あらかじめ書いておくが、俺が公共事業原理主義者というレッテルを貼る相手は、公共事業が必要な物か無駄なものかの中身に関係なく、とにかく公共事業をやればすべてが上手くいくと勘違いしている連中のことを指す。
 そういう公共事業原理主義者の言い分は、景気が悪い時は公共事業で需要を作り、そして景気が良くなったら公共事業を抑えて財政健全化を計る。こういう政治家の言い訳じみた地方利益誘導主義はうんざりだし聞き飽きた。
 バブル崩壊後にどれだけ公共事業が行われ、そしてどれだけ無駄が作られ、そしてどれだけ財政を滅茶苦茶にしてきたかを理解していないのだろうか?そして小泉内閣登場までは、無闇に公共事業を増やしても一時的な効果しかなく持続性がなかったのは言うまでもない。結果がすべてだ。
 そもそも日本で無駄な公共事業が増えたきっかけは、日本の均衡なる発展と称して、田中角栄が地方への利益誘導と票稼ぎのために無駄な公共事業を連発させてきたというものだろう。そしてバブル崩壊後は三橋が言っていたことを実践し、不況時には公共事業で需要を作れという発想が日本の財政をここまで悪化させたのだ。
 三橋は景気が悪いから無駄でも公共事業をやれという発想なのは、八ツ場ダム建設中止にケチをつけたことからもわかる。バランスシート不況と称して民間が借金を返済している時は国が借金を増やせという発想だ。しかし国が借金を膨らまして財政を滅茶苦茶にしてもGDP成長率はほとんどなかった。
 これはいろんな公共事業原理主義者の政治家達が口を揃えて言うことだが、言い訳としてばら撒く金額が少ないから経済成長しないんだと主張する。金額をもっと増やして経済成長を遂げれば借金問題はなんとかなる。たいがいこういう理屈をこねくり回す。挙句の果てには財政破綻はフィクションだとまで言い出す始末だ。そして狼少年などと相手を揶揄する低俗ぶりだ。もちろん三橋のことを書いている。

 公共事業原理主義者の特徴として、奴らは景気がいい時でも不況だと定義し続ける。そして、だからバラマキが必要であると主張する。あるいは景気がいいのは都市部だけで地方は景気が悪い。地方と都市の格差を無くすために公共事業をやれみたいなことを言う馬鹿もいる。ようするに切りがない。景気が良かろうが悪かろうが、公共事業を正当化する言い訳ばかり考えるのが過去のパターンだ。
 コメント欄に来ていた三橋信者は、八ツ場ダムが無駄だとわかっていても景気対策のために作れとでも言うのだろうか?それでGDPが増えるとでも思っているのか?民間の生産性に寄与しない無駄な公共事業は、工事が終わった途端に無用の長物となって維持負担ばかりが大きくなって足かせとなる。そして官僚の天下り先が増えてしまう。こんなことは過去の無駄な公共事業でさんざん学んだはずだ。三橋はそういう歴史に学ぶこともできないようだ。

 もちろん必要な公共事業もある。しかしそのほとんどは都市部限定だ。関西のことは知らないが、関東に限れば東京外かく環状道路などは万年渋滞の場所が多数ある道路事情を勘案すれば必要不可欠である。大型ビルの制振装置設置も費用が大きいせいで民間ではなかなか普及しないから、そういう補助の方が遥かにましってものだ。
 そういう公共事業ならまだわかるが、三橋の場合は景気対策のためのバラマキ公共事業だ。つまり必要あるなしに関係なくばら撒けという発想だ。そして最後の殺し文句は財政破綻はフィクションで、財政破綻について語る人を狼少年と揶揄して勝った気分になってしまうのが特徴だ。
 しかしその実は、国債の債務不履行のみを財政破綻と定義して内国債で国家破産した国はないと定義付けるのが特徴だ。どんなにひどいインフレが起きて国民生活が破壊されようとも、それは財政破綻ではないと言い張ればいいのだ。実に簡単なことだ。
 そして公共事業の無駄遣いの成れの果ては建設業界に表れていた。土建業者がバブル崩壊後もあまり減らず、土建業の就業人数にいたっては、ピークが97年の680万人だというから笑えない。無駄な公共事業のバラマキによってバブル崩壊後も土建業に関係する人が増え続けてしまっていたのだ。
 これこそ公共事業による潜在的不良債権の温存である。国が率先して無駄遣いすることは、必ず将来に歪みをもたらす。
 さんざんモルヒネに等しい公共事業で潤ってきた地方は、いつしか自分の力で立ち直る能力を失い、モルヒネモルヒネと駄々をごねる集団になってしまったのは言うまでもない。
 地方を公共工事依存体質にしたら、永久に負の連鎖は止まらない。例え景気が良くなろうが何らかの言い訳を考えて公共事業を要求し続けてくること疑いようがない。
 景気対策のために公共事業は無駄でもいいからやればいい。どうせ財政破綻はフィクションだ。通貨の信用が失われてインフレが制御できなくなっても国債さえ債務不履行にならなければ財政破綻ではないから問題はない。
 これが三橋の発想だ。少しは公共事業から脱却する発想をしていただきたいものだ。それが次世代の政治家の役割だろう。

 三橋の本はデータが豊富で参考になる面も多々あるが、それを三橋による解説付きのフィルターを通すと、ご都合主義の解釈に騙されることになる。
 もちろん正しいこともいっぱい書いてあって、マスコミによる洗脳を解くための良書な部分もかなりあるから、本来なら重箱の隅を突いてまで批判はしたくない人物の一人だ。恐慌を煽ったり陰謀論で読者を騙す本がいっぱい平積みされていたのを端っこに追いやったのも大きな功績である。
 しかし政治活動をしだした現在、社会的影響度や日本経済に多大な傷を残す政策を主張している以上は、看過できない部分はどんどん指摘させていただく。

 日本を一生懸命良く見ようという姿勢は悪いことではない。むしろ悲観論ばかり並べて国民を煽るよりは希望を持てる。しかし、その結論がジャパンアズナンバー1で、他の国はすべて駄目という極論ではレンズが歪んでいる。
 せっかく目が点になるほどの優れた検索能力と分析能力があるのに、凝り固まった思想が邪魔をしておかしな結論を導き出すのはもったいない話だろう。

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