《はやぶさが帰還した6月13日。川口さんは昼過ぎ、相模原市の運用管制室へやってきた。約20人のプロジェクトメンバーでごった返し、深夜の帰還に向けて緊迫が高まっていた》
その時感じたことは「この運用は、もう明日からはないんだ」。このプロジェクトの特徴ですが、最終日に最高潮を迎えます。ところが一夜明ければ、はやぶさのために集まっている人たちは、来る必要も理由もなくなる。この7年間当たり前だった日常がなくなる。それがにわかに現実のこととは受け止められませんでした。
《実際、翌14日に来てみると、はやぶさの運用室として使っていた部屋の電気が消え、だれもいなくなっていた》
運用管制室には、はやぶさの7年間の運用で培った知恵や工夫が詰まっていました。それがもう用なしになってしまった。はやぶさにかかわった宇宙研=宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所=のメンバーも、毎日メールで届いていた日報が来なくなり、途方に暮れていると思います。「この成果を生かすも殺すも我々次第」と、運用室で独り、心に誓いました。
《成果を生かすすべの一つが、後継機「はやぶさ2」だ。イトカワとは異なるタイプの小惑星を目指す》
はやぶさは日本の宇宙開発に大きな自信と希望を与えました。今後の宇宙開発の指針になると思います。プロジェクトの当初からかかわった若手も、多くの経験を積んだ。その知識や技術を伝承していくことが重要であり、それができなければ進歩もありません。
《はやぶさ2にはライバルがいる。日本にとって宇宙開発の大先輩だった米国だ。日本で予算化が遅れる一方、着々と計画を進めている》
はっきり言って、はやぶさが火をつけたと思います。だから日本がわざわざ身を引くようなことはあってはならないし、この分野を「わが国たらん」という、世界をリードする活動にしていかなければならない。後継機を実現させ、次世代が新たな成果を上乗せできるようにすることが、はやぶさの真のゴールだと私は考えています。
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聞き手・永山悦子、写真・小林努/「時代を駆ける」は火~土曜日掲載です。
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■人物略歴
JAXA教授。月・惑星探査プログラムグループ・プログラムディレクター。54歳
毎日新聞 2010年7月9日 東京朝刊