勇気
テーマ:思い多くの人生がとるに足らない境遇の違いによって決められてしまうというのは、どうしてなのだろうか。
今、少しの勇気ある行動があれば成就したはずの幸運や偉業を見送ってしまった人を見るたびに、私は悲しく思う。
私の言うのはごく一般の人間、平均的な人間についてである。
それはどのような人間か。
自分を過小評価するあまり自分の考えや判断をも信じられず、意識決定にも最終的には外部的な理由に頼ってしまう人間、衆に烏合し、読むものを全て正しいとうのみにしてしまい、結局は群集にどうかしてしま人間。
数少ない人物からの影響とか庇護がある場合のみ、かろうじてある程度の成功を修められるような人間である。
積極的な人たちと行動をともにしている間は前向きな姿勢がとれるけれども、ひとたび単独行動を要求されると、もろくも膝が砕けてしまう。他人の思惑を恐れて、人間の根本原理や自分自身の考えを知り、自分自身の生活を送るをも放棄してしまう。
周りからのはやしたてがあるうちは威勢がいいが、自分一人の存在に直面するとき、その沈黙に恐れおののくような輩である。
常に従うことのみしか知らない、指導力を持たない人間である。高潔の衣を着せている。死が窓際に訪れるとき不当だと言って見苦しく叫ぶのは、このような人達なのだ。これが環境に支配される人間の姿である。
強靭な人間は、自らの必要とする欲望を満たすに役立つような環境を作りあげていく。もしも、あなたも環境に埋没した人間だとすれば、この病気に対する治療は勇気しかない。勇気こそ人間性の吐露の仲でも最も見事なものであり、恐れにたいしての行動と定義できよう。しかし、私達が勇気を必要とするのは恐れている時であるとすれば、私達は四六時中勇気を持たなければいけないことになる。というのは、私達は絶えず何かに恐れ、不安を感じているからだ。この小さな勇気ある行動をしなければならないとき、この不安ゆえ臆病になってしまうのを、私は経験から知っている。また勇気というものが繰り返し使われるたびに、いよいよ成長し、強度を増していくことも経験した。
自分自身への戒めとして私は次のことを心がけている。恐れていることこそ実行に移し、もう恐がらないまでに繰り返したならば、自分の運命を切り開くことが出来よう、ということである。これまでに私は、人間の偉大さといえる行為、小さな行為、偉大な人間、取るに足らない人間ということについても観察してみた。その結果、多くの相違点が認められたが、重要な相違点を見ると、それらの根底に一貫した共通点が認められるのに気づく。勇気の有無である。
勇気こそ、強気と弱気を分け、勝利者を敗残者から分かち、偉人を凡人から際立たせる唯一の要素である。また全ての人間が求めている人生の方向に進むためにひとつの共通なハンドルがある。それは、勇気ある人間によって操縦可能なハンドルである。
恐れることは生きる者の常であり、不安に立ち向かうことが真の人間らしさである。
先人も言っている、属して生きながらえるより最後まで闘って死を望むこと。
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親、兄弟姉妹、俺を深く知らない友人は、俺を
「超ポジティブ」
「凹むことはないのか」
「打たれ強い」
と、褒めているのか、からかっているのか分からないことをよく言う。
でも、本当の俺は、基本、ネガティブだし、安パイ志向。
今は株式市場で生きる身だが、昔はオヤジの事業を継ごうと何も考えずに思っていた。
しかし、この詩と出会えて変わることができた。
四六時中「勇気」を持つことは難しいが、本当に凹んだときには、この詩を読み返す。
俺が継がずに、自分の道を歩き始めることができたのは、この詩のおかげだ。
そして、今なお、読み直しても学べる詩でもある。
今日は以下のフレーズに感慨を受けた。
「恐れることは生きる者の常であり、不安に立ち向かうことが真の人間らしさである。」
不安は常にある。
プレッシャーに押しつぶされそうになるときもある。
でも、それに立ち向かうことが人間らしさだ、というのであれば、明日はそうできるように(正確には今日だが)、祈って就寝することとしよう。
では、おやすみなさい。
1 ■ありがとうございます