明日(7月11日)に映画「ザ・コーヴ」を上映する横浜ニューテアトルにささやかな抗議活動を計画し、
上映に関する質問状を送付したところ、長谷川喜行支配人ではない複数から問い合わせや中止要請が来た。
この映画は製作過程とその意図からして劇場での一般公開は如何なものかと思いから、
それこそ「表現の自由」の範囲内で行う示威行動である。
ある人は「上映館に対する抗議は弱いものいじめである」と、主張する。
弱者・強者の基準は何処にあるのか。
長谷川支配人のようにNHKやTBSと言った巨大メディアを駆使して、「命懸けで映画を上映する」と、
視聴者に宣言する雄姿を晒し、さらには数十人にも上る我が国言論界の著名人を応援団に従え、
日弁連や日本ペンクラブが支援する声明文によりバックアップされている。
月刊誌「創」8月号によれば長谷川氏を「映画人」と位置づけている。
映画と言うメディアを通じて情報や主義・主張を広く内外に発信する。
その中では太地町漁民の反発を買うような映像も敢えて発信し続ける。
当然に批判もある。だからこそ「覚悟」を持った映画人なのであり、それを踏まえて巨大マスメディアで主義・主張の発信が許されているのである。
対する私は、ほんの数人でチラシ配布等を行ってこの映画の持つ問題点を入場者などに訴えようとしているに過ぎない。
正に、蟻が巨大な像に抗議の声を上げているに等しい。
不確かな情報ではあるが、11日は私の示威行動に対し、このささやかなる表現の自由を妨害に来る勢力があるとも聞く。
それがいつもの公安当局ならば話は分かるが、どこかの民間団体であると聞く。
逆の立場で表現の自由が侵されていることを実感する。
この映画の上映を推進する人々とは何者であろうか。
少なくとも映画の製作や配給、上映館の関係者ではない。
「命を懸ける」長谷川支配人に殉じて命を懸けるほどの覚悟があるとも思えない。
私とて上映反対に命を懸けるほどのつもりはない。
上映中止に反対する人々の名前を見ていくと、何故か7年前のイラク戦争反対で活動したり、言論を発した人々が多く散見される。
「アメリカによる一極世界支配を許すな」「キリスト教的価値観の押し付けに反対」
「ユダヤ・シオニストのパレスチナ侵略を看過してのイラク攻撃を許すな」「西欧文明の押し付けでアラブの民の自決権を奪うな」、と主張してきた人たちだ。
私はそれより以前、1990年の所謂、湾岸危機の時代からフセイン政権を支持して度々イラクへ渡り、イラクの窮状を救うべく活動をしてきた。
そういった中で、所謂「戦争反対」「平和が大事」、の左翼の人達との交流もあった。
根本的な立ち位置は異なるが、西欧的な価値観の押し付けに反対と言う点では一致していた。
イラク戦争を前にしてサウジのリヤドに駐留するアメリカ軍の女兵士が、乳首をピンピンにしたタンクトップ姿で市内を歩き、イスラム教の戒律厳しき現地の人々の反感を買っていた。
しかし、現地の人々はアメリカの一極支配の前に、なんら声を上げる事はできなかったのだ。
和歌山県太地町でイルカ漁を行う漁民の姿と同じ構図ではないか。
西欧文明による価値観の押し付けに抵抗する知識人たちここそが、真っ先にこの映画の持つ欺瞞性に着眼し、抗議の声を上げるべきではなかったのか。
政治的な対立軸を持ち出すならば、むしろ「日米関係強化」「日米安保重視」を唱える旧来の保守といわれる勢力が、
反対運動を弾圧するというのが、正しいのではないか。
にも、拘らず「国旗掲揚・国歌斉唱の強制反対」を主張する左翼勢力が中心となって上映反対運動を弾圧しに掛かっている。
明日の示威行動に参加するのは今のところ私を含め5人です。そのほか当日までに何人か増えるかもしれませんが、
表現の自由の範囲における、ささやかな示威行動です。
これは政経調査会・槇泰智が主宰するものであり、他の如何なる団体勢力の影響も受けていません。
理路整然とした言論活動です。
長谷川支配人に質問状を発送したところ、配給会社であるアンプラグドの加藤武史社長からファックスで回答がきました。
私はこれから、靖國会館で行われる「大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭」に出席します。
帰ってから時間の許す範囲内で公表します。