《「不死鳥」と呼ばれたはやぶさも、05年12月から7週間、通信が途絶えた際は「もはやこれまで」と思われた》
復旧を目指し、考えられるあらゆる周波数で電波を送り続けました。地球と通信できる条件が整う可能性はありましたが、その条件が必ずそろうという確証もありませんでした。このトラブル以来、私は信心深くなったのです。
《相模原市の管制室には、航空関係の安全祈願で知られる寺のお札が並ぶ。一見、矛盾しているような「科学者の神頼み」。しかし川口さんにとっては自然な心境の変化だった》
自分たちが判断して対処できるところまで、神頼みしようとは思いません。しかしどうしても分からない部分が残ります。通信途絶も、最終的には復旧しないという結果になるかもしれない。打てる手は打った上で、最後にどう転ぶかは「運」次第といえます。だから、私たちが期待する結果に転がるよう、神頼みをしたのです。トラブル解決への意気込みを保つための「気持ちの支え」という側面もありました。
《昨秋にイオンエンジンが停止、奇跡的に復旧した際は、運転に欠かせない「中和器」という装置の無事を願って、岡山県にある「中和(ちゅうか)神社」まで出かけた》
ご利益があったのか、その後のイオンエンジンは調子を維持し、帰還直前の最後の軌道修正では一度も、みじんの異常も起きませんでした。打ち上げ後、初めてのパーフェクトな運転でした。はやぶさが本当に致命的な故障を免れたのは、幸運以外の何ものでもないと思います。
《もちろん運だけに頼ったわけではない。はやぶさにトラブルが起きるたび運用会議が開かれた。そこで知恵を絞ったのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のメンバーだけではなかった》
会議にはメーカーの技術者も参加し、誰の提案かに関係なく、一番良い案が採用されました。良い意味でのディスカッション文化が役立ちました。幸運だけでなく、最後の最後はチームの意地が、はやぶさの帰還を引き寄せたのだと思います。
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聞き手・永山悦子、写真・森田剛史/「時代を駆ける」は火~土曜日掲載です。
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■人物略歴
宇宙航空研究開発機構教授。54歳(写真は管制室で。右上にお札が並んでいる)
毎日新聞 2010年7月7日 東京朝刊