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きょうのコラム「時鐘」 2010年7月10日
幕末の加賀藩が洋式大砲を147門も造っていたという。維新前の資料を分析した成果が先ごろ報道された
明治維新に遅れを取ったとされる加賀藩が、実は積極的な近代化策を取っていたことになる。郷土の歴史を科学分野から探求するのは、高峰譲吉らの研究をきっかけに進んでいるが、もっと知られてもいいだろう 先日、北陸がんプロフェッショナル事業で「命のスープ」で有名な料理研究家の辰巳芳子さんが講演した。祖父は辰巳一(はじめ)と言い、幕末期の加賀藩士で、日清戦争以後の主力戦艦を設計した人である。講演の後に、祖父の話を聞いた 横須賀に派遣され、造船の勉強中に維新となり、4人の若者がフランス留学生に選ばれた。そのうち2人が辰巳ら旧加賀藩士だったという。新政府の基盤を支えたのは、旧幕臣や加賀藩の理系の人材も多かったのである 昭和6年、臨終の床で辰巳一は白ワインを求め、介護してくれた人たちに向けて乾杯をして逝(い)った。その光景を覚えている芳子さんは85歳。「祖父はサムライでした」と言う。幕末は遠い昔ではない。まだまだ知りたいことが埋もれている。 |