2010-07-08 部下にミスをさせないのは簡単だ。仕事をさせなければいい。

ミスや失敗って嫌ですよね。するのもされるのも、嫌なものです。
やったら怒られる、やられたら余計な仕事が増える、どちらの立場でもミスや失敗の後始末を考えるとうんざりしてきます。
自分がするミスや失敗を嫌だなあって思う人はわかるんじゃないかと思うんですが、ミスや失敗って結構同じとこで起こしてしまいがちですよね。なんでしょうね、あれ。ミスしちゃいけないと思うと、ミスしてしまう。ここは気をつけないとダメだと身構えると、失敗する。特殊な事例を強調して憶えてしまう心理的錯覚なのかもしれませんが、ミスがミスを呼ぶとしか思えないタイミングでミスは起きるものです。
ぽわぽわぽわあと回想音がして、これからどうでもいい自分語りの昔話が始まりますので、興味のない方はタイトルがかりそめの結論みたいなものですので、これにてごきげんようです。
■昔、少年野球でキャッチャーをやってました。5番、キャッチャー、yellowbell、背番号16。
ある公式試合で、何回だったか忘れましたが、ノーアウト1−3塁から1塁ランナーが盗塁をしました。
ノーアウトなのでキャッチャーが2塁に投げて1アウトを取るにしても、野手が1塁ランナーをタッチしてる間に3塁ランナーがホームに返ってきたら1点入って牽制の意味がありません。ですから、そういうケースではキャッチャーは投げるふりをしても実際には2塁にボールを投げないのがセオリーです。
でも、僕はそこで投げてしまった。
ボールが指を離れる瞬間に、頭では「ここは投げちゃあかんて!」とブレーキをかけてるんですが、それでもボールはピッチャーの頭上を越えて2塁へとストライクで飛んでいきました。
セカンドベースカバーの野手が前に出てカットしてすぐにホームに投げ返しましたが、そこは少年野球、3塁ランナーにホームインされて1点献上です。
瞬間に、どばっと汗が出ました。やった!やっちゃった!俺やってもーた!こめかみあたりがかーっと熱くなって、棒立ちです。
「なにやってんだ!そこで投げるバカがいるか!」カントクの顔も真っ赤になってます。
タイムをもらってマウンドに行ってピッチャーに謝ろうとすると、ピッチャーは『来なくていいから早く座れ』とグローブで促します。ピッチャーにそんなつもりがなかったことは今でこそわかりますが、そのときは振り返りながらこちらを見る彼の目が僕を真底から軽蔑したような眼差しに見えました。
嫌な汗で背中を冷やしながら、こんなミスはしちゃダメだ絶対にダメだと自分のダメさ加減を呪い続けます。
そして同じイニング、1アウトを取ってまたしてもランナー1−3塁になってしまいます。
さっきと同じやん!と思うと、脳が猛回転を始めます。今度はうまくやろう!今度は怒られんようにしよう!軽蔑されとーない!うまくやらんと!うまく!
ピッチャーが投げて、またしても1塁ランナーが走ります。ボールがばしんとミットに入って、ミスはダメミスはダメと繰り返しながら僕は立ち上がり、そこでパカっと頭が真っ白になります。
僕はまた、2塁に投げてました。
相手チームに1点が追加され、一連のプレーが終わった直後、僕はキャッチャーを交代させられました。監督は怒りもせず、その代わり「同じ失敗をするなよ」と言ったきりでした。後輩がマスクをかぶり、その回を終え、野手たちがドンマイと言ってくれるのにロクに答えもせず、僕はずっと僕のミスについて考えていました。ああ、僕はダメだ。ダメなやつだ。2度も同じことを繰り返すなんてバカとしか思えない。みんな僕を軽蔑してる。こいつはダメだと思ったに違いない。僕はもうダメだ。僕は、もう、野球は、ダメだ。
監督は同じ日にあった次の試合(敗者復活戦)で、僕を外野手ライトのポジションで起用しました。もうキャッチャーはダメということなんだレギュラーはクビなんだと涙目で落ち込んだ僕を呼びとめて、監督は言いました。
「今回は気分転換や。お前はキャッチャー。外野でどげえエラーしてん当たり前なんやから、思いっきりボールを追っかけて走り回っちこい。ほいで、打て。前ん試合で打ったろが。あれと同じの打て。1本でいいけん。たかがエラーくらいで自分を嫌いになんなよ」
■それなんてがんばれベアーズ?というツッコミが聞こえてきそうですが、実話です。実は、実話なんちて。
その後小学生の間、僕は相変わらずキャッチャーでした。凡エラーもやりましたが、野球をやってる時間が楽しかったと記憶に残ってます。中学も違うスポーツ、高校も違う分野で部活に入ってました。このとき、野球と、野球がまともにできない自分を嫌いになっていたらと思うと、結構遠い目になります。
■大学を卒業して会社に入った直後、認めたくないことに、僕はやはりミスを繰り返す人間でした。
課長に指示されて、先輩に指導されて、頑張って作った資料にミスがある。「持ってくる前にもう一度見直せよ」と言われて見直して持っていっても、やっぱりどこかにミスがある。東京の有名私大出身の課長には「地方大学卒業の能力なんてこんなもんか。yellowbellには大事な仕事は任せらないってことだな」と突き放され、先輩には「お前はそういうタイプなんよ。ミスしまくるタイプ。自分を信じるな。自分の仕事にはミスがあると思って仕事しい」と言われ、自然と僕の残業は増えていきました。
半年して、定期人事異動で課長が交替したある夜、自分の作った書類を死に物狂いでチェックしている僕に新しい課長が声をかけました。「前から不思議やったんやけど、なんでそんな何度も同じ書類をチェックすんの?そげなこつで残業してから、あんたの時間も残業代ももったいないやん」
「ミスが多いので、チェックを何度もしないといかんのです」と答えると、呆れたように、
「そげえ何度も何度もなめるようにチェックしたってんが、直すんのはせいぜい誤字脱字やろ。無駄無駄。数字だけおうちょるか見とりゃいいんよ」と笑います。
まさに僕がずーっと怒られ続けていたのがその誤字脱字だったので、「いや、誤字脱字もミスですから」と言うと、また笑って、「そげな間違い誰でんするわあ。ワシかてするわあ。それを無くそうとか思ったら、余計に緊張して結局間違ゆんで。お役所に出す書類やないんやけん、見たい数字だけ間違えんかったら、あとはどげでんいいんや。もう帰り帰り」と。
不思議なもので、その課長になってから、僕のミスは減りました。と、いうより、前はミスとされていたミスが、仕事のミスとして指摘されなくなりました。
ある日、ひさしぶりにやらかした大きなミスをリカバリするために謝りに行った僕に、課長が言いました。
「yellowbellちゃんよお、仕事は不思議やなあ。嫌やあワシこん仕事すんの嫌やあと思うと、失敗すんのよ。なしやろなあ。ワシにも憶えがあるわあ」
そして、
「あんな、自分でリカバリーできるミスはミスやないけん。ミスしたらいかんミスしたら誰か他んシの世話になって謝らんといけんと思ったら、仕事が嫌になるけん。人間、ミスは無くそうと思って無くせんので。でも、リカバリーの仕方はなんぼでん憶えられるわな。あんたがリカバリーできる仕事を増やせば、あんたはミスしてもいちいちワシんとこに来んで済むやろ。つまり、あんたのミスはそんだけ少なくなるっちゅーことやけんな」と。
で、てっきり怒られると思ってたボンクラな僕はと言えば、「ああ、これが、仕事をおぼえるということなのか」と、強く強く納得したものです。
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向上心がないやつはほんとにどうしようもない anond.hatelabo.jp
http://anond.hatelabo.jp/20100708064154
「空回りにならないように努力する」のが正解なんじゃないの? anond.hatelabo.jp
■上記一連のエントリにブックマークを付けながら、なんとなくそんな昔話を思い出しました。
僕が世の中に対して過剰に卑屈にならずに中学高校と別の分野で部活を続けられたのはあのときの監督のことばのおかげです。
さらに、その後社会に出て、まがりなりにも僕が組合をやりながら職場でも仕事を続けていけたのは、その課長のご指導のおかげなわけです。
独立した今、いろんな人と一緒に仕事をしていて思うのは、仕事なんて誰がデキるとか誰がデキないとかじゃなくて、いかにやり遂げるかなんだろうなあと。無くて七癖、いろんなクセのある人材がいる中で、適材適所なんてそれこそ千載一遇なわけで、そのうち999の不適所不適材な人たちが、どんだけやり遂げるべきことに対して顔を上げていられるかで、仕事の結果も変わってくるんじゃないのかなあと。
それじゃあ、顔を上げているためにはどうすればいいのか、お互いの顔ばかり見るようになってもおかしなことになるし、お互いの傷ばかりを舐めあっててもこれまたおかしなことになるし、誰かそこに、「お前らこっち向けー。こっち向いときさえすりゃ明日は明るいぞー」と言う人がいるかどうかなのかなあと、つくづく思うのであります。
■ちなみに、タイトルは僕が結構致命的なミスをして落ち込みながらリカバリ中に、直属のブチョーが言ったことの要約です。
過去にどこかで書いた記憶があるのですが、見当たりません。詳細はそのとき書いたものとは異なるかもしれませんが、ニュアンスは一緒ですから再度記憶を絞り出して再現します。
「あんな、yellowbellよ。ミスするんはな、お前が仕事しよる証拠や。たくさん仕事をしよるから、ミスもたくさんする。ミスをしとなかったら、仕事を他に任せてせんかったらいいだけや。ワシ見てみい。仕事せんけんミスもせんで。ワシぁお前に仕事してもらいたいけん、お前のミスも腹立たん」
これを「甘い。甘すぎる。こんな詭弁を弄するとは、ビジネスパーソンとしてのケジメがなっとらん」とおっしゃるムキはたくさんいるのでしょうが、ブチョーは定年、僕は独立と、お互い会社を辞めた今も、年に数度は飲みに行くお付き合いをさせていただいています。そしてなにより、僕のサラリーマン生活は、結構幸せだったと思います。