きょうのコラム「時鐘」 2010年7月15日

 女子中学生2人が互いの家族を殺そうと自宅に放火した。極めて異常な事件だが「なぜ、そこまで」との戸惑いがある

神戸の連続児童殺傷事件以来「心の闇(やみ)」という言葉が少年事件に使われてきた。が、最近では「心の闇」などという分析では意味をなさない。今回も、外国籍の母と長女の年齢差など複雑な家庭環境を理解しないと分からない。そこから来る戸惑いである

「ならぬことはならぬものです」という旧会津藩の教えが有名になったことがある。不可解な事件の背景を分析してみせるより「だめなものはだめ」と言う勇気を大人が持てということだったが、毅然とそう言える大人がどれだけいたか。皮肉な問いかけでもあった

子どもより大人の側に問題がある事件が少なくない。特異に思える少年犯罪でも、どの家庭にもある小さな悲劇の芽を見ることがある。親が姉妹に注ぐ愛情の偏りから子どもが抱く不公平感もそのひとつだろう

子どもに教育が必要なように、大人以前とも言える若者にも親になる勉強がいる。友人、老人、仕事や地域から学ぶ「社会常識」という名の勉強である。