あらかじめ書いておくが、公共事業原理主義者という俺が考えた造語は、前にも説明した通り、その工事が必要か否かに関係なく、とにかく公共事業をやれば経済が上手く回ると思い込んでいるタイプの人を指す。

 コメント欄を全部読むと日が暮れるから速読でかなりいい加減に読んだが、ようするに国債発行、財政出動でデフレギャップを埋めること。いざとなったら日銀が輪転機をフル回転してでも国債を買えばいい。ならその副作用であるインフレはどうなるのか?デフレなのにインフレを心配?国家のバランスシート?
 だいたいこんな感じだろう。だいたい経済用語を覚えると、ついつい安易に使いまくってしまうのが人の心理である。俺も人のことは言えないぐらい経済用語をついつい使ってしまう。しかしせっかく覚えた用語も誤解が誤解を生んでいるのがよくわかる。
 例えばデフレギャップだ。GDPギャップとも呼ぶが、これには貨幣的要因と実物的要因が絡む。三橋の場合は貨幣的要因についてのみでGDPギャップを語り、だから公共事業が必要だと主張するのがパターン化している。
 しかし、例えば電気自動車しか市場では売れなくなり、内燃機関の自動車設備が稼動しなくなった場合、これは実物的要因である。この場合はどんなに財政出動しても全く効果がない。照明市場だって、例えばLEDしか売れなくなれば電球や蛍光灯を作る設備は不要になる。こうなると、財政で直接内燃機関の自動車や電球や蛍光灯を買わないとGDPギャップは埋まらないことになる。
 もはやこの世にいらない設備を無理やり稼動させてまでGDPギャップを埋めることに何の意味があるだろうか?
 そして需要があった物も、一定量の商品数がみんなに行き届けば、あとは故障などの買い替え需要しか望めなくなる。単なる消耗品は人口に比例して常に一定量の需要があるが、耐久消費財はそうはいかないのだ。部屋に二つのエアコン付ける人がいないように、新規の需要が無くなれば、よほどの技術革新が無ければ需要は生み出せない。
 もっと広く意味が取れるイノベーションという単語を使うと分かりやすい。家庭の各部屋にエアコンが付けられたとしても、消費電力が10分の1になるなどの衝撃が起これば一気にエアコンの需要が伸びるかもしれない。設備も稼動してGDPギャップを埋める要因の一つになる。
 こういった民間の努力やアイディアによるイノベーションは財政出動ではどうにもならないのだ。
 そして電子部品の多くの凡用品についても、仮に景気が悪くなって需要が減ったとしても、価格が下がれば完成品に使われる点数が増えて設備の稼働率は元に戻っていく。これを補う方法は、更なる微細加工による小型化と、それによるコストダウンと生産性の向上しかない。
 どっかの経済をわかっていない精神科医が、生産性を上げない方がいいなんて書いていたが、電子部品などの凡用品で生産性を落としたら、価格競争で敗北してシェアなんてすぐ奪われてしまう。微細加工、ダウンサイジング、生産性の向上をやり続け、そして価格競争に勝つことで世界シェアを奪い取れるのだ。
 話は逸れたが、産業界はこういう状況下であるのだから、GDPギャップの正しい計算など不可能である。つまり、そんな数字に何の意味もないのである。
 それなのにGDPギャップを埋めるために金融緩和を要求し、そして公共事業で需要を作って埋めようという主張が出てくる。仮に貨幣的要因の部分を埋めるためのバラマキをやり続けるのであれば、それは後々ツケが必ずくる。これが資本主義である。

 戦後間もない頃の日本では、大都市はほとんどのインフラを破壊されてしまっていた。インフラが無ければ工場も稼動できないし流通も死んだままで終わってしまう。こういうインフラ事業は民間ではできないものだ。
 インフラが無ければ民間企業は何も作ることができない。電気、水、道路、港、空港、学校などのインフラの供給は経済成長するためには必須条件である。
 官僚機構は残っていたから、官僚主導で必要な公共事業がどんどん行われていった。大都市を中心に公共投資が行われ、次々とインフラが作られていく。そして民間企業が安い人件費を武器に、その公共インフラを使いながら海外に輸出を増やしていった。
 本来ならば、ある程度インフラが整ったら公共事業をやる組織(土建屋)を縮小するべきなのだが、田中角栄が均衡ある発展と称して地方へと公共事業のバラマキを始めてしまった。すべての都道府県が東京のような発展を目指して公共事業をやりまくった。その結果が地方における土建屋の肥大化と既得権化である。
 しかし地方に公共インフラを作っても、民間がそれを使うための投資をほとんどしなかった。そのため、いつまでたっても自立ができないために当然公共事業依存体質になってしまった。政治家も土建票がほしいからその要望に答えてきた。
 やがてバブルが崩壊し、景気対策と称した公共事業の無駄遣いが更にひどくなり、地方はより公共事業依存体質になってしまった。そしてただでさえ使われないインフラなのに、そのインフラを更に充実させて無駄を作る愚公を犯したのだ。
 当然のことながら、誰も使わないインフラを作っても、それが経済成長につながらなかったのは言うまでもない。昔のような都市部にインフラを作ってた頃のような効果が得られなくなっていたことに早く気づくべきだった。数値化するのは困難であるが、概念的に菅直人が知らなかった乗数効果というものが多少なりとも理解できるはずである。
 政治家は票を得るために1票の価値が高い地方にバラマキを行い、地方はそれに依存する衆愚政治が成立して国家財政を滅茶苦茶にしてきた。乗数効果も低いどころか維持費負担による民間企業への圧迫もあって、へたすると長い目で見たらマイナスじゃないかと思えるほど無意味な公共事業をやってきた。このピークが小渕内閣であるのは間違いないだろう。
 誰も使わない公共インフラを整えても、それを企業は使わないから新しい産業は生まれない。新しい産業が生まれないから地方は自立が出来なくなり、公共工事依存体質が更にひどくなる。その負の連鎖がようやく断ち切れ出したのが小泉内閣である。
 公共事業原理主義者は何も考えていないから、公共事業をやり続ければいつかは立ち直り、そして景気が回復したら公共事業を減らせばいいなんて簡単に言うが、世の中そう上手くいくものではない。一度既得権化した者はもらえることが当然と思うようになる。そして必ずこう言う。「景気がいいのは都市部だけで地方は景気が悪い。だから公共事業をやれ」。「都市と地方の格差を縮めるために公共事業をやれ」。「救急車が通れない。村民の命をなんだと思っている!だから公共事業をやれ」。「弱者をいじめるな!」。だいたいこんな感じだろう。
 必ず言い訳を考え、公共事業を正当化する理由を作ろうとする。この流れが続いてきた状況が国の借金を膨張させた一つの要因である。もちろん医療費や年金や介護給付の国庫負担の方が公共事業よりも数字は大きいが、これはまた別の話だ。
 ようやく日本もGDP比で他の先進国並の公共事業規模に落ち着いてきた。ここまで来る間には強烈な痛みや苦しみが伴っただろう。小泉を恨んだ土建屋もさぞ多いはずだ。しかしこれはどこの国でも経験してきたものだ。
 インフラが整っていない時代には必要だった土建屋も、インフラが一定以上整ったら痛みを伴って整理しなくてはならない。いつまでも不要な土建屋を公共事業で維持し続けたら問題を先送りにするだけの話だ。しかも不必要なインフラの維持費で地元の企業を潰し、更には自治体まで破産へと突き進むのでは、長い目で見れば乗数効果などマイナスに等しい。
 残ったのは莫大な国債残高である。ようは国民の金融資産を無駄遣いしてきただけの話だ。
 そしてこうも言う。国債は国民の資産だと。
 これは国債を発行する言い訳としてよく使われる戯言なのだが、この理屈が通用するのは借り換えが可能なうちだけの話だ。借り換えが不能に陥った時のことは一切考えていない。
 自国通貨建ての国債を発行した国でデフォルトした例はないそうだから、ようするに最悪ハイパーインフレを起こしてでも刷ればいいという考えだろう。
 しかしながら三橋のような財政破綻否定論者は希望的観測で物事を語りだすのがお決まりパターンだ。デフレなのにインフレを心配するなというのはまだいい。しかし日銀が全部国債を買い取ってもインフレは起きないなんてSPAで言っていた記憶があるが、これこそ何ら根拠のない希望的観測である。
 確かにインフレが起きて国民生活が悲惨な状況に陥ったら、さんざん日本は世界一であるかのごとく内容の本を書いているのだから矛盾が生じる。だからそういう都合のよい希望的観測に過ぎない話になっていく。
 そして最近はインフレ目標を言い出しているようだ。

 日銀が政府短期証券や国債を市場から買い上げ、巨額の資金を金融機関に注入するのに合わせて政府が国債を新規発行する。こうして日銀資金を政府の成長戦略と脱デフレ財源にできる。インフレ目標で政府・日銀が合意すれば、株式を含む市場関係者や企業は脱デフレの展望を描けるようになる。

 まるでプラザ合意後の、流動性の罠に陥る前の日銀を彷彿とさせる考え方である。あの時は土地神話を日本人のほとんどが信じきっていたから金融緩和が直接的に効いたが、今回はそうはいかない。
 流動性の罠に陥るとどんなに資金を供給しても貨幣乗数が下がってマネーストック(マネーサプライ)は増えない簡略な説明がある。

 ・政府の「景気対策」のような裁量的な政策は、時間非整合性によって市場を混乱させるので望ましくない
 ・インフレ目標やテイラールールのような受動的ルールによる政策が望ましい
 ・ただし流動性の罠に入ると、人為的にインフレを起こすことはむずかしい
 ・GDPギャップを埋める手段としては財政政策のほうが有効だが、むだな公共事業に税金が浪費されるリスクが大きい

 というわけで、決定的な対策はないというのが著者の意見のようだ。特にインフレ目標についてはくわしく説明しており、次のような理由で評価は否定的だ:

 ・流動性の罠では金利操作がきかないので、中央銀行がインフレ期待を起こすコミットメントができない
 ・「何かの理由でインフレになっても金融緩和を維持する」というのが時間軸政策だが、いつインフレになるかわからないので効果は弱い
 ・しかし実際にインフレになったら中央銀行はそれを抑制すると予想されるので、市場はそれを織り込んでマネーストックは増えない
 ・インフレ目標は裁量的なバイアスをなくす受動的ルールなので、それを中央銀行が「あらゆる手段で実現する」というターゲティングは、インフレ目標の精神と矛盾している


 つまり現在の金融緩和は受動的にしか日銀は介入できない。それを知っているのかどうかは知らないが、最後の項目をやろうと考えているのが最近のインフレターゲティング論者である。
 流動性の罠に陥っている現在では通常の金融緩和は通用しない。だから日銀に新規国債を実質的に引き受けさせてしまおうと考えるのだろう。そして成長戦略を隠れ蓑にした無意味なバラマキをしたいようである。
 小泉構造改革で痛みを伴いながらもようやくGDP比で先進国の平均並にまでなった公共事業を、再び肥大化させたいのは見え見えである。再び公共事業で土建屋を肥大化させて意味のない箱物を作ってどうするのというのか?公共事業依存体質を復活させれば必ず将来の不良債権と雇用のひずみを生むだけの話だろう。
 そして受動的ではなく強引にバラマキを行えば、バブルが発生してしまうかもしれない。バブルが発生すると、雇用がバブル化した産業へ偏ることになる。公共事業を景気が良くなるまでばら撒こうと考えているようだから、おそらく80年代後半に発生した土建バブルと似たようなことが起きる可能性がある。
 過去の経験で言えば、バブルが発生した後に物価上昇が遅れてやってくるのが通例である。物価が上昇し出すと長期金利が通常なら上がり始める。長期金利が高くなればゼロ金利の預貯金なんて馬鹿馬鹿しいから引き下ろされる。それを防ぐために金融機関の預貯金の金利も上がり始めるから、国債を大量に買っているために逆ザヤが発生する。逆ザヤが発生するから国債が売られてしまう。その時に問題が発生する可能性が高い。
 国債が投げ売りされると金利が暴騰してしまう確率が非常に高い。国債の発行残高は以前のバブル時のような少ない金額ではないからだ。暴落する国債をほおっておけば、バブルは一気にはじけてしまうかもしれない。
 かと言って、長期金利上昇を嫌って日銀が無理やり買い支えればインフレが暴走しかねない。どちらにしても最悪の選択である。
 国債を買い支えて金利を押さえ込んでも円の信用を失わせてしまうだろうし、金利が暴騰しても、逆ザヤで経営が悪化して取り付け騒ぎが起こることで金融機関を破綻させないために、将来的に日銀が国債を買い支えると考えて円は売られると思うのが普通だろう。
 終わってみれば、コントロール不可能なインフレで実質的な債務不履行が完成することになる。三橋はジンバブエでもデフォルトじゃないと定義しているようだから、インフレで国民生活が滅茶苦茶になろうともどうってことないのだろう。
 こうなると、最悪の場合はインフレが暴走するのを止められなくなり、それを抑えるために預金封鎖と新円発行でまた来た道を辿るか、あるいはインフレをほおってしまい、そのまま実質債務不履行にするかだ。いずれにしても破綻の道だ。日本人は一気に貧乏になっていく。
 インフレになれば景気が良くなるなんて幻想もいいところだ。仮に一時的景気が良くなったとしても、あとは地獄しか待っていない。
 日本には供給力あるからインフレは暴走しないのも幻想だ。あくまで円が決済通貨として通用する信用があるかどうかの問題である。
 本来考えるべきは公共事業による無駄遣いではなく、法人税や所得税を下げて海外から企業や人材を日本に呼ぶことのはずだ。昔の高度成長期時代の幻想を抱いて、いつまでも社会主義的な政策が通用すると思ったら大間違いだ。社会主義は今まで築いてきたものをぶち壊す。
 金融日記に面白いものがある。

僕は政府よりも市場を信用しています。
歴史を見てみれば、戦争はもちろんのこと、社会主義政権による市民の大虐殺など、政府の愚かさを示す例は枚挙にいとまがありません。
僕たちを貧困から救ったのは何でしょうか?
市場経済です。
途上国を豊かにしているのは何でしょうか?
市場経済です。
医学を進歩させて、僕達の平均寿命をどんどん伸ばしているのは何でしょうか?
市場経済です。
溢れんばかりの食料を生み出し、誰も飢えなくしたのは何でしょうか?
市場経済です。
世界的なアーティストの音楽を誰でも聞けるようにしたのは何でしょうか?
市場経済です。
世界を平和にしたのはなんでしょうか?
市場経済です。

若者を飛行機に乗せて人間爆弾にしたのは何でしょうか?
日本国政府です。
共産国家を作るために数千万人虐殺したのは何でしょうか?
ロシア政府です。
数千万人餓死させたのは何でしょうか?
中国政府です。
喜び組を作ったり、国民を餓死させたり、政府を批判する人間を粛正するのは何でしょうか?
北朝鮮政府です。
今、日本経済を奈落の底にたたき落とそうとしているのは何でしょうか?
社会主義思想で市場を否定する鳩山由紀夫と民主党政権です。


 もう一つ付け加えると、
 将来的に日本経済を奈落のそこに叩き落とそうとしているのは誰ですか?
 目先のことしか考えない国家社会主義達です。

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