さてさて、今号は“珍”なスポーツにスポットをあてることになりまして、完全個人的見解で恐縮なのですが、井手らっきょさんにご登場願うことになりました。よろしくお願いします。
「こちらこそお願いします、インタビューなんてなかなかないんで嬉しいです。でも、なんでそのテーマでボクなんですか? その個人的な見解というのは」
「井手らっきょという存在はスポーツである」といった感じです。井手らっきょの“芸”は“珍”ではあるがエクストリームなスポーツではあるまいか? といった感じです。
「なるほど、それって喜んでいいことなんですよね?」
そこらへんはお任せしますが、視点は完璧にリスペクトですよ! では早速いきますけど、そもそも芸人の道を歩まれたきっかけっていうのはものまねとのことですが、そういうのっていつ頃から目覚めたんですか?
「中学生の頃ぐらいからものまねをはじめたんですけど、当時好きな女の子がね、西城秀樹の大ファンだったんですよ。で、西城秀樹のものまねをやってその子に注目されよう、その子に振り向いてもらおうと思って」
ファーストモチベーションはモテたかった?
「その通りです。でね、ちょうどハウスのバーモントカレーのコマーシャルが流れてた時期で、それのものまねを一生懸命に練習して、もうめっちゃ完璧になってですね、それで『見て見て!』ってやったんですけど、あんまり感激しないんですよ。『あれ?』って」
秀樹感激!なはずなのに(笑)
「そうそう!『感激!』じゃないのって? で、西城秀樹が好きなんじゃないのかって聞いたら『郷ひろみに変わった』って……。その頃、御三家って感じで郷ひろみと野口五郎、そして秀樹が大人気なときで、その子はこないだからひろみのファンになったって」
完璧な秀樹をもってしてもまったく響かなかった?
「まったく響きませんでしたね。で、速攻で郷ひろみのものまねを練習したんですけど、やっぱ似てる似てないというか、得手不得手があってダメだったんですよね。まぁ、そんな不純な気持ちでものまね始めたんですけど、それがひとつのきっかけっちゃきっかけですよ」
最初は好きな女の子に喜んでもらいたいと思っていただけだったのが、ものまねを練習していくうちにものまね自体にハマって?
「おもしろいなぁって。で、それ以外の方にも手を出し始めて、なんか昔って特徴ある人がたくさんいたんですよ、森進一さんとかもやってたし、田中角栄さんとかもやったし、中学生ながらいろいろやってた気がしますね」
ちなみに当時、人気があったものまねの方って?
「オレが中学の頃はものまねっていうジャンルはなくてですね、声帯模写って言うのかな、いまもうお亡くなりになりましたけど、桜井長一郎さんって大師匠って方とか、伝統芸能みたいな扱いというか」
つまり寄席でいうと色物という感じ?
「大学の頃になると片岡鶴太郎さんとかがマッチとかをやり始めてものまねの人気もググンと上がりましたけど、その頃はそんな感じでしたね」
では、まだ中学のクラスレベルな微弱電波しか発していないドインディーな活動ではありますけど、ものまねとしては時期的にかなり先駆者だったということになりますね?
「そうですね。高校に入って野球部に入って野球一筋の野球漬けな毎日になるんですけど」
高校時代は野球一筋ってことは、笑いを取りに行ったりとかはまったく?
「その辺は継続してました。基本はものまねで、小林旭さんとか演歌をよく歌ってましたね、昔の名前で出ていますとかその頃流行ったんですよ」
スポーツ万能でおもしろいってなるとモテモテじゃないですか?
「ネタはよくウケましたし、女の子にはモテましたね(キッパリ)ただ、女の子から手紙なんかをよく貰ったんですけど、、全然返事とかを書ける状態じゃなかったんですよ。ホントに1日が野球一筋みたいな感じだったんから。で、最後にもらったラブレターに『私のこと全然振り向いてくれないのね、あなたの恋人は野球だったんですね』みたいなことが書いてあって」
なんかいい話ですね、おもしろくないのが残念ですけど。
「普通にいい話だからいいじゃないですか! でも、そのときつくづく考えちゃいましたよ、『オレの恋人は野球なのか……、オレは本当に野球が好きなんだなぁ』って、ただそんな野球で推薦を貰って大学を受けたら見事に落ちましたけどね」
野球推薦ってことはかなりの成績だったんですか?
「いや、それがそんなでもなかったんですよ。甲子園には出てませんし、県大会も僕らベスト8くらいだったんで、それがダメだったんだろうなって」
ありゃりゃ、じゃあそこで芸人さん希望にシフト?
「いや、それはまだですね。お笑いブームなんかまだまだ先の話ですからね。お笑いの世界には興味がありましたけど、当時って高校でお笑いを目指す人なんて身近にいませんでしたし、おぼろげにって感じでしたね。まぁ、オレは体を動かすことが好きだったこともあって、体育教師になりたいなってずっと思ってましたから」
へ!? らっきょさんって体育教師を目指してたんですか?
「将来は先生になりたいなって、教科は体育がいいなって思ってましたね。憧れてた先生がいましてね、柔道の先生だったんですけど、怖いけど優しいんですよ。で、オレも『こんな生徒に好かれる気さくな先生になれたらいいなぁ』って」
……。あのぉ、これって笑っていい話ですかね?
「マジメな話ですよ! オレはですね、みんなのお兄さんな存在で、生徒に慕われる優しい体育の先生になりたかったんです(キッパリ)」
アハハハハ! じゃあ野球での推薦で大学野球界に入るのから教職取りにシフト?
「そうですね。で、早稲田の教育学部を受けようと思って浪人して予備校に行くんですけど、予備校の手前にパチンコ屋があってですね、毎日そこに寄り道してたらもう勉強どころじゃなくなって、なんかわけわかんない状態になってしまって」
浪人予備校生によくある病にかかりましたか(笑)
「かかりましたね、ホント1年間なにしてたんだって感じで。で、『ああダメだ、これじゃ体育の先生にはなれねえな』って落ち込んじゃったんですよ。でね、親父が銀行員だったものですから、『このままどこでもいいから大学に入って、銀行だったら親父のコネクションで入れるな』みたいなことを思い始めてしまい……」
最悪な流れになっちゃってますね。もう「銀行員としてやっていく」的な覚悟も決めて?
「それはまったくなかったですよ、だって銀行員になんかなりたくもないですもん。でも、とりあえず近い将来はそうなるんだろうなってのは少なからずありましたね。で、地元にも大学はあったんですけど、親元を離れたいな、4年間遊びたいなって思って、久留米の大学の商学部に入って、下宿してみたいな」
商学部ってことは100%教師の道は諦めた?
「その頃はもう教師はなかったですね。オレの人生は銀行員かぁって感じで、まあ商学部入ったらなんかなれるだろうみたいな。そこからはもう高校3年間、野球漬けのストイックな生活から転げ落ちてですね、その頃は大学紛争なんかも終わってて、大学は花のキャンパスライフみたいな感じになってましてね、遊びたおしましたよ」
反動なんでしょうね。じゃあ、大学生活での目標みたいなものはこれっぽっちも?
「そんなもん彼女をつくるってくらいしかなかったですね。いままで野球部でもうほんとに恋愛とかできなかったんで、大学ではとにかく恋愛がしたいと思って。ただ、そんな淡い思いも入学した瞬間に弾けちゃうんですけどね(苦笑)」
なぜ!? どうしたんですか?
「入学した大学は全校生徒はけっこう1000人ちょいとかって感じで多いんですけど、商学部って女の子が20人くらいしかいないんですよぉ!」
アハハハハ! しかもその20人がかわいいって確率も低いですよね。
「低い低い! 男子と女子の比率がもうハンパなく違うんですよ。文学部とかは女の子がめちゃくちゃいて華やかだったんですけど、商学部はなんだか自衛隊みたいな感じで、男所帯なんですよ」
大学入学に際しての目標がいきなり暗礁に乗り上げちゃいましたね。
「ある意味、挫折ですよね。でね、4年間どうしようって考えて、野球は頼まれても絶対にやる気はなかったですし、こりゃどうしたもんかって思ってったときに落語研究会(落研)と出会いまして、勧誘されたときに『部員2名しかいない』とか言ってて、めっちゃかわいそうになって、周りの連中を誘って5人くらいで落研に入ることになるんですよ」
落研とはこれまら女っけのない(苦笑)
「まぁそうなんですけど、どうしようもないというか、わらにもすがるというか、お笑いはまだ好きだったんで、入ったときも先輩がめっちゃ喜んでくれたんで『やってみるか』と」
落語自体に興味は?
「まったくなかったですね(笑)、全然興味ないんです。落語がやりたいんじゃなくて、ただ人を笑わせるお笑いが好きなんで、それで入ってみようかと。で、やってみたらこれがおもしろくてですね、それがきっかけで、ものまねをまた始めるんですよ」
落語にものまね!?
「でっかい学食があったんですけど、そこで各サークルが新入生歓迎の新歓コンパみたいなのをやるってことで、各部代表でかくし芸みたいなのをやらなきゃならなくなったんです。で、落研でも出し物をやることになって、オレはまだ入って2週間くらいだったから落語なんてできやしなかったんで、先輩に『何かやれ』って言われて『じゃあ、ものまねやります』って感じで」
昔取った杵柄(きねづか)で(笑)
「その頃からネタなんかもストックがあったし、何だかわかりませんけどウケる自信もあったんですよね。で、いろいろやったら、最初はアウェイ感があったんだけどめっちゃウケてですね、そのまま同士を集めてものまね研究会の発足に流れていくんですよ。部員も最初ふたりだったんですけど、あっという間に増えて、けっこうなクラブになって」
学校でも大人気になったんじゃないですか?
「まぁ女の子は20人しかいなんですけど、なんと、その内のひとりと付き合ったんですよ! しかも向こうから!! 先輩だったんですけど」
おぉ、早くも目標達成じゃないですか!
「オレのものまねに惹かれたんでしょうね(しみじみと)」
アハハハハ! ちなみに、当時の十八番は?
「そのころは水谷豊さん。『熱中時代:先生編』の北野広大ですね。最終回の名シーンとかはもちろん、ほとんどのシーンをやれましたね。で、学校では大人気だってことで、これは外に出てみたらどうなるんだろうって思って、中央に出てみようって考え始めて」
大学は九州は久留米ですし、中央ってことは福岡は博多とかになるんですか?
「いやいや、九州の中央じゃなくて日本の中央ですよ!」
いきなり東京ですか!
「東京です! 東京で通用するのかなって、チャレンジしてみようって思って当時の『TVジョッキー(日テレ)』の素人参加企画みたいなオーディションを受けたんですよ。で、受かってですね、ザ・チャレンジっていうコーナーに出ることになったんです。3組くらいがチャレンジして1組チャンピオンが生まれて、毎週チャンピオンが誕生して3週勝ち抜けばグランドチャンピオンになってなんか貰えるって感じでね」
ほほぉ! で、どうだったんですか?
「なんだかですね、お客さんのほとんどがある特定の組の人たちの応援団なんですよ。オレらなんてひとりも応援がなくてドアウェイ状態で(苦笑)。しかもですね、ディレクターがオレらのネタ見せを見て『これとこのネタとこのネタでやってくれ』って言うんですよ。それってあまり自信のあるネタじゃなくて、オレは水谷豊さんとか自信のあるネタをやりたかったんですけど、ディレクターは水谷豊さんを頑に拒んで捨てネタみたいなのを選ぶんですよ」
なんだかきな臭いですねぇ(苦笑)
「でしょ? だからもう別にいいやって思って、本番ではおもいきり水谷豊さんのネタをやったら、それがガンガンにウケたんですよ。ただ、ウケたんですけどチャンピオンにはなれなかったんですよねぇ、他のヤツらは全然おもしろくなかったですし、どう考えてもオレらが飛び抜けてウケてたと思ってたんですけどね」
大人の事情が発動したんでしょうね……(苦笑)
「今考えるとね(苦笑)まぁでもその頃はそういうのってわかりませんし『ダメだったなぁ』みたいな感じで田舎帰って。で、今度は『笑ってる場合ですよ!(フジ)』のものまねグランプリの予選が福岡でありますって情報が入って、それに出たんですよ」
福岡予選って! だとすると全国各地で行なわれてたってことですから、頂点はかなり狭き門なんですね……
「狭いですよぉ、九州では3都市ってそのときのディレクターが言ってましたからね。で、その福岡予選にものまね研究会のメンバーで出たんですよ。そのときもオレは水谷豊さんメインでやったんですけど、そのディレクターが『君の水谷豊は見事だ! 予選はもうどうでもいいから番組に出てくれ』って(笑)『マジですか?』みたいなね」
福岡代表なんてのはもうすっ飛ばして。
「シード選手扱いですよ。で、『笑ってる場合ですよ!』に出たんですけど、そのものまねグランプリってのがオレの他に4人いるんですよ。それで打ち合わせの時に自分がどういうネタを出すのか事前に報告するんです。ものまねグランプリの流れはパネルがあってですね、芸能・音楽・スポーツとカテゴリがあって、そのひとつひとつに芸能の20点だとかスポーツの30点だとか音楽の50点ってあって、例えば芸能の20をめくると西城秀樹とか出て、西城秀樹のものまねができる人は早押しでピンポンを押してものまねをやんなきゃならないっていう感じなんですけど」
かなり画期的というか、ものまね的には意味のないルールですね(笑)
「今そんなのないですよね。で、そのパネルの裏には事前に報告したそれぞれのレパートリーネタが書いてあるんですけど、その95%がボクのネタだったんですよ。しかも、その打ち合わせのときに『自分のネタ以外では絶対にピンポンするなよ!』ってお達しがあって(苦笑)」
「TVジョッキー」の逆っていうか、かなり露骨ですねそれ……。
「『もう絶対自分のネタ以外は押しちゃダメだから、これテレビのルールだから』って強く言われてるわけで、そして出て来るパネルは全部ボクのネタなわけですよ。なので、他の人らがパネルをめくってもピンポンを押すのはボクだけで、ボクがほとんどウケを持っていってるという状況になっちゃって。で、優勝ですよ。あれには困りましたね(苦笑)」
うわぁ……。まぁ、らっきょさんが大人の事情を仕込んだわけじゃないですからNO問題ですけど、なーんか後ろめたい気持ちになりませんでした?
「そりゃ何もわからない田舎者でしたけど、なんかね。こんなのいいのかな、他の人に悪いなってのは感じましたね。『この世界の掟だからごめんね、しょうがないから』ってそのディレクターは言ってましたけど。で、そのときは優勝しちゃって、会場もウケにウケて、次の大会も優勝してまたチャンピオンになって、次はチャンピオンだけを集めたチャンピオン大会だって、そこでも優勝してグランドチャンピオンまでいきましたね」
それらはもう全て独り舞台だったわけですか?
「最初のような露骨なのはさすがになかったですけど、ぶっちゃけそうですね。もうどこもかしこもオレのネタでね、グランドチャンピオンになって、さらにその上のグランドチャンピオンだけを集めた大会にグランドチャンピオン大会でも優勝して、初代スーパーグランドチャンピオンなりましたね」
チャンピオンのバーゲンセールですね。
「もうそれ以上はないっていうチャンピオンになってしまって。もうその頃には番組にもレギュラーで出演するようになって、素人なのに、別に欲しいとも言っていないのにギャラまで自然発生しはじめて(苦笑)」
おぉ!成功街道爆進じゃないですか!!
「他には出ないでくれたら今後も絶対に悪いようにはしないからとまで言われて、正直嬉しかったんですけど、オレはどうにもね、あの番組にどうしてもリベンジがしたくてですね」