高木マニア堂
何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。
213:発掘!半世紀前の巨人軍手ぬぐい
<2009年11月=東スポ携帯サイトより>
原辰徳監督率いる読売巨人軍が7年ぶり21度目の日本一に輝いた。
それとはあまりカンケイないのだが、つい先日、近所の骨董品店で、店頭に飾られていた巨人軍選手の寄せ書きサインが印刷された手ぬぐい(写真)なるモノを購入した。2100円也。
現在も、読売新聞の販売促進商品(この場合、景品と言うべき?)として、巨人軍の人気選手のサインが印刷されたタオルなどが配られている。しかし、これはタオルではなく和風の「手ぬぐい」。しかも相当に古い。店主は「昭和33~34年の品でしょう」と鑑定する。
今も昔も、スポーツ選手や芸能人のサインは、何と読むのか解読しづらい。
それぞれ背番号でも書いておいてくれれば助かるのだが…。
かろうじて解読可能だったのは藤田元司、広岡達朗、川上哲治、藤尾茂、藤本伸、与那嶺要(この人、愛称はウォーリーだったはずだが、サインの筆記体スペルは「Willy」となっている)、別所毅彦、堀内庄、長嶋茂雄、十視啓視といった面々。
この手ぬぐいの配布年は、サインが印刷された選手の在籍年から割り出せば良い。
ごく単純に、昭和33年のルーキー・長嶋がいて、昭和34年のルーキー・王貞治がいないのだから、昭和33年末あたりと考えるのが妥当。
だが何事にもアバウトなこの時代のことだ。単にルーキーのサインを入れ忘れていた可能性もある。
そこでポイントとなるのが、長嶋の左隣に描かれていた十時啓視(ととき・けいし)外野手のサインだ。十時選手は昭和35年のシーズンから、巨人OBの千葉茂監督に誘われて近鉄バファロー(チーム名に「~ズ」が付くのは昭和37年から)に移籍しているので、それより前。長嶋と共に巨人に在籍したのは昭和33~34年のみ。
よって、この手ぬぐいは、そのどちらかの年。おそらく王の入団前、昭和33年末あたりの販促用手ぬぐいであると判断した。
店主曰く、この手ぬぐいは北陸・富山の土蔵で発掘されたものだとか。これが長野県や岐阜県にまで南下すると、途端に中日新聞を親会社とする中日ドラゴンズの手ぬぐいに変化。関西方面へと行くと、もう阪神、阪急、近鉄、南海など鉄道会社系球団の勢いに押され、こういった販促手ぬぐいの発掘自体があまり見られないそうな。
何はともあれ、半世紀も前の手ぬぐいだ。入浴や洗面に使うのもはばかれるから、大切に飾ることにしよう。
原辰徳監督率いる読売巨人軍が7年ぶり21度目の日本一に輝いた。
それとはあまりカンケイないのだが、つい先日、近所の骨董品店で、店頭に飾られていた巨人軍選手の寄せ書きサインが印刷された手ぬぐい(写真)なるモノを購入した。2100円也。
現在も、読売新聞の販売促進商品(この場合、景品と言うべき?)として、巨人軍の人気選手のサインが印刷されたタオルなどが配られている。しかし、これはタオルではなく和風の「手ぬぐい」。しかも相当に古い。店主は「昭和33~34年の品でしょう」と鑑定する。
今も昔も、スポーツ選手や芸能人のサインは、何と読むのか解読しづらい。
それぞれ背番号でも書いておいてくれれば助かるのだが…。
かろうじて解読可能だったのは
この手ぬぐいの配布年は、サインが印刷された選手の在籍年から割り出せば良い。
ごく単純に、昭和33年のルーキー・長嶋がいて、昭和34年のルーキー・王貞治がいないのだから、昭和33年末あたりと考えるのが妥当。
だが何事にもアバウトなこの時代のことだ。単にルーキーのサインを入れ忘れていた可能性もある。
そこでポイントとなるのが、長嶋の左隣に描かれていた十時啓視(ととき・けいし)外野手のサインだ。十時選手は昭和35年のシーズンから、巨人OBの千葉茂監督に誘われて近鉄バファロー(チーム名に「~ズ」が付くのは昭和37年から)に移籍しているので、それより前。長嶋と共に巨人に在籍したのは昭和33~34年のみ。
よって、この手ぬぐいは、そのどちらかの年。おそらく王の入団前、昭和33年末あたりの販促用手ぬぐいであると判断した。
店主曰く、この手ぬぐいは北陸・富山の土蔵で発掘されたものだとか。これが長野県や岐阜県にまで南下すると、途端に中日新聞を親会社とする中日ドラゴンズの手ぬぐいに変化。関西方面へと行くと、もう阪神、阪急、近鉄、南海など鉄道会社系球団の勢いに押され、こういった販促手ぬぐいの発掘自体があまり見られないそうな。
何はともあれ、半世紀も前の手ぬぐいだ。入浴や洗面に使うのもはばかれるから、大切に飾ることにしよう。
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