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2007年1月29日(月曜日)

1月16日 そのまんま東の知事選のさなか

そのまんま東の知事選のさなか
宮崎の鳥インフルエンザを視察、そばで飼育中猪が風邪に感染の話しに背筋ガ寒くなる


昨日、民主党大会の後、党として鳥インフルエンザ対策本部を立ち上げた。
本部長に菅直人代表代行、本部長代理に私、事務局長に篠原孝衆議院議員。
早速今日は宮崎県、清武町に現地視察に赴いた。

おりしもそのまんま東さんの知事選の真っ最中だった。
ところどころオレンジ色の「じっと しちよれん」の旗が掲げられていて、なにやら知事選の熱気が感じられる。
問題の谷口種鶏場は、思いがけずも新興住宅地のすぐそば、宮崎大学医学部とさほど離れてない位置にあった。
300メートル周囲は立ち入り禁止になっていたので、私たちは、ぎりぎりのところまで行くことにした。
県庁の職員が10名ほど、宇宙服の様な白い作業服を頭からかむって、鶏を殺傷して運び込んでいるところを見ながら、町長さんの説明を聞くことになった。
「周囲10キロ以内の鶏の肉と卵は移動禁止にしていますので、心配要りません・・・」
と話し始める。

「そばに猪の肥育をしているところがあって、翌日食欲がなくなりましたが、獣医さんの話では風邪ではないかとのことです」

私はその言葉を聴いてはっとした。
10年ほど前、佐賀県武雄町で「花とリスのメルヘン村」テーマパークを私が作り上げたとき、リスを購入するために、つてをたどって宮崎の動物商まで尋ねてきたときの話しを思い出した。
「私は猪も飼っているのです。この辺は養鶏場が多いので、毎日、2、2羽都心で行く鶏を集めて猪の餌に投げ込むのです」
猪は豚の同族だが、鳥インフルエンザは鳥から直接、人に移るのではなく、豚などにウイルスが一度感染して、人に受容性のあるウイルスに変異したものが、スペイン風邪のように大流行を起こして数千万人の人が死んだので恐ろしい。
既に東南アジアなどでは166人もの人が鳥インフルエンザで亡くなったとされている。


私は背筋が寒くなった。
谷口養鶏場の鳥インフルエンザで死んだ鶏を猪に食べさせていて、その猪が鳥インフルエンザに感染し、その肉を知らずに人が食べたとしたら、どうなるのだろうか。
「その風邪を引いて、食欲がなくなった猪は今どうなりましたか」
思わず聞いた。
町長さんも知らなかったが、後刻調べて報告いただいたが、その猪は平常に戻って、餌も今では廃鶏はやらないようにしているとのことだ。
ほっとしたもののなんとなくその猪の肉は気になる。

その後、私たちは殺傷処分された鶏の焼却現場を見に行った。
1時間ほど、バスに乗って現場まで行ったが、実に素晴らしい施設で、このところ産廃問題で、悩まされていた私にとって「目からうろこ」の感動、理想的な施設だった。
宮崎県が県民の半分50万人の一般廃棄物と産業廃棄物を最終処分するために、400億円(国が半分負担)をかけて整備しただけに見事なものだった。運び込まれたごみは、まず分別リサイクルされ、残りを3基の大型炉のうち2基で焼却する。鳥インフルエンザで運び込まれた廃鶏も殺菌した隔離室で10羽づつダンボールに入れられて、自動的に1分間隔で巨大なゴミ焼却炉に投げ入れられる。その焼却熱で1万2000キロワット発電も行っている。
もちろん、匂いも一切なく、ゴミ処理場とは思えないようなハイテクの工場そのものだった。
鳥インフルエンザは今年はただ事ならぬ予感がする。

2年前、京都の浅田農場の鳥インフルエンザのとき、私は直ちに「鳥インフルエンザ緊急措置法」民主党として、国会に提出、遅れて政府が「家畜伝染予防法」の改正案を提出してきたが、その法案のなかに、われわれが予定していた、周辺の養鶏農家すべての損害を国が全額補填することになったので、改正案に賛成したいきさつがあった。当時国として阻害の全額補填は異例の事で、少なくともそれだけの措置をとっておいたことだけでも、「よかったかな」と思う 。


2007年1月12日(金曜日)

五島の新しい年は子牛のセリで始まる

五島の新しい年は子牛の初セリで始まる。今年は正月から比較的暖かい日和の天気に恵まれている。若いころ、五島で「鬼岳牧場」と悪戦苦闘しているころは正月なんていう気分はなかった。そういえば正月の3日間は私が一人で牧場に寝泊りして牛の世話をしたこともあった。
あまり思い出したくない昔のことを、久しぶりに思い浮かべながら、米国産牛肉もまとまった量が輸入され始めた現在、子牛の価格がどうなるか心配になって、五島で開かれる子牛の初セリ市場を見に行くことにした。
大村の空港から飛行機に乗るといつになく満員である。
「やー久しぶりで元気ですか」ほとんどの人が顔見知りの牛飼い仲間、大村、東彼杵町の肥育農家、家畜商の面々が乗り込んできた。
有難いことに今年も五島の子牛を揃って買いに来てくれているのだ。
高級牛肉として有名な「松坂牛」も、五島で生まれた子牛、素牛を三重県で肥育したものもそう呼んでいるので、少々自慢でもある。今年も来てくれているだろうか、気になって隣に座った大村の家畜商、峠さんに聞いた。
「三重の前野さんも見えていますか」
「います。もう子供さんに代わりました」
私は例年賀状を交わしている前野さんが、毎回かなりの頭数を買ってくれている前野さんも来てくれているので大丈夫だ。ほっとする。
五島の牛市場は吉久木町にあって、私の生家のすぐ近くなので、子供のころはよく遊びに来ていたもので、なんとも懐かしい。
五島市、吉久木町の牛市場に行くと、軽トラックが、4,50台は並んでいて、既に子牛が3,400頭は運び込まれている。顔見知りの農家の面々も心なしか明るい顔をしている。ざわざわとした、いつもの牛市場の賑わいで活気がある。会話も弾む。
私の顔を見て、知り合いの農家のおじさんが
「先生、今度のセリ値はどぎゃんじゃろかな」と方言まるだしで聞いてくる。
「今年になって、つい3,4日前開かれた宮崎のセリがよかったから、大丈夫じゃなかろかな」とは言ったものの、実は、私は心配していた。今年になってから東京芝浦の食肉市場の相場が、和牛のスソモノで2000円はしていたものが1700円台に落ち込んでいる。このセリぐらいからさがりはしないだろうか。
セリ場に、子牛が引かれてきて、電光掲示板に体重、牝、去勢、親の血統が掲示されて、勢いよいセリの掛け声と共に価格が次々に上げられていく。周りの買参人が競争で落としていく。セリ値がみるみる50万円を超えて60万円代になると周りからどよめきが湧き上がってくる。
高い牛ばかりではないが、安い子牛も競られてきて、手塩にかけてきた牛が競られてしまうとどよめきとともに、それぞれ悲喜こもごもの人間ドラマが展開するいつものセリである。結構よく知っている人の子牛もセリにかけられて面白い。
私もちびた鉛筆をなめながら、3時間ほどセリに付きあったが、平均して50万円を超えるくらいだったろうか。この時期の価格としてはまぁーまぁーだったので、正直ほっとした。
今年、農業者にとっていい年であってほしい


2007年1月1日(月曜日)

元旦に皇居に参拝、改めて感謝


 
新しい年が始まった。年に一度、モーニングを着込んで、皇居に参拝する。緑の松と江戸城以来の石組みの城壁、重々しい門をくぐりぬけると皇居の中に入る。正倉院風つくりといえるのだろうか、見事な日本風建物が広がる。銅葺き屋根が素晴らしい。淡い緑と水色の中間色の一掃きしたような爽やかな色調だ。
建物なかも重厚である。天皇、皇后陛下のいつもと変わらぬ、穏やかな年始の挨拶を受けて御節料理をいただいた。そのまま、つつんでいただいて、今年も五島列島に住んでいるおふくろに宅急便で送る。
島は例年になく暖かい穏やかな天気だそうだ。有難いことに母も今年で満1O3歳、今頃は新聞を広げているに違いない。
さて新しい年、改めて深い呼吸をして覚悟の程を確かめる。

今年は4月の統一地方選、参議院選挙で勝たねばならない。念願の政権を交代させて、ここれからの日本のあるべき姿にしなければならない。
いつになく食糧の資源減少が声高に叫ばれ始めた今日、暖めてきた民主党の農林漁業政策を実現させなければならない。やることがいっぱいある。
 
私自身も今年は特に健康に十分に留意して、与えられた命を存分に燃焼させなければならない。
年の初めに改めて神に感謝。


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