昨年8月の総選挙での大敗以降、瓦解の危機が続いた自民党。土俵際で臨んだ参院選は、失政を繰り返した民主党が10議席を減らす一方、自民は51議席を獲得して改選第1党に復調した。転がり込んだ勝利に、谷垣禎一総裁は何を思うのか。【鈴木梢】
11日夜、東京・永田町の自民党本部4階。テレビ各局の選挙速報が始まると同時に、全国の選挙区候補者の名前を連ねたボードに次々と当選確実のバラがつけられる。歓声や拍手が相次ぎ、昨年夏の総選挙での歴史的大敗で忘れ去った歓喜の感触を、楽しむ余裕さえ感じさせた。
与党過半数割れが確実になると、カメラマンは笑顔を求めた。谷垣総裁は「3分咲きの笑顔だな」と自制した。だが、米軍普天間飛行場移設問題の迷走で揺れた沖縄での勝利の朗報に破顔した。「負けたら解党して出直し」と言われたほどの危機をしのいだ安堵(あんど)の表情が、一瞬浮かんだ。
谷垣総裁は胸を張って「自民党がもう1回信頼される党に生まれ変わっているかどうかを問われた選挙。有権者からありがたい審判をいただいた」と強弁した。
だが、自民党は本当に「生まれ変わって」、国民に「信頼」されたのだろうか。
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投開票日1週間前の4日、谷垣総裁は東京都内を巡っていた。渋谷、新宿、巣鴨、銀座--。若者の流行発信地から、高齢者の聖地を経て、路面店が並ぶブランド街へ。もともと無党派層の支持が低い自民党が、都市部で明確なターゲットを想定するのは難しいと判断したのか、JR山手線に乗り込み東奔西走する。
炎天下の渋谷・ハチ公前。マイクロバス型の選挙カーの屋根から、谷垣総裁が人さし指で天を指して訴える。「世界で1番の日本を作りましょう。自民党は1番を目指します」
選挙前に番記者から「分かりにくい」と指摘された新キャッチコピーに、通行人の反応は薄い。「かつての日本は治安、教育、ものづくり……1番でした」。右肩上がりから安定成長を維持した時代への懐古調。「設計図が描けない」との民主党批判も、その後の経済崩壊に言及しないままでは説得力はない。
スクランブル交差点の信号が青に変わる。選挙カー前から聴衆がはける。05年夏の郵政選挙で、小泉純一郎総裁(当時)見たさに池袋駅前交差点に集まった数千人以上の有権者が、10分を超える演説中、足を止めたままだった光景とは事象そのものが違う。
同日夕、新宿駅西口の百貨店前。新党改革の舛添要一代表は「新党改革は昔の自民党政治には戻りません」と訴えていた。その前日の3日夜、駅を挟んだ東口では、たちあがれ日本の与謝野馨共同代表がかすれた声を張り上げていた。「消費増税導入のためには複数税率が必要」。玄人受けはするであろう、以前からの増税論者の言葉は、雑踏の中に霧散した。
二つの新党は、かろうじて各1議席を獲得したに過ぎない。他方、08年12月の衆議院解散要求決議案に与党議員でただ一人賛成、自民党を飛び出した渡辺喜美・元金融担当相が代表を務めるみんなの党は10議席。同じ新党でも、源流とする自民党にとったスタンスが明暗を分けた。自民党の遺伝子を複製した亜種が甘受されない現実に、薄氷だった自民党の勝利が浮き彫りになる。
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谷垣総裁は、今までの自民党の選挙戦術を変えた。小泉劇場と呼ばれた郵政選挙で、小泉総裁は東京都武蔵野市の吉祥寺駅前で第一声を上げた。その後は地方を転戦したが、ファーストサンデーと投開票日前日は、いずれも池袋駅(豊島区)や中野サンプラザ(中野区)といった23区内で、無党派層に支持を訴えた。公示日、日曜日、投開票日前日に都心で街頭演説する手法は、07年参院選の安倍晋三、09年衆院選の麻生太郎の両総裁にも引き継がれた。
今回、谷垣総裁が東京で街頭演説したのは数カ所だけ。第一声は甲府市、その後は栃木や岡山、富山などの1人区を回った。30の都道府県を約1万9000キロ移動。浮動票を捨て、現有支持層のはく離を最小限にとどめる守備的戦術に、手負いの将の苦悩がにじんだ。
投開票前日の10日。谷垣総裁は菅直人首相の地元、吉祥寺に乗り込んだ。集まった有権者に尋ねてみた。「自民党政治って何ですか」と。
「派閥政治」と答えたのは30代の男性会社員だ。閉鎖的な年功序列システムを生き抜いた高度経済成長世代の上司の姿を見てきた男性は、時に出身校や出身地が武器になることを知った。だが今、社内を見渡すと「契約社員が増え、派閥色はあせた」と思う。
パート勤務の30代女性は「官僚政治」と断じた。配偶者控除という名目で労働時間を規制される現状を嘆き、「近くの保育園は待機児童であふれているし、介護への不安も尽きない」と将来を案じる。「政治家は官僚の方を向いている。自民党が言い出した消費増税も、そもそもは官僚のアイデアでしょ」と切って捨てる。
20代の男子大学生は「政治そのものに興味がない」。1990年代初頭の冷戦構造崩壊で、キャンパスからもイデオロギー論争が消えたからだろうか。自民党政権時代のバブル崩壊、08年9月のリーマン・ショック。不況が「思想や理念より就職活動」という考えに拍車を掛けたという。
結党55年。菅首相の選挙区、いわばアウェーの不利を差し引いても、自民党の印象は、確実にネガティブに変化している。昨年の総選挙の敗北は「終わりの始まり」と評された。比例代表の当選者数は、過去最低だった07年参院選を下回る12議席にとどまった。この勝利を「再生の始まり」と呼べるのか。
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11日深夜、谷垣総裁の本音が見えた。分刻みで続く放送局の中継が1時間に及ぼうとした時、菅首相が突如消費税増税を打ち出したことを踏まえて勝者の弁を求めたキャスターに、高揚した谷垣総裁は警戒感をわずかに解いて答えた。「菅さんのオウンゴールだ」と。
決勝点を奪取できる点取り屋不在のチーム事情は、総裁自身が一番よく理解している。
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毎日新聞 2010年7月13日 東京夕刊