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Act.2 悪性腫瘍
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腐ったみかんは存在しない? そんな筈はない。それは確かに存在する。水に垂らした一滴の毒、純白のキャンバスを汚す紅、正常な細胞を蝕む悪性腫瘍。最早取り返しはつかないとしても、せめてもの対症療法はは唯一つ。除去。排除。切除。
わたしはそれを知っている。わたしはそれを迷うほど臆病でも愚かでも残酷でもない。だからわたしは剪定する。
構えたバトンに纏わせるのは励起された魔力による超低周波。ストレージデバイス”トイボックス”は高速演算性能を存分に発揮し、その周波数を攻撃対象に瞬時に最適化する。非殺傷設定は【Nonsense】。この魔法は対象の脳を高出力低周波で直接破壊することを目的とした殺害専用魔法であって、魔力ダメージがそのまま殺傷能力を意味するのだ。
「た、助けて。死にたくない!」
「わたしも、死にたくないです。みんな、そうです」
幸運のチケットは明らかに全人類の総数に対して不足している。誰もが救われる事なんてありえないのだから、誰かが犠牲になり続けるしかない。
「な、何で僕なんだよ! 何で僕だけがこんな事に!!」
「り、理由なんてないと思います。理由なんかないから、こんなにも世界は優しいんです」
幸福が約束されている人間も、不幸に呪われている人間もいない。明日のことは明日にしか分からないから、世界は希望に満ち溢れている。この世は素敵なおもちゃ箱。だからわたしは、この世に神様がいるとしたらとても優しいのだと思う。
「何だよそれ、何だよそれ、何だよそれはぁ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!」
涙を流し、狂乱の様相で叫び声を上げる少年に向けてわたしはデバイスの照準を合わせた。ロックオン。
「でも、あなたの友達は、お腹を喰い破られて死にました。頭から齧られて死にました。股を引き裂かれて死にました。あなたの望んだ大きなカブトムシに。あ、あなたは脳を揺さぶられて一瞬で死ねます。あなたは、幸福です」
そう言ってわたしがぎこちなく笑うと、少年は喉を潰すほどの絶叫を上げた。
【Subversive Pulse】
ショット。
不可聴領域の衝撃は酷く静かに対象の脳を破壊する。当然ながら音もない。これこそ、わたしの静穏暗殺技術の真骨頂。得意げに胸を張ってみるが、観客は誰もいない。観客がいたら恥ずかしくてこんなこと出来たものじゃないけれど。わたしは咳払いをした。
跡には綺麗な死体が一つと、不吉に光る青の宝石。
「――”災厄の種”」
拾い上げると、仄かに暖かい。わたしは感知能力に長けているわけではないけれど、それでもこの宝石に膨大な魔力が秘められていることは分かった。空を見上げると、ちょうど太陽が西に傾き始めた頃合だった。多分に偶然の要素が重なったとは言え、何とか彼の命令は果たせたことだし、予定通り部屋に戻るとしよう。
わたしは鼻歌交じりに”災厄の種”を”トイボックス”に収納すると、飛行魔法で空へ――上がろうとして、死体が残ってしまったことに気が付いた。
「え、えと、どうしよう」
そう言えばこの辺りはこの世界でもそれなりに治安のいい地域だったような気がする。こんな所に子供の死体を放置したら、もしかすると大騒ぎになるかも知れない。特に、わたしが直接殺害した子はともかく、この子の友達はどう見てもまともな死に方じゃない。
とは言っても、へっぽこなわたしはこういう場合に使える便利な魔法を持っていない。そもそも、死体は何時も放置していたし、何らかの理由で死体を処分する場合は超高熱魔法で蒸発させていた。さて、この世界の警察は蒸発した死体を発見できるだろうか。いや、悩んでいても仕方がない。わたしの結界は実質Cランク程度の能力しか持たないので、人通りのそれなりにある往来に何時までも死体をそのままにしている訳にも行かないだろう。
「よし、”トイボックス”、赤外光吸収――ホット分子生成。チャージ」
これもまた非殺傷設定が【Nonsense】の魔法。わたしの場合、使える魔法の殆どがこんな感じだけれど。オーバーSとは言ったものの、Sランク魔道師を魔法で殺害できると言う意味でしかない。攻撃系のほかは飛行を含む移動系の魔法の基礎と、最近覚えた初級レベルの結界術しか使えない。これまではそれで充分だったが、彼の元に来てからは殆ど役に立てたことがない。
それを自覚するととても落ち込んだ気分になる。この子達も殺さずに助ける方法があったかも知れない。
(でも、わたしは封印術式とか、使えないし)
管理局の喧伝する”正しい魔法”とやらにはまるで縁がない。だから、腐ったみかんを排除するような方法しかわたしにはないのだ。願いを浄化できないなら、願いの元を断つしかない。それでも、最良の結果を選定したのだから、わたしにとってはこれもまた”正しい魔法”に違いない。
「チャージ完了。吹き荒べ、退廃の風」
【Heat Storm, Beamlike Shot】
”トイボックス”の先端から四条のビームが射出され、一瞬で死体を骨も残さず蒸発させる。融点の低いアスファルトを融かしてしまわないように注意。わたしはこういう制御は得意なのだ。器用に人を殺す魔法のバリエーションは誰よりも豊富だと思う。
わたしは念のため地面に触れて、特に不自然な様子がないことを確認してから今度こそ空へ駆け上がった。
「……?」
ふと、そこで違和感を覚えて辺りを見回す。何か聞こえた気がしたのだ。息を呑む小さな声のような。わたしは首を傾げ、魔力反応を探ってみるものの、大した感知能力がないので何も見つかりはしなかった。
「? ユーノくん、どうしたの?」
なのはは彼女の肩の上に乗ったフェレット――ユーノの様子がおかしいことに気が付いて声を掛けた。ユーノはびくりと体を震わせると、何でもないよ、と短く答えた。
どう考えても何でも在る様子だった。なのはには流石にフェレットの細やかな表情など読み取れはしなかったが、それでも恐れや不安のような強い感情が彼を苛んでいるであろうことは推測できた。焦りなら何時も感じていた。それが不安に成長するのも分かる。だが、彼は何を恐れているのか。
心配になってユーノの顔を覗きこむと、考えに没頭しているのか、気付かれもしなかった。なのはは首を傾げ、取り敢えず気にしないことに決める。
「じゃあ、ユーノくん、次、行こう」
土曜日といっても時間は無限ではない。ユーノの様子は気にはなるが、本当に重大な場合は彼の方から話してくれるだろう。
”ジュエルシード”はまだたくさん残っている。早く回収してしまわないと大変なことになってしまうかも知れないのだ。
(それに、あの女の子)
あの女の子にもう一度会いたい。会ってちゃんとお話をしたい。どうしてあんなことをしたのか。”ジュエルシード”を集めて何をしようとしているのか。場合によっては、ユーノには申し訳ないが彼女に協力しても良いとさえ考えている。
そこまで考えて我に返ると、ユーノからの返答が何時までもないことに気が付いた。
「ユーノくん?」
なのははもう一度呼びかける。すると、ユーノは何時になく重々しい口調で搾り出すように告げた。
「なのは……。”ジュエルシード”の探索は、もう止めよう」
「え!?」
「やっぱり駄目だよ、幾らなんでもあんな危険な奴を相手に出来ないっ」
「危険って、昨日の子? あの子はそんな――」
「違う。もう一人いたんだ、とんでもない奴が! あんな酷いことを平然とするなんて、普通じゃない!」
「な、何言ってるの、ユーノくん。よく分からないよ?」
実際、なのはには訳が分からなかった。ユーノの話し振りからすると昨日の女の子の他にも”ジュエルシード”を集めている誰かがいるらしい。そのことには驚いた。しかし、いずれにせよ危険はある程度承知しているつもりだ。昨日だって危ない目にあった。とは言え、ユーノのこの怯えようは普通じゃない。危険って、とんでもないって、一体どういう相手だというのだろうか。
「ユーノくん、ちゃんと話してくれなきゃ分からないよ。もう一人って? 危険って、どういうことなの?」
ユーノは答えようとして、どう答えるかに迷って口ごもった。何と説明すればいいのだろうか。いや、事実を言葉にすることは容易い。だけど、あんな酷い話を、語るのもおぞましい邪悪を、なのはみたいな純粋な子には聞かせたくはなかった。
勿論、ユーノにもなのはがただ優しいだけの女の子じゃないことは良く分かっている。この世界には酷いことがたくさんあって、それでも前に進めるとても強い子だと知っている。時折自分と比較して、余りの眩しさに卑屈な気持ちになってしまうくらい。それでも、聞かせたくはない。ユーノの我侭に過ぎないとしても。そもそも、ユーノ自信のショックが大きすぎて、上手く言葉にすることが出来なかったのだが。
「ユーノくん!」
「な、なのは」
全身を強く揺さぶられて、ユーノは自身が深い懊悩のうちに埋没していたことに気が付いた。暑さからではない汗に濡れていることも自覚する。
「ユーノくん」
今度は静かに呼びかけられる。なのはの真剣な眼差しが、ユーノのそれと交差する。
「……」
数秒の沈黙を待って、結局、ユーノは観念したように溜息をついた。
「なのは、僕の話を良く聞いて、出来れば探索をもう止めて欲しい」
「……約束は、出来ないよ」
「うん、だろうね。だから、僕の話を良く聞いて欲しいんだ」
「うん」
ユーノはなのはの肩から降りると、近くのベンチに飛び乗った。それからなのはを同じベンチに座らせて、彼女の瞳をしっかりと見据えて語り始めた。
「昨日の女の子の他に、もう一人の女の子が”ジュエルシード”を集めているみたいだ。年齢はなのはより四つか五つくらい上だと思う。多少変則的だけどミッド式の魔法を使っていたし、あの緑色の長い髪からしても間違いなくミッドチルダの魔導師だ。昨日の子を警戒して準備していた探索魔法でさっき見つけたんだ」
「それでさっき様子が変だったの?」
「うん。でも、勿論それだけじゃなくて。確かにこんなところまで魔導師が何人もやって来るなんて普通じゃないけど、ロストロギアが絡んでくるとありえないとも言い切れない。余りに早すぎるとは思うけどね。ただ、問題はそう言うことじゃないんだ」
「問題?」
なのはの質問を、ユーノは一旦無視した。
「その子は間違いなく、なのはより上級の魔導師だ。それどころか、昨日の子よりも数段上かも知れない。僕の探索魔法に気付いていなかったみたいだから、搦め手は得意じゃないのかも知れないけど。だけど、魔力量はなのはにも匹敵するし、魔法制御力は普通じゃない。下手をすると、オーバーSランクの魔導師の可能性がある」
「オーバーSランクって?」
「魔導師の能力を表す指標みたいなものだよ。ランクが高いから強いとかそう言う話でもないんだけど、Sランク以上は本当に別格なんだ」
「えと、その子がオーバーSランク? の魔導師だから危険だってこと?」
「いや、そんなことだったらまだマシだよ」
そもそもなのはや昨日の女の子も一般的な魔導師から比較すると尋常な能力ではない。恐らくニアSランクに届くのではないだろうか。そこから考えるとオーバーSランクの魔導師を相手にすることは無謀とまでは言えない。勿論、ニアSランクの魔導師がオーバーSランクの魔導師に勝利する確率は一割を切ると言う統計があることから限りなく無謀に等しいという意見もあり得るが。
だけど、なのはならそんなものくらい覆してしまいそうな気がするのだ。なのはにはそう言う不思議な可能性がきっとある。
だから、そう言うことが問題なのではなのだ。問題は――。
「その子は、子供を殺した」
「えっ?」
そこでユーノは、溜まっていた唾を飲み込んだ。
「僕やなのはと同じくらいの年の男の子だった。危険な魔導師なんだ。”ジュエルシード”を手に入れる為に、”ジュエルシード”で願いを叶えた子供を殺して封印に代えた。無茶苦茶なやり方だよ。男の子は最後まで助けを求めてた。嫌だ、死にたくない、助けて、って。僕は見ているだけで、怖くて助けられなかった」
「そ、そんな」
なのはは声を失う。確かに、”ジュエルシード”が誰かを傷付けることは理解していた。下手をすれば死んでしまう人だって出るかも知れないとも思っていた。だからこそ、絶対に見つけなければならないと決意したのだ。それなのに、”ジュエルシード”を手に入れる為に誰かを殺すだなんて。
余りに現実感がなく、理解が追いつかなかった。そもそも、そんなのはなのはの常識の外だ。
何も言えないままのなのはを一瞥して、ユーノは続ける。
「その子は――そいつは、何でもないみたいに殺したんだ。あんなの普通じゃない。なのは、もうこれはなのはが受け止められる覚悟の域を超えてる。昨日の女の子相手だって充分に危険だった。けど、これはもう無理だ」
「そ、それは……でも、”ジュエルシード”を何とかしないと、この世界だって危ないって」
「それは分かるよ! けど、そのためになのはに死んでくれだなんて言えるわけがない!!」
「死――っ!!」
「そうだよ! このまま”ジュエルシード”を集め続ければ、きっとあいつに狙われる。あいつはきっと、なのはを殺すことなんて何でもないって奴だ。そんな奴と戦えだなんて、僕には絶対に言えない」
それに、あいつの魔法は殆ど質量兵器と変わらない。非殺傷設定なんて意味がない殺傷能力を追及した危険な魔法だ。そんなものを躊躇いもなく行使する高ランク魔導師が相手では、なのはは絶対に勝てない。
なのはが正道を行く限りは、勝てる筈がないのだ。
「なのは、だから”ジュエルシード”の探索は、もう止めて欲しい」
そこまで告げると、ユーノは体から悪いものを追い出すように長い長い息を吐いた。そのまま静寂が降りる。
ユーノはベンチの上に溜まった自分の影を見下ろした。燦々と照りつける日差しは熱いほどだ。ただ、何故か寒気を覚える。そこで、ユーノは自分が震えていることに気が付いた。そうか、これは寒気じゃなく、怖気だ。或いは悪寒かも知れない。
なのはの方を見ると、俯いたまま何かを考えているようだった。前髪が邪魔で表情は見えなかったが。
沈黙は十分ほども続いた。なのははじっとりと汗に濡れた手のひらを握りこむと、苦しげに言葉を搾り出した。
「……ユーノくんの気持ちは分かるよ」
「なのは!?」
なのははそこで顔を上げる。
「でも、決めたんだ」
「そんなのは駄目だ! なのはは分かってない!! 遊び半分じゃないんだよ!!」
「遊び半分なんかじゃない!!」
「――っ」
ユーノは初めて目にするなのはの強い剣幕に息を飲んだ。だが、一瞬で気を取り直すと、その眼差しを睨み返す。こればかりは譲れない。なのはが遊び半分なんかじゃないことは、本当は良く知っているのだ。だけど、だからこそこれ以上彼女を巻き込むわけには行かない。
「なのは……お願いだよ」
「……」
「なのは」
「……ごめんね、ユーノくん。ありがとう」
ユーノには分からない。幾らなんでも頑なに過ぎるなのはの様子に、どこか病的なものを感じてしまう。幼さゆえに意固地になっているだけだろうか。いや、同い年のユーノが言うのも変だけれど、なのははこの年齢にしては酷く大人の考えが出来る少女だ。訳も分からず反抗しているわけじゃない。自分なりの考えがあって、危険性もそれなりに理解して意地を通そうとしているのだと思える。
だからこそ、そんなものを認めたくなかった。
「なのは、今日はもう帰ろう」
「――うん」
これ以上は平行線とお互い悟る。ユーノは今度はなのはの肩に乗ることはなく、俯いて帰途に付く彼女の後をとぼとぼと歩く。
「ごめんね、わたしが馬鹿なことを言ってるんだって、本当は分かってるんだ」
「……なのは……」
「だけどそんな怖い人に、”ジュエルシード”は渡せない」
「あ……」
ユーノはなのはの指摘した事実に、今更ながら気が付いた。確かにそうだ。あんな危険な奴に”ジュエルシード”を渡してしまったら、どんな怖ろしいことに使われるか分かったものではない。
(だけど、それでも)
リスクだけを考えて行動するなら、なのはのやり方の方がずっと正しい。冷静さを失っていたのは自分の方だったかも知れないと思う。最悪、この世界から逃げ出してしまっても良いユーノと違って、なのはにはこの世界を守る理由がある。
怖ろしいことから目を逸らして隠れて震えているよりは、打って出ようというなのははきっと正しい。臆病なユーノなんかよりずっと眩しい。
「だけど、なのは、僕は君に逃げろって言うよ」
「うん。でもね、わたしは逃げない。逃げられないよ」
「……君は、強い。強すぎるよ」
それ以上は互いに言葉もなかった。
「えと、やっぱり、気のせい、かな?」
辺りをもう一度探っては見たけれど良く分からない。もし何かがいたとしても、一応結界は張ったままだから一般人ではないはずだ。わたしに探知できない程度の魔力しかない魔導師が相手なら特に問題もない。わたしに感知させない程度の高度な魔法技術を持つ魔導師かも知れないが、その場合はわたしが幾ら気にしても意味はない。一応その点は心に留めておくとして、いずれにしてももうこの場に用はないだろう。
「うん、帰ろう」
とにかく”災厄の種”は一つ手に入れたし、彼もきっと満足してくれるだろう。フェイトやアルフと成り行きで戦ってしまったことは彼の方針に反するかも知れないけれど、きっとこれも――そう言えば、フェイトたちはわたしたちの隣の部屋に引っ越してきたのだった。このまま帰っても大丈夫だろうか。今朝は結局和解には至らなかったし。話の出来る雰囲気でもなかったし、殺さずに勝利する自信もなかった。意味もなく殺すのは趣味じゃないし、わたしだって出来れば仲良くしたい。
(どうしたら、いいかな)
飛行しながらわたしは頭を悩ませる。とは言え、のんびり考えている時間は無かった。それ程遠くまで探索に出ていた訳ではないので、飛行魔法で飛ばせば部屋までは一分に満たない。わたしは扉の前に降り立つと、取り敢えず考えるのを止めた。隣の部屋からはもう人の気配はしない。魔力反応も、わたしに分かる範囲では存在しない。出掛けているのかも知れない。
そんなことより早く”災厄の種”を彼に渡したい。久しぶりに彼には笑ってもらいたい。わたしは扉を開けて、何とはなしに空を見上げた。
「今日もいい天気、ですね」
きっと良いことがある。