2007年03月24日 23:30 [Edit]
スーツは正装ではない
意外かも知れないが、私はこれに同意だ。
レジデント初期研修用資料: できる人はみんな正装社会的に成功した医師であるとか、たぶん多くの技術系の人達というのは、みんな普段から正装しているか、あるいはその人の正しさを保証してくれるコミュニティを周囲に作って、いずれにしても外から見て「正しい格好」を保っている。
ただし、勘違いしてはもらってはいけない。私が言う「正装」というのは、あくまで「正しい装い」のことであって、「スーツ」のことではないからだ。
デーモン小暮は早稲田大学の卒業式に、おなじみの悪魔の姿で臨んだそうだ。それを咎めた教員を、彼はこう一蹴した。
デーモン小暮閣下 - Wikipedia対談番組『徹子の部屋』にゲストとして招かれた際、自身の早稲田大学卒業式の折にありのままの悪魔の姿で卒業式に出席したため、当然ながら大学職員が制止したが「これは悪魔の正装だ!」「みな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。我輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ!」との発言を繰り返し強硬に押し切ったところ、通りがかった知らない教授に「最近は君のような気骨のある学生が少なくなった」と激励を受け、共に記念写真を撮った、というエピソードを披露している。
私はこのエピソードを閣下の「我は求め訴えたり」で知ったのだが、我が意を得たりとはこのことだった。正装とは、まさにこのことなのである。
正装という言葉が引っかかるなら、勝負服でもかまわない。が、装いが単に服だけの問題ではない以上、やはりこれには「正装」という言葉がふさわしい。鳶の地下足袋、力士のまわし、外科医の滅菌服....これらはすべて正装の例である。
その意味において、実はスーツは正装ではない。装いに「間違っていない」というメッセージはあっても、「正しい」というメッセージは皆無だからだ。スーツが語るのは、「私は社会に対して反抗心を抱いてはいません」ということであって、「私はあなたのために仕事をするためにここにいます」ということではないのだ。
よって大事なのは、後者のメッセージをどう発するかであって、それに比べたら前者はたかが知れている。あなたは今日上司や部下や同僚が何を着ていたのか思い出せるだろうか?しかし彼らがどういうオーラを発していたかということは克明に覚えているはずである。もし覚えていないなら明日にでも辞表を出した方がいい。
実は、本当の正装はこの「オーラ」のことなのである。別に Hunter x Hunterの専売特許じゃない。これをきちんとまとっていれば、どんな服を着ていようが構わない。服は下着に過ぎないのだ。
とはいえ、下着にもいろいろある。透けて見えやすいものと透けて見にくいものであれば、後者の方がいいに決まっている。ましてやオーラが薄い時分はそうだ。スーツはその意味では、世界の多くの場所で見えない下着となってはいる。ギークのシャツとジーンズも同様だ。しかしどちらも下着に過ぎないのは確かであり、透けるときには透けてしまう。
私自身は、スーツは所有すらしていない。葬式の時は喪服ではなく喪章を纏う。それで失礼だと言われたことは、ガキの頃はとにかく成人となってからは一度とてない。
いつも同じような「下着」の私だが、本当の「装い」は常に変えているし、必要な時には一瞬で切り替えることが出来る。装いに関しては、少しばかり自信はあるし、年々自信は増している。
レジデント初期研修用資料: できる人はみんな正装こんなものを持っていない人が、 その人に勝負をしかけようと思ったならば、技術を磨くんじゃなくて、 ネクタイをきれいに結ぶ訓練をはじめたほうが正解に近い。
だからこれに賛成してあげたいが、しかし人は人の服なんぞ、ほとんど見ていないことも知っている。人が本当に見ているのは、その上ににじみ出しているオーラだ。人の直感はこの面において実にするどい。ネクタイを綺麗に結ぶ練習しかしていない人は一瞬にして見抜かれてしまう。彼らが服装咎められるのは、奇異な格好をしているからではない。彼らが「下着一丁」だからだ。下着が透けているから、下着が気になるのだ。
とはいえ、はじめから正しい装いが出来る人もいないし、完美な装いというのはありえない。それではどうすればいいかといえば、話は実は簡単だ。一つだけ、自問自答してみればいい。
今の格好をした自分に、自分は仕事を頼みたいか?
それでためらいが生じるようであれば、下着でもなんでも変えてみればいい。ためらわずに仕事を頼むのであれば、あなたは正しい装いをしていることになる。ただし、この自問自答をする時に、考えて答えてはならない。答までの時間は0.2秒といったところか。もし「OK」だと思っても、時間がかかり過ぎたらそれは正しくない。その時間はあなたが自分に対していいわけを考えるのに要した時間だからだ。
同じ結び方なら、ネクタイより縁である。
Dan the Dresser
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考えは違っていただろう。
そう云う意味では今の背広は第三種軍装
http://homepage2.nifty.com/nishidah/t_xa4.htm
「略装は作戦行動中に着用すべき服装であり…」という意味でも背広は正装。
バードウォッチャーには、バラクーダーネットが正装(嘘)
「正装」という言葉の拡張のしかたを間違えたかな、というのが反省点ですね。
周りに理解されているのではなく、諦められているだけですよね?
成人した人間に、わざわざ「常識」を教えてくれる人は希ですから・・・。
の演出には成功してると思います。
デーモンは「反逆する」という<ロックスピリット>を
まっとうしたわけでそういう意味では凡庸というか「優等生」
でしょう。
(あの白塗りで一生いくんですかねえ・・・つらそうに
見えないこともない。)
「虚の真実を押し通して絶えていくのがいい♪」椎名林檎
確かに、「わざわざ夜中にガラス窓割りに登校する」学校大好きなあの優等生と同じ臭いがしますな。
えらそうに言ってるけど冠婚葬祭のマナーとしては間違ってるよね。
まあどおでもいいけどさ、
そういう考えが、みんなをしらけさせるんじゃないの?
行き過ぎた欧米主義なのか。
何か勘違いをしている。
Dan the Dieter
「本人が正装って思ってるからいいじゃん」みたいな。
その通りと思う方は社会適応できないから、引きこもってくださいな。
まあどうでもええのだが、おいらのガキのときの思想だから気になった。