2010年7月12日
スタジオジブリの新作「借りぐらしのアリエッティ」(7月17日公開)を見てきました。ジブリのアニメーター米林宏昌さん(37)の初監督作品(企画・脚本は宮崎駿さん)で、古い屋敷に隠れ住む14歳の小人の少女アリエッティと、そこに越してきた12歳の人間の少年・翔の淡い恋の物語。少し前に予告編を見た時、実は胸騒ぎがしたのです。アリエッティは生き生きしているのに、翔は魂の抜けたような生気のない表情……。
「うーむ、ゲド戦記みたいになってなければいいけど」
しかしそれは杞憂(きゆう)でした。「生気がない」のは演出だったのです。長く心臓を患い、無力感にとらわれている翔は、初めはどこか人形のような冷たさを感じさせる男の子でしたが、アリエッティとの出会いによって生きる勇気と喜びを得ます。映画は、小さくても元気で凛(りん)としたアリエッティそのままに、愛らしい小品でした。あー、よかったよかった。
草花や大小もろもろのかわいいインテリアグッズで埋まった床下の隠れ家は、欧風カントリーテイストのファンタジー空間。これに対し外界は、断崖(だんがい)絶壁のような食器棚やテーブルがそびえ、巨大モンスター(カラスやネコ)が襲ってくるアドベンチャーワールド。その中を縦横に動き回るアリエッティの輝きが、映画の見どころです。
外界に出る時は長い髪を洗濯バサミでまとめてりりしく、隠れ家の中では髪をフワリとおろしてかわいらしく。米林監督はその印象の変化をドラマに巧みに盛り込みます。それが最も生きるのがラスト。洗濯バサミ(と思っていたのですが大きさが合わない?)という小道具、そして「心臓」というキーワードが、「好き」なんて軽い言葉よりずっとずっと力強く「愛」を表現します。2人のロマンスは奥ゆかしくシンプル、そして潔くストレート。いかにも宮崎さんの脚本らしい味わいです。
ただ、何よりも私がシビれたのはこのラストが、大好きな「耳をすませば」へのオマージュになっていること。宮崎さんの脚本・絵コンテを「赤毛のアン」の名アニメーター近藤喜文さんが監督した1995年の作品です。取り合わせが「アリエッティ」に似てますね。
翔が越してきた家のネコは、「耳すま」で恋の橋渡し役を務めるネコ「ムーン」にそっくり。終盤、アリエッティたちが引っ越ししようとする夜、そのネコが翔を導いた先は――。「耳すま」の導入部と有名なラストがこんな風に結び合わされ、形を変えて15年後の今よみがえるとは。客観的に見れば、盛り上がりが弱くアッサリしすぎでは?という感想を抱いても不思議はないのですが、「耳すま」好きにはたまりません。94分という尺で、欲張らずつつましく物語を締めくくったというのが私の印象です。
マスコミ用資料によれば米林監督は、「耳すま」を見て「青春を感じた」ことがジブリに入ろうと思ったきっかけとか。ちなみに出身は金沢美術工芸大学(中退)だそうで、同大卒業生にはゲームデザイナーの宮本茂さんやアニメ監督の細田守さんのほか、「耳すま」の中の挿話「バロンのくれた物語」の美術を担当した画家の井上直久さんもいるという、そんな縁も発見しました。
このコラムを書く準備のため深夜「耳すま」のDVDをかけたら、ラストまで見た揚げ句もっと作品の中にひたっていたくてまた初めから見てしまいました(結局寝たのは3時過ぎ)。名古屋時代、夕刊勤務があけた後、社の隣の映画館に駆け込んで「耳すま」を延々と見続けた公開時の思い出がよみがえりました。そんな私の感想なので、「くもりなきマナコ」で見ているとはとうてい言いがたいことをお含み置き下さい。
あ、でもこのコラムはいつもそうか。
1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。09年4月から報道局文化グループ記者。