つかさんは、俳優の個性や芝居の流れを見ながら、頭に浮かんだセリフを役者に伝える「口立て」という独特の演出法で知られた。
口角泡を飛ばし、次々と新しいセリフを叫ぶ。俳優はその言葉を一言一句違わず繰り返さなければならず、一瞬たりとも気が抜けない。
少しでもすきを見せれば、「なんだ、その芝居は!」「役者なんかやめちまえ!」と怒鳴る。けいこ場は窒息しそうなほどの雰囲気に包まれるが、まさに、それが本番のステージのスピード感と臨場感を支え、観客はその魅力のとりこになった。
厳しい指導を受けた俳優、女優は数知れない。08年「幕末純情伝」の石原さとみ(23)は清純派として知られるが、卑猥なセリフと動きで女の部分を引き出し、96年「熱海殺人事件」では、モデルから俳優に転身したものの2枚目の役ばかりだった阿部寛(46)の新しい魅力を引き出した。
つかさんとの仕事について、さとみは「いろんな方向からボールを投げられ、それをていねいに返していくうちに、ひとつの気持ちができあがった」と一体感をあげ、阿部は「ぼくの深い部分を探って内面にある力を引き出してくれた」と感謝。厚い信頼を寄せていた。
厳しいけいこの末、神経性心痛になり病院に運ばれた俳優も。つかさんは病院にまでついていき、「うまいもん食わないとダメだぞ」とお金を置いていったこともあったという。
猛烈な厳しさと激しい情熱の裏には、温かく優しい思いやりが隠れていた。
★ペンネーム平仮名は母のため
つかさんのペンネームは、在日韓国人2世だったことから、「いつか公平な世の中になるように」との思いを込めたとの説があったが、実は65年3月に自殺した中核派の学生運動家、奥浩平(おく・こうへい)氏の名前が由来であることを自著の後書きで明かしている。全部平仮名にしたのは、「漢字が読めない母にも分かるように」と明かしている。自身の出自を明かしたのは、83年に再婚した生駒直子さんとの結婚披露宴。90年には、当時4歳だった一人娘、みな子さんのために書いた単行本「娘に語る祖国」で、ルーツと民族について語った。