高木マニア堂

何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。

212:偽装から始まったゼロワン史

ノンセクション2010年07月08日 08:40 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレス

<2009年7月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 今年も「火祭り」の季節がやってきた。何と今回で9度目の開催となるそうだ。

 ゼロワンの旗揚げは2001年の3月。思えばゼロワンが発進したのは新日本プロレスと、破壊王・橋本真也の間で取り決められた奇妙な偽装独立が原因だった。

 オーナーが猪木、社長が藤波、現場責任者が長州力。当時の新日本は、様々な派閥と策謀が奇妙に渦巻く伏魔殿だった。

 そんな2000年1月4日。フロント批判の罪で謹慎中にも関わらず、出場が許された東京ドーム大会で破壊王は小川直也と戦い不可解なノーコンテスト。再びフロントへの不信感を募らせる。小川戦で負ったケガの治療もあったが、破壊王は半ばボイコットに近い格好で欠場を続けていた。

 そんな中、唯一の味方とも言えた藤波社長の計らいで、橋本の企業内独立が計画される。企業内独立は藤波社長が昔から提唱していた部屋別制度に通ずる…はずだった。

 品川埠頭の旧東京税関そばの倉庫を利用した無我の秘密道場に「新日本プロレス・ZERO」の看板を掲げ、破壊王の独立準備は進められた。この時点ではあくまで企業内独立。ストーリー上の独立に過ぎなかった。

 関係者から内情を知らされていたベテラン記者ほど、破壊王の独立を本気にはしていなかった。

 ところがだ。日が経つにつれ、寒風吹きすさぶ品川埠頭で破壊王を直接取材している若手記者ほど、この独立が「偽装に見せかけた本当の独立」になりつつあると気づき始める。そのことを、いくら主張してもベテラン記者に
は「何年プロレスを取材してんの?」と、一笑にふされるという悪循環…。 

 この時点で破壊王は、道場用の倉庫を貸与してくれていたスポンサーをめぐり、味方だったはずの藤波社長と対立。さらに水面下で独自ルートのスポンサーを集め始めるなど、偽装~には到底必要ない部分にまで準備は及んでいた。藤波社長との対立は、道場内に保管されていた各種の「無我グッズ」を、無断で廃棄し始めていることからも明白だった。

 新日プロが用意した看板も「新日本プロレス・ZERO」から「ZERO―ONE」へと変更。旗揚げ戦こそ、新日本のスタッフが総動員されたが、その後は独自ルートで興行を行うことに。

 思えば武藤敬司の全日本プロレス移籍(2002年)も「手薄となった全日プロに助っ人参戦を続ける」というストーリーラインを隠れミノに、実行へと移された。

 プロレスの〝偽装〟には様々な真実が内包されている。いや、事が進むうちに偽装が真実に化けてしまうのだ。

投票してね!東スポトピックスランキング

この記事をブックマークする Yahoo!ブックマークに登録 はてなブックマークに追加 Buzzurlにブックマーク livedoorクリップに投稿 newsingに投稿 Choixにブックマーク イザ!にブックマーク twitterでつぶやく

前の記事次の記事

プロフィル

ブログタイトル

高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
…続きを読む

 2010年07月 

S M T W T F S
    1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

フォルダ

最新エントリ

月別アーカイブ

面白キャラ満載!東スポ名物記者図鑑


ブログパーツならブログデコ!!

このページのトップへ