20100708
■[ネタ]許せないやつがいる
俺には許せないやつがいる。だいたいふだんからうちの奥さまから「あんたはほんとに沸点低いな」といわれるくらいだから、頭に血が上りやすいタイプである自覚はある。
たとえば、みずからが常識や正論の側であるということを、ほぼ無自覚に信仰しており、そのことにまったく疑いを抱かない人間。
すべてのことにおいて、まずは自分が優先的に被害者であり、それがゆえにいっさいの責任を負おうとはしない人間。責任はすべて他者にあるのだから、こうした人々は実に気楽であるはずなのだが、当人たちは「絶対に」そのことに気づかない。
しかしこうしたものに俺は慣れた。慣れたという以上に寛容になった。寛容にならざるを得なかったともいえる。なぜならば、俺が糾弾したいと思っているこうしたものは、かならずやどんな人間のなかにも要素としては含まれており、それはほかならぬ俺自身とても例外ではないからだ。糾弾はやめるべきではない。しかしまず最初に糾弾されるべきは自分であるということに俺は気づいた。それだけなのだ。
それでも、どうしても許せないものがある。
あのクソ尊大な態度。挑発的な表情。傲慢そのものの体勢。某ハンバーガーチェーンの客席でふんぞり返っている、あのクソなめたピエロもどきのあいつだ。
過去にも俺には許せないものがたくさんあった。それは上述したとおりだし、あとはウナコー○の昔のCMでなんか液状っぽいいきものが出てきてあれまじ殴りたかった。あいつら「ウナー」とか奇声あげながら、蚊と結託して人類滅ぼそうとしてるはず。蚊に人間を襲わせておいて「それじゃぼくらの出番だウナー」とかゆって、法外な金でウナコー○売りつける。最悪だ。なんてマッチポンプだ。しかもその段階ではもう、人類がいなくなったあとの地球での、蚊との覇権争いのことまで考えてる。あれはそういうツラだった。
あとお金なんかちょっとでふわふわになる某洗剤のCMに出てくるクマっぽいなにか。あれもたいがい体のなかに手つっこんでガタガタ言わせたかった。愛らしい外見とかわいらしく装った声で言うことは「お金なんかちょっとでふわふわ」だ。おまえがCMにおいて表現することはそれか。やさしい肌ざわりとふんわりとした洗い上がりの感触をぬいぐるみっぽい動作で表現したとあとにこのセリフだ。その瞬間あのクマもどきはひどくいやらしい目つきで人間を見上げているに違いない。やつらは打算で動いている。
それと「コクヨのヨコク」って言葉聞いた瞬間に、テレビ画面に陰茎押し付けて「これでも食らえ!!! 三日間風呂に入ってねえ俺の凶悪なロマン棒Vol.2!!!」って絶叫したい気分になる。1はどこにあるんだ。
まあそんなわけで俺の沸点は、特定の方向に向かってえらい低いのだが、そのなかでもあのドナなんとかいうピエロは絶対にだめだ。すでにネットではさんざんネタにされている物件だから、日本人の多くはあの存在に相当の違和感を覚えていることはまちがいないところだと思われる。
接客の世界でよく言われるのだけれど、言葉づかいそのものは客の好感を買うにあたって、さほど重要ではない。表情がいちばん重要であり、次に声の表情や姿勢などが来る。笑顔を作ることに慣れていない男子高校生アルバイトなどには「笑顔なんて無理してつくんな。言葉づかいとかもいい。とにかく背筋を伸ばしたきっちりした姿勢ででかい声出しとけ」と言うことがよくある。ぎこちない「言わされてるだけ」の接客用語よりも、無理してぜんぜんモノになっていない笑顔なんかよりも、こうしたものははるかに効果がある。もっともこのことの根底には、世間が「若い男の子」に期待するイメージがあって、そのことによってかなりゲタを履かされている部分がないでもない。
というよりも、そもそも接客において「客にきっちりと接しなければいけない」ということ自体が、日本の文化風土として強くある。海外旅行の経験のある日本人がよく言うことのひとつが「日本のサービス業のレベルは高い」ということだ。もちろんそれは個々の店舗の努力があるからだが、それにしてもそうした努力が差別化につながると店の側が信じており、そして実際にそのことは売上になって反映するわけだ。
ちょっと話がでかくなりすぎた。
ここでドナ公に話を戻す。
あれは、店頭に立ってるタイプのやつと、椅子に座ってるタイプの奴がいる。特にひどいのは椅子に座ってる奴だ。背もたれに腕を広く投げ出し、だらしなく腰かけ、足を組んで投げ出している。おまえはいったいなにものだ。客がメシ食いに来てこれから座ろうとしている客席に、なぜ先に座って「おまえ外な。俺室内」とか言い出しそうなポーズで座っているのか。もしあれに人格があるとして、俺に聞こえるセリフはこんな感じのものだ。
「HAHAHAジャップども、今日もクズ肉食って喜んでんのか。ところで、しゃぶれよ」
俺が某ハンバーガーチェーンに対してそうした感情を持っているのではない。てゆうか昨日もダブルクォーターパウンダーチー○食ってきた。あれけっこううまいと思う。そうではなくて、あのポーズと表情では、それくらいのことを言い出しかねないと思えるところが問題なのだ。
行儀作法だとか礼儀なんていうものは、対人関係における文化そのものといっていいほど、根深くその民族(ここでは、その地に住んでいて、外見的に相互に区別がつかず、共通の習慣や言語を持っている集団、くらいのごく大雑把な意味)に巣食っているものだ。じーさんばーさんの「最近の若いもんは」には、最近の若い世代に顕著な猫背の姿勢、歩く際の手足が律されていない感じに対する文句が含まれていると俺は考えるのだけれど、じゃあ若い世代がそれを気にしないのかといったら、客として来たときは確かに「見ている」のだ。
あのドナ公がなによりすげえと思うのは、一般的な「接客する側が持っているべき礼儀」というものの決まりごとを片っ端から無視していることだ。おそらくあれはアメリカでは問題のないものなのだろうけれど、それをそのまま日本に輸入してしまったことがすごい。あれアリだったんだろうか。新店を作って、あれ設置して、さあひと息つこうか、っていうそのとき、あれが視界に入ってどう思ったんだろう。「なんでこんなやつここにいるんだろう」とか思わなかったんだろうか。
らんらんるーなんかに代表されるあのいじられっぷりって、つまり「違和感」の表明だと思う。日常生活の文脈を無視したものがそこに存在するとき、人はそこに意味をつけようとする。それが笑いのかたちで為されたことは、そこになにをどうやっても消せない違和感があったからだろう。ドナ公が某ハンバーガーチェーンにいるところまではともかく、そこから先、あのポーズで店頭に立っており、客席でふんぞり返っていることには、どういう説明もつけられなかった。もっともうまい説明は「表へ出ろ」だったわけだ。
というわけで、あえて理屈をつけてみた。実際にはそんな深刻にいやがっているわけではなくて、せいぜいふんぞり返ってるあのクソピエロの膝に下半身マッパでまたがって「嬉しいか!おい嬉しいか!! いまおまえに密着してるぞ俺のファンキーミュージックトゥナイト棒が!! 地上最悪のこあらあたっく食らえオラ!!!」って言ってみたい程度。なぜ俺はそんなに密着させたがる。ほんとは好きなのか。