国家社会主義の興亡 体制転換の政治経済学 明石ライブラリー(デービッド・レーン・他)●版元ドットコムでの内容紹介によれば、このように書かれている。
言うまでもなく、本書で共通して用いた「国家社会主義(State Socialist)」概念はレーンの名を著名にするものであり、議論の対象として魅力的なものである。同時に、日本語でのこの用語は、民族主義と社会主義の折衷的政策を指向したナチス(国家社会主義・国民社会主義:National Socialism)体制を指すものでもあり、厳格に区別されなければならない。翻訳上、同じ訳を使っているが、明らかに内容は異なる。
つまり、「国家社会主義とは何か」という説明をする上で、それがナチス型「民族国家主義」なのか、ソ連型の共産主義国家を指すものなのかを明確に使い分けておかなければ、そもそも議論すら成り立たないということだ。事前にきちんとした言葉の定義をすることなしに、悪印象を与えるレッテルとして用いることは、決してフェアな姿勢ではありえない。
ところで、幸福実現党は社会主義と共産主義を混同している節が多々見受けられる。上記のように「左翼の思想に染まっている人たちは、死後の世界も、霊も認めようとしない」という。これは確かに、科学的社会主義による唯物論を掲げる日本共産党であればそうかもしれない(ただし、日本共産党には宗教者も多いことは周知の事実)。
しかし、社会党や社会民主党、あるいは社民連といった「マルクス主義ではない社会主義」系は、別に唯物論と結びついているわけではない。このあたりの根本的な誤解、誤った同一視が、彼らの主張を事実からかけ離れたものにする一因と思われる。
全体主義的な共産主義国家を指す「ステート・ソーシャリズム」と民主党の政策はやはり離れていると言わざるを得ない。
日本の国家社会主義
日本でも戦前に国家社会主義という言葉を用いた人物がいる。高畠素之である。
高畠素之はもともとマルクス主義であったが、堺利彦・山川均と袂を分かって右傾化。国家社会主義を唱えた。その思想は別名、急進愛国主義・無産愛国主義とも表現されており、「愛国」あるいは「国家主義」を前面に押し出している。これはもちろん、現在の民主党とは何の関係もない。
同様に国家社会主義に転じた赤松克麿は、最終的には右翼活動家として「日本主義」を標榜した。
山路愛山は一時期「国家社会党」を作っていたが、自然消滅している。これは北一輝が批判しているが、北一輝もまた国家社会主義者とみなされることがある。
一言で言えば、右翼が社会主義的な政策を取り入れれば国家社会主義という言葉になるということである。
いずれにしても、「国家」「国体」具体的には「皇室」を掲げて社会主義的な政策を進めようというもので、戦前の日本の政体そのものが国家社会主義的な全体主義国家であったというのも、おおざっぱな言い方としては許されよう。いずれにしても、社会主義的な要素(たとえば大きな政府や福祉の重視)だけでは「国家社会主義」とはなりえない。「国家」を前面に打ち出してはじめて、国家社会主義なのである。
民主党は国家社会主義政党とは呼べない