2007年01月28日

今日の学びー47

憎悪地獄から身を救うバランス感覚


ウエイン・W・ダイアーの著書のなかにある言葉

 昔ある人が何かのことであなたをひどい目に遭わせたとする。あなたは今でも気分を害し、怒っているとする。とうとうその怒りは憎しみになった。あなたはどこに行っても、その憎しみを決して忘れない。憎しみを自分の持ち物にしている。憎しみを抱いているのは、あなたであり、あなたイコール憎しみになっているのだ。憎しみとは、すべて自分の考え方から生まれたのだから、自分が憎しみから解放されることはない。あなたは、他人に自分の気持ちを傷つけられたばかりでなく、その後もずっと気持ちを他人に引っかきまわされたまま生きている。他の人たちがそれぞれ自分の道をしっかりん歩んでいるのに、あなたは憎しみの虜になって生きているのだ。
 人を非難するのは、本当につまらないことだ。人の卑劣な行動を非難すると、そのとたん、その人にコントロールされることになるし、他の人との関係においても、その人の思いどうりになってしまう。私たちは、自分自身に目覚めた生き方をすることも、幸せをつかむこともできない囚人になりさがってしまうのである。人を非難することが、どんなに人生を空しく駄目にしているかがよくわかるであろう。私たちは、人を非難している限り、現在の八方ふさがりの状態から抜け出せない。相手が変わってくれるのをただ待つしかないのだから。
 人を許すことは、非難して起こるマイナスを超越する手段なのだ。人をいったん許してみると、もう人を非難する気にはならない。そしてみんなを許そうとすると、非難する相手はいなくなってしまう。皮肉なことだが、そうなると、私たちはもう許す必要がないのだ。許すとは、あなたの間違った考えを変えるということなのだ。他人の行動をどう受け取るかによって、私たちは自分の人生をつくり出している。だから私たちが人を許す必要はまったくないのだ。人生のさまざまな苦労も、すべて考え方ひとつだ。
 私たちの夢を実現するには悪人も欠かすことのできないメンバーなのだ。それに私たちには、すべてを生み出した責任がある。こうゆふうに考えれば、どんなことが起こっても、私たちは誰のことも非難しない。これが一番自由な段階なのである。人を非難しないで、人生の責任をとろうとすると、大変な自制心がいる。それには自分を大切にすることだ。自分を大切な人間だと思えば、自分の感情を他人の意のままにされることなど決してありえない。だから他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。
  もしあなたが怒ったり、非難したり、軽蔑したりすれば、一生「いやな人間」と「他人との断絶」につきまとわれることになる。私たちにはもちろんそんなことは起こらない、私は人の良いところを探し、自分ですべての責任を取っている。そういう生き方をすると、自分の夢が実現するという経験を何度もした。あなたも自分の信じていることが実現するのを経験することになるのだ。人を非難し憎むのは、あなたがそのように考えているからだ。あなたの目に映るのは、あなたの心に住むものなのである。 
  
posted by curl at 11:26| 心の問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする