序章「ガン? あ、そう」4
2007-04-15
ぼくのステージは「IIIb期」
医師に勧められた諸々の検査は、ガン宣告から10日後の6月3日に実施した。その日は朝一番に病院に駆け込み、まず骨シンチグラムのための注射をした。そしてそのあと、CT、MRI(頭部)、エコー、RI(骨シンチ)という順番で検査が進められていった。
骨シンチとはアイソトープ(弱い放射能を持つ同位元素)を注射して骨への転移をレントゲン写真で観察する方法で、特に乳ガンや肺ガンなどでは全骨転移例が多いため、遠隔転移が疑われたぼくもこれを義務づけられていた。しかし大事な検査とはいえ、放射能を持つ同位元素を体内に注入するのだ。それだけでも体のどこかがおかしくなるような気がした。
実際、注射をした瞬間、腕に射した注射針の周辺が異様にスーッと涼しくなり、やがて腹部や胸などが熱くなった。注射の痛みは大したことなかったものの、体内に注がれた異物が体内で明らかに異常な反応を引き起こしている。その後もやはり注射により、CT、MRIのための異物(造影剤)を注入をしたのだから、ぼくの体内には3種類の異物が注ぎ込まれたことになる。それは体内でいったいどんな反応を引き起こすのだろうか。そんなことを考えながらも、とにかくすべての検査を無事に終えた。
検査結果を見た上で、その日のうちに医師の判断が下されることになっていた。その場には、もちろん妻の同席も求められていた。検査結果が告げられるまでの時間はどこか厳粛で、その儀式が始まるまでのぼくは、「判決申し渡しの法廷に臨む被告人」ごときものとなった。
診察室に呼ばれて入ると、医師の前の壁にはさまざまなフィルムが貼り並べられていた。それらに目をやりながら、厳かな口調で医師は言った。
「胸と腋の下のリンパ節には異常が見られるものの、今日検査したフィルムには、特にはっきりとした異常は確かめられません。これならまだ手術が可能ですから、すぐに入院手続きをして手術ということにしましょう」
断定的にそう言いながらも、医師は遠隔転移が認められなかったことを意外に思っているようでもあった。それはともかく、医師はごく当たり前のことのように、ぼくに乳ガンの摘出手術を提案したのである。
ぼくがたぶん入院などしないだろうと思っている妻は、恐る恐る医師にたずねた。
「病期のステージは、何期と考えていらっしゃるでしょうか」
「浸潤型乳管癌で、病期はIII期です」
乳ガンの場合、しこりの大きさや乳腺の領域にあるリンパ節転移の有無、遠隔転移の有無などによってステージが決められており、ちなみにIII期は「局所進行乳ガン」と呼ばれ、IIIa、IIIb、IIIc期に分けられている。あとで調べてみたところ次のように説明されていた。
IIIa期:しこりの大きさが2cm以下で、わきの下のリンパ節に転移があり、しかもリンパ節がお互いがっちりと癒着していたり周辺の組織に固定している状態、またはわきの下のリンパ節転移がなく胸骨の内側のリンパ節がはれている場合。
IIIb期:しこりの大きさやわきの下のリンパ節への転移の有無にかかわらず、しこりが胸壁にがっちりと固定しているか、皮膚にしこりが顔を出したり皮膚が崩れたり皮膚がむくんでいるような状態です。炎症性乳ガンもこの病期に含まれます。
IIIc期:しこりの大きさにかかわらず、わきの下のリンパ節と胸骨の内側のリンパ節の両方に転移のある場合。あるいは鎖骨の上下にあるリンパ節に転移がある場合。
III期からさらに進んだIV期は 他の臓器に遠隔転移しているケースで、要するに末期ガンである。が、ぼくには乳ガンが転移しやすい骨、肺、肝臓、脳などの臓器への遠隔転移がはっきりと認められなかったため、医師はIII期と判断したのだろう。
ちなみに、後でいただいた診断書には、「病期:IIIb期」と書かれていた。
転移する悪魔?
乳ガンが恐れられている理由のひとつに、骨に転移しやすいということがある。ガンが骨に転移するとひどい痛みに襲われて、それがますます患者を衰弱させ、やがては死に至らしめる。骨転移は乳ガン、肺ガン、前立腺ガンの3つだけで全骨転移例の80%以上を占め、これらのガンが転移をした場合、その50%以上が骨転移をもたらすというのだ。
そんなことから乳ガンの手術では、転移を恐れて患部をごっそりと取り去る手術が行われてきた。患部ばかりか、リンパ節、ときには筋肉の一部も取り去ってしまう。それでもやがて再発し、あるいは後に遠隔転移が起こったりもする。医師はぼくに対して手術を勧めたが、それは乳首のしこりを除去するだけでなく、リンパ腺の除去もやってのけるにちがいない。特にぼくの場合は腋の下に硬いリンパ節が確認されていただけに、いざ手術となったら、それこそ無実の体の一部までがごっそり犠牲になるのはほぼ明らかだった。
しかし「転移」の危険性を考えると、「それもやむなし」と思ってしまうのだろう。それくらいガンでは「転移」が恐れられている。「転移」がイメージするものは、体内に突如出現した「悪魔」が、折りを見て全身のあちこちに縦横無尽に移動して、そこで再び過激な破壊活動を開始するというものであろう。となれば、悪魔は徹底的に根絶しなければならない。毒々しい姿を見せている悪魔そのものを根絶することはいうまでもなく、悪魔が潜んでいそうな隠れ場所や、悪魔の気配を感じるものすべてを容赦なく根こそぎ破壊して、二度と悪魔が現れ出ないようにしなければならない。このように「ガンの転移は恐ろしい」ということから、過激な手術や抗ガン剤治療、放射線治療等々が容認されてきたのである。
それくらい「転移」という言葉には恐ろしい響きがある。いやそれ以前に「ガン」という言葉そのものが不気味な魔力を持っている。ひと昔前、ガンの宣告は「死刑宣告」にも似たものだった。ガンになったらまず助からない。ガンは苦しく、痛みが伴う。しかもガンを取り除いてみても、それは決して根絶せず、亡霊のようにまた現れ出る(再発)。さらに全身のあちこちに「転移」して、凶暴に猛威を振るうというのだからたまらない。
そこで以前は、「あなたはガンです」とは決して言わず、「あなたのご主人(あるいは奥さん、お母さん、お父さん、お子さん)はガンです」といった具合に、ガンは本人以外に告知されるものとされてきた。なぜならガンと知らされたそのとたん、ショックで多くの人々は混乱、落胆、絶望して、一気に生命力が萎えてしまうことになったからであろう。
余談だが、ガン告知にはさまざまなエピソードがある。その一つ、フランスの新聞「ルモンド」のジャーナリスト、ロベール・ギランさんの妻ヨシさんの場合はとてもユニークなものだった。ヨシさんは自らがガンの検査を受けたとき、医師に次のようにお願いしたという。
「主人はとても気が弱いので、もし私がガンだったら、主人には私がガンであることを絶対に知らせませんように。きっとひどくショックを受けるにちがいありませんから」
これはヨシさんから直接聞いた話だが、それくらいガンという言葉にはショッキングな響きがあった。それこそ人によっては致命的なダメージが与えられてしまう。だからヨシ・ギランさんは何よりも夫に気遣い、医師に「あなたの奥さんはガンです」とは言わせずに、「あなたはガンです」と自分にだけ告知してほしいと懇願したのである。そんなヨシさんは、パリから東京に定期的に通って、丸山ワクチンをもって快方に向かっていったのであった。
そのごとく、ガンそのものも恐ければ、転移という言葉もまた恐い。だから「恐いガンが恐い転移をしないように」と、ガン以上に恐い手術やガン治療を受け入れたりもする。ここに「ガン呪縛」があり、いったん呪縛に捕まったらそれはどんどん強まっていくばかりで、その呪縛から解放されるためには、そもそも「ガンが何であるか」を知り、「ガンはそんなに恐いものではない」ということをはっきりと知らなければならないのだ。
その他... |