黒川和雄君が「降魔の剣」なる掲示板で
「冨士宗学研究なる馬鹿ものを破折する」と述べているそうである。「降魔の剣」は黒川和雄君の投稿を削除していないとも聞き及んでいる。「降魔の剣」は黒川和雄君の投稿を廃除しないのであれば、心の中では与同しているのかも知れない。
さて、
「冨士宗学研究なる馬鹿ものを破折する」とのことであるが、
八箇条の公開質問状に対して回答不能に陥り、卑劣にも敗走した黒川和雄君に答えるべきものは何もない。
質問には質問で返すなどは創価学会の手口と同じである。日蓮正宗は創価学会に対して「お尋ね」なる質問状を送付したが、創価学会は卑劣にもそれには答えずに「お伺い」なる詰問状を送付している。黒川和雄君のしている行為は之と同じである。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/link/sokagakkai/soka_1j.htm よって黒川和雄君に答えるものではないが、冨士宗門史を学び始めたばかりの法華講員に黒川和雄君の謬説の悪影響があってはならないので、戦後帰一寺院や本宗古刹檀徒について聊か書いて置こうと思う。
房州妙本寺と小泉久遠寺は第二祖日興上人と第三祖日目上人のお弟子である宰相阿闍梨日郷上人が開山された古刹である。また日向定善寺は宰相阿日郷上人のお弟子である薩摩阿闍梨日叡上人が開山された古刹である。
房州妙本寺と小泉久遠寺は久妙一山とも云い、二箇寺で一山としていた。定善寺は久妙一山の学頭寺院として位置付けられている。
之らの郷門が何故、冨士門流祖山大石寺から離れたかと云へば、郷門が萬年救護本尊を根本の本尊と仰いで異流義と化したからではない。東坊地問題とも云われているが、より厳密に述べるならば南條家の相続争い巻き込まれたとするのが定説である(久妙は蓮蔵坊とも呼ばれていたのは之が理由である)。
遠霑山妙道寺御住職・高橋粛道御尊師が「宗門外において東坊地七十年の係争を大石寺の相承論争と誤れる認識をもっていた人が過去にもあり、現在にもいるが、これらの人々は恐らく『家中抄』の『法義上の諍い』や、興津入道の書状に日伝を『大石寺別当』と冒称したことに端を発しているものと思われる。上述したように本件は大石寺の蓮蔵坊等をめぐっての所有権の論争であり、相承問題とは全く別個なものであることは明白である」と述べられているように、「相承論争」「法義上の諍い」ではないのである。
こうして六百年に亙り、祖山大石寺と郷門寺院は「交流が疎遠」なったが、
郷門が蓮蔵坊を称していたように大石寺を祖山として仰いでいたのである(但し久妙一山制は後に崩壊し、小泉は単称日蓮宗寺院となる)。
郷門、就中日向定善寺は祖山大石寺を忘れることもなく、日向法華講衆として祖山大石寺に御登山していたこともあるのである(勿論、檀家の全員がしていたと云うわけではない。宗学や化儀に暗い黒川和雄君には分からないことであろうが、古来、登山者は縁故とする塔中坊にお世話になるのであるが、日向法華講衆にもそれがあったのである)。
昭和三十一年に日向門中定善寺外六箇寺が日蓮正宗に帰一したのは創価学会の仲介によるものだとも云われているが、それは名目上に過ぎない。下條の本山妙蓮寺第四十四代御住職・漆畑日廣贈上人(日蓮正宗僧正)が房州妙本寺の御出身だった御縁によって帰一せられたのである。(戦前は冨士門流八箇本山、殊に冨士五山や房州妙本寺は何らかの交流を持っていた。例えば実質的に無住と化した北山本門寺の僧俗が祖山大石寺御法主上人に山主の派遣を嘆願したが断られている。)
さて、戦後帰一寺院の離檀者であるが、戦後創価学会の暴力性を心配し、同会の香典泥棒等の流説を真に受けたものであり、檀家が日蓮正宗の教義を受け容れられなかった為ではない。
之と同様の現象は日蓮正宗の古刹(常泉寺等)でも見られた。離檀までには至らずとも、墓檀家としては留まるも講中から離れられてしまった檀家は少なくない。しかし平成三年十一月に創価学会が日蓮正宗とは無縁の団体となってからは、講中に復帰された墓檀家や信徒に復帰された元離檀者が多く見られる。
事程左様に昭和二十年代、三十年代の創価学会は社会から嫌悪されていたのである。
昭和三十一年に日向定善寺本末は日蓮正宗に帰一したが、定善寺の末寺の全てが帰一した訳ではない。この時代の
創価学会を恐れて帰一しなかった末寺は昭和三十二年に大日蓮宗を結成し、平成元年には単称日蓮宗(身延山)に合流した。之らの寺院こそ「邪宗・日蓮系の寺院」である。黒川和雄君は完全に矛先を謬っているのである。
尚、全くの余談であるが、日蓮正宗から離脱した現在の房州妙本寺は萬年救護本尊の形木を信徒に買わせている、などと然も知ったかぶりなことを云っている宗規違反者もいるようである。しかし之とて事実ではない。小生が研究の為に房州妙本寺を訪れた際に確認したことであるが、房州妙本寺が現在下附しているのは元亨四年十月六日附けの第二祖日興上人御筆の形木本尊である。それとても簡単には下附しておらず、「買わせている」などと云えるものではない。
冨士宗学の研鑽は本を読むだけではなく、実地調査をしなければ分からないことが沢山ある。まして
ネットに四六時中張り付いて、ネットの情報に依存していては何も見えて来こないと知るべきである。
黒川和雄君に通告する。小生の八箇条の公開質問状に法華講員ならば誰もが納得できる回答がなされない限り、小生に何を云っても無駄であるし、法華講員は誰も黒川和雄君のことは信用しない。さあ、速やかに回答なされよ。八箇条の公開質問状
http://fujimonryu.blog40.fc2.com/blog-entry-79.html
- 2010/07/09(金) 06:51:51|
- 総合冨士類聚|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
「冨士宗學研究」ブログのコンテンツは日蓮正宗及び法華講の公式見解でなく、一信徒の個人的な私見です。
「冨士宗學研究」ブログは日蓮正宗及び日蓮正宗法華講連合会とは関係ありません。
不許複製 著作権所有:富士宗学研究
Copyright (C) The FUJI Institute of Nichiren Buddhism, Japan