赤坂太郎

台風の目はみんなの党か舛添か

普天間で追いつめられた鳩山。緊迫する五月政局のキーマンは誰か――

「皆さんのご支援とご期待に応えて、本当に最後の総仕上げ、最後のご奉公のつもりで、なんとしても日本に民主主義を定着させ、そして国民生活を末永く平和で安定したものに築きあげなくてはいけない。そのために残りの人生を頑張って参りたいと考えている次第であります」

 四月十八日、岩手県奥州市の水沢体育館。関係者の心に「憶測」というさざ波を呼び起こすことが、民主党幹事長・小沢一郎の目的だったのかもしれない。父母の「しのぶ会」にもかかわらず、両親の思い出などほとんど語らず、二千人の参列者を前に語気を強めたのは、今後の政治活動への決意だった。

 自身と首相・鳩山由紀夫の「政治とカネ」をめぐる問題が尾を引き、度重なる政権の迷走が内閣支持率の急低下を招いている現状で、小沢が「最後の総仕上げ」を成し遂げることは可能なのか。小沢が今夏の参院選で目指す単独過半数確保には赤信号が灯り始め、米軍普天間飛行場移設問題での「五月末決着」を言明した鳩山にいたっては、民主党内でも公然と退陣説が囁かれる。

 小沢の真意は何なのか。

 現体制のままで強行突破するのか、あるいは首相のクビをすげ替えて参院選で反転攻勢に出るつもりなのか、関係者の「憶測」が止むことはない。

「あ〜そうか、そんなら普天間をそのまま使わせときゃいいじゃないか」

 四月初旬、側近から暗礁に乗り上げた普天間問題の現状を説明された小沢は、他人事のように言い放った。

 昨年十二月二十八日、小沢は国会内で衆院外務委員長を務める新党大地代表・鈴木宗男にこう語りかけていた。

「首相官邸の判断を待つが、沖縄の声は尊重しないといけない。あの青い沖縄のきれいな海を汚しちゃいけない」

 現行計画であるキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)への移設に慎重な姿勢を表明したのだが、この前には、沖縄本島東岸の勝連半島沖を埋め立てて人工島を作り、航空自衛隊那覇基地や米軍那覇港湾施設を併設するという構想の提唱者である、沖縄商工会議所名誉会頭・太田範雄と会い、「すばらしいアイデアだ」とも言っていた。

■普天間に無関心の小沢

 小沢にとって普天間問題は関心事ではなかった。昨年末以降、自身の「政治とカネ」の問題処理を最優先し、その他の関心事といえば、連立政権の維持と参院選での勝利のみ。合意の見通しもない難題を主導して責任を負う必要はない。鳩山のお手並み拝見という立場を崩そうとしなかった。

 だが、最大実力者の無関心は、普天間問題の混迷をより深くさせた。鳩山は総選挙当時に明言した「少なくとも県外移設」から、現行計画の容認示唆に転じ、最終的には鹿児島県・徳之島への移設へと、揺れに揺れた。外相・岡田克也は米軍嘉手納基地への統合案に固執した揚げ句、それが困難と理解するや現行計画支持に大転換。官房長官・平野博文は沖縄・伊江島に色気を見せたのも束の間、二月からは勝連半島沖の人工島構想の実現に邁進した。

 一方、防衛相・北沢俊美は政権発足当初に現行計画を容認した後、シュワブ内陸部の千五百メートル超の滑走路案とシュワブ沿岸部陸上の約五百メートル四方のヘリ離着陸帯構想を提唱。騒音や危険性の問題で内陸部が不可能と分かると、ヘリ離着陸帯構想一本に。ところが、これだと米軍が二〇一二年に配備予定の垂直離着陸機MV22オスプレーが運用できない。密かにライバル心を燃やす平野への対抗心も手伝い、北沢は鳩山が可能性を探る徳之島に理解を示し始めた。

 昨年十二月十五日、鳩山内閣は普天間問題の年内決着を断念し、現行計画を排除せずに移設候補地を検討する方針を決めた。駐日米大使・ルースは日本政府の真意を探ろうと、関係閣僚と個別に会談した。岡田は「現行計画で進めたい」と表明し、北沢は「新たな移設案を検討したい」、国交相・前原誠司は「現行計画でもやむを得ない」だった。

 いったい誰の言葉が正しいのか――。

 ルースは鳩山の意志を確かめようと官邸に向かった。

 鳩山はこともなく言い放った。

「任せて下さい。時期が来れば現行計画に戻します」

 鳩山はルースに空手形を切ったのだ。

 そして年が明け、一月の名護市長選で移設反対派の市長が誕生した。

 鳩山は現行計画の履行を約束した。一国のリーダーがそれを覆すはずがない。そう確信するルースは三月二日夜、都内のホテルで平野と北沢に対峙した。

「米国としては現行計画かその修正で合意したい。これを日本側が受ければ在沖縄米軍施設の新たな返還も検討する」

 北沢は「現行計画は政治的に困難」と説明し、平野も「より良い案を検討している」と応じた。一国の首相の言葉がいとも簡単に覆される――。米側の不信感が決定的になった瞬間だった。

 そして四月二日夕刻、首相執務室。北沢は鳩山にこう進言した。

「今後は滝野欣弥官房副長官も関係閣僚会議に出席させたらどうでしょうか」

 鳩山は「同感です。そうしましょう」とあっさり応じた。午後六時からの関係閣僚会議でも「滝野副長官を官僚の司令塔として進めていきたい」と宣言し、初めて自らの「腹案」を明かした。

「移設先として、徳之島を全力で追求したい」

 滝野は元総務事務次官の官僚トップ。滝野の関与は、外務、防衛両省の官僚の積極的な活用を意味する。この鳩山の方針転換には伏線があった。

 三月二十九日、ワシントン郊外の米国防総省。岡田は米国防長官・ゲーツに対し、シュワブ沿岸部陸上にヘリ離着陸帯を作りヘリ部隊の一部を暫定移駐させた後、徳之島もしくは勝連半島沖に全面移転させる構想を説明し、「鳩山政権は五月決着を目指している」と力説した。

 だが、ゲーツは間髪を入れずに「質問がある」と切り出した。

「日本政府はこの提案で地元の支持が得られると自信を持っているのか。首相や関係閣僚、連立与党の支持があるのか」

 岡田は「地元との調整は進めている。内閣の調整は任せてほしい」と答えるのが精一杯だった。日本側が軍事的合理性や地元調整を後回しにし、移設先の名前だけ投げてきたことを米側は看破していた。岡田は実務者協議の開催も求めたが、ゲーツは拒否した。

 もはや鳩山内閣には当事者能力がなかった。政治主導ではなんら打開できないことを思い知った鳩山は、官僚の知見を取り入れるために滝野を起用する方針に転じたのだが、時すでに遅しだった。

 四月二十日、滝野は徳之島の三町長に電話して平野との面会を懇願するが、拒絶された。

■くすぶり始めた衆参ダブル

「衆参ダブル選挙説も最近流れている。言われる通りかも分からない」

 四月十六日、TBSの番組収録で、国家戦略担当相・仙谷由人は、鳩山退陣の場合は衆院を解散して総選挙で信を問う可能性があると発言した。

 仙谷は結党以来の鳩山の同志であり、現在は政策の指南役でもある。本来は鳩山退陣の可能性を真っ向から否定すべきところだった。仙谷は、鳩山内閣の支持率が下落し始めて以降、「ポスト鳩山を目指すべきだ」とけしかける関係者に「私を今の国民が望むかどうか」と答えている。仙谷の言葉を裏返せば、「国民が望むなら総理を目指す」となる。消極的ながらも自らを「ポスト鳩山」と位置づけ始めていたのだ。

 仙谷発言の十日ほど前、元衆院副議長・渡部恒三も、日本外国特派員協会での講演で「(普天間問題を)解決できなければ責任は『政権交代』ということになる」と述べ、鳩山の後継候補として副総理兼財務相・菅直人の名まで挙げていた。

 渡部や仙谷のようなベテランが鳩山退陣に言及する背景には、民主党支持率の低下がある。内閣支持率が三割を切った現状では参院選に勝てない。鳩山には潔く身を引いてもらいたい。そんな意識が急速に民主党を覆いつつあるのだ。

 そんな空気の変化を感じたのか、自民党国対委員長・川崎二郎は、仙谷発言と同じ日、都内ホテルで開かれたパーティーでこう言及した。

「追い詰められたら小沢さんは起死回生で若い総理を担いで衆院を解散し、衆参ダブル選を狙うという話も流れ始めた」

 だが、総裁・谷垣禎一率いる自民党は民主党から離反した有権者の受け皿たりえていない。元財務相・与謝野馨らの離党・新党結成のショックがあったにもかかわらず、幹事長・大島理森の更迭を求める党内の声に応じようとしなかった。

 実は、ある首相経験者が谷垣に、父親譲りの言動で今や自民党の顔となりつつある小泉進次郎を党三役に抜擢する案を提案していた。しかし、十年前の「加藤の乱」で、元幹事長・加藤紘一の単騎突入を阻んで以後、「常に安全策をとることが保守だと勘違いしている」と揶揄(やゆ)される谷垣には受け入れがたい提案だった。河野太郎を幹事長代理に起用する“微修正”が精一杯だった。

 その結果、世論調査で「首相にふさわしい政治家」のトップに立つ前厚労相・舛添要一も、ついに離党・新党結成の道を選んだ。五十年以上の歴史を持つ自民党の溶解が始まったのである。

 迷走する鳩山政権と沈みゆく自民党を尻目に急速に世論の支持を集め、台風の目となってきたのが、元行革担当相・渡辺喜美が率いるみんなの党だ。

「もしかしたら衆参同日選挙があるかもしれない。これからは反射神経が大事だ。万が一に備えて、候補者を立てられるようにしておこう」

 二十日、国会内で開かれたみんなの党役員会で、参院選選挙区の擁立状況の報告を聞いた後、渡辺は所属議員に檄を飛ばした。渡辺は当初、少数政党でも議席確保が狙える比例代表と、改選数三から五の複数区を擁立対象に想定していたが、加速する党勢を受け、秋田や山梨、島根など、一人区にも候補者を擁立する作業に入っていた。

 元経産相・平沼赳夫と与謝野らが結党した「たちあがれ日本」と舛添の「新党改革」を「第二自民党と第三自民党だ」と切って捨てた渡辺も、かつて舛添との連携を模索していた時期がある。年明けには舛添と会談し、「しがらみでがんじがらめになっている自民党の総裁になっても何もできない。離党してわれわれと連携していこう」と口説いていた。しかし、舛添は「タイミングをみて」「執行部の対応をみて」と煮え切らなかった。渡辺は党勢が拡大していく中で、舛添との連携よりもみんなの党の独自性アピールを目指すようになっていった。

「反射神経」。参院選とその先の政局を見据え、二十日の役員会で口にした同じ言葉を渡辺はしきりに漏らしている。参院選で一定の議席を確保し、与党を過半数割れに追い込んでキャスティングボートを握る。民主党に公務員制度改革をはじめとするみんなの党の政策を飲ませ、連立与党に入って再編を目指すつもりなのか。

 だが、渡辺の小沢嫌いは他人の想像を超えている。かつて、非自民連立政権の首相・細川護熙の後継をめぐり、父・渡辺美智雄に首班指名を持ちかけながら、約束を反故(ほご)にした小沢をいまだに許していない。渡辺が父の果たせなかった総理の座を目指すなら、今度は小沢を利用し尽くす手もあると考える事務所関係者は「目も合わせたくないぐらい小沢を嫌っている」と苦笑する。

 一方、反小沢で知られる行政刷新担当相・枝野幸男とは数カ月に一回食事をする間柄である。枝野が宇都宮市出身で、栃木仲間という面もある。枝野に近い議員は参院選での敗北を見越して「民主党の非小沢系若手とみんなの党が連携し、行政改革に邁進すれば新たな枠組み構築が可能だ」と歓迎する。

 また、渡辺は行政改革担当相として入閣していた安倍内閣で一緒だった元総務相・菅義偉、元官房長官・塩崎恭久らとも太いパイプを持つ。菅とは月に一回程度食事をし、塩崎とは今国会で国家公務員法改正法案の共同提案にこぎつけた仲だ。自民党の改革派と組んで、野党として再編を企てる可能性もある。

 両親をしのぶ会で決意を披露した小沢が「最後の総仕上げ」のためにどんな奇手を使うのか。小沢を敵対視する渡辺はその「反射神経」をいつ見せるのか。そして、菅や塩崎など自民党内の改革派と袂を分かった舛添の新党がどこまで国民の支持を集めてくるのか。五月政局は緊迫の度を深めている。 (文中敬称略)


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