内容紹介
1966年10月の設立から1981年8月の崩壊まで、約15年間にわたり日本のプロレスに一時代を築いた国際プロレス。故・吉原功社長を中心に、5月24日に急逝した「金網デスマッチの鬼」ラッシャー・木村、マイティ・井上、アニマル・浜口、大木金太郎、グレート・草津、寺西 勇、阿修羅・原らが繰り広げた激闘の数々(テレビ東京放映時代)を、30年の時空を経て今ここに完全再生(収録試合は、すべて初めてのソフト化)。また、創立から崩壊までの全・パンフレット(全ページ)についても、上下巻に分け画面で完全収録。
さあ、7月!国際プロレス風にいきましょう!「ビッグ・サマー・シリーズ」開幕です!
今週発表分にも極め付きの蔵出し名勝負が一杯です。さっそく8試合、行きます!
ラッシャー木村、大木金太郎 対 ディック・ザ・ブルーザー、モンゴリアン・ストンパー(昭和55年3.15 越谷市体育館 ポニー・キャニオンには収録されなかったテレビ放映バージョン)
マイティ井上、アニマル浜口 対 モンゴリアン・ストンパー、トム・スタントン(IWA世界タッグ選手権 昭和55年3.21 静岡県浜北市体育館)
大木金太郎 対 ディック・ザ・ブルーザー(『特別試合』 同)
ラッシャー木村 対 スチーブ・オルソノスキー(IWA世界ヘビー級選手権 昭和56年5.16後楽園ホール)
マイティ井上、阿修羅原 対 ポール・エラリング、テリー・ラザン(IWA世界タッグ選手権=金網デスマッチ 同)
ラッシャー木村 対 ジョー・ルダック(IWA世界ヘビー級選手権 昭和54年10.3 青森県黒石市中央スポーツ館)
ラッシャー木村 対 ニック・ボックウィンクル(AWA世界、IWA世界 ダブルタイトルマッチ 昭和54年10.5 後楽園ホール ポニー・キャニオンDVDには収録されていない、当時翌週放送されたテレビ放映ダイジェスト・バージョン)
マイティ井上、寺西勇 対 ストロング小林、永源遙(IWA世界タッグ王座決定戦 昭和55年6.29 後楽園ホール)
60年代から70年代にかけての大ヒール、『生傷男』ディック・ザ・ブルーザーが遂に登場。1929年の生まれなので、この時点で50歳9ヶ月とピークは越えていたが、最後の来日にふさわしい暴れっぷりでファンを魅了(1991年に62歳で死去)。このブルーザー来日の頃、当時22歳の私は国際プロレスに学生アルバイトとして潜入。運よく成田空港へ出迎えに行かせてもらった。入国ゲートから出てきたブルーザーに最敬礼で挨拶を済ませたあと、生傷男が小さなスポーツバッグ一つしか手に持っていなかったことに気がつく。「サー、ところで、スーツケースはいかがされましたか?」と素朴な質問をする私。ブルーザーは潰れた声で「今のシリーズにトム・スタントンって若いのがいるだろ?荷物はあいつに全部持たせたよ」と一喝。うーむ!さすが超がつく大物はやることが違うなあ!と感心。私は国際にきたときのルー・テーズ、バーン・ガニア、ニック・ボックウィンクル、ネルソン・ロイヤル、ジョニー・パワーズ、ジョニー・クインなど何人もの大物の成田空港出迎えにいかせてもらったが、こういう「手ぶら」来日はブルーザーだけ。ここに収録されている大木戦は「大木の国際プロレス入団」を記念してインターナショナル選手権となる予定だったが、インター王座を管理していた日本プロレス関係者(既に日本プロレスに興行能力はなかったが、残務処理中で会社そのものは存在していた)からクレームがつき、残念ながらノンタイトルの特別試合になってしまった。しかし、内容的には迫力ある大一番で、一代の大悪党、ブルーザーの日本ラスト試合にふさわしいこの玉砕ぶり、涙なしでは絶対に見られない。ブルーザーがストンパーと組んだタッグマッチも見所十分で、これが大木の国際プロレスの入団第1戦でもあり、相手チームへの原爆頭突きもさることながら、パートナーである木村との一挙一投足にもライバル意識の火花がバチバチと散っている。
ストロング小林に話を移す。昭和49年2月、突然のフリー宣言をして国際を離脱した小林が登場するIWA世界タッグ王座決定戦は、当時マニアの話題となった。新日本との対抗戦はそれまでにも何度か行われていたが、ストロング小林に対する国際プロレス勢の感情に複雑なものがあったため、対抗戦における小林出場は見合わされていたのだ(昭和53年11.25の国際プロレス蔵前大会に一回だけ出場しているが、相手はフリーのミスター・ヒト)。昭和55年になって、新日本の幹部のなかで「やや低迷している小林の闘志に火をつけよう」的な声があがった。はっきり書いてしまえば、新間さんの提案だった。加えて、このIWA世界タッグ選手権は、もともと昭和44年5月、ストロング小林が豊登とのコンビでフランスから持ち帰ったベルトだったことも、小林のプライドを刺激した。当時このマッチメークを見た私は「マイティ井上とストロング小林・・・・禁断の対決が遂に行われてしまうのかあ・・・・」と複雑な気持ちになったことを思い出す。プロレス界には「組んではならないカード」というのが幾つか存在してきたが、この組み合わせも当時、間違いなくその一つだった。今回ソフト化にあたりじっくり見返したが、小林と寺西との攻防は非常にスムーズなのだが、相手が井上に代わると妙に試合がギクシャク、ギスギスしてしまっている。そのへんの心理的な背景を予備知識として持った上で、30年前のIWAタッグをもう一度見返して頂きたい。国際プロレスの古い素材を扱ったBOX-SETの発売はこれで3つ目で、一作目(2005年、ポニーキャニオン)はTBS放映時代の素材(1968〜1974)だったこともあり、BOXの写真はS・小林のピンだった(バーン・ガニアに波乗り固めをかけている写真)。2作目(2007年3月、ポニーキャニオン)はS・小林が国際を離脱したあとのテレビ東京素材だけを集めたものだったから、BOXの集合顔写真にS・小林の写真は当然、ない。そして3作目、今回の5枚組BOXの中に、S・小林は「新日本の所属選手」として登場してくる。しかも相手は同期のマイティ井上・・・・ともあれ、凄まじい殺気に満ちた一戦を是非お見逃しなく。
もう一つ、渋い試合でジョー・ルダックが木村に挑んだIWA世界ヘビー級選手権にも注目してほしい。木村のスリーパーの前に血ダルマ失神KOで敗れはしたものの、国際のリングでルダックらしさが最も発揮された試合と言える。
井上、原が金網デスマッチでエラリング、ラザン組からIWAタッグ王座を奪還した金網デスマッチも名勝負だ。東京12チャンネルが金網デスマッチを放送したのは(シングル、タッグを問わず)これが最後だったが、まさにオーラスにふさわしい大流血試合も、絶対に「見届けて」頂きたいのだ。