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[20300] ここにいる
Name: にく◆e51d9fa2 ID:927103a7
Date: 2010/07/14 21:35
まえがき


初めまして、にくと申します。
今回初めて作品を書かせていただきました。
表現力は自分でも未熟だと分かっていますので、批評とかいただければうれしいです。

とりあえず、最後まで完結することを目標に頑張っていこうと思うので、適当に見守ってください。


6/21 加筆・数話統合
7/14オリジナル板へ移動、不具合修正の為再投稿


__________________________________________________________________________________________________________








端麗華奢な顔、開かられた瞳からは緋赤の雫。唇からは、膨大な怨みが溢れだす


同胞はただ一人の例外無く、平等に命を奪われ、ただ一人の例外無く、不平等に違う殺され方をした。


『私達がっ・・・・・・何をした。私達がお前達に何をした!!』


首の置かれた断頭台。歓喜に満ちた怒号の嵐。それは大気を揺らし、大地を焦がした。

転がる骸は塔となり、その肉塊が街を装飾する。生者が纏うは血染めの衣。まだ乾かぬそれは、色鮮やかに照りつける。

流れる川を紅に染めるのは、燃え盛る火炎か――――それとも

脳漿の泥の果て
臓物の道を越え
枯骨の樹林に彩られた
鮮血の地獄の中心で
黒い、深淵よりなお濃い暗闇を纏った最後の存在は、呪いの詩を吐き出した。



『・・・・・・流れる必要の無い血が流れた。・・・・・・幾万の命が散った。

 いいか!!この惨劇を選んだのは貴様らだ!!

 私は忘れぬぞ!!貴様らの踏み躙った悲鳴の音色を!!たとえ、この魂が悠久を廻り果てたとしてもその色を、その形を、この痛みを、私は覚えていよう!!

 ああ、私達は“禍根”だ。貴様らにとって災禍の根となる存在だ。貴様らとは相容れぬ存在だ。

 

 忘れるな“人間”!!』



何一つ混ざりけのない純粋な、真っ黒な憎悪が声を震わせ、心底を呑み込む。


世界の全てを引き摺るような狂顔で、全ての呪詛を籠めてこの世界の全ての“人間”に向けて放った。





    “私は人間を赦さない”







その日、一つの王国が瓦礫に埋もれた。















――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



意識が浮上する。もう朝なのだろう、閉じているはずの目に刺すような日の光。
が、しかしそれは、いつもよりやたらと強い気がした。
それに妙に背中が痛い・・・。とりあえず、起きよう。

だが、



「・・・・・・はっ?」


意味が分からない。頭が機能しない。正常ではない。あまりに理不尽だった。
目を開いた僕の目の前には、いつも通りの天井ではなかった。
・・・・・・あったのは、ただ一片の曇りのない晴天。見上げた先の太陽は、苛烈な光で僕の目を焼く。

「夢っ・・・・・・ってわけでもないか」

呟いて確認した。茹だる様な暑さに、降り注ぐ光、そして、どこかで聞いたことがあるような虫の音。
夢にしてははっきりし過ぎている。触覚、視覚、聴覚、ついでに言えば土臭い匂いも鼻を刺激している。

「・・・で、ここはどこだ?」

辺りを見回しても、あるのは鬱蒼と生い茂る木、木、木。誰がどう見ても森の中だった。
どうして、こんなところにいるのか見当がつかない・・・。
昨夜は、特に記憶に残るだろうという出来事もなく学校を終え、友人の少ない僕は寄り道をすることなく帰宅した。
後はいつも通り夕食を作り、風呂に入り、まだ読破の途中であった本を読んで床についた。
そこまでを思い出し、当たり前のように、こんな自然に取り残される理由が無いことを確認する。
若干の眠気を引きずって、霞がかっていたはずの思考も、いつのまにか覚醒していた。
額から滲み出る汗を拭い、日の光を避けるために、木陰に移動する。

「なんで、こんなところに。

 誰かに連れて来られた・・・・・・?意味がない。

 自分で気付かずにここまで来た?それこそありえない・・・・・・か」

考えたところで、回答が存在しないことは解っていた。それでも、この不条理に対して自分なりに対応しようとしていたのだろう。
明らかに独り言が多かった。
しばらくその場に留まって、思考を巡らしていたが、腹が空腹を訴えてきたので、街中に戻るため、道を求めて移動することにした。









二時間ほどさ迷っていたが、少しも人の手がはいった場所を見つけられなく、自分の考えの甘さに、そろそろ焦りが出てくる。
どうするか・・・・・・。このまま人里に辿り着かなかったら、空腹で倒れるかもしれない。
思考が後ろ向きになり始めた。想像出来る未来は、少しも希望をくれない。
ちょうどその時、人の叫び声らしきものが聞こえた。

「はっ!」

人がいる。
他人がいることが苦手な普段の僕なら、逆にそのことは忌避することなのに、今は違う。
助かった!ただ、今の状況を打開しえる可能性をみつけ、興奮し、顔には笑みを浮かべる。

速く、速く、速く・・・・・・、

  一秒でも早く、その声のもとに辿りくんだ。

その想いを抑えようともせずに、木々の合間を抜け、枝に引っ掛かり傷つくことを気にも留めず駆ける。
そして、ついに辿り着く・・・・。
そこには確かに求めていた人間の姿が存在した。
が、存在しえないモノも姿を見せる・・・。
それを見た瞬間、思考は停止、体は機能しなくなった。

なんだ・・・・・・、あれは。

ソレは化け物だった・・・。地球上に存在するはずのない異質、見ているだけで吐き気を催す、人類の天敵。
あれはいてはいけないもの・・・・・・・
高さは二メートル、横に四メートルほど。狼をそのまま大きくしたような外見。
だが、大きく見開かれている真っ赤な瞳。閉じることを知らないように涎を垂れ流し、獲物を引き千切ることに特化した牙の並ぶ口。
それはありえない恐怖を、捕食されるという、常に反対の立場であったはずの人に与えた。

そんな存在と、そこにいた人間は闘っていた。短く刈り上げられた頭に、無造作にはやしている髭。

年齢は三十代くらいだが、少々厳つい風貌であった。眼光は鋭く、目に見えぬ威圧感を醸し出している。
しかし、明らかに格好がおかしい。ゲームに出てくるような、なんらかの皮で出来ているであろう胸当てを付け、腕には籠手を付けている。

極め付けに両手には・・・・、剣を握っている。

鑑賞用に装飾のほどこされたものではなく、実戦を想定しているであろう、刀身の幅が広い無骨な剣である。
それで、すでに何体か斬り捨てたのだろう、刀身が赤く染まっていた。
辺りには、あの化け物の仲間であったであろう死体が二つあった。
あの男以外人がいないことから、たった一人で片付けたのだろう。

命の奪い合い。剥き出しの闘争本能。生きるために相手を殺す。

平和な日本で生きてきた僕には、その光景を前に、恐怖しか感じなかった。

冗談じゃない・・・・・・!
起きたら訳の解らないところにいて、人がいたと思ったら、見たことない化け物と闘っている始末。

こんなところにいられるか!!

先程とは逆に、一秒でも早くこの場を離れたかった。しかし、体は言うことを聞かない。

―――あの化け物の気付かれる前に消えないと・・・・・・。

気持ちだけが空回る。


男の横薙ぎの斬撃を化け物は、獣らしい動きで後ろに跳躍してかわした。
男はそれを追うことなく、剣を青眼に構え相手の出方を窺う。
化け物も下手に飛び込めば、あの剣で貫かれることを解っているのだろう、数メートルほど距離を保っている。
戦況は膠着していた。お互いに相手を食らう機会を待っている。
化物の身体の底に響く低い唸り声が、僕の心を揺さ振る。

そんな光景を前に僕は、未だ体の機能を取り戻そうと必死だった。

微かに指先が動いた・・・・・・。

―――いける・・・!!

ゆっくり左足を引き、そのまま振り返って走り去ろう・・・・・・。


「へっ?」


我ながら間抜けな声が出た。

地面が迫る。

気付いたらうつ伏せに倒れていた。

まずい、・・・・・・気付かれた!?

足元に木の根があることに気付かずに進もうとしたため、足を引っかけたみたいだ。
それだけなら良かったが倒れていくなか、体を枝に引っ掛けてしまった。
そして枝が揺れ、間違いなくあいつに僕の存在を知らせてしまった。

最悪だ・・・!!


「なっ、逃げろ!」


先程まで闘っていた男のものらしい叫び声が聞こえた。
急いで振り向いた先には、すでにそこまで迫っている化け物の姿があった。
それを必死に追っているが、確実に離されている男。
それを見て、悟った・・・。


―――助からない・・・・・・。ここで、あいつに喰われる・・・・・・。


迫りくる死。ただそれを見ているしかなかった。
体に続いて頭の機能も停止した。もう思考さえ働かない。
化け物の顔はもう目の前にある。
その大きく開けた口は、まるで、獲物を食らうことが出来ることがうれしくて仕方がない、といった様に見えた。
ゆっくり相手の牙が近づいてくる・・・・・・。その光景を最後まで見続けることなく目を閉じた。


最後に感じたのは、何かが弾ける音とともに、暖かい液体が体を包む感触と、男の驚いたような声であった・・・。












「いたっ…い…―――――――ごめんなさい……、ご…めん」

あの人はただ機械的に繰り返す。その行為に意味なんてなかったのだろう。たとえあったとしても、僕には解らない……。

狂ったように、まるでそれが当然かの如く。

あの頃の僕は終わっていた。繰り返される暴力。救いのない毎日。幼いながら絶望を感じていた。
守ってくれるはずの存在が傷つける存在であったこと、助けを求めることなんて出来るはずもなかった。
誰かに縋ることなく、ただ只管に耐えるだけの日々。何かが狂っていた当たり前(・・・・)のサイクル

――――それでも、願っていた。

        もう一度僕に笑いかけてくれることを――――


結局、そんな当たり前の願いは、叶うことなんてなかったのだけれども。


――――そんな、忘れたくても忘れられない、きっと……
   
    今の僕にとって、最も記憶に残っている記録の一ページ――――








小学校に上がった時ぐらいだろうか?ある日、突然母親が消えた……。


以前から両親の仲は冷え切っていて、気付けば言い争っていることが多かった。殺気だった罵声が飛び交い、時には物が飛び交うことすらあった。
二人は、今まで僕が見たこともない様な顔と声で互いを罵り合い、まるで変わり果てた別のイキモノみたいに見えた。
今は鮮明にはその顔を思い出せないが、とても醜いものだったに違いない。
幼い自分には、当然の様に仲の良い筈と思っていた二人が争う姿は、恐怖しか生み出さない。
どうしてそうなったかなんて、解らない……。
両親の間に僕の知らない何かがあったことは容易に想像が出来るが、結局それが何だったのかは今でも分からないし、……知りたいとも思わないが。
そんな二人が顔を合わせている時、僕はそこに近づかないようにしていた。
与えられていた小さな、それでも幼い自分には十分大きな部屋に閉じ籠って、扉の向こうから聴こえてくる、自分に向けられてもいない怒鳴り声にびくびくと怯える日々。


毎日、毎日飽きもせず、お互いを罵り合うことが決まりごとのように繰り返す。

日に日に埋もれていく家族の絆と、僕の人格。

だんだんと澱んで腐ってゆく三人の世界。


何もかも幸せだった記憶は遠い過去の残照として煌々として、今の現実が何度、悪夢であれば良かったと願ったことか……。
そして、いくつか存在しうる終わりに辿り着くのも、出来損ないの台本通り。
気の遠くなる感覚の果て、その関係は修復されることなく、気付けば終わりを告げていた。

朝、目が覚めて扉を開くと、独りテーブルで項垂れる父親の姿。
何時まで経っても姿を見せない母親。
疲れ切って擦れた声であの人は呟いた。

『出て行った』と。




それからだろう、あの人が変わったのは――――――――

「えっ……?」

それは突然すぎた……。
始めは訳が分からなかった。あの人が叩いて僕を叱る時は、決まって僕が悪いことをした時だけだったから。

――――何か悪いことをしてしまったんだ……。

僕が謝ればあの人は笑って頭を撫でてくれた。

とにかく謝った。許して欲しくて……、頭を撫でてほしくて……。

そんな僕を見て、まるで感情なんて捨て去ってしまったかのように、能面のような顔で再び腕を振り上げた……。

肉を打つ音が室内に消えて行く。

それから毎晩その行為は行われた。仕事から帰ってくると、あの人はそれ以外することがないかのように、酒を飲む。
そして、顔に赤みがさしきた頃に僕の名前を静かに呼ぶのだ。母親に向けられた、憎しみの籠もった言葉が怖くて、僕は従順にあの人の意思に従った。そして次の動作は決まっている。当たり前のように僕を打つ。

人間とは学ぶ生き物である、良い方向にも悪い方向にも。
三日程そんな日が続けば、やがて僕も理解した。僕を呼ぶ時はあの人が叩く為、だから……父親の呼ぶ声を無視して、布団に包まって寝たふりをしてみたりした。


『起きてるんだろ?』


呂律の怪しい言葉は正常さが感じられず、やたらと鼓膜を打つ不規則な足音に、扉を開く大きな音。そして、震える僕を隠していた布団を剥ぐ。

外気に晒され、目を開くその先には……得体の知れないナニカ。

窓の外から差し込む月光に、歪な双眸が耀いて脳裏に張り付いて離れない。
言葉は無く、とても重そうに腕を振り上げる父の姿。

―――痛みは間違いなく、今まで以上に苛烈だった

“そうか、これは悪いことなんだ”


そして、僕は“痛み”の少ない方を選んだ。

呼ばれてはただ黙って従い歯を食いしばって耐え、時には痛みに泣き叫んだりもした。それでも、暴力は止むことがなく延々と続く作業と何ら変わりは無くなった。


どうしてそんな日々に耐えられたのか、……たぶん信じていたのだろう。いつか再びあの人が、厳しくも優しくて暖かい、幸せな日々だったあの頃の様に戻ってくれると。
愚かにもそれを盲信して、明日にはこの悪いユメが終わっていることを願いながら眠りに着くことが、何時の間にかの習慣になっていた。
幼い自分はそうやって現実から逃げては、必死に自分を保つしかなかった。……それがたとえ言葉にも出来ない、自分すら信じ込ませることが出来ない空想だとしても。


そんな日々が半年ほど続いたが、どうすることも出来なかった。ただ、それを耐える日々。
例えば児童相談所にでも駆けこめば、すぐにあの人から離されて、僕は一時の平穏を得ただろう。
しかし、当時の僕にはそんな知識は当然無かった。
近所の住人が、時折痛みに耐えられず喚き散らした叫び声に気付き、警察に連絡することだってありえたかもしれない。
だが、僕の家から隣の家まで少し離れていたため、僕の上げる泣き声は聞こえてなかったのだろうか、近隣の住人が駆けつけてくれることもなかった。
また、僕にとって幸いだったのか、不幸だったのかも分からないが、あの人は僕の顔だけは絶対に殴ろうとはしなかった。それに、一応の手加減はしていたのだろう、体の内部にまで影響の出る程の怪我もなかった。
故に、僕個人の外観からその行為が誰かしらに露見することもなかった。
それでも、いつも独り風呂に入っては、体中に新しく出来た不細工な青痣を見詰めて、その痛みと辛さに涙を零しそうになってしまったのは……仕方のない事。

そんな毎日は僕を歪めていく。

そのころの僕は、いつも下を向いて何かに怯えた様に背中を丸めていた。
学校でも、クラスメートに話かけられても碌に返事もしなかった。心の中ではもっと教室の中のみんなと触れ合いたいと願っているのに、思うだけで何も出来なかった。
……長く続いてしまった家庭の不和の影響で、友人との会話、どんな事を話せばいいのか、どんな風に笑えばいいのか、どう遊べばいいのかさえも分からなくなって、忘れてしまっていた。
そんな僕のポジションは、所謂、クラスに一人はいる暗くて鈍くさくてどうでもいい奴といったところだろう。

そして、当然の結果として孤立していく。

そんな僕は虐めの格好の獲物だった。
いじめを受けた僕はただ謝ることしかしない。その様子を始めはおもしろがっていた連中も、次第に飽きたのかいつの間にか虐めもなくなっていた。

憎いとは思わなかった。ただ、羨ましかった。群れることのできる彼らが……、放課後に友人で集まって校庭を駆け回り、笑顔を浮かべる、幸せそうな景色が……。

それが手の届かないところにあると思っていた。




学校が休みの日、家から近くの公園で一人ブランコに座っていた。家にはあの人がいたからだ。あの時の僕が休める場所は、本来そうあるべき場所は既に在り方が真逆になっていて、それ以外の場所なら本当に何所でも良かった。
とりあえず、することもなかった僕はひたすらブランコを漕いでいた。飽きもせずに足を振り、体をその揺れに任せ頭は空っぽにして。

ある日、たった一人そんなことをしている僕に興味をもったのだろう、声を掛けてきた者がいた。子供らしい無垢な、太陽みたいな笑顔を振り翳して、『楽しい?』と。……今思えば残酷な言葉だ。楽しさの片鱗も出していない筈なのに、純粋過ぎる疑問が辛い。
その時僕は、たぶん首を横にでも振ったのだと思う。


その出会いは、救いだった。


あいつは、一人だった理由を問うことはしなかった、ただ一緒に遊ぼうと言って。
どう反応すればいいか分からないまま、戸惑っていた僕の手を取って走り出した。
子供らしい突発的な行動。……そのらしさに僕は救われた。
やがて、そんな自分の感情は様変わりしていく。
気付けば久しぶりに笑っている自分。純粋に楽しかった。憧れていたものがこうも簡単に手に入ったこと、こんなにも簡単に夢が叶うなんて信じられなかった。

誰かと遊ぶ、そんなことを……。

遊び疲れ果て、ぐったりしながら笑い合った青空の下は、信じられないくらいに綺麗な思い出として僕の中に鮮明に息づく。
それでも時間が経てば、別れは必然。笑いながら『そろそろ帰る』と言ったあいつの言葉は、永遠の別れの気がして情けなく俯く僕。
そして、当然の様に僕に言葉を放った。

『また“明日”』



その日、布団の奥底で痛む右腕を押さえながら、暗い暗い部屋の真ん中で明日の事を思って、抑えられない興奮をひっそりと隠しながら眠りに着いた。


それから、ほとんどの日々を彼と過ごしていたと思う。
相も変わらず、父親からの暴力があったが、それでもあいつといる時は笑うことが出来た。




そんな日々は始まりと同様に、突然に終わりを告げる。




ある日、遺骨となって帰ってきた……あの人。

交通事故に巻き込まれたという。詳細は僕が幼かったことから、詳しくは聞かされなかった。
慌ただしく親戚がその後の処理をしてくれている中、呆然とそれを見ていることしか出来なかった僕は思った。


――――あの地獄が終わったんだ。


その後、両親の居なくなった僕は、祖父と祖母に引き取られた。あの人の親だ。少々鋭い目付きの祖父と優しそうな顔つきに冷めた表情を張り付けた 祖母。初めて見る(・・・・・)二人の顔は、僕の事を邪魔だと言っていた。最後まで言葉に出されることはなかったが、あの二人は間違いなく僕を疎んでいたと思う。

結局、そこに居場所はなかった。

もともと、両親は駆け落ち同然に結婚した。そんな息子を快く思っていなかった祖父と祖母は、僕に対して冷たかった。
最低限の世話をして、必要以上の干渉は避ける。別にそれでも構わなかった。本当にどうでもよかった。
単純なことである。つまり、暴力を振われることが無かったからだ。

こうして僕は、平穏と呼べる暮らしを手に入れた。





過去の親の虐待という経験から、僕は人とコミュニケーションをとるのが下手になっていた。今ではそれも多少なりとも改善はされたが、内向的な性格に卑屈さを孕んだ性格は変わらない。
それでも、あいつは僕と一緒にいてくれた。

それから数年、高校に入学してから祖父が亡くなり、後を追うように一年後祖母は亡くなった。

それが、つい一ヶ月前の話。





懐かしい夢を見ていた気がする……。

ぱちぱちと弾けるような音と、微かに聞こえる話声。それと妙に硬い背中の感触。……ほんの前にも、同じことを考えたようなちょっとした既視感。
目を開けて、体を起こした。やたらとだるいし、どうも記憶が曖昧である。
すぐさま現状の把握に取り掛かる。重い瞼を精一杯開き、鈍痛のやまない額を押さえながら、明暗の境界に目を凝らす。

先程の音は、目の前で燃えている焚火のもののようだ。焚火なんて、学校の行事でいった、キャンプで見たきりだったと思う。その赤を意識すると、温い熱気が頬を撫でているような気がしてきた。
焚火が辺りを照らし出す。
周囲に乱立する木々の影、その奥はぽっかりと空いた様な全てを飲み込んだ暗闇が広がっていて、まるで、僕の居る場所だけが取り残されたような寂寥感を感じさせる。
そして、火の向こう側に二人分の人の姿。小柄と大柄が少しの距離をとって並ぶ光景。
向こうは僕が起きたことに気付いていないのだろう、虫の音に混じって話し声が耳に届いて来る。

小柄な人物は僕より3、4歳下と思われる少女。肩口に切り揃えられているブラウンの髪。前髪は中央から対照的に左右に流して、小さなおでこがひっそり露わになっている。
どう見ても日本人には見えない顔立ちに、それはよく似合っていて、映像の向こう側の人形みたいに思えた。
顔立ちはかわいいというより綺麗な印象。輪郭が少々鋭利で、その目が怜悧な雰囲気であるからだろう。
それでも、その少女の顔が整っていることにかわりはない。

そんな風に目の前の人物を評価していると……、

「おっ!目を覚ましたか?」

鼓膜を確かに揺らすような、低く良く透る声で、隣にいた人物が声をかけてきた。気付けば二人ともこちらを見ている。

「調子はどうだ?」

此方を気遣う穏やかな色合いに心を落ち着けながら、その音の発信源へと視線を向けると、
その顔に見覚えがあるのに気がつく。
呆けた様に、どこで会ったのだろうか?と考えていく中思い出した。

―――― 化け物と闘っていた人

そして、思い出した。僕は正体不明の化け物に喰われたはず、そう……その筈なのだが……。
先程の恐怖を思い出し、僕はひどく混乱してしまった。あの濃密な死の気配は確かにリアルで、逃げられない筈だっだのに。

死んだのに、生きている

その矛盾がとても僕の思考を惑わせる。目の前の二人の存在も忘れて、意味もなく右手を見詰めては開いたり握ってみたりして、肉体を確かめてみる。
それで何かが変わることもないし、分かったことは生きている感覚はしているということ。
だったら、あの化け物は僕の妄想?それとも幻覚の類?見知らぬ土地に放り出され、追い詰められた僕が勝手に見た物なのか。
考えはだんだんと、意味を成さなくなっていく。

考え事に集中していた僕を眺めながら男は立ち上がり、此方に近づくと腰を屈め腕を伸ばして来た。

「腹が減ってるだろう、これでも喰え」

そう言って、何かの肉を焼いたものを僕に差し出し迫ってきた。香ばしい匂いが鼻を刺激して、それが今の気分を更に下降させる。

「っ!!」

反射的に怯えながら後ずさってしまった。軽く錯乱ながら腕を振ってしまい、手の甲に肉が当たり地面に落ちる音が遠く響く。
手に付いた油の事など気にも留めずに、その腕で自身を抱いた。

そんな僕に、男はひどく同情的な視線と笑顔を浮かべて、

「落ち着け、誰もおまえを傷付けたりなんかしないさ」

落ち着いた声で諭してきた。そして近づいてきた体を軽くひいて、僕から距離をとる。しばらく僕の荒い息の音だけが、この空間に響く。
その様子を、男の傍の少女が膝を抱えじっと見つめているのが目に映る。
なんとか気持ちを落ち着かせて、考えを纏めながら男に聞いた。

「……あなたが、助けてくれたんですか」

状況からみて、それで間違えないだろうと結論付けて言葉を発してみたが、男性はあっさりとそれを否定してみせる。

「いや、俺はなにもしてないさ。

 あいつは、……おまえが片付けた」

加えて、そんな予想を外した答えが返ってきた。






[20300] ここにいる 2
Name: にく◆e51d9fa2 ID:927103a7
Date: 2010/07/14 21:37
「何の…ことですか……」


そんな言葉しか出てこなかった。意味が分からないのだから仕方がない。

――――何を言ってるんだ、この人は

男はこちらの顔を覗き込み、目を細めると考え込んだ。沈黙が下り、そして唐突に。

「本当に分からないみたいだな。」

というより、今の状況全てが解らない……。

朝起きたと思えば森の中、さ迷ってみれば化け物との殺し合いの現場。理解出来るほうがどうかしている。
異常の連鎖に対応出来る程、僕は逞しくも柔軟にも出来てはいない。もう、自身が何に混乱しているのかさえ良く分からなくなってしまう状況なのは、間違いないだろう。
疑問は浮かぶが、解答を導き出すにはあまりに材料不足。だったら、少しずつ答えを探して行くしかない。
今の己に求められるのは、この異常な状態に対する適応性。ならば、無知なりに努力をしてみよう。……無いのならば、有るところから引き出せばいい。
男はそれから再び考え込むように黙った。焚火の向こうでは少女がじっとこちらを見ている。
沈黙に耐えられなくなり、先程から気になっていたことを聞いてみることにした。

「……すみません、ここっていったい何処ですか?市内にこんな場所があるなんて知らなかったもので。

 郊外の方なのかな?そっちはあまり行ったことないんです」

すぐに答えが返ってくると思っていたが、訝しげに眉を顰め、顎に右手を置きながら男が口を開く。
それは困惑を含む戸惑った様な声色であった。

「ここがどこか分からないのか?中央からそう離れていない場所だが」

「中央?」

何処のことを言っているんだろう。……中央公園のことだろうか?でも、あれはその名の通り、市の中心地付近にあって、其処の一帯は市街地として発達している。
こんなに深い森など、あるはずもない。
祖父母に引き取られてから数年間暮らしていた土地だ、ある程度の土地鑑は備わっているつもりであるし、その知識から、自然破壊が嘆かれる今の世に、こんな人の手の入っていない広大な森、希有な存在といってもよいこの森林が自身の街にあったとは考えられない。
というか、突然変異したとしか思えないイヌ科の生き物が、密やかに住み着いている場所など聞いたこともないし、もちろんあって欲しくもないが。

「中央都市アトリウムだ。……分からないのか?
 ……一つ聞きたいんだが、おまえは何故こんなところにいる?」

「え?」

 そんなこと―――――僕が知りたい。

言葉は飲み込んだ。まだ何か続けようとしていたからだ。

「おまえみたいな奴が、どうしてここにいる?迷いこんだ?ここに隠れ里があるなんてのは聞いたことがない。
この周辺には街や村が数多くある。人の目に触れずに来るには難しいだろう。
見つかればすぐに処分されるだろうし。今だ発見されていない場所?まぁ、可能性は限りが無いからな」


始めは僕に対する質問だったのだろうが、すぐに独り言のように呟いた。それから悩む様な素振りと、疑う様な瞳を混在させると、その強面を此方へ。
よく意味の分からないことを言ってはいたが、それよりも、今は自分の状況を知りたかった。
今現在、唯一の情報原は彼らしかいない。小心者の自分としては、その顔から視線を送られるだけで居心地の悪さを感じてしまうが、落ち着かない視線に耐え、体の姿勢を直して彼の瞳と視線が交わる様に……見える位置に焦点を合わせる。

「自分がどうしてこんなところにいるかなんて分かるわけない……」

ぽつりと呟いてから、思考に耽る。……何を如何、間違えたのかを。
だが、ぱちぱちと時折跳ねる焚火の薪を眺めながら、目覚めてからの事を、順を追って思い出してみたところで、既に始まりから狂っている為どう処理することも出来ない。

「朝起きたらいつの間にか森の中にいたんです。それで、とにかく人がいるところに行こうとして、あなたと会ったんです……」

「なんだそれは……?」

とりあえず、ここまでの経緯を話してはみたが、良く分かっていないだろう。だって、自分でも分からないのだから―――――他人に理解出来ようか?
むしろ、こんな話を誰が信じる?自分で言ってみて、それは冗談か狂言の類にしか思えない。

「ここは何て場所ですか?……名前は?」

「カーレント王国だ」

「カーレント……ですか?聞いたことないです。うん?……王国?」

「聞いたことがない?それはないだろう。大陸の南方一帯はこの国だ。知らないはずがない」

王国とは……、また馴染みの無い言葉が出て来た。
知らないものは知らないし、大陸ったってどこのことを言っているのだか、さっぱり分からない。
だが、しかし、この人の語ったことは、まるでこの場所は日本じゃないと言っている。
そもそも僕が生まれ、今日まで育った国は周辺を海に囲まれた所謂島国。隣国は海を挟んでいるため、大陸と自身の国とは遠い言葉に思える。
感覚としては、大陸とは外国だ。
……だから、この人の言葉はただ僕の混乱の度合いを深めるだけだった。いよいよ状況が混沌としていく気配を感じる。

「それで、おまえはどこから来たんだ?カルド大陸のどこかの国の出身ってわけでもなさそうだ。果ての向こうか?」

カルドっていうのが……この大陸の名前なのだろう、この人の話では。勿論聞いたことはない。

「―――――果てってなんですか?」

「西の海の果てだ。……その顔は違うみたいだな」

またも、意味の分からない用語が出てきて、つい顔に出してしまったようだ。

「……日本って分かりますか?そこの出身なんですけど」

「聞いたことないな。どこのことだ?」

「分からないのなら……いいです」

かみ合わない会話に、疲れてしまいそうだ。聞いたことのない名称ばかり。すれ違う知識と実態。
そして、ふと違和感。それは、目覚めてから続いている漠然とした不安とか恐怖ではない。もっと胸の奥に在るようで無い様な透明感に似た何か。……つまりは些細な事だ。

―――――今更だが言葉が通じていることに気付いく。

彼は明らかに日本人ではない。その風貌からそれは悩むまでもなく分かることだ、……格好については触れまい、今更過ぎる。
そして彼と話している間にどうも違和感が付きまとうと思っていたが、口の動きと声があっていないのだ……。
どうも違う言葉を発しているのだろうが、自分には、はっきりとその言葉が理解出来た。

異国風の男が同じ言語を流暢に喋っている。
普段の僕ならば、そのことについて何らかの感懐を抱くであろう。だが、今は決定的に状況が不確かだ。
そのため―――――そんなことはどうでも良かった。懊悩するべき理由は一片も無く、言葉が分かるのなら、それに越したことはないから。
有益であれど、不利には為り得ない。

「何も知らないんだな。しかし、記憶喪失って様子でもないしな……」

「…………」

ある意味ではそうだろう。気付けば其処とも知らぬ場所にいるのだから……。
その過程が分かれっていれば、その原因が何であるのかが分かれば、ここまで悩むこともなかったのに。

「そうだ、お前、名前は?」

「桑原……宗太っていいます」

「クワバラ、ソウタ?変わった名前だな。俺はフランツ・アルレイ」

「フランツさん……?」

「アルレイでいい。あいつもフランツだから」

軽く笑ってからアルレイさんは後ろを向いて、今まで言葉は発せずにただ黙ってこちらを見ていた少女を一瞥した後に、再びこちらに向き直った。
その背後では、少女が瞬きと共に僅かにこくりと頷いていた。

「ソウタでいいか?」

「はい」

「それでだ……。あいつは俺の娘で―――――」

「―――――フランツ・ローゼ」

「っ!?」

声はすぐそばから発せられ、気付けば隣に少女が立っていた。
その気配の無さに僕は思わず驚いてしまうが、少女は顔をぴくりとも変化させずに、淡々とした瞳で僕の顔を見詰めて来る。
先程より近い距離で彼女の顔を見たが、やはり容姿端麗とはこの子みたいな女の子にこそ相応しいと思わせられた。
それと同時に、妙に鋭い感じを受ける目だとも……。それが今は僕をじっと見ている。
透き通る様な白い肌が、焚火の炎に薄っすらと赤く染まって、その瞳の赤も相まって不思議な感覚を与えてくるのは錯覚に違いないだろうが。

しばらく言葉も無く、互いが互いを観察し合う時間だけが沈黙の中過ぎ去って、唐突に彼女はくるりと踵をかえして、元いた場所まで戻り再び座り始めた。
そして、先ほどと同じように膝を両腕で抱えると、再び僕を見始める。
どうかしたのだろうか?疑問は浮かぶが、答える声など有りはしない。
頭の中に新たな問題を形成して、首を傾げながらアルレイさんの方を見ると、少女と同じ色の瞳を軽く開き、驚いた顔をしていた。
その様子に、更に深くなる首の角度。

「……ローゼが自分から。いや、そうだな。初めてだろうに――――」

小さく呟いて、やがて答えが出たのか再びこちらに顔を向けた。その顔は深い哀愁を漂わせ、ほのかに別の感情が見え隠れした。僕は別に彼の親近の者ではない、故にそれがどういった類の感情かなど理解できるはずも無く、ただ黙って見過ごすしかない。
二人の様子が気にはなったが、特に口に出すことでもないと思って疑問は胸に仕舞い込み、意識の外に追いやった。


その後―――――


「お前……“禍根”だよな?」

とても、とても深い緊張感を籠めて、或いは迷う素振りを見せながら、彼は慎重に言葉を吐き出した。
だが、その様な目の前の中年の男の決意、決断、恐れは全くの検討違いに思える。だって、そんな言葉が初めて聞いたのだから。

「はい?」

なんだそれは。

「そんな風に呼ばれたことはないですけど?なんですかその“禍根”って?」

当たり前だが、生まれてから、そんな名称で呼ばれたは一度もない。

「本当か?……ふぅ、もう何も知らなくても驚かないさ」











“人々は誰もが魔力を持っている。それは生まれたての赤ん坊も例外ではない。”


―――――彼はそんな、おとぎ話の言葉から語り出した。


そもそも、生物であれば魔力を持っている。その魔力も基本的に二種類に分類される。アルマとレグス。
人間はアルマを持つ。それは聖なる力と呼ばれたりする。これは自分達の魔力を操れる魔術師がそう呼称しているのが所以しているからだ。そして、そいつらはもうひとつの魔力(レグス)を忌み嫌っている。

これにも訳があって、レグスをもつ生き物はどれも異常だ。外見、性質、なにより、アルマをもつ生物を好んで捕食する。それは人間だって例外じゃない。むしろ何よりも好む。
これは人が多くの魔力を持っているからだと、研究結果が出ている。それ故に、その生物をレグルム(正対者)と呼ばれている。
遥か昔から、人間とレグルムは対立して、お互いを狩り続けている。ここら辺は常識だ。……その顔は、知りませんということだろうな。


――――もしかして、その……レグスっていう魔力を持っている人間が“禍根”ってやつですか?


いーや、違う。人がレグスを持つことなど聞いたこともないし、過去に前例もない。
……さっき、魔力は2種類といったがそれは正確じゃないんだ。魔力にはもう一つ、アルマ、レグス、そのどちらにも属することがないものがある。
ある魔術学者が言ったことだが、その魔力は原初の魔力だとか、境界上に位置するものだとか。

―――― それを持つ者が”禍根“と呼ばれている ――――

ついでに言っておくが、この魔力は人間しか持たないものだ。理由は分からないさ。異形の性質なのか、アルマ、レグスの異流、それとも……悪魔に選ばれたのか、はたまた神の御業か。
でだ、こいつらの持つ魔力っていうのが問題でな、ある性質があるんだ。
この魔力が、他の魔力と接触すると一方的に接触した魔力を消しとばす。しかも、“禍根”と接触した生物は、その触れた場所の魔力を失うと同時に、肉体が吹き飛ぶ。
それ故に、誰もが“禍根”を恐れている。同じに人間なのに、まったく別の存在として扱う。

昔はそれなりに数もいて、普通の人間とは別の国があったらしんだが、“禍根”を恐れていた人間はそれを滅ぼしにかかった。酷い戦いだったらしい。
どちらの陣営もひどく消耗し、血で血を洗うような……。結局“禍根”は敗れ、国を滅ぼされた。その後は生き残りが次々に処刑されていった。

……が、それで全滅ってわけでもなくてな、逃げ延びた“禍根”が隠れ住んでいる里があるって話だ。
一つだけって訳でもないし、正確な場所は分からんがな。その数も多くない。今では“禍根”はいないも同然なんだがな。
 
それでも、“禍根”は今でも恐れられている。見つかれば……処刑される。


そうだな、結局そいつらは



世界に必要とされない
     
   存在自体が悲劇で
     
   人間とは似て非なる生き物
     
   きっと

   永遠に救われることのない―――――存在








ひどい、妄想のような話だった。
魔力だって?そんなの御伽噺じゃないか。そんなものを信じてるなんてホントに子供だけ。
魔法は子供の幻想、大人が与える夢物語。希望に溢れる未来の象徴で、擦り切れた今に対する逃避。

しかも、“禍根”。

どうかしているとしか思えない。
けれど、アルレイさんの顔は真剣そのものだ。そんなくだらない冗談を言う人にも見えない……。
それに、あの化け物、あれが“レグルム”かな?確かに、あれはいた。

「んっ?」

どうにか話を纏めようとしているとき、ふと気付いた。

「そういえば、どうして僕のことがその、“禍根”ってやつだと分かったんですか?」

それが不思議だった。アルレイさんの話が本当なら、まだ僕が説明されていない不思議な事象でもあるのか。

「言ってなかったな。“禍根”には見た目も変わっててな、髪の色が特別なんだ」

「特別?僕の髪は普通ですけど……?」

髪なんて、べつに染めている訳でもない黒色だ。変わっているとは思えない。

「……“禍根”の髪は決まって黒色をしているんだ。黒なんて、普通は生まれない。だから、黒髪は“禍根”って決まっているんだ。
そんなのは子供だって知っている」

「でも、そんな……。僕のいたところじゃ、黒髪は当たり前でしたよ?むしろそれ以外は珍しいです」

そんな理由で、僕が“禍根”なんて訳の分からない存在にされてたまるか!黒髪なんて、そこら中にいくらでも居る。

「そうか。でもな、俺は確かに見たぞ。レグルムがおまえに触れた瞬間に、確かにレグルムは吹き飛んだ」

あれはそういう意味だったんだ。目が覚めて、最初にした質問の答えが、今分かった……が、それでも半信半疑だった。
そのとき、僕は迫りくる死にただ、眼を瞑って待っていることしかできなかったから。その光景を見てはいない。

「すいません……。なんだか分かんなくなっちゃいました」

「いいさ、今はとりあえず寝とけ。疲れてるだろう」

「……はい」

今はこの人に頼るしかない。

「ローゼももう寝ろ。明日にミラまで行くぞ。朝は早い」

ローゼという名の少女はこくりとうなずいて、傍らにあった少し大き目のカバンから一枚の布を取り出して、体に巻きつけ横になった。
眠りに着くまで彼女は僕をずっと見ていた気がした。

「これでも使え」

そう言ってアルレイさんは僕に同じような布を渡してきた。真似して体に巻きつけ、横になったが、地面が痛くてなかなかまどろみに落ちることが出来ない。
それでも、文句は言えないので我慢するしかないだろう。
さまざまな疑問が頭を駆け巡っていたが、しばらくすると眠気に抗えず、僕の意識は闇に落ちた。



――――最後にここは僕のいた世界とは違うのか?そんなくだらない疑問が浮かんだ……。







泥沼から這い出る幻覚と共に重い瞼を開けば、青く生い茂る木々の隙間からのぞく晴天の空。非現実的な目覚めの光景。悪いユメは未だ続いているようだ。
もしかしたら、といった淡い望みはあっさりと泡みたいに消え失せる。
そして、眼を開ければそんな景色があることに、3回目となれば慣れてしまう・・・・・・。
相変わらず体はだるいし、痛い。無機質で硬質な地面に直で寝たせいだろう、体が硬くなってしまったようだ、動きが阻害される感覚が纏わりつく。
それを振り払うように、体を起こし軽くのびをすると、空気が澄んでいることもあって、幾分か気分がすっきりした。
頭が正常に動きだす。異常なく思考が回り始めるまで多少の時間を要するであろうが、それも時間の問題でしかない。
目の前の光景に視線を投げ掛けると、アルレイさんはすでに目を覚まし、肉を焙っていた。それから零れ出る食欲を誘う匂いが、この空間を漂っている。
その様子に、昨日の体験でささくれ立っていた心が幾分か丸く収まる。昨日の孤独の旅によって、知らぬ間に人肌恋しくなっていたのかもしれない。
自分の傍に人が居ることに、とても安堵するのだから。

「おう、目が覚めたか」

軽く笑いながら、声をかけてきた。手元は変わらず細やかに動くことを止めない。視線は手元と僕とを数回往復。・・・・・・僕としては、今している事に集中してもらって構わないのだが。
物珍しい様子を眺めながら、朝の清涼な空気を吸い込んで言葉と共に吐き出した。

「はい、おはようございます」

既に作業は終わりを迎えているところのようで、アルレイさんは幾つかある内の一本を手に取り、その端を少し齧ると、納得するように首を一度縦に振っていた。

「こんなもんだろう・・・・・・。こんなものしかないが食わないよりはいいだろう」

そう言って香ばしい匂いを漂わせる、串にささった肉を差し出してきた。

「ありがとうございます」

別段に断る理由も無いので素直にそれを受け取ると、アルレイさんは何が嬉しいのか満足そうな顔をしては目を細めた。
その態度で訳も無く少々気恥ずかしい気分になった僕は、たった今受け取ったご馳走の観察に心を向けることで、その面から意識を逸らすことに決めた。
そんなことをしてみると、僕を誘う様に匂いが強烈に感じられ始める。
思い返せば昨日は丸一日何も口にしていない。それを意識すれば忽ちに空腹が僕の中枢を刺激しては、貧欲に訴え始めた。
この生物的欲求には抗い難く、耐える事も難しい。下品ではしたなくまた、失礼だとは思ったが食べ易そうな部位を見出しては勢い良く齧り付く。
・・・・・・人間、食欲には勝てないのだ。
生きる資本はエネルギー。つまり食事を欠かす事は命を削ること。躊躇う必要など何処にありますか。
理論武装を心中で完了して意地汚くなる。
口一杯に頬張ったところで、・・・・・・期待はあっさり裏切られた。

「うぐっ!」

なんだこれ?匂い、見た目を完全に裏切った味だ。くせが強すぎる。とても一度に多くは食べられない。
思わず顔を顰めてしまった。吐き出しそうになるのを懸命に堪え、慌てて表情を隠そうとしたが、もう遅い。
それを見たアルレイさんは可笑しそうに笑って口を開く。

「ははっ、これはそうがっつくもんでもないさ。味は悪くないが癖が強い。でも、これがうまいと思うやつもいる。
 それにな、長期間保存がきくからな。
 少しずつかじってみろ」

そういうことは早く言ってほしかった。明朗に笑う厳つい風貌を、気付かれない程度に横目で睨みながら、歯型の付いた肉を見詰め直す。
気分は、見知らぬ民族料理を食わされているもの。というか、事実そうであるのだろう。個人的味覚に反発するそれは、出来れば二度目を口にしたくない。
先程までの美味であろう料理に対する期待に伴う高揚感が、真っ逆様に地に落ちていくのが手に取る様に分かる。
だが、勧められているという事実の上で僕はこれを持っている。しかも、僕を助けてくれた人物。
その件の御方は目の前で、愉快そうに目を細めて口角を上げてはいるが。
それに、この空っぽの胃に何かを詰めたいのもまた事実。
ああ・・・・・・、これはつまり避けられぬ戦いってやつか。逃げるという選択肢は無く、それの踏破こそ唯一絶対の道。
早朝の晴天。空は突き抜ける程に晴れやかなのに、どうして僕の心には雲が掛かっているのだろうか。
心の中で不満を垂れ流しながら、悲壮な覚悟で僕はこれを食べることを決意。
今度は躊躇いながらもちょっとずつ齧ってみた。・・・・・・食べられないことはないが、好きになれない気がした。

・・・・・・アルレイさん、もういいですか?

結局口にしたのは一本きり。戦果の代償は、腹の底から込み上げる嘔吐感。口内に深く居座る残存感は、それに拍車を掛けて来る。
得た物はそんな負の遺産に加えて、少しばかりの満腹感。だがしかし、苦行に比べてのそれはあまりに小さ過ぎる。
・・・・・・取り敢えず、水が欲しい。何もかも洗い流してしまいたい。
ついでに目の前で何もかも理解しているみたいに、にやついているその顔が憎たらしい。当然与えてもらった分際でその感情は厚かましいとは思うが、この肉の前には何故だか許される気がした。


しばし原因明瞭な不快感に唸っていると、今まで行方不明だった姿が登場。


「はい・・・・・・」


革袋を手に、昨夜と同じ様に気配無くいつの間にか其処に。蒼々たる雑草を微かに揺らす音で、やっとその存在に気が付く。
相変わらず気配が感じられない。
木々の隙間から、今までの姿の見えなかった少女の姿が突如として現れ、小さな歩幅で、淡々とアルレイさんの傍らまで近付くと、手に持っている物を差し出す。
袋は何かでいっぱいみたいだった。それをアルレイさんが受け取ると、これまた特に感情を表すこと無く、木陰に座りこんでは余った憎き怨敵を手に取って、小動物の様な動作で小さな口をもそもそと動かし始めた。

その様子に―――――驚きを隠せない。
あれを普通に食べている・・・・・・。彼らと僕の味覚は一部とも似通っていないのだろうか。
あっ、微妙に眉を顰めた。そんなこともなかったらしい。

「ご苦労だったな。疲れなかったか?」

「大丈夫、平気」

小さく口を開き、二つの単語で素っ気なく答える少女。口数の少ない子だな。元来の性格として無駄口というものを嫌うのだろうか、昨日から今まで彼女の言葉を聞いた数が非常に少ない。
自分もあまり話す性格ではないが、ここまでじゃないのは確かだ。
静かで落ち着いているというよりむしろ無感情。だがそれは僕に悪感情を抱かせる物でもなく、むしろ孤独な孤高さを感じさせた。
そんな彼女は他人にも無関心・・・・・・という訳でもなく、今現在も僕のことを臆することなく観察している真っ最中。
視線が合っても、動揺の気配を微塵も見せないものだから、僕から逸らしてしまう豪胆さも持っている様だ。

――――取っつき難い感じだなぁ・・・・・・。何より分かり難い。

自分のことは棚に上げ、碌に話してもしていない相手に対し勝手なことを思っていると、

「それで、ソウタはこれからどうするんだ。行くあてでもあるのか?」

的確な質問が飛んで来た。

「いえ、・・・・・・何も無いです」

「だろうな・・・・・・」

それはずっと考えていたことだ。でも、答えなんか出る筈もない。目的だけは立派に思い浮かぶのに、其処で思考は止まってしまう。
どうやって、それを達成してみせようか。・・・・・・考えたところで、解答はまっさら。
これからどうすればいいのかなんて、僕には分からなかった。
右も左も分からなく、進むべき一歩すら不確かな今置かれているこの状況。


でも――――

不安が胸を苛んで、心気は底へ底へと沈んでいくその最中で思うことは唯一つ。

家に帰りたかった。

たとえ特別な思いの無い家でも、

たとえ誰も待つことのない家でも、

其処しか僕の帰る場所は無いのだから、

僕はその世界しか知らないのだから、

日常(当たり前)に戻りたい――――



「とりあえず、ミラまで一緒に行くか?ここで放り出しても目覚めが悪い。まぁ・・・・・・、多少不安はあるが」

今の僕に、その提案は嬉しかった。進むべき指針を、仮初の方針だろうが与えてくれることには感謝の念が絶えない。
しかもここで僕と別れることなく、連れ立ってくれると言う。この人、見た目とは裏腹にとても良い人なのかもしれない。
この行き場を失っている僕の心に、その優しさが思い染む。
薄々感じていた事が今此処で確かな思いとなった。人間、見かけなどでは測れない。人に触れてこそ人は人を理解していくのです。
しかし、妙に歯切れが悪い。都合の悪いことでもあるのだろうか?

「それは助かりますけど、不安って・・・・・・?」

「忘れたのか?“禍根”は見つかれば処刑だ・・・。そのまま人の目に触れれば危険だ」

正直に言うと、自分自身が“禍根”なんていう存在であるなんて忘れていた。当たり前だろう、現実味が無さすぎる。
例え、アルレイさんが良心的な人間であろうと、そのような戯言は空想の範疇でしか有り得ない。
半信半疑。
でもそれだと、

「それじゃ、無理じゃないですか」

今の僕はこの人達たちに縋るしかなかった。“禍根”という存在は一度放っておいても、兎に角、黒髪はこの土地では忌避される存在ではあるのだろう。
どこまでを信じればいいのか分からないが、一部に真実は在るのかもしれない。つい声は責める様な色を帯びてしまう。

さっきの提案は何だったんだろう・・・・・・。そう思わずにはいられない。

「いや、おまえが“禍根”だってばれなきゃいいわけだ。とりあえず、髪さえ見せなければ大丈夫だろう」

そう言って、服と何か布で出来たものを手渡してきた。何かは一枚の布の塊に見える。
広げてみると、それはフードの付いた・・・・・・ローブとでも呼べばいいのか。
少し薄汚れたそれは、みすぼらしくはなかったが綺麗でもなかった。

「・・・・・・えっと」

アルレイさんを窺う様に、広げた布の端からその顔を覗きこむ。
これを身につけろってことなのか?恥ずかしいぞ・・・・・・。瞳で訴えたその思い、届けばいいなぁ。

「それに、その服は目立つ。それを着てろ。

・・・・・・安心しろとは言わないさ。だがうまくやれば問題ないだろう。俺たちも協力する」

言いたいことは伝わらなかったらしい。拳を握り込んでは、真摯な口調で励まされてしまった。
僕の訴える目は、心配しているとでも思われたのだろう。二人の間に感じる温度差が、切ない。
後、端っこで僕らを眺める少女の瞳から逃げ出したいものだ。妙に真剣な瞳が、そんな擦れ違いを見透かされている気がして、恥ずかしい。
それに、正直こんなもので、隠せるとは思はないけど・・・・・・。

「分かりました・・・・・・」

納得はしないが、他に考えはないのだ。選択の余地はどっちにしろ無い。

「気をつけろよ。知られたら終わりなんだから・・・・・・」

最後に、彼はそう言った・・・・・・。

それから、一時間しない内に僕たちはその場所を発った。




生い茂る木々。青々とした空。信じられないくらい澄んだ空気。歩き続けてしばしの時が過ぎ去った。
これほど溢れる自然を感じたことは今まで無かった。
それなりに距離を歩いた筈なのだが、今だに文明の一片も見て取れない。
そんな、どこかしらの樹海めいた木々の間を、目の前の二つの背中は迷う事無く、悠々と歩みを進めている。
日本中何処を探してもこんな遺産には出会えないだろう、そんな感想が浮かんだ。しかし、今の僕にはそんなものを楽しむ余裕はなかった。

「暑い・・・」

なんで、こんなものを着なきゃいけないんだろう・・・・・・。答えなど、とっくに知らされてはいるが、不満は積もる一方。
木々のおかげで、照りつける日差しは遮られているのが唯一の救いといっていいだろう。
それでも、この暑さはどうにかしたかった。
そもそも、このマントが熱の発散を邪魔している。フードもしているため尚更だ。しかも、この布の生地は実に分厚い。明らかに、気候との相性を考慮していないそれ。
蒸されていく感覚が何とも堪らない。

――――いいか、ここからはミラまでそう遠くない。いつ人に会うか分からない。警戒しておくに越したことはない。

    髪が見えない様にフードはしておけよ。――――

そうアルレイさんに言われた為、仕方なくしている。言いたいことは理解できるが、辛いものは辛い。
つい愚痴がこぼれてしまうのも止むを得ない。
ずるずると足を引き摺る様に、必要以上に音を立てながら二人の背中を追随しているが、その足取りは重かった。

「うん、どうした?」

汗一つかいていない二人を、恨みがましく見ていたことに気付かれてしまった。
親子揃って立ち止まり、此方に向ける視線に批難の色が見える気がするのは、恐らくは自身が負担を掛けているという引け目から来る、僕の見当違いの被害妄想に違いない。
そう分かっているはいるが、なかなか自身の勘違いも拭えないこともまた事実。

「いえ、何でもありません」

「そうか・・・・・・。喉乾いてないか?」

「あ、はい」

それはもうカラカラです。其の内、鉄の味が喉から染み出てきそうなくらいには。

「水があるから飲んだらいい」

腰にぶら提げている革の袋をくれた。持ってみると手にずしりとくる重みが加わる。右手は袋の上部、左手で底を支える様に添えると、力を加えた部分がぐにゃりと形を変え奇妙な感覚を伝達させる。
それは、朝ローゼがアルレイさんに渡したものだった。
あのとき彼女は水を汲みに行っていたみたいだ。それに気付き、若干の気まずさが僕の中で渦巻く。
今朝、僕が微睡んでいる中、各々はちゃんとするべき事をしていたのだ。
自身の立場を弁えず、呑気にも惰眠を貪っていることしかしていなかった自身は、反省すべきだろう。
次があれば何とも気をつけたいものである。

「ん・・・、んっ・・・」

乾きは潤い、体の中に冷たい水が流れていくのが感じられる。体の奥底から清涼感というものが突き抜けては僕を癒す。

「・・・ぷはぁ」

最後に大きく息を吐くと、今この瞬間は楽になった。が、しばらくすればまた辛くなるのは容易に考えられる。
また、水を下さい、なんて言うのは憚られに決まっている。
そのことを思うと少し憂鬱だ。
革袋を返し、少しばかりの体力と気力を取り戻しては、また歩みを再開した。


綿雲が流れ、太陽が刻々と位置を変えていく。緩やかな時間感覚。


いつまで歩くんだろう?
さっきから、そんなことしか考えられない。もともと体力は無い方だし、いい加減、足も疲れた。体力もほとんど残ってない。
足を進めるたびに痛みが奔る。肉体を酷使し、何かに直向きに努力する。そんなものとは無縁の生き方をしてきたから、それも当然だろう。
だが、苦しみを言葉に表すなど論外。それでも少し・・・・・・、いやかなり限界なのは隠しようのない事実。
なので、苦し紛れの些細な抵抗を試みることにした。これだけ歩いたのだ、そのミラという街ももうすぐなのでは?
革袋をアルレイさんに返しながら、聞いてみる。

「あとどれくらいで街に着くんですか?」

「もともと、朝の場所からそう遠くはなかったんだ。日がある内には着くさ」

「・・・・・・」

勘弁してくれ・・・・・・。
なんだか、この人とは感覚が違うみたいだ。
日がある内という随分大雑把なお言葉。たどりつくのは当分先になるかも。

それにしても、アルレイさんは分かるが・・・

再び歩き始めたなかで、少し前を歩く小柄な彼女の背中に自然と目がいってしまう。

ローゼは疲れてないのかな?

すごい体力だ。彼女の歩く姿に変化はない。そのペースに淀みはなく、淡々と歩いていく彼女はただ純粋にすごいと思った。
それと同時に、男でもある自分が情けなくなる。女の子にすら劣る自分。何か負けた気分だ・・・・・・。
勝手に一人で落ち込んでいると、少し二人から遅れていることに気付いて、慌てて足を速めて追いついた。

連続する風景にも最早飽きてしまい、ただ歩く苦痛を耐える時間だけが続く。
感動とは新鮮さから来る感情でもあり、それも続けばやがて怠惰となる。
始めは不安を紛らわすため、今まで見たこと無い光景に意識を向けていたが、それももう退屈なことでしかなかった。

暫くするとアルレイさんから提案が上がる。

「そろそろ、飯にするか?」

ということはゆっくり休める時が来た。

「はい!」

意図せず声も上がる。一刻も早く体を休めていたかった。今まで、現代的なアスファルトの道など遠く及ばず、道とも呼べない獣道を突き進んできたのだ。
それなりに道と言える様に整備されている道に巡り合ったのも、つい先程のこと。
疲労は大きく蓄積していた。
路肩に移動し、腰を下ろす。すると、疲労が身体全体を襲う。急に星の重力というものが倍増したみたいな感覚。
木陰の奥で、周囲に人影無いことを確認してからフードを取り、意識を曖昧にして涼やかな風を感じながら身体を休める。

「それ」

不意に横からぬっと手が出てきた。その手には今朝と同じものが握られている。思わず顔をしかめてしまうのも仕方ないだろう。
食べたのは一度だけだが、すでに苦手な物という認識が刻み込まれてしまっていた。彼なりの厚意なのだろうが、それでも苦手なものであるのに変わりない。
その厚意を素直な気持ちで受け取るには、少々難しい物であるのが残念でしかたなく思う。

「うん?やっぱり、お前もだめなのか。うまいんだがなぁ・・・・・・」

アルレイさんは、そんな事を残念そうに呟きながら首を傾げては、手にあるものを見詰めた。
その横顔はちょっと寂しそうで、気落ちしているようでもあった。

「お前も?」

「ああ、ローゼもこいつはダメなんだ。でもな、今はこれしかないんでな」

以外な共通点、でもないが。むしろ、この味を好むアルレイさんがこの場合はずれていると、僕としては思いたいのだが。
少女の名を聞いて、反射的にアルレイさんの隣に座っているローゼを見ると、細長い瞳と自身の瞳が合った。
彼女は若干渋い顔をして、小さな赤い花弁みたいな唇を開いた。

「変な味がするから・・・・・・」

「っああ、そうなんだ・・・・・・」

不意をつかれ、思わず返事に詰まる。それは他の誰でもない、僕に向けられた言葉であった。
彼女とまともに言葉を交わしたのはこれが初めてだろう。名前を聞い時は一方的に言われただけだったから。
何というか、意外だった。自分から話すような子じゃないと思っていたからだ。どうやら社交性が皆無というほどでもない様子。

「僕も・・・・・・初めての味かな」

隣の恩人の好物。言葉を選んでみたが、微妙なニュアンスが出てしまった。
ローゼは硬い目元を崩さずに、厳しく言う。

「こんなモノを考えた人、稀代の天才か、致命的な味覚破綻者」

「えっ・・・・・・、いや・・・それは。・・・えっと何で?」

「どっちにしろ常人には理解出来ない」

歯に衣着せぬ物言いは、冷たく鋭かった。

正直、ローゼの言葉には内心同意していたが、アルレイさんを意識すると、何とも返答に窮してしまう。
曖昧な表情で苦笑いをしながら、隣を意識する。
先程の孤独な顔を思い浮かべながら視線をずらし、再び屈強な体躯を視界に納める。

すると、娘の冷ややかな言葉に父親は―――――――――嬉しそうな笑顔が其処にありました。

笑顔?

穏やかな笑顔で、こちらを見る瞳はとても優しげだった。それから、全然申し訳なさそうでない声色で、アルレイさんは口を動かした。

「すまないが、我慢してくれ。ローゼもな?」

「・・・・・・うん」

この人って結構親馬鹿なのかな。
ローゼはローゼで本当に嫌そうな顔して頷いているし。というか、そんなに嫌いなんだ。・・・・・・まあ、その気持ちも分からなくもないが。

「いえ、貰えるだけ嬉しいですから」

自分でもどうかと思う返しをしてしまったのだが、しかし、そうは言ったもののあまり食が進まない。
端っこを徐々に減らしてはいるが、その早さは遅々としてゆったりしたもの。
二人の様子を窺うと、アルレイさんは既に二つ目を食べている途中。ローゼでさえ、半分を攻略。
僕はといえば、さらにその半分程度といったところ。
意味も無く急かされる気持ちになると、水が欲しいなどと考えながら、緩慢と動かしていた口の速度を上げようかと決意した。

そのとき――――


がさっ、


すぐ傍の茂みから何か音がした。何かと思いそちらに視線を向けると、一匹のうす汚れた茶色い犬の姿。毛はところどころ暗くくすんで、清潔さとは無縁の姿態。
大きさ的には中型と呼ぶべきか。しかし、まったく肉のついていない体のせいで、一回りも二回りもその体が小さく見えた。
枯木の枝みたいな足で、よたよたと歩くそれは今に倒れてしまいそうな程、弱々しく拙かった。

憐れ、悲惨、弱小、無惨、哀感。

それを見た始めに浮かんだ思いがそれだった。その姿だけで、心が不憫さに包まれてしまう。
一言で言ってしまえば“可哀想”。負の感覚しか与えてこないその犬は、実に不幸を体で表していた。

さて、唐突だが僕は犬が好きだ。無邪気に駆け寄って来る人懐っこい犬というのは、とても可愛げがあって、心が和んでしまう。
頭を撫でると、その手を追う様に舐めてくるそのくすぐったい感触も嫌いではない。懐かれているという感覚は人でも動物でも悪くないものであるから。
ふさふさの毛の触りご心地といったらそれはもう言葉に出来ないほどだ。

さてさて、そんな僕の中では愛くるしく人を癒してくれる存在が、たった今目の前で飢餓に喘いでいる。
さらにそいつは僕の手に握られている肉を見ている。ついでに言えば僕はその肉が好きではない。

横目で二人の様子を見ると、何か話していてこちらに気づいていないようだ。
アルレイさんには申し訳ないけど・・・・・・。それに、何か食べさせないと。
僕の中で一つの行動が決定された。
言い訳染みたことを考えながら、その犬に向けて肉をそっと差し出す。
これでこの犬も助かり、僕も肉を食べなくて済む。見事な共存関係の出来上がりである。
そんな安易な考えの基の行動だった。思い掛けない出会いであったが、それもまた一期一会だろう。この先彼、或いは彼女が健康に過ごせることを願おう。
酷く独善的な考えに溺れながらも、自然な笑みが浮かんでしまう。
始めは警戒していたが、だんだん近づいてきた。だが、その様子が微笑ましい・・・・・・、なんて考えはすぐに破棄せざるお得なくなった。
すでに肉は目と鼻の先にまでというところ、突然その口を大きく開き、鋭い牙を僕の手に突き立てようとした。

――――そんなことをしなくてもやったのに。

こちらの気持ちを汲み取らない恩知らずな犬の行動に、そんな間の抜けたことを思ってしまった。
思わず手を引っ込めようとしたが、それよりも犬の動きは早かった。直後に襲ってくる傷と痛みを想像して、歯を食いしばって一瞬で覚悟を整える。


―――― 現実はいつだって突然突きつけられる ――――


僕は解かっていなかった。

自分がもう日常にいないのだと。

もう当たり前にいられないのだと。

こうあることが自然なことなのだと。

変わってしまったのは、世界か自分か・・・。


僕は解かっていなかった。



ぐしゃ



「・・・・・・へっ?」

思考が現実に追いつかない。全ての時が一瞬止まった。視線はただ一点を注視するしかない。
赤く染まった燻製の肉。血に濡れた右手。ぴったりと体中に絡みつく様な噎せ返る鉄の臭い。
そして・・・

(・・)の開いた犬の死骸。

さっきまで動いていたそれは、今は人形が横に倒れた様に、手足を放り出して横たわっている。
しかも、あの鋭い牙が不格好に生え揃っていた口が、今はどこにも見受けられず、その顔には鼻さえ無かった。
まるで、始めからそうであったかのように。
それらがあった部分は大きく抉られ、今はただ生命を垂れ流している。
その空洞部の奥底には、濁った赤色の口内か、それともあれは脳味噌だろうか、どちらにせよそれを形作っていた内部には変わりないだろうモノが見える。

あれ?犬ってこんな生き物だったっけ?こんな出来損ないの肉の彫像みたいな生き物だっけ?

疑ってしまう、全てを。この光景全てを。
辺りの地面が赤く染まっていく・・・・・・。


「・・・・・っは・・・、っは・・・」


息をしていなかったことにようやく気付いた・・・・・・。地面がぐらぐらと揺れて、確かな感触さえ伝わって来ない。

「え、・・・なんで・・・・、これ、・・・・なんで・・・」

息が苦しい。力が入らない。手足が弛緩して無様に地に縫い付けられる。
首筋が冷たくて吐き気がする。なんだよ、さっきまであんなに熱かったじゃないか。これじゃ凍えそうだ。
おかしくておかしくて、腸が捩じ切れそう。もう、喉元まで込み上げて来た違和感を吐き出そう。

解からなくて、涙が出て来てしまう。誰か教えて欲しい。これは何。夢。ユメ。ゆめ。

この結果は当然の帰結だった。

答えは知っていた。

それでもただ認められなかっただけだった。
冗談だと思っていた。信じるなんて馬鹿らしかったから。
でも、今ここで突きつけられてしまったのだ・・・・・・。知っていた筈なのに、僕の信じる現実なんて簡単に裏切ってくる事を。
でも、こんな裏切り方はあんまりじゃないかとも思う。もっと、まともな物でも良かったじゃないか。
最低だ。

「おい、どうした?何かあったのか?」

声が聞こえる。心配しているようだ。
唯一顔で無事な犬の眼がこちらを見ている気がした。空虚な瞳。それが何か訴えているわけもないのに・・・・・・。
ただじっと、開き切った瞳孔を動かすこともなく、自身を殺した相手に向けていた。
そうたった一つ(・・・・・)無傷の瞳で。
普通の動物には二つある筈のモノが、一つだけしか残っていない。いや、視神経が尾を引くように、辛うじて本来あるべきところとの繋がりを示している。
か細く頼りない糸は、触れれば簡単に切れてしまいそうな程である。

「なにも・・・して・・ないのに・・・・・。勝手にぱんって・・・、はじけて・・・。嘘だ!?こんな・・・・・・、違う。
ほんと何にもして・・してないのに!」

「むぅ、これは・・・」

この光景を見て、全てを悟ったみたいだ。
思わず、傍にいたアルレイさんに縋ろうとしてしまった。上がりもしない右手をバタつかせては、壊れた玩具みたいに。
それに応じるように、アルレイさんが此方に近づこうとしてきた。
しかし、さっきの光景が頭をよぎる。


「ああっ・・・・・・!!」

――――知ってしまったから、触れればみんなこんな風になるってことを・・・。

アルレイさんから距離をとろうと、力の入らない体を無理矢理に引きずった。ずるずると土と布が悲鳴を上げるが、それを無視して力一杯に。

「来ないでください!見たでしょ、あの犬の死体!!僕に近づけばああなっちゃうんですよ!?」

怯えながら、怒鳴る。アルレイさんの足が止まる。
それは我ながら悲鳴染みていた。

「なんだよ、それ!!触ったら死ぬなんて・・・。意味が解からない・・・。おかしいでしょ!?」

もはや独り言だった。頭を抱えてただうずくまることしか出来ない僕を、アルレイさんはただ黙って見ているだけだった。

「これじゃ、まるで・・・“化け物”だっ!!」

この想像みたいな現実からは逃れられない。僕は変わってしまった・・・・・・。
否定したいのに出来ない。
それはそうだ。今、たった今、確かに小さな命を奪ってしまったのだから。






この光景を、ローゼがどんな顔で見ていたのかなんて僕は知るはずもなかった・・・。























「・・・大丈夫か?」


――――大丈夫ってなにが大丈夫なんだろうか?大丈夫なはずがない。

頭が割れそうな程痛い。さっきから、嗅ぎ慣れない臭いで鼻が痛いし、耳鳴りだってしている気がする。
体の震えも止まらないし、胃の中がごちゃごちゃで、気分は最悪。全身に力が入らなくて、まともに立つことさえ出来ないであろう。

今すぐどこかに消えてしまいたかった。


「本当に僕って“禍根”ってやつなんですね・・・」

小さく、小さく、掠れた声で呟くしかなかった。自身の言葉に違和感を拭い切れない。こんな事が起きた後なのに、未だに僕の心はこの現実を受け入れることが出来ない。

「冗談だと思っていました・・・。信じられませんでした・・・。だって、おかしいじゃないですかそんなの?聞いたことない・・・」

「ああ」

「でも・・・、これ現実なんですね。今でも夢見てるみたいですけど・・・」

「ああ」

「これじゃ、戻れませんね・・・」

「そんなことないさ・・・」

「そんなことあります!触ればみんな死ぬなんて、どうすればいいんですか!?こんな存在は害にしかならい!消えた方が良いんだ!」

喚き散らしている僕に向かってアルレイさんは落ち着いた声で、

「落ち着け。・・・いいか、よく聞け。“禍根”だからってどうした。人と触れ合えない?誰かと共にいられない?ただ消されていくしかない。そんなことはない・・。

“禍根”は“人”だ。同じ人間同士なんだ、一緒に生きていくことだって出来るはずだ。

いつか、きっといつか受け入れくれるやつがいてくれるはずなんだ・・・!」

最後はまるで懇願しているような様子だった。いや、実際そうなのだろう。
その言葉は僕じゃない、違う誰かに言っているみたいだ。

「無理です!!不可能です!!ありえません!!」

その言葉の後、彼は軽く息を吐いて再び口を開いた。

「とにかく、“禍根”だってことを隠せば街にも入れる。それにな、人と接触するときも間接的になら――――


「っ!!!」


 触れられる。こんな風にな」


気付いた時には頬にアルレイさんの手があった。思わず身を引こうとしたが、右手を掴まれて逃げることは叶わなかった・・・。

「なんで・・・?」

不思議だった。だって触れればそれで・・・・・・、あの死骸はその結果の筈。

「だから、直接接触がなければ魔力が干渉し合うこともないんだ」

今更だが、その手の肌触りが、無機質でざらざらしていることにやっと気付いた。黒い革の手袋。

「・・・・・・」

「そう悲観的になるな。いくらでも生き方はあるんだ。それをゆっくり考えていけばいい」


――――悲観的になるな・・・か。

アルレイさんのおかげでいくらかは落ち着いてきた。

「もう立てるか。そろそろ出発しないと日が暮れてしまう」

僕のせいで予定より時間をとってしまったのだろう、すぐに出発する準備を終え再び僕らは歩きだした・・・・・・。




何度も何度も確かめる為に、この現実を受け止める為に、僕を知る為に、あの無惨で、凄惨な光景を振り返ってから。





[20300] ここにいる 3
Name: にく◆e51d9fa2 ID:927103a7
Date: 2010/07/14 21:39
ミラという街に着いたのは、すでに日が暮れ夜の帳が下りようとしている頃であった。あの燦々と照り付けてきた太陽が今は消え、気温は過ごし易い温度へと変わり始めている。
遠ざかって行く暖かな気配の残余を追って後ろを振り返れば、既にそう遠くまでがはっきりと視認出来ず、広がる森林の奥底に暗闇が増殖している光景が其処に。
段々と世界を覆うのは、冷たい夜の空気であった。

あれから僕に気をつかってか、アルレイさんとローゼは歩くペースを落としてくれた。だが、敢えて僕は彼らと距離を開けながら足を進めるしかなった。
それ故に、この集団の歩みの速度は鈍足といって過分ではない。
理由など一つ。怖かったのだ、たんに。先刻の出来事が脳裏から離れない。もし、この手が二人に触れてしまえば……、考えたくもない。
自分の今の心境はとてもあやふやで、定まらないといって間違いないだろう。
誰も僕に近寄って欲しくない、其処には物理的な危険が存在するから。でも、だれかに僕を見守っていて欲しい、心は安息が欲しいから。
その思いが身勝手な物だと知っているが、それでもそう望んでしまう自身の不甲斐無さが苦々しい。
その様に相反する思いを胸に抱きながら終始俯き、目の前の背を呆然とした面持ちで追従して来た。歩けど歩けど代わり映えのない風景。擦れ違う人の姿を見ることは、結局一度もなかった。
道中、前方の影から何度も此方の様子を窺う様な気配を感じたが、それでも掛かる言葉など無かった。それがありがたい。
今はただじっと、この泥沼の心地に沈んでいたかったから。
その道中は重い沈黙に包まれていたが、しかし、自分が原因であってもそれをどうにかしようとは思えないし、出来なかった。

いや、ただ余裕が無かっただけ。何も考えたくなかった。

胸が苦しい、腹の底が重い。嗅ぎ慣れぬ血の匂い。赤い、赤い手の平。

何も無い双眸。虚無の瞳。……転がる肉塊。

思いだしたくなかった。あれの光景を自身が為したことだと信じたくなかった。


延々続いた歩みの果てに、やっとの思いで辿り着いた目的地。
そのミラという街は周りを高い城壁に囲まれた街であった。石造りの其れは、堅牢、不動、不落、素人目に見て
あれは外に居る者には、圧倒的な威圧を、内に居る者には絶対的なまでの庇護を与える物に違いない。
外観を眺めるだけでそう思わせるそれは、壮大で圧巻としか言い様がなかった。
情緒に触れる風景、情景。だが、そんなモノはどうでもよく思える。現在の僕の心理状態では、至極無意味と切り捨てて歯牙にもかけない。

さて、初見でもあれこそがこの街の入口だと分かる所へと一直線に近づく。すると、門と思われるところの前には二人の人間が立っていた。
身を固める物は鎧と兜、それに槍。所謂門番というものだろう。
街へ入るためにはそこを通らないと行けない。他の道……あの壁を乗り越えるなんて、到底不可能に違いないから、正々堂々正規の手順を踏んでの入場と、あの城壁の輪郭が視界に入ったと同時に説明されていた。
それを聞かされて、疑念は当然に形成されたし、不安は増大した。

可能なのか?僕の心中を苛む問題はその一点。
悟られないのか、気付かれないのか、疑われないのか。
ただ、その可能性を疑う。

嫌だった。

怖かった。

“禍根”だって知られてしまえば……


――――見つかれば処刑される……。


昨夜のアルレイさんの言葉が思い出された。
今ならその意味は良く理解出来る。こんな訳の分からない存在は許してはいけないのだ。
害悪と為るべきモノは排除すべき。ああ、それはとても正しい事で間違いない。其処には十分な大義と正義があって、害すべきに足り得る理由と守るべき信念があるのだろう。
うん、何も間違っちゃいない。……何も間違ってはいないけど。

それでも――――――理不尽ではないか。

僕は、ただ普通に生きてきた。平々凡々を過ごし、平穏を嘆きもそれを厭はずに暮らしてきただけ。
特別を持っていた事など一度となく、周囲から賛美され一目を置かれる存在でもなく、無限の雑踏の中に埋没していずれ朽ち果てる卑小な一個人。
それが、ある日目覚めてみれば、おかしな存在に様変わり。
触れれば弾ける人型爆弾。
誰の怨みだ。意味不明の土地に拉致して、更に可笑しな設定を僕と世界に取り入れた。あまりに非現実的過ぎて、頭が触れてしてしまう。
危険人物。危難の状況。
そもそも、そんなに危険ならば態々無理をしてまであの街に入らなくてもいいのではないだろうか?
ならば……他に目指すべき場所は?頭を捻ったところでそんな所知る筈もなかった。
結局現地人であろうこの二人に付いて行くことが安全で確実であると、思考は落ち着いてしまう。
それに、立ち止まるって、項垂れるていることだけは出来なかった。何故なら、それでは何の解決にもならない。
この現実を受け入れるかそうではないかとはまた別に、行動しないと何も始まらないだろう。
例え、それが現状に流されていようが。まぁ、現在の僕にその様な曖昧で適当な覚悟など無くて、本当に眼前の二人に縋っているだけなのだが。
所詮それも建前でしかない。
震える脚を叱責してのろのろとした足取りで、怯えながら高まる鼓動に眩暈を感じ、無意識に早くなる呼吸音をそのままに、門へと近づいて行った。


石畳の道、中世のヨーロッパのような建物が軒並み立ち並び、様々な形をした看板が時折見て取れる。その不思議な風景に溶け込みながらも自己主張の激しい見たこともない形の街灯はされどそっと、月に変って人々の営みを照らし出していた。
さて、その物語の中の様な街並みに暮らす人々も当然普通ではなかった。
まず服装。そして“髪”の色。
道行く人の髪は当然のように黒くはなく、様々な色を持っていた。赤、緑、そして青なんて色まであった。
それは不自然なことであったが、ここでは自然だった。僕の知る世界ではありえないその光景。
頭が痛くなる。何処のアミューズメントパークだ。ああいうものは、有り得ない物だと分かっているから面白いもので、当然の様にあられても対応に困ってしまう。

其ればかりか、自身が異端なのだと思い知らされてしまうのも、頭痛の要因に絡んでくる……。

人ごみを避ける様に、大通りを避けて少し人の少ない通りまで行くと、アルレイさんは一つの建物の前で止まった。
看板が付いているそれは何かしらの店だとは予想できた。しかし、文字らしきものはありはしたが、なんと書いてあるのかは分からなかった。
こそこそと背を丸め、人目を避ける様にアルレイさんの影に隠れながらその後に付いて入って行く。
結果そこは宿屋で、アルレイさんは二つ部屋を借りた。
宿屋の女性は屋内でもフードを取らない僕のことを訝しく見ていたが、問いただされることはなく、部屋のカギを渡してきた。
部屋は僕とアルレイさんが同室で、ローゼはもう一つの部屋を使用。
そして、アルレイさんはギルドというところに、仕事の報告と報酬の受け取りに行くと言って出て行った。
部屋には僕一人。それが今の状況。



この街に入る手続きとして、門番による検問は当然あった。だがしかし、それはあっさりとして簡易的なものであった。
目的、滞在期間、証明書あとは少々の注意のみ。
全身をローブで覆い、素顔を隠していた僕にも顔を見せてくれとは言われたが、アルレイさんの作り話であっさりとそれも許した。
顔に酷い傷があるから見せられないとかなんとか。それを伝えると門兵は不憫そうな顔をしては、すまないと謝ってくるものだから、後ろめたくなってしまった。
こんなにも、言葉は悪いが、適当な仕事でいいのかと、アルレイさんに尋ねれば、どうやらあの人達の仕事は害敵、つまりはレグルムの対処が主な仕事らしい。
言ってしまえば、あれはついでだとか。
ともあれ、僕はこうして無事何事もなく此処に居る。

四方を木製の壁で囲まれた部屋。二つのベッドと、テーブルに椅子。ひとつ見慣れないものが天井にぶら下がっていた。
石のように思えるが、それ自体が光輝き、部屋全体を照らしている。それが何なのか、知識のない僕には皆目見当もつかない。おそらくは蛍光灯と同じ役割なのだろう。
それにしても、……落ち着く。今まで屋外に居たぶん、部屋の中は安心して過ごすことが出来る。
街の中には入ることが出来たのは僥倖だったが、人々の生活の場。勿論の事、人々は溢れ返っているのだ。
正体露見の恐怖。思い掛けず、接触する可能性。その事実が執拗に僕の精神を責める。故に独りであるということは、それらに怯える必要が無いということで本当に心が安らぐものであった。
僕自身、外に事より中で過ごすことが多かったこともあるため尚更だ。
訳の分からない状況に置かれてから、今が一番冷静な状況にあると思える。昼の混乱の反動だろう、物事に対して落ち着いて正対出来ているかもしれない。
比較的まともになった頭ですべきことは……取り敢えず現状の確認だろうか。これからのどうするかを考えないといけない。

昨日目覚めたとき、どこぞの樹海の真っ只中。其処への移動手段、経歴一切不明。
化け物、レグルム、そしてアルレイさんとローゼに遭遇。
そのまま、この場合は保護されたと言っていいだろう。不審な僕を最寄りの街へ引率。
その道中、自身が“禍根”だと判明。それと同時に、魔力の存在は証明される。
街に辿り着けば、幻覚風景。


いいかげん、認めるしかないのかもしれない、

――――ここは僕の知らない世界なんだって――――

危険の無い平和なところだったらまだマシであったが、ここはレグルムが蔓延る世界。ここでは自分も“禍根”という忌諱される存在。
元々、交友関係も狭く細く、僕の存在を想ってくれる家族もいないあの世界だけど、こんな危険な世界は怖かった。


誰だって、自分の命は大切だから。


一刻も早く元の世界に戻りたかった。


――――ああ、そういえば一人だけいたかな、待っていてくれてそうな奴。


ずっと一緒にいた、利発で人懐っこい笑みを浮かべる親友の顔を思い出した。
あいつなら、僕のこと探してくれそうだな。勝手な想像だけど、そう思うとちょっとだけ心に暖かいものが灯る。
くすりと自然に、自分でも気付かずに笑みが出ていた。……それはこの世界で初めて描かれた微笑み。

しかし、今はそのことは関係ないことだと頭の隅に追いやる。思考がそれた……。
とりあえず、現状は再確認出来たが、これからの方針が定まらないのは変わらない問題だろう。取り敢えずの目的であった、人々の集合している場所、街には入ることが出来た。
ならば次。
さて一歩踏み出したいものだが如何したものか?何を指針として打ち出そう。……進まない思考の歩み。
そもそも第一、兎に角知識が無い。それが問題であり、乗り越えなければいけない壁でもあった。

そういえば、魔術師っていうものがいるって言ってたな……。
数瞬もすれば、無駄な思考をしている事に気付き、少々硬さの感じるベッドに横たわっては、何もせずに天井の鉱石を仰いでる最中思う。

『魔術師』――――なんとも心躍るではないか。

掌から火を出したり、人の傷を癒したり、ゲームのような存在だろうか?うん、なんて素敵な存在だろうか。挙句の果てに空とか飛んだり。

一瞬、脳裏をかすめる空飛ぶ生身の人型。……子供か僕は。

想像だけで幼稚な夢に溢れて、馬鹿な妄想が零れてしまう。思うだけなら無料、他人に伝えない限り夢想など無価値で、無軌道を描ける。
意味の無い時間、濛々と夢を膨らませては、胸を躍らせてはその心地に浸る。――――人それを現実逃避とも呼ぶ。

それなら、世界間の移動、といったことも可能だろうか?
想像は無限大で、現実は無限小。
結局想像するしかなかった。
笑ってしまう、今の状況事態が妄想染みているのに、本当に妄想に浸ってどうする。自分の馬鹿さ加減には我ながら呆れる他ない。
ちょうど思考が行き詰った頃、音を立てて扉が開いた。乾いた音と同時に扉は再び閉じられる。
アルレイさんが戻ってきたのかと思って振り向けば、そこにはローゼの姿。静かに扉の前に佇み部屋を軽く見渡してから、そっと言葉を出した。

「入っていい?」

「あ、ああ、うん、どうぞ」

予想外の来客に思考が一瞬固まっては、脊髄反射的に妙な口調で答えてしまう。なんだか彼女にはいつも驚いている気がする。たぶん、間違いじゃないだろう。
出会いからなぞれば、彼女との対話には毎回驚愕というものが付いてまわっていたのは、確かだった。
椅子に座った彼女に向き合うと、どうしたのかを問う。

「ちょっと、話がしたかった」

あまり声は大きくないが、美しく、耳にすっと入ってくるような声。滑らかな清水のような響き。……自分の語彙力の不足が悔やまれる。何故自分には詩的才能がないのだろうか。取り敢えず言いたいことは、可憐な声だということである。
窓の外、下の階から聞こえてくる騒音が少々煩わしい。言葉は発してはいないのに、壁、床に隔たれたその向こう側の空間の音が、その障害物を越えて二人きりの部屋を賑やかにしていた。

彼女とテーブルを挟んで向かい合う。彼女の冷淡で感情が見られないような顔、その瞳が今はこちらを興味深く見ている。
あまりに注視してくるので、視線を窓の外にやったり、何もない宙に泳がせてみたりと落ち着かない所作でやり過ごしてみたり。
彼女が何を思って僕を訪ね来たのかが分からなかい。頭を捻りながらも、ローゼが口を開くのを黙って待ってみる。
しばらく、一方は丹念に相手に視線を送り、もう一方はその視線から逃れようと必死に思考に逃げる時間が続く。
漸くとローゼが口を開く。

「あなたが居たところに“禍根”っていなかったの?」

「……そんなものはいなかった。そもそもレグルムもいなかったし、魔力なんてものもなかったよ」

「いいところ。……“うらやましい”」

うらやましい。そこには、並々ならぬ響きが含まれていた。
その一言にどれほどの想いが籠められているのか、他人である僕には当然の様に読み取ることが出来ない。
だが、一つだけ分かる。彼女は心底そう思っているのだ。僕にとっての当たり前を想い、羨望の眼差しで願っているのだ。
それから“禍根”であることをどう思うかを問われた。

「最悪だよ……」

吐き捨てる様に答える。言葉は続かない。でも、この言葉が今の僕の全てである。多様な悪感情が混ざり合い、混沌としていく僕の胸の内。
それでも、要約してしまえばその一言が最適だ。
それに、正直あまり考えたくなかった。それは問題の先延ばしでしかないが、結局まだまだ割り切るには時間が足りないことでもあったから。

それ以上、語ろうとしない僕に彼女は、

「うん……そうだよね」

そこには同情や慰めなど無かった。あったのは、労わる様な同意。そう――――同意であった。
どうしてローゼが共感するか分からない。この苦難は僕固有の物で、彼女には全く有り得ない物なのだ。
妙な疑問を挟みながらも、再び騒々しい喧騒だけが訪れる。
ローゼの質問により再び、自身の境遇について思い始めてみるが迷走するばかり。知らぬ世界、未知の領域。
真っ当に、平穏に生きたいと望む僕の心は、未来に対する光明など、どうしても見出せない。

「違う世界に行けたらいいのに」

だからだろうか。先程の馬鹿げた妄想が、つい本当に零れてしまった。溜息にも似たその呟き。自分でも無意識であったそれは本当に小さいものであった。
だがしかし、その言葉にぴくりとローゼが反応する。

「……そういう考え方もあるんだ。……違う世界、ちがう……」

あまり連呼しないで欲しい。あまりに子供っぽい戯言は、他人に言われると思った以上に恥ずかしいものがある。出来れば、そのまま聞き逃してもらいたかったのだが。
呟きながらも、ローゼは先程から熱心に僕に向けていた怜悧な双眸の目尻をささやかに下げると、僅かながら首を縦に振っては頷いた。
そんな些細な仕草がアルレイさんと似ていて、親子という繋がりを確かに感じてしまう。

「そうだね。私も見たい、別の世界」

そして、如何いう訳か賛同を得てしまった。こんな、ただの思い付きにそこまで真摯に考えれられても困る。
ローゼの真剣な眼差しに、苦笑いすら浮かべることも出来ずに、口籠っては返す言葉が見つからない。
閉じられた小さな口。再び揺るがなくなった少女の雰囲気を感じては、次の反応を待ってみるが、既にその用事も終えたのか、自発的に口を開くこともない。
ならばこの際だ。此方からも少しだけ、質問というものをさせてもらおう。

「一つ聞きたいんだけど、二人は旅でもしてるの?ここに家があるわけでもなそうだし?」

「……もともと、違う国の街に住んでた。でも私のせいで……そうしないといけなくて」

少しだけ先程と違った強張った声色で、寂しさを含ませながら答えてくれた。
事情は分からなかった。聞く気もなかった。知ったところでどうにかなるものでもないと分かっているから。
でも、眼の前の彼女は辛く苦しんでいる。まるで、許しを請うようで、罰を求めているかのようで、それでも救われたいかのようで……。
そんな少女の憂いの表情を前にして、軽薄に事情を問い詰めるなんて事は到底無理である。

「見付けないといけない。それを見つけないと駄目なの」

彼女に投げかける言葉を僕は知らない。だって彼女のことを何も知らないから。
だから、僕も、そうとだけ呟きその先を聞かなかった。この事について拘る理由もない。他にも話題はあるだろう。

「そういえば、アルレイさんって普段何してるの?」

「ギルドの仕事」

「その……ギルドって何?」

「ギルドは一つの組織。そこに登録することで仕事を受けられるの。……でも危なことばかり。

あまりしてほしくないけど、仕方がないから……」

「仕方ない?」

そう聞いてから少し後悔した。配慮に欠けてたかと思ったから。あまり立入った事は聞くべきではなかった。
そんな僕の不安を尻目に、ローゼは淡々と平坦な様子で口を開く。

「ギルドの仕事は危険な物が多いけど、報酬は多いから……。それに、一つの街に長い間いないから普通の仕事は出来ないの……」

「ずっと、そんな生活を?」

「三年くらい。……うん、あれから三年」

何かを噛み締める様に三年と。暫しの沈黙……。
まだ何かあるのかといった様子で、僅かに首を傾げては、細長い瞳で先を促してくる。
ちょっとした話しの種はないかと思考を巡らしてみたところで、再び乾いた音が響く。一瞬だけ外の喧騒が大きくなったが、すぐさまそれも籠った小さなものに変った。

今度こそアルレイさんだ。

「なんだ、ローゼもいたのか?」

軽く驚きを露わにする。部屋に入って来るなり、腰の鞘に収まった剣をがちゃがちゃと耳に痛い音を立てながら壁際の机の上に置いては、此方を穏やかに眺めた。
その顔付きに似合わない、優しげな態を感じさせながら、粗雑な動作でベッドに腰掛けてはその重みでベッドを軋ませる。

「まぁ、偶には俺以外とも話さないとな」

少し嬉しそうに続けた。
その言葉から想像するには、この少女、人とはあまり会話しないみたいだ。なんというか、イメージ通り。
人とは慣れ合わない。孤高、悪く言えば孤独。そんな感じだ。

「ローゼちょっと来てくれ、飯とってくるから。ソウタは待っていてくれないか。直ぐに戻って来る」

「分かった」

そう言うと、アルレイさんはローゼを伴って部屋を出て行った。
それから数分、二人はすぐに戻ってくる。それぞれ、食器の乗った盆を手に載せて。
アルレイさんは二つ持っていることから、どうやら僕の分まで持って来てくれたようだ。……一人で二人分食べるのなら話しは別だが。
僕の目の前に、右手に持っていた盆を置いてくれたということは、これは僕の為の物だと思っていいだろう。

「すみません、ありがとうございます」

「おう、久しぶりのまともな飯だ。早く食べよう。流石に俺でも、あの肉だけじゃ飽きちまう」

今まで大人らしく落ち着いた冷静さを持った様子を見て来たため、そのはしゃいだ様な言葉はなんだか子供みたいだった。
部屋には椅子は二つ。一つ足りない事に気がついたが、アルレイさんはベッドに腰かけ、盆を膝に乗せて食べ始めていた。
変わります、と言ったがこのままでいいと言われたので素直に厚意に甘えさせてもらう。
あまりしつこく申し出ても、この人にとっては迷惑だろうと思ったからだ。

気付けばローゼも食べ始めていたので、僕もそれに倣った。

「……おいしい」

久しぶりのまともな飯だ。うん、美味い。そう確かに味はいいのだけど……

「どうした、食わないのか・・・?」

そう一口目は食べることが出来たのだが、それから先が進まない。どうしても食べる気がおきない。
体は正直に空腹を訴えているが、落ち着いたとはいえまだ精神的に参っていた。特に煮込まれた肉。それを見るだけでどうしても吐き気を抑えきれない。
しかし、ここで食べれません、なんて言う勇気があるはずもなく、無理してなんとか半分は食べた。

結局そこから、目の前に残っている食べ物に手は伸びることがなく、アルレイさんに残っているものを食べてもらった。
失礼なことをしているという自覚はあったが、無理なものは無理である。

「さて、おまえは明日からどうする?とういうより、これから目的はあるのか?」

「その前に一つ聞いておきたいんですけど、ここには魔術師がいるって言ってましたよね?」

「ああ、そうだが?」

「それなら、魔法とかもあるってことですよね?」

「確かに魔法って呼ばれているものはあるが、魔術師が使うことが出来るのは別だ。魔術師が使う物は魔術だよ」

「魔術?一緒じゃないですか、それ?」

「まぁ、俺もそうだと思うんだが、知り合いの魔術師に言わせればまったくの別物らしい。……詳しくは俺も知らないんだ、すまんな」

「いえ、そうですか。ありがとうございます」

一応の確認は取れた。それと同時に今後の方針は決まった。

「それだけか?」

「いえ、あと……」

これはどうしても聞いておかないといけない気がした。


「……どうして、僕のこと助けてくれたんですか?あなたたちは初めから分かっていたのに」


“禍根”という存在はどういう扱いを受けているかは目の前の本人から聞かされた。

なら、どうしてこの人は助けてくれる?


「――――だからだよ」

「えっ?」


呟いた声は僕の耳には届かなかった。

「いや……。ただおまえが助けが必要みたいだったからな。俺は“禍根”と人を区別するつもりはないさ」

「……どうして?」

「“禍根”だって同じ人間だと俺は思っているからなぁ」

存在は平等なんて理想(ユメ)をこの人は語った。この人の事はほとんど知らない。
だからか、その言葉を素直に受け止めることが出来なかった。核心が他にある気がした。
例えば僕が“禍根”ではなかったとする。隣人がそんな存在だったとする。
間違いなく僕はそれを区別する。人なんて思えない。それが正しいことだと思う。
危険な存在は排除されるのが道理だ。

なんて、人の想いを疑ってしまう自分に少し嫌悪してしまう。
とりあえず、答えは出た。それが正しいなんて僕には確かめようがないので、結局この問題はここまでだ。

「それで、もういいか。他にあるのか?」

ベッドの上での思考時間を全くの空想ばかりに耽っていたわけでもない。アルレイさんの話も考慮して、取り敢えずの方針として、この街での情報収集。
他に行くべき場所も無いのだ。妥当な判断と思っていいだろう。
そうは言っても、これからの目的は出来たのはいいが、現実的な問題が残っていた。
簡単な事だ、お金が無い。元の世界じゃ家もあったし祖父母が残した遺産があった。
だが今は一文無し。
仕事をしないといけないが、“禍根”である僕に出来ることはないだろう。
人の目に触れない仕事とかあればなんとかなるかもしれない。
そんなことをアルレイさんに伝えると、

「むぅ、すまないが少し思いつかないな……」

「お父さん、仕事を考えるんじゃなくて、ソウタを変えればいいと思う……」

「やっぱり、それが一番いいか」


どういうことだ?












翌朝、僕は鏡の前に立っていた。

――――我ながら微妙だ……。

鏡に映る僕の姿。昨夜から変わっている点は特にない。ただ一点を除けば。

「いつかはやってみたいとは思っていたけど……。これはどうなんだろう」

昨夜、二人が提案したことは僕の髪を染めてしまうことだった。

すっかり茶色に染まった前髪の先を弄りながら、今だ慣れないその変化に戸惑ってしまう。

その違和感にも、じきに慣れてしまうだろうが。
しばらくして、鏡の前から離れベッドに腰かける。
こんな事で隠し通せるか不安であったが、その後、下の階にある食堂ではだれにも気付かれることなく食事を済ませることが出来た。
だが、ほとんど朝食を楽しむ余裕がなかったのは、内心はいつ気付かれてしまうか不安でしょうがなかった。
結局それは取り越し苦労というものだったが……。


だが、これでなんとか希望というものが見えたと思いたい。



とにかく、仕事を探さなければ。
アルレイさん達はしばらくここで生活していくらしい。都合がつくまでは、面倒を見てくれると言ってくれた。
ありがたい申し出だが、そこまで迷惑をかけるわけにはいかない。
それに……、

二人と一緒にいることは僕にはちょっと辛かった。

口数は少ないが父親を慕うその姿。

そんな娘に愛情を注ぐ父親。

それはいつか見た、僕のユメ、憧れ。


昔から望んでいたものがすぐそばにあること、もう手に入らないものだと思い知らされるようで……。
見ているだけで胸に何か重い物が浮かんでくる。
あの二人は間違いなく家族で、そこに僕の居場所が見当たらない。むしろ邪魔なんじゃないかと思ってしまうほど……。
そんな、自分が持ち得ることの無かったものに対する嫉妬。そんなくだらない感情を抱いてしまう自分が嫌だった。


そして、僕は部屋のドアを開いた。





そんな浅ましい自分から逃げるように……。



[20300] ここにいる 4
Name: にく◆e51d9fa2 ID:927103a7
Date: 2010/07/14 21:41
「はぁ……」

我ながら重過ぎる溜息が零れる。それは物理的な重みさえ持っているかの様にすら思えた。
気分は最悪。希望は見えたが結果は実らず。これで何件目だろうか……。足は既に棒みたいに強張って、太腿は張って硬くなっている。
時刻は正午過ぎ。燦々と空で輝く恒星がこちらの事情など顧みず、悠々と熱を秘めた光線を送って来ていた。
額を一筋の汗が流れ落ちる。首筋の滑る感触がどうにも気持ち悪くてしょうがない。
なんとなく、手を覆う手袋を見つめてしまう僕。

さて、これから何もかもをフランツ親子にお世話になるわけにもいかず、自身でこの境遇へ対応していこうと決意した次第ではあったのだが。
何か出来そうな仕事を探そうと、内向的で消極的な僕が一大決心をして宿屋を出たのが数時間前。
しかし、文字が読めないことに気付き、とりあえずどんな店なのか分かりやすい看板を目印に店を回ってみた。
手始めに、数ある看板の内の一つに目を付けては、言うべき言葉を考え纏め始める。
だがしかし、一件目の店を目の前にしたとき、緊張と不安でなかなか店に入ることが出来なかった。
数分後覚悟を決め、気の良さそうな中年の婦人と対面し、さっそく雇ってくれないかと交渉へと移行。

人手は足りていると、断られる。

少し気分が落ち込むが、まだ一件目ということで次を探し始めることに。そう簡単には見つかるとは思っていなかったので、それもまた想定の範囲内。
次に選んだ店は飲食店。だが、健闘する間も無く断られてしまった。少しは考える素振りくらい欲しい。主に僕の心の安息の為に。
その後、様々な店を廻り廻っては、人生そう上手くいかないものだと痛感させられた。
結局、太陽が真上を通り過ぎするまで色々な店を回ったが雇ってくれると言ってくれた店はなかった……。
混沌とした状況の中これからだ、という思いで立ち上がったのに、こう幸先が悪くては、どうにも仄暗い未来を思い浮かべてしまうものである。

「……」

そういえば、昼食がまだだった。資金の方はアルレイさんから拝借している。銀貨数枚。どれほどの価値なのかは分からないが、宿屋代も含めていつか必ず返すと言ってはみたけれども、あの人は笑いながら首を振って、

「そんなに気にするな、たいしたことでもないしな」

そんなこと言われても、彼にとっては小さなことでも、僕にとっては大きなことだ。きっと、返さないと僕がすっきりしない。何事にもけじめがなければ。
ちなみに今着ている服もアルレイさんから渡された。
その場では了承してみたが、いつかは返すと心に決めて宿屋を出た。

「あれ……なんだろ?」

幾つも建ち並ぶ店の一点。ある店の前に晴天の下で溌剌と声を張り上げ、行く人を呼び止める光景があった。
そこにあったのは、先ほどからやたら食欲を誘う匂いを垂れ流す露天。
ついつい惹かれてしまう。けれど、今更だがお金の使い方が分からないことに気付いてしまった。
正確にはお金の価値だ。アルレイさんに銀貨らしきものを数枚渡されたとき、お礼を言ったらすぐにアルレイさんは行ってしまった。
その為、詳しく聞く暇などなかったのだ。
銀貨を一枚手に取っては暫しの考察。視線の先の商品と金を交換している様子を眺めて、どの程度の金額なのかを測ってみる。
だが、手の影に隠れて上手く見ることが出来なかった。辛うじて、何枚かが重なるように丸い物体の受け渡しが確認出来た程度。
しばしの思案。屋台の物は、安さが売りが基本だったと思う。それが普通であったはず。
それならば……たぶん露天なら大丈夫だろう。そう思い店の前に並ぶことにした。


お釣りに数枚の銅貨。案外、価値など知らなくても物は買えるものでした。因み味の方は大変美味であった。



日は既に落ちて、街は暗闇に覆われ、静寂に包まれる……。なんてことはなく、人通りは途切れることなくまだまだ賑わいを見せていた。
その喧騒を横目にため息を一つ。ふざけた色を頭に咲かせる人々をぼんやりと眺めては脱力する。
昨日の疲れもまだとれていないのに一日歩きまわって、足はすでに棒。
そんなに頑張れた自分を褒めてやりたいくらいだが、結果として努力も実ることはなかった。
誰だって自分の思い通りに進むことは稀だろう。ならこれも仕方ないこと……。
そんな風に……思える訳なかった。
こっちは切羽詰まっているんだ。いつまでも赤の他人に迷惑はかけられない。明日を何の不安や焦燥もなく迎える事など、いっそ無理な話である。
自分なりの土台、基盤を早期に作り上げないと、いずれ終わりが近づく気がしてしかたがない。
だが、そうは言ってもこう何の成果もないとなると、根気は底をつき、意思は多少の妥協を選ぼうとしてしまう。そして、僕程度の心の芯では、あっさりと挫折しては安易な道へと流れることなど、とうの昔から分かっていることである。

「はぁ、もう戻るか……」

仕事が見つからなかったことを伝えることを考えると気が重い。さんざん彼らに負担を掛けた挙句、ダメだったことを話すのは躊躇われる。
どんな反応が返ってくるのか今から不安でしょうがない。

「おう、おかえり。どうだった?ちゃんと見つかったのか?」

無機質な音を立てながら木目の濃い階段を上がり、冷たいドアの取っ手を回し部屋に入れば、アルレイさんとローゼの二人が揃っていた。
アルレイさんは刀身をむき出しにした剣を手に。ローゼは本を読んでいたが、こちらに顔を向け、アルレイさんに続けて『おかえり』と。



「――――――あ、…ただ…いま」


瞬間、胸にふわりとした柔らかな温かさが灯る。


久しぶりだった。

“おかえり”

彼らはきっと何となしに言ったのだろうその言葉。しかし、僕にとっては……。
僕がまだ子供の頃、世界は幸福で溢れていると本気で信じていたとき、幸福とは永劫に輝き色づいているものだと、疑いなく信じていたとき。
僕が学校から帰って来るといつも母親が待っていてくれた。
玄関を開けて、すぐに僕は母親の所に“ただいま”と声をかけに行く。すると母親は“おかえり”と僕を迎えてくれた。何気なく温もりと優しさ共に。
そして、僕はその日学校であったことを母親に話すのだ。
そんな僕をやさしげな眼で見ながら終わるまで話を聞いてくれる。そして、最後は決まって微笑みながら、

“楽しかった?”

“うん!”

そんなやりとりで締めくくられる。
緩々と穏やかな時間経過。夜になれば仕事からあの人が帰って来るので、母親と二人揃って“おかえり”と言って出迎えた。
あの人は“ただいま”と答える。その返しはぶっきらぼうだったが、必ずそう言ってくれた。
我が家の夕食は家族が揃ってからというのが、暗黙の了解になっていて、母親の合図と共にテーブルに着き、手を合わせては一言。
夕食の席で僕はあの人に母親に言ったことと同じことをまた話す。仕事で疲れていたのだろうに、それでも嫌な顔などせずに聞いてくれた。
あんまり話しばかりしていると、時々あの人はもう少し静かに食べなさいと叱ったが、
相槌をくれたし、笑ってもくれた。

誰もが笑っている。

あの日々は間違いなく僕にとって幸せな時間だった。




そんな幼くて、確かにあった僕の時間――――










「仕事のことなんですけど、…すいません。見つからなくって。だけど、明日は必ず雇ってもらえる所見つけてみせますから!」

「そうか。本当だったら仕事の一つでも紹介してやりたいんだがな……。この街にそんな知り合いもいないから」

「いえ、お気持ちだけでありがたいです。
 ところでそれ……、何してるんですか?」

アルレイさんの手の中で鈍い輝きを放つものに眼がいってしまう。胸の前で天に翳す様に剣を抱えながら、熱心に刀身を具に観察しているその眼が鋭利に細められていて少したじろぐ。
あれが血で染まっているところを見たことがある僕としては、ついつい緊張してしまうのだ。
生物を傷付ける事が目的の道具。あれほど物騒な物は今まで見る機会など無かった。劇で使われる小道具でもなく、人など触れただけで全てが切り裂かれる……凶器、そう思うと感じる違和感。
一瞬、当たり前の様に剣を握るアルレイさんが遠くなる。それでもすぐに、意識はまた形を取り戻す。
これが普通なのだ。何処も可笑しくはない。
感じるのは世界との違和感。
胸に巣食う濁った泥が気のせいか盛り上がる。この感覚は所謂恐怖……。アルレイさんがその武器を僕に向けることなど間違ってもないだろう。
分かっている。でも、想像とは思いたくなくても意思とは別に勝手に想起してくるものである。
あれで斬られたら痛いんだろうな、なんて馬鹿な妄想も起こってくる。

「いや、手入れをしていたところなんだが、ちょうど終わった所だ。最後に一通り確認していたんだが……

 むぅ、以外と早いな。次で交換か」

そう言って、顔を顰めてから鞘に静かに滑らせて剣を納めた。そこでやっと僕を覆う不安も消える。
その動作にホッと一息。意味もなく疲れてしまった。

「そうだ、お金ありがとうございます。これ余ったんで返しますね」

お金の入った袋を取り出し渡そうとしたが、アルレイさんはごつごつした手をひらひらさせて受け取り拒否の意を示してきた。

「おいおい、明日も探すんだろ。その金はもっていた方がいいだろう。そんなに借りを作りたくないなら、いつか飯でも奢ってくればいい
 いちいち渡すのも面倒だし、足りなくなったら言ってくれればまた渡す。遠慮なんてするなよ」

もっともな言葉に素直に従うことにする。それに、再びアルレイさんからお金を借りるつもりもない。明日で見付けてみせるさ、と再び意気込み熱意を燃やす。
それからしばらく雑談をして時間を潰した。といっても、僕が一日街を歩いて疑問に思ったことなどをアルレイさんに聞いただけだが……。

「そろそろ下で飯にしよう。ローゼもいいか?」

「分かった。本置いてくるから少し待ってて」

食堂のほとんどのテーブルが埋まっていた。耳に痛い賑やかさの中なんとか空いているテーブルを見つけてそこに座る。
メニューが置いてあったが、相変わらず字は読めない。その事を伝えてメニューは二人にまかせた。
忙しそうにしている店員を呼び注文を取る。

“少々お待ちを“

そう言われてから大分たつ。まだかと思っているところへようやく来た。

「随分忙しそうですね?」

「ええ、給士が私しかいなくて手が回らないもので。待たせてしまったようで申し訳ございません」

「そうなんですか」

そう言って、彼女はテーブルを去って行った。数秒対峙した顔に何処か覚えがあり、少しだけ悩む。この街で関係のある人間なんていただろうか。
そういえば彼女は昨日受付にいた人?
ブロンドの髪を後ろで紐でまとめている後ろ姿を見て思った。

「なぁ、いいんじゃないか?」

「……何がですか?」

突然、アルレイさんはそう切り出してくる。話しが急過ぎて、意図が掴めない。いいって何がいいのだろう?

「いやだから、此処だよ、此処。どうも人が足りてないみたいだからな。後で聞いてくるのはどうだ?うまくいくと思うぞ」

隣で微かにローゼが頷くのが見えた。それに因り、ようやく話しの合点がいく。
確かに、今も彼女は忙しそうにあちこちを移動している。この人数を捌くには一人では到底無理の様に思えるが、彼女の手際が良いのだろう。どうにかまわっている様子だ。

「みたいですね。今日見てきた中で一番雇ってもらえそうですよ。後で頼んでみます」

「おお、そうしろ」

その後、今まで食べたことのない味に舌鼓を打っては、やっと取り戻した食欲を満足させ始める。
その途中、口にサラダを運んでいるときにふと気がついた。

「ねぇ、ローゼ。その手袋取らないの?」

出会ってから、彼女はずっとその白い手袋を身に付けていた。今まで不思議に思わなかったが、食事の時まで付けているのが気になった。

「それなら、ソウタだってそう」

そう、彼女の言う通り僕自身も現在手袋を身につけている。といっても、これにはもちろん訳がある。
単純な話、これで人との直接的な接触を避けるための物である。これもアルレイさんに進められたものだ。
今の僕の姿は長袖、長ズボン、それに手袋。素肌は顔を除いて全て隠れるようにしている。
もしもの対策としてこうなった。
僕自身これに異論はない。世の中何が起きるか分からないのだから、慎重になりすぎた方がいいだろう。
格好からいえば、ローゼだってあまり変わらない。
上はフリルの付いた長袖のブラウス、下は足首ほどまである黒のロングスカート、そして白い手袋。
格好からいえば、殆ど僕とローゼに大差は無いと言えてしまう。

「う、それはそうなんだけどさぁ」

このまま自分のことは棚に上げて聞くことは躊躇われる。別にそこまで気になることでもないし、彼女も言いたくはないという気配を醸し出している。
何事も無かったかのように食事を再開した。


食べ終わり、人が減って来た頃を見計らって、さっきの店員を呼ぶ。

「ご馳走さまです。おいしかったです」

「はい、ありがとうございます」

顔には疲れが見えるが、それでも嬉しそうに微笑んだ。丁寧に腰を折って、食器を下げ始める。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、時間ありますか?」

「えっ、はい、もう空いてきたのでちょっと待っていていただければ平気ですけど……」

「よかった……。よろしくお願いします」

「はい、それではまた後ほど」

立ち去った彼女を見送ってから、此方の遣り取りを見守っていた二人の方に顔を向ける。

「アルレイさんとローゼは先に戻っていて下さい。一人でも大丈夫ですから…」

「だな。俺達がいても邪魔になるだけだ。それじゃ、部屋でゆっくりしてるか。……行くぞローゼ」

椅子から立ち上がり、二人は部屋に戻って行った。その途中、ローゼは振り返って、

「がんばって……。うまくいくといいね」


そんな一言を残していった。







この宿屋、やたら人がいないと思ったらあの店員さんと、その旦那さんの二人しかいないらしい。
あの人数を二人で捌いていたなんて驚きだ。
奥さんの名前はフラン。旦那さんの名前はイアン。性はランタナ。
ここで雇って欲しいと頼み込んだところ、フランさんは一旦厨房へと向かうと、奥にいたイアンさんを伴って戻って来た。
とりあえず、自己紹介の後は面接。何回やっても面接には慣れない。緊張したが、二人の雰囲気にすぐにほぐれてしまった。
質問にもなんとか答えて、面接終了。

“お疲れ様、これで終わりよ。君は合格。…って言っても、あなたが働きたいって言ってくれたときから決まってたようなものだけど”

“最近はここも忙しくなってきてな。そろそろ誰か雇ってみようと決めていたんだよ。君は真面目そうだし、やる気もある。問題ないだろう”

割とすんなりと働き口を手に入れてしまった。この一日の苦労はなんだったんだろう……。そう思わずにはいられない。
住み込みの食事付き、給料も少しだけだが出るらしい。そんな好条件に頭が下がるばかりだ。




“それじゃ、明日からよろしく”






さっそく二人に報告しに行こう。足取りは軽く、気分は軽く高揚しているのが自覚出来る。
早く伝えたい。
そして部屋の前に到着。扉を――――



「……どう思う?」   「さぁな、分からない……」

「私は正直期待出来ない。確かに彼は“禍根”だけど、不自然なほどに何も知らない。それにあまりに普通すぎる。……普通の人過ぎる」

「まぁ、そうだな。あの様子じゃ手掛かりも何もないだろう。……やっと見つけたと思ったのに!……すまないな」

「……お父さんのせいじゃないよ」


沈黙。


話の内容は分からない。おそらく自分に関係あることなのは確か。
言葉にすることの出来ない疎外感。
でも、それはすっと胸にはまる。
僕の持論では無償の善人なんていないと思っている。人間の関係はなんらかの利害関係で結ばれるのが正しい在り方なんだ。
人は他人に何かを求める生物。他人と関係をもつことで、優越感を持ったり、自己を満足させたり、人によって様々だろう。
そしてこの人達もやはり人だった。
彼らは僕に何かを求めていた。ただ助けようと思ったわけではないのだ。
うん、そっちの方がやはりすっきりする。理由の無い優しさは時に人を不安にする。付き合いの短い他人なら尚更だ。


そう、それが正しい在り方。なのに……

     どうしてこんなにも寂しいのだろう。


二人にこの宿屋で雇ってもらえることを伝えると、二人は祝福してくれた。
次の日は早かった。仕事の説明をされ、さっそく任される。
朝食は先に済ませ、食堂に集まって来た宿泊客の注文を取る。初めてということで動きも遅く失敗もあった。
そんなときはフランさんがフォローしてくれる。その姿を見て、早く慣れないと、なんて思ってしまう自分は生真面目なのだろうか。
そんな中、一つのテーブルから自分を呼ぶ声が一つ。

「ソウタ、注文取ってくれ!」

そちらに視線を向ければ、厳つい成人男性、その隣には可憐な少女。不釣り合いな二人。
言うまでもなく、アルレイさんとローゼの組み合わせだ。

「今行きます!」

昨夜ほどでもない食堂には人がいるので、声を張らないと届かない。
二人の傍まで行くと、

「よく働いてるみたいだな。実は少し心配してたが、その様子なら大丈夫そうだな」

「そうでもないです。失敗ばかりでフランさんにも迷惑かけちゃって」

「フランさんってのはあの人のことか?」

アルレイさんは相変わらず忙しそうに注文を取って、配膳をしているフランさんに眼向けた。

「そうです。優しくていい人です」


――――こんな僕を働かせてくれるのだから。

思ったことは口には出さず。余分なことは省くに限る。

「ソウタ、注文」

静かにそうローゼが告げてきた。しまった、忘れていた。

「あ、うん、ごめんね」

ローゼを怒らせちゃったのかと思ったが、取り越し苦労だった。
流石にこの程度では怒りもしないか、ローゼはいつも通り淡々とメニューを伝えてくる。

「それでは、少々お待ち下さい」

マニュアル通りの言葉を残しその場を離れイアンさんに注文を伝える。そして料理が出来たことを伝える声があったので、それを持っていく。
注文を取る客も減り、食堂を去っていく人が多くなってきたとき、空いているテーブルを拭いていた僕にフランさんから声が掛かった。

「ちょっといいかしら?ソウタ君と一緒にここに来た子いるじゃない?その子にちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

「ローゼのことですか?そういうことは本人に言った方が早いかと」

「ううん、あなたにも頼みたいのよ。少し時間をくれないかしら?」

「いいですよ。そういうことなら聞いてみます」

アルレイさんとローゼのテーブルへ向かう。まだローゼが食べている途中だったので、この後話があることを伝えて、了承を得た。
そのことをフランさんに伝えて、再び仕事に戻る。
数分後ローゼが食べ終わったところを見計らってフランさんと一緒に二人の元へ。

「話って何……?」

フランさんを横目で見ると、ローゼの独特の空気に驚いているようだった。

「ああ、僕じゃないんだ。こちらのフランさんからお願いしたいことがあるんだって。僕も頼まれたんだけど、まだ内容は聞いてなくてね」

「ローゼさん初めまして、よろしくね。……それで、突然で悪いんだけどあなた達にお願いしたいことがあるの。
とりあえず話だけでも聞いてもらえないかしら?……ありがとう」


――――私には娘がいるのだけど……。








そして、僕達はそのお願いを聞くことになった。



[20300] ここにいる 5
Name: にく◆e51d9fa2 ID:927103a7
Date: 2010/07/14 21:41

私の世界はこの四角に切り取られた部屋だけ……。狭い狭い、孤独で寂しい世界の檻。

いつだって求めていたものは、光と自由な体だけ。他はいらない。それだけ有れば、私は取り戻せると思うから。

壁の向こうからの賑やかな笑い声。外の騒々しい喧騒はいつだって遠く。常に私が孤独なのだと突きつけてくる。

でも、それが当たり前。疑問に思うことはない。

だって…、慣れてしまったから。



 確かに、今はもう顔を忘れてしまった自由な友達に憧れていた時もあった。妬ましく思ったこともあった。

いつかこの世界から出て、共に日の元で笑い合うのだと夢見ていたこともあった。



 ある日気付いてしまった、私は私だと。


願ったところで私は他の何かになれるわけではないのだから。



 
 しばらくして、私と共にいるのは家族だけだった。

当たり前だ、こんな私といては苦痛でしかない。もともと少なかった交友も今ではゼロ。

いっそう清々しいほど……。誰一人私を想う他人は消え去った。

その時は、どうして私だけ……!なんて、本気で泣いたりしたものだった。懐かしい思い出だ。

あの頃は若かった。…今も十分若いけど。

一時は両親を恨んだときだってあった。二人だって思い悩み、苦しんでいるはずなのに……。

私は本当に子供だったのだ。自分だけが不幸だと思い込み、この苦痛は私だけの物だと、誰も分かってくれないし、救ってもくれないのだと勘違いしていた。

“どうして私をこんな体で生んだの!”

そんなとき必ず二人は、

“……ごめんなさい!でも、必ず…、必ず治してあげるから!”

今でも忘れらない、あの自身を責める悲痛な声色を。誰よりも自身を赦せない両親に、私は無思慮にも追い打ちを掛けて傷付けた。

それでも、私を見捨てることなく愛してくれる両親には感謝しきれない。

……本当に強くて、優しい親だ。

あの二人が親だったことは、私にとって何よりの幸福だったのだろう。

その事に気付いたとき私は自分を殺したくなった。もちろんそんな勇気も無く、実行しなかったが。




でもやっぱり、幸せと不幸せを足してもゼロになんてなりはしない。





結局運が無かったのだろう、私は。人間生きていれば幸運なこともあれば、不幸なこともある。

私はただ、幸せが少なくて不幸せが多かっただけの話なのだ。というよりその密度。その違い。

もしも、世界中の誰もが平等に幸福と不幸を負うのなら、なんて素敵な世界だろうか。そんな仕組みがあったのなら世界はもっとまともに回るに違いない。

けれども、残念ながら私の世界は極めて現実的。誰もが運の上で、幸福と不幸を与えられるのでありました。

取り敢えず、この運命を与えたに違いない神様でも恨むことにします。

つまらない自分の考え。諦めしかない思考。捻くれた精魂。

うん、長い不幸は人を大人にするのだ。と、ちょっとした優越感に浸ったりする。まぁ、そんなのはただの勘違いなのだけど……。





ここまで言えば誰だって分かるが、私は体が悪い。

ただの病気だったらいいが、残念ながらお医者さんは管轄違い。

私は元々、体の魔力の循環の仕方がおかしいらしい。数回見てもらった魔術師曰く。

魔力は基本的に大気にあるマナを体に魔力に変換して取り込む。そして古くなった魔力は再びマナとして体外に放出される。

そう、体は常に新しい魔力を求めている。確かに新鮮な食材ほど上手い物もない。私だって美味しい方がいいし。

そして、取り込む魔力と、放出する魔力は同等であることが決まっている。

でもそれが私の狂った点。

どうやら、私は吸収する魔力が多くて放出する魔力が少ないらしい。

なんて燃費のいい体。でも、残念ながらそれがいけないこと。もうちょっと考えて欲しいよ、私の体。

多いことはいいことばかりでもないぞ。

そうして、だんだん腐った魔力が体内に蓄積されていき体を壊していく。怖いことだ。

生きているだけで理不尽な毒が日々蓄積され、やがて満ちていく。

その異常は魔術師様(専門家)にも治せるものでもない。つまり、私に未来は無い。

いつだったかな?五年前だか、六年前だか、七年前だか、……うん、忘れた。

兎に角、私からしたらちょっと前に眼が見えなくなってしまった。どうせ毎日見る風景は変わらないのだから別にどうでもよかった。

訂正、両親の顔が見えないのはやっぱりちょっと寂しい……。


もうちょっとがんばれよ私の体。根性ないぞ。


眼が見えなくなったのにはやっぱり理由がある訳で、


――――なんと、私にはちょっとした才能があった。


生まれながら魔力を“視覚”として捉えることが出来たのだ。

なんて意味のない才能。それをいったい何に使えと?魔術師にでもなれたら良かったが、そもそも見えるだけで、操作するなんて出来なかった。

もし、その才能さえ有れば私はこうまで苦しむことなどなかっただろう。でも、そう都合良くいかないのが人生。

それで、初めは人の体の周りを薄く蒼白い神秘的な光が纏っていたのが見えた。人によってその量と動きは違っていて、なかなかに面白い物であった印象があった。

私が成長してくるとだんだんその光が濃さを増していき、奇妙な圧迫感を感じる様になった。そうなって暫くすると、仕舞いには視界は蒼く染まっていた。

何もかも蒼みがかって見える視界は、私の精神を圧迫していった。

自分自身の魔力さえ私は見えるようになってしまったのだ。んで、最後に私の眼は突然何も見えなくなった。

どうも古くなった魔力が眼に干渉してその能力を強めていったらしい。それに私の眼が耐えられなくなったと。

なんて、余計なお世話。そんなことはいいからとっとマナに還れっていうの。

それからも順調に魔力は澱み腐り、確実に蓄積され、私の身体に影響を与えて行った。……勿論悪い方向に。

そんなこんなで、今では体を起こすことさえ結構辛い。

両親曰く、本当に小さい頃は体は正常で歩けたりしたそうだ。だが、それは酷く遠い物語に聞こえ、実感も記憶も無かった。

私としては気付けば初めから足は動かず、体は常にベッドの上だったのだ。そんな話を聞かされても、信じられないのも仕方ないだろう。





――――そろそろ、私も末期かな。




なんて、悟ったふりをしてみたり。実際本当にそう思っているけどね。

自分の体のことだ、自分が一番解かる。もうがたがたですよ。



人生は希望に満ち溢れている



そんなのは本当に幸せな人間だけだよ。希望なんて見えた日は無かった。まぁ、眼は見えないですけど。

人生お先真っ暗。ついでに視界も真っ暗。

それに、無いものねだりは見っとも無い。もう子供じゃないのだから現実に生きましょう。まぁ、まだ一五ですけど。まだまだ子供でもいたい年頃です。



そう、人生これからって時に独り寂しくベッドの上。孤独は親友です。



だから、今日も独り唄を歌おう。明日を想う祈りの言葉を。



未来があるかも分からない。



それでも、私は今日を生きるしかない。





……一秒でも長くこの世界に在りたい。そう思うことは罪ではないはず。



[20300] ここにいる 6
Name: にく◆e51d9fa2 ID:927103a7
Date: 2010/07/14 22:11
青白い肌、ほっそりとした体付き、細い眉、瞳は空虚、虚空を見ている。顔の輪郭は透き通る様な透明感があり、幽玄の美というものに一瞬捉われる。
艶のある長い白髪は腰ほどまであり、一本一本が窓から差し込む光に反射して煌めき、その姿をどこか神秘的にしていた。
すっと背筋を伸ばし、真っ白な両手を膝の前で組んでいるその光景は、浮世離れしている気配を感じさせて、現実味が欠けている。
年は傍にいる小さな少女よりも少しだけ上と見える。身長は比べるまでもなく彼女の方が高いが、肉付きが悪いせいかローゼとあまり変わらぬ体躯に思えた。

そして、その存在は希薄。今にも消えてしまいそうだ。


だが、




「へぇ、ローゼちゃんっていうんだ。いいなぁ、なんか素敵な名前。私その名前好きかも。君の声にぴったり。
 良く分からない?しょうがないしょうがない。私、顔見れないから声で決めるしかないんだもん。人が第一印象を見た目で決めるのなら、私は声でってこと。
 ローゼちゃんの声ってなんだろ、うーん、……そう、早朝の小鳥の囀り!沈黙の世界に響く小さな鳴き声。
 …あれ、私って結構詩人の素質ある?あ、ない?がっくり…。今のは良い感じだったと思うんだけどな」

割と雰囲気をぶち壊してくれた。見た目に反してよく喋る子だ。
そんな彼女は今ローゼと話している。……というより彼女が一方的に話しかけている、という状況だが。
彼女の勢いに、ローゼは少し戸惑っているように見えた。まぁ、ローゼの性格を考えれば仕方ないことだろう。
……僕だってあの勢いで話しかけられれば、たじろいでしまうこと間違いない。
今現在、ローゼに向かって話しかけ続けている彼女の名はセレネ。フランさんとイアンさんの一人娘である。


どうしてこんな状況になったか?簡単なことだ。

“セレネと話して欲しい。”

それがフランさんのお願いだったからだ。フランさんの話では、セレネは昔からとある理由から体が弱く、ずっとこの部屋で生活してきたのだという。
それ故、外に出る事も叶わず、仲の良い友人もいない。その事を辛いとは言うことはなかった。両親が尋ねても笑いながら、そんなことはない、と否定してきたのだと。

しかし、つい最近ポツリと漏らした言葉がフランさんの耳に入った。




―――― 寂しい……。 ――――




その言葉はフランさん、それにイアンさんにどれほどの衝撃を与えたかは知らない。
でも、二人は思ったのだ、“私たちは本当に彼女を見ていたのか?”と。
“彼女の体を治すことに気を向け過ぎて、心を蔑ろにしていたのではないのか?”と。
まぁ、それを決めるのは彼女だ。僕には分からない。
とにかく、普段は若い者なんていない宿屋にちょうど、年の近いローゼと僕がやって来た。
つまりはそういうことで、あとは言わずもがな……。

この話を聞いたとき僕は、断ることが出来なかった。なんたって、僕を雇ってくれる人のお願いだ。
しかも、内容も内容である。どうやったら断ることが出来るだろうか?
僕にその役目が務まるかは分からないが、それでも少しでも彼女の為になればと思いながらも、この部屋へと来たのがつい先程のこと。

「ソウタ君もお話ししようよー。もしかして、もうどっか行っちゃたのかな?私に気配を感じさせないとはやるね。
ローゼちゃん、ソウタ君ここにいるの?」

「……いる。そこでぼーとしてる」

「なんだ、いるなら声掛けてよー。会話は人生を豊かにするんだぞ。一緒に人生楽しもうではないですか!
 それとも、その年で痴呆?……ご愁傷さまです」

僕が過去へと忘我している間、とても酷いことを言われた気がする……。意識を現実に戻し改めて二人の様子を見ると、最初にあったローゼの固さが、何時の間にか柔らかくなっていた。
先程まで、セレネの問いに対して“うん”とか“違う”、それに首を振る動作だけで答えていたローゼが、今では自分から会話をしている。
少女は自分でも気付いているのか、その顔には蕾のような微笑があった。それを見て少しだけ思う。この孤独な少女にも、そういった感情はあったのだと。
それはそうと、いかにも病人といった姿、セレネさんの話では確か、体が弱いのではなかったのか?むしろ、僕とローゼより元気じゃないか。

「君、初対面の人間にすごいこと言うね?まぁ、黙っていた僕も悪いんだけど」

「うん、非を素直に認められる君は偉い。ねー、ローゼちゃん」

「よく分からない……。でも、セレネちょっと言い過ぎ」

「ごめん、ごめん。でも、時間は有限。私達を待ってはくれないよ?明日は嫌でも私たちを迎えに来るんだから。
 今に花を咲かせるのは生者の特権なのだ。――――うん、やっぱり才能はあると思うんだけどな?」

冗談めいた口調、柔らかい微笑み。だけど、その言葉はどこか重い。理由なんて分かり切ったこと。
彼女がいくら明るくしてようとも、彼女の今まで、想像出来なくとも話は聞いている。
それにその姿は誤魔化しようがない。まさに、病人といった姿。
彼女にその気がなくとも、僕はそう受け取ることしか出来なかった。そんな捻くれた心を隠しながら言葉を紡ぐ。

「それはそうだけど。僕って結構話すの下手なんだけどなぁ」

「ふーん、そうなんだ。なら一層お話しましょう。回数をこなして人は学ぶものなんだから」

なんて、余計なお世話。空虚な瞳を微動だにせず、顔だけを此方に向けてからかう様に見せた笑みは、心底温かかった。
どうにも聞かされていた話しからの想像、彼女の実際の容姿との乖離が途轍もない違和感を感じさせる。
僕の想像としては、もっと弱々しく静謐で儚い人だと思っていのだが、大いに検討違いだったらしい。

「……で、何を話すの?」

「まぁ、いろいろあるじゃん?ソウタ君とローゼちゃんの関係とか」

「なんの関係もない」

「・・・・・・」

ローゼの間髪いれない返事。開きかけた僕の口はしばしその形を保つ。
なんとなく寂しい……。確かにローゼの言った通り、僕とローゼの関係は言うほど深いものでもない。
だがしかし、何の関係もないというのは少し……いやかなり寂しいものがある。……別の言い方はなかったのだろうか。
そう思ったところで残念ながら、僕個人の感情がどうあれ彼女との関係に、親密さは無きに等しいのであった。

「なんてつまらない返事。ソウタ君。キミ、ローゼちゃんになんかした?」

「なんかしたって、別に何もしてないよ。それにしても、君は本当に気持ちいくらい正直だよね」

「褒めても何も出ないよー、残念でした。それよりローゼちゃん、ソウタ君に何かされなかったの?」

「いや、してないって言ったよね?話聞いてた?……それから、別に褒めてない」

「……何もされてない」

うん、僕もした覚えはないから、その少し考える素振りも要らなかったと思うよ。

「僕とローゼの関係だっけ?」

「うん、君達兄妹じゃないよね?だから気になるの。……恋人さん?」

最後の一言はどうしてだろう、異次元に飲み込まれて僕の耳に届くことはなかった。ええ、なかったとも。
それにしても関係ね……。

「保護者と被保護者……」

ローゼがいつもの調子で、ぽつりと零して声を発する。まぁ、味気ない表現だがそれはとても的を射た答えであるだろう。
断じてセレネがほざいた妄言など掠りもしていない。

「ってことは、ソウタ君がローゼちゃんのお世話してるんだ?えらいねぇ。見直した」

この子の中では、いつの間にか見直されるほど僕の評価が下がっていたようだ。
だがしかし、その言葉に対してローゼは眉を顰めながら、左右に小さく首を振っては少しだけ、誇るような声色で言った。

「ううん、違う。私が保護者。ソウタは逆。」

「・・・・・・・・・・・・」

セレネは常に開いている瞳を態とらしく大きくし、大袈裟に息を飲んで驚きを顔に作った。それを見て何となく感じた。ああ、どうせ碌なこと言われないんだろうな、と。
その思考に呼応するかの様に、セレネの口がすっと開かれる。

「……ソウタ君、キミって最悪だね。幼い少女にお世話されられて恥ずかしくないのか!
 見損なったよ!」

「いや、違うからそれ!」

見損なわれてしまった。先程上昇した評価は、再び下方修正らしい。
今ので、彼女の中ではローゼに養われている僕の姿が既に形を成している、そんな気がする。……ひどい思い違いだ。
しかも、そのお世話という言い方はやめて欲しい……。確かにローゼにも迷惑を掛けてしまったのは事実だ。
しかしながら、基本的に頼ったのはアルレイさんで、自身より年下のローゼに縋った覚えはない。
ローゼも少し言葉を多くした方がいい。時として言葉足らずは事実を捻じ曲げるのだから。

「彼女の父親が、道に迷っていた僕を助けてくれたんだよ。それで少しの間、昨日まで二人には世話になったんだ」

「迷子って、子供かい君は?」

その口調は心底呆れているといったことを伝えてくる。自身の特殊な事情を告げる気はないが、帰り方の分からない自身が迷子というのも、強ち間違いでもない。
但し僕の推論が正しければ、その迷子の規模というものが想像を絶した大きさであるのだが。……果たして帰る方法などあるのか。
遺憾ながらも、セレネに対する反論を見つけられなくて口籠っていると、意外にもローゼが、割って入ってきた

「ソウタにも事情がある。それがどんなことかは知らない……。だけど、困っていたからお父さんは助けたの。」

「へぇ、そうなんだ。いいお父さんだね。」

言葉少しに、微笑みを加えてそう呟いたセレネ。
そして、当然の様に僕の事情について聞いてこなかった。遠慮したのか、それとも単に興味が無いのか。
どちらにせよ、僕はあまり誰かに事情を知られたくなかったため、その態度に密かに安堵した。
僕の問題は、誰かに共有してもらうには余りに突拍子もない事だし、この事を馬鹿正直に伝えて頭の可哀想な人になる勇気もないから。

「そういえば、ここに泊ってるっていうことはこの街の人じゃないんだよね?旅行かなんか?」

僕の微妙な気配を感じとったのか、セレネは次の話題へと会話を移した。

「僕の場合は近くにあったのがこの街だったから。ローゼ達は旅の途中らしいよ?」

その機に乗る様に、僕も努めて平常の声を意識しながら答えた。だが、それも中途半端な答え。
旅をしている、そうは聞いてるけど目的は聞いたことはない。疑問に思ったことは確かにある。アルレイさんだけならまだしも、この華奢な少女と二人でとは。如何にも疑念が湧き上がる。
でも、それを聞いたところでどうにかなるものでもない。知ったところで僕に出来ることなんて無いに決まっているから。
……いや、それはただの言い訳か。ただ他人の事情に深く踏み込めないだけだ。
拒絶されることを恐れ、ある程度の距離を保つ。それが僕という人間の生き方。

「旅?……ふーん、そうか旅かぁ……」

光の灯らないセレネの眼が微かに輝いた…気がした。それは気のせいだろう。見えぬ瞳が如何に感情を表すというか。

「ちょっと、探していることがあるの」

「探していること?……それって何か聞いても?」

「ごめんなさい、……それは言えない。それにあるかも分からないこと……だから」

何かを嘆くようにローゼは顔を伏せる。
先程からの楽しげな空気を払拭し、悲壮な雰囲気を漂わせて口を噤む少女に、セレネは腕を無軌道に宙にバタつかせ、焦りに舌が絡まった様な声の後、一層明るい声で謝った。

「ああ、言えないなら別にいいよ。聞いた私が悪かったんだ。ごめんね、変なこと聞いちゃって。
それより、旅をしているって言ったよね?ってことは、此処以外にもいろんなところ行ったりしたんだよね?
……ねね、どうなの?」

簡潔な謝罪の後の、即時話題転換。その切り替えの早さ、僕には無い物だ。
ローゼはもう彼女に慣れたのだろう、返しに躊躇が無くなってきた。

「うん、シレオンとかルーマとか……いろいろ」

「シレオンっていうと……“水上の幽玄”?エルムには行ったの?」

「行った。すごくきれいな街だった。まるで、街が水の上にあるみたいなところ」

「へぇー、やっぱりそうなんだ。話には聞いていたけど。他にもいろいろ教えてよ?」

「うん、そこでお父さんがお祭りに連れて行ってくれたの。」

楽しそうなセレネと、満更悪そうでもないローゼ。二人の会話は弾む。
なんとなく会話に入りづらく、ただ彼女達のそばで黙って立ちすくみその様子を眺める僕。こういう時、どうしていいのか分からない自分の性格が恨めしい。
二人はそう意識していないのだろうが、自分が勝手に感じている疎外感が、心を寂しくする。
そんな僕に意外にもローゼが、

「ソウタの住んでいた所ってどんなところなの?」

「えっ?」

そう僕に話を振って来た。

――――気をつかわれたかな


「僕の住んでいた所かぁ……。そうだね――――」



そんなふうに彼女達とのお喋りで、時間はあっ言う間に過ぎていった。







「じゃあ、また来てねー。」

そうして、彼女の部屋を出た。内心少し疲れを感じていたが、楽しかったのは事実だ。
それに気付いて、自分自身のそんな感情に驚いた。この馬鹿げた世界に来て、初めてそんな感情を持った。
辛いだけの場所にも、確かに安らげる場所がある。それは喜ぶべき事実なのだろう。人は苦楽あって成り立つ知性体。苦痛に溺れてしまえば、何時の日か破綻してしまう。
まぁ、つまり何が言いたいのかというと、辛い事だけだったら耐えられない。こんな些細な楽しみがあるからこそ、頑張ろうという気力も湧いてくるのであった。
今日は良いで日であった、と未だ一日の半ばで今日という日を評価しては、高揚感に包まれる。

「そろそろ仕事に戻らないと。初日から仕事を休むわけにいかないし」

そうして、ローゼに別れを告げようと後ろを振り向くと、セレネの部屋の扉の前で其処から動こうとせずに佇んでいた。

「ねぇ、ソウタ……。セレネは私と話して楽しかったのかな?」

そして、少し上目遣いにそう尋ねてきた。不安なのだろうか?声にいつもの無感情さがない。
消え入りそうな声で、こっそり窺う様に尋ねたローゼ。

「さぁ、僕は彼女じゃないから分からないよ。」

「それじゃあ――――。」

「ローゼはセレネと話して楽しかった?」

「……うん」

「うん、それがきっと答えだよ。」

それは綺麗ごとだろう。他人が何を考えているかなんて、僕に分かるはずもない。だからこそ、こんな言葉を無責任に言えるんだ。
少女にとって当たり障りのない解答しか言えない僕。

「そう、……なら良かった」

だが、そんな僕の偽善者然とした答えに対して安心したのか、顔を綻ばせ、嬉しそうにローゼは呟きながら、一歩を踏み出した。

「それじゃ、仕事頑張って」

そして、ローゼは宿屋を出て行った。
僕はその後ろ姿を見送ってから、あらかじめ聞いていた部屋の掃除に向かい、午後の仕事に励むのでした。












日は落ちて街に暗闇が訪れた。宿屋の食堂は昨夜と同じ光景を映し出す。
明るい店内、丸いテーブルを囲む人々。賑やかな喧騒と騒々しい笑い声。忙しそうに店内を動き回る給士。
一日の終盤は、日が高き時より尚一層輝く。誰一人として、ただ静かに明日を待つ気はないのだろう。
それは昨日も見た光景。だが、今僕はゆっくり注文を待つ客ではなく、フランさんと共にその客に奉仕する店員。
喧しい喧騒の中をフランさんの動きを見本にしながら、拙い動きで駆けずり回って数刻が経つ。
それにしても疲れる。慣れない作業に肉体が、仕事に伴う責任に軟な精神が疲労していた。さらに、この混雑具合は眩暈がする。
これを今まで乗り切って来たイアンさんとフランさんはすごいとしか思えなかった。
朝はまだ良かった。ここまで忙しくなかったから。フランさんに仕事の詳細を聞きながらでもこなせる程度だ。
これなら、僕でも大丈夫だろう。なんて、甘い事を考える程に。だがしかし今の僕にそんな余裕は微塵も存在しなかった。
ああ、昨日のあのテーブルに呑気に座っていた自分が羨ましい。外から見ているものほど楽なものはないだろう。
注文を取り、イアンさんに伝えて料理を運ぶ。その繰り返し。ときにテーブルを間違えて注文を届けてしまい、注意されることもあった。
幾度目かのテーブルと厨房への往復を終えた時、随分と耳に慣れた言葉を聞き取った。
一つのテーブルにアルレイさんとローゼを見つけそこに向かう。この光景の中、アルレイさんだけなら目立たないが、ローゼの姿はすぐに見つけ出すことが出来た。
周りは大人ばかり、年少のものはローゼ以外いないと言っていいだろう。この空間の中では、酷く浮いた存在であった。

「こんばんは、アルレイさん。ローゼもお昼振りかな。それでは、……ご注文はお決まりですか?」

「ああ、これとこれを頼む。」

「ローゼは?」

「……これでいい。」

「畏まりました。少々お待ち下さい。」

注文をいつも通りイアンさんに伝える。その後は、空いたテーブルの食器を下げ、その上を拭く。

「ソウタ!」

「はい!」

掛かった呼び声に答え、イアンさんから料理を受け取り、先に出来た二品を二人の元へ運び、後の一品を取りに戻る。
何度も今日一日で繰り返した動作だ。

「出来てるから、これよろしく。それと、はい」

「……?」

なんだろうか、注文を受けた覚えのない料理も出された。もしかして、どこかのテーブルの注文か?
まずいなぁ……、覚えてない。内心が焦りで揺れる。失敗は既に何度か起こしてしまったが、だからといって慣れるものでもないのだ。
出来るだけ注意を払いながら、注文を取っていたつもりだったが、努力及ばずだったらしい。
しかし、それは杞憂だったようだ。

「これは君の分だよ。フランから聞いてないのかい?……まぁ、いいか。
まだ、夕食なんて食べてないだろう。あの人達と一緒に食べるといい」

お腹は空いて、時折夕食について思いを馳せていた頃合いだ。
その提案はとても助かるが、

「いいんですか?まだ、仕事はありそうですけど」

「ああ、大丈夫。そろそろ落ち着いてきた。そっちはフランだけでも十分と言っていたしね」

そうは言っても二人が働いている中で、食事を取るのは正直気が引ける。

「でも……」

「気にしないで。君には後で、僕達が食事をとってる間に皿洗いでもしてもらうから」

そこまで言われては従うしかない。やんわりとした口調に諭され、おとなしく料理を手にアルレイさんとローゼの元へ。

「これで、注文は以上ですね?…それで、すみませんが、席を御一緒してもいいですか?」

「おう、座れ座れ。飯食う時は多い方がいいもんだ」

「すいません、ありがとうございます」

許可をとって、椅子に座る。断られるとは思っていなかったが、そう言われて少し安心した。
嫌な顔をされたら、どうすればいいか分からなくなっていただろう。

「もう慣れたのか、ここの仕事には?」

「慣れたって、まだ初日です……。まだまだですよ」

「それはそうだな。」

アルレイさんもそんなことは分かっているのだろう、笑いながらそう答えた。

「とにかく、早く馴染むことだ。そうしないと辛いぞ?」

その言い方は、こちらを気遣っているのか、それともからかっているのか。判断がつかない。
その横ではローゼが相変わらず表情を変えずに手を進めている。

「全く、アルレイさんの言う通りですよ。早く仕事覚えないとなぁ」

言葉少なく会話をしていたが、しばらくすると、周りの喧騒を横目にただ料理を口に運ぶようになった。
すると突然アルレイさんが口を開く。

「明日からしばらく、ここに戻って来れなくなった」

「……はい?」

唐突な言葉の意味は良く分からなかった。戻って来れないってどういうことだ?

「もしかして……仕事?」

ローゼはすぐにその意を把握したみたいだ。アルレイさんは頷くだけでその問いに答えた。

「それって前に言っていたギルドっていうところの?」

「そうだ。近隣の町でレグルムの被害が確認されてな、その原因の排除が今回の仕事ってわけだ。
まぁ、しばらくって言ってもだ、三日か四日で戻って来られるさ」

「そうなんですか。……大変そうですね」

……レグルム。思い出すのは初めてアルレイさんと出会った時。

息の詰まる空間。これ以上はない圧倒的な恐怖。あの一瞬は夢のような瞬間で、それでも確かにあった現実。
僕は忘れることが出来ないだろう。今も、……これから先も。あれこそが、僕がこの世界を忌避する要因の一つで、また僕にこの世界の在り様を教えた存在だったから。
そんな憂鬱な気分の僕は置いてかれて話は進む。

「それでだ、ローゼお前はどうする?一緒に行くか?」

「ううん、今回は行けない。だって……約束したから」

「約束?なんだそれ?」

「セレネと約束した。……また明日って。今度は一緒にご飯食べようって、約束したの」

『約束』、その一言を自身でなぞるように何度も口にした。ひっそりと確かめる様に、噛み締める様に、失くさない様に大切さを籠めて。
あの全てを拒むかの様な鋭利な瞳の目尻が、今はただ明日への期待へ嬉しさを表せていた。

「……そうか」

その様子を、こちらもまた嬉しそうに、優しげな表情で穏やかに見つめているアルレイさん。
ローゼだけでなく、アルレイさんも本当に嬉しそうだ。まるで自分のことの様に……。


――――なぜだろうか、その光景はとても綺麗なものに見えた。

      なんて幸せな光景(家族)


それからは、ローゼはアルレイさんに今日の昼にセレネと話したことを話していた。言葉は少ないが、表情はいつもより明るい感じはあった。
その間、僕はまさに帳外といったところ。
料理も食べ終わり手持ち無沙汰だったので、二人に仕事に戻ることを伝えて席を立った。


客は減って、気付けばアルレイさんとローゼも食堂から消えていた。
客がいなくなったので、食堂を閉め、フランさんとイアンさんが遅い夕食を取っている間に残っていた洗い物を終わらせる。
そして、最後に食堂の清掃を終えて今日の仕事は終了。
自分の与えられた部屋に戻って、疲れからすぐにベッドの上で横になる。窓の外も今ではすっかり光を失い、この騒がしい街もやっと静かな眠りに着こうとしていた。
自身の呼吸音と時折聞こえて来る誰かの声を子守唄に、うとうととまどろみに沈んで行く。
十分ほどで眠気は僕を襲ってきた。それに抗うこともせずに、すぐに僕の意識は闇に落ちようとする。

明日、アルレイさんの見送りでもしようか?

完全に意識が落ちる前にそんなことを思って、僕は眠りに就いた。


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