吉田郡山城(安芸高田市)
今日は安芸高田市の吉田(旧吉田町)に行ってきました。
ここは、中国地方最大の戦国大名、毛利元就の本拠地である吉田郡山城があった土地です。
毛利元就をはじめとして、毛利氏ゆかりの史跡がたくさんあります。
広島バスセンターから広電バス上根・吉田線「吉田出張所」行きで約90分。安芸高田市役所前で降ります。
今日歩いたルートと見てきた場所です。地図は案内板の写真からいただきました。^^;
なんと定休日でした。ガーン!!
ちゃんと事前に調べて行けよ、っていうツッコミはなしの方向で。なんせ「思いつき」の旅なんですから。^^;
この資料館には司馬遼太郎さんの小説の一節を石碑にしたものがありました。吉田郡山城について書かれた文章のようですが、どの作品だったかちょっと思い出せません。
★(2)の毛利隆元公墓所です。
毛利隆元は元就の嫡男で、吉川元春や小早川隆景の兄ですが、元就に先立って若くして亡くなった人です。
右側の石碑には明治41年に正三位を追贈されたと書かれていますが、やはり子孫が明治維新によって公爵になったことと関係があるのかも知れませんね。
★(2)から★(3)に向かう途上の道です。まだこのあたりは舗装もされているし、それほどキツいというほどでもなかったのですが、それでもだんだん息は激しく、汗も出てきました。
山道の感じがいかにも山城、という感じです。
★(3)の毛利氏歴代の墓、毛利元就の墓です。
入り口に鳥居がそびえています。
こちらが毛利元就の墓。山の中にあるおかげでひんやりとした空気が気持ちよく、静かな場所で、やわらかい木漏れ日が差し、静かに眠るのにふさわしい場所だな、と思いました。
★(3)から★(4)に向かう途上、休憩用のベンチがあったので一休み。このあたりはもう完全な山道で、かなりキツい坂です。
吉田の町を見下ろすととてもいい眺めでした。
★(4)の二の丸跡から本丸跡を見上げたところです。
思っていたより小さくて、本丸跡の大きさは2LDKぶんあるかないか、といったところでした。
本丸跡です。この石碑以外にはこれといって何もありませんでした。
本丸跡から二の丸跡へと降りていくところの動画です。
最後、アメリカ人らしい二人組が登ってきました。こんなマニアックなところを見に来る外国人がいることに驚きましたね。
城跡全体として石垣などがほとんど残っていないのですが、この三の丸跡だけ少し痕跡が残っています。
★(5)の旧本城跡へ向かうところです。
最初の道から左の下のほうに沢があったようで、心地よい水の音が聞こえていました。ビデオからも聞こえるでしょうか?
そこからさらに道があるのやらないのやらわからないほど狭くて険しい山肌を登り、ぜえぜえ言いながら辿り着きました。降りるときも転がり落ちないよう気をつけるのがたいへんでした。
こんなところに城があったら、そりゃ攻めるのはたいへんだよなぁ、と思いました。
旧本城跡は、本丸跡とは違って眺めがよかったです。このくらいの眺望があれば、合戦の戦術を考えるのにも役に立ちそうですよね。
★(6)の展望台からの眺め。桜が七分咲きくらいになっていますね。だいぶ町に近づいた感じがします。
★(7)の郡山公園です。見事な池がありました。桜がほどよく咲いており、お花見客も何組かおられました。
★(8)の清(すが)神社です。由緒を感じさせる荘厳なたたずまいですね。
毛利元就といえば有名な「三矢の教え」。広島を本拠地にするサッカーチーム「サンフレッチェ」の語源でもあります(フレッチェはイタリア語で「矢」の意味)。
★(9)の三矢の訓跡碑ですが、青少年自然の家の敷地の奥にあり、場所がわかりにくいです。
町まで降りて来てから山を見上げて。こうして見るとけっこう高い山なんですよね。登り始めから降りてくるまでトータルで2時間ちょっとかかりました。
思っていた以上に、けっこうな登山でした。毛利隆元の墓あたりまでは舗装された道路で緩やかな坂道なのですが、元就の墓から本丸あたりはまったくの登山道でした。念のためアミノ酸&クエン酸サプリメント持って行っておいてよかった。^^;
特に旧本城跡は道といえるかどうかわからないような、ほとんど崖のようなところを登らなくてはならないので、登山に慣れてない方、体力に自身のない方は無理をしないほうがいいと思います。ヘタするとすべって怪我をしたりしかねません。
地元の方以外に観光客らしき人にはほとんど会いませんでした。本丸跡で会ったアメリカ人二人組だけでした。
大河ドラマのころはそれなりに人が増えたのかも知れません。それに今日は平日だったこともあるでしょうけど、休みの日でもけっこう険しい山道だし、これといって目を引くような施設があったりするわけではないので、あまり人は来ないのかも知れませんね。
だいぶ前に尾道城に登ったときも、荒れ放題になっていてショックだったことを覚えています。
やはり山城を観光資源にするのは難しいのでしょうかね。
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- 吉田郡山城(安芸高田市)(2010.04.05)
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貴方は姓に対して、ものすごく重要に大切に感じていらっしゃる。
なのに、そのことをwebで語るときに、なぜその名前を使わないのですか? さすがにそれは説得力に欠けます。
姓はこれほどにも重要ですよという話をハンドルネームでしかできない底の浅さは、貴方の姓に対しての意見を蔑ろにしています。
特に貴方が反論している相手が、きちんと本名で語っているときには。
結局、貴方にとっての姓なんてのはその程度のものでしかないのですよ。
浅い浅い。
投稿: | 2010/07/14 21:16
名無し様、ご訪問ありがとうございます。
早速ですが、私はあちらこちらで自分の本名を晒しております。あなたのお名前についてはまったく存じ上げませんがw IPアドレスならわかります。
私は鎌倉時代に安房の狭隈郷を領した桓武平氏三浦氏流佐久間家村の子孫で、織田家中で鬼玄蕃と呼ばれた佐久間玄蕃允盛政の弟、信濃長沼藩一万八千石の藩主佐久間勝之の子孫、佐久間勝仁と申します。
以後よろしくお見知り置きを。
ところで、吉田郡山城にはもう行かれましたか?とてもよいところですよ。
ぜひ外に出て山のキレイな空気を吸って、モヤモヤした頭をすっきりさせてくださいね。
ではでは
投稿: 「きゃっつ」こと佐久間勝仁 | 2010/07/14 23:29