病気との付き合い記
2003年9月19日
23:04:09 今日は東京逓信病院にて11時にアイソトープ検査の為の注射をし、2時から検査でその結果、左肩肩甲骨に転移していることは判明した。先月頭の瘤からも転移が出たので、2回目と3回目の転移が立て続けに起こった事になる。
6月に元の職場の同志・石原悟氏とその友人・橋本氏とボートに乗ったとき、久しぶりの橋本氏に癌の経緯を話した時、彼が「大変な闘病でしたな」といったので、「自覚症状は無く元気にして、金と時間を使っているだけや」と言った。全く闘病と言う意識が無く、その内何とか完治してアジアのどこかの国へ行き、日本語を教えるなど、或いはその他のボランティア活動でもしようと思っていた。しかし、2,3回目の転移に接してどうやら生涯、この病気とあくせく付き合いながら生きなアカンと思うようになった。この機会に「病付き合い記」を書く気になった。
逆の時系列で最近情報から記載する。
アドバイスを頂くことがあれば宜しくお願いします。
癌以外の持病ないし後遺症としては、首の軽度ヘルニアと肛門括約筋一部切除によるガスコントロールの不足がある。
無錫旅行を中止する。体中が痛いのが直らない。
このような痛さの中で充実して生きる価値観が僕には形成されていない。これから悩まなければならない。
21日、コンフォート外来受診。次のカテーテル入院を無錫旅行(11月9日〜12日)の後とし、11月16日から予約する。キレーションは11月2日となる。
10月19日、温熱の先生との予約が旨くいかず12日ぶりとなる。ガッチガチに凝っていて一回では全快しない。しかし、夜は久しぶりによく眠れた。今後暫くは週2回にしたい。
9月30日〜10月3日、コンフォート病院に入院、カテーテル治療と低容量点滴を実施。体のだるさから気力が低下している旨訴えると、腫瘍マーカー(CA19−9)も130台と以前よりは低下しているからすこし間を置こうと言う事になり、3週間後に外来でその後の日程を打ち合わせることになった。
9月27日、中町ガーデンクリニックにて温熱マッサージを受ける。7万円弱の温熱器具と専門技師によるもので、まことに気持ちよかった。家庭のマッサージ器を体の痛さから受けられなくなって1年くらいなるので本当にほぐれた。更に免疫性にも効果があるとなれば言う事なしだが、そんなに多くを期待せず気持ちのよさで満足しよう。30日から入院するので29日にも受けた。この日は専門技師ではなく奥さんがライセンスを取っているのでと言って施術してくれた。家で実施する為器具を購入する。
2004年9月18日
9:45:59 17日「健康畑せたがや・ガーデンクリニック中町・鞄本免疫活性医学研究所」を体験
石渡さんから紹介を受けた上記施設を体験する。横浜総合病院院長の吉水信弘氏が院長をし、奥さんが社長をしている。玉川温泉の岩盤浴の放射線効果をイオン・シャワー・ルームで実現していて基本施設とし、オプションで免疫性を加味した各種プログラム(腸内洗浄、高圧酸素吸入、炭酸泉浴、温熱マッサージ、がんワクチン、末梢血診断、ヨード療法、健康回復注射、心理的サポート)を行っている。とりあえずイオンシャワー・ルームは咳に効果があったようだ。
吉水先生の診察を受ける。僕の今までに受けた各種治療についても一応の見識があった。現代受けている科学療法(カテーテルと低容量点滴)と免疫療法のミックスに賛成だと言う。サプリメントについては漢方よりも液体の「活性香磨iシャングー)液」を勧められる。各種キノコ系の混合液であるが液体の方が効果的だと思った。10本2ヶ月半分を購入。新しい療法を付加するには費用的に見ても既存の一両方を削りたいがどうすれば良いかと聞くと、白山通りクリニックの「リンパ球自己活性化療法」が理論的には良いのだが効果は未だ出ていないと言う。切り替えを検討しよう。
9月6日から9日、カテーテルによる抗がん剤投入治療、今回は左肩甲骨にも注入した。注入時はズンと痛みがきた。他は一進一退。
18日、コンフォート病院にて5FUを主とした4時間の点滴を受ける。何時まで続けるかを質問したところ、腫瘍マーカー値が正常に下がるまでだと言う。
CA19-9が最高時には5月6日371,5を記録していたが、170台に下がってきた。しかし正常値37以下には未だ遠く及ばない。
来年には長期旅行をしたいがどうかと聞くと、一ヶ月位ならいいだろうと言うことだった。
5日から8日までコンフォート入院、エロキサティンなど抗がん剤のカテーテル投入。施術後の面接で映像上の改善と自覚症状の改善を確認する。12月からエロキサティンが保健薬になるので2週間に1回の割でバンバン行って、それまでは4週間に一回で2週間の中間に「5FU」の外来点滴をするようにと言われる。一体何時まで続けるのだろうか。しかし、確かに効果は出ている。今回このまま悪くなって川を渡ることは無さそうだ。
4日、武蔵野赤十字整形外科の山崎先生の診察を受ける。CTの結果により、左肩甲骨の癌の位置が間接とは遠い位置なので手術の効果は少ない。この前間接に薬を入れたので、今出来ることはここまでだと言う。自覚症状における改善効果は4割位で手術を期待していたのですこしがっかりしたが仕方が無い。
今まで以上にリハビリを自分でするより他に無さそうだ。
29日から8月3日まで5泊6日の第2回玉川温泉へ湯治に行く。今回は今年オープンした湯治館「そよ風」に泊まる事にした。
28日、武蔵野赤十字でCTの検査のみ行う。8月4日診察予定。
27日、白山通りクリニック
26日、ウェルネスのサポート会、最近、肩への注射と咳の減少でQOLの改善が著しく、夜も寝られるようになったこと、秋にはゴルフに復帰する希望が見え始めていることなどを話す。
21日、後藤先生から紹介状をもらっていた武蔵野赤十字病院・整形外科山崎先生の診察を受ける。50肩と肩甲骨転移の話をし、今の不快感の50%を越えること、夜寝られないこと、もう一度ゴルフに復帰したいこと、可能であれば外科的処置も辞さないことなど話す。「判りました。やりましょう。」と直ぐに肩に注射し3種類の薬を入れたという。薬の名前はステロイドだけが聞き取れた。「ステロイドは怖い薬と違いますか」というと、注射した箇所は他に薬が行かないという。50肩だけの問題であればこれで収まるかもしれない。2週間後に結果を見ましょう。肩甲骨についてはCTとMRIを予約して対策は後日となった。
今日は大きな成果であった。朝8時半から午後3時半までかかったが、この病院は患者への配慮が行き届き気持ちの良いサービスであった。
15日から18日、コンフォート病院にて、カレーテル治療とその後の48時間点滴を受ける。治療後の面接で最近特に堀山用治療を研究していて、最新式の「FOLFOX4」という治療をしている。治療率は驚異的な80%だと自画自賛していた。すこし期待が持てそうだ。
50肩について「武蔵野赤十字」の紹介を受ける。
12日、逓信の整形へ、50肩について幹部に液を入れて治療する方法などを相談するが、癌の患部が近いので危険なことは出来ない、もし必要なら元来の主治医の外科(厚生中央)を通してくるようにと言う。鬱陶しい事だ。
7月8日、コンフォートにて入院一週間前の検診、後藤先生によると学会で抗がん剤専門の先生の話を聞いてきたとのことで、早速3時間の点滴を受ける。
6日、白山通りクリニック、5日リハビリを受ける。
7月2日、コンフォート免疫外来にて、15日からの入院に備えキレーション点滴を受ける。
27日、日曜日恒例のスカッシュ中に腰痛になり、28日逓信整形で見てもらう。単なる筋肉の炎症であった。冷やすことが治療でシップ剤をもらう。朝には間違って風呂に入った。
28日、火曜日定例の白山通りクリニックへ、今後の日程を修正し、コンフォート入院前は休みとする。
22日午後から25日午前、コンフォートに入院、23日カテーテル投与で、肝臓へエロキサチン、右気管支動脈にシスプラティン投与、左気管支動脈への投与は危険な状況とのことで投与せず、退院時からTS1の内服を開始する。
次のスケジュールは一週間後、キレーション、2週間後外来検査、3週間後の7月15日から3日間の入院となった。次回は股から動脈に入れるのでなく手から入れるので3日で退院できるとの事だ。
21,22日、月曜と火曜の定番、リハビリと白山通りクリニックへ、抗がん剤投与の前にリンパ球点滴をするのは効率が悪いことに気付く。
16日から19日、秋田県玉川温泉の新玉川温泉にて湯治、玉川温泉はラジウム大量に含んだ強酸性の泉質で、何故かガンにも効くという。テスト的に3泊だけした。予約が一杯で取り難いのと大浴場から部屋までが遠いので、帰りに近所を散策し、次からは新しく今年5月に出来た「ぶなの森玉川温泉湯治館そよ風」にした。次回は7月29日から8月3日とした。
15日、白山クリニックへ。抗がん剤注入前の血液を50ミリ採血した。
14日、逓信病院リハビリ後、ジャパン・ウェルネスのサポート会へ。この日は2週間前の参加者が小谷さんと堀山で、それ以外に8名の参加で大賑わいであった。一人の老人が喋りすぎて座を潰した。
6月12日、永野医院、コンフォートでカテーテルによる抗がん剤注入を月に一回6ヶ月くらい続けることになったことを報告する。ついては永野先生の治療と矛盾するので半年くらい休みたい旨申し入れた。先生も矛盾することを同時にするよりも一方に集中した方がいいだろうと言って気持ちよく聞いてくださった。
波導水だけ飲むように勧められた。
6月10日、コンフォートの免疫外来で22日からの抗がん剤注入をより効果的たらしめるためのキレーション点滴を受ける。
6月7日、逓信病院、整形ーリハビリ、3週間ぶりに整形へリハビリ効果を確認して、次の4週間後の予約となる。肩甲骨転移後に再発の可能性あるも50肩とは場所がずれているのでリハビリに問題なしと言うことになった。ゴルフ再開を目指して頑張ろう。
放射線科で脳MRIの結果を聞く。問題なし。リハビリでゴルフを再会したいなどと言うと、是永先生が冗談を言った。「年を取って健康の為には4Gが大事だそうです。ゴルフ、碁、ゴールド、ガールです。」「ガールよりも後家さんがいいでしょう。」
6月8日、白山へ、漢方薬を追加、22日からのコンフォート入院とカテーテルによる抗がん剤治療予定を報告、15日に採血して良い血液を活性化させることになった。
5月31日からの週、今週は4日連続医者通い
31日、逓信病院リハビリを受け、脳のMRIを受ける。結果は次の月曜になる。
6月1日、白山通りクリニックでリンパ球の点滴を受ける。CTのコピーを見せ今後の対処について意見を聞く。丁先生「細胞の状態が大変元気で若い人並みなので、今抗がん剤を使うのは残念だけど、データを点検してから話しに行く」との事、点滴中に「抗がん剤を使うんだったら、使う前にこちらによって比較的大量に採血して元気な血を貯蔵した方が良い」という。質問「ガンの発生が極小規模だったら抗がん剤の投与を止めて、自己活性化リンパ球療法に任せなさいと言うだろう。ガンの発生は酷いレベルであれば抗がん剤の点滴を受けるように言うだろう。そのように考えたとき、今回のレベルをどのように判断されますか。」と聞いたところ、「この質問に正確に答えられる医者はいない。唯、今回の場合、肺の再発が激しく急速なので1,2回抗がん剤で叩いた方が良いと考えます」との事であった。なかなか誠実な応答で気分が良かった。
6月2日、永野医院、久しぶりに波動パワーの測定をすると、以前の2から女性並みの3に改善していた。年齢評価は66から58に、免疫性も改善していたが、ストレスだけは増えていた。やはりCTの結果が精神に効いているのだろう。CTの結果を報告する。肺や肝臓の細かい腫瘍は放置して良いが肺と気管支との接点など縦隔の部分は対処しなければならない。今、活力も出てきて直る動きが出ているところなので一ヶ月だけ抗がん剤投入までに余裕が欲しいので相談してみて欲しいとの事であった。これも参考にするべき意見だと思った。
6月3日、コンフォートの後藤先生の診察を受ける。今までの経過を報告し、二人の免疫医の意見も伝え、CTを受けてフィルムを見ながら相談することになった。永野医師指摘の縦隔部への転移の懸念は無いとの事、しかし、あまり時間的余裕は無いこと、治療法としては月一回のOxaliplatin(商品名エロキサチン)の肺と肝臓へのカテーテル注入が良いと思われることなどを聞く。後藤先生の自信のある態度に会うとどうしても引かれる。22日からの入院を決めた。
5月24日から28日、5日連続医者通い
24日、逓信病院にて肩のリハビリ、清水先生に不幸があり岡田先生が診てくれる。1週間の改善度が良いと言われる。昨秋来のステロイドによる歩行障害について意見を聞くと、薬を止めてから半年経てば、体から薬が消えてリハビリ効果が出ると言っていた。よい話を聞いた。
10時半からのジャパン・ウェルネスのサポート・グループに初参加:4人のがん患者とスタッフ二人が出席し自己紹介と病気の現状などを話し合う。74歳、70歳、69歳、62歳で僕が一番若かった。皆さん紳士で気持ちのいい会話が出来た。秋田の玉川温泉の話を聞き、ネットで調べると7月は既に予約が一杯だ。6月16日から19日まで3泊の予約を取る。
25日、白山通りクリニックにて点滴、6日と12日の腫瘍マーカー数値を報告する。
26日、逓信病院放射線科で3ヶ月ぶりの診察を受ける。呼吸器内科久田先生のレントゲンの影が白っぽくなっている指摘(是永先生は機械の設定の問題だと言う)とPETと腫瘍マーカー結果を報告する。28日CT予約。免疫療法、とりわけ自己活性化リンパ球療法を受けていることを言うと正解だと言われた。
27日、逓信病院呼吸器内科、肺炎そのものは一度安定すると進まないのでガンの進行の可能性が強いとの指摘を受ける。薬をもらい一応の打ち切りとする。
28日、午前に逓信病院放射線科で胸部と腹部のCTを受ける。@肺に最大径14ミリからのガンが数えられないくらい出来ている。A肝臓に一箇所14ミリのが出来ている。B副腎に出来ている。対処としてはコンフォートで抗がん剤投与を勧められる。自己活性化免疫療法の結果を見て対処するのは如何と質問するとそれもあると言う。脳のMRIを勧められ月曜日に予約する。
午後、ジャパン・ウェルネスにてセカンド・オピニオンを聞く。ジャパン・ウェルネス代表の竹中文良先生ともう一人の女性の先生が聞いてくれた。12月より認可になった(胃がんでは3年前から使われ実績を上げている)TS1と内服用アイソボリンの併用を進められる。免疫療法との関連を聞くと併用したら良いとの意見であった。
来週、火曜・自己活性化の丁宋鉄先生、水曜・永野先生の意見を聞いて、木曜にコンフォート・後藤先生のとこへ行こうと決めた。
大腸に始まり、左右の肺、左肩甲骨、頭の瘤と4箇所にガンが発生していたが、今回の分で第2次左右肺、肝臓、副腎と6っ箇所7次に及ぶことになった。ギネス記録は何箇所だろうか。
2004年5月22日
13:55:19 永野医院にて刺絡を受ける
20日付のコンフォートの腫瘍マーカーの結果を見せ意見を求める。12日に血液検査をした結果も出ていた。CEA=68.7、CA19-9=240と言うことでコンフォートの数字より少し少なかった。又、白血球数5300の内、リンパ球比率は17.3%で917であった。まだまだ少ないが、前回の14%台からはすこし上がっていた。前回のCTを2月に受けており、それからマーカーが上がっているので何処に発ガンが起こっているか調べるのもいいでしょうとの事であった。
2004年5月21日
9:57:10 ジャパン・ウェルネス
20日付の腫瘍マーカー情報に対し、その対処をすこし迷っていた。今受けている永野先生、丁宋鉄先生(白山通りクリニック)の意見を聞いてからの対処にしようと思っていたが、文春5月号に「患者同士が対話する画期的な療法に取り組む医師・竹中文良(ジャパン・ウェルナス理事長)」の記事があった。早速ネットで探し入会申し込みをする。患者同士の対話以外にも複数医師によるセカンド・オピニオンを聞くシステムもある。セカンド・オピニオンの予約を28日に取った。
2004年5月20日
8:34:35 血液検査=腫瘍マーカーの結果
19日コンフォート病院後藤先生より5月6日採血の結果がFaxにて送られてきた。数値は次の通りである。
項目(正常値) | 1月15日 | 2月4日 | 5月6日 |
CEA(5ng/ml) | 18.6 | 19.5 | 72.3 |
CA19-9(37U/ml) | 198 | 181.9 | 371.5 |
「外来検査の後、何らかの治療が必要」との所見が付いていた。これで化学治療に復帰すると今までの免疫治療が無駄になる。悩みどころだ。
5月18日、白山通りクリニックにて自己活性化リンパ球の点滴を受ける。4回目と5回目分の血液採取。
2004年5月17日
22:13:49 逓信病院・整形外科栗林先生
3月24日に原田整形に行ったとき、単なる50肩と言われて、たいしたことはないと思っていたが、最近のQOL低下の主要な要素が肩の痛みで夜も寝にくいほどであった。通い慣れた逓信病院の整形外科をネットで見ると良さそうだったので、診察予約を取っていた。レントゲンを撮ると肩間接部は綺麗だった。肩から肩甲骨部を押さえて痛みの出る部署から判断して、肩甲骨転移ガンとの関連があるかもしれないと言う。1月21日に放射線科でアイソトープ検査の結果、関連は無いとの診察を得ているというと、MRIは撮ったかと聞かれたので記憶にないと答えた。先生の方で放射線科のデータを確認しておいてもらうことになった。私から、今、自己活性化リンパ球治療をしているので、それと矛盾する放射線をあまり当てたくないと言ったので、当面、リハビリと痛み止めで3週間後にチェックすることになった。
リハビリで肩関節の稼動域を広げる運動を指導してもらうとその後の一日は急に過ごし易くなった。もっと早く来れば良かった。
2004年5月14日
9:34:31 白山・永野・逓信呼吸器
11日始めての自己活性化リンパ球の点滴投与を受けた。明子に送ってもらい、医院の駐車場もあった。点滴を受ける部屋は個室でリクライニング・シートでテレビを見るうちに終わった。さすがに一回21万円かかるだけにサービスは良かった。丁先生と話すうちにサプリメントの話になり、この際丁先生処方の漢方にして他の物はやめる方向に決めた。14日朝から飲み始めたが苦いのに閉口した。
12日、永野医院で刺絡を受ける。波動水をもらう。
13日、呼吸器科久田先生の診察を受ける。レントゲンを撮ると前の物と比較して殆ど変わらないが、肺の写りがすこし白っぽく見えるのが気になると言う。CTなどの検査を再度受けるよう勧められる。免疫療法と化学療法のハザマで悩ましいところである。咳止めの液体薬と粉末薬をもらう。
2004年5月10日
12:02:59 東京逓信病院予約
逓信病院の整形外科は世界で最も早く間接の内視鏡を始めた病院らしくて一度肩の診察を受け出来れば内視鏡による手術を受けようと思った。朝9時から予約電話(全診察科共通)をしたところ、電話が一杯で、ようやく11時半くらいに通じた。今週は予約が一杯で17日9時の予約が取れた。合わせて呼吸器内科久田先生の再診予約を13日木曜日に取った。これで今週は火曜日白山通りクリニック、水曜日永野医院、木曜日逓信・呼吸器科、17日月曜日逓信・整形外科に通うことになった。
5月6日コンフォートにPET(4月13日西台にて受診)の結果を聞きにいく。「多発転移巣を左肩甲骨、両肺、縦隔、左副腎、左腰背部にみとめる」という大層なものであった。過去の病歴の名残とも言えるしなんとも言えない。再度腫瘍マーカーを調べる血液検査を受けた。今のところ受診の予定がないことを告げ、結果を送ってもらうことにした。今後12週間の自己活性化リンパ球治療を受けることを報告する。
4月20日から5月2日まで中国滞在する。
2004年4月17日
15:26:43 永野医院へ
可もなく不可もなし。先週習った湯たんぽ療法の実践の為、湯たんぽ探しに苦労した話をし、ネットで銅の湯たんぽを購入したことを言う。機嫌を浴して足を触りながらすこし温もって来たなどと言っていた。
2004年4月16日 白山通りクリニック
こちらには4人の医師がおり、火曜日の午前中と金曜日の午後が丁宗鉄という韓国人の先生で東洋医学の権威者の担当であったので、金曜日に受けた。1月15日に受けたイムノドッグの資料を見せると、数字の悪さに感心していた。12回1クールだが直ぐには顕著な効果が出ないかもしれないで、もう少し期間がかかるかもしれないと言われた。しかし、概ね申し込むことに決めていたので申し込み、50ccの血液採取され、5月11日から点滴を開始することを決め、3週間分を予約する。途中食事のアドバイスになり、何を食べるかよりも定期的な食べ方が重要だと言う。お酒の話になり、ビールなら飲んでも良いのと悪いのがあるという。山東省のチンタオ・ビールは酵母が良いのをドイツが始めたので良いと言う。今はドイツのビールも悪くなり、チェコのビールが良いと言う。僕もプラハの地ビールは美味しかったと言う。面白い先生だ。今度中国へ行ったときには産地を確認してチンタオ・ビールを飲もう。
2004年4月15日
5:42:45 13日に西台クリニックにてPETを受ける。2月に映像による新ガンは発見できなかったが、腫瘍マーカーの数字が悪いので、後藤先生の推薦で申し込んでいた。吉と出ることを期待する。
2004年4月11日
10:51:27 10日永野医院
9日に帰国し10日夕刻永野医院へ。波動測定はあまり変わらず、体が冷えているからだと言う。水と墨茶をもらう。針治療を受ける。
活性化自己リンパ球療法についての意見を聞く。自律神経免疫療法と矛盾しないが、他力でリンパ球を増やそうとしても力が低く、効果は低い。先ず体温を高めるべきだと言う。好かん蛸だ。体を温めるのに「湯たんぽ療法」を福田先生が最近言っているプリントをくれた。最低限の条件として、両療法は矛盾しないということであるから来週の診察予約を取ろう。
2004年4月1日
17:42:23 活性化自己リンパ球療法
昨夜NHKを見ていると、ノンフィクション作家の女性がガンの再発と対峙している番組があった。主たるテーマは心の持ち方であったが、ほんの一部に治療風景の取材があり、点滴でリンパ球療法というのを受けていた。ネットで調べると、活性化自己リンパ球療法と言い、血液を50ml採取し、そのリンパ球を何かの方法で活性化して、再注入すると言う。僕が今やっている自律神経免疫刺絡療法のほうがより完全に自己の自律性による治療であるが、今のところ、2月、3月と白血球中のリンパ球比率が14%台であったことを考えると魅力がある。進行性ガンには1クール12週間毎週の点滴で250万円余かかる。今度帰ったときに永野先生に相談してみよう。無錫のスケジュールにも影響するが検討したいと思った。
2004年3月24日
10:31:58 22日永野医院
22日、永野医院に行く。期待していた白血球内のリンパ球比率は1ヶ月前と殆ど変わらず14.7%であった。もうすこし期間が掛かるらしい。1週間二重の靴下の間にミニカイロを貼ったので、注射針を刺すと痛さと血が出始めた。4月の予約を12日月曜に取ったつもりであったが入っていなくて、その前の10日土曜日となった。東京へ帰るのが9日金曜になってしまった。
左肩の痛みが酷く、昨年9月の肩甲骨への転移との関連が気になっていたので、昔馴染みの原田整形に行った。幸いに見立ては単なる肩関節周囲炎通称五十肩だと言われ、まあ安心した。暖めるとよいらしい。
平成16年3月16日
14日に無錫から帰り、9時に永野医院へ行く。波動測定器に片手を乗せると、何を測定しているのが、ほんの少し良くなったそうだ。前回7が多かったのが殆ど6になった。永野医師は「前回は土台を作ってみたが、少しぐらつくが大丈夫だった。今回はその土台に芯を入れる」などと訳の判らないことを言う。
ハリ治療で足爪の角からは全く血が出ないのは、冷えすぎているからだと言う。靴下を二重に履いて、その間に「貼るカイロ」を表・裏から張るように言われた。
白血球の中のリンパ球と顆粒球の比率は未だあまり変わっていないと思うが、毎月測定した方が良い、その場合、測定値を見るのが翌週になるというので、今週の木曜ないし金曜に行くのを止め、来週の火曜日に無錫に行く事にした。10日以後、やや風邪気味だったので、この際キチンと直すことにした。
16日の午前中はしっかり寝ることにした。昨日から「貼るカイロ」で足を巻いているが、あまり温度が上がらない。これからの日本帰りは日曜に帰り翌週の火曜に行くと言う10日サイクルになりそうだ。
2004年3月9日
11:11:55 無錫療養記
2月の後半から薬離れしてきたが、全く薬を離れて1週間経った。お医者さんも今月は15日の永野医院しか予定がない。左肩が痛くて、平日は2,3回、日曜は3,4回風呂に入った。日本を出るとき持ってくるのを忘れた「ハリボーイ2」が到着し、セルフ刺絡を再開した。プール歩きのリハビリは長江クラブのプールで再開し、金曜と日曜に行った。平々凡々と日常が過ぎてゆく。
2月29日、上海経由無錫に着く。丁度日本で服用していた各種の薬が無くなり、薬漬けから開放された。化学療法から自律神経免疫療法と波動療法の自然治癒力強化型への転換にはよいかもしれない。ホテルの風呂にも2,3回入り温泉転地療法になっているかもしれない。
23日(月)、永野医院へ。この日は初めて刺絡療法の本物(実際に針を刺して、血を出す)をする。これをすると疲れが出るので今日一日は安静にするように言われた。波動による測定は、前回から60を切っていたが、刺絡の後は65になっていた。セルフ刺絡用の電子バリを購入した。足先が非常に冷えていて本物の針のときも傷みも出血も殆どなかったが、電子ハリでも殆ど刺激を感じない。これはやはり悪いらしい。
29日からの無錫滞在中に、発酵アガリクスが無くなりそうだったので、こちらで扱っているベーター・グルカン(IMMUTOL)に切り替える。一日4錠月120錠で12600円というのは今までのAHCCは勿論、各種アガリクス錠よりも格段に安価だ。
19日、コンフォート病院の後藤先生の下へ、13日に行った逓信病院放射線科のMRIならびに是永診断の結果を届ける。僕としては之で一段落にしようと思っていたが、腫瘍マーカーの数値異常があるのでPETを受けてはどうかと薦められた。なるほどと思い西台クリニックの予約を入れてもらった。4月12日に永野医院の予約があるので、13日になった。
18日、厚生中央病院に行き、久保内先生に一月以来の結果を報告すると共に、中国行きを控えて厚生中央病院に罹るのは一段落にしたい旨を言った。久保内先生も4月に都立大塚病院に替わることになっているとの事であった。後任は佐藤先生と言い、カルテのデータはいつでも利用するようにしてくださいとのことであった。
16日、永野医院に行く。前回白血球検査の結果は、白血球は5000超で多いくらいだが、リンパ球14%・850、顆粒球75%であった。リンパ球が少なくとも1000は欲しいとの事。その前に、波動エネルギーの3以上への回復をしないと各種の対策が有効にならないということで、当面波動水とレスキュージェルとお茶のエキスを始めることになる。今日をスタートに1ヶ月サイクルの測定を2サイクル実施してエネルギーの回復状況を見ようと言う事になった。従って、3月中旬と4月中旬に行かねばならない。その他に2月の23日に予約をした。23日は刺絡療法の器具の使い方を習って中国で出来るようにしようということになった。
13日(金曜日)、朝一でレントゲンを取り、呼吸器科久田先生の診察:肺炎は消えていないが12月よりやや薄く霞が残っている。まあ安定したということでよろしいと思いますがということであった。
放射線科是永先生の診察を受け、コンフォートからの紹介・説明書を渡す。2月2日からの治療と検査の順序が違うことに噴概して、僕が後藤先生に甘くなっているのじゃないかと言われた。検査の結果、MRIにおいて何も肝臓には転移していなかった。
一応の検査をしたので、これで今のところ無い事にして中国に行ってよろしいかというと、2ヶ月に一回は来るように、又何か痛みが出れば来てくださいとの事であった。
12日(木)、コンフォート病院後藤先生の診察を受ける。4日の血液検査による腫瘍マーカーの変化を聞く。CEA=19.5(1月19日18.6)、CA19−9=181.9(1月19日198.0)ということで大して変わらない。今のところ、映像としては現任していないので念のため逓信病院へ行きMRI検査を受ける段取りを取る。
2月2日午前、正月5日に予約していた自律神経免疫療法研究会グループの永野剛造クリニックに行く。そこでは自律神経用の刺絡療法のほかに、ドイツから輸入された「気」の理論としての波動療法を行っていた。『新しい波動健康法』の本を買う。簡単な波動パワーの測定を行うと「2」であった。健全な男性の平均は「4」だという。体のパワーを解決した上で他の治療をしたほうが良いらしい。他に顆粒球とリンパ球の比率を測定する為の血液検査をする。今後の予定などのために3月から中国へ行く話しをするともっと安静にするほうが良いと反対していた。中国へ行って日本語を教えることくらいは楽しい遊びで、今止めるとその方がストレスが溜まるというと、「まあ、人生観だから仕方がない。」と言っていた。帰りに16日の予約を取った。1月5日に予約して2月2日になったので大層混んでいると思ったが、先生の診察用の時間設定が極めて少なく制限していることがわかった。
2日午後、コンフォート病院に入院する。3日カテーテルによる抗がん剤(エロキサチン+5FU)の肝臓注入を施術してもらう。4日後藤先生の説明を聞くと、超音波検査では肝臓に一箇所癌が出来ていると言っていたが、その後のCTと血管注入時の所見としては癌を認めなかった。従って、一度肝臓の奥まで注入したが、その後2時間血管を閉鎖して、周辺へに抗がん剤を浸透させた。施術後の腫瘍マーカーの変化を注目したい。12日に外来診断時、マーカーが出ているので、数字が良化していれば良し、良化していなければ、逓信病院でMRI検査をしてくださいとのことだった。ちょっと腑に落ちにくいが、肝臓に転移していないということを良とするべきかと無理やり納得する。 まだ、先の予定が立て難い。
5日から10日の旅行中、波動健康法の本を二冊読む。理論はピンときにくいが効果はあるらしい。中国の気功のドイツ的理論化と言えなくもないようだ。
22日、コンフォート病院にて診察をうける。血液検査の結果はCEA:18くらい、CA19−9は180となり厚生中央12月の数字120より更にジャンプしている。久保内先生の言ったとおりだった。超音波の結果、肝臓に一箇所出来ていると言う。更にCT検査をするが、その結果を待たずに、入院治療計画を決める。
カテーテルにてエロキサチン(オキザリプラチン)の投与を3回実施し、小さくしたところで固めてしまうらしい。薬が個別輸入薬なので2月2日からの入院となり、5日退院となる。2日は自律神経免疫療法の最初の診察が10時にあるので午前中に受けることにし、3時入院となった。二回目は3週間後と言うことで、2月23日(月曜日)からの週となる。三回目はその又3週間目だと言う。月末は2日天王寺高校の東京地区同窓会があり、今年はうるう年で29日には無錫に行けそうだ。とりあえず日本語講義はスタートさせ、3週目は休みにしよう。
21日、肩に転移が無いかどうか調べてもらった。アイソトープ検査をしたところ、前回の肩甲骨跡以外には見つからなかった。先ずは良し。肩甲骨跡は前回画面よりは幾分小さくなっれいるが現存している。このままでよいかどうか質問するとこのままでよいと言う。
18日、中目黒の治療院に行き、その後恵比寿のTCYでリハビリをする。治療院で左肩がだるくて痛いといったものだから、良く揉んでくれた。その後一日は全く肩が痛くて仕方がない。21日には逓信病院で検査をしてみよう。
2004年1月16日
6:08:46 新年の経緯
1、中目黒治療院・高尾先生:初回に言ったとき新年4日を予約していた。治療の後、「湯の国ジャポン」の強力噴出し湯にて歩く。お湯とかプールで歩くリハビリが必要と思った。当分週一で通うことにした。11日は高尾さんも「筋肉の掴み具合が良くなっている」と言う。
2、TCYリハビリ:5日から8日の中国旅行がを除いて、二日に一回のペースで通う。3日はプール歩きのみ行う。10日(土)、11日(日)、13日(火)、15日(木)と通う。始め恐々スカッシュをすると案外出来る。プレー中は腰から足が痛くならないのが不思議だ。筋肉が衰えているので足のストップが利かない。壁に激突する。15日には、大分楽になってきたのを実感する。同時に小さな発見が二つあった。一つはミストサウナで深呼吸すると肺が洗われる感じがして、肺炎治療効果があるように思った。もう一つは、風呂に入るのが苦手であったが、神経痛以後入るようにしていた。しかし、長風呂には入れない。プールサイドのジャグジーは長風呂に向いている。次から本を持って入ろう。
3、厚生中央病院・久保内先生:14日に診察を受け、抗がん剤を飲まない範囲で薬を貰う。12月10日診察時に血液検査をしていた。その結果が酷く悪い。CEAとCA19-9が10倍くらいの異常値が出ている。今が点滴による叩き時だという。
4、コンフォート病院・後藤先生:15日、イムノ・ドッグを受けると共に、昨日の件を報告する。これは確かに悪い、再検査をして直ぐ対処しましょうという。予測としては肝臓に来ているかもしれない。その場合、オキザリプラチンなどの点滴になり、今なら効果に自信があるという。「3月から中国へ行くので、2月20日くらいまでにけりがつきまっか」というと大丈夫だと言う。
科学療法から自律神経免疫療法への切り替えをしようと思うが、最後の化学療法を受けるのも止むを得ないかもしれない。
5日、飛行場から永野医院予約
旅行中に安保先生の『免疫革命』を読む。8月に紹介した『免疫学問答』と内容は変わらないが、臨床医師としてのパートナー・福田稔氏の紹介と自律神経免疫療法についての実践グループについての話が出ていた。インターネットで調べて、渋谷区にも一人いることを知り、飛行場から予約する。早速行こうと思っていたが、満員で2月2日になると言う。
2003年12月31日
10:23:25 旅行中
12月14日から29日まで北欧・サンクトペテルスブルグ・バルト三国を旅行した。古瀬夫妻に旅行のことを言っていたら、腰の痛いと言う時にそんな所へ行くよりも温泉に行ったほうが良いのではないかと言われた。もっともな話だ。
旅行中は日照時間の無さもあり、腰の調子と相談しながら活動時間の短い旅行であった。26日夜半夢を見て目が覚めた。夢のストーリーが思い出せない。しかし、腰の痛みが取れましたよというメッセージがあった。翌日から90%位良くなった。新年からはスポーツクラブに言って直ぐにスカッシュとは行かないまでも、水中歩行ぐらいはやって見よう。
2003年12月14日
5:55:12 中目黒・治療院
香本さんの薦めで中目黒にある治療院に行き、治療士・高尾さんの治療を受けた。その日は鍼とマッサージの治療であったが、整形外科のマッサージとは全く違い、良く効いた。姿勢がいびつになって筋肉のコリが更に起こっていたらしい。 今まで、ステロイドの服用と骨壊死と坐骨神経痛とが関連し有っていると言う整形外科医の話と呼吸器内科医のステロイドの累積投与量が少ないから関係ないという話とステロイドで坐骨神経痛になったと言うのは始めて聞いたという久保内先生の話があり、どう捉えるか苦慮していたが、実感としてステロイド服用を止めた時楽になったので関係があるほうを取っていたが、これはやはりそうとも言えない様だ。骨は関係ないとすれば、旅行から帰ってから何回か通えば直るということになる。
2003年12月10日
21:49:35
厚生中央・久保内先生の診察日、経過報告後、「これから一ヶ月抗がん剤を止めて後、イムノドッグで腫瘍マーカーなどのデータを取りたい」と言い、免疫用のクレスティンと白血球を高める薬だけを処方して貰う。来年からの中国行きを話す。久保内氏は「転移後3年経ってこんなに元気なのは珍しいから、今までの治療が効果を発揮していると考えるべきだ。今までの生活スタイルをあまり変えないほうが良いのではないか。しかし、中国の漢方などに免疫に効果の有る良い薬があるかもしれない。」などと言った。僕は「特に回春剤にはいい物があるようだ」と言ったので、看護婦さんが笑っていた。
生活スタイルを変えないで、欲望を自粛しながら行くのは暫暫と弱って死に至る道であり、欲望どうりにするのが溌剌としてある日ポックリ逝く道ではないだろうか。
2003年12月9日
6:38:37 6日午後1時過ぎ、整形クリニックのマッサージと低周波を受け、家まで20分歩いて帰るが、腰の調子は著しく改善した。7日以前より約束していたボートクルーズに行き、その後中華街を徘徊する。少しは坐骨神経痛の痛みがあったが、5日までとは違う。ステロイドと痛みの関係は相当大きいようだ。
12月5日 逓信病院内科呼吸器科久田先生の診察があり、咳は殆ど無くなると共に現代の自覚症状としては腰の痛みと歩行困難であることを言う。久田氏はステロイドの累積投与量は骨に影響するレベルではないというが、整形外科医に14日からの旅行を相談しているが、ステロイドの関係で痛み止めを出せないので、その時は座薬を出しましょうと言っている。とにかく痛み止めを飲めるようにしたい旨をいう。ようやくステロイドの中止に同意する。今回で一応の区切りとして、2ヵ月後位に結果を見ましょうということになった。
2003年11月29日
5:04:07 腰の痛みが酷くなってきて、歩行にも障害が出てきた。27日、渋谷駅に近い整形クリニックに行く。結局は坐骨神経痛だと言う。放射線もステロイドも影響しているらしい。中国・サーズ後遺症の骨壊死による歩行困難も同種のものらしい。来月14日から半月の北欧旅行について話すとその時は痛み止めの座薬を出しましょうと言うことであった。
12月5日に逓信病院の呼吸器科で受診するので、ステロイドを止められないかを相談しよう。なんと副作用の多いことだ。
11月20日、逓信病院内科呼吸器科久田先生の診察を受ける。ここ10日くらいは咳が収まってきた事を報告する。レントゲン写真も一ヶ月前より炎症の程度が薄くなっているようだ。但し、この程度の霞は残るとの事だ。腰の痛みを申告し、ステロイドとの関係を聞くも、ステロイドの量的に骨障害の起こるレベルではないとのことだった。ステロイドは一日一錠にして、一ヶ月継続することになる。
放射線科・是永先生の診察を受ける。腰の痛みを訴えると、即座にMRIの手配、再診察時、腰の脊髄を一緒に見ると、癌の転移無し、椎間板ヘルニア無し、椎間板の軟骨が正常な幅(高さ)を保つが、第三、第四が黒っぽい色になっているのは水分不足に成っている為だと言う。年の割には良い方だと言う。一先ず安心する。
散髪に行くと、女史も先ほどの是永氏も「肥えたな」という。先月の25日以降、活動不足と咳を誤魔化す為の飴の取り過ぎで、89.5キロまで上がる。本気で落す時が来た。
11月3日、歯医者と目医者を梯子した。目の方は大方直り、碁会所行きの許可が出たので早速出かけた。目の方は歯周病から8月に二本抜き、その痕の傷が治ってきたので入れ歯の型をとる。
27日、眼科医、ウィルス性の流行性角結膜炎と結論。凌霜(神戸大OB会)囲碁会の合宿を欠席する。
10月25日、朝起きると目が充血して真っ赤だ。薬屋で目薬を買う。薬屋の店主曰く、これで直らなければウィルスだろうから明日でも医者に行けと。26日インターネットで日曜に診察している眼科を捜していく。やはり、ウィルス系の「はやり眼」だろう、移るから人のいるところに行かないように。ウィルスの適当な薬がない、ばい菌用の薬を出すので効果がなければウィルスだ。明日分かるからもう一度来なさいと言うことになった。やはり、抵抗力が落ちているのかもしれない。
10月23日、呼吸器内科の久田先生の診察を受ける。レントゲン結果を見るとやや(80%位に)収まりかけているが、まだまだだ。ステロイド系の薬を朝4錠から3錠に変更、一か月分の薬を貰ったので、2週間後には2錠に減らすことになる。ただし、肺炎は全部なくならないで固定化するだろうという。
10月15日、放射線科是永先生の診察。10日に撮ったCTを見る。左肩甲骨のガン(骨の周りに出来たぼやけた映像)は三分の一位になっていた。肺がんの方は確かに小さくなっていたが、炎症の中にあるので分かりにくかった。当分は放射線治療は休憩で、肺炎治療(二週間に一回で次回は23日予定)の時に顔を見せてくださいと言われた。
来年3月からの中国行きについて話し、二ヶ月に一回の診察をお願いすることで宜しいですかと尋ねたら、良いでしょうと言われた。
10月9日、9時にレントゲン写真とCT写真と紹介状を受け取る。放射線治療は前日の話では継続する事になっていたが先生は学会出張であったが、中止となっていた。呼吸器内科の受付をするとちょっと待っていてくださいと言って、4時間半待たされた。時間当たりの診察数を制限して予約を取っているので診察時間は充分あるが、予約の無い時は大変だ。久田先生の曰く「確かに肺炎を起こすに充分な放射線量を実施している。治療にはステロイド剤を使うことになるが、癌の免疫性を落とし、その他の副作用(骨ソショウなど)を伴うがどうしますか。ステロイド剤は最初一日4錠で飲みだすと急に辞められないで2週間ごとに減らしていく。最終的にすこし炎症が肺に残るかもしれない。」と言う。どうも科学的治療と免疫とは反比例するようだ。しかし、今のままだと人と話しも充分できないし、咳のため同席者に心配をかけるのでやむを得ずお願いする。放射線は受ける時は楽だが、何かと後が大変だ。
10月8日の是永先生の診察。今週中にCTを取り来週肩甲骨周辺の改善状況をチェックして以後の事を相談することになった。治療期間中咳が酷くなり、放射線の投射中(準備を含めて40呼吸・約3分くらい)咳を堪えるのが難しくなりつつあった。是永先生と相談していたが血液検査の結果は大丈夫とのことであった。呼吸器科の治療を受けるのはどうかと言うと紹介しましょうと言うことになり、レントゲンを改めて取り、呼吸器診察のデータとした。確かに靄がかかり炎症していた。受付で予約が取れたら良いが取れないかもしれないとのことであった。
9月24日、25日 逓信病院の放射線治療を11時半からに予約し、厚生中央・久保内先生、コンフォート・後藤先生に報告する。
9月22日月曜日 一回目の放射線を受ける。当分の間、平日は毎日受けるので記載省略。
9月19日 11時に微量の放射能注入を行い、2時より検査、検査後5分で診断を受ける。例によりデータ映像は診察室のコンピュータに送られ、左肩部の異常を発見し、直ちに肩部から肺のCTを取ると左肩甲骨に癌の転移を発見、「肩に痛みはありませんか」と聞かれたので、「実はすこし痛くって整形外科に行こうかなと思っていた」と答えた。(今まで、整形外科でその他の部署を見て貰った経験から、軟骨が年のせいでちびっているくらいのことだろうと思っていた)
「これはそんなんではなく癌の転移です。治療計画の為のMRIを再度とって月曜日から治療しましょう。」と言うことになった。一回目の放射線治療のマーク入れなども行ったので5時半までかかった。しかし、手際が良くどんどん進むので気分は良かった。
9月18日 松濤歯科に行く。歯石を少し取ってもらう。20年前までは歯石取りは、可愛いお嬢さんが胸に頭を抱いて手動で取ってくれたのでよく行ったが、機械取りに変わって行かなくなり歯周病になった、と言うと女医さんは笑っていた。
9月17日 コンフォート・後藤先生の再度の紹介状(多分腫瘍マーカーの悪化による調査以来)を持って放射線科是永部長の診察を受ける。肝臓と頭の検査をCTとMRIにより行うも異常なし。19日にアイソトープ(骨の検査)の予約をする。形成外科で瘤を取ったが癌が転移していたということも述べる。多分表皮の問題で脳の内部には関係ないだろうとの事であったが、脳検査をして確認された。結果としてはきわめて軽度な2回目の癌転移であった。
9月1日 形成外科で糸を抜いて貰う。検査に出していた内容物が「皮膚組織で、組織学的に真皮内脈管性に中等度分化型のadenocarcinomaの転移像が認められます。直腸癌の転移像として矛盾しません。」という結果であった。どの道、瘤は3,4月以来のものだったので専門医への報告対処は旅行から帰ってからとする。
8月28日 コンフォート病院の後藤先生の診察を受ける。7月24日「イムノドッグ」の検査結果を報告すると共に、厚生中央の久保内先生の意見としては腫瘍マーカーの悪化は大きく、何処かで癌の発生があるのだろう。抗がん剤・オキザリプラチンを含めた4種混合の点滴を薦めらられ相談してはとの助言を貰っている旨言った。後藤先生は転移の可能性として肝臓が考えられるとして、直ちにCTを取る。結果は良。逓信病院でのMRI等の検査を薦める。紹介状を再度貰う。旅行(9月6日から15日)の件を話すと問題なしとのことである。
8月20日 厚生中央病院、久保内先生。イムノドッグの結果を見てもらう。腫瘍マーカーの悪化に懸念を言う。腫瘍マーカーのうちに対処した方が良い。オキザリプラチンは当病院で扱えないのでコンフォートで相談するよう助言をうる。
腫瘍マーカーでどの数字が悪いのかと聞くと、「CEA16.3(前回5,0)、CAI19-9,50(前回19)、CA72-4,3以下(前回7.4)」などだという。
8月19日、20日 3月ベトナム旅行以来鍾乳洞で頭を打ち瘤が出来ていたのを見てもらいに行く。20日手術することになった。勿論簡単な手術であった。頭でカバーを固定し難いという事で大げさな包帯となる。内容物は鍾乳洞の石灰が入ったのかもしれないが念のため検査に出すとの事であった。9月1日抜糸の予定。
『免疫学問答』より
免疫状態を高めろと言われたが、今までは免疫についてコンフォート病院の「免疫研究センター」の情報しか知らない。そこの処方であるAHCC、
D−12、クレスチンは服用している。又今まで、サリドマイドは1年間服用したが効果不明であった。癌カテーテルインターベンションは3回実施した。その内2回は低容量抗がん剤治療も実施した。抗がん剤には当初シスプラチン(保健薬)だったが、オキザリプラチン(日本では認められていない)も使った。抗がん剤は僕に合うのは未だ無いらしい
そこで、お盆期間に免疫の知識を少しは吸収しようと、安保徹(新潟大学大学院教授)と無能唱元(僧侶)による『免疫学問答』を読む。どうやら免疫用の食品を服用するだけが免疫ではないらしい。全部を紹介するのは難しいが、少し紹介する。
免疫学問答
8月10日 コンフォート病院・癌免疫ドッグ(イムノドッグ)7月24日の結果報告書が届く。マーカーの悪化が酷い。ちょっとがっかりする。放射線治療の直後だからかもしれないと思う。12日に墓参りで大阪に行くので、対処は盆明けとなる。
7月24日 コンフォート病院・後藤先生に放射線治療の報告をし、ついでに癌免疫ドッグ(イムノドッグ)を11ヶ月ぶりに受ける。
7月23日 厚生中央・久保内先生に放射線治療の結果報告、CTコピーを渡すと随分小さくなったと喜んでくれる。
7月17日 5週間35回の放射線治療の結果を見る。治療前・治療後が二つのディスプレイに同時にスライドしながら映し出され、是永先生は「どうです、小さくなったでしょう。」という。僕はもっと無くなる事を期待していたので、まあこんな物かと思う。2ヶ月後にもっと効果が出るので2ヵ月後に来なさいとの事。
また、頭の治療で成功しているラジオサージュ(放射線による外科的治療)の実施画像を見る。僕が受けていた治療器が頭の一点に焦点を合わせ一回転する。それでほぼ完璧に癌部がなくなっているのに驚いた。10月か11月くらいに此れを肺の治療に導入したいと言うことであった。大いに期待できると思った。しかし、後に久保内先生にこの話をすると頭は固定しているからいいが、肺は動いているから技術的にどうするのかなあと言うことであった。未だ実験段階のようだ。是永先生から免疫状態を高めておいて下さいと最後に言われた。
5月21日 東京逓信病院の放射線科で是永先生の診察を受ける。改めてCTを撮ると最大3.8cmと今までで一番大きくなっている。
22日から7月10日まで、週5回7週間35回の放射線治療を受けることになった。10時からアークに行く日が週に3日あるので9時からの治療となる。治療は10分くらいで会計に行っても9時20分には終了する。
5月15日 PETの結果をコンフォート後藤先生に送られると事になっていたので、後藤先生の診察を受ける。確かに左肺に異常があるとの結果だ。放射線治療を薦められる。東京逓信病院放射線科の是永部長への紹介状を貰う。
5月6日 西台クリニックにてPET検査を受ける。結果はコンフォート後藤先生に送られる。
これ以前は電子手帳の日程表を消してしまったので、1999年大腸がん発生以来の経緯を記憶によって記す。
1999年2月末、早稲田大学囲碁部の合宿に参加していたが体調を崩す。
3月1日よりTCY(ピープル・サッポロビール合弁の恵比寿ガーデンプレイス内高級スポーツクラブ)の社長に就任するが、当日は休館日で1時より現地で年度替りの政策発表会を行うとの事であった。僕にとっては半分隠居仕事であったが、高級スポーツクラブの運営は成功事例が少なくすこしは貢献できるかなと思いながら着任した。当日椅子に座っているのが困難となり、休憩室で横になり、其の侭、厚生中央病院に運ばれた。大腸炎で一週間余の入院となった。
8日に退院するが、内視鏡検査を10日にしたいと言われた。ちょうど妻の母が無くなり10日に葬式があり、次の内視鏡検査日が17日であったが、会社の経営会議があり着任最初に入院していたので会議を優先して、2週間遅らせた。
24日に内視鏡検査を受けるが、事前の腸の洗浄が何かに詰まって流れない状態であった。内視鏡検査では洗浄不足で医師は「何も見えないな」と言っていたが直ぐに「原因が分かりました」と言った。細胞を取って検査しますが間違いなく悪性腫瘍だと言われた。29日からの入院を約す。
実は会社の健康診断は受けていたが、大便を持参するのを数年忘れていた。大便検査から判明する確率は60〜70%という。
入院した時の腸閉塞は既に下剤などで流せない状態、29日からは鼻から小腸の先まで管を通し、肛門から大腸に管を通し、身動きできない状態が手術まで続く。外科の久保内先生は、洗浄状態により、一回の手術になるか、二回に分けて一時人工肛門を繋ぐか、開腹したときの判断で決めると言う。
4月5日の手術は、幸い一回で終了。腸中のリンパを取り感染を調べる(リンパを取ると生殖機能障害が起こると言う)。患部直下に一つだけあったらしい。腸壁には5分の4まで侵食していてたとの事。綜合2度という。5月中旬退院。
以後一年間飲んでいた薬はお酒と合わず、ほぼ禁酒する。薬の抗がん剤を続ける。
退院後、翌年春までは本当によく勉強した。遅ればせながら修士論文を書き、博士課程入試用の英語購読を塩田教室でやり(英語自習時間週12時間)、合間に社長業をした。無事、後期博士課程に合格する。会社の方は5月の決算役員会、株主総会を終えて辞任する。いよいよ研究生活に集中しようと思っていると2001年3月肺への転移が発覚する。レプケの研究の為ドイツ語を勉強していたが、そんな回りくどい事では命が持たないとドイツ語は止める。
数箇所に転移したので手術は出来ないとの事でお決まりの点滴による抗がん剤投入。途中休憩を入れて7月頃まで続く。毛が7割方抜ける。食欲増進剤のお酒のお陰で食欲はあり、約10キロ増えて、8月の地中海クルーズを終わった時には93キロになる。
点滴の不愉快さに辟易したので何かないかと思っていると、隣組の某夫人が免疫療法の横浜コンフォート病院の本を紹介してくれた。なかなかの美人なので直ぐに言うことを聞いて実行した。7月末コンフォートに行き、イムノ・ドッグを受ける。免疫療法用食材(AHCCとD-12)を購入し、服用する。半年間は効果を発揮した。
コンフォート病院はガン治療部門が2部門ある。一つは、免疫研究センターで宇野克明理事長が担当している。健康保険の取り扱いは無い。もう一つは内科の保険適用治療である。免疫研究センターの治療アイテムは次ぎの通りである。
癌免疫・治療評価システム=イムノ・ドッグ
サイトカイン : インターロイキン12、インターフェロンγ、腫瘍壊死因子(TNF-α)
細胞障害活性: ナチュラルキラー(NK)細胞活性
ヘルパーT細胞分類:Th1(ヘルパーT細胞1系)、Th2(ヘルパーT細胞2系)、Th1/Th2比率
癌関連抗原等検査(腫瘍マーカーその他):CEAその他計21項目検査
基礎がん治療: 癌免疫治療としてAHCC、D−12(特殊アミノ酸の酸化ストレス解除作用によってリンパ球の内部環境を調整する)、クレスチンの供給。
血管新生阻害治療としてサリドマイドの個別輸入
内科の特別治療アイテムは癌カテーテル・インターベンション治療と低用量抗がん剤点滴治療である。
AHCCとD−12とクレスチンは状況により量の多少はあるが、飲用を続けている。
イムノ・ドッグは2001/07/25,
2002/01/31, 2002/08/27, 2003/07/24
の4回受ける。二回目には良化したが、三回目から悪化傾向。2003年7月は放射線治療の所為かも知れないが最悪となり、どこかに転移しているということで今回のいきさつとなった。
途中の悪化に伴い、サリドマイド一年服用するも効果なし。カテーテル・インターベンションも3回するも効果なし。三回目は久保田先生推薦(これが大腸がんには一番効く、日本では保健薬として認可されていないと言ったが、それで30%の確率だと言う)のオキザリプラチンを投与したが効果なし。低用量抗がん剤点滴も併用したが効果なし。
以上の経過から、コンフォート内科の後藤先生の紹介で、PETを受け、放射線治療を受けることになった。
後藤先生は次々と他所の治療を紹介してくれる。患者の囲いをしない先生だ。
厚生年金の久保内先生には今も一般的抗がん剤処方をして貰うと同時に、セカンド・オピニオンを聞いている。
早稲田の博士課程は2003年3月満期退学し、現代は日本語教師用の勉強をしている。アジアの某国でボランティアの日本語教師をしようと思うが治療と両立できるか否か分かり難くなってきた。