顕正会にいては参加できない行事に、また1つ参加が叶うことができた。それは夏期講習会である。初めて私も参加したので詳細な案内ができないが、教学を2日間に渡って叩き込む行事である。今回は交通費削減に伴い、往復高速バス“やきそばエクスプレス”とした。 東京駅八重洲南口。高速バスを乗り回す者なら、誰もが知っている乗り場である。不慣れな者は、往々にして日本橋口まで行ってしまう可哀想な事態を引き起こす利用者も多々存在する。尚、今の所のツワモノとしては大手町にある私の勤務先のビルにまで来てから聞いてきた人がいた。ここまで来たら、もはやゲームオーバーでは?
話が逸れてしまったが、始発の便は御開扉のある日だけ大石寺三門前まで延長運転される便である。明らかに法華講の存在感は小さくない。この便は満席に近く、法華講員達は後ろの席に固まっていた。私のような単独行動の者だけ、真ん中より前に座っていたりする。LED式の行き先表示機には『富士宮・大石寺』と書かれている。宮と・を除くと、顕正会の枕言葉になるのだが、それはまあいい。着山受付は11時まで。このバスの大石寺到着も11時ちょうどである。着山受付だけは、前泊の南風さん(あっつぁブログにもリンクされている)とあずみんさんにお願いしておいた。他の信徒さんも、そのようになさっているのだろうか。それとも、初日の御開扉はパスしておくのか。不明である。
バスは数分遅れて東京駅八重洲南口を発車した。バスが満席だと、乗車手続きに手間取る乗客が往々にしているためである。……他の法華講員の方、私みたいに座席番号まで決まってから乗りましょうね(手間取ったのが大石寺まで乗って行く人達だったので、まあ法華講員だろう)。もっとも、顕正会ではこんなこと無いだろうが(そもそも高速バスでどこか行事に向かうということ事態、そんなに無い。長野エムウェーブに高速路線バスで向かった会員がどれだけいたかは不明)。車内では“大日蓮”だの大白法を開く講員さんがいた。私はというと、旅のお供にiPod。前回、新幹線で向かった時には異流儀会歌が流れてきたが、今回はちゃんと日蓮正宗愛唱歌を流した。最後に『霧雨けむる大石ヶ原』なんて流れてきたが、まあ【お察しください】。天候は、まず絶対に太陽が顔を出さない厚い雲に覆われていた。東名高速も渋滞が予想され、前途多難なものであった。まるで新制・妙信講が法道院から独立した時のような心境……は置いといて。え?他にも独立した講中が存在するって?いやー、私は知らない……ということにしておこう。
バスは霞ヶ関から首都高速に乗る。首都高速までは空いていた。私はというと、座席を倒して爆睡を決め込む。JRバス関東の特注シートはシートピッチが売りであるが、通路がその分狭くなっているという難点がある。いつもなら足柄サービスエリアで休憩するのだが、混雑が予想されるということで、手前の鮎沢で休憩した。渋滞という渋滞は当たらなかったが、確かに車の量は多かった。中速運転を強いられる区間も往々にしてあり、それでは定時運転は不可能であった。今回の場合、高速バスは外れで新幹線が当たりであったと思う。必要経費はケチるなということだ。特に、私のように単独で御守護が見込めない場合は、二重三重の手を用意しておく必要がある。いや、これでも諸天は見積もりを高くしてくれてるんですよ。こんな信心薄弱の者に、基本的な守護は与えてくれてるんですから。無事故という最低限の御守護はね。
大石寺三門前に到着した際、バスの遅延は15分ほど。実は小生、そこから宿坊である常来坊に行ったことはない。大石寺に何かを配達しようとしているトラックの運転手が電話で、「搬入口どこっスか?」と聞いていたので、私もすかさず電話してみることにした。釣られて私も、搬入口と言ってしまったのだが。何を配達するねん、自分?
前回の御虫払い法要も常来坊だったが、今回も常来坊であった。うむ。妙に縁があるなぁ。あ、だから妙縁寺って?……すいません。常に来るから、常来坊なのだろう。多分。地名しか会館の無い顕正会とは違う。しかしまあ、“浅井記念会館”とか作りそうだな……。それはないか。また話が逸れてしまったが、常来坊は学会寄進の宿坊ということもあり、とても個性的な構造である。近くに新・常来坊が建設され、この旧・常来坊は取り壊される予定である。だからこのエキゾチックな雰囲気を体験するのも、今年で最後になるだろう。これでまた学会の記憶がまた1つ無くなることになる。尚、神奈川地方部と特別布教区というのは前回の御虫払い会と同じである。
雨はいつしか止み、傘が要らなくなっていた。南風さんの強い信心による御守護は本当にありがたい。こういうのは人に影響を与えるものであり、例えば私の場合、顕正会員の時、東京会館に行く度に雨に降られるというジンクスがあって、別の班長が、
「オレは巻き添えかい!」
と、ボヤいていた。ここ最近、私が登山する度に雨に降られている。他の法華講員さん、巻き添えしてごめんなさい。私の場合、罰の現証や罪障消滅の現証が周りを巻き込まないと気が済まないタイプのようである。……さあ、私を追い出すなら今のうちですぜ?
御開扉は混んでいるかと思いきや、大混雑というわけでもなく、少し後ろの席になったくらいであった。……おっと!これ以上の公開は宗内規則で禁止されているので、奉安堂内部はここまで。御開扉の内容も非公開である。え、そこを公開しろって?いやいや、教化親ごと宗務院呼び出しを食らう恐れがあるので【お察しください】。万難を排して御戒壇様にお目見えすると、その歓喜はひとしおである。顕正会は“不敬の御開扉”と目を剥いて主張するが、どうしてどうして。南条殿御返事にも、
「参詣遥かに中絶せり。急急に来臨を企つべし」
とあるではないか。尚、これを少しでも教学を身に付けている顕正会員ならば、
「何をか言わんや。それは南条時光殿に宛てた手紙であって、我々は関係ない」
だとか、
「参詣しろというのは、その手紙においては久遠寺のことであり、大石寺ではない」
とか言うことがある。ま、私のような教学に疎い者ですら、その屁理屈にも似た反論を破折できるのだが、それは置いておこう。いや、しかし、久遠寺への参詣は大石寺よりキツいらしいよ。いや、オレは行ったことないけど。本当に、『登山』なんだって。真冬は遭難寸前必至の。
メインの講習は実に有意義であった。私も頭の悪い人間だから、なかなか頭に御書が入っていかない。しかし事前に配られたテキストは分かりやすく書かれ、講師の御尊師方も実に分かりやすく御指南下さった。特に2時限目の『破邪顕正の実践』において、顕正会もしっかり破折されていた。浅井会長が名指しで破折されていた。いい気味だ。国立戒壇がようやく間違いであることに気づいたと言っても過言ではない。これならもう顕正会員に勝てそうな気がした。いや、失言して負けたというのはね、離脱僧の存在なのね。末寺ごと学会に行ってしまった所が実際に存在し、そこを指摘されて答えられなかったからである。うーむ……さすがに夏期講習では、そこまで触れていなかったなぁ……。まあ、宗門においても恥部だからしょうがないけど……。学会員の幹部は論点のすり替えが得意なのだという。私もしょうがないからそれを悪用してみるか。正信会辺りに話をすり返れば、まあ何とかなるだろう。顕正会員も(恐らくは)正信会の詳細を知らないから。あ、だけど、顕正会員の中にはすり替えた話をまた元に戻すのも得意な会員もいるから、そいつには通用しない。多分、そういう奴が学会員を引っ張ってくるんじゃないかな。
消灯時間は21時30分だが、今日は顕正会員からの揺さぶり電話は無かった。さすがにもう法華講員とは連絡を取りたがらないのかな。大勢と雑魚寝するのも、久しぶりである。なかなか落ち着いて寝付けない。耳栓も持ってくるといいかもしれない。起床時間は5時15分。布団の数が多いために、その片付けの手間を考えて繰り上げを……ん?その前に何か忘れてないかって?いやー、何かあったっけ?夜中に客殿で勤行した夢を見たけど?うーん……【お察しください】。
あ、因みに私が宗門に来て驚いたことがもう1つ。食事前と後にも御題目三唱することである。顕正会時代には無かった。合宿でホテルに泊まった時に食事が出たけど、別にやった記憶は無い。長野エムウェーブに出た時も弁当が出たけど、特に御題目を上げた記憶は無い。この日の天候は曇。そう、雨ではなかったのだ。いやー、南風さんの御守護には本当助かる。信心強情、罪障消滅の完了した人について行くと実に頼もしい限りである。最後は猊下様による御講義であるが、さすが猊下様御自らの御講義ということもあって、実に内容が深いものであった。顕正会の日曜勤行や御書講義では、まず取り上げられないであろう御書が目白押しであった。話は前後するが、泊まった宿坊の御住職が仰っていたのだが、如来寿量品についての指導は猊下様以外は基本的にされないのだそうだ。何故なら、如来寿量品に仏法の全てが詰まっているからだという。しかし、顕正会ではフツーに浅井会長が指導していたが(是好良薬など)。
最後にまた御開扉を受ける。南風さんと別れた後、また再び雨が降ってきた。特に御開扉の後。うーむ……私の信心では、好天は無理のようである。参加者の他の講員の皆さん、どうもすいませんでした。1人の迷惑は皆の迷惑。顕正会男子部第6隊も、疫病神たる私を追い出して、さぞかし清々としていることだろう。帰りのバスは富士急静岡バスで運転されている便である。白糸の滝から来るもので、途中で本門寺入口にも止まる。この本門寺とは、北山のことであろうか。そこまでガラガラで来たバスも、大石寺前からは満席に近くなった。その前に総一坊から新富士行きの路線バスが発車していったが、どうやら普通の路線バスで運転されたもようである。ワンロマか?法華講員だけで、相当の運賃売り上げがあったと思う。増便を検討願いたい。学会が在籍していた頃は、頻繁運転されていたようであるが……。
帰りのバスは大石寺前で乗車手続きに手こずったこともあって、ここでまた発車が遅れた。また、富士宮市内の混雑と東名高速の渋滞もヒドいものだった。帰りのバスは私は爆睡していたが、単独行動している法華講員は私だけではないもよう。高速バスは、個人旅行向きである。
東京駅日本橋口に着いた時には、30分以上の遅延であった。ま、私の信心だとこの程度だ。無事故で到着できただけでも良しとなければならない。尚、上野駅で特急“あかぎ”号に飛び乗れ、ガラガラの車両で帰れたのは災い転じて福と成せたことである。正法を実践していると、不運も結果的に幸運に変えることができるということである。
こうして、初の夏期講習会は無事に終わることができた。大石寺では毎月必ず、何かしらの行事が行われている。顕正会のようなマンネリ総会ではない。そこには必ず、本物の歓喜と充実が待っているのである。来月も是非とも登山したいと感じた次第である。
話が逸れてしまったが、始発の便は御開扉のある日だけ大石寺三門前まで延長運転される便である。明らかに法華講の存在感は小さくない。この便は満席に近く、法華講員達は後ろの席に固まっていた。私のような単独行動の者だけ、真ん中より前に座っていたりする。LED式の行き先表示機には『富士宮・大石寺』と書かれている。宮と・を除くと、顕正会の枕言葉になるのだが、それはまあいい。着山受付は11時まで。このバスの大石寺到着も11時ちょうどである。着山受付だけは、前泊の南風さん(あっつぁブログにもリンクされている)とあずみんさんにお願いしておいた。他の信徒さんも、そのようになさっているのだろうか。それとも、初日の御開扉はパスしておくのか。不明である。
バスは数分遅れて東京駅八重洲南口を発車した。バスが満席だと、乗車手続きに手間取る乗客が往々にしているためである。……他の法華講員の方、私みたいに座席番号まで決まってから乗りましょうね(手間取ったのが大石寺まで乗って行く人達だったので、まあ法華講員だろう)。もっとも、顕正会ではこんなこと無いだろうが(そもそも高速バスでどこか行事に向かうということ事態、そんなに無い。長野エムウェーブに高速路線バスで向かった会員がどれだけいたかは不明)。車内では“大日蓮”だの大白法を開く講員さんがいた。私はというと、旅のお供にiPod。前回、新幹線で向かった時には異流儀会歌が流れてきたが、今回はちゃんと日蓮正宗愛唱歌を流した。最後に『霧雨けむる大石ヶ原』なんて流れてきたが、まあ【お察しください】。天候は、まず絶対に太陽が顔を出さない厚い雲に覆われていた。東名高速も渋滞が予想され、前途多難なものであった。まるで新制・妙信講が法道院から独立した時のような心境……は置いといて。え?他にも独立した講中が存在するって?いやー、私は知らない……ということにしておこう。
バスは霞ヶ関から首都高速に乗る。首都高速までは空いていた。私はというと、座席を倒して爆睡を決め込む。JRバス関東の特注シートはシートピッチが売りであるが、通路がその分狭くなっているという難点がある。いつもなら足柄サービスエリアで休憩するのだが、混雑が予想されるということで、手前の鮎沢で休憩した。渋滞という渋滞は当たらなかったが、確かに車の量は多かった。中速運転を強いられる区間も往々にしてあり、それでは定時運転は不可能であった。今回の場合、高速バスは外れで新幹線が当たりであったと思う。必要経費はケチるなということだ。特に、私のように単独で御守護が見込めない場合は、二重三重の手を用意しておく必要がある。いや、これでも諸天は見積もりを高くしてくれてるんですよ。こんな信心薄弱の者に、基本的な守護は与えてくれてるんですから。無事故という最低限の御守護はね。
大石寺三門前に到着した際、バスの遅延は15分ほど。実は小生、そこから宿坊である常来坊に行ったことはない。大石寺に何かを配達しようとしているトラックの運転手が電話で、「搬入口どこっスか?」と聞いていたので、私もすかさず電話してみることにした。釣られて私も、搬入口と言ってしまったのだが。何を配達するねん、自分?
前回の御虫払い法要も常来坊だったが、今回も常来坊であった。うむ。妙に縁があるなぁ。あ、だから妙縁寺って?……すいません。常に来るから、常来坊なのだろう。多分。地名しか会館の無い顕正会とは違う。しかしまあ、“浅井記念会館”とか作りそうだな……。それはないか。また話が逸れてしまったが、常来坊は学会寄進の宿坊ということもあり、とても個性的な構造である。近くに新・常来坊が建設され、この旧・常来坊は取り壊される予定である。だからこのエキゾチックな雰囲気を体験するのも、今年で最後になるだろう。これでまた学会の記憶がまた1つ無くなることになる。尚、神奈川地方部と特別布教区というのは前回の御虫払い会と同じである。
雨はいつしか止み、傘が要らなくなっていた。南風さんの強い信心による御守護は本当にありがたい。こういうのは人に影響を与えるものであり、例えば私の場合、顕正会員の時、東京会館に行く度に雨に降られるというジンクスがあって、別の班長が、
「オレは巻き添えかい!」
と、ボヤいていた。ここ最近、私が登山する度に雨に降られている。他の法華講員さん、巻き添えしてごめんなさい。私の場合、罰の現証や罪障消滅の現証が周りを巻き込まないと気が済まないタイプのようである。……さあ、私を追い出すなら今のうちですぜ?
御開扉は混んでいるかと思いきや、大混雑というわけでもなく、少し後ろの席になったくらいであった。……おっと!これ以上の公開は宗内規則で禁止されているので、奉安堂内部はここまで。御開扉の内容も非公開である。え、そこを公開しろって?いやいや、教化親ごと宗務院呼び出しを食らう恐れがあるので【お察しください】。万難を排して御戒壇様にお目見えすると、その歓喜はひとしおである。顕正会は“不敬の御開扉”と目を剥いて主張するが、どうしてどうして。南条殿御返事にも、
「参詣遥かに中絶せり。急急に来臨を企つべし」
とあるではないか。尚、これを少しでも教学を身に付けている顕正会員ならば、
「何をか言わんや。それは南条時光殿に宛てた手紙であって、我々は関係ない」
だとか、
「参詣しろというのは、その手紙においては久遠寺のことであり、大石寺ではない」
とか言うことがある。ま、私のような教学に疎い者ですら、その屁理屈にも似た反論を破折できるのだが、それは置いておこう。いや、しかし、久遠寺への参詣は大石寺よりキツいらしいよ。いや、オレは行ったことないけど。本当に、『登山』なんだって。真冬は遭難寸前必至の。
メインの講習は実に有意義であった。私も頭の悪い人間だから、なかなか頭に御書が入っていかない。しかし事前に配られたテキストは分かりやすく書かれ、講師の御尊師方も実に分かりやすく御指南下さった。特に2時限目の『破邪顕正の実践』において、顕正会もしっかり破折されていた。浅井会長が名指しで破折されていた。いい気味だ。国立戒壇がようやく間違いであることに気づいたと言っても過言ではない。これならもう顕正会員に勝てそうな気がした。いや、失言して負けたというのはね、離脱僧の存在なのね。末寺ごと学会に行ってしまった所が実際に存在し、そこを指摘されて答えられなかったからである。うーむ……さすがに夏期講習では、そこまで触れていなかったなぁ……。まあ、宗門においても恥部だからしょうがないけど……。学会員の幹部は論点のすり替えが得意なのだという。私もしょうがないからそれを悪用してみるか。正信会辺りに話をすり返れば、まあ何とかなるだろう。顕正会員も(恐らくは)正信会の詳細を知らないから。あ、だけど、顕正会員の中にはすり替えた話をまた元に戻すのも得意な会員もいるから、そいつには通用しない。多分、そういう奴が学会員を引っ張ってくるんじゃないかな。
消灯時間は21時30分だが、今日は顕正会員からの揺さぶり電話は無かった。さすがにもう法華講員とは連絡を取りたがらないのかな。大勢と雑魚寝するのも、久しぶりである。なかなか落ち着いて寝付けない。耳栓も持ってくるといいかもしれない。起床時間は5時15分。布団の数が多いために、その片付けの手間を考えて繰り上げを……ん?その前に何か忘れてないかって?いやー、何かあったっけ?夜中に客殿で勤行した夢を見たけど?うーん……【お察しください】。
あ、因みに私が宗門に来て驚いたことがもう1つ。食事前と後にも御題目三唱することである。顕正会時代には無かった。合宿でホテルに泊まった時に食事が出たけど、別にやった記憶は無い。長野エムウェーブに出た時も弁当が出たけど、特に御題目を上げた記憶は無い。この日の天候は曇。そう、雨ではなかったのだ。いやー、南風さんの御守護には本当助かる。信心強情、罪障消滅の完了した人について行くと実に頼もしい限りである。最後は猊下様による御講義であるが、さすが猊下様御自らの御講義ということもあって、実に内容が深いものであった。顕正会の日曜勤行や御書講義では、まず取り上げられないであろう御書が目白押しであった。話は前後するが、泊まった宿坊の御住職が仰っていたのだが、如来寿量品についての指導は猊下様以外は基本的にされないのだそうだ。何故なら、如来寿量品に仏法の全てが詰まっているからだという。しかし、顕正会ではフツーに浅井会長が指導していたが(是好良薬など)。
最後にまた御開扉を受ける。南風さんと別れた後、また再び雨が降ってきた。特に御開扉の後。うーむ……私の信心では、好天は無理のようである。参加者の他の講員の皆さん、どうもすいませんでした。1人の迷惑は皆の迷惑。顕正会男子部第6隊も、疫病神たる私を追い出して、さぞかし清々としていることだろう。帰りのバスは富士急静岡バスで運転されている便である。白糸の滝から来るもので、途中で本門寺入口にも止まる。この本門寺とは、北山のことであろうか。そこまでガラガラで来たバスも、大石寺前からは満席に近くなった。その前に総一坊から新富士行きの路線バスが発車していったが、どうやら普通の路線バスで運転されたもようである。ワンロマか?法華講員だけで、相当の運賃売り上げがあったと思う。増便を検討願いたい。学会が在籍していた頃は、頻繁運転されていたようであるが……。
帰りのバスは大石寺前で乗車手続きに手こずったこともあって、ここでまた発車が遅れた。また、富士宮市内の混雑と東名高速の渋滞もヒドいものだった。帰りのバスは私は爆睡していたが、単独行動している法華講員は私だけではないもよう。高速バスは、個人旅行向きである。
東京駅日本橋口に着いた時には、30分以上の遅延であった。ま、私の信心だとこの程度だ。無事故で到着できただけでも良しとなければならない。尚、上野駅で特急“あかぎ”号に飛び乗れ、ガラガラの車両で帰れたのは災い転じて福と成せたことである。正法を実践していると、不運も結果的に幸運に変えることができるということである。
こうして、初の夏期講習会は無事に終わることができた。大石寺では毎月必ず、何かしらの行事が行われている。顕正会のようなマンネリ総会ではない。そこには必ず、本物の歓喜と充実が待っているのである。来月も是非とも登山したいと感じた次第である。
一泊での楽しみは、やはり丑寅ですよね。
けど、昼に近づくにつれて〜お察し下さい。(笑)
>食事前と後にも御題目三唱することである。
お寺でのお手伝いとか、要員とかしてると、お茶や、お菓子など頂くことがありますが、その時には必ずしますね。
個人宅の唱題会で、お茶など出たときも。
だから、普段でも食事の前後には、習慣付けたいのですが、一人の食事だとよく〜お察し下さい状態ですよ。(^^;
あ!外食の時は、心の中でお題目三唱ですよ。
さすがに声を出して〜て、無理だから(^^;
食べ物その物に向かってと言うより、御本尊様を思い浮かべてですね。
詳しい理由は、聞いたことがないのですが、多分、命を頂いてるからその意味で、感謝とかそういう理由が存在すると思ってます。
自分は信心強盛ではないですよ。それと罪障消滅も完了していませんし、ユタさんと同じくヘタレな信心です。(笑)
これからも、共に異体同心して精進していきましょう!