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[19712] 回統世界ファルティオーナ「まえがき」7月14付け
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/14 11:00
回統世界ファルティオーナ「まえがき」

加筆事項。検討事項。

sideの概念五分類を章ごとに加筆。
分類は以下の通り。

敵E(enemy)
現在N(now)
過去P(past)
回想M(memory)
特殊EX(Extra)

sideE(enemy)
sideN(now)
sideP(past)
sideM(memory)
sideEX(Extra)

sideに番号を振るか検討中。
プロローグ、エピローグはこの例から除外。
加筆による誤字脱字の修正は加筆毎に実行する事も有り。

御感想に感謝を・・・・・。
                            執筆者より

回統世界ファルティオーナ「Begining Cross Line」

長編二作目プロローグ及び1章投稿

今回の長編は前作長編と同世界観上の独立した別物語。
同キャラクター及び同設定などが含まれる。
時間軸は前作より前。

随時、追投稿予定。

                            執筆者より
                         2010年7月14日

回統世界ファルティオーナ短編「曇りし想いに応えたる」
回統世界ファルティオーナ短編「リーヌのともだち」

二作品を投稿。

短編は大枠での世界観のみを共有する事が前提。
短編、長編は連動するものとそうでないものも含む。
幾つかの関連キーワードが出てくる場合も有り。
基本的に一つの小話としてお読み頂けます。


                            執筆者より
                          2010年7月5日


回統世界ファルティオーナ短編を投稿。

回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」1~3投稿。
以下追投稿

長編よりも短い作品(長編の半分程の作品含む)の投稿。
長編は加筆と修正のみ、短編は一定の題名内での新投稿と別題名での新規投稿も含む。
短編設定は長編設定と同一。
題名毎に脚注の追加を検討中。
短編キャラクターの長編投稿予定。
短編の時系列は長編より過去時点になる場合あり。

御感想参考とさせていただいております。
                             執筆者より
                          2010年7月3日




[19712] 回統世界ファルティオーナ「Begining Cross Line」プロローグ
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/14 11:06
プロローグ 始まりの始まりの始まり

 少年は何かある度に村の誰からも苛められていた。

少年は不幸を連れてくる疫病神らしかった。誰もがそれを信じて疑わない。少年もそれを信じて疑いはしなかった。
そんな少年は苛められた時に夜を待つ。安息を求めて。誰も少年を責めない夜を。だから、少年は夜が好きだった。月明かりを見上げては何も考えず過ごす。
誰も知らない少年だけの世界。
誰も責めない少年だけの楽しみ。
月明かりは緩やかに少年を包み込み安堵させてくれる。
近くの小高い丘の上。
街も見えない遠方の村民。
不幸を運ぶ忌み子。
そんな少年にとっての最後の楽園。
世界はいつでも不幸で満ちていて少年は全てを諦める。
少年は求めない。求めたところで手に入らないものが多過ぎた。
少年は奪われても何一つ言わない。
理不尽な大人達と同じ歳の子供達。
略奪者達は少年にとって逆らえる存在ではなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
少年の親はいない。死んだのだと誰かが冗談混じりに少年の傍で呟いた事を今でも少年は覚えている。それを悲しいとすら思えない少年にとって家族といえば・・・自分を迫害する群れの単位にしか過ぎない。
誰もが「死んでしまえ」と言わない夜の中。
孤独とは何かなど少年は知りもせずに空を見上げる。
少年はただ月明かりに照らされて穏やかだった。
少年は気付かなかった。後ろからそっと近づいてくる影が一つ。
「・・・・・・・・・ッ!?」
肩を掴まれて少年は吃驚する。
振り返ればそこには女の子が一人いた。
少年にとって他人なんて誰も一緒。
少年にはその女の子が誰か分からなかった。
「ねえ、ここは私のトクトウセキ。どいて欲しいのだけど」
女の子は偉そうに少年に言って傍に座った。
その言葉に少年は同意する。
自分の居場所はいつだろうとも絶対ではない。
それぐらい少年にだって分かっていた。
常に奪われる側の少年にとって居場所が無くなるなどいつもの事だった。
揉め事にもならない「いつも」の事。
「・・・横にいたって文句なんか言わないわ」
「?」
少年は首を傾げる。
少年にとって其処はもう自分の居場所では無くなった。
それなのにどうして他所へと行こうとする少年が責められる理由があるのか。
少年には不可解だった。
「トクトウセキさえあれば私はいいの。横に座るのぐらい許してあげる」
少年は少しだけ考える。
ここで女の子に逆らうのは揉め事になるかもしれないと。
少年は女の子の横へ恐々と座った。
「その・・どうして・・・外に?」
少年は親もいなければ親戚もない。
ただ村に養われている奴隷に等しい。
そんな少年を見咎める人間がいないからこそ夜外にいる。
女の子は違うだろう。
少年が着る襤褸からすれば立派な仕立ての服。
薄汚れていない上等な着物。
それはこんな夜に外に出る者の姿ではないと少年にも分かった。
「あなたには関係ない。違うかしら」
それは最もな話で、少年は黙って空を見上げた。
「・・・・・・・・・・・・・」
女の子はチラチラと少年へと時折視線を走らせる。
「・・・・・・・・ッ・・・・」
少年は気付かない。
女の子が実はとても緊張している事。
少年が気になっている事。
それを少年は感じられる程に器用ではなかった。
考えれば分かる。
普通の女の子は夜になんて出歩かない。
星を見上げるならば窓からでも十分に違いない。
女の子がわざわざ夜に丘の上に来る理由など、ただの一つしかない(・・・・・・・・・)。
「~~~何か言いなさい。話もできないの。レディに失礼でしょう」
女の子はその沈黙に耐え切れなくなって少年を睨んだ。
「・・・・・ごめんなさい。その・・・名前は・・・」
少年の無難な受け答えに女の子はショックを受けた。顔が少しだけ強張る。
女の子は少年がそれぐらい分っているのだと思っていた。
少年を気に掛けて時々は遊びに誘ったりもした女の子からすれば、その発言は裏切りにも等しかった。
女の子は他にも少年を村の行事に呼びに行ったりもしたのだ。
少年はそんな事すら覚えていないのだろうかと女の子は涙が出そうになる。
名前すら覚えてもらえていなかった事実に悲しみを通り越して怒りを覚える。
「その・・・どうかした?・・・・どこか痛い?」
少年は女の子が顔を歪めているのに気付いてそう訊く。
少年は本当に女の子を心配しているわけではなかった。少年にとってこの場で女の子が不機嫌になる事は揉め事の種だっただけの話だ。
「な、名前も覚えてないなんて信じられない。こんなにブジョクされたの初めてよ!!」
 一方的に怒り出した女の子に少年はどう対応していいのか分からない。ただ、これ以上女の子に怒られては大人達にも怒られかねない。だから女の子に少年は謝った。
「ごめん・・なさい」
「私の言う事を聞いてくれるなら許してあげる」
「・・・うん」
「いいわね? 出来ない事は言わないから、ちゃんと聞きなさい」
少年は女の子の勢いに乗せられている気がした。でも、少年に抗う意思など起きようはずもなかった。少年はただの奴隷で、女の子はちゃんとした家のある、家族のいる、少年を使うべき人間だったのだから。
それに・・・少年は少しだけ女の子の事が心配になっていた。
尊大な物言いの女の子はどこか泣き出しそうに思えた。
それは少年にとって何となく胸が痛い事だった。
曖昧な思いは不確かでも、その思いは少年に首を振らせた。
「じゃあ。あ、明日もここに来る事。それとこれから名乗る名前は忘れない事。約束しなさい。それで・・その・・許してあげるから・・・」
少年と女の子は共に月明かりの下、丘の上で互いに話す。
不器用に少し楽しそうに。

それは夢が始まった場所。
少年が夢を見つけた場所。
少年にとって初めての大切な居場所だった。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Begining Cross Line」1章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/14 11:33
第1章「○投げし君の理不尽」

sideN(now)

「そこまでよ!」
そんな声が掛かったのは森の中で遅い夕飯の仕度を始めた時だった。
「アンタが魔王・・・・観念なさいッ」
二十メートル程上、樹の太い幹に複数の人影が見えた。
「えっと・・・勘違いだと思うんだけど・・・・・」
「なっ、騙されないわよ! 数々の非道ッ、その罪を背負い黄泉路に旅立てッ、トウッッ!!」
 トウッという声と共に一人分の陰が木の上から降りてきて――見事に、着地に失敗した。何か空中で気の抜けるような音がしてドシャリッと鈍い音が地面で響き、続いてその上に二人の影が無事着地する事に成功した。
着地に失敗した影の上から無事だった影が退いた。
一人地面に体を打ち付け悶絶する影にそっと問いかける。
「大丈夫?」
「く、魔王に頭の心配される程バカじゃないわよ」
「えっと」
ここは誰も頭の心配なんてしていないとツッコむべきなのか。それとも「頭悪い?」と素直に言うべきなのか悩んだ。
「それ自分が頭悪いって暴露するのと同じです。フォーゼ」
着地した影の一人がツッコミを入れ、もう一人が賛同して頷く気配。
「フォーゼ。そんな感じ」
どうしてお笑い芸人の人に狙われることになったのかと途方に暮れた。
それと今更に気付いた事が事態の深刻さを浮き彫りにさせていた。
影の人は全員が子女・・・・女の子に違いなかった。
「女の子が漫才をしないと食べていけない世の中なんて・・・この頃の不況って深刻だったりする?」
地面にめり込んだ方の少女がガバッと起き上がる気配。
「なッッッ」
跳ね起きブルブルと震えている影が戦慄く。
夜の森では明かりが無い為、姿は確認できなかった。
「言われても仕方ないダメッぷり」
「しょうがないです。そういう星の元に生まれたんです。たぶん」
「ま、魔王のくせにあたしに喧嘩売ろうってのッ!!」
厄介事に巻き込まれた予感で胸が一杯だった。
「だから人違いじゃないかなぁ・・と」
「でも、バカにしたしッ。それに森の中で灯りも点けずにいるしッ。アンタが魔王じゃないと困るのッ、ものすっごく困るのッ!! 主にアタシの懐具合とかお腹具合とかがッッ」
「・・・・うわー」
「うわーって言った!? こいつ今うわーってッ。アタシを蔑みの視線で見やがったわよ?!」
「今の私達は対象としてはきっとそんな感じです」
「この子。魔王に見えない」
「そもそも視界ゼロで見えないっつーの!」
「魔力で視力強化」
「誤解は解けたみたいだし。それじゃ僕はこれで・・・夕飯の支度もあるから」
早めに退散しようと歩き出そうとして、その平和的解決策はたった一つの音によって木っ端微塵にされた。
ぐぅ~~~~~~
辺りには気まずい沈黙。
「えっと・・・」
「う、く、ア、アンタが悪いのよッ! 紛らわしいからッ、た、例え魔王じゃなくてもアタシをバカにしたのは万死に値するわよッ!! それにッ、アタシが三日もご飯を食べてないのにアンタだけ食うなんて絶対ゆ、ゆ、許せないッ!!」
とっさの判断で横っ飛びに体を投げ出した。
ドドンッ。
爆発音、自分が今までいた場の後方が一瞬で辺りを照らし出す光源となった。

sideEX(Extra)

それが始まりの光景。
何もかもが終息に向かっていく最初の光景。
最後の旅、その開始の鐘が鳴る。

昔、人に化けた魔王がいた。
魔王は人に化け人々に災厄を振りまき、聖女を集め騙しては味方にして旅をしていた。
名を知らぬ者はいない『希代ノ王(キダイノオウ)』は騙されていた聖女達を天使の声によって解き放ち、魔王を共に討つ事になる。
時が過ぎ、魔王から新たなる聖女を解放した五人の聖女はその総数を七とした。
魔王を滅ぼす為、天使、悪魔、人間、人外がただ一度切りだけ集い魔王に戦いを挑んだ。
その結果、多くの犠牲を出しながらも人々は魔王を追い詰めていった。
しかし、魔王の絶大な力に大地は割れ、空は何時果てるともない光に満たされ、勇士達は地に伏せていった。
全ての者を地に這い蹲らせると魔王は天に赴き、唯一神と対峙の時を迎えたが、神の力の前に滅びそうになるや地上に逃げ去って行った。
力を失った魔王は地上の何処かを今も彷徨っている。
そんな物語が存在する世界。
人はそんな世界を回統世界ファルティオーナと呼んだ。

sideN(now)

「えっと」
少年は呆れた瞳で光源を造った人物を見つめた。
「―――」
直後に毒気を抜かれたように少年が呆然とする。 
自分を襲った三人の姿を見た故だった。
その少女達はとても美しかった。
少年に向けて手を翳している少女はまるで女神のようだった。
しかも、女神は女神でも戦女神と呼ばれる方向。
その立ち姿は凛々しさと神々しさを兼ね備え、戦場の死した戦士を誘うものとすら見えた。
長い赤髪。
吊り上った目元。
端正に整った顔立ち。
華奢なようでいて美しく力強い女性的な姿態。
背も少年より高い。
黒と赤の衣裳。
全身を覆うそれがよりいっそう小女を映えさせていた。
少年は二人目の少女を見る。
二人目の少女は黄色い髪をボブカットにしていた。
年齢は赤髪の少女と同年代か十七から十八程。
メガネを掛けている顔には華やかさは無く、代わりに触れれば切れるような視線があった。
顔立ちは女神の少女と似通っていて美しく姉妹である事が知れた。
地味な紺色のゆったりした法衣を身に纏っていた。
三人目の少女は漆黒の髪を三つに束ねるシスターだった。
どこまでも抜けるような肌の白さは聖域という言葉が似合う。
身に纏っているのは白と黒が基調のシスター服。
ウィンプルの無い頭部から流れる髪は美しく赤髪の少女に負けず劣らない。
背が先の少女達より低く、顔は人形のような造形美を宿していた。
先の二人よりも若く十三程と少年には見えた。
三人の少女達の身なりから旅行者だと少年にはすぐ分かった。
その衣装は所々で擦り切れ、旅の苦労が滲んでいた。
少年の視線に三人の少女が見つめ返す。
「アンタが?」
フォーゼと他の二人に呼ばれた赤髪の少女は少年の姿に驚いていた。
目の前にいるのが魔王だとは思えなくなっていた。
他の少女に言われた通り、少年はまるで魔王なんてものとは無縁の姿だった。
中肉中背。
顔は童顔で女顔。
黒髪に黒い瞳。
歳は十四程。
身長も普通の同年代の少年より足りないとフォーゼには見えた。
大人しそうな雰囲気、服装は至ってシンプルに古臭い皮の繋ぎを使った布の服。それと体を覆う茶褐色の外套が一枚。まるで昔の絵本に出てくるような旅人姿は意外としか表現できないものだった。
どちらもが見つめ合い、少年が先に口を開く。
「傷害罪・・・刑法だと確か禁固六年相当」
正気に戻った少年の遠まわしの糾弾にフォーゼは狼狽した。
「し、証拠なんて何処にも無いわよ。ええ、アタシが今から消すから!!」
「真実は曲げない主義」
「ム所での暮らしはまず挨拶からと本に書いてありました。ご愁傷様です。フォーゼ」
「ティルナッ、セツルッ、あ、あんたらアタシより、こ、こんな怪しい奴の方が大事だっての?!」
「罪は償うべき、事実は消えない」
ティルナと呼ばれた黄色い髪の少女はフォーゼに諭すように言って肩を叩いた。
セツルと呼ばれたシスター服の少女は冷静な声で優しく微笑む。
「大丈夫です。差し入れは欠かさないように努力します」
「コ、コイツ等は・・・・悪いのはコイツでしょッッ」
フォーゼの理不尽極まりない言い草に少年が額に汗を浮かべて訊く。
「そもそも魔王っていう根拠は何なのか激しく聞きたい気が・・・」
少年の最もな問いにフォーゼは暫らく沈黙した。
二人の少女がフォーゼを見つめる。
沈黙と視線に耐えきれなくなったフォーゼが懐に手を入れ、そこから円形の片手に収まるサイズの物体を取り出した。
とても安っぽい使い古されたプラスチック的な玩具。
少年にはそう見えた。
「これよッ! これッ! 悪いッ! 中古屋で手に入れた魔王レーダーッ」
「な・・・」
少年は脱力しそうになる。
少年は何処かの会社が造った玩具モドキで殺されかかったらしかった。
「とりあえず。とちった姉に代わって謝罪します」
 シスター服の少女セツルが頭を下げ少年に謝罪した。
「今回の件に関して姉に非があるのは明白です。何らかの償いが出来ればいいのですか。生憎と持ち合わせが無いので勘弁していただけないでしょうか」
自分より幼い少女に懇切丁寧に頭を下げられるなんていうのは少年にしてみれば居心地の悪い事この上ない状態で、少年はすぐに被りを振って頭を上げさせた。
「誤解が解けたなら何よりだし、そんな頭下げなくてもいいから、ね?」
姉らしいフォーゼはセツルの行動に心打たれたのか渋々と頭を下げた。
「それにしても何で魔王なんか討伐しようと思ったのかとか、訊いていい?」
そう聞かれた瞬間三人の少女達の腹部からグウッという音が夜の闇に木霊した。
少女達が幹から飛び降りてくる時に聞こえた音の正体がソレだと気付いて、少年は切ない感じに同情した。玩具に頼りたくなるほどの空腹。空腹は人間の知性を損ねるのだと飢餓の怖さを少年は微妙な気分で悟った。
「「「ッ―――」」」
 少女達が一斉に何かを言おうとしてまたグゥと音が響く。
「・・・・えっと・・・お腹が空いてたり・・・する?」
「イエス」
ティルナが無表情に頷いた。
空腹のあまり賞金目当てに魔王討伐。
今まで命を掛けて魔王を討とうとしていた者達が聞いたら憤死しそうな理由に少年は苦笑する以外になかった。
 グウッと更なる音が響く。
「「「~~~~」」」
三人の少女が赤くなると同時に少年から目を逸らした。
「えっと・・・」
珍妙な少女達は空腹である。
そして理不尽である。
更に晩御飯の仕度が成されている。
その参段論法っぽい思考から導き出される答えに少年は仕方なさそうに笑った。
「とりあえず・・・食べる?」
少年の言葉に少女達は嬉しそうにコクコクと首を振った。
「でも、その前に、その・・周り・・・」
「「「?」」」
少女達が周囲を見回し凍りつく。
赤々と燃える樹を中心に周囲の暗闇に赤い点が無数に光っていた。
獣、化け物、猛獣、呼び方などどうでもいい。
とにかく危険な瞳をした獣の群れ。
「食前の運動とかどう・・かな?」
少年の何かを諦めきった様な声に少女達は何も言わず頷いた。
その場の誰もが何も言わず全速力で走り出した。

sideEX(Extra)

回統世界ファルティオーナには三つの世界が存在する。 
人が統べる地界、天使の治める天界、悪魔達の住まう酷界。
人が統べる地界の事を人は大抵の場合『大陸フォル』と呼ぶ。
全長三万キロという巨大な大陸。
それ以外に人の住む大陸は無く、大陸の外には広大な外洋と諸島だけが点在している。
地界において行われた魔王との最後の戦争。
『黄昏(たそがれ)の悠久(ゆうきゅう)戦争(せんそう)』
その戦後、世界は二つの組織の下に治められる事となった。
『七(しち)協会(きょうかい)』と『自治州(じちしゅう)連合(れんごう)』。
戦時に戦った七人の聖女を頂点に置く大陸全土に広がる教会と大陸各地の国家が解体統一された後に結成された自治州の連合体。
 この二つの組織により戦後復興された大陸の解体統治の過程で産業が発達、生活水準は向上し半世紀前とは比べるまでも無い豊かさを手に入れた。
現代、大陸フォルの各地は大きく五つに分けられる。
北部、東部、南部、西部、中部の五つの地域。
そのどれもがそれぞれ複数の自治州を定め、独自の政治経済基盤の下、人々を統治している。
北部は主に観光と林業を。
東部は大陸主要行路や大海洋による貿易を。
南部は大規模農業による食糧供給を。
西部は工業地帯による技術革新を。
中部は文化の出発点としてあらゆる文化・政治活動を。
その中でも北東部に跨るイデオストロフ地方は全長二千キロに及ぶ比較的大きな自治州に当たる。かつて大陸北東部を支配した『祭政国家イデオストロフ』と呼ばれる大国家の解体後、旧首都を『自治法都市イデオストロフ』と改名、現在は一年を通して観光客が絶えない風光明媚な地方として成り立っている。
そんな地方の南東部にその森はあった。
イデオストロフ南東部終端。
『魔の森』
安直な愛称で呼ばれる地域の本当の名は、
『真領地帯(しんりょうちたい)』。
悪魔達が住む酷界と繋がった地域。
生態系の狂いにより人間が不用意に立ち入ると骨も残らない危険地帯。
だが、そんな森で不幸にも四人の旅行者は獣に追われる危機に直面する事となっていた。

sideN(now)

息を整えている少年の横で少女達がパンと干し肉とガツガツと咀嚼している。
フォーゼ、ティルナ、セツルの三人だった。
今にも食糧の悲鳴が聞こえてきそうな獰猛過ぎる食べっぷりに少年が汗を浮かべて少女達を見つめた。
「・・・・・・あんまり急いで食べると喉に詰まらせ――」
「おかわり!!」
「・・・・はい」
四人は獣達を正面突破した後、近郊の草原まで逃げ伸びていた。
近郊といっても十キロ以上の距離。
疲れ果てた少女達は獣達の追撃が無いと知った途端安堵したのか、草原に倒れ込み、お腹の音を切なく響かせた。
その光景を無視できず、少年は自分の保存食を少女達に分けた。
それから数分、少女達は獰猛な肉食獣並みに食糧を貪っていた。
特にフォーゼと呼ばれた少女は少年の数日分の食料を完全に胃袋へと消し去り、少年の内心はもう諦めの境地だった。
「・・・・・・・・・」
少年は少女達の食べっぷりに余程食べていなかったのかと感心する。
(・・・・・・・・でも)
空腹にしては見事な連携だったと少年は獣達の包囲を抜け出した時の光景を思い出した。
少年の脳裏には未だ少女達の雄姿が目に焼き付いて離れない。
普通の人間には獣達の包囲を突破するのは容易ではない。しかし、軽がると少女達はそれを成功させた。
フォーゼを中心に連携し、フォーゼの魔導による正面突破、ティルナの拳銃による援護、セツルの後方への筒性の爆雷、そのような無駄とも思える過剰な攻撃力で三人は次々に獣を吹き飛ばし、道を切り開いていった。
三人の少女が民間人とは程遠い戦闘力を秘めているのは間違いなく、少年は少しだけその様子を見て顔を引きつらせたのだ。
「何遠い目してんのよ?」
「ごちそうさま」
「ゴチになりました」
三人が同時に食べ終わった。
二人の少女が少年に頭を下げる。
一人だけ頭も下げない偉そうなフォーゼを見て、少年は溜息を吐き、いそいそと自分の腰に下げていた袋を持ちあげる。
「どうして、こっち見て溜息つくのよ! それと何でいそいそとカバンの中から更に甘味っぽい食料取り出してるわけ!? しかも、セツルとティルナだけッ!」
フォーゼの全力で抗議する姿に少年は少しだけ瞳を細めた。
月明かりの下、フォーゼという少女の行動はその決して高貴でもない意図にも関わらず何故か神々しく見えた。
月下の戦女神。
今の世の中ここまで内側から高貴な空気が滲み出る人間も珍しいと少年は思う。
言動に惑わされず見るならば高貴な出。
(まあ、この子が本当に末裔なら先祖も泣くかもしれないけど・・・)
「何か失礼な事考えてないアンタ?!」
少年の視線にフォーゼが内心を見透かしたようにムッとした。
「ギャグで殺されかけたような気が」
「ぐ、そ、それは・・・に、人間追い詰められたら色々と最後の一線ってのがあるのよ」
苦し紛れなフォーゼの反論に少年は更に事実を付け加える。
「食糧分の金額を持ち合わせてるなら何も言う事はないけど?」
「う・・・・そ、そこまで言うんだったら返すわよ。何かしらの労働で!!」
フォーゼの叫びに妹の二人が同時に言い放った。
『フォーゼ1人でよろしく』
「なっ、あんたらも食ったでしょーがっ! 一緒にやるべきでしょ!」
「私は身体がフォーゼのように野獣ではないので謹んで辞退します」
セツルが微笑んでヒラヒラとハンカチを振った。
「私、頭脳派。フォーゼ、肉体派」
指差したフォーゼと自分の違いをティルナが主張する。
「くぅううううッッ」
「フォーゼ。基本は怒れるオネイサン」
「どちらかというとデレの無いツンだと思います」
「あんたらはぁぁぁぁぁ」
フォーゼが二人へ襲いかかろうとして倒れこんだ。
未だ食糧が体内で消化されていない為、まだまだ先程の全力疾走も合わせて本調子ではないらしかった。
「はい。これ」
小さな甘い匂いの菓子が一つ。
少年の手からフォーゼの手に乗せられた。
「な、何よ。今更・・・」
少年は苦笑して言った。
「肉体労働で返してくれれば」
「わ、分かった・・わよ」
フォーゼは渋々その少年の厚意である甘菓子を受け取ると小さく「ありがとう」と呟いた。
「とりあえずこっちはこれでいいとして。もう動いても大丈夫?」
「まぁ、後もう少しすれば」
少年の言葉にフォーゼがゆっくりと甘菓子を嚥下して頷く。
「いや、それだとちょっと。少しハードな感じになるかもしれないからできればもう起き上がった方がいいかも・・・」
「ハード?」
「逃げないと色々面倒事になっちゃから早め――」
今まで少年とフォーゼの成り行きを見守っていたティルナが叫んだ。
「フォーゼッ」
「へっ?」
セツルが走り寄りボケッとしたフォーゼの頭を思いきり地面に叩きつけた。
直後。
ドバッッッッ。
少年と少女達の周囲に閃光と衝撃が爆発的に吹き荒れた。
瞬間的に音と光が重なり、衝撃が奔る。
地面に顔を打ち付けてそれどころではなかったフォーゼがガバリと顔を上げた。
「なに―――」
フォーゼがまだ完全に戻っていない五感を総動員して当たりを見回した。
そこに先程の衝撃に匹敵するであろう怒声が叩きつけられた。
「見つけたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ」
声の方を振り向いてフォーゼが呆然とした。
その声の主は太った男だった。
頭は禿げ上がり、白い鎧を着込んでいた。
フォーゼにはその白い鎧姿に見覚えがあった。
「騎士?」
フォーゼの後ろでティルナがポツリと言った。
五十三、四歳ぐらい脂ギッシュな肌をテカらせた男。
顔を赤くして叫ぶ男。
十代の少女がその姿を見れば引きまくるだろう顔。
少女達は茫然自失となった。だが、フォーゼだけは一切その音声を頭の中から追い出した。
フォーゼの頭は物事を沢山考えるようには出来ていなかった。
フォーゼの頭の中で何かがプツンと切れる。
「トッカアアアアアアアアアア――――」
男がフォーゼの真横目掛けて突撃しようと走り出した時、
「――――うるさああああああああああああああああああいッッ!」。
フォーゼの魔力が拳に乗り光を発し、男のドテっ腹を打ち抜いていた。
光が男を凄い勢いで空の彼方に吹き飛ばし撃ち抜いていった。
「はぁはぁ・・・あれ、何?」
フォーゼが息を切らせて男が飛んで行った方向を見つめた。
「一体、どちら様?」
「ぼやけて少ししか見えませんでしたが、騎士の格好をしていたかもしれません」
少女達は後ろの少年に向き直った。
「どういうこと?」
セツルの言葉にティルナが相槌を打ちフォーゼが便乗する。
少年は困ったような笑みを浮かべて、
「えっと・・・ごめん」
目を少女達から逸らした。
その姿は何かを深く後悔しているように見えて、少女達は嫌な予感に汗を掻いた。
「どういう意味?」
ティルナの質問に少年は汗を浮かべた。
「色々と巻き込んじゃったかもしれないから・・・」
「巻き込んだって何よ?」
フォーゼの言葉に少年が言い難そうに自分とフォーゼを交互に指して言った。
「簡単に言うと犯罪者。逃亡幇助」
「はぁあああああ?! その歳でアンタ犯罪者なわけッ?! じょ、冗談じゃないわよッ!! 魔王かと思ったら犯罪少年でしたとか!!」
フォーゼが思わず怒鳴った。
「その歳で犯罪者ですか?」
セツルが半眼で少年にジットリとした視線を向けた。
「つまりあのオヤジはアンタを捕まえに来た官憲の人間なわけ?! ど、どうするのよッッ!!」
「どっちにしろム所決定?」
ティルナがポンとフォーゼの肩に手を置いた。
「どちらにしろフォーゼの早とちりです」
更にもう片方からセツルが肩に手を置く。
少年は曖昧に笑った。
「色々な人間に追われてるから。官憲とは限らないけど・・・・。それより一緒に此処から逃げないと今から大変な事に・・・・」
「大変?」
ティルナが少年に訊く。
「目晦ましなんて彼が使うわけ無いし。そもそもこの森全域を発光させる手間なんて・・・たぶん、七教会が時間稼ぎの為に」
少年の要領を得ない返答にティルナが首を傾げた。
「七教会?」
「その、上・・・・・」
『?』
三人が一斉に上を向く。
そこには星空が広がっていた。
「アンタ何言ってんのよ?」
 フォーゼが空を見上げてから刺々しく少年を非難する。しかし、セツルとティルナは何かに気付いたらしく顔を強張らせた。
「反転歪曲型の方陣制御・・・・」
ティルナが険しい顔で微かに呟く。
「しかも、あの歪曲の度合からしてかなり大規模。指定領域の完全殲滅系です」
二人の強張った表情にフォーゼが不審を感じ、もう一度空を見上げ違和感を見つけた。
「星の配置がおかしい・・・何アレ・・・」
「とりあえずここから急速離脱」
「フォーゼよく聞いてください」
 セツルの神妙な声にフォーゼが首を傾げる。
「あれは」
セツルが明らかにオカシイ配置の星空を指差した。
「フォーゼも魔導の歴史学関係で習っているはずです。魔王の跋扈した時代によく使われていた大規模殲滅用の方陣。あの星の歪曲と配置はその予備動作です」
「・・・・・」
フォーゼが絶句した。
「とりあえず逃げた方が・・・この状況だと何か説明してる時間もないし」
少年が汗を流しながら申し訳なさそうな笑みを浮かべた。ティルナとセツルが少年の言っている事も状況もよく解っていないフォーゼに思いっきり笑みを浮かべて言った。
「とにかく、ここにいると」
「死ぬ」
セツルとティルナが端的にフォーゼへ説明すると一目散にその場から走り出した。
「なっ、ちょっ、待てコラッ! 置いてくなぁ~~~~~~」
フォーゼが本気で危ないのかと顔を青ざめさせ二人の後を追って走り出す。
フォーゼの後ろに付く形で少年も同じく逃げ出した。
「七教会にな、何したのよアンタッ!!」
走りながらフォーゼが少年に怒鳴った。
「えっと、盗み?」
 少年が引きつった顔で答えた。
「盗み?! それだけなわけないで――――」
フォーゼは自分の後ろから不意に強烈な威圧感を感じて振り返った。
突如、自分達が今までいた草原に上空から赤い光が落ち拡大し始めた。
「ッッッ、いったい何したのよあんたはああああああああああ?!」
フォーゼは後ろを見た事を早くも後悔し、顔を蒼白にして全力で走り始める。
後ろからドーム上に拡大していく光の速度が上がった。
やがて最後尾で遅れ始める少年の腕をまるでバックでも持つかのように引っ掴んで、フォーゼが先行していた二人に並んだ。遅れた分を取り戻しつつ、少年にフォーゼが怒鳴る。
「吐けッッ、何盗んだのよッッ」
「色々と・・・・」
少年が地面に足もつかない状態で凧のようにフォーゼの手に掴まれながら言い訳する。
「色々って何よッ!? 色々ってッッ」
「どんなものを?」
ティルナの疑問に少し罰が悪そうに少年は白状し始める。
「他人の身分証明書とか・・・」
「そんなので七教会にこんな陣張られるわけないでしょッッ!!」
 フォーゼの最もな意見に更にティルナが聞く。
「他には?」
「博物館から重要文化財とか」
「性質(たち)悪いわよッ。でも却下ッ。それだけじゃないでしょッ。全部吐けッ!!」
「他には宝物庫管理の事務所から書類とか鍵とか」
「他にはッ、テロ組織にすら人命優先で動く七教会がその程度の犯罪者にこんな事するかッ。何か人権無視されるような事したんでしょッ!! さあ吐けッ」
ガクガクと振り回され、フォーゼの狂乱しそうな叫びを浴びながら、少年が言い難そうに困った笑みで言った。
「後は王家の墓から・・・無限に魔力を増幅する秘宝とかぐら――」
「ソレだあああああああああああああッッッ」
ガスッとフォーゼ渾身のツッコミが少年の頭部に炸裂した。
森を飲み込む光は更に巨大になりフォーゼ達の背後に迫りつつあった。

sideE(enemy)

イデオストロフ地方南端。
魔の森へ続く草原の一角。
次なる季節に備える草花が強く息付く世界。
その最中を少女が一人駆け抜けていた。
「―――――ッ」
鉄の刃が振り回される。
一撃で少女の周りにいた追跡者達が吹き飛ぶ。
少女の体力が尽きるのが先か。
追手の追跡者が脱落するのが先か。
「ふ―――」
少女の持つ刀が即座に飛びかかってきた鎧を切り捨てた。
黒い柔らかな内殻と白い先鋭的な外殻を一体とする鎧。
『高格外套』
七教会が有する世界最高の兵装。
それを身に纏った教会の騎師の姿は機械で造られた天使か悪魔。
鎧が生み出す破壊力は巨岩を砕き、山を削る。
降り注ぐ斬撃の雨。
激発する魔導の嵐。
一撃でも生身の人間が掠れば即座に戦闘不能どころか重症を負うだろう攻撃。
それを避け続けながら、その普通の人間ならば気が途中で狂うだろう緻密な回避を続けながら、それでも少女には負ける理由が無かった。
少女にとって攻撃が当たろうと外れようと関係ない。
重症を負って死に掛けようと問題ではない。
少女はただ進む。
生きて進むか死に掛けて進むかの違いしかない。
敵は七教会『ルインの騎師』。
最精鋭と呼ばれる者達。
だが、何を恐れる事があるだろうと少女は思う。
少女には未だ二本の足が在り、二本の腕が在り、折れる事ない想いがある。
手には愛刀、彼方には自分が仕えるべき人。
それは少女にとって無上の励みだ。
「貴様等などに構っている暇はないッ」
少女にとっては敵が何人だろうと、立ち塞がる者は切って捨てるのみ。
其処に迷いはない。
故に鈍い光が奔り騎師達が倒れ伏していくのは必然だった。
確かに少女の周辺は無数の攻撃が死線を作っていた。
だが、騎師達には迷いがあった。
どんなに頭で敵と解っていようとも少女に致死性の攻撃を浴びせかけている状況が騎師達にほんの些細な迷いを生じさせていた。
それを見逃す少女ではなく、そんな状況でも無かった。
焦れた高格外套達が少女に向け殺到する。
『――――――――――――――――――』
少女の天と地が逆転した。
走り、跳び、宙を舞った少女の足が虚空を蹴りつけ、反転、地上へと加速する。
刹那の着地。
少女の刀は高格外套達が一瞬止まった状態を狙い澄まし上から全方位を切り払っていた。
何とか少女の動きを捉えた騎師達が鎧われた眼を見開き薙ぎ払われた。

暗い部屋の中。一人の男が騎師達の倒れる瞬間を見つめていた。
薄暗い天幕の内部。
台座に騎師達の失態を映し出す水晶が一つ。
男は溜息を吐きつつ、騎師達の回収を傍らの無線で部下へと指示した。
男は任務でイデオストロフの様な遠方まで出向いて来ていた。
「ふぅ・・・・」
男にはこの任が一筋縄ではいかない事など最初から解っていた。
騎師達が負けたのは当たり前。
過去。
世界を敵に回し教会の唯一神と対峙して尚生き残り、今も不幸を撒き散らす者がいた。
魔王、その従者と思わしき少女。
男にとっては宿命の相手であり、決して肯定できない存在に加担する者。
そんな人間がこの程度の戦力で勝てるわけもない。
二十年以上確認できずにいた魔王を捕捉してからほぼ一か月。
七教会本部で書類仕事に追われていた男に魔王討伐戦の現場へと復帰するよう要請が出てから半月。
現場の空気に馴染んできた矢先にこの騎師達の惨敗。
男は多少の手傷程度ならば負わせられるのではないかと期待していた故に今の騎師の質に疑問を持たざるを得なかった。
男は映像の途切れた水晶球から視線を外した。
先程まで水晶に写っていた少女の姿を脳裏に浮かべる。
十四に届くかどうか。
線の細い身体。
鋭利な蒼い瞳と短い茶髪。
引き締まった顔立ちは澄んだ刀剣を思わせ、その予想を裏切らない。
男から見ても非の打ちどころがない良い太刀筋をしていた。
相当の訓練と実戦を繰り返していなければ辿り着けない境地にある刀剣の使い手。
年齢がが意見通りではないにせよ、強い事は疑いようがない。
そんな少女は魔王へと届く為の布石の一つであり、逃がしてはならない存在だった。しかし、男の目の前の水晶には無数の文字で芳しくない報告ばかり浮かび上がらせる。
騎師達のみならず少女を監視していた者達からも情けない事この上ない『確認不能』の四文字が送られてきていた。
「まったく。落ちたものです」
八十年前に生まれた魔王が五十年前の『黄昏の悠久戦争』に負けるまでの時代を、
『刻死暦(こくしれき)』
その後三十年の経済産業発展によって築かれた時代を、
『一大転換期(オールターン)』
そして二十数年前から現代に掛けての時代は、
『幸せの世代(フォルトゥナータ)』
と言う。
三つの時代の中を駆け抜けてきた教会の騎師達。その中でも『ルインの騎師』は最精鋭者の集まりとして名高い。それが現代に入ってからというもの、弱体化の一途を辿っていると陰口を叩かれている。
男が騎師として誇りとしていた力は今も連綿と若い騎師達に受け継がれているが、それでもやはり平和な時代にある者からは牙が失われつつある。
「騎師の質。陰口を叩かれても仕方ないですか」
男は昔を知るだけにそう思う。
魔王討伐といえば全ての騎師の本懐にして世界の希望。
それを成す者達は努力と才能を持って天地を裂き畏怖されていた。
ごく一部とはいえそういった比喩なしに人智を超える所業を行う人間(・・)が存在した。
しかし、今ではそんな人間は数少ない。
それが平和というものの効果。
男にとっては騎師として世界の平定に掛けてきた成果とも言えた。
男が創ろうとした時代の流れは容赦なく平和を齎し、戦う力を人から取り上げつつある。
それが男には複雑だった。
「それにしても・・・・」
男はテーブルの上の水晶球を指で操作した。
中に見えるのは騎師達を退けた少女の映像。
男はその少女の姿を見て、騎師達に感じた時と同様に複雑な感情を抱いた。
「敢てこの姿をさせているとすれば、あの男も大概現代に染まっているのかもしれません」
水晶の中にはどう見ても女性用給仕服を着る少女が一人。
「これが巷で流行中の復刻流行メイド衣装・・・ですか」
細身な茶髪少女が着ていたのはメイド服だった。
男は天を仰ぐ。
こんな騎師達の調子でこの姿の少女とどう戦えばいいのかと。
男の名はマロウ・ブレステンド。
七教会最精鋭部隊『騎師団ルイン』を束ねる騎師団長だった。

sideN(now)

「こんな早くにお別れが来るなんて思っていませんでした・・・」
「微妙に短命な運命だった」
「本当に姉妹なのか少し知りたくなってくるというか」
フォーゼ・クラウンストラにとって問題なのは砂が汗で肌に張り付き、口の中がジャリジャリと音を立てる事だった。しかし、なにより問題なのは、
「アタシを勝手に殺すんじゃないわよ――――――ッ」
妹達のその口の悪さかもしれなかった。

四人は何とか命を拾う事に成功していた。
全員が空を見上げればもう世界は夜から抜け出し白み始める頃合い。
森を完全に抜けてから数十分。
背後に迫っていた光が途中で終息したのは四人が森を完全に抜けた辺りだった。四人はその光景に安堵した為か、いきなり力が抜けて、森林の端で休息する事になっていた。
辺り一面の野原。
駆け抜けてきた後ろには光に飲み込まれ砂と化した森林地帯の一部が広がり、大規模な破壊活動の痕跡が残っていた。
名もない草原で三人の少女達は倒れるようにして休みながら少年を複雑な表情で見つめた。
七教会の常軌を逸した攻撃方法。
三人の少女は少年の事を真面目に考えなければと思い始めていた。
「あ~~~朝日が黄色いわ」
疲労の色も濃くフォーゼがぐったりと言った。
「お疲れ」
ティルナが法衣の袖でパタパタとフォーゼを扇ぐ。
「フォーゼ? これからどうしますか? とりあえず何かしらの方針を決めない事には行動もままならないと思います」
セツルが煤けた服と顔で今後の方針をフォーゼに問う。
基本的に行く先を決めるのはもっぱらフォーゼの役目だった。
「あ~~とりあえずコイツを半殺しにして鬱憤を晴らすって事でいいんじゃないかしら?」
「その・・・ごめん」
少年が困り顔で笑って誤魔化した。
「どこの世界に王家の宝を盗んでくるバカがいるのよッ!!」
フォーゼの手によって胸倉を掴まれ少年の体が浮き上がる。
「ご、ごめん」
 少年が胸元も苦しげにフォーゼへ謝罪した。
「そ、それで?」
フェーゼは気勢が削がれるのを感じた。
少年の申し訳なさそうな顔。
笑みの癖に本当に申し訳なさそうな顔。
本当に後悔しているような顔。
これが七教会に追われる犯罪者の顔かとフォーゼの内心でシオシオと怒気が萎れていく。
(だ、騙されるなアタシ。相手は犯罪者! 犯罪者! ここで甘やかせばロクな大人にならないわよ絶対)
良心が痛み初めて、フォーゼの腕はプルプルと震えた。
「フォーゼ。傍から見るとキスしそうに見える」
それまで沈黙していたティルナの発言に思わずフォーゼは少年を突き飛ばしていた。
少年が地面へ転がる。
フォーゼは溜息を吐いてから妹達に向き直った。
「コイツの処遇は保留。とりあえずコイツから詳しい事情を聞かせてもらわない事にはどういう状況なのかも分かんないし」
セツルとティルナは互いに頷き肯定した。
「一応、周辺の見回りお願い。これ以上厄介事が舞い込んでくるようなら話し合う場所移すから、何かあったらすぐ連絡して。数分したら戻ってきなさい」
フォーゼの発言に二人はそれが少年への配慮なのだとすぐ気付いた。
多数の人間に自分の犯罪を告白するなど中々できるものでもない。
フォーゼに詳しい事情を聴くのを任せ、ティルナとセツルは周囲への警戒をするという名目でその場をそそくさと後にした。
「というわけできりきり吐け」
フォーゼが座り込んだ少年の横に座った。
少年は自分へ配慮をしてくれた少女にどう対応するべきかと少女の顔を見つめ、そっと切り出した。
「僕の名前はシンア」
「あ、これはどうも。こちらこそフォーゼと言いま――って誰がアンタの名前を聴いてんのよッ! アタシが聴きたいのはアンタが、どこでッ、何をッ、いつッ、どうやったらッ、あんな陣を仕掛けられる様な犯罪を起こせるのかって事よッ!! さっきの話もっと詳しくッ」
息が切れるほど叫んだフォーゼに少年はゆっくりと自分の罪を告白した。
「僕が、イデオストロフで、三日前、王家の墓を荒らしたら・・かな」
「聴いたアタシがバカだったわよ」
 フォーゼは眩暈に襲われ頭を片手で抑えた。
「ちなみに色々と今から謝っておくけど」
「何なのよ?! その不吉な出だしは!!」
少年が申し訳なさそうに事実を語る。
「七教会もさすがに僕以外の他の人間がいるのにああいう陣は使わないと思うし。もし使う事があるとすれば、それは僕と同じような人間と見なされてるか、あるいは仲間と思われてる。そう考える方が自然じゃないかなあ・・・と」
「何よそれ?! それって、つまり」
フォーゼの顔がサァーっと青くなった。
「たぶん、七教会側は共犯関係にある重犯罪者扱いで君達の事を見てる・・・かな」
シンアの額から一筋汗が伝った。
フォーゼが崩れ落ちる。
「とりあえず。これからよろしくフォーゼ」
「何で初っ端から呼び捨てなのよ」
ガックリと肩を落としたフォーゼが恨みがましい視線でシンアを睨んだ。しかし、曖昧な笑みを見ているとまるで自分だけ落ち込んでいるのが馬鹿らしく思え落ち込むのを止めた。
「そもそもこれからよろしくって何よ。事情説明してアンタを七教会に売り渡せば全部解決でしょッ」
「たぶん無理だと」
「は?」
「僕の場合は見つけたら即撃滅を旨とする。僕の関係者の場合は即逮捕拘留。僕に積極的に関わった場合の刑の重さは色々な罪が諸々付いてきて確か・・・・仮釈放恩赦無しで懲役二千年とかだった気が・・・」
「ッッ?!」
シンアの口から飛び出した衝撃的な数字にフォーゼが戦いた。つい先ほど死に掛けるような陣を七教会から喰らった身からすれば、その言葉は真実身を帯びていた。
「ちなみに裁判は無しで問答無用。司法取引も無し。悪魔とか天使とかなら塀の中でもそれぐらい生きられなくもないけど、人間にはあんまりお勧めできない人生コースに・・・」
シンアの額に浮かぶ汗と動揺している様が冗談などではないのだとフォーゼには本能的に分かってしまった。
「マジで何盗んでるのよッッ!! どうしたらそこまで関係者まで刑が重くなるってのよ!!」
キレるフォーゼにシンアが視線を逸らして言った。
「一歩間違うと世界が崩壊するとか言われてる秘宝だから。もう壊しちゃったけど」
「こわッ?!」
「返してどうもすみませんでしたじゃ通らないだろうし、そもそも現物が跡形もないと何処に隠したさぁ吐けみたいな問答になるのは目に見えてるし、ここは一緒に逃げ続ければ光明も見えてくるんじゃないかなぁ・・と」
様々な意味で震えるフォーゼが訊く。
「アンタは・・・・何でそんな事したの?」
「僕の希(ねがい)を叶える為に」
「希?」
「うん。大切な・・・・」
「大切ねぇ・・・」
いつの間にか真剣さを宿す笑みで見つめられて、フォーゼは少年を測りかねた。
「僕は自分の我儘の為に本来関係ない君達を巻き込んだ。だから、その責任は最後まで必ず・・・・これだけは約束するから。僕の持てる力に掛けて」
フォーゼにはその笑みが犯罪者と自称する人間が浮かべられるものとは思えなかった。笑みには少なくない覚悟が浮かんでいるように見えた。
「・・・・・・・・・・・・」
しばらく、フォーゼは何も言えずシンアを見つめ続け、やがて苦笑しながら言った。
「とりあえず、七教会の追跡が撒けるまでよ?」
「・・ありがとう。フォーゼ」
「フォーゼ。ただいま戻りました」
まるで状況を窺っていたかのようにティルナとセツルが数メートル先から歩いてくるところだった。
「人を見つけた」
ティルナがそうたいした事も無さそうに真顔で報告する。
「敵?」
フォーゼの言葉にセツルが首を振る。
「ボロボロで何だか近頃話題の復刻流行メイド衣装を着てました。どこかのコンパニオンとかかもしれません」
「いや、コンパニオンはこんなところでボロボロになってたりしないでしょ」
「刀持ってた。近頃の流行は理解不能」
ティルナが難問にぶちあたったような顔で言った。
「いえ、ある意味そういう方面もあり、どっちかというといそっちの方がメジャーだとかサブカルチャー礼讃な友達が言ってました」
二人の話にシンアは背中に汗が流れるのを感じ、二人に問いかける。
「あの・・・・その子って茶髪じゃなかった?」
「ん? 何よ。アンタの知り合い?」
三人にシンアがおずおずと斬り出す。
「たぶん、僕の関係者だと」
「盗人とメイドにどんな因果関係があるってのよ?」
フォーゼの胡散臭そうな視線にシンアは曖昧に笑う。
「いや、僕の付き人というか・・・仲間なんだけど・・・」
三人は顔を見合わせた。

「・・・・ネ・・・・・サヤ・・・・トネ・」
自分を呼ぶ声がする。
誰の声だっただろう?
自分の名を呼ぶ誰かなどもういないはずなのに。
ザラザラとした砂の感触にゆっくりと目を見開く。
「サヤトネ」
頭がボンヤリしていた。
ルインの騎師を数十人相手にして体に負荷が掛かったのだろう事は想像に難くない。
当たり前の反動だった。
「サヤトネ」
その声と顔に完全に目醒めた。
「シン―――ッ!!」
起きようとしてズキリと体が痛んだ。
思わず身悶える。
「そんなに勢い良く起きるとまだ痛いはずだから」
見ればすぐ横に自分の主がいた。
そっと身を横たえて見上げる。
ケガの一つもしていない事に涙が出そうな程安心した。
「無事で、何よりです」
「もう少し自分を大切にして」
掌がそっと額に乗せられる。
「ですが」
「いいから」
「・・・・はい・・・」
膝枕されていた。
主に何をさせているのか。
付き人である自分こそ主を労わらなければならないというのに。
何も言えなくなった。
そのまま為されるがまま横になる。
絶対に恥ずかしい。
もしも誰かに見られれば恥死するかもしれない。
「男が膝枕って・・・・時代が進んでんのかしらね?」
「?」
その声に首を傾げた。
「というよりも、茶髪に蒼い瞳の美少女が頬を染めて膝枕されているのが珍しいと思います」
「!?」
「ご主人様の一言に期待」
急いで首を回してみれば、そこには見知らぬ少女達がいた。
「とりあえずシンアって呼ぶけど。そのメイドは誰なわけ?」
「僕の・・・・まぁ、仲間というか旅の連れというか」
「ふーん。つまりコレ?」
赤い女神のような少女が小指を立てていた。
頭が一瞬真っ白になる。
「メイドと主のイケナイ○○○○旅行。湯煙にメイドは見た。密――」
ガスッと二人の少女から黄色い髪の少女がチョップを受ける。
「あんまりイチャつかないように言っとくわよ」
何を言われたのかよく解らなかった。
ただ、する事だけは明瞭に脳裏に描きだされ、身体が勝手に実行した。
「私はシ、シンアとそんな破廉恥な関係ではないッ!!」
起き上がり様に腰の物を抜き放ち魔力を込めて地面に突き立てた。
「あ、サヤトネ、スト――」
大規模な砂の爆発が当たり一帯を覆い尽くした。

五人は砂埃を大量に浴びる事から約五時間後、街道沿いに面する宿泊施設が密集する区域に辿り着いていた。
大陸北東部より東部に抜ける隣接区域は大小合わせて数千数百の宿泊施設からなる。街道沿いの行商行路の拠点として大きくなってきた経緯から宿場として特化した為、その区域を歩けば幾つも大型のホテルが連なって見えてくる。宿のランクはピンキリで、上は大型のホテル、下は個人経営の安民宿、とその様相は上下に果てしなく広い。
五人が宿を取った小さな安ホテルもそんな区域の裏通りにひっそりと立っていた。
「「「「「・・・・・」」」」」
誰しも無言。
その原因であるメイド服の少女サヤトネも無言でフォーゼ達にあからさまな無視を決め込んでいた。
ランプが一つきりの窓無き部屋。
二つのベッドの間にある海溝よりも深い溝もといラインを挟んで多くの感情が乱れ飛ぶ。
片や犯罪者とメイドを見つめる胡散臭げな視線。
片や申し訳なさそうに困った笑みで少女達を見る視線。
三人の少女達はそれぞれ砂粒を含んだ髪の手入れをしていた。
互いに砂を払っている様子から「まだ取れない」という無言の圧力を受け、シンアは話の切欠も見つけられずにいた。横でサヤトネがシンアの全身の砂を払い落しながら「すいません」と申し訳なさそうに呟く。
シンアは自分の服の砂を落とす少女に少しだけ笑んだ。
「気にしないで」
「はい・・・・・」
自らの主と定める少年からの寛恕にサヤトネは少しだけ表情を崩し、頭を下げた。
二人の様子が癇に障ったらしいフォーゼが皮肉げに言う。
「ねえ、そこのメイド。とりあえずさっきのはアタシ達が悪かったけど。こっちにもう少し愛想の一つぐらいないわけ?」
「シンア。この者達は信用できません。そもそも誰ですか」
「アンタのご主人様と一緒に犯罪者扱いされて困ってる不幸な子羊ってところかしら?」
「どうやら口の訊き方も解らない子供のようですが」
「ッッ、喧嘩なら買ってもいいけど」
早くも血管の限界が訪れそうになったフォーゼを妹達がドウドウと落ち着ける。
「サヤトネ」
少年が早くもヒートアップし始める二人の間に割って入ろうとした。
「これから発見されるのは時間の問題です。足手まといを抱えたままでは・・・・」
「サヤトネ・・・」
シンアの困った笑みが深くなるのを見て渋々サヤトネはフォーゼ達の方へと向かいあった。
「まず、何より身分や名前も分からない人間を信用する事はできません」
「それなら簡単」
今まで黙っていた三姉妹の次女ティルナの言葉にサヤトネが視線を細める。
「基本的な情報は全部これに載ってる」
無造作に懐へと手を突っ込んだティルナがゴソゴソと何やら胸を漁ってソレを二人の前に差し出した。
「これ」
懐を漁り終えたティルナの手からシンアに三つのカードが渡される。
カードに視線を寄せた二人が同時にまったく別の顔になった。
少年は微かな驚きを露わにして三人を見つめ、メイド服の少女は渋い顔で三人を見つめた。
『七教会北東部イデオストロフ本部付属校生証明書』
 三年。フォーゼ・クラウンストラ
 三年。ティルナ・ノーゼン
 一年。セツル・クラティメント
「・・・・・・」
 サヤトネが刀を触るより早くシンアが肩を掴んで止めた。
「これから一緒に逃げる事になるわけだし、もしよければ話してくれない・・・かな?」
三姉妹達はそれぞれに少年の困った笑み見てからゆっくりと自分達の身の上を話し始めた。

『学園(ゼオロギス)』
七教会が大陸各地で展開する諸学校の事を人々はそう呼ぶ。
『学園』は七教会からの全面的バックアップを受ける教育機関であり、次世代の七教会を担う人材の育成、あらゆる分野におけるエキスパートの輩出を目的としている。
『学園』は本来が七教会の作った青空教室を母体として結成された古くからある一教育機関であった。それが現代では身寄りの無い子供や金銭面で恵まれない子供にも教育を受けさせる半公的教育機関となり続いている。
ただ同然の授業料といくつかの奨学制度で金銭面での援助を行いながら教育を施す『学園』は七教会のみならず様々な会社、組織、機関、役所、などに進路の出口を設けている。
その関係から言えば、三人の少女達は少年とは本来相成れない位置にいるはずだった。
「私達三姉妹は今から二ヶ月前『学園』を出ました。簡単に言ってしまえば脱走です」
三女のセツルが語り出すとそれに他の二人も続く。
「家出」
「色々と学生も大変なのよ」
 ティルナの端的な言葉にフォーゼが溜息を吐く。
「事実は単純。金がない。働きたくない。良い思いがしたい。外が見たい。自由万歳。ゴーイングマイウェイ」
グッッと拳を握ってティルナが力説する。
「ダメ学生ですか?」
 サヤトネの一言にフォーゼが反論する。
「教会の為に働くよりも他に何かあるんじゃないかって思ったら、何だか旅とかしてみたくなったのよ。そもそも、自分の前にある道をそのまま進んでくってのが性に合わなかったてのもあるし。まあ、苦労するのは覚悟の上で出てきたんだから、後悔はしてないわよ」
サヤトネはそのフォーゼの言葉に何も言う事なくシンアに視線を向けて判断を問う。少女達の言っている事の信憑性に不審な点があれば即座に刀を抜ける体制で。
シンアがフォーゼに感心した様子で訊く。
「今まで大変じゃなかった?」
「三人いれば何とやら。今までは切り抜けてきた。で、いつの間にかデカイ問題が転がってて、気づかずに躓いたと」
皮肉げなフォーゼの言葉にシンアが謝る。
「う・・・ごめん」
「何もせず立ち去るのならば、このまま見逃そう」
主が謝罪させられている様子に従者の少女が冷たい笑みを浮かべて言った。
「話を聞いてないメイドがいるんだけど、そこの犯罪少年」
 サヤトネの言動にフォーゼの血管が音を立てて広がる。
「あんたのご主人様のせいでこちとら重犯罪の共犯者らしいわよ? それをハイそうですかって放り出されるこっちの迷惑はどうなるのよ?」
「シンア? どういう事ですか」
「その・・巻き込んじゃったみたいで」
シンアが一通りの状況を語った。
勘違いによって大規模魔導方陣の餌食にされかけた等々の話を聞くサヤトネの表情は終始変わらなかった。
「それで。これからどうしますか?」
「サヤトネが良ければ逃げ切るまでは一緒に行こうかなって・・・・」
サヤトネはお人よし全開の同行許可を求める声に少し沈黙してから顔を上げた。
その瞳に見つめられて三人の少女達がたじろぐ。
「分かりました。シンアがそう言うのなら私に意見できる事はありません」
腰の刀を鞘ごと目の前に持ってくるとサヤトネが微かに刃を抜き出し言う。
「この剱と我が身を賭して我が主と共に守りましょう」
その大げさな動作に微笑してシンアが「ありがとう」と刀を持つ手に触れた。
「いえ・・・・」
顔を背けたサヤトネの頬は朱に染まる。
三人の少女達は初めて見る無愛想なメイドの柔らかい表情に自分達まで赤くなりそうになってハッと我に返った。
「で、話がまとまったなら見つめ合ってないで詳しく教えて欲しいんだけど。アンタらは七教会の何処から逃げてるわけ?」
「重要案件。ついては情報開示。それが絆を強くする」
「確かに・・あれだけの陣を張れる部隊は限られているはずです」
七教会と言っても多くの部署があり、独立した外部機関も多数抱えている。三人の問いにサヤトネが多少名残惜しそうな表情の後、シンアから遠ざかり姿勢を正して咳ばらいをして語り始める。
「七教会第一師団『騎師団ルイン』・・・いえ、貴女方になら軍神のいる部隊と言った方が解り易いですか?」
「軍神・・・って、ちょ・・ちょっと待って。アンタらを追ってるのって」
フォーゼが顔を青ざめさせ動揺の声を上げた。
「今思い浮かべている通りです。七教会が抱える最高レベルの騎師達、総数一万五千人。大陸中部に本拠を置き七教会有する騎師団中最高の規模と実態を誇るあの騎師団です」
「・・・・・・どんだけ分が悪いのよ」
「分が悪いのは辺り前です。騎師を体現する男。七聖女ハティア・ウェスティアリアの夫。魔王戦における戦闘回数有史以来最多。現騎師にして単独戦闘における敵撃破数約五万。大陸史上最も国を滅ぼし、ルインの騎師の名を轟かせた英傑。マロウ・ブレステンドとその部下達ですから」
「んな豆知識は要らないから」
もはや、ぐったりし始めるフォーゼが諦観を込めて言った。
 『騎師団ルイン』
七教会が有する本部付きの七つの師団。
その七つ中、最高の人材が在籍し、七聖女が聖別し創造した最高位の『高格外套』を着る者達。『騎師団ルイン』とはフォーゼ達にとって学園在籍中に最も優秀な生徒が引き抜かれていく場所に他ならなかった。
フォーゼがあまりの衝撃に頭へ手を当てながら訊く。
「エリート中のエリートが襲ってくるってわけ?」
「えっと、王家の秘宝を盗んだタイミングが悪くて。居合わせたルインの騎師にも追いかけられる事になって。いや、そんなに絶望的な顔しなくても」
「そりゃするわよ。つーか。マジでついてない」
ガックリと肩を落とすフォーゼの肩を姉妹達が代わる代わる叩いた。。
ベッドに腰を下ろしている三姉妹の前にサヤトネが立ち上がって近寄る。
「何よ。これからの人生設計が狂った哀れ過ぎるアタシ達にこれ以上文句でも?」 
ジャキリと刀が僅か抜かれた。
「文句はありません。それに貴女達の境遇に付いて言えば何の問題もありません」
「は?」
三姉妹にサヤトネが刃を抜刀する構えを取る。
「なッ」
フォーゼが一瞬硬直する。
三人が何らかのリアクションを取る前に抜刀された刃が一線、納刀された。
「「「?!」」」
「幾分か重要な『縁』を絶ちました。これで貴女達が迷惑するだろう諸々は大概気にせず良くなるはずです。もう聞いていないでしょうが」
血が出るわけでもなく、体を斬られたわけでもない少女達が意識を黒く塗り潰され何の反応もなくベッドの上に横たわった。
強引な従者の少女の行動に少年は困った笑みを浮かべた。
説明と謝罪、どちらを先にするべきか。
どちらにしても荒れるだろう未来を想像して、少年は溜息を吐いた。

sideEX(Extra)

自分の悩みなんて笑い飛ばせる愉快な日々だった。
幾ら思っても言葉にしても足らないそんな日々だった。
何故か?
彼女達がただ側に居てくれたからだ。
共に笑い合う事ができたからだ。
月明かりの下で彼女達と笑ったからだ。
明星を背負いながら彼女達と歩いたからだ。
どんな感謝もどんな言葉もこの想いを伝えきれない。
あまりにも優しくて温かくて涙が出そうな程に嬉しかった。
大切な仲間達が教えてくれた。
誰かと誰かが共に在るという事。
日々が明るく見えた事に嘘はない。
誰もが幸せならばいい。
どんなに理不尽を知ってもその思いは変わる事なく胸を満たした。
それはたった一つ、どんなに刻が経とうと消えない、そんな希(ねがい)だった。

sideN(now)

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
曖昧な思いだけが夢の中から抜け出してフォーゼの頭を巡った。
(・・・・・誰の・・・)
起き上がり辺りを見回してフォーゼは妹達が無事なのを確認し、ホッと息を吐く。
そして、座ったまま自分を見つめているシンアを見つけてジト目で詰問した。
「どういう事か説明してくれるわよね?」
「うん」
時計の時間帯はもはや深夜に差し掛かっていた。
自分達が数時間は気を失っていた事を確認したフォーゼはシンアの座るベッドで眠る元凶を発見して眉を寄せた。
「そこのメイドはアタシ達に何してくれたわけ?」
「サヤトネの持ってる能力で少し保険を掛けたって言えば分かりやすい・・・かな」
「保険って何よ」
「簡単に言うと君達が犯罪者として手配されたり、あるいは社会復帰できないフェイタルな事態に遭遇しないようにするお呪い・・・みたいな」
「お呪い・・・それってアタシ達に害があったりしないんでしょうね?」
「一歩間違うと存在が社会から消えたり実体として認識されなくなるけど」
「・・・・・・・ちょっといい? 本当に大丈夫なんでしょうね?」
フォーゼが固まった笑みのままシンアの首を掴み上げた。
「大丈夫だと・・・・たぶん」
「たぶんとか言った?」
「絶対に?」
「何で疑問形なのよ・・・・・」
困った笑みのまま答えたシンアの首を放してフォーゼが脱力した。シンアは少しだけ首に手を当て、そっと笑みを消して脱力したフォーゼに視線を合わせる。
「・・・もしも、君達が何かサヤトネの力で迷惑を受けるような事があれば、僕に何をしても構わないし、恨んでくれて構わない。問題を解決する為なら協力を惜しんだりもしない。僕を信じて欲しいとは言えないけど、サヤトネが君達を認めて守ると決めたのは本当の事だから。それだけは・・・信じてくれると嬉しい」
「アタシは正直に言えば、まだアンタが信用できるか迷ってる。けど、アンタとその子がそんなに悪人には見えない。だから・・・・いいわよ」
「?」
「どうせもう何もかも起こった後なんだから。後は成るように成るでしょ」
「・・・いいの?」
シンアの以外そうな顔にフォーゼが肩を竦める。
「七教会を巻くまでは一緒ってさっき言ったばっかりだし、今更逃亡者が仲間割れしてても捕まる確率が高くなるだけだもの」
「・・・・ありがとう。フォーゼ」
まるで天気の話でもするように言うフォーゼにシンアはそっと淡い笑みで感謝した。
フォーゼはその笑みに気恥ずかしくなり横を向いた。
二人は話し終わるとそれぞれ用意されていた毛布を一枚被って自分の同行者のいるベッドにもたれた。
「寝るわ。明日とりあえず全部決めて出発って事で」
「うん。おやすみ」
すぐにベッド横の照明が消される。
しばらくするとフォーゼを除く全員の寝息が聞こえ始めた。
そんな奇妙な一夜の中、先程少年が見せた笑みを脳裏に思い浮かべフォーゼは不思議な感情を覚えていた。
(何なのよ。あの笑みは)
瞼の裏に残る笑みが妙に頭に付いて離れない。
「ッッ~~~~?」
不意に体に怖気が奔り、フォーゼが錆付いた機械の如くゆっくりと首を回す。
「?!」
見てはいけないものを見てしまい、そっと首を元の位置に戻した。
寝ていると思っていたメイドと闇の中、視線がバッチリ合ってしまった。
まるで朧げに見える二つの月。
薄ぼんやりと青白く光る蒼眼と確かに目が合った。
その凍れる視線。
細められ、欠ける月の瞳に息すら忘れた。
今にも冷徹な顔でバッサリやられてしまうのではないかという恐怖。
更に言うならば口元が微かに動いたのも頂けなかった。
何を言っていたのか。
正確には分からなくとも、瞳と唇の動きが、
『シンアに手を出したら・・・・』
と、そう言っていたように思えてならず、フォーゼは今にも大きく喉を鳴らしてしまいそうな思いで目を閉じた。
(んな物好きじゃないわよ! アタシは!)
もはや、何者も動かない。
夜の闇に凍える逃亡者達は身を寄せ合って眠った。



[19712] 主要キャラクター要項
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/14 11:21
*キャラクター名を追加。キャラクター紹介を追加。キャラクター性能を追加。順次更新。キャラクター要項内には本編ネタ上のネタバレ含む事あり。キャラクター紹介内容は投稿により変更する場合あり。

長編「Shine Curse Liberater」内キャラクター。

主人公
シノミヤ・ウンセ・クォヴァ23歳♂。
本編主人公。外侵廃理陸属第四課東部分署所属特務。本編五年前より四課において神官などの神格召喚者逮捕に従事する。本来の所属は第三課であったが三課で相棒としていた女神の消滅により三課離脱し四課へ転属となる。基本的に金銭的逼迫で喘いでいる状態。職場近くの喫茶店へ入り浸り、喫茶店のウェイトレスが職場以外で唯一話す女性という独身貴族。一目惚れすることが多いが報われた事はない。
戦闘技能は特務として上位の部類に入るが超一流とまではいかない。対神格戦闘に特化した本編から五年以前よりも能力は大幅に落ちているが長年の実務経験、戦闘経験、特務のみに許された召喚技能行使による戦闘技術によって四課東部分署での主戦力とされている。


ウェイトレス(本名不明)?歳(外見年齢20代前半)♀
シノミヤが常に通っている喫茶店兼レストランバーのウェイトレス。過去にシノミヤの仕事中に助けられた過去を持つ。シノミヤに対し好意を抱いているが出会って五年…未だに告白までには至っていない。陰ながらにシノミヤを支え続ける性格から見ても世話焼きである事が伺える。シノミヤにとっての安らぎの場は彼女が居なければ成り立たないと言っても過言ではない。一目惚れが激しいシノミヤにそれでも愛想を尽かさない非公式良妻賢母な女性である。
能力的には大学卒業、院生を卒業、シノミヤが通う喫茶店にある極限のウェイトレス修行をパスするなど基本性能が高い。必殺技はトレイを変幻自在に使いこなす我流闘術。時折、足が出る。

ティア(半神半人の少女)実年齢0歳(外見年齢10代後半)♀
シノミヤが出会った事件においてシノミヤを急襲、シノミヤの肉体を使い受肉した真正の神である少女。シノミヤの所属する外侵廃理に受肉後接触。お父さんとシノミヤを慕い同棲する事となる。謎に包まれた外なる神々に連なる一柱ではあるが半分は人間であり神らしい能力を表立って使う事はない。どうしてファルティオーナに顕現したかについて未だ詳しくは語っていない。
神の力の片鱗を作中では時折見せるが戦闘などに関しては素人。基本能力として生活に対して通常では考えられない速度で順応するが、それもあくまで生活において必要とされる事柄にのみである。

タシネ・エスビ21歳♂
シノミヤの後輩。外侵廃理第四課の気鋭の若手。シノミヤにしてみれば経験不足の後輩という扱いになっているが実際にはかなりの実力者。二枚目の顔と柔和な顔立ちから密に合コンなどに誘われているものの、仕事を第一としている為、未だパートナーは現れていない。超巨大コングロマリットFOAに連なる大株主の家系に生まれている為、コネの力は計り知れず、魔導より情報電子技術に強い面を持つ。シノミヤを常に先輩と呼び習わしている。
能力的にはオールマイティーな性能を誇り、文武両道、戦闘技能と書類仕事を両立して高めている逸材。戦闘では奥の手としてFOA最新兵器の召喚が可能。過去のとある事件により神官に対して冷徹非情な側面を持っている為、その手の敵に対して一切の容赦はない。

カワジマ二佐(本名未登場)51歳♂
外侵廃理第四課東部分署総括という肩書を持つ壮年の中間管理職。物腰の柔らかい人物であるが切れ者と評判は高い。部下であるシノミヤとタシネにとって父とすら呼べる存在。政治経済問わず広い人脈を持ち、独自の裁量で四課東部分署を切り盛りする実力者でもある。一般的に公にしていないが教会の最高執政権を持つ七聖女の娘と結婚し、十五になる息子を設けている。シノミヤ達を陰ながらに導き、銃後の守りに徹する姿勢は管理職としての責務から離れる事もしばしばある。
戦闘技能などを持たない文官として伸し上がってきた生え抜きのエリートであり、その能力の真価は事務処理能力と折衝能力にある。シノミヤ達が現場で憂いなく戦えるのは間違いなくカワジマの力の賜物であり、様々な面でその恩恵は見られる。例えば、召喚技能によって扱われる大規模武装の個人所有についての事務処理や武装の配給などが通常よりも安易に行われている。シノミヤにフルー・バレッサからの武器の貸与が行われたのもカワジマの力による後押しがあったからであるのは間違いない。

アレシュタリ・イフマー16歳♀
元外侵廃理第三課所属の少女。外侵廃理第三課に所属していたシノミヤが任務中に拾ったという経緯からシノミヤと黄昏の女神が主となって第三課において養育された過去を持つ。第三課ではあくまで戦闘などに関わらせない方針で育てられていたが、自ら第三課の実働部隊に志願した。黄昏の女神の訃報、シノミヤの第三課離脱、多くの実働部隊隊員の転属、多くの不幸を見つめながら自らを鍛え抜く覚悟を決めた少女は数年の間に実働部隊の一角として機能する程の実力者となった。現在は三課の人員整理による異動で第四課東部分署所属となっている。シノミヤを心の底から愛していたが、その愛情が女性としてのものだと自覚して以来、シノミヤに対して恋心を抱いている。
実力の面では経験・技術・魔力においてシノミヤに勝るとも劣らない。長く辛い実戦を経験してきた叩き上げのエージェントである。その手や体こそ年頃の少女のものであるが複数の傷を治す事なく未だに体に刻んでいる。それらの傷は少女としての感傷を呼び起こすものであるが、同時にシノミヤの隣に並ぶに値する存在としての証でもあり、誇りとして隠すことなく振舞っている。

シュラウス・バーレン・エンロイア28歳♂
『工房(オフィチーナ)』所属、魔力駆動系の『源流使い(クラフトマスター)』。本来は自由業、何でも屋を営む男だが特殊な家系に生まれており、『その筋の人間』を三百人弱配下に置く【御大】でもある。その行動指針は単純明快に仕事・義理・人情・面子に基づくものであり、自分の仕事に誇りと責任を持つエキスパートである。『工房』によって第三課に派遣され、その後特定の人外を守るという任を受けていたが失敗。裏で暗躍する者達との全面対決に乗り出す。冷静を絵に描いたような性格で如何なる状況にも心を律する強さを兼ね備えているが、時折何処か抜けている部分がある。
魔力駆動系の源流使いであるシュラウスは『燃焼素(フロギストン)』と呼ばれる元素を集積、反応、制御する事により、巨大な出力を得る事に成功した数少ない若手新進気鋭の源流使いである。『工房』において老人達からは僻まれ、疎まれ、厄介事を押しつけられたり利益を出す為に利用される事もしばしばだが、それらの試練を歳若くして大量に経験させられた事がシュラウスを「本物」と成らさしめた。最新最強の武装である高格外套を纏う大隊を正面から退ける火力と単体で都市単位の攻防を可能とする出力。それに加えて独自の戦闘技術を持つシュラウスの強さは聖女に迫る勢いと部下達の間では囁かれている。

バロト・ザーウォン32歳♂
FOA重工業テスタメント東部本社主任研究員。かつてシノミヤがいた頃の外侵廃理第三課において現場技術主任として働いていた。第三課ではその独創的な発想と兵器開発、技術開発に掛ける情熱、更に魔導と科学のどちらにも造詣が深いという特性から博士ポジションの位置に付いていたが、シノミヤの第三課離脱と同時期に外侵廃理を離脱、FOAへと再就職した。外侵廃理に入る以前には大陸西部において七聖女フルー・バレッサの下で働く研究員をしていた時期も存在する。シノミヤの事を親友と思っており、常人には理解しずらい独特の価値観で動いている。
シノミヤの武装の大半に関して関わっている人間であり、シノミヤの高格外套タイプE柩の設計者でもある。技術開発のみならず戦闘理論の構築にも携わっており、第三課の実働部隊隊員の戦闘技術や戦術の組み立て方には大なり小なりの関わりを持っていた。骸骨のような外見からは想像し難い戦闘技術を持っており、戦いとなれば本職に負けず劣らずの活躍をする人物でもある。

アダン・メンテール24歳♂
元外侵廃理三課実働部隊隊員。シノミヤと幼馴染の同期隊員。黄昏の女神にシノミヤと共に兄弟のように育てられた。戦闘技能においてシノミヤと互角に争った猛者であり、同時に親友でもあった。黄昏の女神の訃報とシノミヤの第三課離脱からシノミヤを憎むようになる。シノミヤとは善き友として互いの背中を預けて戦っていた。とある目的から外侵廃理を密かに侵食していた神官達に手を貸し実働部隊としての任務に付いている。黄昏の女神を心の底から想っていた。
基本的に近距離中距離戦闘を得意としあらゆる刃の扱いに長けている。魔力・技術・肉体・どれをとっても能力的にバランスが取れた隊員で、高い任務達成率と戦闘力からシノミヤと女神の二人と共にスリーマンセルで常に作戦行動を共にしていた。現在は神格契約者(ディアコノス)としての能力を有し、基礎能力は飛躍的な向上を遂げている。

ディグ・バルバロス・アウトゲネス?歳(外侵廃理創成期からいる事を勘案した場合数百歳以上確実)♂
外侵廃理第三課総括。外侵廃理第三課の実質的な支配者。外侵廃理創成期から所属し、多くの神々から人の世界を救っている大悪魔。子供のような外見ではあるが、その時々でその表情は大きく異なる。第三課を家族のように思っており、あらゆる苦難から三課・・・家族の形を残そうと尽力している。大悪魔でありながら遥か数百年前から人間に味方している珍しい存在である。現在は七教会の一部署の課の課長のような肩書となっているが本来の居拠である酷界では強大な権勢を誇っている。神、悪魔、天使、人間、人外、あらゆる種族、あらゆる存在の高位の者に知られた存在であり、様々な危機を裏から表からあらゆる手管を使って治めてきた苦労人でもある。現在では七聖女フルー・バレッサを筆頭に七教会上層部に頭が上がらない可哀そうな中間管理職であるが、その現状にある程度満足している様子。
外侵廃理での度重なる危機への対処で現在は魔力を本来の十分の一も保有していない。しかし、七教会に外侵廃理が吸収されて以降、七聖女フルー・バレッサとの関わりの中で多くの改造を受けた結果、その能力の特殊性は神に対して一切の抵抗を許さない唯一無二なものとなっている。

ハティア・ウェスティアリア?歳(公式発表されていない。外見年齢16歳前後)♀
七教会の最高権威『七聖女』の一人。現在から五十年前、『黄昏の悠久戦争』において魔王と戦った七人の聖女、通称「七聖女」の一人。軍神と呼ばれる七教会騎師と結ばれ、孫に恵まれた祖母という一面も持っている。その魔導は神域の事象すら凌駕すると言われる魔導聖女。『超高位魔導宗弟』(ハイグランエクスライン)と呼ばれる最高の称号を受けている一人でもある。その性格は宥和を是とするものであり、五十年前以前の暗黒時代から女子供の権利の向上に努めてきた七教会の福祉部門事実上のトップ。あらゆる者に手を差し伸べ、如何なる暴力にも屈しなかった姿から女子供の守護者として信仰を集めている。七聖女達はそれぞれが魔王と関わりを持つ人物であり、同時に人が持てる最高の能力『奇跡』を持つ超人と言われる。
能力的には魔導を極めた一人としてその魔導は常人からすれば万能の域に近く、真正の大神だろうとも勝てないと囁かれている。奇跡は強い人の意思が『結果』を創造し、世界に『原因』を創らせる、というものである。言わば結果を直接的に創る力(例としてあげるならそれは古の神が行った天地創造の際の言葉『光在れ』に近い。事象そのものを創る力と言える)である。その基礎能力部分は肉体に対して超人と化すものが主流であり、無尽の魔力、肉体の復元、老化の消失、実質的な不老不死がそれに該当する。更に奇跡の発展能力部分はそれぞれの個性を反映して発現するが、公にされている七聖女達の奇跡はたった一つ、『破壊者』と呼ばれる七聖女ソィラ・ミクラのものだけである。

ユアン・クオ?歳(公式発表されていない。外見年齢17歳前後)♀
回統世界を構築する三界において如何なる剣の使い手も及ばないと言われる刃の使い手。世界最高の剣士であり、七聖女の一人。剣士と言われているが実際には刀の使い手である。その技量は実際に如何なる刃と相対しても後れを取らないという意味では最強と謳われる。あまり感情を表に出すタイプではなく、あらゆる事態に対して静観しつつ対処する事を旨としている。その静かな面持ちから性格を知る者は少なく、七教会では武を極めた武人としての認識が強い。七教会において後進の騎師達の指導を時折行っていて、そういった戦いに関わる者達からの信仰は絶大である。多くの騎師達がその在り様に憧れを抱き、それを受け止める度量に惚れ、自らの全霊を持ってユアンに挑む事も少なくない。その際に男性の騎師から求婚される事もザラにあり、ユアンはそれに対して「勝てたら考えないでもない」とお茶を濁すのが慣例となっている。
魔導こそ使わないが魔導への対処やあらゆる戦闘技能・能力に関して深い見識を持ち、実際に刀一本で大地を割り海を割り空を割る事が可能である。聖女の奇跡を持ちながらもそれ自体を好んで使う事はなく、奇跡の利用は基礎部分能力で肉体を最高の状態で扱う為に使用しているぐらいである。

フルー・バレッサ?歳(公式発表されていない。外見年齢13歳前後)♀
伝説の刀鍛冶を父に持つ世界最高の頭脳。七聖女としての側面よりも科学者、開発者、技術者などの面が強調され世間では一般的となっている。科学者として大陸の技術レベルを数百年加速させたと言われ、多くの学問を創設、経済、政治、技術の面において多大な影響を及ぼした。政治と経済の基礎的な研究を通して社会に大きな影響力を持ち、自ら生み出した数々の新技術において産業を発展させ続けた為、社会の基幹産業及び経済、政治には絶大な影響力を持っている。所有するパテント、財団、会社は無数であり総資産の額は非公式でありながらも、もはや天文学的数値になる事が確実とされている。その預金は一部引き出すだけで大陸中の銀行を実質的に潰す事が可能であるとも言われる。
聖女の奇跡を最も上手く使いこなし本当の意味で万能を体現できる存在だが、実際に恐ろしいのは社会への影響力の大きさや科学者としての知識や開発力、保有財産の大きさである。あらゆる面で社会を自在に動かし、実際の戦闘では万能の奇跡を誇り、奇跡無くとも科学者としての兵器開発に長け、世界最新鋭の兵器を扱う。向かうところ敵なしであるが、『本当の本当に恐ろしいのはそんな上辺の話ではなく』、それらを扱う思考方法であるとされる。奇跡が無くとも、兵器が無くとも、技術・資金が枯渇しようとも、自らの思考のみで万能に届き、足り得るとされた唯一の存在。それがフルー・バレッサである。

『貴族』(ノビリス)?歳(八十代後半と思われる)♂
勇名を馳せた過激派の老人。様々な過激派の組織を流れながら最終的に七教会に捕縛された。過去、多くの組織に属して人脈を構築した事で現在でも牢の中にいながらにして多くの特権と情報を保有している。幽国の士と呼ばれる王政復権を掲げたテロ集団に長く関わった事でその手の情報には機敏である。通常の七教会戦力で押さえつけておくのが非効率な程の実力を持ち、今現在でもその実力は衰えていないと思われる。シノミヤの誰にも教えていない過去を今現在唯一知る人物であり、シノミヤについては孫の感覚で接していると公言している。
もはや老いた身であり、自らが動く事は一切ないが、その卓越した人脈(コネクション)を使い、シノミヤに重要な情報を幾つか提供する情報提供者である。人生の先達としての唯一シノミヤの過去を知る人間として『貴族』はシノミヤを見守っている。



長編「Begining Cross Line」内キャラクター。

主人公 シンア?歳(外見年齢十四歳前後)♂

本編二人目の主人公。
その時折で様々な笑みを浮かべる一見ヘラヘラしている旅の途中の少年。
旅のお供であるサヤトネとは主従関係にある。とある目的から大陸北部の王家の遺産を盗み出し、騎師団に追われる羽目になり、三姉妹の少女達と出会う。

ルヒ・サヤトネ?歳(外見年齢十四歳前後)♀

主人公であるシンアと共に旅をしているメイド姿の少女。その姿で更に刀を佩いている。主の為ならば如何なる事も厭わない性格で、常に主であるシンアを想い、その剣としてある事を望んでいる。感情が実は激しい蒼い瞳が印象的な少女である。



[19712] 回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」1
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:bbfd5a42
Date: 2010/07/03 09:44
回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」1

sideN(now)

「ゆくぞ」
「どうぞ」

『終焉の地に立つ館の主』
      ×
『死者を囲う災禍の城王』
      ×
『戦禍を望みし暗き花嫁』

詠唱による言霊。

「斬完よ。万古の剣を今此処に」

自らに働きかける暗示。

「我が手に宿れ『寡者頽廃圏』(カウダ・ムンディ)」

「『騎胞帯同』(きほうたいどう)ッッ!!」

白い妖精の魔眼が正面の敵を睨んだ。
簡単に倒れそうな白く細い腕が紫黒の焔に染まる。
その手がなぞる虚空が変質し、指した世界は隔離され、通常とは異なる薄暗い領域を周辺に刻んでいく。

鬨の声。まるで戦時。
勇ましき万の軍靴の音。
蒼い瞳の少女が持つ刀。
万軍に等しいその音が刀に凝り、周囲の空間をたわめていく。

激突は必至。

向け合われた刀と手がそれぞれに力を解放した。

左から放たれたのは紫黒の焔によって隔てられた周囲の領域から生まれ出る朧な人型。
右から放たれたのは刀の周囲の波紋、その中から出でた揺らめく甲冑。

両者、共にその数は無数。

放たれた力が両者の中間地点で激突した。
消耗戦。
どちらの力が強いかではなく、どちらが力尽きるのが早いか。
差が明確になっていく。
朧な人型は少しずつその量を減らしていくのに対し、揺らめく幻のような甲冑の群れは更に勢いを増していた。
鈍色の甲冑と紫黒の人型。
互いに混じり合う両者の力が限界まで飽和した瞬間、鈍色が爆発するように敗者を飲み込んだ。
しかし、打ち勝った蒼い瞳のメイド服少女は頭に当てられている籠手を横眼に納刀した。
「やはり、奇跡相手に出力で勝負するのは分が悪いか」
メイド少女の横で妖精の魔眼を持つ小さな少女が薄緑色のスーツの埃を払って、その鉄片を寄り合わせたような籠手を引く。
「いえ、最大出力が求められるのは戦闘中には一回あるかないか。一秒でも拮抗すれば後は何とでもなる。正直に言って十秒以上持つとは思っていませんでした。出力で拮抗した時点で切り札の数がモノを言うという事です」
「問題は力が届いた後、聖女を無力化できるかどうか・・・か」
二人の少女が互いの顔を見てからどちらともなく言い出した。
「お茶にしましょう」
「茶にするか」
スタスタ歩いて二人がその場を去っていく。
その後ろ姿を見ている者がいた。

sideEX(Extra)

河原で行われた秘儀のぶつけあいの余波を感じながら、二人の少年が林の中で少女達の後姿を見つめていた。
「すっげぇ・・・・。あんなの見たことないぜ」
「うん。やっぱり凄い。あっちの人外の子はたぶん今日は領域操作系の魔導。発動させるだけでもウチの学校の講師が三十人は必要なものだから・・・少なくとも階位は『高位魔導高弟』か、それ以上。あっちのお姉さんの方はやっぱり何かの能力に見えたけど、少なくとも領域操作系の魔導と拮抗する以上の力ってだけで相当なものだよ」
「いや、そっちもそうだけどさ。なんつーか。やっぱ、二人ともいけてんじゃん」
「え、いや、うん。そうかも・・・・確かに物凄く綺麗な子だよね」
「オレ的にはあの姉ちゃんの方いいけど、お前はあの人外の方が好みなのか。マニアックな」
「ち、違うよ!? ぼ、僕は素朴にあんなお姫様みたいな子がいるんだなってッ、その・・・知的好奇心というか・・」
「別に隠さなくてもいいじゃん。オレ達って友達なんだし。お前の本棚の三段目の左側に入ってるアレ――」
「うわ~~~~ッ?! 聞こえないッ。聞こえない~~~~~」
「良い子ぶっても遅せーよ。綺麗な子ばっかだったよな? 変な耳一杯、尻尾一杯、瞳の色は選り取り見取り。あそこまで集めるのはオレでも無理だぜ?」
「うううぅ。もう絶対部屋入れないからね」
「今度オレの秘蔵コレクション見せてやるからそうむくれるなって」
「見せなくていいよ。それよりいいの? さっき言ってた事」
「まだオレ達はあの姉ちゃん達と知り合ってもいないわけだしな。もう少し様子見てからでもいいかってオレは思ってる。だって、普通に言ってもダメそうじゃん。ここは弱みを握ってからでも遅くない。オレって案外策士だろ?」
「言ってる事は最もだけど卑劣だよね」
「男には時に鬼となる事も必要なのだ!!」
「鬼と卑劣漢は別物だよ・・・・」
「まあ、とにかくだ。あの姉ちゃん達に魔導とか剣とか教えてもらえればオレ達は強くなれる。そして、いつか騎師になって、オレ達が聖女様をお守りする。くぅうう、これで夢が一歩近づくぜッ」
「君って僕よりよっぽど夢見がちだよね」
「ああ? 何か言ったか?」
「全然。とにかく、情報は僕も必要だと思う。行こう」
「ああ、行くぜ。オレの将来の為に・・・」
「(聖女様をお嫁さんにしたいとか。ホント、罰当たりもいいところの将来像だけど)」
「聖女様。待っててください。オレはやります。やってみせます。ふはははッ」
「友達って疲れるよね・・・」
「何か言ったか?」
「全然。さ、行こう」
「オレ達の夢の為にレディ、ゴーッッ!!」

sideP(past)

圧倒的だった。
たった一撃。
たった一撃で決着がついた。
何の話か? そんな事は解りきっている。
七聖女ソィラ・ミクラ様についての話だ。
その日、僕と彼は二人で銀行にいた。
ATMからこづかいを引き出す為だった。
外は蒸し暑くてやっていられないと彼は僕についてきて、涼しい涼しいと言いながらアイスを齧っては外の既知外な暑さに辟易して太陽を睨んでいた。
二人で一緒に隣の都市へと冒険に出かけよう。
そんな他愛無い夏休みの計画。
僕と彼はそれを楽しみにしていた。
そうして運命に出会った。
大袈裟な奴だと笑われるかもしれない。
けれど、それはやってきた。
大きな皮製の鞄を持った男。
突然鳴る激音。
バン。
身動きできなくなる体と未だに何が起こったか理解しない頭。
何だ。何が起きたんだ?
そんな事を誰が言うわけもなく、平然と銀行強盗発生。
後で分かった事だけれどテロ組織が資金難に困って起こしたのだとか。
まぁ、それはいい。
そんな些細な事はどうでもいい。
それよりも大事な事はここで僕と彼が馬鹿な事を同時に考え付いたって事。
彼と僕は幼馴染。
しかも、学校ではどちらも魔導と剣の扱いに掛けては一番。
大人にだって負けないと自負していただけの事はあって、痴漢とか変質者を捕まえた事だってある。大事なのはそんな、ちょっと大人を舐めた子供が大きな勘違いを犯したって事だ。
彼はいつもお守りに持っている剣を具現化する魔導を封じ込めた符を握っていて、僕は魔導がいつでも展開して撃てるように懐のいつも持ち歩いている魔力ストックの水晶を握りしめていた。
彼はカウンターに意識と銃が向いている男を殴り倒そうとゆっくりと背後に回り、僕は人が視界に入らず一直線に魔導がブチ当たるよう位置を変えた。
最初に仕掛けたのは彼だった。
興奮して正気を失っていた。
きっと自分達なら大丈夫なんてありもしない幻想を信じ切っていた。
逃げるのが普通であるにもかかわらず勘違いした子供。
それが僕と彼だった。
彼が頭を思いっきりぶっ叩いた次の瞬間には男に向けて僕は雷撃の魔導を放っていた。男の銃の引き金が引かれないように腕を狙った魔導は狙い違わず腕と体の神経をマヒさせて自由を奪った。
男は頭と腕に受けた攻撃に対してまったくの無防備ですぐに倒れ込んだ。
それを見て僕と彼はアイコンタクトで「やったな相棒」とか、そんなドラマ染みた馬鹿な合図をしてしまった。
それを最後に僕と彼の意識は途切れた。
僕が目を覚ませば、そこはもう夜で、男達が金をカウンターに運び出しているところだった。ズキズキと痛む体と真っ赤になったメガネ。血に濡れたメガネ越しに彼がグッタリしている様子を見て、僕は自分の馬鹿さ加減に思わず唇の端を曲げた。
最初から複数。
最初の一人がやられた場合に即座に潜伏していた仲間が動く。
そして、最初の一人をやったのは僕と彼だった。
まさか子供にやられるとは思っていなかっただろう男達はきっと慌てたに違いない。
男達は大勢の人質を取って籠城するなんて自殺行為と分かっていたはずだ。それなのにまだ銀行にいる。
つまり、もう逃げられない状況にまで追い詰められている。
最悪だった。
最低だった。
彼はグッタリしていた。
僕はグッタリしていた。
何が学校で一番の人間か。僕と彼は自惚れていた浅はかな子供だった。
僕が目を覚ました事を見つけた男の一人が僕の顔を蹴り飛ばした。
痛くて痛くてどうしようかと、このまま死んでしまうのかと僕は絶望した。
「止めろ!!」
彼が目を覚まして僕に向かって叫んでいた。
彼が泣いているところを初めて見た。
ガキ大将でどうしようもなく時代に逆行しているとしか思えないぐらい馬鹿で愉快で強くて何にもへこたれない彼が泣いていた。
すぐに彼も男の一人に顔を蹴り飛ばされた。けれども彼は僕が蹴られる度に止めろ止めろと騒いだ。
男達は顔を見合せて僕と彼の顔に銃を向けた。
彼と僕の顔の横の床に大きな孔が開いて、鼓膜が破れたんじゃないかと心配するような静寂の中で、互いの顔を見つめていた。
ああ、これで終わりなのか。
僕と彼の短い人生は終わりなのか。
僕はお父さんとお母さんとお姉ちゃんに心の中でさよならしていた。
けれど、彼は僕とは対照的で男達を思いきり罵倒していた。
良く見れば涙で顔はグチャグチャだし、顔は腫れ上がっているいるし、股間からは宝の地図が広がっていて情けない事この上ない状況だし、もう見た目上は何一つカッコイイところなんてないのに、彼は正しく英雄のようだった。
きっと、見方を変えれば負け犬の遠吠えとか馬鹿な子供の戯言だとか勘違いしちゃったイタイ奴。
けれど、彼は英雄のようだった。
そんな彼に庇われた事を僕は誇りに思ったし、死ぬとしても、本当に死んでしまうとしても、その彼が庇ってくれた事だけは絶対誰にもケチは付けさせないと心に思った。
ついに切れたらしき男達が銃を血走った目で彼と庇われている僕に向けて、僕は瞳を閉じた。
神様には祈った事が無かったけれど、その時ばかりは神様に祈った。
どうか、彼を助けてくださいと。
もしも、助けられないなら僕と彼以外に誰も傷つきませんようにと。
そうして、銃の発砲音が聞こえて、僕は無限とも思える時間、ずっとずっと何も考えられずにいた。
バガン。
何の音か解らない。
僕が恐る恐る目を開けると男達が壁の方を見ていた。
コンクリートの内壁の周囲がモヤモヤと粉塵に覆われていた。
彼と僕はそこで運命に出会った。
その粉塵の中から何でもない風にツカツカと歩いてくる人に出会った。
煙の中から出てきたその人はまるで何処かのグータラなおっさんがしているような紺色のダボダボなズボンと万人が万人ハシタナイと思うだろう白いタンクトップ一枚の姿で、しかも女性なのに大きな胸の上に何もつけている様子もなくて、ちょっとこれで外に出るのはどうなんだろうと思ってしまう姿で、とにかく・・・・何というかエロ・・・素敵な人だった。でも、その理想的なプロポーションとか挑発的に釣り上がった目元とか赤い短髪とか微妙にやる気のなさそうな表情とか、色んな要素を加味してみると少し愛嬌があって親しみやすいかもしれなかった。
そんな、ちょっと変な・・・変わった女性が銀行強盗の前に堂々と進み出ている異常事態に僕は少しだけ理性の戻った頭で「誰?」と思ったけれどすぐに何処かで見た顔だと気付いた。
「人がせっかくロイヤルスイートで戦いの後の疲れを癒してるっつーのに馬鹿な事したのはアンタ達?」
ザワリと馬鹿という言葉に反応した男達はすぐ彼女に銃を向けた。
「アンタ達のせいでね。副官君から「ちょっと出てください」とかメールが来たのよ? 分かってる? ねぇ、解ってる? あたしはね。今物凄く眠いわけよ。そして不機嫌なわけよ。それでどうしようもなく寝たいわけよ。でも、あの子のメールを無視したら後でちょっと怖いわけよ。だって、あたしのやるはずの雑務引き受けてるウチの副官があの子の十三番目の弟だから。それであたしが断ったら後で書類五百枚とか書かされるわけよ。あ~~自分で言ってて鬱だわ」
言いたい放題な女性は左を見て彼の事を一秒、右を見て僕の事を一秒、少しだけ思案してからポツリと言った。
「じゃ、間接と腕の神経と声帯とか壊れると思うけど、後で病院で高額医療受けられるようにしておくから、人生やり直して払っといて」
彼女が何気なく腕を上に上げてパチンと指を弾いた。
バツンと鈍い音が一斉にカウンターの内外から弾けて、男達が崩れ落ちた。
同時に男達が持っていた銃がバラバラに砕け散った。
男達の声にならない声が静寂を少しだけ揺らして、僕と彼は固まったまま彼女を見上げていた。
「ほら、立ちなさい。男の子なんだからアンタ達」
他の人質になっていた行員とか一般人とかには目もくれず彼女は・・・・聖女ソィラ・ミクラ様は僕達に促した。
僕と彼はまるで何かに操られるように痛む体を立ち上がらせた。いつの間にか切れている体を縛っていた縄が滑り落ちて音を立てた。
「まったく可愛い顔が台無しよ」
近づいて行った僕と彼の血で濡れた顔を指で拭ってソィラ様が微笑んだ。
「偉いわよアンタ達。でも、危険な事したら家族が心配するって解ってた?」
何も言えずに俯いてしまいそうな僕と彼の頭をソィラ様は撫でた。
その手は女性のものなのに何処か無骨で、でも・・・涙がまた零れそうになる程優しくて、僕と彼は涙なんて恥ずかしいと唇を引き結んだ。
「説教しなくても解るわよね? アンタ達がした事の意味。アンタ達が人質の中でもとりわけ危険な場所にいたからあいつらも手を出しあぐねてた。それでこの事件が長引いた。それは事実。だから、しっかり受け止めなさい」
壁の外をちょいちょいと人差し指で指されて外を見る。
完全防備の高格外套の列がそこにいた。
頷くしかない僕と彼にソィラ様は「よし」とガシガシ頭を掻いて叩いた。
「じゃ、二人の小さな勇者にはアタシからとっておきのご褒美をあげるわよ。来なさい」
片腕に僕と彼はそれぞれ抱えられて開けられた大きな穴を潜って外に出た。
外には報道のカメラと大勢の見物人と無数のライト。
それを無視してソィラ様は空へと跳んだ。
風圧で息が苦しくなり、目を閉じ我慢して数秒。
「いいわよ。目開けても」
「「―――――――」」
涼風が吹き抜けて顔の傷の痛みを静めていく。
街の明かりを下にして、そのあまりの美しさに二人で息を呑んだ。
「街の平和を少なからず守ったなら、その価値を知らないってのは惜しいでしょ。これは当然の報酬。どうよ?」
偉そうに、実際物凄く偉いソィラ様が胸を逸らした。
「綺麗・・・です」
彼はいつもとは違って少し丁寧に。
「うん」
僕はいつもとは違って少し乱雑に。
「なら良しッ。この頃のガキはひねてるってよく言うけど素直でよろしい。それじゃ、家族もそろそろ心配してるだろうし、あたしも眠いし、帰るわよ」
ウィンク一つ。その女神のような人に僕達は頷く事しかできなかった。
そんな運命に僕と彼は出会ったのだ。

sideN(now)

――誰が聖人になれるだろう。
私欲無き人など誰も成れるはずはなく――

物悲しく力強い曲が人の欲を謳っては凍りつくような現実を語る。
曰く。
人は孤独という欲を持っている。
もしもこの世界が誰も欲を持たない世界なら孤独は存在しない。
だから、孤独とは最も深い人の欲。
求める心は時に人を狂わせ、人を罪に駆り立てる。
ゆえに人生は互いの孤独を分け合って、欲を分け合って進みゆくしかない。

ガチリ。

テーブル上のラジオ。
流行りの詩が掻き消えて、無欲とは程遠いカードの群れが乱舞する。
「セブンのファイブカード」
「フルハウス」
「ストレートフラッシュ」
投げ出された切り札が欲の代償であるクッキーを配分する量を決めた。
三人の少女達がクッキーを手品のように消すのに三分掛らず、それぞれカップのお茶を飲み干すと伸びをして立ち上がった。水辺に近い岩場に自生した薄紅色の小さな花々が揺れ、風が芳香を遠く運んでいく。
三人の少女が同時に気付いた。
長い砂利道を二人の少女が歩いてくるところだった。
一人は茶髪蒼眼のメイド服姿の少女。
ルヒ・サヤトネ。
その横を歩くのは妖精の魔眼を持つ手折れそうな体と白い髪、小さな背、薄緑色のスーツ姿。
ハイレン・ハージェット・テトス。
仲間達にお帰りと迎えられて二人の少女がただいまと返した。
「で、どっちが勝ったのよ?」
声を掛けたのはクッキーを大量に胃袋に収めた三姉妹の長女。モデル体型に赤い長髪。黒と紅を基調とした全身を覆う衣装に身を包んだ女神のような姿。
フォーゼ・クラウンストラ。
「負けた」
「勝ちました」
敗者と勝者の明暗が両者から語られるとフォーゼが後ろの二人の姉妹ティルナ・ノーゼンとセツル・クラティメントへと笑みを浮かべる。
「明日のおやつはあたしだけ二割増みたいよ?」
「フォーゼ大人げない」
黄色い髪のボブカット。常に紺色の法衣を着こんでいる次女ティルナがボソッと言った。
「大人げないのは仕方ありません。子供ですから」
付け加えたのは黒髪を三つに束ね、教会のシスター衣装を常に着用している三女セツルだった。
簡易テーブルの上のラジオと皿がポイッとセツルの持った袋に放り込まれて消える。
「妾達の勝敗を賭けにしていたのか?」
フォーゼがハイレンに笑顔で頷き、二人の妹達がやれやれと首を振った。

夏の涼風が吹き抜ける都市の片隅から物語の幕が上がる。



[19712] 回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」2
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:bbfd5a42
Date: 2010/07/03 09:50
回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」2

sideEX(Extra)

ハイレン・ハージェット・テトス。
どうしてその名前を受け入れたのか。
実のところ自分でも解っていない。
母と認めた女性の名字を受け、子として育てられた事は素直に嬉しかった。
しかし、真名を変える事に同意したのは自分の意思だった。
本当に必要な時以外名乗ってはならない名。
だが、実際に名乗る事もないだろう名。
ハイレン・アナクレトゥス・グラテト。
大陸フォル北西部を治めた国の名を冠するその自分の名前に思い入れがあったのかどうか。
それは過去の自分にしか解らない。
今や再度テロ組織と世間に認定された『幽国の士』の主として身を隠すように旅をしている自分が大そうな名前を名乗る事は二度と来ないだろうとも思う。
それでもやはりその名前を忘れる事はない。
滅び去った王家。
その最後の生き残り。
世が世ならば姫の位にあるかもしれない者の名はハイレン・ハージェット・テトスと言う・・・・・・。

sideN(now)

「あ、あの、僕を弟子にしてください!!」
ハイレンは言葉を無くして目を見張っていた。
下げられた頭。
パーカーを着た歳もそう自分と変わらないだろうメガネを掛けた少年。
いきなり現れた少年が弟子にしろと言った事実のみを見て、ハイレンはまず一番大事な質問をする事にした。
「お前は妾の事を何処まで知っている?」
少年は頭を下げたまま動かず、ハイレンは嘆息して周りの視線を感じ、少年の手を引いて走り出した。
「うわ?!」
「魔導の心得があるなら周辺環境を維持する魔導は使えるな? 五秒以内に使わなければ置いていく」
少年はハイレンの言葉に驚きながらも顔に喜びの色を浮かべた。
「は、はい!」
少年が自分の周辺の環境、気圧、温度などを一定に保つ魔導をパーカーのポケットにしまい込んでいた万能型の魔力補充符を使い急いで発動させた。
少年とハイレンを瞬時に見えない球状の膜が包み込む。
それを確認したハイレンは大通の目立つ事この上ない道から小さな路地へと入った。
純粋な魔力の肉体強化。
瞬発的な上昇エネルギーが細いハイレンの足から繰り出され、即座に高層ビルの屋上よりも高い位置まで二人は跳んだ。
自然落下に少年が情けない悲鳴を上げる間にもハイレンの足が再度魔力を帯び、ビルの屋上に微細な振動を残して着地に成功した。
ドサリと尻餅を付く少年を見降ろしながらパンパンと薄緑色のスーツの埃を払いハイレンは少年に詰め寄った。
「これから妾の問いに答えろ。黙るか答えない時は即座にお前の記憶を消す事になる。いいか?」
少年はコクコクと赤い顔で頷いた。

真直に見れば見る程、可憐で美しい姿だった。
白い髪。肌理細やかな白い肌。抱きしめたら今にも手折れそうな細い腕や足。鈴の音のような声。眉目秀麗で小さな顔。そして何よりその瞳。中心が白く他が黒い妖精の魔眼。人外か、人外の血を引く、正に物語の中にしか今では見れないだろう神秘。
呼び止めた時には恐怖を、話しかけられた時には幸せを、少女に手を握られた時には羞恥を、少女の提案に対して頷くには勇気を、まるで混沌とした内心とは別に心臓だけが切なさと男なら誰でも持つだろう本能的な保護欲に苛まれ、どうにかなりそうだった。
大通で話しかけたのは少女が迂闊に動かないと踏んだから、弟子にしてくれと叫んだのは文字通りの意味で、目の前の少女に魔導の教えを乞う為だった。
「お前はどうして妾が魔導ができると知っている?」
「は、はい。ぼ、僕はその、この間からみ、皆さんが、あの山林で魔導を使っていたのを見ていたので」
少女の片眉がピクンと動いた。それだけで心臓が喧しくなり始める。
「・・・・妾以外の者も見たのか?」
「は、はい。全員で七人・・・ですよね」
答えている自分がまるで人形になったように錯覚する。少女の前でカクカクと首を振る事で精一杯になる。
(敵意が無いから見逃していたか。妾達が迂闊だったな。急いで別の場所に移動するべきか。いや、ここは)
「次の質問だ。お前以外にこの事実を知っている人間はいるか」
「は、はい。僕の友達が一人。ぼ、僕達、その、皆さんが訓練しているところを見て、それで、あの、感動して、凄く皆さん強くて、その、だから、どうにか教えて貰えないか・・・って」
次第に不安が背筋をせり上がってきて、緊張に心臓が縮んだ。
「その友はどこにいる?」
「あ、アイツならきっと、茶色い髪で蒼い瞳の刀を持ったお姉さんのところに弟子入りを申し込みに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
物憂げな少女の顔に釘付けになる。
その顔は最高の芸術家によって描かれた絵画にすら勝る。
不意に襲ってきた抱きしめたい衝動を耐えた。
「つまり、だ。お前はあの山林で妾達が戦っているのを見て、妾達の力を得たいと、弟子になりたいと思って話しかけてきた。そういう解釈でいいのか?」
「は、はい。その通りです」
全身の力が抜けたらしい少女は髪を掻き上げて困った顔をした。
「落ち付いて話がしたい。近くに喫茶店か何かあれば連れて行って欲しい」
「え?」
「妾はまだこの都市の地理に疎い。お前はこの都市の人間だろう?」
「は、はい。よ、喜んで!!」
思いきり頷いて、自分があまりにも見え見えな態度なのがすぐに恥ずかしくなった。自分を落ちつけて、数秒。
「あの、教えて欲しい事があります」
「なんだ?」
「あ、貴女の名前を教えてください」
「・・・・・・・・・・・」
何かを考え込んでいる様子の少女の思案顔が何かを決めたような顔になり、妖精の瞳で瞳を覗きこまれた。
心の奥底まで見透かされたような心地。自分の今感じてしまっている恥ずかしい欲を全て知られてしまったような恐怖感と絶望感と陶酔感。
「ハイレン。妾の名はハイレンだ」
ゴクリと喉が鳴ってしまい慌てた。それでも自然に自分の名を名乗る事が出来たのは奇跡だった。
「僕の名前はゼファ。ゼファ・シニストラ・カーンです。よろしくお願いしますハイレンさん」
声は震えていなかった。
顔がどうだったのかは自分でも解らなかった。

美しい少女とパーカー姿の少年の構図は人目に付く事なく、少年ゼファの家の近所、行きつけの喫茶店の中にあった。二人の間にはブラックのコーヒーとオレンジジュースが一つ。傍目から見れば少年がコーヒーを注文したようにも見えたが事実は逆でコーヒーはハイレン、オレンジジュースはゼファが頼んでいた。
店に来て一番最初の注文をオレンジジュースで決めてしまった自分を内心で罵り呪っているゼファは苦過ぎるコーヒーに何の躊躇も無く口を付けたハイレンを内心で褒め千切って讃辞を送り、「凄い大人だ」と絶賛していた。
テーブルに置かれた橙と黒のコントラストがまるで混じり合わないという事にも気付かず、先陣を切ったのはゼファだった。
「あの・・・・ハイレンさんはこの都市は初めてですか?」
「ああ、妾は旅をしている身だからな」
「その歳で旅をしてるなんて凄いですね」
「お前とその友の方が余程に凄いと妾は思うが。妾達に悟られず何日か監視していたのだろう?」
ハイレンの言葉に冷たさが混じっている事に気付いたゼファが慌てた。
「あ、いや、その、すす、すみません!! その、初めて皆さんを見た時からその、引き込まれたって言うか。目が離せなくなって・・・それで、つい皆さんの事をもっと見たくなって・・・でも、話しかける勇気もなくて・・・わ、悪気はなかったんです。ごめんなさい」
必死に頭を下げテーブルに擦り付ける勢いで謝るゼファにハイレンは何とも形容し難い顔をした。
(調子が狂うな。こんな子供に頭を下げられるなど、妾は怒っているわけでは・・・・)
ハイレンの脳裏に罪悪感が湧いた。
いきなり弟子にしてくれと言われ、気が動転して普通の子供だろうゼファに辛く当ったような覚えしかなかった。
ハイレンはゼファを見て一目でそれが自分を追っているような特殊な存在ではなく、ただの子供だと直感的には解っていた。それでも自分を追う組織は大きく決して油断はできないと気を引き締めた事が目の前の少年を委縮させているのだと分かる故に、少しだけ笑って言った。
「良い。お前は妾達を害そうとして監視していたわけではないのだろう? それならば、褒められる事ではないとしても、こちらが怒るのはお門違いだったな。すまない」
ゼファの顔が喜色に染まった。
「許してくれて、あ、ありがとうございます。ハイレンさんッ!!」
ガッとハイレンの両手を握って感激するゼファの勢いに付いていけず、ハイレンが「あ、ああ」と返した。すぐにゼファは自分が少女の手を躊躇遠慮なく握っている事に気づき「す、すいません」と両手を放して謝罪した。
顔を真赤にするゼファにハイレンが少し戸惑いながら言った。
「それとゼファ。お前は見るからに妾と同じぐらいの歳ではないか? それなら妾に敬語で話さなくてもいい。同年代の者にそんな風に話したりはしないだろう」
「え・・でも、その、弟子にしてくださいって言う立場としてはやっぱり敬語がいいんじゃないかって。それにハイレンさんの魔導は遠くから見てましたけど、とても凄くて・・・・尊敬に値する人だと思いますから」
ハイレンは自分の事をそう捉える少年にどう答えていいか解らなかった。
『普通』の少年と『異常』な自分の間にある大きな隔たりがあるのは事実だった。
ゼファが顔を引き締めて言う。
「僕はハイレンさんを尊敬してます。あの魔導を見れば、遠目にだって分かります。どんなに魔力の制御に神経を注いでいるのか」
「いや、妾はそんなに大そうな者などでは」
言い淀んだハイレンにゼファが首を振って言い切る。
「ハイレンさんは尊敬されていい人です。少なくとも魔導を学ぶ人間にアレを見て否を応える人間がいないって、僕は自信を持って言えますから」
「―――そうか。ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しい」
ハイレンは少年の言葉に固まってから、ふと表情を緩めて笑みを零した。
「あ――」
柔らかなハイレンの微笑にドクンと心臓が脈打ち、ゼファの内心が真っ白になった。
感じられるのはその笑顔だけ。
今までの心臓の音が嘘のように静かにトクトクと小気味いいリズムを奏で初めて、ゼファは自分がその出会ってから十数分(見ただけならば数日)の少女に恋をしているのだと悟った。
可憐な容姿に儚い微笑。
これを見て何も感じない人間はいないに違いない。そう思えるほどゼファはハイレンの笑顔に引き込まれていた。
「ハイレンさん。もし良ければさっきの話を考えてくれませんか? ハイレンさんの魔導を教えて欲しいんじゃないんです。ハイレンさんの魔導を扱う姿に、その、僕は感銘を受けました。だから、その、何て言うか。ハイレンさんみたいな魔導使いになりたくて!!」
ゼファの真っ直ぐな視線がハイレンの心に響いた。
「もし何か代償が必要なら出来る限りの努力をして用意します。ですから、お願いします」
真剣な、何よりも真剣な瞳に、ハイレンは今の自分と仲間達の立場と魔導を教える事で必要になる諸々のリスクを即座に内心の計算から切り捨てた。ただ自分の気持ちだけで決めたかった。真っ直ぐな同年代の少年に真っ直ぐに答を返したかった。それで必要になるだろう全ての労力を惜しむ気持ちは視線の熱さを感じて消えていた。
「分かった」
「え?」
「ただし、二つだけ条件がある。一つは妾達の事を他の誰にも口外しない事」
「あ、はい!!」
「もう一つは・・・・妾の事は・・・ハイレンと呼べ。それだけだ」
「ッ、はい!! ハイレン。~~~~やったぁああああああああ!!?」
ゼファの歓声が客がゼロの喫茶店の中に響き、ハイレンはそれを何処か優しい目で見ていた。

その日の夕方。
ハイレンは仲間達にその日の出来事を報告した。
ハイレンの弟子を取る宣言に五人の仲間達は驚いていたが、一人蒼い瞳の少女だけが自分も同じように弟子を取る事にしたと宣言した。
仲間達は苦笑して「やると言ったからにはやるのだろう」と二人の性格を考え承諾した。
その日から二人の少女達は二人の少年に師と仰がれる事になった。

快晴な朝の小川で二人は座学を教え、教えられていた。
カツカツと空中に黒い線が滑り文字や数字、幾何学模様を刻んでいた。
空に指を滑らせて線を描いているハイレンが一通り書き終えたところで振り返ると少年が頭から湯気を出す勢いで膝の上のノートに高速で空中の全てを書き写していた。
「魔導は汎用性を取れば現代魔導に、特異性を取れば源流に行き着く。基本的なスタイルの違いは魔導の法則、魔力定義、技能の違いとなる。だが、現代魔導はある程度までは魔導源流を組み込んでいる。つまり、法則も魔力定義も技能の違いも幾らかは習っている現代魔導と共通項が存在する事になる」
ハイレンが更に図上に指で線を描きながら更に講義を続ける。
「現代魔導はそういった経緯からどんな源流の攻撃でも下位のものならある程度は防ぐ事ができる。総合技術としての面目躍如だろう。だから防御には平均して現代魔導の方が源流より多少優位性を確保できる。逆に攻撃は現代魔導は貧弱である事が多い。それは全ての事象に干渉するだけの汎用性の代わりに攻撃手段の出力が源流に比べれば低いからだ。これは源流が攻撃に向いているという事を意味する」
完成した図上の方陣にハイレンが魔力を通して仄かに発光させた。
「ここに書いた魔導方陣は全て源流と現代魔導のハーフで攻撃と防御を同時行えるように描いた。つまり、どちらの攻撃にも防御にもある程度は力を発揮できる半汎用性魔導方陣だ。攻撃専用、防御専用の魔導を使うよりこの両得な魔導方陣の方が簡便で使いやすい。市販のテキストなどでなら汎用性のみを追求するのが一般的だが使用するならこちらの方がより広範囲の魔導の攻防をカバーできる」
真剣な瞳がハイレンを見る中、更に講義が続く。
「だが、魔導を極める者が最後に行き着くのは源流も現代魔導も全て修めなければならないという現実だ。源流だけでも現代魔導だけでも攻防にムラや偏りが出来る。必要なのは深く広く学ぶ事。だが、実際にはやはり一つの源流を学ぶか現代魔導の幾つかの系統を治める人間が殆どだ。全てを学ぶ事は不可能では無くてもやはり無理がある。そこで重要となってくるのが自分の修めた系統が苦手とする相手への対抗策を講じる事。これを怠れば、どんなに一つの系統を極めようと別系統の苦手な魔導を使う素人に負ける可能性がある」
ハイレンが自分の片手に装着した弦を張った鉄を寄り合わせたような籠手に弾丸を一つ詰めた。
「妾は召喚系の源流を修めているが、やはり苦手な系統の魔導へ対策は常に行っている。ゼファ。妾が魔導を発動したら周囲の気圧や温度を乱してみろ」
「源流が使えるんですか!?」
「珍しいか?」
「も、物凄く・・・」
ゼファが何度も首を縦に振った。
魔導源流と呼ばれる現代魔導の基礎となった諸技能。それらを使う者を源流使い(クラフトマスター)と人は呼ぶ。それを使いこなすという事はその時点で魔導の一角を極めたという事に外ならない。
弦が震え弾丸が弾けた。
ハイレンの目の前に小さな魔導方陣が生じ、その中からポロポロと小石が落ちてくる。ゼファが両手で所作を組み、小さく真言を唱える。同時に魔導方陣の周辺が僅かに変質し、中から出てくる小石がパリンと割れた。
それを見たゼファが驚くのを横眼にハイレンが魔導方陣を消して説明し始める。
「今のはこちら側に召喚された物質が召喚途中で周囲の気圧と温度の急激な変化についていけず、魔導方陣の揺らぎに砕けた。そういう状態だ。つまり召喚系の魔導の一部には周囲の環境に左右される性質がある。これがもしもっと複雑な人間の召喚などなら・・・・言うまでも無く」
ゼファがゴクリと喉を鳴らした。
「どんな状況下でも自分の修めた魔導を最大限発揮できるように対策を講じる意義は計り知れない。守るにしろ攻めるにしろな」
カツンと指が空中に最後の一文字を書き付け離された。
ハイレンが描いた全てを映し終えたゼファが興奮気味に笑った。
「召喚系の源流・・・・。やっぱり凄いです。ハイレンは」
「妾の魔導は魔導源流を基本とするが現代魔導もそれなりに修めている。魔力の運用効率を考えた時、基礎的な部分ではどうしても現代魔導が必要になる。その分覚える技能はチグハグな寄せ集めとなるがな。手っ取り早く強くなる近道は何でも使う事、これは妾の経験上間違いない」
ゼファが瞳を輝かせて関心する。
「そう言えばゼファ。お前はどういう魔導の系統が得意だ?」
ハイレンの問いにゼファが恥ずかしそうに答えた。
「あ、はい。僕は法則干渉系列が得意で、『異法』(エクストラ)の認識はまだなんですけど、付加系の魔導が一応得意です」
「『能力付加』(エンチャント)系を扱うなら汎用性は通常の魔導より高いな。何かやってみせてくれるか?」
「あ、はい」
ゼファがポケットから符を取り出した。
何をするか思案したゼファが符を放り上げて両手で所作を組んだ。
複雑な所作を終えて両手を合わせた瞬間、魔導が完成する。
「『昇華』(サブリミテーション)」
周囲の空気が変質した。
辺り一帯の空気が仄かに変質した事を確認してゼファが安堵の息を吐いた。間違っても失敗などハイレンの前でできないと緊張していた。
「これは面白いな」
ハイレンの顔が綻び、そっと空気を吸った。
「基本は魔力による空気の改良か。それに加えて空気中で自立し状態を維持するよう魔力塊に命令を付加して一種の簡易機関か使い魔にしているな。見事だ」
ゼファは即座に魔導の核心を看破された事を嬉しく思った。
笑顔でその通りですと頷く。
「この系統の特徴は如何なる事象にも魔力によって諸々を加算する事ができる点、つまり足し算の魔導である事だ。これだけの事ができるなら、時間を掛ければ概念にも干渉できる。別の魔力定義で駆動する魔導にすら一定の制限を付け加える事が可能だろう。更に対象を選ばないとすれば上出来だ」
「実際には干渉する事ができる加算対象が少なくて。それに加算するモノ自体も全然少ないです」
「法則干渉系は自己の扱う『異法』を最大限認識理解するところから始まる。まだ入り口にすら立っていないなら、これからだ。ゼファ。お前は筋が良い。どんな対象に何を付け加えるかによっては魔導の研究の幅も研鑽の仕方も攻防の性質も自在に変化させられる。それは妾にはない可能性だ。正直少し羨ましく思う」
「あ、ありがとうございます」
照れた様子でゼファが頭を下げた。
「妾の魔導は基礎的な部分で距離、時間、環境に大きな制限を受ける。都市部で使うなら威力そのものは半減以下まで低下するしかないし、コストもかさむ。使い勝手は悪い方だ」
少し愚痴のように零れたハイレンの苦笑にゼファが訊いた。
「それって、七教会の都市部での召喚制限措置の事ですか?」
「都市部で魔導を発動するといつも負荷で三倍以上の魔力が必要になるからな」
ゼファはサラリと口にされた言葉に呆然となるほど衝撃を受けた。
都市部での召喚という技能は致命的なまでに自分に優位な環境を作り出す事ができる、戦術を激変させられる技能であり、それゆえに召喚技能の使用が都市部で犯罪などに使用され横行した過去の教訓などから都市部での召喚技能の行使は許可制となった。許可なく魔導を使用し召喚それに類する空間の転移を行おうとしても妨害措置が施されており、発動はほぼ不可能、困難を極める。今までそれを突破しようとした者がいなかったわけではないが、実際に妨害措置がどのような手段で行われているかすら定かではない為、事実上召喚に関する魔導は民間からは途絶えて久しい。
そんな有名な魔導の事情を知っているゼファからすれば、召喚を都市部で行える時点でハイレンの魔導は神業と言う以外になかった。
「・・・・やっぱり、ハイレンは凄いです」
染み染みと言われてハイレンが褒められる事に慣れていないように照れた。
「そんな事はない。本当に必要な時使えない可能性がある魔導など不完全もいいところだ」
目の前の神業と呼べる魔導を駆使する少女も自分と同じように照れるのだと知ってゼファは胸にある熱さが増すのを感じずにはいられなかった。
「あのハイレン!?」
「なんだ?」
「もしも良かったら僕の研究を見てもらえませんか」
「研究。どういうものだ?」
「高次の『昇華』に関するものです」
「高次の?」
「魔力による物理的な変質での昇華はポピュラーですけど、今僕がやってるのは概念上の存在そのものを魔導で昇華して物質に影響を及ぼすもので、少し変わった代物なんです」
ハイレンが少し驚き、笑顔で頷いた。
「ならば、見せてもらおう。妾もこういう事でもなければ他の人間の魔導研究など見れないからな」
「ホ、ホントですか!?」
「嘘を吐いてどうする」
「は、はい。是非、僕の家に招待させてください!!」
ゼファが喜びのあまりハイレンの方に歩き出そうとして石に躓いて転んだ。
グシャッと結構いい音がした後、駆け寄ってくるハイレンの前で何でも無さそうに置き上がったゼファは決まりが悪そうに笑った。
「ならば、妾もお前に一つ見せよう。妾の修めた魔導の一端を」
ハイレンが籠手に新しい弾丸を装填した。
「これからお前の家の中に直接転移する」
「で、できるんですか?!」
「妾はいつも八人同時に都市部から転移させろとか言われる身だからな。二人程度なら朝飯前だ。行くぞ。お前のイメージを貸せ。ゼファ」
ゼファが頷くとハイレンは籠手をそっとゼファの額に付けた。
「心配せずともいい。自分の部屋をイメージしてくれれば後はこちらで全てやる」
どう見ても攻撃用の魔導を放つ為の武装を額に付けられているという不安はハイレンの笑顔の前にゼファの頭の中から失せていた。
「ゆくぞ。いいか?」
「はい。どうぞ」

『栄え落ちたる導きの道』
     ×
『史の残影は遺される石』
     ×
『覇者戻りたる門』

ゼファは魔導の分類が何か微かに見当が付いた。
『所作』は極力省略されているが籠手を付けた指先を自分の頭に付けた動作。『音源』である真言は遥か昔に栄えた帝国の石製の道と門を連想させた。
「『凱旋門』(ジィーガプフォルテ)」
弾丸が弦で弾かれた。
魔力が炸裂し、ゼファは意識を失った。

次に目が醒めた時、ゼファはそれが自分の部屋の天井である事を確認した。
覚醒した数秒後にヒョイと顔を覗きこまれて心臓が飛び出るかと思うほどに驚き、その顔の近さに何も考えられなくなった。そんな状態にゼファを追いやった張本人であるハイレンが微妙に気まずそうに訊いた。
「大丈夫か?」
「は、はい。何とか」
「安全を考慮して魔力を強めに使った事が意識を失わせた原因だ。すまない」
「いえ、その、それより成功して何よりです。逆に意識があっても体がバラバラじゃ嫌ですから」
「妾が式の出力ばかり底上げしていた結果だ。出力制御の微細な調整が甘かったらしい。それで魔導を使ったのはこちらの落ち度だ」
「そ、そんな謝る必要なんてありませんから!? ぎゃ、逆に僕の方が誘った事を考えれば、ハイレンは何も悪くないです!!」
ハイレンは僅かに頭を下げてから頷いてゼファの手を引いた。
身を起こしたゼファは自分の部屋に自分と同じ年頃の可憐な少女がいるという事態をようやく認識して、朝方に掃除していなかった事を悔やんだ。
汚れたり散らかっている事はないとはいえ、部屋のあちこちに魔導方陣の原案の紙が貼ってあったり、大型の端末の電源が入れっぱなしでスクリーンセイバーが起動していたりと、落ち付かなかった。
「?!ッッッ」
ゼファがギクリとした。
昨夜から自分が何の作業をしていてそれをほったらかしにして外に出たのか気づいたからだった。
中身は自分の研究中の高次の昇華対象の原案。しかし、半ば趣味で昇華対象を選び作成しているゼファとしては、それは心の準備無しにオンナノコに見せるには致命的なものだった。
「そういえば、その端末のデバイスに少し掠って中が見えてしまったがよかったか?」
ビクリとゼファの背中が震え、見られたからにはどんな言葉が飛び出してもおかしくないと、絶望的な気分になった。
「これは魔導を多様し貴金属類の使用量を減らした戦闘用の衣裳だろう? 昇華によって物質的な変性を起こしつつ強化する。大した発想だと思うぞ」
ゼファは聖女の笑みを見た。
学校で原案の一部が軽い女子のグループに見られた時の反応は「うわ、こいつちょーきもい」だった。
原案と言っても衣装、つまりは服のデザインそのものが重要なポイントだった。
その衣装は的確に言うならば、
「だが、このヒラヒラした衣装は何だ? あまり見かけないが」
「そ、それは、その、何て言うか、ま、魔法少女の、い、衣装と言うか。あ、う、へ、変だよね!!? ご、ごめんなさい。す、すぐに消しますから!!」
ヒラヒラフリフリ薄いピンク地でスカートの短い衣裳。
ぶっちゃけ、魔法少女的衣装だった。
あまりの恥ずかしさに悶死する寸前のゼファはキーボードを操作してその原案を即座に破棄しようとした。
「な、何か妾が悪い事を言ったか!? そんな消す必要はない!!」
慌てたハイレンがゼファの手を上から掴んで止めた。
「あ、う、で、でも、男の癖にこんな女の子の服を画いてるのって、や、やっぱりへ、変だし!?」
「そんな事はない。よく考えられているのが分かる。急所を的確にカバーして関節部分は動きやすいように薄く、魔導による身体の強化措置が発動しても耐えられるように糸の縫い方一つも特殊な縫合を使っているだろう。多少ヒラヒラが多いのは薄くても幾層もあれば魔導を通した時に防御力を強化できるからではないか? 何よりこの衣装は愛らしい。妾は気に入った」
ゼファはハイレンの後ろに慈愛の女神を見た。
的確な推察と意図を読み取ってくれる思考。
他の人間は誰も理解してくれず、ただの女の子の服、しかも魔法少女が好きな変態というレッテルしか張り付けてくれなかったというのに、目の前のハイレンという少女は正当に評価してくれる。
ゼファはハイレンの笑みにグスグスと泣きだしそうになった。
「う、嬉しいです。解ってくれる人がいて。ほ、本当に!!」
「そ、そうか? 泣かずともいいと思うが。見る者が見れば誰だって同じ評価をしてくれるだろう」
「ハイレンだけです。これを分かってくれたのは。僕の親友もお前も好きだなとか何とか言って解ってくれないので」
「そ、そうか。それは難儀だ」
しばらく涙目のゼファを励ましていたハイレンだったが、少しだけ話し難そうに赤い目元を拭っていたゼファに言った。
「その、ただ・・・・」
「は、はい。なんですか!」
キラキラともはやハイレンを信奉している様子すらあるゼファが瞳を輝かせて聞く。
恥ずかしそうにハイレンはポツリと言った。
「下着までああいう形なのは・・・ませていないか?」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん。死なせてください!!!」
反射的に窓から飛び降りようとした少年を少女が止められたのはそれから数分後の事だった。

「妾が悪かった。そう気を落とすな。な?」
「ぼ、僕が悪いだけですから。あ、あれは一時の気の迷いなんです!! 信じてください!!」
「あ、ああ、年頃の男ならあれくらい健全だと思うぞ」
座布団の上で小さなテーブルにお菓子とお茶を出されたハイレンは湯呑に口を付けつつゼファをフォローしていた。
「ううう、お恥ずかしい限りです」
「もう自分を責めるな。妾があの衣装が気にいったのは本当だ。そうだ。もしも、在れば実物の試作品を見せてくれないか?」
「あ、はい。でも、なんで試作品があるって?」
「いや、あのデータに試作ナンバーと割り振られていたからもう出来ているかと思っただけだ」
「それじゃ、持ってきます。一応、縫い終わってるので」
「自分で縫ったのか?」
「裁縫は昔から凄く得意なので」
「そうか。羨ましいな。妾はそういう事は苦手な方だ。それで完成品と違うのはどういう部分だ?」
「素材は一応高いモノを使ってます。でも、やっぱりあのデータ通りの素材じゃないと昇華後の強度が予定値に達しないのはほぼ確実で、それ以前に高次の昇華そのものがまだ理論ばかりでできないので、これ以上はどうしようもない感じですけど」
「それでもそこまで一人できるというのはやはり凄いと思うぞ」
「は、はい。今すぐ持ってきます」
立ち上がったゼファが部屋を出ていき数分で戻ってくる。
その手には紙製の箱があり、テーブルの上にそっと置かれた。
箱の蓋をそっと開けるとハイレンが感心したように唸る。
「このままでもかなりのものだと分かる。使われている魔導や縫合の一つ一つに意味を持たせて、全体を分かり難くしているが、魔導方陣を組み込んでいるだろう。現物を見て妾が気付くぐらいの代物・・・本当に面白いな」
「やっぱり分かっちゃいますか? 偽装してるの」
「さすがに妾程にもなればな。複雑な意匠だがこれは・・・・・古の『魔法』(クラフト)を使う神々だな?」
見つけ出した魔導方陣に描かれる複数の人の形をした意匠の精巧さにハイレンは目を釘付けにしていた。
「ウチの学校付属なんで大学が後ろにあるんです。そこの旧い図書館に死蔵されてた本の中に一際古いのがあって、たぶん普通の古書に混じって納品された昔の魔導書だと思います。ずっと誰にも見られずにいたものじゃないかって、調べたら魔法を使う神の事が出てきて。この衣装を着る人が魔導を極められるようにって願を込めて魔導方陣をフィーリングで組んでみた、とか言えば聞こえはいいですけど・・・・願掛けの魔導方陣の構成がまだ上手くいかなくて。やっぱり才能ないです僕」
あははと自嘲する感じに笑ったゼファをハイレンはマジマジと見た。
目の前の少年がある種の才能を持っている事をハイレンは確信した。
「ゼファ。お前の才能は妾が認める。だから、そう悲しい事を言うな。妾は嘘やおだてではなく本当にお前が凄いと思うぞ。自分を卑下せず目標に邁進すれば必ずお前ならそこに辿り着ける」
「・・・・ハイレン・・・」
ゼファの背中をハイレンが叩いた。
「では、そろそろ戻って講義を再開するか?」
「本当にハイレンの弟子にしてもらってよかったです」
「そう言ってくれると妾も教えがいがある」
同時に笑みを浮かべた二人は部屋を後にして外へと出た。
都市部からの転移はさすがに疲れるという事で、歩いて講義の場へと向かう事にした二人だったが、ゼファはそれに何の不満があるわけもなく、傍らのハイレンという少女と共に歩ける時間に心から浸っていた。
歩いている途中、時間が昼時に差し掛かった事で二人は何処かで食事をしていこうという事になり、ゼファが勧める飲食店へと向かおうとした、その時だった。
ビルとビルの隙間。
細い路地へと入った瞬間。
ハイレンが立ち止まりった。
ハイレンの首筋に魔導を使う時に浮かび上がる光の文様、魔力の形成路が仄かに浮かび上がり、ゼファの頭の中に声が響いた。
『聞こえるか?』
「ッ」
『すまない。巻き込んだようだ。お前の身の安全は保障する。あちらも無暗に妾以外には危害を加えないだろう。できれば、後ろで静かに見ていてくれると助かる』
声の緊迫した調子にゼファはハイレンを見つめたがハイレンは振り向かなかった。
ゼファはそれなりに頭の回る方だと自分を思っている。だから、ハイレンを含め七人の少女達がどうして山林の山奥で野宿などしているのか予想ぐらいはしていた。何らかの理由で都市部での宿泊ができない理由があり、あそこにいたとするなら、その理由は非合法なものかもしれないとも思っていた。
それでも理性が警鐘する不穏さも何もかも越えて弟子になりたいと、その魔導使いの少女に近づきたいと思ったのは、少女が大きな力を持っているにも関わらず驕った様子もなく研鑽を積んでいる姿に感銘を受けたからだ。
例え、どんな事情があるのだとしても、決して少女の瞳が曇っていない事を思えば、味方でいられると信じられた。
「姿を現わせ。出てこないのなら一帯が消え失せるぞ」
先程までとは打って変わった冷たい声音。
戦慄せずにはいられない気配。
いつの間にかハイレンの片手に籠手が装着されている事に気付いて、ゼファはハイレンが本気で戦う用意をしているのだと悟った。
「気付いたなら降伏してくれないかな。もう気付いてるならどれだけ人数がいるか解るよね? これだけの人数相手に立ち回るなんて無理だよ」
路地にある看板の後ろからひょっこりとその『敵』は出てきていた。
パステル調の赤と白を基調とした制服。
何処かの学生にも見えるだろう歳若い十七歳ぐらいの少女。少女の首元に掛っている十字架のペンダントが儚い音を立てた。
「何処の者だ?」
「私達は七教会が運営する教育機関の学生だよ」
「そんな学生が気配を消して自分より年下の少年少女を取り囲むとは、これが所謂カツアゲというやつか? 七教会の教育機関の質も落ちたな」
ハイレンの皮肉にシレッと少女が返す。
「そうやって相手の怒りを煽って情報を引き出そうとするのは普通の子供にはできないんじゃない?」
ハイレンが今までの気配を解いて心底面倒そうに再度訊いた。
「何処の者だ?」
「・・・・・そういう風に気配解かれちゃうと皆のやる気とか迷いとか色々面倒なんだけど、もっとこう『オレは敵は殲滅するぜ。ひゃっはー』とかならないかな?」
困ったように笑って学生と言い張る少女が頭を掻いた。
「生憎と妾のキャラではないな」
「そっか、それじゃ遠慮はしないからね? だって貴女は」
ハイレンが初めて微かに動揺した。
「喋る必要はないだろう!」
「あ? やっぱり後ろの子は知らないんだ。そっか、それじゃそこの君教えてあげる。そこの可愛い女の子はね――」
「黙れ」
「わっ」
背後に瞬間的に転移したハイレンの拳が少女がいつの間にか持っていた剣に受け止められていた。
「ったいな~~。この衝撃。打ち所が悪いと内臓破裂するって」
ハイレンが後方に跳んでビル横の看板の上に着地した。
「ね? そこの君分かったでしょ? この子は普通じゃない子なんだよ。だって、この子はテロリストなんだから」
ピクリとゼファが震えた。
ハイレンは俯き耐えるように拳を震わせた。弟子という形とはいえ、友達になった者から怯えられた視線で見られたくはなかった。
「この子は『幽国の士』最後の主。この間東部で大規模テロを起こした『フォルトゥナ・レギア』とすら関係があるって言われてるバリバリの犯罪者の親玉なんだよ」
ハイレンが静かに籠手へと弾丸を装填した。
「すまない。これでお別れだ」
ハイレンがその場から跳躍した。
それにゼファが何かを言い掛けた時、その場にはもう誰もいなくなっていた。
「テロ・・リスト?」
ゼファは呟いてみて、実感がなかった。ハイレンが実は人々を恐怖に陥れる存在なのだと、見知らぬ学生の言葉を真に受けるならそうなる。しかし、そんな事は信じられるはずが無かった。
ゼファは知っている。
ハイレンが照れる事を。
魔導の研鑽をひたむきに行える者だと。
自分を理解してくれた聡明な少女だと。
言葉使いが大人びていても、やはり自分と同じように笑える普通の子なのだと。
だから、見知らぬ学生の言葉が事実なのだとしても、ゼファに受け入れる余地などありはしない。
大人ならば解ったような事を言って、理屈を並べ立てて、その言葉を鵜呑みにして、事実ならば少女とあった全てを無かったように振る舞えるのかもしれない。
しかし、ゼファはそんな大人ではなく子供で、知ってしまっていた。
ハイレンと呼ばれる少女を自分は好きなのだと知ってしまっていた。
「僕は・・・・」
数分もしないうちにゼファは急かされるように走り出していた。

sideE(enemy)

籠手と剣が激突する。
その合間にも複数の攻撃性の魔導が波状攻撃となってハイレンの守りを削り続けていた。
ハイレンが空中で剣を弾き、弾丸を籠手で弾く。
弾丸に内包されていた魔導が一気に展開され、周囲の魔導を巻き込んだ大規模魔導方陣を形成する。巨大な魔力の渦に巻き込まれて魔導が誘爆、爆発光に照らされ出した世界で最初にハイレンへ話しかけてきた学生が目を細めて剣を構えた。数十人の同じ学生服の少女達が宙に浮きながら同じように構える。
「この力。人違いっていうのはないみたいだね。ねぇ、もうそんな活動止めて素直に自首すれば? 今ならまだ年齢も年齢だし数年の更生で出てこられるよ」
「そう言っている割には目が笑っていないな」
「だって、こんな大規模魔導を都市部で展開できるとか、反則だし危ないしすぐにでも止めないとね」
自己主張の激しい跳ねた黒髪と浅黒い肌の少女はそっと息を吐いた。
「アンネ。アンネ・フランカ。貴女を止める名前だよ」
「ハイレン。ハイレン・ハージェット・テトスだ。ところでどうして妾の居場所が分かった? それに誰に頼まれて妾を狙う。妾は学生が関わるべき人物などではないと分かるだろう」
「う~~ん。まず貴女の居場所が分かったのは貴女が偶然目立った行動をしたから。それと誰に頼まれたわけじゃなくて、私達独自の判断で今は動いてる。元々は修学旅行の途中なんだよ今。でも、七教会に追われる女の子のシークレットなデータを偶然持ってた私達は偶然貴女を見かけた。だから、保護しようって事になったの」
「学生のやる事ではないな。それと余計な御世話だ。自分の面倒ぐらい自分で見る」
「ああ、私達ただの学生じゃないから。それに自分より下の子のお世話をするのは当たり前の事でしょ?」
その邪気の無い答にハイレンは顔を顰めた。
最初に自分の身分をゼファに聞かせたのは自分をゼファから引き離す為の策だったのだとハイレンはすぐに悟った。
そうして安全にハイレンを『保護』する事で事態を丸く治めようとした。しかも、学生が偶然に捕まえたという事になれば、通常の戦力で七教会が戦うよりも被害も損害も安くて済む。
そもそも現行犯逮捕ではなく『保護』という名目ならば罪状が軽減される事も十分にあり得る。
あくまで保護は本人がそれを受け入れる事を前提としている。
つまり、少女達は本気でハイレンを善意から救おうと行動している。
ハイレンにしたらやり難い事この上なかった。
それだけに留まらず、ハイレンが見た限り学生を自称する少女達は練度が下手な騎師よりも高かった。魔導の質も量も一流。更に剣の腕もかなりのもの。本来なら実戦の経験が足りないはずの少女達はまったくもって隙が無く、絶対的力量差があれば逃げおおせるだろうと踏んでいたハイレンの予想は悉く覆されていた。
「(これだけの騒ぎになれば全員逃げて合流地点まで行っているはずだが、これでは見動きが取れない)」
「召喚系の源流が得意なんだよね? 残念、私達と戦っている最中不用意に転移しようとしたらすぐに割り込むから危ないって先に言っておくね」
「学生は学生らしく修学旅行とやらを楽しんだらどうだ?」
「そうもいかないよ。だって、皆見て見ぬふりなんてできないから。それに貴女が在籍しているっていう委員会の事についても私達はきっと知らなくちゃいけないはずだから」
「委員会?」
「シラを切ってもダメだよ。世界に反旗を翻す七人からなる委員会。詳細は解らなかったけど、いつか私達が戦う男と関係がある事は間違いないみたいだしね」
「(『魔王従者委員会』(アクトレスコミッション)の事か。こいつらは・・・・)」
「話はお終い。行くよ」
アンネが突撃するのとハイレンが弾丸を続けざまに弾くのは同時だった。
ハイレンが弾いた弾丸の薬莢がキラキラと地上へと落ちていく間にも数合、ガツンガツンと籠手と剣がぶつかりあう。
周囲から飛んでくる魔導は弾丸で展開した魔導の防壁で弾き、身体強化の魔導で剣を何とか防ぎながら、次の一手をハイレンは模索する。
(嫁入り前の乙女の体に傷を付けるわけにもいかないか。ここは)
ガチンとハイレンの籠手とアンネの剣が膠着した。
瞬間、アンネの片腕がハイレンの腹部へと延びた。
(貰った!!)
アンネが快心の笑みで腕を振り抜く。
ハイレンの意識を刈るはずだった腕が空を掻いた。
「え?」
アンネの表情が固まった時、ハイレンはもう動作に入っていた。
肉体を素通りしたアンネがそのハイレンの手が思い切り振りかぶられているのを見て、叫んだ。
「周囲警戒!!」
ハイレンの籠手の上で召喚され続けていた今までの鈍色とは違う青い弾丸が弾かれる。
「『霊吸死葬陣』(アブソープガイル)」
ハイレンが腕を真横に勢いよく振った刹那、半透明の幻の腕が現れ、急激に伸びて囲んでいた少女達を通り抜けていった。少女達は一瞬、傷がない事に安堵して、意識を失い墜落した。
数人の意識を辛うじて保っていた少女達が慌てて落ちていく少女達の確保に向かう。
一人幻の腕を逃れ上昇していたアンネが驚きに固まった。
「安心しろ。急激に生命力を持っていかれてショック状態なだけだ」
「別の空間に逃げ込むなんて卑怯じゃないかな?」
「本来の使い方は絶命するまで生命力を吸収させて魔導自体を肥大延命化、戦場を一撃で荒野に還す。そういう類ものだ。これで解ったろう。素人が首を突っ込むとこういう事になる。手加減しておいたから数時間もすれば回復するだろう。危ない事はせず楽しい思い出を作るといい」
姿だけが普通に見えているハイレンは通常の空間とは異なる空間に逃げ込んでいた。
「いつの間に逃げ込んだのか分からなくてタイミングを逃しちゃったけど、もう無理だよ」
「なに?」
ハイレンが眉を顰めて、気付いた。
自分の居る空間が軋みを上げている事に気付いた。
「この魔力量。まだ伏兵がいたか」
空間に掛る魔導の圧力が徐々に空間を壊し、今まで見えていたハイレンの姿に罅割れが生じ始める。
「ううん。私達はここにいるだけしか来てないよ。貴女が私達を過小評価しただけ」
「・・・・・・・・・・・・」
ハイレンが自分がどういう状況下にいるか理解して沈黙した。
ゴウンゴウンと地上で巨大な魔導方陣が回り始めていた。
「空間破砕専用の陣だから別空間にいたりすると危険かもよ?」
「生憎と準備万端で待ち構えている魔導の雨には曝されたくないな」
「空間転移系の魔導を発動して空間を渡っている最中は魔導を発動していられない。何故なら繊細な魔導は周辺環境に大きな影響を受けるから。自分の防御用の魔導で影響を及ぼせば危険なのはすぐに分かるよね?」
ベキベキとハイレンの姿が罅割れていく。
「私達の勝ちだよ」
「それは勝ってから言え」
ハイレンが通常空間に復帰し防護の魔導を展開しようとするよりも先に地上から吹き伸びた灼熱の光の柱がハイレンを飲み込んだ。
常時展開型の召喚に影響を及ぼさない魔導がハイレンを辛うじて熱量から救っていた。
しかし、その光の濁流の中に飛び込んでくるアンネの剣がハイレンの魔導が発動するよりも先に体の中心を貫いていた。
光の柱がそれと同時に消え失せる。
「保護するのでは、なかったのか?」
皮肉げに訊くハイレンにアンネが笑って答えた。
「大丈夫。これ相手の生命力だけを奪う剣だから」
「大した、ものだ。お前達は、誰、だ?」
「私達は『次世代の聖女』(ネクステーゼセイント)。候補生だけどね。知ってる? 将来、七聖女様に代わって教会を治める、かもしれない学生の事だよ」
「ふ、甘く見た、のは、妾の方、だったな」
ハイレンの意識はそこでふっつりと途絶えた。
「はぁあああああ、一瞬死ぬかと思ったよ」
大きく息を吐いてアンネが少女ごと地上へと降りようとしたところで、グラリと傾いで落下した。
「え? なに、魔導?」
何かを思う前にいきなり剣に貫かれていたハイレンの重さが消えて、そちらをアンネが見た。
魔導で編んだらしき光の翅を背負う少年が急激な加速で遠方へと消えていった。
「ちょ、地上部隊何やって」
魔導で話しかけた地上のクラスメイトが慌てた声で言った。
『こちら側も動けない者が続出している。攻撃の種類不明。何か上空に魔導のようなものが見えるがそれが原因だと思われる』
「魔導って、こっちじゃ何も、?」
アンネは落下最中にも自分の周辺に薄く魔力が滞留しているのを見つけ、剣に魔力を込めて滞留を切り裂いた。魔導で対空し直して、頭がクラクラと揺れる事に気付く。
「どうなった?」
『どうやら全員大丈夫なようだ。魔導らしきものも消えている』
「あれってさっきの男の子じゃなかった」
『ああ、たぶん間違いない』
「何か凄いね。あの状況で女の子を身を呈して救うなんてちょっとロマンチック」
『言ってる場合か。すぐに追う』
「了解。こっちは引き続き空から追うから何人か付けて」
『了解した』
交信が途絶えるとアンネは地上から上がってくるクラスメイトを見ながら思案した。
(今のって何だったのかな。魔導みたいだったけど、悪いモノとかは感じなかったし)
合流して数人で隊列を作ったアンネは先頭になって少年を追い始めた。

sideN(now)

ハイレンを担いだゼファが泣きそうになりながらハイレンを路地裏に降ろして揺さぶった。
「だ、大丈夫ですか!! ハイレン!! ハイレン!!」
幾度目か揺さぶりに反応してハイレンが薄く眼を開けた。
「ゼファ、か?」
「良かった!! 本当に良かった!! 死んじゃうかって、本当に、う、く――」
ポロポロと涙を流しながらハイレンの両手を握ってゼファが良かったと繰り返す。
「助かった。少し油断していた。お前の助けが無かったら捕まっていたな。ありがとう」
「そんなッ、僕はただハイレンが串刺しにされてて、それで助けなきゃって、さっき少しだけハイレンの事を疑って、躊躇して、だからッ」
ピタリとゼファの唇に人差し指を押しつけてハイレンが笑った。
「疑うも何も本当の事だ。テロリストとして七教会に追われる身だからな。それでもお前はそんな妾を助けてくれた。この恩はきっと返すぞ。ゼファ・シニストラ・カーン」
ハイレンの本当に綺麗な笑みにゼファは何度も何度も頷いた。
助けた事は決して間違いではなかったと思えた。
「それにしてもあれは酸素濃度を無理やり上げたのか?」
クスクスとおかしそうにハイレンが笑う。
「あんなに沢山の人間を足止めする方法ってそれしか思いつかなくて。酸素濃度を上げるだけなら魔力量が少なくても広い範囲でできるから、それで・・・」
「お前は本当に凄いな。妾だって手こずる相手全員を足止めしたのだ。自信を持てゼファ」
ゼファが頷きながら涙の跡をゴシゴシと手の甲で拭った。
ハイレンが空を見上げて少し顔を曇らせた。
「それにしても旗色が悪いな。さっきの一撃で魔力の殆どを持っていかれた。何とか転移で逃げるにも追跡されればそれまで・・・手詰まりか」
「勝てないですか? それなら、隠れれば」
「いや、隠れてもその内見つかる。それに・・・勝てないわけではない。勝とうと思えばあの程度ならいつでも勝てた」
「え?」
「だがなゼファ。勝つというのがどういう意味か解るか? それは相手を傷つけるという意味だ。あの連中が名乗っていた名からして聖女の『奇跡』すら持っている可能性がある。そうなれば、重症を負わせるか殺すかしか勝つ方法はない」
「重症・・・・」
ゼファは初めてハイレンが手加減していたのだと知った。最初から相手を瞬殺する事など簡単で、しかし極力傷つけずに事を治めたいと願っているのだと、その心の在り様にゼファは震えるほど感動を覚えた。
「妾が扱う魔導の出力は微細な調整が極度に難しい。たぶんあの連中は難しい魔導でなければ退けられない。だが、あの耐久力。出力調整を誤れば返り打ちにあう可能性もある。戦うのは妾でも至難だ。何か魔導の道具でもあれば魔導の補助をさせるのも可能かもしれないが調達している時間はないな」
本当に困ったように笑うハイレンの言葉。それに引っかかるものを覚えて、ゼファが気付いた。
「あの、ハイレン」
「なんだ?」
「僕の衣裳なら、その、一応魔導の出力調整を行えるようになってます」
「そうか!? ゼファ、今からあの衣装をイメージしろ。こちらに召喚する。衣服の召喚は召喚制限の品目の中でも下位だ。魔力も何とかギリギリいける」
「で、でも、あれは未完成で、それに昇華してもいないし。魔力を無駄にするだけになるかもしれないです」
「そこは任せておけ。それに魔力に関しては問題ない。妾は『源流使い』(クラフトマスター)だ。魔導源流と現代魔導の一番の違いは何か分かるかゼファ?」
「あ、魔力定義が違うから・・・」
「そうだ。現代魔導のエネルギーとしての魔力とはまた違う。魔導源流のみが持つ魔力定義、それは別にエネルギーそのものとは限らない。動作そのものが魔力だと言う流派もあれば、思考が魔力だと言う流派もある。さあ、言っている暇はない。いいか?」
ジャキンとハイレンの籠手に弾丸が装填された。
躊躇なくハイレンが弾丸を弾けさせ、魔力が溢れた。
光の粒子がゼファの頭部付近で煌めきポンと音がして粒子の中から衣装が現れた。
「後ろを向いていろ。すぐに着替える」
「え、あ!? ご、ごめんッッ」
すぐにハイレンの言葉に火が付いたように赤くなったゼファが後ろを向く。
シュルシュルと衣ずれの音がして、ゼファは思わず想像しかける自分の頭を殴った。
数十秒後、いいぞという声と共にハイレンの方を振り向いたゼファは、放心した。
あまりにも可憐だった。
あまりにも美麗だった。
あまりにも美し過ぎた。
形容詞を百万言連ねようと決して自分の思いが表せるとは思えず、ゼファは見惚れていた。
「そ、その、変ではないか? このような衣装は着た事がない。妾では似合わな――」
「似合ってます!!!」
ゼファの大声にハイレンが驚き固まる。
「絶対に、どんな事があっても、誰にも文句なんて言わせません。僕が保障します。ハイレンは、その、凄く、今、綺麗です!!」
一杯一杯の赤い顔で何度も頷くゼファにハイレンは頷いた。
「ああ、その褒め言葉受け取っておこう。では、最後の仕上げといくか」
ハイレンがそっとゼファの前で地面に膝を付いた。
「ゼファ。今からこの服を昇華する。妾の額に・・・・口づけをしてくれ」
「は? はあああああああああああああ?!! な、ななな、なに、何を言って、ハイレンッッッ?!」
頭のネジが数本吹っ飛んだゼファがアウアウと意味無くオロオロする。
「妾の源流でお前のイメージを召喚する」
「しょ、召喚って」
「妾の魔導源流は『此処にないモノを此処に現す』事が最大の力だ。それは召喚という枠を越えて、何処にも無いモノですら此処に持ってくる事ができる。だが、そのイメージだけは自分で賄わなければならない。今の場合、お前の中にしかこの服の完成形はない。だから、お前のイメージを妾に貸して欲しい」
「そ、そんな、う、嬉し、いや、えっと、ぼ、僕なんかでいいの? いえ、いいんですか?!」
あまりの出来事に口調が揺らいだゼファが混乱しながら訊く。
「お前は妾の弟子だからな」
そう言い切ったハイレンの笑みにもはや否という心はゼファの心の何処にもありはしなかった。
「イメージしろ。お前が望むものを。お前がいつか成すだろうその結晶を。今この時だけはその未来妾が叶える」
ハイレンが両手を組んで祈りを捧げ目を瞑った。
周囲の猥雑で薄暗い路地中に複雑な魔導が描き出され広がっていく。
ゼファは思い出す。
自分がその衣装を創り始めたのはどうしてだったかを。
それは見知らぬアニメを偶然見た事に始まった。ずっと、自分の魔導をどう扱っていくか思いつかず燻っていた時、初めて見た画面の中にある美しさと強さに心を動かされた。
自分ならばもっと美しい衣装を作れる。
自分ならもっと強くしてやれる。
自分の魔導はきっと誰かの為に使う事ができる。
そう、気付いた。
誰に理解されなくても衣装を作り続けてこれたのは、きっと自分の作るそれが誰かの為になるはずだと信じられたからだ。それを纏う人がいるはずもないのだと夢から覚めてしまっても、誰かが、誰かが、それを見つけてくれるのではないかと淡い希望を抱いていたからだ。
学校に原案を持っていったのも、そんな誰かがこれを見つけて欲しいと思ったからだったかもしれない。
都合のいい想像は打ち砕かれて、もう止めてしまおうかと、投げだそうかと思ってしまっても、それでもやはり自分の心血を注いで作り続けてきたそれを捨てられなかった。
「君は『これ』を見つけてくれた」
ようやく紡いだ思いを受け取ってくれる人を、ゼファ・シニストラ・カーンは見つける事ができた。
だから、
(君に捧げる。ハイレン)
そっと少女の額に少年は口づけをする。
思い描いた強さと美しさを少年は心の底から全霊をもって捧げ尽した。

「な、なに?!」
アンネは突如として湧きあがった光の眩さを手で遮った。
巨大な、あまりにも壮大な魔導方陣だった。
都市を覆い尽くす勢いで広がり太陽光さえ遮った魔導の中心に自分達が保護するべき少女が浮いているのをアンネは驚きを内に飲み込んで見つめた。
ヒラヒラと靡く花弁の如き衣装。
まだ咲いたばかりの花を思わせる優しげな桜色。
片手に鈍く光っていた鉄屑を寄せ集めたような籠手がその色を衣装と同じく変え、巨大な盾のように肥大化して丸みを帯びていく。
少女を守るように燐光が舞い、やがて収束、盾とは反対側に朧で巨大な杖を形作る。
閉じられた瞳が開いた時、ハイレンを見ていた全ての少女達が思わずにはいられなかった。
勝てない。
「何かラスボスっぽい登場の仕方だね」
空気を読まないアンネの言葉にハイレンはフッと笑みを零した。
ハイレンのその挑発に殆どの少女がカチンときたようでアンネの周囲へと集まり陣を組む。
「私達に勝てると思う? 聖女様にはまだ及ばないけれど『奇跡』はここにいる誰もが持ってるよ」
「ならば、掛ってくるがいい。『奇跡』とは意思の力。負ける道理はないのだろう?」
歯噛みしたアンネが指示を飛ばそうとして気付いた。
急激に辺りが白み始め、自分の現実感が希薄になっていく事に。
「まさか、この魔導方陣!?」
都市を覆い尽くした魔導方陣が何をしているのか薄らとアンネには解った。
「全ては泡沫の夢だ。楽しく修学旅行を満喫するのだな」
「何をして!?」
「古の『魔導』いや『魔法』か。奇跡に対抗できる魔導などそうそう無いと思っていたが、あるところにはるらしい。ゼファ感謝する」
ハイレンの背中に数人の人型の光が浮き上がり、それぞれが解け翅となって広がった。
都市を覆っていた魔導方陣がサラサラと光の粒子と化して崩れ去っていく。
「神にとっては現実などリテイクできるワンシーンに過ぎない。故に魔法を使う神々は都合の悪いモノはこうして消し去ったのだな」
アンネが慌ててハイレンへ突撃した。それに他の者も続く。
「償えば貴女だって普通に暮らす事ができるんだよ!!」
アンネと同時に数十人が同時に剣を投擲する。ハイレンの巨大化した籠手が難なくそれを弾き落とした。
「妾は償う必要性を認めない」
「貴女はまだ間に合う。だから」
展開された複数の魔導方陣から五月雨に魔導で形作られた雷が空を駆ける。
「間に合わなかった者こそを救済するべきだと妾は思う」
しかし、巨大な杖が雷を引きよせいなした。
「貴女は魔王に騙されてるだけよ!」
「ならば、この世が終わるまで、騙され続けて妾はあの馬鹿者の傍らで笑おう」
ハイレンが籠手をアンネに向けた。
突撃した勢いのままハイレンの懐へと飛び込もうとしたアンネの体が籠手に弾き飛ばされる。
「この、分らず屋ッッッ!!」
「『復権せし教戒』(リインスターテットディシプリン)」
完全に巨大魔導方陣が砕け散り、その粒子が世界を白く染めていく。
「そうでなければ、あの馬鹿者に付き合おうなどと思わない。聖女の卵には解らない心境かもしれないが、な」
世界が白く白く染まっていった。

そして――――――――――――。

「待って!!」
ガツンと電柱にぶつかったアンネがグラリと傾いで倒れ、プスプスと頭から湯気を出した。
仲間達がクスクスと笑う。
「アンネ。昨日寝てないの? 電柱の跡付けたアンネの顔頂き」
カシャリとカメラのフラッシュが焚かれ、アンネはガバッと跳ね起きた。
「だから、待ってよ。荷物持ちを置いてくなんて聖女候補としてどう――あれ?」
「どうかしたアンネ?」
「いや、えっとね。えっと、何か、何か、なんだっけ?」
「もうボケたのアンネ? これから昼食取って自由行動じゃない」
「そうだよね。そう、そうなんだけど、何か忘れてるような」
「そうそう、今日は映画の撮影所にも行きまーす!!」
『きゃ~~~~~~~♪』
アンネは首を傾げつつ、まあいいかと少女達の群れに加わり道を急いだ。

数日後。

この街を離れる事になった。
お前にはとても感謝している。
友達を持てた事心から嬉しく思う。
これから妾がどうなるのか妾自身にも解らない。
だが、きっと長い旅路になるだろう。
七教会に追われ続ける限り、会う事はできないと思う。
それでもお前と共に研鑽した数日は忘れられない日々に違いない。
別れの挨拶は照れてしまうかもしれないのでここに記しておく。
さよならだ。ゼファ・シニストラ・カーン。
いつか、お前の自信作を着に行く。
その日を楽しみにしているぞ。
                               ハイレン・ハージェット・テトス

少年の心に永久に外れない楔を打ち込んで、テロリストの少女は去って行った。
泣いた少年は男として立ち上がり、今も研鑽を積んでいる。
どんな暴力にも刻みこめない痕を大切に思いながら。
少女が持っていった一着がどうか少女を守るようにと願いながら・・・・・・。



[19712] 回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」3
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:bbfd5a42
Date: 2010/07/03 10:02
回統世界ファルティオーナ短編「GLORY&PENANCE」3

sideEX(Extra)

荒野の片隅で濁った泥を啜る。
蛆を噛み潰す。
泥を漁れば蚯蚓が見つかる。
陽が出る前に咥えて飲み込む。
地平には雲が無い。
暑い日になるかもしれない。
多くの誰かがするようにそっと今日も手を組んだ。
意味など知らない。
今日がどうかあまり熱くありませんように。
いつだったかそう願うと叶うのだと聞いたことがある。
そうすれば何かが起こるかもしれないのだと誰かは言っていた。
雲が一杯在ればいい。
そうすればきっと沢山の水を飲めるだろう。
その日は砂ばかりが辛く、もう蚯蚓も見つからなかった、

sideM(memory)

フリフリ、ヒラヒラ、フリフリ、ヒラヒラ。
誰も居ない街中でリボンとフリルが舞っていた。
正確にはそのリボンとフリルが付いた服を着た人間が舞っていた。
漆黒のドレスの細部を切り詰め、動きやすくして豪快にリボンとフリルであしらったような、ぶっちゃけると・・・どこか間違っている衣装が空を舞う。
着ている人間はドレスに見合う歳若い少女だった。
ローティーンと思われる少女はショートカットの黒髪で背は小さく、何処からか拾ってきたような小汚い木の枝を持って戦っていた。本来整っていると思われる顔は埃と煤に塗れ、表情は苛立たしげで、更には時折「ちッ」という舌打ちまで聞こえてくるあり様だった。
「くそッ」
毒づく声とその様子から不機嫌である事は誰にでも解る。
少女の視線の先には街の明かりを下から受けて浮かび上がる影。
体の所々に仕込まれている錆びた鎧。
無貌。
顔らしいモノは何もなく、闇に溶ける影だけが体の在るべき場所にあった。
不自然に影が凝った曖昧な肉体を鎧で人型に保っているようにも見えた。
「だっしゃ―――――――ッッッ!!」
少女とは思えない雄叫びが上がり、枝が振られる。
少女の声に反応してか、虚空に小さく小さく魔導方陣、光の円環がポツポツと現れ始めた。その小ささはまるで子猫がやっと収まるぐらい程、超常の現象を起こすにはまるで力が足りない。
「従え!!」
小さな力の円環が増え続け、やがて少女を飲み込む勢いで爆発的に増殖していく。
その光景をただ黙って見ていた影が動いた。
ザクンと影の腕が何もない虚空に突き入れられる。
消えた腕がズルリと引き抜かれ、白銀の刃が月光に翳される。
「んなハッタリにビビるか!!」
数十メートルにまで拡大した小さな円環の集まりが影に向かって爆発的な光の放射を開始した。
影が光に飲み込まれる。
少女がギリギリと折れそうな程に枝を握りしめて力を込めた。
「さっさとシネ。こっちはお前にいつまでもかまってらんねーんだ!!」
パキリと枝が折れる。
当然の結果、魔導方陣の魔力制御を行っていた核が消えたと同時に円環が一瞬で弾け、花火のように魔力が光と熱量に転換されて消えた。
「―――ぎゃあああああああああ!!」
物凄い衝撃を受けた顔で固まった少女が一瞬の浮遊の後、落ちた。
重力にあっけなく捕まった少女は加速して地面へと激突した。
約十五秒、死のダイブを経験した少女はピクピクと体を震わせながらも何とか生きていた。
起き上がった少女の顔中に付いた砂利がボロボロと落ちる。
少女は数秒の沈黙の後、引きつった笑みで空で剣を持ったまま佇む影に聞くに堪えない罵声を浴びせた。
しかし、それも束の間。
少女へと影が空中から突撃していく。
少女が慌てて懐に手を入れようとした時にはもう影は少女の目の前にいた。
意識がスローになっていくお約束、走馬灯が見え始める脳裏、明日買いにいく事になっている秋の新作が気になって死ねるかと、少女は混乱しそうになる自分を落ちつけて、剣の切っ先を避けようと――。
ガチン。
影の頭部が弾け飛んだ。
「は?」
思いきり間抜けな顔で少女が目を見開いた。
影の体が傾ぎ、鎧ごと地面に倒れて霧散していった。
その間にもパンパンと埃を払う音が夜闇に木霊する。
「お前、誰?」
黒いドレスの少女は目の前で影の頭を吹き飛ばした人物に訊いた。
瞳に映ったのは自分よりも幾分幼い少女。
白い髪に白い肌。手折れそうな四肢と華奢な肉体。
薄い桜色の衣裳はまるで花弁。
幾重にも重ねられた薄い生地が立てる衣ずれの音が何処か涼風を思わせた。
キロリと中心が白く他が黒い妖精の魔眼が黒いドレスの少女を見つめた。
信じられない程に白い肌と髪。
古の妖精そのものを体現しているかのような姿に黒いドレスの少女がたじろぐ。
「夜遊びはあまり感心しないな。それと」
ガチン。
桜色の衣を纏う少女の片腕に付いた鉄屑を寄せ集めたような籠手の上で弾丸が弦に弾かれ、影の残骸にトドメを刺した。
「口調はもう少し直した方がいいぞ」
「な・・・・」
開いた口が塞がらない黒いドレスの少女が唖然としている間にも、少女が影が散った地面跡からそっと白い小さな破片を摘まみ上げた。
「これは・・・・まぁ、いい。帰るか」
しげしげと観察してから少女がその破片を懐に入れた。
籠手に光の粒子が煌めいて再度弾丸が何処からか現れ装填された。
やっと黒いドレスの少女は反応する事ができた。
「ちょ、お前何なんだ!!?」
「とりあえず敵ではないが、かと言って味方でもない。偶然見かけて偶然助けただけだ。それではな」
「ま、待て!!」
「両親に面倒を掛けないよう早めに帰るのだな」
桜色の少女が籠手を自分の頭に向けると弦がまた自動的に弾かれる。
弾丸が弾け、魔導が発動する。
空気が焼け付くような音と光の粒子を残して桜色の少女は消えていた。
「な、な、な、」
わなわなと黒いドレスの少女が震え、
「~~~~~~~~~~~~」
怒りのあまり声にならない声が夜空の向こうまで響き渡っていった。

sideN(now)

「って事があったわけだ。信じられるか? オレ達が数日掛けて何とか倒しかけてた奴を一瞬とか。それに夜更かしとがどうとか口調がこうだとか、初対面の人間に言いたいだけ言って逃げやがった。それに何より!!」
ダンとテーブルを叩いた黒髪の少女が不機嫌そうに歯軋りする。
「『無貌の欠片』(フラグメント)を持っていかれた?」
対面に座っている赤毛の少女がストローでアイスコーヒーを啜りながら訊いた。
「ああ、人の取り分を何げに持ち去りやがった!! これが平静でいられるか!?」
「もう少し静かにしてよ。さすがに魔導を使ってても聞こえるから」
赤毛の少女にそう言われて頭が冷えたのか黒髪の少女はそのまま落ち込んだように沈黙した。
二人の少女がいるのは何処にでもあるファーストフード店の二階だった。どちらの少女も控えめな暖色を用いた制服を身に付けている事から何処か私立の小等部に通っているように見えた。
「で、杖は?」
「あ、いや、あれは、そ、それよりあの女の」
「杖は?」
「その、それは、だな」
「ツ・エ・ハ?」
「はい。すみません。ごめんなさい。壊れました」
黒髪の少女がシオシオと萎びて謝った。
「はぁ、壊しましたの間違いでしょ。別にいいけど。どうせ試作品だもの。それより大事なのはその子が何者かって事よ。現場を見られた。現場に勝手に入られた。現場から空間転移系の魔導で逃亡した。これだけ聞けば誰か知りたくなるのは当然。少なくとも魔導の達人である事は疑いようのない事実として、その達人がどうして接触してきたのか。してきた理由は? それと見られたって事は情報の漏洩もありえるから後で吊るし上げられるかも・・・・」
「吊るし上げるとか不穏過ぎだ」
「でも、言い訳もできない失態でしょ」
「オレじゃなくてあいつのせいだ!!」
「そのあいつが何処にいるかも解らないんじゃ記憶も消しに行けないわよ」
「う・・・・」
「で、実際どうするの? 『無貌の欠片』まで取られてるんじゃ報告しないわけにはいかないし、絶対に看過できない事態よ」
「記憶を消して欠片を取り返せば別に問題はないだろ」
「馬鹿? 馬鹿なの? 死ぬの? いっぺん死んでみるの? 何処にいるかも分からないって言ったばかりじゃないの?」
「ごめんなさい」
黒髪の少女が不機嫌になった赤毛の少女に土下座した。 
「そもそもその子が本当に私達とは関係ない部外者なのか怪しさ満載でしょ。姿が私達みたいだったっていうのも解せない。これはつまり、敵かしら」
「敵?」
「古今東西。昔から決まってるお約束よ。偽物とか偽物かと思ったら兄弟機とか、あるいは別次元、並行世界、別時間の何たらとか」
「そ、そうなのか?」
おずおずと訊く黒髪の少女に赤毛の少女が頷く。
「魔法少女がそう何人も何人もいたら大変でしょ」
アイスコーヒーを啜った二人は同時に沈黙した。
温くなったソレは店を出る際にゴミ箱へと直行する事になった。

世界には不思議が溢れている。
例えば、超常の理である魔導。
例えば、聖女の力である奇跡。
例えば、空飛ぶ魔法少女など。
つまり、普通の学校に通う二人の少女が偶然に戦う年上の怪しさ満載な仮面を付けた同性に出会って、機密保持の観点から記憶を消そうと思ったら凄く資質が高い事を発見されて、とりあえず貴女達にはこれからゲームをしてもらいます。別に死なないから大丈夫大丈夫。死ぬ程痛かったり意識不明の重体にはなるかもしれないけれど、それに見合う奇跡をプレゼントしてあげる事ができるわ。さあ、どうする。とか訊いてるわけじゃくて強制になるかもしれないけど大丈夫。何故なら物凄く資質があるわ貴女達。ま、空っぽの頭の方が何かと都合がいいの。夢と希望と白兵戦闘技術やら教え込むには丁度いい感じにスポンジなら最高。さ、ドレスは明日から仕立てておくから来週からよろしくね。え? そんなのできません。できなかったら後で物理的に後悔する事になると思うけどいい? あ、そう。なら交渉成立。とりあえず、貴女達のコードネームは『賢者』と『魔法使い』かしら。ほら、十三枚の占術カードがあるじゃない。あれに対応しているの。今は貴女達を含めて二人しかいないけど。え? それって実質二人じゃないかって? 気にしない気にしない。そろそろ他にも資質が凄い子ゲットしなきゃって思ってるから。ま、そんなどーでもいい事は横に置いといて♪ これからよろしく。『無貌の欠片』を集めてくれるなら貴方達の願いを何でも、あんまり不可能っぽい事以外なら、叶えてあげるわ。それが魔法少女の特典。うふふふふふふふふふふ、あ、お前は少女じゃねーだろとかのツッコミは禁止よ、とか。
「今考えると凄まじいな」
頭痛を抑えながら黒髪の少女『魔法使い』が遠い目をした。
「逆らったらいけない人間もいる。アレはその典型だったわ」
赤毛の少女『賢者』がぼやいて、先にある建物を見上げた。
道の脇の雑居ビル。
路地裏へと二人が入っていく。
小さな階段の先、木製のドアがあった。
『真実を求める者、汝の求める門より入れ』
「とか書いてても門は一つしかねーけどな・・・・・」 
ドアに彫り込まれた古代象形文字。賢者の少女から教えて貰った意味を思い出しながら魔法使いの少女がドアの文字を指でなぞった。
「おい、開けねーなら壊すぞ」
ガチャンと木製のドア(見せかけだけで実はただの鉄製のオートロック)が開いた。
「こんにちわ~~~~~」
のっぺりとした白い笑みの仮面がドアの間から顔を出した。
「あら、報告御苦労様♪ 入って入って」
ドアが開かれ、中へと二人が招き入れられる。
其処は酒場だった。誰もいないカウンターの先には天井から床まで無造作にボトルが詰め込まれ、見る者を圧倒する威容を誇っている。
その光景に驚いていた過去も今は昔。
魔法使いと賢者の少女はイソイソとカウンターの前に座った。
酒場の主は仮面の女だった。
全身を浅黒いローブで包みこみ、やけに白い腕と長い亜麻色の髪だけが印象的な存在。
二人がいそいそとカウンターの中に入ってオレンジジュースを用意する仮面の女に訊いた。
「また仮面換えたのか」
『魔法使い』の少女の記憶では、前に会った時女の仮面は石製だった。
「しかも、材質が良くなってません?」
カウンターを滑ってタンブラーが二つ二人の前に並んだ。
「あら、分かっちゃう。分かっちゃう。うふふふふふふ」
嬉しそうに声が弾み、仮面の女が滑るような移動速度で二人の前に止まった。
「これ、実は古木。高かったのよ~~~。何て言ってもビル四つは買える値段だから」
二人の少女がオレンジジュースを盛大に噴き出した。
さっと避けた仮面の女が元の位置に戻るといつの間にか持っていた布巾で少女達の粗相を拭いた。
「ビル四つって・・・・」
開いた口が塞がらない様子で魔法使いの少女は仮面の女を見つめた。
賢者の少女が仮面の女を責めるような視線を向ける。
早めに本題に入りたいという合図を受け取って仮面の女がカウンターに肘を付いて訊いた。
「で、何かあったの?」
「う、何で解るんだ?」
魔法使いの少女が嫌そうに訊いた。
「だって、そんな気がしたから。負けたとか逃げられたとか?」
「・・・・・盗られた」
「?」
「だから、盗られたんだ」
気まずそうに言う魔法使いの少女が仮面の女から視線を逸らした。空気が重くなったのを賢者の少女が緩めようと仮面の女に状況を説明した。
負けそうになっていた魔法使いの少女が助けられた事。その助けた少女の手並みの鮮やかさに呆然としている内に欠片を持っていかれた事。どれもが不可抗力であったのは間違いなくイレギュラーな事態であった事。
それを訊いていた仮面の女が初めて口を開いた。
「その子はどんな格好だったのかしら?」
「オレと同じような格好してたぞ」
「私が昨日この子の記憶から抽出してみた画像です」
制服のポケットから取り出した紙を賢者の少女が仮面の女に差し出した。
「ん~~~、ん~~~~? 変身魔女っ子ヒロイン一直線なのは少し頂けないわね~~~。もう少し暗色系のシックな衣裳で攻めてみるのも。う~~~ん。でも、これはこれで」
「・・・・怒らないのか?」
おずおずと魔法使いの少女が仮面の女に訊いた。
「何で?」
「何でって・・・」
「ま、そんな日もあるわ。でも、それにしてもこの姿。負けてられないわよ~~~うふふふふふふ」
嬉しそうに笑う仮面の女の声が弾んでいる事を感じて、二人は顔を見合わせた。

sideEX(Extra)

もう時間も残っていない日だった気がする。
私は最後の仕事に取り掛かっていた。
私にとっての集大成を創るべきではないかと考えていた時節。
それを形にする事は私という者が生きた証を創る事に外ならない。
作業は苛刻を極めた。
追ってくる終末の足音。
それが自分の足を掴む前に完成させなければならなかった。
まったく、人間というのは恐ろしい。
私は今までの中で最も早く工程を進める事ができた。
追い詰められる程に人は執念の塊と為れるものらしい。
やがて、私は彼女を彫り出す事に成功した。
聖樹から彫り出した彼女の顔は最愛の誰かに似ている。
しかし、それが誰かなど忘れてしまっていた。
妻か娘か、それとも初恋の誰かだっただろうか?
解らない。
私は彼女に名前を付ける事にした。
彼女はきっとこの名を喜んでくれるだろう。
そうだ。
模る物には役割がある。
ならば、彼女の役割はきっとそういうものだ。

sideN(now)

夜。
魔法使いの少女がまた叫んでいた。
「また、お前かぁあああああああああ!?」
「?」
影が桜色の衣裳を纏う少女の横で霧散していく最中だった。
空中に留まり影の中に手を突っ込んでいた少女を見つけて、魔法使いの少女が拳を震わせながら訊いた。
「テメェ、いったい何してやがる!!」
「言葉使いはもう少し丁寧にした方がいいな」
「それはこの間聞いた!! いや、違くてッ、そんな事じゃねぇ!! どうしてお前が『無貌の化身』(アバター)を倒してやがる!! それはオレの獲物だ!!」
地団駄を踏む怒れる少女に呆れた視線を向けた桜色の少女は逆に訊いた。
「この偽神格モドキが妾を狙ってきたから迎撃しただけの事だ。これが何かお前は知っているのか?」
「それはお前が欠片を持ってるからだ!! とっととお前の持ってる欠片寄こしやがれッ。それで全部解決だ!!」
魔法使いの少女が黒いドレスでフヨフヨ飛んでくる間にも桜色の衣裳の少女がブツブツと呟き思案する。
「(妾の仕掛けた陣を越えてきたからにはそれなりに力はあるのだろうが・・・・。この違和感は何だ? それにこれが何か気付いていないのか?)」
桜色の少女は近づいてくる魔法使いの少女に再度訊いた。
「もう一度訊くがお前はこれが何か分かっているのか?」
少女が影から引き抜いた指先の小さな白い欠片を見ながら言った。
「あ? テメェにそれが何の関係があるってんだ!! つべこべ言わずに返せッ。それはオレのだ!!」
鼻息も荒く突っかかって来る少女の身を桜色の少女が避ける。つんのめった少女がギリギリと歯噛みした。
「テメェ。聞えなかったのか? とっととその手に持ってる欠片を寄こせ」
「悪いが子供にこんなものを持たせるのは気が引ける。これからは夜更かしせずに寝るといい。後の事後処理程度は妾がやっておこう」
「人の話を聞かないのはお互い様みたいだな。なら、遠慮は無しだッ。叩き潰して詫び入れさせてやる!!」
小枝を腰から引き抜いた魔法使いの少女が短く詠唱した。
「『正栄なる槍』(ルール・オブ・ジャベリン)!!」
枝の先端からまるで円錐状に根が広がり、ねじくれた槍を形成する。
「オレの名前はジャック・カウル・ハモンド。名前ぐらい聞いてやる」
「名乗るのが流儀だというならこちらも乗ろう。妾はハイレン。ハイレン・ハージェット・テトスだ」
「ハイレン、ね。安息の家なんて、何処の元インテリ貴族だ」
嘲るように挑発した少女が木の槍を構えた。
「カウル・・・百獣の姫か。随分と御転婆になって、さぞかし親も大変だろう。『ジャック』」
ハイレンが即座に挑発し返した。
ジャック呼ばわりされた少女、カウルが叫ぶ。
「オレをそう呼んでいいのは母さんと父さんだけだ!!」
「そうか。なら、何と呼べばいい?」
「後悔しろッッ!!」
「では、カウル。頭が冷えるまで相手にはなろう」
雄叫びが上がる。
槍を構え、カウルが一直線に空中を疾走した。
(樹木の槍。これは魔導源流に近いな。流れは西部近辺か? 言霊そのもので武装を展開したようにも見えるが・・・いや、魔力の流れから察するに術として機能しているな。身体能力そのものにも変化有りとすれば肉体に付加された属性は『貫く者』(ランサー)、武装として最も近いのは原始の槍。ならば、本来の用途は突撃し穿つのではなく、投げ当てるものか)
ハイレンが突撃してくるカウルの槍を片手の金属製の籠手で弾いた。
強烈な打突の反動を利用して背後に跳んだハイレンを見て、獰猛に笑んだカウルが槍を瞬時に弓なりに引き投げ放った。
槍は狙い違わずハイレンの肩へと吸い込まれるようにして当た――らなかった。
「甘いな」
籠手に予め装填されてあった弾丸が弦で弾かれる。ハイレンの前面に魔導方陣が展開され、樹の槍がその方陣の中から噴出する炎に焼き尽くされた。
「甘いのはテメェだ!!」
ハイレンの頭上へと回り込んでいたカウルが未だ手にある槍の根元となっていた枝を振りかぶった。
攻撃を迎撃されるのはカウルにも予測済み。
その上で相手の攻撃に乗じて不意を付く二段構えの戦術。
「『正栄なる槍』!!」
槍が細長く成長し、詠唱が重なる。
「行けッ、「『輝く火』(ベルティン)ッッ!!」
槍がその内側に秘められた魔力を爆発的に圧縮させられ、高密度の魔力芯を槍に燈した。槍の表面に光の文字が、秘儀文字(アルカナ)が浮かび上がり、高速で回転する。
(何か別の術を槍に読み込んだ?)
投げ放たれた槍が一瞬、虚空で停止し、投げ放たれた時以上の速度と圧力を伴ってハイレンへと突き進んだ。ハイレンが籠手の弾丸を弾き、籠手の周囲に小さな魔導方陣を幾つも展開する。
(は、そんなんで防げるわけ――)
カウルが内心でほくそ笑む。魔導の類の一切を貫徹するよう二撃目の槍は魔導の無効化処理が済ませてあった。槍は相手の迎撃の魔導を貫いて爆発を起こす仕掛け。すぐに顔を青ざめさせて謝ってくるに違いない。カウルはそう踏んでいた。
槍がハイレンへと衝突しそうになり、
「な?!」
カウルが驚愕に固まった。
爆発が局所的にハイレンのいる至近で起きるはずだったが、肝心の槍が籠手のついた片手で掴み止められていた。ハイレンの手が槍を反対に持ち変える。
籠手の周囲に展開されていた魔導方陣がまるで翅のように並び繋がり広がった。
「『正栄なる槍』だったか?」
ハイレンの言葉と共に槍が一回り巨大化した。
「な、なッ!?」
「『火神』(スヴァログ)の加護を受け、隷属せよ」
ハイレンが槍を投げ放った。
槍が一直線に空気を切り裂き、カウルの横を素通りし背後で爆発した。
爆風の余波を浴びながら、籠手の周囲の魔導方陣を解除したハイレンが落ちていく影を見つめる。
「世話が焼ける姫だ・・・」
籠手の弾丸が弾かれ光弾の魔導、光の玉が落ちていくカウルへと命中した。通常とは違う、対象を対空させる効果を付与された魔導によってフワフワとカウルが地上へとゆっくり落ちていく。
その結果を確認する事なく、ハイレンは片手で持っていた白い欠片をしげしげと観察した。
「・・・・・・・・・・・破壊しておくか」
「あら~~、それは困っちゃう」
ハイレンの籠手が声の方に向かって振り上げられた。
その籠手に収まっている弾丸が弾かれれば自分の頭が消し飛ぶと理解しているのかいないのか。浅黒いローブ姿に仮面を纏った女がやけに白い手を差し出した。
「初めまして。貴女は何処の何方かしら?」
しばらく手を差し出すか迷ったハイレンが籠手を下げ、反対の手で握手した。
「健全な未来ある若者にこんなものを回収させているのはお前か?」
胡散臭そうにハイレンが女に問う。緊張した状況下で警戒していたにも関わらず頭上を取られた。その事実にハイレンは今落ちていった少女よりも目の前の仮面の女が確実に実力者だという事を確信し、出方を窺った。
「ええ、素養があったから。貴女も随分と素養があるわ。私の手に余るぐらい」
「お前は人でなし。いや、外道の類のようだな」
「それほどでも。私は確かにそのようなものだけれど、それなりの理由があってあの子達に手伝ってもらってるの。あの子達には危険を冒す分、それに相応しいギブアンドテイクで答えているつもり」
「・・・・・・・・・・これを何に使うつもりか知らないが、他人を危険に陥れる目的で使用するならば、妾が黙って見ている事はない」
「貴女も一緒に魔法少女やらない? 自分で見つけちゃうような本物である貴女ならきっと楽しいわよ」
女の勧誘にハイレンが顔を顰めた。そして、気付いたように瞳を細める。
「魔法だと・・・・お前は・・・何者だ?」
「魔法少女よ。キラッ☆」
ふざけてポーズを取る仮面の女に半眼になったハイレンが溜息を吐いた。
「今日の所は帰ろう。下から狙い撃ちにされても面倒だからな」
「あら、残念」
地上で青いドレスの少女が魔導方陣を展開させた状態で待機しているのを横眼にハイレンが仮面の女を睨み付けた。
「覚えておけ。人間にそんなものは必要ない」
「それは人それぞれ・・・。それに前途ある女の子に冒険を提供するのは大人の義務なのよ?」
白い仮面の目がまるで生き物のようにパチンをウィンクした。
「下で伸びているのは軽い脳震盪だ。その内目が覚めるだろう。妾はこれで失礼する」
ハイレンの籠手で弾丸が弾け、ハイレンの姿が掻き消えた。
「・・・・・・・・・・・・・・難しい年頃なのかしら?」
仮面の女はしばらくハイレンがいた空間を見つめていたがやがて地上へと降りていった。

「だ、ぁああああああああああああああああああああ。やってられるかああああああああああ」
狂乱し地団駄を踏む相棒の姿を見つめながら青いドレスを身に纏った賢者の少女が仮面の女に訊いた。
「上でどんな話を?」
「う~~ん。勧誘したんだけど断られちゃった」
「勧誘・・・ですか?」
「ええ。実際に見て解った事だけど、あの子相当なものよ。資質、いいえ、努力の上でも今の貴方達じゃ超えるのは無理ね」
「何なんだ!! マジで何なんだアイツッッ」
「黙れ雑魚♪」
「ひう?!」
いい加減鬱陶しく思ったのか笑顔で賢者の少女がカウルの頭をぶっ叩き昏倒させた。
「うわー」
棒読みで仮面の女が引いた。
「それほどのものですか?」
何もなかったように聞いてくる少女に仮面の女も何もなかったように答える。
「ええ、貴女達と同年代であそこまで研ぎ澄まされてるってのは例を見ないんじゃないかしら」
「あの子本当に私達と同じ世代なんですか?」
「それは間違いないわ。歳の割にかなりの場数を踏んでるみたいだったけど。何て言うか思考パターンがいい子なのね。人の善意とか信じてるみたいだったし。そうじゃなきゃ、今頃灰にされてるかも」
「貴女を灰・・・」
「ええ、たぶん。全力を出せば格上の奴にも勝てるぐらい成長著しい感じがしたし、何よりあの子、カウルに実力の十分の一も出してなかったもの」
「カウルはあの時加減こそしてましたけど、魔導自体は使える中でも上位のもので・・・」
青い少女が驚き、グデーンと白眼を剥いて倒れている少女を見下ろした。
「転移系の魔導を一切使わなかったでしょ?」
「あ・・・・」
「使えば簡単に攻撃を回避できたはずだし、隙があり過ぎのこの子なら背後から一撃で昏倒させるなんて難しくない。わざわざ攻撃を受け止めて魔導を更に付加跳ね返す、なんて面倒な事しなくても勝てたのよ」
青い少女が未だに意識が戻らない相棒を担ぎ上げた。
「今日は帰ります。助けて頂いてありがとうございました」
「いいのいいの。そもそも助ける必要なかったわ。あの子は最初から貴女にも気付いてた。そして、傷つける気なんてない甘々な攻撃だったもの」
「それじゃあ」と、仮面の女がそろそろと歩き出していった。
遺された賢者の少女はしばらく思案していたが「起きろ雑魚」と気絶したままの少女のこめかみへ指先に魔導で火を燈し押しつけた。
「あじゃあああああああああああああああああッッッ!?」
夜に哀れな少女の美しくない悲鳴が木霊した。

sideE(enemy)

「ハイレン。アンタ何処行ってたのよ?」
薄緑色のスーツ姿で真夜中に宿へ帰ってきた仲間を見つけて、赤い長髪の少女がベッドの中から目をショボショボさせ訊いた。
「ああ、少し夜遊びだ」
「そう。あんまり遅くならないようにしなさいよ。皆心配してたんだから」
「そうか。悪い事をしたな。だが、これから夜に時々用事ができた。もし夜に出て帰ってこないようなら先に眠っていてくれ」」
「・・・・・ま、アンタの身が安全なら文句なんかないわよ。誰も同じ意見でしょ。それじゃ夜にアンタがいなくなって誰かが騒いだらアタシが言っておくから」
「すまない・・・」
「長い夜ってのは誰にだってあるもんよ」
「まるで、自分がそうだったように聞こえるが?」
「乙女には秘密が一杯。そういう事にしといて。ふぁ、おやすみ・・・・・」
自分のベッドに再度潜り込んだ少女がすぐに寝息を立て始めた。
窓辺に行くとハイレンは手の中の小さな白い破片を月に翳した。
「魔法・・・化身(アバター)・・・。妾には荷が過ぎるか?」
しげしげと飽きる事なくハイレンは破片を観察し続けた。

sideEX(Extra)

私達には子供が無かった。
だから、その日、その子を見つけた事は私達にとっての運命だったに違いない。
雨の中、一人粗末な停留所で深夜を超えているのにも関わらずその子は座っていた。
私達はその子に声を掛け、家に招き、その子から夜が明ける頃合いまでには話を聞く事ができた。
曰く、捨てられたそうだ。
育てられないと施設に預けられ、その足で逃げ出したという。
私達は顔を見合せ、大笑いした。
その子はまるでハトが豆鉄砲でも食らったかのような顔になった後、何がおかしいと怒鳴り、私達はフフフと静かに笑う事にした。
私達は同時に同じ事を考えていたに違いない。
私達はその子に笑った理由をそっと伝えた。
自分達も同じような人間だと。
暗黒の時代から四十年以上、現在とは比べるべくもない奈落の日々。
施設とは名ばかりの監獄から逃げ出す輩など五万といた。
私達が出会ったのはそんな逃げ出した先での事だった。
片や娼館に売られそうになった女。
片や兵士にされそうになった男。
そして、子供がない私達は同じようなその子と出会った。
まるで偶然であるようなフリをした必然。
どうしてその子を私達が見つけたのか。
―――そんな事は決まっている。
私達だからその子と出会ったのだ。
私達だからその子を見つけたのだ。
その子は目を丸くして「苦労したんだな」とすら言った。
私達はだから仲良くできる。
たった一言と共に私達はその子を明け方の光の中で抱きしめた。

sideN(now)

キーンコーンカーンコーン。
学生というものの本分は学業にある事は誰もが知るところであるが、その例に漏れる学生がいるというのも誰もが知る学校という閉鎖された環境の一部であり、ガバッと鐘の音で起き上がった「魔法使い」ジャック・カウル・ハモンドはその不謹慎な学生一般に分類される人間だった。
「ようやく放課後・・・さて、行くか」
カウルの言葉に溜息が一つ。
「カウル。先生が嘆いてたわ。どうして学校一の秀才が学校の勉強をしないのかって」
制服姿の賢者の少女がカウルの机の横で呆れたように立っていた。
「んな事言われても学業で学ぶ事なんざないんだからしょうがない」
「健全な学校生活が健全な心身を育てる。貴女の場合は無駄に頭が強いから勉学以外の部分で満喫したら?」
「一緒にお遊戯でもするか? それとも委員会にでも入って仲間でも作るか? オレがんな事真面目にできる達かどうかお前が一番よく解ってるだろ。ラニ」
「私が、このラニ・ルクス・マキアがそんなことも解らずに言ってると思う?」
「思わない。けど、無理なもんは無理」
「はぁ・・・・それで今日は何処に行くの?」
「今期最高の新作ダブルマロンチップクリーム。もちろん今日発売。オレのリサーチに間違いはない」
「食い意地だけは張ってるの間違いでしょ?」
やいのやいのと言いながら二人の少女は学校を後にし街へと繰り出した。
大陸西部南端の都市『ウルゲイム』。
大陸西部と南部を繋ぐ行路の要衝。
近代化された都市部と街並み。
商業が盛んなその都市で一番の人気店。
フールメイカー。
ズラリと並んだ色とりどりの芳しいアイスクリームを店頭で箱買いしていく者も珍しくない。そんな店の内部でカウルは至福の時を満喫していた。
「くぅううううううううう。この味。堪えられないぜ!?」
目の前に置かれたカップには同じアイスが丸く三つ盛られていた。
バニラに練り込まれている茶褐色のチップが程良くアイスと融け合いながらカウルの口内へと消えていく。
「ここのアイスって無駄に美味しい事だけは認めざるを得ない代物だけど、いったい誰が商品プラン考えてるのかしらホント・・・・」
ラニがカップのアイスを口に運びながら不思議そうな面持ちでアイスを見つめた。
「一部だとフルー・バレッサが商品開発に携わってるとか何とか」
「七聖女がそんな暇なわけないわよ」
「ま、そりゃそうか」
「もう、ほら、付いてる。勘弁してよ。アイスなんて口にベタベタ付けないで。こっちの品性が疑われるんだから」
「アイスに食べ方など二通りしかないッ、腹を空かせて食うか、腹を満たしてから食うかだッ」
「それなら口元を汚さないで食う方法も三通り目に入れておいて」
ウンウンと頷くカウルに半眼になってラニがツッコミを入れた。
「了解了解」
喜色満面、アイスを夢中に頬張るカウルの幸せそうな顔にやれやれとラニは肩を竦めたが笑みを零しカウルの口元を拭いた。二品目を頼みにいこうとカウルが席を立ち、ラニが連れだって立ち上がった時だった。
カウルとラニが同時に気づき固まった。真横の席、仕切りで隔てられていた一人用の席に薄緑色のスーツを着た小さな少女ハイレンが一人、カウルの頼んだアイスと同じ物をスプーンでそっと口に運んでいた。
「?・・・・ああ、お前達か。偶然だな」
「な、なッ?!」
カウルが何かを言おうとして声にならず、ブルブルと拳を握りしめ震わせた。その様子を横眼にハイレンは静かにスプーンを口に運んだ。
「テメェが、何で、ここにいる?」
怒気を押し殺した声でカウルが訊く。
「何を買おうと人の勝手だろう」
澄ましてアイスを口に運び続けるハイレンがアイスの味に僅かに笑みを浮かべた。
「くぅうううッ。訊いたか?! ラニッ!? 昨日の今日でこの態度ッッ」
「ここは戦う場か? 爆炎を巻き散らしていい場か? それぐらいの分別もない子供ならば妾が迷惑にならない内に外へ放り出してやる事も吝かではない」
ギリギリと歯軋りしそうなカウルがぐっと堪え――られなかった。
「表に出ろッ。昨日の借りを返してやるッ!?」
「生憎と妾は三時のオヤツ中だ」
「カウル。皆見てるから」
店内の視線が自分に向かっている事に気付いてカウルが今にも湯気が出そうな顔で席に座り込んだ。ラニも同じように座り込んで、仕切りで見えないハイレンに訊いた。
「まず、貴女の名前を聞かせてください」
「別に敬語は必要ない。本来なら妾の方が年上であるお前達に敬語を使うべきだからな」
ハイレンの言葉にラニは仮面の女が言っていた歳が自分達とそう変わらないという話が本当だったのかと内心の驚きを飲み下した。
「それなら、敬語は無し。貴女の名前を聞かせてよ」
「相棒の方から聞いていないのか?」
ムッツリと押し黙って激情を堪えているらしいカウルに代わってラニが応える。
「一応、貴女の口から名前を聞きたかったから」
「そうか。妾はハイレン。ハイレン・ハージェット・テトスだ」
「・・・・それって偽名なの?」
「妾は名を偽れる程、不届き者ではないつもりだ」
「ハージェット・テトス。そう貴女が名乗ってるって昨日聞いた後調べたけど、FOAのCEOが子供を産んだって話は無かった。歴史上、今現在血筋として残ってるのはイフィミスラ・ハージェット・テトスのみ。貴女が嘘を吐いてないとしたら、貴女は隠し子か何か?」
ラニが言い始めた内容にカウルが訳がわからずハイレンを仕切り越しに睨みつけながら訊く。
「どういう事だ。ラニ?」
「馬鹿なのかしら? それとも歴史の授業だけは苦手だとでも? テトスって言ったらあのテトスしかないと思うけど」
「テト・・・それってFOAの本社があるあそこか?」
「それ以外の何処があるの?」
「イフィミスラ・ハージェット・テトス・・・って、あのFOA総合企業のCEOの名前じゃねぇか!?」
「聞いて解らない時点で西部生まれか怪しいって疑われるわよ」
「まさかコイツ・・・」
「コイツ呼ばわりされる云われはないな」
コトンと静かにスプーンが置かれ、ハイレンが立ち上がる。
「旨かった。また来よう」
「逃げるの?」
ラニの静かな挑発にハイレンが不敵な笑みで返した。
「逃げるべき時はな。しかし、少なくともお前達相手に逃げる必要性は感じられない。今日の夜にまた会おう」
まったく二人を意に介さずハイレンが店から出ていく。
その後ろ姿を二人は黙って見つめる以外に無かった。
「追いかけなくていいのか?」
「追いかけてどうするの?」
カウルの悔しげな問いに暗に追いかけても無駄だとラニが返す。
「・・・・・とりあえずぶん殴る」
「さすがにあの可愛い顔を殴るのは気が引けるから、お腹にしておいたら?」
「・・・・・ある意味オレはアイツよりお前の方が怖い」
カウルが微妙な表情をしてラニに言った。
ラニはコロコロと笑う。
「女は怖いものって相場は決まってるでしょ?」
返す言葉もなく、カウルは夜へと想いを馳せ、備えるように汗ばむ拳を握った。

深夜は当の昔に過ぎ、丑三つ時に入ろうかという頃合い。
カウルとラニは数時間で目を覚ますだろう無人のビル街でそっと身を寄せ合っていた。
ビルの屋上の端。
ビル風の音に耳を澄ませて、カウルが明かりの無い街を見下ろした。
「そろそろか?」
「もう少しであの人が言ってた時間よ。準備はいい。杖の状態は?」
「少し魔力の循環が弱い。もう少し初動の集積率上げてくれ」
「今はそれが限界。それでも不満かしら」
「ああ、今のままじゃアイツに勝てない」
「魔力が有ろうと無かろうとあの人の意見からすると勝てないわよ」
「知った事か。勝負は実力、時の運だ。勝てるかどうかはその時になってみないと分からない」
「実力不足で時の運をものにできない事もある、でしょ」
「根性と気合でどうにかする」
「なら、頑張って、まずは『無貌の化身』がお出ましよ」
巨大なビルとビルの間の空間が突如グニャリと景色を曲げ、その歪曲の中心からゆっくりと赤い布のようなものがわき出していく。
「今回は化身の属性が火に類するから気を付けて」
「行ってくる」
カウルが歪曲した空間へと飛翔した。歪曲の中心から赤い布に続きゆっくりと人型の影が這い出していく。
(まずは一撃!!)
カウルが杖を振った。杖から細かい破片が放たれ、カウルより先行し歪曲の中心へと向かう。その間にも破片は凄まじい勢いで伸び、巨大化し、細長い槍の散弾となって、空間を進むごとに魔力を帯びていく。
周囲の魔力を吸い上げ増殖する槍は距離にして数十メートルを一秒弱で突き進み、人型の影へと殺到した。
激音。
槍がまるで固い金属にでもぶち当たったかのように空中で拉げた。
カウルが途中で止まる。
威力を失い落ちていく槍の散弾に目もくれず、カウルが更なる追撃の準備に入った。
「『正栄なる槍』」
枝がまるで根を張るように巨大でねじくれた槍へと変貌した。
「『転換』(コンバージョン)」
槍の表面に水滴が浮かび、瞬間的に槍を構成する樹が枯れた。樹の跡にまるで槍を模るように水が浮遊し、瞬時に凝集、まるで糸のような細さとなって槍を構築した。槍の威圧感は減るどころか逆に高まり、向けられたものを畏怖させるには十分な代物になる。
槍の構成領域に占める魔力や物質の密度が更に上がる。
「突撃(チャージ)ッッッ!!」
カウルの叫びと共に背後へと魔力の光で織られた翅が広がる。ドレスから生えるそれが魔力を運動エネルギーへと変換、更に魔導による慣性操作と重力制御で莫大な加速をカウルの突撃へ与えた。
百数十メートルをたったゼロコンマ一秒で駆け抜けて、カウルが慣性を殺して止まった時には背後で歪曲の中心が捻じれを正されたかのように元の状態に戻っていた。
風穴が空いた影の胸から胴体部分が崩壊し崩れていく。
「本気だしゃこんなもんだ。あの白髪娘に目にもの見せてやる」
『馬鹿ッ、後ろ?!』
ラニの魔導による声がカウルを救った。
「ッッ」
カウルがいる領域が膨大な熱量で一瞬にして爆発した。
辛うじて翅の力で数十メートルを一気に移動し難を逃れたカウルが再び歪曲していく空間とその中心で影が再構築されていく光景を目にして叫ぶ。
「反則だろ!?」
『火の属性だから水で消えるとか。そんな単純に勝てるわけないでしょ!? 火って事は形がない。そして、燃えるべきものがそこにある限り消えない。観測したところだと形体変化にゼロコンマゼロゼロ一秒。超高速で直線距離を素直にぶち抜いた誰かさんの通る部分だけ体を避け――』
「くそッ」
カウルが聞いている暇もなく更に瞬間的な加速で幾度も空中を駆ける。それを追うように爆発があちこちで起こり、ビルの間をビリビリと余波が伝わっていく。
『まずい、これ以上大規模な爆発が起きたら隠蔽しきれない?!』
「今、それ、どころ、じゃ、ないッッッ!?」
カウルが慣性制御で急加速と急減速を連続させ爆発を凌ぎ切っている間にも爆音が盛大にビルの壁面に罅を入れていく。
『今解析が・・・・終了。敵の構成因子解明。あの赤い布みたいなのは構成物質の百パーセント単なる空気。莫大な熱量を一定の領域に顕現させてるから赤く見えるだけ。それと欠片の位置が判明』
「何処だ!?」
『あの歪曲した領域に万遍なく反応あり。たぶん、今回の化身はあの領域そのものに欠片が分散して構成されてる』
「全部一撃でどうにかしろってか?!」
『お察しの通り。今日私が付いてきて正解。解析した情報が無かったら、炎を消して油断して、こんがりローストになってるところよ』
「だが、ここで大規模な攻撃なんぞ仕掛けたら被害がでか過ぎて隠しきれないぞ!」
『使うしかないでしょ・・・』
ラニの真剣な声にカウルがニヤリと笑みを浮かべた。
「ああ、ちと勿体ないが是非もなしってな!!」
カウルが胸元に身に付けていた紐の先にあるソレを毟り取った。
『無貌の欠片』
二人そうが呼んでいる影を構成する中心核。
それをカウルが高速で爆発を回避している最中にも手に握りしめた。
「寄る辺なき欠片よ。無貌なるその力。我が器、我が魂、力と引き換えに譲りたまえ」
カウルの纏ったドレスが蠢いた。
赤黒い光がドレスの各部から上がり、まるで回路を光が奔るように欠片を持つ手へと集中した。
「『起動』(ウェイクアップ)」
カウルの声が詠唱中、一瞬で変質した。
「『第五の聖女』(フィフスマドンナ)」
欠片が手に集まった赤黒い光を飲み干したように吸収し、その堆積を急激に増加させ、一瞬でカウルの手の中に白い能面が形作られる。
「アタシが相手よ」
カウルがその面に顔に打ち付けた。
白い面が急激に膨張し頭部を包みこみ変色する。
『カウル・・・いいえ、七聖女ソィラ・ミクラ様。どうか私達に力を』
ラニの声が畏まるように響いた。
顔を上げた時、そこにはもうカウルの顔は無かった。
赤い短髪。意思の強そうな瞳。
顔こそ若いがそこには大陸フォルにおいて完全無欠の破壊者として知られる一人の聖者がいた。
「アタシの『破壊者』(クラスター)に破壊できないものなんて――」
カウル・・・今は聖女ソィラ・ミクラが吠えた。
止まったのを格好の標的としたのか、今までの熱量の放射による急激な爆発ではなく、熱量を留めている赤い布がそのままカウルへと放たれ、膨張しながら瞬時に激突した。
「ないッ!!!」
極大の熱量による爆発で辺り一帯が焦土と化すはずだった。
しかし、膨張した赤い布がまるで何事もなかったかのように薄らいで消える。
解放されたはずの熱量はまったくそのエネルギーを感じさせる事なく消滅していた。
分散でも、別の場所に移動させたのでもない。
熱量というエネルギー自体の完全消失。
『相変わらず効果が無茶苦茶・・・』
ラニが呟く。
「とりあえず、全部ぶっ壊す!!」
水の槍を放り出し、ただ拳を握ったカウル(ソィラ)が『無貌の化身』へと突撃していった。
決着が付くまで二十秒掛からなかった・・・・。

歪曲した領域が完全に元の状態に戻ったのを確認したラニがホッと息を吐いた。
一人佇むのはもう聖女ではなくカウルだった。
汗で全身を濡らしたカウルの頬をビル風が強く吹き抜け乾かしていく。
「回収。完了・・・・っても結局欠片使ってるから超意味ねぇ・・・」
カウルの両手には白い欠片が二つ。
しかし、片手の欠片がサラサラと崩れて風に浚われていった。
『今回みたいな大物ならあの人もきっと文句はないでしょ』
「オレ達の生命が最優先とは言うものの、これ使うとあからさまにテンション下がるからな。あの人」
『でも、今回は『無貌の仮面』(ペルソナ・ノン・グラータ)が無かったら確実に仕留め損ねてる。それならこれで結果オーライよ』
「ま、確かに・・・。それにしてもいつ使っても無茶苦茶だな。聖女の力ってのは」
『世界一有名な『奇跡』を使えるんだからボヤかないの』
「でも、あれ大丈夫なのか? 世界から熱量を完全に消失させるとか」
『滅茶苦茶な量でも消さない限り大丈夫よ。暴走して宇宙が冷えるまで消したりしたら問題になるけど』
「・・・・・怖い事をサラッと言うのは止めてくれ」
『事実上、あの聖女の『破壊者』は物質だろうがエネルギーだろうが概念だろうが何でもかんでも破壊する。知覚する事ができるものならば、時間空間だって破壊対象になりえる。救いは本人が魔導を使わないせいで知覚対象が比較的少ない事ぐらい。ぶっちゃけ、その気になればこの星なんて瞬き一つ分の間に粉々にできる。七教会にはあの聖女の気分を常に上向ける為だけの部署があるとかないとか』
「今度使う時は別のにすると固く誓っとくぜ」
「妾もその意見には賛成する」
「?!」
『!?』
カウルが上を向いた。
そこに薄い桜色の花弁と見紛う衣装を見つけて、カウルは獰猛な笑みを浮かべた。
「よお、随分と重役出勤だな」
ハイレンがカウルの眼前の中空へそっと舞い降りる。
「面白いモノを見せて貰った。まさか聖女のデッドコピーが見られるとはな」
「欠陥能力だあ!? テメェ、相変わらず人をおちょくるのが上手いじゃねぇか。何ならもう一度見てみるか?」
カウルが頭の血管を引く付かせながらその手に持っていた『無貌の欠片』を握りしめた。
『ちょ、カウル。今さっき誓ったばっかりでしょ?!』
慌てたラニの言葉を意に介さず、カウルがハイレンを睨み付ける。
「黙ってろラニ。これはオレの喧嘩だ」
『・・・後で怒られても知らないから。ホント、どうしてカウルはそんななの』
沈黙した相棒に内心済まないと思いながらカウルはその手にある欠片を握り締めた拳をハイレンに突き付ける。
「能力者の中でも奇跡は最上級の部類。カウル。お前のやっている事はワンオフの精密機械を学生が鉛筆一つで作っているようなものだ。そんな事を続けていればどんな副作用が出るか知れたものではない」
「ご忠告痛みいるね。で、だからどうした?」
完全に敵意を燃やしたカウルが嗤った。
「忠告しておくがその欠片はお前達が思っているような生易しいものではない。関わり過ぎれば自らを滅ぼす」
「だから?」
「お前達があの仮面とどんな取引をしているかは知らないがそれはお前達の命よりも重いものなのか?」
ハイレンの真面目な瞳にカウルはまったく動じず拳を下げて答えた。
「おい。ちびっ子。もし凄く下らない理由でオレが魔法少女なんかやってたとして、それでオレが死んだとする。そうしたら誰が涙を流すと思う?」
「お前の家族や友人だろう」
「違うな。もう父さんも母さんも寿命で死んだ。オレとラニは友人だが、どっちが死んでも涙なんて流さずやってくと取り決めてある。オレが死んだら情報操作はあの人がしてくれる。失踪扱いじゃ誰も涙なんて流さない。つまり、オレの為に流される涙はない。悲しく思う奴はいるとしてもな」
「お前の両親は・・・・」
「捨て子だったオレは高齢の父さんと母さんに拾われた。それだけの話だ」
「そうか・・・。つまりお前はこれからもこの欠片に関わっていくと、そう言うのだな?」
「ああ、そうだ」
「これが何かも知らずに?」
「これが危険なのは使ってるオレが一番よく解ってる。あの人がオレ達に何か隠してるのもな。だが、それがどうした。オレはそれを承知でこの魔法少女なんてのをやってる。他人にとやかく口を出される云われはない」
カウルの心情に揺らぎの一つも見つけられずハイレンは深く静かに溜息を吐いた。
「分かった。それについてはもう妾は何も言うべき事はない。だが、しかし・・・この欠片をお前達がこれからも集め続けるというのなら、妾も集めさせてもらおうか」
「な?! テメェ、横どりする気か!?」
カウルが身構える。
「そんな事をする必要性はないだろう。カウル。お前が妾に言った言葉を覚えていないのか?」
ハイレンがカウルに背を向けて十数メートル先を見上げた。
亀裂としか形容できないソレが空間に奔り、打ち破るように影が飛び出した。
「この欠片を持つ者をアバターとやらは襲ってくる。教えてくれたのは他ならぬお前自身だ。後は早い者勝ちで勝者が欠片を取ればいい」
グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。
雄叫び。
全身が霞んだ影。襤褸切れを纏ったソレが吠えた。
カウルが驚きに目を見開く。
獣のような俊敏さでハイレンとカウルへ突撃してくる影。
影にハイレンが籠手を向けた。
殆ど不意を突かれた形で迎撃の準備すら整っていなかったカウルが身構えた時にはもう二人の眼前に影は迫っていた。
(杖が無いんじゃ間に合わな――)
「貴様らの本質はもう解析済みだ」
影がその鉤爪のような腕を振り下ろ――せずに全身を硬直させた。
ハイレンが瞳を閉じ、眼前で魔導方陣に捕らわれ止まっている無貌の化身に向けていた籠手を彷徨わせた。
籠手がピタリとハイレンの左側のビルに定められる。
籠手に込めれていた弾丸が弦に弾かれ、内包されていた魔導が発動する。
光弾の魔導。
光の玉がビルの壁面を打ち破り、内部へと打ち込まれ、階層一つが爆風によって内部から外側へと吹き飛んだ。
影が絶叫した。
グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!
魔導に捕らわれていた影の胸に白い欠片が浮かび上がり、影がまるで飴のように溶け落ちた。
無貌の欠片をそっと手に取ったハイレンが後ろのカウルに告げる。
「早い者勝ちだと言っただろう?」
ハイレンの笑みがビルから上がる炎に照らし出された。カウルが絶句する。
「――――――」
一瞬後にビル内部のスプリンクラーが作動したのか、炎が一瞬で消え、ビルからは煙だけが立ち上った。
「テ、テメェ・・・周りの迷惑とか考えろ!!」
「良識派だな。しかし、アレ相手にビルの一区画が焼けた程度の被害で済んで良かっただろう。あの階にあったモノの中にそう大したものはない。せいぜいが獣の剥製と使い古されたボイラーだけだ」
ハイレンがカウルに背を向けた。
「ではな。また次の夜に」
籠手の弾丸が弾かれ、ハイレンが音もなく光の粒子に呑まれて消えた。
「アイツ・・・・どうやって化身を・・・・」
しばし、無言でハイレンがいた空間を見つめていたカウルの耳に大声が飛びこんでくる。
『カウル!! 七教会の部隊がこっちに向かってるッッ。逃げるわよ!! カウル!! カウル!!」 
世闇が薄くなり始めた頃、その場にもう二人の姿は無かった。

sideEX(Extra)

虹が出ていた日のような気がする。
その日、私は最後の用意をした。
もう動かなくなりつつある体で彼女に手伝ってもらいながら。
彫り出した彼女はまったくとんでもなく完全で美しく優雅で気品に満ちている。
彼女はまだ彫り出されたばかりで言葉が上手くない。
それでも彼女は本当によくやってくれている。
一人ではもう何もできない私などとは大違いだ。
もういってしまう私に気掛かりが在るとすれば、それは彼女の事以外に無い。
心血を注いだ彼女。
この身が蓄えてきた知識と技術の全てを使い果たして生み出せた彼女。
まったく彼女以外にもう興味のあるものは無い。
彼女はこれから大丈夫だろうか。
私がいなくなっても大丈夫だろうか。
それを思うと私の胸は痛む。
それでも、私にはたった一つの確信がある。
彼女の前途には多くの幸がある。
そう私が彫り出し、そう私が望むのだから、そうならない道理などない。
私は長い長い息を付き彼女を見つめていた。
夢の帳が落ちるその時まで。

sideN(now)

カウルとラニは再びアイスを求めて前日にハイレンと出会った場所に出向いていた。
「ふぁ、眠い・・・・」
「授業中、数学の先生が泣いてたわよ。居眠り半分で完全回答。むきになって出した超上級問題もスラスラと蚯蚓がのたくったような字で正解。百点しか付けられない今の制度が悔しくて仕方ないって」
「あのババアか?」
「バ――ごほん。先生、でしょ?」
「一々厭味過ぎて鼻に付く奴を先生とは呼ばない。それとあの解答な、本当は間違いだ」
「え・・・」
「あの数式の回答はこの間の学会で間違ってた事が判明して新しい回答が正式に認められた。古いってのも考えもんだな。ふぁ・・・」
欠伸をしたカウルにラニが額を抑えた。
「はぁ・・・それよりも、昨日の事だけど。どうして『無貌の化身』が消えたと思う?」
「解析済みとか何とか言ってたから、オレ達の知らない事実ってやつに気付いてた。そんなとこか。あのビルと影に関連があったんじゃねぇか?」
「今日の朝刊で見たけど、あのビルの被害は給湯室が全壊、珍しい剥製が一つ焼けただけだとか。少なくとも影に何か関連しているとは思えないわよ」
「?・・・ああ、そういえばアイツも言ってたな。せいぜい壊れたのは剥製とボイラーだけだとか」
ラニが額に人差し指を当てて考え込む。
「・・・・・・・あのビル内部の様子なんて魔導でも使わないと分からない。つまり、あの子は魔導を使ってビル内部の様子を知った。そのビル内部をあの子は破壊。影はビル内部の破壊と共に消えて、ビル内部の主な被害は給湯室のボイラーと獣の剥製だけだった。その上であの子はわざわざ貴女にその事実を言及した。つまり・・・」
「今まで影が何を模ってたのかがまるで解らなかったわけだが、出現するポイント近くの何かを模っていた可能性は高い、ってか?」
「今日の夜に裏付けを済ませておくけど、たぶん間違いない」
「そういえば、アイツと初めて出会った時の化身の現れた場所は博物館が近かったな」
「確か・・・今現在やってる展示会の目玉は黄昏の悠久戦争時代の高格外套数十体」
「繋がったな」
「更に言えば、模ったモノを破壊すると影も消えるってところ?」
「恐らく、な」
二人はその後ずっと無言だった。
店先でアイスを買って席に付く。
「さて、今夜の英気を養うとすっか」
「今日は何なの?」
「バニラのスタンダードにリキュール系のソースだ」
「お酒・・・何処かのオヤジみたいよ。それ」
「昔から酒と甘菓子はよくある組み合わせだと思うが」
「「!?」」
二人が同時に声のした方を振り向いた。
「テメェはどっかのストーカーか何かなのか?」
仕切り越しに顔を覗かせたハイレンがいた。
カウルがいつも何処から来るか分からないハイレンの神出鬼没ぷりにもはや怒りを通り越した様子で脱力した。
「人聞きの悪い。妾は気に入った店に足繁く通う上客。店員にすら手を振ってもらえる存在だというのに」
カウルとラニがハイレンが視線の先に顔を向けると制服姿の若い店員が笑みを浮かべてヒラヒラと小さく手を振っていた。その様子にカウルが衝撃を受けた様子で固まる。
「オ、オレの方がいつも通ってるってのに?!」
「これが世に言う人徳の差なのかしら?」
「おいッ、ラニ?!」
「あ、カウル。貴女の味方である事と貴女が人としてどう他人に見られてるのかは別々にして考えてるから」
カウルはラニの意味深げな言葉が伝える驚愕の真実に目を見開く。
「オ、オレってそんなに人徳ないか?」
「無いでしょ?」
今更な、という顔でラニが確認のように訊いた。愕然としたカウルが俯きブツブツと自分の行いを回想し始める。その様子にラニはやれやれと首を振って、隣の席へと移ってくるハイレンに問いかけた。
「ちなみに昨日の今日で私達に接触してくる理由は何なのかしら?」
「言っただろう。ただの客だと。気にいった店に通うのに理由が必要か?」
「それは・・まぁ。それじゃここにいる限りは面倒事は起こさないって事でいいの?」
「ああ、そもそも面倒事になるのは主にそちらでブツブツ言っている者が妾に食ってかかってくるからだ」
「その通りだから言い訳できないのは仕方ないからいいとして」
「いいのか?!」
「いいの。黙ってカウル」
「?!、は、はい・・・・」
ラニがカウルに笑い掛けた。視線だけが笑っていなかった。カウルが慌てて沈黙し、まるで親の敵のようにハイレンを睨んだ。
「それで気になってたんだけど、結局のところ貴女本当は何処の誰なの?」
「・・・一言では難しいな。生まれは数奇だが育ちは高貴、親は幾十人といるが母は一人。今は仲間が大勢いる。そんなところか」
「言葉遊びじゃねぇか?!」
「だ・ま・れ♪」
「ワ、ワカリマシタ」
カウルがラニの拳を見て縮み上がり、すごすごと引き下がった。
「貴女仲間がいるの?」
「ああ、妾は大所帯の旅の途中でな。本来ならこの都市に留まる事はないはずだったが偶然にも子供が怪しげなものに襲われている所を目撃し助けに入った。まぁ、後はお前達が知る通りだ」
ラニが静かな瞳でハイレンを見据えた。
「貴女が私達に干渉する理由はただのお節介って事?」
「確かに最初はそのつもりだったが、お前達が求めるこの影の欠片は妾にもあまり看過できない代物と判明したからな。しばらくは影を狩る為この都市に滞在する事になるだろう」
ハイレンがスーツの懐からそっと白い欠片を取り出した。
「看過できない理由っていうのは?」
「秘密だ」
ハイレンがシレッと答える。
「無貌の欠片を集めてどうする気?」
その答えに気を悪くした様子もなく淡々とラニが訊いた。
「・・・・この欠片はある種の触媒などにも成りえる。妾は魔導を極めんとする一人だ。昨日のお前達の使い方から幾らか応用方法も考え付いた。ある程度貯まったら妾の力として使わせてもらおう」
「危険じゃなかったの?」
「力には貴賎も善悪もない。あるのは性質特質ぐらいのものだ。少なくとも妾ならあんな浪費はしない」
「浪費ってテメェ・・・」
「お前達も薄々は気付いているはずだ。この欠片は希少だがこれ以外にも精度やレベルさえ無視するなら同じような魔導や魔導の品は多くある。そもそも欠片に極度の負荷が掛る聖女の模倣など必要ない。壊れぬ程度に用いた方が有用性は高い。例えば、あの槍のようにな」
「?!・・・・」
カウルが驚きハイレンを見つめた。
「槍については少し調べさせて貰った。聖樹信仰はもう途絶えたと思っていたがな」
「・・・どうやって」
カウルの目つきが険しさを増した。
「最初に出会った日、お前が妾を脅そうと槍を投げ放ち掴まれただろう? あの時少しサンプルを採らせてもらった」
「もう五十年前に消えた大陸中央部の大森林。その中心となっていた一本の聖なる樹。なんて、今じゃ誰も知らないと思ってたけど・・・」
ラニの言葉にハイレンが笑った。
「妾の仲間に一人その樹を知っている者がいてな。もう無いはずのソレがどうしてあるのかと不思議がっていた。まさか完全に消滅したはずのものですら模倣し再生させるとは、妾ですら中々信じがたい話だ。それこそ魔導を極めた者でもなければ成しえない奇跡。それを可能にするこれは正に奇跡の欠片と言ったところか」
「貴女はその奇跡の欠片を何に使う気?」
ラニの真剣な瞳にハイレンは欠片を懐に戻した。
「妾には追い付かなければならない相手が数多くいる」
「それで戦うって言う事?」
「戦う為に使うかと聞かれればYESと答えよう」
「誰と?」
「聖女に騎師団、熾天使に源流使い。妾が戦うべき相手、超えるべき先達は中々ツワモノ揃いだからな。どう答えたものか迷う」
「「・・・・・・・」」
ラニとカウルがマジマジとハイレンの顔を見つめた。
冗談の類でも言っているのかと二人の顔は一瞬だけ同じ呆然としたものになった。
「笑えない冗談でしょ」
「どこまで本気なんだソレ」
「さぁ?」
ハイレンが最後の一口を含んでから席を立った。
「とりあえず妾はこの時間帯此処で過ごす事が多い。何か話があるなら訪ねてくるといい」
そう言い残して店から出ていくハイレンをカウルとラニは複雑な表情で見つめていた。

sideN(now)

カウルとラニは店を出た後、その足で郊外の森林地帯へとやってきていた。
広葉樹の葉が薄暗い夕方の日を仄かに落とす道中、二人の話題はハイレンの事となっていた。
「ねぇ、カウル。あれって本当だと思う?」
「オレに分かるのはアイツがまったく嘘を言ってたように見えなかったって事だけだ」
暗くなっていく道の枯れ葉をサクサクと踏みしめ歩きながらカウルが不機嫌そうな顔で言った。
「あの戯言が本当だとして、あの子って何者なのかしら?」
「魔導が恐ろしく上手い餓鬼」
「ガキって・・・でも、魔導が上手い事は認めるの?」
「空間転移系の魔導を都市部で使えて、オレの槍を掴み取る。そんなふざけた芸当がオレ達よりも年下の癖にできる時点で認めるしかない・・・やだけどな」
「それは・・・確かに・・・」
「こっちの魔導や触媒は解析済み。本来なら学者が必至こいて辿りつくかどうかの事実をいともあっさりと看破。その上旅の途中って事を考慮に入れれば解析する為の機器なんて持ってない。ここまでくれば誰でも解る。今のオレ達の遥か先をアイツは歩いてる。ホントどうやったらあんなガキができるのか神様に聞きてぇっての」
「見えた」
愚痴っていたカウルが視線を先に向けた。
すっかり暮れた森林の中、二人が進んでいる道の先に小さな燐光が舞い落ちていた。
それは一本の樹だった。
辺りに分布している樹木とは明らかに違う大木。
青々と茂った葉の形はまるで剣を思わせて細く、地面へと落ちた葉は墓標として突き刺さっている剣を思わせた。
燐光は大木の根元から微かに立ち上っているもので、根元から吸い上げられるようにして樹の上部へと消えていっていた。
「でかくなったな・・・」
「欠片としての機能はもう無くなったけれど、この一帯の地層の魔力源を純化還元し始めたから、後は完全に成長するのを見守るだけ。ちょっと待ってて」
ラニが持っていたカバンから小さなナイフを取り出した。
まるで鉤のような刃を燐光を発する樹の根元近くに近づけると、それに反応したかのように根元から一本の枝が伸び出した。
ある程度まで成長したソレの根元をナイフで切り取ると燐光が弱まり、樹の葉がまるで雨のように大量に落ちた。
「あう?!」
「く、はははは。即死だな」
串刺しにされまくったようなラニの姿にカウルが笑った。
「カウル。今回の杖の性能を試されたい」
「わ、悪かっ――は、腹痛てぇ」
無理やり笑いを抑え込んだカウルに身震いして葉を落としたラニが手に持っている枝を振った。
風を切る音がして、カウルの周囲で風が逆巻いた。当たりの葉がサクサクとカウルの服に突き刺さり、笑いながらカウルがチクチクと刺さる葉のむず痒さに降参した。
「悪かった。ちょ、やめ――」
「どっかの剣を差したら飛び出す玩具みたいよ」
ふふんと仕返しを終えたラニが得意げに枝をカウルへと渡した。
身震いして葉を落としたカウルがラニに訊く。
「この間より魔力の収束効率上がってないか?」
「今までのは所詮未成熟な聖樹に無理やり造り出させていた乱造品。こっちは聖樹が成長し余裕のある状態で生み出した正規品。力が強くなってるのは当然でしょ。これから時間が経てばこれより更に強い杖が作れるようになる。そもそも加工を殆ど加えてない状態でこれだもの。ちゃんと加工すればこの数倍以上の性能が叩き出せるようになるわよ・・・うん」
ラニの得意げな顔にカウルが杖をマジマジと見つめて握り締めた。
「これで『無貌の化身』との戦いも楽になるか」
「それは貴女次第でしょ。カウル」
「そりゃそうだ。オレも研鑽積まないとな」
「じゃ、一旦帰って着替えてから集合場所で会いましょ」
「ああ」
二人は元来た道を戻り始めた。

sideE(enemy)

大陸で使われている現代魔導と呼ばれる技術体系の歴史は浅い。五十数年前に時の大魔導使いである一人の男が現代魔導源流と呼ばれる新たな源流をそれまで大陸で扱われていた数千から数万種以上と言われた源流から再構築し、五十二種にまで統合した事からその歴史は始まる。
現代魔導は主に三つの要素からなり、それらが莫大な諸法則を束ねている現代魔導の根幹法則へと干渉、不可思議な現象を引き起こすが、その現代魔導の基礎である根幹法則そのものを知覚できる者は少ない。
魔導を扱う者の殆どが根幹法則に束ねられた諸法則の知覚しかできず、それより上位に位置する根幹法則を知覚するのは至難とされている。もしも、その根幹法則を知覚し、直に干渉する事ができるのならば、その者は神にも等しい力を持つ事になるとも言われ、事実それを実現するだけの者が大陸には幾人かはいる。
故にその光景は奇跡に等しいと見る者が見れば分かったかもしれない。
ハイレンは夜、ビルの屋上で魔法少女の衣裳のまま魔導方陣を展開していた。
仄かに発光する緻密で複雑な象形が描きこまれている魔導方陣は半径数メートル。
真理とすら呼べる世界の根幹法則に到達するにはその魔導方陣では情報量が足りない。
しかし、確かにハイレンはソレを感じる事に成功していた。
ハイレンの周囲の虚空をゆっくりと白い欠片が回り、ぼんやりと光っていた。
(知覚階梯を数段上がったか・・・・これ程とは・・・・解析結果が正しいとするなら欠片自体に組み込まれているのはディメンジョンフェイズシフトリアクター・・・・あの世界一の頭脳が実用化したばかりの無限機関がこんな小さな欠片に原理的に組み込まれている・・・・まったくふざけているな。この欠片は・・・・)
欠片がハイレンの掲げた手の中へ収まり、魔導方陣が明度を落として消えた。
欠片の持つ能力に半ば呆れた視線を向けながらハイレンは欠片を懐にしまった。
(聖女を再現する程の出力が何処から出ていたのかこれで説明が付く。再現後に砕けたのは回路に魔力を出させ過ぎて崩壊したから。これの本質は特性を生かした再現装置。出力は自前で補給して情報を叩きんでやれば後は勝手に事象や物質そのものを欠片が構築する。厄介なのは事象の構築が正規の物理法則や魔導法則ではないコチラ側とは異なる法則で起こされている事。一歩間違えば世界が滅ぶ現象を構築しかねない・・か)
ハイレンはその可能性に顔を顰めた。
例えば全てを一瞬で消し去る聖女の奇跡。
限定された出力で再現可能、さらに言えば世界を崩壊させるに足る。
何もかもを消し去る究極の破壊能力。
(だが、しかし、そのリスクを背負うだけの価値はある)
ハイレンは自らの手をコンクリートの地面に当てた。
手のひらの形からすぐさま光の線が複雑に地面を走り始める。凡そ十五秒。描き出された方陣がまるで生き物のように内部の文字や形象を移動変化させながら乱雑に広がり始める。
「データは実家のものを流用するか」
ハイレンがそっと自分の衣裳を見つめた。虚空に複数の四角い半透明の画面が展開した。
「強化再構成案は・・・・四番と五番。各構成部品の図面はFOAテスタメントのメインサーバーから拝借。まずER流体で電子制御系を構築。プロセッサは妾の血を使ったDNA素子の予備サンプル情報から再構築してSOCチップ化、ブレードサーバーにして装甲に封入。形態はフォールトトレラントシステム。OSは・・・・酌だがフルー・バレッサ謹製高格外套プラグマモデル系列からそのまま持ってくるか。最適化プログラムと合わせてシステム全体を構築。装甲は超張力鋼板を積層化して主鋼材はスーパーメタル化したオリハルコンとヒヒイロカネとミスリルの合金。混合比率はは7対1対2。形状記憶合金系の素材も挟むか。いや、ここはアモルファス化した物も何層か。ふむ、内面にはバイオマテリアルを使用するのも有りだな。装甲表面には自己修復塗装塗料の七番と金を混合して塗布。摩擦係数を落とすものも重ねておくか。魔導の基本象形をナノレベルで各層に順次配置、意匠も同時に印刷。装甲の繋ぎと全体の強化にはカーボンナノファイバーの七番を強化樹脂で固めたものを束ねて使用。衣装の復元に関しては因果干渉系の魔導で対応・・・衣装の自動最適化能力は魔導性の自己組織化材とナノモーターを装甲及び衣装の各層に配列して構成。構成物質の再集積と再構築は時空間系列の魔導を使用してアト秒以下での復元を前提に領域構成術の応用で外部からの干渉を排除。後は・・・」
ブツブツと一人で画面の情報を吟味しながら要らない画面を閉じていくハイレンの前に一つだけ画面が残った。それはハイレンが来ている衣装に似てはいるがほぼ別モノと言っていい代物だった。
「さあ、変われ。妾が前に進む為に・・・・」
ハイレンの胸元で三つの光が弾け、地面の移り変わっていく魔導方陣へと飛び込んだ。
急激に速度を増した方陣がやがてただの光の円と化し、ハイレンの着る衣装の変化が始まった。
衣装の全周囲に下の光円から次々にパーツが出現し囲まれていく。
薄桃色の地金に金色の縁取り。
薄い鉄板状のパーツ。
それが足部、腰部、胸部、肩部、腕部、を次々に囲み、体の各部の形へと歪曲、薄い鎧のように全体を形成していく。衣装全体の生地にやや厚みが増してスカート丈や袖の丈も長くなる。その間を金糸がまるで生きているかのように通りながら鎧と服と結合させていく。
全ての工程が終了すると光円が地面から消え去り、欠片がハイレンの前に飛び出した。
欠片を懐に戻してハイレンは衣装の細部を繁々と見つめた。
(・・・問題は・・・ないな。魔導電算の補完機能と防御力の強化は成功。微調整は後でいい。まずは実戦に耐えうるかどうか)
ハイレンの衣裳はドレスとも鎧とも言えず、金色が付加される事で花弁のイメージを持たせつつも神々しさを併せ持つ物になっていた。
自分の着る衣装を生みだした友の事を思い出してハイレンは微笑した。
「さて、今日もそろそろお出ましか」
遥か前方。
不穏な気配を肌で感じながら数キロ先へと視線を向けて、ハイレンはその場から空へと跳んだ。

sideN(now)

ハイレンが自らの衣裳を強化し終えていた頃、ラニとカウルは都市郊外の廃病院の屋上にいた。
百年近く前から存在すると言われる石造りの廃墟。
今は朽ちかけた遺跡にも見える其処で二人は遠く都市の明かりを見つめながら膝を抱えて寄り添っていた。
「何か出そうって気がしないか?」
「そもそもお化けとか信じる口?」
「魂は一応科学でも証明されてるだろ」
「人が持ってる高位領域へ干渉する量子的な器官の一つ。って言っても魔導程には解明が進んでないでしょ。そもそも人間そのものが内包する諸要素を全て科学的に解明するなんて後千年は無理だって話じゃない」
「お化けは怖いもの。これ人の常識」
「そもそもお化けの殆どは残留思念の塊。本当に魂っていうソレが肉体無しに存在するのは限りなく難しい。それこそ生前桁外れの魔力があって肉体が朽ちた後に魔力が散逸せず魂を保護しているのでもない限りは・・・」
「魂が在っても人格や記憶があるかは更に別問題になるって言うんだろ。どうせ」
「分かってるなら訊かないでよ。人間が人間という現象として在る時、魂なんてのはその現象を構成する一部品に過ぎない。それだけで本人には違いないけど、それだけが本人ではない。肉体、精神、魂、あるいは脳の化学反応、それだけですら解明には程遠い。人っていうものを構成している諸現象を全て解析するなんて人類が滅びるまでにできるかどうか。そもそもそこまでしない可能性の方が高いし」
「生命の神秘に立ち入ってはならないだっけか?」
「そう、生命の解析はあまり進め過ぎれば必ず弊害を生む。だから、知らなくてもいい権利が私達にもあるはずだって考え方。結構多いらしいから、特に医療関係の人間には」
「で、そこまで話を逸らしておいて何だが、出そうって気がしないか?」
「く・・・・ここで気付くなんてカウルの癖に生意気」
ラニが微妙に険のある視線をカウルに向けた。
「そういえば遊びに行った温泉とかで「お手洗いに行くんだけど付いてこない?」とか聞いてくる人間がいたようないないような」
「それ以上思い出すと頭がザクロみたいになるんじゃないかしら」
「はっはっはっはっは・・・・・敵が来る前からそれは困る」
カウルが立ち上がり素直に話題を打ち切った。
「さっそくお出ましか。影が幽霊に入るかは後で議論するって事で」
「右に同じよ」
病院の敷地。
今は荒れ野となっている広い空間が捻じれ歪曲し、その中心から腕が飛び出した。
カウルとラニが同時に構える。
「カウル。今回は何か厄介なものになる可能性があるの。私も参加するから」
「ま、病院だしな。それこそ放射線でも浴びせられたら死ぬ」
「来るわよ!」
影で形作られた腕だけが一直線に二人へと襲い掛かった。

ハイレンが現場へと到着した時、ほぼ勝負は付いていた。
影で構成された腕がカウルの槍と拮抗しながら衝撃波を巻き散らし、その横合いから魔力を純粋な熱量へ変換したラニの魔導が腕を直撃、灼熱の光線の中で腕はそれに耐えきった途端に崩壊した。
「大した連携だ」
上空から降り、二人の間に立ったハイレンは的確な役割分担で勝利を収めた二人をそう賞賛した。
「当たり前だ。オレとラニが二人掛かりで倒せないわけねぇだろ」
「今回はどうやら警戒していた程の能力は無かったみたいだから倒せて当たり前よ」
自慢するでもなくラニが空中を移動し影が消えた場所に漂う『無貌の欠片』を掴んだ。
「さっそく欠片を使ったようだけど・・・・それが貴女の使い道?」
ラニがハイレンの新規衣装を見つめて問う。
「少し機能を拡充しただけだ。高格外套程の汎用性はない。それにお前達の着ているソレよりは構造上複雑でもないな」
カウルが少し以外そうにラニへヒソヒソと訊いた。
「あの人のコレってそんなに凄いのか?」
ラニが少しハイレンを見て、そっとカウルに告げる。
「内側の魔力伝導率、表面の魔力反射率、素材自体の耐久力、衣装自体の魔力親和性、どれを取っても一級品。少なくとも七教会の高格外套より防御力とか魔力制御に関しては桁が三つ違うわよ」
ハイレンはそのまるで言い聞かせているような説明をするラニの顔をマジマジと見た。
「何よ・・・・」
ラニがハイレンを睨み返す。
「その分だと自覚はあるようだな。なら、妾から言える事は一つだけだ」
「は?」
カウルがハイレンの言葉に聞き返す。
「使い心地が悪い内に新しいものを自分で作れ。欠片があれば難しい事でもないだろう」
ラニがハイレンを感情を映さない瞳で見つめる。
「それが可能だとして、そうするべきだと思うの? 私達は魔法少女をやってる。この衣装を使う意味はたぶんそこにあるでしょ」
「影かその衣装か。どちらの危険性が高いかによるだろうが、少なくともそんな過ぎた代物を妾は着たいとは思わないな」
「おい。ラニ?」
カウルがラニの横顔を覗きこむが微動だにせずラニはハイレンの言葉に即答した。
「それを着続けられるかどうかが私達が選ばれた理由なのよ。たぶんは・・・・」
「ラニ、どういう事か説明しろ」
二人のやりとりに不安なものを覚えてカウルはラニの肩を掴もうと―――。

グチュリとカウルの槍がラニの肩を貫いた。

「「!?」」
ハイレンとラニが同時にその場から飛びのいた。
それと同じくしてカウルが背後へと跳躍する。
近くに着地したラニが崩れ落ちそうになる体を踏ん張らせ、無事な腕で腰の枝を取った。
「な、な―――ら・・・ニ?」
カウルがまるで舌が回らなくなったようにぎこちなく名前を呼ぶ。
「まさか?!」
「そんな・・・カウル!!」
カウルの姿に二人は内心の焦燥を押し殺して対峙した。
カウルの左腕が影に呑まれ、まるで木の枝が伝うように全身に影が延びていた。
「倒したはずなのに・・・私のミスよ」
肩の傷が衣装の効果により既に治癒し始めているラニだったが傷の痛みと瞬間的な失血で脂汗を浮かべながら顔に苦渋を滲ませた。
枝が強く握られる。
「病院が舞台という時点で気付くべきだった。此処でもしも残っている物があるとすれば、それは――」
ハイレンが言い掛けて、ラニを掴んで上空へと跳び上がった。
「カウル!!」
反射的に地上へ戻ろうとするラニにハイレンが叫ぶ。
「焦るなッ!! 良く見ろ!!」
「なッ?! 何よアレ!?」
二人が目にしたのは病院の建物内から敷地内の地面から無数に迫り出している腕の群れだった。
まるで悪夢のようなその光景にラニの血の気が引く。
「廃病院に一番多く残っているものは何か考えるまでもない。それは医療器具でもベッドでもない。死者の残留思念だ。腕とは死から遠ざかる為の手段であると同時に救いを求める人の根幹的な欲求を表す。アレはそういう事だろう」
回答にラニが歯噛みした。
「・・・模倣してる対象をどうにもできないと言いたいの?」
「倒すのは簡単だ。その未練と生への衝動が残っている『全て』を空間ごと完全に消失させれば、この一帯ごと消せばどうにかなる。だが、あの状態のカウルがどうなるのか予想できない」
ラニがそのハイレンの言葉に顔を歪めた。
下から湧き上がる無数の腕と高まっていく力の圧力を受けながらラニは自分で助けるという選択枝を放棄せざるをえなかった。より確実に現実的に見て、助けられるであろう隣のハイレンに顔を向ける。
「貴女・・・私達よりも凄いんでしょ。なら、あの子を・・・カウルを助けて」
それはまるで問い詰めるようでもあり、同時に救えると言って欲しい、そんな懇願だった。自分では確実にカウルを助ける事ができないと、親友でありながらその状態の少女を助ける方法が見つからないと、それを冷静に自覚する故の、自らの無能さを嘆く、懇願だった
「・・・・ならば、取引といこうか」
ハイレンがラニを真っ直ぐに見つめて告げる。
「欠片なら幾らでもあげるッ、もしも魔法少女を止めろって言うなら私は止めていいッッ、だから、お願いッッ!!」
ラニが恥も外聞もなく頭を下げた。
同時に二人の下からカウルの槍が『正栄なる槍』が飛んでくる。
それをハイレンはまったく見もせず、籠手を装着した方の手で掴み潰した。
「貸し一つ付けておこう。まずはあの腕とカウルを分離するぞ」
ハイレンの声にラニは頷き、ただ一言「ありがとう」と言った。
それを待っている暇もなく、ハイレンが手負いのラニを伴ってその場から空間を渡る。
二人が今までいた空間を地面から伸びた影が、巨大な腕が通り過ぎていた。
ハイレンが数十メートル離れた空中に光の粒子とラニを伴って現れる。
「探査魔導を一通り使ってくれるか」
ラニが自らの周囲に大きく円を描くように枝を振った。
孤は円となり、光の道筋を描き出す。
描き出された円環の中に更に複数の円環が描かれ、同時に病院の敷地へと向けて虹色にも見える波動を放射した。
すぐにその波動の反射が返り、二人の前に幾つも半透明なウィンドウが開いていく。
「物質的な実態は無し。見えているのは霊視的な視覚のみだと・・・・ならば、侵食は物質面からではない・・・・エネルギーや物質としての実態がない。法則や因果による魔導に近いな。侵食は空間内部で起こる非物理領域との接触で起きるのか? 厄介極まる・・・か」
「どういう事」
ラニが魔導方陣を維持したままハイレンに問う。
「つまりだ。純粋に物理的エネルギーを一切使わない法則干渉系や因果干渉系の魔導で操られているのと同じ状態だ。そのタイプの魔導は基本的には現実に干渉する際、魔導の中核をこちら側に置かない。欠片を出してみろ」
ラニが先程掴み取って懐に入れていた欠片を取り出す。
「これって・・・」
欠片がまるで何かのフィルターを掛けられたように不鮮明な映像としてラニには認識できた。
「それは言わば影だ。本来の中核が投影している欠片本体の物理的側面だが、そのものではない。たぶん今から非物理的な中核を探すのは無理だ。こちら側への干渉上何かしら中枢は置いているのだろうがこの腕の中から探知するのは難しい。侵食は物理事象として観測できない上、範囲も何処からどこまでなのか明確ではない。あの腕は単に侵食領域の具現化率が高い空間に過ぎないのだろう。見ろ。その画面だ」
ハイレンが腕が映っていないウィンドウを指した。
「それじゃ、カウルを操ってる欠片の中核部分を探して破壊するのは・・・・」
「今の状況では不可能だ」
ラニが呻くように呟く。
「言っておくが無暗に踏みこんだ瞬間こちらが相手に乗っ取られる。取れる方策は限られるが・・・そうだな。ラニ、お前の力を使えば目はあるだろう」
ハイレンがラニの背後に回り、指を背中に当てた。
「どうするのッ」
ハイレンはその問に答えず、ラニの背中に指で象形を描きこんでいく。
指の動きにそって幾つか光の象形が描き出される。
「お前達の衣裳は特別製。魔法という名の力を薄っぺらに加工したソレは間違いなく世界最高の魔導機関の一つだ。あの仮面の女は魔法を、太古の魔導源流そのものであるソレを使う事が上手い人間を選んだわけではない。その分野に関してお前達は突出していない」
「それは・・・」
ラニが何か言おうとして言い淀んだ。
「自覚があるならば解るだろう。お前達が選ばれた理由は魔法に使われる事に関してお前達が天才的な資質を持っているからだ」
ハイレンの確固とした断定にラニは唇を噛む。
「魔法少女とは魔法を使う事が上手い人間ではない。魔法という技術総体の粋、そのものであるソレの力を完全に発揮させえる触媒の事だ。遥か以前、人が魔法に慣れる事で使い手として多くの者が魔導源流を修めた。しかし、お前達は魔法であるソレから解析され、それが完全に馴染むように染められる事で威力を発揮させられる。もうある力としての魔法がより効率的に自らの体系を発展させる為・・・・言わば部品としてお前達はあの女に選ばれた」
「ッ・・・」
ハイレンがカウルが知らないであろう事実を的確に看破し、ラニは言葉に詰まった。
その事実をカウルは知らない。ラニにしてもその確信は無かった。ただ、そうだとしても魔法少女をやる以上はその衣装を着なければならないのだという事実だけが重要だった。
「魔法とは文字通り魔なる法。魔法とは術でも導でもない人が生み出した英智だ。高性能な魔法はある一定の水準を超えれば、ほぼどんな代物だろうと万能に為りえる。アプローチ方法が異なろうとも全ての技術能力は最後にその一点を通過していく」
「それが今の状況とどう――」
ラニは最後まで喋る事ができなかった。
「しかしな。故に今お前という魔法の触媒に、万能へと至る魔法の一欠片に、妾は新しい力を付け加えられる」
「何をする気・・・・」
「未来事象を操作して状況を打破する確率を上げる」
「そんな・・・・」
ラニが言葉を失った。
それはとても正気の言葉ではなかった。
未来を変えるでもなく、未来を予知するのでもなく、未来を思い通りに創る。
ハイレンは世界の全てを意のままにするという荒唐無稽の理想を言っているに等しかった。
「できる。妾ならば。その衣装(魔法)とお前という最も魔法に相応しい触媒が在れば」
今まで沈黙していた巨大な腕が二人に向かって伸び始める。病院から溢れだした腕が地表を埋め尽くしていく。
「ラニ、お前には技能も知識も不足しているが妾にはない力がある。妾にはこの状況で事を完全に成し遂せる力はないがそれを打破する知識と技能がある。お前はどうする」
ハイレンの矢継ぎ早の言葉に、自分の力で本当にそんな事ができるのか分からなくて、それでもラニは決意して声を張り上げた。
「私は・・・カウルに助けるッ」
「よく言った。ならば、叫べ。お前の親友の意識をまずは揺り起す」
ハイレンがラニの背中を叩き、前に出た。
「召喚」
ハイレンの片手に光の粒子が煌めき、長大な弾帯が現れた。
弾帯の端を籠手の弾丸を収める窪みに連結したハイレンが籠手を巨大な腕に向けた。
「カウルゥウウウウウウウウウ―――――――――ッッッ!!」
ラニの叫びとハイレンの弾丸が無数に弾けるのは同時。
ラニの後背にまるで歯車のような魔導方陣が浮かび上がり、その叫びに応じて高速で回転しだした。
連続して弾ける弾丸の爆音が急激に高まっていく。
弾丸に込められた魔導方陣が無数に咲き乱れ、巨大な腕が二人へと迫る程に遠ざかった。
「領域構成弾。妾のとっておきだ」
周囲の一定領域にその領域と同質の空間を創る領域創造の秘術。それを込められた弾丸は新世界の創造を成すに近いだけの不可思議を産む。
遠ざかるほどに二人は前に引き込まれるような風の流れに曝される。
それでも二人と病院の距離は広がり続け、腕は届かずに大地に伸びきって倒れこんだ。
悪夢のような光景から遠ざかりながらラニは確かに自分を呼ぶ声を聞いた。
『ラ・・・ニ・・・・』
病院の中央。
影に全身を呑まれかけた少女の瞳に微かな灯が戻ったのをハイレンは数キロ先から遠目に確認した。
「行くぞ」
弾丸の効果によって遠ざかり続ける病院に向けてハイレンが背後に光の翅を展開し、弾丸を撃ち続けながら飛翔する。ラニが後を追った。
どうするのか。どうやってこれからカウルを助けるのか。それをラニはハイレンに問わなかった。
時間が差し迫っているのだろう事も察しがついた。
頼ると決めた以上、そこに疑問を挟むより先に目の前のハイレンに従う事をラニは優先する。
「侵食速度は察しが付く。これだけの非物理領域からの侵食。その中心に近づく為の転移など危なくて行えもしない。カウルを引き離して侵食される前に離脱、普通なら妾でも離れ業だが・・・・今はお前の加護がある」
二人はハイレンの弾丸の魔導が咲き乱れた空間へと進み続けていく。
病院へと一直線に飛翔し続けるハイレンの装甲が薄く輝きを帯びる。
それと同時に未だ回り続けていたラニの背後に浮かぶ光りの歯車が回転を落としていく。
「効果離脱まで二十五秒。弾丸の効果処理まで二十秒。ラニ、カウルがお前の目の前に来たら掴んだ瞬間にお前達に弾丸を打ち込む。そうしたら即座に離脱しろ」
ラニは内心で多少混乱しながらも頷いた。
「説明している暇はない。とにかくしっかり付いてこい!」
ハイレンの飛翔速度が上がる。
弾丸の魔導方陣で描きだされる道を置き去りにしながら。
数キロ以上を高速で駆け抜けた先でハイレンが停まった。
「止まれッッ」
飛翔と銃撃の停止。同時にハイレンが背後のラニへと振り返り籠手を向ける。
「後、十秒。いいかラニ。カウルを掴んだら離脱して後ろは振り返るな」
念を押したハイレンの背後に大地に倒れ込んでいた巨大な腕から小さな腕が急激に伸びて襲いかかる。
「妾達の勝ちだ」
何が起こったのか。ラニにはあまりよく解らなかった。ただ、ラニ自身の衣裳が光輝き周囲の景色が引き延ばされて、気付いた時にはカウルが目の前にいた。
「カウルッッ!!」
何も考えず影に捕らわれた親友をラニはその腕できつく抱きしめる。
カウルを抱きしめた瞬間、自分達に向けられた籠手から弾丸が放たれたのをラニは確かに見た。
「―――ッッ」
ハイレンの名を呼ぶより先に領域構成弾による空間を生み出す効果が二人をその場から瞬時に引き離し、数キロ以上の距離を稼がせていた。
「ラ・・・ニ・・・」
影本体から引き剥がされカウルの体中に絡み付いていた影が掻き消えていく。その体を抱きしめ、その声を聞きながらラニはハイレンの言った通り、その場から即座に離脱し始めた。
後ろ髪を引かれながら、それでもラニは止まる事なく、内心でハイレンの無事を祈った。

sideE(enemy)

影から今にも侵食されつつある衣装を見ながらハイレンは少女達の安全圏への離脱を確認してホッと息を吐いた。完全に消費し尽くした弾帯の結合部分を引き抜いて捨てる。ラニの背後に書きこんだ魔導の効果が引き始めている事を存在が侵食されるスピードでハイレンは感じ取った。
領域構成弾による空間を足す効果によって知覚不可能の浸食を抑えつつ、造られた未だ侵食されていない領域へと飛び込むという荒技。侵食の遅滞と移動距離の増加をギリギリのところで綱渡りし切ったハイレンの内心は満足と言えるものだった。
(領域の限界構成時間が五十七秒・・・まあまあだな。領域内へと物質を引きこむ真空状態の使い道も考えなくては。領域の崩壊と同時に内部の物質を隣接する外部空間に排出させる作用も座標そのものが微妙に狂っているな。今回はあの衣装の力で誤差が大きく出なかったが、まだまだ改良の余地ありか・・・・)
影がまるでハイレンを喰らい尽くそうとするように全身を覆い尽くし、病院ごと黒く塗り込めようとし始める。
「さすが侵食領域の中心。強化したての衣裳と常時展開型の魔導ではそう持ちそうにないか」
ハイレンが影の絡み付いた籠手の窪みに反対側で拘束されつつある腕の袖から出した弾丸を込める。ギリギリと喰い込んでくる影が完全にハイレンを拘束し貼り付けにした時には弾丸は完全に籠手に固定されていた。
「まったく、死者の念まで使うとは浅ましい、というより呆れる」
ギリギリと首筋を締め付け始める影、おどろおどろしい世界の中心でハイレンは影をまったく気にもせず呟く。
「あまり舐めるな」
キロリとハイレンの妖精の魔眼が、中心が白く他が黒い魔眼が、自分を縛る影を見た。
ゾアッと影が一瞬ハイレンから引くように拘束の力を緩めた。
ハイレンは四肢を拘束する影を力づくで引き千切ると籠手を真下に向けた。ハイレンの衣裳に縫い込められた装甲に幾筋も幾筋も光が走る。
ハイレンの周囲に黒く燐光が舞い、薄桃色の衣裳がまるで塗りかえられていくようにその表面の全てを黒く、そして各部の装甲を奔る光の筋で白く染めていく。
その姿はハイレンから違和感らしきものを全て拭い去った。
薄桃色の衣裳を着ていたハイレンは確かに似合ってはいたが、それはあくまでコスプレのような、本質的には本当にただ着飾る為のもの。しかし、今現在のハイレンの姿にはそんな着飾るという本質はなく、ただただハイレンそのものを具象化したような、妙な合致があった。
黒と白。
全てをそれだけの色で塗り分けられた存在として完成された姿。
黒い世界に塗り込められているはずのハイレンはまるでその根源でもあるかのように佇む。
「すぐに終わる。それまで大人しくしているのだな」
影はハイレンを取り囲んでいながら、四肢をもう一度拘束しようとはしなかった。まるで何かに怯えているかのようにその場から揺らめくだけで動かない。
リィィィン。
今まで音色など立てなかった弦が涼やかな音色で弾丸を弾いた。
キン。
音を立てて弾丸が緩やかに影の腕に覆われた地面へと突き立って、割れた。
あまりにも細く、黒を貫く白線が弾丸の割れ目から影を一直線に割り、爆発的な速度で地面を奔った。白いラインは影を一切寄せ付けず周囲を奔り回り、地面に象形を刻んでいく。
「安らかに眠るといい。死は安息。お前達はもう目覚めぬ眠りに付く」
ハイレンの声が死霊・・・正確には死んだ者達の残留思念の具現である腕達の間を伝っていった。
地上から上空から見たならば誰もが驚いたに違いなかった。
その病院を中心に描かれる魔導方陣が煌めいた次の瞬間、遥か上空から淡い光で形作られた一本の剣が地表へと吸い込まれるように突き刺さり、数万以上もあると思われた地面の手が一斉に切り離されたように空中へと浮かんだ。
夜闇に腕が霞んでいく。
「・・・・・・」
ハイレンは今にも消えそうな影の手を一本そっと握る。
しかし、魔導による思念の分解が急激に進み、あっという間に腕が掻き消えた。
ハイレンを拘束していた影や巨大な腕も掻き消え、後には剣の刺さった地面に縫い止められる一本の黒ずんだ腕があった。
もがき動くその腕の上で淡く溶けていく剣が引き抜き捨てられる。
腕は明確な悪意を持ってハイレンの喉へと食らいつくように迫った。
「無様だな」
ハイレンは籠手を装備した方の手で黒ずんだ手と力比べでもするように握り合い力を込めた。
ギリギリと軋みを上げる黒ずんだ腕が嘶くような絶叫を上げた。
「妾の師はよく言っていた。人の手には魔法が宿っていると。とても単純で奇跡とすら呼べるその魔法が人と人を繋ぐのだと。その魔法を暴力に使うのは人の性なのかもしれない。それはいい。妾もそうしなければ歩いて行けない身の上だ。だが、その手を、人が最後に人を求める気持ちを利用するこのやり方。気に食わないな」
細腕のはずのハイレンが黒い手をメキメキと拉げさせていく。
ハイレンの瞳が細められ、辺りの魔導方陣の白いラインが黒く染まり、象形が複雑なものに変化した。
「不愉快だ。消え失せるがいい」
それから数分後、廃病院跡地には何も残っていなかった。

sideEX(Extra)

私達にはあまり時間が残されていなった。
年輪をそれ以上重ねるのは無理があったのかもしれない。
それでも、驚くほど長くあの子を私達は見守り続ける事ができた。
気弱で泣いてばかりのあの子に私達は一つの名前を送る事にした。
最後にあの子に何か贈り物をしてあげたかったからだ。
あの子にどれだけのものを返せたかは分からない。
私達があの子から受けたものに比べれば、私達ができる事は微々たるものだ。
一人となるあの子の前途に幸多からん事を願う他にできる事はない。
それでも私達は・・・・確信していた。
あの子はきっと私たちがいなくても歩いていける。
小さな小さな体に秘められた強さ、どんなに泣いても解かなかった握り拳。
瞳に宿った火を私達は信じられた。
私達は最後の最後まであの子の笑顔を見られなかった。
けれども、心配はしていない。
どんな悲しみの最中にも陽は昇るのだから。
まだまだ陽は昇り続けるのだから。
あの子の前途を照らすように。

sideN(now)

新聞の一面に廃病院の消失現象が大きく取り上げられていた。巨大なクレーターが突如として現れたという信じられない報道を多くの記者やレポーターは興奮気味に画面に向かって捲し立てている。そんな映像を尻目にラニとカウルはいつもの如くアイスをパクついていた。
「カウル。本当に大丈夫なの?」
「心配症過ぎ。大丈夫大丈夫。それよりラニ。お前の方がオレには心配なくらいなんだって」
いつものアイスクリーム店の店内。二人は上部に備え付けられている大型のモニターに釘付けな他の客とは違い、互いの心配をしては大丈夫大丈夫と言い合っていた。
「でも・・・」
「一応、あの人に魔導で精密検査してもらって大丈夫ってお墨付きは出てんだし。もうお互い言いっこなしで」
「わかったわよ・・・・」
不安げなラニの頭をクシャクシャとカウルが撫でる。
「ほら、オレが良い子良い子してやる」
「・・・・まったく、カウルは・・・昨日あんな事があったんだから今日くらい安静にしてよ」
いつもならばすかさず飛んでくる殺人的な視線も飛んでこないという異常事態。カウルは自分がどれだけ目の前の親友に心配を掛けたのかと胸が少し切なくなり、そっとラニの手を掴むと自分の胸の上当てた。
「カ、カウル!? ちょ、何を・・」
「心臓動いてるか?」
いつもとは打って変わって優しげな視線でカウルがラニに訊いた。
「は、う、動いてるに決まってるでしょッ」
「なら、生きてるよなオレ?」
「あ、当たり前でしょ!」
「それなら問題ない。これでオレは幽霊じゃないって証明されたわけだ」
「ッ・・・・カウル」
ラニが顔を僅かに歪めて俯いた。
「お前言ってたよな? 魂なんてのは現象を構成する一部品に過ぎない。それだけで本人には違いないけど、それだけが本人じゃないって。オレも同意見だ。オレはオレを構成する一部品なんだ。お前が傍にいなきゃ、オレをオレだと認めてくれなきゃジャック・カウル・ハモンドは成り立たない。オレをお前が認めてくれる限りオレは此処にいる」
「何よ。それ・・・・」
「行ってみただけだ。ノリで」
悪餓鬼の笑みでカウルが唇の端を吊り上げる。
ラニがまるで気が抜けたように笑った。
「それじゃ、私がカウルの事を認めなかったらいったいぜんたい此処に居るのは誰になるの?」
「名無しの幽霊さんだ」
「じゃ、名無しの幽霊さん。今日のお勘定は幽霊さん持ちって事でいい?」
「む・・・・ま、たまにはいいか。んな日があっても」
二人はどちらからともなくクスクスと笑った。
その仲睦まじい微笑ましい光景を見ながらハイレンがボソリと喋った。
「・・・・そういう趣味があったのか。今時の学生とは難儀だな」
「「?!」」
ビクリと二人が慌てて互いに近かった体を離した。
二人が同時に振り返るとハイレンがコーンの上にトリプルを乗せた三段重ねのアイスクリームを持ちつつ二人の座席の横へ座り込むところだった。
「自分の胸に堂々と手を当てさせるのはさすがに乙女としてどうかと妾は思う」
今にも羞恥心全開で死にそうなカウルが顔を真赤にしつつ、その自分よりも小さな少女に怒鳴ろうとして、グッと声を喉の奥に落として自制した。
「よ、よお。昨日は・・・・・アリガトウゴザイマシタ」
内心の複雑な心情を表すように棒読みとなったカウルが自身の感情を制して頭を下げた。
「礼儀が身に付くとは妾も助けた甲斐があったな」
ペロペロとコーン片手にアイスを舐めながらハイレンがニヤリとした。
その笑みに瞬間的に切れそうになったカウルだったがラニの肘が脇腹に入り、我を取り戻して黙り込む。
ラニが真剣な顔でハイレンに切り出した。
「それで・・・何か用があって来たんでしょ」
「ん、何がだ?」
ハイレンがきょとんとして訊く。
「欠片が欲しいならまだあの人に差し出してない欠片が幾つかあるから、持って行ってもらって構わない。もし魔法少女を止めろというなら私に関しては何も文句はない」
「な、ラニ?! お前まさか・・・」
カウルが目を見開いた。
ラニが少し罰が悪そうにカウルに笑う。
「貸し一つそう約束したから」
ラニが仕方なさそうに笑った。
その笑みに思わず眼の端から涙が出そうになり、カウルはハイレンに食ってかかった。
「おい!! 貸し一つだって言うならオレが全部受けてやる!! だから、ラニには」
「カウルッ」
「分かってるッ。でも、納得なんてできるわけないだろ・・・」
ラニの声にカウルが怒鳴る。涙声が混じりそうになってカウルは拳を握った。
「・・・・・・・・・・・・・では、一生分払ってもらおうか」
ハイレンがつまらなそうにそう口にした。
「何をだ・・・」
カウルが何を言われるのかと覚悟を決めた顔で訊く。
そんなカウルの顔にハイレンはチョイチョイと人差し指で二人の背後斜め上を指した。
「「?」」
二人が同時にその先にある物を見て疑問符を浮かべた。
「そうだな。妾が此処に来た時、妾が頼んだ分だけ、お前達に払ってもらうとしよう」
そこにはアイスクリームの種類がズラリと書きこまれた値段表が貼り付けられていた。
「は?」
カウルが思いきり胡散臭げに首を傾げた。
「路銀の管理は妾の管轄ではない。それなりの額を貰ってはいるが魔導の触媒にほぼ消える。こうやって幾らか浮いた金で甘味を堪能するのも一苦労。そういう事だ」
「「・・・・・・・・・・・・・・・」」
二人が顔を見合せてどうリアクションを取ったらいいのか困り沈黙した。
「ちなみに一生というところを忘れるな」
微妙な顔でカウルがハイレンに訊く。
「それでいいのか」
「ああ、それでいい」
「どうしてだ」
「金に困るあり様だからだ」
「何言い出しても今のオレは受け入れるかもしれないのにか?」
「そこまでする必要が無い。そこまでして妾に何かしらのメリットがあるわけでもない。お前達に恨まれるような事をしてまで何か強要するのは妾の流儀でもない。それだけだ」
「・・・・お前って、もしかして・・・・良い奴?」
カウルの言葉にハイレンが少し赤くなった。
「ハイレン・ハージェット・テトス」
どこか敬意を含んだ声でラニがハイレンの名を呼び頭を下げた。
「本当に・・・感謝します・・・・」
「――そういう事は言葉にせず心の中だけにしておくものだ」
ハイレンは二人から赤くなった顔を隠すように背け、その場から逃げだすように歩き去った。

sideEX(Extra)

「そろそろかしらね・・・・」
仮面の女がグラスを呷る。
薄い乳白色の液体は瞬く間に消える。
仮面に覆われた口で手品のように幾つもカクテルを空にしていく女は少しだけ憂鬱そうに呟いた。
仮面がまるで泣き顔のように変わっている。
カクテルの入ったグラスが並ぶカウンターの前で一人、仮面の女は不貞腐れるように指先でグラスを弾いた。

sideN(now)

大陸フォルにおいての建築物の歴史はある境を経て劇的に変わったと言われている。
構想建築様式。
そう呼ばれる様式が流行り出したのは七聖女フルー・バレッサによる現代建築技術の基礎が築かれてからの話であり、それまでの大陸では建材や建築技術はまったくと言っていい程に進んではいなかった。建材の面だけで言うならば、比較的建築技術が進んでいる国でもレンガ、その下位には土塀や木造などが多く、コンクリートなどの現代建築に欠かせない建材など有りはしなかった。
事情が一変したのは魔王との最後の戦争の後、大陸の治世が安定し始めた頃、戦時中に開発された数多くの技術が民間に出回るようになってからであり、その基礎を提供したのがフルー・バレッサだった。
あらゆる戦場において集積された風土特性に合わせた軍事要塞建築のノウハウは大陸の住宅事情、建築事情を著しく変化させ、その材質や技術の発展は今も続いている。
より大きく、より堅牢に、より使い易く、より安価に、より住み易い建築物を。
あの戦前の暗黒時代から脱却を。
そんな誰が言ったかも定かではない大義名分により大陸各地では都市の構築に際し巨大な構造物を都市中心部に据える事が多い。
『ウルゲイム』もその例に漏れず、新しい新市街の中心として巨大な地下構造を持つ商業施設の建造をすでに終わらせようとしていた。
地下二十七層を築く大規模地下商業施設【ルーデンスワールド】。
その『遊行者』の名を冠する巨大ショッピングモールの闇に濃密な瘴気が漂い始めていた。
緩々と滞留する霧。
剥きだしのコンクリートが一面を覆い尽くす巨大なフロア群。
幾層もフロアを貫き、吹き抜けとなっているシャフトの下から霧と瘴気が濃度を上げて昇っていく。
シャフトの最下層は見えず、その黒さを孕む霧が強く気配のようなものを発していた。
午前零時から十五分三十七秒後。
施設内の機能の六割が停止した。

病院の一件から二日が過ぎていた。
二人は溜息を吐きたい気分に襲われながら、全て確認できない広大なマップを見つめていた。
「やっこさん。どっかのRPGよろしく最下層とかか」
「その可能性が極めて高いと思う」
カウルとラニは時折感じられる影の気配が地下の深い場所に潜んでいるのをほぼ確信していた。完璧に暗闇に閉ざされた施設内。暗視系の魔導で巨大な案内掲示板の一角を確認したラニが小さく舌打ちする。
「どうかしたのか?」
相棒であるラニの様子にカウルが怪訝そうに問う。
「広過ぎるだけなら何とでもやりようがあるけど、これは想定外よ」
「何?」
「コレよ」
ラニが全二十七層に及ぶ巨大な地下を表す掛け軸状のマップの一点を指す。それは層と層の間に書かれた一行の文字列だった
「【各壁面、各階層毎に軍事用の建材を使用した安心設計になっております】・・・おい、これって」
読み上げた内容にカウルがラニの言わんとしている事を悟った。
「さっき幾つか独立した電源を見つけたけど、全部内部環境の保全に使われてる。今通路として使えるのは私達が使った造り欠けの上部進入路から地下一階までの部分だけ。建設途中って言っても内部はほぼ完全に基礎が終わってる。夜は内部隔壁が下りてる状態で朝になったら開けるみたいだから、下に行くには幾つかの壁をブチ壊さないといけない。でも、そんな事してたらこっちの位置を教えてるようなものだし、そもそも時間も掛り過ぎる」
「で、我らの智将はどういう解決策を取るんだ?」
「コレ」
ラニがマップの上端を指した。
「ああ、あそこか」
カウルがその部分を見て納得したように頷いた。新入した造り欠けの二階部分の中心に広くブルーシートが被せられていたのをカウルは見ていた。
「採光用の天井はほぼこのルーデンスワールドの中心。その下のシャフトにはこの地上部分から取り込んだ光を特殊な建材を通して最深部まで届ける機能がある。地下への最短ルート上に何か仕掛けられてる可能性はあるけど、これがたぶん最善よ」
「でも、警報とか大丈夫なのか?」
「さっき電源を確認するついでにここの管理システムにアクセスしてみたけど、センサー類のほぼ九割がた沈黙してる。よっぽど大規模にやり合わない限り気付かれないわよ」
「なら、決まりだ。後方支援頼むぜ」
カウルがパシンとラニの肩を叩いた。
「カウル・・・この大規模な施設の何を影が模倣しているか解らない以上、油断は禁物よ。この頃の影は強くなってきてる・・・・この間みたいな事があったら私には助けられないかもしれない。十分気を付けて」
ラニの不安そうな顔にカウルが照れくさそうに笑った。
「心配してくれてありがとな」
「カウル・・・・」
「ラニ。絶対勝って一緒に帰るぞ」
「ええ」
二人は数分で屋上へ上り、そのまだ骨組だけでブルーシートが被せられているだけの天井から闇の只中へと意を決してダイブした。

sideE(enemy)

【――――――――――――――――――――――――――――】
闇の底。
二つの感情が押し寄せてくるのを感じて、ソレは形を取り始める。
近づいてくる度に集積されていく二つの情報からソレは姿を選択する。
その姿になってしまったからには模倣した物が無ければ存在できなくなる。
しかし、ソレは思考とも呼べぬ本能で知っていた。
それが最善の策であると。
ソレがゆっくりと歩き出す。
作業連絡用のスピーカーがソレが歩き出すと同時に音を吐き出し始める。
流れるようなハイテンポで人の胸に訴えかけてくる調べ。
まるで映画か何かのエンディング。
調べに乗ってソレの足が速まる。
やがて、完全に音色と同調した足音は駆け足となって、シャフト最下層中心部。未だ水を吐き出していない噴水の中央まで行くと消えた。
濃密な霧を振り払うように地上へソレは飛翔していた。

sideN(now)

落下し始めてすぐラニが声を上げた。
「カウルッ、気を付けて!」
ラニの警戒した声に混じる音にカウルが目を細めた。
「何だ? 音楽・・・・」
周囲から聞こえ始める音色にカウルが警戒した時だった。
「前方三百!!」
ラニが探知したらしき気配がカウルにもすぐ分かった。
「何だ・・・このプレッシャー。ラニッ、減速!」
ラニがカウルの声よりも先に掴んでいた枝を振る。
カウルとラニの落下速度が急激に落ちた。
急速に近づきつつあった気配との接触に数秒の時間が開く。
身を竦めそうになったカウルがその気配を払うように腰の枝を掴み前方に振った。
二人の背後に光の円環が奔る。
「魔力収束開始。領域確定。領域内環境構築。いくぞッ」
描き上がった魔導方陣が瞬時にシャフト内部の光度を上げた。

式は魔力駆動系、法則干渉系の二種。
『意匠』は『世を囲む蛇』(ヨルムガンド)
形は『高貴なる牢』

『絶えなき果てに続く者』
    ×
『羽根なきその身を呪う者』
    ×
『地揺るがせし大蛇』

数秒で全ての詠唱を終える高等詠唱術が三詩を同時に口から吐き出させる。
言霊が魔力を誘い、意匠が真言に反応して魔導法則へと干渉、カウルの持つ枝を起点に『振る』所作が魔導の発動領域を確定した。
「『交蛇奉呈陣』(クロスナーガ)」
カウルの声と共に二人の背後に展開されていた魔導方陣の円周に描きこまれていた蛇が唸りを上げた。
円環が円柱状のシャフト内部へと無数に自らを増やしながら下りていく。
その円環と円環の間が完全に半透明の光の壁で遮られ、シャフト内部は地下から地上までを完全に閉じ込める光の檻となった。
檻の周囲には大蛇の文様が浮かび上がり絶えず移動しながら螺旋を描き始める。
それは檻を破らんとする者に喰らいつく蛇。檻を無理やりに破れば、その者はダメージを受けて力を削がれる。
時間稼ぎと同時に相手を捕獲しつつ巨大な魔力塊である蛇でダメージを蓄積させる。
四重のアドバンテージ。
「これで」
バギャアアアアアアアアアアア。
相手がこれで移動を躊躇すると思っていたカウルの目論見は外れた。
硝子を掻き削るような音と共に二人の前方に展開されていた数枚の光の壁が割れた。
「――おいおい。どんなバケモンだ・・・」
カウルがラニに目配せする。
ラニが心得えたようにカウルの背後に移動し、接近戦に備えて複数の魔導の準備に掛った。
カウルの同様に次の一手をいつでも発動できるよう魔力を収束させ始める。
「カウンターⅡ番からⅥ番。零距離(ディスタンスゼロ)にて解放!」
カウルの背後に五つの魔導方陣が浮かび上がる。
それぞれが原理を異に、法則を異に、色を異にする力。
五つの魔導がそれぞれを結び、五望星(ペンタゴン)を形成する。
二人が完全に準備を整え終わるのと同時、二人の目の前の光の壁が割れそうになる。壁を割って出てくるはずの存在が二人に視認出来るより早く、五つの魔導から放たれた魔力によって爆発した。
二人の至近で起きた爆発がラニの魔導によって封じ込められ、前方へと収束、影本体は姿すら見せずにシャフト最下層へ魔力の本流に呑まれながら光の壁を割り落ちていった。
近距離での魔導によるカウンターアタック。
同時に五つ以上の特性を持たされた純粋魔力攻撃。耐えきれるはずもないとカウルが密に用意していた切り札の一つだった。
相手に対抗措置を取らせないほぼゼロ距離での発動というのも功を奏している。
敵を弱らせ、移動力を奪い、時間を稼ぎつつ、更には相手の知覚を『交蛇奉呈陣』の要である魔力塊の蛇によって誤魔化す事で特大の魔導が発動するのを相手に察知させない。
カウルは更なる敵を警戒しながら慎重にシャフトを降下していった。
ラニがカウルの背後で探査の魔導を展開しつつ援護する。
やがてシャフトの最下層が見えてくる。
光の壁が十分な明度を確保していた。
二人は相手の影を視認する。
底はコンクリートとも言えない溶けた溶鉱炉さながらの灼熱地獄となっていた。
ブクブクと沸騰する其処で影がゆっくりとその身を起こす。
「――おいおい。他人のモノマネはゴールデンの芸人だけで十分だって・・・・」
カウルが虫を噛み潰したような顔で「ルール・オブ・ジャベリン」と呟き、槍を展開した。
影を構成する魔力の中和、集積魔力の分解、分子構造の破壊、敵魔力の再構成阻害、敵魔力への融合による飽和。つまり、影は本当なら自らを構成する魔力を減らされ、拡散させられ、物質的にも破壊され、回復を封じられ、無理やりに捻じ込まれた自らに適合しない魔力で内部から爆砕させられている・・・・・はずの状態。
「・・・・・・・・・・・・・」
ラニが焦りを隠すように拳を握った。
戦闘補助系の魔導を起動直前の状態でスタンバイさせていく。
―――――――――――――――。
ユラリと影がその全身を曝すように両手を広げた。
その姿。
ドレスは多少アレンジが加えられているが基本的にフリルが多くそのシルエットを先鋭的にしていた。
杖はまるで夜を込めたような黒で禍々しくネジくれていた。
顔だけがただ安らかとすら見える微笑みで・・・・・ラニはその怖気が奔る背筋に力を入れた。
黒いラニ・ルクス・マキアが灼熱地獄の中、微笑み腕をカウルに向け―――。
ジャック・カウル・ハモンドは何一つ理解せぬまま、四肢と胸を後ろのラニの魔導に貫かれた。
「あ?」
「――――――」

sideEX(Extra)

―――――――――――――――――――――――ああ。
母さん。
父さん。
【――――――――――――――――――――――ッッッッッッッ!!!! 制御ッッッッ復帰ッ復帰復帰復帰復帰復帰復帰復帰復帰復帰きいいいいいいいいいいいいいいいッッッッ、お願い復帰してえええええええええええええッッッ、あッ、ぐッ、イギイイイイイイイイイイイイイイイイッッッ、イウィギイイイイイイイイイイイイイイイイイッ、ガッッッッ、か、カウル、カウルカウル、カ・・あ・・ウルあ――カウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルッッッッ――――カウルッッッ】
オレはちゃんとやっていけてる。
【カウルッッッッ、カウルッッッ!? ダメ!! 意識を落とさないで?! 今、助けるからッッッ?!】
一人でも生きていけてる。
【防護魔導十八番まで完全開放!! 内臓器官保護! 血液循環確保! ショックッッ】
貴方達がオレを変えてくれたから、オレは今楽しくやれてる。
【ダメ!? 逝かないで!! お願いカウル!!!】
幾ら感謝してもこのオレの気持ちはきっと尽きる事はない。
【絶対ッッ、絶対助けてみせるから!!!】
貴方達と出会って、貴方達の娘に為れて、オレは今そのおかげで幸せになれた。
【ッッ?! もう防壁七層までッ、修復!?】
オレが一人じゃないと気付かせてくれた貴方達がもういないんだとしても、それは変わらない。
【カウルッッ!! カウルッッ!!】
最初に出会った時からオレを温かく迎えてくれた。
【何なのよ!! アンタ何なのよぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!?】
家族としてオレを大事にしてくれた。
【やっと見つけたのッッ!! 私のッ、私だけのッ、誰にも奪わせなんてしないんだからああああああああああッッッ!!】
本当はとても嬉しかったのにオレは貴方達に反抗してばかりだった。
【もうカウルだけなのッ!! 私が此処に居たい理由はッッ】
何も信じられなくなっていたオレに貴方達は言ってくれた。
【私なんでしょ? 私をコピーしたんでしょ? なら、分かるでしょッ!?】
「それでもまだ陽は昇る」と。
【ずっと一人だった!! ずっとずっと!!】
泣いてばかりいたオレの心を諭すでもなく説くわけでもなく、ただありのまま、オレの心を解き明かしてくれた。
【勝手に創ってッ、勝手に死んで、放り出して!!】
どうしてオレがあんな気持ちだったのか、どうしてオレがあんなにも泣いていたのか。
【もうどれだけ彷徨ったのか覚えてないのよッッ】
オレはその時初めて知った。
【誰の傍にも留まれなくてッ】
オレはオレを置いて流れていく何もかもが許せなかった。
【悔しくて悲しくてッッ】
オレは一人置いていかれたのに、どうしてオレだけが止まったままなのか。
【全部置きざりにするしかなくてッッ】
その答えを貴方達がオレにくれた。
【誰もが最後には消えていってッッ】
決して陽が昇らない事はない。
【カウルは私が見つけた『たった一人』なのッッ、誰もいなくなった私に、もう全部諦めてた私に】
そんな綺麗事など貴方達は言わなかった。
【また友達を作ろうと思わせてくれたの!! 一緒に歩んでいきたいと思わせてくれたの!!】
ありのままの答。ありのままのオレ。
【あぐぅううう?! がッ?!】
それを貴方達はただ家族として教えてくれた。
【もしも、もしも私からカウルを取り上げようと言うのなら、私は、私すら捨てていい!】 
オレは今もその言葉を忘れない。
【システムの防壁が破られるまでもってよ・・・私の体・・・】
貴方達が死んでも、それでもまだ陽は昇る。
【ごめ、ん・・ね。カウル・・・・・物の癖に、人のフリな、んかしてたから罰が、当ったみたい】
受け入れられなくて、受け止めきれなくて、捨てられた日と同じように一人になって、それでもまだ陽は昇る。
【でも、カウルだけは助けてみせるから】
一人でしかないオレが、アイツに出会って、二人になる事ができたのは貴方達のおかげだ。
【絶対死なせたりしないからッ!!】
ありのままを感じ、思い、泣かずに、この気持ちを噛みしめられるようになったおかげだ。
【だから、もしまた生きて会えたら・・・・友達でい・・て、ね】
だから、オレはこの人生(みち)を恨まずにしぶとく生きていけてる。
【約。束。よ】
だから、沢山の贈り物を受け取ったオレは貴方達に今こそ恩を返したい。
【さ、あ、相、手をして。あげる。私の、影さん。私を殺し、たい。んでしょ?】 
貴方達が授かるはずだった者の代わりとして、オレは生き抜いていく。
【私はずっ。と私。を殺したかった。ずっとずっと。生きてなん。かいたくなかった】
一人になっても生きていけるようにと付けてくれた男の名。
【なの、に今更・・生きたい、なんて・・・】
ジャック・カウル・ハモンド。
【ふふ・・・ホントにお笑。い】
この名を抱いて、アイツと二人で、貴方達が思うよりも幸せになってみせる。
【でも、悪く、ない。だって、一番大切な人を、助け、て死ねるなんて、最高、じゃない?】
母さん。
【愚、かな影よ。刻、みなさい。私の名を、私、の真実、の名を】
父さん。
【私の名は『姫の輝きし物語』(ラニ・ルクス・マキア)・・・永遠を生、きる道化。西部最高の細工師に彫られた最後の一体。もはや心は朽ち、果てて、力の使い方すら忘れた愚か、な人形】
――――――――――――――ラニ?
【この身を盾に・・・この手を剣に・・・この心を捧げるならば・・・この思い――偽りに非ず】
ラニ・・・・?
【う、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ】

三十秒後、シャフトの途中の階に落下してきたラニ・ルクス・マキアの『残骸』を、白銀の液体に濡れる壊れた体を、四肢を失ったジャック・カウル・ハモンドはその芋虫のような体で精一杯に抱きしめた。
「・・・・・・・」
一人の女が全てを見つめていた。
仮面の女が消えゆく影から欠片を掴み出し降下していった。

―――何も感じられない世界で、抱きしめられた残骸は夢を見る。
いつものように在った昨日を―――。

sideM(memory)

夜。
ラニ・ルクス・マキアにとっての一日が始まる。
誰も居ない、家族など居た例はない家。
郊外の端、ポツリと置かれた一戸建て。
其処が一人身のラニにとっての『居住地』だった。
夜の虹。
月の光で掛る虹。
そんな巨大な絵画が一つきりの部屋。
空気が凍えるような冷たさで満たされた部屋。
磨り減った靴を履き立ったまま、ラニは短い眠りから目覚める。
魔導による体内調整と細胞の活動休止を行えるラニにとって寝所は体を休める場所ではない。常に覚醒状態を維持できる為、眠る事が根本的には必要なく、その眠りはあくまでも肉体の損傷を代謝で復元する時間に過ぎない。肉体の活動を支える栄養さえ補給してやれば数日は活動限界は来ない。その為、数日間連続で活動する事もラニには不可能ではない。
「・・・・・・・・」
足元に置かれたミネラルウォーターと紙袋の中のジャンクフード。
それが目を開けたラニにとっての食事だった。
人間らしい食事の真似ごとなど本来ラニには必要ない。別に栄養さえあるならば点滴だろうと乾パンだろうと雑草だろうと蟲だろうとラニの肉体はまったく問題なく吸収できる。
食事を終えれば、ラニには次の『作業』が待っている。
身嗜みを整える為にクローゼットを開けなければならない。
同じ制服。
同じソックス。
同じヘアピン。
同じ化粧道具。
同じ物だけが並べられているクローゼット。
それはラニ・ルクス・マキアを構成する小道具だ。
寸分狂い無い同じ姿を維持していく為の小道具だ。
昨日と同じ手順で、昨日と変わらぬ最小限で最大の効率で、移動し、行動する。
手は同じ角度で、足は同じ足運びで、無駄などなく、全てを身に付ける。
ラニ・ルクス・マキアが『完成』したらラニは鏡を見る。
その姿に狂いが生じていれば正し、一切の妥協はない。
そうやって初めてラニはラニという『者』になる。
魔導が上手くてカウル・ジャック・ハモンドの親友で今は厄介事を抱えている『人間』になる。
ラニの思考は何も変わらない。しかし、ラニという『作業』ではない存在が、ラニを形作れば始まる。
その途端に思い起こされる感情は人間らしい感情に溢れていてラニは笑みを浮かべる。
自らの在り様を自嘲するように。
まるで人間のようだと自嘲するように。
ラニ・ルクス・マキアは人間ではない。
ラニ・ルクス・マキアは人間のフリが上手い。
そういう存在だ。
特異な生い立ちに特異な肉体。
決して人ではない。しかし、ラニ・ルクス・マキアはカウルの友達だ。
一人の時間を過ごしてきたラニにとって、カウルとの、人としての日々は、掛け替えのない日常だ。
仮面の女との出会いが想定外の苦難となっても、その日常は壊れていない。
きっとラニの正体を知っているのだろう仮面の女にしてもカウルとの日常を壊そうとはしていない。
ラニにとって仮面の女が叶えてくれた願いはとても重要な事だ。
仮面の女に叶えてもらう願いはラニもカウルも互いに秘密としているが、ラニのそれは誰にも知られたくない類の願いだ。いつも親友の傍に佇んでいられるだけで幸運この上ない。それなのに、それ以上を望むなど本来あってはならない。仮面の女が来なければ、先送りにしていたその願いはきっと様々な障害に阻まれ、いつか・・・ラニ・ルクス・マキアを絶望の淵に立たせていた。でも、そうは為らなかった。だから、ラニは決して今の自分達を取り巻く状況を悪いとは思わない。
カウルに知られてしまえば全て壊れてしまうかもしれない願いをしてしまった。
それでもラニは全てを隠して今を望む。
「カウル・・・・」
雲に遮られて何も見えない夜。
「カウル・・・・」
呟く親友の名は甘く、ラニは抑えきれない感情を押しこめる。
誰も居ない部屋の中。
夜の虹が掛る部屋の中。
呟いては胸にその名を温める
カウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウルカウル―――。
ラニは堪え切れなくなって天井を見上げる。
その名の主が微笑み返してくる。
沢山の思い出が蘇ってくる。
自分の記憶から魔導で写し取ったモノ。
昨日の顔。二日前の困り顔。三日前の怒り顔。四日前の笑い顔。その前もその前もその前もその前も。
全ての顔を覚えている。
しかし、足りない。
それだけでは足りない。
形にして目に見える場所に置いておきたかった。
だから、天井には無数のカウルが貼り付けてある。
ラニ・ルクス・マキアが知りうる限りのジャック・カウル・ハモンドがいる。
「カウル・・・・・」
ラニはそっと掌に握っていた一枚の何も映っていない写真を放り上げる。
それは吸い込まれるように天井に張り付き、色も露わに顔を映し出して無数のカウルの一枚となった。
(カウル・・・私だけの・・・・永遠に・・・ずっと私の傍に・・・・)
願いは叶った。
共に秘密を分け合い、共に破滅する道を踏み合い、決して終わらない為の魔法を手にしている。
ジャック・カウル・ハモンドはラニ・ルクス・マキアの決して別たれる事ない親友で―――永遠に生きる。
それがラニ・ルクス・マキアの望んだ願い。
決して知られていけない希。
「カウル・・・ずっと一緒だから・・・」
独占欲など生温い。
病気等とは呼ばせない。
愛というには激し過ぎる。
それが・・・・・・・終われない命として生を受けたラニ・ルクス・マキアの願いだった。

sideM(memory)

そこは小さな一軒家。
溜まる埃が微かに舞う自分が在るべき場所。
机と椅子、そして写真立てが在るだけの部屋。
部屋の隅で一人眠る。
昔はベッドで眠っていたこともある。
しかし、そんな期間は長くなかった。
捨てられる子犬が大事にされるわけもなく。
カウルにとっての幼き日の寝どこは毛布一枚の床だった。
捨てられ、施設に拾われた時、初めて眠った沈みこむ寝どこは怖くて怖くて仕方なかった。
まるで何処までも奈落に落ちていきそうな錯覚。
眠れるのは結局固い床か部屋の隅。
治りもしない自分の性を嗤った事は数知れなかった。
如何なる人間にもそうそう敬意は覚えない。
たった一度だけ幼い時に与えられた味を未だ忘れられない。
どんな場所でもどんな状況でも眠れる。
学ぶ事だけが重要で、誰かに教えを乞う事などない。
自分が壊れていると自覚したのはいつの日だったかカウルにも解らない。
気付いた時にはもうそうなっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
そうして、たった一人今日も部屋の隅で眠る。
明日の事を考えながら。
気難しい自分に出来た・・・たった一人の友の事を考えながら。
明日は何処で何をしようかと。
着替えと湯浴み以外にする事などなく考える時間だけは余りあるから。
「・・・・・・・・・・・・ラニ・・・」
呟きは祈り。
握った拳を冷たい胸を熱くさせる言葉。
まるで魔法のような名。
いつもいつも握りしめ白くなる手を包んでくれる人の名。
この世の中でたった三人。
自分が感謝する一人。
「・・・・・・・・・・・・ラニ・・・」
弾けるような喜びを学んだ。
共に食事をすればするだけ内側から言葉が溢れて来る。
何もしなくてもいい。
ただ傍にいてくれるだけで言葉にできないものが胸から零れる。
「ラニ・・・・」
覚えている。
今もはっきりと覚えている。
これで泣くのは最後にしようと学校の屋上で泣いていた。
二人の家族がいなくなって、それでも心配などさせられないと学校に出ていた日。
やり場のない怒りをコンクリートにぶつけていた。
背後から近づいてくる気配に振り向いて、血だらけの拳もそのままだった。
この姿を見て逃げていけばいいと、暗い思いでいた。
それなのに・・・・・ラニ・ルクス・マキアは血だらけの拳を見て、何も言わずハンカチを巻いてくれた。
保健室に行こうとも手を治療しようとも言わずに黙って。
やがて、バツが悪くなった自分から話しかけようとして初めてラニは口を開いた。
『馬鹿でしょ?』
反論する気にすらならなかった。
『でも、そういうの嫌いじゃない』
笑顔が綺麗だった。
たったそれだけの事。
何故か次の日から声を掛けられるようになった。
それはどうしてだっただろう。
同情か、憐憫か、それとも友達が欲しかっただけか。
泣き虫な自分、弱い自分を隠して生きていくはずの人生設計は脆くも崩れ去った。
片や無愛想な天才。
片や無愛想な秀才。
人を遠ざけていたはずの馬鹿が二人となった時、世界は、自分は、彼女は、変わり始めていた。
「ラニ・・・・・・・」
手を繋いで歩いていきたい。
やがて、終わりが来る時まで。
そう思っていた。
それなのに、今はもう・・・・・・・・・・・・・。
「オレは・・・・・」

―――夢も消え果て、仮面が一つ、残骸達の上に落ちた―――。

淡く消えていく意思、身を削った少女達の成れの果てが床に横たわっていた。
それを見つめながら仮面の女は安酒の瓶を呷って捨てた。
落ちた瓶が遥か底で割れる。
女は言うべき事など何もないとばかりに月を仰ぐ。
少女達に女は一言だけ送る。
「ごくろうさま」
仮面の女はそっと二つの残骸へと手を伸ばした。

sideEX(Extra)

帰り道、久し振りに歌った二人は気の良い仲間達の傍で熱い吐息を吐き出していた。
カラオケ店の一室。テーブルの上には菓子が山積みになっていて、男子の目がないからかゲラゲラと品の無い笑いや囃子立てる声、タンバリンの音が響いていた。
二人にとって大勢の席に顔を出す事自体久しぶりという状況。
いつの間にか歌が上手くなっている者、曲の趣味がガラリと変わった者、そういった変化が二人には新鮮に思えた。
長らく遠ざかっていたモノに触れて二人は少しだけ顔を見合わせる。
【あいつあんなに歌上手かったか?】
【どうだったかしら】
辺りの騒がしさとは裏腹に二人の胸の内には穏やかな色が広がっていた。
二人は同時に強く何かが足りないという飢餓感を内心で覚え、首を傾げた。
身に覚えのない感情。
【なぁ、何か足りなくないか?】
【ドリンク追加するなら頼むけど】
席を隣同士に移した二人は自分達の思いに判然としない違和感を感じた。
しかし、その違和感すら熱気に浮かされたかのような場の雰囲気に流されていく。
【歌うか?】
【デュエットなら】
二人は互いに目配せする。
何かが足りなかった。
しかし、二人にはそれが何か分からない。
ただ、二人にとってそれはどうでもいい事なのかもしれなかった。
二人は同時に思っていた。
目の前にいる人が傍にいる限り、きっと違和感も飢餓感も失せていくモノに過ぎないだろうと。
【相棒、曲のチョイスは任せた】
【ガッテン承知、とでも言えば満足?】
端末に番号が入力されていく。
それは二人が入れたものではなく、二人の周りが入れた一曲。
【何か随分と久しぶりに歌う気がするな】
【感が鈍ったなら別のにしとく?】
やり取りの言葉に二人が同時に噴き出した。
【いや、オレ達の息が合わないなんてのは天変地異が起きてもありえないだろ】
【私もそう・・・・絶対大丈夫としか思えない・・・どうしてかしら?】
何処か恥ずかしそうに彼女は答える。
【オレとお前が親友だからじゃねーか?】
彼女と瞳を結んだ彼女は首を振った。
【どうかしら? 親友だって合わない時は合わないでしょ】
イントロが流れ始める。
彼女達はそっと手を繋いだ。
【なぁ】
【何?】
もう歌い出しまで時間が無いにも関わらず彼女は呟く。
【あのチビッ子に奢ってやればよかったな】
【名前も知らないチビッ子に奢れるような身分だったの?】
僅かな逡巡。
【何か友達を無くしたみたいな顔だったからさ】
【なら、今度会ったら友達になればいいじゃない】
仲間達の冷やかしのナレーションが入る。
愛に生くる白百合の、甘き思い出胸に秘め、花に睦むはただ二人。
【そう、だな。その時は一緒に友達になってくれ】
それでは歌って頂きましょう!! 曲名は―――。
【当たり前でしょ。だって貴女と私は・・・これからもずっと『一緒』なんだから】
その数分後、大きな歓声がカラオケ店の一室から上がり、店員に全員が怒られた。

sideE(enemy)

誰もいない夜気の中。
一人の少女は空を舞う。
巨大な都市のビル郡を跳び超え道を、いや、空を急ぐ。
何かが変わってしまった一日を見過ごした。
その事実に少女は胸を焼き焦がす。
失ってはならないものを失わせてしまった事が少女の心を自責の念で溢れさせる。
まるでいつものように行ったアイスクリーム店で起きた事態。
少女と少女達の約束は反故にされた。
『約束通り奢ってもらおうか?』
『お前、誰だ?』
『この間、約束しただろう』
『その子知り合い?』
『妾をからかっているのか?』
『お前なぁ、人に奢らせようとしてその態度はないっつーか。ママはどうした?』
『お前達は・・・・』
『とりあえず買ってあげたら? 人助けは世の為自分の為って言うでしょ?』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
『あ、おい。呼び出しの放送ぐらいはしてやる』
『どうしたの?』
『喧嘩を売りに行く』
『どっかのヤーさんに喧嘩売りに行きそうな勢いだな。このお姉さんに頼ってみるのはどうだ?』
『・・・・・止めておこう。これは妾が為さねばならない事だ』
『喧嘩したら仲直りしてよ。人間そういうのが大事なんだから、ね?』
『ま、程々にしとけ』
『そうだな。忠告痛み入る――――さらばだ』
もう二度と見る事はないだろう顔に背を向けた。
どうしてそうなってしまったのか。
何故そんな事になったのか。
決まっている。
そんな事は決まっている。
疑わしき者など一人しか少女には思いつかない。
たった一人、約束を反故にさせた者の姿がハッキリと少女の脳裏に浮かんだ。
少女は跳ぶ。
歯を噛みしめ、拳を握り、肩を震わせ、心を巌の如くして。
そうしていなければ今にも八つ当たりに何か壊してしまいそうで。
「――カウル、ラニ――」
呟きだけが強く、夜気に溶けた。

sideP(past)

西部は元々が荒涼とした大地だった。
乾燥した土地には草木が疎らに生えている以外は何もなく、其処で生きる民は水を求めて周辺を放浪していた。しかし、いつの頃からか一部の者達は西部が鉱物資源の宝庫である事を発見し鉱山を掘る事に従事するようになる。あらゆる貴金属を生活必需品に変えて生活し始めた西部の民は放浪の身から各地の鉱山を渡り歩く掘り師か其処で働く工夫、又は貴金属の細工師になっていった。
水と金が等価で取引されていた時代、西部の民は多くの困難に直面した。
巨大な南部諸国からの侵略。
水の枯渇。
鉱山の衰退。
土地の不毛化。
あまりの環境に人心は腐敗していった。
それでも人々が技術を生かし、工業を支え、生き残ったのは西部の中心として栄えた一つの町が在ったから、そう歴史の年表は語る。
その町には一つの泉があり、どんなに西部の土地が衰えようとも水が湧いていたという。
まるで神に祝福されたような泉は決して途切れる事無く、やがて湖となって多くの人間の喉を潤し命を救った。
やがて、その町は街となり、都市となり、やがて一つの地域の中心として機能し始めていく。
マディセイ。
西部の中心として未だ栄える地域。
その都市の者ならば、どうして泉が今も枯れずに湧き出ているのか、誰でも知っている。
一人の女が神に自らを捧げ人柱となった。そんな一つの伝説を知っている。
神の下僕となった女は今も何処かで生きていると言われ、女を信仰する祠が今も地域に多く残っている。だが、歴史学者達はその話の信憑性に疑問の声を投げる。
神など腐る程いた世界にあって、その女が身を捧げた神が見つけられない故に。
神など最初から関係ないのかもしれず、女がいた証拠はない。
それでも女は高潔を表す白色の面となって今も祠に祭られ続けている。
セノーテ・エトゥ・フォルトゥナス。
名も無き女は、泥を啜っていたという女は、今そんな名で奉られている。
幸運の美しき湖と。

sideN(now)

遥か天空、強大な気流が流れる其処で仮面の女が佇んでいた。
その手にはグラスが一つ。
女は夜空でグラスを傾ける。
まるで何かに注ぐように、グラスからただの水が零れ落ちては消えていく。
大気に溶けていく水はやがて暗雲を呼び、雨脚も速く地面を濡らしていく。
やがて、何もかもが暗雲に呑まれ見えなくなって、女はグラスを雲に落とした。
懐かしさ。
そう呼んで差支えないものが仮面の女の胸中を騒がせる。
どうしてこんな事をしたのか、女自身にもよく解らなかった。
これから起こる事を誰にも見られたくなかったかと言われれば女は別にそう言い切れない。
(結局、私は・・・・・・・・私は最後に良い事でもしておきたかったのかしら?)
もはや、水に困る世界情勢ではない昨今、雨などただの自然現象に過ぎず、人の畏敬など集まらない。
女は思いを振り切るように首を静かに横へ振った。
仮面を片手でなぞり、女は自らの懐に手を入れる。
「ホント・・・ダメね」
自嘲する声はやがて消え去り、女は無言でソレを取り出す。
歪な仮面。
小さな白い欠片を集め固めた仮面。
そのどこかおぞましい造形に不安を覚えない者はいないに違いない。
それから女はそっと手を離した。
仮面は落下する事なく、浮遊すると音を立て始める。
ミチミチギチギチ。
何か肉がざわめくような、肉を擂り潰すような音。
歪な仮面がゆっくりと隙間を蠢きながら埋めていく。
不意に女は下の暗雲が変化している事に気付いた。
暗雲から黒い暴風が女の周囲へ吹き上がり渦を巻いて擦れ合う。
「これは・・・攻撃?」
女は自分を取り巻く暴風を見つめて何がこれから起こるのか大体の予想が付いた。
黒い暴風に含まれる極小さな埃のような粒、魔導で形造られたソレが互いに擦れ合う事で莫大な静電気を急激に生み出す。
通常では考えられない量の静電気を発生させているというのに魔力そのものはそれほど使われていない。あくまで少ない魔力で、尚且つ莫大な電力を生み出す事だけに特化している魔導。
明らかに攻撃性の大規模魔導に匹敵、それを上回る事象を引き起こす新たな次世代型の―――科学知識応用形式による本当の意味での現代魔導。
女がそう思考した瞬間、万雷が鳴り響いた。
極大の破裂音。
空気を割く雷が女に数千本直撃した。
まるで火薬を数十万トン同時に爆発させたような衝撃。
辺り一帯の暗雲が爆発で吹き払われ、強大な大気の流れすらも掻き消した。
「粒子は雷撃発生時に崩壊。その内部に集めていた魔力を解放して転化。雷は魔導による一瞬の磁界を発生させる事で誘導。雷撃の集中によって周辺環境を乱し脱出を困難にして対象を正確に爆砕・・・・。酷いわ。こんな致死性の魔導を打ち込むなんて死んじゃったらどうする気だったの?」
漆黒の帳が再び下りた世界の中心で女は未だ焦げ目すらなく佇んでいた。
その周辺には繊細な筆で描きこまれたかのような魔導方陣が複数強く発現していたが効果を失い消えていく。
魔導方陣の外側に浮遊していた仮面は幾千の雷撃が直撃したにもかかわらず無傷だった。表面がのたうちながら禍々しい気配を漂わせ規則正しく脈動し続けている。
「何処から来るか解らない疑似神格モドキ、アバター。全てを模倣する力、フラグメント。そして、それを集める仮面の女。気付かない方がどうかしている。お前が孵そうとしているソレを見れば一目瞭然だ。妾は最初フラグメントを利用しようとしている魔導使い、お前をそのように見ていた。だが、この世界に存在しない失われた魔導源流・・・魔法を二つも所有する魔導使い。そんな者は考えてみれば・・・この世に存在しない」
「そうかしら。今だって聖女達のように魔導源流を全て修めるような人間がいるわ」
「魔法とは元々が神々のものだ。遥か太古、人は神の魔法から人の魔術を見出した。自然、真理、神々の法。そういったモノを解析し理解し蓄積発展させ、長い年月を掛けて人は人の魔法を生み出す事ができた。あんな例外にしかならない『聖女』(モノ)がいたとしてもその本質は変わらない。人が魔法を複数扱う為には人間を止めるか別のモノになるかの二択だ。人一人の容量で魔法を同時に複数起動展開し複合障壁を張るだと? そんな荒唐無稽な荒技ができるのは聖女程の人為らざる特例か、そもそも最初からソレを所有していたはずの誰かだ」
女の仮面の口元が笑みを深くした。
「私は誰でしょう♪」
女を睨み付けるハイレンが全身に魔力を漲らせた。
「仮面が表すのは偽装された人格、多面的な心性。顔がないという事はつまり何モノでもないという事。核心はコスモスではなくケイオス。混沌にして無貌の神。それは無数に神を識るこの世界ですらたった一柱にしか許されていない性質だ」
「ふふ・・まぁ、バレバレよね」
「古跡に描かれる外なる神々は数あれど、その中で一際人の世に悪意を蔓延らせる一柱は一つ」
「うふふふふ♪」
「這い寄る混沌。いや、あるいはそれに憑かれた者の成れの果て。それがお前の正体だ」
「大・正・解♪」
女の仮面がにぃぃと描かれた口を曲げた。
「貴様の企みは此処で阻止させてもらおうか」
「そんな企みだなんて。そもそも貴女は私が何をしようとしてるのか知っているのかしらハイレンちゃん」
「自身をこの世界に降臨させる気なのだろう?」
「楽しそうな場所に来たくなるのは性、這い寄るのが好きなもので♪」
「聖女、魔王、天使、悪魔、神、この世界の誰が貴様のような害毒を受け入れるものか。貴様の降臨が阻止されるのは目に見えていた。だから、こちらに自らを分割して送り、再構成する事とした。『無貌の化身』が欠片の持ち主を襲ってくるのは欠片と同化する為、同時に欠片が降臨を望まない何者かに排除される可能性を低くする機能が何かを模倣した姿。違うか?」
「よくできました。でも、それだと五十点」
「誤算だったのは細分化した欠片が劣化していた事。唯一神以上の力をこの世界の監視者達から隠すには力は極小に細分化する必要があったはずだ。そこで思わぬ結果になった。同化を求める化身が本能だけで動く存在と化した、といったところか。制御不能となった化身は強制的に欠片に戻して回収するしかない。しかし、貴様のような特異存在が表立って回収を始めればいつか監視者達の網に掛る。だから、自分の代わりに欠片を回収してくれる誰かが必要だった」
「ん~~~七十五点。私は最初から自分で回収してるもの♪」
女が自らの仮面を一撫でした。
「『テメェ・・・・逃げろ』『この人には・・・勝てない』」
「?!」
女の仮面に二人の少女の顔が浮かんでは消えた。ハイレンはその仮面に浮かんだ苦悶する二人の顔の意味に思い至って、女を睨み付けた。
「―――記憶を抜き取って・・・・」
「いいえ、記憶を失ったと貴女が勘違いしてる二人はこの『オレはお前じゃ――』子達と『カウル。それ以上――』別人格よ。記憶を抜き取ったのでもない。そもそも此処にいるのは間違いなく私。私である以上その事に付いて誰に文句を付けられる云われも無い」
女の仮面が声の途中でラニとカウルの顔を映し出しては揺らぐ。
ハイレンは女が何を言わんとしているか察し、その意味に気付いて、驚き固まる。
「まさか・・・」
「本当に察しが良くて手間が省けるわ」
コロコロと女が笑い声を上げて、片手で自らの仮面を撫でた。
「本物は最初からあちらの方なんだから。私は採集したこの子達の人格を『クソ――オレは』使っていただけ。あの子達にこの子達を乗せてね。こんなまどろっこしい事をしたのはこの甘い世界のお約束のせいなのよ? 人が幸せにしかなれない世界。不幸の『偽物――それでも』化身が望んだ幸せを強いる世界。人を不幸にすれば、私の計画は監視者達によって発見され頓挫する。だから、私は人ではなく道具を創らなければならなかった」
「ッッ」
「私は私自身であるこの二人を使っていただけ。それに本物のあの子達に対しては代価として最初に願いを叶えてあげてる。その結果私はこの子達を手に入れたんだから等価交換ね」
「―――人の心を何だと思っている外道ッッッ!!」
ハイレンが吠える。
「そもそも神の破片である『無貌の欠片』がただの女の子に使えるわけないじゃない? 他人を模倣して自我がまだ残ってるなんてのはそもそも人と言えるのかしら。最初から貴女も解っていたはず。聖女の奇跡まで模倣するなんて人に出来る技じゃないって」
所々で声が混じり合い、三人の声がまるで溶けあうように重なった。
「貴女に『行け、テメェはまだこんなところじゃ』この子達ごと『ハイレン、さようなら』私を葬る覚悟があるの?」
仮面に浮かんだ二人の顔が仕方なさそうに笑っていた。哀しいその笑みがハイレンの腕に力を込めさせた。
「『それが――』ふふふ、あははは『私達の』こんな甘い世界の真ん中で貴女にそんな『願い』事ができる?」
ラニとカウル。
女の仮面に映った二人の少女。
たった一時とはいえ一緒に戦った仲間。
それが例え、神が生み出した幻影だとしても、ただの創り物の仮面なのだとしても、ハイレンは知っている。
二人がアイスを仲良く食べている光景を。
二人の温かさを。
ハイレンは俯き、仮面の女、無貌の神へと提案した
「・・・・・・・・無貌にして混沌の神よ」
「なあに。可愛いお嬢さん?」
「その二人を解放し、素直に元居た世界へと帰るなら妾はお前を見逃そう」
「それってどんな脅迫? そもそもコレは私自身の一つ。私の高度な演技とも言える。私とこの二人は元々同じものだっていう事くらい理解してないの?」
ニヤニヤと仮面の口元が曲がった。
ハイレンの籠手が瞬時に盾のように肥大化し桜色へと染まった。ハイレンの背後に数人の人型の光が現れ、輝く翅へと変化していく。
「この私に勝てるとか思っちゃったなら大間違いよ。だって、もう私は私を創り孵す事ができるもの!!」
無貌の神はその虚空に胎動していた白い仮面を掴み取り、自らの仮面へと打ち付けた。
女の纏う気配が変質していく。
何モノでもない者。
悪意ある者。
力持つ悪意ある畏れるべき怪異。
這い寄る混沌。
【あらゆる世に在りて打ち破る術なき我はもはやこの時を持って降臨せよ。星々の群れを超え、この小さき時に在る我に更に小さき者が敵う道理は無し】
声ならぬ声。空気の振動ですらない頭に直接響く声。
仮面の女から影が滲み出し、漆黒を更に黒く塗り込めた。
何もかもが醜悪に害意に苦痛に彩られていく世界。
外なる神々の異郷が女の周囲に形作られ、通常の世界を侵食していく。
この世とは違う法則に支配され、瘴気に全ての者が侵されていく。意識を保つ事すら難しい神域の中、ハイレンは顔を上げ影に呑まれた『友達』を見据えた。
「そうか。ならば、悔いるがいい。我はハイレン。ハイレン・ハージェット・テトス。貴様が畏れるべき者だ」
【ひぃしししし、くははははは、あはははは、ひほほほほほほ、ぬはははは、わははははは、ふふふふふふふ】
神が笑い声を上げる。
女の声で男の声で老人の声で子供の声で粗野な声で美しい声で仮面の女の声で。
【小さき者よ。知るがいい。愚か『馬鹿・・・』に吠えた代償『どうして・・・』が如何に大きなものであるかを】
影が動き、闘いが始まる。
しかし、ハイレンはただ前を向いて影の「先」へと声を放つ。
「馬鹿もどうしてもない。友を救えずして妾が先に進めるわけもない。それだけの事だ」
ハイレンが拳を構えた。
「妾の友に手を出しただで済むと思うな。卑しき神よ」
【――――『オレは』――――『私は』――――それじゃ始めましょう。『ハイレン!!』ちゃん】
激震が空間を渡り、激突に双方の体が軋む。
ハイレンの籠手を付けてもいないただの拳が仮面の頬を打ち抜いていた。
「始める? 何をふざけている」
【あ・・・・?】
女の首がありえない方向にねじ曲がり、仮面の瞳がハイレンの顔を凝視した。
【あ?】
ハイレンが更に振りかぶった拳を仮面へと打ち付ける。
壮絶な打撃音。
女の首がまるで飴のように引き伸ばされ、それに吊られ体が数メートル後退して止まる。
「もう貴様は終わっている」
【―――――】
仮面が咆哮した。
完全に裂けた口元。
内部に覗くのは人間の口内ではなく、暗い、只管に暗い穴だけだった。
しかし、ハイレンは怯まず、自らの巨大化した籠手に手を当て呟いた。
「召喚」
籠手の中央部から燐光が漏れ、小さな弾丸が籠手の窪みへと収まる。
「貴様の敗因を教えてやろう」
【Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!】
影を纏って仮面の女が疾走する。
獣の如き仮面の口元から漏れだした黒い何かが空間を割り、まるで黒の絵の具で乱雑に線を引いたように空を引き裂いていく。
人が認識などできない速度。
人が防御などできない威力。
人が反撃などできない攻撃。
刹那に満たない交錯の中、声など届くわけもない時間の最中、確かに女はハイレンの声を聞いた。
「妾を怒らせた。たったそれだけだ」
ハイレンの籠手から空の薬莢が一発零れ落ちる。
神の領域が、世界を狂わせる瘴気が、神の刻む黒い亀裂が、更に引き裂けた。
真一文字に裂けた世界の色は白。
黒すら飲み込む、全ての色を内包した絶無。
「領域構成技『閉澱』(へいでん)」
女の体も同様に裂けていた。
仮面以外、上から一直線に割れた体の内部から影が蠢いては白い世界に飲み込まれていく。
【ふ、ふふ、あはははは、限定的な新世界構造体?・・・・神にでもなるつもりなのかしらハイレンちゃん】
仮面の女の声が何処か虚ろになりながら響く
「この現実においてお前は決して欠ける事無い完全なる情報、一種の不死、そんな位置づけになる。幾ら殺そうが本質的に滅ぼせない」
【あら、気付いてる? そうそう。この世界の理にするとそういう事になるのかしら♪】
「しかし、幾ら情報が在っても情報を乗せる器が必要になる。事象として現れるには物質的エネルギー的な構成が、元手がいる。だから、この世界にフラグメントを送った」
【まったくその通り♪】
楽しそうな声にハイレンは顔を顰めた。
「お前のような超高位の神を完全に滅ぼすには特異点を消し去る以外ない。しかし、そんなことができるほど妾は強くない。せいぜい出来る事と言えば、この現実において貴様の器質と情報を同時にリセットする程度だ」
【そんな簡単に言ってくれちゃって♪】
「終末の秩序は始原の混沌と等価。この『妾の世界』においてお前を終息させる。完全秩序が真理として組み込まれた此処は混沌の性質を駆逐し、今此処にあるお前が逃げだす余地を残さない」
【確かに此処に限って『私は』滅べるかもね。でも、フラグメントはこれからも送られ続けちゃうかも♪ それに『この私』は滅んでも情報(わたし)は滅ばない。無駄無駄♪】
「お前を模る器質には限界があるだろう?」
【・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・】
仮面が押し黙った。
「そもそも完全な不死存在(イモータル)等そうそうない。お前という情報そのものは高次領域のものであり完全だろう。しかし、お前という情報が乗らざるをえないこの不完全極まる世界の器質(ハード)は劣化する。だからこそ、お前はお前を保つ為に情報(おまえ)の乗る器質に制限を設けなければならないはずだ。お前自身の情報を完全に保存しうる器質。それが無ければ情報であるお前はこの現実において現れる場合、伝言ゲームのように劣化していくのではないか?」
【お見通しって事かしら】
「お前は此処にいるお前という情報を消す事は無駄だと言った。しかし、本当にそうか? 情報として完全な絶対性を確保するお前だが器質を制限されている時点で無制限に広がり続けていく情報ではなくなった。エントロピーの法則上は無限に広がっていくものだろうが、器質という壁はお前の現実を限りある情報として封じ込める」
【残念。それが本当だって証拠はない】
「だが、この仮説が正しいならば、お前は完全な情報だが有限に過ぎず、不死だが不自由で不完全極まりない存在という事になる」
【神を不完全呼ばわり?】
「お前という存在が今まで蓄積してきた経験はただの情報である故に完全である情報(かみ)にはフィードバックされないはずだ」
仮面が初めてたじろいだ。
【わ、私は神、這い寄る・・・】
「黙れ。神とは完全なものだ。更にその本質が情報であるならば自身以外の情報等というものに左右される時点で神とは呼べない。それに『私は滅ばない』ではなく、お前の大本である情報が滅ばない、の間違いだろう?」
仮面が震える。
【う・・あ・・・】
「お前の大本は確かに完全な情報ではあるかもしれない。しかし、お前自身が神として集めてきた経験値、人格、記憶、記録、そういったものはその範疇か? お前そのものはフラグメントさえ在ればバックアップが効く情報かもしれないが、バックアップが一つも存在しない状態で消えればお前はどうなる。現存する情報体『神』はお前そのものではないだろう? 少なくともお前は自らを孵す為に此処へ全てのフラグメントを集めたはずだ。妾から回収できなかった以外の全てを。ならば、此処でお前が倒れれば」
ハイレンは仮面だけとなった存在に目を細める。
「『お前』は消える」
【違、違う・・・違う。そんな・・・そんなのッッ】
狼狽する仮面が苦悶の表情に揺れる。
「神の経験値でしかないお前が消えれば、残る情報は経験値無き神の本質のみ。完全な情報である故に変わらず、変わらぬ故に進歩は無く、進歩無き故に未来は無い。果たして妾の事を知らないお前とお前を知る妾、次に戦えば勝つのはどちらだ?」
【ふ、ふ、ふふふふ、あははははははははは。全部全部ただのッッ】
心の奥底から何かが暴発したかのように仮面が狂った笑い声を上げる。
「推論だと思うか? 妾はお前が分身だと言うあの者にこう聞かせたのだぞ?」
仮面は思い出す。記憶にある。確かに、確かにジャック・カウル・ハモンドはその言葉を聞いている。
『貴様らの本質はもう解析済みだ』
【ひ――――】
神であるはずの、完全であるはずの、不死であるはずの、その思考にビキリと罅が入る。
「所詮お前は疑神だ。神格としての特異点を持つ真正の神ではないただの情報を写し取った影だ。お前が消えてそれを知らないお前自身が幾らフラグメントを送ってこようと経験を蓄える前に消し去れば妾達は勝ち続ける」
パキリと仮面に罅が入った。
――――――――――――ッッッッッ。
咆哮。
仮面が在らん限りの声を解き放ち、ブルブルと震え、その表面から埃が舞い落ちるように欠けていく。
【――『相変わらずだな。おい』―――『理不尽過ぎ』――――『何で味方にしておかなかったのかしら』】
カウルとラニと女の声がまるで畏敬するように響いた。
ハイレンはその声に疑神を打ち破り『三つの心』を解放したのだと知る。
もはや、女の仮面の崩壊は止まらない。
「妾を誰だと思っている。妾はハイレン・ハージェット・テトス。お前達の友人だ。本気を出せば劣化した擬神如き倒せないわけもない」
ハイレンの籠手に燐光が舞い、更なる弾丸が装填される。
【これで『終わりにしろ』】
「ああ」
【貴方に『感謝しないと』】
「ああ」
【――――やっと―――】
仮面に大きな亀裂が奔る。
その表面にハイレンも知らない女の顔が浮かんだ。
【―――――殺してもらえる――】
「やはり・・・か・・・・」
ハイレンは半ば予想していた事が事実なのだと知った。
【――ええ――】
女の顔が薄らと笑う。
【これで終わる。終わらせられる】
「妾がカウルと出会った日、発見できたのは張られていた偽装の結界が消えたからだった。お前だな?」
女が頷く。
「死を求めていたお前は自らの死を迎える為にはお前以上の存在が必要だと感じた。そして、妾を見つけた」
【貴女は強かった】
「出会うべくして出会わされ、戦うべくして戦い、殺される・・・・。随分と身勝手だ」
【ごめんなさい・・・・でも・・・・】
「分かっている」
【長かった。とても・・・・】
「お前も・・・・やはりカウルとラニ同様の・・・・」
ハイレンが微かに哀しみを混ぜて女の顔を見つめた。
【私だった誰かが『あの神』(わたし)に叶えて貰った願いは本当に大切なものだった】
「そして、心を体を奪われた。誰でもあり何でもあるモノ。だからこそ、這い寄る混沌はその性質として正しい姿である為に人格を欲した」
悪と善は概念であり、正義もその類に過ぎない。
神の性質は負であろうとも、それを正しく負と認識する為には人の持つ心が必要になる。本質が情報である故に自己同一性、自らを認識し保つ必要性があった神には現実において心がなければならなかった。
【ええ、そうして私は神への代価として私自身を贄に捧げた】
「・・・・・どうしてカウルとラニを代わりにしなかった?」
【それは・・・・】
「お前自身が神としての自らに捕らわれていたとしても、お前がその身代わりを見つけられたなら、必ずしも神としての主人格はお前でなくとも良かったはずだ」
【『この人の優しさだ』『そうみたい・・・・』】
仮面にカウルとラニの顔が浮かぶ。
「良心・・・・か。神は自らが劣化する現実から身を守る為に人の心を欲した。だが、結局のところ人の心は神の手に負えるものではなかった。そういう事なのだろう」
ハイレンが静かな瞳で女に語りかける。女はそれに苦笑して頷いた。
【『じゃーな』これで『さようなら』お終いにしましょう。ハイレンちゃん】
仮面に浮かぶ顔が三人。
「違う」
【『『え・・・』』】
仮面の中に全員の声が重なった。
「妾が、この妾がお前達をこのままにしておくと思うのか? 神が運命がお前達自身がこの状況を許そうと、妾はそんな事を許しはしない」
【――――――】
「奇跡とは自らで起こすモノ。聖女を知っているお前なら解るだろうカウル。この世界にはありふれた奇跡とやらが五万と転がっている。妾達が出会ったように。それは決して偶然ではない。誰かが希、願、叶えようとした結果だ」
【『ハイレン・・・・』】
「それに妾は旅の途中だ。疑神に構っている暇など無い」
【『でも、オレ達はもう・・・・』】
ハイレンが強い笑みを零し、空に声を張り上げた。
「神よ。愚かなる脆弱なる無限にして卑しき神よッ」
神は訊いてなどいないだろう。
しかし、そこにいるたった三人の者の為に、ハイレンは弱さを誇り、強者を謗る。
「聞いているか? 聞いているなら教えてやる。貴様はこの世界で三つミスを犯した。一つ、人を手駒に選んだ事。二つ、人を見くびり過ぎた事。三つ、妾とこの者達を出合わせた事」
籠手に込められた弾丸が光を発し始めた。弾丸内部には三つの光源。
「無貌の神よ」
今にも砕け散りそうな仮面に籠手が向けられる。ハイレンの声が三人に向けられる。
「知るがいい。人の出会いの奇跡を。力無き人の意思の力をッッ!!」
【―――――】
光が白い世界を染め上げていく。
光在れ。
そう古の神が言った時のように。
「全てを内包せし混沌よ。汝、我が命に従い迅くその意を酌むべし」
籠手の弾丸が弦に弾かれた。
【!?】
仮面に着弾した弾丸が割れ、その内に秘められていた白い欠片が仮面へ打ち込まれた。
欠片が仮面の罅を模るように魔導方陣を展開させていく。
その形はやがて胎児を思わせる【意匠】となり、それすらも光が飲み込んでいく。
「『胎帰卍生陣』(レグレッスス・アド・ウテルム)」
光がやがて何もかもを飲み込んだ後、呟きだけが三人には聞こえた。
「後はお前達次第だ。カウル、ラニ・・・・いつかまた会おう」
何もかもが光に溶けていく最中、三人はハイレンの微笑を見た気がした。

その日『真夜中の太陽』と呼ばれる事件が起こる。
夜を拓く光はまるで春の日差しのように温かかいものだったという。

sideEX(Extra)

『――西部全域での原因不明の発光現象から二週間。未だ原因は究明中である。捜査当局はこれが意図的なものかどうかを七教会マディセイ本部との協力体制で明らかにし―――』
バサリと新聞が取り上げられた。
新聞を目で追っていたラニとカウルが同時に顔を上げた。
「あら、これまだやってるなんてよっぽど世界は平和なのね~~~」
三十代と思しき線の細い女性がエプロン姿で二人の間に割って入る。
二人がジト目で言った。
「元凶」
「だ・ま・れ元凶♪」
「はう?!」
女性が胸を押さえてヨロヨロと後ろに下がった。
「うう~~~~」
唸る女性はカウンターの中に引き返し、ノの字を書いてイジけ始める。
店の中、二人がやれやれと首を振ると言った。
「いじけてるし・・・年上の癖に。つーか、性格変わり過ぎだ」
「どうやら私達と違ってある程度創り込んだ部分があるみたいだからしょうがないでしょ。それに神としての性質を完全に破棄させられて本来の地が出てるみたいだし」
ラニが笑いながらカウルの口元を拭いた。
「そういうお前は変態だったけどな」
「あうッッッ?!」
カウルの『口撃』にラニが仰け反った。
「一緒にされてる時に見えた・・・・なんだ・・・人の写真を天井にベタベタ貼り付けて、何度も何度も恍惚の表情を浮かべながら名前とか呼んでたしな」
「あううううううッッッ!!!」
ラニがもはや言い訳もできない程オロオロしながら涙目になった。
「別に・・・お前の事嫌いになったりしないが、あれは・・・ぶっちゃけ引く」
「はぅうあ?!?!ッッッ」
ラニが地面に頭を擦り付ける。
「しかも、願いが永遠にオレを生きられるようにするとかだったしな。ぶっちゃけ・・・・引く」
「~~~~~~~~~~~」
ゴリゴリと床に穴が開きそうなぐらい高速でラニは頭をグリグリ床に付け平身低頭した。
「何か二人でいると・・・・襲われそうな気がするしな」
「(グリグリグリグリグリ―――)」
摩擦で床が焦げそうになる。カウルがラニの頭を上げさせた。
「お前の事。もっと知っておけばよかったってのがオレの本音だ。ラニ」
「カウル・・・・」
ラニの涙をカウルが指で拭い去った。
「お前の事情とかお前の正体とか。オレがもっと気を付けてやればよかった。きっと、もう一人のオレはお前の事をこれからも深い事は知らないし、知れないかもしれない。けど、きっと気持ちだけはオレと変わらない。お前はオレの親友でオレのずっと変わらない一番だ」
「カウル・・・・」
ラニの目頭から一筋の熱い滴が流れた。
「あ、ありが、ひっく・・・うぅうう・・・本当に・・・私も・・・私も・・・」
ポロポロと大粒の涙を零し、嗚咽し始めるラニを立たせて、カウルはラニの頭を撫で椅子に座らせる。
「泣くなって。ほら」
カウルに撫でられながらラニは涙を零し続け、しばらくして涙を拭って赤い目元を隠すよう顔を伏せた。
ラニの赤く染まった頬にカウルはクスクスと頬笑み、何もなかったように話題を振る。
「なぁ、アイツ今頃どうしてると思う?」
「生きては・・・・いるでしょ」
ラニが何とか自分を落ちつけてからそう言った。
「・・・・返し切れない借りってのは重いな・・・」
苦笑してカウルが目の前に置かれているタンブラーからオレンジジュースを呷った。
「生きてる内に返せばいい。私たちはもう何の束縛もない異邦人よ。きっとできる。それが可能な今を私達はあの子から貰ったんだから」
気を取り直したらしいラニが赤い目元を拭いつつカウルにそう言って笑んだ。
「自分がもう一人・・か」
「・・・・ドッペルゲンガーなんて都市伝説になった感想は?」
お茶目に訊いてくるラニにカウルは「ふぅ」と息を吐き出して体の力を抜いた。
「何かお前の顔見たら真面目に考えんの馬鹿らしくなってきた」
「もう私達はあの子達とは別の存在。同じ世界に生きない。でも、きっと大丈夫だって、今はそう思える。だから、私は、ラニ・ルクス・マキアは悩まない」
芯の通った声にカウルが「立ち直り早」とおどけて見せた。
「お前は・・・もう一人のお前がこれからどうなるのか気にならないのか?」
「私にはカウルがいる。そして、もう一人の私にも。私の願いは叶ったもの・・・・きっと大丈夫」
「そっか」
「ええ」
「オレも・・・・願いが叶ってるなら大丈夫だろ」
「えっと、カウル。今更だけど、カウルのお願いって何だったの?」
おずおずと切り出すラニにカウルは曖昧に笑っただけだった。
「ねぇ」
ラニの少し真剣な瞳に顔を引きつらせ、視線を逸らせるカウルだったが、すぐ観念したように白状した。
「・・・・あそこでいじけてる奴と出会った時、咄嗟に願いが考え付かなくて、まぁ・・・なんだ。お前とずっといられるわけでもないとあの頃は思ってたから・・・・お前に将来いい人が見つかりますようにとかなんと――」
「カウルッッッ!!」
ラニが感極まってカウルに思い切り抱きついた。カウルがラニを引き離して逃げる。
「あ~~良い男とか捕まえないと百合の華咲く世界の住人になりそうだな」
カウルが照れ隠しなのか、半ば本気に言う。
「ダ、ダメ!? カウルは私と、あ・・・う・・・ぜ、絶対男となんて恋愛させないんだから!!」
「うあー、引くわあ」
ドン引きのカウルが異星人でも見るようにラニに視線を送った。
「くッ、そ、そんな顔してもカウルはもう私のものなんだから」
「あーはいはい。百合の匂いがするなー。これからどうしよっかなー」
棒読みで流すカウルにラニが頬を膨らませた。
「もう、カウルったら。それで何がこれからどうする、なのよ?」
「いや、「もう一人の」とか付けるのもタルいからどうすっかなあと。そういう話だ」
「いっそ名前でも変えてみたら」
「・・・・いや、まだ名前はこのままでいい」
「どうして?」
「あいつに名前呼ばれた時、変わってたら困るだろ?」
「確かにそうかもしれないけど・・・・」
「だから、まだいい。何も終わってないしな。オレ達がこれから世界を邪神から守る魔法少女ってのを続けてればその内カッコいい二つ名とか付くだろ?」
「物凄く投げやりよ。それ」
ペシッとラニがツッコミを入れた。
「それにしても幾ら無貌の欠片が万能の欠片つってもさすがになぁ。マジでオレ達そのものを造るとかありえねぇ。結局一度も敵わずじまいだったし、何処まで追いかければいいんだか」
「もう敗北宣言?」
「んなわけねぇだろ!! いつかなんて言わずその内越えてやるさ」
カウルがニヤリとしてみせた。
「私も精進しないと。これからカウルに見合うだけの私にならないと」
「うあー引くわぁ」
「私も貴女達のお母さんになれるようがんばるわ♪ うふふふふ」
二人の掛け合いの横から声が上がった。
いつの間にか復活した女性がバサリとエプロンを取り去ると下の薄い紫色のローブが翻る。女性が白い仮面を何処からか取り出すと顔に当てた。
それを見て二人も立ち上がる。
「んじゃ、行くか」
「ええ、まだ私達の戦いは始まったばかりなのだから・・なんて、ね?」
ラニのウィンク一つ。
青と黒のドレスがはためく。
三つの影が店内から消え、ドアが閉まった。
カウンター上の新聞。その三面に小さな記事が載っていた。
『街の噂コーナー。西部の都市の何処かに影の化け物と戦う少女達がいるらしい。ただ、その中には一人だけ年増が混じっているとかいないとか・・・次回の噂に好ご期待!!』

生きていく限り、戦い続ける限り、少女達は今を疾走し続ける。

彼女達の『栄光と試練の日々』(GLORY&PENANCE)に未だ終わる気配はない。



[19712] 回統世界ファルティオーナ短編「リーヌのともだち」
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/05 12:08
回統世界ファルティオーナ短編「リーヌのともだち」

ぱぱ、まま、あいしてる。
ぱぱはおしごとがたいへんだけどままをしあわせにしてね。
ままはぱぱのことがだいすきだからたくさんだきしめてあげてね。
りーぬがいなくなってもけんかしちゃだめだよ。
かみさまとあそんでまってます。
                            えりーぬより

少女は月の明かりの中、小さな手紙をしたためていた。
小さな病室の小さなベッドの上で。
横にある台の上にある時計を押して少女は笑みになる。
『可愛いリーヌ。早く寝て明日元気一杯に遊ぼうね』
もう一度押してやはり笑みになる。
『可愛いリーヌ。オヤスミナサイ』
少女は月明かりの下で手紙を膝の上に置いた小さなバックの中に仕舞い込んだ。
それからこっそりと足音がしないようにベッドから降りる。
横で椅子の上に眠る女性を起こさないように、そっとドアを開けて廊下に出た。
夜の病院の廊下はとても暗く冷たく、少女の胸を縮ませた。
少女はいつか大きくなると信じている胸の前でギュッと両手を握りしめて、歩きだした。

怖い病院の話を少女は知っていた。
大きな病院は夜になると悪魔達がやってきて病気の子を浚っていく。
そして、暗い場所でバリバリ食べてしまう。
少女はそんな噂のせいで病院が怖かった。
いつも注射をしに行く時は怖くて泣いた。
それが変わったのは櫻が落ちてくる頃の事。
少女は病院に入院する事になった。
父親と母親は少女にニコニコしながら言った。
「リーヌ。もう少しここで病気を治したら家に帰れるよ」
「リーヌ。今日はもう少し起きててもいいわよ」
少女は父親と母親にすぐ病気は良くなると言われて頷いた。

きっと、もう自分がいなくなるのだと知った。

父親と母親が「誰か」がいなくなって泣いていた事を知っている。
大きな写真が飾られて大好きな家族が自分の為に泣くところなんて見たくなかった。。
だから、そんな風に誰かが泣くなら、悪魔に食べられた方がいいと少女は思った。
いなくなっても、きっと誰にも見つからない。
きっと、それなら、誰にも知られずにいなくなるなら、自分がいなくなるところを両親が見るよりはいい。
少女はそう考えた。
少女は自分と同じようにいなくなるのだろう子達に訊いていた。
何処に悪魔は来るのかと。
皆が皆口を揃えてこう言った。
『悪魔はね。夜の病院の屋上にいるんだよ』
だから、少女はもう動かない片足を引きずって上に向かっていた。
看護師のステーションの横を静かに身を縮めて通り過ぎ、赤いランプが悪魔の目に見える長い廊下を突っ切って、本当は入ってはいけないドアを開けて建物の外に付いた階段を何十分も掛けて上っていった。
少女は何となく理解していた。
屋上には何かいる。
息を切らして少女が屋上に辿り着いた時、ちゃんと悪魔は待っていた。
パジャマ姿の悪魔は鉄の柵の上に座って足をブラブラさせていた。
少女は内心の恐怖を押し殺して後ろへと近付き、訊いた。
「アクマさん?」
パジャマ姿の悪魔が振り返り、少女は少しだけ驚いた。
姿が透けていた。
悪魔の尻尾も翼もない綺麗な顔の男の子だった。
男の子に少女はもう一度訊く。
「・・・・アクマさん?」
少女の問に病院の悪魔は答えた。
「また、自殺志願者か」
少女は男の子が本当に悪魔なのだと思った。綺麗な顔は大人びた表情だった。
「あ・・・アクマさん。おなかへってないですか?」
病院の悪魔なら、きっと誰にも知られず食べてくれる。
少女の期待を見透かしたように男の子が嗤う。
「お門違いだ馬鹿。オレが悪魔に見えるならお前の眼は節穴だな」
「ッ、・・・・・」
少女はその男の子の言葉に固まった。物凄い悪口を言われた事だけは理解して、でも、怒りなんて湧いてこず、怒らせたならバリバリと頭から食べられてしまうのだから、それでいいのだとギュッと目を瞑った。
「おい。目開けろ。誰がお前なんぞ食うか馬鹿」
素直に目を開けた少女が見たのは半透明なビーチチェアに寝そべって欠伸をする男の子だった。
「た、たべてくれないの?」
少女は少しだけ絶望した。痛いのは嫌だけれど、両親が自分がいなくなるところを見て泣くのはもっと嫌だった。
「クソガキが。小さい癖に生意気なんだよッ。あ? そんなに死にたいのか?」
「し・・・ぬ・・?」
男の子が溜息がちに少女を見た。
「まだ生死観もないか。ま、六歳じゃそんな感じか今のガキは」
少女は目をパチクリとさせてからムッとした調子で言い返した。
「りーぬはななさいだよ」
「滅茶苦茶子供っぽいの間違いだった」
「り、りーぬ、こどもじゃないもん」
少女の言い分に男の子が嗤う。
「あーはいはい。そうですね」
「り、りーぬはこどもじゃないんだからッ」
「一丁前に大人宣言か。ガキ」
「が、がきじゃないもん」
少女は男の子のあまりの暴言に怒り心頭で顔を真赤にする。
男の子はボリボリと頭を掻いて、近づいてきた少女を見上げて言った。
「お前は死なない。いや、正確には死ねない、だな」
「どういうこと?」
男の子が面倒そうにビーチチェアの横を指さすと半透明な椅子が出来る。
「座れ」
「・・・・・・・・・・」
少女は迷ったが、素直に座る事にした。
「お前の正式な病名は魔導連感性イド・グリオーマだ」
「りーぬのごびょうきしってるの?」
少女が不思議そうに男の子に訊いた。
「この病院の患者は全てオレの管理下にある。知らないわけないだろ」
「かんりか?」
「お前はオレのモノって事だ」
少女は男の子の言い分を自分なりに噛み砕いて考え、数秒後、顔を真っ赤にした。
「何考えてるッ?! マセガキ。そういう意味じゃない!!」
「だっておれのものって・・・・」
少女がジッと引き気味に男の子を見る。
男の子はイライラした様子で言った。
「オレの好みはバン・キュ・ボーンだ」
「・・・・・なんかふるい」
「ぐッ?!、ホント、この頃のガキはどうなってやがる」
少女は不機嫌になった男の子を見て、少しだけ笑った。
そんな少女を見て男の子は「はぁぁぁ」と深い溜息を付いた。
「いいか。お前は普通なら絶対に治らない、そして確実に命を落とす不治の病ってやつを背負ってる。お前の病はお前の精神の内部を食い荒らして脳幹部と器質に致命的なダメージを負わせる云わば現実世界には無い癌だ。お前は本来なら第七期、末期の患者で、心を食い荒らされて荒廃した精神のまま死んでる」
「・・・・・もっとわるいはずなの?」
少女に男の子が何処か真剣な顔で頷いた。
「お前の両親はお前が不治の病で死ぬって宣告されてる。だから、お前に優しかったし、お前もそれに気付いた」
コクリと少女が頷く
「だから、お前は悪魔に食われて、自分が死ぬところを両親に見せずに消えたいと願った」
自分の事を言われているのだと少女は少しだけ驚いた視線を男の子に向けた。
「でも、その願いは叶わない。何故ならお前は死なないからだ」
「しなない?」
「そうだ」
「どうして?」
「それはお前の病気が治るからだ」
「ごびょうきなおらないって・・・・おかあさんとおとうさんひみつでいってた」
少女が沈んだ調子で語るのを男の子は嗤う。
「そうだな。昔なら絶対に治らなかった。いや、治せる奴はいたが神か悪魔か天使か力を持った連中の力が必要だから普通の人間には無理だったと言う方が正しい。だがな、それは過去の話だ。実際にはお前みたいな不治の病の連中しかいないこの病院でそういう死人が出た事はない」
「どういうこと?」
少女は男の子が語る事に矛盾がある事に気付いた。
「医者はまったく嘘を言ってない。本来ならお前やお前の友達連中はこの半年で五十人以上死ぬはずだった。不治の病は今でも不治の病だし、普通なら治療方法があっても根治する見込みはない。でも、お前達は死んでない。わざわざ夜の屋上に来て死を望める程に元気だ」
「・・・・・・・・・」
「お前、この間ピエロに飴貰ったろ?」
男の子が嫌そうな顔で訊いた。
「え・・・・・あ・・・さーかすのいもんで、きてたよ」
男の子がグッタリしながら嗤う。
「良い話をしてやろう。この世界には病気やケガで死ぬ人間はいない。いるのは老衰と例外だけだ。そして、病気が本当に治らないって事もない。何故なら、病気なんて楽勝で治す奇跡ってやつがあるからだ。そして奇跡の使い手の一人はとんでもない科学が使えて、しかも世界を裏から操ってる。そうだな。世界征服されてるって言えばいいか」
「せかいせいふく? にちようのあさにりーぬみてるよ」
「ヒーロー番組に出てくる悪の組織違う。それ以前にお前女だろ」
「れっどがかっこいいんだよ?」
「イケ面はこの際ドブに捨てておけ」
「ぶるーはちょっとにまいめ」
「おい」
「でも、いえろーはあんまりすきじゃない」
「カレーを食わないならその意見を認めてやる」
「?」
「とにかくだ。その世界征服してる悪の大首領閣下みたいなやつがいる限りお前は死ねない。アイツの技術はこの世界に存在する全ての病人へ平等に健康を齎す。アイツが関わってるこの世界の構成物質の約九十八パーセント以上。水・空気・食糧、お前が息をするだけで健康になるし、お前が水を飲んで食事をするだけで病気は治り始める。仕上げにアイツ特製の飴玉まで嘗めれば文句なしだ。微妙な不健康程度の人間は病院に要らん。とっとと出てけ」
「・・・・・りーぬのごびょうきなおる・・・の?」
恐る恐る少女は訊き、男の子はまったく面白くなさそうに「ああ」と答えた。
「ありがとう・・・アクマさん」
少女の蕩けるような笑みに男の子はげんなりした様子で言った。
「お前が感謝するべきなのはオレじゃない。そして、感謝するべきやつはアイツじゃない。悪の大首領は不幸の権化の世界を補完してるだけ、それだって目的が一部被ってるって理由があるからだ。本当に感謝してるなら、それはお前の両親にしろ。お前を産んで育てて守ってる人間にだ」
「うん!」
少女が椅子から立ち上がると男の子もビーチチェアから立ち上がった。
「アクマさん。ありがとう」
「悪魔じゃない。オレはただの怨念だ」
「おんねんって?」
「昔はお前みたいに死のうって奴が沢山いた。もう親族に金を出させて生活を苦しくさせたくない。迷惑を掛けたくない。死んで自由になりたい。そんな時、オレが必要とされた」
「・・・・」
「オレは殺す為のシステムだ。お前みたいに自分から消えたい奴をオレはこの病院がまだ石造りで効きもしない薬草を売ってる頃から消し続けてきた。怨念ってのはそういう事だ。オレは人に死を与え、死の力で更に他人に死を与える。そういう『呪』なんだよ」
男の子は少女が怖がってさっさと逃げ出すのを待った。
どんなに幼くても気配というものは読む。
死を誘う力の気配に普通の人間は泡を吹いて倒れるか失禁しながら逃げる。
少女も目の前の存在がどういうものか知れば二度とここへ近づかないだろうと男の子は背中を向けていつもの柵の上に戻ろうとし―――袖を引っ張られて固まった。
「ともだち」
「は?」
男の子は思わず自分でも間抜け面だと分かる顔で振り向き訊き返していた。
「アクマさん。りーぬのともだち」
「・・・・お前馬鹿か?」
「ともだちなの!!」
「何でお前が怒るんだ?!」
「ともだち!!」
「おいッ。こら、引っ張るな!!」
「ともだち!!!」
「分かったッ。解ったから止めろ!!」
「えへへ・・・・」
男の子はグッタリと少女を見つめた。
まるで本当に友達を得たのが嬉しくて笑っているかのような少女の顔に戸惑う以外何もできなかった。
少女は半透明の腕を掴んで笑う。
「こんど、みんなにしょうかいするね」
「やめてくれ・・・・・・・・・」
子供に本気で怒る気にもなれず、男の子は盛大な溜息を付いた。
少女と男の子の夜は更けていった。

ぱぱ、まま、あいしてる。
ぱぱ、りーぬにアクマさんというともだちができました。
まま、こんどりーぬのすきなひとをしょうかいします。
なまえはアクマさんです。
アクマさんは「おまえなんかとっととかえれ」といいますがりーぬはまだここにいたいとおもいます。
りーぬはしあわせにしたいひとができてしあわせです。
ただ、しょうらいゆびわがとうめいになっちゃわないかしんぱいです。
これからアクマさんとあそんできます。
りーぬはいまとてもしあわせです。
                                      えりーぬより。

少女が精神科の受診を勧められ、これで病院に居られると喜んだ事に両親が慌てふためくのは少し近い未来の話、少女の『友達』を見て両親が失神するのは少し遠い未来の話、『好きな人』の説明を受けて両親が泡を吹いて倒れるのは―――――。

少女の未来は今も優しい悪魔の傍らで鎖されていない。

                                                        FIN



[19712] 回統世界ファルティオーナ短編「曇りし想いに応えたる」
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/05 12:10
回統世界ファルティオーナ短編「曇りし想いに応えたる」

古い城塞の中央、天空を望む塔の頂で決着が付きつつあった。
「ここまでだ魔王」
血溜まりに立つ薄汚れた衣の男を前に勇者が仲間達と共に剣を向けた。
「これで終わりだ」
勇者の後方、ローブ姿の賢者が杖を構える。
「もう回復はさせない」
数人の多種多様な男女が魔王を包囲する形で陣を組んでいた。
「これが人の光だ。人々の願いだ。お前にもう勝ち目はない」
勇者と仲間達の体に次々に何処からか光が寄り集まり、全てを覆す力を与えていた。
人々の願い、祈り、その具現した光は一つ一つは小さくとも寄り集まり絶対者である魔王すらも凌駕する力を勇者達に与え、ついには魔王に打ち勝つまでに強くなっていた。
「ここで貴様を滅ぼせば世界は救われる」
勇者は剣を構え、一刀の下に魔王を斬り伏せた。
仲間達の武具も次々に魔王の体に突き刺さっていく。
間違いなく致命傷。
これで世界は救われると誰もが思った。
しかし、最後の吐息を吐き出し倒れるはずの魔王の口から漏れたのは何処か気の抜けた失笑だった。
「く・・・ふふ・・・・」
「な?!」
勇者達が一斉にその場から離れる。
その様子から魔王が最後の力を使い何か反撃を準備しているのではないかと警戒した勇者達は、魔王の笑い声が少しずつ確かなものになっていくのを斬りかかりたい衝動を抑えながら聞いた。
「人の光・・・か」
「何がおかしい。貴様は我々に負けたのではない。貴様が苦しめてきた人々に負けたのだ」
賢者が魔王へ声を張り上げる。
「ああ、そうか。貴様達はとんでもなく愚かだったな」
「なに?」
勇者が油断なく剣を再度構えなおす。
「貴様達を助けた光は確かに強い。この魔王を滅ぼせる力だ。多くの人間がお前達を応援し、お前達の為に祈り、その結果としてこの魔王を退ける力となって現れた。だが、ならばどうして今も平然としていられる?」
「・・・・・・・・・」
勇者達は答えない。魔王はクックッと蔑むように笑った。
「これだ」
男の口からゆっくりと黒い光が零れ出した。それに連動するように男の全身から黒い光が立ち上っていく。
「?!」
勇者はその光景に反射的に攻撃していた。人の光を剣の先、一点に集め、魔王へと斬りかかる。
魔王はその剣を今まで自分が持っていた剣では受け止めなかった。
全身から溢れ出る血も構わずにゆったりとした動作で体を剣の前に差出して受け止めた。
「なッ!?」
今度こそ本気で勇者達の気配が動揺した。
「貴様達は勇気を持ってこの魔王に立ち向かってきた。多くの人間達に支えられ、愛の力、心の力、善良なる身で立ち向かってきた。だが、貴様達は本当に全ての人間から支持されているのか?」
「何が言いたいッ」
ギリギリと勇者の剣に力が籠る。しかし、魔王の体どころか薄汚れた衣服にすら剣はめり込まなかった。黒い光がそれを邪魔し、勇者の剣に凝る光を受け止めていた。
「当然、人々はお前達を支持するだろう。お前達を応援するだろう祈るだろう。魔王などという存在に平和を奪われたのだから。だが、貴様達はこの事態の本質が見えていない」
勇者に続けとばかりに仲間達が次々に魔導を武器をあらゆる技能を駆使して魔王へと殺到した。しかし、魔王はその行動に目もくれない。ただ、淡々と勇者へと語り続ける。
「なぁ、勇者。お前を応援してくれる人間に囚人はいたか?」
「何?」
「お前を応援してくれる人間に娼婦はいたか?」
「何を言っている・・・」
「お前を応援してくれる人間にお前を妬み、恨み、心良く思わない人間がいたか?」
「貴様ッ」
魔王の体に多くの攻撃が当たっては黒い光がそれを退けていく。
魔王が術の準備に瞑想する賢者を見た。
「お前が捨てた精神病院行きの母親はオレを支持してくれるそうだぞ。そこの賢者」
「ッ?!」
魔王がグリンと首を捻じ曲げ、斬りかかる寸前の女剣士の前に顔を曝す。
「そこの女。お前が捨てた元夫はオレにお前の情報を何でも教えてくれたぞ」
「?!ッッ」
「貴様達が正義の為に殺した者の家族はオレを支持するそうだぞ?」
「―――――」
まるで何を言われたのか分からないように勇者達が硬直した。
「この世界を侵略する時、我が軍団にこの魔王は制約を課した。一つは持たざる者から奪うな。もう一つは持つ者を襲え。そして、持たざる者に我らを密に喧伝するのだ、とな」
立て続けに男の急所に向けて多くの刃が繰り出される。
「お前達はまるで世界の全てから応援されたような気になっていたかもしれないが、それはどうかな。オレはスラムの子供達から見れば英雄らしい」
魔王が嗤う。
「勇者パーティー諸君。これは侵略だが戦争だ。どちらかが滅ぶ戦争ではない。どちらが正義でもない。ただの殺し合いですらない。持たざる者に希望を与え、持つ者に絶望を与える戦争だ」
勇者達が後退し、その背後で強大な魔導を練り上げていた賢者がその超常の技を完成させた。
魔王を中心に極大の爆発が起きる。更にその爆発を封じ込めるように魔王の周囲に結界が発動し、完全にその威力を内部に封じ込める事で絶大な破壊を産んだ。
しかし、その破壊をものともせず魔王が結界を踏み越えながら語り続ける。
「貴様達は人の光の部分ばかりを強調するが実際には何て事は無い。上辺ばかり見ていただけだろう?」
「悪魔に人を語る資格などッッッ」
勇者の剣が再度魔王へと振り下ろされ頭部に直撃する。
「あるとも。大いにあるとも。何故ならこの身はアウトゲネス。自ら生じる者。人の負の想念、その精粋から生まれた者だからな」
魔王の黒い光が殺到し続ける武器を持つ者を弾き飛ばした。
「なぁ、勇者。人はそれほど強くない。勇気が在ってもそれを使えない奴がいる。愛を憎しみに変える奴もいる。良い部分ばかりが目立つ人間を快く思わない者など五万といる。どうしてだ等と言うな。答はもうお前達の中にある。お前達は聖人ではない。お前達はただの心善き者。善良なる子羊。それだけの者だ。だから、知っているのに知らないフリをした。いや、何も知らず善良であり続ける事を選んだに過ぎないか。貴様達の正しさに絶望させられる誰かの姿に貴様達は目を瞑り、支える人間なんてのはほんのちっぽけな集団に過ぎないのだと、『持つ者達』だけなのだいう事実を隠蔽した。そうだろう?」
「――貴様がああああああああああああああああ語るなああああああああああああああああああ」
勇者が一際強い光を剣に灯して魔王へと肉薄し斬り付ける。
それでも魔王の体には傷一つ付けられなかった。
「勇者諸君。いい事を教えてやろう。昨日、スラムの子供達からこの魔王に便りが届いた。中身はこうだ。魔王さん頑張って僕達を蔑む連中を殺してください。母さんが病気なのに助けてくれなかった、薬を売ってくれなかった人達を鏖にしてください。絶対あんな僕達を助けてくれなかった勇者なんかに負けないで! 健気にも仲間達と集めた金まで添えて。この魔王はあまりの感動に声も出ないあり様だった」
魔王がハンカチで涙を拭う素振りをする。
黒い光が勢いを増し、当てられた勇者が苦鳴を洩らす。
「貴様達の正義は誰の為の正義だ? 妬む者の正義か? 憎む者の正義か? お前達が殺す者の正義か?」
「オレ達の正義はぁあああああああああああああああああああッッ」
勇者の仲間達の一人が魔力を纏い魔王へと殺到する。
「正しき者の正義など聞いているだけで反吐が出る」
仲間達が止める間も無かった。
男が黒い光に飲み込まれ、跡形も無く消滅する。
「いつも貴族の男達に買われる名も無き少女はこの魔王にこう望んだ。あんな連中が正しい世界を滅ぼして、この世界をもっと温かいものにしてください、と。この魔王は・・・・ああ、本当に心の底から、その祈りを叶えたい」
「邪悪な貴様が憐憫を感じるなど戯言をぉぉおおおおおおおおおおおおおお」
「憐れ? 違うな。間違っているぞ勇者」
勇者が仲間の仇とばかりに突撃を掛ける。
「持たざる人々はこの魔王にこう願う。コンナセカイコワレテシマエ、コンナセカイコワシテシマエ、コンナニカナシイセカイハ、と。憐れなどと愚弄するな。それは」
魔王の肉体から拡散する黒い光が勇者達を飲み込んだ。
「それは切実な願いだ。汚れているかもしれない。間違っているかもしれない。だが、心からの雄叫びだ。路地裏の食い物にされ続ける少女はこの魔王が世界を壊す事に望みを託した。貴様らが救えぬ者達がこの魔王に救いを求めた。だからこそ、この魔王はこの世界を救済しよう。お前達が『持つ者達の味方』であるならば、この魔王は『持たざる者達の味方』となろう」
魔王がそう言い終えると黒い光が弱まり、死体同然に力を奪われた勇者達が地面に這い蹲っていた。
「黒き光は持たざる者達の希望。貴様らが自然に意思の光を集めるならば、この魔王は人の想いを魔導に乗せ受取ろう」
バサリと魔王の衣が解けた。
その上半身を覆う複雑な模様を勇者達は死に掛けている瞳で見つめる事しかできなかった。
「今必死にこの魔王の無事を祈ってくれているのは傷つき汚された子供達、穢れ切りそれでも希望を望んだ大人達。あるいはお前達が知るお前達が救済してこなかった不幸なる誰か」
勇者の前に立つ魔王はその首に足を掛ける。
「勇気ある者達よ。残念ながら世界を救うのは貴様達が滅ぼそうとしたこの魔王だ」
足が踏み下ろされる。
ゴキリと鈍い音がして勇者は沈黙した。
「持たざる者の心が理解できぬなら、勇者の資格など貴様らには無いと知れ」
その光景に震えが止まらない人間達の顔を睥睨し、魔王が腕を掲げ振り下ろす。
『ギ・・・ギ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ』
『いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
『あああああああああああああああ、があああああああああああああああああああああああああ』
魔王の動作の完了と共に多くの手足が弾け飛び、断末魔が上あがった。
「我、この身を曇りし想いに賭す者也」
『戦争』をしている魔王に『正義に味方する』勇者達は脆くも崩れ去った。

その地方では長らく魔王の治世が続いたという。
魔王が死したのは治世が始まって五十年後。
持たざる者達と共に生きた魔王が死したのは愚挙を行おうとした自らの後任の悪魔と相打ちになっての事だった。
その後、まるで夢から醒めたようにその地方は人の手へ平和のままに戻る事になる。
人々は優れた治世により多くの者を救った魔王に敬意を表し、密に墓標を建てた。
死した魔王の墓標、その傍らにはずっと一人の女の姿があったという。
                                                              fin



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」脚注
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:45

脚注

『回統世界ファルティオーナ』
三つの世界。人間の統べる地界、悪魔の統べる酷界、天使の統べる天界から為る三界の総称。

『大陸フォル』
 地界そのものと言える半径三万キロの大陸。大陸の外には大海洋と呼ばれる広大な海と複数の諸島が点在する。

『幸せの世代』(フォルトゥナータ)
 魔王との戦争が終わり、大転換期を経て形成された戦後三十年以降に生まれた世代、あるいはその年齢層の人々。

『外侵廃理』(アウトバスターズ)
 大陸フォルへと降臨する神の降臨阻止、放逐、破壊、拘束を目的として数百年の昔から活動を続けている対神機関。五十年前を境にして七教会の傘下、下部組織として再編成され、人命の優先、非人道的行為の禁止が原則とされた。それまでの外侵廃理は神を降臨させようとする者を徹底的に弾圧排斥した事で神を崇める者達から恐れられていた。
現在正式名称『七教会付属独立神域排除機構 外侵廃理』
 外侵廃理は五つの課を有し、それぞれが独立した部署として機能、緊急時にはどの部署でも他の部署と同等の働きができるよう組織化されている。大陸各地にその分署を設け、少数精鋭を持って業務をこなしている。七教会特務の地位が構成人員には与えられている。その戦闘部隊の激的な戦闘能力は個人的な部分に由来する事が多く、人材の宝庫でもある。しかし、戦闘部隊の人員選出に当たっては能力値が重視される為、人員の背後関係や履歴には多数の問題があるとされる。極秘事項も多い為、それらの秘密や技術盗難の目的で来る者も多く、魔窟と囁かる部署もある。

『七教会』(しちきょうかい)
 大陸フォルを治める二大巨頭の内の一つ。人間と魔王との最後の戦争『黄昏の悠久戦争』以後、魔王と戦った七人の聖女を頂点として大陸の秩序を維持し、現在は半公的機関としての役割を果たしている。七人の聖女は『七聖女』と呼ばれ、人々の信仰の対象であり同時に究極の偉人と言われる。
 七人の名称は次の通り。
 ハティア・ウェスティアリア
 ソイラ・ミクラ
 ユアン・クオ
 フルー・バレッサ
 クラル・リテル
 ミュルト・ジオバトス
 メルフ・グラネッタ

魔王との戦争が行われる前には七教会の前組織として教会があり、その教会を七聖女が改革取り仕切るようになった経緯から七教会と名を改めた。

『七教会マディセイ本部』
 七教会が大陸各地に支部と本部を持つのは七人の聖女達がそれぞれ管轄する場所が本部となる為である。その基本的機能と権限は同質のものであり、互いの機能監視という役割も持ち合わせている為、問題とされていない。総本部として一応大陸中央部に位置するハティア・ウェスティアリア管轄の本部が置かれている。マディセイ本部は大陸西部の都市の名であり、西部一帯に絶大な影響力を持つ七聖女フルー・バレッサが取り仕切る本部である。世界最高の頭脳との呼び声も高い科学技術者の面を持つフルー・バレッサが取り仕切るだけあり、マディセイ本部の特質として技術開発能力に特化している。特筆するべき点は大陸で生み出される新技術の八割以上がマディセイ本部で開発されている事であり、社会科学から自然科学まで幅広い分野の学問を扱う学問の聖地でもある事である。大陸各地の優秀な技術者の登竜門であり、排出される技術者によって大陸の技術レベルは飛躍的な発展を遂げ続けている。

『FOA』(フォーチュンオブアルケミスト)
 大陸北西部に位置する小都市テトスを本拠地とする大企業。解体戦争後の王侯貴族主体による経営で初めて成功を収めた超コングロマリットという極めて特異な企業である。小国家テトスは解体戦争中にテロにより崩壊、テトス王家最後の血筋であるイフィミスラ・ハージェット・トテスにより再建された都市と一体化する形で栄えたFOAは大陸経済の雄としてありとあらゆる事業を展開している。現CEOであるイフィミスラ・ハージェット・テトスが五十を超える年齢であるにも関わらず十代後半にしか見えない若さを保っている事でも有名で、その影響力は大陸経済を語る時、決して無視できない力を持っている。歴史上の偉人として数えられる事もあり教科書に名前が載っている程である。

『工房』(オフィチーナ)
 魔導源流と呼ばれる遥か過去から伝えられている超常の技能。それを行使する者達の相互互助協会。現代に残る魔導源流の中でも手を加えられていない古い源流の使い手達が主流となって取り仕切っている。その内実は純然たる縦社会で能力こそ凄まじいが政治能力に乏しい者達が多い。工房の最高責任者は『超高位魔導宗弟』と呼ばれる魔導を極めた者に授けられる称号を持つ者に限られ、現在は七聖女ハティア・ウェスティアリアの管理下にある。金にがめつい老人の集まりとしても知られ、便利屋としての機能を有している。

『自治州連合』(じちしゅうれんごう)
 魔王との最後の戦争以後、大陸を治めている二大巨頭の一つ。魔王との戦争以後起こった人対人の戦争『解体戦争』により大陸中央部の国家アルヴィッツが全国家強制解体という偉業を成し遂げた。その後統治権を王侯貴族から民へと委譲し民主主義によって政治を行う事を目的に自治州を設立、連合を形作り議会制民主主義による治世を行っている。

『悪魔』
回統世界ファルティオーナには悪魔が存在する。酷界において三種の悪魔がいる事が分かっており、人に仇名す存在として忌み嫌われている。
種族と言っても発生方法での分類であり、実際にはそれらの混合型の悪魔もいる。
『血脈型』(ブラッディー)
『自生型』(アウトゲネス)
『大母型』(チルドレン)
悪魔はこの三種類に分類される。
血脈型は雄雌を持ち生殖によって個体を増やす人間と同じタイプの存在である。力の大小はピンキリであり酷界において多数派を占める。血筋に拠る多彩な能力傾向があり、その最大の力は数である。
自生型は人々の負の想念などを糧に生まれ成長ある種の神格と同じ原理で発生する。それゆえに血脈型などとは違い生まれた時から個体としての自我、能力を完全な状態で保持し、力は全ての個体が上位に位置する。数が極端に少なく強大な能力を持つゆえに群れる事を嫌う傾向がある。それでも全個体を合わせた場合、数百億という血脈型の悪魔とほぼ拮抗する戦力であると言われており、大悪魔という称号を持つ者が多い。
大母型はとある一人の女性型の悪魔を始祖とする者達の総称である。血脈型と自生型の性質を併せ持っている。自生型より更に数が少なく酷界全体で数人しかいないと言われる。その女性型悪魔による懐妊は数千年に一度と言われており、男性を必要としない点で血脈型と異なる。自然発生的な自生型に近く、負の力が女性型悪魔によって貯め込まれ命として育まれる事により大母型は生まれるのである。その力は超絶無比であり、他の型の悪魔の総力と数人で拮抗すると言われている。ほぼ神と呼ばれる存在と同義と言われており、大悪魔と呼ばれる悪魔の中でも更に上位に位置する能力を備えている。しかし、地界では一度も確認された事はなく、酷界でも何処にいるかも分からないとされており、地界では空想の存在とも囁かれている。
これら三勢力が均衡を維持し酷界を統治している為、悪魔達の世界は小規模な争いこそ絶えないが基本的に大規模な戦争などはほぼ起こらない世界となっている。

『超高位魔導宗弟』(ハイグランエクスライン)
 魔導を極めたとされる者に下賜される称号。現在二名の者がその称号を持つ。七聖女ハティア・ウェスティアリアとクラル・リテルである。魔導を極めるとは正に人智を超える所業であり、その名を持つ人間は数百年に一度と言われる。その事から二人も名を持つ者がいる現代のファルティオーナがどれだけ魔導の隆盛が激しい時代に入っているか窺い知れる。

『奇跡』
 聖女が持つとされる究極の能力。自己の理想を己に還元する基礎能力の部分と自己の意識に由来する発展部分能力がある。基礎能力は不老不死、魔力無限、身体復元能力などの超人的な能力となって発現するが個人により差が激しく、不老不死などの能力はほぼ七聖女以外に発現した者はいない。発展部分の能力には個人それぞれの特色が反映されており、能力者として最高位、強大で特殊な事象を引き起こす事ができる。奇跡の核心は強い意思が世界の法則すら凌駕して事象を変更させる事にあり、人間の女性にのみ奇跡は発現するとされている。その能力は人を超え神を超え世界すら超えるものであり、生半可な相手では奇跡を使った聖女を倒す事はできない。

 『応永地方』(おうえいちほう)
 大陸フォル東部の巨大自治州。かつて大陸東部を小三国と呼ばれる国々と二分する戦いを繰り広げていた国家、応永の首都を中心に統治されている。現在、東部にて起った『魔王戦』やフォルトゥナ・レギアによるテロによって被害を受けて経済政治の面において立て直しを図っている。

『僻神』(へきしん)
 神格の中でも『意匠』などがない消滅する事ができる程度の力を持つモノを僻神と呼ぶ。神でありながら真正の神に及ばない僻神であるが。本物すら凌ぐ僻神が存在し、また太古の昔から存在し続けているという事実もあり、力のみが神という存在の証ではないという真実を僻神の存在は教えてくれている。

『忌引針弾』(イビキノクシロ)
 対神格、対神官戦用にシノミヤが改造して使っている弾丸の名。一発ずつにシノミヤの改造が施されておりコストで通常弾の四倍。威力で八倍程度のものとなっている。それでも実際の戦闘に際してはシノミヤの不満は尽きない。

『旧古の神話』(グレートオールドワン)
 世界に天使も神も悪魔も魔王も無かった頃。大陸フォルがまだ存在していなかった世界にあった旧き神話の総体。それを現代魔導では『意匠』という象形によって神の性質を魔導に取り込む為に使っている。神話体系はこれだけではなく他にも幾つかあるが、それら全ての神話体系内の神々の『意匠』を七教会などは番号を割り振って幾つかに分けている。

『黄昏の悠久戦争』(たそがれのゆうきゅうせんそう)
 時の魔王『不幸足る者』(ザ・クリティカルアンラッカー)と全知的生命体との最後の戦争。魔王戦と呼ばれる魔王との戦闘は現在も行われているが魔王そのものの力が全盛期であった時に比べると魔王戦の規模は格段に小規模になっている。その魔力が因果を歪め生命に不幸を齎すと言われた魔王との最終戦争には天使、悪魔、人外、人間、教会の唯一神などが加わり、大陸フォル中央部の大森林半径二百キロが砂漠と化した。常識の一部として魔王は最終的に七教会の唯一神に倒され魔力を失って彷徨っている事になっているが事実は魔王が唯一神に勝ち、逃亡を続行している。強大な魔力による因果の歪曲が止まっている事から魔力の完全制御技術を魔王が手に入れたと言われており、一部の七教会関係者は隠された歴史の一部としてその事実を秘匿している。

『新国家群戦争』(しんこっかぐんせんそう)
 大陸北西部に位置した大征国家グラテトが解体戦争以後、混乱した情勢下で新国家群と呼ばれる小都市連合国家となった事が戦争のそもそもの始まりである。「群」が国の名前に入っているのは七教会の支配領域が小都市を分断していた為に大きな国の体裁が保てず都市を連携させて国に見立て形としたからである。黄昏の悠久戦争から二十数年後に起こったこの戦争は人対人の最後の戦争とも言われているが実際にはその頃もう大陸フォルがほぼ統一されていた事から戦争ではなく紛争に近いという意見もある。新国家群戦争以前、新国家群は突き従っていた騎士達のクーデターにより分裂、騎士達が建国した国に領土の六割以上をもぎ取られていた。戦争が起こった時点でほぼ国力は衰退の一途を辿っており、国家が設立した七聖女クラスの能力を持つ戦闘集団『杯越』による軍事行動が辛うじて戦争というだけの戦闘状態を保っていた。戦後国土は騎士が建国した国『ヴィーリア』に吸収合併され消滅した。

『賞金首制度』
 本来は七教会、自治州連合が治安維持を名目に民間から積極的な支援を引き出す為設立した制度であり、大陸統一後の一時期はおおいに活躍した制度である。しかし、二大巨頭の治世が長くなり治安が回復するにつれ制度の活用はされなくなっていった。現在は七教会、自治州連合が賞金を課した犯罪者などの逮捕拘束に活用される事は少ない。どちらかというと探し人を見つける目的の制度利用が主流になりつつある。高額賞金首は現在ほぼいなくなっており制度の存続は難しい現状となっている。最高額賞金首は666億の賞金が掛けられている魔王である。もはや死んでいるか生きているかも定かではない戦争犯罪人なども賞金首になっているが、事実上その名前は高額賞金首というよりフォークロアに近い一種のジョークと化している。

『フォルトゥナ・レギア』
 大陸東部応永地方で大規模テロ活動を行った最も新しいテロ組織。その組織構成、構成員、資金源、など多くの点が謎に包まれている。『フォルトゥナ・レギア』とは王の幸せの意であり、もはや滅んだと思われていた解体戦争以後の王侯貴族系列テロ組織の残党とも言われている。

『公式召喚許可受諾証』(こうしきしょうかんきょかじゅだくしょう)
 通称『無差別召喚陣』
七教会、自治州連合の特殊任務に付く人員、特務にのみ許された都市部での召喚妨害を無効化し、あらゆる品目の召喚を可能にする魔導方陣。その能力の性質上、戦闘時この陣を使った特務の武装量はほぼ無制限とすら言われている。実際には長期戦などを視野に入れた際の補給の不要、多種の武装の使用可能、などの状態である為、本当に武装が無制限であるわけでも補給が不要なわけでもない。しかし、それでも通常では考えられないような量の武装を扱う事ができ、銃などを使用すれば弾丸の残弾を気にせず戦えるなど利便性は大きい。戦闘中の空間転移能力はアドバンテージが大きい、特務との戦いで相手が一か所に留まるような戦い方をすれば何処からともなく銃弾の雨が降り注ぐ事だろう。巨大兵器などの使用もできるがコストは自分持ちの為、中々手が出せないというのが現状で、大型の武装を扱う者は少ない。

『プラグマモデルタイプE柩』(プラグマモデルタイプイーアーク)
 高格外套と呼ばれる七教会の個人兵装には幾つかのタイプがあり、その内の一つがプラグマモデルと呼ばれる高格外套である。鎧である高格外套は機械で作られた天使とも悪魔とも付かない姿をしている事で有名である。タイプEのEはequipのEであり、多量の武装を装着する事に由来する。『柩』とは文字通りの意味であり鎧こそが棺桶であるという視点に基づき名づけられている。意訳すると実用的武装装着型高格外套柩という感じである。

『魔力駆動系』
 魔導には大まかに分けて四つの分類が存在する。
魔力駆動系
法則干渉系
因果干渉系
概念干渉系
この四つに分類される中でも魔力駆動系は特に超常の現象を起こす際にその現象を起こす源となる魔力について様々な力点が置かれている魔導である。その際に言われる『魔力』とは現代魔導の場合、あらゆるエネルギー総体としての魔力を言うが、魔導源流の場合、魔力の定義そのものがまったく別モノである事もある。『燃焼素』こそを魔力と定義する魔導源流では、黒い金属物質である燃焼素を集積反応させる事で絶大なエネルギーを生みだす事ができる。しかし、反面集積が極度に難しく反応の制御が疎かになった場合、自爆して即死する可能性もあり大変危険である。

『魔導の意匠』
 現代魔導と呼ばれる技術体系は過去に存在した魔導源流の要素を抽出、再構成した究極の汎用技術の総称である。現代魔導は主に三つの構成要素からなる。即ち、
 『意匠』
 『音源』
 『所作』
である。
 これら三つの内『意匠』とは神々の神話内から抽出された象形の事である。この神々の象形を魔導に描きこむ事により魔導は神々の性質を反映させられるようになるのである。神話から抽出された『意匠』は数千から数万種類以上存在し、下級から上級まで危険度などに沿って七教会が管理保管している。意匠は遺跡や古文書などの遥か過去からの遺物に記載されている事が多く、それらの『新しい意匠』を収集する事業は社会全体で行われている。大学の研究、企業が進める事業での新意匠発掘など一種のトレジャーハントの色合いがある為、まったく新しい意匠の発掘などには莫大な利権が動く事もある。

『光弾の魔導』
 現代魔導の中でも最もポピュラーな攻撃用魔導。意匠を使わずとも必要最低限の秘儀文字などを使う事で簡単に発動する事ができる。汎用性は極めて高く、殺傷能力のある攻撃魔導にもなれば、パーティーで打ち上げる花火にする事もできる。暗闇を照らし出す光源などや辺りを温める熱源としても利用可能という現代魔導を代表する魔導である。元々関わりのない魔導源流が初歩的な超常の現象を扱う時、光、闇、火、風、土、金、etc、かなりの範囲で根源的な属性を扱う部分が共通している。

『表層神格化』
 神でない者に神格の特性を見出す時、その事象を表層神格化と言い表す。何を持って神格と言い表すのかという問題もあり、表層神格化と言い表される時にはかなり強い超常の力を持った神格の性質を表していると理解するべきである。

『外に住まう者』(オーバーイグジステンス)
 外なる神々とも呼ばれる宇宙の外側に居るとされる存在の総称。宇宙を俯瞰する位置にいると言われる存在は人間やその他の宇宙の中の存在より存在が高位であると言われている。しかし、実際には観測する事に人類が一度でも成功した試しがなく、発掘される意匠や古文書などに出てくる存在の片鱗のみがその存在を証明するのみである。外なる神々は邪神とも呼ばれる存在で、知的生命体とはまったく別のベクトルにそって行動すると言われ、未知で邪悪なる存在とされている。

『戒厳領域法』
 人が触れてはならない領域への干渉を禁じる法律である。実際に使われる場合の用例としては酷界や天界などへの転移や召喚を行える状況を生みだした者への罰則がある。他にも危険と七教会が定義認定している特定の空間へのアクセスの禁止などが規定されている。一部有識者からは七教会がこの法律を使い特定の空間へのアクセスを禁止している事により莫大な利益を得ているのではないかとの指摘も存在する。

 『大いなる力』(イド)
 大陸フォルでは複数、魔力の源と呼ばれる力が存在する。現代魔導での魔力定義下において『大いなる力』とは自然発生的な世界中どこにでも遍在するエネルギーの事である。本来はまったく薄く空気のような存在で一切エネルギーとして扱う事はない。しかし、ある種の技能による遍在エネルギーの集積方法が確立された時点から無制限無公害無製錬で扱える『大いなる力』は巨大な魔力源として使用されるようになった。しかし、それら魔力集積技能の行使は極端に難しい部分があり、魔力としてエネルギーを集め過ぎてしまう事も問題とされた。更に現代においては魔力よりも電力が生活基盤として定着している為に大規模エネルギー源として公的に「大いなる力」が扱われる事はなくなってきている。

『オリハルコンとミスリル』
 言わずと知れた超魔法的貴金属。
魔導の触媒として昔から変わらずに少量の購入で莫大な金額を請求される。しかし、それらよりも注目するべきは金属類に関しての加工技術が飛躍的に上がった事である。加工技術の飛躍的な向上は触媒としてのオリハルコン、ミスリルを過去よりもより効率的に反応させる事を可能とする。そういった技術進歩に伴い幾らか安価になる合成オリハルコン、ミスリルなども出回るようになっている。シノミヤが扱っているのは天然純度百パーセントの『普通』な代物である。とりあえず女性に贈れば喜ばれる事山の如しな品であるがシノミヤはそんな事には使わないお約束。

『死法告者』(ボフ・スメルト)
 死を司る神の一種。死神と言ってもいい。しかし、死を司る神というレッテルによって本質が見逃されがちな神は多い。死を司るとは死を与えるという属性だけではなく、死を看取るという属性も含まれている。更には死に際して発現する走馬灯のように記憶に関連した死のイメージも実は死神には含まれているべきである。決して死を与えるだけではない死神はタロットカードのように反転すれば生の象徴ともなりえる。安易に死神が暗い属性だと決めつけるのは聊か尚早なのである。

『低位術法魔力駆動体』
 魔力によって駆動する構造物体の総称が魔力駆動体である。ここで紹介されている低位術法魔力駆動体はあまり魔力を使わずに簡単な魔導により扱う事のできる下級の構造体である。過去の魔導源流では使い魔やゴーレム、ホムンクルスetc多くのこの類の構造体が扱われていた。現在、大陸フォルにおいて知性を持った魔力駆動体の製造は禁止されており、術者が幾つかの条件を満たした場合のみ製造可能となる。生命の神秘はあまり扱われるべきではないとする七教会の倫理条項の内容が知性を持った被製造物知的構造体の歴史的な悲惨さを伝えている。

『マギア・セクスアリス』
 マギアとは魔法の意である。セクスアリスとは性の意である。つまり、この魔導は性の魔導という意味になる。性に関する魔導は基本的に太古の昔から存在するポピュラーなものであり、巫女兼娼婦が世界最古の仕事である事を思えば、この魔導は最も古い魔導に分類できるだろう。男性と女性、陰と陽、雄と雌、対比されるこの類の魔導の極意は基本的に【和合】つまり交わる事によって発生する【全】を手中にし超常の現象として扱う事にある。世界の真理が一つあるとするならば、それは確実に男と女という二種類の形質に外ならないのである。

『世界を満たす力』(マナ)
 『大いなる力』と同列に語られる自然発生的魔力源の一つ。魔力定義によっては同質のものとみなされることもあるが、エネルギーとしての実態はまったく別のものである。これらの自然発生する魔力源の関係は空気の構成に似ている。空気を構成する酸素、窒素、二酸化炭素などの主要物質と魔力源の関係は一緒であり、まったく別のものであるが混合されて空間に遍在している事は同一なのである。

『人外の特区指定区域』
 人外に対して大陸フォルでは近年になってから人権を認めるようになった為、人外の人に対する風当たりは冷たい。人外の寿命が人間よりも数倍程ある事も原因の一つであり、過去人間と敵対していた記憶は人外の中では今も生々しい。人外の特区はそんな人外に対しての経済的保障を行う為の措置として七教会、自治州連合が行っている支援策の一つである。減税措置や公共財への投資、補助金制度など様々な面で人外は優遇されている。これらの措置が差別ではないのかとの意見も一部の有識者から出ているが過去の賠償という名目で今も特区は続けられている。

『封結陣』(ふうけつじん)
 一定の領域に対して行われる措置。大規模なものから小規模なものまで様々なものがあるが、陣自体の基本的な能力は指定領域内の存在に対して一定の限界を設けるものである。魔力の回復、使用の制限、肉体的回復の遅延、対象者の能力に対する発動条件の不可などが効力として考えられる。存在の封印措置などとは違い、あくまで指定領域内への外部からの干渉、制限に重きが置かれている事から戦闘で相手を無力化する為の措置としても利用される事が多い。

『小丘』(モナドノック)
 シノミヤが扱う武装の中でも最大級の破壊力を誇るのが『小丘』である。シノミヤの武装には本来の特務からは考えられない大規模破壊武装が数多い。それは正に三課という神と戦う課で鍛えられた過去があるからに他ならないが、それにしても『小丘』の使用は一兵士が戦車を持ちだしてくるようなものである。過剰な破壊力を持つ武装の使用は作戦行動にもよるが、通常の知的生命体に使うのは躊躇われるものであるのは間違いないはずで、ある意味そのタブーを一切斟酌しないシノミヤだからこそ戦力として優秀であると言えるかもしれない。容赦がないという事は実は最も優秀なスキルなのである。

『神格契約者』(ディアコノス)
 本来は従者の意である。神の下僕という意味であるが、実際の関係は神の力を貸し出す契約であり、本来の『神格契約者』は神に服従しているわけではない。一種の賃貸契約に近いが、神側からすると人に力を貸し出すメリットが皆無に等しい。基本的に対神戦闘を想定している為、契約する神も強力な能力を持つものに限られる。これらの条件から『神格契約者』の数は三課全体でも五人から二十人前後で推移するに留まっている。過去七教会傘下となる前から『神格契約者』はいたが数が少なく戦力としては不安定であった。『至高の貧民窟』完成後から僻神と三課の交流が進んだ為、最盛期には二十人の『神格契約者』が生まれたが、黄昏の女神の訃報と共に三課主要メンバーは離散、新規の契約はその後五年で一度も行われることなく、大量の人員整理と新たなメンバーの補充が行われるまで『神格契約者』は一人のみとなっていた。

『悲愴戰域』(トラゴーディーバッファー)
 外侵廃理第三課総括ディグ・バルバロス・アウトゲネスの眼球に組み込まれた『神の目』(アドバンスドインテリジェンス)に『神の言葉』(サードランゲージ)によって対象が記述される事で起こる無限遅滞現象。哲学上、全ての事象はテーゼとアンチテーゼが『止揚』される事により新たなテーゼを生み出すという繰り返しによって成り立っている。このテーゼとアンチテーゼによる次の事象への『過程』が留められる事により、物理的、魔導的、あらゆる事象は見かけ上の停止へと追い込む事が可能になる。これは概念干渉系魔導の研究上で極められた頂点の一つであり、変化と言う概念自体を変質させる事で現実に干渉しているのである。極めて抽象概念的である『止揚』などというソレを留める為、より具体的な説明が付けられる事象や概念は全て影響を受けてしまう。
 疑似的な時間停止などにも見えるが実際には時間そのものは止まっていない。あくまで『止揚』そのものの概念に干渉している為、変化する全ての事象に対して影響を及ぼす事のできる、時間停止よりも上位の『現象遅滞』であると考えるのが妥当である。
これを使われた神々は現実には活動が停止したわけではない。しかし、見かけ上は止まっている。物理事象上ではその現実は移り変わりが『途中』のままである。
現実が奇妙に捻じ曲がる結果、神々は見かけ上永遠に『突撃し続ける『途中』を続けている』状態なのである。
ディグが扱う『神の目』はこの現象を引き起こすと同時に天蓋にその現象の永続を要請、天蓋の機構が神のいる領域を永遠にその状態で保ち続ける事となった。
『神の言葉』とは現実にある記述言語には該当しない、この領域よりも上位の領域において意味を持つ言語である。通常の領域(人が五感により知覚する事のできる領域)では記述する事ができない『真理』に該当する。しかし、高位の領域へと干渉する者は高位領域へと干渉する前からこの『真理』を知っている。高位領域へと干渉するものにとってそれは既知である。意識する以前の状態で、その「真理」を言語化する機能が組み込まれている高位領域の知的存在から七聖女フルー・バレッサはソレを抽出し、『神の目』へ記述可能な言語に変換、プログラミングしたのである。『神の目』は高位の領域での知覚、演算、記述を同時に行うハイアドバンスドツールである。使用者を一時的に高位領域の存在と同等の干渉ができる存在へと引き上げる存在のエレベーター、あるいはその状態を達成するデバイスと言えるだろう。

『国父』(パテル・パトリアエ)
 悪魔達が治める酷界においては前談で記述したように三つの勢力の均衡によって統治は成り立っている。しかし、三勢力はそれぞれに独自の統治を行っているわけではなく、実力者、有力者による合議制によって酷界の総意を決定している。これは民主主義というよりは独裁に近い形での統治である。その合議を行う母体においてはどの勢力の実力者だろうと他より突出した者はない。能力が低いという事ではなく、誰もが能力の過剰による究極的な存在に近い為である。合議制である以上役職が必要とされる為、悪魔達は合議をする者達に一人一役の形で役を与える。『国父』は合議を行う者達の中でも格別の地位である。仮にも国という文字が宛がわれているのはその地位に付く者の酷界における影響力の強大さの表れである。現在の酷界での合議母体は『黄昏の悠久戦争』の後遺症で合議を行う高位悪魔達の殆どが力を失うなどの失態を冒しており、ほぼ休止状態に陥っている。それを機に台頭した大悪魔、通称『寝たきりの貴婦人』が混乱を収拾し酷界を一応統治している。悪魔達の混乱に乗じた新興勢力の台頭はその大悪魔だけとされており、事実上の一極独裁体制が敷かれている。高位悪魔の殆どが『黄昏の悠久戦争』で力を失ったというのにどうしてその大悪魔が力を保持していられたかのかと言えば、その悪魔の特性が怠惰であったかららしい。戦争に加担するのが「めんどくさい」と戦時中も酷界にひきこもっていた為、魔王との戦闘を一度もする事なく過ごしていたのだという。漁夫の利的な部分が多分にあるが、その実力は酷界においても最上位に近いとされている為、未だにその支配を打破する悪魔はいない。

『異邦人』(バルバロス)
 一定の地域において別地域からの移住者、あるいは旅行者などをよく異邦の者と呼びならわす。異邦の神を信奉する者を排斥する傾向は中世から近代に掛けて、現代にすらも残る古い慣習の一部である。このディグの場合の異邦とは地界にとっての酷界に当たる。しかし、更なる意味として超絶無比の力を持ち高みに立つものが、低い場所に立つ者達、人間の中にあるという意味での異邦でもある。突出した個人と周囲の間に不協和音が奏でられるというのはよくある話である。孤高にある者はそれで生きていけるだろう。しかし、誰もがそれ程に「強く」在れるわけではない。かといって高みから見下ろす景色を忘れられるわけでもない。それゆえに高みに立つ事を止める勇気を持ち人と交わるディグを紳士は賞賛しているのである。

『LORD  OF THE DEITY』(神々の主の書)
 シノミヤの夢に出てきた空白に見える神がお中元のノリで置いていった書物。シノミヤのリビングの書棚に収まっている代物。
 その実態は『源書』(デウスヒストリア)と呼ばれる世界の記録を全て内に持つ究極の記録媒体、その亜流本である。『源書』はアカシックレコード、空の契約書などと言われる宇宙の始まりから終わりまでの記録を参照することのできる遥か過去の何物かが生み出した万能検索エンジン、要は目録であると言われている。『源書』は写本なども複数存在し、同列に語られる書物も複数ある。そのどれもが魔導を極めた何者かの手によって創造されたものであるが、本物ほどの情報検索能力は備えていない。『源書』そのものはあくまで記録へのアクセスを可能にするだけの代物であり、検索するには読み手の知覚能力と技量、魔導による支援などが欠かせない。情報の検索と一言で言うが、宇宙の全ての記録の参照とは、つまり「何でも見る事ができる」という全智に外ならない。源書の内部に含まれる情報を上手く使う事ができれば、世界の如何なる情報も知りえるだけではなく活用するだけで全能、万能、そうなる事すら可能である。
 ティアが召喚によって引き出したこの書物は特に神々についての事項を全て目録化している為、神々の情報についてならば何一つ解らない事はないという代物である。この書の力は神々の構成情報を使い究極の神格創生術を扱えるというものである。神々の主とはその名の通り、神を創り、その神の主として君臨する事ができるという事である。創られた神と本物の神に区別などありはしない。世界に並行世界という概念があるように神もまた時間や空間に影響される存在であり、情報という部分で抜き出されればそこに本物も偽物もない。ただ、術を実行するには極大の魔力と制御のコストが必須である。ティアが行ったのは神々の構成情報の記述の内、能力の部分のみを顕現させる言わば神の能力の創造である。神格の全てを顕現させるほどのコストをティアは払う事ができなかったし、払う必要もなかったから当然と言えば当然である。それでもコストとして支払ったモノは大きく、一度成長した姿も元に戻るなどの現象が起きてしまった。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」プロローグ
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/14 11:07
回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」

プロローグ『ある晴れた日の休日二人で散歩にいった』

ふらつく体を引きずって鬱蒼と茂る森の中を歩んでいた。
腹が空く苛立ちを足に込めて往く。
僅かな理性を動員し息を潜めて足を動かす。
濡れた全身から奪われる熱気、命が枯れていく。
泥に塗れたトレンチコートのポケットから泥の棒となった一本を取り出して咥えた。
マッチの一本もない。
火を付ければ居場所はばれたかもしれないが、一服できない方が疲弊するのは間違いない。
舌打ちをして進む。
導かれるような確信を持って長い道を往く。
空を見上げて嗤う。
夜気を貫いて届く遥か彼方、星屑の光。
体を温めもしない冷たい輝きは虚ろな胸を貫いて地面へと消えていく。
静けさが響く世界であつらえたように鼓動は弱まっていく。
やがて、森が開けた。
風が初めて吹き、思わず手を翳して遮る。
汗が吹き払われて肉の塊に近づいていく自分を感じながら、視線を前に向けて、思わず体が固まった。
数多の敵に包囲されていた、わけではない。
数多の味方に守られていた、わけでもない。
そこにはただ目を見張るような光景があった。
意識の全てを奪われるような景色があった。
遥か太古の昔より、戦場に最後に立つ者は英雄と呼ばれた。
百人殺せば虐殺者、千人殺せば英雄で、万人殺せば神様だ。
ならば、だとするならば、目の前の光景を創った存在はそんな神すら超えている。
「―――――――――――――――」
長い道の終わり。
地平まで埋め尽くされていた。
黒々とした巨大な体躯。
古より神と崇められている種の一つ。
実際に神となった個体すらもいた。
そんな巨大なモノが地平まで死んだわけでもなく、動いているわけでもなく、無数に横たわっていた。
竜。
狂い咲く黒の血飛沫に染められた世界の中心、遥か先には孔。
信じられないような大きな孔。
「―――――――――――――――」
冷めていく感覚、視界の先には扇状の空白地帯。
二人の存在が起立していた。
黒髪の小さな背中。
両手には似合わない拳銃。
黒い服に身を包み、遙か空を向いている少年。
もう一人は女。
たおやかな物腰に橙色の布を纏う後姿。
風に靡く長大な亜麻色の髪。
「―――――――――――――――」
女の髪に結わえられていた軽やかな鈴が響く。
黒い少年が銃を腰のホルスターに戻す。
その乾いた音に女は笑いだした。
まるで劇の道化を見ているように鈴を鳴らしながらコロコロと笑った。
「やはり貴方は良いな。実に良い」
女は本当に嬉しそうに笑う。
「糾えるこの身すら貴方は怖がらないのだから」
「そんな・・・」
「謙遜するな。我の贄殿♪ ん」
「んむッ、~~~~?!」
「―――ふぅ」
「ッ、~~~~~」
「ふふ、さて、行こうか。あまりこの地の空気は合わないのでな」
女はクスリと妖艶な笑みで少年に笑いかけるとクシャクシャと頭を撫でた。
女の手が少年の腕を取った時、もう二人の姿は消えていた。
「――――――――――――――ッ」

その日、神を自称する獣の群れが一つ消えた。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」1章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:16
第一章 『HIGRANEXLIN』

sideN(now)

回統世界ファルティオーナ。
天界、地界、酷界の三界からなる世界。
地界を表す時、人はそれを「大陸フォル」と呼ぶ。
魔王との戦争から五十年。
『幸せの世代』と呼ばれる時代。
もはや暗黒の時代は終わったと教科書に載る程度には平和な世界。
そんな大陸の東部の小さな一地域の街角の案外大きな喫茶店のカウンターの上から上がったのはそんな平和とは程遠い断末魔の叫びだった。
「もう一度言ってみろ、変態がぁああああああああああああああああッッ!!」
「何か誤解があるようなんですがマドモァゼルゥウウウウウウウウウウ?!」
アガッヒグゥピギィイイイイイ。
人間の断末魔とは思えない奇抜な叫びに喫茶店の他の客は迷惑そうに騒動を眺めていたが「いつもの事」と素知らぬ顔で耳栓を取り出して騒音を排除する事にしたらしかった。
「だってッ、だってッ、あ、ああ、あの子とお風呂一緒に入ってるとか今の状態のまま入ってるとかッ、この変態がぁああ?!」
「だから、それはッ、業務上の理由だってッ。『外侵廃理』の技研でもあの肉体の変化が特に問題ないって事しか解らなかったから、何か不具合が起きた場合に『その筋専門』のオレに定期的な検査義務がッ!?」
「せ、せせ、専門家ぁあああああ?! まさか、はッ?! そ、そんなシノミヤさんッ。あの子の体の隅々まで嘗めるような視線で見まわしていたから『その筋専門』の扉が開いてッ?! ダメッッ、ダメですよッ!? シノミヤさんがほ、本当の変態になったら私はどうしたらいいんですかぁあああああああああ!!!」
バシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシ。
銀色のトレイを振りまわしながら座っている男を叩いているのは少し控え目な色の衣裳を着たウェイトレスだった。整った顔立ちに意思の強そうな瞳は座る男を前に涙目になっていた。
「タオル装備だって言ってるだろ?! それ以前に大人としてその大人げない対応はどうなんだ?!」
カウンターに座るのは皮ジャンにジーパンという出で立ち、黒髪黒眼の二十代前半の青年シノミヤ・ウンセ・クォヴァだった。シノミヤは何かダメな人を見るような視線のウェイトレスにゲッソリしていた。
「ご、ごまかそうったってそうは問屋が卸しません!! そうやっていつも煙に巻いてッ。今日こそあの子との関係を白状してもらいます!!」
「だぁかぁらぁああ」
シノミヤがウェイトレスに反論しようとした時、今までシノミヤの左隣の席で沈黙しジュースをストローで啜っていた少女が隣で繰り広げられる騒動に小さな声で水を差した。
「お父さん。喫茶店静かに」
「う、反論できない」
「ご、ごめんなさい」
二人の大人げない大人に水を差した少女はシノミヤと同じく黒髪黒眼の十代後半18歳程度に見えた。髪は膝まで届く程長く、顔立ちや立ち振る舞いは猫のようにしなやかな印象を他人に与えている。着ている衣装は黒の礼装でシャナリシャナリと音が聞こえてきそうな壮麗さを兼ね備えていて、顔がシノミヤに似ている事から二人は兄妹にも見えるかもしれなかった。
「・・・・今日どうするの?」
無垢な子猫のような瞳の少女にそう問われてシノミヤは慌てた。
「午後だけ休みなんて貰ってもな。計画も立ててない人間にどうしろと言うんだ、というのがオレの意見だ」
「シノミヤさんッ。女の子にはもう少し優しくするべきです! わ、私ならこんな晴れた天気の日にお休みが急にできたらルンルン気分でモールにお買い物とか、あるいは遊園地に行ってみたりとか」
「ルンルンとか遊園地とか、案外少女趣味なんだな」
呆れた瞳のシノミヤにウェイトレスは顔を赤くするとキッとシノミヤを睨み付けた。
「しょ、・・・シノミヤさん。女の子にそんな事ばっかり言ってるといつか「あ、あんたなんかし、死んじゃえばいいんだからね」とか言われてドスッてされますよ! ドスッて!」
「それはどんなツンデレなのか聞いていいか?」
もはや混沌とした場をこのままグダグダやって収拾することは不可能とみて、シノミヤは隣で仄かな期待感を寄せてくる黒猫みたいな少女を何処に連れて行ってやるべきかと思案した。
「お父さん?」
シノミヤが唸り始めると少女はジッと視線をシノミヤに固定したまま見つめた。
それを見たウェイトレスは少女の視線に瞬間的にドキリと心臓が打ち、嫌な汗が出る。
(何処がお父さんですかシノミヤさん・・・・こんな視線、想ってない人に投げ掛けられるわけないじゃないですか・・・・)
お父さん。
言葉に秘められた親縁は普通の家庭より複雑な背景が存在するとウェイトレスはシノミヤから聞いていた。詳しい事は仕事上の守秘義務で話せないと言うシノミヤの言葉は逆に言えば少女がシノミヤの仕事に関わるような何らかの問題を抱えているという意思表示に他ならなかった。ウェイトレスにとって数年来の友人であり想い人であるシノミヤは七教会(しちきょうかい)と呼ばれる巨大組織傘下の特殊な部署に務めている。
『外侵廃理』
この世界に降臨する神を排除する機構。
そこで働くシノミヤに助けられた事がウェイトレスとシノミヤの関係の始まりだった。だから、ウェイトレスにだって分かってはいた。
シノミヤがそんな○○で○○な感じに小さい時から鬼畜な変態で子供ができてしまったのではない事ぐらい。シノミヤの横にいつも佇むようになった少女がとても複雑な背景の下でシノミヤの傍にいるのだという事ぐらい。そして、シノミヤがそれを踏まえてやはり自分には深いところは教えられないと決めた事ぐらい。
「シノミヤさん。そういえばネコちゃんの服装はいつも同じっぽいというかそのままですから、服とか買いに行ってあげるのはどうですか?」
「ネコちゃんて。お前もタシネと同じか」
黒髪の少女は未だに名前が無いという事をシノミヤが告白してからそれなりの時間が経っていた。猫っぽいという事だけでシノミヤの職場の後輩である青年が仮に付けたのがその「ネコちゃん」という愛称だった。
「それなら早くシノミヤさんが付けてあげてください。その子だってシノミヤさんが名前くれた方が嬉しいはずです」
コクコクと少女が頷き、シノミヤは渋い顔になった。シノミヤの語彙ではまだ少女の名前が決まるまで時間が掛りそうだとウェイトレスが苦笑した。
「ほらほら、決まったならとっとと行ってください。私もシノミヤさんにずっと付いてられる程暇じゃないですから」
ウェイトレスがシノミヤと少女の小指を持って結びつけ「楽しい処に連れていくと私シノミヤは約束します。指きり拳万嘘付いたらハリセンボン」とお約束な言葉を勝手に紡いでいく。
「決まってないだろ。おい!? 待て待て待てッ」
「指切った。はい、約束完了。後はシノミヤさんが約束を守るだけです」
「だから、どうして、ちょ、何で蹴りだす必要がッ」
バッコーンと良い音がしてシノミヤの体は扉にぶち当たりながら蹴り出された。

sideM(memory)

いつものオデン屋からの帰りだった。
いつもの団地の道すがら、横を通る環状道路をふと見た時。
何かを感じた。
揺ら揺らと揺らめいた道の上、顔色の悪い男がくたびれたスーツ姿で一人歩いていた。
道が揺らめいて見えるのは酒の入り過ぎかと反省し、通り過ぎようとして、気づいた。
「・・・?!」
顔色の悪い男がもう一人歩いていた。
いや、精確にはまた一人だ。
同じ顔の道歩く男。
足が竦んだのは何か悪い予感が脳裏を圧迫したからだ。
それが致命的な遅延だった。
見てしまった。
男が増えた。
一人が二人だったのが三人六人十二人二十四人四十八人九十六人それ以上―――。
顔色の悪い男達が同じ顔をして道を行進していた。
魔導ならば可能な芸当。
しかし、生憎と魔力も魔導も気配などなかった。
「ひ・・・あ・・・」
まるで道に溢れるのも飽きたと言わんばかりに男達は宙にも増えていく。
瞬きをした次の瞬間・・・亡者達の行進が止まっていた。
グリンと首だけが直角に曲がり男達と視線が合った。
「――――あ」
『あいつを連れて来い』
異口同音の合唱に顔が引きつれて、
『あいつを連れて来てくれ』
「う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
意識が落ちた。

sideN(now)

『っていう事件があったんですよ。先輩』
シノミヤは市街のブティックの一角で端末を耳に当てながらカーテンの閉まった着替え室を見つめていた。
「で、タシネ。オレにそれが何の関係があるのか四百文字きっかりで教えてくれ」
「届出がその酔っ払いだけなら誰も相手にしない類の怪談か与太話ですけど、今月だけで届出が百五十件。しかも、全員が魔力その他の魔導の気配を一切感知していないという話です。これらの届け出を『外侵廃理』は神に関する案件に準ずるものとして認定しました。これにより案件5765号は正式に四課の担当案件、それが分署に回ってきたって寸法です。本来、先輩は現在進行形で人外の襲撃事件専門になってるはずなんですが、上から先輩にこの事件を回すようにとのお達しが来てます」
「・・・・解った。端末経由で情報を送れ。この件に関して二佐は?」
「はい。それが『くれぐれも無茶はしないように』と、それ以外何も話してくれなくて」
「タシネ」
「はい」
「これからルートDで情報を集められるだけ集めろ。この間から感じてたが、明らかに何かがオレ達の知らない所で動いてる。お前はもしもの時の為にいつでも出られるようにしとけ。あと」
「分かってます。先輩の武装一式の使用申請は済ませておきます」
「ああ、それとオレの貸金庫の場所は知ってるか?」
「あ、はい」
「オレのデスクに鍵と番号がある。これから急いで銀行から召喚物品の置換倉庫に中身を持ってけ」
「そこまでする必要が?」
「この間の人外の襲撃事件からこっち、何かがオカシイ。誰の計算か知らないが、オレ達が何らかの駒にされてる可能性がある」
「陰謀ってやつですか?」
「上が何か隠してるのはこの間から分かってた事だろ。お前だって心当たりはあるはずだ。オレがこれを確信したのはこの間死に掛けた時だ」
「・・・・・・」
「オレ達がこの頃関わった事件がそもそもオカシイ。神の欠片との接触に、外なる神の受肉、オレの剣がこの間勝手にビルのカウンターに刺さってた時も調べたが、次元転移系列の術っぽい反応があったって一課の馴染みの話だ。それなのにお咎めらしいお咎めも事情聴取も無し。更に三課の新人の試験管紛いな仕事の時も本当にオレが試験管だったのか疑問だな。本当は誰を試験してた? まだあるぞ。元テロ組織の幹部がオレを知っていただけならまだ知らず、その男とオレが出会ったなんてのは偶然なら天文学的確率だ。極めつけはこの間の人外の都市への出張。確実に二佐は何か知ってる。だが、現状では話せない。そんなところだな。それでなくてどうして肝心な部分も話さず、無茶だと思うような任務をオレ達にさせる?」
「先輩。それは・・・」
「いや、少なくとも無茶だと助言はしてくれてるわけだ。タシネ。お前も覚悟しておけ。あの二佐が無茶だと言うからにはそれなりの厄介事になる」
端末の先の声がゴクリと喉を鳴らす。
「先輩って、いつもとキリッとしてる時のギャップ激しいですよね」
「余計な御世話だ」
「それに案外考える人ですし。先輩がどうして二佐に重宝されてるのか分かった気がします」
「昔からの習い性だ。三課じゃ人材の登用基準なんて強さだけ。何処の誰がどんな目的で組織に来たのかなんて二の次だからな。清濁併せ呑んで問題が山積み。裏切りから情報の流出から技術盗難から、まぁ魔窟だな」
「三課への転属が決まったらきっと僕なら辞退します」
乾いた声が苦笑した。
「次から定時連絡を五時間毎だ。もしも連絡が無いようならランクSS以上の装備使って独自の判断で動け」
「了解しました。・・・・それにしても」
「?」
「どうして東部分署の僕達なんですかね。もしもいるならですけど、その「誰か」は先輩や僕よりも強い人間ぐらい探せそうな気が」
「オレが「シノミヤ」だからだ。たぶん」
「はい?」
「何でもない。もう切るぞ」
「はい。御武運を。先輩」
プツンと端末の通信が切れたところでシノミヤは端末を懐に戻した。
「お父さん?」
「ん。着替え終わった・・・か・・・」
シノミヤの尾語が小さくなった。
沈黙。
目の前にいる少女の姿にシノミヤは数秒間目を奪われていた。
黒髪のあちこちに黒い紐で結わえられた鈴。
いつもの大人しめな礼装とは違う、布面積が少なく、生地が薄く、腕や肩や足や腰など細部が露出した黒ゴス系の衣裳。スカートに入ったスリットも大きく、男の視線を奪うには十分な威力を発揮していた。それに加え薄く化粧を施されている少女はいつもよりも大人びて見えた。
「・・・・・・似合ってる」
ポリポリと頬を掻いてシノミヤは少女をそう賞賛した。
「うん」
少女は嬉しそうに頷くとテッテッテッと早足にシノミヤの傍まで小走りでいつもの如く腕にしがみ付く。小さな鈴が涼風を運んでくるような音色を立てた。
「で、その鈴とメイクどうした? オレは服を買いに来たはずなんですがマイドーター」
「あの人がくれるって」
少女が指さす方には四十代ぐらいの女性が満面の笑みでメイクの道具を仕舞っていた。女性は少女に気付くとまるで娘を愛でるような笑みで嬉しそうに少女に手を振った。
「礼は言ったか?」
少女がコクリと頷く。
「それならいい。もう一度頭下げとけ」
少女は丁寧に頭を下げた。その様子に女性は「ほほほほ」と口に手を当てて「いいのよ」的に手を振った。
「それと悪いが急に仕事が入った。これから現場に行く。埋め合わせは今度でいいか?」
少女はまったく動じた様子もなくコクコク頷いた。
五分後、少女とブティックから出てきた時、シノミヤの口から半分魂が抜け出ていた。
少女の服の代金の予想外さに心を滅多打ちにされたからだ。
えてして、女性の服というものは高いと相場が決まっている。それをシノミヤ・ウンセ・クォヴァは知らなかった。
まるで少女との約束を破った罰のような金額はゼロが五つも付いていた。

sideN(now)

物事には何事にも始まりと終わりがある。
物語にはいつでも始まりと終わりがある。
そう昔の事でもない。
その終わりと始まりを感じた事がある。
始まりは白い部屋に一人だった。
幼い頃の最初の記憶。
代り映えのない部屋の記憶。
それが変わったのは部屋がその日罅割れた事に始まった。
部屋が割れ、その先から入ってきた少年は手を引いてくれた。
空に舞い上がる二人の影。
黄昏(たそがれ)の女神と黒い少年。
その腕の内に抱かれて見た初めての世界。
それが本当の始まりの日。
多くの事を知り学び感じ想い、そして願った始まりの日。
終わりが来るまでの数年を決して忘れる事はない。
鮮烈な記憶。
悲しみも恐怖も痛みも知った。
喜びも想いも憧れも知った。
まるで父と母の如く傍にいた二人の影。
その間でずっと笑顔でいられた事が何よりも奇跡だった。
幸せというものに陰りが射すのだと知ったのは偶然。
黒い背中が一人で戻ってきた時の事。
背中は振り返らず、一人で生きていかなければならなかった。
どんな時も一人でどうにかできるようにならなければいけなかった。
「赤」
回る世界には赤と黒。
正に運命の縮図。
赤く濡れた手を見て悲しみを覚えるか。
黒く汚れた手を見て胸を痛めるか。
それともその二つの手を誇りとするか。
『赤』
『NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO?!』
『YEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
せめて、物語の最後にはその手で大切なものを掴み取っていたいと願う。
「くそッ?! そこのお嬢ちゃんはどうしてそんなに強いんだ?!」
ただ、それはとても難しくて、今手にする事ができるのはビル一つ分に相当する希少金属の延べ棒なんて下品なものしかなかった。
「赤」
レートは二倍でも十六回の連勝。
手元の資金は化けている。
最後の一投が放り込まれる前に『翅』を展開する。
周囲の照明が一斉に弾け飛び、展開された硝子の翅は地下から吹き伸びて天井を消し飛ばした。瞬間的な暴風が過ぎさると後に残るのは髪をボサボサにした紳士淑女と目の前で奇跡的にひっくり返らなかった台だけ。ルーレットの中では未だに玉が回っていた。
「逮捕拘留の承認を」
耳元からノイズ混じりの声が魔導の光で形作られる羽根から響く。
『うん。いいんじゃないかい。神関係の品が景品にされてるって話だったけど今確認が終了したみたいだ。これから拘束部隊を向かわせるからそれまでは現場待機でよろしくお願いするよ』
「はッ」
『東部分署総括の権限にて命じる・・・って、何か照れるなぁ。シノミヤ君にもこんなかしこまった言い方はしないから。はは、それじゃあ』
カタリと玉が落ち――台がその瞬間傾き倒れ、玉が床に落ちる。
磨き上げられた床に映るのは玉の白さではなく星の瞬き。
空を見上げればぽっかりと開いた穴の先に星々の群れ。
(シノミヤ。今日のお休みどうしてるかな)
手を見降ろせば傷だらけの手。
シノミヤの傍で笑っているあの子とは似ても似つかない傷だらけの手。
(でも、この手があるから一緒にまた居られる)
この手が誇りだとそう胸を張って言えるから。
「シノミヤ・・・・・」
一緒に過ごす休日が早く来ればいいのにとそう思う。だから、そんな日を実現する為にまた傷を増やしても構わないと心に決めた。

新規新鋭『外侵廃理』東部分署空属第四課アレシュタリ・イフマー一尉の密かな決意だった。


sideN(now)

ラッシュアワー。
交差点を行きかう人々の上にある巨大なモニターが特報を伝えていた。
『本日未明。七教会マディセイ本部より東部に大規模経済援助の必要ありとして、七聖女フルー・バレッサ様個人による義援金が東部復興財団へ送られると発表がありました。この経済援助は東部で多発している災害や魔王戦などの被害による被災者への生活援助、復興援助に充てられ、各自治州の今年度特別会計予算として組み込まれる予定であり、今後の東部復興の一助となる事は間違いないとの見方が自治州官僚の間では広がっています。尚、個人の義援金としては大陸史始まって以来の額になる事が予想されており、フルー・バレッサ様個人の持つ複数の財団法人と個人資産の総価値の推測に更なる疑問が投げかけられる事になりそうです。『黄昏の悠久戦争』以後、フルー・バレッサ様の持つ多数のパテント及び財団、資産の量は飛躍的な増大を見せており、非公開である七聖女納税額は最多、総資産は大陸の全自治州年度会計の三百年分と言われているだけに今後の――――』
雑踏の中を歩きつつ、端末を片手にしていたシノミヤは隣の少女が上のモニターに釘付けになっている事に気付いて立ち止まった。
「どうかしたか?」
「会った事ある」
「?」
「あの人」
少女がモニターを小さく指さす。
「そうか。そういえば一番最初にお前の検査をしたのってフルー・バレッサだったか」
コクンと少女が頷く。シノミヤはモニターに浮かぶメガネを掛けた笑顔のジャージ姿の少女を見つめていたがすぐ歩きだした。
「『ようこそ、カミサマ♪ この素晴らしい世界へ』って」
「世界最高の頭脳にとって神様ぐらい動じる要素じゃない、か」
「ここに来る前皆言ってた。あの聖女が一番怖いって」
「みんな?」
「神様達」
「神様が怖い?」
コクンと少女は再び頷く。シノミヤは微妙に考え込んでから答える。
「それはあながち間違いでもないな。あの聖女があの都市を創った事を思えば、神が恐れてるってのは納得できる」
「?」
「ん、そういえばお前は行った事無かったか。この東部の近くに一つあの聖女が創った地下都市があって、そこにお前と同じようにこの世界に留まってる奴が集められてたりするんだが」
フルフルと少女が首を振る。
「お前みたいな特殊な神様はあそこじゃ見かけなかったが、数だけなら沢山いるぞ」
「お父さん。行った事ある?」
「ああ、昔は三課で働いて、あそこで生活してたからな」
「アーシュが来たところ?」
「そうだ」
歩きながら考え込んでいる少女の髪をシノミヤは撫でる。
「今度遊びに行くか?」
「遊びに、行く?」
「この頃の事件なんか色々と前の上司が知ってそうだからな。もう二度と戻る事はないと思ってたが、事件解決に必要なら行かないって選択肢はない。それにお前に自分以外の神がどう生活してるか見せておくべきだとオレは思ってる」
「・・・・・・・・・」
沈黙する少女にシノミヤはやっと見えてきた目的地を指さす。
「これから行くところが見えてきたぞ」
「大きい」
二人の往く手に巨大な構造物が天へ向かって伸びていた。
少女はその天空へと延びるタワーを首が痛くなりそうなほど視線を上に向けて見つめた。
「FOA重工業テスタメント東部本社。オレの贔屓の店だ。ここで現場に向かう前に一つ用事を足しに行く」
小さな雑居ビルの合間を抜けてきた為、驚きも一塩に目を見張る少女を見てシノミヤはわざわざ道を選んだ甲斐があったと内心で笑んだ。
立ち止まっていた少女を促してシノミヤは人を吐きだす巨大なロビーへと歩いて行った。
少女は、遥か太古の時代、神が崩した塔にそのタワーが似ていると、そう思った。

sideN(now)

チーン。
地下十六階。
通常では入れない一区画。
エレベーターに乗った二人がドアの先に見たのは無機質な白い世界だった。
延々と遠近感も狂うほど広大な白い空間。
少女は一歩エレベーターの外に出てから横手の壁が遥か遠く霞んでいるのを見て、そそくさと歩いていくシノミヤが「相変わらずか」とぼやくのを聞いた。
そこからやけに響く靴音を鳴らしながら二人は時間間隔もマヒしそうな世界を歩き続けた。
やがて、ただ白かった世界に別の色が現れ始める。
それは近づいていく内に輪郭を表し、少女はそれが黒い机だと気付いた。
机の上には巨大な山と化した紙が散らばり、よく見れば白い世界に溶けるかのように辺りに散乱していた。
「おい。来たぞ」
響く声が遠く消えていく。
二人が待つ事数秒。
異変が起こった。
紙の山がモゾモゾと動き雪崩となって机の上から崩れ、中からユラリと人影が立ち上がった。その人物を少女は奇妙に思った。
白い世界の住人は白衣姿で、まるで世界に身体を食われてしまったかのようで、世界と同化していない地の部分だけが動いているように見えた。
奇妙な錯視を覚える人物にシノミヤは片手を上げる。
「よぉ」
「ふぁ、あ?・・・・ああ、シノミヤちゃんか」
その男はメガネを掛けていた。白衣の下からはジャージが覗き、こけた頬と垂れ下がる眼尻と落ち窪んだ眼窩が病的な雰囲気を醸し出している。微妙に骸骨チックで寝惚けた目をショボショボさせた男が喋る。
シノミヤは慣れた様子で、少女は奇妙な人物に首を傾げつつ、視線を注いだ。
「何か月ぶりだっけ。ま、いっか。ああ、君が望んだ品は全部揃ってる。大丈夫。大丈夫。伊達に徹夜してないってね。いつもみたいに上のフロントへ届けておくから支払いはいつもの方法で。とりあえず、プラグマモデルタイプE『柩』の事だけど、この間からこっち修理して幾つか改良点を見つけたからやっておいた。具体的には特定動作の加速時に機構が君の動きを追随しきれない部分があったから、常に君の行動パターンに沿って機構が先んじるようにしておいた。後、榴弾砲についてだけど、砲弾の素材を一から見直して従来よりコストを三割下げられた。これでいつもの値段よりも安くて済むはずさ」
「そうか。なら、こっちで武装一式の微調整はやっておく」
「ああ、了解した。それよりもシノミヤちゃんが昇進したって聞いた。おめでとう。これからも是非入用なものがあったら頼ってくれ。親友価格でどこよりも早く安く仕上げるからさ」
「バロト。御苦労。それと徹夜は程々にしとけ」
「はは、何を言うかと思えば。このバロト・ザーウォンが七日徹夜した程度でどうにかなるとでも。いや、君の心配症にも困った困った」
白衣の骸骨男バロトが照れたように頭を掻いた。
シノミヤはそれに少し笑って「違いない」と首を振る。
「そういえば、まったくさっきから気になっていたんだけど、その子は誰だい?」
バロトの声にペコリと少女が頭を下げる。
「色々あって今預かってる子だ」
「ほうほう。君が誰かを預かるとは・・・懐かしいな。そういえば、あの子は元気かい?」
「アーシュの事か?」
「ああ、確かウチのデータバンクに異動になって君んとこに行ってるって書いてたような気がしたんだけど」
「確かに今四課にいる。情報が早いな」
「それほどでも。ウチのシステムは僕がこの間組み直したばっかりだったから、その時閲覧しただけさ」
「そうか。それじゃ、邪魔したな」
「これから大変だと思うけど頑張れ」
「・・・・お前も何か知ってるのか?」
シノミヤの質問にバロトは答えず小さく笑って手を振った。
「?」
少女が気付いた時、そこはもうエレベータの中だった。
少女には歩いてきた記憶がなかった。
シノミヤの袖を少女がクィクィと引っ張る。
「ん、不思議か?」
コクコクと少女が頷くとシノミヤは少し考え込んでから答えた。
「気にするな。ああいう奴だって、それだけ覚えておけ」
コクンと頷いた少女の頭をクシャクシャとシノミヤが撫でる間にもエレベーターは地上へと戻っていった。

sideEX(Extra)

総じて、世界に存在する不思議を扱う者は多い。
子どもから大人まで。
人から人外まで。
誰もが不思議、魔導の技を知る。
遥か太古より引き継がれてきた幾千万の「源流」と、それを統合した五十四の「現代魔導源流」。更にその魔導源流すら統合した究極の汎用技術「現代魔導」。
多くの者はただ現代魔導のありがたみを享受するのみである。
その多くの血が流されてきた歴史もただの過去としか見ない。
しかし、現代魔導そのものが生まれるまでに生み出され封印あるいは削除された技術は現代魔導などと比べるべくもない異様さを誇り、また現代魔導に劣るものではなく、絶え切っているわけではない。それを使う者もまた絶えてはいない。
魔法、魔導、魔術。
遥か昔から、法であり、導であり、術であった体系。
幾多の紡ぎ手が血と智により修め、究極を目指した。
その積み重なった業と技を持って神の頂すらも登頂しようとした者達。
彼らの末。
血も智も業も技も擦り切れた先に立つ者達。
そんな輩もいる。
その積み重なった時間の重さだけを受け継いでいる者達もいる。
彼らは過去を背負い、窮めて稀なる技能を使用する。
彼らを人は「源流使い」と呼んだ。

溜息が一つ吐かれた。
「恥ずべき事だ!!」
「そうなんですか?」
「ええ、ええッ、そうですッ!!」
「(相変わらずなんですね。ここは・・・)」
「我ら『源流使い』の恥晒しッ。彼を糾弾せずに誰を糾弾するというのですッ」
「そうだ!!」
「未だ統合の対象とならない魔導源流の継承者であるという自覚が足りない!!」
「あの源流を扱うという事はこの席に身を置くという事。その席の重さが分かっていない」
「然り!! 然りッ!!」
「だというのにあの若造は!」
「『工房』が築いてきた信用をどれだけ失墜させればいいのか!!?」
「然りッ、然りだ!!」
「(源流が上手いだけで社会的信用はゼロなんですけど)」
「先日、あの若造を『外侵廃理』の依頼により派遣したが役立たずと言う他ないではないか。依頼されていた仕事は満足に果たせなかったと、あちらの上から烈火の如くクレームがきているぞ」
「ああ、未だ存在する名付きで生のままの源流は少ない。その後継者として選ばれていながらどうしてあそこまで無能なのか」
「然り然り」
「更に言えば、出席も弁明もせず東部を飛び回っている。明らかに盟約に違反する行為だ」
「あの若造に処罰を与える事を発議したいと思うが、皆の者どうか!!」
「異議無し」
「異議無し」
「異議無し」
「異議無し」
「異議有です」
遥か天井から中央に降り注ぐ陽光。
周囲全てを席で囲まれているその一席から異議が上がった。
その異議に座席に座っていたほぼ全ての者達がどよめく。
「異議有です。聊か感情に走りすぎているようなので、少し状況を整理させてください。そもそも何故『工房』が依頼されたからと言って彼のような未熟者を選出したのか。その経緯をまず私に説明してくれませんか?」
「は、はッ、今しばらくお待ちを。では、情報をそちらに回します」
議場の席の上全てに文字が浮かび上がる。
「・・・・・この情報によるとそもそも『工房』の利権には聊かのプラスもあるようには見えませんけど、どういう事なんですか?」
「は、それは・・・ロッズ卿。どうぞ」
「な、卿が説明すべきだろうラウン卿ッ」
議場の端と端で声が上がる。
「では、お二人に聞きます。この金額でそもそも末席とはいえ一人でも派遣した事に対して何らかの大義名分がお有ですか?」
「は、そ、それは、何といいますか。その・・・」
「いえ、これは、その」
二つの声が返答に困ったように沈黙する。
溜息がまた一つ議場の中央で吐かれた。
「この間、七教会の会合で内の傘下の組織が一つ大きな買い物をしたと報告がありました。買い物自体はその傘下組織の官僚級役員の一人が行ったものだそうですけど、買い物の内容が内容だったので調べさせました」
ゴクリと誰が鳴らしたのかも分からない唾を飲む音がした。
「報告によると戦力不足だという事で魔導の教練官を一人雇ったとの事でした。助成金の一部が使われた可能性もあるという報告で友達に調べてもらったんですけど、何か不透明な資金の流れがあるらしくて、骨が折れそうで疲れるからまた後で調べておくとか言われました。ちなみに私の友達が調べるのに苦労したのは高度な魔導による情報操作が組まれていて調べるのに一日も時間が掛かるからなんだそうです」
場の空気が硬直し、他の全員もその重苦しい空気に口を閉ざし、たった二つの席の上、カタカタと以外な程に大きく震えが木霊した。
「もしかしたら全部勘違いかもしれません。三日ぐらい友達に情報解析の催促はしないかもしれません」
「そ、そうですか」
「は、はぁ・・」
二つの声が震えているのを誰もが聞かない事にしてそっぽを向く。
「そうえばこの頃、その課の資金不足が問題らしくて献金でもあったらなぁとか課の偉い人が言ってたような気がします。あ、すいません。この場で話すような事じゃありませんでした」
会議はその数分後、すぐに閉廷した。
二人の魂の抜けたような老人が生気の無い顔で銀行に向かうところを出席者の誰もが哀れそうに見つめていた。

キャロリエ・ザベト。
彼女にとって仕事とは自分の命を賭して遂行する価値のあるものである。
常の現場主義によって鍛えられた肉体と精神、高い事務処理能力と外交手腕で彼女が不屈の女戦士などと言われるようになるまで五年要しなかった。
七教会騎師という肩書きから転向して数年で七教会事務方のトップが見える椅子まで歩いてきた。その彼女をして、今の自分の立場は満足のいくものだった。
七聖女の副官。
大陸フォルという広大な大地を治める二大巨頭。
自治州連合と七教会。
その二つの内の一つである七教会の最高責任者七人。
その女性達を人は七聖女と呼ぶ。
大陸の暗黒時代から五十年。
大陸秩序を打ち立て人々に安寧を齎した現在の生きた伝説にして、究極の能力である「奇跡」を持って悪を打倒する絶対者。
その一人に仕えるという仕事は彼女にとって何よりも代えがたいものだ。
高い背、人より整った鼻梁、事務的で冷徹とすら取られる仕事振り。それらを人は女性的な柔らかさに欠けるとか人間味に欠けると評価するが、それすら彼女には賞賛の内に入る。そんな人間味、柔らかさに欠ける人間だからこそ過労死するような事務仕事を続けていけるからだ。どんな罵声を浴びようと現在の仕事が彼女にとって最高のものだからだ。
彼女が仕える七聖女は彼女にとって誇りであり、同時に憧憬であり、理想であり、女性としての完成形と言えた。
ユアン・クオ。
回統世界ファルティオーナに存在する三世界において誰も及ばないと言われる刃の使い手。
言葉や思いよりも体と行動で主張する女性。
キャロリエにとってその人は神よりも信仰できる対象そのもの。
その人が死ねと言えば死ぬ準備をするだろうし、その人が死んでこいと言えば戦地だろうと悪魔のど真ん中だろうと喜んで飛び込んでいくに違いない。
そんな敬愛する女性から実質的に七教会本部の一つを任されているともなれば、彼女にとって仕事とは正に至福とすら言える時間に違いなかった。
その至福の仕事の一つとして彼女は一人の女性を出迎えていた。
議場は巨大なドーム。
中の事は一切伺い知る事はできない。
ドームが地上ではなく空中に浮いているからだ。
誰もいない広い山中。
野原が広がっている一帯で待つ事一時間弱。その間にキャロリエは携帯している情報端末で自らが預かる七教会本部の事務処理をほぼ済ませてしまっていた。
「・・・・・・・」
微動だにせず端末を見て時刻を確認する作業を毎分ごとにこなしている姿に人は明らかな冷たさを感じるかもしれない。彼女が仕事中に冷徹と称される所以だった。
ふと顔を上げてキャロリエは空に一礼した。
「あ、キャロリエさん。御苦労さまです」
キャロリエの前に笑顔の女性が一人、空から舞い降りてきた。
待ち人、七聖女ハティア・ウェスティアリアだった。
白金に輝くミディアムの髪。柔和な物腰。ダークグレーのスーツに紫色のローブを纏った姿。
その魔導は神域の奇跡を超えると噂される魔導聖女。
魔導を使う者にとって最高の称号『超高位魔導宗弟』を受ける二人の聖女の一人。
七教会所属の軍神と名高い一人の騎師の妻ですらある。
云わば、ハティアはキャロリエの主と同等の地位にある友人だった。
そんな女性に労われるという事態はキャロリエにとって吉事以外の何物でも無く、キャロリエの頬は微かに緩んだ。
「いえ、勿体ないお言葉です。それで会議の方は?」
「え? あ、はい。いつもの如くです」
苦笑いの聖女にキャロリエはそんな顔をさせた老人達を呪殺せそうな渋面を作った。
「そうですか。あの老人達にも困ったものです」
キャロリエが帰ってきたばかりのハティアの前に端末を差し出し操作して映像を映し出す。
「現在情報を集めた限りでは東部の神格情報が増加しています。言われた通りフルー様の動向を調べましたが現在かなり大規模な実験を行っている最中だそうで詳細は解りませんでした。ただ、それに類似するように神格の情報量が増加している事から何らかの干渉を行っている事は間違いないと思われます。現在『外侵廃理』五課に継続中の案件を問い合わせていますがこちらはお茶を濁されました。何らかの内部問題が持ち上がっているのは確実ですが、開示する気はなさそうです。七聖女権限ならば情報の開示はさせられますが如何しますか?」
「いえ、言いたくない事を無理やり訊き出しても正確な情報が得られるとは限りませんから、遠慮しておきます。ただ、私の友達が何か起きていると教えてくれたのでちょっと気になって」
「では如何様に?」
「フルーは放っておいても構いません。問題なのは神格が暴走するかもしれないって事です。私が直接神格と戦闘を行えるようにしておきたいんですけど、できますか?」
「戦場の下準備という事でしたら事前に何とかできるかと」
「自前でやってもいいんですけど、そうするとどうしても大規模な魔力を行使しないといけなくなっちゃうので、お願いします」
「はッ。今夜夜半までには東部周辺に戦場を即時展開できるよう手配を」
「はい。ホントにキャロリエさんにはいつも助けてもらって。ウチの副官に欲しいくらいです」
クスクスと笑みを漏らす聖女にキャロリエは「光栄です」と返して端末を操作し始めた。
「ちょっと、これから話す事は話半分で聞き流してくれると嬉しいんですけど・・・いいですか?」
「はっ」
まったく視線を合わせず一切端末を操作する指先を止めずキャロリエは答えた。
「この間の東部応永地方でのテロ以降、世界情勢は悪くなる一方になってきてます。もしかしたら、これから東部で物凄く大変な事になるかもしれません。ユアンは単体としての戦闘能力なら私達とタメを張れるはずですけど、確固とした敵の無い事態の対応にはあんまり向いてないんです。ですから、その分貴女に迷惑を掛けるかもしれません。時にはユアンではなく貴女が大きな選択を迫られる事もきっと。だから、もし、本当に困った時は・・・」
「ゴホン」
キャロリエがわざとらしく咳をした。
「ハティア様。一つだけいいでしょうか?」
「は、はい。な、なんですか?」
キャロリエの迫力のある顔がズイッとハティアに向けられた。
「ユアン様は私が唯一自らの努力など敵わないと思ったお方です」
「え?」
ポカンとしたハティアの顔にキャロリエは言い含めるように言った。
「何一つ、どんな事になろうと、絶対に、この私の命に掛けて、誓えます。大丈夫です。ハティア様」
もしも、その言葉が妄信の色を宿す瞳の持ち主に言われたなら納得できなかっただろう言葉は、すんなりとハティアの心の奥に響いた。
「ユアンの事、私なんかよりずっと知ってるんですね。キャロリエさん」
自分の知らない仲間の事を知るキャロリエにハティアは何処か寂しげな笑みを浮かべた。
キャロリエは謙遜を返さなかった。
「私の唯一の主ですから」
誇らしそうな笑みに七聖女ハティア・ウェスティアリアはそっと頷いた。

sideEX(Extra)

ハープの音色が巨大な柱の間を抜けて静寂を震わせていた。
微かな音色に混じるのは軽やかな金属の打ち合わされるリズム。
四方を柱で囲まれただけの寂れた荒野。
太陽の覗かない薄暗い世界。
刃が拮抗していた。
一方は女。
一方は男。
女の手には太刀。
男の手には大剣。
女は一見して美しい。黒く濡れたように艶やかな長髪に女性らしい肢体。着られているのは全身を覆う黒い衣。
男には顔が無かった。顔の部分からは中身がない頭皮の裏側と伽藍堂が見えるのみ。超然とした威圧感と幾重にも重ねられた薄布が腰から下を隠すだけの姿。隆起した巌の如き肉体には汗一つない。
打ち合わされる男女の刃の重さが女の太刀を幾分か曲げていた。
男は中身のない顔のまま何処か虚空から響く声で宣告する。
「終わりだ。『奇跡』無き聖女など我々の敵ではない」
女の太刀に罅が入る。女はまるで男の声を意に介さず、男の大剣から太刀を離して十数メートル跳び退った。太刀が受けた被害に目を細めながら再度構えて男を睨み付ける。
「無駄だ。魔力、体力、何を取ろうとも、もはやこちらに敵うまい?」
男が大剣を片手で女に差し向ける。
女の顔には追い詰められた気配はなく、静かに大地を踏みしめて、機を窺っていた。
「大人しく見ているのならば、命だけは助けよう」
女が男の提案を鼻で笑った。
「安い。神がこれとは」
男は至極残念そうに首を振る。
「未だ状況が分かっていないらしい。人間のその在りもしない可能性に縋る部分はこちらには解りかねる」
男の大剣がゆっくりと捻じれ、その形を異なるものにしていく。周辺にオーロラにも似た魔力の光が立ち上り、剣を中心に周辺を飲み込んで巨大化し続ける。
「如何な聖女とて『奇跡』無しにこの一撃を受ければ完全消滅は必至。最後通告を受け取る気があるか?」
女は即答。
「追い詰められていると見えるなら、神を騙るのはよした方がいい」
男は瞑目。
「残念だ。人の奇跡たる巫女よ」
大剣がその姿を槍へと変えていた。
槍が背後へと弓なりに引かれる。
今にも投擲されそうな槍に目もくれず、女はまったく動じていない瞳で、太刀を無理やり腰の鞘へと納刀した。
男は明らかな失望を露わにして愚痴る。
「諦めたか。だが、それでいい。苦しみは刹那。さらばだッ!!」
豪槍が腕から解き放たれた。
女は槍が解き放たれた瞬間、笑んで首を振った。
槍が周囲の何もかもを巻き込みながら女に光のように突き進む。刹那、高速の槍が破滅のオーロラを伴い周辺の大半の物質を巻き込み、消失させながら女に直撃した。しかし、女を中心に爆発した閃光が隣光を巻き散らして砕けた。
「どういう、事だ?」
男には焦りなど無かった。しかし、男の思考には何一つとしてその状況を説明する回答が存在していなかった。
男が手の中に打ち放った大剣を出現させ、砕け煌めく光の只中へと突撃していく。
光の中が露わになり、女が納刀した鞘で男の大剣を受け弾き返す。
「何故だ?」
男の疑問に女は答えない。
瞬時に男の肉体が鞘で打ち据えられた。
女の一撃は鞘で男の肩を袈裟切りにし、膝を地に付かせた。
信じられないという気配で男が伽藍堂の顔を女に向ける。
女は追撃するでもなく、男に鞘を突き付けた。
「『奇跡』が使えない。体力も魔力もそちらに劣っている」
伽藍堂の男は何も言えずただ女を見上げた。
「神に敵う道理はない。そう見える。ならば、どうして神に勝るのか?」
女が伽藍堂の男の首に鞘を当てた。
「名も知らぬ神。『奇跡』とは何だと思う? 大勢の人間はそれを意思の力が生む聖なる力だと言うが、実態はそんなものとは程遠い」
女が鞘を真横に振る。
弾き飛ばされた中身のない首が転がり疑問を投げかける。
「この力は?」
「フルーは『奇跡』を理論だと言った。最も『奇跡』を効率的に運用するあいつに私は勝てない」
残った胴体が鞘の一突きで貫かれる。
「クラルは『奇跡』を理不尽だと言った。まったくどんな状況だろうと私はあの女に負ける」
そのまま胴体が炎を上げて燃え散った。
「ハティアは『奇跡』を救う力だと言った。その通り、この力に癒せない疵はなく、如何なる者も癒す」
転がった首を掴み、女は四方の柱の一つに背を預けた。
「ソィラは『奇跡』を自らのエゴだと言った。破壊に向かう『奇跡』は確かに大事なものを自ら壊した私達そのものに違いない」
首がミシリと掴まれた先から軋みを上げ始める。
「ミュルトとメルフは『奇跡』を調和の証と笑っていたな。決して相成れない相手と共に在る為の術だと言って」
首がゆっくりと炎を上げ燃えだす。
女は首を目の前に持ってきて見据えた。
「奇跡で私は他の誰にも敵わない。せいぜいが自らを超人にする程度。だが、それ以外なら話は別だ」
女は語る事を止めない。灰になり始める首から弱々しく問いが響いた。
「聖女・・・よ。汝の『奇跡』・・・とは・・・」
女が首を握り潰し、虚空に気配が解けていく。
「この世界には奇跡を上回るものが存在する」
完全に気配が散逸した事を確認して七聖女ユアン・クオは、最も剣に長けた聖女は、空を見上げた。
「敵わないから工夫をする。負けてしまうなら負け方を考える。決して上回れないなら、上回らずに立ち回る。連綿と紡ぎ受け継いできた『技』とはそういうものだ。神が力を持つならば、力を持たずに倒す方法があればいい」
ユアンは光射す事ない空へと刀を差し向け振った。
空が割れ、黄昏色の光が影を掻き消して一筋の道を描き出す。
光り輝く道を眩しそうに、如何なる者も届かないと言われる刃の使い手は、トボトボと歩き始めた。

sideEX(Extra)

セピア色のライトがところどころを照らす超大な空洞の中、疾走する火花が互い違いに螺旋を描き進んでいた。
交差の瞬間、繰り出される攻防の煌めき。
互いを視認する事すら難しい高速。
お互いの顔も姿も見ず両者の力が同時に解き放たれた。
一方からは目が眩むばかりの閃光の玉。
一方からは闇としか形容できない津波。
互いの一撃は拮抗し、相成れず、同時に弾き返される。
攻撃の余波を置き去りにして火花が更に数度散る。
光と闇はどちらも間を置かず備えていた力を解放する。
急激に膨張した魔力の気配が両者の形質を端的に顕現させた。
先んじたのは闇の主。
両者が駆け抜けてきた後方から瞬時にライトの光が消え失せ、ソレが急激な速度を持って無数に現れた。
黒くしなやかな紐状の闇。
吹き伸びる無数の紐が分岐、収束、結合しながらランダムな軌道を描き、怒涛となって両者を飲み込もうとした。
光の主は今まで敵の武器と火花を散らしていた矛を後ろへと投げ放った。
輝く粒子を帯びた矛に怯えたように紐が動き避けながら遅滞する。
それを機と取った光の主が迫ってくる闇の主の武器である短剣を受けず、移動を止めて敵を見送った。莫大な慣性力の一切を殺して停止した光の主が矛を避けて二手に別れた闇の紐の狭間で呟いた。
「『かくあれかし』」
言葉に反応するように、今まで光の主が疾走してきた道筋が輝き始める。
輝いているのは軌跡。
光の主が駆け抜けた道に残っていた長い長い跡。
それはよく見れば、全てが微細な文字で形作られた文字列だと分かったかもしれない。
闇の主はそれを確認する前に波濤となってトンネル内部に押し寄せた光で無理やり押しだされ、全身を千切れさせていた。闇の紐達は主を千切れさせた光より更に後ろから噴き出す光に砕け散りながら闇の主と同様の末路を辿り、焼失した。
光がゆっくりと収まっていく。
光の主は遠方に自分の力とは違う光を感じ、目を細めた。
日光。
出口へと光の主が向かい消えていった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
戦いの余波で歪んだライトが本来照らすべき所とは違う場所を照らしていた。
一欠片。
埋み火の如く蟠る闇が揺らりと広がり伸びる。
闇の主はその小さな闇の中からヌルリと自らを抜け出させて、黒い翼の埃を震わせ払った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
回りを見回した闇の主はおもむろに手を上げて指を鳴らす。
バツンという音と共にライトが一斉に消え失せ、静寂が闇を満たした。

sideE(enemy)

荒涼とした山岳の尾根。
夜明け前の薄暗がりに細々と燃える篝火が風前の灯といった風情で揺れていた。
やがて黄金の朝日に照らし出されるだろう闇に沈む世界を見渡しながら、篝火の前に男が一人。男は轟々と耳を圧する風の音が怪物の雄叫びに聞こえるなんて何年ぶりだろうと微かに笑みを浮かべた。
感傷的な心地に浸る男には全身から自信というものが抜けていた。
細身で長身。鋭利さとはかけ離れた分厚い眼鏡に尖った顎。くたびれたネクタイにカッターシャツ、纏った外套には焦げ跡と破れ跡。
ボロボロな全身の衣裳とは裏腹に男はまったくケガをした様子がなかった。
一人で佇む男の薄い笑みが消え去るとまるでそれを待っていたかのように辺りにさあっと光が射す。
薄くたなびいた雲が鏡のように朝の色を何処までも運んでいく。
男は美しい光景に目を背けて下山する為に歩きだした。
応永地方。
大陸フォル東部の巨大自治州。
数か月前、テロにより被害を被って以降、少しずつテロの傷が薄らぎ、街にはもう痕を見つける事自体至難となっている。そんな都市。
朝、都市に命を吹き込む血流と化した人々が自らの生活を全うする為、各々の往くべき場所へと歩いていく。
平和を横眼に男は目的地に向かっていた。
男の背中に向かう奇異の視線。
正しく男は異常。
それを理解しても服を着替える気にもなれず男は歩き続けた。
朝方の飲食店から仄かに香りが漂ってくる。それに釣られてか、男は路地に小さく看板を出していた喫茶店へと入っていった。店の中から響く「いらっしゃい」の声、誰もいない窓際に座った男が静かにモーニングセットと呟く。パタパタと店の奥から小走りに少女が一人駆けてきて、嬉しそうに注文を繰り返した。
「モーニングセットですね。かしこまりました。あれ・・・・あの、そのど、どうしたんですかッ、その格好!?」
現代には珍しい事この上ないお下げ髪に高校の制服らしきセーラー服。
家の手伝いなのだろう。エプロン装備の微かにソバカスの残る少女が驚きに目を見開いた。
男は少女に目をやって、すぐにどうでもよさそうに窓の外を見上げた。
その如何にも、もう話しかけてくるなという空気を読むどころか無視して、少女が男の外套の端を摘まむ。
「うわぁ、ボロボロ・・・・・お、御客さん。あの、体はだいじょ―――」
男の手がやんわりと外套を掴む少女の手を退けた。
「いつものモーニングセットを」
男の静かな迫力に少女は何とも言い難い顔をしてから、最終的には少し心配そうな顔でもう一度注文を繰り返して店の奥へと消えていった。
男は少女が店の奥に消えるのを確認して自分の懐から情報端末を取り出した。
男が操作すると画面に文字がスクロールされ始める。常人には目で追えない速度の情報を男は仔細漏らさず頭の中に入れていく。
情報は主に三つの事柄に関して。
一つは人外の四種族について。
一つは七教会傘下の機関が有するとある都市について。
一つは東部で起こった三つの事件の概要について。
その情報はまったく関係ないように見えるが実際にはそれぞれが関連を持ち、一つの枠の中で考えるべき情報であると男は結論していた。
四人の人外への襲撃。      
神格情報を急激に増加させている『あの都市』の現状。
三つの事件に関わる者達の動機と行動と結果。
全てが連鎖するように進行していたという事実は決して偶然で片付けてはならない。
男の感はそう言っていた。
「モーニングセット一人前です」
男の前に湯気の上がる朝食の乗ったトレイが置かれた。
こんがり焼けたベーコンと卵とパン。グリーンサラダとコーンポタージュ。
こう言えば聞こえはいいが要は業務用のお手軽なポタージュに安物の素材を使ったベーコンエッグとサラダ。
普通なら毎日食べれば辟易するだろうメニューは、数日間満足に食事もしていなかった男にとっては久しぶりの栄養補給だった。
男は片手で軽く十字を切って、フォークとナイフを持った。すぐ食事にかぶりつこうとした所で、今にも黄身を崩しそうなナイフを止めた。
男が顔だけ真横に曲げて自分を見つめている少女に問う。
「何か?」
「え、あ、いや、その、あの、えっと、何と言いますか、こう、言いにくいものが・・・・」
「・・・・・・」
男が眉毛をヒクリと引く付かせた。
そういう判然としない物言いが嫌いだったからだ。
「うッ、そ、そんなに睨まなくても・・・・」
蛇に睨まれた蛙ヨロシク少女はタジタジになりながら、涙目になりながらも、人差し指同士をくっ付けて言う。
「や、やっぱり、その格好はどうにかした方がいいんじゃないかって。えと、クリーニングとか着替えならお金さえ貰えれば承りますけど・・・・」
「結構だ」
「は、はぁ。そう・・・ですか・・・」
男の怜悧な相貌に少女は委縮しまくりながらも、男の横から去らずにジッとしていた。
「食事の邪魔だ」
「はぅ?! で、でも、や、やっぱり放っておけません!! だ、だって常連さんですからッ!!」
少女は男の心臓を串刺しにしそうな言葉に胸を抑えた後、どんなに言われようともこれだけは言わねばという決心でもしたのか、しっかりした口調で言い返した。
「それは私の問題であって君の問題ではない」
「そ、そうかもしれませんけどッ」
「そして、君は店員で私は客だ」
「そ、そうですけどッ」
「客に意見する店員に気分を害するのは不当だろうか?」
「ふ、不当じゃありませんけどッッ」
「ならば、もう放っておいてくれたまえ」
「――――――できませんッッッ!!!」
少女の大きな声に男が初めて黙り込んだ。
少女は男の目の前の席に立ち、一旦深呼吸してからまくし立て始める。
「そりゃ、確かに私は店員で客に意見するなんて言語道断ですけど、だからって、人の道を外れるような人間にはなりたくありませんッ。だって、服がボロボロで今にも倒れそうな顔色の人に朝食だけ持って行って、あ、後は勝手にしてくださいとか、無言で何も言わずに立ち去るとか、私の意見ではありえないんですッッ!!」
少女の道徳感に何も言う気にはなれず、かと言って落ち着かない食事をする気にもなれず、男はしばし沈黙してから、嘆息して言った。
「なら、これで新しい外套を一つ頼まれてくれ」
男が無造作に外套のポケットからクシャクシャの紙幣を取り出して少女の方に押しつけた。
少女はそれに一瞬呆然としたがすぐに笑顔になって頷くと「承りましたッ」と急ぎ足で店の奥へと消えていった。
ルルルルル。
男が鳴り始めた懐の端末を取り出し耳に当てる。
壮年と思われる男の怒声が端末から響いた。
『御大!!』
「聞こえている。怒鳴る前に報告を済ませろ」
『た、たた、大変でさあッ!? 今さっき『耳』の連中から七聖女が動き出したって報告がッ! 七教会の事態への介入が本格化したんじゃないかって事で今下っ端連中に警戒レベルを引き上げさせやしたッ。再三の引き上げ要請を無視したこちらに『工房』の介入が始まるのも時間の問題。ここは一旦七教会に人外連中の保護を任せて引き上げ――』
声が冷たく遮られた。
「あの悪魔と『工房』の間にどんな取引があったか知らないが一度受けた仕事は完遂させる。対象者のいる地域を大規模魔導で封鎖。聖女共が本格的に動き出すまでお前らが護り切れ。私はこれから元凶を叩きに行く」
『そ、そんなッ、カチコミを一人でなんて無茶でさあッ!? それに黒幕の居場所が分かったんですかい?!』
「やつらがどんな組織形態をしているか不明だが、だいたい何処に巣食っているかは昨日の戦いで見当が付いた。どうやら『神官』だけじゃない。もっと上の連中も絡んでる」
『やはり、神ですかい』
「ああ、そういう事だ。『神官』だけならここまで今回の件が大事になるわけがない」
『それで奴らの本拠は? 場所が近いならこっちからも何人かバックアップを回せるかもしれやせん』
「『外侵廃理』三課だ」
『なんですって?!』
「皮肉な話だが奴らの巣なのは間違いないだろう。だからだ。あの悪魔が『工房』に依頼したのは。外部から招き入れた掃除屋に家の害虫を駆除させて、駆除で発生する問題そのものはこっちにまる投げ。あの金額の意味はそういう事だ」
『なんてこった。それじゃ御大は使い捨てにされてるのとおんなじじゃねぇかよッ、クソッ』
「心配するな。私がその程度でどうにかなる玉か?」
『ですが御大!!』
「ガタガタ抜かすな。対象者を守り切れなかったあの時からこれはもう仕事じゃない。面子、いや意地の問題だ」
『く、分かりやした。御大がそう仰るなら我ら全力を持ってッ』
「何としても奴らに人外連中の『血』は渡すな」
『そのお言葉承りやした』
ブツリと端末が切れると喫茶店のドアが開き、少女が息を切らせて紙袋を持って男の前まで走ってくる。
「神々の明星・・か」
男が嘆息するのと男の前に紙袋が置かれるのは同時だった。
「ロ、ロングコートでよ、良かったですかッ!」
ゼーゼーと上がった息を整えながらセーラー服の少女が笑った。
男は紙袋の中の黒い外套を取り出し今まで着ていた外套を脱いだ。
「また来よう」
バサリと男が新しい外套に袖を通す。その流麗なまでの動作に少女は微動だにできず、見惚れていた。
「ま、また、来てくださいッ」
店の外へと歩いていく男の後ろ姿に頭を下げて、少女は男を見送った。
しばらく、ボケーッとしていた少女がふと男が今までいた席を見て、残っている領収書を見て、ハタと気付いた。
「あ、お勘定。ま、いいよね。ふふ・・・」
恋する少女の善意により前科一犯を免れた事を男はまだ知らない。

sideN(now)

『良い知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちからいくかい?』
「ちょ、二佐。それはさすがに不吉過ぎだと」
列車で現場へと移動していたシノミヤと半神の少女が昼時の弁当を食べている最中だった。
懐から端末を取り出し耳にに当てたシノミヤだったが、その不吉極まりない上司の声にげんなりした。
『いや、君にとってはどちらも悪いニュースかもしれないけどね』
「さすがにそれは聞く気が失せます。二佐」
『というわけでどっちからだい?』
「良い方からで」
『人外の襲撃事件の捜査が打ち切られる事になった』
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
『どうやら首謀者が確定したらしい。それでその首謀者の身柄の性質上、僕達には手が出せない。身柄の確保は『工房』が一手に仕切るって話になってるようだね』
「『工房』? まさか、首謀者は『源流使い』ですか」
『ああ、どうやら一課にタレこみがあったらしいね。自分達の不始末は自分達で付けるって話でもう上で折衝が始まってるようだから、これはたぶん覆らないよ』
「そうですか」
『やけにあっさりしてるけど、それなりに時間を掛けた捜査だったみたいだし、未練はないのかい?』
「仕事に私情を挟むつもりはありません」
『そうか。なら、次の悪い知らせについてだけど・・・・心して聞いて欲しい』
「はい」
『第三課から正式にシノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐に要請があった』
「?!」
『君が今確保しているオーバーイグジステンスの少女を正式に『至高の貧民窟』へ収監する事をあちら側は求めてる』
「何の冗談ですか?」
『僕だって冗談だったらどんなにいいかと思うんだ。けど、七教会の方が正式にそれを許可したって書類がさっき届いた。これにより僕達から正式に管理者としての権限が剥奪され、身柄の管理権は三課の最高権限を有する人間が持つ事になる』
「ディグの差し金ですか?」
『それは解りかねるよ。君の元上司は僕よりずっと前からあの地位にいるからね。ただ、これを覆す事は僕達にはできない。ここは大人しくその子を渡す以外の道は用意されてないって事だけは確かだ』
「そうですか。解りました。それじゃ、これからあの都市に向かいます。受け渡しはこちらから出向く方があっちの苦労も無くて済むでしょう」
『ああ、それじゃあっちの都市への侵入許可はこっちで取っておくから、穏便に受け渡し場所まで行ってくれ。それじゃ、健闘を祈ってる(・・・・・・・)』
「・・・・何を知ってるんですか? 二佐」
『解ってるだろう。君にだって。それが言えれば僕達の仕事はないも同然だ』
ブツリと切れた端末を仕舞いこみ、シノミヤは仄かに不安そうな表情で自分の袖を掴んでいた少女の頭を撫でた。
「とりあえず、今日は振り回される日らしい。さっき言ってた都市に向かう事になった。どうやら、オレの元上司はどうしてもオレと話したいらしい」
「お父さん?」
「お前は、オレにとってもう家族だ。だから、オレの横にいろ」
シノミヤの言葉に少女は呆然と顔を見上げた。
少女の驚きように気恥ずかしくなって、シノミヤが顔を逸らす。
少女はそんなシノミヤの顔を見て、ふと笑みを零し腕に顔を埋めた。
列車に揺られながら片腕の温もりを感じて、シノミヤは過去そんな風に自分が腕を取った二人を思い出した。二度と会えない二人の家族がいつもどんな風に自分を感じていたのか分かるような気がした。
「・・・・・・・・ティア」
「?」
シノミヤの唐突の呟きに少女が首を傾げる。
「オレの大切だった、いや今も大切なやつの名前だ。きっとアイツならお前に自分の名前が付いてても怒らないだろ。他の奴の名前で悪いが、たぶんオレにとってこれ以上の名前は出てこない。どうだ?」
シノミヤは自分でその言葉を口にして内心で驚いていた。二度と口にする事はないと思っていた名前。聞く事すら辛く思っていた名前。だが、確かに心の奥底にまで刻まれた名前。
もう会えないかもしれない。そんな事はさせないと思う一面で何処か少女との繋がりが欲しいと弱気になっている自分、そう思ってしまう程、少女を大切に思う自分の心に戸惑いながら、シノミヤは少女に問いかける。
「てぃ・・あ?」
「ああ、ティアだ」
「てぃあ・・・テぃあ・・・ティア・・・・ティア・・・・」
何度も呟きながら噛みしめるように口の中で名前を転がして、少女の頬に一筋涙が零れた。
「嫌か?」
フルフルと少女が首を横に振る。
シノミヤは真っ直ぐに見上げてくる少女を見つめ返した。
「ありがとう」
シノミヤは思わず顔を逸らして少女の、ティアの頭を撫ぜた。
「お父さん」
どうしたものかとシノミヤは自己嫌悪一杯で内心悶えた。
不意打ち気味にシノミヤは思わず少女を抱きしめそうになっていた。
『結局、シノミヤさんはロリコンでペドでどうしようもない変態だったんですね?』
冷ややかな声が聞こえたような気がしてシノミヤの背中に悪寒が走る。
「オレは家族を大切にしてるだけだぞ」
誰にでもなく言い訳してシノミヤは列車の窓を開けた。
「?」
首を傾げながら嬉しそうに片腕に抱きつくティアは何度も何度も小さく自らの名を呟いた。
何処へ行こうともこの家族である少女だけは守ろうと、シノミヤは自らの腕にある感触を脳裏に刻み付けた。

sideP(past)

『な、なにやって?!』
『どうした? 贄殿』
『ここ僕の部屋・・・』
『一緒に住むのだから当たり前だろう?』
『自分の部屋は・・・』
『あるが当然。しかしな、契約を結んだのだから。共にいるのが当たり前というものだ』
『一緒に入るはずの人がいたはずじゃ』
『ああ、あれか?』
『あれ?』
『ほれ、そこに』
『ひ?!』
『死んではおらん。たぶん』
『な、何して』
『女神も恋するのか。へ、世も末かとか言うものだからつい天罰的なものを落としてしまった』
『後頭部に大きな打撲痕があるような』
『召喚系の源流を使った重量制限付きの無差別召喚。せいぜい落ちてくるのは薬缶かタライぐらい。問題あるまいさ』
『ほ、本当に?』
『無いな』
『いや、そこの馬鹿女神。あるだろ。思いっきりあるだろッ。なんでダンベルが七個もまとめて落ちてくるんだよ。こんちくしょう!!』
『死んでおらんし、この口調。もう一度天罰的なものを落としても一向に構わないらしい』
『ホントに死んじゃうから止めた方が・・・・』
『ま、贄殿がそういうなら。命拾いしたな小僧』
『ホント、何なんだお前ら』
呆れた視線を投げかけようとして気付いた。
そこは闇の中。
光無き世界。
久しぶりに見た夢はあの二人の夢。
「・・・・・・・・・・・」
じゃれ合っていたのはもうどれだけ前だったか。
青春という名の時代は確かに過ぎ去り、残骸のような生だけがある。
覚えている限りの痛快さはあの頃にしかなく、心を蝕む空虚に瞳を閉じる。
体の芯を駆け上がる薄ら寒い言葉が浮かんだ。
聖典、異争警告譚、第二十八章十二節一行。
主に抗いし聖性の逆者。
悪義の幽世より来る耀。
幾星霜の澱。
覇群を連れた幻。
絶えなき煉獄を往く者。
【―――――――待っているぞ――――――――】
闇より出でて歩き出した。

sideE(enemy)

『―――敵性組織階梯第四位と断定。敵性組織罪状、重犯罪教唆及びその他二十九種の刑法違反。刑法第八十九条三項適用。適性組織に対し、留保条項適用。刑法第二十五条B三十七項による特例執行者の能力解放認証。以上を持って敵性組織人員に対し人権の停止を宣言。この宣言により刑の執行権は特例執行者へと移管、刑の執行を開始せよ』
ペラーンと一枚の紙が宙に放られる。書かれている内容は物騒で、本来なら軽々しく扱ってはいけない代物だった。だが、今になってはそんな事などどうでもいいかと、一人の少年が溜息を吐いて大きな椅子にもたれた。
そこは『外侵廃理』三課の庁舎一室。
課の最高権力者がいるはずの部屋。
椅子に座っているのは歳若い十二程の少年。
その光景はうっかり部屋に迷い込んだ少年が偉い人間の椅子に座って遊んでいるように見える。しかし、実際には本来の椅子の持ち主が憂鬱そうに座っているだけだった。
ディグ・バルバロス・アウトゲネス。
『外侵廃理』第三課総括。
黒髪がまるで女性のように長く、椅子の下にまで伸びる髪の重たさに首を上向けながら思案に暮れる黒い制服の少年。世が世なら大悪魔と呼ばれ、人々に恐れられているはずの強大な存在。その彼をして今の状況は芳しくなかった。
「あーあ。こんな事になるならもう少し適正試験高く見積もっとけばよかった。ホント、この頃は何とか補助金も下りてきて安泰だなあと安穏としてられたのに。どっかの誰かさん達が無駄な騒ぎを起こすから、まーた要らない書類を書く羽目に。今までの僕の努力は水の泡。どこのどなたが責任とってくれるんだろ。ホント、困るよね。テロリストとか神様とか神官とか未だに動かない聖女とか、馴染みの部下とか?」
皮肉満載な少年の笑みがデスクの前に立っている男に向けられた。
男は二十代前半、鷲鼻に眼光も鋭かった。
よれた外套にワイシャツ姿の男が煙草を根元まで吸い切ると床に落として踏みつけにした。
「結界内部での消耗は抑えたらどうだ?」
「君に心配してもらえるとは思わなかったよ。裏切り者A君」
「封結陣の強度はオレの管轄じゃない」
「ああ、そうかい。そんなの知った事じゃない。ホント、良かったよ。あの子を四課に預けておいて。こんな体たらくを見せたら悲しむどころか愛想を尽かされて三課は見捨てられてるだろうね。どうなのさ。そこんとこ。この間まで一応先輩面であの子を指導してた人間としては」
「テメェだって知ってるだろ。オレは一度もあの子を教えた事はない」
「そっか。それじゃ、秘密理に処分されてもあの子が悲しまないように全部でっちあげておくよ。旅に出たとでも誤魔化してさ」
「それができればな」
「できるさ。そろそろアイツが来る頃だ」
「わざわざ呼び出してくれて手間が省けた。だが、この五年間ふぬけてた男が今のオレに敵うとでも?」
「バカげた想像がしたいなら、小説家でもやってれば?」
「現実を見たらどうだ。今のアイツに勝てる要素があるかどうか。そもそもアイツ本来の武装が存在しない時点で勝てるわけがない」
「強さが武器だけで決まるなら、それこそ僕達の仕事は全部聖女にでも任せておけばいいよ。それに七聖女がアイツにとびっきりのものを渡してるって知ってるんだろう。どうせ」
「それですら結局以前のアイツの力には及ばない。違うか?」
「僕は信じてる。アイツを、シノミヤ・ウンセ・クォヴァを。元上司の贔屓目だけどさ」
「テメェが信じるとか言う時点で決着は付いてる。アイツは結局女一人守れない腰抜けだ」
「僕が信じてるのはアイツが君に勝つ事じゃない」
「なら、大悪魔である我らが上司殿。何を信じてるかぐらいは聞いてやる」
「勿論、アイツが―――がはッ?!――!?――ぐ――」
少年が男を睨みつけ笑おうとして吐血し、デスクに倒れ込んだ。
男がデスクに近づこうとした所で懐の端末が震えた。
端末を自分の耳に当てて数秒、男はデスクに背を向けて歩き出した。
「ネズミが一匹。テメェの差し金か?」
「ふ・・・ん。せいぜい・・・・あの男で・・・あたふたすれば?・・・・・」
途絶えそうな吐息がゴホゴホと咳きこんで沈黙した。
「すぐ終わる」
男が外に出ていくのを少年は霞む視線で見つめていた。
(それにしても、あの日から何処で間違ったんだか。あの頃の三課が一番楽しかったな・・・・・ホント。あの馬鹿女神、何で先に逝くんだ。一言ぐらい声掛けてから逝けよ。君のせいであの馬鹿が四課なんかに取られて、連中もいなくなって、あの子ですら笑わなくなって、どんだけ僕が苦労したか)
「状況は・・・・整った。後は・・・・・・・・」
カタリと腕がデスクの下にぶら下がった

sideP(past)

くすんだ木杯が掲げられた。
粒々辛苦の如く降る雪が杯にゆるりと溶け溜まっていく。
区切られた空は薄ら呆けた紫雲に染まり、湿った風が葬送曲を運び始める。
列を為した黒の群勢。
各々に握られた杯は軋みを上げる。
泥と土の匂い。
傷痕を刻まれた者達は唱和する。
『栄光はなく。賛辞は奪われた。もはや敬する者もなく。陽光は微笑まない』
心の底から絞り出すように、咽び泣く事もなく、唱和する。
『楽園に至る道は失せ、落つる刻が永久に我らを隔てる』
涙は侮辱。嘆くも侮辱。だから、誰もが去らばと紡がず堪えた。
『しかし』
震う響。
『彼の者、孤独に非ず。四季悉く朽ち、時悉く閉じ、人悉く尽きようと、我らが途に殉ずる限り、騙られざる逸話に影は宿る』
想いを、全てを、咽に落として、彼らは唱和する。
『遠きに在りて我ら遺志に奮う者也』
杯が一斉に呑み干され、誰もが背を向け歩き去った。

天井の無い部屋。
本物の空など見えないはずの街。
天蓋に映る「外」が好きだと笑った女を思い出し、ただ一人残った男は大の字で寝転んだ。

遥か頭上、開いた天蓋からの雪が一つ、男の顔で溶け、頬を伝った。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」2章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:19
第二章『QUEEN』

sideM(memory)

「―――――――――?!」
叫びを上げた時には自分の肉体が戦えないのだと分かった。
『外侵廃理』である自分が戦えないという事の意味が脳裏を焦がす。
敵は『僻神』の神官。
それを唯一食い止めうる能力を持った人間がもう戦えない。
つまりは巨大な災厄が幕を開けるという事。
「がぁあああああああああああ!!」
最後の賭けだった。
倒れこむ体の目の前に機銃を召喚する。
弾丸は如何なる者も生きては返さない『忌引針弾』。
ボロボロの体は銃の反動には耐えられない。これが効くとも思えない。それでも次の一瞬でも生き延びるチャンスを巡らせる為の一撃。
狙いも定めず指でトリガーを引いた。
カチン。
機銃が暴れまわった。
連続するマズルフラッシュと魔導無効化処理を施された弾丸の嵐が前方に悠々と佇む存在を捕らえた。
通常の悪魔や天使、人外ならば粉々になる攻撃は・・・効いていなかった。
東部に存在する一部の神官、陰陽師の衣装。
それを着込んだ男の顔には涼しげな笑みだけがあった。
弾丸は全て薄衣の一振りで火花を散らす間もなくジャラジャラと床に落ちて行く。
「ッッッ」
歯を食いしばり、力の限り腕に力を込める。少しでも集弾率を上げた結果、腕が鈍い音を立てて折れ曲がった。
「おやおや。もうお終いですか? これからが面白くなるところだというのに・・・」
陰陽師の優男は笑う。
「神の尊顔を拝す機会など滅多にある事ではない。さぁさぁ顔を上げてください。これからやっと神はこの世界に降り立つのですから」
「異端の神に、縋る、ぐ・・俗物・・が」
「唯一神亡き今の世界に新たな神を招くのは神官として当然の義務だと考えますが。そもそも昔は八百万と言って多くの神々が共存していたのですよ。『旧古の神話』を見れば一目瞭然の話です。この大陸フォルにおいて私のような人間は他にも沢山いますよ。世界の真実を知り、迫害されてきた歴史を塗り替え、自らの神と共に新たな世界を構築する。昔の教会がやっていた事とそう大差はない。目くじらを立てる方がどうかしていると思いますがねぇ」
ほっほっほっ、と扇子で口元を隠して陰陽師は笑う。
「その為にどれだけの人間を犠牲にするつもりだッ。この悪党ッ!!」
「悪党? 悪党と今言いましたか? それは異な事を仰る。『外侵廃理』がこの数百年やってきた異端狩りに比べれば微々たる犠牲です。ああ、そうか。今は七教会の一部署にまで成り下がって惨めったらしくお情けで活動させてもらっているんでしたねぇ。そうでした。そうでした。いやいや、すみません。新しい『外侵廃理』は人命を極力重視するのが原則だと忘れていました」
「ぐッ・・・」
「まぁ、この温い世界の摂理が人殺しなんてさせないのでしょうが。こちらは神のご加護で昔と同じく抵抗も反抗も殺もさせてもらいますので」
陰陽師はニンマリと笑みを浮かべ、扇子を振り上げた。
「サヨウナラ。貴方が神に捧げられる第一の供物です」
振り下ろされる扇子をスローモーションの世界で眺めながらシノミヤは可能性を模索する。
地形、演目の舞台、戦況に変化をもたらす可能性。無し。
弾丸、銃の位置、今一度撃てる状態にあるか。非ず。
肉体、損傷度合い、回避の為の動作パターン検証。不可能。
(こんなところで、こんなところで終われるか!!)
扇子が振り下ろされ、放たれた衝撃が自分の肉体をバラバラにする瞬間を幻視した。
パキリと扇子が折れた。
「へ?」
あまりにも間抜けな陰陽師の声。
首を傾げて折れた扇子を凝視する陰陽師はグルンと首を百八十度回して辺りを警戒した。
「誰もいない?」
陰陽師の首に刀が当てられた。
「ッ、な?!」
陰陽師は首を回そうとして硬直せざるをえないようだった。
きっとその感触が首を簡単に裂く事ができると直感的に感じたからだ。
舞台には三人目の人間が現れていた。
その姿にシノミヤが目を見張る。
「メイ・・ド・・?」
漠然と自分が頭の悪い発言をしている自覚がありながら、そう言わざるをえなかった。なぜならそのままの意味だからだ。
メイドさん。
侍女とか給仕役とか。
そういえばこの頃『風俗捜索二十四時!! 暴かれた風俗実態』とかの特番でそんな衣装が使われていたっけ。などなどの感想がシノミヤの頭の中からポロリと出てくる。どこぞのコンパニオンかもしれないとも思う。
同僚達と行った宴会でちゃんとコンパニオンの衣装に採用されていたのを実際見て感心したのは数ヶ月前の話。
「あ、う・・・何だ?」
シノミヤは言葉が見つからない。この状況を上手く説明できない。命が掛かる戦いの中。何故か刀装備のメイドさんが倒れている自分を助けてくれた。あるいは他の目的があるのかもしれないが、それにしても動きを止めて命を救ってくれた事に変わりはない。
「大丈夫ですか?」
陰陽師の首に刀をピタリと当てながらそうメイドがシノミヤに聞いてきた。シノミヤにしてみれば・・・美人というか美少女と呼んで差し支えないレベルの容姿をしていた。
短い茶髪に整った顔立ち。まるで無骨な立ち姿なのに線の細さを感じさせる体つき。そして、何よりもその澄んだ蒼眼。
海の蒼でも空の蒼でも宝石の蒼でもない。
譬えるなら蒼月のような色。
「何処か致命傷を?」
そう言われてシノミヤがハッとした。見とれている場合ではなかった。
「こっちは大丈夫だ。それよりその男を」
「もう終わっています」
チンと軽い金属音と共にメイドが刀を鞘に一息で戻した。
シノミヤが納刀術の見事さにまた見とれそうになるが、今度はそれよりも驚愕の方が上回った。陰陽師が何も言わず倒れ付してしまっていた。
「立てますか?」
メイドは振り返りもせずシノミヤの方に歩いてくると手を差し伸べた。
「・・・・・・・・・・」
気の利いた言葉の一つも言えず、シノミヤが見下ろしてくる蒼眼に呆然と魅入られたのは間違いなく恋の始まりだった。

喫茶店にいた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・う」
『七教会付属独立神域排除機構『外侵廃理』陸属四課シノミヤ・ウンセ・クォヴァ二尉』
自分の名刺が通りすがりの刀装備メイド推定レベル99以上に見つめられている状況に圧力を感じない人間がいたら、そいつが神と称しても放置してやろう。と、シノミヤは自棄気味だった。そもそも基本的に民間人に助けられた時点でプライドがズタズタだと言うのに・・・通りすがりの刀装備メイドに助けられるというのは・・・プライドがズタズタを通り越して大いなる宇宙の意思に目覚めてしまいそうな衝撃だった。
「助けが必要だったならばいいですが・・・」
メイド、しかも綺麗な蒼眼に短い茶髪、にシノミヤは思い切り首を横に振った。
「いえいえいえいえ、とっても助かりました。はい。まったく持って正しい判断ありがとうございますッッ!!」
(何やってんのオレ!! しっかりしてオレ!! こんな可愛、ごほん。こんな良い子が助けてくれたんだからせめて『はっはっはっ、貴方のような美しい方に助けて頂けて、つい余所見をしてしまったかもしれません』くらい言えッッ!?)
「そうですか・・・・ではこれで」
「はい。ではそれで・・・って、ちょ、ちょ、ちょおおおっと待ってください!!」
シノミヤの頭がフル回転する。
「あの、貴方のお名前をお教え頂けませんか? それとできれば住所電話番号端末のメールアドレスに郵便番号も」
(しっかりしろオレ!! これじゃどこぞのストーカーと呼ばれてしまう人間まっしぐらな勘違いされるってオレ!! ここはどうしてそんなに強いのかと、どうしてそんなに堂々と刀を携帯してるのかとか、どうしてメイド服なのかとか、微妙に遠まわしに聞き出さないといけないとこだろオレ!!)
「・・・・・・・・・・・・」
(ちょ、引かれてるオレ?! 初っ端からヘンタイの烙印とかありえないってッッ)
「すみませんが旅をしているもので」
「あ、そうなんですか。それなら仕方ないですよね」
「では、これで」
「ご協力感謝します」
(へたれ過ぎだオレ!?)
腰を浮かして立ち去ろうとするメイドさんが少しだけ振り返った。
「私の名前はサヤトネ。ルヒ・サヤトネです」
「ッ!?」
さり気ない笑顔だった。
初めて心臓を物理的な衝撃以外で打ち抜かれた瞬間だった。
「サヤトネ・・・さん」
背を向けてメイド服の少女は去っていった。

七教会付属独立神域排除機構『外侵廃理』。
それは遥か昔から存在してきた一つの機関だった。
大陸フォルにおいて神と呼ばれる存在の降臨を阻止する為だけに生まれた組織である。そもそも神を何故降臨させてはならないのか。多くの歴史書物を見れば分る。神の降臨による局所的な混乱と騒乱が歴史にどれだけの悲惨な現実を刻んだのかは語るまでもない大陸の常識の一つだった。そんな理由から神を無闇に信奉し祀り上げ召喚する者を『外侵廃理』は数百年の昔から排除し続けていた。
その組織体制が変わったのは五十年前。
時の魔王との大戦争『黄昏の悠久戦争』以後の話。
大陸を統一した七教会と自治州連合の支配下に組織が置かれ改編が行われた。それ以前までの神を信奉し祀り上げる者達を執拗に弾圧し殺傷してきた『外侵廃理』は人権や立法その他の規律により今までのスタンスを変えざるをえなくなった。人権をできる限り尊重し生かして犯人を捕らえる事が主な表の顔として認識されるに至った『外侵廃理』第四課(主に犯人逮捕を主とする実働部隊)の分署窓際デスクでニヘラッと極めて不謹慎な笑みを浮かべる二尉がいた。
ドン。
湯のみが小さな三十畳ほどの部屋の中で存在感を主張する。
「どうぞ二尉。お茶です」
お茶汲み兼書類仕事の重鎮四十一歳独身女性の声にシノミヤは反応しなかった。
「サヤトネさん。素敵な響きだ」
「二尉。お茶です」
「サヤトネさん。ああ、もう一度」
「お茶です」
「サヤトネさん」
シノミヤの気色悪い反応に今までお茶を勧めていた声は途切れた。
様子を見ていたシノミヤの同僚の一人タシネ・エスビが隣で書類を確認している少し禿げ上がった中年上司カワジマ二佐にひそひそと聞いた。
「どうしちゃったんですか先輩? 任務から返ってきてからずっとアレな感じですけど」
金髪碧眼の明るい好青年タシネにとって微妙に冴えない年中ボサボサ髪の青年シノミヤは先輩だった。
「うん。どうやらまた例の悪い病気らしいね」
「そうですか。また、あの病気ですか」
「それよりも民間人に助けられたって方が僕達には問題なんだが・・・・ま、それはいいさ。それより個人でシノミヤ君の能力を上回る逸材がいるとは、何ともスカウトしたくなる話だ」
シノミヤは部署の中でも中堅に位置する能力だと評価されていた。
「民間人ですか? いつもの病気なのは分かりましたけど、あれは相当にいっちゃってますよ? 大丈夫ですか先輩。さすがに身内からストーカーは出せません」
「大丈夫。大丈夫。シノミヤ君が任意同行求めるのも詳細な情報を聞き出すのも忘れたみたいだから」
「はい? それ全然大丈夫じゃないですよ! っていうか確実に今期の査定に響きますって。それ以前に規定義務違反で営倉入りでもおかしくないじゃないですか!」
「その件については説明したんだけど、本人が上の空でね。いや、あんな状態で入れてもまったく堪えなさそうだから始末書だけ山のように書かせる事にしたんだ」
「ああ、それで先輩のデスクの上に何枚も」
「そういう事。それにしても今回の犯行が未然に防げたのは僥倖だった。少し格上のランクの仕事だったから帰ってこないかと心配だったんだが、命を拾ったようで何よりだ」
「カワジマさん。マジですか?」
「ああ、ウチはいつでも人材不足だからね」
「それはいいとして。シノミヤ先輩が苦戦した敵にあっさり勝っちゃうなんてどういう女性なんでしょうね? あの様子からするとかなり美人そうですけど」
「う~~ん」
カワジマがそっとタシネに耳打ちする。
タシネは名状しがたい顔をした。
「ワケアリですか?」
「シノミヤ君の記憶から映像を抽出してみたんだけどコレ」
ペラーンと差し出された一枚の紙をタシネが覗き込む。
「年齢的に犯罪じゃないんですか? それに服装も」
「いや、ツッコむのはそこじゃなくて、僕だってこの年齢差は犯罪スレスレだと思うけど。まぁ、そこらへんは置いておいて腰の部分」
「刀ですね。先輩の記憶が正しいのではれば、これはかなり、何というかすごく旧い」
紙の中に写る少女の全身像。その腰にはしっかりと刀が挿されていた。
「調べてみたんだけど、何だか七教会のレッドデータらしくてわざわざ申請出してみたんだよ。そして出てきた情報なんだけど、これがまた」
カワジマは微妙に汗を浮かべながら苦い顔をした。
「何かありましたか?」
「ありもあり。最後の戦争の遺物だったよ」
「『黄昏の悠久戦争』ですか?」
もう一枚の紙がペラリとタシネの前に置かれた。
「いや、あの『新国家群戦争』の異物だ」
タシネが紙に書かれていた情報に瞳を細めて難しい顔をした。
「新国家群の高級将校向けの一品って書いてあるんですけど」
「ああ、シノミヤ君の話じゃ、この刀で相手を圧倒したらしいね。刀術には僕明るくないんだけど、シノミヤ君の言葉から推測するに相当実戦で使い込まれていたモノっぽい」
「生き残った将校の子孫ですかね」
「僕もそう考えたんだ。だけど、それで話は終わりじゃなかった。シノミヤ君の口からあの名前が出るまでは興味も失いかけていたんだけどね」
カワジマがシノミヤのデスクに視線を向けるとシノミヤはまったく書類を書くでもなくニヘラッとしていた。
「その出会った子の名前が何とあのルヒ・サヤトネだったらしい」
「ルヒって。えええ!? 何かの間違いじゃないんですか!? いや、それじゃなくても騙りの可能性が。戦闘技能保有者に案外そういう偽名は多いらしいって聞きますけど」
「うん。そうなんだけど。この姿、史実にある姿とそっくりなんだ。茶髪に蒼眼。凛とした佇まい。まさしく史実の中の南部城砦守護そのものじゃないかな?」
ハッとしたようにタシネが紙の上の少女を見つめる。
「そうだとしたら。孫ですかね?」
「いや、そうとも限らない。あの時代から魔導で若作りなんて当たり前だったから。本人の可能性も十分に考えられる」
「確か今でも賞金首制度ってやってましたよね?」
「ああ、まだ死亡を確認されてない戦争犯罪人は基本的に死亡が確認されるまで何百年でもそのまま賞金が掛け続けられるから。少し確認してみたけど今でも百五十億ぐらいは掛かってるみたいだ。ま、殆ど有名無実の賞金首だから情報もビンゴブックなんかには載ってないし、賞金が掛かってる事実そのものを今じゃ誰も知らないらしいけど」
タシネはしばらく呆然としていたが上司に聞いてみた。
「どうするつもりなんですか?」
「殆ど確証はないし。確証が取れたところで可愛い女の子を牢獄にぶち込むのは男のする事じゃない」
「いいんですか?」
「報告なんてする必要があるかい? 仕事をわざわざ増やす必要は僕には感じられないよ。それにもう戦争なんて引きずる事自体ナンセンスな時代だ。シノミヤ君が助けられた。その助けてくれたオンナノコは少し昔の将校に似ていた。それでいいじゃないか」
「そういうところが出世に響くんじゃないかとカワジマさん」
「はは、今更だ」
「そうですね。それじゃ、僕は外回りに行ってきます。装備一式の使用許可お願いします」
タシネが自分のデスクの上からカワジマに書類一式を手渡した。
「本当にタシネ君は早くて助かる。シノミヤ君にも見習ってもらいたいくらいだ」
「そこは、そう! 先輩の無駄な戦闘能力がないと四課分署も商売上がったりですし」
「違いない。あれで書類仕事ができれば完璧なんだけど」
「では、カワジマ二佐行ってまいります!!」
「幸運を祈る。タシネ上級曹長」
タシネがスーツ姿で席を立ち部屋を後にする。それを見送ったカワジマが革ジャンにジーパン姿のシノミヤのデスクを通り過ぎようとして気付いた。
「シノミヤ君。備品で勝手に写真をラミネートしないように」
「あ、はい。すみません二佐。でも、せめて後一枚。後一枚だけ!!」
浮かれまくった部下に深々とカワジマは溜息を付いたのだった。

シノミヤ・ウンセ・クォヴァ。
年齢二十二歳。
『外侵廃理』陸属第四課東部分署所属。
そんな彼にとっての生き甲斐は恋だった。
彼がもしもモテ期到来春まっしぐらな人間であるならばまったく問題はないのだが、彼にとってそんなものは地平の彼方に存在する。ただでさえ七教会の中でも暗く機密の多い部署だというのに仕事は3Kの三重苦。しかも、汚れ仕事のせいで微妙に合コンに誘われない事冬の如しという職場。だから、週に七日は一人寂しく喫茶店で夜を過ごしている。趣味という趣味はないというか、そもそも金は食事と家賃と装備で飛ぶので他に回す余裕などない。
危険な仕事だから金回りもいいと思い近づいてきた女なんて星の数だったが、シノミヤのあまりの極貧生活に顔を引きつらせて逃げられる始末だった。
実際は近づいてきた女達の思う通りに給料はいい。少なくとも普通の公務員の三倍程度は貰っている。それなら何故金が無いのか? これもまた職場のせいだった。
彼の職場は基本的に資金難な事が多かった。それというのも神官などという人智を超えているような連中を相手にするので配備される装備は天井知らずの金額。しかも、基本的に装備の整備や保守管理は個人負担という事で恐ろしく個人への負担が重い。
シノミヤにとって命と金は天秤に掛ければ当然のように命の方が重い。七教会の最新装備を供給されるのはいいとしても、それを維持していくだけで莫大な金が掛かってしまう。そういう職場上の性格が災いしてシノミヤは基本的に月の家賃と食事代を残して全ての金を装備に消費せざるをえない。そう言う状況に陥っていた。
そして、常の如く前日に弾をばら撒いたシノミヤは食費すらも底を尽きかけていた。
カウンターにひもじいの文字を書き続けるいつもの客にウェイトレスが哀れそうな視線を向けて、コップに水を汲んでやっていた。
「かは、オヤジもう一杯ッ」
「お水でよければ。それと殴りますよ?」
名前も知らないウェイトレスの静かな怒気に震えたシノミヤはすごすごと引き下がった。
「ひもじい。オレが何した?! そもそもあの状況なら必要経費を計上してもいいはずッ!!」
喫茶店のマスターはそんなシノミヤにチラリと視線を向け苦笑して仕事に戻った。
「せめて番号だけでも聞いておくんだったッ」
「また一目惚れですか?」
ウェイトレスの声にシノミヤは首を振った。
「違う。これは・・運命だッ!!」
「うわー」
「な、うわーッて!? うわーッて!!」
「あ、痛たたたたた。頭痛が痛い。さ、仕事に戻らないと」
「頭痛が痛いは文法的にどうなんだッ?! それ以前にオレの運命にケチ付けられてる!?」
ガシィッとウェイトレスの裾を掴んだシノミヤは革ジャンのポケットから一枚の写真(ラミネート済み)を取り出した。
「この子がめっちゃええ子なんです。ええ、オレの話を聞いてくれないウェイトレスなんかよりはッ!!」
「へぇ、美人って言うか。シノミヤさん。ついに犯罪者ですか?」
「ぐっはッ、でも、オレなんかよりずっと大人びた感じで強いし綺麗だし、何より男心が運命を感じるのに十分な劇的出会いだったわけで。これが」
「?」
ウェイトレスは少しだけ首を傾げて「ああ」と手を叩いた。
「あ、この子今日ここで昼食食べてましたよ」
「マジ?」
「うんうん。確か、え~~っとね。表通りのグランドファスティアカルドに泊まってるとか何とか言ってたような」
「――――――ヒシッ」
「ちょ、だ、抱きつかないでッ?!」
「ありがとうありがとうッ。これで突破口がッ」
「そ、それはいいからッ、離れて、離れ、離れろつってんだろッ!!」
男前な拳によって引き剥がされたシノミヤはもうウェイトレスを見ていなかった。
「これからプレゼント買いに保険解約して」
「ちょ、ちょっと待てぇええい。何でシノミヤさんはそう極端なんですか!?」
「運命だからだッ」
「マジで犯罪者?」
トゥルルルルルルル。
「あ、はい。ニコニコ安心『外侵廃理』第四課シノミヤ・ウンセ・クォヴァです」
唐突に掛かってきた端末への連絡に今までの態度もどこへやら、余所行きの声でシノミヤが対応した。その代わり身の速さにウェイトレスは呆れて仕事へと戻っていった。
「二佐? あ、はい。え・・・・仕事? し、しかも今からって、残業代は出るからって、ちょ、ちょ~~~っと待ってください。昨日の傷が治りきってな。え? お前なら一時間もあれば重症からでも全快? いや、さすがにそれは」
しばらくの問答の末、ガックリと肩を落としたシノミヤにウェイトレスが声を掛けた。
「シノミヤさん」
「なんですか。マイシスター」
「営業時間終了です♪」
シノミヤは寒空の下に蹴り出された。
「うわあああああああああああああああああああああああああん」

シノミヤは翌日東部応永地方、春嗚羅へと出張していた。
経費節減の名目で転移などの措置は取ってもらえず十時間掛けて列車での移動だった。
「ここか」
春嗚羅は東部でも古都として有名な地方で、その歴史的な成り立ちは東部を実質治めていた応永四番目の都というものであり、歴史的建築物が数多い地方としても有名だった。
「・・・・・・」
シノミヤがさっそくやって来たのは春嗚羅の市外地。未だ過去の戦場が残る場所。今でも観光地どころか地元の人間も近づかない区域。見渡す限りの山脈と荒地が続く荒涼とした光景の中にシノミヤは違和感を覚えていた。
「気配が強過ぎるな」
シノミヤは荒地の中を進みながら自分に向けられる野生の動物達の気配を感じていた。本来ならば住むに適さない大地には驚く程に気配が多かった。肉食動物、草食動物、げっ歯類、虫。それらが人から遠ざかり逃げて遠巻きに見守っている気配。古戦場跡にしては生命の気配が盛んに過ぎた。
『応永地方の一部地域で多数の動植物の分布が変わったんだ。自然環境の変化にしては急過ぎる。それで恣意的な匂いがするから調べろって上からのお達しだよ。ほら、数ヶ月前にウチの観測班の計器がぶっ壊れた事覚えてるかい。それで上からその件に関して一切捜査するなって言われたの。今回はどうやらデータに残ってたその地域で事が起きてるようだ。ウチに回ってくるって事は神様絡みなわけだけど、今回の件がもしあの『フォルトゥナ・レギア』の事件と関連があるとするなら』
上司の心配性な顔がシノミヤの脳裏に浮かんだ。
シノミヤにしてみればいつだって危険な仕事ばかり回ってきているので、今回の件にしてもそう心配する程でもないと思ったが上司の声はいつにも増して真剣だった。それだけが多少の心配の種だったのだが、その種が大当たりの可能性を秘めている事をシノミヤは悟った。
区域に踏み込んでから四十分。
その領域に踏み込んだ瞬間、シノミヤは迅速に持ち歩いている拳銃の安全装置を外した。
「ビンゴ。なんだこの展開」
シノミヤが瞬時に半笑いで諦めの境地に達した。
視界の遠方に気配だけで人間の心臓が止まりそうな存在が鼓動していた。戦闘のプロであるシノミヤが一切気付かなかった偽装結界。その内部で鼓動する何か。
仕事上でそういうものを慣れているはずのシノミヤですら思わず下がりたいと思ってしまった代物。
「神の破片」
シノミヤはまったく突然に訪れた危機に気が遠くなりそうだった。
「受肉し、自己を再生産し、更には自立活動一歩手前って。殆ど三課の仕事だろ」
『外侵廃理』は基本的に五課までの組織体系を有している。
一課は神の分析と対神戦闘技術の開発。
二課は全課の内診と査察。
三課は召喚された神の排除・拘留・送還・破壊。
四課は召喚に関与する人員の捜査逮捕。
五課は全課の情報総括と作戦構築。
「・・・・・・」
どう見ても今のシノミヤの手に余るソレは三課の仕事だった。だが、シノミヤの見立てではもうソレはいつ動き出してもおかしくなかった。
「がッ」
シノミヤが動くより前にプレッシャーが肉体を拘束した。
数十メートル先で人ならざる声が上がる。
――――――――ッッッッ!!。
シノミヤが折れそうになった膝を無理やりに伸ばして、ソレを見た。
浮き上がるモノがハッキリと視認できた。
肉の塊。
そう表現するしかないモノだった。
表面は滑りドロドロと粘液を滴らせ、内部は新鮮な赤い肉が鼓動していた。血管らしきものは見えず、大きく膨れ小さく萎むという周期を繰り返している。
(どうする。下手に刺激を与えれば何が起こるか)
シノミヤには肉塊が元は何の神なのか分らなかった。そして、それがどんな能力を秘め、何を目的にしているのかなど見当すら付かなかった。分るのはその神は一切の束縛を受けていないという事と欠落をきっと何を宛がってでも(・・・・・・・・)埋めるはずである事だけだった。
(諦めは肝心だ)
シノミヤは足に力を込めた。
(どうしようもないって事はある)
シノミヤにとって命以上に大切なものなどない。
(だから、これは仕方ない)
極貧生活を選んでまでも装備に力を注いできたのだから。
(仕方ない)
仕事で死ぬなどシノミヤにとっては馬鹿らしい事。
(どうにもらない)
羽毛よりも軽いと信じてシノミヤは足を動かす。
(だから)
「二佐すみません」
シノミヤは転移の魔導に使う魔力を左腕に集めた。
左腕の手の甲に浮かび上がる数字0342―32452。
それは七教会・自治州連合の特務に属する職務を遂行する者だけに与えられる召喚措置妨害を無効化する魔導方陣『公式召喚許可受諾証』。
通称『無差別召喚陣』
大陸秩序を守る為に召喚技術を制限された区域において、それを無効化し召喚が禁止されている品目の無差別召還が許される特例。
都市部での召喚関係の魔導、その全面解禁を約束する条項。
『自治州連合・七教会に属する特務に准ずる人員の判断により全ての召喚制約を解禁する』
それは現代にあってありとあらゆる武装の許可を出すに等しく、逃走手段・攻撃の回避手段としても絶対的な優位を確保する。
「帰れそうにありません」
シノミヤの姿が瞬時に消えた。
そして、瞬時に神の上空に現れる。
「くたばれバケモノッ。オレが相手だッ」
シノミヤが空中で掴んでいるのは二挺の短機関銃だった。
トリガーが引かれ銃口からマズルフラッシュが無数瞬く。
装填されているのは七教会が配備している中でも最高ランクに位置する対神格用弾丸。
『忌引針弾』
暴れまわる銃器を無理やりに押さえ込んだシノミヤが叫んだ。
「起爆ッ!!」
神の皮膚表面へと着弾した弾丸を基点としてその間に光が結線する。瞬間的に結ばれた光の網はその囲った部分に亀裂を生じさせ爆砕した。
シノミヤが現在に至るまで生活を糧にして揃えてきた装備は消耗品である弾丸ですらある種の特殊加工や魔導を付け加えられていた。
『―――――――――ッ?!』
声無き声が上がる。それに構わずシノミヤが二回目の転移を行った。
注意が上空に向いている神の欠片の背後にシノミヤが今度は光の粒子を纏って降り立つ。その手に銃はなかった。
「召喚」
シノミヤの意思に呼応して両手に擲弾銃が現れる。
引かれるトリガー。
爆発的な勢いで飛んでいく大口径のグレネードが今まさに焼き崩れ抉れた箇所へとぶち当たり破裂した。爆風と閃光が押し寄せる前に更にシノミヤが空間を跳ぶ。
『―――――――――asdfagaraeafgaa?!』
叫びとも肉が引き千切れる音とも区別が付かない声が響く。
次にシノミヤが現れたのは神から三キロ程離れた荒地だった。
「召喚」
シノミヤの声と共にシノミヤの両脇に莫大な光の粒子が立ち上がる。
その中から現れたのは巨大な榴弾砲だった。
自力での移動ができない現在では旧型に分類されるソレはその欠点を補って余りある威力。
魔導により自立して目標に照準。
「撃てッ」
203㎜の砲門が二つ咆哮した。
爆音。
本来の射程からすれば止まっている神は格好の標的でしかなかった。
直撃。
二つの大穴を空けて肉片を撒き散らしながら、それでも未だに原型を留めて神が嘶いた。
「くそッ、これでダメかッ」
シノミヤは毒づく。本来ならば連続して撃てる代物だったが、特殊な加工を施した砲弾の値段は通常のものとは比べ物ならない為、二発がシノミヤに用意できる限度だった。
更にはシノミヤの魔力総量が召喚に耐えられるのも後二回程度だった。
榴弾砲二門はシノミヤが用意できる威力的に限界の装備。その攻撃で未だに原型を留め、活発に再生し始めようとしている神に対しシノミヤが召喚により優位に立てるのも後二回。それ以上戦闘を継続すれば勝敗は明らかであり、榴弾砲でトドメを刺せなかった時点で撤退しなければ命が危なかった。それでも、
「オレはまだマイホームも可愛い嫁さんも手に入れちゃいないッ。一回も使ってない弾丸のローンだって払い終えちゃいないッ。こんな場所で立ち止まるわけにはいかないってんだよ!!」
シノミヤは跳ぶ。
シノミヤが瞬時に神から二十メートルの付近に着地した。
その目に入ってきたのは粘液を垂れ流しながらウゾウゾと動く肉片と再生する肉塊、更には周囲に解けるように侵食していく血管のような蔦だった。
「プラグマモデルタイプE――柩」
瞬時にシノミヤの体の表面が鎧われていった。
高格外套。
現代兵装の最高峰。
黒く柔らかな内殻に白く先鋭的な外殻。それは機械で創られた天使であり悪魔のようにも見えた。だが、その高格外套の中ですらシノミヤの装備は異常だった。
外殻の左右の肩、腰、膝の左右に付いた円筒型の物体。
ガトリングガン。
シノミヤの両手が腰の後ろに付けられた二挺を引き抜き構えた。連動する三対のガトリングが即座に金属性のアームで展開され、一斉に放たれる。
高格外套の背後から瞬時に魔力が転化した光が漏れ、シノミヤを前方へと加速させた。
(オレはアイツの分まで、絶対に生きて―――)
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――」
連鎖する爆音と薬莢の雨を置き去りにシノミヤが神へと突撃していった。

その光景を見た時、ルヒ・サヤトネが思った事は驚きの一言だった。
半ば残骸と化してもしぶとく生きている神の欠片と立っている男。
男の周囲に散らばる無数の銃器と薬莢。
古戦場で戦争を再現したかのような跡。
サヤトネが驚いたのは神が銃器によってほぼ殺されていたからではない。男が先日会った人間だったからでもない。
サヤトネが驚いたのは男が意識をほぼ失って尚その手の拳銃を握り締め、トリガーを精一杯に引いていたからだ。
男の足元の神の肉片が魔力を乗せた一太刀で薙ぎ払われた。
「本来ならば私の仕事です。後は任せてください」
固まっているシノミヤの前に進み出て、サヤトネはその刀を地面へと突き立てた。
「斬完よ。絶て」
地面に突き立てた刀を基点に地面で動いていた肉片が全て何かに切り裂かれたように真っ二つになった。二つに割れた肉片は再生する事なくそのまま地面の上で急速に色褪せ劣化しやがて完全に消滅する。
「・・・・・」
サヤトネは納刀して未だに固まったままのシノミヤに向き合う。
意識が混濁しているらしきシノミヤの瞳は焦点を結んでいなかったがサヤトネは小さく笑って拳銃を掴む両手に触れた。
「貴方は兵士や官憲の類ではなく戦士のようです。どうか、その心、最後まで持ち続けてください。シノミヤ・ウンセ・クォヴァ」
そのままサヤトネはクスリと笑みを漏らして、転移によってその場を後にした。

「で、シノミヤさん。あの可愛い子とはどうなったんですか?」
「う、うぉぉぉぉぉ」
カウンターで一人滝の如く落涙するシノミヤにウェイトレスが聞いた。
「三日だぞッ。もうとっくにいなくなって。う、ぅぅぅうぉぉぉぉ」
「何してたんですか。その間」
「気を失ってたんだよッ!? 神様相手に戦って勝ったはいいが疲労のあまりッ!!」
「ま、お仕事じゃ仕方ありませんよ。それよりも臨時でボーナスが出たんですよね? 良かったじゃないですか」
「良くないッ!? 全然良くないぞッ?! 出たボーナスなんて全部装備代で消えたッ!!」
「そ、そうなんですか。それじゃ、これからも私がコップに注いであげますから、ね?」
トクトクとコップに注がれていく液体をシノミヤは浴びるように飲み干してまたグチグチと泣き始めた。それを見ていたマスターが溜息を付いて、戻ってきたウェイトレスに訊いた。
「いいのかい?」
「はい」
「アレ一応酒なんだが」
「私からの奢りって事で」
「君も苦労するな。アレは大変だよ」
「いえいえ、私達の安全を守ってくれてるシノミヤさんにはこれくらいの役得があって然るべきだと私は思ってますから」
「サンドイッチ。持ってって」
「いいんですか? マスター」
「金は払わないが一応アレでもウチの常連だからな」
「はい。あ、シノミヤさん。これウチの新製品なんですけど試食でもどうですか?」
ニコニコと近づいていくウェイトレスにシノミヤは「喰うッ!!」と泣きながら頷いた。
「これからもどうぞご贔屓にシノミヤさん♪」
「サ、サヤトネさ~~~~~~~~んッッ」
「いつまでも前の女の名前呼んでんじゃねぇですよ♪」
ピキッと青筋を立てたウェイトレスの拳がシノミヤの頬を打ち抜いた。

sideN(now)

シノミヤはあの日の事を思い出していた。
神の受肉した欠片と戦った時の事。
全ての装備を駆使して何とか倒せたという事実。
これから何と戦う事になるのか。それは解らない。だとしても、一つだけ確かなのは、底辺の神に負けそうになっている自分では、冷静に判断して、あの都市でいざこざが起こっても誰にも敵わないという事。
過去の自分からすれば、どれだけあの程度の敵が掛ってこようと負ける事などあり得なかった。しかし、現実にはもう力という力はなく、戦えば死ぬ気になってどうにかなるかというレベル。シノミヤという人間が持つ基本的な能力は昔からそう変わっていない。変わったのは三課において配備されていた『武装』が、相棒がいるかどうか。
(都市内部にはアレがある。手に入れられれば、知り合いに相方役を頼んでどうにかなるか。だが、あの武装に頼る事なんて今のオレにできるか? アイツを救う事ができなかったオレに・・・)
「お父さん?」
声にハッとした。
横から袖をクィクィと引っ張っているのは今さっき命名したばかりの少女。
ティア。
弱気が這い寄ってくる内心を叱りつけてシノミヤはティアの手を握った。
「いいか。これから中に入るまではあんまりオレの傍から離れるな。多少荒っぽい事になるかもしれないが、お前は心配しなくていい」
そのシノミヤの言葉にティアが手を握り返して言った。
「お前じゃない。ティア」
呼んで欲しそうに言われて、照れたシノミヤだったが、その本音を飲み込んで頷いた。
「ティア。お前は心配しなくていい」
「うん」
本当に嬉しそうなティアの笑みに沸々と力が湧くのをシノミヤは感じ、拳を握り締めた。
二人は自らの目前へ迫った門を見上げた。
中部東端に存在する一つの都市への入り口。それを監視する巨大壁。
遥か彼方まで続く鈍色の塀の高さは三十メートル弱。ほぼ円形で都市への入口である門から半径二十キロ圏内を取り囲んでいる。監視体制は万全で塀の中と外を監視カメラが常に映し出し巡回の警備が三十分置きに重要箇所を回る。警備の装備は七教会が有する最強の鎧、高格外套の上位機種。約一個大隊が常に常時全力運転可能な状態で待機していて、並のテロリストならば侵入して五分で御縄。大悪魔クラスが敵となっても十分に戦えるという戦力。
ツラツラと出てくる能力の詳細にシノミヤは顔を顰めた。
今の自分ならばモノの三分で取り押さえられる。そんな事は分かり切っていた。
シノミヤが回りを見渡す。
門を警備する五人の高格外套が二十メートルはある門の前に立っている。
門の外は見渡す限りの森林と歩いてきた一本の道だけ。
逃げるルートなど皆無であり、どんな速度でも数分で高格外套に補足されるのは容易に想像できた。
シノミヤが警備の高格外套に近づいていくと十メートル手前で静止される。
「お話は承っております。シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐。そちらの少女をお預かりし次第、書類にサインして頂き、それで任務は終了となります」
(二佐の根回しが通ってない? 初っ端からこれか。クソ、ここでまだ戦うわけには・・・)
シノミヤが内心舌打ちして、強行突破するかどうか内心で考え始めた時、地面がグラリと揺れた。
「な、地震?!」
今までシノミヤと話していた高格外套が驚いた声で辺りを見回した。
電子音が門の内側から響き、高格外套達が振り返ると門が開いた。
「これは?! はッ、只今シノミヤ一佐より、はッ、りょ、了解しました。すぐさまそちらに向かいます」
(不足の事態か? 二佐が。いや、それよりも)
「これはどういう事ですか?」
シノミヤがわざと作った険しい顔で高格外套を問い詰めた。
「はッ、す、すみません。現在、どうやら上空から飛来した不審人物とゲート前で交戦中との事であります。私どもは応援に向かうよう指示を受けました。つきしてはシノミヤ一佐にはここでお待ち頂きたいと」
「三課から呼び出しておいてテロ屋如きに苦戦してほったらかしですか? ゲートの責任者のところまで護衛して連れていくのが筋では?」
「はっ、いえ、それは・・・」
明らかに戸惑いが見てとれたところで更にシノミヤが厭味ったらしく言った。
「その程度もできないとは。これは任務放棄もいいところですね」
高格外套の内の幾人かが明らかにカチンときたように足を前に進めようとして説明役に止められた。
「分かりました。では、キクチ、カトウ。後は頼むぞ。第四ブロックの庁舎まで護衛してくれ。その後、任務に復帰しゲート前まで急行だ」
「「はッ、了解しました」」
二人の高格外套を残して「では」と三人の高格外套が地面を蹴りつけ空へと消えていく。
「では、シノミヤ一佐。天蓋の庁舎までご案内致します。その後は多少お待ち頂く事になると思いますが、すぐに係のものが来ると思いますので」
明らかに声には自分を抑える調子が混じっていて、シノミヤは慇懃無礼に笑った。
「ええ、何時間掛るか気長に待つ事にします」
シノミヤの言葉に二人の内の一人が苦々しげな口調で言った。
「何時間ではなく、せいぜい数分の事でしょう。ええ」
怒りを抑えた二人の高格外套に連れられてシノミヤとティアが数分歩くと小さな広場に出た。広場の中央に魔導方陣が置かれていて、二人はその中に入るよう指示される。
「では、私どもはこれで。庁舎内部に直通です。絶対安全ですのでご心配為さらずにお待ちください」
「はは、自分の身の心配など。貴方達こそお気を付けて」
男達が無言で黙り込んだのを合図にしたかのように魔導方陣が駆動して、シノミヤとティアの体を瞬間的に別の空間へと飛ばした。
男達はそれを見届けると愚痴りながらその場を離れた。
シノミヤとティアが飛ばされた場所は廊下の端だった。
迎えの者はなく、あちこちから人の怒号と足音が響き、現場が相当に混乱している状況がシノミヤにはすぐに読み取れた。
「何処の誰だか知らないが感謝だな」
ティアがシノミヤの言葉にコクンと頷いて不思議そうに首を傾げた。
「何だ?」
「さっき、別の人みたいだった」
ティアが言っているのが自分の言動だと気付いてシノミヤが笑う。
「嫌みな人間をわざわざ護りたいと思う人間がいるか? あのまま付いてこられても面倒な事になったし、あそこはあの態度で押し通した方が得策だった。そういう事だ」
ティアがよく解らないという顔で頷いた。
「その内解るようになる。それよりも行くぞ」
歩き出したシノミヤは迷わずに廊下を進んでいった。廊下を進む間も人と擦れ違ったが二人の事を気に掛ける人物は皆無で、シノミヤはすぐに目的地へと付く事に成功した。
「ビンゴ大当たりだ」
丁度、廊下の曲がり角に存在する紅で描かれた魔導方陣が一つ。
「庁舎ってのはどこも非常用の転移魔導方陣が一つは設置されてる。勿論、普段は使わない。しかも、施設と施設を幾つか直通で繋いでるから厳重なロックが掛ってる。だが、今は非常時でロックは解除中。誰も戦ってる連中が負けるなんて考えないから避難は考えず人も近づかない。昔は開かずの間っていう魔導方陣設置用の部屋があったが、コスト削減で廊下の片隅に放置。何でもコスト削減すればいいもんじゃないっていう典型だな」
言っている間にもシノミヤが魔導方陣に触り、魔力を流して、一部の文字を光らせていく。
「都市内部にどうやって入ろうかと思ってたが堯幸だ。テロリストに感謝する日が来るとは世も末だな」
二人の姿は庁舎の中人知れずに消えた。
それでも誰一人その事に気付く人間はいなかった。

sideE(enemy)

正八角形の頑強な特殊合金の塊が二つ並んでいる場所に超高火力の光の魔導が放たれていた。上空から降ってくる脅威に周辺の高格外套の群れは身動きが取れず、両腕を翳して防護魔導を張るだけで精一杯のあり様だった。
「隊長。このままでは突破されます」
「ええいッ。まだ奴の魔導の解析は終わらんのか!?」
「目下解析中。魔力でこれだけの攻撃を連続行使するには大悪魔クラスの魔力が必要です。ですが、魔力が感知されていない事から目標は『源流使い』である可能性が大」
「クソッ、もう一層目の装甲が持たんぞ!? どういう出力だッ?!」
上空から降る光の雨が高格外套達と共に合金製の地面を灼熱させていた。
喚く上司に後ろの男は「目下解析中です」と先程と同じ返答を返す。
「他の警備の連中は何をしているッッッ!!」
「現在、地上を移動中。さっき光の雨が遠方の方に向けられた時に増援の半分は撃墜されたって言いませんでしたか?」
「んな事は分かっとるッ。どいつもこいつもガッツが足りんッ!! そういう話だッ!!」
「そんな事言われても、死人は出ていませんが高格外套を機能停止にまで追い込む攻撃です。増援部隊は魔導で目標のサーチを掻い潜りつつ進んでいるので後五分はどうにもなりません」
「クソがッ!! お前らはクソだッ。使えない兵はもはや木偶人形にも劣るッ。あの扉が破壊された事など今まで一度もないんだぞッ!! 攻撃を掛けるッ。総員、攻撃態勢ッ!! 今日の晩飯抜きにされたくない奴はとっとと尻を上げて構えろッ!!!」
上司の無謀なお達しに攻撃を受けている全員が態勢を取った。防御姿勢を解除して攻撃を防ぎ切れず、高格外套の中で衝撃に意識を失う者が続出する中、攻撃の号令一下、地表から上空の一点に向けて槍だの剣だの魔導だのが五月雨のように波状攻撃にされて打ち上げられた。
しかし、次々に放たれる攻撃は一定以上の近接を許されず光の雨に撃墜され爆散し、報復の光が高格外套達を薙ぎ倒していく。
「解析終了しました」
スパーンと上司が部下の頭を叩いた。
「遅いわッッッ?! で、結果は!!」
「はッ、手間取りましたが敵の手の内は見えました」
ドウドウッと周囲が光に当てられ倒れ伏していく中、部下は胸を張った。
「魔力駆動系の源流で『燃焼素』を扱うもののようですッ」
「で、その攻略法は!!」
「強いて言うなら相手の出力の源である『燃焼素』を周囲から排除する事ですが、排除する専用の式でも持っていない限り不可能です。後、排除してもきっと空間圧縮系の現代魔導で滅茶苦茶な量貯め込んでいるので意味はほぼありませんッ」
ズバーンと部下が上司に張り倒された。
「貴様はクビだあああああああああ!!」
「た、ただ、『燃焼素』の集積と反応は不安定で制御に莫大な演算能力を割く事になるので、一撃でも相手にダメージを与えられれば、総崩れにさせる事ができるかと」
「それだけの一撃に割ける戦力が残ってるかッッ!!」
「え、え~~付近の戦力分布を見ると少なくとも集合させてからじゃないと不可能だと」
ズッバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン。
光の雨が密度を割いて正に雨の如く広範囲に向けて放たれた。
「あ、近づいてきていた増援部隊がぜんめ――」
ボグンと部下の頭が片手で地面へとめり込ませられた。
「クソがああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ドドドドドドドドッドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド。
もはや滝と化した光が地表を焼き払い、地下へと続く扉は融解した。

sideEX(Extra)

微細な揺れが教会を揺らす中、白い翼が庭に舞い降りていた。
羽ばたきの音に教会の中にいた男女数人が顔を上げた。
翼以外に何もない。
ただ翼のみという奇態な存在がゆっくりと羽根を震わせると固まった。
翼の周囲にいつの間にか大勢が立って、翼を見つめていた。
スーツ姿のサラリーマン。
エプロンをした主婦。
バイクに跨るヘルメットをしたライダー。
教会の牧師。
修道服を着る少女。
それ以外にも街のいたる場所で目撃できそうな大勢の姿。
翼はパサリと羽根の一枚を宙に放り上げる。
教会の横手の小さな勝手口が開く。
中から出てきたのは上品な洋装を着た高齢の老婦だった。
今にも倒れそうなほど腰が曲がった老婦は静かに進み、宙に留まる羽根へと手を差し出す。
羽根が微かに金属音のような澄んだ音色を奏でて老婦の手を落ちると、老婦はしばらく瞑目した。
次に老婦が目を開けると翼は何処か落ち着きなく全体を震わせた。
「おゆきなさい」
老婦がまるで慈しむように目を細めると翼が風も立てずに空へと舞い上がっていく。
「先方は何と?」
壮年の牧師が老婦に問う。
「ん~~~どう言ったらいいのかしら。積極的干渉はしないけれど、消極的接触は容認する。しかし、新たな秩序はもう建てられているのであって、それはもはや神の領分ではない。この世界を打ち立てた者達が神を容認しない限り、この閉じられた世界に新たな創生者は要らない。こんなところね」
牧師が渋い顔をした。
「我々はどうするべきでしょうか」
老婦がウフフと控え目に口元を押さえて笑う。
「神に付くか。人に付くか。天使に付くか。悪魔に付くか。それとも人外か。組織、機関もあるわね。あとは魔王か。聖女か。どうしたらいいと思う?」
牧師が困ったように唸った。
「どれに付いても一緒よ。昔もこれからも。私達がここに居る事こそ回答。私達の居場所を此処だと定めた時から、私達は此処で共に在る者の為に居る。それにほら、戻ってきたみたいよ。私達の愛しい孤児が」
大勢が老婦の言葉にどよめいてそれぞれ笑みを浮かべた。
「可愛いお嬢さんも同伴のようね。ヨハン。預かっていた物を持ってきてちょうだい。後、そろそろ鬱陶しくなってきたからあの世間知らずなおチビさんも助けてあげなさい」
「イエス、グランマ」
牧師が教会の中へと去っていくと周囲の大勢がしきりに喋り始めた。
「帰ってきたか」
「帰ってきたのね。アイツ」
「帰ってきたなら、一度は会っておかないと」
「本当に久しぶり」
「いえ、せいぜい瞬きの間では?」
「違いないわ」
「違いありませんね」
「家からとっておきの一本を持ってくる」
「あ、私も」
「でも、時間あるかしら?」
「なら、宅配便で」
「お任せする」
老婦がパンと手を打った。
「さあさあ、お開きよ。帰ってきたからってはしゃぎ過ぎないように。あの子は私達と違って繊細ですからね」
『イエス、グランマ』
大勢はゾロゾロと教会を後にしていく。
老婦はやれやれと困った笑みで教会の中へと消えていった。
それから数分で閑散となった庭の木々の間から――影が染み出した。
影が人の形を取りキョロキョロと辺りを見回した。
三十代とも思える紳士服姿の男だった。
モノクルを掛けている以外はいたって凡庸な顔立ち。
教会の扉が勝手に開いて、先程の老婦が渋い顔でその紳士を手招きする。
モノクルの男は背筋を伸ばし老婦の元まで行くと膝を付き、手の甲にキスをした。
「あの世間知らずな子の関係者かしら?」
「違います。グランマ」
「では、何処の?」
「本来は酷界の寝たきりの美女にお仕えしております。グランマ」
「あら、それじゃ、酷界にも連絡が行っているのかしら?」
「イエス、グランマ。しかし、それは私にはほぼ関係ありません」
「そうなの。では、ここに来た理由は?」
「契約を果たすべく参上した次第です」
「契約。何処かの召喚者に頼まれごとでも?」
「これより来るモノをこの都市は受け入れるか否か。それを確認しに」
「これから私達の愛し子が来るの。私達は誰の味方でもなく、ここに在る者の味方。私達はあの子が取るものこそを最上としましょう」
「美しい回答をどうもグランマ。我が契約者も満足する事でしょう」
「そう」
「では、これにて。ああ、そうだ。何か礼をしなければ。何かお困り事がありましたら承りますが?」
「そうね。ええ・・・・それじゃあ、あの子を少しもんでやってくれないかしら。きっと、鈍っていると思うから」
「その程度でよろしいのなら喜んで。では」
男が礼を取ったと同時に自分の影へと沈みこみ消えた。
老婦はそれを見届けてから遥か遠方、天蓋を見つめた。
微細な振動は強くなり、『外』からの衝撃を伝えていた。
「元気の良い事。それにしてもあの子も隅おけないわね。いつの間にあんな可愛い子をゲットしたのかしら。ふふふ」
教会の勝手口はそのまま静かに閉まった。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」3章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:23
第三章『SADNESS』

sideM(memory)

中部と西部の境界に位置する地方。
ガルガントゥア地方。
一年の大部分が乾季である其処は小麦などの生産額が大陸第一位を誇る穀倉地帯だ。
広大な耕作地の中を進む時代遅れの蒸気機関車から見える景色は有名で、秋の収穫の時期には多くの観光客がその景色目当てに機関車に乗る。
金色の平原を渡れば人は己の小ささと世界の広さに視線を彷徨わせ想いを遥か彼方へと飛ばし、多くの詩人は母なる大地を連想した。
「つまりですよ。先輩」
列車の中、タシネ上級曹長は向かい側でパンとハムを齧りつつ水をガブ飲みする先達の男シノミヤ・ウンセ・クォヴァ二尉へと溜息越しに諌言した。
「この広大な景色に想いを馳せろ。とまでは言いませんが、食事よりも大事にするべきものが、少しは感じ入るものがあるべきだと思うんです。僕的には」
「そうだな(ガツガツゴクリゴクリガツガツガツガツ)」
「そうです!! この金色の絨毯を見て心を震わせない知性があるわけがないんです」
「そうだな(ガツガツガツガツガツゴクゴクゴクゴク)」
「って、少しは外にも目を向けてくださいよ!」
「そうだな(モグモグモグモグモグゴキュリゴキュリ)」
「先輩って国語力が低下してそうですよね」
「そうだな(ムシャムシャムシャムシャムシャムシャ)」
「先輩の食べっぷりに感動して妙齢の美人さんがニコヤカな顔で微笑んでますよ」
「そう、だな(キラーン)」
「何で歯が光るのか僕には未だに理屈が解りません。先輩」
スーツ姿の金髪二枚目美形。
タシネがやれやれと首を振った。
「タシネッ、何処だ!? 何処にいる!?」
「此処にさっきからいます」
「違うッ。ここは『あの方ですよ』とかニコヤカに指し示してみるべきシーンだろッ!」
女性との出会いに命を懸けていそう・・いや、一部分掛けていると思われるジーパンに革ジャン姿で寝癖が撥ねたシノミヤは美人さんを探した。
「すぐ其処にいるじゃないですか先輩。ほら」
タシネが手で示す先にシノミヤは視線を合わせ、固まった。
狭い列車の反対側の席から微笑みを浮かべた老齢の女性がニコヤカにシノミヤの食べっぷりを眺めていた。
「あ、どうも」
引きつった笑みでシノミヤはその老齢の女性に手を振った。その女性もシノミヤに微笑み手を振って返し、手に持っていたラベルの無いボトルを差し出してニコニコした。
「あ、ありがとうございます。ご婦人」
女性はシノミヤがボトルを受け取ると頷いて席に戻り、窓の外の景色へと視線を向け始めた。
「良かったですね。先輩」
「ああ、そうだな。一部を除いて」
シノミヤが憮然とした顔でボトルを太陽に透かし見る。拗ねた先達にタシネは悪びれる様子もなく笑った。    
「嘘は付いてませんよ? だって、妙齢の女性には変わりないですし、あの顔はきっと過去にはかなりの美人だったと推測できます。それに年輪の美しさはああいう年齢の方でなければ出せないかもしれません」
「オレの純情を弄んでそんなに楽しいか?」
ギロリとシノミヤはタシネをボトル越しに見た。
「いえいえ、先輩を弄ぶなんて後輩の僕にはできませんよ。それよりもそのボトルの中身が気になるんですけど」
「お前にはやらん!」
「あ、でも今は控えてくださいよ。さすがに初顔合わせで酔ってるとかは査定に響くんで」
「ぐ、いいだろう。今日の夜に一人で飲むもんねッ」
「寂しいだろうなー。一人身で男がボトルとか哀愁が漂っちゃうだろうなー」
「ぬぐ」
「まあ、そんなに怒らないでくださいよ。年に何回あるか解らない遠距離出張。経費個人負担無しなんてそうそうないんですから。仲良く楽しくやりたいじゃないですか」
シノミヤはタシネの屈託の無い笑顔に毒気を抜かれ、溜息を一つ吐いて「そうだな」と素直に発言を認めた。
「さて、後少しで目的の都市部ですし。今回の件の仕事のおさらいでもどうですか?」
「必要ない。たかだか古代の意匠が発掘されただけだ」
「先輩には今回の仕事は簡単なのかもしれないですけど僕初めてなんですよ。こういう仕事。実際今回の仕事警備って名目ですけど本当の所はどうなんです? 先輩はその辺詳しいから聞けって二佐にも言われました。これは事実上説明責任が発生したと考えるべきかと」
シノミヤは微妙にタシネの言い分に嫌そうな顔をしたが仕方なさそうにしてボトルを席の横へと置いた。
「素直に教えてくださいと言え。タシネ上級曹長」
「はい。そんなシノミヤ先輩が好きですよ」
「気色悪いわッ!!」
「はは、酷いなー。こんなに先輩思いの後輩なんて中々いませんよ?」
「知った事か!?」
「はいはい」
列車は広大な穀倉地帯を越え、巨大な都市の入り口へと少しずつ近づいていっていた。

『外侵廃理』
この世に神が降臨する事を防ぎ、その召喚に関わる人員の逮捕拘束、神自体の抹消を手掛ける七教会が内包する組織の一つ。その人員の逮捕拘束に携わる部門。それが七教会付属独立神域排除機構『外侵廃理』第四課。更にその四課下っ端である二人はガルガントゥア地方へと出向させられていた。
「で、この仕事。どういう経緯でこちらに舞い込んだものなんですか?」
「そもそも魔導に関係する意匠の発掘作業にどうしてオレ達が駆り出されてるか予想は付いてるか?」
「あ、それは、はい。ウチが神様関連の部署だからですよね」
「そうだ。オレ達が相手にする連中が基本的にこの世界にいない神の手先だ。その関連で神の意匠に関する七教会の業務の大概はウチに回ってくる。魔導の『意匠』。危険な神の上級意匠なんてものが発掘されれば危険度に応じて封印や抹消も手がける。本来の業務的には一課の仕事だ」
「でも、僕達みたいな逮捕拘束のプロが送り込まれた。つまりはそういう事だと言いたいんですか? 警備名目なのに」
タシネが納得いかなさそうに首を傾げる。
「いや、本来なら意匠発掘の警護は騎師団の仕事でオレ達が出る幕じゃない。もし神官なんかが意匠の強奪に現れれば本来は騎師が退けるのが筋だろう」
「なら、どうしてウチに?」
「待て。その前に聞くが現代魔導の根幹法則は莫大な諸法則を束ねる共通のプラットホームだって話は聞いた事あるか?」
「はい? あーえっと何だったかな。確か大昔の魔導源流の共通する法則や技能の部分を寄り集めたんでしたっけ?」
「『意匠』はその根幹法則にアクセスして、束ねられた源流の諸法則に特定の魔力やベクトルのパターンを抽出させるフィルターになってる。つまり『意匠』は魔力によって神の形質を再現する。で、そこには必ず特定の魔導源流の法則の一部分が対応している事になる」
「はい」
タシネが難しそうな顔で頷いた。
「現代魔導の『音源』『所作』は基本的に複数の源流の法則に反応するんだが時折発掘される意匠の中に極微弱な反応しか示さないものがある」
「それってつまり現代魔導に対応してないって事ですよね」
「ある種の突き抜けた魔導源流の一部。つまりは太古の昔に消えたとか使う人間がいなくて廃絶したとか、そういう理由で現代魔導に組み込まれなかった魔導源流が使っていた、あるいは対応していたと思われる意匠がそれだ。汎用性が半端じゃない現代魔導の根幹法則はその組み込んでないはずの源流の意匠でも反応はするんだが、どうしても反応が鈍い。まあ、宝の持ち腐れみたいな話だがこれにはまだ続きがある」
「つまり?」
「何らかの拍子に意匠が完全に反応するような無駄に奇跡的な事態が起こると反応の鈍かった意匠は化ける。そんな意匠が顕す神は他の神格よりもランクが恐ろしく上の事が多々ある。例えば、普通の光弾の魔導にその意匠を組み込めば魔力に特殊な能力が付加されたり威力だけが格段に跳ね上がったりな」
「それだけならウチが出張る必要は感じられないんですけど」
「言っただろ。特殊な能力が付加されるって。しかも神のランクが洒落にならんとも」
「言ってる意味が解りかねます先輩」
「要は魔導にどういう効果が出るかも解らずに意匠を組み込んで発動させた奴がもう出た。その過程で特殊な効果が発動してオレ達が出張らざるを得ない状況になった、と」
「それって」
「オレ達が出張る仕事の殆どは神官なんかの召喚者逮捕、警備任務なんて嘘っぱちだ」
「まさか、魔導の暴走でその人が?」
「危ない神様の力で文字通り『化けた』らしい。しかも、やたらと強力なチート補正が掛かって神官になったところから、神に侵食されてんじゃないかって話だ」
「それって神格による憑依、表層神格化とかですよ?! ウチじゃなくて三課の仕事です!!」
「はっはっはっ、タシネ上級曹長。君は面白い事を言うなぁー」
「二佐みたいに喋っても誤魔化されませんよ!?」
「黙れ! 三課は何か忙しいからパス。後はよろしく四課さん。四課の上司は言いました。『あ、それじゃボーナス査定が倍という事でいいかい?』とッッ!!」
「買収されてるッ?! 思いっきりお金目当てですか!!」
「ええいッ、うるさいうるさいうるさいッ、オレの今月の窮状を知らんからお前はそういう事が言えるんだ!! この優等生めッ」
「命有っての物だねですッて。神の力使い放題の敵って無茶苦茶苦労するって自分で言ってたじゃないですか!!」
「苦労するような仕事だから警備名目にされてんだろ。オレ達への緊急出動や調査依頼。どんだけウチが依頼者に請求してるか知ってるか? そこを低く抑えてもらいたいあっちのお偉方と今手が放せなくて戦力を送り込めないこっちのお偉方が妥協した結果がオレ達ってわけだ。あくまで警備名目で送り込んで貰ってギャラを安くしてもらう。こっちも程度の低い戦力でギャラを割り増して稼ぐ。ギブアンドテイクだろ?」
「先輩が社会の歯車としてダメになっていく」
「何とで言えぇい。オレはそのお零れを少し頂き、七十二回払いのローン全てを完済するぞ。ふはははははっ」 
「先輩の装備にお金が掛かってるのは知ってますけど、そこまで追い詰められていたなんて」
「ああ、二佐。オレは貴方に一生付いていきます(キラキラ)」
「完全に目がお金の形に。ただの警備任務のはずが。うう」
タシネは何かを諦めたようにガックリと項垂れた。
シノミヤ・ウンセ・クォヴァにとって明日の食事代すらない生活はもはや過去になりつつあった(脳内オンリーで)。

そんな一幕から三時間。
列車が都市部へと入った後、二人はさっそく魔導の発掘現場へと出向いていた。都市部から更に十キロ以上山間部へと入った所にその現場は存在していた。
巨大な神殿。
森の中にひっそりと佇み同化している其処には清浄な空気が流れている。
木々の間に設置されたテントと多くの機材の間を縫って二人は責任者と会っていた。
木製のテーブルの上にはカップが三つ。
湯気の立つ紅茶を啜りながら二人はその禿げた中年男性、発掘主任である男に事情を聞かされていた。
「こちらの戦力は騎師一個中隊でした。変質した彼女は元々魔導が得意ではなかったので何とかなるかと思っていたんですが」
「まったく騎師では歯が立たなかった?」
タシネの言葉に発掘主任が頷いた。
「どうやら人型ではない神の意匠だったらしく、運動能力の飛躍的増大、高速機動能力が半端ではなくて。打撃力、回避能力、魔導への抵抗力。それらの爆発的な増幅で手が付けられない状態に」
「彼女って言ってましたがソイツの身元は?」
シノミヤの質問に発掘主任はしばらく沈黙したが黙っていても仕方ないと諦めたのか話し出した。
「ウチの大学の学生です。専攻は魔導関係ではなく機械工学系でした。こんな事になるなんて思わず連れてきてしまって。どうかあの子を保護して頂けないでしょうか」
「つまり、できる限り迅速穏便にその子を確保してもらいたいという事ですか?」
タシネの言葉に縋るように発掘主任は頷いた。何度も頭を下げお願いしますと頼む姿に二人は事態が飲み込めてきていた。
「(おい。何か今回は人助けっぽいぞ)」
「(そうですね。これで何となく背景が見えてきました。大学の発掘チームにウチが請求する額が払えるわけはないですし、そもそもが学生が起こした事件を公の存在である騎師に頼むのは不都合極まりないのは理解できます。それに神官化したとはいえ、学生にできる限り傷を負わせたくないと考えるのは大学側として当然でしょう。騎師はそういう捕縛なんかにはあんまり向いてませんし)」
「あの、あの子は助けられるんでしょうか? 彼女は本当にいい学生で、今回の件も何か偶発的な事故に違いないんです。この発掘にも本当に学術的な好奇心だけで参加してくれた。そういう子で。ですから、どうか彼女を」
発掘主任に頭を下げられて二人は顔を見合わせる。
「タシネ。オレ達の仕事は何だ?」
「神格の召喚などに関連する関係者の逮捕拘束です」
「ついでにできる限り命の保障も必要だな」
「ええ、それが僕達『外侵廃理』の基本原則ですから」
二人のやり取りに発掘主任は目頭を抑え、頭を下げ続けた。

sideEX(Extra)

朧月夜の闇の中、竹林で休む合間に夢を見た。
暗い夜の夢。
夜目で歩くあぜ道。
風音に水音。
乾いた夏の暑さ。
光の欠片もない。
歩く道の先には短いトンネル。
先が見える。
いきはよいよいかえりはこわい。
長い長い夜を歩く。
猫が一匹通り過ぎていく。
途切れた道の先には林。
通り過ぎた。
林は消え、小さな社が一つ。
小さな扉を開けて中のものを取り出す。
小さな箱。
蓋を開ける。
干乾びて細長い物。
命を繋ぐ絶えない緒。
それを―――。

sideM(memory)

シノミヤとタシネは、何故か病院のベッドで目を覚ましていた。
「・・・・・・・・なぁ、何か昨日の記憶が曖昧だと思わないか?」
「・・・・・・・・あの、どうして病院のベッドにいるんですか先輩?」
見覚えの無い天井。
二人が昨日泊まった安普請のホテルよりも綺麗な部屋だった。
「先生?! 目が覚めましたッ!! 先生ッ?!」
バタバタバタバタバタバタ。
大急ぎの女性の声。
それが遠ざかるのを聞いて二人が起き上がる。
「タシネ。昨日何かあったか?」
「いえ、確かホテルで先輩と一緒に酒の肴を買って、それで? それでどうしたんでしたっけ?」
「昨日はホテルに着いて夜もいい時間だったから・・・・。どうしたのか思い出せないのは何でだ?」
「先輩。自分の記憶で詮索するより周り見てください」
「はっ? 周りがどうし――」
思わずシノミヤは言葉を止めて辺りを見回した。
部屋の中には巨大な機器が複数設置され、その全てが反応を示すグラフを上下させていた。
そこで二人は自分の体に貼り付けられているものに気付く。
コードが無数に体中に延びていた。
「何か重症の患者になった気分だな」
「先輩、今思い出しました。ここ重症患者が搬送される特別集中治療室ですよ」
「オレ達が健康をそこまで害していたとは、侮れない職場だ」
「その場合、何も知らされずに転勤ですね。そもそも健康管理はこちらの職務規定ですから、前の査定の時に引っかかって仕事止めろと言われてないとおかしいです」
「とりあえず体に違和感は?」
「ありません。先輩こそ何かおかしなところは?」
「いや、ない。逆に爽快な気分だ」
そこまで話して二人は駆け足が近づいてくる音を聞いた。
ドアがバキィッと激しい音を立てて開き、中へと飛び込んできた人物は二人の様子を見て一瞬で涙を溢れさせた。そのまま二人のベッドの間に急いで来るとその黒髪をセミロングにしたジーパンにトレーナー姿の女性がポロポロと涙を零し続けながらシノミヤに話しかけた。
「シ、シノミヤさん。良かったです。う、ほ、本当に良かったです。ううう」
一瞬誰だか分からなかったシノミヤはすぐにその二十台前半の女性が自分の知り合いだと気付いた。
「何でお前がここにいるんだ?」
「それは、それはこっちの台詞ですッ!! どうしてこんな所にいるのか私がシノミヤさんに聞きたいですよ!?」
怒った風な女性はシノミヤがいつも顔を出す馴染みの喫茶店のウェイトレスだった。
「あ~~~何か心配掛けたかオレ?」
「ば、馬鹿ッ。シノミヤさんがどれだけ眠ってたか解ってるんですかッ!?」
「一日?」
あまりの剣幕のウェイトレスにシノミヤはタジタジになりながら笑顔で取り繕った。
「四日ですよ。シノミヤさんも後輩さんも四日も意識が戻らなかったんですよ」
その涙があまりにも真剣だったからシノミヤは思わず謝っていた。
「スマン。何か迷惑掛けたみたいだ」
「そんな迷惑なんてッ、私はシノミヤさんが生きるか死ぬかって聞いて慌てて来ただけで、シノミヤさんがそんな時に迷惑だなんて・・・」
慌てて涙を堪え、微笑むウェイトレスをシノミヤは思わず抱きしめていた。
「心配してくれたんだよな? ホントにスマン」
「い、いえ、あ、あの、それより、シ、シノミヤさんはホントのホントに大丈夫なんですよね?」
思わず紅くなるウェイトレスにシノミヤは安心させるように笑う。
「ああ、少なくとも自分で解る分には大丈夫だろ」
「そ、そうですか。シノミヤさん。あの、その、は、離して頂けると」
「気付かなかった。悪い」
シノミヤはバツが悪そうにウェイトレスを離し、自分を見つめる大勢の瞳に凍りついた。
「先生ッ、ここはそっと二人にしておくのがいいのでしょうか」
「ふむ。そうだな。その通りだよ君。若い二人の邪魔をしてはウマに蹴られて死んでしまう。それに愛以上の薬や慰撫はない。そこの方を一人部屋に移して、我々は一昼夜程度こちらには来なくてもいいだろう」
「では、簡単な検診と点滴だけは」
「その後はああ、そうだ。連れの方には不満かもしれませんが、そのコードはあまり外れないようにしておいてくださると助かります。それと多少心拍数が上がってもこちらには今日一杯来ませんので。では、皆さん撤収」
ゾロゾロゾロゾロ。
看護師の女性達が生暖かい視線で「お幸せに」とか言いながらタシネのベッドを運び出し、簡単な点滴と検診をして返っていくのをシノミヤは人生最大の自制心を発揮しながら慌てて止めに掛かった。
横で少しだけ頬を染めたウェイトレスが嬉しそうな顔をしていた。

「医者に事情を聞くなんて思わなかったな」
「それにしても僕達が即死に近い状態で運ばれるなんて・・・」
「だいぶ遅れを取った事は確かだ」
「たぶん、今回の目標のランクはWSⅠクラスですね」
二人は医者が一日は養生していけという言葉も気に掛けず発掘主任が戻っているというホテルへと出向いていた。
二人が知ったのは自分達が四日前の夜にホテルで襲撃された事。そして殆ど半死人で運び込まれたという事だった。四日前の地方紙には『突然の爆発。ホテル一室で二名重症』という見出し。それを確認してその夜の記憶が無いという事態がどういう事を意味するのかに思い至って、二人は頭を抱えた。自分達が即死に近い状態で倒されたと理解したからだ。
(心配掛けたな)
シノミヤはフロントから部屋の番号を聞きだしながら駆けつけてくれたウェイトレスの事を考えていた。
シノミヤは今現在親族がいない。だから、実際死に掛けても誰も病院に駆けつけてくるはずはなかった。それなのにウェイトレスが駆けつけてきたのはシノミヤが今の職場に入る際、適当に書いた書類へ緊急時の連絡先を喫茶店の番号に指定していたからだった。
(これから適当な時間ができたら変えておくか)
シノミヤを心配したウェイトレスがわざわざ遠方にまで出向いてきてくれた事を嬉しく思ったがそれ以上に申し訳なく思っていた。
「先輩?」
「ああ、少し考え込んでた」
「やっぱり先輩も運ばれてきた時の僕達の状態が気になりますか?」
「確かにな。そもそもお前が両腕両足をぶった切られて転がされてるってのがオレには想像できない」
「それを言ったら先輩は下半身がまるまる持って行かれて出血多量でショック死寸前だったたらしいですし」
「どっちも惨敗だな。いや、それ以前に下半身をまるまる再生されたオレの不安をどうしてくれる」
「それは・・・・まぁ、後遺症が分る事自体がないでしょうし」
「今、喧嘩を売られた気分だがどうでもいい。とにかく、もう一度話を聞きにいくぞ」
「はいはい」
二人は目的の部屋に付きノックした。
ガチャリとドアが開いて発掘主任、とは絶対に思えない十八歳ぐらいの女性が出てきた。
「お話は窺がってます。どうぞ、中に」
二人は驚きながらも促されるままに室内へと入った。
椅子を引いて紅茶を出そうとする女性に二人は固辞すると単刀直入に訊いた。
「あの、貴女は?」
タシネの二枚目の顔に微かな赤みを混ぜて女性が名乗った。
「あ、はい。学生です。エリ・トウハイと言います。その、お二人は『外侵廃理』の方ですよね?」
「ええ」
エリはそれを聞くと思いっきり頭を下げた。
「すみませんッ。お二人にケガを負わせたのは私ですッ!!」
「は?」
「え?」
タシネとシノミヤの声が同時にハモった。
そこにいるのはどうやらタシネとシノミヤを半即死にした張本人らしかった。

二人は状況の説明を受けていた。
「どういう事なのか伺いたいんですが」
「あ、はい」
エリは発掘責任者である男の代わりとして来たらしかった。
「そもそも私の血には人外の血が四分の一入ってるんです。かなり昔に人と交わった種族があって、その末が私です。私は殆ど人間なんですけど、実家は東部の深山幽谷の更に奥で。一応、魔導も大昔から一族に伝わる源流を少々知ってます。今回の意匠の発掘には私の種族と近い種族が持っていたと言われる魔導源流、その意匠を探すという事だったので参加したんです」
「人外の魔導源流」
タシネがその言葉の意味に慄然とした。
「まさか今回発掘目的とされていた意匠は『外に住まう者』絡みの?」
「はい。私は意匠が見つけられた時には嬉しくて仕方ありませんでした。そういう自分のルーツの一つを発見できた事に感動してました。だから、あの日、発掘された意匠の石版のある場所に一人で行って見てたんです」
「それで何故魔導が発動を?」
「はい。それがその、私のお守りが魔導の媒体になっていたらしくて意匠の石版と呼応する形で勝手に魔導が発動して」
「勝手に発動。タシネどう思う?」
「そうですね。可能性はあります。『外に住まう者』はこの世界の外側に存在するとされる神々それに類する者の意匠ですから。神話体系の更に外、世界という枠に収まりません。事実、そういう事例がないわではないです」
「それで、その媒体ってのは何なんだ?」
「はい。これです」
エリが自分の胸元から小さな東部様式のお守りを取り出した。シノミヤは小さな袋状になっているソレを受け取り開けていいか確認を取り中身を取り出した。
「これが・・・?」
シノミヤにはそれは細長い乾燥した何かくらいにしか分らなかった。
「それって臍の緒じゃないですか?」
「あ、はい。ウチの家宝の一つらしいです。何でも神様の臍の緒なんじゃないかって」
「それがお守りになっていて、石版と反応して、魔導が発動したと?」
「はい。信じてもらえないかもしれませんが。そうです」
エリがシュンと項垂れた。
「それじゃ、今ここにこうしているのはどうしてですか?」
タシネの最もな疑問にエリが答える。
「はい。私もよく覚えてなくてうろ覚えなんですけど。その、お二人の事を観察して決めたみたいなんです」
「観察して決めた。何を?」
「え・・・あ・・・」
カァッとエリの頬が染まった。
「何か言い難い事ですか?」
タシネが優しく訊くとコクンとエリが頷く。
「相手として、です」
「相手?」
本気で分らない顔をするシノミヤだっがタシネは何かを気付いたらしかった。
「私の意志じゃないのは理解して欲しいんですが、あの・・・新しい体を作るのに適してたんじゃないかと」
「体? まさか、神の肉体」
「はい。受肉する為の肉体です。乗っ取られてる時にはあんまりよく分からなかったんですが、私が解放されたのも新しい肉体ができたからみたいです」
神が受肉する。
それはつまり恐ろしいまでの戦闘能力を持った存在が首輪も付けず野に解き放たれたという事で、つまりもう四課の仕事ではなく、神を専門に扱う三課の仕事だった。
「それは分った。だとして、どうしてオレ達の体だったんだ? そもそも人間の肉体を使う必要があったのかが疑問だな。しかも持っていかれたのが下半身と四肢なのも」
タシネが鈍感なシノミヤに代わって真実を言い当てた。
「先輩。気付きましょうよ。この時点で話しの重要な点は出揃ってます。神の緒、乗り移ったのが女性、神は肉体を求めていた、襲われたのは男、持って行かれたのは四肢に下半身。神の緒は予想ですが、この世界とあちらの世界を繋ぐ線、神格をこちらに持ってきた後は肉体を構成する必要があるから、その代替としてエリさんを活用、更に本格的に動く為の体を求めて僕達を襲撃。この流れからするとたぶん四肢は肉体の栄養素として、それに自分の肉体を強化する目的で使用されて、先輩の下半身は」
「おい。ちょっと待て」
「先輩の下半身は」
「だから待てってッ」
「先輩の×××は」
「おんなじだからッ!? しかも、そっちの方が何かやだッ」
しょうがなく黙るタシネはエリに視線を向けた。
「あの、とても失礼な事を訊きますが、今月の分は来てますか?」
「~~~~~~~~ッ。す、すいません。私が悪いんです」
その顔を真っ赤にして首を振るリアクションにタシネはやっぱりという顔をして、シノミヤは顔を青ざめさせた。
ついシノミヤの視線がエリの腹部へと向く。
それに気付いたエリは首をまるで機械の如く高速で横に振った。
「お、覚えている限り、そういう事をしたりは。ただ、私の中から何かが抜けてそれと同時に残ってたお二人の体の一部が私から抜け出たモノと一つになって。それで・・・」
「後は覚えていないと?」
「は、はい。信じてください。お願いしますッ!!」
エリはまた頭を下げるのを見て青ざめていたシノミヤは溜息を一つだけ吐いて顔を上げさせた。ウルウルと涙目なエリがシノミヤの顔を見上げる。
「あ~~~オレ達全員が被害者って事だろ? 気にしなくていい」
「あ、ありがとうございます」
タシネはあんまりな展開の模様に疲れた顔で立ち上がった。
(先輩。これ以上は酷ですよ。ここは退散しましょう。それにたぶんですが遺伝的な部分はエリさんにはまったく比重が置かれていないはずです。神格が自分をもしエリさんのアレに宿したなら、必要にされたのは優秀な男の遺伝子だけのはずですから)
(お、お前、遺伝子とか生々しいッ!? オレがこの歳でッ、この歳でッ)
ワナワナと震えるシノミヤにタシネはやれやれと首を振った。
(ソレに関しては少しだけ負けたような気がしないでもないです。だって、神様にこの都市中の男性の中から見事選ばれるなんて宝くじに当たるよりも低い確率ですし。ま、先輩は当たっちゃったわけですが)
(今、上手い事言ったつもりかッ?!)
「それではエリさん。僕達はこの辺で失礼します。上に報告がありますので。今回の事はこちらが不出来な仕事だったのに加え、過失もありましたから一切貴女への責任はないものとして処理しておきます。ですから心配なさらないでください。それでは、僕達はこれで」
内心で動揺しまくっているシノミヤを連れてタシネがドアを開けてその場を後にしようとした。その瞬間、後ろから声が掛かる。
「あのッ!?」
「何か?」
「あの、あの、その、う・・・タシネさんッ。そ、その」
シノミヤはエリが何を言おうとしているのかすぐに検討が付き、あまりの敗北感に思わず叫びながら駆け出した。
「運命の馬鹿野朗ぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
タシネはその様子を見てからエリに慇懃無礼に礼をした。
「もしも、友達で良ければアドレスを交換しませんか?」
その笑みにエリは心臓を打ち抜かれた。
(オレの体が持っていかれた。どうなる・・・・・大失態過ぎだオレ)
廊下を駆けながら、シノミヤの何処か冷静な部分が不安を訴えていた。

タシネがいじけた状態のシノミヤを発見したのは夕方だった。いつの間にか来ていたウェイトレスの部屋で水を注がれていたシノミヤを発見したタシネはその足で周辺の調査を行い、神格がもう地域にいない事を確認。それから次の日には三人で東部へと向かった。

それから一週間。

シノミヤは相変わらず行き着けの喫茶店でウェイトレスに水を注がれていた。
「う、うううぅぅぅぅッ、ぅぅぅぅぅぅぅ」
シクシクと涙に暮れる大の男が一人。
一週間そのままのシノミヤをウェイトレスがニコニコしながら元気付けた。
「ボーナス査定が無くなったっていいじゃないですか。生きてるんですよ? 私はシノミヤさんがこうやってお店でグダグダしてるだけでホッとします」
「それだけならこんなに長期間泣けるかッ?! あの病院ッ、あの病院の請求書がッ。二佐が給料から天引きするからとか。くぅうううううう、もう一杯!!」
「はいはい。お腹が膨れるまで飲んでくれてかまいませんから。水は無料ですよ」
いつものやり取りに喫茶店のマスターはやれやれという顔をしてコップを拭き始めた。チリーンとベルが鳴り、新しい客が入ってくる。ウェイトレスは笑顔で「いらっしゃいませー」と言い放とうとして固まった。
ルルルルルルルルルルル。
シノミヤが懐で鳴った端末を取り出した。
「はい。フラフラ安心『外侵廃理』第四課シノミヤ・ウンセ・クォヴァです」
『先輩。それは安心じゃないですから』
「何だタシネか。オレは今忙しい。切るぞ」
『嘆くのに忙しいなら、絶対に聞いておいた方がいいと思うよな情報があるんですけど、要りませんか?』
「何だッ。これ以上オレの財布を苛めてもッ、オレの給料を苛めてもッ、オレの心を苛めてもッ、一銭も出ないぞッ!!」
『はいはい。分りました。分りましたから。あんまり怒鳴らないでくださいよ。とにかく話を聞いてください。今、こっちじゃてんやわんやなんですから』
「いったい何があったって?」
『ああ、その審議はあっち側でやるらしいですから。それとその書類は三課に回してください。それとこの書類は一課。ああ、二佐。いいところに、今立て込んでるので二佐の口から話してください』
「・・・・・・・」
シノミヤは不吉な予感のあまり端末を切ろうとしたがその前に上司の声が聞こえた。
『ああ、シノミヤ君。君も災難だね』
「何ですかッ!? その不吉な語りだしはッ?!」
『いやいや、事実さ。それよりも君がこの一週間デスクに戻らずに外回りで稼いでた間に大変な事が起こったんだ。まぁ、本来はシノミヤ君に真っ先に連絡が行くはずだったんだが、一課、二課、三課、四課、五課と全課合同で前例がない審査をやってたせいかな。混乱して誰も本人に連絡が行ってないとは思ってなかったみたいだ。君の現在やらなきゃいけない書類仕事は全部タシネ君がやってるからいいとして・・・一つ訊いていいかい?』
「はい。何でしょうか二佐」
もう諦めの境地に達したシノミヤだった。
『君は家族が欲しいかい?』
「はい?」
『いや、だから家族が欲しいかい』
「そ、それはオレに対する皮肉ですかッ?!」
『いやいや、そうじゃないんだ。ま、でも内心じゃ一人身は寂しいぐらいには思ってるんだろう?』
「それは・・・そうかもしれませんが」
『それなら問題ない。この前例は七教会、いや、歴史に残るかもしれない偉業の部類に入る。一躍君は有名人さ。そのうちに奥さんの一人も見つかるんじゃないかな』
「何の話なのかさっぱり分りません二佐」
『こほん。シノミヤ・ウンセ・クォヴァ二尉。君には本日付でとある特殊な任務に常時就いてもらう事になった。これは七教会総本部からの意向でもあるし、同時にこの『外侵廃理』の総意でもある。これを固辞する事はできない。それでも止めたい場合は社会的に抹殺される事を覚悟しておいて欲しい。それと君の今までの功績を認め、君の官位は五階級特進、一佐に昇格とする。あと今回の任務に対しては七教会より七聖女フルー・バレッサ様からの特別支給となる新装備一式を貸与する。これの使用は君の判断に一任される。それと給料はぶっちゃけて五倍になる。これで少しは生活も楽になるだろう』
「あの、二佐?」
何が何やら分らないシノミヤは脂汗を流しながら今まで洪水のように押し込められた情報を吟味していた。
クイクイ。
袖が引っ張られてシノミヤはそっちの方を向いた。
そこには一人の少女が立っていた。
歳は十五程度。その髪はシノミヤと同じ黒、その瞳も同じ黒。顔立ちは幼く何処か猫っぽい。背はシノミヤから頭一つ下。笑みは浮かんでいないが純粋な瞳の輝きは子猫がどうしたの?と問いかけてくるようだった。その姿は黒の礼装でシャナリシャナリと音が聞こえてきそうな壮麗さを兼ね備えていて・・・・。
『君にはこれから、たぶん着いていると思うが、『神』と共に行動を共にしてもらう。彼女はわざわざ生みの親である君を指名してきた。これはつまり外なる神々との対話の第一歩かもしれない。事実、彼女は神格としての能力を備えながら人間としての能力も備えている。彼女は我々に接触する際『お父さんに会いたい』と言った。こちらでは―――』
「お父さん」
澄んだ声音。
頭の中に涼やかに響き残る心地良い音。
『聞いてるかい? とにかくだ。受肉した彼女はあくまで人間との共存を望む形で接触してきた。今はいない神話体系内の神々ではなく、新たな、そして最も旧い、世界の外側からの使者。それが彼女だ。彼女との交流とは即ち、未だ人類が到達していない解き明かしていない神話体系、高位領域の存在との接触であり、同時にこの星の命運、ひいては魔王への切り札に、聞いてるかい? シノミヤ君。僕だってこれは夢じゃないかと思うんだ。だが、残念ながらこれは現実に過ぎないんだよ。だから、よく聞くんだ。君がその子を受け入れ共に在る事で世界は変わるだろう。神を否定し、神を殺し、神を追い返している僕達が、その子を受け入れるという事は、その時点で人が―――』
「お父・・さん?」
反応しない事に少しだけ悲しげな顔でいる少女へシノミヤは手を伸ばそうとして、端末が床へと落下して声が途切れた。
店内に沈黙が降る中、シノミヤはハッと後ろの凶悪な気配に気づく。
―――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
地鳴りのように聞こえた音がただ拳を握り締める際に出る指の関節の音だとは気付かずにシノミヤは少女に話しかけた。
「後ろのお姉ちゃんに家の場所を言えば帰れるからな」
ナデナデと少女の頭を撫でて良い笑顔で後ろを振り返るシノミヤは、
「あ――――――」
止まった。
何かを言う前にシノミヤは自分の心臓が極度に静かになっていくのを感じた。
「シノミヤさんてそんなに大きくて可愛らしいお子さんがいらしたんですね♪」
コクン。
そう少女が嬉しそうに頷いていた。

オレは今日死ぬのか?

「この、外道ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ゴォヴァ――――――――――――――――――――――ッッッッッ?!」
シノミヤの感想が溜息として出力される前に死を体現する拳がシノミヤのどてっぱらを打ち抜いて吹き飛ばした。
「この外道ッ、ロリコンッ、ペドフィリアッ、何歳の時の子供だッ、変態ッ、死んでしまえッ、死んでこの子のお母さんに謝れッ、解ったかッ、このダメ人間が――――ッ!!」
吹き飛ばされた後にゲシゲシゲシゲシゲシゲシドガドガドガドガガツンガツンガツンと足蹴にされるシノミヤは「理不尽だ」とも呟けずボロクズのように最後シュートされて元のカウンターの椅子へと戻った。
もはや死にそうなダメージを受けたシノミヤがカウンターにクテッと萎れると心配そうな顔で少女がシノミヤの顔を覗き込んだ。
「お父さん。大丈夫?」
シノミヤは思わず涙が出そうな位に嬉しくて、場の雰囲気に流され「おお、我が娘よ」という冗談をかましてみたくなったが、本当の命の危機を迎えるような気がしたので自制した。
「驚きだ。ああ、君に娘がいたなんて天変地異でも起きるかな」
マスターが言いながらシノミヤの横で心配そうな少女にオレンジジュースの入ったコップを差し出す。それを見ていた怒り覚めやらぬウェイトレスはカツカツとシノミヤの後ろに来ると、何か葛藤していたが、ギュッとシノミヤの背中を抱きしめた。
「ッッ?! え、あ」
シノミヤが思わずその感触に体を逃がそうとすると今度は何故か対抗するように少女がシノミヤの片腕を掴んでしがみつく。
「シノミヤさん。シノミヤさんが例え子持ちでも、シノミヤさんが例え特殊な性癖でいたいけな少女にお父さんと呼ばせたい人種でも、例えシノミヤさんがその子の母親を忘れられなくても、私はシノミヤさんをずっとここで待ってますよ」
「ちょ、そ、何を、あ、だから、くっ付くな」
混乱したシノミヤが意味のある言葉を紡ぐよりも先にウェイトレスはツカツカと店の裏側へと続く扉を潜っていく。
「マスター。今日は上がらせてもらいます」
「はいよ」
カランと音がしてシノミヤは少女と二人きりになった。
マスターは店じまいの為に片付け始めていたが何も言わなかった。
「?」
その大人達の様子に首を傾げて、どうでもいいと判断したのか、腕にくっ付いたまま目を閉じる少女にシノミヤは初めて真面目な視線を向けた。
「まずお前があのホテルでオレとタシネを襲ったって事でいいのか?」
コクンと少女が頷く。
「で、どうしてオレ達を襲ってまで体を手に入れた?」
「ただ、それだけが目的のモノだった」
「お前がか?」
コクンと再びの首肯。
「解った。なら、どうしてオレを父と呼び『外侵廃理』に接触してきた」
「何も、する事が無かったから」
「つまり、あれか。その姿になるまでが目的で、それ以降には目的が存在してなかったって事か?」
やはり頷きが返される。
「オレの知識が正しければ『外』の神々やそれに類する眷属、存在の全てはオレ達の世界秩序とは別のベクトルと理屈で動く。つまり、本来人間の肉体を手に入れたからって人間らしく振舞えるわけじゃない。形質に本質が左右されるようなものがそもそも神であるはずもない。違うか?」
少女が今度は何かを思案するように沈んで・・・喋り始める。
「・・・・・・この世界から放逐された事象定義概念理外の神々はこの世界に干渉しない。干渉できない。第一外層に届く究極の凡愚はそれを許しはしない。紫輝の機械が邪魔をする。外なる者の殆どはそもそもそんな世界やモノに興味もない」
「訊いてる事と答えが一致してないぞ。それ以前に言ってる事の半分も分からない。お前達にはオレ達の世界に何の魅力もないって事でいいのか?」
少女は少しだけ考えてから頷いた。
「ほんの少しだけ興味があった一部の者はこの世界に『在る』事で興味を満足させる。でも、帰り方を忘れた者はこの世界の理に応じて『滅びる』のが常」
シノミヤは淡々と少女の話を聞き続けた。
「でも、今なら『生まれられる』。緒が彼岸と彼方から存在を生む。だから」
「生まれてみたかったのか? ただ、生まれる事だけが望みで後はどうでも良かったと。そして、その目的のみに沿った行動はオレ達が半死半生の目に会う結果に繋がってると」
少女がシノミヤを見上げて驚いたようにコクコクと頷いた。
「で、目的は達成しても中身がなかった。ただ生まれただけだ。そこで体を作る為に必要としたオレが興味の対象になった」
総合するとそんな感じか?とシノミヤは頭の中で内容を整理した。
少女がシノミヤを見つめた。シノミヤが自分の言っている事を、真意を理解できると少女は思っていなかった。
「お父さん」
「お前な、それをオレに言うとオレは世間的に抹殺され、この場合は逆に良い結果に転がってるのか? 待て、早まるなオレ。大丈夫オレ? オレはまだそんな歳じゃ、できるとしても赤ん坊なら解るが、いや、それすらも自己嫌悪への罠ッ?! 落ち着けッ。オレは今・・・・・あんまり困ってない?」
シノミヤは自問自答の末に自分の立ち位置が悪くはなっていない事に気付いた。
「お父さん」
嬉しそうに少女がシノミヤの腕を強く抱き鼻をこすりつけた。
「待てッ、ちょっと待てッ。遺伝的には血が繋がってるのかどうかはこの際置いておくが、お前がどうして人間として振舞えているのか聞いてない」
「聞いてた。教えてもらった」
「誰に何を?」
「殺された神。追い返された神。人間ってどういうものかを」
「ッ、殺された神って言ったな? 殺せる程度の神なんぞ『意匠』にも乗ってない『僻神』ぐらいだぞ。魔導事象上で完全崩壊しても低位神格が存在してるって話か?!」
シノミヤはその世界中の学者がひっくり返りそうな爆弾発言に顔を引きつらせた。そもそも神様である少女がそんな簡単な事を知らぬはずはない。殺すという表現が本当の消滅を意味するのは『僻神』のみであり、それ以外の神は滅ぼす事はできずあくまで世界から放逐、あるいは現実への力による干渉を不可能にまで追い込むほどにその神格を構成しているエネルギーや質量を消滅・減衰させる事を意味した。
「本当に跡形もない神は神と呼ぶに値しない。稀に位が低くても特異点に届くモノもいる」
「・・・・世界の真理とか娘に聞く事になるとは思わなかったな」
もはや何も言うまいと疲れた顔でシノミヤは少女を見つめた。
少女はシノミヤが始めて言ってくれた娘という単語に喜びも露わに体ごと抱きついた。
「お父さんッ」
「解った。もう解った。それでいい。だが、覚悟しておけ。オレは自称神の眷属をぶちのめして牢屋に入れるのが仕事だ。あの連絡の調子からしてずっと一緒に行動を共にしろってところだろ。お前が嫌な思いをしてもオレにはどうしようもないぞ」
少女はまったくシノミヤの言葉に動揺を見せなかった。
「お父さんと一緒」
「それにオレは時々神も殺す事がある」
「それでも、一緒」
「はぁ・・・・好きにしろ」
少女は大きく嬉しそうに頷いて瞳を閉じた。
しばらくそのままでいるとクゥクゥと可愛らしい寝息が聞こえてきてシノミヤはもう何もかもがどうでもいいからオレも眠りたいという衝動に駆られた。
「もう閉める。話がまとまったなら帰って寝てくれ。その可愛らしい娘さんも連れて」
シノミヤはマスターの言葉に何も返す気にはなれず、抱きついてくる少女をどうやって運ぼうかと思案し、自分が端からどう見えるのか、その全てに思考を停止して伝説のお姫様抱っこをする羽目になった。久方ぶりに帰った家にはベッドが一つしか存在しない事をシノミヤが知るのは少女を部屋まで連れ帰ってからだった。

sideN(now)

シノミヤとティアは絶壁に張り付く長いつづら折りの階段を下っていた。
「外はかなり厳重な監視が付いてるがこの天蓋内部は構造が巨大なのと同時に複雑過ぎて監視の目は殆どない。重要な部分以外の管理用通路はまんまほったらかしだ。今だいたい天蓋の下半分に入った地点。ここから更に二キロ下れば天蓋の保守点検用の仮設通路がある」
薄暗く足音が響く巨大な穴を下りていく。
途中、無言だったティアが訊いた。
「ここ。知ってる人一杯いる?」
「そうだな。嫌な奴も好きな奴もどうでもいい奴も知り合いだけなら五万といる」
「お父さん。辛そう」
「どうしてそう思うんだ?」
シノミヤが歩みを止めず問いに問いで返す。
「たくさん、凄くたくさん、思ってる」
「・・・・・オレにとってここは第二の故郷だ。神も人間も人外も初めてここで見たし話したし戦った。オレがオレになったのは此処だ。だから、オレの過去の大半は此処にある」
ティアが傍らのシノミヤを見上げた。
「ここでオレは初めて友達ができた。ここでオレは初めて好きな奴ができた。ここでオレは初めて自分が本当にちっぽけな人間なんだと知った。そして・・・・・家族と仲間ができた」
微かに苦く笑ってシノミヤは階段の底を覗く。
「オレはこんなに世界が広いと知らなかった。オレは生きるってのが苦しくて楽しいものなんだって、此処で学んだ」
薄暗い階段の底が一際黒い光に満たされ、シノミヤが瞬間的に防護の魔導方陣を全面に展開した。
轟。
唸る風が穴を貫き、下から湧き上がる気配にシノミヤは動揺する事なく拳銃を構えた。
「きっと、これからお前も学べる。あそこで。あの場所で。きっと傍でオレが教えてやる」
「お父さんッ?!」
「走れッッ!!」
ティアは戸惑う事なく泣きそうになりながらも頷いて、階段を数段飛ばしで駆け下りていく。シノミヤの腹部に腕が貫通していた。
「よぉ、ディグの差し金か?」
致命傷に近い傷を負いながらもシノミヤは皮肉げな笑みでそのモノクルを掛けた黒い翼を背負う紳士に訊いた。
「いえ、別口です。頼まれまして」
男の瞳が十字に割れ、黒い光が溢れ出す。
「ですが、どうやら、ここまでのようです」
「ああ、初っ端からこれを使うとは思わなかった」
モノクルの男が気付いた時には背後のシノミヤが剣を心臓に突き立てていた。
「見事」
空中に対空したシノミヤが剣から手を放し、足で蹴り付けた。
ガスンと剣が壁へとめり込み、同時に黒い翼が散った。
「一応、七聖女謹製だから効くだろ。じゃあな」
シノミヤは剣に構わず、そのまま自由落下に任せて落ちる事を選択し逃げに走った。
残された男は自分が腕で貫いたシノミヤの体が霧散していくのを目にして苦笑する。
「さすがに七聖女様方の作品。しばらくはこのままですか」
男はシノミヤのやり口に笑みを浮かべた。
『偽物』を最初に先行させ、自分は姿を消して背後に待機。
『偽物』が何らかの攻撃を受ける直前に敵の背後へ転移し奇襲。
(偽物の完成度が聖女級の魔導でなければそもそも役立たないとはいえ、躊躇なく急所に叩き込む手際、一切の躊躇なき撤退、聊か今の時代には惜しい御仁です)
男は壁に縫いつけられたまま、忍び笑いを漏らした。

「(クソッ、初っ端から剣とデコイをロストか。だが、抜いた瞬間に瞬殺されるのは目に見えてた。あのタイプは躊躇がない。手札を温存しとく余裕はないか)」
シノミヤは自分が持つ武装の中で最大の攻撃力を持つだろう剣をそのままにしてきた事を早くも苦々しく思い始めていた。本来ならば、ここ一番に使うはずだった剣を失ったのはまだ都市に入っていない時点では痛過ぎた。そもそも使用された剣はティアの身柄を預かる事になった時に聖女から下賜された剣だった。それは神すら切り裂く武装。暗に半神であるティアが暴走した時に殺せる武装として持たせられたものだ。
神を斬るという大そうな剣は間違いなくシノミヤが用いる全ての兵器の中で最高ランクの攻撃力であり、同時に一番の切り札。それを早くも失った時点でシノミヤが会いに行こうとしている元上司、上位戦力に太刀打ちできる可能性はかなり下がっていた。
巨大な穴を落ちながらシノミヤは少女を探した。
少女が途中で手を振っていた。
魔導を使って透明な足場を創り、一息に跳んで少女の傍らに着地した時だった。
ズンと階段が揺れ、シノミヤは反射的に空中へと跳んでいた。
その判断が正しかったことが証明されたのは数秒後。
絶壁の一部が盛り上がり、内部から溢れる光に押しだされて爆砕した。
飛んでくる破片を片っ端から片手のオートマチック拳銃で放つ光弾の魔導で迎撃しつつ、片手でティアを抱いたシノミヤは光が溢れた巨大な横孔から出てくる人影に舌打ちした。
「これはこれは。大悪魔クラスで何とか対抗できる部隊だぞ? 何処のテロ屋だ」
シノミヤは人影が侵入の際に地上の防衛部隊と戦闘を行っていた存在だとすぐに気付いた。
「聊か脆い。この程度か。七聖女の創った構造物といっても」
孔から出てきた男はグレーのロングコートの埃を手袋に包まれた細い手で払い、下を覗きこんで片腕を向けた。
開かれた手の中央にガチガチと金属音がしたかと思うと小さな黒い塊が出現し花のように成長した。
「『蓮華』」
小さな黒い花が呟きと共に莫大な閃光と共に砕け散った。男の手の中央から一直線に真下へと細い光が奔り、遥か底へと着弾して小さな爆発を起こす。
「大規模な威力減衰障壁の類か。距離によって威力が極端に落ちる仕様ならば、直に叩き込むまで」
孔が開いた壁とは反対の壁。壁にめり込んだ瓦礫に手を掛け、ロングコートの男を見ていたシノミヤは顔を引きつらせた。
「お父さん」
「なんだ」
「どっちが強い?」
「どう考えてもあっちだな。この空間で真下まで届く魔導の類は見た事がない。そもそも神ですらこの空間じゃ遠距離攻撃なんてそうそう届かない」
「逃げる?」
「逃げられればな。やっこさんは逃がしてくれそうにないッ!!」
シノミヤが瓦礫から手を放した。
ドカンとシノミヤが今までいた壁が破裂した。
「どうやらビンゴのようだ。その魔力の波動。外なる神の族か? 守護者の類ならば滅ぼす」 
ティアを見つめた男の視線の険しさにシノミヤが言い返す。
「人の娘にガン飛ばすってのはどういう了見だ。テロリスト」
眼鏡がギラリとシノミヤを見返し、男が宙へと跳んだ。
三人が落ちていく。
「娘だと? 契約で人を捨てるか。外道」
「外道呼ばわりされる云われはない。テロ屋の方がよっぽど外道だろ!」
シノミヤの皮肉に男が片眉を上げた。
「人間を売った外道にテロリスト呼ばわりされる云われはない」
シノミヤが片手のオートマチックを下に向けて打ち放った。
「お前がどんな理由で此処に来たのか知らないが邪魔するなら容赦はしない」
「望むところだ。罪無き者の血をもって災厄を呼ぶ神の下僕に安息を与えるつもりはない」
シノミヤと男が同時に睨み合い、同時に内心で首を傾げた。
「(コイツ何か)」
「(あいつらとは違う?)」
シノミヤが立て続けにオートマチックを連射した。
近づいてくる底に散る儚い火花。ロングコートの男が問う。
「何をしている」
「忠告しておいてやる。減速しないと即死するぞ。オレは顔パスだがお前は侵入者だからな」
シノミヤが銃を腰に戻し、片手で複雑な『所作』を組んだ。
シノミヤの背後に魔導の翅が展開され、シノミヤを加速した。
「おい!」
「確かに忠告したぞ!!」
シノミヤの速度が上がった。同時に両手に数字が光り出す。
七教会、自治州連合の特務に付く者だけに許される召喚制約解除の魔導方陣。
通称『無差別召喚陣』
底に激突する刹那、シノミヤとティアの正面に光の粒子が溢れ、底に魔導方陣が展開された。
撃ち込まれた弾丸を起点とする方陣は粒子を収束させ、二人を飲み込んだ。
ロングコートの男が二人を見て減速する為に魔導を展開しようとして、気付いた。
「魔力の収束ができない? そういう事か」
現代魔導に必要不可欠な魔力がほぼ制御不可能な状況。
つまり、不用意に落下すると魔導を使って減速する事ができずにぺしゃんこになる。
「ならば、全てを砕くだけだ」
男の片手に金属音が響く、黒い塊が現れ今度は杭状に成長した。
「貫け『白杭』」
男が底に激突するより先に杭を底に打ちつけていた。
打ちつけられた杭が衝撃に罅割れ、内部から漏れだす光で輝いた。
突き抜ける衝撃を受けながら男が吠えた。
底が抜ける。
砕けた底の先に広がる明かり。
昼のように明るい世界には巨大な十字架の群れと構想建築様式のビル群。
宗教建築である都市は一種の壮大な絵物語としての機能を有する石碑。
五十年前、七聖女フルー・バレッサにより建造された神達の地下城塞都市。
『至高の貧民窟』
遥か彼方まで続く都市の果ては見えず、男はその巨大さに目を見張った。
そして、迫ってくる地上を見つめながら減速の為の魔導の準備を始めた。

sideEX(Extra)

『アイツ』と別れて、どれだけ時間が経っただろう。
『お前』に救われてからどれだけ時間が経っただろう。
アイツはいつも橙色の衣を纏っていて、笑みは艶っぽかった。
お前はいつも子猫みたいに慕ってくれて、笑みに何度も癒された。
いつの間にか、知らない内に、心の奥まで入り込んでいるのは一緒で、笑う以外にない。
必要ないと思っていた。
もう、あんな別れは絶対に繰り返さないと思っていた。
だから、忘れたフリをしていた。
自分が自分になった理由。
ボクがオレになった理由。
死んだはずの男が生きている理由。
生まれた男が歩いている理由。
君を守れる自分であろうと願った事を。
忘れる事などできない君の名前を。
忘れた事にしておきたかった。
(忘れる事なんてできるはずもないのにな)

sideM(memory)

「名前」
端的な言葉に込められる仄かな期待にシノミヤは顔を引きつらせた。
いつもの喫茶店で昼食を取っていたシノミヤは傍らから向けられる無垢な視線に昼食が喉を通ったのかも解らない状況に陥っていた。
いつもの皮ジャンにジーパン姿のシノミヤの横にはこの頃増えてしまった『日常の一部』が鎮座している。
歳は十五程度。
黒髪黒瞳の少女。
顔立ちは幼くて何処か猫っぽく、背はシノミヤから頭一つ下。
その姿は黒の礼装で普通の喫茶店の昼には場違いな気配を醸し出していた。
「名前付けて。お父さん」
ガハッとシノミヤの肺から悲鳴のような溜息のような銃弾に打ち倒される際に吐き出されるような吐息が漏れる。
『お父さん』
そう、そのシノミヤの傍らの少女はシノミヤの事をお父さんと呼ぶ。血が繋がっているのかどうかは確かめていなかったが半分は確実にシノミヤの形質を受け継いでいるらしいので遺伝的には娘と言えない事もないんじゃないかなぁなどと考えていたシノミヤが、もうお父さんでいいやと呼び名に関して投げ出したのは昨日の事。試しに喫茶店の内部でお父さん以外の呼び名で呼んでくれと言った時の事だった。少女は首を傾げ微妙な沈黙の後、何処か気恥ずかしそうな顔ではにかんで言った。
『シノミヤ・・・さん?』
その瞬間、何処からともなくスチール製のトレイがフリスビーよろしく飛んできてシノミヤの脳細胞を十万個程破壊した。喫茶店の馴染みのウェイトレスは、
『ダメですッ。絶対ダメですッ!! 何か不純な臭いがしますッ!! そんなのお母さんが許しませんからねッ?! ただでさえ今でも不純な臭いがするのにッ!? 解りましたかシノミヤさんッ!! シノミヤさんて呼んでいいのは私だけなんですよッ!!』
と焦った顔で言い張り、シノミヤは『お前はオレのお母さんか?』というツッコミもそこそこにカウンターに沈んだ。
そんな事があってから一日。
シノミヤは解決していたと思っていた騒動がぶり返すだけに飽き足らず、十五歳ぐらいの少女から二十前半の自分がお父さんを呼ばれてしまう素敵フラグ「あ、君。ちょっと署の方まで来てくれるかな?」を降らせる運命という奴を内心で罵倒した。
神を廃絶する為の機関に働くシノミヤとしてはそんなものにでも八つ当たりしないとやっていられない。
「お前いいか。人前ではお父さんと呼ぶな。せめて、服を引っ張るとかで呼んでくれ」
コクンと少女は正直に頷く。
そして、
「名前付けて」
と、もう一度無垢な瞳で期待を寄せるのだった
「ぐうう。そもそも神様の癖に何で名前が無いんだ? 意匠に書かれるような『外に住まう者(オーバーイグジステンス)』なら真名や通り名二つ名愛称何でもござれだろうが」
少女はフルフルと頭を振った。
「もう無い。残ってない」
「どうしてだ?」
「もう誰も覚えてない」
「・・・新しい名前。欲しいのか?」
コクンと少女は頷く。
シノミヤは目の前の少女。一応神様の部類に属する少女を前に困った。
少女は元々が外なる神々などに分類される世界の外側の住人だった。数日前に関わった事件でシノミヤを半即死にして肉体をバラし、その肉体を元に生まれたのが少女である。お父さんと呼ばれるのは血が、たぶんは、繋がっているからだ。少女は半神、半人。あくまでそれはそれだけの話でシノミヤの傍にいる理由にはならない。少女がシノミヤの傍にいるのはシノミヤの所属する組織に接触し「お父さんに会いたい」と度肝を抜く発言をしたせいだ。
今では少女を伴うシノミヤは神様の父親であり、組織にとっては組織の運命、人類、果ては惑星の行く末を左右する存在なのだという。
話の規模が巨大過ぎてシノミヤはもうその辺は何も言わない事にしたが、少女と共に暮らす以上は同居人として少女を丁重に扱わなければと思っていた。
そんな矢先に名前を決めろと言われたシノミヤにすれば、それはもう手遅れだが最後の一線でもあるような気がしていた。
名前を同じ人間に付けるという行為は本当なら赤ん坊が生まれ幸せ一杯の時にやるものだ。それを家族がいないシノミヤが行うという事は本当に正式に心の中ですら目の前の神様モドキな少女を家族として向かい入れるという事に他ならなかった。
「シノミヤさんッ?! まさかッ、出生届すらも出してないんじゃ。はッ、まさか、まさか、名前なんて与えずにお前はただの○○○だとか、○○○○○だとかッ。ああ、そんな、シノミヤさんがそんな鬼畜だったなんてッ?!」
詳しい事を話していない(話せない)ウェイトレスの誤解はこの数日でシノミヤの意識とか寿命とかを確実に数日ずつ削り取っていた。
「おぃぃぃぃッ?! 人聞きの悪い事言うなッ、って、マジで官憲に通報とか止めてください。お願いします」
懐から端末を取り出し百当番しようとしたウェイトレスへシノミヤが土下座モードに移行した。今も名無しの少女はそんな情けない「お父さん」の背中を擦った。
その行為に胸を打たれた喫茶店のマスターが半分涙で「良い子だ」とパフェを追加で少女の席に置く。少女はそれを見るとクィクィと土下座していたシノミヤの袖を引っ張った。
「一緒に食べよう?」
ダメな父親に愛の手を差し伸べる子的シュチュエーションを目の当たりにした喫茶店内の他の客達が「いい子だ」とか感動しながらウンウン頷いた。
(それにしても名前か)
シノミヤが元の席に戻り、ふと考え付いた名前を挙げる。
「・・・レベッカ」
シノミヤがポツリと呟いた名前に少女が首を傾げた。
「エノラ、リオ、マリア、エレノラ、ティーナ、シス、カーラ、ナオ、タリア、サラ、ユア、ミサ、ハルカ、ハル、アルア、サヤトネどれがいい?」
「死ねッ?! 外道ぉおおおおおおおおおおおッ!?」
「ゴォッファ―――――――――――ッ?!」
ウェイトレスのエルボーがシノミヤをカウンターにめり込ませた。
「全部ッ、一目惚れの相手の名前じゃないですかッ!!」
シノミヤはカウンターでグッタリと白目を剥いていたが、ウェイトレスはお構いなしに糾弾し始める。
「しかも、全員が全員、玉砕どころか砕ける隙すらなく撃沈だったはずですよ。この子にそんな未練タラタラな名前を付ける気ですかッ。このダメ人間ッ」
意識が戻ったシノミヤがムックリと起きると涙目で「冗談なのに」と呟くが、
「尚、悪いですよ。まったくッ」
とすげなく言い返された。
肩を怒らせて仕事に戻っていくウェイトレスを尻目にシノミヤはどうしたものかと少女を見つめる。少女は解けたアイスをスプーンで掬いながらシノミヤの視線に気付き、そっとスプーンを差し出した。
(いい子や)
少女に感動気味な好意を向けられてもう陥落寸前なシノミヤは二度目のツッコミはキツイだろうなぁなんて事を思いながら、その少女の優しさを、後に来るだろう衝撃に備え出てくる生唾と共に飲み込むのだった。

シノミヤの午後の仕事は大幅に遅れた。

『七教会付属独立神域排除機構『外侵廃理』陸属第四課東部分署所属シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐』
それがこの頃昇進したシノミヤの肩書きだ。
神様がいない世界で無駄に混乱を齎す神の降臨を防ぐ。
それが『外侵廃理』である。
基本的に『外侵廃理』には五課三属という肩書きが存在する。
属とは陸海空であり、その領域に対してのエキスパートという事。シノミヤは基本的に海にも空にも縁がない陸属であり、同時に四課。神の召喚に関わる人員の逮捕拘留こそが仕事の内容だ。
そんなシノミヤが受肉した神を連れて歩いているのは皮肉と言ってもいい事態だが、そうするだけの価値が色々な人間や組織にはあるのだとシノミヤは上司に聞いていた。
本来ならば神はすぐにでも殺すか追い返すか封印するのが『外侵廃理』のやり方だったが相手が半分人であり、同時にとても友好的で特殊な部類の神という事もあってそういう事を免れている云々との事。
その為、シノミヤは一日中少女をずっと傍に置いていた。
家賃五万のマンション。
行き帰りの通勤時。
仕事現場。
昼食中。
さすがに風呂やらトイレにまで付いてこようとした少女は止めたが、それ以外は全部一緒という状態。
シノミヤは独身貴族という絶滅危惧種な不名誉指定を仕事現場から受ける身だったが、その指定がランクアップした。
曰く、「お父さんと呼んでくる少女を一日中侍らせる男」。
危ない。
非情にも全て仕方ない処置なのだと解っているはずの身内からの暴言だった。
でも、外部から見るとまんま危ないので何も言い訳もできなかった。
実際、少女が神様である事は外部には極秘なので誰かに「その子は貴方のお子さんですか?」と聞かれたら自力で誤魔化す以外になかった。
そんなわけでシノミヤは不名誉どころか犯罪者予備軍的見られ方で今日も今日とて外回りで神様を降臨させようとする人々を追い掛け回していた。
隣に少女を置いたままで・・・・。

「イサキ。順調か?」
「はい、トオカイさん。門の生成に関しては作業工程の八十パーセントをクリアしました。これでシステムカーネルの微細な調整を済ませればいけます」
マンションの一角。
3LDKの一室に数人の男達が詰めていた。
全員が部屋ごとに分かれて複数の半田ごてを使っているせいで鉛の匂いが充満する部屋は換気もされず、ただただ金属の匂いと魔導の光に染まっていた。
リビングの中央で作業しているのはよれよれのワイシャツにメガネを掛けた男だった。
男の目の前の巨大なディスプレイには魔導方陣が薄暗く光ながら複数のカーソルによってチョコチョコと書き換えられている。
「では、先方に報告を済ませてくる」
メガネの男に作業工程の進み具合を確認していた初老の男がその場を立った。
作業中の全員が玄関へと出て行く男に挨拶をする様からは初老の男が全員に崇敬されている事が窺がえた。
ピンポ~~~ン。
ザワリ。
男達が瞬間的に動きを止め玄関の方を凝視していた。
その部屋を訪ねてくる人間はいないはずだった。
男達に緊張が走ったが、初老の男は落ち着かせるように「大丈夫だ」と言うと全員に片付けさせ始めた。すぐに消臭の為のスプレーが振られ、男達の幾人かの魔導によって内部の景色が機械の一つもない普通の一室へと変貌する。
「は~~い。どちら様でしょうか~~」
初老の男はゆっくりとドアを開けた。
あくまで無防備な一人身の男性を装った。
チェーン越しにドアの隙間に見える男を初老の男は知らなかった。
「『外侵廃理』四課だ。令状もある。室内の監査に入らせて貰う」
「ちょ、貴方何なんですか?! 私が何かしたとでも」
初老の男はドアを開く方とは反対の片腕で後ろにサインを出した。
「逃亡は無駄だ。マンションの全方位に人員を配置した。罪状を加算されたくないなら、大人しく投降した方が利口だな」
「そんな、何を言ってるんだ貴方はッ?! 私が何をしたッ」
初老の男がドアを閉めようとした時、ガチリと足が割り込みドアが止められた。
「とある倒産した会社の社長が預金も無いのに3LDKのマンションを借りて仕事もせず毎日のように弁当を六人分買ってるのはおかしいだろ?」
「それは単に買いだめして」
「更にこのマンションで最も高い電気料金を払ってるのもお宅だ。月で五十万っていうのはさすがにおかしいと思わないか?」
「・・・・・・・・・・・」
「何でオレが時間稼ぎしてると思う?」
「は?」
初老の男は思わず聞き返していた。時間稼ぎしているのは自分達―――そこまで考えて初老の男は気付き、リビングへと怒鳴ろうとして。
「手遅れだ」
声も物音もしない事に気付いた。
「全員眠ってもらった。元エーテルシステム社長グレッグ・トオカイ。戒厳領域法への抵触。不法な魔導電算系システムの開発及び許可制の工業機械の不法所持容疑。更に捜査の撹乱逃亡諸々で逮捕する」
初老の男グレッグはそのままドアの前で尻餅を付いて項垂れた。

官憲に手錠と縄を掛けられて即座に転移していった数人の男達を眺めながら少女は公園のベンチでアイスを舐めていた。
「マジで何も変わってない気が。オレ一応一佐だよな? 普通デスクワークだろ佐官クラスは」
一人ブツブツと呟く危ないシノミヤに少女は首を傾げる。
「タシネさん。お父さんは書類なんか書けないって」
「ぐ、痛いところを。それより何だ? タシネさん? お前いつアイツと話したんだ?」
少女は礼服の腰辺りに手を入れてゴソゴソと探っていたがすぐにそこから小さな端末を一つ取り出した。
「これ」
「・・・・・・・・・・」
シノミヤは滲み出る脂汗を自覚しながらゆっくりとその端末について訊く事にした。
「それ、どうした?」
「タシネさんに貰った」
「それで、連絡したりするのか?」
コクリと少女が頷く。
「どういう事をだ?」
「お父さんの事」
「オレの事?」
「タシネさんがお父さんに何かされたら連絡しなさいって」
「あの野朗」
「お父さんが優しくしてくれるって昨日も話した」
「う・・・取り上げにくい。だが、その微妙に誤解を招く発言は止めろ」
「今日はアイス食べたって連絡する」
「好きなだけ連絡しなさい。娘よ」
嬉しそうに頷く少女がまたペロペロとアイスを舐め始めた。その様子を横眼にシノミヤはベンチにもたれて空を見上げ、ふと気付いたように訊く。
「そう言えば、お前はどういう神だったんだ?」
「爬虫類みたいな、鱗があった」
何か少しだけ悲しそうな声で言われてシノミヤは内心で慌てた。
(何で神のくせに感性が女の子っぽい感じなんだ。これじゃオレが一方的に悪役だ)
シノミヤにだって女の子に自分の事を爬虫類とか言わせたら、デリカシーの無いどころか、確実にダメな男と言われるのは解っていた。
「あーそうか。じゃ、今日はもう帰るか?」
誤魔化したシノミヤは少女に手を差し伸べる。
「うん」
微妙に落ち込んでいた少女はシノミヤの行動に嬉しそうにすると手を取って立ち上がった。
「名前はこれから相談だな」
「うん」
少女が頷いてくれた事に安堵してシノミヤはその場を後にした。

「東部では女の子の名前に迷ったら○○子とか○○○子とか。子付けで解決するような所がありますから、シノミヤさんもそういう方向でいったらどうですか?」
「東部の公用文字みたいな響きじゃ、何かしっくりこない」
「それなら西部風に?」
「まあ、そっちの方が断然合ってると思うが、そこからが問題だな」
夕方の喫茶店でお茶を啜りながらシノミヤは端末の電子辞書を持ち出し唸りながらあーでもないこーでもないとウェイトレスと話し込んでいた。
「基本的には生まれた月とか、その年の情景とか、あるいは親の何かしらの思い入れから付ける場合もありますよ?」
「そういうのはパスだ。理由は話せないが」
「明らかに一線引かれてますッ。そういうのは良くないと思いますッ」
ウェイトレスの抗議にシノミヤは断固「スマナイ」とか「ゴメンナサイ」で通した。
「いいです。シノミヤさんに秘密が多いのは昔からですから」
「オレはそんなに秘密が持てるような深い男じゃない。自分で言ってて悲しいが」
「そうですか?」
「ああ、そういうもんです。そもそも、オレの家の場所は何処だ?」
「ここから北にいった所にあるマンションの三階ですよね」
「オレの給料は?」
「確か、ゴニョゴニョゴニョ」
ウェイトレスがシノミヤに話して、サァーと顔を青ざめさせた。
「オレはもう少しだいたいで推し量られてると思ってたんだが・・・・。って、何でそんな正確な額まで知っているのですか貴方様は?!」
シノミヤが慄いた。
「シノミヤさんが給料日になるたびに給料明細をウチのゴミ箱に捨ててるからです」
「これから絶対ここで捨てないぞ」
「それからシノミヤさんが持ってる服の種類に、シノミヤさんが持ってるカードの種類、他には体重年齢身長、経験の有無まで何でも私はシノミヤさんの事なら大概知ってますよ」
ウェイトレスがニコニコしながら言った。ストーカー顔負けの情報通ぶりにシノミヤは血の気が引いた顔で訊く。
「冗談・・・ですよね?」
「いえ、シノミヤさんがお財布落とした時にばら撒いたカードとかから拾った情報ですよ。体重年齢身長は私の観察眼の賜物ですけど。服の種類はシノミヤさんがこの数年で着てきた物が数着しかないので誰だって見当が付くはずです。えっへん」
ウェイトレスに対してあまりの情報戦不利を悟って、シノミヤはこれから喧嘩を売るような事は避けようと真摯に思った。
「ま、まぁ、こんな感じにオレの情報は駄々漏れという事で」
「でも、やっぱり知らない事も多いですよ。私はシノミヤさんがどういう人なのかは知っていても生い立ちや子供の頃なんて知りませんから」
「ま、それよりもまずは名前だな。お前はどんな名前が良い? それなりでいいから希望みたいなのを聞かせてくれ」
シノミヤがあからさまに避けたのをウェイトレスは追求しなかった。それはシノミヤの踏み込んではならない部分なのだとウェイトレスの感が告げていた。
今まで一言も喋らず夕飯のオムライスを食べていた少女は首を傾げてから天井に視線を向けた。何を考え込んでいるのか、少しの間を置いてからポツリと言う。
「猫みたいな」
「ネコ? ネコってあのネコか?」
コクコクと少女が頷く。
「お前、確か爬虫、悪かった。だから、そんな顔するな」
少女がしょげそうになるのをシノミヤが途中で慌てて止めた。
「ネコ。確かにネコっぽいです。でも、ネコ?」
難しい顔で唸るウェイトレスがハッと気づいたように二人を見た。
「ま、まさか。シノミヤさん」
「ちょっと待て。今、物凄い事を考えて」
機先を制したシノミヤだったがウェイトレスは微妙に紅くなって、それからシノミヤから身を引くように移動した。
「そ、そういうプ、プレイを」
ウェイトレスに引かれてシノミヤは思い切りハリセンを叩き込んでやりたくなったが止めた。
真横で少女が純真無垢な瞳で問い掛けてきていたからだ。
その瞳の色を言葉にするなら『プレイって何?』だ。
「お前の意見は解った。もう日も暮れてきたからな。今日はそれ喰ったら帰るぞ」
少女はその疑問を口にする事はなかった。ただシノミヤの言葉に頷いてオムライスを突付き始めた。
ウェイトレスはマスターに仕事仕事と急かされ「じゃあ、また明日」とその場から遠ざかっていき、シノミヤはどうしたものかと悩みながら紅茶を啜った。

sideP(past)

小さな村の小さな家。貧しさはあったけれど、僕はとても家族との生活が好きだった。お姉ちゃんとお母さんだけしかいない家族。お父さんは僕が生まれてから事故で死んだのだと聞いていた。何一つ不満などない日々。時折、教会に行って歌を歌う事が好きだった。そこには一人のシスター様がいて、ニコニコしていた。隣の家のおばあさんとおばさんは頭を撫でてくれた。春は野山を走った。夏は森で遊んだ。秋は家の中で勉強。冬は家族で特別な日の準備。何もかもが煌いていた。楽しい事は尽きず明日が早く来ればいいと思っていた。
どうして、お母さんが僕を「貴方」と呼んでいるのか僕は知らなかった。
どうして、お姉ちゃんが僕の名前に「様」を付けて呼ぶのか僕は知らなかった。
教会はとてもとても深い森の中でシスター様はとてもとても固い石で出来ていた。
歌を聴いた動物達は何故死ぬのか。
歌を歌う度に何故紅い液体が流れる箱が増えていくのか。
それは知らなくてもいい事で知らなくても生きていける事だった。
おばあさんが外から紅くなった箱を持ってくるのは外に中身を取りに行っていたから。
その箱はおばさんのお手製だった。
教会の中にある入ってはいけない部屋には時々皆が集まっていた。
中から聞こえてくる声はとても楽しそうだった。
そんな毎日が大好きだった。
十歳の誕生日。
おばあさんは僕に「お化粧」をしてくれた。
とてもとても紅い「トロトロした何か」を塗ってくれた。
おばさんは僕に「服」を着せてくれた。
その日の為にとても珍しい「細い糸」で織ってくれた服だった。
お母さんは僕に「特別な料理」を作ってくれた。
不思議な匂いのする料理「歌った日にしか食べられない料理」はいつもより美味しかった。
お姉ちゃんは僕に「特別な歌」を教えてくれた。
それは「決して歌ってはいけない歌」だった。
お母さんとお姉ちゃんに手を引かれて僕は教会に行った。
おばあさんとおばさんは入ってはいけない部屋の前にいた。
大きな石のドアが開くと中には何かがいた。
僕は少しだけ怖くなってお母さんとお姉ちゃんを見た。
お母さんは言う。
「あなたはこの日の為に生まれてきたのよ」
おばあさんは言う。
「あなたはこの日の為に生きてきたのだよ」
おばさんは言う。
「あなたはこの日の為に生かされてきたんだよ」
お姉ちゃんはどうしてか何も言ってくれなかった。
ドアの中に皆は僕を入れた。
そして、ドアは閉まった。
部屋の中は広かった。
ずっとずっと奥まで続く部屋。
その中に何か大きなモノがいた。
それはとても大きくて光っていた。
大きな体には大きな大きな文字の羅列。
塗れた表面から出る大きな首が沢山。
僕は怖くなってドアを開けてと呼んだ。
ドアを開けて開けてと呼んだ。
誰も開けてくれなかった。
振り向いたらいつの間にかその黒い何かが目の前にいた。
それから遠ざかろうとした。
無駄だった。
その黒い何かに体を掴まれて引き込まれた。
引き込まれた場所からはとても良く声が聞こえた。
黒い黒いソレの底へと落ちていくと声が沢山あった。
助けて、苦しい、怖い、逃げたい、やめて、痛い。
こんなの嫌―――。
腕が何故か折れて叫んだ。
それは底にある声と同じような声になった。
足が折れた。
叫んだ。
いたいたいたいたいたいたいたいたいたい。
声が聞こえた。
死にたい。何もしてないのに。どうしてこんな事になるの。何が悪かったの。
声が聞こえた。
それは自分の声だった。
出して出して出して助けてお母さんお姉ちゃんおばあさんおばさん誰でもいいから痛いよ。苦しいよ。怖いよ。痛い痛い痛い痛い。
僕は底に落ちていった。
落ちていく度に体が痛くなる。壊れる。
だから、力の限りに助けて欲しいと呼んだ。
やがて、何も解らなくなった。
痛いのかも解らなかった。
怖いのかも苦しいのかも解らなかった。
声だけは聞こえていて、それは誰かの声なのか、自分の声なのか、解らなかった。
プチプチと消えていく声の中で歌が聞こえた。
それはいつも歌っていた歌とは違う歌。
何故か心の底まで響く綺麗な歌。
それは「決して歌ってはいけない歌」。
それから大きな怒る声が沢山。
どうしてそんな事をこれであの方は復活しこれから貴方はその巫女となり我らはこれからあの愛しい我が子と共に世界をこの手に全てを終わらせられると―――。
歌ってみたいと思った。
小さく小さく消えていく自分にも歌えると思った。
だから、その歌を口にした。
暗い底に光が差した。
照らし出された先には顔があった。
顔だけのモノがへばりついていた。
赤黒い壁に張り付いた色んな顔が一斉に黙った。
歌う度に消えていった。
とても幸せそうな顔で。
やがて、光が多くなった。
差し込む光が多くなる度に何かが上げる雄叫びが歌を消そうとした。
でも、歌は外から聞こえてきた。
それに怒鳴り声は途絶えがちになりながら呪っていた。
死ね。お前のようなできそこないは死んでしまえ。せっさく育ててやったのに。せっかく教えてやったのに。もう手遅れだ。全て消える。消えてしまう。せっかく、せっかくあの子を贄にしてあの方を―――。
やがて、眩しく成り過ぎて何も解らなくなった。
次に気づいた時には抱きしめられていた。
僕の好きな草原だった。
お姉ちゃんが抱きしめてくれていた。
小さく歌を歌っていた。
空は黒く、何もかも黒く、暗闇。
ドアの中にいた何かが空を染めていた。
それなのに紅い紅い化粧をしてお姉ちゃんは笑ってくれていた。
何故か胸が痛くなる笑顔だった。

『刻量師ノ尊に願い奉る。どうか、この子を彼方へ。如何なる悪も届かざる世へ』
 
歌の最後にそう言ってお姉ちゃんは頭に唇を付けた。
『――――様。良かった』
たったそれだけ言ってお姉ちゃんは眠ってしまった。
その中で安堵して、少しだけ嬉しくて、冷たくなっていくお姉ちゃんを抱きしめ返した。
次に目が覚めた時、そこに誰もいなかった。
僕は何故かずっとずっと涙が止まらなかった。

sideM(memory)

「先輩はもう名実共にウチの看板なんですから少しシャキッとしてくれないと」
シノミヤはタシネのお小言にげっそりしていた。
朝から数日分の外での仕事の報告書を書き、それをタシネに直され、それを清書してという作業を繰り返していれば誰だってげっそりもしようというものだった。
シノミヤのデスク横には少女がディスプレイとキーボードを目の前にして何やら興味のあるサイトを覗いていた。
「そういえばお前、昨日までソレ使えたか?」
フルフルと少女が首を振る。
少女の適応能力にシノミヤは内心で舌を巻く。
昨日までは使えなかったモノを今日は使えるようになっている。
昨日までできなかった事が今日はできるようになっている。
それはもう凄まじい速度で少女が回りの環境に適応、順応している事をシノミヤはヒシヒシと感じた。
「・・・・・・・・・」
シノミヤの脳裏で何かヨロシクナイ想像が膨らむ。
順応、適応、環境に慣れる。
つまり、何でもできる。
少女がもしも書類仕事を手伝ってくれるなら・・・・。
「先輩。今、ネコちゃんに何かさせようとか不埒な事を考えてませんか?」
「いや、そんな事はって、ネコちゃん?」
シノミヤが思わず首を捻じ切りそうな勢いで後ろを向いた。
「いえ、その子が昨日教えてくれたんです。ネコみたいな名前がいいとか何とか」
「タシネ。お前、痛々しいぞ」
シノミヤの哀れな者を見るような視線にタシネは慌てて反論した。
「先輩がいつまでも名前を決めずにいるから悪いんですッ。僕だってこういう呼び方はかなりダメだと自覚はありますけど、それだっていつまでも「お前」とか「その子」とか呼ぶわけにもいかないですよやっぱり。僕も先輩と同じでいい名前はまだ思いつきませんけど」
少女はクルリと回転式の椅子を回して二人のオトナの男に視線を向けた。少女にしてみたら自分の事を話しているから聞く姿勢を整えただけなのかもしれないが、シノミヤとタシネにしたらその少女の視線に何か含みがあるような気がしていたたまれなかった。
「和気藹々とした話しもいいが書類仕事は速めに頼むよ。シノミヤ君。タシネ君」
二人の男が情けない体を晒しているのを見かねた部署の責任者、カワジマ二佐が最も奥のデスクから声を掛けた。
「「了解」」
条件反射で二人がそれぞれの仕事に戻る様を少女はじっと見つめていた。それに気付いたシノミヤがヒソヒソと少女に教える。
「二佐はここで一番偉くて強い。だから、お前もあんまりあの人に迷惑は掛けないように」
「強い?」
少女がカワジマを見たがしっくりこなさそうな声で返した。
「お前が考えるような意味じゃない。って言ってもまだ解らないか。解りやすく例えるとあの人は偉い人を沢山知っていて、その人達はあの人のいいなりって事だ。沢山の人間が集まれば一人より強い」
少女が道理だと理解したように頷いた。少女が数の暴力という点で納得したらしい事をシノミヤは正さなかった。カワジマ二佐と呼ばれる人物が経済、政治、多岐の分野において太いパイプを無数に持っている、などと言っても少女にはあまりよく解らないだろう事はシノミヤにも分かっていた。
「とにかく、何か困った事があったりしたらあの人に相談すれば間違いない。それだけ覚えておけ。いいか?」
少女が素直に頷くとシノミヤは頭を撫でて書類仕事へと戻った。
嬉しそうにシノミヤを見つめ続ける少女の前にカタリと小さな湯のみが置かれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
分署の雑務を取り仕切る、お茶汲み兼書類仕事の重鎮四十一歳独身女性がいつもシノミヤに向ける「このゴク潰しが」的視線とは打って変わって優しい瞳で少女に微笑みかけ、仕事へと戻っていった。
他の人員が出払っている中、五人だけしかない分署はほのぼのとした空気に満ちていた。
横目でそれを見ていたシノミヤは「平和」とはこういう事を言うのだろうと少しだけボケた気分で和んだ。少女が来てから大変になると思っていた生活は多少騒がしくはあるがそれだけで平穏なのかもしれないと。それが大間違いなのだとシノミヤが気付くのは翌日の事だった。

風が吹き抜けていく。
それに抗い目を細めた。
訪れてはならないモノ。
それがいた。
『外侵廃理』分署が存在するビル。
朝の喧騒に包まれているはずの一階フロアに風が吹いていた。
嵐の夜のような風が。
少女を後ろにしてそのあまりにも厚かましい存在に愚痴った。
「オレが何かしたか?」
「がjlsgはエリgねアリがm美じぇたgマtカゲgkネガvニrjmガv」
堂々とフロアカウンターの上に腰を下ろす「何か」。
あまりにも唐突な話。
神っぽい「何か」だった。
それがバタバタと人が倒れている最中にいた。
ただ事象として「何か」がフロアカウンターの上に居るのは解るが、人という矮小な存在では観測が不完全に過ぎるからか、ソレは空白にしか見えなかった。
人型の空白がフロアカウンターの上で風を放っていた。
声のように聞こえるのはただの風なのかもしれず意思疎通すらもできるのか微妙な空白に「ああ、もうどうにでもなれ」と投げやりに対応した。
「言っとくがここの連中に手を出したらこの世界から確実にお前は消えてなくなる」
「ヶhがlkjgなえlんbなljbhナlfkjガfガkビヴァエt?」
「それと椅子に座れ。せめて」
椅子を指し示すと空白が何故か素直にフロアの中央に複数設置されたベンチに座った。その様子を見てやっと気付いた。フロア中が風の影響をまったく受けていなかった。影響を受けていたのは自身と服ぐらいだった。
「で、お前は何をしに此処に来て、何をしたら帰るんだ?」
「gぁるhgjなrんヴぁs区エアlレアイgナイウテlbケhンrbガs」
声なのか風の音なのか解らない言葉が返ってくる。
後ろに庇っていた少女の方を振り向いた。
その意思がちゃんと伝わったのか少女は頷いて翻訳してくれた。
「が序栄えrb待てlgンジャlrkmガlフィダィjンgt」
「『ウチの母がお世話になってます』」
「何?」
「場ml理gなぇjrンgヴァkrンガィレjガlチウjgs」
「『これは詰まらないものですが、どうぞ使ってください』」
「お中元のノリッッ?!」
あまりの少女の翻訳に脱力しながら空白が放ったものを受け取った。それは一冊の古びた本だった。
「魔l理恵jgなヶrjvガ、ljtrgナkルdンhgハ」
「『ウチの母をどうかお願いします。それでは』」
「マジで何が何なのか解らない」
人型の空白が消えた。
それと同時に風も止まった。
「gんぁえrんgjぇrgナlkrjゲアlンガヶンガクエtg」
「『あ、それと自分がいた結節点はそのままにしておくと次元の崩壊が起きかねないので破壊しておいてください』」
「そうかそうか。ありがとう」
最後の言葉を機に何も聞こえなくなった。
そして、唐突に気付いてしまった事実を確かめる。
「おい。これって夢だろ?」
少女はやはりコクンと頷く。
「なら、後は目が覚めれば全部終わりか。意味不明の夢に安眠を妨害されるって、オレの貴重な睡眠時間を返せオレ自身」
諦め気味に瞳を閉じようとしてクィクィと少女が袖を引っ張っている事に気付く。
「これ以上、想像力の貧困さを露呈させないでくれると心安らかに眠れると思うんだオレ」
「アレ。壊さないと」
「アレ?」
最初に正体不明のソレがいたカウンターの上にドス黒い闇が蟠っていた。
「夢は現。現は夢。胡蝶の夢に引きずられる事実は覆らない」
「ちょっといいか?」
汗が滲み出るのを感じた。
「コレは夢か?」
コクンと少女が頷く。
「もしかして、ただの夢じゃなくて特殊な類の夢か?」
少女は同じように頷いた。
「ちなみにここで起こった事を放っておくとどうなる?」
「大変」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何となく解ったというか、本物にしか見えない少女は夢の中でも少女のままだった。
「アレを壊さないと恐ろしい事になるんだな?」
コクコクと少女が頷く。
「じゃあ、壊す方法なんか提示できたら教えてくれ」
少女がいつも銃をしまいこでいる革ジャンの下にあるホルスターを指差した。
「大きな力」
いや、ただの銃だろ。と返しそうになって気付いた。少女と暮らすようになってから支給された武装一式が空間圧縮状態で弾丸内部に込められていた。緊急時、任意に使う事を許されたその装備は大陸一の頭脳である七聖女の作品だと説明を受けていた。ただ、問題があった。
「生憎と夢の中で使える仕様とは聞いてない」
「大丈夫」
少女はまったく動じた様子もなく断言した。
「お父さん」
真摯で真っ直ぐな視線。
自分の視線を重ねた。
「大丈夫。お父さん。できるから・・」
「お前が言うならそうなんだろ」
ホルスターから拳銃を取り出した。
新たな武装が来てから自分の所有していた中から持ち歩くようになったリボルバー。
鉛色の五発の弾丸と黒い一発の弾丸。
弾倉を回した。
構える。
躊躇なく撃った。
チェンバー内部で加速度的に燃焼噴射した火薬が弾丸を押し出す感触。
手ごたえを経て放たれた弾丸は標的まで数メートル地点で内側から膨張、破裂した。
内部に書き込まれていた魔導方陣が展開し終わった刹那、圧縮が解かれ内容物が顕現する。
カウンター上の黒い闇にゴリッッとそれが突き刺さった。
剣。
片手で持つのか両手で持つのか分からない長さの柄。
長くも短くもない、薄くも厚くもない刀身。
刀のようにも見える。
そんな剣。
弾丸の勢いのまま闇に刺さった剣が完全に埋没する瞬間――――。

少しだけ目を開けた。
少女が来てからずっと寝ているソファーの上だった。
他の家具類はほぼ全てが中古の安物である事を思えば、その急遽買われた高級ソファーだけが恐ろしいまでの威容を誇っている。
まだ日も昇っていない薄暗さの中で予想以上に温かい事に気づいた。
「夢か」
もぞもぞ寝返りを打とうとしてその腕の中の存在に溜息を一つ。
(ベッドを明け渡した意味がないってのもどうなんだ?)
少女がスヤスヤと眠っていた。
何も掛かっていなかった体には毛布が一枚。
腕の中から追い出すという選択肢は頭の中で形になる前に沈んだ。
泥のような眠気が少女という温かな存在を容認していた。
「お・・父さん・・」
「オレは・・・」
声で反論し掛けて眠気に屈した。
(家族なんて)
意識すらも眠気に落ちていく中、少女を包む腕を少しだけ強めた。
(名前決めないとな)
一繋がりの毛布に包まれて眠った。

sideN(now)

「お父さん。大丈夫?」
「う・・・此処は・・・」
「大丈夫?」
「ティアか。何分ぐらい意識が無かった?」
「三分ぐらい」
(無理やり最終ラインを転移で超えればこうなって当然だな。転移先がずれて地面に埋もれ無かっただけマシか)
辺りを見回してシノミヤは懐かしさに胸が熱くなった。
都市の外れ。
閑静な住宅街。
路地裏から見える世界は昔から何一つとして変わらず、今にも橙色の衣が舞い降りてくるような気がした。
「これから要り用なものを取りに行く。お前は此処で―」
「嫌」
首を振るティアに困る。
「お前が此処の連中にどう思われるかオレにも見当が付かない。もしもの時、お前だけでも逃げられるだけの準備はしてきた。ここは大人しく―」
「ダメ」
懸命にイヤイヤと首を振るティアの手を掴んだ。
「分かった。行くぞ」
いつだったか、そんな風に自分の手を掴んで走りだした奴がいたと懐かしく思いながら。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」4章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:31
第四章『AFFWCTIONATE MOON』

sideEX(Extra)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
子供達はどうしただろう。
今、何をしているだろう。
それだけが心配だった。
誰の子かなど知らない。
誰が父かなど知らない。
でも、ただ一つ分かる。
如何なる子だろうとも自分の子供なのだ。
だから、どんなに忘れていようとも思い出す。
存在を身に刻む。
誰一人いなくなって自分だけは。
たった一人、子供達がいたのだと胸に思おう。
それが最期に生きている自分にできる事だと信じて。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

sideM(memory)

『大いなる力』の集積に必要な儀式。
今は貴重な古木の薪が魔導で再現された神殺しの埋み火で燃やされた。
瞬間的に薪が爆ぜ蒸発し煙と化した空間が方陣で区切られ、内部の『大いなる力(イド)』を擂り鉢状に固定する。更に重力が操作され、力の流れが内部の一点へと落ち込んでいく。
薪の煙が外部から落ちてくる力の流れを反映して下へと渦を巻く。渦の中心点の下に弾丸が一つ置かれた。
魔力を通さない外側の被甲に使われているのは塩と水によって聖別した銅とヒヒイロカネの合金。現代の印刷技術の発達により可能となった真言のミクロ印刷で複数の真言を書き込む事に成功している代物。
意味を無数に連ねる事で得られる魔力の遮断力は小さな城砦。
中心部の弾芯にはオリハルコンとミスリルと純化したプラチナを無重力下で合金にした物。魔導の媒体として、また貫通力を重視した仕様。
爆薬は仕事上の付き合いがある一課に発注していた神が受肉し破壊された際の灰を混ぜん込んだ特別製。
それはフルメタルジャケット弾。
いや、その貫通力と弾丸の速度からすれば装甲を打ち抜く高速徹甲弾とすら言えた。
それにゆっくりと魔力が注がれていく。
魔力の流入速度が一定に保たれ弾丸に込められる。
限界まで魔力を注がれ弾丸が薄く発光して燐光を放ち始める。
一歩間違えば暴発する危険性のある精密作業。
それが延々と繰り返され弾丸が二百発ほど作られた時点で場が崩れた。
深く安堵の息を吐いたシノミヤはオートマチックの弾倉へすぐ弾丸を詰め込み始めた。

休日。祝日。ゴールデンウィーク。
シノミヤは基本的にそうやって仕事上の消耗品や武装を弄って過ごす。
武装や消耗品を既製品で済ませる者が多い中、シノミヤはその例に漏れていた。シノミヤにとって武装は自分の命を守るものであり、それを他人任せにする事はなかった。シノミヤは既製品から特注品まで自分で携わり、決して確認を怠らない。
弾丸の一つ一つ。
不良品が混じっている可能性を潰せば、戦闘中に事故が起こる確率は低くなる。
ナイフから高格外套に至るまで、全てを自らの手で整備しチューニングして使う人間は極めて珍しいが命の代価だと思えばシノミヤにとっては安いと言えた。
「・・・・・・・・やっぱり違うな」
開けっ放しの窓から吹く風を心地よくソファーで受けながらシノミヤはそう一人ごちる。
喜びの色。
シノミヤは今までローンを組んでまで自分の装備に金を掛けてきた。それでも満足な装備で仕事に出た事はなく、不満があった。しかし、その状況は一変した。
昇格。
シノミヤの給料は上がり、支給される武装の質も上がった。先日に貰ったばかりの給料で武装のローンをかなり返し、更に自分が元々揃えたかったものを買った。
それが作ったばかりの弾丸の大本であり、シノミヤの一種の夢だった。
(それが夢ってのも変な話か。つーか寂し過ぎかオレ?)
シノミヤの気持ちは沈んだが顔は笑っていた。
「そう言えば・・・そろそろ」
壁の時計を確認してシノミヤはいそいそと周りを片付け始める。
同居人が帰ってくる時間帯だった。
丁度、玄関のベルがなる。
「はいはい」
片付け終わったシノミヤは確認もせずに玄関に行きドアを開けた。
ドアを開けるとその先には礼服を着た黒髪黒瞳の十五くらいの少女が立っていた。
「お父さん」
少女はそう言った。シノミヤはバリバリ二十前半である事を思えば、誰もがまったく何歳の時の子供だとツッコミたくなるのだろうが、そうする程暇な人間はその場にはいなかった為スルーされる。
「で、買ってきたか?」
コクンと少女が頷いた。
「これ」
少女がその手に持っていたものを差し出す。
小さな白いビニール袋。
大きな大きな袋には複数の食材。
「じゃ、ソファーで座ってろ」
少女は少しだけ何か言いたそうにシノミヤを見た。何を言いたいのか察したシノミヤは袋を受け取りながら中身に目を細めて見るフリをする。
「ほほう。芋、人参、牛肉、スパイス。全部揃ってる」
少女が緊張した面持ちでシノミヤの声に反応した。廊下でピクリと背中を向けて止まる。
「合格。一人で買い物ができるなら十分だ」
そう言ってシノミヤは固まっている少女の頭を去り際に撫でて台所へと向かった。
少女の顔をシノミヤは見なかったが、ソファーに座る気配はどこか弾んでいた。
台所で久しぶりに料理を始めた証であるエプロンを着けながら、シノミヤは初めてのお使いが上手くいった事にホッと胸を撫で下ろしていた。
少女と同棲する事になって早一ヶ月。
シノミヤが自炊するなんて信じられないと馴染みの喫茶店のウェイトレスが言い出してから二週間。
少女との生活にシノミヤは少しずつ慣れ始めていた。
お使いは少女がこれから生活していく上で必要だろうとシノミヤの方から少女に言い出した事だった。
少女はただの少女ではない。
シノミヤが関わった事件で受肉した特殊な部類の神だ。
その少女が「お父さん」呼ばわりしてきた時は最初こそ精神的ダメージを受けていたシノミヤだったが慣れれば同居人が増えただけだと開き直る事もできた。
昼時十二時の鐘。
鍋に蓋をしてシノミヤがリビングに戻るとソファーの上で少女がソファーで楽しげだった。すぐシノミヤに気づいて顔を輝かせる。
「今日は南部料理だからな。辛いのは覚悟しておけ」
少女は屈託なく頷いた。
「楽しみ」
「ただの男料理に過度の期待とかするな」
シノミヤはまったくもって料理など上手くない。食べられるものを作れるだけであって、味は普通の部類に入る。
「でも、美味しいから好き」
シノミヤはその嬉し恥ずかし発言に顔が緩みそうになるのを無理やり取り繕い少女から離れてソファーに座る。
設置されている大型のディスプレイからは昼時の騒がしい番組が流れているが内容などシノミヤの頭の中には入ってきていなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
シノミヤは少しだけ横目で少女を確認した。
何故か確認した時には真横に少女がいた。
(気配もなく忍び寄れるって、一応これでも敵の探知能力はSSクラスだってのに・・・)
少女のハイスペックぶりに内心で驚愕するが顔には出さず、シノミヤはぼんやりと前を向き続けた。その内に片腕に密着し腕を絡めてくる少女を一応窘める。
「そういうのはしないって約束じゃなかったか?」
少女はそれでもキュッと抱きしめて自分のものだと言わんばかりに幸せそうに目を閉じた。
「お父さん」
「はいはい」
シノミヤはそれ以上何も言わず鍋が煮立つまでそうしていた。
食事の後、シノミヤは上司に緊急の仕事を押し付けられる事になった。

sideEX(Extra)

絶望するには早過ぎる。
明日も見ずに死ねるものか。
光を求め、初めて底を知った。
仕事は神殺し。
この世に災いを齎すモノの排除。
その仕事はたった一日目にして終わりを告げられそうだった。
ボロクズとなった盾。
折れた足。
彼女が明日作るらしい南部料理。
失われていく現実感。
消えていく命の光。
自分の底の浅さに絶望するにはまだ早いが、自分のくだらなさを知るには十分な時間。
魔導による攻撃など一切効かない。
セオリー通りになど絶対ならない。
理不尽に理不尽を持って対抗しているはずなのに、そんな気になれない。
光の人型。
死。
『死法告者』
『僻神』と呼ばれる現代魔導の『意匠』からも外れた存在の一つ。
神と呼ぶに相応しい力を持ち、厳然とした実態を持つ神の如きモノ。
神官が残したと思わしき神殿の探索。
中隊の初任務。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたく―――。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ?!」
手が折れる。足がグニャグニャに曲がる。泡を吹く口。血走り見開かれる目。熱く熱く沈殿していく熱。這って這って這って這って逃げる。逃げなければ、逃げられるはずと、違う、逃げては仕事になら、それどころじゃ、仲間達、気のいい仲間達、見捨てるのか。
止まった。
止まってしまった。
「僕がッ、僕が相手だッッ」
馬鹿。馬鹿だッ。死ぬ、死んでしまう。カッコつけなくてもいいはずなのに、 ただの重症患者に何ができると、それが分かれば、もう、何が、何だか、分からない。
いや、分かったからこそ決して受け入れられない。
人型が近づく。近づいてくる。
死期が早まる。
嫌だ。嫌だ。
まだ彼女の料理を食べてない。
まだ彼女に愛していると言ってない。
友人に貸したままの本が戻ってきてない。
給料明細に顔をニヤけさせてない。
誰だ。こんな仕事を選んだのは。僕だ。しょうがない。それしかできない。
それぐらいの事ができると思い上がっていた。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
お母さん。お父さん。お兄さん。おじさん。おばさん。
ごめんなさい。
先に旅立つ不幸を許してください。
あ、あ。あ、あ、ああ、来るな。来るな。
口から漏れ出そうとする懇願。
そして。
「見つけた」
「へ?」
間の抜けた声で声の主を見た。
少女。
民間人?
よく分からない。
少女の声は屈託がなく、喜色を湛えていて。
パン。
一発の乾いた銃声。
光の人型が弾けて消えた。
それを機に意識は落ちた。

sideM(memory)

(三課の新米か。こっちにサポート役が回ってきたのはディグの差し金だな、たぶん。それにしてもこの程度の代物にオレの休日が持ってかれたのか?)
薄暗い神殿内部。
霧散した光の粒子の形状からシノミヤは自分が撃ったモノの正体を看破していた。
「眷属ですらない。下級の低位術法魔力駆動体。それに全滅って、レベル低過ぎだろ。いや、そうか。この実力。ああ、なるほど試験って、全然知らない内に指導教官扱いされてるオレ?!」
すぐに辿り着いた答えにシノミヤは脱力した。
「お父さん?」
休みであるにも関わらずシノミヤには仕事が舞い込んできていた。
上司からのラブコールは『ボーナス査定四倍でどうだい?』だった。それから詳しい事を聞いて駆けつけるまでに二時間。
「騙されて昔の職場の上司にこっそり試験管役やらされてる傷心したオレに用ですか。マイドーター」
もう帰りたいオーラが全身から出ているシノミヤに少女はクィクィと袖を引っ張って神殿の奥を指差した。
その方向をシノミヤが向いて固まった。
「おいおい。冗談――」
バガンッ!!。
シノミヤは喋ろうとし瞬間、少女を抱いて後ろへと飛び退っていた。
「こいつは・・・」
シノミヤは視線の中、無数の罅で覆われていた柱が爆砕するのを目撃した。
その下には複数の人が気を失っていたが、装備のおかげで死にはしないだろうと、シノミヤはこの際無視する。
「『死法告者』か。魔導の意匠にも死を掌る神はいるが」
唇が曲がるのをシノミヤは自覚した。
飛び退った二人が見たのは神殿の奥から歩いてくる骸骨だった。その姿は外套に覆われ、中に見える骨が手に巨大な鎌を携えている。
「魔導の『意匠』にも中々出てこない死神ルックってのはどうなんだ?」
死神は答えずに止まって鎌をゆっくりと二人に差し向けた。
「魔力量から察するに最下級神格の成りそこないか? 最初から妙だと思ってたが、此処は」
死神は答えない。
薄暗い神殿内部から不気味に佇んでいるだけだった。
「本来の『僻神』の姿に似せて作られた仮想神格。守護者にしちゃお粗末に過ぎ・・・そうか・・・」
カタカタと骨の音。
「はぁ、撤収」
シノミヤは骸骨に無防備に背を向けた。
神殿内部の柱が再び爆砕するがまったく気にもせず歩き出す。
「?」
シノミヤの片腕を後ろから抱きしめていた少女は首を傾げた。
少女は後ろを振り返り、倒れている男達に目をくれるがシノミヤはまったく気にせず外へと歩いていく。
「本物のガーディアンはあれじゃない。あれは警告してくれる優しい人間の残滓だ。攻撃しようとしてるわけでもない」
「?」
「指し示してるだけだ。本物のガーディアン、守護者はお前だ」
シノミヤは自分の手に即座にイメージし召喚したナイフで少女の脳天を突き刺した。
少女の片腕が、降り上げられていた鎌が、音を立てて落ちた。
瞬間、風景が捩れ砕ける。
―――――咆哮。
周辺が完全な光の下に映し出された。
陽光を背に洞窟の前に佇んでいたシノミヤは腕を掴んで揺さぶっていた少女に言った。
「ずっとそうやってたのか?」
少女はコクコクと頷いた。
シノミヤは「悪い」とだけ言って自分の目の前に広がる惨事に溜息を吐いた。
洞窟の前にバタバタと武装した男達が倒れていた。
其処は神殿とは似ても似つかない山中の洞窟。
シノミヤは自分の記憶を引き出す。
敵に遭遇して連絡が取れなくなった中隊のいる場所に出張れと言われたのは真実。
そして、指定のポイントへと付いた時点からが幻想。
最初にシノミヤが見たのは山中にある巨大な石柱の群れとその中に存在する入り口だった。
たぶんは魔導。しかも源流の高度な代物。
それが山中の洞窟を荘厳な神殿に見せていたらしかった。
事前の説明では神殿へと進攻した部隊の援護という話だった。
その話から推測して常時発動している魔導は人間の五感と記憶に制限を加える幻覚系。シノミヤが気づいたのは僥倖以外の何物でもなかった。
後ろにいた少女に対する微かな違和感。
シノミヤにとって未だ吉か凶か測りかねる少女に『深さ』を感じられなかったという一点。正に感が一瞬だけシノミヤに正気を取り戻させ行動させていた。
(危なかったか。思い出してなきゃ)
『死法告者』
死を告げる神は基本的に鎌で命を刈ったりしない。
それは神が命数を外れた者に対する正しい時間の執行者としての側面でしかない。
死神と呼ばれる神の『意匠』の大半は基本的に見取る事、生を振り返らせるなどの事に関する魔導のものが多い。命を奪うという結果のみが死を掌る神の領分ではない。
シノミヤは一瞬だけ死神について正しい知識を思い出していた。
死神は前からはやって来ない。
いつだって後ろから鎌を振るいに来るのだと。
「・・・・・・・」
シノミヤはそのまま洞窟の中へと入った。
奥行きは十数メートル。
途中の壁に骸骨が一つ複雑な文様の方陣の上に手厚く祀られているのを発見した。
「感謝する」
すり抜け様にそう言ってシノミヤは最奥の場所に影を認めた。
薄暗い洞窟の内部、短い呪が唱えられ指先から明かりが飛ぶ。
「これ・・・」
少女が少し悲しげに瞳を伏せてシノミヤの腕に力を込めて抱きついた。
「ここにいたはずの『僻神』が三課の討伐対象になった理由はこれだ」
光の先。積み上げられた小さな骨と祭壇。
多くの人間が思わず目を逸らすだろう。
それは子供の骸骨と骨が複数規則正しく並べられている祭壇だった。
「今からもう五十年以上前。この地域で小さな事件が起こった。それは結局、目の前の小事としてオレ達『外侵廃理』の仕事にならなかった。それからずっと事件は埋もれたままになってたが最近資料が見つかって戦力が送り込まれる事になった。ま、そうは言っても今回は罪滅ぼしなんてのは建前で目的は利益の為だ」
「利益?」
「利益が無けりゃ『外侵廃理』は指一本動かさないままだっただろうな。もう何十年も前の、しかも今更いるかもわからない神や神官の残した遺跡に戦力を送り込んだのは犠牲になった子供の遺体でもあれば回収して然るべき場所に埋葬する為と言えば聞こえはいいが、事実は外部に対するポーズに使う為だ。無理にする必要のない仕事を美談にして広報、更にレベルの低い新人のテストには一石二鳥、と」
「・・・・・・・」
何処か達観した表情で祭壇を静かに見つめるシノミヤに少女は何も言わなかった。
少女は進み出て小さな骸骨達の頭をそっと撫でる。
「昔々小さな村で一人の『神官』が、信仰が途絶えかけて消えそうな『僻神』を再興しようとして失敗した。その『神官』はまったく関係ない動乱に巻き込まれて死亡。子供達の親も動乱の中で消えた。唯一救いがあるとすれば墓守に選ばれた人間が優しい奴だったって事くらいか」
シノミヤがそっと小さな骨の前に方膝を付いて十字を切った。少女はただ黙って見ていた。
しばらく骸骨達を見ていたシノミヤは立ち上がると腕を祭壇に翳して魔力を込めた。
腕に魔導方陣、数字の羅列が浮かび上がる。
「召喚」
光の粒子が瞬時にシノミヤの前に立ち上がった。
その中から巨大な棺おけが地面へと落着する。
「もしもの時のオレ達用だが、無駄にでかいから入るだろ」
「うん」
少女はシノミヤに頷いた。

シノミヤは崩した洞窟跡の上に魔導で十字状に巨大な印を焼き付け、その辺に落ちていた枝を十字にし中心に突き刺した。
それから二人はその場の男達を起こしてから帰途へと付いた。

sideEX(Extra)

暗い部屋に声が響いていた。在るのは電子機器が微かに発する僅かな光量だけで、他の光は朝日だろうと電灯だろうとまったく無しという空間。
話しているのは数人の男女だった。
「シノミヤ・ウンセ・クォヴァ。予想以上の能力です。書類上で洗い出した功績を見てもそう大層な御仁とは思えませんでしたが、神が選ぶだけの素質があるという事でしょうか」
「確かに侮れない。戦力としてあの場所へと差し向けたのは今期の主席から数えて十番台までの人間だった。たかだか力を無くした『僻神』の神殿内部でボロボロにされるような人員ではない。それを考えればあの男の戦闘能力は高いと判断せざるをえない」
「しかし、先日『僻神』の神官に殺されそうになったとありますが?」
「いや、そもそもがあの程度の装備で戦える相手ではなかった。その時の状況だが武装は貧弱、神官の身柄確保を第一目標に、更には市街地での戦闘ゆえに大規模な被害を及ぼす武装の一切が使用不可となっていた。これで勝てるなら奇跡だ」
バサリと紙が投げ出される音。
「戦闘能力はかなりのものだと?」
「普通の人間にしてはかなりのものだろう。だが、あの男の魔力総量は通常の人間の数倍程度。身体能力は高いが並み。技術としての面だけが突出しているかと思ったが、調べて呆れたよ。一流ではあるが人間の粋を超えるものではなかった。ある種のマインドセットが結果を生んでいると解釈するのが一番合理的だ」
「神に対して戦ってきたにしては聊か平凡ですらある。超人と呼ぶには弊害があるだろう」
「そんな人間が神に選ばれるものですか?」
「三課が有するあの武装に関してスペシャリストであった事を思えば素養はあったのだろう。それに職場での戦歴が笑えない域にある」
「?」
「書類上ではまったく大した戦歴ではないが、それはあくまで書類上の話だ。三課の人間の話を総合するといつも手柄には執着していなかったらしい。全て同僚に手柄は渡していたそうだ。書類に載っている事件の解決に絶大な影響力を持っていたのは間違いない」
「どういう事でしょうか?」
「ははは、君は彼の言う事が分からないか? 若いな。簡単だ。彼はシノミヤと呼ばれる男がある種の中心だと言いたいのさ」
「中心とは?」
「この世には持って生まれた力など関係なく世界の中心に関わってしまう人間がいる」
「そうだ。そういう事だ。力が問題なのではない。その者の在り様にこそ運命は宿る」
「そう哲学せんでくださいよ。皆さん。私にゃさっぱりだ」
「あのシノミヤという男はつまりこの世界の特異点なのさ。君にも分かるように言うなら」
「・・・・・・」
「とにかくだ。彼が神に選ばれた人間である事には変わりない。魔導の意匠すらある本物の神。しかも、我々人類が未だ完全には到達も定義づけもしていない領域上の特殊な神にだ。その特異性は他のどんな能力を持つ人間にも勝る。彼の行動によっては本当に世界が、宇宙が、この歴史が、まるで角砂糖のように崩れてもおかしくはない」
「だからこそ、今は何もしてはならないと?」
「事を運ぶとはこういうものだ」
「では、シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐についてはこのままでよろしいですか?」
『異議無し』
全ての声が唱和した。
次の議題が話され始める。

sideM(memory)

「シノミヤさん?」
「ん、ああ」
シノミヤが沈んでいる様子にウェイトレスは心配そうに顔を覗き込んだ。
「どうしたんです?」
「いや、何でも」
「ないわけないじゃないですか。シノミヤさんがそんな顔してるなんて」
いつもの喫茶店のカウンター。
少女と少し離れた席に座っていたシノミヤは自分がそんなに酷い顔をしているのかと顔を意識的に引き締めた。
「今更、そんなキリッとした顔をしても駄目ですよ」
「そんなに酷い顔だったかオレ?」
「はい」
ウェイトレスはまっすぐ頷いた。
「本当にシノミヤさんが落ち込んでる時の顔です。いつもみたいに一目惚れが敗れた時はそんな顔しません」
「いや、その時はその時で落ち込んでるだろ? っていうか。そっちのが落ち込んで――」
言って、シノミヤはしまったと思った。
ウェイトレスはシノミヤの言葉にニンマリしていた。
「やっぱり落ち込んでるじゃないですか。私の感は正しかったって事ですよね?」
「う・・まぁ・・」
「シノミヤさん」
「な、何かなレディ」
ダラダラと汗を掻き始めたシノミヤは引きつった顔でウェイトレスが何を言うかと内心身構えた。
「私、シノミヤさんにどうしても伝えたい事があります」
真剣な顔で、そして僅かに朱に染まった頬でウェイトレスはシノミヤの顔に自分の顔を近づけた。その近さに思わずシノミヤは動揺して後ろに仰け反る。
「シノミヤさん」
「は、はい。な、何ですか。マイシスター」
動悸が早くなったシノミヤは思わず想像した。
実は自分にはそれなりに好いてくれる人がいたのだろうかと。
いや、事実。いつもウェイトレスは好意的ではある。いつもいつもいつも喫茶店でコップに水を注がれ続けて数年。出会ってからそれなりの年月が経っていた。それにシノミヤは自分が面食いである事を自覚していたが、ウェイトレスは決して見目が悪いわけではない。それどころかシノミヤの感覚から言えば上位にランクインするぐらいには綺麗と言える。それでもウェイトレスがそういった対象になってこなかったのはシノミヤにとってウェイトレスが日常の象徴のような存在だったからだ。あくまで恋愛対象などではなくて、家族のような存在。
そこでシノミヤは自分が何を考えているのかと我に返った。
(いやいや、それはありえないだろオレ。駄目だろオレ。いや、何が駄目かって言ったらそりゃ何だか駄目だろ。分かれよオレ。深呼吸しろオレ。ここで流されたら、流されたら? 流されたら? どうなるんだ?)
ウェイトレスはシノミヤの表情にクスリと微笑んで顔を後少しでキスするかと微妙な距離まで迫ると、
「シノミヤさん」
ポケットからそっと薄い紙を取り出してシノミヤの唇に人差し指で押し当てた。
「んむッ?! な、何を」
「どうぞ、確認してみてくれますか?」
シノミヤはその紙を引っぺがしてそれが領収書だと気づいた。
「ナンデスカコレ」
シノミヤが錆びた機械のような声でウェイトレスに確認した。
「何かって言われたらシノミヤさんの今までのツケって答えます」
「ツケ?」
「はい。あの、シノミヤさん? 数年前から金欠なシノミヤさんがどうして餓えて死なないのか気づいてましたか?」
「・・・・・・・・・」
シノミヤの顔はどんどん青くなっていった。
「ちなみに席のチャージ代、私の事を指名した指名代。他にはシノミヤさんが酔った勢いで飲み食いした際の飲食代。ざっと数年でこんな感じです」
「ちょ、ちょっと待てッ?! いつからここはお水な場所に?!」
シノミヤがブルブルと震えながら慄いた。
その狼狽っぷりにウェイトレスはやれやれと首を振ってと告げる。
「あー、シノミヤさん。ウチがそもそも会員制の場所だって知ってました?」
「はい?」
思わず聞き返すシノミヤにウェイトレスはわざとらしく「あちゃー」と頭を抑えた。
「いえ、ですから。シノミヤさんはそもそも勘違いしてるって事です。確かにここは喫茶店です。けど、ほら」
ウェイトレスはカウンターの奥を指し示した。
「何で普通の喫茶店にあんなにお酒のボトルがあるのか不思議に思いませんでしたか?」
ズラリと並んだ酒の種類にシノミヤはカタカタと体が震えるのを感じた。
「いやいやいやいやいや、待て、待って?! って事は、此処は・・・」
「喫茶店にどうしてオムライスみたいな軽食じゃない本格的なメニューがあるんですか?」
「ッ、で、でも、喫茶店」
「それに夜に喫茶店にお客さんがいっぱいいるなんておかしくないですか?」
店はとても賑わっていた。
「だ、だとしてもッ!」
「それにあの、ほら一度だけ来たシノミヤさんの後輩さんが言ってたじゃないですか。『先輩がこんな店で過ごしてるなんて驚きです』って」
「・・・・・・・」
もはや完全に腰が引けてるシノミヤにウェイトレスはニッコリと告げた。
「ここ昼は喫茶店、夜は会員制のレストランバーです。シノミヤさんがいつも座ってる席はカウンターの真ん中一番席ですからすっごく高いですよ」
シノミヤは完全に顔を引きつらせた。
「私がシノミヤさんとお話してるのはお友達だからが半分ですけど、他のお客さんと話してるのにシノミヤさんが話しかけてくる時は、自動的に指名料が加算される事になってます」
シノミヤは呆然と辺りを見回した。
スーツ姿の老年の紳士が多かった。
「ここにいる方はシノミヤさん以外全員が会員の規約を読んでるのでお金がない時は私に話しかけたりしませんけど、シノミヤさんはお構いなしでしたから金額の方もちょっとお高いんじゃないかと。ちなみにここはそれなりに高級なのが売りなのでそこら辺のウェイトレスなんかとはお給料が全然天と地ほども違います。更に言うと此処で働けるのは院を卒業+容姿+この店の極限のウェイトレス研修をクリアした人間だけと」
「ストップッ!? マジでストップしてくれ!!」
「はい」
「どうして今更、いや、どうして貴女はそんな事を言い出したのですかマドモアゼル」
ウェイトレスはシノミヤの言葉遣いに苦笑いで横の席に腰を下ろした。
「この店をシノミヤさんに教えたのは私です。シノミヤさんが私を助けてくれたからこうして私は今も生きていられます。そんな良い人だけどお金のないシノミヤさんに少しでいいから寛げる場所を用意してあげたいと思ったのが此処を最初に教えた理由でした。でも、それだってタダとはいきません。ですから、シノミヤさんがちゃんと立派になったなら、料金も払ってもらう約束で私が今までの分は立て替えてました」
「は?」
シノミヤは思わず目を丸くしていた。過去、シノミヤがウェイトレスを助けたのは本当だった。その時に教えられた店は今ではシノミヤにとって家同然と化している。
「ですから、シノミヤさんに私は恩を返したかったんです。でも、それでお金を取るなんて変な話。だから、シノミヤさんが今までみたいに貧乏なら何も言わずにいるはずだったんです。でも、シノミヤさんがこの頃偉くなったのがマスターの耳に入ったみたいで。男のケジメを付けさせておけって話らしいですよ?」
シノミヤは今までの情報を脳裏で整理した。
シノミヤがウェイトレスを助けた。
ウェイトレスはシノミヤに恩を感じていて寛げる場所を提供した。
だが、ウェイトレスが提供した場所はお金が掛かる。
だから、ウェイトレスはそのシノミヤの払うべき代金を立て替えていた。
そして、シノミヤが昇進し給料が上がったのを聞きつけたマスターが払わせろと迫った。
「つまり、あれか? オレは今まで」
「私のお給料でお寛ぎしてました」
ゴアッハァアアアアア。
心理的致命傷確実なダメージ。
床に倒れる勢いのシノミヤはワナワナ震えながらカウンター越しにコップを磨いているマスターを見た。
「ウチに来る客にはお偉いさんも多い。それ位の情報は入ってくる。昇進して給料が上がったなら女に払わせるなんて外道な事はできないものだろう?」
当然のように答えたマスターはそしらぬ顔でコップ磨きを再開した。
シノミヤはしばらく黙っていたが、自分の居場所を作ってくれていた女性に頭を下げた。
「頭を上げてくださいシノミヤさん。私はシノミヤさんがいつもいてくれて楽しかったんです。それだけを見るなら、私がシノミヤさんを指名してたみたいなものとも言えます。ですから」
ウェイトレスがそれから何と言うかシノミヤには予想が出来た。だから、そっとその唇に人差し指を当ててシノミヤはウェイトレスの言葉を止めた。
シノミヤはウェイトレスを始めて真正面から見た気がした。
その瞳に写る慈愛の色にシノミヤは過去を見た。
昔、「愛」を教えてくれた二人の事がシノミヤの脳裏を掠めた。
「マスター」
シノミヤがウェイトレスの唇に当てた指を引いてマスターに話しかける。
「なんだい?」
「この金額は全部?」
「ああ、その子が立て替えた。無駄に喋ってる内の半分は給料から引いて、後はその子が言ったとおりのお代を全部だ」
「じゃあ、オレは返せばいいんだな?」
「シノミヤさんッ。いいですよ。これは私が」
ウェイトレスがそう言ったにも関わらずシノミヤはマスターだけを見ていた。
「ちなみに聞くが一ヶ月いつも通りにここで過ごしたらどれだけになる?」
「まぁ、ざっとこれくらいか」
マスターが指を二本立てた。
「上等だ。返す時はマスターに渡しておく。面と向かって返すってのは何か違う気がするから、それで受け取ってくれ。それと夜はこれから少し来ない」
「ッ?!」
ウェイトレスの顔が微かに歪んだ。
「だが、その後はいつも通りに来る。だから、その時はいつもみたいに水でも汲んでくれ」
「え?」
「しばらくまた極貧生活か。はぁ」
シノミヤの言葉にウェイトレスは思わず抱きついていた。
「ちょ、は、離せッ?!」
「はい」と笑ってウェイトレスはシノミヤを放す。
「シノミヤさんのコップに水を汲むのは私の使命ですからッ、私の使命を蔑ろにしないようにお仕事頑張ってくださいね? シノミヤさん」
「その答え方はどうなんだ?」
ウェイトレスが席から立つとバシバシとトレイでシノミヤの背中を嬉しそうに叩いた。
シノミヤは思わず仰け反って叫び、辺りの客の冷たい視線を買った。
「それとこれから来なくなったりしたら怒りますよ」
「生憎と家以外に寛ぐ場所なんて此処以外知らないよ」
「それはシノミヤさんの友好関係や行動範囲が狭いだけです」
「ひでぇ」
シノミヤとウェイトレスのやり取りに呆れてマスターはグラスに酒を注ぎ始めた。
一部始終光景を今までジッと見ていた少女は席を立つとシノミヤの背後に移動した。
「シノミ・・・」
ウェイトレスがシノミヤの冗談に笑おうとして気づいた。
「何か重・・・」
シノミヤは自分の背中に圧し掛かる柔らかなソレに気づいて冷や汗が流れるのを感じた。肩に少女の顔が乗り、ちょこんと乗った形の良い顎と唇が動いた。
「お父さん。浮気?」
ビシッと空間に亀裂が入ったような錯覚。
「浮気?」
再度問いかけてくる少女は純真無垢で屈託のない顔。まるで純粋な子供の疑問がシノミヤの心臓を縮めた。
「シノミヤさん・・・・・」
低い声のウェイトレスにシノミヤはなす術もなく一応弁解してみる。
「何か誤解が」
「誤解? 誤解って何です? 私はシノミヤさんが健全で真っ当で決してそういう不誠実な人間じゃないと信じてますよ? ええ、いきなり「お父さん」呼ばわりする子を連れてきたり、その子が「浮気?」とか不穏当な言葉を口にしたり、それはきっと何か良くないすれ違いが原因だと信じてます」
シノミヤは信じるという言葉が寒々しく聞こえるものなのだと初めて知った。
「お父さん。机の中に同じ人の写真一杯」
またもや飛び出す爆弾発言にシノミヤはビッシリと汗を浮かべた。
その十五分後。
「いつまでも、昔の女の写真を大量に所蔵してんじゃねーですよ? この変態がって何べん言ったら分かるんだッ!? この駄牡がッッッ」
シノミヤは飛びっきり笑顔なウェイトレスに店の外へ蹴り出された。
「うわあああああああああああああああああああああああん」
少女が店から出てくるのはそれから夜も更けた二時間後だった。

sideEX(Extra)

「まったくシノミヤさんは」
ブツブツと文句を言うウェイトレスが料理や酒を運ぶ中、馴染みの老紳士達が苦笑を浮かべていた。
「あの若造。払わないと言ったら給料から天引きしてやろうかと思ったがガッツの一つもあったようだな」
「本当ですなぁ。枢機卿。ウチの可愛い娘に苦労などさせる虫は叩き潰そうかと思ってましたよ。ほっほっほっ」
「卿等だけの娘ではないよ。大臣」
「それにしてもこの数年であの坊やは見違えたな」
「ええ、確かに一回り大きくなったようだ」
「さすが我らの娘が選んだだけの事はある」
「それもこれも内助の功があればこそ。とは認めたくはない爺が多い事多い事」
「ふん。みんなのアイドルを独り占めして爺を苛める悪者だからな。あの男は」
「まぁ、生い立ちを考えれば悪に染まっていてもおかしくはない。だが、そうはならなかった。資質はともかく恵まれた環境で育てられたとは言える。フルー様があの男に武装を一式貸与した事も納得できる程度には正しさと強さも持っている」
「あの娘を守るには足るナイトだ」
「あんなひよっ子が騎士とは片腹痛い。あの戦争の時節。我輩の」
「まぁた始まった。年寄りの冷や水にならん内に剣は止めておけとこの間言ったばかりだろうに」
「さぁ、さぁ、静粛に。静粛に。この場に東部を仕切る馬鹿総勢の席を設けたのは他でもない。あの男の周辺に付いてだ」
「で、あの可愛らしいお嬢さんが神だと?」
「ああ、これから我々どころか世界、いや、未来へと渡って大規模な影響を及ぼすだろう」
「神か。『僻神』のように特異点としての存在を持たない下級神格でも、既知の魔導の『意匠』に表れ完全に解き明かされている絶大な意思でもない。未だ未探査の領域から来た使者。外なる神々などと言えば聞こえはいいが要は邪神。しかし、今は五十年前この世界にいた神々と同様に放逐され干渉など不可能だと思っていたが」
「その意味では弱いという事だ。魔王が許容できる程度には小さいからこそ、神でありながらこの世界に未だ干渉できるのだろうさ」
「然り然り」
「神でありながら不完全であるからこそ、か」
「あのお嬢さんが齎した事実は大きい。我々の想像を遥かに超える激震をあちこちにばら撒いた。『フォルトゥナ・レギア』『七教会』『自治州連合』『人外』『悪魔』『天使』そして『外侵廃理』。我々はこれらの脅威から民を守らねばならない。誰が敵で誰が味方かは一瞬にして覆るだろう。その中で確固とした協定を我々だけでも結んでおけば例え敵となったとて無茶はすまい」
「これはまた。裏切り者がいると?」
「馬鹿を言うな。そもそも裏切り者でない者がこの中にいるか」
「それもそうですかな。事実、誰もが誰もを身辺調査している。引っかかる所は山の如し。七教会、自治州連合から内定を頼まれている者もいるだろうし、人外悪魔天使が混じっていても別におかしくはない」
「だからこそ、ここに席を設けた。この場で決める事はあくまで各自の良心に委ねる協定なのだから」
「口約束ですか?」
「口約束だからこそだろう。それこそ悪魔と契約するわけにもいくまいさ」
「はははは、それは失敬」
「では、皆の衆。汝らが道と流儀に良心がある事を期待する」
「細かいところはこれから詰めますか」
老紳士達の会合は続いた。
その間中、ウェイトレスはシノミヤさんとブツブツ言い続け、老紳士達に多少寂しさを覚えさせたのだった。

sideEX(Extra)

夢を見たか?
懐かしい夢だ。
古い夢だ。
恐ろしく現実味のある夢だ。
夢を見たか?
幸せな夢だ。
命を育む夢だ。
明日を語る夢だ。
夢を見たか?
昨日を切り捨てる夢だ。
未来を切り開く夢だ。
今日を刻む夢だ。
夢を見たか?
どんな夢だ?
良い夢か?
それなら良かった。
なら、少しだけ忠告をしてやろう。
これは夢だ。
だから、絶対に忘れる忠告だ。
然る後に意味を持つ忠告だ。
そんな、夢の忠告だ。
彼女は元気にしているか? 彼女は笑っているか? 彼女は嬉しそうか?
ならば、良かった。
とても良かった。
彼女が幸せそうだと言うのなら忠告をする甲斐がある。
忠告は一回だ。
よく聴くんだ。
彼女を守れ、彼女を守ってやってくれ。
忠告だ。
心の底から忘れるな。
忘れていてもいつか思い出せ。
お前が望んだ未来と彼女が望んだ世界は―――。

sideM(memory)

「どうしたんですか先輩?」
「う、あ・・何か言ったか?」
「はぁ、思いっきり聴いてませんね」
窓際で書類を書いていたシノミヤはふと意識が落ちた事を自覚した。
タシネがお茶を啜ってから一言。
「徹夜」
「う・・・」
「眠ったらどうですか?」
「若い内しか夜は起きていられないらしいぞ?」
「どこの中年ですか先輩は」
「はっはっはっはっ」
「笑って誤魔化しても駄目ですよ。とにかくここ四日ぐらいろくに寝ないで犯人逮捕にボーナス付の仕事ばっかり。それ以上続けると死にます。ええ、後数日以内に」
「知るか」
「わ~~~、判断能力すらも鈍い一言ありがとうございます先輩。とにかくもう寝てください。睡眠時間を四時間も取れば多少はマシになるはずです」
シノミヤは手を付けていた書類に視線を落としてから数秒して「分かった」と頷いた。自分が今コンディションを崩しているとシノミヤも自覚したらしかった。
「三時間で起こせ。仮眠室行ってくる」
「はいはい」
シノミヤがヨタヨタと歩いていくのを見送って、タシネはシノミヤの席に移って何か書き始めた少女を見咎めた。
「あんまり触ると後でせ――」
途中で言葉を切ったタシネは少女の手元に注目していた。
少女はサラサラと必要事項を書類に書き込み、すぐ一枚書き上げていた。書類のサインがシノミヤの筆跡そのままな事にタシネは汗を浮かべて訊く。
「いつの間にできるように?」
「お父さん。いつも書いてるから」
静かに書類を書き始める少女が心配でハラハラしていたタシネは席を立ち少女の書く書類を上から覗き込んだ。
(完璧? 日時、被疑者の態度、言動、状況の簡潔な説明、専門用語は全部正しい用法だし、これって)
内心の驚愕を飲み下してタシネは少女を見つめた。
(神は伊達じゃないみたいです先輩)
「お父さん。喜ぶ?」
少女がタシネを向いてそう聞いてきた。
それにタシネは頷いてグリグリと頭を撫でて返す。
「先輩が書く場所を数個空けておけば完璧。先輩は人に何かされるとすごく気にするタイプだから。後は簡単な項目だけ埋めないでおけばバレないはず」
タシネがグッと親指を立てた。
少女は不思議そうな顔をしてから同じように親指を立てて作業に戻った。

少女はその日からまた夜同じように喫茶店で過ごすようになった。
ウェイトレスは相変わらずシノミヤのコップに水を注いでいた。
店に常備されている専用のコップはまだまだ使われ続けるらしかった。

sideN(now)

空を映し出す天蓋。
閉鎖環境である『至高の貧民窟』に外の時間帯と四季を伝える都市最大の施設、その一部が爆破されているという状況に対し、まったく対策が取られていなかった。
本来ならば都市の全てを管理する外侵廃理第三課の人員が総出で出動している状況であるにも関わらず、誰一人として爆破された天蓋へと向かう人影はない。
爆破された天蓋から落下する多数の落下物に混じってロングコートの男はどこに降りるべきか辺りを見回していた。すぐ目に止まった教会の中庭へ落下軌道を修正した男が瓦礫から離れ、小さく魔力を下に向け放出する。
小分けにして放出された魔力が落下の運動エネルギーを相殺し、男は中庭に降り立つ時には殆ど衝撃を受けずに着地する事に成功した。
男がコートの埃を払うのと取り囲まれたのは同時だった。
男が瞬きした刹那、現れた数人の男女が男を遠巻きにして見つめていた。男は両手を微かに握り込んだ。
「一切の探査に引っかからない。気配もない。明らかに神なわけだが、そちらはこちらの敵か?」
ガチャリと教会の勝手口が開いた。
「貴方の仕業ですか。あの穴は?」
教会から出てきたのは壮年の牧師だった。牧師は空を映し出す天蓋の穴を見ながら何も答えずに男へ問う。
「どうして歩く必要がある?」
男も牧師の声に答えず問い返す。
「はい?」
牧師が男の問いへ不思議そうに首を傾げる。
「神に歩く事が必要なのかと訊いている。ここにいる連中のように一瞬で移動する事など雑作もないはずだ」
牧師が男の言葉に笑い声を上げて片手を上げた。
それに頭を下げて数人の男女が歩きながら中庭から出ていった。
「我々は神であって神ではない。『僻神』とは何とも半端なもので、貴方の言う通りの事ができるとしてもあまりしない。まぁ、時折は宙に浮かぶし、空を散歩する事もありますが」
何とも気の抜ける牧師の笑顔に男が顔を顰めた。
「人間臭く振舞う必要があるのか?」
「この都市を創った方との約束がありまして、出来る限り人間として生きてみるというのが趣旨で。昔はもうバリバリに神様臭い連中が偉そうにしていた事もあります。今はさすがにそんな若い事をする連中はいないですが」
「面倒なものだな」
「ええ、それはもう」
「「・・・・・・・・・・」」
男が牧師に頭を下げて礼をした。
「私の名はシュラウス・ヴァーレン・エンロイア」
「ヨハン・マクベスと」
牧師ヨハンが名乗るとシュラウスが頭を上げて本題に入った。
「私はここに外なる神々、邪神の姦計を打ち砕く為に参上した」
「ええ、そんな事だろうと思っていました。近頃、三課で昔馴染みの顔を何人、いえ何神か見かけたので」
「知っていたという事か?」
「はい。我々は基本主体的に何か行動を起こすという事がないので放置していました」
「・・・・・それがこの世界を破滅へと追いやるかもしれない企みであってもか?」
「それは我々がどうにかする事ではなく、人間とそれに協力する者がどうにかする事だと認識します」
「ならば、主体的に加担する事はないと?」
「はい。それはこの都市に移住した全ての者がそう答えるはずです」
「はず、とは随分と曖昧なもの言いだ」
「神が絶対ではないのと一緒の事だとお考えを」
牧師が胸に手を当てた。
「これから第三課へと向かい、私はこの事件の元凶を討つ。三課の本部庁舎の場所を知りたい」
「それなら教会の前から左側に進んで大通に出れば後は道なりです」
「迷惑を掛けた。これから多少騒がしくなるだろうが数刻で終わる。では」
「少し待って頂いた方が」
「?」
「どうやらあちら側から来るようなので」
ヨハンが空を見上げる。つられてシュラウスが見上げた時、中庭に一本槍が落ちた。
頬を伝う血を拭いシュラウスが手の中にガチガチと金属音を響かせた。
「ここならば存分に戦ってくださって構いません。教会は守護の魔導で破壊不可能です。それに此処は迷える者、悩める者を歓迎しますから」
ヨハンのにこやかな笑みに思わずシュラウスは訊いていた。
「ちなみにあの連中はどちらだ?」
「・・・・悩める者でしょうか」
「迷っていないという事は戦うのは是非も無いという事だ」
シュラウスの両手が上空へと向けられ、都市を覆う天蓋が更に崩落する事が確定した。

巨大な爆発音がこれから行く場所から響いてくる。シノミヤが渋さ全開の顔で愚痴った。
「おいおい!! あの馬鹿テロリスト!! まさか教会で戦ってるのか?!」
走りながらシノミヤが戦慄したように冷や汗を流した。
(武装の回収もままならないってのはまずい。これなら三課の倉庫に行った方が、いや、どう考えても今のオレじゃ倉庫のセキュリティーが破れない。クソッ)
「教会?」
傍らを走るティアが訊く。
「そこにオレの武装がある。正確には武装を使う為の鍵だな」
「鍵・・・・」
「三課はその性質上、どうしても神を滅ぼさなきゃならない事がある。だが、人間の力で神を滅ぼすのは大仕事だ。だから、三課は大昔から仕事の効率を上げる為に同じ神の力を使用してきた。『神格契約者』。神の従者って意味だが殆ど皮肉みたいなもんだ。自分達に協力する神に滅ぼす神に最低限対抗できるだけの力を借りる。神の力という最強の武装に人が自分達の技と力を結集して神を滅ぼす。これが三課の昔から変わらない冴えない遣り方ってやつだ」
「お父さんの武装。でも、神様は?」
「・・・・・・これから探す」
「一緒に――」
「ちなみにお前はダメだぞ」
「どうして?」
「お前の体は半分人間だ。神としての力を使えばどうなるか。この間あの都市で助けてもらった時の体の反動を思えば、危なっかしくて使い物にならない」
気遣ってくれる為の言葉。だからこそ、ティアはもう一度言わずにはいられなかった。
「でも」
「人間死ぬ気になれば案外何でもできる。それに神様なんてのはあのトレイの魔人と比べたら楽勝だろ?」
シノミヤの言っているのがいつもの店のウェイトレスの事だと気付いてティアがクスクスと笑った。
「ッ?!」
シノミヤが咄嗟にティアを庇って道の横に身を投げ出した。
それと同時に巨大な雷が通りの道を爆砕した。
「もうお出ましか。こっちは最強武装一式もう使い切ったってのに」
シノミヤの愚痴に空から声が掛った。
「相変わらずペース配分が滅茶苦茶らしいな。テメェは昔からいつもそうだった」
「随分な挨拶だな」
眼光も鋭い鷲鼻の男にシノミヤが腰からオートマチックを取り出し向けた。
「おいおい。まだ敵か味方かも分からない昔馴染みに銃を向けるのか?」
「はッ、今の三課の連中が信用できるか。オレはあの馬鹿上司にこの子の話で会いに来ただけだ。とっとと道を開けるなら良し。開けないなら強行突破あるのみだな」
「あ? ああ、そっちか。可愛い人形の方が重要ってのは女々しさ倍増、負け犬のテメェらしい。あの馬鹿悪魔は何も説明してないらしいな」
シノミヤが男の言葉に違和感を覚えた。
「そっちだと?」
「知ったところでお前は此処で負ける。嫌ならその人形を置いてこの都市から出て行け」
「聞き捨てならないな。人の娘を人形呼ばわり、あのテロリストといい。本当に常識の無い連中にしか合わない」
シノミヤの言葉に鷲鼻の男が唇の端を曲げた。
「娘? 自分の殺した女の代わりになる人形の間違いじゃないか? 代償行為に付き合わされてる可哀そうな人形はこっちで回収しておいてやる。テメェの自己満足の道具よりはマシな使い方してやるが、どうだ?」
「口を閉じろ。お前に構っている暇なんてない」
シノミヤがティアの腕を掴んで走り出した。上から降ってくる雷と光弾の魔導に対してオートマチックの弾倉が空になるまで弾丸を撃ち、次のマガジンを片手で装填する。
大通から狭い路地に入る事も考えたシノミヤだったがすぐに追いつかれ逃げる場所に困ると開けた場所を行くしかなかった。
突如、シノミヤの向かっていた先で巨大な閃光が発生した。
瞬間的に銃を持つ方の手で目を庇ったシノミヤの背後に嫌な汗が奔る。
「終わりだ」
腕を振り抜き様に銃を乱射し、傍らのティアを抱いて横へと身を投げ出したシノミヤの体に衝撃が走った。
それでもティアを離さず転がりながらシノミヤは再度体制を立て直そうとして、首筋から吹き上がる赤い飛沫に意識を失った。
「お父さんッッッ?!」
悲鳴が上がる。ティアがシノミヤの首筋を両手で押さえた。それでも流れ出していく飛沫に泣きながら何度も叫ぶ。背後、鷲鼻の男が腕を伸ばした。
腕から黒い帯状の闇としか見えないソレが延び、ティアの首筋へ突きこまれた。
「?!――――――――」
ガクンとティアの体から力が抜け、血が意識を失ったシノミヤの首筋から流れ出ていく。
「それで助かったならもう一度相手をしてやる」
鷲鼻の男はその腕にティアを抱え、空へと舞い上がっていった。
『――――――――ッ、――――――』
誰もいない大通の店のドアが幾つか開いた。
ワラワラと大慌てで出てきた人々がシノミヤに笑い掛けた。
「やっぱりシノミヤだ」
「ああ、シノミヤさんだ」
「シノミヤの馬鹿だよね」
「それ以外の何にも見えない」
「とりあえず死に掛けてるね」
「ああ、とりあえず助けておくか?」
「そうしよう」
「そうしますか」
「人間死んだあらそれまでだしな」
「うんうん。死なれたら面白くないし」
「というか、速く止血。担架」
「ほい」
バタンと大通の扉が全て閉まった時、シノミヤの体はどこにも無くなっていた。
血痕だけを残して。

sideP(past)

「我、汝を加護する者なり」
魔導源流術式解凍。
『所作』は口付け。
「もう止めてくれッ!!」
法則干渉系。
『意匠』は上位三神を包括する『三恋神』
「我、汝を助力する者なり」
構成魔力。開放。
『音源』である真言は婚姻祝詞。
「これ以上はッ!!」
「我、汝を―――」
『マギア・セクスアリス第六百六十六番』
「止めろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「愛する者なり」
『愛、勝利、支配、三女神の名において、我は汝に尽』
「どうか、その道を。貴方の世界を――――我の贄殿」

sideM(memory)

声が響く巨大な伽藍。
収監されている受刑者達の横をシノミヤと少女は通っていた。
鉄格子ではなく柔らかな光の鎖で閉ざされた独房が続く廊下、その行き止まりにある部屋。
そこに辿り着くまでに看守を付けられ複数の検査を受けてきた二人は最後の検査とばかりに部屋の前にある不審物探査用ゲートを潜り、次第に強まる圧力を受けて戸惑い始めていた。
「なあ、帰りたくなってこないか?」
「帰りたいの? お父さん」
「いや、物凄いプレッシャーが。この独房の主。かなりやるな」
「強い?」
「逆に気配を漏らす程度の強さって言えばそれまでだが」
「お父さんの方が強い」
「それは身内贔屓だろ?」
二人のやり取りを聞いていたまだ若い女性の看守はシノミヤにジットリとした何か犯罪者でも見るような視線を絶えず送っていたが、振り返った黒く猫っぽい礼服の少女が屈託無く「この部屋の人、強い?」と聞いてくるに当たり顔を取り繕った。
「受刑者番号0003は過去に騎師二個分隊との戦闘を行い多数の重軽傷者を出しました。戦闘能力だけを見るならかなりのものかもしれません」
少女は「教えてくれてありがとう」とお辞儀をした。その礼儀正しい少女につい顔を綻ばせて女性看守も笑顔で「いえ、どういたしまして」と少女の頭を撫でた。
「それじゃ、此処まででいいんで、後は迎えの時間にお願いします」
シノミヤの言葉に女性看守は一瞬だけ顔を固くしたがすぐ無表情になり敬礼、踵を返した。
後姿を見ながらシノミヤはゲッソリとした顔をして少女の方を向いた。
「おい。物凄く睨まれてただろ。お父さんお父さん連呼するのは止めような?」
少女はシノミヤのマジで真剣な危機意識一杯で冷や汗の流れる顔に無垢な瞳で首を傾げただけだった。
「はぁ、いい。とりあえず先に訊いてくる。お前は此処で待って」
フルフルフルフルフルフル。
少女はシノミヤの袖を掴んで首を横に振った。
「お父さんと一緒にいる」
少女の懸命さにシノミヤは一瞬、同伴を許可しそうになるがグッと堪える。甘い顔をすれば絶対に今後も同じような事があった時、同じように付いてくるに決まっていたからだ。
そうなれば、もしもという時、少女を危険に巻き込む可能性があった。
「後でパフェ。それで勘弁してくれ。このジリ貧な生活事情からオレの唯一の楽しみである昼食を抜いて奢ってやる」
少女はそれでも確固とした意思の固さを表すようにしっかりとした視線でシノミヤを見返して首を振った。
シノミヤは少ししゃがみこんで少女と視線を合わせる。
顔を近づけてシノミヤは困った。
少女の決意に欠片も動揺が見えなかった。
(こういうとこで無駄に頑固というか)
シノミヤは手の甲で少女の頬を撫でる。
ご機嫌取りに走る事にした。
少女がそれに嬉しそうに瞳を細めたところを見計らって、少女の額に口付けをしようと顔を近づけ。
ピュイイイイイイイイイ。
笛の音にシノミヤは止まった。
ギギギギと軋む首を横に向けると、物凄い剣幕の例の女性看守が走ってくるところだった。その顔には少女がまだ無事である事への安堵とシノミヤへの侮蔑軽蔑その他諸々の敵意が宿っている。
(いや、親子の正当なスキンシップですって奥さん)
シノミヤは現実逃避気味に女性看守に内心で弁解してみたが、どんな弁解をしてもその女性看守に届くとは思えず、重く溜息を吐いた。
「未成年者への淫行目的での接触!! 現行犯逮捕!!」
「?」
少女は意味が理解できないらしく首を傾げて女性看守を見ていた。その視線が「助けて」と言っているように見えたというのは女性看守の言であり、シノミヤはその場で無抵抗のまま地面に押し付けられ取り押さえられた。
「マイドーター。とりあえずお前から弁解してください」
少女は何を思ったのか数秒考え込んでから言い放った。
「お父さん。大好き」
「ッ、子供に無理やり自分を好きと言わせるなんてアナタ何を考えて?!」
「いや、まんまだろ」
「まんま?! 言い訳する気もないのねッッ!?」
「お父さん。優しくしてくれる」
「ッッ、こ、子供にアナタは何をしたのッ!?」
「いや、だから、勘繰り過ぎ――」
「裏の裏を読まなければいたいけな子供達を救う事はできないって本に書いてあったわ!!」
「どんなハードカバー読んでるんだッ。ここの看守はッ!!」
「お父さんの仕事手伝いたい」
「仕事ッ、はッ、まさか、そんな、やはり地位を利用した人身売買のディーラー?!」
「お父さん。毎日頑張ってくれる」
少女の嬉しそうな笑みに女性看守の血の気が引いた。
「何を頑張ってッッッ?! 逮捕――――――――――――ッ!!」
結果だけ先に言えば、シノミヤの履歴書に逮捕歴は載らなかった。

ガチャンと音がして鉄格子が開けられた。
「先輩。物凄く落ち込んでません?」
「世間からオレがどう見られてるのか良く理解したところだ」
留置所の床の冷たさを知ってダークなフォースに取り込まれているっぽいシノミヤは仄暗い笑みを浮かべてグッタリしていた。
「先輩も災難ですね」
「特盛りでな」
廊下を歩いているだけで受刑者、看守の視線が突き刺さってくる事にシノミヤはやっぱりかと半笑いになる。
「で、捜査の方はどうですか?」
「人外連中はやたら閉鎖的だ。そう上手く聞き込みもできてない」
「人外への襲撃事件。厄介ですかやっぱり?」
「被害者全員の背後関係を登録されてる資料で洗ったが殆ど何も解らん。唯一分かってるのは『僻神』の神官じゃなきゃ使わないだろう魔導の残滓が現場に残ってた事だけ。今、一課の鑑識に証拠類を再度確認させてるがどうなるか」
シノミヤの気難しげな顔にタシネは一ヶ月前からシノミヤが追っている事件の報告書を思い出した。
報道されていない四つの事件。
東部地域で時間も場所もバラバラに人外の者への襲撃が行われた。
それら一つ一つは怨恨利害の線でもう先に自治州連合の官憲達が捜査に当たっていたが、事件現場から検出された魔導の残滓が神官が使う形式と一致した事により事件は『外侵廃理』の管轄となった。
神官。
神を信奉する者。
その中でも『僻神』と呼ばれる現代魔導の『意匠』にも出てこない低位の神格を崇める者は危険と言われている。現代魔導に使われる『意匠』の中にある本当の神に比べれば、存在の階位が劣る『僻神』だが、それでも神と呼ばれる程の力を持っている事には間違いない。そんな神の神官が四つの事件を起こした。神を召喚し秩序を乱す者を捕らえる事を生業とする『外侵廃理』第三課、シノミヤのいる部署が出張るのは妥当と言えた。
「それにしてもこんな場所に来るとは思ってませんでした」
「相手がそれだけVIPだって事だな。報告書でも実名が書かれてなかっただろ?」
事件が正式に『外侵廃理』に捜査が移譲され、それまでに調べられた資料と共に寄越された報告書が一つ。その中にある情報を元にシノミヤの捜査は行われていた。

本件にはテロ組織の影が存在し、またその関係者だったと思われる男を推定した。
彼、『貴族』と呼ばれる男を重要参考人として指定する。

その『貴族』とやらが入所していたのが大陸北東部イデオストロフ地方最北端に位置する海中刑務所『バドン4』だった。
海辺の施設から専用のエレベーターで地下千二百メートル地下へと降り、更に十五分歩いてやっと見えてくる巨大な空間と円柱状の構造物。
テロに加担し、尚且つ通常の七教会、自治州連合の戦力では太刀打ちできない巨大な力を持つ者だけを収容する施設にその男はいた。
「犯罪者なのにですか?」
「犯罪者だからだ。こっちの戦力で押さえつけておくのが非効率なぐらいのな」
「だから、こんな冗談みたいな場所に?」
タシネにしてみればこの事件の捜査自体冗談のようだと思えた。
そもそもが分署に回ってくる捜査ではなく、本署が数人以上の体制を組んで当たるべき仕事。それを一人シノミヤだけに任せるという上の決定にタシネはまったく納得できなかった。そこにきな臭いものを感じていたのはタシネだけではなく、直接の上司であるカワジマ二佐も同じで、タシネが他の捜査を引き上げて来られたのもカワジマ二佐の配慮からだった。
「そうじゃなきゃ、こんな非効率な監獄作らない」
「そうですね・・・。それじゃさっそく本人に事情聴取でも」
「ウチのお姫様がいない内だ」
二人は互いに頷くと今も女性看守に『保護』されているらしい少女を放置して、独房へと歩き続けた。

部屋の中には時代を思わせる調度品が色褪せたセピア色の光を受けて艶やかな光沢を放っていた。
古惚けた時計。
巨大な壁のタペストリー。
時代に色付かされた飴色のテーブルセット。
窓から差し込む夕日は薄暗い部屋に郷愁を掻き立てる。
その貴族の部屋というべき趣味の只中に男はいた。
旧い型のタキシードに身を包み、右目にモノクルを掛けた七十にはなろうという紳士。
背は中背。白髪でタキシードの中から覘く手は枯れ木にも似ている。長い顎鬚の上にある口には笑み。
椅子に腰掛け紅茶を嗜んでいたその老紳士は部屋の中に入ってきた二人に構わず紅茶を飲み続けた。そのまったくのんびりとした素ぶりにシノミヤもタシネも唖然とした。
『貴族』
そう呼ばれている兇暴なはずの男には暴力の匂いは欠片もない。
それどころかシノミヤが最初に部屋の中から感じていた威圧感も幻のように失せている。
二人が仕入れていた事前情報とは似ても似つかない老紳士は紅茶を飲み干し終わると顔をやっと二人の方に向けてこういった。
「よく来た。シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐。いや、『死ノ宮(しのみや)』の忘れ形見と言った方がいいかな?」
「ッッッ?! お前は―――」
シノミヤは老紳士の言葉に雷鳴に打たれたように硬直した。
「サプライズは嫌いかね?」
「・・・・・・・タシネ」
「先輩?」
「出てろ。後で報告する」
シノミヤは一歩進み出て後ろで唖然としているタシネに振り向かず言った。
「せんぱ――」
「いいな?」
シノミヤの今までに聞いた事もない硬い声にタシネは何かを言い掛けたが頷いた。
「先輩。気を付けて」
「ああ・・・」
ギィと音を立てて閉まる独房の分厚いドアの音だけ響いた。
「さて、まずは何から話そうか?」
老紳士の親しげな笑みにシノミヤは冷や汗が浮かぶのを止められなかった。

回統世界ファルティオーナ。
その内にあり人間が住まう唯一の世界。
それが『大陸フォル』だ。
差し渡し三万キロの超大陸には大勢の人が存在する。
五十年前に起こった魔王との戦争を最後に新たな時代が到来した大陸では平和が続いていて、安穏とした日々を人々は享受している。だが、大勢を占める人々とは別にそうではない人間もいる事にはいる。そういった平穏に入らない人種の一つがテロ組織に加担する人間だった。
現大陸の治世に不満を抱く極少数の者達。
彼らが大陸で未だに活動している事は誰もが新聞の記事に見る事ができる。そんなテロ組織の中でも指折りの最古参の一つが『幽国の士』と呼ばれる集団だった。
一度壊滅し、再び復活したとされるテロ組織。
FOAと呼ばれる総合企業体の外郭団体として健全に再建されていたはずの組織は数ヶ月前に本来の形に戻り、本部に家宅捜索を受けていた。『貴族』もその『幽国の士』の一員であったと言われている。と、シノミヤは再度脳裏で情報を確認したが、目の前の老紳士にそんな過激派の面影を探すのは困難だった。
「此処が揃える紅茶はイマイチだがスコーンは中々上物が手に入る。君も堪能するといい」
対面に座り紅茶を注がれたシノミヤは老紳士の観察で忙しかった。部屋の内装にしても、着ている衣装にしても、食べている物にしても、そして何故、この牢獄の中にありながら自分の他人には話せない過去を知っているのかも不可解過ぎた。
「随分と余裕があるんだな」
「何、そう余裕があるわけでもない。君が来ると聞いてめかし込んでみただけだ」
「少なくとも老人にめかし込まれる理由なんてこっちにはない」
「そうかね?」
「ああ」
何処かに歳を置き忘れてきたような悪戯好きな少年のような笑みで『貴族』は自分のカップにミルクと紅茶を注いだ。様子がまったく変わらない『貴族』にシノミヤは内心の悔しさを押し殺して観察し続けた。自分が精神面で翻弄されている事が自覚できるだけの冷静さを保つのにシノミヤは精一杯だった。
「さてさて。君が此処に来た理由についてだが、生憎と話すネタを私はあまり持ち合わせていないというのが現状だ。だが、それで君が帰ってはつまらない。君は久方ぶりの客人だ。それなりにもてなすのが礼儀としても私個人としても望ましい。だから、シノミヤ君。君に一つだけ何でも誠心誠意答えよう」
饒舌な老人をシノミヤは用心深く見据えた。
「色々と訊きたい事があるだろう?」
お茶目なウィンクをかます老紳士にシノミヤは口を付いて出そうな諸々の声を飲み込んで、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「訊きたい事なら山ほどある。だが、どれを訊くかはまだ決めてない」
老紳士はシノミヤの言葉にニヤリとした。
「賢明だな君は・・・・。私が何処の誰で何を知っていて、如何して此処にいて、何でこんな生活をしていられるのか。普通の人間なら軽率に疑問が出るのが普通だというのに」
シノミヤは老紳士を睨み付ける。
「お前は一つだけ答えると言った。迂闊には訊けないだろ」
老紳士は夕暮れ時の光を背に受けながら陰影が刻まれる顔でシノミヤを見つめ返した。
「良い瞳だ。天晴れな程。『死ノ宮』が滅んだのも頷ける」
「その事に対してオレが何か喋ると思うか?」
老紳士は首を振って、紙ナプキンを取ってテーブルを立った。部屋の片隅に置かれていた机の上にある羽ペンをインク瓶に浸してサラサラとナプキンに何事かを書き付ける。
そっと老紳士はシノミヤにナプキンを差し出した。
「・・・・・・・・・・」
何も言わずにそれを受け取ったシノミヤは老紳士が優しげな瞳で見てくるのに戸惑う。
「後で開くといい。それで事件の一端は見えるだろう」
「アンタは何なんだ?」
心からの疑問をシノミヤは口にした。
目の前の老紳士が何を考えているのかシノミヤにはさっぱり分からなかった。
「私かね? これはまたツマラナイ質問だ」
老紳士がシノミヤから遠ざかり、窓から差し込む陽光に背を向け対峙する。
「私は喩えるなら物語の役割を終えた駒だ」
「駒だと?」
「そうだ。私は私の物語をもう終えた惰性で生きているような存在と言っていい。その惰性の中で多少の力と多少の地位と多少の友人と多少の罪を得たが、あくまでそれは惰性だ。かつて存在した人外排斥の主流派思想や貴族主義の復活に掛けた『幽国の士』にも在籍したがどれも私の口に合わなくてね。そんな縁で大陸のお尋ね者になってしまった。君のように大きなものを背負っているわけでもなければ、君が恐れるような人間でもない。此処での生活はコネの産物で外の事もコネで知るに過ぎない。貴族としての嗜みと礼が染み付いている以外は到って普通のつまらない人間。それが私だ」
老紳士がそう何の気負いも自嘲もなく言い切った。
シノミヤは言葉に詰まる。
老紳士の年月が染み付いた皴枯れた声の重みに何も切り出せなかった。
「ふふふ、驚いたかね?」
「ああ」
「それは良かった」
孫に話しかけるような柔らかな声。
老紳士はシノミヤに背を向けて窓の方を向いた。
「歳を取ると無償に人恋しくなる時がある。どんなに私が悪人でもだ。君と話す事は私にとってとても幸運な事と言える。だから、君が戸惑うように優しくしてやりたくなった。そうだな。今の私の心境は年寄りが孫に小遣いをやりたいと思うのに似ているかもしれない」
「アンタみたいな戦歴の祖父はお断りだ」
「そうかね? 君も顔に似合わず大したものだと思うが」
「何でも知ってるみたいな言い方だな」
「ああ、知っているとも。何せ、この監獄の中で今一番ホットな話題を提供してくれているのは他ならぬ君だからな」
「どういう事だ?」
「此処の囚人は基本的に娯楽に飢えている。この『バドン4』の廊下で白昼堂々と可愛い子猫と戯れた勇者なんて格好のネタだとは思わんかね?」
「ッッッ、違う!!」
シノミヤは顔を引きつらせて思わず怒鳴った。
「そう照れなくともいい。囚人連中に倫理でとやかく言う人間などいない。歳若い自分の娘に手を出した程度の話なら逆に持て囃されるぐらいには寛容だ」
「その話題から離れろジジイ!?」
「くく、ああ、すまない」
老紳士が思わずといった様子で口元を抑えた。
「この・・・」
切れそうになったシノミヤだったが、すっかりペースを握られている事に気づき我に返って深呼吸した。
「緊張は解れたかね?」
シノミヤはその老紳士の言葉に思わず「しまった」と顔を顰めていた。
気を許し過ぎたというよりは相手に自分の情報を与え過ぎた事を反省した。
「冗談で人の性格を測るのは趣味が悪いぞ。最初にドア越しに感じた圧力もオレの出方を伺う為だったんだろ。顔なんか見なくても気配だけで判断できるってか」
剣呑なシノミヤの視線を背中に受けながら老紳士はまったく変わらずに話し続ける。
「君はやはり賢明な人間だ。私が思っていたより少し気の抜けた楽しい部類に属するが」
「人をカテゴライズして楽しいか」
「そう刺々しくしないでくれ。私がこうして君に無駄な話をしているのも理由がある」
「理由だと」
「ああ、聞きたい事があるのだが少し迷っている。君が来ると聞いて私は色々と考えてはいたが、どうにも・・・・勇気という奴がこの歳では出なくてね」
「アンタみたいな人間がオレに聞きたいなんてあるのか?」
「たぶん君にしか分からないし、君にしか答えられない事だ」
「・・・・」
「何そう大したことでもない。大昔に犯した若さゆえの罪という奴についてだ。君にも覚えは無いかね? 大好きだった女の子を泣かせてしまったり、傷つけてしまったり。この歳で言うのも何だが昔の私は酷かった。今更に後悔しても遅いとは分かっているのだがね」
「オレはアンタの知りたいような情報なんて一つも持ち合わせて――」
「いいや。知っているはずだ」
老紳士はシノミヤの声に割り込んだ。その無礼さを自覚しながらもしなければならないように、何処か確信めいた調子で老紳士は言葉を紡ぐ。
「私が知りたいのはある女性とその娘について。そして君はその二人を知っているはずだ。あの森の中に存在した後二人を含めて四人の事を」
「ッッッ?!」
シノミヤは喉元に刃を突きつけられているような気分でガタリ椅子を蹴り立ち上がった。
「それはあの時代から此処に来た君にしか分からない事だ」
「アンタは何処までッ、そもそもどうしてあの森に四人いた事を知ってる!?」
老紳士は何かを耐えるようにジッと無言でいたが、振り向いた。
「彼女は・・・・いや、あの子は苦しまずに逝ったか?」
老紳士の静かな諦観を含んだ視線にシノミヤの脳裏の歯車がガチリと噛み合った。
目の前の男が何者なのかシノミヤには何の判別もしようがない。しかし、老紳士の視線が、かつて向けられた視線と重なる。その視線を知っていた。そう、かつてその優しくて悲しい視線を自分に向けていた人間をシノミヤは一人だけ知っている。
「アンタはまさか」
心の底から汲み出そうとした答えは結局、シノミヤにそんなどうでもいい言葉を吐かせた。やがて、沈黙が二人を押し潰すぐらいに圧迫し始めて、老紳士は見詰め合ったシノミヤから視線を外した。
「今更せんない事だったな。済まない。客人の前というのも忘れていた。無礼を詫びよう。今後も何かあったら協力はする。今日はもう遅い。私も疲れた」
そう言うと再び背中を向けた老紳士にシノミヤは信じられない思いで釘付けだった。
「ああ、土産を用意させているから事務で受け取って課の全員で食べるといい」
もう何も語らない背中にシノミヤはナプキンを握り締めてドアに向かった。
無言で夕日を見続ける男に背を向けたシノミヤはドアノブに手を掛けて自問する。
本当にこのままでいいのかと。
もう誰も知らない、話すつもりもない、終わった過去など話して何になるのかと。
今、此処にいるシノミヤ・ウンセ・クォヴァにはもう何もかも過去でしかない。
それを知りながら、あの場所を今の自分が語る事が許されるのかと。
ドアノブを回そうとして、外側からドアノブが回った。
「お父さん?」
ガチャリとドアが開けられて入ってきたのは少女だった。
「お前、タシネはどうした?」
少女が指差す。
シノミヤが見るとタシネがヒラヒラと手を振って廊下の壁に背中を預けていた。
二人の気の抜ける事甚だしい様子にシノミヤは溜息を一つ吐いて、少女をドアの外に出して閉めた。
背中を向けて無言のままでいる男に視線を合わせずに俯く。
「――――だ」
「?」
「それがオレの名前だった。お姉ちゃんが名付け親だ。昔、すごく嬉しそうに話してくれたよ。最後まで笑って、名前を呼んでくれてた」
「・・・・・そうか」
それだけを告げてドアノブを回して出て行こうとしたシノミヤに背後から声が掛かる。
「ありがとう」
「礼ならこちらが言うべきだろ。協力に感謝する『貴族』」
シノミヤは今度こそドアの外へと出て行った。
それきり部屋の中には何の音も立たなかった。

sideE(enemy)

スタングレネードを放り込んで爆発させた瞬間には飛び込んでいた。
総勢十八人。
配置確認済みの男達をゴム弾で打ち倒す。
頭部をぶち抜く一撃に脳震盪を起こし次々に倒れこんでいく男達の先、ドアへと立て続けに連射。ドア越しに手応えを感じたのもつかの間、すぐにドアを蹴り破った。千切れ飛んだドアが何かを押し潰す音。ドアを踏み付けにして廊下へと出た。声が反射する廊下の先から足音が四つ。曲がり角に差し掛かった瞬間、ゴム弾をしこたま曲がり角の壁に打ち込む。跳弾の雨に全身を強打された男達が二人倒れる音。それを聞きながら銃を交換。右手のオートマチックを左手に持ち替える。敵が立て直す隙を与えない。壁越しに角の先にいる男達を撃った。目測で飛んだ銃弾がコンクリート製の壁を豆腐のように貫通し悲鳴が上がる。走った。角の先で腕と足を貫かれた男が二人。反射的にトリガーが引かれる寸前、勢いのまま跳躍する。男達のトリガーが引かれた時には男達の顔に足跡を刻んで通り過ぎる。続々と集まってくる足音が集合する玄関へ急ぐ。それぞれの部屋の通路が対角線上の中央で交わる構造上、常に数人の警備がいる玄関。他の部屋から駆けつけてくる戦力が廊下を出て玄関の真正面に出た瞬間撃ってきた。両腕に魔力を集中。瞬時に目の前の視点が変わる。銃撃している男達を眼科に見下ろし落下するに任せて撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。悲鳴。怒号。左手のオートマチックから吐き出される実弾は腕と足を狙い、右手のリボルバーから打ち出されるゴム弾は頭を狙う。脳震盪とムチ打ちになる男達が弾丸の中で踊る。持っていた火器が暴発して味方へ誤射しまくる。三秒の落下の内に弾を撃ち尽くして着地した。銃内部で燐光が次々に瞬き、撃ち尽くした後の薬莢を召喚で交換していく。後ろに廃棄される薬莢がカラカラと音を立てて落ちる音に合わせガシャンガシャンと音がした。左脇、階段の壁の内側から何かが飛んできた。防御方陣を展開しすぐさま距離を取る。壁が吹き飛び、内部から鈍色の全身鎧が出てきた。七教会が保有する高格外套とは別物らしい無骨な鎧がその両手に持った機関銃を乱射する。魔導が込められている弾丸。足元の味方におかまいなしの掃射。着弾地点に小さな魔導方陣が展開しその場所ごと爆砕する。瞬時に跳んで身を捻って壁を蹴る。追いかけてくる無数の弾丸の本流。壁も天井も崩れて落ちてくる中、手元のオートマチックで相手の頭を狙い打った。鎧の銃撃が体に追いつくよりも先に鎧の頭部が真後ろに弾け飛び、体が後ろへと反った。弾丸の雨が天井へと突き刺さり数秒後、屋根を割って弾丸は途切れた。

sideM(memory)

「で、今日は何処に行ってきたんですか?」
「ダメだろオレ。マガジン五本とか消費激し過ぎだオレ」
ガックリと項垂れてブツブツと呟く危ないシノミヤがイジケる夕方の喫茶店。ウェイトレスはこの頃ではすっかり見なくなったレアなシノミヤの様子を横目にストローでオレンジュースを飲む黒い少女に今日何処に行っていたのか訊いていた。
「海の底」
ウェイトレスの顔が瞬時に引きつる。
「シ、シノミヤさん。も、もしかしてそんなに追い詰められて?」
先日からシノミヤは喫茶店兼レストランバーの代金を正当に払っている。それが家計を圧迫している事は間違いなく、その問題の大本を作った張本人であるウェイトレスにとって少女の発言は冷や汗を浮かべるには十分な威力を秘めていた。
「そのあとタシネさんと帰って高いお菓子食べた」
「た、高い?! そんな、まさか本当にそこまで追い詰められて・・・」
シノミヤの狂態に今まで感じた事のない危機感を募らせながらウェイトレスは考え込む。
どう考えても一歩手前だと思えた。
何が一歩手前かなんて考えてはいけない。
海、子供、お金がないのに高級な食料を食べる、という連想ゲームの最後は『次の日、新聞に載っていた』になるのがセオリーだ。
「シ、シノミヤさんにお酒でもッ、あ、で、でも、逆に落ち込む可能性も」
オロオロしながらシノミヤの傍で励まし始めるウェイトレスだった。
「・・・・・・・・」
少女はそんな二人から視線を外してジュースをストローで飲み始めた。その時、少女の腰元で震えが奔った。少女は端末を取り出して耳に当てる。
『あ、繋がった』
「タシネさん?」
『ネコちゃん。先輩は?』
タシネが苦肉の策として少女の意思を酌んで付けたあだ名は『ネコ』と言う。
「お父さん。落ち込んでる」
『先輩。だから普通の弾でも十分だって言ったのに『もしもの時』とか言うから』
苦笑している声に少女はタシネのシノミヤへの気遣いを感じた。
『あ、それで先輩の端末が電源切られてるから連絡したんですけど、先輩は話せそうにないですか?』
「ない」
即答にタシネは声を詰まらせて、咳払いを一つした。
『そ、それじゃ、後で先輩に伝えて貰えれば』
「うん」
『拘束した人員は下部組織の末端で本隊が別にいるらしくて引き続き捜査が決定。これがまず一つ』
「うん」
『それと人外の共通項を発見。七教会の人外保護プログラムを執行してる場所に問い合わせてみたら、四人全員が知る人ぞ知る武道や魔導の達人でした。普通なら重症を負うなんて考えられないらしいと。これが二つ目』
「うん」
『後、拘束した人員が四人を襲った時、どうやら特殊な弾丸とやらを上の組織から渡されて狙撃したらしいというのが三つ目。神官は確実に組織の上と何らかの形で繋がってるみたいですと』
「うん」
『あとそれと数ヶ月前に家宅捜索された『幽(ゆう)国(こく)の士(し)』関連の資料はやはり請求しても出てこない様子ですとも』
一瞬言い淀んだタシネの言葉に少女は頷いた。
「うん。伝える」
『それじゃ、僕はこれから資料の作成があるので。では』
ブツリと端末から音声が途絶えた。
少女は端末をしまいこんでカウンターの端を見た。ウェイトレスとシノミヤがまだ先程から進展しない攻防を繰り広げていた。
「シノミヤさんッ。大丈夫です。大丈夫に決まってます!! ガッツですよ!!」
「ダメだろオレ。ブツブツブツ」
「わ、私はシノミヤさんの事、最底辺なダメ人間だなんて思ってませんから!!」
「優しい声の裏側に隠された自分の姿に絶望しまくるぞッ。こんちくしょうッッッ?!」
シノミヤが衝撃を受けた様子で更にズーンと落ち込んだ。
「そう勘繰らなくてもッ。シノミヤさんは最初から微妙にダメな部分だけが丸分かりの人種ですッ。だから、今更そんなに悩んでも何にもなりませんッ!」
「ガハッ?!」
「『返事が無い。ただの屍のようだ』ってのは君みたいな事を言うんだろう」
「ゴハッ!?」
「マスター?! トドメ刺してどうするんですか!!」
何やら楽しそうな一団に店内の他の客からは「またか」との溜息が聞こえてきそうだった。少女はそんな温かい雰囲気の店内に少しだけ笑みを零し、シノミヤの背中を独占するべく椅子から立ち上がった。

sideP(past)

世界の最後に聞いていた。
君の言葉を聴いていた。
誰が導いたのか。
共に過ごした日々。
明日を語り合った夜。
永久の契り。
全てが泡沫と消える水面の月だとしても。
それでも聞いていた。
心からの叫びを。
愛の言葉を。
二度と聞くはずの無かった別れの言葉を。
繋がれた命で。
「僕はッ・・・・僕はッッッッ!!」
未来に繋がらない道。
掌から零れ落ちたものを振り返っては果てしなく続く道。
握り締めた拳のやり場はなく。
薄暗がりで歯を砕く。
研ぎ澄まされた耳に残る声。
いずれ終わると知っていたはずなのに、その手を握り返す事もできなかった。
もう交わらない。
「ッッッ――――」
隠せない傷痕に爪を立てた。
今より世界は死に絶える。
そして、新しい世界が始まる。
だから、自分も死のうと思った。
この情けない泣き声と共に死のうと思った。
そして、創めようと誓って拳を握った
今度は守られる自分ではないように。
今度こそは君を守れる自分であるように。
「――死よッ、全てを閉ずる門よッッッ。この不甲斐ない僕を殺せッ!!」
自らの名に足そう。
「これから、此処から始まるのは僕じゃない」
決して終わらぬ決意と共に。
「ここに在るは運命に背を向けて、凶を罰する者」
そう、これからオレはそう名乗るのだ。
ただ自身の力で進み、禍々しきを罰する執行者。
「オレは―――――――――――」

雨が隠した男は死んで、雨が上がる頃に一人、男が生まれた。

sideEX(Extra)

男が一人、写真立ての中で大勢の人間に囲まれ困った笑顔を浮かべていた。
まどろみの中でウトウトとしていたからか、懐かしい昔を見た。
夜虹を外に仰ぎ見てふと自分の位置を見失う。『世界を満たす力』を呼吸しながら天蓋の下に並ぶ街の明かりを見下ろした。
周りの全てが壁も床もなく外の世界を映し出す投影機材。
本物の風景を映し出すモニター。
大陸中部東端の隔離された一区画。
その場所から続いている地下の広大な領域と巨大な天蓋。
都市の中に眠る者と外側から来る者にとっての最終防衛ライン。
境界となる場所。
そこでジッと見慣れた風景に見入った。
都市の全景を見渡せば分かる巨大な十字架の群れとビル群。
宗教建築である都市は一種の壮大な経典、絵物語としての機能を有する石碑に近い。
五十年前。
七聖女フルー・バレッサにより建造された地下城塞都市。
『至高の貧民窟』
天蓋の下に住まう、いや、在るモノ達の為に建造された都市。
並外れた力を持つモノを監視する為の機構こそが天蓋そのもの。
それを一人で見守る重圧は心地よい緊張となって今も昔日の残照のように小さな胸を疼かせてくれる。
ベッドの横、台の上に置かれた写真立て。男の片腕に抱きついている自分が未だ幼く笑っていた。もう片方に抱きつく女の顔を塗りつぶしたのはいつの事かと懐かしくなる。
「・・・・・・・・」
ベッドに体の後ろから倒れこんだ。
天蓋の外は夜。
地下からの灯りに体を炙られながら瞳を閉じた。
写真立てを片手で取っていつものようにそっと口付ける。
痛い奴だと笑う人間は笑えばいい。
それでも届かないと知って、諦められるなら、最初からそんな事はしないのだから。
瞳を開ければ、いつもの顔。
「――――――いっぱい、いっぱい成長した。もう足手まといなんて言わせない」
告げて恥ずかしくなる。
それでも告げる。
決して瞳を逸らさない。
写真だとしても、目の前にいる男に言ってやる。
「もうすぐ。もうすぐ会えるよ。きっとすぐに」
未だ発育途上だと信じて疑わない胸に写真を抱いて二度目の眠りに落ちようとして――。
『空属第三課アレシュタリ・イフマー一尉。ただちに本署第六ブロック外部ゲート総務へと出頭を要請します』
「!?ッッ、来た!!」
飛び起きた。
待っていた辞令が下る。
全てが動き出す。
誰が何と言おうとも決して妨げる事などできない。
「シノミヤ」
疾風のように翔け跳ねて、両腕に文字を浮かび上がらせる。
刹那に魔力を込められ光る手の甲の数字は0342―32453。
特務に属する者に召喚制約を解禁する魔導方陣。
目の前に発生する光の粒子を潜った先には地面。弧を描くように着地して辺りを見回した。
当然のように騒然となるカウンター内部。そして全ての声が悉く溜息に変わってスーツ姿のお役所仕事連中はいつもの様子に戻った。
「空属第三課アレシュタリ・イフマー一尉出頭いたしました!!」
カウンターの中から忙しい忙しいとブツブツ喋る声がして顔の前に辞令が突き出された。
ペライ紙を一歩下がって読破するのに一秒。
これより辞令に基づき、その任に就きます。
そんな事を言ったような言っていないような。
走り出していた。
ゲートは厳重。
しかし、その厳重なゲートの前に着くまで約三十秒。
角三十箇所、上り階段四百八十段を踏破した。
「空属第三課アレシュタリ・イフマーの権限により、ゲートを開放する」
巨大な絶壁が頭上に開いていく。
階段の終わりから巨大な通路が続く。
直線の滑走距離二百八十メートルを三秒で駆け抜け外へと飛び出した。
魔導に支えられた足が踏み切った速度は軽く床を焦がしたが構わない。
空に跳び出して下を少しだけ振り返る。
早くも閉まり始める巨大な二つの正八角形の金属板に別れを告げた。
「ふふ、あははははははは♪」
思わず零れた笑い声を置き去りにして目指す。
たった一人。
会いたくて、会いたくて会いたくて、会えなかった人を。
「シノミヤ。すぐ行くよ」
愉悦。
幼い時には分からなかった。
胸の鼓動の意味。
「伝えるから」
全てを引き連れて会いに行ける事に感動し、感涙し、歓喜して空を翔けた。
次の日、行き過ぎて大海洋で迷ったのは会いたい人には秘密にしておく事にした。
                                     
sideP(past)

縮れ吹き飛ばされていく枯葉が夜気の中で踊る。
大空には紅い月。
虚ろな風の吼え猛る声が大気を震えさせていた。
真円を描く湖には澄み渡る藍が凝り、中に魚の一つも見せない。
瞳孔の如く写る月は開かれた眼であり、同時に深淵へ続く穴。
その中心に少年が一人、波紋一つ起こす様子もなく立っていた。
彼の前には一人の女が宙に浮いている。
「これは契約」
『止めろ』
「我と貴方の契約」
『止めてくれ』
「問おう。汝の名は?」 
「僕は・・・僕の名前は」
『止まってくれ!!』
「――――」
「――――か?」
「?」
「以外に良い響きで驚いた。ふふ」
『これ以上見せるなッッッ』
「さぁ、結ぼう。この誓約により我は貴方の共となる」
「共・・・」
「そう貴方のな」
「僕は・・・」
「『死ノ宮』の者の末路ならば承知している」
「え?」
「このような出会いでなければ、貴方と我は出会わなかった。だが、出会い言葉を交わした。故に今この場へ奇跡が宿る。聖女の奇跡も魔王の力も神々の行いさえも超えたソレが此処にある」
「奇跡なんて。僕は、僕なんかッ」
女に抱きとめられた少年は泣いていた。
「人の世の無常ならば承知している。一人ゆえの孤独など神にもある。広大無比の神魔とて明日の事など解らぬ。だから、今この時の奇跡ぐらい、信じてみる価値はある」
少年は泣いた。
泣いて泣いて死ぬほど泣いて拳を握った。
「あの『死ノ宮』にあっても愛されていたのなら、貴方はこれからの全てに必ず立ち向かえる。それが滅び枯れゆく人ならば尚の事な。もしも、立ち止まりそうになったなら、我が胸くらいは貸してやれる」
「あ、ありがとう」
「ふふ、ん―――――」
「んふぁ―――ッ?!」
「―――ふぅ」
「な、な、なッ?!」
「礼など不要。神との誓約に必要なのは太古も未来もただ一つ。贄だけ」
「ッ」
「非力で心も弱く、罪に塗れ、愛を知る。それが人だからこそ、神は人に溺れ人を奪う。貴方の全てを我が奪い誓約と為そう。そして、貴方の全てと引き換えに我は貴方の力となろう」
「僕の力に、なる?」
「ああ、貴方の望みは我の力を使って為すがいい」
少年は女の言葉を聞いて、ためらいがちに初めての望みを口にした
「僕の話を聞いて、ほしい」
「ッ、はは、そうか。貴方はとても優しいな」
「ち、違ッ」
「違わない。貴方はとても優しく、とても良い」
「――――ぅううううう」
「そう恥ずかしがらなくともいい。ああ、それとこれからは貴方の本当の名は名乗らないようにな」
「な、何で?」
女は少し恥ずかしそうに笑って少年の耳元で囁いた。
「ふふ、貴方の名前は我と貴方だけのものになるのでな。これからはそうさな。シノミヤとでも名乗るがいい」
『ああ、そうだ。この時から、こんな時から、こんなにも』
頬に涙が伝い女の笑顔も何もかも闇に落ちた。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」5章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:35
第五章『FORTUNE TELLER』

sideEX(Extra)

なつかしい夢ばかりだ。
始まりと終わり。
自分が死んで生まれた日。
僕とオレ。
連理という言葉を初めて教えて貰ったのはいつだっただろう。
恋した日を今でも覚えている。
もう寂しくないと寄り添い教えてくれた神様の力になりたかった。
もういない人に何もしてやれない自分が悔しかった。
だから、これから自分の横にいてくれるという、その人を幸せにしたかった。
その背中に背負われるよりも預けてもらえるようになりたかった。
守られている事が悔しくて守れる自分に成りたかった。
ただ好きだった。
幸福も苦悩も後悔も懺悔も懐古も贖罪も全て身に纏った。
生涯忘れる事無き、栄光と安寧の日々。
そんな日から遠ざかって五年。
新しい仲間達に家族ができた。
もう自分には必要ないと思っていたモノがまたできてしまった。
どうしてか。
人は一人では生きていけないからか。
寂しいと思った自分の願望か。
それともただの偶然か。
解らない。
大好きな人を失った日から五年。
外侵廃理第四課所属の特務となった。
自分は誰なのか。
過去、神に捧げられた生贄の少年か。
神と契約し神を狩った神殺しの青年か。
愛する者を守れず苦悩に死んで生まれた残骸のような男か。
それとも・・・・・今、また大事な人を守れず死に掛けている愚か者か。
『―――――――――――』
「え?」
『――――――――――♪』
「何で、こんなバカな事あるわけないだろ。お前は死んだ。オレを守って死んだんだ!!」
『――――ッ、――――――?―――――』
「何だそれ・・・・。幽霊になる神とか。頭悪いだろ絶対」
『――――――――!?』
「何で怒る。それ凄い理不尽だろ。幽霊の癖に」
『――』
「酷いな。いや、いいのか。オレが自分で見る夢なら」
『――――――――!!』
「夢の中でもお前に会えるなら悪くない」
『――――――――!?』
「痛ッ、何で叩く必要がッ?! え? そんなに疲れたならとっとと来いとか」
『―――――』
「恨むわけ無いとか。そんなの本物のお前に訊かなきゃ解らないだろ。いや、そもそも許してくれるって言うのか? そんな事どうやったら死んだお前に聴ける。馬鹿、何でオレがこんな死んだお前に正論語らなきゃ」
『―――――――――――――――――――――――――』
「・・・・・・・オレはどうしたらお前を幸せしてやれる。どうしたら償ってやれる。オレは・・・・・」
「―――――――――。―――――――」
手を握られていた。
「本当にこのままお前と行けば、お前を幸せにしてやれるか?」
『―――――――――――――』
「なら、オレはどんな事をしたってお前を―――」
『――――――』
「あ・・・・・」
気付いてしまった。
『?』
怪訝な顔をされて、その顔に無垢な笑顔が重なった。
この手を待ってくれている。きっと、助けに来ると子猫みたいな真摯さと純心さで待ってくれている。
そう、確信できた。
(この手を取ればきっと幸せになれる。だが、そうすればオレはまた失う)
悲しい事があったら慰めてほしい。
(まだ、あいつの事を慰めてやってない)
怖い事があったら抱きしめてほしい。
(今、怖い思いをしていようとオレは抱きしめてやれない)
苦しい事があったら傍にいてほしい。
(オレ以外に誰が傍にいられる)
辛い事があったら励ましてほしい。
(声すら掛けてやれないオレをあいつは待ってる)
楽しい事があったら分かち合ってほしい。
(オレは満足に相手すらしてやれなかった)
必要な事はそう多くない。
(ずっと名前を付ける事すら怖がってた)
誰にでも覚えがある事。
(馬鹿だな)
生きていく為に必要なのはそんなありふれた欲望を満たしてくれる誰かだ。
(ああ、オレは馬鹿だ)
誰もが誰も心底に欲しがる。
慰めてくれる相手がいれば。
抱き締めてくれる相手がいれば。
傍にいてくれる相手がいれば。
励ましてくれる相手がいれば。
分かち合える相手がいれば。
そう思わずにはいられない。
(あいつだって、生きてそうしたかった。だから、神様の癖にオレの下に娘なんて言ってやってきた)
だというのに、それを知っていながら、大切なモノを失う恐怖から遠ざかりたいあまりに、そんなありふれた願いすら遠ざけた。
「馬鹿だな。オレ」
『――――』
「やれやれとか。やっと解ったかとか。神様の癖に人間みたいだぞ」
『――――――――』
「ああ、そうだ。あそこにはまだオレを待ってる人がいる。だから」
『――――――――――――――――?』
「―――そっちにはいけない。あの泣き虫とか行きつけの店のウェイトレスとか経験不足の後輩とか食わせ物な上司とかちょっと変わった娘とか、色々できた。連中オレがいないとどうもダメらしい」
『―――――――――――――――――』
「オレは行くよ。昔お前が教えてくれたみたいに。自分にできる限り、自分の手が届く限り、解けないようにしっかりあいつ等の手を握って」
『―――――――――――――――――』
「オレはここで止まれない」
『―――――――――――――――――』
「オレは運命に背を向けて、凶を罰する者」
『―――――――――――――――――』
「この名に誓って、オレはこれからもそうやって生きていく」
『―――――――――――――――――』
「たまには死にそうになるが、一緒に何とかやってくさ」
『―――――――――――――――――』
「心配しなくてもオレは・・・・今、幸せだ」
言って、初めて自分がそうなのだと気付く。
幸せとはそういうものだといつの日か、あの子に教えてやれる気がした。
『――――――――――――――――――――――――――――――――――そう』
離れる手は永遠の距離と時間の彼方に遠ざかっていく。
笑顔は確かにどこか悲しそうで、でも喜びに染まっている。
この手のひらは何の為にあるのか。
それを再び教えてくれた人に手を振った。
さようなら、ありがとう。
そして。
「また、いつか」
『我、汝を―――』
「ああ、見守っててくれ。きっと、飽きない日々になる」
『・・・・・本当に貴方は良い男だ。我の贄殿』
「そっちに行くまで待ってて欲しい」
昔々、幸せな家に帰った日のような笑顔で見送った。
夢はそうして醒め始める。
「さて、行くか」
融通の利かない現実とやらに教えてやろう。
誰を敵に回したのか。
今、目の前にいるのが誰なのか。
大そうな名は名乗れずとも、刻んでやろう。
「僕は、いや、オレの名は」
それは昔、生贄だった、神に喧嘩を売ると決めた、誰も守れず五年も生きた、今はただ女を取り戻しにいく男の、その誓いの名前だ。

sideN(now)

シノミヤが目を覚ますと皺くちゃの笑顔が覗き込んでいた。
「―――ッ?!」
「あら? 起きたみたいね。私達の可愛い子」
「ここは・・・・」
シノミヤが急激に戻ってくる記憶の本流に頭痛を覚えた。
覗き込んでいた老婦が顔を退け、水の入ったコップを差し出した。
「グ、グランマ?! い、いったいどうなって!?」
「死に掛けた貴方を皆が助けたの。道のど真ん中で親友と殺し合いってのも迷惑な話だわね」
シノミヤが嫌な汗を掻きながら自分の首に傷がない事を手で確認した。
「久し振りに帰ってきて早々に死に掛けるなんて弛んでるとしか思えないわね。どんな現代の荒み切った生活を満喫していたのかしら? 煙草に酒に博打に女、最後のは良いけれど、あまり感心しないわ」
老婦の微妙に痛い視線にシノミヤは横たわっていたベッドから降り、膝を付いて頭を下げた。
「久し振りです。グランマ」
「はい。いらっしゃい。話している時間は無さそうだけれどアレを取りに来たのなら此処に」
老婦がそっとシノミヤの前に手を差し出した。
手の中には金色に輝く一発の弾丸が綺羅めいていた。
弾丸の周辺には一周するように小さく文字が掘られている。
『我、愛に狂う神也』
「ティアのやつ・・・・」
シノミヤはその弾丸に彫り込まれた文字にしばし見入った。
「あの子の最後のお茶目よ。あなたがこれを送ってきた後に浮かび上がってきたの。まったく死んでも人を退屈させないわね。あの子・・・」
「ありがたく、頂いていきます」
シノミヤが弾丸をそっと受取り握りしめて、胸に当てた。
「相手の子はいるかしら? あの一緒に来た子なら適当だと思うけれど」
「いえ、あいつはオレの娘ですから」
「そう、ならこの老体で良ければお相手するわ」
「それは・・・願っても無い事です」
シノミヤが躊躇った後、頭を下げる。
「ふふ、相性があるものね。あの子程の力はないけれど、力を貸しましょう」
シノミヤが顔を上げると老婦はそっと腕を差し出した。
金色の弾丸をシノミヤが強く握り、老婆の手の上に翳した。
老婦が厳かに告げる。
「汝、誰に与し者なりや」
シノミヤが弾丸を一際強く、血が流れるほどに握り答えた。
「我、人に与し者なり」
老婦が手に落ちる滴を握り締めた。
「ならば、誓約を。他が為にこの力が使われん事を」
老婦の指の間からの血の一滴が逆戻りシノミヤの手へと融け合った。
それから数秒、シノミヤがそっと手を開いた。
そこにはもう弾丸は存在していなかった。
老婦がコロコロと笑う。
「あの子の色に染まった最後の一発。大事になさい。さあ、救いに行くのでしょう。貴方の親友なら天蓋を通っている最中みたいだから今ならまだ間に合うわよ」
シノミヤは老婆を見つめ、どうやってこれだけの恩に報いたらいいのかと瞳を閉じ、再度頭を下げた。
「必ず・・・」
「貴方は私達の愛し子ですもの。何を言っているのやら。孫に駄賃をやるのに渋る祖母がいるものですか」
シノミヤは傍らに畳まれていた血だらけのジャケットを着こみ、老婦へ微かに笑みを零し、部屋を飛び出していった。駆けだしていく若い足音に老婦は少し寂しげに笑った。
「若者は走るのが仕事。おゆきなさい。貴方の願う場所へ」
老婦が部屋の外へと歩き出し、シノミヤが駆け出した方とは真逆の廊下を歩いていく。
「さあ、老いた者は後片付けね。ヨハンいる?」
「は、グランマ」
牧師姿の男がいつの間にか背後に現れていた。
「今回遣わされたのは誰だったかしら?」
「無貌の英傑ではなかったかと」
「それにしては大人しいようだけれど、もうこの世界にいないの?」
「聖女様方が戦っていたようだと風の精から。まず間違いないかと」
「あれって確か対人戦のみに特化していませんでしたか?」
「打ち破られたようです」
「そう、それじゃ、後は召喚されてきている子だけね」
「はい。ですが、今のシノミヤの手には余るかと」
「そこをど根性とかご都合主義で突破するのが人間でしょう」
「最もです。それではこれから如何しますか?」
「そうね。とりあえず紅茶と端末を持ってきてくれるかしら」
「畏まりました」
「後、あの子は助けた?」
「はい。現在、天蓋内部で召喚に際し現れた眷属の掃討を行っているようです。外で戦っている者達の主が倒されるのも時間の問題かと」
「ま、あの子には丁度いい肩慣らしでしょう。それではこれから七教会に連絡を入れて東部全域を非常警戒態勢に移行させます。今出払っている全員に声を掛けて頂戴。私達の愛し子が戦える戦場くらい私達で作れるようにと。お願いね?」
「はッ」
老婦が突き当りの廊下の先に消え、バタンとドアの閉まる音がした。

sideM(memory)

回統世界ファルティオーナには一つの職業が存在する。
大昔には有難がられ、現代には仕事として成立するのか少し微妙な職業だ。
太古の旧古のそのまた昔。
そんな遥か以前から存在する職業。
巫女。
男性の場合でも巫として職業とできるが、現代「本職」は極端に少ない事例しか存在しない。そもそも崇めるべき神が遥か遠い過去にあるか、存在しても弱いモノしかいないというのがファルティオーナの常識であり、更には神と呼べる高位の存在が無数に消失してしまうという五十年前の大戦争前後から、全ての特殊職業的な本職巫女は廃業するに至った。
今でもポーズや形だけではなく続けているのは能力や地位や血や契約などのしがらみに縛られるような一部の「不幸」な奴ぐらいのものだ、というのがシノミヤの巫女に対して抱く感想だった。
(巫女か)
そんなシノミヤの感想など露知らず巫女が仕事に精を出していた。
お茶を啜りながら隣の黒い少女と共に視線で巫女を追っていたシノミヤは自分がここに来るまでに経験した艱難辛苦の道を思い出し苦く思った。
朝、緊急で依頼されたらしき仕事が舞い込んできて、それを吟味する間もなく、上司の「行ってくれるね? っていうか、逝ってくれるね?」という鬼気迫る顔に押し切られたのだ。
その仕事現場への道程は酷いものだった。列車に三時間、転移措置で四回の跳躍、徒歩で二時間、指定ポイントにある役所にて所定手続きを三時間、恐ろしいまでの手間を費やし移動して、やっと目的地に到達したのだ。疲労の色の濃いシノミヤに対して隣の少女は涼しい顔。
「疲れてないのか?」
コテンと少女が頭をシノミヤの肩に寄り掛からせた。
少女の脚がプルプルと小刻みに震えていた。
「やせ我慢は体によくないって知ってるか?」
少女はそう言われてもやはり顔だけは涼しいものでクテッとシノミヤに寄りかかって無言。溜息を一つ。この頃分かってきていた少女の性格にシノミヤは頭が痛い思いだった。
少女の名はまだ無い。
便宜上、『ネコ』ちゃんと呼ぶ人間はいるがそれだけだ。
そもそも少女は人間ではない。
黒い礼服を着込んだ黒髪、黒瞳のネコっぽい少女は実は神様だ。
しかも半分だけの神様だ。
後の半分は人間という変り種だ。
そんな少女に『お父さん』と呼ばれる事に慣れ始めた今日この頃、シノミヤは微妙に少女が頑固一徹な部分があると理解し始めていた。
シノミヤの意見が正しかろうともこれと決めた事は決して曲げない。付いてくるなと言っても無駄だったり、シノミヤが『お父さん』と呼ぶなと言っても、しばらく時間が空くとすぐ呼ばれてしまったりといった具合に。その代わり他の事に対する物分りは良く好奇心旺盛で何事も短期間で習得するような一面も持っている。いつの間にかデスクに置いてある大型の端末操作がプロ並みになっていた事にシノミヤが驚愕したのはつい先日の事だった。
「ほら、少し休んでろ」
頭を少し乱暴にくしゃくしゃと撫でてシノミヤは立ち上がる。
いつまでも喋っている巫女さんの肩を叩いた。
「で、いつまで続くんだ。その布教活動?」
巫女さんはシノミヤを無視した。
姿は東部で女性が神に仕える際によく使用される白と赤の袴スタイル。だが、それを着るのはどっかの訪問販売員のおばちゃんみたいな雰囲気の人間というか、そのまんまのおばちゃんだった。
中年、四十代後半の女性。
多少ふっくら(抽象的表現)した体付きと皴、彫りの深い顔立ちにパーマの掛かった頭と眼鏡。これをおばちゃんと言わずに何をおばちゃんというのか。そう誰もが言い出したくなるような模範的おばちゃんが巫女服を着ていた。
「いや~~~~、ホントに今時の若いのは急かしてや~~ね~~~ほほほほ」
通りすがりの中年女性達と盛り上がっていたおばちゃんが笑いながら頭を下げて「それでは」とスタスタ歩き出し、少女が座るベンチの横にどっかりと腰を落とす。たわむベンチに少し跳ね上げられた少女はクテッと横に傾きおばちゃんの肩に寄りかかる形になった。
「さ、それじゃ次の場所に行きましょ。公園で噂を広めた後は各家庭への訪問。これ鉄則」
「せめて十分待ってくれ」
「そう? もう疲れたの? まったくこれだから今時の若いのは」
「いや、アンタの横でグッタリしてるだろ!? もう少し休ませてやりたいんだよ!!」
「アンタ? あたしにそんな口を利く前に背負ってやろうとかいう気概はないのかねぇ。今時のはやれやれ。あ、そうだ。ほら、これ、飴ちゃん。食べなさい」
足がプルプルしている少女の口におばちゃんが棒つきのキャンディーを押し込んだ。それを少女は大人しく受け入れて、ペコッと距離を取ってお辞儀をした。
「ほほほほ、これはまたいい子ねぇ。こんな子がアンタみたいな男の子供だとは信じられないよ」
「オレはアンタみたいなのが未だにいたのが信じられない」
シノミヤは引きつった笑みでバイタリティ溢れるおばちゃんに返した。
おばちゃんはそれに大笑いに笑う。
「言うじゃないかい。そうか。確かに『外侵廃理』なんて所にいちゃ、そうそうお目に掛かれないだろうさ。アタシみたいな人間が人外にローカル宗教を布教してるところなんて」
シノミヤはおばちゃんが何者なのかを思い出し頭の痛い思いだった。
そもそもがシノミヤの上司のカワジマ二佐の知り合いがそのおばちゃんだった。
役所で出会った時の一声は「さ、手伝ってもらおうじゃないか。カワジマのとこの」だった。事前に上司から聞いていた仕事の内容はとある人物の支援。それと相手の人相風体以外聞かされていなかったシノミヤは何となく出会って言葉を聴いた瞬間から何故その仕事が自分へ割り振られたのか分かった気がした。
(嵌められた・・・・)
上司を呼び捨てにする人間+巫女服+おばちゃん+上司の朝の態度+おばちゃんの仕事=面倒な雑用を押し付けられた。という式が瞬時にシノミヤの脳内に展開され、やる気は移動だけでも半減していたというのに、更に半分以下にまで落ち込んだ。
どうしてシノミヤにそんな面倒が割り振られたのか、理由は簡単だ。
今抱えている事件の捜査が遅々として進まないからだ。
大口の人外襲撃事件を抱えているシノミヤは通常業務の方ではあまり仕事が回ってこない事になっていた。それなのに事件解決には未だ兆しは見えていない。
そんなある意味暇を持て余していたシノミヤに対して白羽の矢が立ったのは必然だった。
仕事内容が人外にローカル宗教を布教する巫女さんのサポートともなれば、多少の関連付けもできて大義名分となる。上手くいけば情報も手に入り一石二鳥。
シノミヤは知らない場所で行われた計算が透けて見えるようだった。
「七教会が他教義の宗教を保護してるのは知ってるが、これはオレ達に頼むべき仕事なのかは疑問だな」
「こっちはあんまりお天道様に顔向けできない身の上でねぇ。人外相手に布教となると時折危険な能力で追い返されたりもする。だから『外侵廃理』に頼むのさ。蛇の道は蛇って言うじゃないかい。ま、あくまで個人的に頼んだだけだからこっちから報酬は出してないけどね」
「非合法活動だな」
「あら、驚かない? カワジマも偉くなったもんだホントに。子飼いにこんな砕けた奴がいるなんて」
「上司が呼び捨てにされると複雑な気分だとだけ言っておく」
「ふふん? 可愛がってもらってるようだねぇ」
「カワジマ二佐には世話になってる身だ。あの人が人脈を維持するのに多少裏の仕事を請け負ってるのは知ってる」
「ま、そう危ない宗教でもないから、気にしなくともいいんだよ。週に一回寄り合いを持って、色んな事をしようって。サークルやそこら辺の講座みたいなもんさ。お楽しみに多少普通じゃあ手に入りにくい非合法な本とかおすそ分けするかもしれないけど」
シノミヤが汗を浮かべた。
「内容とか聞いておくべきか?」
「そう大したもんじゃない。全裸の若い男がテラテラ光ながらスポーツして」
「もういい。そういう趣味は若い男のいない場所でやってくれ」
「そうかい? ダイナミックな躍動感。光る逞しい筋肉。遥か太古に存在した女が覗いてはいけない神聖な儀式。その筋の奥様方からの売れ行きだけでビルが建つんだけどねぇ。というか、アンタも小遣い稼ぎに出て」
「勧誘しないでください。オネガイシマス」
全身に嫌な汗を掻いたシノミヤは片言で丁重に辞退して身を引いた。
「ふん。残念だ。さて、駄弁ってないで行くかねぇ。飴ちゃんもう一ついるかい?」
今まで無言で飴を舐めていた少女が棒を口から出していた。少女はおばちゃんの言葉にコクコクと頷くともう一本飴を貰い、食べ終わった棒をベンチ横の屑篭に捨てて立ち上がる。
シノミヤの服の袖が後ろからクィクィと引っ張られた。
「おばちゃん。本売ってるの?」
シノミヤは少女がおばちゃん厳選本を読んで頬を赤らめている、あるいは興味深そうにしている恐ろしい未来を想像して身震いした。
妄想を即座に打ち消して、あんな生物にならぬようにしっかり自分が教育しなければと微妙な教育パパ思考を発揮する
「とりあえず、お前にはオレが厳選した童話集を買う事が決定したので、今の会話は忘れるように」
「?」
少女は首を傾げてからコクリと頷いた。
遠くから「早くしなさい。アンタはホントにもう」というおばちゃんの声が聞こえていた。

「ここ、何か違う?」
少女の呟きにシノミヤは歩きながら返した。
「ああ、ここは人外の街だ」
メインストリート。
多くのビルにテナントが軒を連ねる普通の通りにしか見えない場所。
そこに早くも違和感を見つけ出した少女の観察眼にシノミヤは感心した。
「人外の特区指定区域。通常は資格がない人間は入れない。たぶん違和感はアレだろ」
シノミヤがビルの上を指差した。
少女が首を上げてビルの上にあるものを見つけた。
「魔導方陣?」
「外からの来客を守る為の防犯装置って、言えば聞こえはいいが・・・要は監視装置だな」
「?」
首を傾げた少女にシノミヤは簡潔に説明する。
「昔は人間と人外連中はやってやられてやり返されて争いが絶えなかった。しかも人外の寿命は長いから相手にしたら五十年なんて十年二十年前ぐらいの感覚。下手したら五年とかか。昔、自分と争ってた奴が手と手を取り合いましょうなんて言うのを本気で鵜呑みにできるお人よしはまだまだ世の中には少ないって事だ」
「・・・・・・」
シノミヤの何処か溜息を吐きそうな声を聞きながら少女はジッとそのビルの上にある小さな魔導方陣を見つめていた。

「で? なんでまた道場の前にいるんだオレ達?」
おばちゃんに付いていった先、巨大な壁が続く一帯に出たシノミヤと少女は首が痛くなるほど上を見上げていた。巨大な門の上にはシノミヤにもよく分からない文字がデカデカと掲げられていて、門の中からは血気盛んな若い男達の声が無数に響いてきていた。
「個人宅を回る前に少しテコ入れをしようと思ってねぇ。ああ、飴ちゃん。いるかい?」
少女がまたもや棒しか持っていない事を気にかけてか、おばちゃんは新しい飴を魔法のように何処からか取り出して少女に持たせた。棒を回収してイソイソとハンカチを取り出すと少女の口元を拭く。
「若い衆がアタシの事を母ちゃん連中に教えれば後から後から連絡を取りたい人が集まってくるって寸法さ」
「マジでどっかの訪問商法だな」
「人は糧だけで生きるに非ず、だよ」
おばちゃんがニヤリとした。
「七教会の聖典とか暗唱できる人間がマイナー宗教モドキで稼ぐ・・か。世も末だな」
「ほほほほほ、それこそアンタのような半分公務、いや特務の人員がサポートしてるなんて世も末だろうさ」
「ここで『違いない』とか言わないのがオレのいい所だ」
「それを公言する事こそナンセンスだがねぇ」
シノミヤの事など捨て置いておばちゃんは早足に歩き出した。門の横にある通用口へと入り潜り抜ける。
「壮観過ぎるだろ。これは」
呆れた様子でシノミヤはその光景を見つめた。
数百人以上がそこで鍛錬に励んでいた。組み手をする者、得物を使う者、只管に型を練習する者。一つのモノには囚われず武術と称せる全般の鍛錬が門の内部では行われていた。その半分以上は男性だが女性の姿も三割以上見かけられた。
(幾らなんでもこれはさすがに声掛けづら――)
おばちゃんがその中をズンズンと突っ切っていき、鍛錬中の一人に声を掛けた。
「あらあら、まあまあ、鍛錬ご苦労様。ここの道場の責任者にお会いしたいんですが、いらっしゃるかしら、ほほほほほほ」
「全然大丈夫っぽいな」
シノミヤはおばちゃんのバイタリティを前にグッタリ気味に呆れた。戦闘や捕縛に関する荒事のプロであるシノミヤが怖気づきそうな空間でまったく空気を意に介さないのはもう一種プロとして認められるだけの特殊な強さと呼べる。
「おばちゃん。楽しそう」
「ああ、視線は痛いが」
少女の言葉に同意してシノミヤはおばちゃんの後を追った。
自分達とは同種ではない生物への厳しい視線がシノミヤには殺気ぐらいにひしひしと感じられて痛かった。
無数の修練が行われている道場の巨大な庭を横切り、玄関で靴を脱ぎ、床板を鳴らしながらおばちゃんに付いて歩く事数分。畳が敷かれた部屋の襖を迷路のように行き来してその場所に辿り着いた。
「ここでお待ちください」
案内の青年が退出すると座布団が三枚敷かれていた。
どっかりと腰を下ろすおばちゃんの図太さにシノミヤは視線を逸らしてゆっくりと正座した。少女もシノミヤを見習い同じようにする。
「ほほほほ、それにしても恐ろしいぐらいの金持ちだ事」
「アンタが言うと真実に聞こえるのがオレには恐ろしい」
生活力溢れる世間のバロメーター、おばちゃんの言葉はシノミヤには民の声に聞こえた。
「でも、しょうがいないのかねぇ。七教会と自治州連合の特区への補助金の額を考えれば」
「外部とは交流が極端にないとはいえ、経済的な部分は繋がってる。品物一つ取っても外からの輸入品がわんさか店頭に並んでたぞ。血族の自立が基礎の人外連中にとってこれぐらいの施設、外部から貰ったというより、立てようと思ってたモノの費用を勝手に捻出してくれた程度の認識だろ」
「違いない」
シノミヤは反射的に反応しようとする手を押さえた。
声の主は堂々と目の前の襖から入ってきた。
黒髪で東部風の着流し姿の男だった。
「師父は一月程前から西部の病院で臥せっておられる。総師範代である私が代わりと思って頂きたい」
「あら、お若いのに関心ねぇ。それにしても師父である方にお病気でも?」
「どこぞの者とも知れぬ人間の集団に襲われたのだ。師父は戦ったが卑劣な銃口の前に倒れられた。本来ならそのような者達など決して敵わぬはずだった。後ろにいた人間の幼子を護りなどしなければ・・・」
シノミヤは雷に打たれたような気分でその話を聞いていた。
見えない計算が働いていた。
それは上司のものか。あるいは別の誰かのものか。分からない。だが、目の前にいる着流しの男はシノミヤにとって重大な手掛かりになるかもしれなかった。
シノミヤが本来追っている事件は東部で四人の人外がまったく別々に襲われた事に端を発している。その一人の弟子に間違いないとシノミヤは確信した。
「そういうわけだ。今、人間に関わっている暇はない。早々に帰られるのが良かろう」
着流しの男はまったく座る事もせずに背を向けた。
「ほほほほほ、まったく。若いというのも時には考えものねぇ」
「なんだと?」
着流しの男が眉間の皴を深くして振り返った。
おばちゃんの空気を読まない発言にシノミヤはその口を塞ぎたくなった。明らかにその発言には馬鹿にしたニュアンスが混じっていた。
「人外は確かに人間とは違う生き物。でも、同じ言葉を話し、同じ形を取り、同じ感情を持っている。人の話を訊かず、ろくな会話もせず、ただ遠ざかろうとするのは礼を欠く行為。違うかしら?」
「人間風情が、貴様らが我ら人外の血族に成してきた事を忘れてそのような」
怒気を孕んだ男の声におばちゃんは怯まない。
「五十年。あの時代から学んだ人間は共存という術を見出した。それに賛同する人外も決して少なくない。刻の流れは人を変えられる。それは同じメンタリティを持つ人外にも言えるとアタシは思っていますよ」
おばちゃんの言葉に着流しの男は沈黙して怒気を治めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・やれ」
瞬間、シノミヤの意識は狩られ「お父さん!!」と少女の声がした。

sideEX(Extra)

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ、ガッシャーン。
黒電話が取られた。
「はい。こちら第三課ディグ・バルバロス・アウトゲネス・・・・よくここの番号、いや、それよりお昼寝時を邪魔するとは不届きな。それにしても君が自分から面倒な事をするとは地界に侵攻でも再開するの? おーい。もしもし。面倒だからって声も出さないのはどうなのさ。とにかく用事? え、君ん所の部下がいなくなった? お使いでも頼んで忘れてるとかじゃなくて? 食事が用意されてない? は? おいおい。面倒だからって何でも人にやらせるのは・・・。とにかくいなくなったから探せと。それなら自分所の奴使えばいいじゃない。はぁ? 召喚してくれ? 馬鹿言うなよ。制約も守れないんじゃ、こっちで仕事にも付けやしない。それに七聖女にどやされるって。それなら自分で探せ? いや、こっちはこっちで今急がし・・・・分かったから、回線越しで呪詛っぽい欠伸を聞かせるのは止めてくれ。君の出不精症候群で殺されるなんて真っ平だ。そういえば、天使連中から一体こっちに来てるらしいって情報が。知ったことじゃないって君は。そんなだから部下からどやされるんだと僕は。分かった分かったから。欠伸で酷界の総人口を減らさないでくれ。とにかくすぐ食事ができるように部下を戻せと。たぶん、高位の召喚技能者の仕業だと思うから、後一年以内にはどうにかするって事で。君なら寝てればあっという間あっという間。はいはい。はぁ、実権握ってからの君は本当にヒキコモリ過ぎる。もう少し運動でもしないと本当にその肉体美にも影響で、あー分かった分かったって。うん。うん。神様連中の動向は君に任せる。次に会う事ができると信じてるさ。それじゃ」
カシャン。
ジリリリリリリ――。
「はい。こちら第三課ディグ・バルバロス・アウトゲ――大海洋で迷った? ちょ、どういう事。え? マジ? うん。うん。とにかく、それじゃ一旦戻って、え? そんな身勝手な。分かった、分かったから怒鳴らないでくれ。第四課の分署に問い合わせてみるから、位置情報が分かったら送る。うん。はいはい。それじゃ、シノミヤの馬鹿にはヨロシク言っておいて。それと任務は任務だからちゃんとするように。分かってる? ん、分かってるなら、あー分かったから。君の言いたい事はよく分かっ――途中で切るって・・・」
カシャン。
ジリッ。
「寝かせてくれッッッ」
カシャン。
ジッ。
「だから、今日はもう休業にして・・・・・あ・・・・フルー様。いえ、いえぇええッ、そんな、あははははは、そんなわけないじゃないですかぁー♪ え? 補助金カットなんてまたまたご冗談を、え? え? またまたご冗談を・・・あの・・・ちょ、すみませんッ。すみませんッッッ。だから、補助金カットとか僕の給料から差っ引くとか、すみませんでしたからぁあああああああああああ」
ガッシャーン。
ツーツーツーツーツーツーツーツーツーツー。

sideEX(Extra)

影を踏んでいた。
あの人の影を踏んでいた。
届かない手の代わりに影を踏んでいた。
夕暮れ時だった気がする。
そう、確か・・・願いを口にした時だ。
夕日に向かっていくあの人を追いかける事ができなかった。
止められなかった。
もう壊れてしまった関係が戻らないと知った時。
幸せが壊れてしまったのだと知った時。
この世界を呪った。
どうしてだと。なんでだと。どうして二人でなければならなかったのだと。
一人欠けただけで無くなる儚い現実を奇跡のようにもう一度と夢見ていた。
残された事が悔しくて悲しくて苦しくて怖くて切なくて痛くて。
叫んで止める事なんてできなくて。
自分の力の無さが許せなくて。
「誰か助けて」と言った。
「誰でもいいから助けて」と言った。
弱さが罪だと言うならば、自分は大罪人だった。
力ない罪人だった。
力が有ればと狂うほどに望んだ。
朝が来て、立ち上がった時、湧き上がった力。
胸を焦がす衝動に果てしなく響き始める鼓動。
変わりたかった。
幾つもの幸せが閉ざされた未来。
その先に立つ自分を変えたかった。
居なくなったその人へ届けるように吼えた。
自分の何もかも使い果たす気で力を空に撃ち放った。
それはあまりにも小さく小さく空を満たして、自分を嗤わずにはいられなかった。
全ての空を満たすだけの力が欲しかった。
遥か彼方のあの人が空を振り向くだけの力が欲しかった。
泣いて、泣いて、泣いて、涙の代わりに力を求めた。
泣いて空っぽになった分だけ力を満たす事を誓った。
いつか必ず、また出会う。
その時を迎える為に。

sideEX(Extra)

シノミヤは闇の中で目を覚ました。
体の感覚などもう無く、記憶も混濁していて、何も分からずにボンヤリとしていた。
「おか・・しいな。アンタが美人に見える」
闇の中、微かに浮かび上がる輪郭に幻覚を見て、シノミヤは今を夢のように思った。
『そうかい? アンタが随分と痛めつけられて死に掛けてるだけだと思うけどねぇ』
優しい手の甲が頬を撫でるボヤケた感触に戸惑って、シノミヤは痛覚すらも危ない状態なのだと知る。
「アンタが・・・どっかの女神に見えるなんて・・・重傷・・だな」
『そうだろうさ。肋骨三本に左鎖骨、両手両足は複雑骨折。痛覚と触覚と視覚の神経を半分以上焼かれてればねぇ』
「・・・・・・・・」
『よく頑張った。アンタ、大した男だよ。アタシが認めてやるさ。お嬢ちゃんもアタシもアンタが無意識に言った「オレだけにしろ」なんて言葉で助かったんだから』
「アイ、ツは?」
『今のところは大丈夫。疲れて眠ってるよ』
「そう・・・か」
『もう随分と永い事生きてきたが、アタシの本質(イデア)が見える人間とは本当に面白い』
「・・・・・・」
『大昔は男共に美の女神なんて言われてたが、今じゃこんなんだからねぇ。いい女の代名詞も人間になったら見つけてくれる人間はいなくて嗤うしかなかったってのに』
「・・・・・?」
『あら、アンタはアタシだけじゃない三人分も力を受けてるのかい。まったく凄いじゃないか。一人で十分なのに三人もだなんて。アンタよっぽど愛されてたんだろう』
「あ・・・・・」
『この世界から追い出された連中はこんな世界見向きもしないってのに、母性ってのは残酷なもんさ。その子もアタシもきっとアンタみたいな奴がいるから・・・』
クスクスと笑う女神がそっと抱擁してきて、シノミヤは温かさに意識を閉じた。
『あら、起きたかい? ほら、飴ちゃん。食べたら一働きしてもらうよ』
『お父・・さん』
『昔っから良い男には目が無い美の女神のお姉さんがサービスしてやろうってんだから、感謝しなさいよ』
『必ず助けるから』
『ま、アタシは暫く寝ながら世界を見守るさ』
『うん』
『腕を繋いで力を受け入れな。それでアンタは変わる。その力を押さえつけてる窮屈な体も少しだけ拡張できるはずさ』
『ん・・・あ・・は・・んく・・』
『『解放者』頼んだよ。この子の事。この世界の事。アタシは逃げたとでも言っておくれ。それじゃ、またいつか―――』
『お父さん。シノミヤさん』
闇の中、光が溢れた。

sideM(memory)

覚醒。
光、焦点のブレる瞳が世界を認識した。
星が見え始める頃合。
全身が何かに満たされていた。
自分が立っている場所を確認する。
次々に集まってくる気配を感じて辺りを見回す。
自分の背後に巨大な穴が開いていた。
光が治まると同時に中から声を聞く。
『お父さん』
その声にすぐに「悪いな」と返す。
「後で向かえにいく。先に帰ってろ。おばちゃんはどうした?」
『おばちゃん。逃げた』
「そうか。あのバイタリティならどうにか逃げ切るだろ。早めに応援を呼んでくれると助かる。送るぞ。送還!!」
コクリと頷かれる気配。
両腕に浮かび上がる魔導方陣の数字が光り輝き穴の底に光の粒子を煌かせる。
穴の底の気配が消えてから、すぐ手元に二挺の拳銃を召喚する。
「不甲斐ないなオレ。娘に助けられてちゃ世話ない」
自分を救ったのが誰かすぐに分かった。
半神である少女の力に違いなかった。
少女が神として始めて力を使ったという事がこれからどういう波紋を広げていくのか、それを考え頭が痛かったが、少女に助けられた事に喜びを覚えずにはいられなかった。
「この借りは返すぞ」
後ろを振り返ると着流しの男が穴の淵にいた。その後ろには軽く百人以上が静かに待機していて周囲は完全に包囲されていた。
「我らが蜂起すると知って探りに来た狸かと思ったが、どうやら虎だったようだな。貴様は」
「蜂起? 二佐・・・」
脱力しそうな体に力を込めた。見えない計算。誰が計算しているのか分からない見えざる手のお膳立てにもう諦め気味の溜息を吐く。
「どうでもいい。お前らをオレがぶち倒すのは以下四つの理由からだ。一つ、業務執行妨害。二つ、公務へ付く人員への暴行致死傷未遂。三つ、オレの娘を危険に晒した罪。四つ、オレの怒り。以上だ」
「ふ、ふははははははは。封結陣を張った天蓋を吹き飛ばした人間がどれほどかと思えば」
「この地域の病院に連絡入れとけ」
「人間風情がッッッ、舐めるなッッ」
着流しの男から立ち上り吹き付けてくる膨大な魔力に失笑していた。
「オレは忠告した。悪くないぞ」
両手を輝かせて即座に空間を跳ぶ。
同時に恐ろしい音量の爆発音が空を渡る。着流しの男が空を見上げているのを確認し、破裂音が木霊した。全ての者の上、超高速の「雨」が降り注ぐのを確認して、戦闘の準備を始めた。
遥か数キロ先の公園に突如として立ち上った光の粒子。その中から出た固定式榴弾砲の砲弾が道場の真上で爆発したのだ。
ボーナス支給だけで買い改良した砲弾。
一定の指定された距離で爆発し、広範囲の地上に『打撃球』と呼ばれるゴムボールの雨を降らせる。
上空二十数メートル付近で砲弾の中から飛び出たゴムボールは屋外の敵を撲殺する勢いで殴りつけ、屋内も跳ね回って確実に意識を失わせる、はずだった。
「?!」
危険を感じてすぐに地面へと空間を飛んでいた。
瞬時に上空が炎の火線で嘗め尽くされる。
魔力節約の為に最短距離の元いた場所に戻った目に映ったのは数十人からなる完全に無傷の者達。庭で未だにボムボールが跳ね回っているにも関わらずその数十人はまったく動揺した素振りも無く魔導を放っていた。倒れ付している者とは確実に一線を越える達人達。
数の多さに内心で舌打ちしながらも余裕の表情を浮かべてみせる。
「随分と御同胞が減ったみたいだな。病院に行かせなくていいのか?」
「悪いがこの程度なら十数分で目を覚ます。それまでにお前を叩き潰せばお終いだ」
着流しの男は同じ位置でまったく同じ姿勢で佇んでいた。
「逃げないと思うか?」
「ここで我らをみすみす見逃がす愚を犯せば、どれだけの被害が出るか。それが分からないほどに愚かならば、そうすればいい」
「随分剣呑だな」
肩を竦めて見せた着流しの男は唇を曲げて自嘲気味に言った。
「人間の流儀とやらに合わせているだけだ。それに人間が此処に攻撃を仕掛けたとなれば、渋っていた街の連中も同調せざるをえないだろう。あの時代の再来が始まると怯える者は多いのでな。それに・・・」
着流しの男が両腕を横に広げた。それに数十人も同調する。内部から服の腕の部分が切れてハラリと落ちた。全ての腕に異変が起きていた。腕の表面に幾筋もデタラメに亀裂が走り内部から魔力の燐光が漏れ出していた。
「人間風情に遅れを取るほど我らは遅く、ないッッ」
反応したのは経験があってこそ。
反射的に仰け反った顔の上を燐光が通っていった。前髪が持っていかれるのを見ながら空間を渡る。
穴だらけの道場の屋根の上。
退避した内心で冷や汗を掻く。
(魔力のベクトル偏向、性質も変化させる固有能力。魔力での切断。本来何に使うんだ?)
あまり近づきたくない相手だった。
近づけば確実に相手をバラバラにする燐光が腕から噴出し、拳法を瞬時に必殺の一撃に変える事が難なく予想できた。
(これを攻略する方法は・・・ッ・・・ある。攻略方法が「連中」と同じなのは気に食わないが背に腹は変えられないってな)
即座に手の内に得物を召喚。
長大な銃身を持つライフル。
光に気づいた男達が燐光を打ち放ってくるのを静かに見ながら狙撃ポイントを慎重に見極める。五体をバラバラにする燐光が殺到する中、ある一点の空間に跳んだ。次の一秒で着地し構え、スコープを覗き撃った。
自動で薬莢が排出され、次の一撃を見舞う。
一瞬、見失った男達は仲間を一人撃ち倒されながらも冷静さを保っていたが、弾道を見切った着流しの男が位置を看破し攻撃しようとしたところで固まった。
「貴様ぁあああああああああああああああ!?」
着流しの男が吼える。
その間にも三人を撃ち終えていた。更なる相手の動揺を誘うようにその場所の下へと身を低くする。
道場の門。その上に掲げられている看板。
武道家という人種にしてみれば、命の次とはいかなくとも思い入れのあるもの。
動揺が広がるのを着流しの男が治めている間にも七人目を撃ち終えている。
限界まで粘る。
一秒で照準し撃つという離れ業。
相手が動き出せば更に跳躍するつもりで両腕に魔力を込めていた。
「殺せッッ」
門の上に男達が目にも留まらぬ速さで殺到した。
二十数人以上が眼前に迫り、燐光で体を切り裂こうとした瞬間、空間を跳び何とか逃げ出す事に成功した。

『何だッ?!』
ドウッッッッッ。
溢れた音と衝撃と光にボトボトと門の上から落下して男達は悶絶するか気を失う。置き去りにされたスタングレネードが炸裂していた。
「小癪なッ。周囲散開ッ」
「反応ありません」
「反応無し」
「道場内の探索終了。いません」
次々に道場の各場所で上がる声に着流しの男は浮き上がった血管が切れるかと思う程に唇を噛んだ。
(ここで逃げるだとッッ。く、どこまで我らを侮辱すれば気が済む人間ッ?!)
「追えッッ。魔力の消費が激しい空間跳躍ならば、そう遠くにはいない。我らの意地と誇りを汚した人間を決して許すなッッ!!」

最初に布教活動をした公園に身を潜めていたシノミヤは自分が袋の鼠にされた事を悟った。公園の外側から内部へと向けられる殺気の数が大きくなっていく中、どうしたものかと溜息を吐く。
「榴弾砲の砲弾は常の如く空。召喚も使えない。弾丸は手持ちだけ。もう少し時間が稼げればなんて、さすがに都合が良過ぎるか」
いつ攻め込まれてもおかしくない状態。公園内部の更に奥の茂み。ひっそりと佇む榴弾砲の位置がバレているのだとしたら、再度満ちた魔力で砲弾を召喚して撃ったところで相手への被害はたかが知れていた。
「もうそろそろ寝てた連中も起きだす時間だな」
腕時計を見てシノミヤは頭を抱えたくなった。
「タシネ・・・・早くしろ」
端末は人外特区内部では使えない。緊急時に繋がるのは人外の施設のみ。道場に数百人以上の若者がいた事を思えば地域との繋がりは深いと考えられ、更にシノミヤが引き起こした事件を利用すれば蜂起への煽動も可能。事態は一刻を争う深刻さだった。
「・・・・・・・・・」
シノミヤは大人しく降伏した未来を想像したがバラバラになるとしか答えは出なかった。
「さっそくか」
向けられる殺気が膨らみジワジワと近づいてくるの感じて、シノミヤは移動した。茂みから茂みに行き来しながら歩いていく。
公園の中心である小さな広場。
そこへと茂みから出たシノミヤは半ば予想していた人物がそこにいる事に驚かなかった。
着流しの男が広場の中心に立っていた。
シノミヤは着流しの男の近くまで歩いていく。
「おい。蜂起なんて止めたらどうだ?」
「今更に説得か」
男の最もな言葉にシノミヤは頭をガリガリと掻く。
「オレが卑怯なのはオレの問題だろ。お前らの師父とやらを撃った連中もそうだ。人間そのものに絶望する程、今の時代はお前らには生きにくいか?」
「それで金か? 金で全ての問題が解決するのか?」
「誠意の問題だ」
着流しの男は鼻で嗤った。
「師父は幼子を守った。だがな、その時守った幼子は師父を見捨てて逃げた。もしも、その時一秒でも早く通報してさえいれば、師父はあそこまで重症となる事はなかっただろう」
「子供に何期待してんだ。怖くて逃げたって、それは責められるべき事じゃない」
「ああ、確かにお前の言う事は正しい。しかし、我らはこの数十年を生きてきて数え切れない程の悪意を身に受けてきた。今更世界が変わった。時代が変わったと言われて納得できるわけもない。それに・・・・人間は忘れる。忘却してまた繰り返す。何度でも同じ過ちを繰り返してはその度に理由を付けて誤魔化す。我らはずっと覚えているというのに・・」
シノミヤは着流しの男が見てきた時代の黒さはどれ程のものなのだろうかと思った。痛みが男の背後に見えるようだった。
「人間を信じろとは言えないが、人が少しは変わった事を認めたっていいだろ」
「変わったからなんだというのだ? そこに我らが何を思う必要がある」
「少なくともお前は暴力で何でも解決するとは思ってない。そう思ってるならオレを今すぐ細切れにしてるはずだ。蜂起した後の事だって予想は付いてるはずだろ。痛みを背負ったからって誰が得するわけでもないなんて考えればすぐに・・・」
「知った風な口を利くなッッ。貴様は我ら人外の血族が歩んできた道にどれだけの犠牲を出してきたか実感などないッッ。そんな男が我らを語るなッッ」
「お前が言う通り、人は自分が学んでないという事を学ばない。いつも時間が立てば何でも忘れる。馬鹿みたいに堅く誓った決意でさえ必ず霞む日が来る」
「ああ、そうだッッ。だから我らはッ」
「けどな。思いやる事や労わる事ぐらいある。学んでない自分を見つめて反省ぐらいする。決意が霞んだら、新しい決意をするぐらいには頑固だ。全部が全部お前が見ただけの人間だけだと思うな。それは真理でも現実でもない。お前自身が決め付ける傲慢だ」
「ッッッ」
銃を引き抜こうとして、シノミヤは自分がもうすでに無数の瞳に狙われている事を知った。
「悪く思うな。これはお前達の流儀だ」
「それに乗っかればオレには勝てるかもしれないが・・・本家本元に潰されるぞ」
「元より承知」
「なら、なんで」
「我らが立ち上がれば人外の蜂起とは見なされない。あくまで一地区の蜂起と報道されるだろう。切り離された閉鎖社会ではなくな」
「・・・・・」
「この地区にはその後必ず人への同化政策の波が押し寄せる。それは我らのような旧き世代の価値観を駆逐し、人と共に歩む導となる」
「人を憎んでるんだろ?」
「だからこそだ。それを子供達に背負わせる蛮行はやがて血族を滅ぼす。だが、滅んでも貫くべきだと思える我らは今の時代では間違っているのだろう」
「その頭でもっと先まで考えれば未来の一つぐらい、お前みたいな考えの奴にも開けるとは思えないのか?」
着流しの男は自嘲するように笑った。
「それができるなら、最初から蜂起など考えまいさ」
「最もだ」
シノミヤは銃すら取れずに拳を握り締めた。
このままなら体をバラバラにされると理解していても動けなかった。
思考だけは回転し続け答えを探る。
全ての要素を考慮に入れて、自分の未来を掴む為に考え続ける。
(死ねない。まだ、オレは)
「せめて苦しまずに逝け」
着流しの男の両腕が振りかぶられる。
腕の亀裂から突き出るように燐光が漏れ、放たれた。
時間が加速する。
思考が行き着くべき答えに向かって加速する。
死の間際。
走馬灯などよりも見なくてはならない未来をシノミヤは諦めない。
燐光がシノミヤの目前へと迫った時、周辺が光に貫かれた。
燐光が光に触れて拡散する。
「何だッ?!」
光が降り注いだ上空。
シノミヤは目撃した。
夕方になろうとしている空が翳っていた。
薄くただ広大な何か。
視認するのが難しい何かから無数の光の束が地表へと無数に降り注いだ。
光に撃ち貫かれた男達が声を上げる間さえ無く倒れ付していく。
着流しの男が光を避けつつシノミヤに向かって皮肉げな笑みを浮かべた。
「ああ、こんな馬鹿げたものに我らは成れはしない。時間を稼いだ貴様の勝ちだ人間」
光の束がやがて光の領域となっていく。
公園全てを覆い尽くす光の束の中に着流しの男は飲み込まれて倒れ付した。
「これは・・・・まさか・・・アーシュ?・・・・」
光は止み、それが降下してきた。

「シノミヤ!!」
声がした。
懐かしい声だった。
遥か過去に置き去りにした声だった。
もう二度と聞くはずのない声だった。
暮れかけた世界に光臨する広大な翼。
魔導で形作られた光の対翼。その精緻さはまるで硝子で組まれた電子回路の集積体。
翼が纏う燐光は薄い褐色。
数百メートルに渡り広がった翼に透かされて夕日はセピア色だった。
昔よりも大きくなった。
昔よりも強くなった。
一目瞭然の刻の流れに目を奪われて、翼を背負う者の姿に呆然とした。
黒の制服に褐色の外套。
靴の爪先から頭のてっぺんまでまるで柳のようにしなやかな佇まい。
細い体は何度傷ついたのか、服から除く手には大きな痕が幾つも刻まれていた。
髪は闇のように深い黒を併せ持つ金色。
瞳の中心は紅に染まっている。
「アーシュ!!」
反射的に腕を上に向かい入れるように開いていた。
降りてくる程に小さくなっていく翼。
そのまま落下してくる小さかったはずの少女を受け止めた。
「―――シノミヤッッッッ!!」
内から溢れるような喜びを表す顔を真直に見つめた。
もう十七になるはずの少女は未だに童顔だが変わっていた。
小さい時よりもスラリと伸びた背のせいか。
おとがいを片手で持ち上げてよく見る。
「綺麗になったな。アーシュ・・・」
確かな重さを片腕で実感しながら地面にそっと下ろす。
小さく微笑みかけられて気付く。
(ああ、そうか)
少女はもう立派な一人前だった。
誰よりも守られていたはずの少女が、優しい気質で荒事など決してできないと思っていた少女が、目の前で自分を救った。
自分などより強大な力を持って、完璧に仕事をこなして見せた。
その意味が胸を打つ。
昔の少女が変わってしまった事への悲しみでも、今まで少女が辿ってきた道を思っての辛さでも、そんな道を歩ませてしまったのかもしれない罪悪感でもない。
「お前もう、一人前なんだな」
少女への敬意と誇らしさが胸を打った。
「シノミヤ・・・・シノミヤッ、シノミヤッ、シノミヤシノミヤシノミヤッッッ!!」
抱きつかれて、もう離さないときつく抱きしめられて、懐古の念でどうにかなりそうだった。もう過ぎ去った日々を思い出す事などないと思っていた。それなのに一瞬で脳裏を駆ける記憶の本流は色褪せてなどいなかった。いや、昔よりもより深くより鮮明に思い出せて、矮小な自分を思い知らされるようだった。誰にも決して傷つける事も消す事もできない思い出が、過去に封じ込めた感情を浮かび上がらせる。
「助かった。ありがとう。それと、立派になった」
抱きしめ返して、気付いた。
少女は泣いていなかった。
強く、なっていた。
「うん。立派になったよ。だから来た。シノミヤを助けに来た」
少女が腕の中から離れて距離を取り、ピシリと背筋を伸ばして敬礼した。
「空属第三課アレシュタリ・イフマー一尉。只今を持って第四課東部分署に異動となりました。本日より第四課の先達としてお願い致します。シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐殿」
感情を別にしても文句のつけようがない姿。
仕事を始めたばかりの頃を思い出し、ボロボロで格好の付かない自分にできる限りの『上官』の仮面を作る。
「陸属第四課シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐だ。アレシュタリ・イフマー一尉。第四課東部分署は貴官を歓迎する」
互いの仮面が視線を交わして、崩れた。
「く、ふふ、あはは、あははは♪ 似合わないッ。シノミヤ、それ似合わないよ!」
「く、はは、ああ、そうだな。オレにはこんなの似合わないか」
互いに一頻り笑って、少女は落ち着いた途端に真面目な顔を作る。
「シノミヤ、変わった。変わってないのに変わった」
「ああ。だが、それは互いにだ」
「うん・・・」
「アーシュ。これが今の『オレ』だ」
「似合わないよ。そんなに突っ張ったシノミヤなんて」
「そうかもしれない」
「それでも、やっぱり今のシノミヤはシノミヤだ。アーシュが大好きなシノミヤだよ」
「そっか」
「あの時、シノミヤはもう帰ってこないって思ってた」
「間違っちゃいないだろ」
「うん。でも、シノミヤはここにいる。アーシュが大好きだったシノミヤはここにいる。だからいい。本当は沢山言いたい事があったけど、全部いい。だって、本当に大事なのはシノミヤが、大好きだったシノミヤがいてくれるかだったから!」
「アーシュ・・・」
「あの時、アーシュが大好きなシノミヤはいなくなったんだと思った。もう二度と会えないって絶望した。でも、もう一度会いたかったから、もう一度一緒にいたかったから」
大人びた指が差し出された。
その疵だらけの手を自分から取った。
「シノミヤ! もう足手まといじゃないよ。アレシュタリ・イフマーは今ここにいる。シノミヤを助けられるぐらいの力がある。だから・・・だから・・・」
俯いてしまった少女の手を引いて再び抱きしめた。
笑って、驚いて、感心して、過去を思って、最後には昔のように頭を撫でていた。
「泣き虫アーシュはまだ直らないか?」
「う・・ん・・・だから、シノミヤが・・・慰めてよ」
泣き声が混じる願いに頷いた。
「ああ、それはオレの仕事だ」

カラーンと店内にベルが響く。
「いらっしゃいませ。シノミヤさん。どうかしましたか?」
シノミヤがドアの前でオロオロしているのをウェイトレスは怪訝そうに見て首を傾げた。
「いや、なんつーか。今日は新しい後輩を連れてきたんだが」
「え? 新しい後輩さんですか?」
「ああ、今日来たばっかの取れたてほやほやな奴だ」
「マスターに言っておきますから値段とか気にしないでもいいですよ。ほら、入れて入れて」
「すまん。アーシュ。ここがオレの行きつけだ」
ドアを潜って入ってきた少女を見て、ウェイトレスが瞬時に固まった。オズオズと入ってきた十七歳ほどの少女はキョロキョロと辺りを見回してシノミヤに笑みを浮かべた。
「良さそうなお店。シノミヤこういうのが好き?」
「その代わり物凄く高いけどな」
「そうなんだ。ふふ」
見知らぬ少女とシノミヤの親密そうな様子にウェイトレスが顔を一瞬だけ引きつらせた。
「紹介する。この子はオレの昔の職場で預かってた子でアレシュタリ・イフマー。オレや親しい連中はアーシュって呼んでる」
シノミヤの何故だか嬉しそうな笑みにウェイトレスは更に顔が引きつりそうになるのを堪えて営業スマイルで少女に接した。
「ようこそ。シノミヤさんの席の隣でいいですか?」
「シノミヤはいつもどこに座ってる?」
「カウンターの真ん中だな」
「大人みたい」
「大人だからな」
ペコリと頭を下げたアーシュは次の瞬間にはシノミヤの方を向いていた。シノミヤはウェイトレスがいつもとは違う様子なのに気づかず、いつものカウンター席へとアーシュを伴って座った。ウェイトレスは営業スマイルを崩さず必死に平静を装って、常に隣にいるはずの少女の事について訊く。
「あの子はどうしたんですか? いつもなら一緒のはずなのに」
「今日ちょっとあって先に分署に帰した。今さっきタシネから連絡があったから、もうそろそろ着く頃だな」
「そう、ですか。その、それでアーシュちゃんはシノミヤさんとどういうご関係なんですか? 随分と親しそうですけど」
ウェイトレスの言葉にアーシュが嬉しそうにシノミヤの腕に腕を絡めた。
「シノミヤは・・・アーシュの大切な人」
「ごほッ?! アーシュッ。大人をからかうもんじゃ。ただでさえ誤解され」
「シノミヤさん?」
ゾッとシノミヤが身の毛もよだつ声にゆっくりと振り向いた。
「な、なんでしょうか。マイシスター様」
「ただでさえ、あの子の事があって怪しいシノミヤさんが更に年頃の女性に大切な人とか言われるのは何かの間違いなんですか? それともただの事実なんですか?」
「シノミヤは小さい時からアーシュの事は何でも知ってる。ね?」
訊かれもしない事実がアーシュの口から飛び出してくるにあたり、シノミヤは冷や汗も出ない有様で言い訳した。
「いや、なんていうか。昔の職場で拾ったというか。預かってた縁で」
「拾った。預かった? シノミヤさん・・・昔からあの子みたいな子を食い物に?!」
「あの子?」
アーシュが詳しく突っ込む前にシノミヤはどこからか取り出したスリッパでウェイトレスの頭を一発叩いた。
「子供の前でそのボケは止めなさい」
「痛い・・・・。悪いのはシノミヤさんじゃないですか!!」
逆ギレしたウェイトレスが今度は「なんでやねん」とばかりにトレイでシノミヤの後頭部を狙った一撃を繰り出した。
「あ、危なッ?!」
寸前でシノミヤが回避する。
「いつもいつもいつも、私が知らない内に知らない女の子と仲良くなって、しかも娘がいたかと思えば浮気とか浮気とか浮気とか、どこの誰に対しての浮気なんですか?! それにあの子の名前はまだ決まらないし、この頃は何だか不純な匂いもするし、今度はこんなに可愛い子連れてくるし、これなら前みたいに一目惚れが激しいシノミヤさんの方がまだいいです!! それにもう少し私に優しいシノミヤさんになるべきだと私は思います!!」
「ちょ、ま、止め、こ、子供の前でマジギレはどうな、危な、フルスイングトレイウェイトレスは今誰も求めてないって!!」
空気を抉り取るようなトレイを交わしつつ、呆れたマスターにオレンジジュース三つを頼んだシノミヤは防戦に徹していた。
客がドアを潜る音。
その音がゴングとばかりにプリプリ怒りながらウェイトレスはシノミヤに背を向けてドアへと向かう。
ぜいぜいと息を切らしたシノミヤにアーシュがジットリとした半眼の視線で訊いた。
「シノミヤ。娘って何?」
「ア、アーシュ?! いつからそんな目をするような子に!?」
戦慄するシノミヤをよそにズイッと身を乗り出したアーシュがシノミヤを問い詰める。
「シノミヤ。一目惚れって何?」
色々と後ろめたくはないが話して聞かせるのは恥ずかしいエピソードの数々を後輩であり昔を知る少女に知られたくないシノミヤは大人な真顔で言い聞かせるように笑った。
「うん? いや、娘というか。今、ちょっと預かってる子がいる。すぐに此処に来るはずだから紹介するぞ」
「預かってる・・・・。一緒に住んでるって事?」
「う、まぁ。詳しい事はタシネ、オレの今の後輩に聞けば分かる。とにかくお前の方が年長だから優しくしてやってくれ」
『シノミヤさん?! あの子のお姉さんまでいたんですね!!』
「今度は何だ」
そろそろ疲れてきたシノミヤが振り向くとウェイトレスが凍えるような視線でシノミヤを見つめていた。
「?」
そこまで冷たい視線を受けるいわれのないシノミヤは頭にクエスチョンマークを浮かべたが、ウェイトレスの横から歩いてくる黒い礼服に気づいた。
「今日は悪かった。お前にしんぱ・・・・・・・・」
シノミヤの思考が停止した。
半神、半人の黒い礼服の少女がそこにいた。
しかし、シノミヤはまったく予想外のその姿に声の一つも出なかった。
「お父さん」
タッタッタッと軽い足取りでいつもの如く無垢で屈託の無い笑顔で抱きついてくる少女は美しくなっていた。
比喩ではなく。
「お前・・・その姿・・・」
シノミヤが目を見開いて少女を引き剥がしマジマジと見つめる。
「お父さん。大好き」
ギュッと再度抱きしめてくる十八前後と思われる少女にシノミヤは眩暈を覚えた。それは決して少女が大人の女性に近づいた為に出てきた色香とか、屈託ない笑顔で抱きついてきた体が明らかに女性らしい身体つきを主張し始めているから、ではない。
「本当にお前か?」
コクンと少女、いや、名も無き半神の女神は頷いた。
膝まで長くなった黒髪。長くなった睫。伸びた背の為か、今まで抱きしめられていた時とは比べ物にならない圧倒的な羞恥がシノミヤを襲った。
「待て、少し待て。ちょっと離れろ」
ゆっくりと引き剥がしてシノミヤは自分を落ち着けて訊いた。
「その体どうした?」
「お父さん助けたらこうなった」
「力を使ったらそうなるのか?」
少女は首を傾げてよく分からないと首を振った。
「自分でも分からないか。タシネに検査が必要だとか言われなかったか?」
少女は首を振る。
「タシネさん。『先輩が喜びそうなので後日また検査という事でお願いします』って言ってた」
「アイツ・・・」
こめかみを押さえたシノミヤは少女を見つめた。
「とにかく、何もケガがないならいい。雑事はオレ達の仕事だ。服とかはこっちから催促して支給させるから、何か他に必要になるものがあったら言え。何とかする」
シノミヤはそう言って名も無き少女の高くなった頭を撫でた。
少女と女性の狭間に揺らぐ存在となっても中身は変わっていないらしく、少女はニコニコしながらシノミヤの片腕に抱きついていつものカウンター席に座った。
シノミヤはその時点でもう飽和する情報の波にいっぱいいっぱいになっていた。
「?」
そこでふと自分に向けられる視線に気づいた少女はアーシュに視線を向ける。
「シノミヤ。お父さんてどういう事?」
アーシュの目は据わっていた。
「あ、いや、今話してた子だ」
「さっき、アーシュの方が年長だって言ったよ」
「う、それは・・・とにかくさっき話した子だ。外見はともかくお前の方が何でも経験は豊富なはずだから、仲良くしてやってくれ」
「お父さん?」
シノミヤは少女の方を振り向いた。
「その子はアーシュ。オレの昔馴染みだ。仲良くする事。分かったか?」
コクンと少女は頷き、外見上は年下の少女に頭を下げた。
「シノミヤさん!! まさか、その子!?」
「色々あって体は成長してるが、考えてる通りだ」
「・・・・・・・・・・・・・まさか」
ウェイトレスが沈黙の最後に慄くとフラフラよろけて身を引いた。そのウェイトレスの視線がとても信じられないようなモノを見るようにシノミヤを見ていた。
「おい、待て。何か物凄っごい勘違いしてないか?」
「ね、年齢はやっぱこっちの方に限るよなぁとか。まぁ、次はもっと小さくしてみるかぁとか。今日は年上お姉さんプレイ絶好調だぜ!! ひゃっはぁあああああとか。ああ、もうシノミヤさんの事が私にはよく分からないです・・・・・・マスター、休暇一時間ください!!」
今までカウンターの中から今まで知らぬ存ぜぬと不干渉を貫いていたマスターが頷くとウェイトレスは「わぁああああああああああん」とキラキラ涙を零しながら外に続くドアを飛び出していった。
「また誤解が増えていく」
シノミヤが色々と疲れた顔でカウンターに突っ伏すると左右の席から少女達が互いに見つめ合う。
片やシノミヤの昔を知る少女。
片やシノミヤの今を知る少女。
無表情で見詰め合う二人の間に挟まれたシノミヤは更に後ろから突き刺さってくる視線を受けて「何だもう」とやけくそ気味に振り向く。
「ッッ、あ、はは、すみません」
そう言ってシノミヤは視線を前に戻した。後ろから他の客達が「どうしてくれるんじゃ? あ?」と敵意に満ちた視線を送ってきていた。もちろん、シノミヤのせいでウェイトレスがいなくなり、給仕が停止したゆえの視線だった。
「シノミヤ。教えてくれる?」
「お父さん」
同時に少女達の腕に両腕を絡め取られてシノミヤは天を仰いだ。
神様はこんな時こそ助けてくれるべきじゃないのかと思いながら・・・・・。

sideE(enemy)

巨大な壁と見紛う筋肉が盛り上がる。結果を見るより先にシュラウスは背後へと跳んでいた。爆砕する地面。
鉄槌と化した拳が地面に大穴を開けた。
その拳を放った主は人型でありながらも異様な容姿だった。
巨大な弐本のねじくれた角と極度に肥大化した筋肉。
顔や頭すら筋肉に埋もれた常世のものとは思えない姿。
鬼。
「くッ!!」
シュラウスが左腕を上に翳した。
ガチガチと金属音が響き黒く薄い盾が形成された。
盾が罅割れ発生した巨大な光がシュラウスの左側から飛来した何かを巻き込んで爆発した。
転がりながら態勢を立て直したシュラウスが見たのは爆風に巻き込まれて主の元へと戻っていく複数の槍だった。槍の主は古臭い甲冑に身を包み込んだ厳めしい顔の老人で、シュラウスに向けて再度槍を構えた。
「『笠』ッッ!!」
シュラウスが真上に両手を向けた。
分厚く発生、成長した文字通りの笠が回転、シュラウスを円錐状の光の防壁で包みこんだ。
光が発生した回る『笠』が外側からの圧力にズンッと押された。
超高密度の『燃焼素』集積体であり、完璧に制御された高エネルギーの壁を生み出している『笠』が圧力のみで押されるという事実。シュラウスの周辺環境がどんな状況になっているのか知れたようものだった。一瞬でも展開が遅れたらシュラウスは確実に丸焼きにされていたかもしれなかった。
シュラウスは眉一つ動かさず光の壁を隔てた外が攻撃の止んだ状態になる時を待つ。
『笠』に掛る圧力が微弱に緩んだ刹那、シュラウスは『笠』から発生させていた光の壁を消し、『笠』の下から脱出していた。
今までシュラウスがいた場所に鬼の拳が撃ち込まれた。
激音。
ドロドロに溶け切った地面周囲十数メートルが極大の爆撃を受けたように抉れ、周囲に破片を巻き散らす。
舌打ちし、シュラウスが反撃に転じようとした時、背後の気配に気付いて横に跳び退けた。
靴の横、車輪の如く付いた黒い『燃焼素』が瞬間的に熱量を吐き出して空気を急激に膨張、得られた加速でシュラウスは間一髪その一線をかわしていた。
視線を上げ、背後から襲撃してきた者の姿を見つける。
黒い喪服を思わせる衣装に身に纏った女が一振りのナイフを油断なく構え直した所だった。
その更に上空には禍々しい暗色系の光が、今まで見た事もない魔導方陣が展開されていて、魔導方陣の上に黒いローブ姿の術者が次の攻撃に備え、魔力を貯め込んでいた。
「『まずいな』ですか?」
喪服の女がクスクスと笑った。
自分の内心が筒抜けなのをシュラウスはまったく驚く事なく淡々と受け止める。
連携の良さと手の内を読んでいるような、息を吐かせぬ連続の攻め。
そういう事もあるかと最初から心の何処かで警戒していた。
「悪いですが手遅れです。貴方の手の内はほぼ読み切りました」
「なら、どうして私は生きている」
「貴方の魔導と反射速度は賞賛に値します。最悪の状態から態勢を立て直す方法が貴方は抜群に上手い。こちらの動きと特性を読み、常に先手を取って窮地から脱し、その際には相手の妨害すらも考慮の内に入れて動いている。防御に回った時、あそこで守りを固めていれば簡単に粉々になっていたにも関わらず、貴方は絶妙なタイミングで守りを捨てて回避した。その際に飛んでくる攻撃に対しても魔導優先で槍が飛んでこない事まで解っていた。飛んでくるならまずは強引な質量攻撃、そして脱出した際の一瞬の安堵を付いた背後からの奇襲だと」
女が目を細めて笑う。
「貴方の目算の通り。私は心を読みます。鬼の彼は不死ですし、あちらの御仁の槍はある程度槍が肉体に刺されば即死です。あちらのローブの方の魔力は無限で魔導も撃ち放題。さあ、どうします?」
事もなげに女が自分達の能力を曝した。
もはや焦土と化した教会付近の街並みに人影は無かった。
流れ落ちる汗も拭わず、シュラウスは次の一手の準備を始めた。
ガチガチと金属音が鳴り響き、全身を覆うように幾重にも黒い花弁が咲き始める。
「この都市を崩壊させる気ですか? さすがにそれは困ります」
何一つ困っていない声で女が眉を寄せて腕を組んだ。
「おい。随分人の古巣で暴れたなテロリスト」
(こんな時に!?)
不意に掛った声に思わずシュラウスは内心で毒づいていた。
振り向いて、それが都市部へと落下してくる際に出会った男。
シュラウスにとって男は、シノミヤは不確定要素以外の何物でもなかった。
「その外道達に加勢でもしに来たか?」
「ああ、加勢してやる。まだ本調子じゃないがな」
シュラウスが反応するより早く弾丸が放たれた。
女が一歩横に歩き、弾丸を避けた。
「シノミヤ・ウンセ・クォヴァ一佐。我々は仲間ですよ? ほら、ちゃんと身分証明もできます」
不思議そうな顔で女が懐から小さな手帳を出した。
それはシノミヤなど一生使わない外侵廃理の職員である事を証明するものだった。
手帳がすぐに撃ち抜かれ、女がまた弾丸を避けてから訊く。
「これは・・・・反乱ですか? 幾ら一佐とはいえ、都市への侵入者へ加勢するなんてただでは済みません。というか、済ませません。何という事でしょう。ここでシノミヤ一佐は反乱を起こし正義の隊員達の手によって粛清されてしまうのです。悲劇として語り継がれますよ。ええ」
「おい。ディグの野郎は何処だ?」
「ああ、貴方ここで何が起こっているかまだお知りじゃない。それなのに感だけで私達に戦いを挑むなんて、ホントに貴方はあの悪魔が言っていたように馬鹿なんですね」
「馬鹿って言った方が馬鹿だって後で言ってやれ」
「それは無理です。彼にも消えてもらいますから。それと今貴方が考えている事はだいたい正しいですよ。ええ、今この『至高の貧民窟』は神官と我々によって生まれ変わる途中です。もう少し驚くかと思いましたが、昔の三課も余程の魔窟なようで」
「反乱とはいい御身分だな。それと人の思考を勝手に読むのは趣味が悪いぞ。後輩」
「いいえ、それ程でも。これからは我々が正義ですからどうぞ気にせず。ああ、そうそう貴方のお子さんは立派に我々の役に立ちますよ。本来ならもう少し後で呼び出すはずでしたがあの悪魔のおかげで手間も省けました。早めに回収させて頂けた事に感謝を。ランクが落ちるとはいえ外なる神。降臨の触媒に、神を孕む聖櫃に、あるいは神々の依り代とも、何とでも使いようがあるものですから。丁重に使わせてもらいます。先輩」
シノミヤの目が細められた。
「虫唾が走る。神や神官に顎で使われながら生きてて楽しいか?」
「ええ、とても。何と言ってもこの力が最高です」
ガキュンとシノミヤの横に槍が刺さった。
「今のは警告です。次はありません。別に貴方を殺してもいいとの達しですから、大人しくしていた方が身の為です。可愛い贄さん。ふふふ・・・」
シノミヤが両手の拳銃を撃つ前に固まった。
「ちッ!?」
シノミヤを取り巻くように魔導方陣が浮かび上がっていた。
「無限の魔力で駆動するその陣の効力は今の貴方程度の力ではどうにでもなりませんよ。どうやらこの都市のトップに力を貸してもらっているようですが、全盛期の十分の一? ああ、貴方は相性が良くないとダメな方なんですか。私達からすればまったくなんて可哀そうに思えてくる能力値でしょうか」
女が身を翻した。
突如、辺りが爆発的な光に満たされる。
発光していたのはシュラウスが展開していた黒い花々だった。
次々に罅割れていく花が閃光と熱線を吐き出して砕け散っていく。
まるで攻撃性の大規模魔導方陣を連発したような暴風が瞬時に辺りを薙ぎ払い、衝撃波でシノミヤは数百メートル以上吹き飛ばされた。
衝撃波の中心でシュラウスが次々に身体の上に金属音を響かせて黒い花を咲かせていく。
熱線が相手を蒸発させるまで途切れる事なく追尾し撃ち放たれる。
やがて黒い花々が敵を追って前方の一点を向いた。
発生した全てのエネルギーが前方に集中し巨大な一線と化して何もかもを蒸発させていく。
「!?」
シュラウスが気付いた時には遅かった。
横手から衝撃波を蹴散らし、鬼が突撃を掛けていた。
薙ぎ払うように横に振られた剛腕が黒い花を砕き散らし、同時にシュラウスの体も吹き飛ばしていた。
熱線が空へと逸れ薙ぎ払う形で天蓋へと直撃、爆発させる。
「が、あああああああああああああああああああああああああ!?ッッッ」
吠えたシュラウスが渾身の力で手の中に咲かせた花を薙ぎ払ってきた腕へ向ける。しかし、花を砕け散らせる瞬間、槍が遠方から迎撃すら間に合わない速度でシュラウスを襲った。
腕に吹き飛ばされる勢いのままシュラウスは花を自分の体に向ける。
罅割れて噴出するエネルギーの圧力にシュラウスの吹き飛ぶ角度が変わり、速度が倍加する。間一髪、シュラウスは槍の直撃を避け、脇腹の薄皮一枚を切り裂かれただけに留まった。
速度を殺す事もできず吹き飛んだシュラウスの肉体がボロクズのようにバウンドしながら転がっていく。
「苛めかっこ悪いですよ。皆さん」
女の声が遠くから耳に届き、自分の肉体が辛うじてまだ戦える事を知ったシュラウスは満身の力を込めて身を起こした。
「休んでろ。それ以上やれば死ぬ」
横から掛る声にシュラウスが皮肉げな笑みを浮かべた。
「お互い様だ」
ボロボロな姿で立つシノミヤが首を鳴らした。
「そうか? なら、事実を言ってやる。お前は勝てない。オレは勝てる。以上だ」
「ふざけているなら止せ。状況が理解できないなら見ていろ。貴様の出る幕はない」
シノミヤはシュラウスの言葉に笑いを堪えて言う。
「それをオレに言うか。ああ、確かにオレも同じ立場なら同じ事を言うだろうな」
「何がおかしい。貴様に不死の化け物が倒せるか? 無限の魔力に抗えるか? 必殺の槍から身を守る方法は? 読心能力に対抗する術は? 貴様が笑えた事か」
半ば愚痴のように零れた言葉を悔いるようにシュラウスが拳を握りしめる。
「神様の力ってのは凄いよな。人間なんて箸にも棒にも引っかからない。けどな、その言葉は神の領分で、人の領分じゃない」
シノミヤが両手の拳銃を前方に構え無造作に撃った。
連続する銃撃の速度にシュラウスが目を見張った。
排出される薬莢、弾倉の周りで瞬く光の粒子、銃がデタラメな速度で移動、揺らぎながら残像を残して銃弾をばら撒き始める。
まるで手品のように、あるいは東部に伝わる千手を持つ古の神のように、現われては失せる残像の腕が増えていく信じられない光景。
シノミヤが歩き出す。
「不死の化け物なんて倒せない?」
剣が四つ、鬼の胴体を貫いていた。
「無限の魔力があるから勝てない?」
魔導方陣が凍り付いたように色を変色させ止まっていた。
「必ず殺す槍が当たれば?」
必殺の槍が二人を避けたように遠方へ着弾する。
「心が読めたからなんだって?」
女が回避もできず銃弾に踊らされていた。
「神と戦うならそんな事当たり前だろ」
シノミヤは淡々と拳銃を撃ち続ける。
弾丸内部に封じ込められていた剣が幾度も顕現し、鬼を針千本のように串刺しにしていく。
空に浮かんだ魔導方陣が各所に打ち込まれた弾丸を起点に黒く侵食され停止していく。
槍の束が幾度もシノミヤ達とは在らぬ方向に飛んでは無意味に突き刺さっていく。
女が避けるようとする間にも弾丸の嵐が撃ち込まれ続ける。
「神相手なら全部どうにかできて当たり前だ。不死だと言うなら動けなくなるまで磔にして、魔力が無限だと言うなら、魔力があっても使えなくして、攻撃が一撃必殺なら当たらないよう対策を組んで、心が読まれるなら読んでも無駄な状況に追い込む・・・・・傾向と対策。サラリーマンだってやってる」
「ッッ、なめるなッッッ!!」
喪服の女が傷ついた仲間達と合流し、鬼を盾に態勢を立て直そうとした。
莫大な光の粒子がシノミヤとシュラウスの背後に立ち上がる。
中から現れたソレにシュラウスの顔が引きつる。
「この頃半年ローンで買った。いいだろ?」
シノミヤがニヤリと笑い、銃撃を止めた。
二人の背後に見えた物に敵対した四人が一瞬で顔色を変える。
「撃て」
ボディは無骨極まりないガラクタの山を思わせ、その中央から突き出した砲塔は正に塔とも見紛う程長い。
『小丘』
大陸フォルにおいて最も初期に作られた火砲の一つ。
その砲弾の装填から発射までの間、敵の攻撃を絶え切る為に通常の火砲には考えられない超重装甲を施された最大の自走式戦略火砲。
現在、七教会が所有している最古のものですら砲弾の種類によっては街の一区画を破壊せしめる悪夢の化身。
最近現役を退いたばかりの中古品が火を噴いた。
シュラウスが耳を抑える。
大気が震え、音速を軽く超えた砲弾が鬼に突き刺さり、その五体を砕き散らし、その背後、ローブの男が張っていた魔導方陣を貫通して爆砕した。
「対神格戦闘ってのはつまり全ての超常の理を相手にするって事だ。オレが対策を怠る事なんてありえない。お前らがオレに負けてる理由はオレの力を正当に評価せず、対策を立てず、力と能力だけに頼り、侮って最初に全力で殺しにこなかった事だ。全盛期の十分の一の能力値でもお前らになら十分過ぎる」
「ば、馬鹿・・・な。我々が・・・神の力持つ『神格契約者』が・・・・負けるなど」
鬼の頭が転がり震えながらシノミヤを見上げていた。
飛んできた頭部の横をシノミヤは悠然と歩いていく。
「どんな敵とでも戦えきゃ神と戦おうなんて思わない。不死者を打倒する計略は十四通り、魔力使用を止める方法二十七通り、必殺の攻撃を回避する方法六十通り、心を読む相手への対処方法四十通り。昔からずっと手札は増やし続けてる。その程度で神が倒せるなら安いもんだろ? ま、基礎能力値が低いと塵屑同然の手札だけどな」
女と老人が辛うじて五体満足に生きているという状態でシノミヤを見上げた。
ローブの男は吹き飛ばされ、曲がった首でシノミヤを食い入るように見入る。
自分達の力に絶対の信頼があった。
どんな敵だろうと正に絶対神のような存在以外なら勝てると高を括っていた。
その奢りが脆くも崩れ去った瞬間。
敵は神殺しのエキスパート。
だが、引退して五年。
しかも、パートナーだった神を失い、神との契約すら失った、ただの人間。
俄かの再契約でどうにかなるなどありえない。どうして負ける事があろうか。
そう思っていた。
愚かにも・・・・。
四人の誰もが思う。
この男こそ自分達のような俄かの『神格契約者』とは違うのだと。
「『神格契約者』が最強の力を持ってるとか神官に唆されたか? それとも始めから勘違いでもしてたのか? 神の力を自由に使えるなら誰にも負けないとか」
苦笑するシノミヤが告げた。
「『神格契約者』と『神官』の違いは一つしかない。神に服従しているかどうかだ。そして、第三課の人間なら誰だって知ってる。神の力を自由に使える者が最強でも絶対でもない事は。三課に入る時渡されなかったか三課基本マニュアル。アレはあの馬鹿悪魔がクソ真面目に書いた唯一の文書だ。神の力だろうが何だろうが力は力に屈する。そして、絶対の力なんてのはこの世にありはしない。そんな事実しか書いてないありがたーいやつ」
「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」
「神に縛られ、神に迎合したお前らは神という限界を自分で設けた『神官』と同じだ。だから、此処で終われ」
シノミヤのオートマチックが数秒で弾倉を空にした。四つの気配は立つ事すらできずに沈黙した。
「よく倒せたな」
全身を油汗に濡らせながら沈黙していたシュラウスが辺りを見回し言った。
「昔馴染みに契約で力を貸してもらったからな。勝てて当然だ」
「よく言う。オレが勝てない者に貴様は勝った。同じ化け物にしか倒せないような連中にだ」
「オレが、いや、三課の『神格契約者』が神から受ける力はあくまで基礎能力値の向上にしか向かわない。しかも、神と対峙する為に必要な最低限の能力値だけだ。あいつらみたいに神にベッタリで神官みたいに特殊能力なんて貰ってる連中からすれば能力値では負けっぱなしだな」
「勝った人間が吐く言葉とは思えないな」
「神と対等に契約を結ぶから神に縛られず、どんな手でも使える。『神格契約者』最大の長所はそれだ」
「・・・・・・」
「神から最大限に能力を受けて制約や限界に雁字搦めにされた人間は最後に頼る力が神の力しかなくなる。だが、三課は人間としてあらゆる搦め手奇手奇策を対抗措置として持てる。どっちが勝つか問うまでもない」
「そうだとしても圧倒的に見えたが?」
「戦闘で物を言うのは魔力でも兵器でも能力でも技術でも、ましてや神の力でもない。選択枝の多さだ。勝ち負けすら時に関係ない。目的を果たす為に必要なら生死もだ。どれだけ目的を達成する為に必要な選択肢があって選べるか。今まで挙げてきたものはその選択肢の一つにしか過ぎない」
「それではあそこのまだ生きている連中も選択肢の内か?」
シュラウスが皮肉げに未だ倒れ伏しているだけの四人を見た。
一人として死んではいなかった。鬼すら能力ゆえに首がビクビクと動き、生死は一目瞭然だった。
「今のオレは第四課。逮捕拘束勾留以外はお門違いだ。トドメが刺したいなら好きにしろ。その後お前もブタ箱に送ってやる」
シノミヤは銃を腰の後ろのホルスターに戻し、シュラウスに背を向けた。
「さて、行くか」
「おい。状況の説明ぐらいはしてやる!!」
呼び止めたシュラウスにシノミヤが振り向かず破壊された天蓋を見上げながら言った。
「必要ない。それはお前の仕事じゃなくオレの元上司の仕事だ。オレの仕事はその元上司を一発ぶん殴る事と、その前に家の可愛い愛娘を取り戻しに行く事だけだ」
ダンッッと地面を蹴りつけ、魔力の翅を短い呪で生み出したシノミヤが天蓋へと跳んだ。
遥か上へと昇っていくシノミヤを眺めながらシュラウスは冷や汗を隠すように嘆息した。
「(あんな『卑怯』がまだこの時代にあるとは)」
自分よりも下に見ていた男の本当の姿にシュラウスは笑うしかなかった。
神の力は圧倒的で絶大。
人の力は卑怯で醜い。
しかし、だからこそ神の力は人に負ける事もある。
絶対ではなく不完全だからこそ、不毛な現実に屈する事なく、連綿と負け続けた先に可能性を得て、いつか全てを覆すのだ。
「(まったく、不甲斐ない)」
絶対すらも打倒してみせる不完全な人間こそが理不尽の塊なのだとシュラウスは初めて知った気がした。
「(神すら倒そうと勇んで来てみればこの有様か)」
たぶん、神すら対等に見れるそんな人間でなければ神に勝つ事など不可能なのだと、自らの驕りにシュラウスは恥入るしなかなった。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」6章
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/06/30 10:41
第六章『RECKLESS FATE』

sideEX(Extra)

魔導で出来た硝子の翅を伸ばして遥か上空から観察する。
本当なら仕事の終わった時間帯に翅を展開する事は禁止されている。
しかし、緊急時ならばいい事になっている。
緊急時、つまりは生命の危機、あるいは緊急避難、あるいは災害発生時、あるいは仲間である先輩が戦闘行動に巻き込まれている等。
その先輩が自分よりもシノミヤに仕事上信用されている事は素直に悔しく、いつか越える壁と認識していた。だが、越えるには時間が掛かり過ぎる実力を目にして、軽く越えてみせると思ってしまっていた事を内心詫びる以外無かった。
「・・・・・・・・・・・」
特務に準じる者達が使用する空間転移の魔導方陣は一般的に多くの障害があると言われている。召喚技能と呼ばれる空間転移技術体系の殆どが過去七教会に接収され、都市部での召喚には多くの制限が加えられている。学ぶのも使用するのも七教会の承認が必要であり、空間転移系の魔導を常用している人間には制限が常に付きまとう。その制限を全て受けない『無差別召喚陣』は召喚を簡単に実行できる究極の『取り寄せ』能力と言える。歩く武器庫と異名を取る者がいる程の権利。武器弾薬無制限使用権と言える『無差別召喚陣』は一見してアドバンテージとしては最強の部類に入る、と見える。しかし、実際は魔力消費量の激しさや召喚する物品の限定など多くの弱点がある。更に言えば、取り寄せる為の品を転送用の魔導方陣が置かれた安置場所へと置いておかなければならない為、武器弾薬の限界は必ずある。相手から見たら無制限の武器弾薬を扱う特務人員だが、武装を無制限に使用できるわけではないのだ。
銃器が人よりも多量に持てる程度の認識が実は一番正し―――。
ドーン。
とりあえずそんな理由がある為、特務といえども巨大兵器などの大型武装は誰も使おうとは思わない。使う人間がいたとすれば、かなり面倒な書類・手続き・検査・維持・管理・コスト諸々に泣く事になる。
そんな事で苦労していた人を知っている故に、その光景はある意味その人が見れば『夢だな』と呟くのが幻覚でも聞えてきそうだった。
ドーン。
ドーン。
ドカーン。
キュイィイイイイイイイイイイイイ、チュドッッッッ。
超重量級追加装甲式機動戦略火砲。
ようは超最新式FOA重工業製の『小丘』。
定価未定。
それどころかロールアウト寸前でまだ市場に出回っていない。更に言うなら通常の七教会の何処にも配属されていない、カタログに能力が記載されているだけという代物。
カタログスペックを知っていてすら、その光景はあまりにも一方的だった。
その黒光りする丘の如きモノが猛威を振るっていた。
相手は神の支援を受けた『神官』数十人。
通常ならば、七教会が有する高格外套二個大隊が出張って拮抗するかどうかの戦力。
そんな戦力が弄ばれているような錯覚を受ける有様になっていた。。
相手の攻撃は多種多様。
魔力駆動系、概念干渉系、法則干渉系、因果干渉系。
基本の四種の全て。
更に魔導そのものが限りなく源流に近い。
小さな都市なら数秒で灰にできそうな攻撃が、明らかに劣勢の苦し紛れになっていた。
黒い丘と見紛うボディから突き出す砲塔。
あまりにも鈍い砲撃。
当たるはずが無い。
誰もがそう思っていたに違いなかった。
でも、現実はまったくの逆で。
重力だろうが真空だろうが火炎だろうが電撃だろうが質量攻撃だろうが空間切断だろうが物理法則変更による物質干渉だろうが、全ての攻撃に対し傷一つ付かない装甲が攻撃を受け切り、反撃で精密に照準、神官達の防御方陣が砲撃でごっそりと剥ぎ取られていく。
魔導方陣が無数、装甲の上部に浮かび上がり、一切の容赦加減なくエネルギーを掃射した。レーザーなのか。それとも魔力による火線なのか。
極大の熱線が限り無く掃射され、辺りは焼け野原、にすらなっていなかった。
熱線が曲がる。追尾性能を付加され、相殺が終わるまでは相手を追い続ける。
「・・・・・・・・」
人間には体力というものがある。
神官と呼ばれる人間を半分以上止めている人間ですら魔力の限り、魔力制御の限界、防御、攻撃に回す出力の上限というものが必ずある。
それらを上回る攻撃を受ければ消耗せざるを得ない。
休む必要も無い機械に人間が駆逐されていく様はもう虐殺の前段階だった。
体力、魔力が消耗せずとも、精神が、魔力の制御が、いつか限界を迎える。
見えた勝負の只中で、砲塔の根元に腰掛けて、キーボードを打っている姿には何の感情も読み取れなかった。ただ、無感動にキーボードが打たれる。
攻撃を最適化。
防御を最適化。
相手の特性、数値を入力。
相手の魔導のデータを検索。
神官達の決死の魔導が自分から三メートルも離れていない魔導方陣に防がれている状況下で平然とキーボードが打てる神経、まず信じられない光景だった。
その「戦闘」ではない「作業」が敵を追い詰めている事に哀愁すら感じた。
タシネ・エスビ。
シノミヤ・ウンセ・クォヴァ曰く経験の足りない後輩。
自分にとっては優しい好青年の先輩。
実力不足と評判の好青年はたた神官達が動かなくなるまで「作業」し続けていた。

「人間らしく戦ってなどやらない。何故ならお前等は悪だからだ。僕はお前等を拒絶する。何故ならお前等と僕は闘ってるわけじゃないからだ。お前等が人間を止めた時から僕はお前等を人間として扱う事を止めた」
自分で言ってみて、まるで今の自分とは噛みあわない事に苦笑した。
「とか、先輩なら嫌がると思いますか?」
空から降りてきた後輩に問い掛けて、少し不味いものを見られたと頭を掻いた。
「タシネさん・・・・」
フワフワと硝子の翅で滞空する複雑そうな顔の後輩の少女に苦笑いで答える。
「僕の家って実はFOAテスタメントの会長職を歴代で委任されてるので、こういうのがすぐにサンプルで贈られてくるというか。あ、先輩には内緒で」
「タシネさんは・・・どうして外侵廃理に?」
答え難い問いが直球で来るのは少女を育てた親の影響かもしれないと微笑ましく思う。
「昔々、神官に誘拐された男の子が酷い目に合いました。男の子は裕福な家庭に生まれたので狙われてしまったのです。男の子は助けてもらった後、思いました。ああ、人間を止めた人間が許せない。男の子はそんな悪党を懲らしめる人間になる事を決め、その通りの人間になりました」
何とも言えない顔で見つめてくる顔にポリポリと頬を掻く。
「男の子は自分の望む仕事に就き、一人の先輩に出会います。仕事上の先輩であるその人を最初男の子は侮っていましたが、実際は男の子が思うよりもずっと、その先輩は強く、更には人を変える力があったのでした。その先輩の生き方に憧れた男の子はそれから昇進もせず、先輩に付いていく事に決め、人生を棒に振ってしまいましたとさ。お終い」
おどけてみせて、やはり複雑そうな表情の少女の変化は薄く。
頭を掻いた。
「先輩は僕の憧れで、僕の目標です。だから、あの人が、シノミヤ・ウンセ・クォヴァが居る限り、僕はこの四課であの人をいつか超える為に追いかけ続ける。貴女と同じですよ。アーシュさん」
「・・・・・・・シノミヤが今どこにいるか知ってるなら教えてください」
当然の疑問に答えるべきか悩み、すぐに回答は出た。
「それは言えません。きっと先輩がそれを望みませんから」
強く唇を噛む少女に何と言うべきかすぐに決まった。
「先輩が貴女の力を必要とする時が来れば連絡は必ず。今夜は分署の仮眠室が開いてると思うので、そっちで待ってる事をお勧めします」
「・・・一人前だって言ったのに・・・」
何処か泣きそうになっている少女の呟きを聞かなかった事にして、後方の召喚物品の安置倉庫に視線を向けた。
「僕はこれからここを死守します。神官が分署の方を襲う事は事態の進捗状況から見てほぼ無いはずですけど、気を付けて。まだカワジマ二佐が詰めてるはずです。事の詳細が訊きたい場合はそっちの方で」
袖でゴシゴシと目元を拭った少女の顔がもう仕事をする人間のものに戻っている事に羨望とも嫉妬とも付かない感情を感じた。
シノミヤという存在の傍にいる為必要とされる強さ。
少女が自分の追い求めるソレの一端を持つのだろうと少しだけ頼もしく思う。
「「武運を」」
敬礼を軽くして、キーボードを打ちながら『小丘』のメンテナンスを始める。
互いに語る事はもう尽きていた。
翅が飛翔する涼やかな風切り音が世闇を切り裂いていった。

sideE(enemy)

『贄殿にも扱い易そうな武器を持ってきた。ふふ、どうだ?』
『?』
『おい。そこの馬鹿女神。子供に何持たせる気だ!!』
『何って武器に間違いないが?』
『ちょっと待てッ、銃器なんて許可制の癖に役不足な武装で神に太刀打ちできるわけ』
『ふふん。だから子供は。可愛い贄殿に可愛い武器。似合い過ぎるではないか』
『そういう理由と基準なのか?!』
『それに我の力を込めるのだからそんなの関係ないだろうに』
『あの・・・』
『お前は黙ってろ!!』
『痛い・・・』
『我の贄殿に何たる所業!? 天罰的なものを落とす事止む無し』
『ガゴォオオオオオンとかッ?! 殺す気か!! 明らかにタライの音じゃねぇぞテメェ!!』
『避けたか。ふ、無知とは哀れ。これが最新式FOA重工業製超合金タライ!! この間通販で買ったばかりの二百年使ってもだいじょーぶな二百キロ級の品だ!!』
『タライの癖に何キロ!! いや、それよりも何に使う気だテメェ!!』
『高尚な神の考えが子供に理解できるわけもなく。さ、贄殿。これからさっそく訓練しに行かねばな。我が手取り足とり教えよう』
『何教える気だ!? そもそも銃なんかお前使えるのか?!』
『まったくこれだから子供は。男女の間に割って入る程に無粋なものがないと知らない。そんな事では将来契る相手に嫌われるぞ?』
『子供に何言っちゃってるのこの人?! マジでこれが黄昏の女神なのかとオレは訊きたい・・・』
『言っておくぞ。これから贄殿は強くなる。きっと誰よりも、この我すら感嘆する程の男になる。それを我は手助けしているに過ぎない。いつかお前にも解るだろう』
『・・・・・そんな性格でやってけると思ってるのか? というか、女の後ろに隠れるな!? お前ホントに男か!?』
『ご、ごめ』
『天罰的なものぱーとつー』
『ゴッファアアアアア?! か、角材?!』
『手加減にゲバ棒で勘弁してやる我の寛大な心に感謝するのだな』
『角材は犯罪だ!! この女郎!?』
『ぱーとすりー』
ドグォオオオオオオオオオオオン。
『だ、だいじょ――』
『さあ、贄殿。貴方の見つめる世界を教えよう。我が、この黄昏の女神が、全霊を持って』
『お前らとっとと出てけえええええええ!!』

「――――――クソが・・・」

焼け焦げた絶壁の階段。
そんな場所にすら思い出があった。
落下訓練と称して命がけで遊ばされた。
三人でいた頃、どんな危難も最後は必ず何とかなった。
今はもう、その頃の気持ちが思い出せない。
失ったものばかりが大きく、惰性のような生に生き飽いたからか。
色を失った世界にはただ闇ばかりが黒かった。
「お父さんの事。知ってる?」
横を歩く少女。
外なる神々の一人。
まるであの女神を彷彿とさせる姿に怒りとも郷愁とも付かない感情が湧き上がり、何かを殴りつけたい衝動に駆られた。
「ああ、オレとあの馬鹿は幼馴染だ」
「お父さんの事。嫌い?」
「大嫌いだ」
「本当?」
「あの馬鹿は女一人守れず逃げ出した最低のクソだ。葬儀すら顔も出さず出て行きやがった最低の人間だ」
「・・・・その人誰?」
核心。誰が最低なのかではなく、その女は誰で誰の葬儀だったのか。
無垢な瞳で訊かれて、とっさには言葉が出てこなかった。
その瞳が自分の知る者と重なる事に腹立たしささえ覚える。
「代用品のお前が知る必要はない。こうもあっさりお前が手に入ったせいで計画は変更、こっちはいい迷惑だ」
階段の先に扉が見えてきていた。

sideEX(Extra)

絶壁の最上段。
鉄製のドアが開き、閉まった。
音を聞きながら、ディグ・バルバロス・アウトゲネスは戦っていた。
絶壁の真横で。
まるで薄布で隔てられたような世界。
白と黒に塗り分けられたモノクロの世界。
ずっと現実世界を見続けながら、ディグは自問せずにはいられなかった。
「どうして人は夢を見るんだろ。あんな事したってアイツが帰ってくるわけないってのにさ」
ドアの先へと少女を連れ立ち歩いて行った男の思い。
致命的な部分でその思いが壊れていた事を見抜けなかった自分の不甲斐なさ。
諸々を愚痴るようにディグは独り言を漏らす。
「せいぜい帰ってくるのはこんな連中ばっかりだっていうのに」
宙に浮いたディグの周囲から黒い何かが滲んで取り囲んでいた。
化け物達。
人型でありながら、醜悪さと神々しさを同時に併せ持つ意思宿す何か。
この世の何より醜く同時に美しい。
有機的でありながら鎧のように硬質な体から発される瘴気がジワジワと世界を溶かすように、黒く染めていた。
「神だって夢を見るってあの馬鹿女神は言ってたけど、お前らはどうなの?」
人型達は答えず、その腕に各々の武器を顕現させた。
絶望的な気分にディグは襲われた。
神という存在が発する力。
高度な領域を司る神という存在が悪意を持った時、『全て』が神の支配下となり、そうなるべくしてなる。そう流されていく。まるで水が低きに流れていくように神という存在に都合がいいように全て変えられていく。
まず勝ち目などないという現実が実ろうとしていた。
「ホント、嫌になる」
ディグが愚痴る。
「お前らみたいなのが我慢できなくて僕はこんな仕事に就いた。それなのに、僕はお前らがこの世界に来る事を止められなかった。大悪魔なんて言っても神に勝てる奴なんて中々いない。それでなくても僕はいっつも貧乏くじで力の大半がもうない。終いには長年一緒にやってきた馬鹿が死んで、気にいってた連中は一家離散状態。やってられないよ」
人型達が矮小な悪魔へトドメを刺そうと突撃した。
存在自体がもはや邪悪。
生物ではなくもはや現象。
概念的な存在でありながら現実に干渉しうる実態を持つモノ。
邪神。
「僕なんかよりずっと歳のいったアイツが消えたなんて、死んだなんて今でも冗談じゃないかって思ってる。でも、現実なんだよ。やってられないのに・・・・」
ディグの感傷的な独白が続く中、邪神達は突撃しながら奇妙な自分達の状態にすら気付けずにいた。
「アイツが言ってたんだ。三課は家族だって。家族は永遠に家族だって。死んでも生きてても、世界の果てと果てで二度と会えなくなっても、変わり果てて好きだった時の面影が無くなっても、家族はいつでも家族だって。掛け替えのないものだって、言ってたんだ」
いつまでたっても体が前に進み切らない。進んでいるのに近づかない。何かが狂い始めていて、しかし、邪神達は何も理解できずにいた。
「僕は今三課の為に、家族の為に全てを尽くそう。だから、職権の乱用くらいはするよ。また、あの道化な聖女にいびられるとしても・・・・」
未だ突撃し続ける邪神達にディグが普通の速度で虚空を歩き近付いた。
邪神達はただ突撃していた。何もできずに永遠に進み続ける突撃を行っていた。永遠に終わらない突撃しか邪神達には許されていなかった。
「解析終了。本格的に記述へ入ろう」
ディグが陰りのある顔を一変させた。
その左の瞳が×の形に割れ、極小の正方形に整えられたクリスタルが無数に覗いた。
まるで道化のようにディグが語り始める。
「さて、邪神の皆様方。特別講義の時間です。今回のお題は天蓋について。何故、この神住まう都市の上に天蓋などというものを聖女は創ったのだと皆さんは思いますか?」
邪神達は答えない。答えられない。
「答は聞くまでもなく」
嗤いが響く。
「神を滅ぼす事のできる場所、処刑場を作っておきたかったからです。どんな特性を持っていようが、どんな理不尽な力を持っていようが、万全な状態の天蓋内部では理不尽な思いをする事になるでしょう」
ディグがバスの添乗員のように謳い文句を紡ぐ。
「ああ、何という事でしょう。皆さんは非常に運がいい。今日はその『機能の内の一つ』を体感して頂きましょう。聖女曰く、人の手による人造領域の傑作――『悲愴戰域』」
邪神達は何も意識する事なく、ディグが元居た場所へとただ突撃し続ける。
突撃しているのにも関わらず届かない。
止まっているわけでもなく、意識がないわけでもないのに、現実が進まない。
そんな奇妙な現実。
ふざけた声が解説し始める。
「皆さんは今、全ての事象を自動で解析し『神の言葉』によって記述するこの『神の目』に特定の事象を「止揚」の状態で留め置かれています」
ディグが邪神達を振り返りニコヤカに告げる。
「つまり、決して事象が次へと進まないという事。それを維持し続けるこの領域。皆さんもさすがに概念上の変化を留められていたらどうしようもありませんよね? 何せ、見かけ上は止まっていても皆さん自体は現在進行形で進んでいる『最中』なんですから」
絶壁に一つドアが浮かび上がり、その横シュラウスが創った巨大な横穴が見る間に修復されていった。
「それにしてもあの聖女も人が悪いと思いませんか。天蓋なんて言っても結局、僕という守人を神にとっての死神に仕立て上げる道具に過ぎない。魔王戦に使用する都市構造の試作品。余りモノに組み込まれるのは僕としてもあんまりだと思うわけです」
愚痴る様子も道化のようにディグがドアを開けた。
「永遠にテーゼへ行きつかないまま、どうぞお寛ぎください」
邪神達はただ何もない虚空へと突撃し続ける。
「では」
パタンと扉が閉まった。
扉の中、一人紳士が立っていた。
シノミヤに串刺しにされていたはずの紳士が慇懃無礼に礼をしてディグを出迎えた。
「どうやら昔よりも強くなったようで安心しました『国父』」
「それなんて皮肉? 君の十分の一にも満たない今の魔力で強いも何もないと思うけど」
ディグが視線を逸らし非常灯に照らされた薄暗い廊下を歩いていく。後ろに付き従う紳士が胸を飛び出した剣をそのままに笑う。
「『自生型』派、最古である貴方が行き着いた答。人と和する道は賞賛に値すると思いますが」
「道具に成り下がったの間違いじゃない」
ディグの自嘲に紳士が首を振る。
「よく人が言うように人は一人では生きられない。いえ、どちらかというと一人では成り立たないというのが正しいのでしょうか。ですが、我々は強大であるゆえに一人で成り立ってしまう。それは他者が要らないという事だ。だから、我々は他人との間に在るべき関係性を持たず何処にあろうと『異邦人』としか見られない。しかし、貴方は、貴方だけは違うように見える。人に和し、人を愛す、その姿、我々と同類と誰が見るものか・・・・」
「老人連中の中でやってくのが嫌になった。そう、それだけの話さ。甲斐被り過ぎだよ」
「いつか我々もそうなるべきなのかもしれません。貴方が最初に名乗り、後世の者達がその名を名乗ったように。貴方がこんな風に生きられるのなら決して不可能ではないと、私にはそう思えます」
紳士が厳かに名を呼んだ。
「ディグ・バルバロス・シン・アウトゲネス・パテル・パトリアエ」
「もうそんな名前誰も覚えてない。消えていく神の名と同じように」
「神代の魔王よ。全てを始めた貴方の名が刻の彼方に消えるとすれば、それはこの世が終わった時でしょう」
「そんな名前が・・・この世界を不幸の底に落としめた」
ディグが小さく呟いた。
「それが・・・貴方がこの世界を救い続ける理由ですか?」
「今はただの中間管理職。それが僕ディグ・バルバロス・アウトゲネスさ。救うだなんておこがましいのは聖女の仕事であって僕の領分じゃない」
「・・・・・・・・解りました。そういう事にしておきましょう」
紳士が、原初にして最古、始まりの魔王に苦笑しながら頷いた。
「ところであの若者に事情を説明しなくていいのですか?」
遥か下から駆け昇ってくる気配を感じて紳士が首を傾げた。
「馬鹿は死んだって治らない。不治の患者は僕の管轄じゃない。それに」
「それに?」
「僕は信じてる」
「何を?」
「決まってる。馬鹿が何もかも覆す事をさ」
「何もかも・・・・」
「アイツは全てを平らげる最終兵器。あの馬鹿女神がこの世界に掛けた最後の呪。輝かしき呪」
「あの御仁はそこまでの?」
「何も能力技術とかじゃない。アイツはきっとそれが受け入れられないなら運命すらも禍すらも罰そうとする。アイツは聖女も魔王も神々すらも届かないソレにすら立ち向かっていく最後の希望、あるいは無思慮で無遠慮な『無謀なる愚か者』だ」
「・・・・・ならば結末は決まっているのかもしれません」
「さぁ、ね?」
もう二人の間に言葉が交わされる事はなかった。

sideEX(Extra)

「カワジマさん。お久しぶりです」
「・・・・ハティア様」
誰もいないガランとした分署本部スチール製の業務机の上でカワジマが顔を上げた。
片や外侵廃理第四課東部分署総括カワジマ二佐。
片や七教会七つの頂点の一つ七聖女ハティア・ウェスティアリア。
音も無く表れたその遥か天上の位にいるハティアに驚いた様子もなく、冷めた瞳でカワジマは再び書類に視線を落とす。
「すいませんが今はこの書類を書きあげなければならないので後日お越しください」
サラリと、自分の首を飛ばせる人間を袖にしたカワジマにハティアが苦笑しながら自分の非礼を謝罪した。
「すいません。でも、話して頂けるならその手の下にある書類を何枚も書くより確実な支援をお約束します」
ハティアの申し出にカワジマが書類を書く手を止める。
「今、外侵廃理に起こっている事の全容を教えてください。フルーが今回の事件に絡んでます。今ならまだ被害が最小限の内なら私が最後の一線を守る事は可能です」
カワジマがしばし沈思黙考した。
書類がそっと脇に避けられる。
机の二段目の引き出しからそっと写真が数枚取り出され、机の上に広げられた。
「これは・・・・?」
「今回の事件の全容は未だこちらにも測りかねる部分が多く、これだけしか確証は集まりませんでした」
ハティアが写真の内の一枚を取り上げて、驚きに固まった。
「そもそも、今回の事件は数か月前から連続して起こっている複数の事案に起因していると思われます。人外の四種族に関連して起こった襲撃事件、応永地方でのフォルトゥナ・レギアによるテロ、テロ以降第三課が行った大規模人員整理、そして人外の祖たる神の降臨」
ハティアが手にした写真に写る肉の塊としか見えないソレに瞳を細めて訊いた。
「これを何処で?」
「うちの人員を調査に向かわせた場所で発見しました。気配を完全に隠蔽する結界の内で成長していたソレ自体は処分しましたが事実関係は闇の中です」
「報告が上がってきてないのはカワジマさんのところで報告を止めたからですか?」
「あの応永地方でのテロの時、観測機器が完全に破壊される程の反応があった。それにも関わらず七教会上層部は事実を隠蔽した。それはいい。しかし、残骸がここまで成長する事を予測していなかった。いや、していても情報を下ろしてこなかった。この事実は重い」
「私達や七教会の秘密主義をカワジマさんがよく思ってないのは知ってます。でも、それは」
「この世界の運営に必要不可欠な事項、ですか?」
「事実、現実、真実、それらは全て別のものです。真実を求め、現実にぶつかり、事実の重さに絶望する。それ自体は構いません。けれど、それでは世界が回らない。フルーはそれを知ってます」
「嘘がやがて世界を滅ぼすとしても続けますか?」
「嘘が世界を救うんだと私の仲間は信じてます。嘘の是非はともかく、誰かの為の嘘なら幾らか目を瞑る事、許す事は必要なはずです」
静かな応酬に溜息を付いて、カワジマが写真の一枚を拾い上げる。
「・・・・・・・・人外の襲撃事件。捜査を五課から依頼された時、違和感を感じて幾つかのルートで調べさせました。調べたところ三課が関わっている事が判明。何処から情報を仕入れていたのか、三課は人外が襲撃される事を事前に知っていた。そして、その警固に当たらせる為に助成金の一部を流用し『工房』から何でも屋を雇っていた。三課を与る彼にコンタクトを取りましたが全て無視されました。どうして三課が情報を得る事ができたのか。そもそもどうして外部の人間を使う事にしたのか。その時点では何も解らなかった」
痩身でメガネの男の写真が一枚机の上に置かれる。
「人員整理に付いては前から知っていました。しかし、この疑惑が出てきた時点で不自然な点を洗いだしたところ、三課が人員整理で課の外に放った人間には特定の行動傾向があった」
「共通点ですか?」
カワジマが頷き、写真の一枚をハティアに差し出す。
「全員が七教会の各部署に万遍なく再配置され、同期だった人間と異動先で接触を持っていた。三課が行った意図的な組織の掌握措置の一環だとすれば、反乱もありえるかと。そう勘繰りもしました」
「でも、そうじゃなかった?」
カワジマがそっと煙草を取り出した。
「人員整理の最終便でこっちに来た人間から手紙を貰いました。『ケジメは付ける。黙って見ていろ』こちらが調べている事はあちらに全て筒抜けになっていた」
ハティアが写真を見つめる。
大勢の人間が集まる集合写真。橙色の衣を纏った女と黒金の髪をした少女が黒ずくめの困り顔な少年の手を両方から取り、誰もが囃子立てている写真だった。
「三課の状態を書類上で調べてみて驚きました。五年前を契機に三課の主要メンバーの殆どは課を離れ、別の部署に異動となっていた。それに伴い新しく増えていた人員は書類審査で灰色な者が多数。最盛期の三課からすれば目も当てられない状況だ。五課も薄々気付いていたらしく、詳細な情報をこちらに渡してきた。内部点検に必要な戦力を貸して欲しいと泣きつかれました。三課はもはや魔窟を通り越して完全に神官の巣窟と化している可能性が高いと五課も解っていた」
「だから、人外の襲撃事件の情報も事前に知っていた? でも、それって」
「三課のまとめ役である彼だけは取り込まれていなかった。そういう事です」
「神官の暴走を食い止める為に彼が『工房』に頼んだって事ですか?」
「外部にサインを出す意味合いもあった。助成金の流用もその一部かと」
「それは解りました。でも、どうして神官が人外を襲撃する必要があるのかが分かりません」
「神の降臨にはいつの時代も贄が必要。そういう事です」
スーツのポケットからカワジマが小さな石を取り出した。
渡された微かに紅みを帯びた石をハティアが電灯に翳す。
「これって『静止』の秘儀で作られた『血塊』ですか? まさか・・・・」
「ええ。人外の血で作られています。魔導源流の中でも人外に伝わっているものが外なる神々の『意匠』を多用する事は?」
「はい。人外系統の源流には詳しくありませんけど一通りの知識は」
険しい顔でハティアが石の内部に凝る血の色を見つめた。
「大学側と先日繋がりができたので、大学関係者に襲撃された人外四種族の関連性について意見を求めたところ面白い回答が得られました。大学側の教授陣が言うには大昔、外なる神によって人外の中に四つの種族が作られた。四種族は外なる神々の基礎的な構成を物質で模倣した存在だそうです。無論、神の構成を現実の生物として再構成しているわけですから劣化は避けられない。しかも遺伝子という形で伝えられている構成情報は拡散、形を常に変化させて今では痕跡を見つける方が難しい。しかし」
一端区切ったカワジマの話の見当がつき、ハティアが横あいから核心を言った。
「四種族の遺伝情報を使えば外なる神の器質を再構成する事が可能だと?」
「はい。襲撃では四種族の取り分け強い男、つまり神の器質に似通っている者が多量の血を失う形で打倒されています。調べてみれば明らかに出血量と現場の血痕の量が一致しませんでした。外なる神々を再構成するには形質的に近い血液が一定量必要なのだと推測されます」
カワジマが机の上のリモコンで大型の画面の電源を入れて煙草を口に運ぶ。
「全ての事案を俯瞰して見た時、全てが神の降臨に繋がっていた」
深く吸ったカワジマが煙草を灰皿に置いた。
「最悪、教会の唯一神と同等かそれ以上のものが来ます。まず間違いなく」
「裏付けも無しに断言できるんですか?」
「状況証拠だけでお釣りがきます。今日やっと裏付けが取れました。それをその場所で確保する事ができた」
カワジマがニュース特番のテロップを指した。
『――摘発後、このカジノには大勢の実業家、セレブが集まっていた事が発覚、更には犯罪組織のパトロンとして資金を提供していたのではないかという疑惑まで浮上して――』
画面の中には地下から続く巨大な縦穴が世闇の中でライトに照らしだされていた。
「神官の活動資金に関して捜査を進めていたところ情報を掴んだので踏み込みました。神官はパトロンに対して『自分の言う事を聞く神格を呼び出せる』石というものを売りに資金を集めていた。石を正しい手順で儀式に使えば高格外套数十人に匹敵する存在を自分の下僕にできると。たぶん神官側が本命を造る為のデータ収集目的でばら撒いていたと思われます」
「でも、この精度のものが幾らあっても本物をこちらに呼び込むのは・・・・何処かに本命の品があるはずです」
ハティアが石をカワジマに返した。
「こちらで捜索しましたが未だ発見には至っていません。有力な場所に現在五課の部隊を向かわせていますが望み薄かと。囮を出して神官共の本拠と儀式場を探していますがまだ連絡はありません」
「そうですか。それでこれからどうするつもりですか?」
「どうもしません。四課東部分署の人員は優秀だ。身内を持っていかれて黙っていられないぐらいには頑固でもある。その内全部終わらせて帰ってくるのは明白。待っている以外に選択肢はない」
「どういう事ですか?」
「ついこの間、うちに外なる神が来た事は?」
「聞いてます。こちらに居る事をフルーが承知した事も」
「三課からの要請で神と管理者を『至高の貧民窟』に送りました。これで連中のアジトが割れれば、後は事態が収束するのを待つだけです」
「な、三課に外なる神を向かわせたんですか?!」
責める口調になったハティアにカワジマが澄ました顔で言い放った。
「囮としては十分です」
「カワジマさん。やり過ぎです。今回の事は『この世界の約束事』で収まらないかもしれないんですよ」
カワジマが聖女の顔を下から覗きこんだ。
「うちの人員はこの程度の事で死ぬような鍛え方はしていない。聖女だろうとそれは侮辱にも等しい発言だ」
「・・・・・・・・・・・・・大体の事情は分かりました」
しょげた様子でハティアが視線を逸らした。
「私は私にできる事をします。必要なら幾つか部隊もお貸しします」
「必要ありませんハティア様。七教会傘下外侵廃理第四課の使命は神の降臨に関わる者の逮捕拘束。今回の件は東部で起こった。ならば、これは東部分署の業務だ」
カワジマの強い視線がハティアの横顔を捉える。
「此処に来るまでに神官を五人見つけて部隊に預けてきました。東部分署だけでどうにかなるわけないんです。被害が出てからじゃ遅い。だから・・・」
「危機を未然に防ぐのが我々の使命、使命が完遂できないならば四課に存在価値などない。それが例え自らの危機だろうとどうにかできなくてこの仕事はやっていられない」
「・・・解りました。では、こちらは勝手に準備だけでもさせてもらいます」
雲の上の人間とやりあった後だというのにカワジマはまるで変わらず、書類仕事を再開させようとペンを持ち、紙にまた目を通し始めた。昔から変わらない男の在り様にハティアは敵わないと思わずにはいられなかった。
諦めたように身を引いてハティアが部屋の外へと歩き出した。
「ハティア」
後ろから掛ったカワジマの声にハティアが止まった。
呼び捨ての、昔そう呼ばれていた頃の、その懐かしさにハティアが振り返る直前で自制した。
「僕は見つけたよ。君がいつか言っていたものを。この人生を持って背負うに値する物を。だから、そう過保護にならないでくれ。これは誰でもない僕達若い世代が越えるべき試練だ」
「・・・・自分の家族の心配をしたらダメなんですか?」
「僕はこれからも彼女の夫であの子の父だ。君は僕の義理の母でいつまでも変わらない憧れの人だ。けど、君はお節介過ぎる。そのお節介は時に人を迷わせる」
「私は・・・・・・・・」
ハティアは顔を曇らせ沈黙した。
「疵負う者がそれでも歩き続けようとするからこそ人生は面白い。見ていて欲しい。誰も負けやしない。君が創った世界で育った若者の誰が理不尽に屈するものか。僕だって同じだ」
「本当に・・・貴方には敵いません。お邪魔しました」
ドアが閉まり、夜の静寂が部屋に戻る。
駆け足の靴音が入れ違いに近づいてくるのをカワジマは天井を見上げながら聞いていた。

敵E(enemy)

白い空間に食われかけた白衣の男が一人。
骸骨と見紛う男バロト・ザーウォンは昔馴染みのその男の横にいるティアの頭を撫でながら言った。
「本当にやるのかい?」
「ああ」
「僕はシノミヤちゃんにも君にもどちらにも加担する。けど、心情的にはどちらにも戦ってほしくない。せっかく生きてたなら尚更だ」
「・・・・ここまで付き合ってくれた事に感謝する。バロト」
白い世界の只中で鷲鼻の男がバロトの手の中にある弾丸を受け取った。
「この職場結構気に入ってたんだけど。これでお尋ね者かな」
どこか仕方なさそうに笑ってバロトが黒い机に背を向けて歩き出した。
「あ、そうだ」
振り返るバロトが言った。
「忠告しておくよ。このバロト・ザーウォンが」
「何だ?」
「君がもしシノミヤちゃんと本気で戦うなら死ぬ覚悟が必要だって事さ」
「オレがアイツに負けるとでも?」
「違う。君の中のソレは君よりもシノミヤちゃんに興味を示してる。どこからどこまで君でいられるか、それは君の意思の強さ次第。もし君が自分を見失えば君は君である事すら止めて戦わなきゃならなくなる」
「気付いてたのか?」
「そりゃ、ね。現場で技術開発してたんだ。君の『構造』くらい把握してる。今の君の構造は歪を通り越して禍々しい。その域にまで進んでしまっている君が正気で戦っていられるのは持って数分。感情の乱高下に応じて更にプラスマイナス三分が限度だろう」
「それだけあればあの馬鹿を殺して余りある」
そう言い切る鷲鼻の男に哀しい視線を向けてバロトが笑った。
「願わくは君の本音を彼が見つけてくれる事を」
「お前が何を言ってるのか昔からオレにはさっぱりだ」
「その物言いシノミヤちゃんにそっくりだね。いや、シノミヤちゃんの方が君にそっくりなのか。それじゃ、元気で。もしも生き残ったらまた御贔屓に」
フラフラと歩いていくバロトを見送って男が傍らのティアを見降ろした。
「オレはお前を追ってきたあの野郎をこれからブチ殺しに行く。最後に言い残す事があれば伝えてやる」
「・・・・お父さん。貴方に負けない」
「確かに聞き届けた。そういえば聞いてなかったがどうしてあいつが父親なんだ?」
「・・・言ってた。きっとそうすれば面倒を見てくれるって。そんなお人よしだか――」
少女が途中で沈黙した。誰がだと訊こうとして男も気づく。
まるで仮装パレードのように幾つもの色が混じり合う集団が近づいてきていた。
「・・・・・じゃあな」
男はティアに背を向け歩き出した。
ティアは男が白く霞み見えなくなるまで見つめていた。
『おお、使者よ。お待ちしておりました。これより我らの下、新たなる創生を始め、この地を新たな聖地と造り変えましょう』『お待ちしておりました。お待ちしておりました』『ああ、ああ、ああ、この日をどれだけ待った事か』『宣託を受けて早数年、外なる神々に感謝せねば』『さぁさぁさぁさぁ、神炉は用意されております』『どうぞどうぞこちらへこちらへ』『無上の喜び。この上なく』『念願成就せり』
男も女も老いも若きも様々な声がまるでエコーしながら聞こえ、ティアをぐらつかせるよな錯覚に陥らせた。毒のように染みいってくる言葉がティアの耳朶に響く。ティアは苦しげに呻くように言葉を紡いだ。
「神は・・・・神は世界を欲してる」
『その通りでございます』『その通りでございます』『何という真理』『我々の理想郷は近いのですね』
「新しい神話を始める為に・・・・新しい世界を始める為に」
『それこそが!!』『それこそ!!』『神の意志にして審判後の世界』『狂える今を是正せよ』『故に』『然り』『我々は』
神官達の声が熱を帯びていく。声に含まれる毒が粘性を帯び、重くティアの意識を押しつぶしていく。
「でも、お父さんは・・・・・・」
『?』『お父さん?』『お父さん!』『お父さん』『はて、お父さん?』『それは』『何かと』『聞きますれば』『如何に?』
「言った。お前は、オレにとってもう家族だって。だから、オレの横にいろって」
『ソバ?』『はてソバ』『傍?』『傍がどうかしたと?』『お父さんが傍に』『それは誰で』『殺すべきか』『何かと』
「お父さんはッ」
ティアの声に、まるで毒が吹き払われたように、周囲から神官達が遠ざかっていた。
『何を』『話が違う』『こんな事が』『ただの木偶人形が』『容れ物は黙って』『いろというに』『ああ』『捕えて』『磔ろ』
神官達の気配が禍々しく膨らんでいく間にもティアが手をゆっくりと目の前の空間に突きこんだ。
神官達がその光景に更に身を引いた。
『まさか?』『まさかまさか』『そんなことは』『しかし』『何がどうなって』『我々の知らぬ機能』『いや、これは』『知っている』『禍々しき色』『禍々しき光』
『『『『『『我らを落としめるあの輝き!!』』』』』』
光の粒子がティアの手の周りに舞っていた。
それはいつもシノミヤが両手に纏わせる輝き。
あらゆる武装を手にする為に用いる輝き。
無差別召喚陣が時折発する燐光。
「お父さんは望んだ。今を続けていく事を」
『ブラステーマよ』『どうするつもりだ!!』『まさかピュグマリオンがいたとでも』『ありえぬありえぬありえぬありえぬ!!』『貴さまはただのペルソナ・ノン・グラタであるだけの!!』
手が一気に引き抜かれる。
その手に固く握られた旧い本が一冊、表紙に浮かぶ金文字。
【LORD  OF THE DEITY】
「だから」
ティアの左手の甲に様々な一節が浮かんでは消えていく。
それは神々を産んだ神の名であり、化け物を産んだ蛇の名であり、神を創った神の名であったかもしれない。
ありとあらゆる名が浮かんでは消え、ただ一節だけが残った。
【TEAR THE LIBERATER】
「『私』は傍にいる。お父さんの傍にいる。ティア・・・は、『私』は、ずっとッッ!!」
輝きが白い世界に満ち、神官達はティアの周囲に朧げな形を取っていく無数の異形を認めた。両者の激突と同時、白い世界は闇に落ちた。

現在N(now)

「あんたに訊きたい事がある」
端末の画面に浮かぶ老紳士『貴族』に語りかけながらシノミヤは自らの装備を点検していた。
『他ならぬ君の頼みだ。教えられる事は教えよう』
人々が遠巻きにし通報する者さえいるのを無視しながらシノミヤは大通を歩いていた。
血だらけで全身ボロボロとなったシノミヤは数秒ごとに片手に武装を召喚し一式を体の各部に身に付けていく。
ナイフ、弾帯、手榴弾。
「今回の事件のあらましから説明する必要があるか?」
『必要ない。それはほぼこちらで把握している』
「コネの力って偉大だな」
『それほどでもない。君が訊きたい事を少し調べて貰っただけだ。ちなみに今現在のところ、この件に関わっているのは外侵廃理第五課四課三課、三課総括ディグ・バルバロス・アウトゲネス。第四課東部分署総括カワジマ二佐。三課実働部隊へ新たに配備された神格契約者12名。七聖女ハティア・ウェスティアリア、フルー・バレッサ、ユアン・クオ。『工房』所属魔力駆動系源流使いシュラウス・ヴァーレン・エンロイアとその舎弟323名。東部系神官56名、西部系神官28名からなるフォルトゥナ・レギアの実行部隊。後、FOA重工業テスタメント東部本社主任研究員バロト・ザーウォン。フォルトゥナ・レギアと外侵廃理の連絡役である三課実働部隊隊員アダン・メンテール。主要な者はそれぐらいか』
遠方から聞こえてくるサイレンの音を無視。
シノミヤは雑居ビルの狭い横道へと入っていく。
「やっぱりバロトか。アイツがこっちにティアを連れて来てる時点でそうなのかとは思ってたが・・・最初からこうなると解ってたわけだ」
シノミヤが遠く、天に伸びる現代の塔を見上げた。
『どうやら君と同じく実働部隊同期であるアダン・メンテールが頻繁に依頼を行っていたらしい。神官達と共同で神を召喚する為の『呪具』を作製していたという事だ』
「狙いが神格召喚って事は依り代と儀式場、それから膨大なエネルギー媒体が必要だな。確かに全部あそこなら揃う。この間エネルギープラントがどうたらこうたらと自慢してたしな。アダンの野郎がティアを浚ったのも神官共が依り代の一つとして外なる神をストックしておきたかったからだな」
道を進みながら静かに分析していくシノミヤに老紳士は以外そうに言った。
『・・・・あの子を浚われて随分と冷静なようだ』
「無暗に怒ってどうにかなるならそうしてる」
『それにしてもティアか。良い名だ』
「そりゃどうも。で、あいつらは結局どんな神を召喚しようとしてる? 少なくともクラスが僻神程度じゃ済まないのは目に見えてる。が、ここまで大事になる神っていったい何者だ?」
『・・・・根幹的な概念神格。負の系統だ』
シノミヤが沈黙した。
『ちなみにこれはコネで得た情報とは違う。昔、私が所属していた『幽国の士』で幾つか実行されようとしていた計画の一つ、その情報だ』
「どうしてそれが今になって動き出した?」
『神官と連携して行われるはずだった計画はとある事情から頓挫した。しかし、計画そのものは神官が今の今まで温めていた可能性がある。パトロンとなっているフォルトゥナ・レギアが古い計画に乗り気になったのか。はたまたFOAに健全な外郭団体として再建されていた『幽国の士』がテロ組織に返った時、残留していた資料などから計画が再考されたのか。どちらにしても計画が最終段階に進めば唯一神クラスの悪の化身が顕現する事になる』
「単純属性で括られる神なんてよく持ってくる気になる。正義、悪、光、闇、負、正、どれもこれも世界が破滅しかねないってのに」
『単純なものこそ至上。人の負の想念を元に生み出された神の強大さは計り知れない。今の神官達には自分達の神を顕現させる為にこの計画は叩き台として十分にやる価値がある』
「そんなに崇め奉りたいなら余所でやって欲しいもんだ」
『遥か太古より生じた神の中でも原初に近い神達はもはやこの世界にない。だからこそ、一神教である教会の神を筆頭にして残った神達が互いの属性を調和させる形でやってきた。しかし、五十年前教会の唯一神が魔王に敗れ、力ある神達が世界より排斥され、力無き僻神達だけが残された。その機を逃そうとしなかった大物神官達はここ五十年で撃滅の憂き目だ。残った大部分の神官の力は弱い。外侵廃理を恐れ、大規模活動は自粛せざるをえなくなり、多くの者達は刃を研ごうと一人では使い道を亡くした。外侵廃理の力が強過ぎたのも今回の件を大きくしている要因の一つだ』
「群れさせたオレ達が悪いと?」
『正確には群れざるをえない状況にまで神官達を負い込んだ事だ。本来神官は自分の崇める神以外に興味など示さない。どちらかというと排斥傾向の方が強い。だが、その考えでは見動きが取れなくなった。群れてその点を補おうという連携が生まれたのは必然だろう?』
「・・・・・・・」
『さて、本題に戻ろう。君がこれから行くテスタメント東部本社だがここ数か月で大規模な改装を行っているようだ。その改装だがこちらに来ている情報によれば、極秘裏の要塞化といっていいだけの武装が取り付けられているのは間違いない』
「そういえば何カ月か前に大規模工事やってたな。あれか」
『運び込まれた資材とその量から言って・・・・警戒態勢を敷かれたら聖女でも持ってこない限り突破不可能だろう。空から侵攻しようとしても対空防御能力は万全。一撃で大型の艦が落ちる。半径数キロ単位で地下工事が終わっている事から地上からの侵攻もほぼ無理だ。無制限の対人魔導地雷と防御方陣で高格外套でもどうにもならない。七教会部隊が出る幕はないに等しい。戦闘態勢を取られる前に侵入するしかない』
シノミヤが今まで見上げていた塔の異変に気付いた。
瞬間、遥か天に届く塔の中心から巨大な魔導方陣が都市を覆うように広がった。
急激に辺りの明かりが全て消えた。夜の闇すらも温い暗黒が周囲を席巻し始める。完全に明かりを失った都市を見渡しながらシノミヤが半笑いになった。
「どうやら遅かった。何とか方陣の中には入ってるがまだ距離が五キロ近くある」
『ならば、それは自分でどうにかしてくれたまえ』
「了解だ」
『それと残念な知らせが一つ』
「ッ?!」
シノミヤが片手で端末をポケットに放り込み跳んだ。
今までシノミヤがいた場所に黒い帯と見える何かが幾つも刺さる。
『君の親友についてだがどうやら『神格契約者』になっている』
声だけを聞きながらシノミヤが答えた。
「ああ」
シノミヤが瞬時に両腕を輝かせ空間を跳んだ。
跳んだ先はテスタメント東部本社ビルに隣接する社員の為の公園施設。噴水の淵に着地したシノミヤがその場から背後へと跳躍した。
『君のところに事件が回っていっているはずだ。男があいつを連れて来いと連呼して増える事件だったか? あれは神格を通じて人間の表層意識が現実に顕在化した事で起こったらしい。彼がどうしてそんな状態になったのかは解らないが、原理的には抑圧された意識が莫大な魔力に被爆して高位領域から投影されたという事らしい。被害者に顔写真のモンタージュを依頼して出てきた顔から今回の件に君の親友が繋がっていると分かった。間違いない』
噴水へと黒い帯が激突し爆砕した。
シノミヤは追ってくる黒い帯へと銃で反撃しながら更に後退していく。
「今、それを噛みしめてるところだ」
『契約した神は今回持ってられようとしている神の端末だろう。クラスWSⅡ。最高位の僻神と同格かそれ以上だ。気を付けるべきは接触。君のその『死ノ宮』としての資質が取り込まれれば、儀式も何もない。全てお終いだと心得ておいた方がいい』
「ああ。今度ティアを連れて遊びに行く。じゃあな」
『あの子を救いたまえよ青年。それが唯一の道だ』
老紳士の声が途絶えた。
シノミヤが前に出て帯の間を縫って走り、帯の出所、宙に浮く鷲鼻の男を撃った。両腕と両足から伸びる帯に構わず、頭部へと集中的に弾丸が撃ちこまれる。
「約束通りもう一度相手をしてやる」
弾丸が帯に遮られる。
「はッ、悪役は言う事が違うな。真面目なアダン・メンテール君」
「あの人形の最後の言葉だ。お前はオレに負けない。だそうだ」
背後から迫る黒い帯を一切無視し、シノミヤが拳銃を腰に戻す。
両手に光の粒子を煌めかせ擲弾銃が召喚されると同時に撃たれた。
大爆発。
黒い帯ごと鷲鼻の男アダン・メンテールが吹き飛んでいく。
背後からの帯がシノミヤの体を捕まえようと伸びるがその時点でもうシノミヤは銃を手放し空間を渡っていた。
吹き飛ばされたアダンの背後、跳んだシノミヤが光の粒子を纏って現れ、両手に持ったナイフを投擲する。
前面に展開していた黒い帯がナイフを遮るように背後を守った。しかし、ナイフが黒い帯に接触した瞬間、形を崩れさせて消滅した。
「よく回る頭だ。ネジ切ってやる」
いつの間にかアダンの両肩にナイフが深々と刺さっていた。
「ダメだろ。アダン君。攻撃は五感で感じなきゃ付け込まれるぞ。それとも初等教練からやり直すか? ん」
ふざけた態度のシノミヤにアダンが振り向き、血が出るほどに拳を握り締めた。
帯がまるで生き物のようにシノミヤを取り囲みつつ機を窺うように揺れる。
「テメェ」
「ああ、そうか。そうだな。アダン君は初等教練からやり直して女神のオネーサンと戯れるのが夢だもんな」
「お前がッ、お前がそれを言うのか!?」
アダンの意思を反映した黒い帯が一斉にシノミヤに向かって三百六十度全方位から槍襖となって降り注ぐ。
「ああ、言ってやる。お前がどれだけ怒ろうが現実は変わらない。アイツは死んだ。お前が好きだったアイツはもうこの世界から消滅した。二度と会えない。二度と話せない。だから、お前がやってる事はただの子供の駄々っ子だ」
ブルブルと震える拳をアダンは骨が軋む程に握りしめた。
シノミヤを貫こうとしていた帯の槍はシノミヤを貫く事なく、密着していた。
「分かってたのかテメェ・・・・」
「ああ、お前が神官側に付いてる理由なんて、それぐらいしか思いつかなかった」
「オレはテメェが消えてから決めた。ティアを必ず蘇らせると。その為にここまでやってきた。この五年やってきた。お前が勝手に出ていって惰眠を貪ってる間ずっとだ!!」
シノミヤは僅かに槍の先端が喉に刺さるのも厭わずアダンと見つあう。
「お前がオレを恨むのは当たり前だ。でも、何で三課を捨てた」
「捨てる? オレは捨ててなんかない。ティアが戻ってきたらもう一度三課を立て直す。あの神官連中が最初の手柄だ」
「本気で言ってるとしたら焼きが回ったな。何処の誰に唆された?」
「必ずオレはやってみせる。必ずだ」
「お前が何をしようとそれはお前の勝手だ。だが、他人を犠牲にしてまでやることじゃない」
「ティアを犠牲にして生き残ったテメェが言えた事か!!」
槍が喉に食いこみ血が流れ始める。
しかし、シノミヤは何もせずただ言葉のみで反論した。
「もし復活が可能だとして、それをアイツが喜ぶと思うのか?」
「ティアが蘇って、それで殺されるなら本望だ。憎まれようと蔑まれようとな」
「オレを殺してアイツを蘇らせて、それで後は何も望まないとでも?」
「ああ」
「随分と綺麗な言葉を吐いても所詮は人でなしの所業。成功すれば昔の三課の連中が黙ってないぞ」
「連中に何ができる。連中が何をしてくれた。ティアが、テメェがいなくなった後、連中がどうなったか知ってるか? 誰もいなくなった。誰もだ。主要メンバーは誰一人残らなかった。三課だ仲間だと言ってた連中は三課なんてどうでもいいように消えた。連中は三課の為にいたんじゃない。お前らがいたから三課にいたんだ。誰も三課を守ろうとしなかった。あの馬鹿悪魔とアーシュだけだ。最後までいたのは・・・・あの場所にいたのは・・・・」
苦しげなアダンの声にシノミヤはまるで胸を貫かれたような痛みを覚えた。
その三課本部が設置された部屋にたった三人でいるなんて光景を味わわずにいられた自分がどれだけ幸運でどれだけ卑怯であったのか。恨まれても仕方ないと覚悟していたはずの心にその言葉は重かった。
「もういい加減に死ね・・・・」
静かに確固とした意思を持って、槍がゆっくりとシノミヤの体に食い込み始める。
「アダン。お前に三つ、いい事を教えてやる」
「あ?」
シノミヤがまるで場の空気を読まずに大声で言い放った。
「一つ!! お前はオレを殺せない」
言っている間にも食い込む槍を無視しシノミヤは更に大声を張り上げる。
「二つ!! お前はオレに勝てない」
槍がついにシノミヤの各部へと突き立てられた。
「三つ!! お前はオレを見くびってる」
ダガンッッッ。
破裂音はアダンの額に亀裂を刻んだ。
グラリと傾いだアダンが即座にシノミヤを串刺しにして背後へと跳躍する。
バンとシノミヤが破裂した。
(囮?!)
追撃、何処からともなくアダンの肉体に雨あられと弾丸が着弾した。
ぐがあああああああああああああああ!?
絶叫が上がり、アダンは黒い帯を闇雲に振り回した。
しかし、弾丸を弾く事もなく帯は何もない虚空を通り過ぎる。
その間にも燐光を纏った弾丸が何処からともなく現われてはアダンの全身を叩き折り、傷めつけ、裂傷、貫通創を刻んでいく。
(何処から!? クソがあああああああああああああ)
黒い帯が周囲数百メートルをまるでバターのように切り刻み刺し貫き削り取って暴れる。だが、アダンは手ごたえが得られずに咆哮した。
「お前は接近戦のエキスパート。オレは遠距離戦のエキスパート。お前の間合いはオレの射程の三分の一以下だって昔から言ってただろ?」
ガキンと新しい弾帯をガトリングガンに繋ぎ直して、シノミヤは虚空を踏みしめトリガーを引いた。
遥か上空一キロ地点。
足を虚空に踏ん張り真下に向けてガトリングを掃射するシノミヤの前方には巨大な方陣が回っていた。
光の粒子が弾ける度に魔導方陣に向けて射出される弾丸が消え、アダンの帯の防御をすり抜けて正確に肉体だけを捉えていく。
弾帯が見る間に消費され消える。
アダンが倒れ伏した事を確認してシノミヤは地上へと転移した。
「クソ・・・がぁ・・・どう・・して・・対空防御が・・・効いて・・・」
「オレが何年銃を使ってると思ってる。ただの中距離戦での撃ち合いだけじゃない、勿論狙撃なんてのも当然やった。狙撃主ってのは居場所がバレたら死んだも同じ。居場所を誤魔化す方法なんて幾らでも持ってるもんだろ。コストは最高、時間は短い、せいぜい今の能力値じゃ数分ぐらいしか持たないって魔導だが、今のお前になら惜しくない」
「隠し玉・・か・・・」
「オレとお前とアイツが組んだ時は弾をばら撒けばいいから使わなくてよかった。それだけだ。お前がいない任務の時はよく使った。それだけだ。そしてお前が今負けたのはオレを過小評価して対策を立てなかったから。それだけだ」
倒れ伏したままアダンが嗤う。
「ならば、これも、お前が油断した。それだけだ」
倒れ伏したアダンを中心に黒い帯が爆発的に吹き上がった。
即座に後方へと空間を渡ったシノミヤは舌打ちもそこそこに手の中に汗を握った。
(神格の暴走誘発ッ。今のオレに止められるか?)
「アダン!!」
【が;ljpりげあjlkjんがあくlsんぁくjdvfなlヴぃdくhんご;エアlthstrjlhg;御アarhj;顎入れrjgまねjkぁskdfなえm。lrくあgjr;いげらlんじうがじぇrkjなぃうえryごじゃdslfkvなぃうろkぎじゃね;tks、あせbrぃあgじゅんせりgけぁrjgなえlkrgばぃえkるhfば―――――――】
帯がアダンへと収束し黒く半透明な人型『神』を形作った。
『こ・・・れ・・・が・・・お前を・・・す・・力だ』
意味不明な音が撒き散らされる中、微かに響く声。
シノミヤは視線を黒い神に半分呑まれかけたアダンと結んだ。
「お前が苦しんだのはオレやあの頃一緒にいた連中にも責任はある。ああ、認めてやる。三課が昔みたいな場所じゃなくなったのは確かにオレのせいだ。アイツが死んでからお前がそんな風に追い詰められたのも全部オレのせいだ。オレが抜けたからだって認めてやる。だが、お前はどうしてその時、自分から変わらなかった?」
『!?』
「お前だって分かってたはずだ。もう昔みたいにはいかないなんて。それでもお前はあの場所に固執した。死んだアイツに固執した。お前には選択肢があったはずだろ。アイツだって変わる事を望むって解ってたはずだろ? ずっと留まる事なんてなかった。どんなに楽しかった日があろうと三課に縛られてちゃいけなかった。変わらなきゃならなかった。アイツならきっとこう言うぞ。『そんなところで立ち止まってないで新しい居場所でも見つけたらどうだ』ってな」
『!!』
「それを固くなに拒んだのはお前だ。その結果、お前が苦しんだとしたら、それはお前が背負うべき業だ。他人に自分の業を押しつける連中をオレ達は知ってる。そんな神官とオレ達は戦ってたんじゃなかったか? そのお前がどうして気付けなかった。またやり直せばいいなんて、誰だって分かる事に」
『?!』
「アイツはいつも言ってた。お前の不機嫌顔がホッとするって」
『?』
「お前がいつも不機嫌そうな顔しててもアーシュがなついてただろ? それはお前が好かれてたからだ。三課の誰からも好かれてたからだ。連中だってお前を不幸にしたくていなくなるわけないだろ。辛過ぎて、想い出が在り過ぎて、三課から巣立たなきゃならないと分かってた。だから、いなくなったはずだ」
『お・・前が・・それを・・』
「ああ、言う。言わせてもらう。オレはやり直す為に三課を出た。逃げ出した。オレはお前の言う通り、最低だ」
『そうだ。だから、オレは・・アイツを、ティアを・・・』
「オレは四課で新しい生活を手に入れた。ティアがいなくなって、忘れたい程に別の何かへ没頭したかった。そうやっていつの間にか・・・・アイツよりも重いものを、仲間を家族を生活を手に入れた。それに縋ってるオレはきっと自分で新しい道を進んでる連中なんかより弱いんだろう。卑怯なんだろう。でもな、お前みたいに自分の業を相手に押しつける奴よりはマシだ。最低だろうともオレは立ち止まりたくなかった。逃げだしてもそれだけはお前に負けない!!」
『ぐ、くぐぐぐggくがくgくあくgくあくgかうがっがあああああああああああああああああああああああ!!』
黒い神に完全に体が呑まれ、アダンの咆哮が辺りに轟く。
「教えてやる。お前がオレにとってまだ仲間だって事を」
進みゆくシノミヤは神の威圧感すら撥ね退けた。
「そうか。ああ、今解った。誰が計算してたのか。誰の計算なのか。ここまでどうしてオレが辿り付けたのか」
ふと気付いてシノミヤが微苦笑した。
多くの疑問。
事件がどうしてシノミヤ・ウンセ・クォヴァという一介の特務へ次々に回ってきたのか。
どうしてシノミヤなのか。
それは確信だった。
何の確証が無くてもシノミヤには間違いない真実だった。
「お前を救う為にあの勝手な連中がやってたんだな」
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
「連中の考えそうな事だ。新しい職場での立場どうするんだか。殴られて済むわけないってのに・・・」
シノミヤが拳を握る。
「お前も誰かの為に戦うなら、誰かの為に殴られてみろッ!! アダン!!!」
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
其処に神と人ではなく、人と人の戦いが始まる。
それは何処にでもある人間関係の構図だった。
つまり、叱られる者と叱る者。
そんな何処にでもある関係の一場面にしか過ぎない戦いが始まった。
叱られる男の声は何故か悲しそうだとシノミヤは思った。

黒い神が横殴りに腕を伸ばす。
シノミヤが正面からその腕を銃一本で受け止めた。
「ほらッ、来いッ!! その程度でオレが死ぬわけないって解ってるだろッ!!」
ギャアアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ。
シノミヤが走り出す。
次々に神の肉体から飛び出す漆黒の槍ぶすま。その間に体を捻じ込んでゆく。
近づけば近づく程に密度を増す槍を銃で押しのけ、足で蹴り飛ばし、拳で殴り飛ばしながらシノミヤは近づいてゆく。それに対し反応した神が一瞬で薄く全方位に伸びた。瞬時に地を蹴ったシノミヤが数十メートル以上跳んで滞空する。
空から大声で神に、いや、ただ一人の男に怒鳴る。
「良い事を教えてやる! あの頃、お前は女性職員の朝を共にしたい男第二位だったッ」
『ッ?!』
グニャリと黒の槍が震えた。
「実はチョコの個数が三課で三番目に多かったッ」
『ッッ!?』
くくく、とシノミヤは下品な笑みで笑う。
「実はお前に惚れてた女が二人いたッ」
『ッッッ――――デタラメ――言ってん――じゃね――ッッ!? この嘘――付きッ!!!』
神の中に顔が浮かんだ。
「ははッ、できるなら最初からやれッ。その程度の神にお前が屈するような玉かッ。そこで待ってろ!! 今、ぶん殴ってやるッ」
シノミヤの体が宙を舞う。
空へ向け射出された槍が弾幕となって広がった。
銃口が神の中に現れたアダンの眉間に照準され、放たれた。
それは本体を離れた黒の無数の槍の横から伸びた網に捕らわれたが、それを待っていたとばかりにシノミヤのリボルバーが網となって遅滞した槍の弾幕に火を噴く。
「実はお前の事を妬んでた三課の男総出で偽情報流してチョコも強奪してたぞ? ついでに女はそいつを好きだった奴が真面目に口説き落とした」
『どこまで法螺好きだテメェッッ』
神の中でアダンが完全に浮かび上がり喚き散らした。
シノミヤは口元をニヤリとさせて次々に昔の秘密を語っていく。
「ああ、そういえば他にも」
射出された槍が軟化して薄い幕の如くシノミヤを包みこもうと覆い、切り裂かれた。シノミヤが撃った弾丸の一発が幕に当たる直前で分解し、内部に空間ごと圧縮していた剣が飛び出していた。
ザクンと神の横に剣が突き刺さる。
「お前が可愛がってたサボテンが枯れたのはうっかりオレが水をやり過ぎたせいだ」
『なッ、死ね!!』
アダンの声に反応した神が今までにない密度で、槍とは形容し難い柱をシノミヤに吹き伸ばす。シノミヤは銃で迎撃せず、真横に銃弾を撃ち放った勢いで紙一重で回避する。見越したように黒い柱の表面が泡立ち、新たな槍を突き出そうとして、ガクンと柱自体が折れ曲がった。
シノミヤが滞空中であるにも関わらず放った蹴りで柱を曲げていた。
自由落下に任せてついに落ち始めるシノミヤに向けて、柱の至る場所から槍が放たれる。、シノミヤはロクに見もせずに手で捌き、魔導で減速しながら柱の根元に落ちていく。
シノミヤの目の前が黒の幕で覆われた。
何の傷害にもならないと言いたげにシノミヤの蹴りがそれを突き破る。
「おいッ。後な、お前の昇給が昔取り消しになったのは事務員連中が悔し紛れに内申報告書を無駄に低く見積もったせいだって知ってるか?」
近づき始める互いの間に交わされる言葉の応酬はまるで戦いとは似つかわしくないものばかりだった。ギャアギャアと言い合う男達の互いの距離が戦闘の余波の中ゆっくりゆっくりと縮まっていく。
「見捨てられたと感じたからなんだって? 冗談じゃないッ、何を馬鹿な寝言をほざいてる!! お前みたいな馬鹿を誰も見捨ててやるわけないだろ!!」
シノミヤの足元の魔導と黒の槍が火花を散らしながら交差する。
「お前が好きな奴はな、沢山いたッ。あの馬鹿悪魔もお前みたいになったら少しは高感度上がるかなとか言ってたぞ。誰も三課を何とも思わなくなるわけないだろこのボケ!!」
『オレはッ』
十メートルを切った距離で互いが視線を交わしたのは一瞬だった。
ドンッッッ。
シノミヤが地面を割り、踏みしめて、黒い神の背後でアダンの首を地面に縫い止めていた。
神の中の首を掴んでそのまま背後に抜けた形だった。
「オレだってお前を疎んでなんかない。少なくともお前が居なきゃ、あの場所はあんなに居心地の良い場所じゃなかった。きっとあの頃誰もが思ってた。いや今だって思ってるさ。誰もが三課は家族だって、ずっと仲間だって。アイツだって生きてたらそう言うさ」
「オレは・・・・・・」
いつの間にか涙声になっている声が言葉を飲み込むと、バキッとシノミヤがアダンの顔を殴って立ち上がった。
「さて、後はティアをどうしたか。それによってあと五、六発は殴ってやる」
「ティア・・・?」
「お前が言った事は全部間違いでもない。オレはアイツを守れなかった。だから、あの子を守ろうと思った。あの子に名前を付ける時、オレはきっとそんな考えが無意識にでも頭の片隅にあった。代償行為だって言われても仕方ない」
「そうか。あの子は・・・・ティア・・・か」
まるで気が抜けたようにアダンが視線を俯けた。
「でも、ティアはオレの娘だ。オレの家族だ。アイツと同じ家族だがアイツとは違う」
「・・・・・・・・・」
「オレはアイツを忘れたりしない。だが、それでティア(・・・)を悲しませたりしたくない」
真摯な響きにアダンが「そうか」と呟く。
「言え。ティアはビルの何処だ?」
「あの子は・・・オレが利用した連中が屋上の祭壇に捧げると・・」
「・・・・・・・まだアイツを蘇らせる気があるなら、もっと穏便な方法を探せ」
シノミヤがアダンにハッキリと告げた。
「どういう事だ・・お前は・・・」
蘇らせる事を全て否定されるのだと思っていたアダンが驚きに顔を上げる。
「誰が蘇らせる事が不満だなんて言った。オレはそんな方法があるなら真っ先にやってる人間だ。でもな、それはきっと誰かの犠牲の上にやったらダメだ。オレは家族も仲間も日常の連中も手放せない。誰かを強いてどうにかしようと思えない。アイツがそれを望んでるとも思えない。だから、もしそれをやり切る人間がいるんだとしたらアイツの意見なんか無視して無理やり棺桶から叩き起こせるような奴だ。方法さえ間違わないならアイツだってきっと笑って許すだろ」
「シノミヤ・・・」
初めてアダンに名を呼ばれ、感慨も深くシノミヤが返そうとして、
「ッ」
シノミヤはアダンの首を掴んで飛び退った。
黒い神がウゾウゾと蠢き、その体を巨大化させて始めていた。
「本格的に暴走かッッ?!」
「いや、本体の召喚に影響されて活性化してるッ。儀式が始まった!」
シノミヤが聳え立つ巨塔に目を向けた。
その刹那、ビル最上階付近から目も眩む閃光が放たれ、遥か遠方から爆音と衝撃波が公園にまで襲い掛かる。
「クソ、七教会の艦か?!」
更に立て続けに閃光が放たれ、遠方から爆音と衝撃波が数秒遅れ連続で到達する。
「おい!! あのビルに侵入する方法は!!」
焦るシノミヤの問いに苦しげにアダンが首を振る。
「儀式が始まった時点で外からの侵入は全て不可能だ。儀式完了まで約二十分、依り代は全て最上階屋上に設置し終わってる。もう外から内部へ向かっても」
「此処まで来て・・・・・いや、アダン。さっき屋上って言ってなかったかッ」
「無理だ。直接転移は対策が講じられてる。対艦兵装の照準は誤魔化せても小型の対人武装はシステムが最新式に換装されたばかりだ。狙いを絶対に外さない。上空から直接乗り込むのも自殺行為だ」
「だが、屋上そのものは解放されてる。此処に来て儀式場の変更はまずない。アイツがいるなら行くしかないッ」
「転移は上空まで行く事すら厳しいって言ってんだッ」
「言ってる場合でもない!?」
シノミヤがアダンを持って転移した。
巨大化した黒い神が二人へとその手を広げて迫っていた。
ベチャリと水音をさせながら神が周囲を見回し、グリンと首を上に向けて口を開けた。
神の周囲が一瞬で全て黒く染まり陰った。
まるで負の想念を具現化したような禍々しい気配に数十メートルを一気に転移で下がったシノミヤは顔を顰めた。全身傷を負ったアダンの周囲に魔導方陣を展開する。
「七教会に保護を求めろ。後はオレがどうにかする」
「テメェは話を聞いてなかったのか!! 全盛期のテメェならどうにかなるかもしれないが今の状態じゃッ」
「ガタガタ抜かすな親友。人間ど根性とご都合主義があれば大概の事はどうにかなる。オレ達の女神がよく言ってただろ?」
ふらつく足に力を入れて、笑みを浮かべたシノミヤが魔力を両手に込めた。
「それに、お前はアイツを生き返らせると言った。 なら、こんな所で犬死してる場合か」
「まさか、お前死ぬ気――」
「行け!!」
魔導方陣が閃光を発し焼き切れ、アダンが消え去る。
「殺すだ何だの言ってた奴が人の心配するなって」
シノミヤは苦しげな笑みで片膝を付いた。
魔力の限界。
「さすがに妨害下で立て続けの転移は魔力が空になるか」
(これ以上の魔力行使は負担もデカ過ぎる)
「プラグマモデルタイプE『柩』」
シノミヤの肉体に鋼の天使とも悪魔とも付かない鎧が装着されていく。
高格外套。
七教会が正式採用する現代の最高の個人兵装。
三対のガトリングが付いた異端の鎧で身を固めたシノミヤは無理だと警告する内心の一切に蓋をした。
「もう時間もない。後は考え続けて突撃あるのみ。どんな黄金パターンだ」
自分で言って笑う。
緊張を解す最後の時間。
そっと長年使い続けてきた腰の二丁を撫ぜた。
「これで最後だ。付き合えよ」
「お供しましょう。シノミヤ」
「は?」
思わずシノミヤは拳銃をマジマジと見つめてしまった。
まるで拳銃が喋っているような錯覚に自分の正気は怪しいのかと悩みそうになった。
「お前ら・・・久しぶりだな」
忽然とシノミヤの周りに数人の男女が現れていた。
シノミヤは過去『至高の貧民窟』で共に過ごした知り合い達に問いかける。
「どうしてここが?」
老若男女まるで場に似つかわしくないサラリーマンだの老人だのその筋の土建屋っぽい男だの女学生だの多くの神がシノミヤに笑い掛けた。
「グランマから聞いて急いで駆け付けてきただけだぜ」
「そうそう。そんな感じ」
「久し振り~~~」
「ご飯食べてたかい?」
まるで旧知の間柄を深める為に集まったような笑顔にシノミヤは気が抜けたように高格外套の仮面を取る。
「今から大仕事だ。手伝う奴は力を貸せ。後でオレが何だって奢ってやる」
「OK。んじゃアタシはあのピカピカ光る奴担当で」
「オレは周囲の結界張りで」
「わしゃ召喚妨害の中和でも」
「ははん。転移位置の確定は上空三千ぐらいでいいか?」
「ゆくぞ。皆の衆」
『おおおおおおおおおおおおお』
「まったく助けられてばっかだなオレ。行くぞ!!」
ガヤガヤと喧しい神らしくない神々に拳を振り上げてシノミヤは答えた。

sideE(enemy)

戦いは唐突に終わった。
たった一人。
残った神官は今正に自分の上半身を砕こうとしていた薄らボケた異形の腕が掻き消えていくのを信じられない面持ちで見つめていた。
小指の一つすら動かす事ができず神官は倒れ伏したティアを見つける。
握っていたはずの本はもはやなく、その体がいつの間にか縮んでいた。
「勝った?・・・・・」
言葉にしてみて初めて神官は命が繋がっている事を実感する事ができた。
圧倒的な力。
まるで世界の終わりに集まる化け物達の夜会。
闇だけが支配する世界で異形の幻影達が造り出した阿鼻叫喚の獄。
神官達の誰一人として敵わなかった。
圧倒的な圧力で押し潰されたものがいた。
圧倒的な火力で焼溶かされたものがいた。
だが、一人として死者はなく、死体よりも死体らしい肉の塊が増え重なっていた。
最後の一人。絶望の一人。全てが潰えるのだと悟った時訪れたのは唐突な幕切れ。
「あ、ふふ、あはは、ひははは、くはは、か、勝った? あ、ああ、そうか。器が圧力に耐えきれなかったのか。神の器を壊してまで戦ったのか。ああ、そうか。いひ、ひひ、ひはははは♪」
何処か壊れた調子で神官はティアを担ぎエレベーターまで歩いた。
乗り込んで数分。
遥か地上を見下ろしながら最上階屋上に設置した儀式場の中央にティアが置かれる。
周囲数十メートルに及ぶ緻密な魔導方陣。
邪悪本書の見本を無数に連ねた呪の魔導方陣が赤い小石を配置する事で描かれていた。
「そ、そうだ。お、おおおおおれの、女神様。だ、だれもいいいいないんんだからいいいい良いよな?」
神官が自ら崇める神を召喚しようと魔導のラインに自分の魔導のアレンジを加えて魔力を流し始める。壊れた楽曲のように狂気と魔力が魔導方陣を駆動させ――次の瞬間、
「ぴ――――――――――――――――――――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
神官が発狂した。
「ああああああああ、ひひひひひひひいひイヒイヒイヒイヒヒヒヒヒ?!ギイイイイイウウウウウウアアアアアアアアアアアアアアア」
バチリと魔導方陣が崩壊し、赤い小石が無数に砕け散った。
「あああああああああああああなななんあななんいににににににがががががが?」
辺り一面に砕け散った小石の粉がまるで生き物のように蠢きのたうち、やがて神官達が描いたものとは似ても似つかない、世界の誰も見たことがない、形を描き出していく。
神官は頭の中に転写されたその形に精神を狂わせられながら畏れていた。
それはまるで優しい感触で、悪意など一欠片もないような温かな意思に満ちていて、たった一言だけ神官には理解する事ができた。
【御苦労様】
「我が神にえいこおおおおおおおおおおおおおあああああああああああれれええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?!」
神官は柵を吹き飛ばしながら走り空へと向かった。
悪意など一欠片もない純然とした命令。
おぞましいまでに純粋な命令。
死ね。
悪意すらない命令。
蠅を叩いて。
そんなニュアンス。
まるで異質なソレが神官の最後に感じた神の意思だった。

sideN(now)

シノミヤが空間を跳んだ時点でビルは全ての武装を全開にして迎撃を始めていた。
屋上へとの直接転移を封じられ、高度三千メートルからの死のダイブ。
たちまちに灼熱の熱線と対空防御の小型ミサイルの餌食にされながらシノミヤは周辺で自らの役割を果たしていく神々に感謝の念を送った。
超高速の高射砲全弾が宙に浮く老人に全て向かっていた。爆発光が輝く。苦しくないはずはない。にも関わらず老人はニヤリとシノミヤに笑みを浮かべて遠ざかっていく。超密度の対艦防御砲台からの目も眩む閃光が一人の女に向けられていた。存在が削れていく事も厭わずに女が死の閃光を真正面から受け止めて離れていく。親指が立てられていた。仕掛けられていた超高重力の網に子供が引っ掛かり空間ごと圧縮されていく。子供がシノミヤに手を振った。そのまま重力の井戸に落とし込まれ押し込まれていく。
誰もが障害をシノミヤから遠ざけようと落下し続けるシノミヤの先へ進み脱落していく。
神は鈍感で痛みなんて感じない。平気でそんな冗談を言っていた神々。自分の道を切り開いていく神々。その想いをシノミヤは心底に噛みしめ進む。
落下速度は更に上がる。
シノミヤの周囲から誰もいなくなった時、『柩』が役割を終え砕け散った。
砕ける破片より速く落下するシノミヤはその手に持つ二丁拳銃を握りしめる。
(高度千ッ。後五百ッ)
下からの攻撃の殆どが上空へと向かう中、ぽっかりと空いた迎撃の穴。その最中へと飛び込んで尚激しい周囲への攻撃。それを最後の魔力で駆動する防御魔導方陣で防ぎながら、シノミヤは自らが今まで辿ってきた道を思い起こしていた。
幸せだった子供時代。
生贄に捧げられたあの日。
女神に拾われた凍える夜。
初めて仲間ができた時。
新たな家族を迎え喜んだ年。
全てを失った絶望の朝。
そして、また出会いが紡がれる今。
「ホント。幸せ者だオレ」
下から湧き上がる超絶の魔力。
闇という形容すら怪しい、力ある異質なる凶悪たる何か。
それが家族を捉えていた。

誰よりも強く、想いを込めて、家族の名をシノミヤ・ウンセ・クォヴァは叫ぶ。

答などないと知っているからその人に答を求めた。
人でないからこそ人を知りたかった。
誰でもないからこそ誰かになりたかった。
一人であるからこそ一人ではいられなかった。
壊してしまうからこそ壊されてもいいと思った。
誰よりも無為であるからこそ誰よりもそこに主張した。
誰でもない神は誰かである神に。
誰でもない神は誰かである私に。
人ではない自分が人と偽り、人の娘になった。
本当の笑顔を知ったのはいつか。
人と同じ願いを持ったのはいつか。
それがいつかの『自分』の想いの残滓だとしても、嬉しかった。
その人と笑い合う事が、その人と願う事が、人ですらない自分を見つめてくれる視線が、嬉しかった。
焼き付いた呪の期日。
最後の日を求める神々。
世界の誰でも無く自分が起こす終わり。
何も言えず何も知らせず何も答えられない自分がそれでも望んだ。
終わりではなく、続きを望んだ。
その人との続きを望んだ。
その人が寝る時の無垢な寝顔を誰が知るだろう。
その人が抱きしめる時の抱擁の力強さを誰が知るだろう。
その人は人と交わり、人を知り、人と成れない自分をただあるがまま受け入れてくれた。
その奇跡を忘れない。
終わりではなく続きを望んで、『運命』がそれを許さないとしても、全てが無為と知ってすら、その人はきっと言うのだ。
オレの傍にいろと。
奇跡のように言うのだ。
お前はオレの家族だと。
愛しい人の名を呼んだ。
世界の誰よりも愛しい人の名を呼んだ。
言葉にするなら単純な、たった一言を伝えた。
永遠の彼方から「それでいい」とあの女神(・・・・)の声がした。

sideEX(Extra)

【それはとても長い一人の男の物語】
敵は強大。
弾幕は無限。
当たれば一撃必死の掃射の中。
それでも、恐怖すらも上回る一筋の想いが溢れた。
【それはただの男の物語】
銃弾装填。
魔力切れ。魔導の消失。
全ての攻撃を銃弾の反動で回避。
弾丸が瞬く間に尽きる。
高速で巨塔の中心へ。
【女に救われ、救われ、救われ続ける男の物語】
召喚。
最後の弾丸。
色は金色。
最後に撃たれた者の色を宿す形見。
二度と見る事はないと思っていたソレをリボルバーの弾倉に込めた。
【女を救い、救い、救った男の物語】
「ティアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
塔の頂点中央部。
瞳を開けた少女に向けて想いを撃ち放つ。
【孤独を知る青年の物語】
黄昏色の弾丸が迎撃の弾幕も魔導障壁も貫徹した。
「―――大好き。シノミヤ」
少女の声が確かに聞こえた。
【家族を愛する少年の物語】
胸に開いた穴から、塔も空も世界すらも溶かす金色の光が溢れる。
『交神祝詞弾』
神と人を結ぶ縁の魔弾。
神に奉げられるはずだったシノミヤ・ウンセ・クォヴァを神と繋ぐ呪。
世界に現出する神という存在を増幅し、補強し、完全な顕現をもたらす素養。
【あるいは・・・・・・・・・・・それは】
生贄として考えうる限り最高の素材。
「それ」が、繋がった。
存在を侵食される事すらも恍惚と愉悦に解けて、銃と意識を手放した。
【幸せな男のありふれた話なのかもしれない。なーんてな。この浮気者め】
どこからか聞こえてくる笑い声が懐かしく、優しく耳朶を抜けていった。

sideEX(Extra)

黒い神は知っていた。
その金色と黄昏を。
夜明けにして終焉を齎す一筋の光明を。
遥か太古。
星すらも、宇宙すらもない時代。如何なる世界も届かない原初の刻に遭った存在。
如何なる世界の如何なる時代にも存在する『∀』(すべて)を創造する者達。
個であり多であり弱くあり強くあった存在。
『源なる母』
ある時は化け物達の母であり、ある時は邪神の親であり、ある時は創造神ですらあり、ある時は人の母である者。
生み出す者達の集積体。
今は黒き少女。
その根幹、神すら慄く化け物を産みし蛇と神を創造せし神。
そして・・・・・全てを永遠に見続けるはずだった、世界の終わりを見届けるはずだった、黄昏にして金色の女神。
外なる神々すら温い。
悪を統べる母、創生神、あの女神の化身。
『――――――――――――――――――――』
塔の頂に立つ少女が手を翳した。
存在を獲得した負の顕現であるはずの神が反射的に攻撃していた。
侵食する黒い閃光が世界を覆い尽くそうと広がる。
「食べていい」
呪であり人々の負の顕現であるはずの黒が音と共に削れた。
遥か天を衝こうとする塔の横、比して同列に見える獣が二匹。
巨大な二つの魔導方陣から首を這い出させ黒を食らっていた。
三つ首の獣は啄ばむように。
二つ首の獣は貪るように。
神そのものであり、呪であるはずの黒が大地ごと削れ喰らわれていく。
『――――――――――――――――――――』
神が手に黒を集め、金色に染まる塔へと撃ち放った。
清浄なる神ならば一撃で堕落し悪徳の限りを尽くすだろう黒(のろい)が金色の塔に同化し消えた。
悪意が悪意に飲み込まれたのを邪神は知る。
黒がより黒いモノに染まるように。
力がより大きい力に屈するように。
『――――――――――――――――――――』
塔が動き崩れる。
鳴動し今や大地を揺るがす塔が瞬く間に変質してゆく。
黒い二匹の獣が塔に寄り添った。
まるで甘える子犬。
獣の姿が捻じれ、塔と同化してゆく。
塔の外壁は今や鱗へと変わり、二匹の獣は腕と化し、塔が二つに割れ、後ろに崩れた部分が長大な尾へと変わっていく。
塔の頂が完全に崩れ内部が姿を表す。

見る者に畏怖を齎す角。
喰らわれる者に絶望を与える顎。
振るえば国を滅ぼす腕。
払えば大地を荒野と化す尾。
蛇であり、竜であり、破滅であり、創生の化身。

『――――――』
邪神がただ一言喋った。
本来その姿を持つ神の名。
しかし、今やそれすら超える存在。
「古き神よ」
少女が自らの化身の上で、
「さようなら」
詠うように別れを告げた。
巨大な竜神が光を纏って一歩踏み出した。
黒き邪神は金色に染まり上から降ってくる「面」をただ見上げていた。
ズンと以外な程に小さい振動が大地を震えさせ、邪神は跡形もなく消え去った。
 後にはただ夕暮れだけが残っていた。



[19712] 回統世界ファルティオーナ「Shine Curse Liberater」エピローグ
Name: アナクレトゥス◆8821feed ID:7edb349e
Date: 2010/07/14 11:06
エピローグ『誰がこの世界を幸せだと言ったのか?』

【奴は消えたか。しかし、未だ解放者の完全開放には程遠い。次なる者を】
「はろー」
【?!】
「いや~~、疲れ過ぎだよぅ。この状態でここまで来るのにどれだけコスト払った事か。頭痛いねぇ」
【この領域に辿り着く者。聖女あるいは・・・・】
「君達が勝手にこの世界に干渉するのは構わないんだよぅ僕的には。でも、下級とはいえあんなもの人間使って呼び出されても困っちゃうなあって事を苦情よろしく言いに来たわけ」
【神に立て付くか?】
「色んな神話で人間に立て付いた神がどうなるか知ってる?」
【我々はあの唯一神無き今、この時間軸において新たな創生を行う。その為の解放者だ】
「祖となる神々。外なる神々。創生神。唯一神。邪神。何でもいいけど、あんまり勝手にやってると怖い怖い紫色の奴が来ちゃうかもねぇ」
【魔王・・・いや、アレが創った物に我々が駆逐できると?】
「あ~~所詮アカシックレコードに載ってる程度じゃこの辺が限界って事かもねぇ」
【何が言いたい?】
「時間、空間、次元、世界、銀河、宇宙、特異点。何でもいいけどさ。所詮は【表せる程度】って事」
【貴様・・今何を・・・】
「君が『知ってた』勘違いを正しただけだよぅ。世界の記録にだって載ってない一つの真実ってやつ」
【我々に何をした?】
「ちょっと悪戯を」
【―――――――――――?!】
「戦う~~~とか。この○○○な超能力や超技能に敵うまいとか。そーいうのはヨソでやる事にしてるから。大丈夫。ほんのちょっと人間になってこの世界の行く末でも見守ってて♪」
【――――――――――貴様】
「さて、次回の邂逅は未来永劫の果てで♪」
【神すら人間に堕すその力。もはや神を越えている。何故だ? それだけの力を持ちながらこの世界で何を欲する? 
その力さえあれば如何なる事も可能だろう。自分の行き着きたい未来に辿り着く事など造作もない。自分の思い通りにならない事などあの男のような例外を除けば何もない。過去も未来も現在も変え、失敗すればやり直す事も容易。
世界の創造も宇宙の創造も人も星も何もかも創造するに足る。
その力を持ちながらどうしてこの世界で欲する?】
「神様って案外抜けてるよねぇ」
【何?】
「僕達は僕達の世界っていうフィールドでルールとか流儀とか因果とか色んなものに縛られながら生きてる。
人だけじゃない。天使も悪魔も人外も神も同じだよぅ。あの解放者の子が自分の定めを知りながら、それでもあの男に寄り添って生きてるのもそう。
万能無限。全智全能。そんなものに価値はない。
価値があるのは柵の中で生きていくというそれだけ。自分の柵の中で生きてる事に価値がある事を僕は疑わない」
【その柵を越えようとするからこそ意思は輝くというのか】
「どんなにまどろっこしくてもどんなに時間が掛ってもどんなに傷つく事になろうとも、進んでいく。
この先に今よりも自分の目指す未来を可能性を世界を創れると信じて、ね?」
【我々は諦めるという概念を持たない】
「それならそれで別に構わないから。もう少し自重して世界と関わる事をお勧めするって、今日来たのはそういう事。
この世界に楽しく関わっていくコツは他人に迷惑をあんまり掛けない。他人のルールは尊重する。自分のルールも尊重する。
できれば他人と程良いコミュニケーションを取ると、こんなところだから」
【唯一神無き今この世界には新たな神が必要なのだ。外なる神々の来訪は下準備に過ぎない。天使悪魔との折衝はもはや最終段階に入った。この流れは止められない】
「神様がもしも人の運命を弄ぶなら、僕達が神の運命を弄ぶだろう。僕達が神の運命を弄ぶなら人が僕達の運命を弄ぶだろう。世界は上手くできている。結びはこんな感じで♪」
【その未来の果てに何を見る?】
「人間の戦いはただの意地時々我儘の張り合い。その理屈も理由も結果も僕達だけが知ってればいい」
【秘密主義と言われるわけだ。全智として在るモノにすら隠し通す未来。楽しみにさせてもらおう】
「これは僕からのお節介だけど、もう少し不自由になって誰かの傍で空を見上げたら、きっとこの世界は神様にだって幸せなはずだよぅ。誰もが幸せであるようにってこの世界は創られたんだから。現にあの子はそうしてる。ほら、あんなに幸せそうな顔して」
【・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・違いない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・】
「・・・・・もう消えちゃった?」
【解放者よ。汝の役目に今しばらく余暇を与えよう。未来永劫の果てでまた――――】
「ん~~お仕事完了。残業終了。後は部屋で究極のコーヒー作りに邁進する所存。さて僕の部屋はどうなってるかな♪ 映像で確認確認。
戸棚よ~~し、これで帰ってコーヒーブレイ――あの、ツルぴか、どうして僕の部屋の鍵持って?! そ、それ以前にどうして戸棚にお菓子があるって?!
 『まったく、半分は配りますか』とか?! 止めてぇええ?! げ、現実に帰るまで後一時間もあるんだよぅ?!
 職員のオヤツにしたら無くなっちゃ、はッ、速くぅううう。
早くしないと僕のトッテオキがッ、このフルー・バレッサの素晴らしき時間が、御休みの時間が!! 
この間わざわざ三時間も並んで買ってきた僕の楽しみがぁああああああああああ」

ヘリのドアを開けて事態を見つめていた聖女ハティア・ウェスティアリアは額に汗を浮かべ困ったように笑った。
「どういたしますか? 今ならば倒せるかと」
キャロリエの言葉にハティアが答える。
「あれが暴走してるように見えますか?」
「ですが、あの力。暴走する事になれば世界を十分破滅へ導く事ができると思われます」
「その通りかもしれません。でも、あんな風にされてたらどんなに危険だとしても私には攻撃なんてできないし、そもそも戦おうとも思えません」
「それはハティア様のお優しさです」
「私一応あの子の気持ちが分かる立場なので」
「愛する者と共にある喜びですか?」
「それはこれから噛みしめていくものです。愛する者を自分の手で守れた喜び。それはあの子をきっとこれからも人と繋いでいくはずです。私達はお邪魔にならない内に帰りましょう」
「はッ、では、あのビルは如何様に?」
「フルーの悪戯とでもしてモニュメントにしておいてください」
「了解しました」
バララララララララとヘリが一帯を囲んでいた七教会部隊の囲いの上を越えていった。
巨大なドラゴンの石像となったビルが直立していた。
その頭の上。
男女が一組、一人は気を失い、一人は抱きしめていた。
「お父さん。お父さん。お父さん♪」
静かに優しく、それでいて何処か切なげにティアの声が響く。
今や十五の体に戻ったティアはシノミヤの体に寄り添い瞳を閉じて温もりを感じていた。
ルルルルル。
自分が抱きつく反対側にシノミヤの端末を見つけてティアがそのボタンをポチリと押した。
掛ってきたのは映像送受信でのリアルタイム通話だった。
『あ、シノミヤさん!! た、大変なんです!! 久しぶりに街の方に出てきたら騒がしくなってて。何だか大規模なテロなんじゃないかって!! シ、シノミヤさんがどうしてるのか凄く心配でそれ――』
ティアがカメラをアウトカメラから自分の方を映すインカメラに切り替えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ティアがその壮絶な沈黙を破り、横で寝ているシノミヤの肩を揺さぶった。
「ん?・・・・・・ティア・・・・か」
「お父さん。電話」
「はッ? それより神は」
「倒した。偉い?」
「そっか。ああ、お前はオレの自慢の娘だ」
半分頭が覚醒していないシノミヤはそっとティアを抱きしめ、頭を撫ぜた。
ティアはそれにほぅっと熱く吐息を吐いて幸せそうに目を閉じる。
そして、はたとシノミヤが気付く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
自分達が一糸纏わぬ姿である事に。
「うおあ?! ちょ、どうなって、服は?!」
「全部溶けた」
「溶け!? いや、すぐに何か着れる物探してくるから待って――」
『シノミヤ・ウンセ・クォヴァさん♪』
シノミヤがその聞き覚えのある声に止まった。
たった一秒の間に様々な言い訳と様々な事情と様々な交渉材料をシノミヤは脳内で言葉にする事に成功したが、それが発声される事は無かった。何故なら、シノミヤがゆっくりと振り向いた先に、端末の画面に、女神のような慈愛の笑みでいつもの喫茶店のウェイトレスが笑っていたからだ。
「あ♪ やっと気付いたんですね♪ 
随分と寒そうな格好ですけど大丈夫ですか♪
 実はテロがあったとかで凄く心配してシノミヤさんの端末に掛けたんです♪
 でも、その心配は要らないみたいですね♪ 良かったです♪
 シノミヤさんが無事で♪ 
私ってば、きっとシノミヤさんが危ない事にあってるんじゃないかって物凄く心配してたんですけど、
シノミヤさんは全然一切金輪際何があっても決して心配する必要はないみたいなので安心しました♪』
「・・・・・・・・・・あの」
『一瞬でも心配した私が馬鹿でした♪ それじゃ、お店で待ってますから♪ 後で来てください♪ 絶対ですよ♪』
次の瞬間、シノミヤは背筋に氷を刺し込まれたように固まった。
『ゼ・ッ・タ・イ・デ・ス・ヨ?』
画面にウェイトレスの裂けるような笑みが写り、ギュガジュッッッッ!!と凄絶な音、一瞬でブラックアウトした。
端末の末路と自分の末路が同じになるだろう極近い未来を予想し震えてシノミヤは端末を見つめた。
「まずいよな?」
コクンとティアが頷きシノミヤの腕に抱きついた。
ルルルルルルル。
ビクゥウウッと瞬間的に背筋を伸ばしたシノミヤがおそるおそる端末のボタンを押した。
『シノミヤ!! 今ど、こ、に・・・・・・・』
画面がまたもや双方向通信状態で展開され、カメラに映し出された光景に少女が一人沈黙した。
「シノミヤ?」
暗く、まるでツンドラの大地から吹きつけてくる風の如き声。
シノミヤが最悪の事態を悟った。
「どうしたアーシュ?」
平静を装ってシノミヤが訊き返した。その背中の冷や汗が滝となって滴り落ちる。
「ねぇ、どうしてハダカナノ?」
「それはあれだ。ちょうど風呂に入っ――」
「ねぇ、どうしてフタリデハダカナノ?」
「いや、アーシュ話を――」
「ねぇ、シノミヤ。凄く心配したんだよ? それなのにシノミヤ。そんな事してたんだ・・・」
「誤解!! 誤解だアーシュ!!?」
「五回? 五回も何してたのシノミヤ?」
「ち、違ッ」
「後で話聞かせてくれるよね?」
「うあ、ちょ、話しを」
「じゃあ、ネ?」
ギュガァジュギュギャ――――――ッッッッ!!!
機械の悲鳴が上がり、最後に画面へ映った本気モードの翅から出る燐光にシノミヤは震えあがった。
「オ、オレ、今日死ぬのかな?」
コクンとティアが再度頷きシノミヤの頭を撫でた。
パシュン。
シノミヤがその明かりに反射的にティアの体を庇い、背中を曝した。
『ごらんください!! 謎の巨大ドラゴンの石像と化したFOAテスタメント東部本社ビルの屋上です。あ、これは!? 男です。男が全裸で蹲っています?! これはいったいどういう事なのでしょうか!! あ!? 下に少女がいます!! 覆いかぶさられています!! これはいったいどういう事なのでしょうか!! 少女の貞操が危ぶまれます!! 少女の貞操が危ぶまれます!! これ以上は番組放送倫理規定に違反するとの事で一端スタジオに返します!! 映像はリアルタイム修正版でお送りしております!! では、スタジオの――』
バララララララララララ。
多数のテレビ局のヘリが上空を飛んでいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・逃げるぞ!!!」
シノミヤがティアの裸体だけは抱き隠しつつその場から逃げだした。
その様子を中継していたワイドショーの有名レポーター数人が同じような声を上げる。
『ああ!? 今?! 今!! 男が少女を連れ去って逃げ出しました!!』『これは大事件です!!』『現在、七教会、自治州連合に通報が行われました。合同による少女の救出部隊が現場に向かうとのことです!!』『あのいたいけな少女の未来は一体どうなるのでしょうか!! この巨大ドラゴンとどう男は関わっているのでしょうか!!』『少女の安否が気遣われます!!』 『これは大変なことに――』
次の日、大陸全土に報道されたニュース新聞の一面の見出しはこうだった。

『少女の裸体守る為逃げた?! 七教会特務の呆れた言い訳!!』
『プライベートで事件に巻き込まれただけだ。モニュメント発生時、特務は何をしていたか?』
『オレの嫁とか言わなきゃ犯罪者扱いされるこの世界はクソだッ、コンチクショー死ぬ!?』
『お父さん大好き?! 特殊性癖の特務人員。猥褻罪で逮捕されず』
『喫茶店で半殺しにされていた特務人員。いったい誰の仕業?』

「お父さん。犯罪者?」
早くも多数の足音が背中を迫ってきている中、ティアが首を傾げて訊く。
「神に刑法も何もあったもんじゃないだろ!!!」
叫んでからふと気付いたようにシノミヤはティアの耳元に唇を寄せた。
「そういえば、まだ言ってなかったが・・・・」
「?」
「オレもお前が好きだ。ティア」
「!?」
「家族として、な?」
その言葉に一筋の涙が流される。
「うん」
誰よりも、この世界の誰よりも、目の前の人間を愛そう。
半神半人の少女はその日初めて自分から口づけを交わした。

世間の誤解が解ける日が来るのはまだ当分先の話。
今日も今日とて世間から犯罪者予備軍的見られ方でシノミヤ・ウンセ・クォヴァの日常は続いていく。
傍らに輝かしい呪のような娘を置いたままで・・・・・。
                                                           FIN


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