもそうだ、 朝日や夕日というあわいの風景はぼくたちの心を動かす。それはやはり自身の過去を懐かしむ心持ちとは違う。

もっともこれは「感傷」という言葉の持つ一部分の意味だろう。ただし、ここで明らかにしたいのはぼくが問題にしているノスタルジーや感傷の意味を明らかに すること。外堀を埋めるという作業と思ってもらえればいい。

とりあえず第一回はこんなところで。参考文献を読みます。以後、ノリは卒論製作風味になるやもしれません。


05/10/02

もどる

 ご意見ご感想等ございましたら
hidari_ko@yahoo.co.jpまでお気軽にどう ぞ