<2010年7月10日>
まだ梅雨が終わらない。
だが梅雨は、そんなに気にならない。
地に雨が必要だから雨が降るんだろうから、
雨が無ければ命が育まれないのだから、
それを想えば気にならなくなる。
梅雨期と言っても、この森は湿気が少ないから助かる。
さすがは標高1300mだ。
冬には猛烈な寒気に支配されるが、その反面、暑さや湿気とは無縁なのだ。
暑さや湿気は、我われからすれば寒気よりもはるかに杞憂な大問題なのだ。
夕方から雨になる日が多い。
雷を伴うことも多い。
だから晩の運動のときには雷雨のときが多い。
運動を一旦開始すれば、余程の豪雨で無ければ中断することはできない。
ほかの犬たちがじっと自分の順番を待っているので、それを想うと中断できない。
我が家の犬たちはみんな、雷であろうと大雨であろうと、全く意に介さないのだ。
雨の中を、雷鳴の中を、普段通りに躍動する。
稲妻が走る。雷鳴が轟く。
雷は、大自然の咆哮のように聞こえる。
大自然のスピリットの側面を、その荒々しい側面を感じるのだ。
大自然に隠された荒ぶる魂が、光となって音となって姿を現わす。
我われは、ずぶ濡れになりながら、雷雨の中をどんどん進む。
雷光と雷鳴の中で、大自然の大いなるエネルギーを戴きながら歩くのだ。
近くに落雷したこともある。物凄い衝撃だ。
だがその時も犬たちは取り乱さなかった。グッと踏ん張っていた。
動揺したところで危険を回避できる訳ではないし、逆にもっと窮地に追い込まれる。
私は犬たちにそれを教えてきたし、彼らは充分にそれを心得ているようだ。
雷光の瞬きに、エスキモードッグの「ライ:雷」を思い出す。
ライは生粋のポーラードッグだが、極地狼の血が色濃く入っていた。
彼は、まったく凄い犬だった。
胆の据わり方が尋常ではなかった。
彼はその生涯で3回くらいしか吠えたことが無かった。
しかもそれは威嚇の声ではなかった。
普段は、どこの何者が何十と来ようとも、ただ静かに見つめているだけだった。
どこからその揺るぎ無い自信と余裕が生まれてくるのか、不思議なくらいだった。
とにかくその豪胆は唖然とするほどだった。
普段は実に鷹揚だったが、だが一旦怒れば猛獣だった。
彼は一声も出さずに相手をその場にフリーズさせてしまうほどの威圧を放った。
その時の彼の無言の凄味に、背筋が凍るような思いをしたものだ。
それはまさに<LIGHTNIG BOLT>のように凄絶だったのだ。
天からライが、見守ってくれているのか・・・そんなように思える。
雷光と雷鳴の中を犬たちと進むとき、なぜか無性にそう思う。
「SPIRIT OF THE WILD」を垣間見せてくれた恩師ライ・・・・
狼の太郎の偉大な兄貴だったライ・・・・
ライ、今のみんなも、お前の教えを忘れていないよ!!!
■南無華厳 狼山道院■
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