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[17236] リリカル・クロニクル =世界の終わりに悪魔と竜は戯れる=(リリカルなのは×終わりのクロニクル)
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/19 10:56
・――作者の注意書き

 この作品は作者がHPでちまちま書いていた作品です。こちらの方でも投稿し、ご意見を伺おうと思い至り、作品の投稿に到りました。
 表記にもありましたようにこの作品は「リリカルなのは」と「終わりのクロニクル」のクロスオーバー作品です。
 主人公は主になのは。終わりのクロニクルを知らない方でも読めるようにしたいと思いますが、終わりのクロニクルという名作を扱うには作者の力量が足りず、補填しきれない部分がありますので「こうした方が良いじゃない?」という意見があれば参考にしたいと思います。


・――作品の成分。

 ・なのはが凄い事になります。色んな意味で。
 ・リリカルキャラはほとんど出ない。終わりのクロニクルSideメイン。
 ・魔法と概念兵器の差は、なのはレベルだと概念核保有者などと同レベルぐらいに設定している。
 ・ちょこっととらハの成分があるけど、ほとんど独自設定。完璧に反映している訳ではない。
 ・この注意書きが増えるかもしれない。


 以上、この注意書きを読んでも「読んでやるぜ!」という人はどうぞ本編をよろしくお願いいたします。作者でした。



[17236] 序章「喪失の道標」 01
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/12 16:30
 1つ話をしよう。今私達が住み、生きているこの当たり前の世界。
 そう。当たり前の世界だ。だが、もしも。そう、もしもだ。その当たり前が「当たり前」じゃない世界があるとするならば?
 そしてそれは実在していた。そう…していた、だ。もう今は無い。つまりはそういう事だ。
 とある世界がある。それは私達が住む世界「地球」だ。だが、その地球にはもう1つの名前がある。

 かつて実在していた世界を知る者はこう呼ぶ。その世界を「Low-G」と。

 Low-Gを含めた1stから10thの番号を冠するG(世界)。全11世界。だが、現存として残るのはLow-Gのみである。何故か? 何故Low-Gだけが存在しているのか? 他の世界はどうなったのか? 何があったのか?

 今、それを語る物語を綴る1つの記録がある。それは、年代記である。
 これから語られるのは年代記である。終わりへの年代記。何に対しての終わりなのかは、それはこれから語ろう。

 さて。だが、これから語られるのは本来ありし物とは若干ながら差異がある。
 何故か? それは本来関わる筈の無いある一人の少女が関わった為だ。そして、その少女が共に生きる事により、時もまた変化し、この年代記もまた変化するだろう。


 それは、十なる竜を統べる者達と、悪魔と称された少女が綴る、幻ごとき想いを綴る年代記。称すならば「幻想年代記」…。









リリカル・クロニクル =世界の終わりに悪魔と竜は戯れる=

 序章「喪失の道標」










 風が吹いていた。撫でるような優しい風だ。風は揺らす。丘の緑を。森の枝を。青なる海を。人作くりし建物を。風はただ吹いている。
 その風をある場所の丘で受ける一人の少女がいた。少女の付近には誰もいない。少女は座っていた。ここはある丘の上。人気の無い、人の手の入らぬ丘。
 少女の身体の各所には包帯が巻かれている。どうやら怪我をしているようだ。少女はただ空を見上げてぼんやりとしていた。少女は何をするわけでもなく。何を思うわけでもなく。何を願うわけでもなく。何かを待つわけでもなく。ただそこにいた。風が少女を揺らす。その瞳に光は映らない。
 胸を抑えるように手を添える。とくん、とくん、と彼女の心臓は生命の音を刻んでいる。その音を聞きながらやはり何を考えるわけでもなく少女はそこにいる。少女の名は「高町なのは」という。何故この少女、なのははここにいるのだろうか? 今それを語ろう。
 事を話す前に皆に教えておこう。それは、世界の事だ。我々が今踏みしめている大地。吸っている空気。見ている景色。その全てが当たり前の世界がある。世界は1つだ。だがそれは実は嘘である。世界は幾多にも存在し、そこでは個々にそれぞれの文明が発展していく。この少女、高町なのははこの異世界との関わりを持っていた。
 時空管理局。
 彼女が異世界に詳しく関わる事となるキッカケとなった次元を平定し、危険な古代遺産を管理する信念を掲げている。時空管理局の発祥世界は「ミッドチルダ」と呼ばれている。ミッドチルダにはある文明があった。それは「魔法文明」であった。
 魔法と聞くと皆は何を思い出すだろうか? 魔女が箒に跨り空を飛ぶ様だろうか? それとも手品師がアッ、と息を吐く間に行う奇術の数々か? ミッドチルダの魔法はそんな物とは違う。言うならば「科学の集大成」と言っても良い。過去のある偉人はこう言ったらしい。「発達した魔法と科学は区別が付かない」のだと。発展した科学は魔法となった。つまりはそういうわけだ。
 高町なのははミッドチルダの世界の人間ではない。高町なのはは本来管理局に管理外世界と呼ばれ、自らの管理するまでの文明に到達していない未発達文明の中で生きている少女であった。だがある日、その少女に転機の時が訪れる。
 それはミッドチルダより来たりし来訪者。そして来訪者が追ってきたある古代遺失物「ジュエルシード」の存在を知ったあの日から高町なのはの運命は決まった。そして彼女は「魔法使い」となった。ジュエルシードを巡り、争った少女を救い、そして「闇の書」と呼ばれる古代遺失物にも立ち向かった。そして彼女は更なる命を救うために、時空管理局の業務に努めた。人は言うだろう。彼女はとても優秀だ、と。
 だが今。彼女にその優秀だと言わしめた姿は無い。何故ならば、彼女は失ったのだ。何を? それは…魔力と身体だ。高町なのはは空戦魔導師と呼ばれ、空に生きる者であった。ただ、簡単な事だ。

 高町なのはは撃墜され、生死の境を彷徨った。つまりはそういう事だ。

 撃墜された原因は何か? それは、高町なのはの重ねた小さな無茶の事である。彼女の扱う武器。魔導師の杖。インテリジェントデバイス「レイジングハート」の最終形態「エクセリオンモード」がある。このエクセリオンモードは術者である高町なのはの力に劣る事なくその性能を発揮し続けた。
 だが…それは皮肉にも、高町なのはの身体に負担を強い続けてきた。そしてそれが蓄積し、爆発した。
 命は救われた。だが…その代償として失われた物がある。それは、両足の麻痺。そして、魔法を使う為に必要とする器官「リンカーコア」の機能不全。足の方は回復の見込みはあり、現在は歩ける程にまで回復した。だが…リンカーコアの機能に回復を見ない。足の方に比べれば変化は無しと言える。
 事実上、高町なのはの魔導師としての将来を絶たれたと言っても良いだろう。回復の見込みは無い。
 高町なのははその事実を知っている。知っているからこそ、ここにいる。誰もいない。だが、それが高町なのはが望んでいる事だ。誰にも関わりたくない。誰にも触れて欲しくない。誰にも、誰にも。一人になりたい。そう望むからこそ、親にも何も言わず。友人にも何も言わず。
 力無い瞳はぼんやりと空を見上げる。自らの未来は絶たれた。これから、どうすれば良いのだと想う。高町なのはは考える。高町なのははまだ年を10超えたばかりの少女だ。小学生の少女だ。だが彼女には力があった。だからこそ彼女は願った。自らの力で誰かを救いたい、と。だからこそ救えなくなった今、高町なのはは迷う。何も無い。誰も救えない。今もどこかで助けて欲しい人がいるのかもしれないのに。もう自分は空を飛べない…。
 高町なのはは沈黙している。何を思うわけでもなく。何を願うわけでもなく。何を成すわけでも…ない。ただ、そこにいる。





    ● 





 空。そこは人が科学の力を持ち要らねば手の届かぬ領域だ。空には翼を持つ機械の箱が飛ぶ。それは人を、または人が求める物を運ぶ為に飛んでいく。それは思いを乗せて。それは人の願いを込めて…。
 例えそれがドス黒く。絶望を祈る災厄だとしても、それは運ぶ。それはある命を受けていた。それはある目的を持っていた。それは故に飛んでいた。それは向かう。目的を叶える為に。
 目的は脳内にインプットされた一人の少女。それを捕らえよと。眼下。それは確認された。丘に蹲るように座る一人の少女の姿を。それこそ目的の少女である。口元を笑みに歪める。ようやくと。
 音が響く。それは鋼鉄が軋む音だ。そしてそれに混じり、風が吹き荒ぶ音が響き渡る。鋼鉄の中に区切られた空間に光が最込み、風が入り込み自らが纏う衣服を揺らす。
 侍女。そう呼ぶべきだろう風貌をしたその女性は笑う。見惚れるようなその笑みだ。あぁ、その笑みが氷のごとく冷たく機械的な笑みで無ければ…。
 それは飛んだ。同時にこの世界を作り変える準備を行う。この船の中にだけ展開していたそれを更に広げていく。目的遂行の為に。主の願いを叶える為に。


「行きましょう」


 呟き。同時にそれは展開された。


・―金属は生きている。


 満足げに頷いてから女性は風が吹く開いたハッチから顔を出す。自らの運ぶ船は見つかる事なく空を旋回し続けるだろう。見つかる事は無い。何故か? それは「そうである」とされた物だからだ。それは「見つからない」という意味を与えられたに等しい。
 故に見つかる事は無い。理論も何もない。それは「見つからない」のだとされたのだ。故に見つからない。見つかるとするならばそれはこれを「見つからない」と同じく出来る者達にしかわからないだろう。
 出てくるだろうか? 思考するがそれは優先順位が低い物であった。今はただ目的を遂行し、主の願いを叶えれば良い。そのために行こう。用意は整ったのだから。





     ●





 ぼんやりと空を見上げながらなのはは何をするわけでもなく、何を思うわけでもなく、何を願うわけでもなく、何を為すわけでもなく、ただそこにいる。彼女は考える事を放棄している。考えたくない。何もしたくない。所謂、無気力状態。ただなのはは膝を抱えて蹲るのみだ。
 そんな時だ。それは確かになのはの耳に届き聞こえた。


・―金属は生きている。


 それはとても不思議な声。男性か、女性か、どっちつかずの機械音声のようなその声になのはは思わず辺りを見渡す。声の発生源は見あたらない。それに引っ掛かる。今の声はまるでデバイスが発した音声のようであったからだ。
 何かおかしいと感じる。声を聞いてから感じる違和感。その感覚は知っていた。自らが知るものではないが、それと良く似た感覚。世界が「切り替わる」感覚。一体何故? と思う。何故ここで結界が展開されているのだと。
 止まっていた思考が回り出す。身体は治ってきているとはいえ、まだ完治では無い。そして何よりリンカーコアの損失。自らに成す術は無い。
 ふとなのはは空を見上げた。目を見開く。そこには女性がいた。メイド服と呼ばれた衣装を纏う女性だ。髪は黒、瞳は蒼。肌は雪のような白さ。なのはは一見呆気取られる。なんでメイドが宙に浮いているのかと。
 身構えるように膝立ちの状態となるなのは。それを見てメイド服を纏う女性は地に足をつけてから、静かに頭を下げる。


「高町なのは様でございますね?」
「…何で、私の名前を?」
「質問の返答を私は許可されておりません。ただ1つ」


 上げた顔にはただ冷たい機械的な笑みしか浮かんでいなかった。思わず息を呑むなのは。そして女性は一歩踏み出す。


「捕らわれてくださいませ」


 女性が地を蹴った。なのはは同時に地を蹴る。女性から逃げる為だ。一体何の冗談だとこの状況に向けて叫びたい。だがそれは叶わない。恐れてしまったからだ、あの機械的な笑みを。
 彼女は言った。返答を許可されてはいない。つまり何を問うた所で返って来るとは思わない。だがそれでもこの状況への疑問の念は止まらない。駆ける。全速力で。足が速いわけではない。むしろ運動音痴の方だ。今それが悔やまれる。振り返れば侍女はメイド服の裾を翻しながらこちらに向かって走ってきた。自分の速度より明らかに早い。


「一体何なんですか!? 貴方は!?」
「先ほども申し上げた通り、質問への返答を私は許可されておりません。ただ1つ」


 女性が強く地を蹴る。一気に女性は加速し、なのはとの距離を詰める。なのはは反射的に身体を低く倒し、地面に倒れ込む。侍女が自らの上を通り過ぎる。だがすぐに地を踏みしめ向かってくる。


「捕らわれてくださいませ」


 冗談じゃない。そう叫びたい気持ちを抑えながらなのはは起き上がる。下は坂だ。ならば行くしかあるまい。身体は軋む。痛みが身体を支配しようとする。それを必死に押さえ込む。うるさいぐらいに鳴る心臓の音なんて無視だ。
 起き上がり反転。侍女へと背を向けてなのはは坂の下へと走っていく。途中躓きそうになりながらも坂を落ちるように駆けていく。その後ろに侍女が困ったような顔をしながら追いかけてくる。


「逃げられては主がお怒りになります。それは私の望む所ではありません」


 なのでと前置きをし、侍女は微笑む。


「捕らわれてくださいませ」


 こうして唐突に追いかけっこは始まった。丘から少女は走る。もはや止まれない。足が勝手に動く。もはや全ては地面と運任せだ。見るからに踏んだら危ないという物があるが、無視。強く踏みつける。邪魔なら、踏みつぶせ。
 足が地を叩く度に身体が軋みを上げる。だが止まる事は出来ない。この理解不能な状況で流されてはいけない。捕らわれてくださいませ、と言う相手。一体何が目的で自らの身柄を狙うのかはわからないが禄な雰囲気ではなさそうだった。故に逃げる。ただ逃げる。


「なのは様。お時間がございません。お手をわずわらせないでくださいませ」


 返答をしている暇など無い。ただ前へと走る。このまま真っ直ぐ行けば人が住む所まで行ける筈だ。そう、思っていた。だがそこでなのはは足を止めた。いや、止めざるを得なかった。
 目の前に壁があったからだ。目に見えない壁。だがそこには確かに壁は存在していた。思いっきり身体をぶつける。そのまま見えない壁から滑り落ちるように地面に倒れる。
 そこで思う。なんて迂闊なのだと。ここは既に切り離された空間なのだ。この空間を覆っているだろう「結界」をどうにかしない事には…逃げる事すらも許されなかったのだと。
 絶望が心を満たしていく。終わりなのかと。一体何が起きているのかすらわからず、捕らわれてしまうのだろうか? 理由もわからずこのまま…流されるしか無いのだろうか?


(あ、は、ははは……私…無力だなぁ…)


 なのはは諦めたように笑った。魔力が無いこの身ではもはや抗う事など出来ない。痛みは耐えられる。だが…もう動けない。一歩も歩み出す事が出来ない。身体より先に心が諦めたのだ。もう限界なんだと。一瞬、脳裏に様々な人の顔が浮かぶ。両親、兄、姉。そして…大事な友達の顔。


(…ごめん。皆。私なんかもう、駄目みたい)


 せめて謝りたかったなぁ、と思う。その諦めた思考の中で視界に侍女の顔が見えた。自らを見下ろし、ただ機械的に笑っている。寒気するその笑みを見る。なのはは何を言うわけでもなく抵抗するわけでもなく、ただ見る事しか出来なかった。
 侍女が手を伸ばす。あぁ、もう終わりだな。そう、諦めた時だった。


 ――やれやれ。まったく無粋な輩がいる者だね。


 驚愕。同時になのはと侍女の顔がその表情へと切り替わる。そして声の先。木々より落ちた枝葉を踏みしめながらその声の主は歩いて来た。
 纏う服はスーツだ。髪は黒髪のオールバック。左右に白髪の髪が二房あるのが特徴的に見えた。無表情に思えるその顔。だが眉だけはしっかりと寄っていた。そう、とても不快そうに。


「今日は新庄君との丘でウッフフアッハッハハンな気分でデートを楽しもうと思っていた所なのだよ? わかるかね? これがどれだけ素晴らしく、そしてそれを邪魔をすると言う事がどれだけ無粋な事かわかるかね?」


 一瞬にして思考が真っ白になった。なのはは思う。今、目の前のこの人は何を言ったのだろう? なんか、もう、と言ったようになのはの思考は目の前の人物の台詞が理解出来なかった。正直いきなり現れた時よりインパクトが強すぎた。
 その瞬間。そのオールバックの少年の後ろから何かが飛来してくる。長い黒髪を揺らした人影だ。どうやら少女のようだ。少女はそのまま少年の腰に飛び蹴りをかました。少年がその衝撃を受けてよろめく。しかし、すぐさま体勢を立て直し、自らに蹴りを入れた少女を見る。


「一体何をするのかね? 新庄君。この無粋な輩共に私が高尚な説法をしているというのに」
「はいはいはい。頭がどうにかなってるんじゃないかと疑われる事間違いなしの発言は後回しにしてシリアスに行こうね!? この状況でそんな事言ってる場合じゃないだろう!?」
「いや、新庄君。私にとっては重大な問題だ。なんせ新庄君とのデートを邪魔されたのだ。いいかね? それはこの佐山御言に対する宣戦布告と取っても良い物なのだよ」
「そんな佐山理論を展開されても困るよ!! だーかーらーっ!! 今そんな事してる暇無いでしょっ!?  ほら前を見るっ!!」


 新庄と呼ばれた少女が無理矢理佐山と呼んだ少年の首をこちらの方に向かせる。
 …あれ? 何だろう? 微妙に納得いかないこの空気。なのはは思いっきり口の端を引きつらせた。いわゆるそれは苦笑と呼ばれる物であった。
 斯くして出会いは訪れる。少女は出会う。竜を統べる者達と。歯車が回り出す。彼女の、終末への歯車が…。



[17236] 序章「喪失の道標」 02
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/13 12:27
「佐山御言様、新庄運切様とお見受けいたしますが?」


 侍従が二人を視界に入れ、静かな声で問う。そこに唐突に現れた乱入者への疑念も、警戒も何も無い。ただ、必要とする情報を求めるだけの行為。


「ほぉ、どうやら私達の事を知っているらしい」


 次女の問いに佐山が若干関心したかのように言う。そして一歩前に出る。


「ならば私と新庄君とのデートを邪魔をするとどうなるかという事ぐらい調査済みだなっ!?」
「ちょっとうるさいから黙ってて佐山君」


 キュッ、と佐山のネクタイが新庄の早業によって締め上げられる。良い感じに締め上げたネクタイは佐山の気道を塞ぎ呼吸を止める。それから新庄はその行為に何の疑念も感じさせないような動作で侍女へと向き直る。


「…貴方は、一体何者なんですか? 何故その子を狙うんですか?」


 新庄の険しい声が届く。それに侍女は笑みを絶やさない。すぐさま、一歩身を引き一礼をしてから。


「私に回答権は与えられておりません。故にお答えする事は何もございません。そして私の目的の達成は不可能と判断いたします。私の目的は誰にも知られずに高町なのは様を主の下へとお連れする事。あなた方に知られた以上、目的遂行は非常に困難であり、断念せざるを得ないと判断いたします」
「…主? 君の主は何を望んでいるの?」
「回答権はございません。故にお答えする事は何もございません。ただ、伝言を1つ」
「…伝言?」


 新庄が侍女の言う伝言という言葉に、もう一度呟き直してから問いかけを。それに侍女は足下に転がるなのはへと視線を向けた。笑みを絶やさずに侍従は告げる。


「御神の罪に断罪を…」
「…え?」


 なのははその言葉に戸惑ったような顔を浮かべる。それを見てから侍女は顔を上げてから一礼をする。


「確かに、高町なのは様にお伝えいたしました。お仕事完了です。では…戯れはここまでに。主がお呼びですので」
「待ちたまえ」
「…何でしょう? 佐山御言様?」


 佐山の呼び止めに侍女は足を止めて佐山へと向き直る。締め上げられたネクタイを直しつつ佐山は侍女へと鋭い視線を向け、勢い良く指を差した。


「邪魔をしておいて目的を成したのではい帰ります、で済むと思っているのかね? 君には重罪が1つある。それは新庄君と私のデートに対し無粋な邪魔をしたという重罪が、だ。それに対して何の釈明も無く行けると思っているのか?」
「…優先順位が低い事柄と判断いたします。なので即刻帰らせていただきます」


 佐山の台詞に笑みを崩さずに侍従は告げる。そして、跳躍。そのまま空へと上がっていき、侍女が空を飛んできた輸送機に捕まる。
 侍従はそのまま中へと消えていく。その様子をなのはは呆然と見上げていた。一体何がなんなのかわからずに物事が進み、そして終わっていく。
 そして何より…。


「御神の…罪?」


 まったく意味がわからない伝言。御神、とは何なのか? 罪? 何故それを自分が? 
 わからない。わからないと何度も思考を駆けめぐる。そう思っていると、自分の方へと歩み寄って来る気配を感じた。


「君、大丈夫!?」
「…あ…えと、はい。なんとか…」


 歩み寄ってきたのは黒髪の長髪を持つ少女だった。どこか心配げにこちらをのぞき込んでくる。人の良さそうな人だ、と感じながらなのはは返答を返す。それに少女は安堵したようにほっ、と息を吐いて。


「良かった…どこか痛い所は? …怪我してるみたいだけど?」
「えと、だ、大丈夫ですから気にしないでください。えと…あの」
「そう? …なら良いけど。ボクは新庄、新庄運切。君は…?」
「…高町なのは、です」


 相手が心配げにこちらを見つめてくるが、ふと思いだしたかのように自らの名を告げる。
 新庄運切。女の人なのに、どこか男っぽいような、そんな印象を受ける名前だった。名前を問いかけられたのなら、こちらも名乗りを返す。


「高町さん、か。あぁ、こっちは佐山君。佐山御言って言うんだよ」
「うむ。世界の中心の男だ」
「…へ?」


 世界の中心? 一瞬頭の中に疑問符がたくさん浮かぶ。冗談にしては笑えない。この人芸人なのかな? と思いながら疑問符を浮かべ続けていると、新庄が溜息を吐いて。


「…あの、佐山君。高町さんが凄く戸惑ってるんだけど?」
「高町君と言ったね。偉大な対象を初めて目にしたときは理解が出来ぬものだ。恥じることはない」
「…えと、あの。すいません、失礼ですが…変人さん、ですか?」
「…うん。否定仕切れないのがスッゴイ哀しいし、虚しいよね…」


 どこか遠くを見つめながら新庄が呟く。なのははその新庄の様子から苦労しているんだな、と察し何も言わなかった。なんだか新庄が可哀想に思えたからだ。そんな二人の様子を見ながら佐山が口を開いた。


「とりあえずこんな所にいるのもあれだね。新庄君。彼女に事情を伺いたい。1度尊秋多学院に戻ろう」
「そうだね。そうしようか。というわけ…なんだけど、高町さん。ちょっと色々聞きたい事があるから付いてきて貰えるかな?」
「…あ、あの、その…」


 なんだか話が二人の間で進んでいるが、こっちとしては戸惑うしかない。問いかけを新庄にするなのは。それに新庄は若干苦笑の笑みを浮かべて。


「大丈夫。ボク達は君の敵じゃない。…君が知りたい事を、きっと全部、教えてあげられるから」





     ●





『失敗したのか?』
「申し訳ありません」


 先ほどの侍女が輸送機の中で何者かと通信をしている。通信の向こう。どうやらそこにいるのは男のようだ。その男は侍女の謝罪の言葉を聞けば、ふっ、と唇を歪めて笑みを浮かべる。


『気にするな。所詮は戯れ。…あの御神の血筋をこの戦争に引き摺り込む事が出来ただけでも十分だ。ご苦労だった』
「我が身と意思は主が為に」


 深く自らの主へと侍女は頭を下げる。それを視界に入れずに男は笑う。その手にはある物が握られていた。それは1枚の写真だ。そこには高町なのはの姿が映し出されていた。それを見て、ふふふふ、と不気味な笑いを零す男。


『忌々しい。まったく忌々しい。あぁ、忌々しい。忌々しい御神の血筋。必ず殺してやろうぞ。絶望に浸し、満たし、地獄へと落としてやろう!』


 男の瞳には狂気の色が宿っていた。それを見てもなお、ただ侍女は笑みを浮かべていた。冷たい感情の篭もらぬ機械的な笑みを…。





     ●





「…ふぁー」


 思わずなのははそんな声を漏らしていた。目の前にある大きな学院を目にしてだ。校門に「尊秋多学院」と書かれている。そこから広がる景色になのはは思わず目を奪われていた。


「凄い? 結構大きいよねぇ」
「あ、は、はい。結構大きいですよね」
「新庄君。他のメンバーは衣笠書庫に集まっているそうだ。私達も衣笠書庫へ行こう」


 佐山が携帯をポケットに仕舞いながら新庄に言う。それに新庄が振り返って頷く。そしてそっとなのはの手を握って。


「行こう。高町さん」
「あ、は、はい」


 とりあえずどうする事も出来ないし、と思いながら新庄に手を引かれながらなのははついて行く。敵では…無いと思う。ちゃんと事情も説明してくれるようだし…。佐山さんはともかく、この新庄さんは良い人みたいだし、となのはは思考を巡らせる。
 若干の不安はあるが、現状逃げ出すわけにも行かず、なのははただ新庄に手を引かれるまま学院内を進んでいく。しばらく進むと「衣笠書庫」と書かれた表札が見えた。ここは尊秋多学院の中にある書庫。名は表札の通り「衣笠書庫」。かつて衣笠・天恭と呼ばれた人物が創立した書庫であり、非常に大規模な書庫なのだとなのはは新庄から説明される。
 それに関心するなのは。その間に先を行く佐山が書庫の扉を開けて中に入っていく。それを見て、新庄がなのはに振り返ってから。


「それじゃ行こう。高町さん」
「は、はい」
「そんな緊張しなくて良いよ。…いや、した方が良いかな? いや、とりあえず…冷静に。どんな事があっても冷静にだよ?」
「はい?」


 なんだか真剣にこちらに忠告してくる新庄だが、なのはにとっては何が何だかさっぱりわからない。疑問符を浮かべていると、新庄がふっ、と諦め切ったような溜息を吐いて。


「行けばわかるよ。…さぁ、行こうか」
「は、はぁ…?」


 なんだか納得が行かないような気もしたが、従わないわけにもいかないので頷いて新庄と共に書庫の中へと入っていった。
 しばらく新庄に手を引かれるまま歩く。書庫の一角。そこにいたのは8人の人物。その中の一人、茶髪の短髪の少女がなのはに気づいたのか、目を向けて、へぇ、と声を漏らした。そのままなのはの方に歩み寄っていき、顔をのぞき込むようになのはと視線を合わせる。


「何? この子が佐山と新庄が助けたって子?」
「うん。高町なのはちゃんって言うんだって。あ、なのはちゃん。こっちの人はね、風見千里さんって言うんだよ」
「まっ、よろしくね」
「は、はい。よろしく」


 新庄に紹介されれば、風見と呼ばれた少女は笑みを浮かべてなのはに手を差し出す。
 なのはは少し戸惑ったが、その手を取って握手を交わす。内心気の良さそうな人だな、と思いなのははホッとする。


「さて。まずはちゃっちゃと自己紹介しちゃう?」
「あ、そうした方が良いかな?」


 風見が新庄の方に視線を移して問いかける。それに新庄が同意を返すかのように頷いて。それに風見が軽く笑みを浮かべてから、再びなのはに視線を移して。


「というわけで、ここにいるメンバーの紹介しちゃうけど良いかしら?」
「あ、は、はい。大丈夫です」
「よろしい。じゃ、まずは…そこにいるのが、出雲覚って言うの」


 風見が本棚に寄りかかり、腕を組んでどこかを見て黄昏れているような雰囲気を出す長身の青年の方に身体を向けながら紹介する。
 出雲、と呼ばれた人は反応しない。…クールな人なのかな? と思っていると、隣で風見の眉が釣り上がる。そして、「ちょっと待っててね」となのはに言ってから出雲へと近づいていく。
 そしておもむろに拳を握り、腹へとたたき込む。


「へぼぉっ!?」
「何寝てるのよっ!! 今紹介してやってるんだからシャキッ、としなさい、シャキッと!!」
「ち、千里。も、もうちょっと起こし方って物があるだろ。ほら、お目覚めのキスとか…」
「一生寝てろっ!!」


 見事なハイキックが出雲のこめかみを直撃。笑みを浮かべながら出雲が地面に叩き付けられる。いきなり見せられたバイオレンスな光景になのはは目を丸くし、思わず一歩引いた。それに新庄が苦笑を浮かべる。


「あー。あの二人って恋人で、あれって日常茶飯だから気にしなくて良いから」
「に、日常茶飯事って…あれがですか?」
「あれが、日常茶飯事なの」


 思わず唖然。すると風見が戻ってきて、なのはの様子を見て苦笑を浮かべる。あー、とどこか罰悪そうな顔をしてから。


「大丈夫。覚の奴頑丈だからこれぐらいじゃどうにもならないって」
「は、はぁ…」
「じゃ、次行こうか? ね?」


 なんか気まずい雰囲気だったのでなのはも頷く。出雲という人には悪いが、無視させてもらう事にした。次に風見が示したのは黒髪の鉢巻きを巻いた少年…をスルーして、隣にいた金髪の少女を示して。
 示された少女は軽くペコリと会釈をする。それになのはも会釈を返して、風見が笑みを浮かべながら少女を紹介する。


「彼女は美影よ。で、次が…」
「ちょっと待ってくださいっ! 風見先輩! 僕! ほら僕がいますから!!」


 先ほどスルーされた少年が慌てた様子で風見に言う。風見は隠す事なく「チッ」と舌打ちを入れる。近くにいるなのはにはそれがハッキリと聞こえてしまい、汗がこめかみを伝う。風見は重苦しい溜息を吐き出して。


「飛場。空気は喋らないのよ? いいから黙ってなさい?」
「空気!? 僕は人以下の存在!? ちゃんと紹介してくださいよっ!!」
「うっさいわねぇ。仕様がないわね。なのはちゃん? あれは仮名飛場竜司って言うエロ生命体よ。近づいたら駄目よ? 飛場菌に感染するから」
「あれ僕の名前が仮名で変な生物になってて菌を振りまいてる設定ですか!?」
「設定じゃなく純然たる事実よ」


 風見の容赦の無い言葉の刃に、飛場は窓に寄りかかり、黄昏れながら空を見上げた。明らかに煤けた飛場の肩をぽん、と美影と呼ばれた少女が叩いて。

「リュージ君。エロくてもリュージ君はリュージ君だよ」
「あぁ、美影さんは優しいなぁ、どこぞの暴力先輩とは違って」
「潰スワヨ?」
「御免なさい私ごときが風見様に対して何て口調で申し上げてしまい誠に心の底から反省し謝罪しているでありまする」


 風見の低音の声に飛場が土下座をし、呪文のように脈絡が無い言葉を紡ぎ続けている。なのはは自然と頬が引きつるのがわかる。とりあえず、視線は飛場から外しておいた。風見は次に短い金髪の少女を示す。


「彼女はヒオ・サンダーソンよ」
「ヒオって言いますの! よろしくですの」
「あ、ど、どうも」


 この中で一番年齢が近いだろうか? そんな少女に笑みを浮かべて挨拶を返して。風見は次にその隣で腕を組んでいる少年を示す。


「で。彼がダン・原川」


 なのはは思わず今まで紹介されてきた男性が「アレ」だったので、思わず警戒の視線を知らず知らず送っていた。そのなのはの視線に気がついたのか、原川と呼ばれた少年はふぅ、と溜息を吐いて。


「高町なのは、と言ったな」
「あ、は、はいっ!」
「…俺とここにいる連中とを一緒にしてくれないでくれ」
「…はい。すいませんでした」


 彼の纏う気配が苦労しているんだな、と感じさせてしまったので、なのはは原川に対する認識を変更した。
 きっとこの人はこの中ではマトモな部類に入る人なのだと。少し付き合いにくい感じもするが根は良い人なのかもしれない、と思う。


「佐山と新庄は自己紹介したのよね?」
「まぁ、一応ね」


 新庄が先ほどのやりとりを思い出し、苦笑を浮かべる。それを見て風見が察したように溜息を吐いて、それからなのはの肩に手を置いて。


「良い? なのはちゃん。何かあったら私か新庄に話を通しなさい? 他の奴らに相談したら…どうなるかわからないから」
「風見千里。俺まで疑いをかけるな」
「アンタは取っつきにくいでしょーが」
「ひ、ヒオは頼りにならないですの!?」
「……とりあえず、良いわね? なのはちゃん」
「む、無視ですのーっ!! 酷いですのーっ!! ヒオだってちゃんとやれますのっ!! ねっ!!原川さんっ!!」
「俺に話を振るなヒオ・サンダーソン」


 ぎゃいぎゃい、と騒ぎ出した周りに呆然とするなのは。何なんだろう、この人たち、というのが彼女の思考を埋め尽くす。今まで出会った事のないような個性的な人たちだからだ。呆然としていると新庄が苦笑しながらなのはの肩に手を置いて。


「ごめんね。いつもこんな感じでやってるんだ」
「は、はぁ…」
「さて。皆の紹介が済んだのなら本題に入りたいと思うのだが?」


 なのはが新庄の言葉にどこか気の抜けた返答を返していると、佐山が声を出して告げる。すると騒ぎが収まり、視線が佐山に集中する。
 そこに先ほど風見のハイキックを受けた出雲が立ち上がり、佐山の方に顔を向けて。


「そうだな。で? やっぱり概念戦争絡みか?」
「あぁ。高町君を誘拐しようとしたのは自動人形だった」
「自動人形?」


 佐山の説明に美影が声を漏らす。美影の問いかけに佐山は頷いてみせる。いきなり交わされた会話の内容について行けず、なのはが少し慌てたように周りに視線を向ける。


「あ、あの。概念戦争…って? 自動人形って何ですか…?」
「ふむ。やはり知らないのか。ならば最初から説明しなければならないね」


 なのはの問いに佐山がゴホンッ、と咳払いをする。それからなのはに向き直る。なのはは若干緊張したように佐山の顔を見つめ返す。


「まずは概念戦争の説明から行こうか。高町君。概念というのはなんだかわかるかね?」
「…いえ」
「では説明しよう。概念というのは、あらゆる現象を突き詰めた先にある「それはそういうものだから」と言わざるを得ない事、だ」
「…それは、そういうものだからと言わざるを得ない事?」


 なのはが佐山の台詞を呟く。よくわからない、と言った顔で首を傾げて。それに佐山が頷き、更に説明を続けていく。


「例えば高町君。重力は下に落ちる。これは当たり前だろう?」
「そうですね」
「つまりこれが概念だ。重力は上には落ちない。つまり「そういうもの」。つまり概念。ここまではわかるかね?」


 まぁ、なんとなく、となのはは頷く。それを見てから佐山は指を一本立てて更に説明を続けた。


「じゃあ、もし重力が上に向かう世界があるとしたら?」
「…へ? そんなのあり得ないですよ」


 佐山の言葉になのはは眉を寄せて言う。そんなのはあり得ない。重力は下に向く物だ。そう思いながら、返答を返す。先ほど佐山もそれは確認していた筈だ。その質問の意図が読めずになのは首を傾げる。なのはの返答を聞いてから佐山はもう一度頷く。


「あり得ない、と言ったね? では何故あり得ないのかね?」
「…だって、それはおかしいじゃないですか」
「物理法則に反しているからかね?」


 佐山の問いかけになのはは頷く。それに佐山がふぅ、と息を吐いてから。


「じゃ、高町君の言う当たり前の物理法則はどこの世界の物かね?」
「どこの、世界? 今私達が住んでいる世界のです…けど」
「じゃあ、そうじゃない世界があるとしたら?」


 なのはは息を呑んだ。目を見開き、佐山の顔を見つめる。彼は、今何を言った。佐山はなのはの反応に何も返さず、そのまま言葉を続けていく。


「もしも、文字が力を持つという世界があったら? 金属は生きているという世界があったら? もしもあるなら君の言う「当たり前」はここでしか当たり前にならない」
「…で、でも無いですよ、そんな世界…」
「君は知らないだけだよ。あったのだよ。この世界の他に、この世界とは異なる概念を持つ世界が。この世界も含めて全11世界…。そして、その11世界の間で起きた戦争…」


 一端、言葉を句切り、佐山はなのはに告げる。


「『概念戦争』と」


 
 



[17236] 序章「喪失の道標」 03
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/18 10:31
 第二次世界大戦の歴史の裏に埋もれた1つの戦争がある。それは異なる「概念」を持つ11世界が起こした戦争…。『概念戦争』。
 地球は「Low-G」と呼ばれている。何故「最低」と称されるのかは後に語ろう。
 「Low-G」と違うその他の世界は1から10までの番号が与えられた世界となる。その11世界はLow-Gを中心に一定周期でその周囲を旋回していたのだ。
 だがそれは覆されてしまった。1999年にその全てのGの周期が重なり、最も多くの概念を持つGのみが残り、その他のGは衝突の際の衝撃で崩壊することが判明する。
 それを知ったそれぞれのGが他のGに侵攻し概念を奪い合う戦争が勃発した。故にこの戦争は『概念戦争』と呼ばれている。
 そして勝者は…Low-Gであった。先ほど言った通り、この11世界はそれぞれ自らの世界特有の「概念」を持っていた。
 そして「Low-G」が「最低の世界」と称された理由はここにある。Low-Gの概念。それは「マイナス概念」と呼ばれており、何ら長所の持たない概念と言われている。なおマイナス概念に対して他の世界の持つ概念は「プラス概念」と呼ばれている。
 概念戦争終了後。他のGの生き残りをLow-Gは保護していった。だがその保護下に入る事を拒んだ者もいたが、これでこの戦争はLow-Gの勝利に終わった…。





     ●





 これが概念戦争に関する経緯である、と佐山はここで説明を終わらせた。
 なのはは沈黙していた。佐山に聞かされた概念戦争の経緯。異世界があった事はそう驚く事は無かった。現にミッドチルダという異世界との交流を果たしているのだから。物理法則が違う、というのには驚かされたが。
 だが驚きはむしろこの世界が裏で他の世界を侵略し、滅ぼしたという事。信じられないような事実。なのはは一度大きく息を吐き出し、もう一度大きく吸ってから佐山へと視線を向ける。


「…あの佐山さん」
「何かね? 高町君」
「概念戦争がどういう物かわかりました。…だけど、これと私がその先ほど言った3rd-Gの自動人形というのに襲われる理由がありません」


 そうなのだ。いくら概念戦争という戦争があったという所で自らが狙われる理由を見いだす事は出来ない、と。


「ふむ。それについてはまだ話が続くのだがよろしいかね? 君はIAIを知っているかね?」
「あの総合企業の…ですか?」


 なのはの脳裏に浮かぶのは、テレビなどでよく見かけるCM。他のCMと比べるとインパクトが強い…悪く言えば変なCMが思い出される。
 確か…「まろ茶」だかのCMだったか。…あれ? そういえば、あの表紙の人って新庄さんに似てたような…? となのはは思い出しながら思う。思い出せず、気のせいか、という事で流したが。


「実はIAIには裏の顔があってね。UCATという組織だ。私達はそれに属しているのだよ」
「…UCAT?」
「UCATはLow-Gに移住してきた他のGとの者達に対応する為の組織でね。元々は出雲航空技研であったのが、護国課という課を作り上げてね」
「護国課?」
「うむ。この衣笠書庫を創立した「衣笠天恭」が提示した「神州世界対応論」を遂行する為に作られた課でね」
「「神州世界対応論」?」
「衣笠天恭が提唱した理論でね。「日本は世界の地形と対応する、世界全体の地脈の中心である。各国の地脈をそれと対応した日本の地脈と接続、そして日本側の地脈を活性化させれば接続先の国の地脈の活性化につながり、世界全体の情勢を左右出来る」という理論だ」
「そ、そんな無茶苦茶な…」
「まぁ。ぶっちゃければこんな話どうでも良い」
「は? どうでも良いんですか!?」


 なんか壮大そうな話だったが故に、スルーされる事に驚いたなのはは突っ込みを入れる。が、佐山はそれを気にした様子もなく、そうだ、と頷いた。


「大事なのはむしろここからだ。その護国課に属していたメンバーなのだが…それが当時起きていた「概念戦争」の第一発見者なのだよ」
「えっ!?」
「そして、護国課は当時のUCATに吸収という形でUCATの面目を保ちながら協力し、日本UCATを創立した。そして日本UCATが中心となり、概念戦争を勝利に導いた。そしてその10のGを滅ぼした者達8人を「八大竜王」と呼んでいる」
「八大竜王…」
「そして、戦後はUCATが他Gの生存者を保護しているというわけだ。だが、現在ある問題が発生していてね」
「…ある問題?」
「Low-Gのマイナス概念の活性化により…今世界は滅びの危機を迎えている。その滅びを回避する為にはかつて滅びた10世界の概念の力が必要でね。その概念を扱わせて貰えるよう交渉する為にUCATは1つの部隊を発足した。「全竜交渉部隊(チームレヴァイアサン)」と呼ばれる部隊…そして、私達がその「全竜交渉部隊」だ」


 なのはは思わず、その場にいたメンバーを見渡す。今、滅びようとしている世界を救おうとしている部隊…それに属する人達。知らず知らず、なのはの手に力が篭もっていた。なのははそれに気づかない。誰も気づかないまま佐山が話を続ける。


「現在、私達は1stから6ht、そして10thとの交渉を終えている。残るは後3世界。これが全竜交渉部隊の状況だ。さて、そこで話は君を襲撃して来た者についてなのだが…」


 話が自分の物へと変わり、改めて佐山と視線を合わせるなのは。それに佐山が1つ頷いてから。


「君を襲ってきた者は3rd-Gで開発された「自動人形」と呼ばれる者だ。文字通り、自ら意志を持ち、生きた人形と言っても良い」
「はぁ…? それで、何故その自動人形が私を襲ってきたんでしょうか?」
「わからない。が、UCAT、つまり私達と敵対組織かもしれない、という可能性はある」
「…全竜交渉部隊と、つまりUCATと対立する組織が私を狙ったって事ですか?」
「可能性としてあり得る、という段階だがね。犯人像があまりにも不鮮明過ぎるのでね。だが君が狙われているという事実は変わらない。そこで…しばらく君をUCATの保護下に入って貰おうと思うのだが、どうかね?」


 佐山はなのはに提案を持ちかける。なのはは考え込むように少し顔を俯かせる。確かに狙われている、しかも犯人が不明、となるとそのまままた日常に戻るのは危険かもしれない。


(…私一人でどうにかなるってわけじゃないしね。この人たちに迷惑はかけられないし…もし私が捕まったらこの人たちに迷惑をかける可能性がある)


 ここで思う。いざとなれば事情を説明してミッドチルダに逃げ込めば良いかもしれない。そうすればこちらの世界の問題には関わらないで済むかもしれない。今の所、どうやらミッドチルダの存在は確認されてはいないのだから。
 だけど、となのはは思う。それは嫌だ、と。何が嫌なのかとなのはは思う。まずはミッドチルダ自体に行きたくない。魔導師であれない自分がそこにいるのは抵抗があるし、ミッドチルダに住む理由も話さなくてはならない。
 親友であるフェイトの養母、リンディに話を通せば良いかもしれない。だが、フェイトは、親友は恐らく感づくだろう。それが嫌だ。


(…フェイトちゃんや、はやてちゃん達と…関わりたくない)


 ここにいる経緯も皆と顔を合わせるのが嫌だったからだ。どうしようもなく逃げたくなって、そしてここにいる。どうせなら、UCATに保護されて誰にも会わないようにすれば良い。そうすれば確実に会わないで済む。こちらに会いにさえ来なければ。いや、来たとしてもUCATの存在を表に出すわけにもいかない。フェイト達は恐らく関われない。


(それに知ってしまった)


 世界が滅ぶとまで言われた。そんな自体を目を逸らしたくなかった。帰りたくも無い。見届けてみたいと。様々な思いがなのはの胸を過ぎり、様々な考えが浮かんでは消えていく。幾度もそれを繰り返し、ようやく考えが纏まったのか、ゆっくりとなのはは顔を上げて佐山を見つめた。


「あの、じゃあお願いしても良いでしょうか」
「なに、こちらから提案した事だ。かまわないよ」
「あ、あの、その、せめて両親と連絡をしておきたいんですけど…」


 せめて。せめてお父さんとお母さんだけには、帰れないと伝えたかった。心配はかけさせてしまうが行方不明、生死不明よりはマシだろう、と。帰ったらよっぽど怒られそうだが。それを聞いて佐山はわかった、と返答して頷いた。


「交渉の方は私がどうにかしよう。安心してくれたまえ。…ところで高町君。君は何故自分が襲撃されたか心当たりは無いかね?」


 突然の佐山の問いかけになのはは首を振る。自分は概念戦争なんて今の今、知ったのだ。関わりなんて無い筈なのだが…。
 脳裏に過ぎるのはあの侍女が告げた伝言。なのはは自然とそれを口ずさんでいた。

「…「御神の罪に断罪を…」…って、伝言を伝えられました」
「御神?」


 なのはの言葉に声を挙げたのは飛場だ。一瞬にして飛場の方へと視線が向く。その集中した視線に飛場は戸惑ったような顔を浮かべる。隣にいた美影が飛場の顔を見つめながら疑問を投げかける。


「リュージ君。知ってるの?」
「いや。どこかで聞いた覚えがあるなと。あれぇ…? 気のせいかな?」
「何よ飛場。…まさかアンタ、美影という者がありながらなのはちゃんの気を引こうって魂胆じゃなかろうねっ!?」
「どぅぇぇええええっっ!? な、なんですか急に!? ち、違いますよっ!?」


 風見の訴えに飛場がブンブン、と超高速で首を振りながら否定の声を挙げる。だが美影となのはを除いた周囲の視線は飛場を冷ややかな目で見つめている。


「飛場少年…。見損なったよ」


 佐山が心底呆れたように言い、残念そうに首を振る。


「…最低だよ。飛場君」


 汚物を見るかのような視線を飛場に向ける新庄。


「…まさか、女の子だったらなんでも良いんだ」


 ふぅん、と呟きながら絶対零度の視線を送る風見。


「…さすがにそれはねぇな飛場。見境が無いのは最低だぜ変態野郎」


 腕を組みながら見下すように飛場を見下ろす出雲。


「さ、最低ですのっ!! 犯罪者ですのっ!! ロリペド浮気野郎なのですのっ!!」


 寄るな。と言わんばかりに手をシッシッシ、と振っているヒオ。口調も悪くなってる。


「ヒオ・サンダーソン。俺を盾にするな。飛場菌が移る。犯罪者の菌などに取り憑かれたくない」


 完全無視の態勢の原川。だがその背が飛場に語る。犯罪者、と。その反応を受けて飛場は渾身の力を込めて叫ぶ。


「僕はっ、美影さん一筋だぁあああああああああああっっっ!!!」





     ●





「…なんか、今日は色々あったなぁ…」


 ぽすん、とベッドの上にダイブしながらなのはは呟きを零した。あの衣笠書庫での話し合いの後、なのははUCATに案内され、一つの部屋を宛がわれた。この部屋はUCATの居住区の中にある部屋の一つ。本来は仕事や残業で家に帰れず、借り家としてある部屋だ。
 何故か仮眠室であった筈のこの部屋は少女チックな内装になっていてなのはは思わず驚いた。この部屋をセッティングしてくれたというUCAT局員達がサムズアップして良い笑顔だったのは思わず脳裏に残ってしまう程のインパクトがあった。
 それはさておき、なのはは今日あった出来事の一つ一つを思い出していく。家出した事、その先で侍女に襲われたこと、佐山達との出会い。そして…。


「……全竜交渉…世界の終わり…概念戦争…」


 今日の話を思い出すと、壮大すぎて逆に現実感が無い。これは夢なのかもしれない。そう思ってしまう。だが、身体に残る痛みや、心臓の鼓動の音はそれを夢じゃないという事を知らせてくれる。
 暫し考え事をしていたなのはだったが、段々と眠気が襲ってきたのを感じる。今日は色々あって疲れたからだろう。そしてなのははそのまま眠気に抗う事無く、ゆっくりとその瞳を閉じた。





     ●





 夢を見ていた。
 空から墜ちる夢だ。手を伸ばしても、届かなかった空がドンドンと遠くなっていく。身体が重い。痛みもある。だが、なのに気持ち悪いぐらい意識がはっきりとしていて、それが夢だと自覚させる。これだけ重いのに、痛いのに、意識だけがはっきりとしているなんて。
 そして、地に叩き付けられるのと同時に、全ての感覚がシャットダウンされた。
 下手をすれば、死んでいたかもしれない。脳裏を過ぎった声に、私はただ悲鳴を上げるしか出来なかった。それすら聞こえないというのに。


「―――あぁああああああっ!! あぁぁ………ぁ…?」


 叫びながら瞳を開かせ、身体を起こす。だが、段々とその悲鳴は収まり、なのはは部屋を見渡す。先ほどまで無かった感覚がハッキリと感じられる。自分は冷たい床に転がっている。視線を横にずらせば、ベッドがあり、乱れた布団が自分の隣に落ちていた。
 一瞬、寝ぼけた頭が状況を把握出来ない。ここはどこなのだろうか? と視線を伺わせて見る。そこで、扉の隙間から見える幾多の目を見た。一瞬、動きが止まる。誰か思いっきり見てる…?


「きゃぁあああああああああああっっっ!!!」


 こうして、高町なのはの朝は騒がしく始まりを迎えるのであった。
 衝撃的な朝の目覚めから数分後。なのはは心臓に悪い思いをしつつも、眼が覚めて動き出していた。仮眠室に備え付けられている洗面所で顔を洗い、歯を磨く。髪をセットすれば洗面所を後にし、着替えが入っていると教えられたクローゼットを開けた。


「……うわぁ」


 思わずそんな声が漏れた。そこにあった衣服は、もうまさに可愛い! と言うような衣装が所狭しと並べられていた。着せ替え人形の服のようにも思えてきてなのははその場に崩れ落ちそうだった。


「…何なんだろう。ここの人たちって…」


 そんな疑問を思いながらもなのはは内心、固い決意を固める。服は自分でどうにかしよう、と。しかし、とりあえずはここにある服を選ばなければいけない。そんな現実から目を逸らしたかったなのはは大きな溜息を吐き出す。
 結局、地味そうなスカートとシャツとカーディガンを纏って軽く身だしなみを整える。そうしていると扉がノックされる音が響いた。誰だろう? と思いながら扉の方まで歩いていく。誰ですか? と問うと、扉の向こう側から声が聞こえてきた。


「高町なのは様。ご起床されておられますでしょうか?」


 聞こえたのは女性の声だった。それになのはは若干安堵の息を漏らす。…ここに来てなんだか男性に対して苦手意識が植え付けられそうで怖いな、と思いながらなのはは返事をして扉を開けた。


「お、おはようございます」
「おはようございます。失礼してもよろしいでしょうか?」


 扉が開けばそこには侍女が立っていた。一瞬、昨日であった侍女の事を思い出すが、あの侍女とは容姿が違う。一瞬息を呑んだが、すぐに平静を取り戻す。これが恐らく佐山の言っていた自動人形なのだろう、と。


「大丈夫です」
「Tes.では失礼いたします」


 なのはの返答を聞けば侍女はすぐに小さく頭を下げた後、部屋へと入り、後ろ手で扉を閉め、改めてなのはと向かい合う。そしてぺこり、と一礼。


「高町なのは様。私は43号と言います。以後、お見知りおきを」
「よ、43号?」
「Tes.私は3rd-Gの自動人形です。貴方様のお世話を命じられました。以後よろしくお願いいたします」
「は、はぁ…」


 名前が数字という事で明らかな戸惑いを覚えるなのは。それに人間とは違うんだな、とどこか漠然と思う。しかし昨日出会ったあの自動人形より怖くは無いと感じる。恐らくそれは表情だろう。
 確かに43号と名乗った彼女は無表情のように見えるが、昨日出会ったあの侍女よりも冷たくはない。それに身体の力が抜けるのを感じた。緊張していたのか、と思うと苦笑がこみ上げてくる。


「高町なのは様。よろしいでしょうか。本日の予定をご確認しますが、よろしいでしょうか?」
「あ、はい。お願いします」
「Tes.これからまず高町様には趙医務室室長に診察を受けていただきます」
「し、診察ですか?」
「Tes.新庄様がご依頼されておりました。お怪我をなさられてた、と心配なさっておいででしたので」
「新庄さんが…」


 怪我の事を気にしてくれてたんだ、と思うと、ちょっと申し訳ないような、有り難いような気がする。あとで会ったらお礼を言っておこう。そう思い、なのはは笑みを零した。


「それでは参りましょう。高町様」
「あ、はい。お願いします」


 ペコッ、と43号に頭を下げてから、なのはは43号に案内されるまま、医務室へと向かうのであった。


 



[17236] 序章「喪失の道標」 04
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/15 10:11
「ふむ…」


 尊秋多学院の学生寮の一室。そこは佐山と新庄の部屋だ。そこで佐山は手に持った資料を眺めて小さな呟きを漏らした。それを見て、新庄が佐山の方へと視線を向ける。


「佐山君。それ朝に届いた資料だよね? どうしたの? それ」
「うむ。高町君の家族構成についての調査を昨日の内に調査して貰っておいたのだよ」
「あ、そうなんだ。で、高町さんの家族ってどんな感じなの?」
「父親は高町士郎。母親は高町桃子。兄に高町恭也。姉に高町美由希と、5人家族だそうだ。彼女の両親はパティシェをやっていて翠屋という喫茶店を営業しているそうだ」
「へぇ…。パティシエさんの娘さんなんだ…」


 新庄が呟きを漏らす。それに佐山が再び資料に目を通して眉を寄せている。新庄はそれを見て思う。佐山君、なんだか変だな、と。だがそこで、変なのはいつもの事か、と思い溜息を吐く。
 いや、だが、それでもおかしい。まるで苦虫を噛み潰したかのような顔をするなんて珍しい。新庄は佐山を観察しながら思う。しばらく新庄は佐山を見つめるだけだったが、埒があかないので問いかけてみる事にした。


「…ねぇ佐山君。どうかしたの?」
「…ふむ。新庄君。この資料を見て私は少し引っ掛かりを覚えてね」
「引っかかり?」


 新庄の問いかけに、うむ、と佐山は頷いて返す。そして佐山が新庄に資料を手渡す。新庄はそれを不思議に思いながら資料に目を通す。


「高町士郎の旧姓は「不破」というらしい。兄である高町恭也も高町桃子とは別の妻の子であり、実質高町君とは異母兄弟にあたるそうだ。高町美由希に至ってはどうも高町士郎の養子らしく、血縁関係は無い」
「へぇ…。で、それで?それに何か引っ掛かりを感じてるの?」
「私が引っ掛かりを覚えているのは高町士郎の旧姓だ。不破…私はこの名字に聞き覚えがある」
「えっ!?」


 佐山が告げた事実に新庄が驚きの声を挙げる。何で佐山君が高町さんのお父さんの旧姓に聞き覚えがあるのだろう? と。佐山は新庄の様子を気にせずに続ける。


「更に言えば、「御神」というのも聞き覚えがある気がする。…勘違いかね?」
「わ、わからないよ。そんなの。だって佐山君じゃないとわからないでしょ? そんなの」
「まぁ、そうなのだがね。…さて、新庄君。私は少し御神について追わなければいけなくなったみたいだ」
「え?」


 佐山は立ち上がる。制服へと着替えながら、佐山は言う。


「御神、というのは古流武術を扱う一族だったらしい。正式な名は「永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術」というらしい。そして御神家は要人の護衛などを勤めていたらしい」
「…それって。まさか、御神の罪って…」
「まだ、確定したわけではないが…可能性としては、御神家が「概念戦争」に関わった要人の護衛を務め、それにより怨まれたという可能性がある。そして高町美由希もまた、高町士郎に引き取られる前の旧姓は「御神」というらしい」
「!?」
「そして、高町士郎は「御神流」の師範を勤めていたそうだよ。つまり高町士郎は「御神流」の剣士だったんだろうね。…旧姓が「御神」ではなく「不破」なのが気になる所だが」


 …それって、と新庄は思う。御神家が要人の護衛を務めて、佐山君が聞き覚えがあるのが本当だとしたら…。


「まさか、佐山君のお爺さんを…?」


 佐山のお爺さん。それは佐山御言の祖父、「佐山薫」の事を指す。かつて10のGを滅ぼした張本人の一人であり「八大竜王」にも数えられている。総会屋を職業とし、数多くの怨みも買っていたと聞かされている。佐山が「全竜交渉部隊」に入る少し前に亡くなったと聞かされている。
 新庄の呟きが聞こえているのか、聞こえていないのか、佐山は学校の用意の手を止めて。


「…さて。新庄君。そろそろ学校に行く時間だよ。行かないと遅刻をしてしまうよ?」


 そう言って佐山は新庄にを向ける。それに、新庄が慌てた様子で時計を見て、わぁっ、と声を挙げてから用意を調えて行く。そんな中で新庄は思う。もし、佐山君のお爺さんの護衛を御神家の人達がしていて、お爺さんの護衛をしていた為に、高町さんが狙われてるんだとしたら…。


(…どうするの? 佐山君、君は…)


 先を歩く背を追う新庄。だがその背は何も返答して来なかった。ただ、いつも通りに彼は歩いていく。新庄は彼の隣に立つ為に少し、歩くスピードを上げるのであった。





    ●





 UCAT本部の中にある医務室。そこである一人の少女が深い溜息を吐いていた。髪は団子のように纏められ、身に纏うのは白衣。口には古めかしいシガレットチョコを咥え、天上を見上げている。
 この少女の名は趙・晴。この医務室の室長であり、つまりは文字通り医務室の主である。趙はガリガリと頭を掻いた後、ふぅ、と息を零した。


「やれやれ、まさか今更になってあの名を聞くだなんて、ね」


 漏れた言葉は苦笑を帯びた口調だった。皮肉った笑みが口元に浮かび、ぱんっ、と額を軽く叩く。その顔にはどこか懐かしむようなそんな表情がある。少女の容姿には少々似合わない仕草だが、何故だか彼女にはそれがよく似合っている。


「…懐かしいね、本当に。いや、本当に久しぶりだ。そうだろう? 佐山…」


 佐山。それを示すのは全竜交渉部隊の交渉役の少年の事なのだろうか? もしくは、別の「佐山」なのだろうか。それは彼女にしかわからない。シガレットチョコを口の中に入れ、噛み砕く。口の中に微妙な味が広がる。
 …梅味か、とシガレットチョコの味を確認しながら趙は溜息を吐いた。同時に、こんこん、とノックの音が響いた。それに趙は気怠げに身体を起こして、医務室の扉をノックしているだろう向こう側の者達に声をかけた。


「空いてるよ。入ってきな」
「Tes.失礼いたします」


 そう断ってから扉が開かれる。3rd-Gの自動人形。そして…一人の少女。それを見て趙は若干目を細める。どこか眩しげにその少女を見つめてから、溜息を吐きだす。きしっ、と椅子が軋む音が医務室の中に響く。


「趙・晴、って名乗れば良いのか? お嬢ちゃん」
「あ、は、はい。私は高町なのはです。は、初めまして」


 初めまして、と挨拶を交わしながら趙は苦笑する。因果かねぇ、と内心呟き、続けて、高町なのは、と心の中でその名を呼ぶ。観察するように趙はなのはをジッ、と見る。
 それになのはは少し戸惑ったように視線を返している。その仕草に趙は口元を歪めた。そして額に当てていた手を払い、白衣で拭ってから、スッと手を差し出した。ニッ、と笑みを浮かべながら趙は言う。


「ま。固くなるこたぁない。気楽に、な?」
「は、はぁ」
「んじゃ、ちゃちゃっと診察するぞ」


 趙の言葉になのはがお願いします、と返し、趙がなのはに背を向ける。趙は口元を歪めた。苦笑の形に、だ。その胸中にはどんな思いがあるのだろうか? …趙は語らない。だからこそ、その思いを知る者は誰もいない。





    ● 





 一方。その頃尊秋多学院では…。


「あぁっ!? 佐山先輩っ!? いきなり何なんですか!?」
「はっはっは。見たまえ新庄君。飛場少年がクネクネしているよ。気持ち悪いね。見物だと思わないかね? こう、殺意が湧いてくるというか、とりあえずその顔面に一発かまして良いかね?」
「あぁっ!? 何なんですかこの唐突バイオレンス劇場はっ!! 誰かヘルプッ! ヘルプミーッ!!」


 何故か木の枝に吊され芋虫状態となっている飛場の姿と、それを見て笑みを浮かべながらシャドウボクシングをしている佐山の姿がある。その佐山の隣にいる新庄は慌てた様子で詰め寄る。


「だ、駄目だよ佐山君っ! というか何だよこのいきなりな展開はっ!? 何がどうなってこうなったんだよっ!?」
「何。単に罠を張り、餌を置いておいたら飛場少年が見事に食いついただけじゃないか」
「あぁっ! まさか「美影さんハイグレード」が餌だったなんて! いや丸わかりだけどそれでも引っ掛かっちゃうのは哀しい男の性っ!!」


 ロープでぐるぐる巻きにされている飛場の手には箱があった。そこには美影の写真が貼ってあり「HG」と書かれた箱であった。それはよくおもちゃ屋などで見かけるアニメのロボットとかのプラモデルが入っている箱とそっくりだ。


「ちょっ!? 誰だよあの大人プラモデル作ったのっ!?」
「鹿島主任だよ。私は新庄君モデルも有しているぞっ!! 装甲服から水着、制服に各種コスプレ衣装も完・全・装・備だよっ!!」
「ふぅん! 凄いね!! 後で全部ぶっ壊すけどっ!!」


 額に青筋を浮かべ、いつも通り佐山のネクタイを高速で締め上げる新庄。佐山が気道を塞がれ、キュッ、といい音が鳴る。佐山が呼吸を出来ずにそのまま窒息死させられそうな状況に追い込まれる中、そこに新たな人影が歩いてくる。


「おぉ? なんだこの飛場吊るし上げショーは? 何だ? サンドバックか? だったら俺も殴らせろ。良いストレス解消になる」
「そうね。覚。前と後ろから同時に攻撃してサンドイッチにしてみない? きっと素晴らしい事になると思うわよ?」
「ちょっ!? 出雲先輩に風見先輩あんまりですよっ!! 可愛い後輩になんて事をするつもりなんですかっ!?」


 歩いてきた人影、出雲と風見の台詞に飛場がクネクネと身を捩らせながら言う。それを見てから出雲と風見は顔を見合わせる。はぁ、と呆れたように二人は示し合わせるかのように溜息を吐き出す。


「覚。アンタ後輩にサンドバックなんていたんだ」
「いや。俺は知らねぇな。幻聴じゃねぇか?千里」
「鬼だぁぁーーっ!! 人権を主張しますっ!! 世界はラブアンドピースッ!!」
「おいおい。サンドバックは人じゃねぇから人権は主張できねぇぞ?」
「そうよ? サンドバックはサンドバックらしくボコられてなさい?」


 出雲と風見の台詞にドナドナを歌い出す飛場。プラーンプラーン、とロープに縛られた彼の身体が揺れている。
 そんな事をしていると、ようやく新庄から解放されたのか、佐山がネクタイを直しながら飛場へと向き直る。コホン、と咳払いをして。


「さて。悪ふざけはここまでにしておいて…飛場少年。君に聞いておきたい事がある」
「何ですか? 答えたらこれ外してくれますか? 答えますから外してください!!」
「はっはっは。何を言っているのかね飛場少年。君が答えるのは当然の事。何故当然のことに報酬を払わなければいけないのかね?」
「お巡りさーーーーんっっ!! 助けてーーっっ!! 頭に血が上るーっ!! 天に地があるーっ!!これぞ天地絶叫ーーーっ!?」
「良い感じにハッスルするのは構わないが、私の質問に答えて貰おうか。飛場少年。君は「御神」、そして「不破」という姓に聞き覚えは?」


 佐山の非情な返答に飛場が叫ぶ中、佐山はに指を二本立てながら問いかける。それに飛場が真面目な顔になって、佐山を見つめる。しばらく黙り込んでいた飛場だったが、ゆっくりと口を開いて。


「…すいません。頭に血が上って思い出せません。下ろしてくれたら思い出しちゃうかもっ!!」
「出雲。風見。遠慮無くやりたまえ」
「「Tes!!」」
「イィィーーーーヤァァアアーーーーーッッッ!!!!」


 佐山の指示に良い返事を返す出雲と風見。思い切り身体を揺らしながら飛場の叫び、悲鳴が響き渡る。だがそれを無視するかのように風見のミドルキックが、それと同時に出雲のストレートが飛場にたたき込まれる。
 左右から挟まれたその攻撃に、飛場は白目をむき、ビクンッ、ビクンッ、としながらブラブラと揺れる飛場。余波に絶えかねたのか、ロープがブチン、と千切れて飛場が落下する。ベチンッ、と良い音を立てながら地面に落ちて痙攣する。
 その様子を見た新庄の感想は、潰れたカエルだった。新庄がそんな事を思っているうちに、佐山が飛場へと近づいていき。思いっきり足を振り上げる。その下にはプラモデルを抱えた飛場の手がある。


「さぁ。プラモを破壊されたくなくば答えるんだ飛場少年」
「Tesッ!! Tesですから止めてッ!! 一生物の宝物ですよっ!! 値打ち物ですよっ!!!!」


 半ば涙目で抗議しながら起き上がる飛場。身体をほぐすかのように身体を動かしてから、ふぅ、と息を吐いて頭を掻く。その顔には一切の巫山戯た様子は無く、真剣な表情がある。


「…どっちも覚えがありますね。佐山先輩はどこでその姓を?」
「詳しくは覚えていない。ただ…恐らく私の祖父関係だと思っている」
「奇遇ですね。僕も爺さん伝いですよ。よく覚えてませんけど、昔、口にしてた記憶があります」


 その飛場と佐山の言葉を聞いて新庄が息を呑む。出雲と風見は互いに眉を寄せる。


「おい馬鹿佐山。どういうこったソレ」
「御神ってなのはちゃんの言ってた御神でしょ? 何でアンタ等二人が聞き覚えあるのよ? しかもどっちともお爺さん関係で」
「おや。わからないかね。二人とも。何、簡単な事だよ」


 出雲と風見の問いかけにに佐山は溜息を吐き出して二人の質問に答えた。


「御神は私の祖父、そして飛場先生との関わりがある。それがどういった関係かは定かではないが…「概念戦争」に僅かながらかもしれないが関わった形跡がある。そういう事だよ」





    ●





「これ張っておけば明日には全快するよ。今日はこれで大人しくしておきな」
「あ、あのこれだけで怪我が治るんですか…?」


 医務室でなのはは戸惑ったように趙の顔をのぞき込んでいた。なのはの身体には包帯が巻かれ、そして符と呼ばれた物が張られていた。これだけで治ると言われても…と言った顔をするなのは。それに趙は若干眉を寄せる。


「何だい。私の治療が信用出来ないって言うのかい?」
「い、いえ。そういうわけじゃないんですけど…」
「なら大人しくしておきな。大丈夫。治癒用の概念を込めた符さ。良く治る、ってね」
「はぁ…概念、ですか」


 そうなる。と決められた事象。究極の理由、概念。未だピン、と来ないが、そういうものなのだと納得するしかない。なのははそう思って溜息を吐いた。それを見て趙はきぃ、と椅子を鳴らして、楽しそうになのはを見る。


「馴れないかい?」
「え? ま、まぁ…」
「そうかい。まぁ、ここは変わり者が多いしね」
「ま、まぁ…」


 ここでの出来事を思い出してなのはは苦笑する。それに趙がなのはの顔をのぞき込むように見てから、身を乗り出してそっと手を伸ばす。そして、ぽん、とその頭に手を置いて優しく髪を撫でる。


「負けんじゃないよ」
「え? あ、はぁ…ありがとうございます」
「よし。なら見学でもしてきな。明日には身体の調子も戻ってるよ」


 そう言って手を離し、離した手でヒラヒラ、と手を振って趙がなのはに背を向ける。それになのはがもう一度お礼を言ってから、背後で控えていた43号に声をかけて医務室を後にしていく。
 ぱたん、と扉が閉められた音が聞こえれば、趙は手の平を見つめる。先ほど、なのはの頭を撫でた手だ。それをギュッ、と握りしめてから、溜息を吐いて。


「…負けるんじゃないよ、本当に。…アンタがきっとこれから背負うだろう事は、きっとそんな軽いもんじゃあないんだからさ」


 机の中に仕舞ってあったシガレットチョコを咥えて呟く。ガリガリ、と頭をかいて。フゥッ、と息を吐き出す。何気なしに彼女は思う。煙草吸いたい、と。だがあいにくここは医務室。吸う訳にはいかないと、彼女はシガレットチョコを噛み砕くのであった。





    ●





 医務室を後にしたなのはは43号と共にUCATの施設を一回りし終えて宛がわれた部屋へと戻っていた。部屋に戻り、なのはは43号に説明されてきた物の数々を思い返して思わず感嘆の溜息を吐く。
 UCATには武力がある。概念を用いた概念兵器だ。概念兵器は概念を内蔵する事によって戦闘力を発揮する武器である。その系統は大きく分けて「機殻(カウル)」の名を冠するタイプと、そうでないタイプに分けられる。
 まるでデバイスのような形をした物と、まったく違う、普通の刀とかの形状の物もあり、驚きを覚えた。概念は使用者を限定しない。扱おうと思えば誰でも扱える物である。
 概念の中には概念核という物がある。概念核というのは、1stから10thの世界の各Gに1つずつ存在する巨大かつ強力な概念の塊である。世界そのものとも言えるその能力は強大を極め、自我を持ち、担い手を自ら選定する。全竜交渉部隊のメンバーもその概念核を宿した概念核兵器を用いているという話だ。
 なのはは今日聞いた世界の事を思い出す。1stから10thの世界について43号から説明を受けたのだ。この1stから10thの世界はどうやら、このLow-Gで伝わる神話や伝説の元となった世界らしい。その理由Low-Gが他のGが貯めた負荷を落とすらしく、その為に神話や伝説となって残るらしい。
 なのははふと、43号から手渡された各Gの詳細が纏められた報告書を思わず手に取った。


 「1st-G」。表記された文字が力を持つ世界。ニーベルングの災いの原型となった世界。テーブル嬢の大地を空が覆う内向型構造の世界で、星はドームに張り付き、太陽は地下道を通って周回するという。だが月は無い。
 精霊が実在し、人は精霊と対話する事で説得し、自然を操る事が出来たという。半竜などの種族が確認されている。

 「2ndーG」。名前が力となり、それが意味する内容を自分の能力として使用する事が出来る世界。古事記、日本書紀の原型となった世界。広い大地とどこまでも続く空があり、Low-Gとあまり大差は無い。自らの世界を巨大なバイオスフィアとして改造した。人種的にも日本人に近く、比較的早くにこの世界に慣れたという。

 「3rd-G」。金属の命と意志を宿し、更に行動するために軽度の重力制御能力が与えられる世界。ギリシャ神話の原型の世界だと聞いた。ある一定まで続く空に幾つかの大陸が浮遊する世界で、過去には海も存在していたらしい。人口が少なく、そのために労働力などを養う為に自動人形や、武神と呼ばれるロボットを開発した。技術力に関してはかなり抜き出ており、概念戦争でも積極的に参加した。
 
 「4th-G」。 植物に自我と行動力を持たせ、動物化させる概念を有した世界。アフリカ神話の原型とされている世界。太陽としての機能を持つ恒星を中心に、3つの環状大地が回転する世界構造をしていた。環状大地は概念核によって動物化した植物で覆われて、環状の内側には川が流れていた。各大地で生態系に差異が生じると他の大地の交差時にそれを交換し、生態系を均一化していたという。
 4th-Gには人類が存在せず、動物化植物、通称「草の獣」のみが住んでいた。

 「5th-G」。自らの意思によって落下する方向を定め、使いこなせば飛行すら可能とする概念を有した世界。ネイティブアメリカンの神話の原型とされる世界。大気のある宇宙空間に2つの隣接する惑星が浮かぶ世界構造をしている。5th-Gの人々はそれぞれの星を居住惑星と資源惑星に使い分けていた。概念戦争中は資源惑星は防衛基地、居住惑星は生産基地として改造されたとも聞いた。航空手段として、機竜と呼ばれるロボットの竜を開発した。機竜は単体で圧倒的な戦力を誇る、概念武装の中でも最高位に属する。

 「6th-G」。輪廻転生の概念を有した世界。インド神話の原型とされている世界。世界は2つの川にはさまれた停滞の空間と呼ばれる生物が存在する通常空間の両側を、死亡した魂が送られる破壊の空間、魂に肉体を与える再生の空間で挟み、魂は3つの空間をめぐり続けていた。

 「7th-G」。詳しい概念の詳細はUCATでも把握して無いらしく、どういった概念があるのかは不明。中国神話の原型とされている世界。起伏を持った階層構造型の世界で、8層に連なった大地の上には天山と呼ばれる巨大な山と川が流れる天井の階層があった。9つの大地には人間が生きるのに最高の環境が広がっており、人々はそこで生活していた。天体に関しての情報は明記されていない。生体改造と人造生物の開発に特化した文化を持つ世界で、7th-G人類のほぼ全ては仙人、仙神と呼ばれる一種の技術者だったという。

 「8th-G」。熱エネルギーに意思と行動力を授け、生物化させる概念を有した世界。アボリジニ神話の原型とされる世界。8th-Gは無の空間に熱エネルギー体、通称「ワムナビの遣い」と呼ばれる者達が浮遊する世界。砂粒サイズから惑星サイズまで大小多数の「ワムナビの遣い」は何も無い空間の中で熱を発し続ける事によって生命を持続させ、熱が弱まってくると冬眠して消滅を免れていた。4th-Gと同じく8th-Gには人間が存在せず、「ワムナビの遣い」だけが存在していた。

 「9th-G」。光と闇、熱と停止に関する内容の概念を有した世界。中東ゾロアスター神話の原型とされる純戦闘系の概念が色濃い世界。光熱と闇が切り替わる空間に球状大地が存在する世界で、天体は一切無く、空そのものが太陽と夜闇の特性を担っていた。昼は暑い、夜は冷たい、水源は限られているという厳しい環境であった。

 「10th-G」。加護と治癒の効果を持つ概念を有していたと思われる世界。北欧神話の原型とされるGで、1st-Gが民話や伝説のGであるのに対し、こちらは本当に神々が住む世界であったという。概念核を保有する世界樹を主軸にして天上、地上、地底の3層からなる。天上に住む神々は人間達を管理し、天上と地上は繋がっていた。また地底には罪を得た死者と巨人達が住んでいた。地上には人間などが存在していた。





「…概念戦争、か」


 呟きを漏らしてから、なのはは書類を置いて、ゆっくりと手を握り、開き、また握るという動きを繰り返す。それをぼんやりと眺めてから、ふぅ、と溜息を吐く。
 思う。知ってしまったと。世界が滅びるかもしれないこの戦いの事を。それを知って…? それから自分はどうしたいのだろうと考える。
 いや、既に決まっていたのかもしれない。きっと、それを願っていた。顔を上げる。そのまま部屋の扉の方へと近づいていく。身体の方は趙の治療によって万全へと近づいている。
 …行かなきゃ。誰に急かされるわけでもない。だが、なのはは急かされるように扉へと手を伸ばした。
 その時に、ドアをノックされる音が響いた。なのはは一瞬驚いたように身を竦ませた後、誰ですか? と扉の向こうに声をかけた。


「あ、なのはちゃん? ボク、新庄だけど入って良いかな?」
「…新庄さん?」


 扉の向こうから聞こえてきた声になのはは一瞬目を丸くさせてから、すぐに表情を普通の表情へと戻して、新庄に答えを返す。


「はい。私も、ちょっと話したい事があったので」
「佐山君も一緒だけど良い?」
「はい。佐山さんにも聞いて欲しかったので大丈夫です」
「なら、入るね」


 ドアが開くと新庄がいる。その後ろには佐山がいる。それを見てからなのはは道を開けて二人を部屋へと通した。佐山と新庄は部屋に入るなり、辺りをぐるり、と見渡してそれぞれ呆れたような表情を浮かべた。


「…やれやれ。何をやっているのかねUCATの連中は」
「…もう。何、これ」
「あ、あははははは……」


 二人のツッコミになのはは苦笑を浮かべる。フォローの仕様がなかった。とりあえず、二人は床に座り、なのはもまた、二人と向かい合うように座る。視線が交わされ、佐山が口を開く。


「高町君。君の言っていた御神、なのだが…私の方で現在調査を進めている」
「…はい」
「それで恐らく御神というのは恐らく御神家の事だろう。古流剣術を受け継ぐ一族で、ボディーガードの仕事などを多く勤めていたという事がわかった」


 それを聞いてなのはの脳裏に浮かぶのは家にある道場。そして兄や姉が木刀を持って稽古を行っている風景。そういえば兄は父から剣術を習ったと聞いた事がある。…つまり。


「…じゃあ、多分お父さんはその御神家の人間だったんですね」
「正確にはわからないが、君のお父さんは確かに御神流の剣士だったようだ」
「…そうですか。じゃあ、御神の罪って…」
「恐らくだが、御神家の誰かが概念戦争に何らかの形で関わっていたのだろう」


 そうですか、となのはは佐山の言葉に呟きを返す。唇を引き結び、視線を落とす。それに新庄が心配したように少し身を乗り出して、心配げになのはの肩に手を置く。


「えと、なのはちゃん。大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」


 新庄の心配する様子になのはが首を振って返して。それから、息を吐いてから、二人を見つめる。その表情はまるで何かを定めたような表情だ。


「あの、佐山さん。新庄さん。私からも少し良いですか?」
「何かね?」
「どういった経緯から私が狙われたかはまだ詳しくはわかりませんが、狙われているのは事実ですよね?」


 それに佐山が頷く。新庄が心配げに見てくるが、なのはは表情を動かさない。ただ、ひたすらに真っ直ぐ、佐山と新庄を見つめて、彼女は口にした。


「私も…UCATに入れて貰えませんか?」


  



[17236] 序章「喪失の道標」 05
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/16 10:02
 なのはが何を言ったのか、一瞬、佐山も新庄も理解する事が出来なかった。ようやくなのはの言葉の意味を理解した2人だが、先に行動を起こしたのは新庄だった。


「な、何を言ってるのっ!? なのはちゃんっ!?」


 なのはの言葉を聞いて新庄は声を荒らげて立ち上がった。なのはを真っ直ぐと見て、顔を驚きの色に染めている。対してその隣に座っている佐山は冷静な様子のまま、なのはに視線を向けていた。
 そして佐山は問う。なのはの真意を伺う為に。

「UCATに入りたい、というのは…それは、自らも概念戦争に参加すると、そう言いたいのかね? 高町君」
「…はい」
「っ!? 自分が何を言っているかわかってる!? 遊びじゃないんだよっ!? もしかしたら死ぬかもしれない! 誰かを殺すかもしれない! そんな場所に君は入るって、そういうの!?」


 新庄が改めて座り直し、なのはを真っ直ぐに見つめながらなのはに言う。なのはは一瞬身を震わせたが、ゆっくりと静かに頷く。なのはの頷きに言葉を失ったかのように、新庄が口を開けたままなのはを見つめる。
 そこにはありありと信じられない、という思いが溢れている。その新庄の様子に一拍の間を置いた後、佐山は再び問いかけを投げかける。


「問うて良いかね? 何が君をそこまでさせるのかを」
「佐山さん…」
「世界が滅ぶかもしれない、と聞いて落ち着かない、だから動きたい、自分に何か出来るかもしれない。そう思っているならば…君を戦場に出すわけにはいかない。子供染みた正義感では何も救えない。ハッキリ言おう。君はただの…足手まといだ」


 ハッキリと佐山は否定の言葉をなのはに告げる。なのははそれを聞いて、ギュッ、と拳を握る。新庄が不安げになのはを見ている。佐山もまたなのはを見つめている。
 しばらくの間、沈黙の時間が流れる。なのはも、佐山も、新庄も、誰も一言も話さない。その沈黙を打ち破るように、なのはは閉じていた口を開いた。


「…私は…」
「私は、何かね? 君は何故戦いたがる?」
「私は、止まれないんです…」
「…止まれない?」


 新庄はなのはの呟きの意味がわからず、もう一度同じ言葉を繰り返す事で問いかける。新庄からの問いかけになのははゆっくりと顔を上げた。そして、二人を見つめた後、息を吸ってから瞳を閉じる。それはまるで自らを落ち着かせるかのように思える。
 そしてなのはの口から飛び出てきたのは…佐山も新庄も予想しなかった事実だった。


「私は…佐山さん達と出会う前に…異世界の存在を知っていました」
「え!?」
「…どういう事かね? 君は概念戦争については一切知らなかったのだろう?」


 新庄があからさまに驚きの声を挙げ、佐山がやや眉を寄せながら問いかける。佐山からの問いかけになのははゆっくりと頷いた。閉じていた瞳を開き、前をむき直してからなのはは説明を続けた。


「嘘をついていたわけじゃありません。確かに概念戦争の事はまったく知りませんでした。10あるGの存在なんて知らなかった…。だけどその他の異世界と私は関わっていたんです」
「10のG以外の…異世界?」
「ミッドチルダと呼ばれる異世界でした」
「ミッドチルダ?」


 なのはは新庄の呟きに答えるように頷く。そしてなのはは語った。佐山と新庄に己が知りうる全ての情報を語った。
 3年前。森の中で助けた怪我を負ったフェレット。実はそのフェレットは魔法使いが変身した姿であり、その魔法使いが追っていた「ロストロギア」と呼ばれる世界を滅ぼすだけの危険な古代に作られた遺失物。そのロストロギア「ジュエルシード」の巻き起こす事件に関わり、そこで「魔法」の力を得た事…。
 そしてジュエルシードを追う内に、古代遺失物を管理し、ミッドチルダと呼ばれる世界から発足した組織「時空管理局」と接触。ミッドチルダを中心とした無数の次元世界を管理し、次元世界の平和と調和を守るという信念を掲げた組織との邂逅。そして時空管理局に民間協力者として協力し、後に更なるロストロギアの起こす事件に巻き込まれ、管理局へと入局する決意した事。
 そして今は自らの重ねた無茶の結果、魔法を扱う為の「魔力」を失った事。その全てをなのはは佐山と新庄に語った。新庄は終始驚いた顔のまま、無言で聞いていた。佐山は表情すら動いていない。なのはは2人に気にせずに、自らの思いを吐き出すように言葉を続ける。


「私は今の自分が無力だってわかってます。役に立たないって、足手まといだって、わかってます」
「なら、何で…?」
「困ってる人がいたんです。それを助けられる力があったんです。でも、無くしてしまったんです。困っている人がまだいるのに…泣いている人がいるのに…私は…なにも出来なくて…止めたいのに、誰の涙も止められなくて…こんな筈じゃなかったのに、誰も、泣いて欲しくなかったのに、私は、泣かせて…しまったんです」


 声が震えているのが自分でもわかる。抑えられない感情がここにある。戸惑いと哀しみと不安と。混ぜ合わせて、それが震えて、涙を零し、声を震わせる。溜め込んでいた物が、それを押さえ込んでいた心が…静かに罅入る。
 言葉が支離滅裂になってきているのをどこか冷静な自分が認めているのがなのははわかった。それでも震えだした心は、決壊し出した心は留まる事を知らないかのように言葉を紡ぎ続ける。


「私は誰にも泣いて欲しく無い。だから、強くなりたいんですっ! 力が欲しい…足手まといで良い。戦場に出れなくても良いんです。見捨ててくださっても構いません! ただ、このまま終わりたくないんですっ! だからチャンスを私にください!」


 なのはの握りしめた手が震える。声すらも震えている。この震えは悔しさなのか、哀しみなのか。それともまた失ってしまう恐怖か。あるいはその全てか。それともまったく検討も付かない震えなのか。
 震えるなのはを見て新庄は思う。何でこの子はこんなに小さいのにこんな重い物を抱えているのだろうと。この頃の年頃の子供はまだ親に甘えても良い筈の歳だ。なのに誰かを救わなきゃと抱え込んでしまっている。


(止めるべきなの? だけど…それは正しいの? 本当になのはちゃんの為になる?)


 止めるべきだ、と思う自分がいる。子供がそんな重荷を背負う必要が無い。誰かを救わなければならないと思う必要など無い。自分の幸せを願った方が良いという自分。
 しかし彼女は怯えている。自分が必要とされなくなる事に。それと違うんだよ、と新庄には言えるのか? 彼女に新たな価値観を示す事が自分には出来るのか? わからない。そんなのわかる訳が無い、と新庄は悩む。
 止めるべきだと思う。だが、止める為にどのような言葉をかけて良いのかわからない。本当に止めた所でそれは正しいのかどうかもわからない。だからこそ新庄はなのはに対して何も言えない。言える事など無いのだ。
 言葉を無くした新庄の代わりに口を開いたのは、新庄の隣に座る佐山だ。彼は鋭さを帯びた目に更に鋭さを帯びた視線でなのはを見て、問いかける。


「君のその覚悟は嘘偽りは無いかね?」
「さ、佐山君っ!?」
「…はい」
「なら私は、君が躓いても手は貸さないし、道も教えない。ただ後を付いてくるなら勝手に付いて来たまえ。私はただ君を気にせずに歩いて行こう。そこで諦めるも、付いてくるも君次第だ。高町君」


 なのはから帰ってきた問いに佐山はいつもと変わらぬ様子で告げる。だが、それに黙っていられないのが新庄だ。佐山へと視線を向け、信じられない、という表情で佐山に詰め寄って。


「佐山君、本気っ!? まだなのはちゃんは小学生なんだよっ!? それを…っ」
「なら新庄君。彼女に諦めろ、と言うのかね?」


 佐山の言葉に新庄は唇を噛む。止めるべきだと思う。だが、本当にそれは正しいのか? と。彼女の抱えている物は酷く重たい。本来抱えるべきではない筈の物を抱え込んでしまっている。ならそれを捨てろと言うべきなのだろう。だが、彼女はそれを望んでいない。ならば認めて佐山のようにすべきなのか?
 答えは出ない。言葉を紡ぎたくても、何も言葉が出ない。新庄はなのはに対してかける言葉を見つけられない。だがそれでも納得が出来ない。


「まだ小学生だよっ!?」
「そうだね。だが新庄君。世界には少年兵という物もある」
「だからってっ!!」
「私は別に彼女に許可を出した覚えは無い。勝手にしろ、そう言っただけだよ。彼女の決意が本物なら私達に付いてくるだろうし、嘘ならばそこで止まるだけだ。どちらにせよ私は構わない」


 止めもしないし、求めもしないと。佐山は言う。それは、確かにそうかもしれない。全ては彼女が選ぶ事だと…。
 だが、と新庄は思う。まだ彼女は子供だ。護らなければならない対象だと思う。この年の子供は大人に庇護されていて良い筈だ、と。
 だからまだ自分の人生を決めるには早すぎる、と。それでは駄目だ、と思う。だが、止められない。わかっているのだ。この少女を止める為の言葉が見つからないと。


「新庄さん」
「…っ」
「ありがとうございます。私の事、気を遣ってくれてるんですよね…。でも、ごめんなさい」
「なのは、ちゃん…っ」


 新庄はなのはの名を呼びながら唇を噛む。止められない震えが来た。どうして、と心が叫ぶ。そんなの間違いだ、って。君が戦わなきゃいけない理由なんてどこにも無いのに。君はまだ甘えて良いのに。
 だが、それは伝えられない。届かないとわかるから。納得して貰えないとわかるから。だから新庄は震える。どうしようも出来ない自分を呪って。そんな新庄の手をなのはは優しく握った。新庄がなのはを見ると、彼女は申し訳なさそうな顔を浮かべて。


「ごめんなさい。…ありがとうございます。でも…やっぱり、ごめんなさい」


 なのはが紡ぐ言葉の意味がわかるからこそ、新庄はこれ以上、ここにいる事が出来なかった。なのはの手を振り払い、そのまま部屋の入り口へと駆け出し、扉を開き、走る。後ろを振り返る事もなく、ただ、悔しさを胸に抱いて。
 走り去っていく新庄を見送った後、なのはは顔を伏せて、その場に再び座り直した。座り込んだなのはを佐山は無表情で見つめていた。なのはも改めて、佐山へと視線を向ける。


「…佐山さん」
「何かね? 高町君」
「私は、間違ってますか? 泣かせたくないのに、こうして泣かしてます。諦めてしまえば良い。でも……」
「答えは君が考えたまえ。先ほど言っただろう? 君が私達を追いかけるならば好きにしろ、と。ならその答えも自分で考えたまえ」


 佐山の言葉になのはは無言で頷く。佐山の言葉が最もだ。これは誰かに問うものではない。自分が、自分自身で見つけて出さなければいけない答えなのだと。
 話は終わった。そう言わんばかりに佐山は腰を上げて部屋を後にしようとする。ふと、その直前で佐山は振り返り、なのはの方へと身体を向ける。


「佐山の姓は悪役を任ずる」
「…え?」
「私の祖父が私に教えた事だ。佐山の姓は悪役を任ずると。私は悪役であると。ならば私は悪役としての責務を果たそう。君が望み、私もそれを望んだ時、私は私に望もう。君が力を求める時、それを認めるなら私は君に力を与えよう。もし、君が手を貸して欲しいと思ったとき、君に手を貸したいと思えば君に手を貸そう。君が一人で歩きたいと望んだ時、君を思うならば君を突き放そう。私は君に何も要求しない。私は私に要求する。 基礎に礼節を敷き応用には信頼を広げよと。 佐山の姓は悪役を任ずる。ゆえに刃向かわぬならばただ与えよ、──されば奪われぬ」


 なのははただ呆然とその台詞を聞いていた。悪役であるという相手のその瞳を見つめて、そして思う。この人は、恐らく間違っている。何故だかそう思ってしまったのだ。それは理屈ではなく直感的な何か。
 だが、だからこそとなのはは思う。彼は間違っている。だが間違っているからこそ正しく、そして今の自分にとってそれは1つの幸いであるという事が理解出来る。私が望んだからではなく、私が望み、彼がまた望んでくれる時、応えてくれると。それが無性にただ嬉しかった。


「…佐山さん。ありがとうございます」
「礼はいらない。君はただ望み、私はそれを叶えただけだ。そして、ここから先は君の戦いだ。私の関与する所では無いよ」
「…はい」


 ゆっくりと、だが確かな返答を返すなのは。そのなのはの返答に佐山はフッ、と僅かに口の先を吊り上げて。


「Tes.」
「…え?」
「UCATに属する者ならば返答はこう返す。テスタメント、またはテス、とね。聖書では契約という意味だ。我はここに契約せり、だ」


 覚えておきたまえ、佐山はなのはに告げる。佐山の言葉を聞き、なのはは1つ、頷きを返す。Tes.と、契約の言葉を口にし、返答として返す。それは…自らに誓ったハジマリの言葉となった。





    ●





 なのはの部屋を飛び出した新庄はUCATの自動販売機の前のベンチに座っていた。なのはの手を振り払い、ここまで走ってきた。走った事で失った空気を肺に吸い込み、体に酸素を送り込む。
 ゆっくりと身体に足りない酸素を送り込む。呼吸を繰り返す新庄の心の中にあるのは、罪悪感と無力感だった。なのはを止める事が出来なかった、と。
 前も、同じような事があったのを思い出していた。その時、止めれなかった為に一人の命を失いそうになった。その時は運良くその命は救われたが…今度はあの少女を失うかもしれない。
 どうしていつもこうなんだろう。新庄は思う。泣きたくなる程に、ただ無力なのが悔しかった。


「一杯飲むかね?」
「うわぁあぁっ!?」


 そんな事を考えていると背後から首筋に、ピタッ、と何か冷たい物が当てられ、新庄は悲鳴を上げて振り返る。そこには缶ジュースを手に持った佐山がいた。それを見てから新庄は安堵したかのように溜息を吐き、怨みがましい視線を佐山に向ける。


「もう、何なんだよ佐山君。いきなり…」
「何。新庄君が黄昏れているのでね。あまり邪魔してはいけないと思ってこうしたまでだ」
「もの凄い迷惑だよっ!!」


 はぁ、といつもの調子の彼に溜息を吐いて新庄がベンチに座り直す。その隣に佐山も腰を下ろす。佐山は手に持っていた缶のプルタブを開け、喉を鳴らしながら呑んでいる。その様子を眺めつつ、新庄は溜息を再度吐く。顔を俯かせて、両手を包み込むように握り合わせて。


「…なのはちゃんは?」
「さてね。私が出てくる時には普通であったよ。新庄君の事を気にしていたようだったがね」
「…何で、あの子はそうなんだろう。他人ばっかりで、どうして自分の事を考えないんだろう?」
「それは私達にはわからない。私達は彼女ではない。彼女が何をどう思い、何をどう考えているかは付き合いも浅い私達にはわからない。ただ、自分を疎かにし過ぎている、というのは私も認めるがね。あれは戦場に出れば真っ先に死ぬタイプだね」
「…そうだってわかってるならなんで止めなかったの?」


 佐山の言葉に新庄がギュッ、と手を強く握りながら問いかける。佐山と新庄。佐山が悪役であるならば新庄はその真逆だ。正しき悪と、過つ正義を貫く者として、対になるように彼等は共にある。佐山がそう望み、また新庄がそう望んだように。新庄は自らに出せぬ答えを佐山に問う。それに佐山は肩を竦めて。


「運が良い事に彼女は死なずここにいる。…だが、それが永遠に続くとは限らない。いずれは彼女は死ぬだろうね。戦場に立ち続ける限り。良くて再起不能の大怪我を負って前線を退く形かね?」
「だからっ! どうしてそれをわかってて止めなかったの!?」
「止めて聞く性質では無い。短い付き合いだが、彼女の態度からそれはわかる。ならば私達にはどうする事も出来ない。ただ彼女が望むなら叶えるだけだ。それが彼女の死という結果であろうとね」
「そんな…」


 佐山の言葉に新庄は絶句する。それは間接的にでもなのはを見捨てたって事になるんだよ? と。
 新庄は思う。それは認めて良い物なのか。それは間違っていないのか、と。新庄の様子を察したのか、佐山はふぅ、と溜息を吐いて。


「新庄君。君は正しい。…そして私が間違っている。それで良い。君は君なりのやり方で彼女を手助けしてやれば良い。私は悪役として彼女を助けよう」
「…佐山君?」
「私は飛場先生の所に高町君を行かせるつもりだ」


 一瞬、新庄は佐山が言った事の意味がわからなかった。佐山が飛場先生と呼ぶ者。それは全竜交渉部隊にも所属している飛場竜司の祖父にあたる老人、飛場竜徹の事を指す。
 かつて概念戦争に参加し、3rd-Gを滅ぼした為、「八大竜王」の一人に数えられ、現在は奥多摩に飛場道場という道場を構えている。かつて佐山を鍛えた人物である。
 その人の所になのはを向かわせる。その意味を捕らえようとして新庄が思考している間にも、佐山は言葉を続ける。


「飛場先生には手加減抜きで高町君を潰して貰うつもりだ」
「ちょっ、ちょっと待ってっ!? ど、どういう事だよ佐山君っ!?」


 手助けするって今言ってたのに潰すとはどういう事だ、と新庄が佐山に声を荒らげて問いかける。それに佐山は肩を竦める形を取り、ふぅ、と息を吐いて。


「言っても聞かないのなら現実を教え込むだけだ。飛場先生のしごきに耐えられるのならば彼女は本当に力を手に入れる事が出来るだろう。そして駄目な場合は潰されるだけだ。どっちにしろ、彼女はこれに打ち勝たなければ力を得る事すら許されない」
「佐山君…」
「彼女の為、とは言わないよ。ただ短期間で邪魔にならない程度に仕上げるには飛場先生が一番だと思ったまでだ」


 佐山はそこで口を閉ざした。新庄は何も言う事は出来なかった。もし、なのはが飛場竜徹の出す試練に耐えられなかった場合は力を持つ事すら許されない。下手したら死んでしまうかもしれない。実際佐山は飛場竜徹に山の中に一人置いて行かれた経験があると語っていた。


「それぐらい耐えてもらわなければ、この概念戦争には生き残れまい」


 その言葉に新庄はただなのはの安否を気遣う事しか出来ない。自分には彼女にどうしてあげられれば良いのかまだその答えを出せないから。
 そんな新庄を横目に佐山は携帯を取り出していた。それを見て、新庄は首を傾げて佐山の方へと視線を向ける。


「…何してるの?」
「あぁ。高町君のご両親に報告しておこうと思ってね。先ほど最終確認を取ろうと思ったのだが…彼女はここに残ると決めた。ならばこちらで預かると、ね。それに…」
「それに?」
「確かめたい事があるからね。…高町士郎。御神家は私の祖父とどのような繋がりがあるか、貴方は知っているのかね?」






[17236] 序章「喪失の道標」 06
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 09:48
 海鳴市。そこの一角にある一軒家、高町家。その家では現在、高町士郎だけが在宅している。他の家族の面々は姿を消したこの家の末女、なのはを探している為、今、この家にはいない。
 そこで何故士郎が残っているのか? それはもし、なのはが誘拐されていた場合、身代金の要求があるかもしれない。そう言った時の対処で尤も冷静であれるのは士郎であろう。という結果から、士郎は自ら家に残る事を決めていた。
 本当はすぐにでも飛び出して娘を捜したい。だが、ここで待つ事もきっと実りになるのだと信じて士郎はただ縁側に座っていた。身動きせず、自らを落ち着かせるかのように。


「…なのは」


 その中で静かに行方を眩ませた娘の名を呼ぶ。今思えば、なのはは自分と良く似ている、と思う。良い子に見えて、実はその中身は結構な我が儘だ。だが、それを押し込めてしまっている。
 …あの日。士郎がボディーガードの仕事に就き、テロに遭い、重傷を負ってしまったあの日から。それからなのはは我が儘を言わなくなり、良い子になろうとし、自ら抱え込むようになった。
 俺の責任だ、と。士郎はそれを思い出す度に悔やみ、それが何にもならないと理解しつつも、そう思う事を止められず、そんな自分に苦い感情が宿る。それはずっと抱え続けてきたもんだが、最近になって更に重くその感情が滲み出てくるようになった。
 魔法使い。なのはが踏み込んでしまった異世界。それによって得られた物はあまりにも重かった。そしてそれを失った。支えきれず、崩れ、その身すらも砕きかけて、なのははそうして全てを失った。
 止めるべきだった、と何度思っても時は返らない。そして、きっと止めても無駄であったのだろうと士郎は思う。あの子は自分に良く似ているから。だからこそ止まらないのはわかっている。頑固だからな、と士郎は思い、苦笑する。


(なのは…今、お前は何をして、何を思ってるんだ…?)


 今ここに居ない娘を思い、士郎が空を見上げた時だった。
 電話の、音が鳴り響いた。
 士郎はすぐさま立ち上がり駆け出す。電話の前に立ち、自らの動きを一度制止させる。ゆっくりと息を吐き出し、自らを落ち着かせる。それから、ゆっくりとした動作で受話器に手を伸ばし、そして電話を耳に当てた。


「…もしもし。高町ですが」


 返答。一体誰からだ? なのはか? 不安と期待を思いながら相手の返答を待つ。受話器の向こう側から息づかいが聞こえる。そして、その後すぐに電話の送り主は返答を返した。


『もしもし。私は佐山と言う』


 士郎は動きを止めた。受話器を持つ手が震え、目が驚愕に見開かれる。士郎に脳裏にある光景が浮かんだ。それはまだ士郎がボディーガードを勤めていた頃の話だ。一人の老人がいた。鮮明に覚えている。あれほど衝撃的な人物に出会ったのは、覚えた感情は違えど、恐らく今の妻である桃子ぐらいだろう。
 今でも覚えている。彼が告げた台詞を。一言一句、欠けずに。


『佐山の姓は悪役を任ずると』


 忘れもしない。そして、その老人からある話を聞いた事がある。それは生意気な孫がいるという話だ。その話も良く覚えている。衝撃的だったからだ。実際、その子供と出会った事もある。鋭い目つきをした少年だった、と印象に残っている。
 不思議と、老人を覚えていたら、その少年の名も覚えていた。まさか。と言う思いが駆けめぐる。だが、問わずにはいられなかった。


「…御言君かい?」


 それは、彼が自分の知る少年と同じ人物なのかどうかを確かめる為の一言だった。





    ●





「!?」
「佐山君?」


 佐山は携帯電話を耳に当てたまま顔を強ばらせた。隣で新庄が心配げな顔を浮かべるが、すぐに佐山は電話を持ち直す。電話の相手、高町士郎は先ほど、佐山の名を呼んだ。御言君、と。
 …つまりそれは佐山の事を知っている、と。佐山はそう判断する。だが、いや待て、と彼は判断と決するのを留まらせる。最後まで確認するまではわからない。そう思い、問いを投げかける。


「…私の事を知っているのか?」
『やはり、御言君だね? 佐山薫のお孫さん。そうだね?』


 佐山は確信する。高町士郎は私の事を知っていると。祖父の名が出た時点で確定した。彼は自分を、そして私の祖父を知っている、と。そして結びつく。御神と佐山の繋がりが。
 …やはり高町士郎は祖父の護衛を務めていたのか? 確かめたわけではない。だがもはや確定しているような物だ。
 …祖父の話が出た事により、僅かに心臓が軋んだ。ストレス性の狭心症。祖父や両親の事を聞くと痛みをもたらす心臓。佐山が煩う病。佐山は若干、苦しそうに眉を歪めたのがわかったのか、隣で新庄が心配そうに佐山を見つめている。
 …大丈夫だ。幸いな君がいる。君がいるならこの痛みは何も問題は無い。佐山は思い、新庄に大丈夫だ、という視線を向けて頷く。意識を受話器へと戻し、話を続けようと。


「…祖父を知っているのか? 貴方は」
『覚えてないんだね。…まぁ、当然だ。俺が君と出会ったのはまだ君が幼い頃だ。それに一度だけだったしね。覚えられなくて当然だ』
「そうか…。貴方は、私の祖父の護衛を務めていたのか?」
『そうだよ。俺は君のお爺さんの護衛を一時期務めさせて貰っていたんだよ。俺の家と佐山家はどうやら俺の親父と親交があったそうでな。俺はその縁で護衛をさせてもらったんだよ』
「…貴方の父、とは? 私の祖父とどういった関係か聞いたことはあるかね?」
『いや。詳しくは教えて貰えなかった。俺が物心つく頃にはもういなかったしな。それに君のお爺さんからも伺ってはいない。ただ、戦友、だったとしか聞いてない』
(つまり、高町士郎は「概念戦争」については知らず、ただの護衛だったというわけか。むしろ関わりがあったのは高町士郎の父、息子には概念戦争の事は教えていなかったのか)


 佐山は士郎の返答からそう判断する。士郎が隠している、という可能性があるが、それはまだ判断できない。嘘ならば小さくとも綻びが見つかる筈だ。その時にそれを突けば良い。
 さて…予想外の事が起きてしまったが良しとする。これはこれで幸運だった。しかし、そろそろ本来の目的を果たすとしよう。それで彼の言葉の信義も確かめられる筈だ、と。
 佐山はネクタイを片手で直し、小さく呼吸を繰り返す。。ここからだ、と佐山は自らに告げる。…交渉を始めよう、と。


「さて。本題に入りたいのだがよろしいかね。高町士郎…いや、敢えて不破士郎と呼ぼうか?」
『…君にその姓を教えた事はないんだがな。何故その姓を?そしてそれを出す意味は何だい?』


 電話の向こう側で士郎の声に鋭さが増した気がした。まるで喉元に刃を突きつけられているようだ、と佐山は思う。だが、自らは交渉役。この程度で屈する事はない。


「事情を説明しよう。今私は貴方のご息女、高町なのはを保護している」
『っ!? なのはをっ!? 君がっ!?』


 受話器の向こう側で士郎が大きな声を挙げる。それに佐山は一度携帯を耳から離し、声が止んだのを確認してから再び耳に付ける。


「落ち着きたまえ。今彼女は奥多摩のIAI社で保護している。良いかね? 彼女は現在何者かに狙われている」
『…何?』
「私達は偶然襲われた彼女を保護し、今その身柄を預かっている。…彼女を襲った者はこう言っていた。「御神の罪に断罪を」とね」


 沈黙。士郎の方から声が上がらなくなった。それに佐山は「良いかね?」と士郎に言い、士郎の返答を待つ。一瞬茫然自失でもしていたのだろうか、すぐに士郎が慌てたように返答を返し、先を促すように沈黙した。


「高町士郎。私は彼女を私達の元で保護したいと思っている」
『…何故だ?』
「これはね。どうやら私の祖父も一枚噛んでいる事件のようでね。むしろあなた方はとばっちりを受けた形だと私は推測している」
『…君のお爺さんは確かに多くの怨みを買っていたね。その怨みが御神に向いたと君は言いたいのかい?』


 佐山御言の祖父。佐山薫は総会屋であった。一匹狼の総会屋として、多くの他の総会屋を自らの信念の元、排除し続けた。その急激な改革により、付いて行けず、職を失っていく会社もあったという話だ。

『佐山の姓は悪役を任ずる』

 自らを悪と断定する事により、悪と判断した者達をそれを上回る悪で排除する。それが佐山薫が定めた「悪役」としての信念。
 余談ではあるが、その信念は佐山御言にも継承され、今、彼は全竜交渉部隊の交渉役としてUCATに所属している。


「そういう事だよ。つまりは貴方には貸しがある。私は貸すのは好きだが、貸しを作るのは好ましいと思っていなくてね。…借りを返す為にも、貴方のご息女を護らせていただけないか?」
『…なのはに、話は?』
「彼女とは既に交渉し、彼女はここに残る、と言っている。貴方が望むというのならば、家に帰す事も可能だが、私はそれを避けたいと思っている。万が一の事もある」
『君たちになのはを護るだけの力があるのかい?』
「無論だ。故にこの交渉の場に私はいる」


 士郎が沈黙するのと同時に佐山も沈黙する。士郎は今頃考え込んでいるだろう。概念戦争を知らずとも、彼は佐山を知っている。佐山が成した事を知っている。佐山の信念も恐らく知っているだろう。
 そしてボディーガードという職に就いているならばわかるはずだ。…佐山への怨みは測り知れないと。それに、自らも巻き込まれている、と。さて上手く行くか。と佐山は思う。だが、そこまで思い内心首を振る。
 ――交渉を成功させるのが私のすべき事だ。故に、失敗の2文字は無い。


『…条件がある』


 その言葉が交渉が良好に進んでいる証だと判断する。自らの交渉に手応えを感じた佐山は頷き。


「条件を聞こう」
『調べて欲しい事がある。もし、俺の懸念が当たっていたら、それは俺も関わるべき問題だ』
「何かね?」
『「龍」という組織を知っているかい?』


 「龍」? 佐山は思わず眉を顰める。聞いた事は無い。だが、不吉な物を感じる。龍。変換すれば「竜」だ。
 …まさか、概念戦争絡みか? 深読み過ぎる、とも思うが、あながち間違ってはいないかもしれない。確信を得るべく佐山は士郎に問いかける。


「私は知らないが…その「龍」とやらは何者かね?」
『無差別なテロ行為を行う犯罪者集団だ。…奴らに御神家の宗家が爆破テロに遭った、そのために、御神家は滅びたと言っても良い…もし、そいつ等が関わっている可能性があるなら…俺は黙ってはいられない』
「1つ聞こう。貴方の姓は「不破」だ。なのに何故「御神」と関わりが?」
『不破は御神の裏だ。御神が表の仕事をこなすならば、不破は裏方の仕事をこなす。…まぁ、平和になってきてからは不破の仕事は地味な物へと変わって行ったんだがな。だが、どちらも御神である事には変わらない』
「では更に。「龍」とやらにわかっている事はあるかね?」
『俺も俺なりのツテで調べたんだが…詳しい事はわからない。非合法のテロ組織であるという事。そしてかなりの組織力を有している、という事ぐらいしかな』


 ほぼ手がかりは無し、と言った所。だが逆にこう推測する事も出来る。「龍」は概念戦争の関係者であると。
 仮説として、「龍」が概念戦争の関係者であるならば「八大竜王」である、Gを滅ぼした一人である佐山薫を怨んでいる。あり得る話だ。そのために佐山の護衛を務め、親交があった御神家がテロに遭った。
 そして詳細は掴めない程の組織力とは言うが、概念戦争に関わる者ならば「概念空間」を発生させる事が出来る筈だ。それで行方を眩まし、常人の組織では捉えられないと仮定する事が出来る。


(だが、あくまで仮定だ)


 更にこの仮定だと何故、狙われたのが御神家で無ければいけなかったのか? という事について説明が出来ない。狙うならば他の所でも良かった筈だ。何故ならば、「龍」が概念戦争の関係者ならばこの世界自体が憎い筈だ。ならば御神家、または直接的に「八大竜王」の眷属を狙っても良い筈だ。
 そこまでの組織力が無かった? だからこそ概念戦争に関しての経緯を知らない御神家を襲った? 推論ならば幾らでも出てくる。だが、そこに確証は無い。
 …情報が足りなすぎるな。このままではただ仮説を立てる事しか出来ない。ならば考えるのは後にし、今は成すべき事を成すとしよう。


「その条件を呑もう。こちらで「龍」という組織について調査を行う」
『…信用して、良いんだね?』
「佐山の姓を知るならば、その姓の任ずる物にかけて信じていただきたい」
『悪役、か。…「基礎に礼節を敷き応用には信頼を広げよ。 佐山の姓は悪役を任ずる。ゆえに刃向かわぬならばただ与えよ、──されば奪われぬ」だったかな?』
「その通りだ。私はあなた方を裏切らぬよ。ここに誓おう」


 佐山のその言葉に、受話器の向こう側の声が止まる。ゆっくりと重たく息を吐く音が聞こえて、士郎は縋るような声で告げる。


『御言君…。なのはを…頼む』


 押し込めたような声。わかっているのだろう。自ら一人ではどうにもならぬと。そして相手の頼む事が出来る。託す事が出来る。こちらの事情は話せない。それが真実かどうかもわからない。それでも、信じる、と彼は言い、任し、頼んだ。
 …強い人だ。そう思う。賞賛に値すると佐山は素直に高町士郎を評価する。


「我が姓にかけて」


 故に。我が姓にかけてその願いは裏切らぬと。佐山は強き意志を胸に以て士郎に返答を返した。




    ●





 がちゃん、と受話器を置く音が響いた。士郎はゆっくりと息を吐き出した。突然の電話。そして今なのはに起きている事態。そして見え隠れする因縁。
 何もわからない故に確定は出来ないが、考えられるのは「龍」しかいない。もしなのはが「龍」に狙われているならば? …今度こそは、自らの手で護りたい。かつて守れなかった故に。
 一度壊した身体だ。それでも諦める事は出来ない。受話器を握っていた手を、そっと握りしめた。


「なのは…」


 名を呼ぶ。自らの娘の名を。護らなければいけない娘の名を。瞳を伏せてその顔を思い出す。脳裏に浮かぶ彼女の姿。今は傷付き、道を見失った哀れな娘。
 もうこれ以上の哀しみは与えたくはない、と。何もしてやれない自分が歯がゆくて仕方が無い。だが信じよう。あの「悪役」を任ずる「佐山」の姓の少年を。自らの記憶に鮮明に残るあの老人の後継を。
 …ふと。士郎は自室へと向かった。そこで部屋の奥に締まっていた1つの箱を取り出した。
 木箱だ。結ばれていた紐を解き、木箱を開く。…中には、二本の何かがが入っていた。それは、鞘に収められた小太刀だ。だが、不思議な小太刀だ。本来、鍔があるべき所に唾が無く、代わりに宝石が埋め込まれている。それを手に取り、鞘を抜く。
 曇り無き刃がそこにある。そこに己の顔を映して、士郎は呟いた。


「…なぁ。親父。アンタと佐山の爺さんの関係って…何だったんだ?アンタが佐山の爺さんに関わったから御神家は滅びなきゃいけなかったのか?…なのはが、今狙われてるのもアンタの所為なのかよ…親父」


 顔も覚えていない。物心つく前から己の前から姿を消した父親。残したのはこの二刀の小太刀だけだ。銘すらも教えて貰っていない。1つだけ、遺言がある。


『これの銘を知る者だけが、これを持つ事が許される。そして、それを知る者が現れるまで、これは厳重に保管しておく事』


 …誰が知ってるってんだよ。心の中で呟き、士郎は形見である小太刀を睨み続けるのであった。




    ●





 士郎と同じく通話を切った佐山はベンチにもたれ掛かった。ベンチにもたれ掛かった佐山の肩に手を置き、心配げに顔を覗きこむ新庄。


「…大丈夫? 佐山君」
「あぁ。問題無いよ。新庄君。…高町君はこちらで引き取る事で合意してもらった。代わりに高町君を襲った者達についての調査を依頼されたよ」
「そうなの?」
「あぁ。私は恐らく、高町士郎が言う組織と、実際に高町君を襲った自動人形の主は繋がっていると見ている。御神家は佐山と親交があったみたいだからね。それで狙われたのかもしれない」
「で、でもそれだったら別に御神家じゃなくても良い筈じゃない?」
「そう。だから調べるのだよ。御神家をね」


 新庄の言う事は佐山も既に先ほどの会話から考えている事だ。首に手をかけ、首を回す。首の骨を鳴らしてから、ゆっくりと佐山は立ち上がり空を見上げる。


「約束したからね。佐山の姓にかけて、と」


 だからこの誓いは絶対だ、と。未だ見えて来ない真実。だが、それで良い。それはいつもの事だ。何も知らない所から知っていき、そして果たすべき事を果たすのみだ。そうして佐山は拳を握り、ただ遠い空を見続けていた。隣に幸いな人を置きながら。



 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 01
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/16 19:47
 甘えるなよ。現実はいつだって苦々しい物だ。故に甘ったれるな。
 目の前を見ろ。誰もいない。お前の道にはお前だけだ。孤独に走っていけ。
 たまに、誰かとすれ違うかもしれない。だから、ただ、走れよ。
 そう。だから走り出す。自分で道を見つけて。自分で決めた道で…。
 きっとそこに答えがあると思うから。走り続ける為の、その答えが。




リリカル・クロニクル =世界の終わりに悪魔と竜は戯れる=


 第1章「過去、現在、そして未来」





 高町なのはは歩いていた。そこは山道。辺りには豊かな自然が広がっており、思わずなのはの眼を引く。だがなのははすぐに視線を前へと戻す。なのはの目の前を先導するのは衣笠書庫で出会った飛場竜司と美影の二人だ。
 その二人を追いながらなのはは歩いていく。時折、美影が振り返り、心配げに、大丈夫? と問いかけて来るが、なのはは大丈夫、と意志を告げて先へと進む。


『なのは だいじょうぶ?』
「あ、大丈夫です」


 なのはの背負う鞄。その鞄から何かが出てきた。それは草で出来たアリクイのような姿をした獣だ。彼は4th-Gの住人で、身体に溜まった熱量を吸い取り、酸素に変えてくれるというなんとも環境に優しく、有り難い生物である。純粋に凄いなぁ、となのはは思う。
 疲労も取って貰える為、一匹連れて行け、と言われたのだ。そう、佐山に。なのはは思い出す。飛場と美影と共にこの山道を登る事になったその経緯を…。




    ●



「え? なのはちゃんを爺さんの所に連れて行け?」
「あぁ、そうだよ飛場少年」


 それはなのはが部屋で休んでいた時の事だった。ふと、佐山が訪れて、そして更に訪れた飛場と美影が部屋に集まる。そこで佐山は唐突に飛場に向けて告げたのだ。なのはを飛場道場に連れて行って欲しい、と。


「でも、何で?」


 事情がわからない飛場は首を傾げるだけだ。美影もキョトン、と佐山の顔を見ている。当事者であるなのはもだ。その顔を一通り見回してから佐山は「いいかね?」という前置きをして喋り出した。


「高町君。先日言った通り君は足手まといだ」
「…はい」
「故に。君には足手まといからレベルアップして貰う」
「…え?」
「飛場先生という私を鍛えてくれたヒヒ爺がいるのだがね。その人に頼んで君を鍛えて貰う」
「ちょっと待ったぁっ!!」


 佐山が言い切るのと同時に飛場が手を挙げて声を挙げた。どういう事か問おうとしたなのははそのいきなりの声にビックリしたような顔を飛場に向ける。対して、佐山は冷めた目線で飛場を見つめて、ヤレヤレ、と言わんばかりに首を振って。


「君はどうして空気を読めないのかね。飛場少年。今私が説明しているだろう? ここは黙っておくべき所だ。…空気を読み給えよ、The・KY」
「言い方微妙に格好良いけど貶してますよね!? いやそれはどうでも良い…いや良くないけど、爺さんになのはちゃんを鍛えて貰う!? 佐山さんなのはちゃんを殺すつもりですか!?」
「…あの、今さらっと不穏な言葉が出たんですけど…」


 殺す、って何だとなのはは思う。また変人奇人なのかな、と若干、疑心暗鬼になりながらなのはは思いきり眉を歪める。だが事情もわからないので、取り敢えずは二人の成り行きを見守る事にする。
 一方、佐山は飛場の問いかけに、ふぅ、と息を吐いて、頷き。


「あぁ。高町君には死んで来て貰おう」
「…え?」
「本当に死ね。と言っているわけではない。それだけ努力をしてこい、そういう訳だ。飛場先生のしごきはキツイからね。私は山の中を三日間逃げ回るといった事をさせられたよ。飛場先生が鉈を持って追いかけて来てね。いや、あれは焦った物だよ」


 …すいません。逃げきれなかったら殺されちゃいますよねっ!? となのはは驚いて叫びそうになるが、何とか内心で叫び声を上げるところで踏み止まった。本当にこの人私を殺す気なんじゃ…と思い、若干逃げたい気分になる。
 思わずなのはが何かを言おうとする前に佐山が部屋に来る時に持ってきたザックを開けた。するとのっそりと緑色の何かが出てきた。それは草だ。だが、草が一人で動いている?
 不思議に思いながら見ていると、ザックの中から出てきたのは、草で出来たアリクイのような獣だった。思わず、なのはは目を疑う。


「…なんですか。それ」
「説明を受けただろう? 彼が4th-Gの住人だ。そして佐山の眷属のマブダチでもある」
『さやま まぶだち』


 4th-Gというと、植物が支配者である世界だったか、となのはは思い出す。なるほど、納得だ、と頷く。でも何故ここに連れて来る必要があったのだろう? となのはは疑問を覚えて佐山に問う。すると佐山はこう答えた。


「今は10月。そして世界がマイナス概念で滅ぶかもしれないと言われているのが12月25日の事だ」
「っ!?」
「つまり、君が概念戦争に関わる為には、最低でも2ヶ月半以内に使い物になってもらわなければいけないわけだ。短い時間だ。だがその時間を有効に使うように彼を連れて行って貰おう。彼等には疲労を取る力がある」
「…つまり強制的にでも疲れを取って強くなれと?でも、私は良くてもその飛場先生って人は…」


 自分は草の獣によって疲労を取る事が出来るが、その人は違う、その人の方が持たなくなるのではないか? と心配するが、それに佐山と飛場が同時に首を振って。


「あのヒヒ爺がそう簡単に疲労などで倒れる筈が無い」
「無駄に元気ですからねー。夜遅くまで深夜番組見たりしてますし」
「それに君が山の中で迷子になっていたり、気絶している時間の方が長いから安心したまえ」
「安心出来ませんよそれっ!!!」


 不吉だ、となのはは背筋に寒気を感じながら思う。目の前がいきなり真っ暗だ。時間も無い上に自分を鍛えてくれるという人は変人奇人らしく、最悪死ぬかもしれないという可能性付き。


(…なかなかハードだね。皆、私ちょっと早まっちゃったかな? 死んだらごめんね。あ、死んだら謝れないか)


 なのはは目の前の現実に逃避しかけた。その時にこちらに草の獣が歩み寄ってきた。草の獣はなのはの手に、自らの前足を置く。それはまるで握手を求めるかのようでなのはは草の獣の前足を握った。


『よろしく』
「あ、こちらこそ。高町なのは、って言います。なのは、で良いです」
『なのは つかれとる やくそく てすためんと!』


 疲れを取ると約束した。そういう意味かな? …可愛いなぁ、和むなぁ、と現実に荒みかけたなのはは草の獣を見て心底そう思うのであった。





     ●





 これが数時間前の事。今は飛場と美影に案内されて飛場先生こと飛場竜徹がいる飛場道場へと向かっているのだ。もう人目がつかなくなって来たので草の獣はザックから顔を出している。
 確かに疲労を感じない。身体の調子が絶好調だ。趙先生の治療もあったんだろうなぁ、となのはは思う。少し前までは鉛のように重かった身体も軽い。だが若干運動不足なのがあるか、まだ鈍く感じる。なのはは自分の身体の調子を確かめ、頷く。
 強くなろうと。心の底からそう思う。思うのと同時に飛場が振り向き、なのはに向けて声をかけた。


「付きましたよ」


 飛場の言葉になのはは顔を上げた。目の前には建物がある。確かに道場だ。
 そして入り口には一人の老人が立っていた。片目が赤いのが特徴的な老人だ。その老人はこちらに歩み寄ってきて、そし、飛場と美影を無視して、なのはの前に立ち、なのはを覗き込むように見てくる。
 少し戸惑った様子を見せるが老人は何も言わない。しばらく見つめられてなのはは固まる。どうすれば良いかわからず、思わずなのはは飛場と美影に視線を向けようとする。だが、それよりも先に竜徹がなのはへと声をかけた。


「なるほどね。テメェが御神のガキか」
「え、あ、あの、高町なのはです…初めまして」
「おう。飛場竜轍だ。好きに呼べ。さて、時間が無いんだろ。さっさとやるぞ」
「ちょっ、爺さん間も置かずですか!?」
「それがコイツの望みだろ? 部外者が口出しすんな。テメェはさっさと用意した部屋に案内しろ。部屋に荷物が置いて用意が出来たら出てこい。良いな?」


 有無も言わさずに竜徹は孫に不遜な物言いをする。だが、竜徹の言葉に尤もだ、となのはは思い頷く。なのはには時間が無いのは事実なのだから。故に飛場の方へと視線を向けて、案内してください、となのはが告げる。
 なのはの言葉に飛場が少し納得いかないような顔をしながらも、なのはに家の方を指す。


「じゃ、部屋まで案内しますね」
「はい」


 なのはが応答し、飛場となのはが一緒に歩き出す。それに付いて行くように美影も歩き出し、三人は一度、家の中へと消えていった。それを見送ってから竜徹は溜息を吐いて。


「…やれやれ。まっ、適度にやってやるか…。テメェの眷属なら少しぐらいは持つだろ?」


 なぁ、と呟いて。竜徹は空を見上げる。まるでそこに誰かがいるかのように。目を細めて、それを見るかのように。その色の違う左右の瞳で。


「――恭也」


 呼ぶその名前。…呼ぶその声は、懐かしさに溢れていた。





     ●





 海鳴市、喫茶店翠屋。高町なのはの両親が経営するその喫茶店のカウンター席に一人の女性がいた。名をリンディ・ハラウオンと言う。水色の長髪を揺らした彼女は、ほぅ、と息を漏らして、目の前にいる男性、高町士郎を見つめた。


「じゃあ、なのはさんは」
「俺の古い知り合いの所で引き取って貰ってます。…フェイトちゃん達には言わないでくださいよ? なのはが何者かに狙われてる、って」
「そうね…下手に関わらせるわけにはいかないわ。ここは関わらないで任せておくのがベストなのでしょう?」
「信頼出来る人です。大丈夫ですよ、なのははここに帰ってくる。俺はそう信じてます」
「…強いんですね」
「そうでもないですよ。俺は…それしか出来ないからそれをするだけです」


 その言葉に、リンディはそっと目を伏せて、クスッ、と笑った。その様子に士郎が不思議な様子を察し、どうかしたのか? と言う意味合いを込めた視線を向ける。それにリンディが軽く手を横に振って。


「ごめんなさい。昔いた友人も似たような事を言っていたの」
「へぇ。それは良い男だったでしょう」
「えぇ。とても、ね。…実はね。その人、恭也君にソックリなのよ」
「…恭也に?」


 息子の名前が出て士郎は不思議そうな顔を浮かべる。懐かしむようにリンディが顔を天井へと向けて、過去の思い出を思い出し、それに浸るように。


「そう。名前も同じで…最初恭也君を見た時は驚いたわ。でも年齢が合わない物。彼じゃないっていうのはすぐにわかったわ」
「名前も同じって…凄い偶然ですね」
「えぇ。民間協力者として、そして嘱託魔導師になったわ。でも、管理局には入ろうとしなかった。一度問うて見た事があるわ。どうして管理局に入らなかったの? って。そしたら別に護りたい物があるから、って言って断られたわ」


 残念だったわ。と呟きながらリンディがカウンターに置いてあった緑茶を手に取る。ちなみに既に砂糖とミルクは投入済みだ。士郎はそれに敢えて目を逸らす。若干苦笑しているが、ツッコミはしない。もう慣れた。


「10年程前に死んでしまったようなのだけどね」
「え?」
「彼のいた世界ごと、彼は消えたそうよ。…私は彼が局で協力してくれてた時にしか会った事が無かったし、彼がどんな世界に住んでいたかはわからないわ。何故滅びたのかも。何もかもが唐突で…無くなっていったわ」
「…そうですか」
「生きていれば、20代後半ぐらいだったわね」


 彼がいれば、クライドさんも助けれたかしら、とふとその想像が脳裏を過ぎった。それを思い、リンディは苦笑を浮かべる。あぁ、無意味な仮定だ、と。彼には彼の護るべき物があったのだろう。そして私と、管理局とその護りたい物が重なる事は無かったのだろう。


「彼の剣は…一体何を護りたかったのかしら」
「剣? 剣士だったんですか?」
「えぇ。その世界の古流剣術を扱う剣士の一族らしくて、確か流派が……」


 そこまで口から出て、名前が出て来ない。眉を寄せてそれを思い出そうとする。思い出すかのように、首を傾げる。
 しばらくそうしていたリンディだが、ようやく思い出した、と両手を合わせてその流派の名を口にする。


「御神流、だったかしら?」


 リンディの出した名に、士郎の動きが止まり、布巾で拭く為に手に持っていたコップが水の張った桶の中へと落ちていった。





    ●





 奥多摩の山奥。その山奥を駆ける二つの影があった。1つは慣れ親しんだ様子で駆け抜けていく。対して、それに遅れて付いていく影は何度も転びそうになったりしているため、前方を行く影からドンドンと引き離されて行っている。
 ふと前方を行く影が後ろを振り返る。そして影の口から飛び出したのは叱責の声だった。


「早く付いて来ねぇと追いてくぞ!?」
「はっ…はいっ!」


 前方を行く影、竜徹は帰ってきた返答を聞けば再び山の中を駆け出す。それに後方の影、4th-Gの住人、草の獣を背負ったなのはが追いかけていく。
 何故なのはと竜徹が山登りをしているのか? 数十分前の事…。


「とりあえず、貧弱だな、お前」
「え?」


 飛場に案内されて、自分に宛がわれた部屋に荷物を置いて用意を終えて竜徹の所へと戻ると、竜徹からの第一声がそれであった。竜徹はなのはの腕を取り、目を細める。


「ほっせぇ。まともに運動してんのか?」
「あの、運動苦手で」
「はっ。まぁ、良い。なら筋力トレーニングからだな。走るぞ。あの頂上ぐらいまで」
「…はい?」


 呆れたように鼻を鳴らし、竜徹は軽い調子で親指で示めしたのは頂上。しかも向かい側の山だ。なのはは思わず耳を疑う。明らかに平気で2、3時間はかかりそうだ。なのはは信じられない、と言った視線を竜徹に向ける。
 本気そうだった。冗談を言っている雰囲気などは一切無かった。思わず愕然とする。いきなりハードだなぁ、といっそ現実逃避したくなる。


「時間がねぇんだろ? それに、テメェの背負ってるそれは飾りじゃねぇんだろ?」
「は、はい。そうですけど…」
『つかれとる やくそく てすためんと』
「あー、わかったわかった。ほら、四の五言わず付いてこい」


 こうして竜徹先導の元、なのはの山登りがスタートした訳だ。
 斜面を駆け上がりながらなのはは思う。身体の疲労は来ていない、と。これだけ走っているのにおかしな物だと思わず思うほどに。これが背に背負った草の獣の効力なのだろう。反則な気がして、これで本当に筋力トレーニングになっているかどうか不思議に思う。
 しかし、なのはは知らない事だが、草の獣はなのはの余剰熱、つまりは疲労を吸い取ってるだけなので、筋肉が動き、負荷がかかっているのは事実だ。ここで溜まる筈の筋肉の疲労は草の獣によって吸い取られ、筋肉に負荷がかかったという事実のみが残される。そしてそれを回復するのはなのは自身の身体だ。 つまり草の獣さえいればエネルギーさえ切れなければ無制限に筋トレが出来る、という事だ。
 だが、それでもなのはは竜徹にドンドンと離されて行っている。竜徹が山慣れしている、という事もあるのだろう。だが、それ以上に地力の差が大きい。いくら疲労があろうがなかろうが、なのはの筋力は竜徹に及ばない。
 結果、なのはがいくら疲労を感じず、全力で走っても竜徹には追いつけないのだ。邪魔な木の枝などは踏みつぶせ、と竜徹に言われた通りに、力強く大地を叩きながら山を登っていく。だがそれでもすでに竜徹は米粒ぐらいの大きさしか見えない。


『なのは おいてかれてる』


 わかってる、と心の中で呟き、焦りが精神的な疲労をもたらす。幾分か草の獣の効果によって回復しているとはいえ、疲労を感じつつあった。身体は動くのに、心がもう諦めたいと思い始めている。追いつけない。その事実がなのはの胸に重くのしかかる。


 そう、追いつけない。お前はここまでだと。弱いと。何も為しえない。誰も救えないと。


 弱音が滲み出たのを感じなのはは歯を強く噛み締める。負けない、と歯を食いしばる。ここで負けたくない。自分に。故に蹴る。地を。そして前へと進む。今出来る事を全力で尽くす。弱くたって、惨めだって、ここで負けたくは無いと。
 少しだけ、なのはの走るスピードが上がる。それ以上の距離は、離されない。そして竜徹が足を止めた。そこに遅れてなのはが到達する。山の頂上だ。ようやく着いた…となのはは思い、腰を下ろそうとした時だ。


「よし。降りるぞ」
「…え? も、もうですか?」
「疲労は感じてねぇんだろ? だったらすぐに行くぞ」
「で、でも竜轍さんは?」
「俺は疲れてねぇよ」


 本当に疲れた様子も無くそう返されると、なのはは何も言えずただ頷くだけであった。疲労は確かに取っては貰えるが、気持ちがどんどんと疲れていく。駄目だな、こんなんじゃ、と思い、気を入れ直す。パンッ、と両頬を軽く叩いて。


「おい。なのは。今度はお前から先に降りろ」
「え?」
「俺が追いかける。俺が捕まえたら本気でぶん殴る。殴られたくなかったら逃げろ」
「なっ…!?」
「1分待ってやる。ほら、逃げろ」


 訳がわからず問いかけようと思ったが、竜徹は既に数を数え始めている。こちらの話を聞く気はまったくない。つまり全力で逃げろという事だ。今度は追いかける側が変わっただけだ。なのははすぐに山を下り始める。
 下りはスピードが出る。だが、なのはは勢いを殺す事はしなかった。大きく飛ぶように山を下っていく。恐らく冗談抜きで殴られる。殴られるのは嫌だ。だから逃げる。今、自分が走れる最高の速度で。


『なのは がんばれ』


 あぁ、本当に和む。背後の草の獣が応援してくれる。頑張ろうと思う。ふと、草の獣の顔を見ようと後ろを振り返った時だった。
 思わずなのはは目を疑った。こちらより圧倒的に早いスピードで向かってくる竜徹の姿があったからだ。なのはのように駆け下りている、という感じではない。むしろ重力に従って落ちていくような、そんな動作だ。
 このままじゃ確実に追いつかれる。捕まったら殴られる。理不尽だよっ!! と思わず心の中で悪態を吐く。だが時間が無いのは事実。やる気がないならそれ相応の制裁を。結果が追いつかなきゃ意味が無いと。
 走る。だが、転びそうになる。姿勢を戻すとどんどんと距離が縮まっていく。そして遂に半分も降りていないうちに竜徹はなのはを射程内に捉える。


「終わりだな」
「っ!?」


 そして竜徹の手がなのはの肩を掴んだ。なのはが振り向くと、そこには既に竜徹が後ろにいる。


「じゃ、一発貰っておけ」


 待って、とは言えなかった。その前に腹に鈍痛が響いた。肺にあった空気を全て吐き出して息がつまる。目の前が一気に真っ暗になり、一瞬にして意識が墜ちた。本気で殴るとわかっていても、いざ殴られるとショックだったのだろう。
 気絶し、身体の力を失って崩れ落ちたなのはを支え、肩に担ぐように竜徹が背負う。そしてそのまま山を下りていく。速度は先ほどとそう変わらない。その降りる途中で、なのはの背のザックに入った草の獣はなのはの何度か前足で叩く。


『なのは ぐろっきー』
「…相変わらずだな、オメェ」


 こいつ等と会ったのは佐山の野郎が連れてきた以来か、と竜徹は思う。佐山は佐山でも、飛場の言う佐山は佐山御言の祖父、佐山薫の事である。佐山薫が4th-Gの交渉を負え、連れてきた時が初対面だったな、と思う。こいつ等との交渉はちゃんと出来たんだな、と思わず思って。


「オメェ、俺の事覚えてるか」
『…ぼすざる?』
「よし。覚えてるな…後それで俺を呼ぶな。ったく。佐山の野郎。誰がボス猿だ、誰が」
『さやま いってた ひば ぼすざる』
「飛場で良いっ! あーったくこいつ等相変わらずだよちくしょう」


 なのはを肩に担ぎ直しながら飛場が悪態を吐く。だが、竜徹の様子はどこか楽しげであった。





    ●



 夢を、見ていた。
 それは、いつも見る、空から墜ちる夢だ。
 身体が鉛のように重く、ありし筈の力の通りが悪い。
 力強さが無く、ただ、力が抜けていく喪失感。
 必死にかき集めようとして、必死にその力を振るおうとして、足掻いて。
 …だが、それは唐突に、張り詰めた糸が切れるように無くなる。
 ぷつん、と、途切れた。
 落下。重力に抗えず、ただ、ただ墜ちていく。
 遠くなる空に手を伸ばす。でも、それは、届く事は無く。墜ちていく。
 待って、と声を挙げても、届く事は無い。ただ、空は遠く。迫るは地面。
 …当たり前なのに、当たり前だと認めたくなかった。
 人は飛べないんだよ。だから、地に落ちるのは当然でしょ?
 だから、当然。これは、当然の事。
 私は、ただの人なんだから。
 衝撃。そして、全ての感覚がシャットダウンする。

 …嫌だ。

 力を込める。自らに力が入っているかどうかはわからない。だが、それでも立ち上がろうとする。自分がどうなっているかもわからないのに。

 …だって、誰かが泣いてるかもしれないんだ。

 止めなきゃ。と思う。止めたい。と思う。抗えと、そう思う。




 …何で、そんなに抗おうとするんだろ。



 自分の声が聞こえてなのははゆっくりと意識が墜ちるのを確認する。
 夢で意識が墜ちるという事は、現実に目が覚める、という事だ。
 そして自らの声に答えを出せぬまま、なのはの夢は終わった。





     ●





「爺さん。本気で殴ったんですか?」


 飛場道場前の外。そこで腰掛けながら空を眺めていた竜徹に飛場が責めるような口調で問いかける。なのはを肩に担いで戻ってきたかと思えば、彼女を部屋に放り入れ、布団で寝かせて放置。
 それを見た飛場は言外に、流石にやり過ぎではないか、と竜徹に問いかける。それを聞いて竜徹は面倒臭そうに頭を掻いて。


「本気でやらきゃ甘えんだろ。俺に捕まれば時間が減る。なら全力で逃げろ、ってね」
「まだ小学生ぐらいの子供ですよ?」
「俺ぁ、御言がそれぐらいの時は今より厳しかったぜ。佐山もな」
「貴方たちが特殊なんでしょうが。なのはちゃんは一般人ですよ?」


 飛場の言葉に竜徹が空を見上げる視線を下げ、飛場に向ける。ふぅ、と息を吐いて。


「テメェはわかっちゃいねぇよ。いや、誰もわかってねぇだろうな」
「…は? 何がですか?」
「アイツはな。相当な歪みの持ち主だぞ」
「…彼女が?」


 おぅ。と竜徹は呟く。飛場はわからない、と言ったような表情を浮かべて。


「一般人が俺達の状況に食らい付いているのがその一端だろ」
「…佐山先輩から聞きましたけど、彼女は概念戦争絡みの自体に巻き込まれる前からも異世界との交流があったそうですよ? だからじゃないですか?」
「違ぇよ。竜司。だからお前はわかってねぇ、って言ってるんだよ。…いずれわかる。アイツの歪みはな」
「…爺さんは何でわかるんですか? 今日が初対面でしょう?」


 飛場の問いかけに竜徹は肩を回して鳴らし、ゆっくりと立ち上がる。腰に片手を当てて片方はうなじを掻く。


「昔。俺の友人にあのガキとそっくりな目をした奴がいた。アイツと同じだ。必死になって何かを成そうとしてる。だが…それが何のためにか、ってのが自分で本当に理解出来てねぇ。だから、間違うんだ。正しい事してる癖に、間違った理解をしてるから結局間違うんだ」
「爺さん…。もしかして、御神の一族に」
「それは、言えねぇな。自分で探しな」


 ヒラヒラと手を振って竜徹が家の中へと入っていく。飛場はそれをただ、見つめる事しか出来なかった。いつもより、小さく見えるその背を。その背に飛場はかける言葉を見つける事が出来なかった。







[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 02
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/16 19:49
 竜徹が家に戻ると、廊下の向こう側から誰かが飛び出してきた。そのままドンッ、と竜徹の腹に飛び込んでくる。わぷっと声をあげて後ろにひっくり返るその誰かを見て、腹をさする。竜徹は呆れた声をひっくり返った誰かに向けて。


「なにやってんだ? お前」
「りゅ、竜徹さん」


 ひっくり返った影はなのはだった。なのはは鼻を押さえながら、見つけた事に安堵したように溜息を吐く。その後ろにはやっぱり草の獣がくっついていた。よく見るとさっきからしきり無しに酸素を吐き出しまくっている。
 それだけ疲労してるって事か、と竜徹はなのはの身体の状態を把握する。だが手は抜くつもりは無い、と竜徹は外を見る。もう夕暮れに染まった空。暗くなるのはすぐだろう。そう判断すれば竜徹はなのはを見て告げる。


「もうすぐ暗くなる。山に行くのはまた明日だ。これから道場に行くぞ」
「道場、ですか?」
「あぁ」


 言う事は言った、と言わんばかりに竜徹は道場の方へと歩いていく。なのはもそれに従って後ろを付いて行く。
 竜徹が道場の扉を開き、竜徹が中に入り、続いてなのはが入る。なのはは初めて見る道場の中を興味深げに見渡している。なのはが辺りを見渡している内に竜徹が立て掛けてあった竹刀を手に取る。全部で三本。一本は普通のサイズの竹刀だが、二つはやや短めに作ってあるようだった。
 一本を脇に抱え、二本の竹刀を両手で持ってなのはの方へと振り向き、竜徹はなのはへと声をかけた。


「おい。受け取れ」
「ふぇっ!? わ、わっ」


 竜徹に唐突に投げられて渡された竹刀。なのはが慌てた様子でなんとか手に取ろうとする。一本は取れたが、二本目の竹刀はこつん、と綺麗に頭に当たった。思わず頭を抱えて蹲るが、草の獣が常時回復している為、すぐに痛みは消える。
 竜徹はなのはの様子を気にした様子もなく、感触を確かめるように竹刀を振るう。感触を確かめ終わったのか、竜徹はなのはへと視線を向ける。


「これから適当に攻撃するから適当に防げ」
「は…? ちょっ、ちょっと待ってください!? 何で竹刀を!?」
「お前は反射神経は悪くない。だが、運動となるとパッ、としない」


 いきなり竹刀を握る展開になのはは付いていけず竜徹に問いかける。すると竜徹に事実を言われて思わず息が詰まり、唸る結果となる。それを見ているのか見ていないのかわからない様子で竜徹が更に続ける。


「だが完璧に出来ない、ってわけじゃねぇだろ。運動が苦手? スポーツが出来なくたって指が動けば運動になる。スポーツ出来なくても指先器用な場合がある」
「そ、それって暴論なんじゃ…」
「間違ってねぇだろ。人には身体にあった動きって物がある。人は何か得意な物を見つけてそこから発展・応用していく」
「…それが何だって言うんですか?」
「お前。御神についてどれだけ知ってる?」
「古流剣術を受け継ぐ一族で、ボディーガードとかしていた、とは聞きましたけど…」
「そうだ。で、だ。話は戻る。…テメェは完璧に運動が駄目なわけじゃねぇ。ただ身体が思うとおりに動かない。違うか?」


 なのはは竜徹の言葉に考え込むように眉を寄せる。確かに、思い返せば反応は追いつく。それでボールを取る、という動作にまでは結びつくのだが、どうにもうまくいかない。手が追いつかなかったり、滑ったり、とにかくイメージ通りにいかないのだ。
 ボールが見えているから取る、というヴィジョンは浮かぶのだが、それが上手く反映されない、そんな感じだっただろうか?


「そりゃお前がお前の身体にあった身体の動きをしてないからだろうな」
「そ、それと竹刀がどう関係するんですか?」
「御神は小太刀二刀流を扱う一族だった。…なら、テメェが最も身体に合う動きってのは小太刀を持った動きじゃねぇのか?」
「…は?」


 今、一瞬竜徹の言った事がわからなかった。小太刀を持った動きが、己にとって最も身体に合う動き…? ようやく言葉の意味が脳に浸透したのか、なのはが慌てたように首を振る。暴論だ、と思っていたがここまで暴論だとは思いもしなかった、と。


「そ、そんな!? ば、馬鹿げてませんかそんなのっ!?」
「うるせぇな。そうじゃなかったとしてもやる。俺が決めた。拒否権はねぇ」
(な、なんて理不尽な…!)


 竜徹の有無を言わさない言葉になのはは思わず内心呟く。ふと、なのはは手の中に収まる竹刀を見つめる。小太刀を持った動きが最も身体にあった動き? そんなの馬鹿げてる、と思うのだが、どうやらやらざるを得ないようだ。


(…こんなの初めてだよ)


 兄達は確かに剣術をやっている。だが己は運動が出来なかったし、人を傷付ける事に積極的でも無かった。必要な時があれば喧嘩もしたが、それでも誰かを傷付けたりするのは好きじゃない。やってはいけない事だ、と思う伏もある。それは魔法だって同じだった。
 だから見ているだけだった。そう、ただ見ていただけだった。兄と姉の稽古を。脳裏に記憶を呼び起こしながら、なのはは竹刀を握りしめる。別に特別な感じはやってこない。
 …やっぱり暴論。竜徹さんの暴論だよ、となのはは思う。小太刀を扱う動作がなのはの身体に合っているだなんてそんな事が在るわけがない、と。


「行くぞ」
「っ!?」


 唐突に竜徹が言い、竹刀を振った。手を抜いたような振りだ。だがそれでも早い。思わず避ける。身体を横にして、半身になる状態で避ける。竹刀が床を叩く。だがその反動を利用して竹刀が跳ね上がる。なのはは急な竹刀の動きに付いていけない。


「うわぁっ!?」


 思わず仰け反る。足が蹈鞴を踏むかのように後ろへと下がり、バランスを崩しそうになる。そこに跳ね上がった竹刀が振り下ろされ、パンッ、と額を打った。一瞬目の前に火花が散り、なのはは額を抑えて蹲る。


「~~~っ!!」
「ちゃんと竹刀使って防がないとまだ気絶するぞ、オラ。立て」
「は、はい…」


 使った事も無いのに防げとか言われても無理ですよっ!! と竜徹に返事をしながら思う。理不尽だ。だがしかし、やらなければならない。自分を奮い立たせてなのはは竹刀を握り直す。竜徹は一度距離を取っている。肩に竹刀を載せてぽんぽん、と肩を叩いて。


「行くぞ」


 また一言と共に竜徹がこちらに向かって無造作に上段から竹刀を振るう。竹刀を使え、って言われても、と思いつつも、とりあえず竹刀で受け止める事にしてみた。竜徹が振るう竹刀にぶつけるように振るう。ぶつかり合う竹刀と竹刀。そして力負けしたなのはの竹刀がなのはの顔を直撃する。再び気持ちの良い音が鳴り、なのはが再び額を抑えて蹲る。


「~~~っっ!!!」
「馬鹿か。オメェ。片手で防げると思ったか?」


 額が痛い。もの凄く痛い。両手で顔を押さえてその場に蹲りながらなのはは涙目になるが何とか堪える。背中に乗った草の獣が心配そうに前足でこちらの肩を叩いている。そうこうしているウチに痛みは消える。
 そして起き上がる。痕残ってないよね…? と思いながら涙目のまま、竹刀を構える。気づけば竜徹は再び距離を取っている。そして、先ほどと同じように肩に担ぐように竹刀を構えて。


「行くぞ」


 再び一言。竜徹が先ほどと変わらない動作で竹刀を振るう。目は追いついている。さっきは片手では防げなかった。なら、どうする?
 なのはの出した答えはシンプル。足りないなら補えば良い。一本が駄目なら、二本で。
手に持った竹刀を交差させるようにして、竜徹が振った竹刀を挟み込むように抑える。
 止めれる。少し驚く。だが竜徹は竹刀に全然力を込めてない。本当に軽く振っただけなのだろう。竜徹がそのまま竹刀を弾き、右側から肩を狙う軌道で竹刀を振るう。なのはの目は追いついている。だが、今度は右側からの一撃。片手じゃ駄目、両手で防ぐには?
 なのはは身体を動かす。身体を半身にして再び交差させるようにして竜徹の竹刀を受け止める。すぐ目の前には竜徹の竹刀がある。危なかった。と思った時、腹に衝撃が来た。思わず吹き飛ぶ。
 肺の空気が抜け、ゴホッ、咳が漏れた。足を上げた態勢のままの竜徹が呆れたように倒れ込んだなのはに視線を向ける。


「適当に攻撃するって行ったろ? 足が無いとは言ってないぜ?」
「ひきょ…うだ…」
「戦いに卑怯も糞もあるか」


 竜徹の物言いになのはは、理不尽だ、と思いながらも起き上がる。草の獣の吐く酸素量が若干増したのを感じる。疲れてるんだな、と思う。だが疲労は感じない。ならまだ自分は頑張れる、となのはは身体を起こす。
 竹刀を持ったまま、先ほどいた位置まで戻る。竜徹が再び竹刀を肩に担ぐ。なのはは竹刀を構える。最初から若干交差させた形に持って構え、竜徹を見つめる。


「行くぞ」


 再び一言。上段から脳天を狙う一撃。すぐに竹刀を交差させたまま上へ。挟むように受け止める。すぐに、竜徹が竹刀を持ち上げる。左肩狙い。左に半身になり、竹刀を交差。防ぎ。再び竜徹の足が迫る。慌てたように蹈鞴を踏むように斜め後ろへと下がる。
 だが空振りした足がそのまま地を踏み、竹刀を振るう。思わず片手で防ぐが、力負けする。だが自らの身に当たらないようにすぐさま再び半身になり、当たる寸前の所で竹刀を交差させて押さえ込む。
 だが態勢が悪い。力が入りにくい態勢だ。力負けして腹に竹刀が腹に入る。そこから痛みが発生し、思わず顔を顰める。


「いっ…つ…」
「おら。どした。ちゃんと防げ」


 そして竜徹は再び、距離を取る。再び竹刀を肩に担ぐ竜徹。なのはは自らの持つ竹刀を持つ。片手じゃ駄目、両手じゃないと防げない…。だけど常に両手じゃ防げない。
 …どうする? となのはは考える。暫し目を閉じて息を整えて、そして目を開いて竜徹の前に立つ。


「行くぞ」


 一言。それと同時に竹刀が振り下ろされる。なのはは竹刀を上げる。一本だけ。そしてそのまま刃と鍔に当たる部分で受け止める。それに竜徹が面白い物を見たような表情を浮かべる。刃と鍔の丁度付け根にある部分で防がれてる為、力を入れても押し込めない。
 ならばと蹴りを入れようとした所を、なのはが木刀で腹に突きを入れようとした為、後ろに飛び、距離を取る。


(…ほらな。やっぱり)


 竜徹は半ば確信していた。なのはの動きが徐々にだが良くなってきているのを。人は自ら動作を覚えて、そして新しい事を始める時似たような動作を応用する事がある。だが、なのはの場合、その自らに合った動作を覚える機会が無かった。
 何故か? それは、なのはにもっともあった動きが「小太刀を持った動作」であるからだ。何を馬鹿な、と思う人もいるだろう。だが日常を考えて欲しい。ふと気づけば、いつの間にかある動作にある動作を応用している事が無いだろうか?
 人は常に動きを応用し、様々な事に対処していく。だが、それにはやはり元となる動作が必要なのだ。高町なのはの場合はそれが特殊であり、そしてそれが特殊であるが為に触れられなかった。
 誰が幼い子供に竹刀を持たせて遊ばせるだろうか。それに加え、なのはは女の子だ。男子と違い、ちゃんばらなどには興味は無いだろう。それに幼い頃のなのはは士郎がテロによって負傷した為、寂しい年少期を送っている。
 その時に「傷付けると何かを失う」や、「力は怖い物」や、力に対する忌避感を覚え、力に対して過敏に避けるようになったとは考えられないだろうか? 事実。なのはは無闇に力を振るう事を嫌う。必要な時には発揮されるその力をなのはは無意味に見せつけようとしたりはしなかった。
 故になのはは元となる動作である「小太刀を持った動作」を行う事は無かった。しかし、そんな特殊な動作を元にする人間がいるのか? そう思う人もいるだろう。だが竜徹はその可能性を示唆するものをなのはが持っている事を知っている。


(血、だろうな)


 御神の血。長年受け継がれてきた古流剣術の剣士の血。それがそうさせるのだろうか? 事実、なのははその片鱗をこれまでに見せつけて来た筈だ。これまでの魔法を用いた闘争の中で。
 戦う為になのはは強くなる。力を望まずとも、戦う度に強くなる。戦う為の才能は片鱗を見せていた。それはやはり御神の血がそうさせるのではないだろうか。
 だからこそ竜徹はなのはに小太刀を模した竹刀を振るわせる。それが、お前の本来の動作なのだと。それこそが、お前の原点であるのだと。そしてそれは竜徹の予想を外す事無く合致した。


「行くぞ」


 そして竜徹は竹刀を振るう。なのはを動かす為に。教える為に。導く為に。竹刀の噛み合う音が、静かに道場の中に響き渡った。





    ●




 ――時は流れる。
 奥多摩UCATの中に佐山御言はいた。その傍にはいつも通り新庄運切と、そして自動人形が一人、付き添っていた。赤髪をショートカットのその自動人形の名は8号。佐山を慕う自動人形の一人だ。


「佐山様から頼まれていた「御神家」の調査の事ですが…」
「どうかね?」
「はい。まずはなのは様の父親。高町士郎様の調査を終えました。…父、不破恭也。母、不破雪花。両親を共に早くに無くし親戚の不破家に引き取られたそうです。その後はボディーガードなどの仕事を勤め、一度は結婚し、息子の恭也様を授かりましたがすぐに離婚。その後はご子息を連れて世界各地を旅して回っていたそうです。その為、御神家、不破家があったテロに巻き込まれる事が無かったそうです。その後、御神家の宗家のご息女であった御神美由希を引き取り、そして現在の妻である高町桃子と出会い結婚。その後なのは様を授かったそうです」
「高町士郎の両親については?」
「不破雪花様は不破家の中でも指折りの実力者であったそうです。ですが…」
「…ですが?」


 言い淀んだ8号に新庄が不安げに眉を寄せて問いかける。それに8号が少し額の眉を寄せながら。


「不破恭也についての出生からその経緯までがまるでわかりません」
「高町士郎の父親がかね?」
「はい。不破雪花様と婚約なさる前までは「御神」と名乗っていたそうなのですが…御神家に「恭也」という名の持つ子は当時産まれていません。養子、という線もありません」
「隠し子かね?」
「それでも出生の記録などの経歴がほぼ全てが残っていないのは不可解では? そこまで隠さなければならない意図が不破恭也にはあったと? 例えば、他のGの人間であった、と」


 8号の問いかけに佐山は顎に手を当てて考え込むような仕草をしながら黙り込む。3人の歩く音だけがUCATの廊下に響き渡り、暫し、沈黙の時間が過ぎる。


「…仮に、不破恭也が他Gの人間と考えるならば、何故不破恭也は「御神流」を使えたのかがわからない」
「そうだよね。だったらおかしいよね…」


 近いと言えば2nd-Gだが、そこで御神流が伝わっていたとは考えにくい。可能性は低いと思い、新庄は佐山に同意するように呟きを入れる。佐山は顎に当てていた手を離し、足を止める。


「何かが、引っ掛かるのだがね」
「でも、わからないんでしょう?」
「あぁ。もう少し情報が欲しい。8号君。頼まれてくれるかね?」
「Tes.それが佐山様の望みなら」


 8号が一礼をして佐山と新庄に返す。それに佐山が1つ、頷いて。


「御神についても気になる所だが…なのは君はどうしているだろうかね?」
「もう一週間経つよね? なのはちゃんが飛場先生の所に行ってから」
「ふむ…後で様子を見に行こうかね? 新庄君」
「そう、しよっか」


 佐山の提案に新庄が頷いて返す。そしてそれを聞けば佐山は再び歩き出した。それに新庄が付いていき、8号もまた付いていく。
未だ真実は遠い所にある。それを、胸の内で再確認しながら彼らは歩みを止めずに向かってゆく。




     ●





 山を疾走する影が2つ。1つはなのは。1つは竜徹だ。互いに山の急斜面を駆け下りながら激しい追走劇を繰り広げていた。なのはが短く息を吐き出し、急斜面な地を蹴りながら落ちるように走っていく。
 それを追う竜徹。そのスピードはなのはよりも若干早い。だが、それを振り向いて確認する事はなのはは無い。ただ、前を見据えて走っていくだけだ。なのはを追い、老人が更にスピードを上げる。勢いよく強く地を蹴り、なのはとの距離を詰める。
 後、数センチという所でなのはが振り向いた。同時に竜徹が手を伸ばす。交錯する刹那。竜徹の手がなのはの手によって弾かれた。再度、竜徹が手を伸ばす。だがなのはは身を屈め、その手を避ける。
 そのまま竜徹の足を容赦なく蹴りつける。だが竜徹は怯む事は無い。三回目の伸ばされた手はなのはの服の襟首を掴み、なのはを吊り上げる。


「終わりだ」
「まだっ!!」


 宣告する竜徹に対し、なのはは闘志を殺さぬまま、拳を握り、竜徹の顔面をなのはは思いっきり殴った。まさに容赦無用で手加減なく殴った。その拳を受けた竜徹が一瞬よろめく。だが、すぐさま顔を戻してまるで堪えていない様子でなのはへと視線を戻す。


「終わりだっつてんだろ」


 こちらもまた容赦無用、手加減なしになのはの腹に思いっきり拳を叩き付けた。拳を受けたなのはが肺の中にあった空気を全て吐き出して、くの字に身体を折る。それから一瞬震えたと思えば一気に身体の力を抜いて力尽きた。


「ったく…この野郎。容赦なく殴るようになりやがって」


 おー、いてぇ、と呟きながら竜徹はなのはを背負って山を下り始めた。高町なのはがやってきて一週間。この間、彼女が起きている間は飛場の特訓と食事、風呂以外の時間は無い。
 常に竜徹がなのはの特訓を行う。その間になのはもこのように反撃してくるなどという成長もしてきた。身体能力も上がってきている。確かに成果は出始めているようだ、と竜徹は感じていた。
 

(…まっ、多少は上がって貰わなければ困るけどな)


 だが実際、竜徹が思った以上の成果は着実に出始めている。山を登る時、あまり距離が離れなくなった。逆に山を下りる時は走行距離も長くなり、捕まっても蹴るなどの反撃をしてくるようになった。これは確実な進歩だ。
 この劇的な進歩の背景には4th-Gの草の獣の疲労回復による半永久的なトレーニングと、小太刀を取り入れた訓練を行うようになってからの高町なのはの著しい成長があったからだ。
 小太刀を取り入れた訓練を行うようになってからなのはの反射能力などが大幅に成長しつつある。その様はまるで乾いたスポンジが水を吸い上げるかのようである。


『なのは?』
「…んぅ…?」
「お。目が覚めたか?」


 なのはの背負うザックに入った草の獣がペチペチ、と背を叩くと、それになのはが呻き声を上げながらゆっくりと目を開けた。このように耐久力も付いてきた。高町なのはは確実に成長している。
 本人曰く「慣らされた」と苦笑を浮かべたそうなのだが。それは真偽の程は定かではないし、仮に真実であったとしても竜徹にとっては痛くも痒くもない話だが。


「お腹…」
「んだよ。捕まったお前が悪いんだろうが」
「違います…お腹空きました…」


 ぐったりとしながら力なく呟いたなのはの腹からぐ~、と可愛らしい音が鳴った。それになのはが顔を赤くする。草の獣が首を、こくり、と傾げて。


『なのは。えねるぎーぎれ?』
「うぅー…お腹空いたー、竜徹さーん、早く帰りましょうよー…」
「うっせぇな。ペチペチ叩くんじゃねぇ。つか自分で歩けっ!」


 なのははねだるように竜徹の背を叩きながら言う。だが竜徹はなのはがそう言うなり、不満をぶちまけたように背に乗っていたなのはを剥がし、地面へと放り捨てた。唐突に放り捨てられた結果、地面に大の字着地をするなのは。へぶっ、と可愛くない悲鳴がなのはの口から零れて。


「何でいきなり地面に叩き付けるんですか!? 痛いじゃないですかっ!?」
「うっせぇ。重いんだよ」
「女の子に重いとか言わないでくださいっ!!」
「うっせぇ。重い物は重いんだよ」


 怒り心頭、と言った様子でなのはが頬を膨らませるが竜徹は気にした様子も無く山を下りていく。なのはも竜徹を追って走り出し、竜徹に向けてドロップキックを放つ。竜徹はそれを見ないで回避。
 足を掴んで動きを止める。そしてそのままズルズル、となのはの足を抱えて、なのはを引き摺るように引っ張りながら歩いていく。そしてそのままハッ、と鼻で笑って。


「アホ。百年早い」
「むぅーーっ!! って痛いっ!? ちょっ!? 竜徹さんっ!? 木の枝とか痛いっ!? っていやぁああああああっっ!! 虫、虫服の中にっ!? いや、取って、取ってぇえっっ!?」
「あー。うるせぇ」
『やかましい?』
「まったくだ」


 ジタバタとのたうち回るなのはを引き摺りながら竜徹は気怠げに溜息を吐きながら山を下りていく。草の獣は引き摺られるなのはの背の上でのんびりと酸素を吐き続けていた。
 竜徹が山を下りてくる頃になれば大分外は暗くなっていた。竜徹に引きずられながら返ってきたなのははもうドロドロのボロボロだ。絶望しきった表情で涙を流してぶつぶつと呟きを零している。


「ふぇぇ…虫嫌い…気持ち悪い…もうヤダ…絶対嫌い…嫌いったら嫌い……」
「何トラウマってやがる? さっさと風呂入ってメシ食ってこい」


 飛場道場の玄関前までたどり着いたなのはと竜徹。竜徹はウジウジとトラウマっていたなのはを蹴り飛ばして入り口へと押し込む。その際に固い玄関の床と顔面衝突をしたのだが、もはや文句を言う気力すら無い。
 肉体的な疲労は回復しても精神的になかなか追い付かなくなってきている。このクソジジィ、ともしくは心の中で思っているかもしれない。


「…あれ?」


 ふとなのはが顔を起こすと、そこには普段見慣れぬ靴があった。誰の靴だろう? と思いながら見ているとドタドタと廊下を駆けてくる影が見えた。


「ちょ、ちょっとなのはちゃん大丈夫!? ボロボロだよっ!?」
「あれ? 新庄さん…?」


 目の前にいたのは新庄だった。何故ここに? と疑問に思いながら見つめていると竜徹に踏まれた。ムギュッ、と声を挙げながら再び床へと顔を打つ。竜徹は靴を脱いでそのまま家の中へと入っていく。新庄はあまりにも唐突だった為、何も言えず、それから少し間をおいてから。


「…大丈夫?」
「…ヘイキデス」


 片言で呟くなのは。やっぱり心の中で、あのクソジジィ、と思っているのかもしれない。そんなやりとりをしていると新庄の後ろにもう一人、誰かがやってきた。


「いや。なかなか随分な姿だね。高町君」
「…佐山さんも来てたんですか?」
「君の様子を見にね」
「そうですか。ありがとうございます。ちょっと待っててくださいね。お風呂に入ってから着替えて来ますんで」


 そう言ってなのはは何事も無かったかのように立ち上がり、すたすたと家の中へと歩いていってしまう。それを佐山はほぅ、と1つ頷いて見送り、新庄は引きつった笑みを浮かべて。


「…竜徹さん、容赦無いなぁ…」
「それでこそ飛場先生だよ。さすがはドS変態爺だ。しかし高町君も凄いね、この一週間で大分慣れたようだ」
「慣らされた、の間違いじゃない?」


 佐山の関心したような言葉に、新庄が呆れたように呟き、額に手を当てて溜息を吐くのであった。


 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 03
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/16 19:50
 飛場道場。そこにあるなのはに宛がわれた部屋。風呂から上がり、食事が終わったなのはは佐山と新庄を自分の部屋へと通していた。自分の部屋と言っても、寝るぐらいにしか使っていない為、生活感が感じられない部屋だが。
 そこでなのははいつか、佐山と新庄にお願いをした時のように向かい合わせになるように座る形となる。なのはは佐山へと視線を向ける。その顔には疑問が浮かんでいる。


「今日は本当に様子見だけですか?」
「あぁ。君がどうしてるか、と思ってね」


 佐山がそう言う。するとなのはは一瞬キョトン、としてから、怪訝そうな顔を浮かべた。その表情の変化を怪しんだように新庄が首を傾げてなのはを見つめる。


「どうかしたの? なのはちゃん」
「えと…佐山さん?」
「何だね? 高町君」
「…あの本当に何ですか?」


 その問いかけ方に、佐山も新庄も怪訝そうな顔になった。一体どうしてそこまで疑うのだろう? と二人は思う。なのははその顔を見て、なんだか居心地が悪そうに頬を指で掻いて。


「いや。理由が無いかなぁー、と思いまして」
「理由?」
「だって、佐山さんって私を諦めさせる為にここに送ったんじゃないですか?」


 そのなのはの言葉に佐山が眉を顰める。新庄も不思議そうになのはの顔を見て、佐山の顔を見て、交互に二人の顔を見返す。それになのはは少し困ったように顔を浮かべる。このままでは互いの理解が得られないな、と佐山はなのはに問いかけを投げかける。


「どうしてそう思ったのかね?」
「だって今更考えて私にメリットなんてありませんから。佐山さん、UCATってそこまで戦力に困ってますか?」


 なのはの問いかけに佐山はふと、全竜交渉部隊のメンバーを思い出す。全竜交渉部隊のメンバーだけでもかなりの力を持つ者達が大勢いる。その下には通常課という部隊も存在しているため、戦力不足で悩んでるという事は無い。
 佐山の表情から察したのか、なのはは更に畳みかけるように問いかけた。


「小学生を部隊に組み込むメリットって、あります?」


 それは無い、と佐山は即座に思う。いくら力があろうと小学生を戦場に出す事を誰が許容しようか? UCATでの最年少と言えばヒオ・サンダーソン。彼女はまだ中学生である。別に好まれて戦場にいるわけではない。
 あれは彼女が選んだ結果であり、それに伴う力があったからだ。ふとそこで佐山は考える。そのヒオに対して高町なのははどうだろうか? 彼女は小学生。ヒオよりも幼い子だ。更には特別な力も無い。そんな少女を鍛えて全竜交渉部隊のメンバーに加えるメリットがあるのだろうか? …否だ。そんな物は無い。
 佐山が思案している事に気づいているのかいないのか、なのはは更に言葉を続けていく。


「だから追いかけるのは自由でも、心配とかはされるとは思わなかったなぁって思ってまして…佐山さんは私に構ってる程暇なんですか?」


 なのはにとって不思議で仕様がない。佐山は世界の滅びを防ぐ為に戦う部隊だというのを知っている。それを、メリットも無い自分へと会いに来るというその行動がわからなかった。だからこそなのはは問いかける。その疑問を解消する為に。
 それに答えるべき佐山は、沈黙していた。


(…高町君の言うとおりだ。私は、何故、ここに来た?)


 御神家のわかった事でも伝えに来た? そんな多くの情報はわからない。話すに値する内容でも無い。ならば…私は何をしに来たのだ、と。
 様子を見る? そこに何のメリットがある。彼女を戦力として使うつもりか? …たかが小学生を? そこまでUCATは戦力に困っていただろうか? ヒオの場合とは例外なのだ。彼女には成す為の力があった。だが…対して高町なのはは違う。彼女はまったくの無力なのだから。期待出来る要素など1つも無いのだ。


(そうだ。彼女にメリットなどはありはしないのだ。…それでも、私は、何故様子を見に来るなどと…思った?)


 期待していた? 馬鹿な、小学生だぞ、と佐山は思考する。力も無い小学生だ。そんな者に期待をかけていた? だがそう考えるのが自然だ。しかし、そう思ったのは何故だ? 私は頼りたかったのか?
 それは高町君の望む事か? 私は頼れば良いのか? 彼女に頼ればそれで良いのか? いや待て。それ以前に自分は彼女に何を見いだしたのか、と。


「佐山君?」


 沈黙したままの佐山を心配気に見つめる新庄。それに佐山がハッ、としたような顔を浮かべる。それから自らを落ち着けるようにゆっくりと息を吐いて表情を引き締めてなのはを見据える。


「高町君」
「はい?」
「君は何故ここにいる?」
「えと…私はここにいたいと思ったからですよ」
「ここにいたい。それは何故?」
「見つけたい物があるから、私はここにいるんですよ。必要とされなくても良い。だけど得たいものがここにあるから得る為にここにいるんです」


無邪気になのはは笑って言う。それは、己の心からの本心だと言わんばかりに。ここにいたいから。答えを探しているから。例え、必要とされなくても。ここにいたいと。そう望むから。そこに自分の求めるものがあるからこそ。
 なのはの言葉にまるで天啓を受けたかのように佐山は納得し、頷いた。
 ――あぁ、そうか、と。


「帰ろう。新庄君」
「え? さ、佐山君?」
「私達がここにいる理由はもう無い、という事だよ。様子見は終わったし、それに、少しばかしやらなきゃいけなくなった事があってね」


 なのはを見て佐山が言う。それになのはが少し首を傾げてる。首を傾げるなのはを見て佐山はフッ、と笑みを浮かべる。


「助かったよ」
「え? 何がですか?」
「何、気にしないでくれたまえ。私の独り言だ。さ、帰ろう。新庄君」


 そう言って立ち上がり、玄関へと向かっていく佐山。それを呆然と見て、見失ってから慌てて動き出す新庄と、結局何が何だかわからないなのはが残された。
 佐山は二人に気にせずに部屋を後にした佐山。そこで佐山を待っていたのは竜徹だった。


「よう。御言」
「…飛場先生。貴方は高町君をどう思う?」
「あぁ。テメェと似たような糞ガキだ」
「やはりかね」
「あぁ」


 竜徹の言葉を聞いて佐山はククッ、と喉を鳴らした。愉快愉快、そう言わんばかりに口元を吊り上げて佐山は笑う。


「幸いである事を忘れていたよ」
「そうかい」
「私の原点を探してみよう。そう思う」
「好きにしやがれ」


 ぶっきらぼうに竜徹は返す。だがその顔には若干の笑みが浮かんでいた。それに佐山がふぅ、と息を吐き出してから。


「…飛場先生。その時は彼女も私達と歩けるかね?」
「知らねぇな。アイツにその根性と意志があるなら付いて行けるさ」
「そうかね。それはとても楽しみだね」
「おいおい。無力なガキだぜ?」
「私も何も知らぬ子供であったよ。ならばスタートラインは同じだ。彼女がここにいたいと望むなら、その先にある答えを望むならば…彼女は私と同じ場所に来るだろう。それはとても愉快な事だね」


 佐山御言は思う。高町なのはと自分は似通っている部分が確かに存在すると。
 例え自分の行いが過ちであると知りつつも貫く者。彼女は、どうするのだろう? その過ちを貫くのか? それとも正すのだろうか? 佐山は、それが見てみたいとそう思った。


「彼女が答えを望み、私もその答えが知りたいと望む。なら、私は待つだけだ。彼女の答えをね」


 後ろから新庄が慌てた様子で佐山の名を呼びながら歩いてくる。それを見てから竜徹がふぅ、と息を吐いて。


「仕上げはしといてやるよ。潰れてもしらねぇからな?」
「賭けでもするかね? 私は高町君が這い上がってくるのに全額賭けるが?」
「馬鹿野郎」


 軽く笑う様子を見せて竜徹が佐山の肩を軽く叩いて歩いていく。そのすれ違う間際。


「賭けになんねぇだろ?」


 竜徹はそう、呟いて去っていく。去っていく飛場を見送った後、佐山が瞳を閉じる。脳裏にまるで誰かの姿を描くかのように。
 そこでようやく新庄が佐山に追いついてきた。彼女は先ほどから状況について行けてないのか困惑した顔を浮かべて。

「ちょっと佐山君っ!? 急にどうしたのさ!?」
「ふふふ。なに、簡単な事さ、新庄君。これから楽しくなるって事だよ」


 ククッ、と喉を鳴らせながら佐山は歩き出した。それに新庄が訳のわからない、と言った顔をしながら慌てて佐山を追いかけてその言葉の真意を聞きだそうとしている。
 はい上がってくるが良い。「悪」でもなく「正義」でもない君よ。私は、待っているよ。私は、君の出す答えが見てみたいと思ったよ。


「君は見せてくれる事を、望んでくれるかね? 高町なのは」




    ●





「…佐山さん、結局何しに来たんだろうね?」
『さぁ?』


 一方、佐山と新庄が去った部屋では置いてけぼりにされたなのはが草の獣と戯れながら、ぽつり、と呟いた。
 その瞬間、背後から殺気が背中に向けられた。思わず後ろを振り向く。同時に振り下ろされる何か。それを手で受け止めるなのは。


「ちょっ、竜徹さんっ!? 何するんですか!?」
「準備しろ」
「は…? 何を…」


 聞こうと思った時に、手に握ったその物を見てなのはは驚きに顔を満たした。その手にあったのは二本の小太刀。黒塗りの鞘に収められた鋼の重み。思わず、なのは手が震えた。


「あの、これは?」
「これから仕上げてやるよ。お前をな。良いか? これから山に潜る。一週間、俺はお前を殺すつもりで攻撃する。生き延びろ」
「な…っ」


 なのはは思わず息を呑んだ。それが冗談ではないと、冗談を言う人では無いという事は知っている。そしてそれの証明がこの鞘に収められた小太刀だ。思わず一本の小太刀を鞘から解き放つ。鈍い光を放つ研ぎ澄まされた刃。曇り無きその刃は、吸い込まれてしまいそうだ。


 …私は、これを、振るえるのだろうか?


 冷えていく心と引き替えに、小太刀を握った手を中心に、身体は熱を帯び始めていた。心音が、自らの中で、強く、激しく響き始めていた。
 気持ち悪い。なのはは素直にそう思った。自分の身体が自分の身体じゃなくなっていくようなそんな感覚。ふと、竜徹と眼があった。そこには静かにこちらを見据えてくる竜徹が居た。


 そして、なのはは…――逃げ出した。


 声が出なかった。ただ、小太刀を握りしめて走った。逃げる。ただ、逃げる。訳もわからず竜徹から逃れるようになのはは走り続ける。玄関を抜け、乱暴に靴を手に取って走り出す。
 走って、走って、ただ走って。そこで足がもつれて、なのはは茂みに倒れ込みそうになった。思わず気配を探り、息を荒く吐き出す。だがすぐに呼吸を整えて、森の中で息を潜める。その身を隠すように小さく縮まり、木を背に預けて息を吐き出す。
 思わず手が足に伸びる。山道を靴下で走ってきた為、痛みが走る。すぐさま手に持っていた靴を履くが、それでも痛みは消えない。足の裏が熱を持ち、なのはは顔を顰める。
 そして手が嫌になるほど熱い。原因は手の中にある小太刀だろう。手を中心に熱が浸食するように全体に回っていく。喉まで浸食され、焼けるかのような熱に噎せ返る。それが脳に届かぬように、ゆっくりと、息を吐き続けていく。そうしなければ、この熱が自らを飲み込むと錯覚しながら。
 草の獣…あの子がいればこの熱を奪ってくれただろうか? 逃げ出した為に、置いてきてしまった。今更ながら後悔する。


「な、んで」


 止まらない。震えが止まらない。息を潜めていたなのはは震えるか細い声で呟く。
 竜徹に渡された小太刀。それを握った時、刃を解き放ったその時からおかしくなった。熱を帯びていく身体に比例するかのように心が冷たくなっていく。
 一体、どうしたのだろう? 何もわからない。何、も。


「――っ!?」


 周囲に満ちた殺気。なのはは地を蹴り、目の前へと転がるように飛ぶ。その瞬間、なのはのいた木々が切り裂かれる。そこにいたのは日本刀を構えた竜徹の姿。なのはの瞳が恐怖の色を帯びる。


「何、ビビッってんだテメェッ!!」


 咆哮。竜徹は地を蹴り、なのはに向かって飛ぶ。振り下ろされる日本刀がなのはを狙い、その肩口から切り裂かんとする。それをなのはは態勢を立て直し、バックステップを踏む事で回避する。
 そのまま後ろに向かって蹈鞴を踏むと、背が木にぶつかる。一瞬、後ろを向きそうになって、止めた、目の前には竜徹がいるのだ、そんな隙を与えれば待つのは死だ。そう教え込まれて来たのだ。熱が更に熱くなる。やはり比例して心が冷えていく。


「おい」
「…っ」
「何、ビビってんだ? ずっと教えてきた事だろうが? 今更何最初に戻ってやがる」
「だ、だってっ」


 真剣ですよっ!? となのはは叫びたかった。これは木刀とは違うのだ。下手をすれば、自分は竜徹を殺すかもしれない。それが、怖い。わからないのか、となのはは叫びたかった。だが、それは竜徹の眼光の前に叩き伏せられる。


「だってじゃねぇっ!! テメェが振るうのは力だ!! 木刀だって当たり所が悪けりゃ死ぬ! 真剣だって当たり所が良ければ死なねぇ! 力はなぁ、テメェの一部だ!! テメェがテメェを恐れてどうする!?」


 竜徹が言葉と共に地を蹴る。横薙ぎに振るわれる日本刀。速い。かわせないと判断したなのはは咄嗟に腰に巻いた帯に挟めていた小太刀を抜き放つ。金属と金属がぶつかる音。その音に、なのははクラッ、と頭が揺れた気がした。
 わからない。自分がどうなっているのか。怖い? 怖いのか? 自分は、恐れている―――?


「テメェ…」
「…え?」
「何、笑ってんだ?」


 竜徹の言葉に息を呑む。自分が今どんな表情をしているのかがわからない。だが竜徹が、そう言った。つまり、自分は…笑って、いる?
 そしてなのはもようやく気づく。自分の口元が緩んでいるというその事実に。驚きに見開いた眼、恐怖するかのように震える身体、笑う口元、まるでそれはツギハギのよう。


 ―そして、何かが、罅入った。


 それが自分の声とはわからない。ただ、何かが音が聞こえた。それは自分の喉から出ているような気がした。同時に風を感じた。熱が身体を動かしている。そんな錯覚だ。自分の意志では無いのに身体が動いていく。冷たい心だけが、やけにそれを知覚していた。


「おっ」
「――ッ!!」


 手首を返し、弧を描きながら刃を振るう。それが竜徹の持つ日本刀で防がれれば空いたもう片方の手でもう一刀の小太刀を抜き、突きを放つ。心臓に目掛けて――。


(…心臓? …何で!? 駄目だよ、死んじゃう!!)


 手がぴたりと止まった。身体の震えが強くなっていく。なのに小太刀の感触だけは手に吸い付くようにあり、落とす事は無い。ただ息づかいの音が荒くなり、何も聞こえなくなりそうだ。


「テメェ…」
「…ぁ…っ…あ…っ」
「死ぬかよ」
「…え?」


 竜徹が空いた手でなのはの心臓の手前で止まった小太刀を握る。血が噴き出した。ヒッ、となのはが息を呑んで、小太刀を離し、後ろへと蹈鞴を踏み、その場に尻をつく。竜徹が血に染まる小太刀を見つめながら。


「テメェ如きに俺が殺せると思ってるのか?」
「ひ…っ…あっ…は…ぁっ……っ!」
「何、ビビってんだっ!? この小太刀と! テメェが今まで振るってきた力は何が違うってんだっ!? あぁっ!?」


 小太刀と魔法の何が違う? 魔法には非殺傷設定と呼ばれる設定がある。それがあれば人は殺さない。殺さないから安心して使えた。でも小太刀は違う。あれは、殺してしまう。振るえば死んでしまう。死。死、死死死死死死!!
 なのはの思考がグルグルと巡り、そしてスパークする。なのはは頭を抱えて蹲り、悲鳴を上げた。


「イヤァッッ!! ヤダよぉッ!! 死んじゃヤダ!! 死にたくない!! 殺したくない!!」


 死は怖い物。死は冷たい物。死は…イヤな物。だから、イヤだ。イヤだ。嫌い。嫌い。大嫌い!!!
 心が悲鳴を挙げた。拒絶するように、なのはは頭を抱えて泣き叫んだ。それを見た竜徹がなのはの目の前に小太刀を突き刺す。ビクッ、となのはの身体が震えて、竜徹を見上げる形となる。


「良いか。絶対、なんてこの世にはねぇ。人はいつか死ぬ」
「死ぬ、のは、イヤ…」
「死ぬんだ。人は死ぬんだ。お前はイヤなんだろ? それを止める為には、戦うしかねぇ。戦って、戦って護るしかねぇ」
「殺し、たくない」
「いつまで我が儘言ってんだっ!! 戦いはスポーツじゃねぇんだっ!! 自分の命をかけて!! 相手の命を削って!! そして勝った者だけが生死を選べるんだよっ!! 戦争ってのは、そういう物だっ!!」


 なのはの襟首を掴み挙げて竜徹が叫ぶ。


「守りたい物には命を賭けろっ!! 命を賭けて戦えっ!! 血反吐吐いても、這い蹲っても護れっ!! 甘ったれるなっ!! テメェが見て来た戦場がどんな物かは知らねぇ!! でもな、ここじゃそれが当たり前なんだっ!! 理解しやがれっ!!」


 それは戦争を経験して来た者の台詞だ。彼とて何も失わずにここへ至ったわけではない。
 レア。竜徹の色違いの赤の瞳の本来の持ち主。そして美影の母親。彼女を竜徹は守れなかったのだから。
 だからこそ叫ぶ。守るという事を甘く見ている愚か者に教える為に。竜徹の言葉になのはは震えていた。拒絶したいのに、拒絶出来ない。それが正しいと、理解してしまっている。それは、正しいも過ちも関係無い事実なのだから。
 自分は守れない? そしたら、死ぬ誰かを、困る誰かを見なければいけない。でも、それを助ける為には力を振るわなきゃいけない。でも、力は誰かを傷付ける。傷付いたら自分が殺す事になる。それは、イヤだ。


「殺し、たく、ない」
「…テメェが誰かを殺せるかよ」


 竜徹がなのはの襟首を掴んだまま立ち上がり、そのままなのはを投げ捨てる。木に背を打ち付け、噎せながらなのはが地へと落ちる。


「俺も随分舐められた物だな? あぁ? テメェが俺より強いとでも思ってるのか?」
「ち、が」
「だったら何故振るわねぇ!? その力は殺さない為にある力なんだろうっ!? 殺させない為にある力だろっ!? それを振るわねぇで、何が守れるっ!? お前を殺そうとしている俺に情けなんぞかけるな!! ……テメェがこの世の全ての命を守れると思ってるのかよっ!?」


 なのはは思う。そんなの無理だ。…そう、無理なんだよね。私の手の届かない所は守れない。
 だったら、せめて身近な人だけでも――。


「…ぁ…」


 そうだ。私には守りたい人がいた。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、アリサちゃん、すずかちゃん。

 ―温かく、私を迎えてくれる人たちだから。

 そして…地球へやってきたユーノ君。ユーノ君が教えてくれたジュエルシードを知って、危ないとわかったから戦った。ユーノ君一人に任せたくなかったし、困っていたから

―自分が困った時に助けてくれたら嬉しいから。

 フェイトちゃんと出会った。悲しい瞳をしていたと思った。泣きたいのに、泣けない、そんな瞳をしていると思った。

―かつて自分がそうであったから。

 可哀想だと思った。だから助けたいと、そう思った。きっと自分がその瞳をしないように出来たようにきっとフェイトちゃんにも出来ると思ったからだ。
 そしてフェイトちゃんは生き延びて、わかりあえて、暖かい瞳を得た。

―安堵した。悲しい瞳を見る事が無くなった。

 半年経って、また似たような瞳を持つ人にあった。ヴィータちゃん。シグナムさん。シャマルさん。ザフィーラさん。泣きたいのに泣けない。そうしなければいけないのだと自分を律し、望まぬ事をするしか無かった人たち。
 本当にそうするしか無かったのか、聞きたかった。それが自分にどうにか出来るならどうにかしてあげたかったから。

―かつて自分がそうったからだ。

 戦い続けてはやてちゃんと出会って、闇の書の主だと知った。また戦って、そして覚醒した闇の書を止める為に戦って、止めて。でも、リインフォースさんは消えてしまって。悲しんだはやてちゃんを見るのが、イヤだった。

―そうしているのは自分だったかもしれないから。

 …思えばいつも自分を重ねていた。いつだって、そこに自分がいた。そこで泣いている自分を見ていた。だからこそ助けようと思った。そこにいた時、自分だったらイヤだから。そう、自分がイヤだから。
 他人が泣くのがイヤなのは、自分が泣くのがイヤだから。
 他人が困っているのがイヤなのは、自分が困るのがイヤだから。
 他人が苦しんでいるのがイヤなのは、自分が苦しむのがイヤだから。
 他人の痛みは、私の痛み。他人の哀しみは、私の哀しみ。


 …本当に?


 それはただ、私が私を誰かに重ねて、私が悲しまないようにしているだけだ。
 なら。なら、何も恐れるな。他者の悲しいのは私が悲しいからじゃない。他者が困っているのは私が困っているからじゃない。他者が苦しいのは私が苦しいからじゃない。
 救う? そうだ。そんな事、私には出来ない。護る? もっと出来ない。何を護れというのだ。私にはわからない。わかっててもこんな臆病な自分に何が守れる?
 あぁ、でも、そうだ。それでも、私は――。


 ――そうして罅入った何かが、完全に砕ける音が響いた気がした。


 竜徹の目の前で風が爆ぜる。それは高速で動く何かが動き出した風の動きだ。その風を感じながら竜徹は口元を笑みに変えた。手に握った日本刀を振る。
 鳴り響くのは金属音。振るわれたのは鋼の刃。振るうのはなのはだ。なのはは防がれたのを見れば、すぐさま後ろへと飛び、地面へと突き刺されていたもう一刀の小太刀を握る。それを抜き構える。


「おい」


 竜徹の声に、なのはは何も答えない。先ほどまで震えていたとは思えぬ程、落ち着いた呼吸に落ち着いた動作。先ほどまで持て余し、拡散していた力が集中していくような錯覚。


「もう、怖くねぇのか?」


 竜徹の問いかけに、なのはは呼吸を一瞬だけ深くする。それが、落ち着いてくる頃に、ゆっくりとなのはが口を開いた。


「私は…誰かに移る私が怖かった。悲しんでいるのが、苦しんでいるのが私だと思うとものすごく怖かった」


 誰かに移る自分の影が怖かった。悲しんでいる自分。苦しんでいる自分。困っている自分。それが見えるのが怖いから、今まで頑張って来た。ただ、自分を護る為に。
 私は、私しかいないのに。例え、似ていようとも、そんな事は無い筈なのに。だけども高町なのはは怯え続けてきた。
 他人の痛みを自分の痛みとして考えられる。それは美徳だ。だがなのはの美徳は行きすぎていた。それが汚点となった。それがなのはを苦しめ続けてきた。
 だが、ようやくなのははわかったのだ。他人は私ではない。私の一部を持っているわけでもない。ただ鏡なだけだ。それは自分を見る為だけの鏡にしか過ぎないのだ。それを今までずっと恐れてきた。
 だが、何を恐れる必要がある? 何故恐れる? 何故忌避する必要がある。確かにそれは辛い。確かにそれは悲しい。確かにそれは苦しい。だけど、本当に辛いのは自分じゃない。それを感じている当人だ。


「必要なんかなかった」


 でもそうしないと相手に裏切られると思ってしまった。だからやるべき事をやらなきゃと思った。そう、良い子になろう。なのはそう思って生きてきた。今までずっと。
 実際は信じる事が怖かった。いつ裏切られるかわからなかった。だからいつだって全力全開。後悔なんてしないように、必要以上に抱え込んで、溜め込んでいた。
 どうしてそうなってしまったんだろう? なのはは思考を巡らせる。
 そうだ、あれは幼い頃の事…。誰も傍にいてくれなかった時があった。寂しかった。構って欲しかった。だけど、誰もいない。寂しい、辛かった。裏切られたそう思った。今ではそんな事は思わない。
 …そうだ、ずっと封じてきた思い出がある。一度だけ、父を怨んだ事があった。動けぬ父が恨めしかった。何を寝ているのだと。そこで寝ているだけならば自分を構ってくれと。我が儘を喚き散らし、母を、兄を、姉を困らせた事があった。何故? と思った。何故、誰も助けてくれないのかと、そう思った。
 幼い私にとっては、それは裏切りだった。裏切り以外の、何者でもなかった。
 だけど、今ならわかる。いや、もっと前からわかっていたのだろう。ただそこから眼を背けていたのだろう。人は本当の意味で自分を救えるのは、自分だけなのだと。親とて人。人にはそれぞれの世界があって、その世界を必死に支えながら生きている。
 だけどそれでも私は…本当は助けて欲しかったんだ、と。父が死にかけた。それは、どれだけ世界を揺るがしただろう? 他者とは鏡。自らを見る為に必要な物。幸せだと感じる自分を見る為の鏡。それが失うと感じた時、どれだけの恐怖に見舞われる事か。
 だから助けて欲しかった。でも、助けはなくて、結局怯えて、蓋をして、勘違いして、そして突き進んできた。そして間違えた。壊してしまった。
 そして…今、全てを見直して私はここにいる。全てがわかる。納得が出来る。小太刀を握った時の熱は、歓喜だった。笑みが浮かんだのも、それが喜びの物だったからだ。父が、兄が、姉が、小太刀を振るう姿は好きだった。成長してからも時たま何度か見ている程に好きだった。
 いつだったたろう? もう、霞む程の遠い記憶だ。私もそうなりたいと思った事があった筈だ。詳しくは覚えてはいない、もしかしたら都合良くそう思っているのかもしれない。それでも、良い。私は憧れていたのだ。ずっと、ずっと…。
 それに比例して心が冷えていったのは、父を憎んだお前にその資格があるのかと責め立てたのだ。だから逃げた。小太刀を振るう姿。憧れた姿。その姿を憎んだ私に資格など無いと。だから、憧れても握れなかった。握るつもりも無かった。
 運動が苦手というのも理由にして、逃げた。そうやって自分を納得させた。だからわかろうとしなかった。自分が嬉しいと思っているのを。理解してはいけないと思ってしまったからだ。



 ――だけど、それはきっと全部が錯覚。



「竜徹さん」
「何だ?」
「もっと、我が儘で良いですか?」


 私はもっと望んでも良いですか? 私はもう少しだけ自分に素直であって良いですか? もっと欲しいと思う物をこの手に取って良いですか? もっと私は私らしく、我慢なんてしないで、遠慮なんかしないで、自分らしく生きてて良いですか?


「んな物、知るかよ」
「そうですよね……。…だったら……だったら! 我が儘になります!!」


 遠慮はしない。護る為の力が欲しい。強くなりたい。今、心の底から強く思う。弱かった自分を変えていきたい。臆病者で眼を反らし続けて、全てに怯えてきた自分を変えていきたい。変えるんだ。そう、だから――。


「行きます」


 もっと強くなる為に。私の望む場所へ行く為に。私の欲しい物を得る為に。もっと自分らしく、もっと我が儘に私は求めていこうと――。


「行きますっ!!!」


 なのはは叫ぶ。そして踏み出す。強く、そう、力強く一歩を踏み出した。竜徹も応えるように前へと踏み出す。2つの風が駆ける。振るわれる刃、ぶつかり合い、甲高い音を立てる。
 竜徹が小太刀を押しのけようとすれば、もう一刀の小太刀で防ぎ、ステップを踏み、受け流すように態勢を崩す。受け流し切らせないように竜徹が足を踏み込み、身体を捻る。逆になのはの力が逸れ、今度はなのはがそれを直すために小太刀を振るう。それを防ぐ為に竜徹が刀を返す。
 甲高い金属音。押し合う互いの刃。互いの顔に浮かぶのは、愉悦。互いに互いの刃を弾き、竜徹は地に、なのははそのまま木を駆け上がるように駆け、重力も加えた落下による斬撃。打ち上げるように竜徹が刀を振るう。


「ぅらぁあっ!!」
「チッ!!」


 ぶつかり合う刃。なのはが舌打ちと共に空へと打ち上げられる。それに向けて突きを繰りだそうとしている竜徹。それになのはが身体を捻って、小太刀の一刀を投げた。それは真っ直ぐ竜徹へと向かっていく。


「ちっ!」


 今度は竜徹が舌打ち、刀で小太刀を弾く。その瞬間、なのはが落ちてきた。なのはが態勢を変えて膝蹴りが額に決まる。そのダメージからふらつく竜徹の腹に、着地したなのはが肘鉄を食らわせる。蹈鞴を踏む竜徹を尻目になのはが弾き飛ばされた小太刀を手に取って。


「テメェっ!! 物と老人は大切に扱えって教わらなかったのかっ!?」
「所詮は竜徹さんから貰った物と竜徹さんですし、気にしないです」
「気にしやがれっ!! 糞ガキっ!!」
「絶対にイヤですっ!!」


 互いに浴びせるのは罵倒。だが口元に浮かぶのは笑み。互いに地を踏み込み、ぶつかり合う。ただ、楽しそうに、子供のように彼らは舞踏を繰り返し続ける。


 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 04
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 09:28
「…ふむ」


 深夜。そんな時間になるだろうか。尊秋多学院の学生寮の自室で佐山は思考の海を漂っていた。


「やはり、現状の全竜交渉部隊では駄目だな」


 ぽつりと呟く。下で眠る新庄を起こさないように。起きればどういう意味だ、と聞いてくるだろう。今はまだ話せないし、話すべき内容でも無い。
 そう、これは自らで気づかなければならないのだ。その理由は、自分の中にしか無い。現状の全竜交渉部隊は絶好調、と言うべきであろう。…そう、絶好調すぎるのだ。互いの短所を補い、互いの長所を生かし切る。そう。それは素晴らしい事だ。


 ――本来ならば、だが。


「…時間も無い」


 残す交渉所は3つ。7th-G。8th-G。9th-G。だが、実質的に交渉が必要なのは7th-Gだけだ。…つまり大規模な戦闘があるのは恐らく後一度のみ。


「そうすれば…来るだろうな」


 「軍」。UCATと敵対する謎の組織。恐らくこちらに全ての概念核が集う時、奴らは仕掛けてくるだろう。その時までがタイムリミットなのだ。故にぐずぐずはしていられない。
 現状の全竜交渉部隊では「軍」には勝てない。断言しても良い。佐山はそう思う。何故ならば、皆、忘れてしまっているか、気づいていないのだから。現状があまりにも心地よいが為に。
 事実、佐山もそうであったのだ。だからこそ、急がねば、と思う。


「私に欠けている物を得る為に」


 そして皆に得させる為に。私は「悪役」になろう。


「…やはり、これしか無いのだな。多少の荒療治ではあるが」









「全竜交渉部隊を、解散させるしか無い」


 誰も聞き取る事なく…佐山の呟きは闇の中へと消えていった。ふと、佐山は視線を移した。そこにはカレンダーが立て掛けてある。暦は、もう11月へと変わろうとしていた。





    ●





 夢を見ていた。
 それはいつも見る空から墜ちる夢だ。
 身体が鉛のように重く、ありし筈の力の通りが悪い。
 力強さが無く、ただ力が抜けていく喪失感。
 必死にかき集めようとして、必死にその力を振るおうとして、足掻いて。
 …だが、それは唐突に、張り詰めた糸が切れるように無くなる。
 ぷつん、と途切れた。
 落下。重力に抗えず、ただ、ただ墜ちていく。
 遠くなる空に手を伸ばす。でもそれは届く事は無く。墜ちていく。
 待って、と声を挙げても届く事は無い。ただ空は遠く。迫るは地面。

 だが、いつものような諦めの気持ちは感じなかった。

 衝撃。そして、全ての感覚がシャットダウンする。
 呼吸をしているのか、どこが動くのか、自分は今生きているのかさえわからない。そこは、無。だが、いつもの恐怖感は、今はまったく感じられない。
 そう、何故ならば、大丈夫、だと信じる事が出来る心があるから。
 拳を握ったつもり。よくわからない。足を動かしたつもり。よくわからない。声をあげたつもり。わからない。自分が何をしているのか、今よくわからない。動いているのか、いないのか、それすらもわからない。
 でも。それでも、恐怖は感じない。心は、常にここにある。
 力なんて、無くても良いんだよ、と。だって――。


「ここに居たい。そう望むなら、資格なんていらない。ただ、そこへ向かって歩いていくだけだから」


 そして目の前が弾けたような気がした。
…実は、気がしたんじゃなくて、実際弾けていたようだ。鼻がジンジンと痛み、その痛みになのはは思わず声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。


「~~っっ!!!」
「いつまで寝てるつもりだ?」
「りゅ、竜徹さん?」


 顔を両手で押さえながらなのはが周囲を見渡すと、そこには竜徹の姿があった。その手には即席で作ったようなハリセン。なのはは、思わずここがどこなのかを確認するかのように辺りを見渡す。目の前にあった光景は、自分が寝泊まりしていた飛場家の一室だ。


(…あれ? 私どうしたんだっけ?)


 疲れているのだろうか? 頭が随分ぼんやりとしていて回らない。ぼんやりとしていると再びハリセンで叩かれた。今度は頭だ。さりげなく痛い。


「さっきから何するんですか!?」
「目覚ませ。ボサッ、としてんな」
「っー…この、もう少し子供に向ける大人の余裕とか無いんですか?」
「俺は常に余裕たっぷりだぜ」
「あー。随分な余裕っぷりですね。最大値がどれだけ低いんですか」


 売り言葉には買い言葉。苛立ちを込めた声を漏らしながら、状況を思い出そうとする。


(…竜徹さんとずっと喧嘩してたような記憶しか無い)


 そう。実はあの後、なのはと竜徹は時折、休憩をしながらだが、ずっと喧嘩していたのだ。腹が減れば一度休憩。疲れれば一度休憩。だが、休憩の間に交わしたコミュニケーションが火種になりて、再び喧嘩勃発。そしてまた休憩という事を延々と繰り返していたのだ。
 思わずなのはは欠伸をした。喧嘩している間は草の獣がいなかった為、疲れが取れてない。だが、あれだけ動いていたのにこれだけの疲労とはちょっとおかしい気がする。何でだろ、と思った時だ。


「…あ」
『おはよう。なのは』


 ふと枕を見たら草の獣がいた。どうやら枕になっていたようだ。有り難い、と思い、なのははそっと草の獣を抱き寄せた。草の獣は抵抗無く、なのはの腕の中に収まって。


「うー、置いてってごめんね」
『きにしない。だいじょうぶ。なのは、つかれてる?』
「んーん。もう大丈夫…ふにゃー、ってしちゃう…」


 ぎゅーっ、と草の獣を抱きしめながら再び安眠状態に入ろうとしたなのはの顔面を綺麗に竜徹のハリセンが叩いた。目の前がチカチカするー、とまだ草の獣のリラックス効果で呆けていた思考が思い、そして、3秒ほど数えると。


「三度目はさすがに無いと思うんですけどっ!?」
「顔は二度目だ。三度目じゃねぇ」
「あーっ…子供みたいな屁理屈を…!!」


 まったくこの爺は、となのはは思い、ふぅ、と息を吐く。それに合わせて草の獣もなのはの余剰熱を吸って酸素を吐き出す。その酸素を胸一杯に吸うなのは。あぁ、なんてエコロジー。人類の最高の友だよ4th-G、となんだかトリップしそうになるなのは。さすがにこの一週間ほどずっと竜徹と喧嘩していた為にストレスが溜まっていたようだ。


「そりゃこんな頑固で子供な爺の相手してたら疲れるもんね」
「テメェ。わざわざ声に出して言うか?」
「あれー? 出ちゃってましたねー。やだー、ビックリー」


 わざとらしくそう言い、ベーッ、と舌を出すなのは。それに竜徹がヤレヤレ、と肩を竦めてからなのはをジト目で見て。


「ガキみたいな事やめろよ」
「どっちがですかっ!?」


 とりあえず近くにあった目覚まし時計を遠慮なく放り投げた。顔面ジャストミート。よしスッキリした、と沈む竜徹を見てなのはは満足げに頷いた。そして草の獣を抱いたまま、部屋を後にした。
 あれだけ動いた後だ。どうやって帰って来たのかは知らないが、とりあえず汗を流したいと。流した記憶が無い。記憶が無い間に流したのだろうか? いや、それでも寝汗という物がある。これでも女の子。汗臭いのはイヤだ。


「ねぇ。私汗臭い?」
『さぁ?』


 …そういえばこの子鼻ってあるんだろう。花はあるかもしれないけど鼻は…。
 そんなくだらない事を考えながら、なのはは草の獣を抱いたまま風呂場へと向かった。
 扉を開き、草の獣を置いて、すぐに自分の身につけていた衣服を脱ごうとする。


「…ん?」


 すると何かが目についた。それは服だ。どうやら脱いだ後のような服だ。そういえば、今何時なのか確認するのを忘れた、となのはは今更ながら思い出した。うーん。疲れが取れきってないのか、頭が上手く回ってないようだ。
 ふと、外へと視線を向けた。夜のようだ。なるほど。それなら風呂場に誰か入っていてもおかしくは無い。汗臭いのはイヤだが、先客がいるならば仕方ない、と思い、ふと、先客の脱いだ物であろうその服を見る。
 ブラジャーにジーパンにTシャツにブラにスカートに…。


「…何でこんなぐちゃぐちゃ?」


 明らかに男物と女物が交じったような服。…スカートがあるから女の人が男物を着ていた。という感じではなさそうだ。というかこの家の女の人はそういう人じゃなかった気がする。では、どういう事だ?


「…ブラは、美影さんのっぽいなぁー」


 大きさ的に。そう、大きさ的に。うん、大きさ的に。三回呟いてから自分の胸を見下ろそう。見なかった事にした。大丈夫。これから。フェイトちゃんとかアリサちゃんとかすずかちゃんはちょっとあるけど、まだ私だってこれから。よし問題なし。別に胸が全てじゃない。それに肩凝るしね。うん。問題なし。
 なんだか変な思考になりつつなのはは考える。女物は恐らく美影の物。では、男物の方は? …ジーパンにTシャツ。明らかに少年の物っぽいが…。


「美影さん。背中流しますんで上がってください」
「ん」


 浴槽の方から声が聞こえた。それを聞いて、なのはは思った。なのはは小学校の高学年だ。さすがにこの年頃になると異性。それが例え父親であろうとも一緒に入るのは避けたい物だ。むしろイヤだ。部屋にお父さんが勝手に入ったりすると結構気分が悪くなる。お年頃、という奴なのかもしれない。
 そのなのは思考する。二人は自分より年上。美影は女の子。自分から入ろうというのだろうか? なのはの常識ではそれはあり得なかった。


「な、ななな…何でぇっ!?」


 そしてなのはは自分の常識と現実の差に思わず叫んでしまうのであった。





    ●





「じゃあ、美影さんは身体が昔、不自由で、それで竜司さんと一緒に入る事が多くて今も入ってると?」
「うん」


 少し間を置いた後、脱衣所でなのはと美影は向かい合っていた。風呂から上がったばかりでまだ頬が赤い美影がコクコク、と頷きながらなのはに事情を説明していた。まさかそういう事情があるとは、となのはは思わず恥ずかしさのあまりぽりぽりと頬を掻いた。


「…竜司さんに悪い事しちゃった…大丈夫ですか?」
「……だ、駄目…っぽいです」


 そこにはバスタオルで下半身を隠された裸の飛場が真っ青な顔でビクンッ、と痙攣していた。先ほど、なのはの叫びを聞きつけて、飛場が慌てて弁明しようとしたのだ。
 だが何の不運か、その時ちょうど股間を隠していたタオルが剥がれ、なのはがそれを思いっきり見てしまった瞬間、なのはが悲鳴と共に近くにあった物を手当たり次第に投げ出し、最終的には飛場の携帯電話を投げつけ、それが不幸な事に見事に急所へとヒットしてしまったのだ。
 尚、その時の飛場の顔は、まるで絶望が詰まりに詰まりきった、だが、それでいてどこか逝っちゃったような顔をしていたと、後になのはは語る。


「とりあえず、竜徹さんを草の獣さんに呼んで来て貰ってるのでそれまで辛抱してください」


 それを聞くと飛場はコクコク、と頷き、そのまま痙攣状態へと戻ってしまった。どうやら心底不味いらしい。なのはは申し訳ない気持ちで一杯だった。はぁ、と溜息を吐いて。


「なのは。どうしたの?」
「いや。その、失敗しちゃったなぁ…って」
「失敗は悪くないよ。なのはは知らなかったから仕様がない」


 そう言って美影はそっとなのはの頭を撫でた。それになのはは、あっ、と呟いて美影から離れようとする。それに美影が不思議そうな顔をして。


「…嫌だった?」
「あ、そ、そうじゃなくて。私、お風呂入って無くて汗臭いかな、って」
「…そうなの?」
「はい…」


 それを聞いて美影はんー、と少し考えるような仕草をしてから、そっとなのはの手を取って。


「なら、一緒に入ろうか」
「…え?」
「背中。一人じゃ流せないから、ね?」


 そう言って、微笑む美影になのはは思わず頷くしかなかった。了承を得た美影の行動は早く、なのはの手を引いてなのはを脱衣所に連れて行き、なのはは服を脱いで美影と共に風呂場へと向かう。
 まずは互いに身体を洗う。美影が先になのはの背を流し、今度はなのはが美影の背中を流す。美影の身体にはまだ自動人形の名残が残っていてなのはは少し驚く。先ほどの話が本当なのだな、となのはは確信する。髪とかも本当に綺麗、と少し羨ましく思ったりする。
 そうして身体を洗い合った二人は湯へと浸かる。人肌より少し暖めのお湯は疲れた身体にとても良い。肩まで浸かりなのはは小さく息を吐いた。両手でお湯を掬い、それで顔にお湯を当てて擦る。久しぶりのお風呂だ、とリラックスしたように力を抜く。。
 そして両手で顔を擦りながら、そのまま両手を湯へと落とした。ぱちゃん、と小さな水飛沫の音が風呂場の中に響いていく。ふと、なのはは目の前に視線をやる。そこにいるのは美影。金髪の髪はタオルで纏められて今はタオルの隙間から見える部分しか無い。
 先ほどの感触を思い出す。湯に浸かる前に身体を洗った時に触らせて貰ったが非常に良い髪質だった。そういえば、となのはは自分の髪に触れる。最近髪が傷んでる、と髪を触れて思い、なのははショックを受けていた。
 美影が綺麗なのは髪だけじゃない。スタイルも良いし、肌の色も白い。美人。その一言が思い当たる。羨ましいな、と思う。特に胸は。ふと自分の胸へと視線を下ろす。そこには綺麗な水平線。つまりまな板がある。


(…大丈夫。まだ大丈夫。私小学生。小学生で胸出始めてる親友が二人ほどいるが、気にしない。うん。気にしない。うん。OK)


 とりあえず自己暗示をかけておく。将来への希望は捨てない。というか捨てたくない。現実? 思いっきり目を逸らしてますが? と言いたげな表情のまま、口元まで湯に浸からせる。
 その表情を見て不思議に思ったのか、美影が不思議そうな顔をなのはに向けた。


「どうかした?」
「え? あ、いや、別に」


 湯から口を出して少し慌てたように返答を返す。それに美影はそっか、と頷いた。それに、ホッ、となのはは一息吐く。何だか、深く聞かれたら何だか、答えにくい話だったし、と心の中でブツブツと呟く。そのなのはを、美影はジーッ、と見ていた。
 しばらく心の中でブツブツと呟いていたなのははそれに気づくのが遅れた。気づいた時には少し戸惑って。


「ど、どうかしました?」


 なのはの問いかけ。それに美影が表情を変える事なく、スッ、と身体を寄せて、手を伸ばしてきた。美影の伸ばした手はそっとなのはの手を取って。


「痛くないの?」
「え? 何がですか?」
「身体」


 美影の問いかけ。それはなのはの体調を心配する物であった。美影に問われてから改めてなのはは自分の身体の状態を見てみた。寝ていた間に草の獣が枕になっていてくれた為だろうか? 疲労はそんなに溜まってはいない。
 完全、というわけではないが、一日休んでしまえば回復してしまいそうな物だ。それを確認すれば、美影の方を向く。それから、ゆっくりと首を振る。


「大丈夫ですよ? 特に問題ないですし」

 なのはは言葉を聞いた美影は、そう、と頷いて。だが、美影はなのはの手を離さない。別にイヤではないのだが、どうして握られているのかもわからないので、なのはは少し戸惑うのみだ。
 かといって何故握っているのか? と問うのもなんだか、問えなかったので、そのままにしておいた。少しして、また美影がそっと口を開いた。


「どうして、あんなボロボロになるまで頑張るの?」
「ボロボロ、ですか?」
「帰ってきた時凄かった」


 どういう風に凄かったんだろう? となのはは思う。記憶が無いから覚えていない。気になりはするが、なんだか直視したくない現実を知ってしまいそうで問うのを躊躇してしまった。そんななのはを余所に、美影は更に言葉を続ける。


「なのははどうしてそこまで頑張るの?」
「どうしてって…」
「なのはは、戦う必要無いのに」


 そうだ。なのはに戦う必要などない。だから強くなる必要など無いのに。なのははUCATに所属しているわけでもない。ましてや、全竜交渉部隊とも関わりがあるわけでもない。ただ概念戦争関係者に狙われているだけ。因縁はあろうとも、それは彼女の知らぬ因縁だ。
 美影にから見れば、なのはに戦う理由など無いのだ。いつぞやのヒオ・サンダーソンの状況と似ているがそれとも違う。ヒオには力があった。そしてそれを求められた。それにヒオは答えた。故にヒオは今、全竜交渉部隊に所属している。
 だが、なのははどうだろうか? 彼女はヒオのように力があるわけではない。誰かが彼女に戦って欲しいと頼んだわけでもない。なのに、何故彼女は強くなろうとするのだろうか? 何故…戦おうとするのだろうか? それが美影の疑問だった。
 なのはは美影の疑問にどう答えようか、と迷うように天井を見上げた。湯気によって曇る風呂場の天井は見にくいが、なんとなく美影に視線を合わせているのも気まずくなのはの視線は天井から動かない。


「そうですね。確かに私が戦う必要なんて無いですよ」
「ならどうして?」


 美影は問いかける。瞳は真っ直ぐになのはを見つめ、なのはは少し視線を俯かせる。それからゆっくりと息を吐き出して。


「私が戦いたいと思ったから」
「どうして、そう思ったの?」
「美影さんは、私が異世界で「魔法使い」をやってたって知ってます?」


 その話は佐山にされている、と言い、美影は頷いた。それを見たなのはは少し微笑んで。


「私は護りたかったんです。最初は日常かな。次に友達を。次に多くの人をって。どんどん護りたい人が増えていって…私、身体壊しちゃったんですよね」


 なのははただ淡々と語る。美影は黙って聞いている。浴槽の中では僅かになのはの声が反響して、そして消えていく。


「護りたかったのは、本当は、私自身だったんですよ」
「…? 誰かを、護りたかったんじゃないの?」
「違うかな? いや。多分、そうだと、思うんですけど、それだけじゃない、って感じかな?」


 うーん、となのはは唸って言う。改めて話すとなると自分でも整理しなくてはならない。まだ佐山と新庄に打ち明けた時はただ我が儘を言う子供のようだったから、このように改めて語る、というと纏め直さなければならない、と。


「私、昔、お父さんが大怪我しちゃったんです」
「…お父さんが?」
「はい。ベッドから動けなくて、遊んでもくれなくて、家族も忙しくて。…寂しかったんですよ」


 ゆっくりと過去を思い出し、それを大事そうに取り出すようになのはは言葉を紡いでいく。


「私は1回だけ家族を困らせて、でもそれがわからなくて裏切られたと思ったんです。だけど、それでも家族だったから構って欲しかった。だから良い子になろうと思ったんですけど…それからですね。怖くなっちゃったですよ」
「怖い?」
「…他人に映るんですよ。自分が。誰かが悲しい思いをしていると。他人が泣くのがイヤなのは、自分が泣くのがイヤだったから。他人に、自分を重ねすぎて、助けなきゃ、とか、護らなきゃ、ってそう思っちゃったんですよ」


 他人が泣くのがイヤなのは、自分が泣くのがイヤだから。
 他人が困っているのがイヤなのは、自分が困るのがイヤだから。
 他人が苦しんでいるのがイヤなのは、自分が苦しむのがイヤだから。 
自分がイヤだから、困っている誰かを、悲しんでいる誰かを、困っている誰かを助けよう。そう思った。


「本当にその人が大事だったから、ってのもあります。だけど、そういう思いもあったんです。私は怖かった。そこにいるのが自分だったらと思うと、怖くてしようがなくて…最初は大事な人を。次に困っている人を。次にもっと多くの人を、って…」


 そうしなきゃいけないと思った。それをやろうと思った。この力が誰かを救えるなら使わなければいけない。使わなきゃ、使いたいと。それが膨らんで…自分ですら、支えきれなくなって結局あの惨事を生んだ。


「そうやって私は一度身体を壊しました。魔法を使う為の魔力を失って、足もしばらくは動かなくて、周りに凄く心配かけちゃったんです」


 あれは辛かった。皆の悲しい顔を見るのがとても辛かった。そんな顔をさせないように頑張ってきた筈なのに。自分がしてきた事は、一体何だったんだろうか、と。自分の今までしてきた事が全部無駄になってしまったように感じた。


「私はわからなかったんです。どこでどう間違ったのか、って。護る事はいけない事じゃない筈だ、って。力があった筈なんです。でも出来なかった。だったらどこかで間違ってる。でも、どこで? って。確かめる術も失って、何も見えなくなって…。後は、フラフラしている時に襲われて、佐山さんと新庄さんと出会ってここに来ました」


 そして概念戦争の事を知った。そして、思った。確かめられるかもしれない、と。


「確かめたかったんです。私がどうして間違ったか、って。まぁ、昔の私はよほど馬鹿だったんでしょうね。間違った理由なんて簡単だったのに」


 それが単に無茶だっただけだ。無茶が当たり前で忘れていた。そうしなければいけないと思うから忘れていた。助けなきゃいけないと思って忘れていた。それが自分の身体を蝕んでいたなんてまるで知らずに。


「ここに来て知りました。たかが1人の力なんて、どうしようもなく無力だって」


 特に己のような子供だと、だ。それを竜轍との修行の日々で思い知らされた。


「だけど私は行きたいと思う場所があります」
「行きたいと思う場所?」
「概念戦争。私はそこに行きたい。そこに欲しい物があるんです」


 魔力を失った時に失った物を。ゼロから始めたい。今度は間違えないで行きたい。望む物を手に入れる為に。取り返す為に。作り出す為に。今度こそ、護る為に。


「私は望む為に強くなります。だから、強くなるんです」
「…そっか。なのはは、欲しい物があるから強くなるんだね」


 美影は頷いた。欲しい物があるから、強くなる。それを手に入れる為に。だから、彼女は強くなろうとする。欲しい物を得る為に。凄いな、と美影は素直に思った。まだ10を数えたばかりぐらいだろう子供が、こんなにも必死になって頑張っている、と。


「まぁ、だけど多分私の出る幕なんて無いですけどね」
「そう?」
「だって、子供を戦わせてるって結構イメージが悪いじゃないですか」


 なのはが苦笑を浮かべて言う。力も無いのだ。必要も無いのだ。それなのに自らのような子供を戦わせる理由が無い、と。それに美影も、確かに、と思った。それは駄目だよね、と思って、なのはの言葉に頷いた。


「…じゃ、なのは意味無い事してるの?」
「…すいません。ちょっとグサッ、と来るんですけど?」


 僅かに苦笑を浮かべて、なのはが美影に言う。それに美影がクスクス、と笑って。それにしばらくなのはは仏頂面を浮かべていたが、すぐに、吊られてクスクスと笑い出した。それから二人はただ楽しそうに笑うのであった。





    ●





 なのはが美影と共に風呂を入った日の次の日の朝。飛場家ではなのはを含めた面々が食事を取っていた。なのはも先日の分を取り戻すかのようにおかわりをし、満腹になるまでご飯を食べてしまった。そんな時であった。竜徹がなのはに話しかけたのは。


「…は? すいません。もう一度言ってくれませんか?」
「だから、UCATに戻れって言ってるんだよ」


 竜轍が爪楊枝で歯につまったカスを取りながらなのはに言う。それになのはは食後のお茶を手に持ったまま固まる。それからお茶をテーブルに置いてから、ダンッ、と両手でテーブルを叩いて竜徹に詰め寄る。


「ど、どうしてですか!?」
「テメェ、忘れたのか? 俺はお前を仕上げる、って言ったよな。だからもうテメェに教える事はねぇから帰れ、って言ってるんだよ」


 竜徹の物言いに、そんな唐突な、となのはは思わざるを得なかった。反論の声を挙げようと思ったが、その前に竜轍が睨んで来たので思わず口を閉ざす。それを見てから竜轍がふぅ、と溜息を吐いて。
 

「必要ねぇだろ。もうお前に俺は」
「でも…」
「俺は教えられるだけ教えた。もう教える事は無い」


 言う事は言った。と言わんばかりに竜轍は立ち上がり、部屋を後にしようとする。それに対して驚いた顔で固まっていた飛場が反論しようとしたが、その肩を美影が押さえた。美影が自分を止めた事に少し驚いたような表情をした飛場は美影の顔を見る。それに、美影は首を静かに振って。


「駄目」
「でも、なのはちゃんが可哀想ですよ! こんな唐突に…」
「でも、必要無いのは事実」


 だよね? と言うように美影はなのはへと視線を向けた。それになのはは僅かに俯いたまま小さく頷いた。頷きには力が無い。ショックというより、どこか戸惑っているような、困っている、と言った印象だ。それを見てから飛場は身体に篭もっていた力を抜いて。


「なのはちゃん、その、大丈夫?」
「あ、はい。…大丈夫です」


 顔を上げてなんとか笑みを作ろうとしているようだが、まったく笑顔が作れていない。そんななのはに飛場は眉を寄せる。それに気づいたのかなのはが少し慌てたように立ち上がって。


「わ、私、荷物纏めて来ます」
「あっ…」


 そう言って部屋を出て行くなのはに飛場は手を伸ばしかけるが、結局伸ばせないままなのはは部屋を後にしていった。それを見送ってから飛場は頭を垂れさせて重たい息を吐き出した。


「リュージ君」
「美影さん…本当にこれで良いんですか?」


 なのはがなんだか竜轍に振り回されている気がして、何だか可哀想に思える、と飛場は思う。だが美影はそれを止め、なのはも受け入れたようだった。…だがそれは本当にそれで良いのだろうか?


「うん…。リュージ君。私はよくわからないけど、きっとこれで良いと思う」
「…何でですか?」
「リュージ君のお爺さんが教えても、なのははもう強くなれないから」


 そうだろうか? と飛場は思う。竜轍は強い。鍛えようと思えばもっとなのはを強くさせられる事だって出来るだろう。現に、今の自分はその竜轍に育てられたのだから。だから、もっと強くなれる筈だ。
 それなのに途中で放り出すような真似をするのは何故だ、と。そんな悩む飛場の肩に、そっと、美影は手を置いて飛場を見る。飛場もまた美影と視線を合わせる。


「なのはの強さと、リュージ君の強さは違うよ。ただ、単純に強ければ良いってわけじゃない」
「それは、そうですけど…」
「きっと、なのはが望む力は、もうリュージ君のお爺さんは教えられないんだよ。後は、なのは次第何だと思う」


 そうなのだろうか? と飛場は思う。だが自分はそこまでなのはを知っているわけではない。それに竜轍はなのはの血族に関して何かを知っている。それを考えれば自分には判断出来ないような何かがあるのだろうか?
 …やはり、よくわからない。飛場はもう一度、重たい溜息を吐いた。飛場が溜息を吐いていると、ふとズボンのポケットに入った携帯がメロディを奏でだした。電話の着信音だ。


「…誰だろ?」


 そう思い、携帯を開き、誰がかけてきたのかを確認する。そこには「佐山御言」と記されていた。思わず飛場は嫌そうな顔をした。なんだろう、僕に何か用なのだろうか? あまりイヤな内容だったらイヤだ。だが、出なければ確実に後で報復が来るだろうな、半ば諦めの感情を覚えつつ、スッ、と電話ボタンを押した。


「もしもし? 佐山さん?」
『おはよう飛場少年。後1秒遅れていたら君への撲殺承認権が承認される所だったが…惜しいね』


 よくやった自分!! と飛場は思った。相変わらず電話の相手の傲岸不遜な人だなぁ、と思いながら溜息を吐いて。


「で? どうしたんですか? 何か用件でも?」
『うむ。飛場少年。明日鹿島主任が来てG発生の講義があるだろう?』
「あぁ、そういえばそんな話がありましたね」
『そこで高町君も連れて来て欲しい』


 飛場はその佐山の言葉を聞いて一瞬眉を寄せた。なのはちゃんを? と一瞬思うのだが、Gの発生をなのはに説明するつもりなのだろうか? と思い、電話を持ち直し、言葉を紡ぐ。


「それは、Gの発生をなのはちゃんにも説明する為ですか?」
『今はそういう事にしておこう。それでは頼むよ。では』


 ブツ、と唐突に切られた電話。つー、つー、と言う音が虚しく響いた。反論や疑問の声を挙げる暇すら無かったっ!! と飛場は思う。あぁ、やっぱり佐山さんだよ、と。あの傲岸不遜っぷりは佐山以外あり得ない、と飛場は溜息を吐いて。


「どうしたって?」
「佐山さんが明日のGの発生の説明の時になのはちゃんを連れてきて欲しいって」
「なのはを?」


 美影の呟きに飛場は頷く。恐らく現状を少しでも教える為だろう。そう思えば別段、不思議では無い。…だが、最後の佐山の台詞が気になった。


『今はそういう事にしておこう』。


 何故だか…その言葉が、飛場の胸の中に残った。



    ●





 その頃、なのはは道場にいた。部屋で荷物を纏めていたのだが、ふと、いつの間にかここにいた。ここで良く竜轍と喧嘩していた、と思い出す。色んな事を教えて貰った。たくさん言葉を交わした。たった2週間ほどだ。
 だが、何よりも濃い2週間だったと思う。ただなのははぼんやりと立っていた。何かが一気に欠けたような喪失感が胸を満たしていく。充実していたんだろうな、と、なのはは思った。この2週間ほど、充実していたんだろう、と。
 辛かった事もあった、逃げたくなった事もあった。それでも、ここでの経験は何よりも代え難く、幸いな物であったと。すっ、となのはは一歩、身を引いた。道場の入り口に立ち、それからゆっくりと頭を下げた。


「ありがとうございました」


 きっと本人はこの言葉を受け取ってはくれない。ならばせめて自己満足として残しておこう。ここに、感謝の気持ちを。届けば良いと思う。だがそれはただの願望。高望みはしない。
 ゆっくりと頭を上げて、なのはは道場に背を向ける。そして道場の扉を閉めて、なのはは廊下を歩いていく。この廊下も、この2週間程世話になった場所だ。たった2週間。だがそれでもこの光景は、ここでの日々は忘れられないと思った。
 本当に、良かった。そう思いながら、なのはは歩いていた。ふと頬に熱を感じ、手を伸ばせば涙が零れていた。それを見て、少し驚くが、それを見て笑みを浮かべた。
 あぁ、嬉しくて泣いたのなんていつ以来だろう。確かにここから離れるという事に対しての寂しさもある。だが嬉しかった。ここに、来れて本当に良かったと思う。


「さ、頑張らなきゃな」


 涙を拭う。そして歩いていく。自分の荷物を纏めてUCATへと行こう。それから考えよう。どうすれば良いだろうかを。その足取りに淀みは無く、ただ、力強く。笑みすら浮かべてなのはは歩いていく。



    ●





 パチンッ、と携帯の閉じる音がする。ここはUCATの一室。そこに佐山はいた。開いていた携帯を閉じてポケットへとしまう。その佐山の目の前には一人の老人がいる。
 その老人の名は「大城一夫」。彼はIAI局長にして日本UCAT全部長を勤める人物だ。丸眼鏡をかけた大城は指の腹で眼鏡を押し上げながら、佐山の方を向く。


「御言君。これは本気なのだね?」
「あぁ…そうだよ御老体。私は本気だとも」
「全竜交渉部隊の解散…そして「再結成」かね」


 大城の言葉に佐山は頷く。その言葉に偽りは無い、と。それに大城は面白そうに笑みを浮かべた。大城が手に持つ資料。そこには現在の全竜交渉部隊の経歴があった。そこに、関係の無い少女の経歴があった。
 「高町なのは」の名を記した資料。それを見つめながら大城は喉を鳴らした。押し殺したような笑い声が小さく響いて。


「組み込むつもりかね? この少女を」
「彼女が望んでくれるならば、だよ」


 佐山が愉快そうに言う。それは何が起きるのかわからず、ワクワクしている子供のような仕草だ。それを見て大城は笑う。


(こんな御言君は、新庄君といる時ぐらいだと思っていたんじゃがのぉ)


 面白い少女だ。その経歴も、血筋も、何もかもが。そう思い、大城は再び笑う。佐山を楽しませるこの少女は、どのような答えを出すのだろうか、と。それを想像するだけでただ楽しみで仕様がなかった。







[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 05
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 09:31
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。先ほどまで溶岩のように熱していた頭が一気に冷めた。理解が出来ない。今の状況を。だが、それでも風見千里は現在の状況を確認しようと視線を這わせた。
 目の前には佐山がいる。私の手が彼の襟首を掴んでいる。そうだ。今しがた、この顔を殴りつけようと思ったのだから。殴り、いつも浮かべていた無表情を崩す為に。彼は今、表情を変えている。それは彼にしては珍しい驚きの顔だ。呆然、という表現が似合うだろうか。
 では、何故呆然としている? 私も、彼も、そして周りも。そこで空いた片方の手。それが拳を握っているのがわかった。そして、その拳に痛みがあるのがわかった。
 あぁ、この痛みは何だっただろうか。そうだ。何かを殴った時に感じる痛みだ。当然だ。私はいま、この目の前の馬鹿を殴ろうとしたのだから。では、何故、今目の前の彼は殴られていないのだろうか?


「高町君っ!!」
「いやぁっ!? なのはちゃんっ!?」
「なのはっ!!」


 佐山の荒らげた声を切り口に、新庄が悲鳴を上げ、美影が心配げな声を漏らした。飛場が驚いたまま固まり、ヒオは顔を真っ青にして震え、原川の腕にしがみついていた。原川もまた目を見開いた表情だ。そうしていると覚が後ろからやって来て私を羽交い締めにする。覚によって宙に持ち上げられながら、私は見た。そこにいたのは一人の少女だ。
 高町なのは。そう呼ばれた少女は、現在本棚にもたれ掛かり座っている。明らかにその態勢には力がない。当然だ。何故ならば、私が彼女を殴ったからだ。


「…あ」


 思う。何故、彼女を殴った? 今、どうしてこんな状況になっている? 私はここでようやく…数十分前まで記憶を遡らせる事が出来た。


 …まず、今日は夜に「全竜交渉部隊」はUCATの技術部の主任である「鹿島昭緒」による「Gの発生」についての講義があったのだ。そこで、私達が書庫へと着いた時に待っていたのはいつもの馴染みのメンバーと…。


「なのはちゃん?」


 そう。2週間ほど前、佐山と新庄が偶然助けた子がそこにいた。名前を呼ぶと、ぺこり、と一礼をして挨拶をする。


「あ、どうも風見さん。ご無沙汰してます」
「おいおい。どうしてこの嬢ちゃんまで居るんだ?」
「私が呼んだからだ」


 一緒に来ていた覚の質問には佐山が答えた。佐山はいつもの無表情のままだ。どうしてなのはちゃんも呼ぶのかしら? と一瞬疑問に思ったが、彼女もまた、Gについてはほぼ何も知らない、と言った所だ。つまりは、佐山が気を利かしたのだろう。珍しい、と思った。まぁ、そこまでは別に良かった。
 例えなのはちゃんがいようとも会議の様子はさして変わらなかった。鹿島主任が自分の愛娘の動画を見せようとしたのを皆で止めようとして、その止め方になのはちゃんが驚いたり、鹿島主任がしつこいので苦笑を浮かべてたりと、そんな些細な変化はあったが、特としてなかった。なのはちゃんが居ようとも私達はいつも通りで、なのはちゃんは少し驚いた様子を見せて、苦笑している。苦笑しただけでも成長かな?とも思う。
 さて、講義の内容の「Gの発生」は簡単に説明すればこうだ。まず全てのGの元となる「母因子」が存在していた。だが、それは「混沌」であり、1つの世界を構築していたわけでは無いという。
 そして、それが飽和爆発した結果、1stから10thのGが発生し、逆にその爆発した際の反発力からLow-Gが発生した。これが現在言われている「Gの発生」だそうだ。そして円を描くように10のGはLow-Gの周りを走り、時おりLow-Gに引かれるかのように飛び込み、そしてまた円軌道を走っていく、とそれを繰り返していた。
 これによってマイナス概念しかないLow-Gに人間が産まれたのもまたそれが原因だと言う。理由はわからないがLow-Gは本来相反する筈のプラスの概念の存在を許すことが出来たのである。故に10世界のお話が「神話」や「伝説」という形で残されたのである。
 そしてその全世界のGの周期が重なる事になった為に「概念戦争」が行われた、というわけだ。そして鹿島主任の説明も終わった時だ。UCATの出雲支部が襲撃を受けたと連絡が入ったのは。幸い怪我人などはいなかったが、出雲支部に封印されていた「概念装備」の幾つかが盗難に遭ったという話だ。
 なのはちゃんが一体何の事だかわからない、と言ったような表情をしていたが、今は説明している暇が無い。これは全竜交渉部隊の今後に関わる事だ。悪いが後回しには出来ない。
 元より、私は今回の会議で全竜交渉部隊が集まった際に佐山と新庄に対して言おうと思っていた事があったのだ。佐山と新庄は互いの両親の足跡を追う為に単独行動をする予定だったのだが、現在の全竜交渉部隊を取り巻く状況が不安定だった為、それは避けてもらおうと思っていたのだ。
 「軍」というUCATの敵対組織に、まだ未交渉であった7th-G。懸念事項が多すぎる、と。丁度良いタイミング、と言えばそうだった。だから、私はその旨を佐山に伝えた時だ。そこから、全てがおかしくなったのだ。


「確かに襲撃には良いタイミングだ。もはや残りの概念核は7th-Gのみ。ここで私と新庄君が離れればどうなるかという、そんな警告かもしれないね。今夜の襲撃は」


 最初は同意を得たのだと、安堵の息を漏らしかけたその時だ。


「だから私はここにこう宣言する。今夜、この時間から我々全竜交渉部隊は……」


 佐山がその宣言を告げた。


「解散する」


 そこからよく覚えてない。とりあえず納得がいかなくて佐山に突っかかったのはわかる。何を考えているのか、と。今、全竜交渉部隊は絶頂期とも言える状態だ。なのに、何故その状況で解散しなければならないと。
 ふざけるな、そう言った思いが頭を駆け巡った。わからなかった。何故佐山が解散という事を言い出したのかを。だから、その真意を問おうとした。敵が来ている。彼を必要としている場所がある。仲間がいる。それなのに、一人で何勝手に解散しようとしているのか、と。
 だが…彼は、こう言った。


「その理由の半分は、既に明確だと。君ももう既にわかっているのではないか? 風見」


 わからなかった。彼が何を言ったのかがわからなかった。だから、言わないと駄目だ、と叫んだ。言葉にしなければ伝わらない。だから伝えろと。何度も死にそうになった時もあった。
 それでも頑張ってきた。目の前の彼の命を救った事もあった。その事について悩んだ事もあった。その時あった苦痛も、思いも、涙も、死も…護った事すらも、無意味なのか、と。そんなの…救いが無いと。私達は一体何の為に戦ってきたのか、と。だが…望んだ問いが帰ってくる事は無かった。


「こればかりは言って解るものではないよ、風見」


 裏切られた気がした。あぁ、なんで、いつも一人でわかったような顔をして…。私達は仲間じゃなかったのか? 違うのか? 私にとってこの全竜交渉部隊で過ごした日々は何にも代え難い日々だった。なのにそこで為した事、思った事を否定するのか、と。
 だから最後の問いかけを放った。どうして今、解散しようとするのか、と。それを、答えろ、と。だが…佐山は答えなかった。更には、こう言葉を続けた。


「話してわかった。風見、今の君はその理由に浸っている」


 佐山の言葉に自らの心の中に火が灯った気がした。それは怒りの火種だ。そして更に佐山は言葉を続けた。


「だから言ったところで君には解らない。そして、解ったつもりになるだけだ、風見」


 話す意味が無い。そう言われた。それは火に油だ。怒りは身体を動かす。襟首を掴んだ手を握り直し、右の拳を振りかぶる。目の前の佐山を殴る為に。


「か、陥没しちゃうよっ!!」


 新庄が叫ぶ。それに、してしまえ、と思った。怒りが理性を凌駕し、本能が身体を動かす。コイツを許すな、と。その時だ。佐山に当たる前に、何かが右の拳に当たった。殴ったのは肉の感触。つまり、誰かが割って入ったのだ。
 誰か、と理解する前に、殴られたその誰かは吹き飛び、本棚へと叩き付けられた。本が崩れ落ちなかったのが幸いだ。だが、その誰かは動かない。ぐったりと、動かない。


「…あ」


 その動かない誰かは……高町なのは。
 そして、状況は冒頭へと戻る……。





    ●





 頭がグラグラしてる、となのはは重たい意識の中で思った。頬が痛い。そして頭も痛い。背中も痛い。当たり前だ。全力で殴られて、更には本棚へと叩き付けられたのだから。まだ意識がはっきりとしない。竜轍さんの拳みたいだ、となのはは思った。多分、あの修行が無かったら自分は今頃、意識を失っているだろう。


「なのはちゃん!! しっかり!! 大丈夫っ!? ねぇっ!?」


 頭が重い中、グラグラと揺らされた。心配そうな声は新庄さん、かな? となのはは誰かを推測しようとする。肩を揺さぶって来るのが少し気持ち悪い、と思う。故に肩を揺さぶる手に、そっと自分の手を重ねて。


「だい、じょうぶ、です」
「だ、大丈夫なわけないよっ!? 風見さんのパンチ、本気でくらって…」


 新庄がぽろぽろと涙を零しながら言う。それに申し訳ない気持ちが浮かぶが、今はそれどころじゃない。今、向かい合わなきゃいけない人がいる。顔を上げる。そこには、出雲に羽交い締めにされている風見の姿があった。
 その隣には佐山がいる。少し驚いたような顔がそこにあった。珍しい、と思う。更に視線を這わせる。飛場と美影が見えた。どちらもこちらを心配するような視線を向けている。大丈夫だ、とでも言うように、ゆっくりと立ち上がる。
 途中で新庄が支えてくれた。その際にヒオと原川の姿が見えた。ヒオの怯えた姿に、軽率だっただろうか、と思った。だが、それでも割って入った。それはいけないと思ったから。
 誰もが沈黙していた。先ほどまであった背筋が冷えるような空気は無くなったとはいえ、今度は胃に来るような思い空気が漂っていた。その原因は新庄に支えられたなのはの沈黙の為だ。
 なのはは一回り、皆を見渡した後に風見へと視線を合わせた。それに風見が罰悪そうな顔を浮かべる。だがなのははそれに何ら表情の変化も見せない。殴られた頬が痛い。それについて怒るつもりはない。
 これは己が受けに行った物だ。それについては、己の自己責任だ。だが…問わなければならない事がある、と、なのはは思った。故に、なのはは口を開いた。


「風見さん」


 なのはが風見を呼ぶ。それに、風見がビクッ、と身を震わせるが、なのはは気にしない。そのまま問うべき事を伝えるべく言葉を紡ぎ続ける。


「どうして、そんなに解散が嫌なんですか?」
「え…?」


 なのはの問いに風見は唖然としたような顔を浮かべた。周りの皆もだ。ただ、その中で佐山だけが表情を動かさない。いつもの無表情だ。それを確認し、なのはは更に言葉を続けていく。


「私は、この部隊が何の為に作られたのかなんて、貴方たちに比べれば何もわかってないも同じかもしれない。でも、人が集まるには理由があります。…佐山さん」
「何かね?」
「佐山さんは、現状ではその理由を果たせないと思った。だから解散するんですよね?」
「そうだ」


 なのはの問いに佐山は淀みなく答える。それに風見がキッ、と鋭い視線を向けるが、佐山は動じない。その佐山の返答を聞いて、なのはは確信したように頷き、再度、風見に向き直る。


「私はこう思います。果たす目的が果たせないならば、止めてしまった方が良いと」
「何でよっ! 私達は為さなければならない事があるのっ!!」
「それは本当に貴方たちじゃなきゃ、いえ…「全竜交渉部隊」という形でなければ駄目なんですか?」


 そのなのはの問いに風見が息を呑んだ。周りの者も何人かは息を飲んだ。そして数秒の間をおいた風見が戸惑う様子を見せながらなのはに問いかけた。


「どういう意味? それは…」
「風見さん。貴方は力がありますか?」
「……あるわ」
「なら良いじゃないですか。別にそれで。貴方には為す力がある。ならばそれを為せば良いじゃないですか」


 なのはの冷淡とも取れる言葉に風見は目を見開かせた。それに、飛場が一歩身を乗り出してなのはと向かい合った。飛場は真っ直ぐになのはを見つめる。なのはもまた飛場を見つめる。


「…なのはちゃん。君はこう言いたいの? 力があるなら集まる必要なんて無い、って」
「違いますか? 飛場さん。目的があるとします。それを叶える為の力があります。そこにたまたま同じ目的を持った人がいて、その人の助けを借りるのはともかく、別の道を行こうとしている人をわざわざ自分の行きたい場所へと引き摺って行くんですか?」


 逆に問い返されて飛場は沈黙した。なのはの言う通りなのだ。自分達は個々にそれぞれ力を持っている。だが、それをどうするかは本人の意志だ。人によって目的地は違う。そこにたまたま助けとなる物があったり、助けてくれる人がいてくれるだけなのだ。
 それが彼らにとっては全竜交渉部隊という形だっただけに過ぎない。だが、今その形が不適切だ、と佐山に断じられたが故に、全竜交渉部隊は解散へという事が決まったのだろう。


「それも別に良いでしょう。ですが望まぬ場所に連れて行く人に対してはそれに代わる何かが無ければ付いては来てくれないでしょう?」


 なのはの言葉に、誰もが何も言葉を返す事が出来ない。なのはの言う事は、ある意味、全竜交渉そのものと言っても良い。Low-Gに滅ぼされ、遺恨を抱えながらもそれを解消し、世界の終末に立ち向かおうとする全竜交渉と。


「佐山さんは、自分の興味だけを持って行く、と言いましたね?」
「そうだ。私は衣笠教授の足跡を追う。私の興味を持ってね」


 なのはの問いに佐山が頷き返す。それを確認してからなのはは更に問いかけを重ねる。


「それは、風見さん達には必要ですか?」
「必要ではない。これは私の望みだ」
「では風見さん。貴方が全竜交渉部隊を解散したくないというのは誰の望みですか?」
「それは…私の願いよ。でも私達が解散して困る人達だっているのよっ!?」


 風見は叫んだ。そう。全竜交渉部隊はただの部隊ではない。重要な位置にいる部隊なのだ。今まで交渉の先頭に立ち、戦ってきた。責任がある。それを放り出すのは無責任だと。だが、それを聞いてもなのはは揺るがない。目を細め、無表情に告げる。


「別に良いじゃないですか」
「…なんですって?」
「良いですか? 風見さん。佐山さんが勝手な事をして困るのは貴方ですよね? その理由は誰か困るかもしれないという曖昧な理由。…敢えて良いましょうか? 他人なんかどうでも良い人はどうでも良いんです。佐山さんはそういう人だって言う事でしょう?」


 なのはの言葉に風見が目を見開いた。その時、風見は自分が何を思ったのかよくわからなかった。ただいろいろな感情がごちゃ混ぜになり、言葉が消えた。それは佐山を弁護する言葉だったのか、それとも困る人がどうでも良いと思う事に対してなのか。
 だが、それは言葉として纏まらない。ただ目を見開いてなのはを見つめるだけだ。そこに佐山の問いかけの声が入る。


「今、ナチュラルに私の人格が否定された気がするのは気のせいかね?」
「じゃあ聞きますけど、他人の迷惑になる、と考えましたか?」
「いや。私には必要の無い事だ」


 その佐山の言葉に風見が怒りを露わにして叫んだ。出雲の拘束から逃れようと藻掻くが出雲がそれを許さない。藻掻きながらも風見は叫ぶ。


「何ですってっ!? アンタ…私達は仲間じゃなかったのっ!? どうでも良いって、そう言うのっ!?」
「佐山さんにとって価値が無くなったんでしょう。ただそれだけです。それだけの事ですよ風見さん。わからないんですか?」
「納得がいかないわよっ!!」


 風見の叫びを聞いて、なのははふぅ、と溜息を吐いて。


「じゃあどうしますか? 佐山さんを力づくで従わせますか?」
「…え?」
「貴方はそうしようとした。力でねじ伏せようとした。それが貴方のした選択。貴方にはそれを為す力がある。それが貴方の望みでしょう? 風見さん。だったら従わせれば良い。貴方の力を使って、貴方の思い通りに為せば良い…」


 そのなのはの言葉に風見は掠れたような声を漏らして沈黙した。なのはの表情が変わる。ただ氷のごとく冷たい表情に。細められた眼が冷ややかに風見を見据える。


「仲間ですか。こんなに簡単に崩れてしまうのが…仲間ですか? それとも、崩した人が悪い? 佐山さんの興味は既にここにはありません。責任も知らない。ただ自分の興味だけを持っていく。そう言いました。だったら……どうしようも無いでしょう?」
「それ、は…」
「風見さん。仲間になろうともしない人は…仲間になれないんですよ。佐山さんは仲間である事を否定しました。なら後は力でねじ伏せるしか残っていませんよ? どうしますか? ねじ伏せますか? 従わない人は力づくで従わせますか?」


 その問いに風見は返さない。いや、返せない。だが納得は出来ない。ここで全竜交渉部隊が解散するのは嫌だ。だが、佐山を従わせる方法が力づくでしか無い事もまた事実。相反する2つの事柄に挟まれ、風見はその問いには何も答えられない。


「…貴方が残したいと思うように、佐山さんだって解散しなければならない理由だって持っているんでしょう。そして、それの半分は既に風見さんもわかっていると、そう言いましたね? 私は、これなんじゃないかな? と思いますよ」
「…あ…」
「風見さん。貴方は…力があれば何でも出来ると思ってるんですか? だったら敢えて失礼を承知で言わせて貰います。――自惚れないでください、と」


 なのはが冷ややかな瞳に静かな怒りを込めて呟いた。風見は息を呑んだ。気圧されたのだ。明らかに自分より年下の少女に気圧されたのだ。そのままなのはは告げる。風見だけでなく、そこに居る者達全てに言うかのように。


「…力は、誰かを傷付けるんです。それが護る為であろうとも。覚えておいてください。力の使いどころを誤れば…傷付くのは自分であり、他人なんですから。本当に、今の皆さん方は自分の力を正しく使えるんですか? 私は、少なくとも後悔はしないつもりでここにいます。胸を張ってそれだけは言えます。…皆さんは、どうですか?」


 そう言ってなのはは全竜交渉部隊の面々へと視線を向ける。だが、誰もがなのはの言葉に答える事は出来ない。反応が無い事に、なのはは小さく溜息を吐き出して出口へと歩き出す。まるで、ここには居たくは無い、と言わんばかりに。それを、誰もが引き留められなかった。
 なのはの言っていた事は、自分達は既に知っていた事だったのではないか、と。扉の閉まる音が書庫内に響いたような気がした。
 扉を閉めた後、無言でなのはは歩き出した。早くここから出て行こう、と思いながら早足に歩いていく。俯き気味の表情からは何も伺えない。ただ、なのはの両手は握り拳を作り、ただ震えていた。


「……やだな、もう」


 なのはは、グイッ、と服の袖で目元を拭った。そこには涙の後があった。なのはは泣いていた。何故、泣くのか? それは、過去を思い出してだ。全竜交渉部隊を見て思ってしまったのだ。
 風見に向けた言葉は己へと向けた物でもあった。力があれば何でも出来ると思った。その力で誰かを救える、と言われた。それは素晴らしい事だと思った。だから自分は魔導師になった。誰かを救えれば良いと、悲しむ誰かを救えれば良いと。
 でも、それは本当だったのだろうか。事実、今自分はこうして魔力を失っている。それで、誰かを救えたのだろうか? 救えた人もいただろう。だが…少なくとも、護りたかった人たちを泣かせてしまった。
 あぁ、自分が、本当に護りたかった物は何だったんだろうか? それは、共にいてくれる仲間じゃなかっただろうか? 家族ではなかったか? 友達ではなかったか?
 仲間なんて、あのように一人が抜ければ崩れてしまうのだ。では、自分はどうだろうか? 思い出すのは、幼い頃からの友人。アリサ・バニングスと月村すずかだ。
 自分が魔法使いとなり、あの輪から最初、抜けてしまった。その後、フェイトが来て、はやても来て…だが、どっちかというと魔法関係で付き合うフェイトとはやての方が多かった。
 アリサとすずかは何を思ったのだろうか? もし、自分がされたらどうだったのだろうか? あぁ、なんて、なんて苦痛なんだろう、と。フェイトやはやてはどうだ? 私はもう魔導師にはなれない。もう、三人で任務についたりも、護ったりも、護られたりも出来ない。
 あぁ、結局、仲間であると信じているだけでは駄目なのだ。人の世は常に移り変わり、流れて変わっていく。流されたまま生きた自分はこの有様だ。
 友人の輪からも外れ、仲間との輪から外れ、家族の輪からも外れてしまった。あぁ、私は、一体どこにいたかったんだろう?
 見せつけられてしまった。仲間など、絆など、脆く儚い物なのだと。一瞬の疑いで今まで築き上げてきた全てを失った。あぁ、なんて、なんて儚いんだ、と。そうであろうと思い続けなければ、それは失ってしまう物だったんだ、と。


「私が…本当に護りたかったのは…」


 居場所だったんだ、と。ぽたりと、涙が一滴落ちた。上げそうになる泣き声を無理矢理噛み殺す。噛み切った唇の端から、血が零れだして肌を沿って落ちていく。叩くかのように地を踏みしめる。もう二度と誤らない。絶対にもう間違えない。間違えたとしても、それを絶対に後悔しない。反省はしても、後悔はしない。そして追い抜いていこう。地を踏みしめて走って行こう。
 今度こそ、見失わないように。間違わないように。絶対にもう負けない、と流されないように。もう二度と間違わない為に。
 涙を拭い、なのはは歩いていく。力強く、前へと進む為に。その歩みに迷いは無くなのははただ進んでいく。





    ●





 なのはが出て行った衣笠書庫の中では、重い沈黙に包まれていた。なのはの言葉の全てが皆の胸に突き刺さった。それはいつか自分たちが体験した筈の事であった。なのに自分たちは忘れていた。それをまだ小学生の少女に気づかされた。
 その事実がただ重くのしかかるその中で、新庄がゆっくりと口を開いた。


「…ねぇ、あの、さ。僕思うんだ。佐山君が言う理由は、きっといつか僕たちが解る事なんだ。でも、それにはまだ何かが足りないんだ。それを考える時間がいるんだと思う。だから…まだ解散はしない。それで僕と佐山君はやっぱり出る。その時にその理由を考えてみよう。そして…わからなかった時、本当に解散しよう」


 新庄の言葉に、風見は力を抜くように溜息を吐いた。新庄の言いたい事はわかる。だが、それでもやっぱり戦力的に二人が抜けるのだ。その間はどうすれば良いのか? と。
 そんな事を考えていると、佐山が、ふぅ、と溜息を吐いて。


「ならば風見。私がいない間、君を暫定相談役に任命する」
「…はぁっ!?」
「君が指揮を執れ。そして誰かが困っていた時は相談に乗れば良い」
「ちょっ――」
「そ、それが良いと思うですのっ!!」


 佐山の言葉に同意するかのようにヒオが叫ぶ。風見は文句を言おうとしたが、ヒオが叫んだ為、文句を言うタイミングが無くなった。代わりにヒオへと視線を向ける。ふと気づけばそこにいる全員がヒオを見ていた。それにヒオは一瞬皆を見渡した後、急にワタワタとし出して原川の後ろへと隠れる。


「えぇ、と、なお、若輩者が諫言とはばかりながらも…」
「…何でそんな日本語知っているんだヒオ・サンダーソン」


 思わずヒオの台詞にツッコミを入れる原川。それにヒオが勢い良く顔を上げて。


「だ、だって…皆さん、空気悪いですし、その、私達仲間なのに…佐山さんの考えを一番わかってるのが、なのはちゃんなんじゃないかって…」


 それに風見が息を飲んだ。そうだ。なのはの言う事は最もだった。正論であった。だからこそ言い返せなかった。そして何も言い返せないまま彼女を見送ってしまった。認めてしまったと言えるだろう。私達の方が付き合いは長い筈なのに、たった2週間前に保護されただけの子が理解している。それは酷く、情けなくはないだろうか? と。


「きっと、きっとですの。ヒオ達はまだ本当の意味で「仲間」じゃないと思うんですの。その答えは、何故全竜交渉部隊が解散しなければならないのか? というのを考えればわかると思うんですの。そ、それに小学生に負けたのってなんか悔しいですのっ!!」


 小学生に負けた。そのフレーズが更に空気を重くした。風見なんか、目がヤバい。出雲もどこか遠くを見るような目になり、飛場が壁に額を押しつけて影を背負った。美影もどこかションボリしている様子。新庄もどこか辛そうに視線を伏せた。言ったヒオもヒオでダメージを受け、周囲の空気が更に悪くなる。唯一変わらないのは佐山だけだ。


(…はっ!? 逆効果になってるですのっ!?)


 皆を励まそうとしたのだが自分で自分にダメージを与えてしまっていた。当然ながらも皆もダメージが言っている。とりあえず、これでは駄目だ、と思いヒオが更に言葉を続ける。


「だ、だからこのままじゃいけないと思うんですにょっ!!」


 そしてヒオは末尾を噛んだ。のが、にょに変わり、場が沈黙した。ヒオは思わず口元を抑えた。今、この場でこの間違いは今後の己の立場がとんでもない位置に定められてしまう可能性もあるのだ。思わず、汗がたらり、と流れる。ヒオの気持ちを察したのか察してないのか、佐山が腕を組み、頷きながら言う。


「そうだね。ヒオ君の言う通りだ。私達は余裕が無かった…故に高町君にあぁも言い負かされたり、人格否定されたりしたのだろう」


 絶対に根に持ってますの、と佐山の言葉にヒオは思った。しかも佐山自身が肯定したような気もする、と思っていると佐山は出雲の方へと振り返り。


「貴様もそう思わないかにょ? 出雲」
「そうだよなぁ…だから俺たちあぁも小学生に言い負かされたんだろう。違うかにょ?」
「いえ! 全然違わないと思うんですにょっ!!」


 先ほどのヒオの語尾が故意につけられた。佐山から始まり、出雲へ、そして出雲に同意する飛場へと。それを聞いてヒオは顔を引きつらせた。心境的には「やっちまった」だ。


「私もそう思うにょ」
「あぁ、やっぱり美影さんもそう思うんですにょ?」
「うむ。満場一致のようだにょ?」
「はははは、そうだな。俺たちやっぱり余裕が無かったにょ?」


 美影も混じった。そうして広がるにょの語尾の輪。ヒオは思わず泣きそうになった。このままでは不味い、と思うが打開策が見つからない。そう思っていると新庄が一歩前に身を乗り出して皆に注意する。


「止めなよ! そんなに語尾チェンジしてたらヒオが可哀想だよっ!! まだこっちの文化に慣れてないヤンキー少女なんだからっ!!」


 あぁ、そのフォローは有り難いが追い打ちをかけられてるとしか思えない、とヒオは涙目になる。救いを求めるように原川に視線を求めるが、原川はばっちりと視線45度を固定し、ヒオとは目を合わそうとしない。


「ちょっ!? 原川さん!? 何で目を合わそうとしてくれないんですのっ!?」
「俺を巻き込むな、ヒオ・サンダーソン」
「ヒドーーーッ!?」
「あぁもうはいはいはいわかりましたっ!! もうグダグダじゃないっ!!」



 あまりにもグダグダな空気に風見が投げやり気味にそう叫んだ。そして出雲に羽交い締めにされながらも腕を組んで佐山へと視線を向ける。


「とりあえず、新庄とアンタの案を採用する。…で? アンタ達がいない間に7th-Gから全竜交渉の要請があったらどうすんの?」
「私が帰るまで待って貰いたまえ。もし待たないようであるならば、その時は臨機応変だ。全竜交渉部隊がない状況、つまりは6thと10thの時と同じと考えたまえ」


 佐山の言葉に風見は沈黙した。その様子に不思議に思ったのか、佐山が風見の方へと向く。風見は顔を俯かせていた。何を言うわけでもなく、ただ俯いていた。しばらく沈黙していたが、風見が口を開いた。


「全竜交渉部隊って…無かったのよね。元々…」
「…そうだ。元々、無かった部隊だ」
「…ねぇ。佐山。何で、解散するかは聞かないわ。ただ…教えて。どうして、私達は集わなければならなかったの…?」


 風見の問いかけに佐山は何も言わない。ただ組んでいた腕を放し、その場に力を抜いた状態で立つ。そこに居る誰もが佐山の返答を待っていた。佐山はしばらくして首を振った。


「私にも、まだ半信半疑なのだよ、風見」
「…え?」
「何故、私達は全竜交渉部隊なのか…そうでなければならなかったのか、それともそうでないのか。そうでないのならば私達は解散するべきだ。その答えを求める為のヒントなら1つある」


 一泊の呼吸を置いて、佐山はそれを告げた。


「過去だ」
「過去…?」
「私達の過去にその答えがある。ならば、過去を求めたまえ」


 佐山は告げながら入り口へと歩いていく。そして背を向けたまま扉を開き、顔だけ面々へと向けて。


「また会おう。全竜交渉部隊。……再び集う日まで」


 そう言い残し、佐山は衣笠書庫を後にしていく。それを見てから新庄も一歩踏み出した。そして皆の方を振り返って。


「…ごめんね、ってもう言わない。ただ…ちょっと行ってくる。僕も、答え探すから。帰ってきたら…答え合わせしよう」


 そう言って新庄も佐山の後を追うように走っていく。その光景を見送ってから美影が小さくぽつり、と呟いた。


「まだ…終わってないんだよ」
「…美影さん?」
「私達はどうして全竜交渉部隊でいなければならなかったのか。それは、本当にそうだったのか、って。求めなきゃいけないんだ。きっと必要な物があるから。だから、佐山も、新庄もそれを求めに行くんだ」
「…それってどういう事?」


 美影の呟きに風見が顔を上げた。美影は風見と視線を合わせて。風見は美影に視線で問う。それではまるで佐山が全竜交渉部隊を残そうとしているようだ、と。だが、佐山は解散を命じた。他ならぬ彼自身によって。一体それは、どういう事なんだ、と。


「佐山も、全竜交渉部隊の一員だから。佐山も、求めなきゃいけないんだ。私達と同じなんだ。だけど、彼は「悪役」だから」
「…ぁ…!」


 風見は気づく。悪役だからこそ、彼はそれを言わなければならかなったのだろう、と。もし、なのはがいなければ恐らく佐山が一人悪役にされていただろう。だがなのはがいた。なのはがいたからこそ、と美影は思う。もしなのはがいなかったら自分も、風見も完璧に佐山を疑っていただろう、と。


「佐山は…それに気づきかけて、だからこそ言わなきゃいけなかったんだ」


 悪役だから。佐山の姓は悪役を任ずるのだから。それに風見は再び俯いて沈黙した。
 思わず再び重たい空気が残った面々の間に流れる。そこにふと、飛場が「あ」と呟きの声を漏らし、風見の方を指さした。それにヒオが首を傾げて。


「…どうしたんですの? 飛場さん」
「いや…あの、出雲先輩? もしかして…風見さんの胸揉んでません?」


 その飛場の声に皆の視線が出雲へと集中する。しばし出雲が沈黙。それから風見の身体を羽交い締めにしたまま持ち上げるようにして。


「新開発、X揉み!! ……エーーーックスッ!!!」


 瞬間。風見の両肘が出雲のこめかみを挟み、強烈な一撃を食らわせたのであった。


 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 06
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/18 10:36
 なのははUCATの中に宛がわれた自室の中にいた。佐山達から別れた後、そのまままっすぐこちらに戻ってきた。ベッドの上で寝転がりながらなのははふと思う。自分はここに求める居場所なんてない。
 居場所は今まであった。管理局の任務が終われば帰ってきた家があった。だが、今はそこから出ている。恐れていたからだ。誰かに触れられる事が。誰かの辛い顔を見るのが嫌で逃げてきた。何も出来ない自分が嫌だった。だから逃げ出した。そしてここにいる。当てもなく、ただフラフラと。


「…私は」


 これから全竜交渉部隊は解散され、そして個々にそれぞれ動き出すのだろう。なら私はどうしたら良いのだろう? なのはは今まで佐山に道を示され、歩いてきた。付いてきたければ付いて良い、と。付いてくるも、付いてこないも君次第だと。
 佐山はそれぞれの道を歩み出すという道を示した。全竜交渉部隊という道ではなく、己が道を。なら、私はどうしたいんだろう? ただ今までは、確かめたくて、がむしゃらにやって来た。
 だけど、少しずつ自分が見えてくるようになってきて、なのはは迷いだした。このまま付いて行けば良いのか。そこまで思い、なのはは首を振った。それはきっと正しくない。それは結局他人任せにしているだけだ。
 それではもう駄目だ。自分は自分の道を歩いて行かなければ。佐山が自らの道を歩み始めたように。他人と同じ道を歩むのも悪くはない。悪いとも言わない。だが、それで後悔したら、きっと悔やんでも悔やみきれない。私が私で居られないから。
 思う。自分はやっぱりまだ見えない。佐山達を通して見えた自分はまだ足りない。だから歩み出せない。結局最初の位置に戻ってきただけだ。思わず悔しさが胸に滲む。
 だがそこでなのはは折れない。今の自分は知らない事を少しでも知った。そして、もう二度と折れるわけにはいかないのだから。ふとなのはが手を伸ばした先。そこには竜轍から譲り受けた小太刀があった。
 それを一刀、手に取り、鞘から刃を解き放つ。その刃を見つめ、なのははしばらくぼんやりとした。それから少ししてその刃を鞘へと収める。納めるのと同時に立ち上がった。軽く首を振る。このままでは駄目だ、と。
 なのはがそう思った時だ。なのはのドアがノックされる。なのはは扉の方へと視線を向ける。一体誰が来たのだろう、と思っていると、扉の向こうから声が聞こえてきた。


「高町なのは君? いるかね? 少し話があるのだが」


 聞いた事のない声だ。声からして老人のようだが。そう思いながらも呼ばれたなら顔を見せなければならないだろう、と思い、扉の方へと近づいていき、扉へと手を伸ばす。
 開いた扉の先。そこには二人の人物が立っていた。一人は丸眼鏡をした白衣の老人。もう一人は侍従服を纏った赤髪の自動人形であった。


「初めまして、じゃな。高町なのは君。儂は大城一夫という」
「私は8号です」
「大城さんに、8号さんですか? あの、私に何か…」
「うむ。全竜交渉部隊解散に当たって、今後の君の扱いについてなんじゃが…立ち話もなんだから中に入っても良いかね?」


 今後の扱い。その言葉を聞いて一瞬、なのはの眉が動く。だが、すぐにいつもの顔に戻って頷く。それから部屋への道を空けて大城と8号を招き入れる。それから扉を閉める。
 三人は座る。大城となのはが向かい合うように座り、大城の隣に8号が座ると行った形だ。


「さて…まずは改めて自己紹介しよう。儂は大城一夫、。IAIの局長で、UCATの全部長を務めておる。まぁ、佐山君達の上司じゃな」


 つまりはトップのような物なのか、となのはは思わず感嘆の息を漏らした。そんな偉い人が直々に会いに来てくれるとは、と。顔を引き締めてなのはは大城を顔を見て本題に入ろうと問いかける。


「…それで、今後の扱いというのは?」
「うむ。高町君。今まで君が好きに行動出来ていたのはある意味全竜交渉部隊の権限でそうなっていた、と言っても良い。じゃが、その全竜交渉部隊は今は半ば解散という形になり、君の扱いも今までとは異なる。ここまではわかるかな?」
「…はい。それで、私はどうなるんですか?」
「ここにいてもらう。外には出ずにじゃ。君を狙う何者かの正体が掴めない以上、君を不用意に行動させるわけにはいかん。そして護衛も付けさせてもらう。こういった形になる」


 大城の言葉になのはは思わず気持ちが沈みそうになった。今までと違い、自由が利かなくなるのだ。それは当然だ。己は小学生。力もない子供だ。故に好き勝手などさせられないのだろう。護衛も付けられれば、禄に訓練も出来ないかもしれない。
 答えが欲しいのにその答えがどんどんと遠くなるイメージが頭に浮かび、思わず、拳を作ってしまった。


「もしくは、ここを出て行くか、じゃな」
「…え?」


 だがその拳はすぐに解かれた。大城の続けた言葉に一瞬呆気に取られた。一体、どういう事なのか、と。


「君が保護を望むならば儂等は全力で君を護る。だが、無理に保護しようとも考えてないんだな、これが」
「…それって…」
「ここを出て行くかは君次第という事じゃ」


 つまり自分で決めろ、と。それはどう取れば良いのだろう。邪魔だから出て行けと、もし残るなら邪魔になるな、と。それとも…。
 なのはは考える。だが、答えは半ば決まっていたような物だ。護られるつもりは、無いと。護られる為にここにいるんじゃない。ただ答えが知りたかっただけだ。だがここではもうその答えを得られないならばここにいる必要は無い。
 だが、だとしたらどうすれば良いのだろうか。自分は…どこへ行けば良い、と。


「君を襲撃した者の情報はまだ全然掴めなくてな。のう、8号君」
「Tes.資料を洗ってみましたが、めぼしい情報はわかりませんでした」


 自分を襲撃した者も詳しくはわからない。全竜交渉部隊が解散した以上、そのような面倒事は避けたいのだろう。そう思えば納得だ。ならば、どうする。
 御神家を狙う何者。今回はたまたま…自分だった。だが、このまま私が護られ続ければどうなろうのだろうか? …狙われるのは、次は、自分の家族? なのはの脳裏に家族の顔が浮かんだ。父、母、兄、姉。家族だけでは済まないかもしれない。アリサ、すずか、フェイト、はやての顔が浮かんだ。他にも様々な顔が浮かんで消えていく。
 …そうか。そうだったんだ、となのははゆっくり瞳を閉じながら思う。もう、最初からそれしか残ってなかった。そしてそれを選ぶべきだったんだ、と。


「…わかりました」
「ほ? もう決めたのかね? で、どうするのかね?」


 大城の問いかけになのはは両手を床へつけ、深々と頭を下げた。そしてそのままの態勢のまま自らの意志を告げる。


「今までお世話になりました」


 出て行く。そして…帰ろう。まだ恐怖がある。悲しい顔を見るかもしれない。自らの傷が抉られるかもしれない。もう二度と同じ関係にはなれないかもしれない。
 だけど、今、向き合わなければならない。失ってからでは遅いのだから。だから決めた。


「私は、故郷に帰ります」


 海鳴に帰ろう、と。ここで得た事を胸に刻んで旅立とう、と。そのなのはの様子を見ながら、大城は微笑みながら8号へと視線を合わせた。それに8号は頷いて。


「では、なのは様。私が見送りとして駅までご同行させていただきます。準備が出来たら声をかけてください」
「…わかりました」
「では、儂は失礼するとするかの」


 そう言って大城は立ち上がり、部屋を後にしようと歩き出す。その背をなのはは呼び止めた。


「待ってください!」
「何かね?」
「大城さんは、私の祖父について何か知っていませんか?」


 なのはの問いかけに背を向けていた大城は振り返る。それからなのはを見ながら、フッ、と微笑んでから。


「その質問は、儂にすべきじゃ無いな」
「…知ってるんですね?」
「あぁ。だが、答える事は出来んの。ただ、問うべき者を君は知っているじゃろ?」


 それになのはは何も答えずに俯いた。それに大城が再度背を向けて部屋を後にしていく。8号もそれを見てから大城の後を追うように部屋を後にし、部屋にはなのはだけが残される。なのはは強く、固く拳を握りしめながらゆっくりと立ち上がる。


「…行くよ。知りに行くよ」


 もう何も知らないまま、何も出来ないままは嫌だから。だから知りに行こう。私が何をすべきなのかを見定める為に。


(…帰ろう。海鳴へ…)





    ●





 どこかにある建造物。見るからに豪奢なその部屋の中で一人の男がワイングラスを揺らし、その中に注がれたワインを楽しんでいた。その傍らには侍従服を纏った女性が立っていた。


「…御神の小娘はUCATの中から出て来ないな」
「飛場竜轍の道場にいた、と思ったら再びUCAT内に戻りました」
「ふむ。つまらん。少しずつ絶望に浸して行こうと思ったが…逆でも構わないか。あの小娘の家族を殺してしまおうか?」


 男は愉快そうに喉を慣らした。凶悪なその笑みを見ても、女性の表情は揺るがない。ただ笑みを浮かべているだけだ。それを見て男は更に喉を震わせる。


「装備を調えておけ。近日中には決行しよう。…あの御神の生き残り、不破士郎、不破恭也、御神美由希を血祭りに上げる為にな。あぁ、まずは奴の妻から殺してしまおうか。それは愉快だ。絶望に歪む御神の血筋の顔はさぞ心地良い物なのだろうな? そう思うだろう?」
「えぇ。主がそう思われるならばそうなのでしょう。とても愉快で、心地よいのでしょう」


 男の凶悪な言葉に女性は明るく笑って肯定した。だがそれはまるで表情に変化がないようにも見える。ただ貼り付けた仮面のような笑顔。それに男は、あぁ、あぁ、と何度も頷き両手を広げて笑い出した。
 想像した映像の愉快さに恍惚とした笑みを浮かべ、高笑いを上げる。脳裏に浮かぶは絶望に満ちた御神の血筋の者達の顔だ。そしてその身体が血まみれになり、血の海へと沈んでいくその想像。男が耐え難い、と言わんばかりに身体を震わせた。


「愉快!! 愉快だぞ!! あぁ、殺す。殺してやろうぞ御神!! 私から全てを奪った御神の血筋!! 一度ではなく、二度、いや、三度、いや、何度でも殺してやろう!! あぁ、そうさ、殺してやる。それこそ我等が受けた痛みに報いる唯一の手段だと奴等に刻み込んでやろう。御神が死ねば次はLow-Gの人間狩りでも行おうか? さぞ楽しい狩りになるだろうな? そして怨むのだろうな!! 自らの預かり知らぬ所で自らが受けた罪を憎みながら!! そう思うだろう!?」
「はい。皆、憎悪するでしょう。皆、悲哀するでしょう。皆、憤怒するでしょう。そして皆、絶望し、皆死んでいくのでしょう」
「そうだ!! 奴等が我等が故郷を奪ったように、我等も奪ってやろう!! 我等は対等にならなければならない! 対等になってこそ、この地は我等が住むべき地となるのだ!! Low-Gの者達で洗われたその地こそが我等の住むべき地なのだ!! そう、「軍」などとは違うのだ!! 痛みには痛みを与えねばならん!! そこに甘さなどあっては付け上がらせるだけなのだ。そう、故に正しさは私の下にあるのだ!!」


 狂言が室内に響き渡り、しばし男の高笑いは続いていく。その傍らには不変の微笑みを浮かべる侍従はただ男を見つめるだけであった。そこにはただ、狂気だけが満つる。





    ●





 夕食が食卓の上に並ぶ。ここは風見家の食卓。その食卓につけられた椅子に座った風見千里は憂鬱な溜息を吐いていた。憂鬱な原因は先ほどの衣笠書庫での件だ。思い出せば、ふぅ、と溜息が零れる。
 風見の隣には出雲が座り、その前には風見の両親が座っている。出雲が恋人、という事で既に紹介しているし、彼と両親は非常に仲が良い。よってこうしてよく共に夕食の席に座る事はよくあるのだ。
 さて、そんないつもの光景を前に風見はただぼんやりとしていた。楽しそうに話す出雲と父親の声がどこか遠く聞こえる。思わず溜息を吐く。


 ――予想以上に参ってるわね。


 自己分析した自分の状況に思わず溜息を吐く。衣笠書庫での自分の行動。そして今の現状と、そこに居合わせた少女。それを思い出せばどんどんと気が滅入ってくる。


「どうしたんだい千里? 暗い顔をして」


 そこに自分の父親の声が耳に入った。思わずハッ、とした顔になって顔を上げる。そこには心配そうにこちらを見つめてくる父、母、そして出雲の姿がある。それに風見は思わず溜息を吐いて後頭部を掻く。


「ごめん…ちょっと、ね」


 ここでもしあの少女がいなければ風見はただ怒り狂っていただけであろう。だが、それをさせないのはあの少女の影響だ。
 高町なのは。彼女の言葉の1つ1つが頭の中に残り、今なお響き続ける。それは自らの心を穿つ。自身の心に爪を立て、引き裂き、その奧の物を引きずり出そうとするかのような、そんなイメージを抱き、思わず不快感を得る。
 だが、それは自らの内にある物であると理解しているため、心が沈み込む。これが佐山だけならば、裏切られた、と思っていただろう。だがそれは違うのかもしれない。佐山は裏切ったのかもしれない。だけど裏切ってないのかもしれない。裏切ったとしても何か理由があったのかもしれない。だけどそれを自分は理解出来ない。知る事が出来ない。
 わけがわからない。ただわからぬ己の無様さが、ただ情けなかった。考えれば考える程、自然と表情が暗くなっていたのか、風見の父親が腕を組んで風見に声をかける。


「悩みがあるなら、お父さんで良ければ相談に乗るよ?」
「父さん…」
「勿論、千里が話したくないなら無理に聞かない。だけど話したいなら話を聞くよ」


 それに風見ははぁ、と息を吐いた。手で顔を覆うようにして隠す。その手のひらの下に僅かな微笑を隠して息を吐き出す。それから手を離し、椅子に座り直して父親へと向き直る。


「うん。…ちょっと聞いてくれるかな」


 風見は話した。話せない部分は誤魔化しつつ衣笠書庫であった事を親へと説明していく。説明している間にも心は痛んだが、あまり重みは感じなかった。父親はそれを黙って聞いてる。隣では母親も黙っている。出雲はコロッケを食べている。こんな時でも食うのか、とも思ったが、自分は関わらないから家族で話せ、という出雲なりの気遣いなのだろうか、と思う。
 それに出雲も聞きたいのかもしれない。…まぁ、本当の所はどうだかはわからないが。そして話しが終わる。ふぅ、と息を吐いて風見は父親の返答を待つ。しばし黙っていた父親は小さな唸り声を上げる。


「なるほど、ね。要は納得が行ってないんだろう? 千里。仕事が出来る仲間が出来て、これから、って時に解散だ、って言われたから。まるで、今まで頑張ってきた自分が仲間に思われていなかった。そう思ってしまったんだね?」


 こく、と無言で頷く風見。その反応を見てから風見の父親は言葉を続ける。


「それで自分より小さくて、しかも付き合いの短い子がその解散しようと言った人の考えを理解しているみたいで、しかも自分のは自分勝手な行動だったんじゃないか、と思ったんだね?」


 先ほどと同じように無言で頷く風見。それを見て、風見の父親は顎を手でさすってから。


「それは、千里にしかわからないんじゃないかなぁ。千里の問題だし、僕は事情を詳しく知らない。その解散すると言った彼が正しいのか、それともその女の子が正しいのか、それはわからない。それを決められるのは千里だよ」
「…私?」
「うん。千里はまだ自分の意見を固められてない。解散を決めた彼も、それを肯定した女の子は決めてるんだろうね。でも、千里は決められてない。だから自分が間違ってるんじゃないか、と思う。だから悩みなさい、と言った所かな? きっとそれは千里の経験した過去に何かヒントがあると思うよ」


 少し軽めな様子でそういう父親に、思わず風見は溜息を吐いた。そして、その父親の言葉は佐山と同じ言葉。それに思わず苦笑を浮かべる。だったら考えるしか無いよなぁ、と風見はそう思った。答えはまだ見えない。
 だけど考えなければならない。私が「全竜交渉部隊」である為に、「全竜交渉部隊」であった事が無駄じゃ無い為に。




    ●


 

 日本UCAT本部地下五階。そこは各種装備類などの倉庫兼格納庫だ。そこにある二組の男女がいた。その二組の男女というのは、飛場と美影、そして原川とヒオの四人だ。
 だがここに四人はいるのだが、その姿は見えない。何故ならば飛場と美影は8mはあるだろう黒の巨人、「武神」に乗り込み、また、原川とヒオも青の機械の竜、「機竜」に乗り込んでいるからだ。
 「武神」。それは3rd-Gを象徴する兵器である。大型の人型機動兵器であり、搭乗者が機体と合一化する事によって使用可能となる兵器だ。
 「機竜」。それは5th-Gを象徴する兵器である。竜を模した機械であり、これもまた、搭乗者が機竜に合一化によって操縦していたが、一度合一化した者は武神と違い、二度と分離する事は出来なくなる。例外が存在しているが、基本的な操縦は搭乗式となっている。
 飛場と美影が乗り込む武神の名は「荒帝」。普段は美影の所有する概念空間に収納されているが、美影の意志によって出現する事が出来る。なお荒帝には3rd-Gの概念核が納められた概念核武装「神破雷(ケラヴノス)」を装備している。形状は腕に装着される杭打機で、装填された槍に雷をまとわせて射出、相手を撃ち抜く武装だ。
 原川とヒオが乗り込む機竜の名は「サンダーフェロウ」。ヒオを守護している5ht-Gの概念核を納めた概念核武装「宵星砲(ウェスパーカノン)」を所有している。ヒオの危機や意志によって召喚される。原川は操縦を担当し、ヒオはサンダーフェロウと合一化し、原川の補助や、各リミッターの制御を行っている。
 尚、ヒオがサンダーフェロウと合一化しても取り込まれない理由はサンダーフェロウがフォローしている為であり、唯一、合一を可能としながらも合一を解除出来るのがヒオなのである。
 さて、そんな四人はそれぞれの機体に乗り込み、何をしているのだろうか?


『合わせるか? 原川』
「あぁ、このあたりのものを残してくれ、サンダーフェロウ」


 まずは原川。彼は現在、操縦席のシートに座りながらサンダーフェロウの通信機をLow-Gの物と合わせる為の調整を行っている。コンソールの表示板には幾本もの波が走る。原川はその内の一本を選び、その選んだ一本以外の線が消えていく。
 そのコンソールを、原川の後ろにある操縦席の副座に座るヒオがのぞき込んで。


「ラジオみたいですのね」
「通信機をLow-G合わせにしたくてな。サンダーフェロウ、まずは概念反応のあるものだけ取ってくれ」
『了解』


 サンダーフェロウの応答と共に、表示板に浮かんでいた波が重なり、そして声が聞こえてきた。その声は傍にある武神、荒帝に乗り込む飛場の声だった。通信が通じ、彼が記念すべき第一声が放たれた。


『原川先輩聞こえますか!? 透明な密室で女の子と二人だなんていやらしいっ! ぼ、僕はそんないやらしい先輩を持って幸せですよ!?』


 その飛場の第一声に原川は殺意を覚えた。その殺意をもみ消すかのように親指と中指でこめかみを何度かほぐす。そうしてからふぅ、と息を吐く。ゆっくりと心を落ち着けてから瞳を閉じる。深く息を吸い込み吐き出す。OK。クールだ。


「馬鹿か飛場。いや、馬鹿だ飛場」


 とりあえず疑問ではなく確定しておいた。この馬鹿めが、と思っていると、後ろに座っているヒオの気配がおかしい。ふと振り返ってみれば顔を真っ赤にしているヒオがいる。
 …まったく面倒な、と原川は溜息を吐く。溜息吐けば幸せが逃げていくというが、この原川という男はどれだけの幸せを逃しているのだろうか?


「ヒオ・サンダーソン、君も顔を赤くするな」
「はははははははい!!」


 かなりどもりながらもヒオが返答を返す。その様子にやっぱり原川は溜息を吐く。ヒオはその空気から逃げるように副座の掃除を始める。手には掃除の為のハンディタイプの掃除機が握られている。掃除機の音が響き渡るのと同時に、原川は外を見るために風防へと目を向けた。
 原川はそこで今までの事の経緯を考えていた。サンダーフェロウの動作の確認をしているのは出雲UCATに襲撃があったからだ。それに警戒しての事だ。その為に原川達はUCATの本部へ来ているのだ。
 これは風見の発案である。ただでさえ、佐山と新庄が外れているのだから、と。一見すれば当てつけにも聞こえるが、恐らく風見にはそんなつもりはないし、別にそんなのは些細でどうでも良い事だ、と原川は思う。
 原川はまだ、UCATに入ってから日が経ってない。それこそあの少女、高町なのはとそう変わりがない程だ。故に、佐山が解散を命じた理由も、風見がそれに反発したのも理解に苦しむ。どちらかというと、自分は風見に反発したなのはと似たような意見と言っても良いのかもしれない。自分はそこまで全竜交渉部隊という枠組みに傲っているわけではないのだから。
 しかし、原川には気になる事がある。それは、自らの父の事だ。彼の父は10年前に死亡している。その原因は「関西大震災」である。関西大震災。関西で起きた大地震。だが、その真実は「概念戦争絡み」だという話がある。
 そしてその当時のUCATが災害に遭った関西へ救助に向かった、と。どうやら父はUCATに関わっていたらしい。そして父は関西大震災の際に現場へと向かい、そして死亡した。それを彼の母親は知っていて、そして今までずっと隠していた。


(…聞けば答えてくれるだろうか)
 

 それはどうだかわからない。ただ、だからこそ迷う。聞くか、聞かざるべきかを。それを考えながら、原川はコンソールを弄る。まるで出せぬ答えを先送りするかのように。
 原川は一通りの動作の確認を終わらせ、操縦席のシートに身を預けた。そこでふぅ、と一息を吐いた時だ。通信機の向こうから飛場の声が聞こえてきた。ふと、外を見ればいつの間にか飛場は荒帝から降りて、携帯電話を使っている。


『あ、こっちからも繋がりますね。美影さんも聞こえますか?』
『うん、聞こえるよ』
「しっかりと繋がったようだな」
「そうですね」


 飛場の呼びかけに美影が返答を返して。それを聞いた原川が満足げに頷き、ヒオが嬉しそうに相槌を返す。原川がいざ、サンダーフェロウから降りようとしたその時だった。


『ところで原川先輩』
「何だ?」
『…さっきのなのはちゃんの話、どう思います?』


 原川はふと、唐突に振られた話題に軽く眉を動かした。それから腕を組み、ふむ、と呟く。脳裏に浮かぶ彼女の姿。そして先ほどの衣笠書庫での彼女の言葉。それを思い出してから原川は口を開いた。


「正論だと俺は思う。俺もどちらかというと彼女側の意見だ。不要な力は無駄な事しか生み出さない。更に言えば俺は俺が全竜交渉部隊でなければならない理由がわからない」
『僕もです。僕は…どうして全竜交渉部隊なんでしょうね? ただ元々3rd-Gの穢れを払う為に、美影さんの進化を促す為に概念核を手に入れる為に戦っていただけですし…』
「ヒオもサンダーフェロウがいたから5th-Gの戦いに巻き込まれたみたいな物ですし…」


 今更考えてみれば自分たちはほぼ偶然、そこに集ったような物なのだ。集まろうとしたわけではなく、ただ自然とそこに集っていた。
 飛場と美影は元々3rd-Gとはある理由の為、敵対し、その過程で佐山達と共に戦うようになってから全竜交渉部隊へと所属していた。
 ヒオは自らにサンダーフェロウがいて、その力を必要とされたから戦った。原川は済し崩し的にヒオとたまたま戦い、そのまま全竜交渉部隊へと入った。
 そうだ、そんなたまたま偶然集った自分たちが何故共に行動しなければならないのだろうか、という疑問も湧いてくる。


「集ったのには理由がある。だが、集ったままでいる理由は無い」
『かといって離れるという理由もわからないんですよね』
『過去。やっぱり佐山が言っていたようにそこにヒントがあると思う』


 原川と飛場の呟きに美影が言う。それにヒオも同意するように頷く。その様子を見ながら、原川は思う。高町なのははこう言った。仲間である必要があるのか、と。あの時、佐山が求める仲間がいなかった為、解散となった。
 求められなければ解散する。そうだ、元々1つの目的があって仲間は集う物だ。故に、求められないのならば別れる。風見はそれに抗った。それは、何故だ? わからない。全竜交渉部隊に愛着が無い自分にはそこまで抗うつもりは無い。
 飛場は…どうだかわからないが、風見のように不満を漏らしているわけではない。むしろ解散は今の自分たちに必要な事なのか? いやそれ以前に全竜交渉部隊の存在そのものが必要なのか? というその理由が気になっている様子だ。


「それが解れば苦労はしない」


 一体何故なのか。何故そうでなければならないのか。それを求める為には、過去。
 佐山は過去を求めろと言った。そこに、全竜交渉部隊が集まった理由があり、そして、解散が必要になった理由がわかるだろう。それでもわからない物はわからないな、と思い、原川は溜息を吐いた。



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 07
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 09:34
 夜の駅。佐山はそこで出発の時を待っていた。長いプラットホームの中継基地。2番と3番ホームの間で立って、空を見上げている。頭の上にはいつも居るはずのペットとも言えるべき獏がいない。
 獏。それは7th-Gに生息する生物で、人の夢を喰らって生きる生物。特殊能力として他者に過去を見せる事が出来るのが獏である。その特殊能力故に、全竜交渉という過去の戦争の後始末を付けるためには最適だとも言える。
 しかし、あれはUCATに全竜交渉部隊の交渉役だった為に預けられたような物だ。全竜交渉部隊が解散した以上、獏はここにはいないのが普通だ。それを少し寂しく思う。出会いはどうあれ、いつも共に居たペットであったからだ。獏の重みを感じられないのが少しばかりやはり寂しかった。
 これから佐山は両親の手がかりを追う為、衣笠天恭という男の足取りを追う事にしている。そして、新庄もまた、両親の手がかりを探しに境へと行く。つまりそれは一時的にとはいえ、彼女と別れると言う事だ。佐山にとってそれは辛い事だ。そのため彼女に対して色々とやましい思いが湧いたのだが我慢する事にした。


 ――今回は我慢する。次は知らん。


 その誓いを強く、心の中で呟き直し、決意を固める。我慢する。溜めよう、と。そんな不純な事を考えていると佐山の携帯が振動した。佐山は携帯を手に取り開く。電話だ。携帯から表示された名前を確認すると、そこには「大城」の名が記されていた。
 佐山は電話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。


「もしもし、御老体かね?」
『そうじゃよ御言君。今、高町君と話がついてな』
「…どうだった?」
『お世話になりました、と、言っておったよ』


 そうか、と佐山は頷いて、そして唇を緩めて笑みを作った。あぁ、彼女もまた、歩き出した。自分の道を。行くべき道を。それを好ましく思う。全てのキッカケは彼女からだった。そんな彼女もまた歩き出す。その先には何があるのだろうか? 彼女の行く先にはどんな答えが待っているのだろうか。
 自分と似ていると、佐山はなのはを見てそう思っていた。故に佐山は思う。彼女はどのような答えを出すのだろう、と。それは近しい故に感じる共感を求めているのだろうか。それとも自分では出せぬ答えを出してきてくれるという期待なのだろうか。
 彼女に求める感情はよくわからない。ただ、1つ思うのは、彼女の行く末を見てみたい、と、そう思う。


『では、儂はこれで。気をつけてな』
「あぁ、御老体もな」


 そう言って別れの挨拶を済まし、佐山は携帯を耳から離して通話を着る。画面が待ち受け画面に戻る。そこには新庄の水着姿が移っている。うむ、とその画像を確認してから携帯を閉じる。
 そこに丁度良く、新庄がやってきた。その手には缶コーヒーが握られている。2つある事からどうやらもう一つは自分の為の物のようだ。それをありがたい、と佐山は思う。自然と表情が緩むのを感じていた。


「佐山君。誰から?」
「あぁ、御老体からだよ。…高町君は故郷に帰るそうだ」
「そう、なんだ」


 なのはの話をすると、新庄は少し顔を曇らせた。少し顔を俯かせ、どこか沈んだ様子であった。それに佐山は少し頭を傾げる。少し様子がおかしい、と。


「どうかしたのかね? 新庄君」
「え? あ、いや…ちょっと、ね」
「私には話せないかね?」


 佐山の問いかけに新庄は少し沈黙する。視線が泳ぎ、どうするかを迷っているかのようにも見える。それから少ししてから新庄は息を吐いて、それから佐山へと向き直る。


「えと、ね。なのはちゃんが少し羨ましくて…」
「羨ましい?」
「だって、佐山君の考えを一番わかってるみたいだから…」


 だから少し悔しい、と新庄は言った。新庄はなのはが羨ましい、と思っていた。今回の件のキッカケは全て、あの少女から始まったのだ。そして、佐山はなのはを気にしている。それはどういう感情なのか、新庄はわからない。それでも、少し嫌だ、と感じてしまう自分がいた。
 小学生に嫉妬をしている。そう思うと結構ショックである。思わず落ち込んでしまうのも無理は無いのかもしれない。それほどまでに佐山となのはは通じ合っているように見える。


「わかっている、か…。そうだね、彼女は私に似ているからね」
「え!?」
「…何をそんなに驚くのかね?」
「え、ちょっと、佐山君、それは笑えない冗談だよ? なのはちゃんに失礼だよ?」
「どういう意味で言っているのか詳しく説明を求めたいが、どうかね?」


 新庄は割と本気で驚いた。一体何を言っているんだろう、と言わんばかりに。佐山はそれに細目に笑みを浮かべた状態で新庄に問いかける。それに新庄はえーと、と呟いてから。


「だって、なのはちゃん常識人だし、良い子だし…」
「新庄君。私も常識人で善良な人間だと思っている」
「思ってるだけでしょっ! …そんなに似てる? どこが似てるの?」


 佐山がどうしてなのはを似ていると言うのが、新庄には少し気になった。それ故の問いかけ。それに佐山は、ふむ、と呟いてから。


「どこが、と言われても、どこなのだろうかね?」
「は?」
「敢えて言わせて貰うならば勘、という奴だろうか? 彼女は私に似ている、と。そう感じたのだよ」
「……そうかなぁ?」


 よくわからない、と言った感じで新庄は呟く。どうやってもなのはと佐山が結びつかない。彼は一体何を以て自分となのはが似ている、というのだろうか?
 わからないなぁ、と新庄は思い、溜息を吐いた。もしなのはに会えたら問いかけてみようか。そう思い、ふと時計を確認した。時計はもうすぐ電車が来る時間だ。


「もう少しで電車来ちゃうね」
「そうだね。新庄君」
「僕は市役所の方を回れば大丈夫だと思うけど、佐山君は大丈夫? 山奥に行くんでしょう?」
「踏み込んだ所では無い為、土地勘は無いが…8号君が調べてくれた資料がある。問題は無いように心がけるよ」
「…狭心症の方も大丈夫?」


 新庄が心配しているのは彼が抱える病の事だ。両親の事を聞く度に、ストレスによって心臓が圧迫される。それを新庄は心配している。彼は一人で両親の事を調べに行くのだから。
 それに佐山はフッ、と笑って新庄の肩に手を置いた。


「大丈夫だとも。新庄君がいなくなれば私は新庄君のいない時の私に戻る。それだけだ。それに新庄君との思い出は私の胸の中にある。それはとても幸運な事だ。だから私は大丈夫だ」
「…時折佐山君ってサラリと恥ずかしい台詞言うよね」


 新庄が若干頬を赤く染めて呟いた。それに佐山は口を笑みの形に変える。あぁ、やはり彼女は愛おしい、と佐山は思う。目の前の彼女と出会えた事が、私の人生において最も幸福なのだろうと。


「佐山君」


 もうすぐ電車が来る。新庄はそれを確認した。もうすぐで新庄は佐山と離れ、両親を追う。そして佐山も両親の軌跡を追って行く。彼は大丈夫だと言う。心配じゃないと言えば嘘になる。それでも、信じよう。きっと彼なら大丈夫だ、と。それを確認した。ならば、あと、もう1つだけ、と心の中で呟いて新庄は佐山を見つめる。


「全竜交渉部隊が解散しようとしている理由。それの答えは、皆、ちゃんと見つけられるよね?」
「どうだろうね。それは…私にもわからない。ただ言えるのは…答えを見いだせぬ者は全竜交渉部隊から外れて貰う。それだけだ」
「再結成…でしょ。やっぱり。佐山君が望んでるのは」


 新庄の問いに答えは返ってこない。だが、その沈黙が肯定だと言っているように新庄は思えた。何故彼は再結成を望んだのだろうか。彼が解散にこだわる理由。解散する理由。それは、どれだけ大切な物なのだろうか。答えを知らぬ新庄にはわからない。


(わかるとすれば…)


 脳裏に浮かぶのは高町なのはの顔だった。恐らく、全てのキッカケは彼女だ。彼女から始まり、そして今に至る。彼女もまた、一人旅立つようだ。そこで彼女がどのような答えを出すのか、新庄はわからない。もしかしたらもう二度と会わないかもしれない少女。だが、きっと忘れられないだろう少女。


「この続きは戻ってからにしよう、新庄君」


 考え込んでいた思考を遮るように佐山がそう言った。それに新庄が頷きを返して同意を示す。それに佐山は満足そうに頷いて。


「我慢していた方が盛り上がるからね。さて新庄君」
「ちょっと今聞き捨てならないような言葉が聞こえたけどスルーするね。で、何?」
「あぁ、私は君に1つ、過去を預けたいと思っている」


 そう言って佐山が取り出したのは封筒だ。新庄はそれに少し戸惑ったように封筒に手を伸ばし、受け取る。それから、佐山の顔と封筒を何度か交互に見直した後に、口を開く。


「過去って…」
「もし、君が大阪で答えを見つけられた時、これを見て欲しい。私も謎に思っている、ある人物の事についてだ」
「…それって、佐山君の過去に関連する人だよね?」


 それに佐山は頷き、返答を返す。それを聞いてから新庄は封筒を見つめる。暫し見つめてから、新庄はそれを大事そうに両手で包むように持ち、顔を上げて佐山を見つめる。


「Tes.」


 了承、という意味で言葉を返す。それに佐山がもう一度頷く。電車が近づいてくる音が聞こえる。それに、本当に最後、と思いながら新庄は口を開く。


「佐山君。約束して…ちゃんと帰ってきて、僕に会いに来るって」
「…約束するまでもない。当然の事じゃないか」
「ありがとう。…昔ね、ちょっと、あったから。迎えが来るって、言われて、ずっと待ってて、でも、来なくて…」


 不安がある。あぁ、自分は弱い。彼に何の心配もなく行って欲しかった。だけど、だけど傍に居て欲しい彼と離れてしまう。そう思えば思う程、心は脆く、弱くなっていく。だけど受け止めてくれる彼が愛しくて、嬉しくて新庄は微笑んだ。


「約束だよ」
「Tes.勿論だとも、新庄君」


 佐山は新庄の念を押すかのような言葉に笑みを浮かべて返す。そして到着した電車の方に向けて肩を押してくれる。その仕草が、新庄にはこう言っているように聞こえた。
 「行ってこい」と。それに後押しするかのように、新庄は歩き出す。そして二人は別れた。それぞれの両親の足跡を追う為に。
 これから待ち受ける物を彼等は知らない。だが、それでも、彼等は前へと進んでいく。それを知る為に。求める為に。




    ●





 ある街がある。夜の闇に包まれ、街には電灯が灯る。その街は「海鳴市」という。
 その夜の街で立ち止まり、空を見上げる一人の少女がいた。その少女の名は、高町なのは。少し口を開き、唖然としているようにも見える様子で、ただ空を見上げている。
 たった二週間ほどしか離れていなかった故郷。だが、酷く懐かしくて、胸が温かくなった。それに思わず笑みを零した。鞄を背負い直して、なのはは歩き出した。街行く人々に紛れ込みながら海鳴の街を歩いていく。
 季節はもうすぐ冬だ。少し肌寒い。それでもその肌寒さもなのはが産まれてから今まで過ごしてきた物だった。帰って来たんだな、とまたぼんやりとしかける。そこで躓き、転びかける。なんとか踏みとどまりはしたが、危ない、と頭を振ってなのはは息を吐く。


「うぅー」


 やはりなんだか落ち着かない。いや、落ち着くのだが、落ち着かない。何なのだろう、この矛盾した気持ちは。心は酷く安らいでいるのに、気はそわそわして落ち着かない。リラックス出来そうなのだが、逆にし過ぎて集中が欠けるのかもしれない、となのはは思い思わず苦笑した。
 そういえば最初に帰ってきた時は怪我をした時だ。あの時は何もかもが嫌で、心を閉ざしていた。だから、帰ってきたという実感が無かったのかもしれない。


(それだったら仕様がないかな)


 今はもう心を閉ざすという事は無い。それにここに帰って来たのには理由がある。向き合う。その為だ。自分は過ちを犯した。その時に悲しませ、失いかけ、それから目を逸らし逃げ出した人達ともう一度向き合う為に。
 まずは家に帰る。御神家について聞きたい事がある。父の祖父について聞きたい事がある。話したい事がいっぱいある。


「…あ」


 考え事をしながら歩いていた為だろうか。それとも、自然と足が速く動いていたのだろうか。もうすぐ目の前には我が家があった。思わず、立ちすくむ。なのはは息が詰まったように息を呑んだ。
 あそこには家族がいる。父が、母が、兄が、姉が…自分が悲しませてしまった、大事な家族がいる。今、悲しませている家族がいる。そう考えるとなのはの足が思わず竦んでしまう。


「…もう、止まってる場合じゃないでしょ」


 ふぅ、と溜息と共に言葉吐く。それは自分に対しての呆れの言葉。自分の勘違いに気づいて、もう逃げないと決めた。向き合うと決めた。だからここで立ち止まる必要など無いんだ。
 いつものように歩き出し、その歩はどんどんと早くなっていく。それすらももどかしくなったかのようになのはは走り出す。家の距離がどんどんと近づいてくる。それに連れて、息が荒くなっていく。
 それでもなのはは走る。走って、そして家の玄関の前に立った。家の方を見る。そこには灯りが灯っていた。今、何を思って、何をしているのだろうか。
 泣いていたらどうしよう、と思う。だが、すぐに考えても仕様がない、と頭を振る。大きく息を吸い込み、そして吐き出す。震える手を伸ばし、呼び鈴に手を伸ばす。
 ぴんぽーん、と呼び鈴の音が響いた。すると、奧の方から声が聞こえた。


「はーい」


 お母さん。思わずなのはは呟いた。玄関から一歩下がり、玄関が開くのを待つ。ガラス越しに影が見えた。その影が次第に大きくなり、そして扉に手をかけて開いた。


「はい、どちら様です、か…」


 最初に出たのは笑顔の母、桃子だった。だがその頬は少し痩せたように見えた。目元には隈が出来たやつれた様子の母を見てなのはは逃げ出したくなった。それでも母を見据えるように視線を向け続けた。笑顔の母の顔が、どんどんと驚きの色へと染まって行くのがよくわかる。


「な、のは…?」


 名前が震える声で呼ばれた。もう見てられなかった。胸が苦しくて、今すぐにでも叫んで逃げてしまいたかった。こんな風に母を追い詰めたのは自分なんだ、と思うと自分自身が疎ましくてしようがなくなってくる。
 だが、それでももう逃げないと決めた。だからなのはは母を見据えたまま動かない。大きく息を吐き出し、ゆっくりと、確実に笑みを浮かべられるように。ようやくできあがった笑みの顔を母に見せるように上げて。


「…ただいま。お母さん」
「っ……な、のはぁっ!!」


 強く名前を呼ばれたと思ったら母が自分を抱きしめていた。母は泣いていた。何度も自分の名前を呼びながら強く自分を抱きしめている。外気に晒され、冷えた身体に母の体温は温かく、心地よくて身を委ねた。
 その背に両手を回し、母の背を撫でる。そして肩口に顔を埋めるように寄りかかる。震える母の背を撫でながら、なのはは声を絞り出すように出した。


「心配かけて…ごめんなさい」


 声が少し震えた。痛かった。悲しかった。申し訳なかった。心地よい暖かさに抱かれながらなのはは自分を責めた。母に心配をかけた。母を苦しめた。それがただ痛くて、悲しくて、申し訳なくて、母の背に回した手に力を込めた。
 母は何も言わず、いや何も言えずにただ自分を抱きしめているようだ。なのはは母に強く抱かれる度に胸が苦しくなったが、泣かないと決めた。もう心配はかけたくなかったし、それにもう己は十分過ぎる程泣いた。だから良いのだ、と。


「なのはっ!?」
「なのは帰ってきたの!?」


 ふと母の背の方から声が聞こえた。それは、兄の恭也と姉の美由希の声だ。それを聞いた母がなのはを離す。そしてなのはの後ろに回り、その両肩を掴んで押すようにして玄関の方へと上がらせる。
 玄関に上がったなのはの姿を見た二人は驚き、そして恭也は安堵したように息を吐き出し身体から力を抜いたように壁に手をつく。、美由希はなのはの方へと駆け寄って掻き抱くようになのはを抱きしめた。


「この、バカなのはぁっ!! 心配、かけてもぅ…!!」
「ごめん…お姉ちゃん…」
「ごめんじゃないよぉ…もぅ、ホント、バカなのは…!!」


 嗚咽を抑えようとするも嗚咽は収まらず、なのはを掻き抱いたまま美由希は泣いた。その姉を落ち着かせるように背を撫で、あやすように背を叩く。そうしながらもこちらに視線を向けてくる恭也になのはは視線を向ける。


「お兄ちゃんも、ごめんね」
「…いや…」


 恭也は髪を掻き上げるように片手を上げて上を向いた。その瞳には若干の涙が溜まっていたのをなのはは見た。口元には安堵した時の笑みが残され、泣かまい、としている様子が見えた。
 そして…恭也の後ろ。そこに、一人の男が立つ。それを見て、なのはは一瞬身を震わせた。恭也の後ろに立ったのは、士郎だった。
 士郎は無表情のまま、なのはへと歩み寄ってくる。一瞬美由希が何か言おうとするかのように口を開くが、察したなのはが美由希を止める。恭也は何も言わず、自分の横を通り過ぎていく父の背中を見る。桃子はただ事の成り行きを見つめている。
 そして士郎がなのはの前に立ち、そのなのはに手を伸ばした。なのはは一瞬目を閉じる。ぶたれる、と思ったからだ。心配をかけた分、それは仕様がない事だと思い、受け入れるつもりだった。だが、いざ叩かれるとなると反射して目を閉じてしまった。
 だが、次に感じたのは、待っていた衝撃ではなく、頭を撫でる大きな掌の感触。


「――良く帰ってきたな、なのは」
「え…?」


 若干、呆然としながらもなのはは目を開けた。目に映ったのは、泣き笑いのような顔を浮かべた父の姿があって。


「おかえり、なのは」


 ただ優しい音声でなのはを迎える。それになのはの泣かないと思った決意は脆く崩れ去った。胸が温かいものに満たされて涙を堪える事なんて出来なかった。くしゃり、と顔を歪ませて、なのはは士郎を大きな声で呼びながら抱きつき、声を抑えながら泣いた。そして声が震えないようになのはは告げる。


 ――ただいま。


 たった、ただその一言を。様々な思いを込めて、ようやくなのはは高町家へと帰宅したのであった。



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 08
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 14:47
 なのはが帰ってきた。夕食がまだだったという事が幸いしたのだろう。高町家の妻、桃子は腕によりをかけて料理を始めた。嬉しさの余り、自分も手伝うと言った美由希は恭也によって鎮められた。その様子を見ていたなのははただなんだか申し訳なさそうに笑っていた。


「フェイトちゃん達にも連絡しようか?」


 その光景を眺めていたなのはは士郎に問いかけられた。それになのはは士郎の方へと顔を向ける。少し、迷ったように眉を寄せてから、瞳を閉じる。首を動かし、顔を横へと振った。それは拒絶の意志を表していた。


「今日は、家族だけで。…まだ、顔合わせられないよ」


 なのはは少し弱気になりながらも言った。家族には顔を合わせられた。不安もあったが、それでも優しくて、お帰り、と言ってくれた。だけど、まだ勇気が足りない。フェイト達と顔を合わせる程の、踏み込めるだけの勇気がまだなのはには無かった。
 その様子に士郎は頷き、相槌を返して電話を戻した。それになのはは御礼の言葉を漏らす。士郎が無言のまま、なのはの頭に手をおいてその髪をかき混ぜるように撫でてやる。
なのははしばらくそれににゃーと、猫のような声を出しながら甘受する。


「ご飯出来たわよー」


 桃子の声が聞こえる。それに料理がテーブルの上へと運ばれてくる。なのはが運ぶのを手伝いに行こうとしたのだが、美由希が座ってろ、と言わんばかりになのはの肩を押さえ、代わりに手伝いに行ってしまった。


「まぁ、良いじゃないか、なのは」


 士郎の言葉になのはは「むぅ」と唸るが、今まで心配をかけて来たのだから今日は大人しくした方が良いか、と思い黙って座っている事にした。だが、目の前に並べられていく料理の数々にどんどんと顔が引きつってくる。
 豪勢すぎる。となのはは思った。そしてどれだけ心配をかけたか。そしてどれだけ安堵させ、歓喜させたのかを理解した。あぁ、過去の自分はなんて愚かなんだろう、と心底思った。こんなにも愛して貰っていたというのに。


「ねぇ」
「ん? 何だい、なのは?」
「食事が終わってからでも良いから、聞いて欲しい事があるんだ…皆に」
「…そうか。わかったよ」


 士郎の言葉になのはは、うん、と呟きを返した。既に席に座っている恭也がこちらに視線を向けていたが、すぐに料理の方へと視線を移した。そうこうしている内に美由希と桃子が席についた。


「それじゃ、食べるか」
『いただきます』


 家族全員の声が重なり、食事が始まる。何気無いいつもの光景。それになのはは思わず感動した。あぁ、ここはやっぱり私が帰ってきたい場所なんだ、と。そう思ったら胸がじんわりと温かくなって涙が零れそうになった。
 その時はなんとか堪えられたなのはだったが、料理を食べて、その味に感動をしてしまい、結局泣いて家族を慌てさせたのは仕様がない事だったのかもしれない。いや、そう思う事にしよう、となのはは思った。





    ●





 食事は穏やかに過ぎていった。今では桃子は食器を全て下げ、食器を洗い終わった後の事。なのはと士郎と桃子、恭也と美由希とそれぞれ二人ずつ、二つのソファーに座っている。なのはは家族の顔を見渡してから一息を吐き、頭を下げた。


「まず、ごめんなさい」
「な、なのは? 家出したのは…もうほら皆怒ってないから、そんな謝らなくても…」


 美由希がなのはの謝罪の言葉に少し眉を寄せながら言う。もう怒ってない、とアピールするかのように少し必死だ。それになのはは顔を上げて首を横に振った。違うんだ、と小さく呟いて、再び皆と顔を合わせる。


「私が謝ったのは…私が…皆を信じてこなかった事」
「…なのは?」


 なのはの言葉に恭也が少し目を見開かせる。呆然とした様子でなのはの名前を呼んだのはなのはの真意を測りきれないが為に、自然と漏れた呟きのようであった。美由希に至っては何度も「え?」と漏らしながら、家族全員の顔を見渡している。そして士郎はなのはの方へと視線を向け、口を開いた。


「それはどういう意味なんだ?」
「言葉通りだよ。…私はね、お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんを信用してなかったって事。後…多分フェイトちゃん達も、ほとんどの人の事を」


 ふぅ、と息を吐いてなのはは一度瞳を閉じる。何かを堪えるように怯えかけた弱い心を震い立たせる。向き合わなければならない。自分の心と。そして家族達と。ここを本当に居場所としたいから。ここが帰ってこれる場所だと思えるようになりたいから。
 だから包み隠さず全てを話そう。怖いという心を叩き伏せ、嫌われたくないという思いを押しのけ、なのはは瞳を開き、言葉を続ける。


「私…皆を怨んでた。お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも」


 まだ幼い頃。士郎が入院する程の大怪我を負い、家で一人でいた時。構って貰えず、寂しくて、心が痛くて、裏切られたと思い、皆を怨んだ。でも、だけど怨みきれなかった。それは皆がやっぱり大好きだったから。大好きだったからこそ憎くて、それでも大好きでどうしようもなくて。
 そしていつしか自分を責め立てていた。怨んだお前が何を言うのだと。憎んだお前が何を言うのだと。大好きでも、一時とはいえ憎んでしまった。それが、なのはを責め立てた。
 幼いなのはには持て余すことしか出来なかった大きすぎる感情。それを押し込めた。そして良い子になろうと心がけた。迷惑をかけない子供になろうとそう思った。
 そうすれば誰も傷付けない。誰も悲しまない。そう思ってずっと偽ってきた。無意識的に仮面を被っていた。良い子であろうとする自分。迷惑をかけないようにしようとした自分。ただ怖くて、逃げて、そして見ない振りをしていた。
 いつも恐れていた。また裏切られるのではないかと。いつも怯えていた。また一人になってしまうのではないかと。もしかしたら、そんな事ばかり考える自分が嫌いだったのかもしれない。弱くて、臆病で、我が儘で、結局何もどうしようも出来ないまま逃げようとする自分が嫌いだったのかもしれない。
 傷付く事に怯え、自分を傷付ける物全てを排除しようとしていた。自分が迷惑をかけた事によって悲しむ家族。ならば、迷惑をかけないようにしよう。虐められていたすずか、虐めていたアリサ。それを見て、誰かが傷付けられるのが嫌で、そこに自分を見いだし、怯えた。
 そこにいるのが自分だったらどうしよう…。そこで、他人を傷付ける事に怯える。だから遠ざけようとした。見るのが嫌なら終わらせてしまえば良かった。目を背けなかったのは…背ける自分が嫌いだったからなのかもしれない。
 そしてフェイトとはやてに出会った。自分と同じように苦しみ、その苦しみが理解出来るからこそ遠ざけようとした。だから終わらせようとした。目の前から遠ざける為に。同じ街でも、何人もの人が同じ痛みを持っていた。それを恐れた。だけど、世界はたくさんにあり、同じ苦しみを持つ人がもっといるかもしれないと知った。
 そしてそれを救えるかもしれない力があると言われ、なのははそれに飛びついた。知ってしまったらもう逃れられない。ただがむしゃらになった。
 それが自分の生きる意味だと思った。それが自分のやりたい事なんだと盲信して、自分を誤魔化し、偽って、それを理解する事無く、ただ現実に抗うべく走り続け、飛び続け……壊れた。
 なのはは一度、口を止める。自分の思いを必死に伝えられるように言葉を選んで説明したつもりだ。…果たして、家族には伝わってくれているだろうか、となのはは家族の様子を伺った。
 美由希は泣いていた。恭也は唇を噛み締めていた。桃子は何も言わず、俯いている。士郎は手を見ると真っ赤に染まっていた。力を入れているのだろう。悔いてくれてるんだ、となのはは思った。
 それを申し訳なく思うのと同時に、泣き叫びたくなる程、嬉しかった。こんな歪んでて、醜くて、自分を愛せない私を愛してくれる。それがどれだけこの身に余る物だろうか。


「だからね。言いたいの。ごめんなさい…。でも…」


 笑顔を浮かべる。壊れて、見失って、そして、それを見つめ直して気づいた事がある。誰も私にはなれないという事を。そして私も誰にもなれないという事を。
 誰かの哀しみは誰かの哀しみで、私の哀しみにはならない。自分を救えるのは、結局自分だけで、救われた、と思っても、それは自分の心の中だけで。
 救いたいという思いは否定しない。だけど、理解はされないかもしれない。された振りをするかもしれない。全ての思いが全部そのまま伝わるわけがないと知った。
 だから、我慢する事など無いのだと。もう少し、我が儘になっても良いのだと。


「…愛してくれてありがとう。私の為に泣いてくれて、悔いてくれてありがとう。こんな私でも…愛してくれて、ありがとう」


 だから、となのはは前置きを置く。声が震えそうになるのを必死に堪えながらなのはは必死に言葉を紡ぐ。


「私…好きでいいよね? 皆の事、好きで良いよね? 怨んじゃうし、信用は出来ないし、自分勝手で、どこか勝手に居なくなっちゃうかもしれない私でも、皆の事、好きで良いよね?」


 震える声で。怯えながらも気丈になのはは言葉を続ける。


「家族だって、言っても、良い、よね?」
「――当たり前だろう」


 なのはの問いかけは間を置かずに返された。顔を上げれば、そこには呆れたような顔をした士郎がいた。


「なのは。よーくわかった。お前、馬鹿だろ?」
「にゃぅ!?」
「俺にソックリで馬鹿だ馬鹿だ、と思っていたが…お前、俺以上の馬鹿だろ? なぁ、馬鹿だろ? この馬鹿」
「ちょ、ちょっとお父さん…?」
「だってそうだろう。俺が悪かったんだ。俺が入院なんてしなきゃ良かった。それは確かに俺が悪かった。心配をかけた。だがな…それで苦労や迷惑かけられたってな、それは俺が受けるべき当然の事だ」


 なのはに真剣な顔つきのまま告げる士郎。なのはは思わず、ビク、と身を震わせた。その様子に士郎はなのはの頭に手を伸ばし、その頭を撫でる。優しく、だけど力強く。


「憎んで当たり前だ。お前に寂しい思いをさせた。辛かっただろう? だからな、なのは。そんな当たり前な事で謝って欲しくもないし、御礼も言って欲しくない」
「お父さん…」
「お前が歪んだのは俺が悪い。俺が、お前の事をしっかりと導けなかった。親としての責務を果たせなかった。お前が悪い、なんて事は無い。親の責任だ。子を正しく導くの親の役目だったんだ。なのに果たせず、お前を惑わせ、苦しめ、壊しかけたのは、俺の責任なんだ」
「で、でも私だってっ!」
「当たり前だ。…お前も悪い。どうして俺に何も言ってくれなかった。どうして止めてしまったんだ。俺を憎むのを…。お前が怪我をするぐらいなら…俺は、憎まれたって良かった」


 だからと士郎は呟く。なのはを真っ直ぐに視線を合わせる。真っ直ぐになのはと向かい合って。


「ありがとうな、なのは。ようやく、なのはの本心が聞けた気がするよ…本当に、頼りない父さんで…ごめんな」


 士郎は泣いていた。不甲斐ない自分を責める。父として何も果たせなかった自分。それでも自分を父と慕ってくれる娘。娘は自分を不甲斐ないと責める。だが、それでも愛しい娘には代わりがない。ただすれ違っていただけ。
 あぁ、本当に駄目な父親だ。こんな、こんな当たり前の事をどうして今までこの子に与えてやれなかったのだろう? と士郎は悔やむ。


「なのは…お前は俺の大事な娘だ。怨まれたって、憎まれたって、それでもお前は俺の大事な家族なんだよ」


 なのはを抱き寄せ、士郎はしっかりとなのはを抱く。包み込むように優しく。もう離したくないと言わんばかりに抱きしめた。悲哀や歓喜、様々な感情が入り乱れる。
 なのはも同じような表情で、涙を零しながら、士郎に泣き縋った。すれ違い続けた親子は、今、ようやく、ようやく重なり合えた…。





    ●





 なのはが高町家に帰宅してから翌日。あの後、結局なのはは泣き付かれ眠り、皆も連日のなのはの捜索で張り詰めていた疲れが一気に来たのか、すぐに寝てしまった。
 そして朝。高町美由希は熟睡をしていた。もう、これでもかと言うぐらいに気持ちの良い眠りの中に浸っていた。だが、その至福の時間は唐突かつ乱暴に終わった。入り口のドアを勢いよく、響くように叩く音。それに美由希は思わず飛び起きた。


「な、何!?」


 手探りで眼鏡を探して手を伸ばす。ベッドの傍に置いてあった眼鏡をつける。まだ頭は寝ぼけているが、とりあえず目は覚めた。そして入り口の音の原因は中の住人が起きたのを確認したようで入り口の扉を叩くのを止めた。


「朝の鍛錬の時間だ。さっさと起きて来い」
「きょ、恭ちゃん!? ってあーっ!? もうこんな時間!?」


 思わず時計を見てびっくり。まずい、完璧に遅刻だ。恭ちゃんに訓練メニュー追加させられる、と美由希は焦り始める。最近まではなのはの捜索に時間をかけていたが、なのはが帰ってきたからにはいつもの鍛錬を行う、そういえば昨日恭ちゃん言ってたな、なんて思い出しながら慌ただしく用意する。


「ねぇ、お兄ちゃん? お姉ちゃんまだ?」
「なのは。もう準備は出来たのか?」


 だがふと美由希は動きを止めた。今、扉の前に立っているだろう兄が誰かと話している。しかも、なのはと呼んだ。それは昨日帰ってきたばかりの妹の名前。思わず美由希は扉を開いた。


「なんでなのはがいるのっ!?」


 バンッ! と良い音を立てて開かれた扉。目の前に立つのはいつものように運動着を着た兄、恭也の姿がある。そしてその隣に立つのは妹、なのはの姿。恭也と同じく運動着を着ている。そのなのはの姿に思わず美由希は混乱してしまう。
 だが、そんな美由希に対して二人の兄妹は美由希に対して冷ややかな眼を向ける。


「…美由希」
「…お姉ちゃん、服」


 恭也が視線を逸らして呆れたように溜息を吐き、なのはが顔を赤くして恥ずかしそうに言う。なのはに言われて改めて美由希は自分の格好を見た。まだ着替え途中。いろいろとマズイ格好だった。
 そして美由希の絶叫が高町家を震わせるのであった。




     ●





 早朝の海鳴市を走る影が三つ。先頭を走るのは高町家の長男、恭也。息を乱した様子は無く、そのまま無言で走っていく。その後ろを追走するように走るのはなのはだ。若干呼吸は荒いが、このまま走るにはなんら問題は無さそうだ。
 その先頭を走る二人を見て、先ほど恭也から頂いた拳骨で痛む頭をさすりながら美由希は溜息を吐いた。先頭を走る恭也はまだ良い。それについて行っている自分もまだ良い。だが、今まで運動音痴と言われ続けてきたなのはがどうして恭也に付いて行けているのだろうか? と疑問に思う。
 確かに呼吸は自分たちに比べれば荒い。だが走れないわけではない。恭也はなのはに気を使っての事か、最初は速度は遅かったが現在では通常のペースとなっている。
 おかしい。約2週間、行方不明になっていたなのは。帰ってきたら怪我は治っているし、体力も向上しているし、明らかに不可解だ。一体なのはに何があったのだろうか? 美由希はただ思考しながら走り続ける。
 結局なのはは最後まで走りきった。さすがに帰ってきたら疲れが出たのか、今は座って休んでいるが。その間に恭也と美由希は木刀を使った訓練に移る。型の確認や、模擬試合。それを通して剣士として鍛錬を積む。それは自らの生家、御神家に継承され続けた剣術を極める為に。それが御神家に生まれた者として、御神家の生き残りとして。
 しばらく鍛錬を続けていると、座っていたなのはがこちらを凝視しているのに気づいた。恭也もそれに気づいたようで、一度小休憩を取る事にした。休憩を取り、予め用意しておいた水で喉を潤す。先ほど、なのはが持ってきた物だ。冷えた液体が喉を通り、身体に水分を補給していく。口を拭い、ふぅ、と1つ息を吐く。


「ねぇ、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
「ん? 何、なのは」
「私も混じって良い?」
「はぁっ!?」


 思わず美由希は声を挙げてしまった。それだけなのはの言葉に驚愕したという事だ。隣では恭也も似たような顔をしていたが、すぐにいつもの表情へと戻る。なのはの顔をしばらく見る。なのはもまた恭也の視線に気づいたのか、恭也の顔を真っ直ぐに見て。


「…なのは」
「何?」
「この2週間の間に、何をしてきたんだ?」


 恭也の質問は美由希もしたかった質問だ。美由希は恭也の顔を見てからなのはの顔へと視線を移して。なのはの顔は特に何らかの変化は無い。普段見るようないつもの顔だ。
 しばらく、なのはは恭也に視線を向けていたが、ふと、表情を変えた。それは微笑の表情。だがいつも彼女が浮かべているような微笑ではない。それは、ちらかというと悪戯を見つけて実行しようとしている子供の顔。
 そういった顔を見るのは、恭也も、美由希もあまり記憶に無かった。だから少し驚いた様な顔をした。なのははもこういった顔が出来るのか、と。


「教えて欲しい?」
「うん、聞きたいな」


 なのはの楽しさを含んだような声に美由希は頷く。恭也もまた無言で頷いてなのはの反応を待つ。


「じゃ、私と模擬試合してくれたら教えてあげる」


 クスクスと笑い、なのははそう言うのであった。




    ●



 そ美由希は道場の隅に寄り、なのはが押し切って始めた模擬試合を見守っていた。口をぽかん、と開けて。


「―――ッ!!!」


 木刀と木刀がぶつかり合う際に空気が爆ぜるような錯覚すら抱く。踏み込み、切り込み、木刀を噛み合わせ、弾き、避けて、再び踏み込む。流動し続ける戦場。互いの力をぶつけ合い、互いが互いを倒そうと木刀を振るう。


「…なのは…?」


 最初は恭也は手加減をしていた。だが、次第に恭也の顔からは余裕の色が消えていくのを美由希は見ていた。確かに剣術では恭也の方が巧みである。事実、なのはの木刀は捌かれて恭也に当たる事はない。
 だが、実戦という経験においてはなのはは恭也以上の物がある。砲戦魔導師といえ、生死をかけた戦いをこなしてきた経験と、そして竜轍と一週間、昼夜を問わず続けてきた稽古の経験が本能的な勘を発揮させ、恭也の一撃を回避している。
 続けられる剣舞、予想だにしなかったその戦いに美由希はただ呆然と見守る事しか出来ない。


「ハァッ!!」
「チッ!!」


 浅く呼吸を吐き出し、なのはが踏み込み、速度を上げる。地を這うように態勢を低くし恭也へと迫る。恭也はそれを切り上げるように木刀を振るう。
 なのはの判断は、防御でも、攻撃でも無かった。なのはが洗濯した行動は加速。恭也の横をすり抜けるように転がり木刀をかわす。
 驚愕の表情を浮かべる恭也の背後を取り、態勢を立て直すのと同時に全身のバネを最大限に生かした突きを放つ。地を踏みしめ、身体を捻り、木刀を放つ――!!
 衝突音。それは木刀と木刀がぶつかり合う音。木刀同士が互いに悲鳴を上げ、使用者達がそれぞれ後ろへと飛び、距離を取り合う。互いに無言。互いに表情はない。ただ、あるのは相手を見据える刃の如く研ぎ澄まされた、槍のように鋭い視線のみ。
 互いに呼吸を整えるように、相手の出方を伺う。その様子に美由希は悟る。次の衝突が、決着を付けると。
 沈黙が、道場を支配する。誰も音を発する物はいない。ただ、静寂。


「「―――ッ!!!!」」


 そして、同時に吐き出された吐息が静寂を打ち破る。浅く、鋭く吐き出された呼吸と同時に踏み込み、互いに身体を前に倒し、眼前に相対せし相手とぶつかり合う為に。
 なのはが更に態勢を低くし、加速。恭也は木刀を握り直し、なのはを見据える。一歩、二歩、三歩。互いに距離が近づいて行き、そして――。


「―――!!」


 なのはの木刀が振り抜かれた。狙うは腹から肩へと打ち上げるような軌道を描くだろう。対して、恭也もまた木刀を振るった。なのはの木刀と噛み合うように切り結んだその木刀は防がれる。だが、なのはがもう一刀の木刀を振るい、連続した一撃を放つ。
 それを防ぐ恭也。だが再びなのはは止まる事なく連撃を放つ。だがその全てを捌き切る恭也。息切れを起こしたのか、なのはは一度距離を取るために下がる。
 それを見逃す恭也ではない。踏み込み、なのはを追い詰めんと木刀を振るう。本能的な勘から、なのははその恭也の一撃を防ごうとする。ぶつかり合う木刀と木刀。打撃音が響き――…なのはが木刀を落とす。


「なっ…っ!?」


 なのはが驚愕の顔を浮かべる。良く見れば手が痺れたように痙攣し、力を失っている。ただぶつかり合っただけではない、と本能的になのはは理解。受けてはならない。生き残っていたもう片方の木刀を強く握り、振り抜こうとする。
 が、恭也の動きはなのはの抵抗を許す事無く、なのはの持つもう一刀の木刀を叩き落とし、そしてもう一刀でなのはの首筋に当てるように木刀を持って行く。


「終わりだ」


 恭也の宣言で美由希はようやくこの戦いが終わったのだと言う事に気づき、息を吐き出す事が出来たのであった。

 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 09
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 14:50
 模擬試合を終えた後、なのはは道場に座りながら、同じく自分の向かいに座っている恭也と美由希に自分がこの2週間程行っていた稽古の事を話した。


「飛場竜轍っていう、飛場道場、っていう道場さんの人と2週間くらいかな? 昼夜問わずずっと戦ってたの。で、食事とか以外はずっと戦ってるか、気絶してるか? あ、信じてないでしょ? でも本当だよ?」


 そう軽い調子で告げるなのはに正直、頬が引きつるのを抑えきれなかった。美由希は素直にそう思った。何なのだそのスパルタ教育は、と。山籠もりに加え、昼夜問わずの虐待としか思えない稽古。更に寝てる時は常に気絶した後。隣では恭也もまた引きつった顔をしている。そしてそれから怒りを滲ませた表情を浮かべてなのはを見据えて。


「なのは。無理な訓練は身体を壊すぞ」


 と、咎めるようになのはに言った。それには訳がある。高町恭也は過去、父である士郎が負傷した時に、強くなろうと過剰な訓練を重ね、その足を壊しかけた。下手をすれば剣士である事が出来なくなっていたかもしれない、とも言われていた。
 今でもその後遺症が残っており、万全の体調ではない。ただ無茶を控えるならば稽古も許されている。病院には通わなければならないが。だから恭也はなのはを咎める。一度無茶をした者として、その失敗を繰り返させない為にも。
 それを聞いたなのははキョトン、としてから、あぁ、と小さく呟いて。


「ごめん。えっとね…」


 なのはは「概念戦争」の件について語ろうかどうかを迷っていた。それを話したら全部話さなきゃならなくなるだろうな、となのはは考えていた。そしてその時、目の前の二人が本当に冷静のままでいられるのか、と考える。
 既になのはは二人が自分とは完全に血が繋がっているわけではない事を知っている。それに関しては既にもう納得した上で、この二人を兄として、姉として見ているから問題はない。ただ二人には、今の家族以外の家族がいた。特に、美由希の方に関しては。
 脳裏に過ぎるのは復讐、という単語だ。話せば、止まらなくなってしまうんじゃないかと思ってしまう。それは、親友とも言える八神はやての件があったからだ。
 闇の書。管理局が危険視していた「古代遺失物〈ロストロギア〉」。破壊と転生を繰り返し、災厄をまき散らした呪われた書。その主であったはやてには、理不尽とも言える憎しみの声や視線があったのをなのはは知っている。
 そしてなのははそこから学んだのだ。復讐の種火は消える事は無い。消えたと思っていても、それはただ燻り続けているだけなのだと。二人は、どうなのだろうか。家族は信じたい。大丈夫だと、信じたい。…だけど――。


「ちょっと、私も焦っちゃったみたい」


 隠す。嘘を吐く。この二人には、家族には言えない。言っては、彼等は復讐に走ってしまうかもしれない。もしそうなったら自分は悔やんでも悔やみ切れない。復讐に走る彼等の顔なんて見たく無い。見たくないのだから。
 なのはは心の中でそう呟き、自分を納得させる。だが、それは自分が共感し得ない物を持つ二人に対しての嫉妬故だったのかもしれないという事に彼女は気付けなかった。





    ●





 道場から家へと戻り、交代でシャワーを浴び終えた頃には朝食の準備が出来ていた。なのはは一番にシャワーを浴び終えていたので部屋で休んでいた。さすがに疲労していたからか、ふぅ、と溜息を吐き出す。
 竜轍の時とは違い、今は「草の獣」がいない。疲労は自然に回復を待つしか無いのだ。ベッドの上でぐったりとしていると美由希が、ご飯だよ、と呼ぶ声が聞こえる。そのままベッドから身体を起こして下へと降りていく。なのはが来て席に座るのを確認し、皆で頂きます、と挨拶をして食べ始める。


「なのは」
「ん? 何? お父さん」
「後で話がある」


 ふと、食事の最中に士郎がなのはを真っ直ぐに見つめて言う。なのはもそれに少し戸惑いながらも頷く。それを見て、美由希は少し怪訝そうな顔を浮かべて士郎の顔を見る。


「ねぇ、お父さん、なのはだけに?」
「あぁ」
「…何かあったの?」


 美由希が心配そうに、そして探るように問いかける。それになのはは少々居心地の悪さを感じた。心配してくれるのは嬉しいのだが、なんだか逆に気を使われているような気もする。それはそれで嬉しいのだが、と思いつつ、こほん、と小さく咳払いして。


「お姉ちゃん。大丈夫だよ」
「なのは…?」
「私は大丈夫だから。心配しないでよ」


 なのはが微笑みかけて言うと、美由希は渋々と言った様子で士郎への追求を止めた。士郎はそれを見てから、なのはに視線を向けて柔らかく微笑んだ。それになのはもクスッ、と笑って返す。
 しかし再開された食事に手をつけながら、なのははぼんやりと考えていた。士郎が自分を呼び出したのは何の用なのだろう? と。考えても答えは出ない。何度か視線を士郎に向けるが、いつものように桃子と談笑している。何度も見た光景だ。だからこそ余計にわからない。なのはは戸惑いを感じながらも、朝食を食べる。


「ご馳走様」


 その合図を境に、皆自分の使った食器を下げていく。それを桃子が受け取り、汚れを落としていく。なのはは自分の使っていた食器を全部片付けると士郎の方を向いた。士郎もなのはを待っていたように腕を組んで立っている。
 なのはが士郎に寄っていくと、士郎が歩き出す。なのはもそれに付いて歩いていく。会話は無い。無言のまま廊下を歩いていく。無言の為、床を踏みしめた時に床が軋む音だけが耳に届く。そのまま士郎は部屋へと着き、なのはを先に入れてから部屋の扉を閉じる。


「座りなさい」
「うん」


 なのはは士郎の部屋の適当な位置に正座をする。それに向かい合うように士郎は座る。互いに互いの顔を見つめ、視線を交わし合う。沈黙の時間が流れた。長いとも、短いとも言えないその沈黙を終わらせたのは士郎だった。


「なのは」
「うん」
「御神家、そして不破家について知ったね?」
「…うん」


 そうか、と士郎はなのはの返答に呟き、頷く。なのはは何も言わない。何を言われるのだろうかと考えている。自分にずっと黙っていた事を謝る気なのだろうか。それとも…御神家・不破家を襲ったテロ犯についての情報を聞きたいのだろうか?
 色々な考えが頭を過ぎるが、考えても仕様がない、と思い、黙って士郎の顔を見続ける。それに、士郎があー、と小さく呻きながら頭を掻いて。


「その、な。吃驚したか?」
「うん。まさかそんな事があったなんて思わなかった。でも怒ってないよ。私に話せるような内容じゃないもん」
「そっか…」


 なのはの言葉に士郎はまた沈黙する。なのはは小さく溜息を吐く。きっと士郎は遠慮しているのだろう。士郎だけは仇の正体を追っている事を知っている。佐山からなのはが聞いた事があるからだ。そういった交換条件の下、私を預かっていたのだから。
 だけど、私に聞くような話じゃないよね、となのはは苦笑した。聞きにくいのも仕様がないのかもしれない。だが話も進まないので小さく咳払いをしてなのはは士郎に告げた。


「「龍」については、ほとんどわからなかったって」
「! …そうか」


 少し驚いたような顔をした後、士郎は思い詰めるように表情を歪ませた。
 その士郎の表情を見ながら、お父さんになら、話しても良いかな。となのはは思う。士郎はずっと、恐らく影ながら「龍」について追っていたのだろう。佐山からもそういった話を聞いている。
 だが、それでも私の父親でいてくれた士郎ならきっと自分を律してくれる。自分の大好きなお父さんのままで居てくれる、と信じられる。だからこそ、なのはは口を開いた。


「お父さん」
「ん? 何だ」
「えっとね。お父さん。話すよ。…多分だけど、御神家が襲撃されたその理由を」


 驚く士郎に対し、なのはは語った。概念戦争の事を。60年前に起きた戦争を。11世界を巡る戦いを。そして、今この世界に起きている災いについてを。そしてその戦争と関わりを御神家が持っていた事を。
 なのはによる概念戦争の説明が終わり、士郎はそれを聞いて深く溜息を吐いた。それをなのははジッ、と見つめている。それから士郎がゆっくりと息を重く吐き出しながら言葉を紡ぐ。


「…俺は、佐山君のお爺さんの護衛を務めた事がある。親父の代からの親交があってな。護衛を務めてたんだよ」
「えっ!?」


 なのはは士郎に告げられた言葉の意味がわかり、思わず驚きの声を上げた。時期的には合うのだ。概念戦争時代、またはそのすぐ後か。御神家、それも自分のお爺さんに当たる人が佐山のお爺さんの護衛を務めていたのはすぐに想像が付く。


「それで御神家は襲撃されたのか…」


 士郎は重たい溜息を吐いた。たったそれだけの事で滅ぼされてしまった、となのはは思う。士郎も似たような思いなのだろうか。だが、自らの故郷を滅ぼした相手を護っている人間を見て、冷静で居られるのだろうか。もし、海鳴が滅ぼされて、その滅ぼした相手を憎まないと言えるのだろうか?
 無理だろうな、となのはは考える。絶対に許せないと思う。どうしてそんな事をしたのかを問い詰めたいと思うだろう。それを邪魔するならば、誰であろうと容赦しない気がする。それだけの事をこの世界はしてしまったんだ。それはなんて悲しい事だろう、と。


「なのは」


 思いふけっていたなのはに士郎が声をかける。なのはは士郎の方へと振り向いて士郎の顔を見る。ちょっと待ってろ、と士郎は呟いて立ち上がる。待ってろと言われたので素直になのはは待っているが一体どうしたのだろう? と首を傾げる。
 しばらくなのはがおとなしく待っていると、士郎は奧の方から何かを持ってくる。それは一つの箱であった。


「それ、何?」
「俺が親父から預かった物だ」


 紐で縛られた木箱。それを士郎は丁重に扱うように、紐を解き、木箱を開いた。そこにあったのは、二振りの小太刀であった。柄があるべきところに宝石のような物が埋め込まれた小太刀だ。なのははそれに身を乗り出してその小太刀を見つめる。


「これ、小太刀だよね?」
「あぁ。親父がな。「これの姪を知る者だけが、これを持つ事が許される。そして、それを知る者が現れるまで、これは厳重に保管しておく事」って俺に遺言を遺して置いて行った物だ」


 ふぅん、となのはは呟いて小太刀を見据える。あれ? となのははその小太刀の根本に埋まっている宝石に眼が向いた。


(これって…確か…)



 そっとなのははその小太刀に手を伸ばした。そしてなのはが小太刀に触れた瞬間―――。



『―――――』



 何かが発動したのをなのはは感じた。それと同時に、なのはの意識は呑まれてゆき、視界が暗転した。





    ●





「…え?」


 なのはは、ハッ、として意識を取り戻した。1秒か、それとも何分も意識を失っていたのか。だがそれはわからない。だが意識を失っていたのは事実だ。ふと、目の前の光景が見たことも無い光景に変わっているのに驚く。そして自分は、何故か宙に浮いている。


「一体、何で…」


 自分は宙に浮いている、と思った時だ。目の前が揺らぎ、そこに一人の男が立っていた。黒髪に、黒衣を纏った男性。なのはは思わずその男性を見て目を見開かせた。何故ならばその男の姿には見覚えがあったからだ。
 なのははその衝撃からか、震えた声で男へと問いかける。


「お兄ちゃん…?」


 問いかけに男は何も返さない。ただ、そこに佇むだけ。なのはは混乱している。何故、小太刀を握ったと思えば、何かが発動したように思い、そして、いつの間にかこんな場所に居る。更に目を覚ましたかと思えば兄が現れる。これで混乱するな、と言う方が無理かもしれない。
 しばし目の前に佇む「恭也」は何も言わずなのはを見ていた。だがその沈黙は他ならぬ彼自身によって終わる。


「俺の姿が見え、声が聞こえる者へ。もう一人の「俺」へ」
「…え?」
「「偽りの俺」へ。君に「俺」の小太刀を託す。だからどうか御神の因縁を終わらせて欲しい」
「…ちょっと待って。ちょっと待って!!」


 いきなり何を言うのか、となのはは叫ぶ。もう一人の「俺」。「偽りの俺」。それは、一体どういう意味なのか、と。そして、御神の因縁を終わらせて欲しいという彼は一体? と訳もわからずなのはの言葉に「恭也」は何も返さない。
 いや、返さないのではない。そもそも、こちらの声は届いていない。それがわかったのは次の彼の言葉によって。


「これは、俺の遺言」
「遺、言…? まさか…」


 おじいちゃん? となのはは呟く。しかし、やはり声は届かない。「恭也」は言葉を続ける。願うように、祈るように、ただ切実な顔で懇願する。


「概念戦争を追ってくれ。そして「佐山」の姓の下に…」
「佐山の姓って…」


 やっぱり、繋がってるの? となのはは呟いた。恐らく目の前にいるのは私のおじいちゃんである「不破恭也」である事がわかる。一体どのような方法を用いてこの遺言を伝えているかはわからない。だが、彼は私の祖父である「不破恭也」なのだと、なのはは確信していた。
 その確信の理由も、わからないのに。


「小太刀の姪は…「不破」、そして「雪花」。対になりて「不破雪花」」
「それって…お婆ちゃんの名前…?」
「「不破」の小太刀は一切の破を認めない守護の為の剣。「雪花」は…アイツの、雪花の好きな花、アイツの名前から、スノードロップの意を示す。花に秘められし意味は「希望」。その刃は使用者の希望を写し取り、力と成す」


 なのははもう何も言わない。いや、言う事が出来ない。この遺言はこれできっと聞くのが最後になってしまう。だから、一言一句漏らさずに忘れずに聞き取ろう、と意識を集中させる。


「護ってくれ。俺が護りたかった御神を。雪花が愛した御神を。もう一人の俺。どうか、どうか君に願う」


 それは切実に。兄と同じ顔の祖父は、苦しそうに表情を歪め、絞り出す様な声で懇願する。


「護ってくれ」


 俺にはもう護れない。そう言っているようにもなのはは聞こえた。きっと彼は死ぬ前にこれを残したのだろう。どう足掻いたとてもう敵わぬ願いを継ぐ者へと願う為に。
 なのはは、ただ、それを受け止めた。もう一人の俺、という意味はまったくわからないが、彼が何かを私に託したのは事実。そして、その託された願いは…私が護りたかった者と同じなのだから。


「わかった。護るから。私が、護るから」


 だからもう良いよ、と。小さく、消え入りそうな声で呟いた。そして意識が消えゆくのを感じた。この空間が終わるのだろう。なのはは思った。きっと、彼は笑ってくれる。いや、笑わせて見せるから、と。


「私が、護るから」


 ふと、その声に反応したように「恭也」が顔を上げた。そこでようやく、なのはは「恭也」と眼を合わせる事が出来たように感じた。彼は僅かに笑みを浮かべていたようになのはには見えた。聞こえる筈の無い言葉が届いたのか。


 ――後を、頼む。


 変わる筈の無い表情が変わったように見えたのは、ただの幻か。聞こえた声は、ただの幻聴か。だが、それでも良いとなのはは思った。なのはの意識は落ちた。託された意志をその胸に抱きながら。
 ふと、落ち行く意識の果て。なのはには何かの光景が見えたような気がした。それは、なのはの涙を誘う。見たけれど覚えられない。ただ、それでも脳裏に焼き付けられるような何かの記憶。
 それが何なのか把握出来ぬまま、ただ、なのはの意識は闇に沈んで行った。





    ●





「…あ、れ?」


 目を開くと、そこには天井があった。見慣れた天井、自室の天井だ。どうして私は眠っているのだろう? と思考が鈍く、回らない。とりあえず身体を起こした時だ。傍に誰かの気配を感じてなのはは振り返る。


「なのはちゃん!」
「…忍さん?」


 そこにいたのは兄の恋人でもあり、自分の親友の姉である月村忍がいた。彼女は安堵したように溜息を吐いて、なのはの顔を見つめている。一体何がどうしたのか? なのはは状況がわからず困惑する。
 ベッドから上半身を起こす。身体に特に異常は見あたらない。それを確認するように掌を握ったり開いたりしている。忍が大丈夫? という意味を込めて視線を向けてくるが、それに大丈夫だと言うように笑みを浮かべる。
 とりあえず、今どうして自分がベッドに寝ているのかを知るべきだ、と思ったなのはは忍に問いかける。


「あの、私どうしてベッドで寝て…」
「私もわからないわ。士郎さんが言うには小太刀を渡したらいきなり気絶しちゃった、って」
「…小太刀。その小太刀は?」
「ここにあるけど…」


 忍が指さす先には確かに、二対の小太刀が置かれている。なのははその二対一組の小太刀の名を知っている。
 「不破雪花」。そこにある現実。あれは、ただの夢では無いのだと理解する。これはお父さんに言っておかなきゃ、と思い至り、忍の方へと顔を向けて。


「忍さん、お父さんは?」


 そこで忍は沈黙した。一瞬動きを止めて、すぐに取り繕った笑みを浮かべる。
 何かあった。直感的になのはは悟った。何か嫌な予感がする。私はどれだけ寝ていた? その間に何が起きても不思議じゃない。何が起きるか、って? 2週間前、自分の身に何が起きた。今自分がこうしているのは何故だ?
 脳裏に蘇るのは人形じみた表情を浮かべる自動人形の姿――。


「答えてください。忍さん」


 自分でも驚く程声が低く出た。忍も若干驚いた顔をしている。だが忍はそれでも言い難いように口を閉ざす。瞳も逸らされる。その様子が何かを耐えているようにも見えて、なのはは思わず声を荒らげて忍に詰め寄った。


「忍さんっ!!」


 その声に忍は視線を下ろしたまま、震える声で呟いた。それになのはは嫌な予感が的中したと思った。油断した、とも思った。ただ言いようの無い悔しさと焦りがなのはの胸を支配した。そして忍が震えながら告げた事は…――。


「桃子さんが…拉致されて…士郎さんと恭也と美由希ちゃんが…私に、なのはちゃんを見てて、って…。止めたんだけど…でも、止められなくて…」


 ――最悪の事態だった。





    ●





 事の起こりは…数時間前へと遡る。
 なのはが小太刀を握ったと思ったら急に気絶した。それに慌てた士郎はなのはを病院へと運ぼうとしたのだが、何でもないように寝息を立てているので思わず唖然とした。一体何が何なのかわからぬまま、なのはを部屋に運び、ベッドに寝かせてやった。
 それから小太刀を調べようと思ったのだが、やっぱり何ら仕掛けもない。当たり前なのだが、なのはが急に気絶した理由がわからない。原因がわからぬまま、考え込んでいる時だった。
 下から食器の破砕する音が聞こえた。何事かと思い、士郎は思わず小太刀を置いて飛び出した。だがその後すぐ、士郎は小太刀を置いて来た事を後悔する事となった。
 下に降りて、リビングへの扉を開いた時だ。何かが叩き付けられるような音が響いたのは。その音の方向を見てみるとそこには美由希が壁に叩き付けられていた。その傍には恭也が倒れている。
 一体何が? と士郎が思い、視線を巡らすと、そこには一人の女性がいた。冷徹な人の笑みとは思えぬような機械的な笑みを浮かべた侍従。その侍従は桃子を抱えていた。桃子は気を失っているのか、ぐったりとしている。


「―――桃子っ!!」


 思わず士郎は叫んだ。思わず侍従の女に飛びかかろうとするも、侍従がふわり、と桃子を抱きかかえたまま跳躍する。その距離は明らかに人間の飛べる距離ではなく、士郎は驚愕した。


「――お伝えいたします。御神の眷属」


 芝居がかった、あくまで事務的の報告のような声。その表情も、その仕草も、何もかもが機械的過ぎる、と士郎は感想を持つ。思わず、額に汗が零れる。剣士としての勘が告げる。コイツは、ヤバイ、と。


「断罪の時は参りました。御神の眷属に血の粛清を。指定のお時間に。指定のお場所で。そこで貴方達を裁かせていただきます。なお指定したお時間に現れぬ場合は…」
「待てッ!! 桃子に手を出すなっ!!」
「えぇ。指定のお時間に、指定の場所に来て頂ければ。それでは、失礼します。御神の眷属」


 ふわり、と侍従がスカートを揺らし、桃子を抱えたまま外へと飛び出した。士郎もすぐにそれを追うように外へと飛び出したが、まるで幻だったように侍従と桃子の姿は消えていた。そして侍従が消えた場所に、一枚のカードが突き刺さっていた。そこには時間と場所が指定されていた。
 時間は……夕刻の5時。場所は海鳴市からやや外れにある人里離れた廃ビル地帯。そのカードを握りしめて、士郎は思わず悪態を零した。
 そして、時は今に戻る。なのはが目覚めた時の時刻は4時50分。粛正の時まで、後10分……。




[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 10
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 14:51
 海鳴市の郊外に存在する打ち捨てられた廃ビル地帯。そこに三人の影が並ぶ。
 高町士郎、高町恭也、高町美由希。御神家の血筋を受け継ぐ御神の剣士。今、彼等は家族である高町桃子を連れ去った女に指定された場所まで来ていた。
 そこで士郎は腕を組んで瞳を閉じている。瞳を閉じる中、先ほどまで恭也と美由希とかわしていた会話を思い出していた。


「気配が察知出来なかった?」


 廃ビル地帯へと向かう道中、士郎は桃子を連れ去った女の情報を恭也と美由希に求めた。すると恭也も美由希も口を揃えて言うのだ。気配を察知出来なかった、と。


「本当、急に突然現れたんだよね…気配を消してたとか、そんなレベルじゃなかった」
「完全に気配が無かった。攻撃されるまで気づかなかった。まるで、いなかったみたいに気配が無い」


 気配が無い相手。士郎はそんな相手と対峙すると知れば緊張を深めざるを得なかった。そして敵の手には桃子も渡っている。下手を打つ事は出来ない。だが、焦ってどうにも出来る問題でも無い。
 だからこそ心を静かに落ち着ける。いつでも、どのような対処も出来るように。ふと士郎が目を開き、腕につけた時計を確認する。時刻は、4時59分を差していた。
 秒針が静かに刻を刻む。1秒、2秒、3秒…。何度か針が振れ、そして時刻は5時を示した。


・――金属は生きている


 5時を示すのと同時に声が聞こえた。男とも、女とも取れるその不思議な声が聞こえた時、世界がざわついた。一瞬のざわめきの後、残るのはただ静寂のみ。


「な、なんなの…今の?」
「…わからない」


 美由希が不気味そうに周囲を見渡す。恭也も警戒するように辺りに視線を伺わせる。それに士郎は流れる冷や汗を抑えきれなかった。なのはの話を聞いていた士郎にはわかる。概念空間と呼ばれる物。恐らく今のが「概念」という奴なのだろう。
 士郎は息を呑む。奴らが来た。仇とも言える奴らが。そしてなのはを狙った奴らが。今もなお御神の血筋を憎み続ける奴らが。


「5時、ピッタリとなりました」


 その声は三人の背後から聞こえた。小太刀を抜き、後ろを振り返ればそこには桃子を連れ去った女がただ最初見た時と同じ笑みを浮かべながらそこに立っていた。
 いつの間にというレベルじゃない。まったく気付けなかった。いや、気付く事すら出来ないのだろう。なのはの話が、本当であるならば…。


「っ!? またっ…!?」
「!?」


 美由希と恭也が再び背後を取られた事により息を呑む。士郎はそんな二人を庇うように前に出て、目の前に立つ女を睨む。女はただ変わらぬ笑みを浮かべたまま、丁寧に一礼をした。


「ようこそ。自らの死地へ。心よりの感謝の言葉をここに」
「…お前が気配が無いのは「概念」とやらか?」


 相手の皮肉とも取れるその言葉に士郎は厳しい顔を浮かべながら問いかける。それに女は顔を上げて、ぱちぱち、と拍手をした。一度、二度、三度。何度か拍手をした後、こくりと頷いて。


「やはりお聞きになられたようで。ではご理解いただけたのですね」
「…何をだ」
「貴様達に万が一の勝ち目など無いという事だっ!!」


 女とは別の声が響き渡った。士郎が視線を向けた先、そこには一人の男が立っていた。
 白髪に厳つい顔をした男。年齢は50ほどだろうか。豪華な素材を使ったスーツを着たその男はただ愉快そうな顔を浮かべたまま、士郎達を見ている。その隣には後ろ手で縛られている桃子の姿も見えた。


「母さんッ!!」
「高町美由希。いや、御神美由希。宗家の娘か…」
「ッ…お前…何でっ…!?」
「惜しいなぁ。貴様は風邪やらで屋敷を留守にしていたのだったか? 一緒に吹き飛ばせなくて残念で仕様がないよ」


 男の言葉に美由希の目が見開き、今にも男へと飛びかかろうとしそうなのを恭也が無理矢理押しとどめる。美由希は視線だけで人を殺せる程の殺気を乗せて、男を睨み続ける。


「お前が…お前がやったのかっ!? 御神家にテロをし向けたのはっ!!」
「そうだ。御神美由希。なんとも残念な事に貴様は生き残った。そして、不破士郎、不破恭也。貴様等もな」


 男の言葉に恭也の視線にも殺気の色が宿る。士郎の目は薄く細められ、その男を睨み付ける。小太刀を握り直し、軽く息を吸ってから。


「桃子を離せ」
「離すと思うか? この女にはお前達が死に行く様を見せてから逝かせてやろうと思ってな? それともこの女から先に…」


 男の言葉は最後まで言う事は無かった。士郎の姿が掻き消え、男の目前へと現れる。御神流の剣士が扱える歩法「神速」。それにより一瞬の距離を積め、手に握った小太刀を上に切り上げるように振るおうとする。
 だが、その小太刀が接触したのは、肉の感触ではなく、固い別の何か。目の前には、いつの間にか女が立っていた。機械的な笑みを浮かべたまま士郎の小太刀を奇妙な刀で受け止めている。


「神速。御神家の十八番だったな。しかし残念。こいつに神速は通用せん」
「…何…!?」
「対人、または対御神用に作られた人形さ。コイツは」
「人形…? 嘘、その人、人形、なの?」


 男の台詞に美由希は思わず息を呑む。それに対して士郎はなのはに教えられていた情報を掘り出す。3の番号を関する異世界。3rd-Gと名付けられた世界にありし者達…。


「3rd-Gの自動人形か?」
「ほう。やはりあの小娘から聞いていたようだな。始末しておくべきだったか」
「貴様っ…!!」
「――失礼致します」


 士郎が男に気を取られた瞬間、女の刀が士郎の刀を弾き、士郎の腹に蹴りを入れる。後方に飛ぶ事によっていくらかは衝撃を無効化する事が出来た士郎だがそのまま地を滑っていく。
 それに桃子が悲鳴を上げる。士郎の名を叫び、その場より動こうとするも男によってそれは遮られる。士郎を蹴り飛ばした足を降ろし、軽く会釈をするのと同時に、女は顔を上げて。


「主に傷をつける事は私の存在理由に反しますので、それ以上はお控え願いますよう」


 女はただ笑みを崩さぬまま告げる。美由希はその笑みに薄ら寒い物を感じていた。そして彼女が人形だと言うのを理解する。彼女は、ただ与えられた使命だけを果たす。そこに感情は無い。ただ本当に与えられた事だけをこなす人形。恭也もそれを感じたのか、警戒したまま、女を睨み付ける。


「コイツはな。戦闘用の自動人形でな。我が組織「龍」が持ちうる限りの改造を行った最強の自動人形…貴様等は確かに強い。御神の剣士。だがな、所詮は人間だ。人間とは脆弱な物だな」


 まるで宝物を自慢するかのように男は語る。その目には狂喜の色が孕んでいる。士郎は痛む腹を押さえながら立ち上がり、その男を睨む。
 男はその視線すらも愉快そうに眺める。それに士郎は歯ぎしりの音を立てる。悔しいが、確かに事実、目の前の女は強い。蹴りを受け止めてわかる。明らかに常人の力ではない。


「御神を殺す為に、産み出したと言っても過言ではないなぁ」
「何故そこまで御神家を憎む!?」


 恭也がわからない、と言ったように叫ぶように問いかける。それに男の愉快そうな表情が消える。そこにあるのは、先ほどの美由希が見せた憎悪の表情など、子供騙しのように醜く、憎悪に染まった表情だ。


「何故、だと? 教えてやろうか不破恭也。貴様等の祖先はな、俺の故郷を破壊したのだ。塵を1つも残さずな」
「…な、に?」
「10年程前だ。俺は世界の全てを喪った。その世界を奪った者達がこの世界にいる。そして、御神家はそれを守護していたのだよ…私達の世界を破壊した者共をなっ!!」
「10年前だと…?」


 士郎が思わず呟く。なのはの話と少し違う。概念戦争が起きたのは60年程前、第二次世界大戦の最中の中で起きた戦争だと言う。しかし奴は10年前だと言う。一体、それはどういう意味だ、と。
 その士郎の呟きが聞こえたのか、男はフンッ、と鼻を鳴らして。


「教えてやろう。貴様等が住むこの世界は「Low-G」と呼ばれている。そして世界はこの世界を含め11世界存在し、この世界を除く世界には1から10の番号が与えられた。…だが、こうも思わないか? 最低があるならば、最高もまた存在するのだと」


 男の憎悪の色が更に増す。それに美由希は思わず「ヒッ」と息を呑んだ。桃子に至ってはいつ気を失ってもおかしくは無いような顔色をしていく。さすがに恭也の顔色も青に近い。士郎はただ、気丈に男を睨み続ける。


「あったのだよ。俺の故郷「TOP-G」。最高の世界。全てが揃った究極の世界!! そして…貴様達の「オリジナル」の世界だっ!! この「Low-G」は「TOP-G」の複製なのだよっ!!お前等は皆、偽物なんだよっ!! 偽物のお前等は他の世界を滅ぼすだけに飽きたらず、オリジナルの世界すらも破壊した大罪人だっ!!」
「俺達が…偽物? 複製…?」


 恭也が呆然とした様子で呟く。士郎もそれには息を呑むしか無かった。なのはすらも知り得ない世界の真実。この世界が…複製だという事実。だがそれは当然認められる事ではない。故に美由希は叫んだ。


「なに、それ。なにそれ! 妄想じゃないのっ!? そんな馬鹿な話があって…」
「あるのだよっ!! …どうやら不破恭也は何も子に伝えていかずに逝ったようだな」
「…お前。親父を知っているのか」
「知っているさ。奴はあの「悪役」の守り刀だったからな。忌々しい…忌々しい佐山の眷属を守護し続けていた」


 忌々しそうに告げる男に士郎は表情を歪める。それから確認するかのように士郎は男に問いかけた。


「だからお前は御神家を襲撃したのか?」
「十分な理由だよ。貴様等は世界を滅ぼした張本人を庇い続けてきた共犯者だっ!!」
「私達はそんな事知らない!!」
「知らなければ無関係というのか!! そう、知らなければ無関係という人間がこの世界には多すぎる!! 世界を滅ぼした罪を知らず、ただのうのうと生きている貴様等は我等と同じ痛みを味わうべきなのだ!! 血を!! 涙を!! 悲鳴を!! 貴様等の血によって清められたこの大地こそが私達の第2の故郷となる!! そう、それが正しい世界の在り方だっ!!」


 狂っている。士郎も、恭也も、美由希も、桃子も、誰もが男をそう評価した。男はそして笑みを浮かべる。狂気を孕んだその笑みのまま冷酷に男は告げる。


「手始めに、貴様等からだ。御神の血筋。貴様等の血でこの地を清めてやる。…殺せ」
「了解」


 そして侍女は男の言葉に応え地を蹴った。士郎達も小太刀を握りしめ、迎え撃たんとする。刃と刃を打ち付け合う、甲高い金属音は鳴り響く。





    ●





「助けに行く!?」


 忍は明らかに驚愕した表情で目の前に立つなのはを見て声を荒らげた。なのはは腰に差した小太刀を隠すように大きめのコートを羽織り、今にも家を飛び出しそうな雰囲気で忍を見ていた。
 忍は思わず鼻で笑った。この子は何を言っているのだ、と。この子は確かに、普通の子とは違う。魔力という力があり、魔導師という忍達の常識とは大きくかけ離れた日常を生きてきた子だ。
 だが、今はその魔力も失い、ただの子供である筈の彼女が一体何が出来ると言うのか。


「馬鹿な真似はよしなさい」
「行かなきゃいけない」
「貴方が行ってどうにかなるわけじゃない!」
「そんなのわからない」
「死ぬわよっ!! 貴方、まさかまだ自分が特別とか思ってるんじゃないんでしょうね!?」


 思わず、忍は言ってしまった。だがそれでも忍は止められなかった。ほんの数年前まで、ただ普通の女の子であったこの子は大きくその人生を塗り替えてしまった。ほんの些細な運命で本来産まれ得ぬ力を所持してしまったが為に。
 それがこの子をどれだけ歪ませたのか、そしてそれがどんな結果を生んだのか、忍は知っている。それが、彼女の大怪我へと繋がったのだから。そしてとても大きな悲しみを生み出させてしまった。
 だからこそ忍は繰り返させない為に叫ぶ。今ここで彼女を行かせても何もならない。何もならないのだから、と。


「だったらお兄ちゃん達は見捨てろって言うの?」
「恭也なら大丈夫よ」
「無理だよ。お兄ちゃん達を殺そうとしているのは常人じゃ勝てない。私はそれに抗う力がある」


 淡々となのはは告げる。それが逆に忍の感情を逆撫でする。あぁ、どうして、どうしてこの子はそんな事を言うのだろうか。どうしてこんなにも歪んでしまったのだろうか。
 その結果、貴方がどうなったのかは貴方が一番良く知っているのではないか、と。飲み込み切れない感情が溢れ出す。首を振って、そのまま喉が張り裂けん程まで声を張り上げて。


「また、またそんな事言うの!? 貴方じゃないと出来ないの!? またそうやって貴方は抱え込むつもり!? いい加減にしてなのはちゃん!! 貴方が怪我をして、恭也が、士郎さんが、美由希ちゃんが、桃子さんが、すずかや、アリサちゃん、フェイトちゃんやはやてちゃん、色んな人を悲しませたのをもう忘れたのっ!?」


 気づかないのか、と。貴方は多くの人を悲しませていると。誰も貴方にそんな事を望んでない。士郎に至っては、親は子を護る義務がある。恭也だって、美由希だって、妹を護りたいと思う筈だ。本来なら年長の物が負わなければいけない責任を、何故この子は背負わされ、そして背負わなければと思うようになってしまったのか、と。
 止めなければいけない、と忍は思う。ここで彼女を止めなければ、きっと彼女は止められない。だが、返ってきた返答は、忍の予想の斜めを行った。


「知らないよ。そんなの」


 それは拒絶の言葉だ。思わず忍は呆けた声を漏らした。


「…え…?」
「私は、誰が泣こうとも、もう止まらない。止まるつもりも無いんです。誰が邪魔をしようとも決めた道を行くって決めたんです。確かに、忍さんが言った皆は大事な人です。護りたいと思います。友達でいたい。傍にいて欲しい。そう思います。
 だけど、私は望むだけです。叶えて欲しいなんて言ってない。矛盾かもしれないけど、私はそうやって生きます。私は…私が、正しいと思った事を、私が誓った事を、私が護りたい物の為に私であります。誰かが私の望んでも、私は誰かの望む私になれない。私が誰かに望んで、そうあってくれないように。だから知らない。私の邪魔をするなら誰であっても許さない」
「なのは、ちゃん」


 駄目だ、と忍は思う。ここで止めなければこの子は本格的におかしくなってしまう。この子は自覚してしまっている。自分の歪みを、だからこそ、それを他人に押しつけない代わりに、自らが正常であろうとすることも拒む。
 いや。彼女にとって今が正常であるからこそ、歪みを押しつけられるのを拒むのだろうか? ぐるぐると、忍の思考は巡る。巡るが、答えは出ない。何度巡らせても、答えなんて出る筈が無い。彼女の答えは遠い彼方の手の届かない場所だ。どれだけ手を伸ばしても彼女には届かない。


「…私は、いてくれるなら嬉しいですけど、無理にいて欲しいとも思いません。守れるならそれで良い。誓った事が嘘にならないならそれで良い。私の所為で泣く人がいるかもしれないけど、それでも、私はその涙は止められない。もう、止められない」
「なの、はちゃん。駄目よ、そんなの、駄目…そんなの」


 なのはが一歩踏み出す。それに、忍が一歩後ずさる。目の前にいるのは、本当に少女だったのだろうか。年月は人を変えるというが、これは変えすぎだ。いや、変えすぎなのではない。
 それともこれが、高町なのはが本来心の内に抱えていた「歪み」なのだろうか。だとしたら、これはどうしようも出来ない。既に高町なのはの一部として「歪み」は組み込まれてしまっている。なのはがそれを押し通すというのなら、きっとテコでも彼女は揺るがない。
 だけど、それはあまりにも悲しすぎる選択。止めなければならないと思う。だけど、止める言葉が見つからない…。


「忍さん」
「だめよ!! そんなの悲しい…酷い。どうして、どうして…?」


 言葉が出ない。もはや、理解が出来ない。彼女が、理解から遠い存在だ。どうしてそう考えるのだろうか。もはや、どうしようも出来ないのだろうか。この少女の歪みは。
 嘆く忍に対してなのはは静かに、息を吐いて、言葉を纏めるように間を置いてから忍を見つめた。


「願うだけじゃ駄目なんです…」
「…なのはちゃん…?」
「友達になりに行くんです。求められたからじゃなくて、私から求めにいきます。そしてそれに対して求めてくれるなら私は友達になります。私は家族になりに行くんです。家族であって欲しいからと求めてられるから家族になるんじゃなくて、なりに行くんです。私から」


 全てはこの手で掴むのだ、と。求められたからではなく、求めに行き、それを知ってもなお、求めてくれるならばその手を取ろう。逆に求められ、自分もまたそれを望むなら手に取るのだと。


「自分から進まないと行けない。他人に怯えて進むのはもう嫌だから。だから私はも逃げない。皆と向き合う為にも、ここで私になりに行く事を止めたら私はもう皆と向き合えない」


 どれだけ他者が自分に願おうとも、それに自分が答える気が無ければ自分はそれを振り払ってでも望む場所へと行く。例えそれがどれだけ、非道であろうとも。それがどれだけ哀しみを産み出したとしても。それがどれだけ憎しみを生み出したとしても。


「終わらせに行くんです。弱い私を。もう逃げちゃ駄目なんです。私はもう私に嘘は吐きたくないんです。譲れないんです」
「……」
「助けに行きたいんです。ここで喪ったらこれ以上が無くなるんです。過去も、現在も、未来も…」


 そこでなのはは言葉を切る。それ以上は忍も、言う必要も感じなかった。わかってしまったからだ。彼女の解答を。もう彼女は止まらない。ただ、前を見て進んでいくと決意してしまったの。確かに、の子供は弱い。歪で、悲しい存在だ。
 それでもこの子はその弱さを、歪みを抱いて行こうとしている。その全てを受け止めて。


「…昔、ヴィータちゃんに言った事があります」


 なのはは真っ直ぐに忍ぶを見つめる。忍はその真っ直ぐな視線を受け止める。逸らす事は出来ない。例え逸らした所で、どうにもならない。だから受け止めよう。彼女がここで出す答えが…。


「悪魔でいいよ。悪魔らしく私は自分勝手に生きるから」


 自分の未練を裁ち切るから。そして自らの心の中で燻っていた願いがある。願わないようにしていた。弱くあってはいけなかった。護らなければならない子供がいるから。
 だがここにいるのは子供なんかではない。まさに彼女が言うように悪魔なのかもしれない。
 それでも、それでも願ってしまう。それがどれだけ自分を惨めにさせるか知っていても。それがどれだけ非道な願いだとしても願わずにはいられない。


「なのはちゃん…お願い。恭也と…皆と…帰ってきて」


 私の、もう1つの家族を連れて帰ってきて、と。平穏な日常を取り返して欲しいと。それになのはは小さく頷いた。そして忍の横をすり抜けて、扉に手をかける。


「必ず帰ってきます。皆で」


 それは自分が求めていた事でもあり、彼女の求める物。互いに望むならばその願いは聞き届けられる。だからこそ叶えに行こう。護りに行こう。約束しよう。ここに皆で帰ってくると平穏を取り返すと。
 そして忍の背後で扉が閉まる音が響いた。それと同時に忍はその場に崩れ落ちた。無力な自分が恨めしい。だけども、それでも願わずにはいられない。


「お願い…お願いだから…帰ってきて。皆、無事で…」


 お願い…、と忍は呟き続ける。託す事しか出来ない無力な自分を呪うように。ただ、それがどれだけ愚かな希望であったとしても願う。帰ってきて欲しい。ただそれだけを願って…。





    ●





 扉を閉め、すぐさまなのはは駆け出す。見慣れた海鳴の街を全力で駆けていく。場所は既に確認済み。後はそこへと向かうだけ。既に5時になっているかもしれない。いつまで家族達が持ってくれるかわからない。
 だからこそ全力で走る。ただ、そこに至る為に。


「もっと…」


 もう嘘はつかない。自分は自分の為に生きる。私は求めに行く。家族を。大事な家族を。家族であろうとする為に。望まれる、望まれない関わらずに、自分が望むからそこに行く。それがどれだけ間違いであろうとも、自分に嘘は吐かないように。


「早く…」


 胸に宿る灯火は消えない。その灯火の名を持つ「相棒」を思い出す。あぁ、いつか、胸を張って君の下へ行くよ。


 ――いつか、貴方を迎えに行く為に。


 だけど、その心は、その誓いは、その願いは決して途絶える事なく高町なのはの胸に存在する。
 その心で絆を結んだ彼女等ともう一度向き合う為に。もう一度、望み、望み合う為に。


 ――胸を張って貴方達に会える為に。
 

 それが例え、受け入れられなくても、求めに行こう。恐れずに、ただ前へ進む為に。
 この思いは、この「不屈の心」だけは、もう誰かの為じゃなく、ただ自分の為に、そう自分の為にあり続ける。他人の為にこの心はあるわけではない。私は私であるからこそ、今、戦わなきゃいけない。


「応えて…」


 もう間違わないから。間に合う為に。間に合わせる為に。喪った「力」を、今、ここに蘇れ。強く、熱く、鼓動が跳ねた。そして…人目が付かない廃ビル地帯へと続く道に、光が走った。





[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 11
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 14:55
 海鳴市郊外に形成された概念空間。3rd-G系列の概念「金属は生きている」という概念を持つ空間。その空間に響き渡るのは固い何かがぶつかり合う音。
 更に詳しく言うのならば、その音は金属音。その金属音を奏でるのは四人。


「くそっ!!」


 その内の一人、高町恭也は苛立ちを込めて舌打ちを1つ零した。息は荒く上がり、小太刀を持つ腕は力が入らなくなってきたのか小刻みに震えている。
 その視線の先には小太刀を持ちながら戦う妹、美由希の姿がある。美由希もまた息が荒く上がり、彼女に至っては二刀あった筈の小太刀の一刀となっている。空いた手は痺れているかのように痙攣している。
 その美由希と斬り合うのは侍従服を纏った女。笑みを浮かべながらも、美由希の身を切り裂かんとその奇妙な刀を振るう。その刀を美由希が受け止める度に苦痛に顔を歪める。


(人形というのは本当か…何なんだあの力は。斬り合う度に握力を奪っていく)


 そう。この戦いが始まってから数十分という時間が経過したが、美由希は小太刀を一刀喪失し、恭也も限界が近づいている。未だ健在だと言える士郎がいるが、彼もまたすぐに息が上がるのが目に見えてわかる。
 彼は一度身体を壊してる。その後遺症はじわりと士郎の身体を蝕んでいる筈だ。この中で一番まともに戦えると言えるのは恭也であろう。美由希は健康ではあるが、いささか経験が足りない。士郎は後遺症があり、長時間の戦闘は危うい。自らも怪我を抱えているとはいえ、それを差し引いてもこの中で戦えるのは自分だ。
 その結果がもはや刀を持ち上げる事すらも叶わぬ現状。受け止め続けてきた侍従の圧倒的な力の前に力を奪い尽くされた。


(ちくしょうっ…! このままじゃ…)


 マズイ。恭也の額から汗が零れ、地へと落ちていき吸い込まれていく。なんとか立ち上がるも腕は限界に近い。だがそれでも立ち向かわなければならない。そして一歩、踏みだそうとしたその時だ。士郎が前に出る。恭也よりも早く前に出て、先に斬り合っていた美由希を援護するかのように小太刀を振るう。
 美由希をはじき飛ばし、美由希が転がりながらも離脱する。そして士郎の刀を受け止めようとして…士郎が、刀を捨てた。


「なっ!?」


 恭也は思わず士郎がなにをしたのか理解が出来なかった。何故、刀を捨てる、と。
 武器を捨てるのは自殺行為だ。そう思い、思わず叫びそうになったとき、士郎が既に動いていた。相手の刀を掴む手を握り、ねじ切る勢いで捻る。
 それに侍従が刀を手放した。あら、と驚いた声を零し、驚いた顔で侍従がその刀を見つめている。そして士郎の拳が侍従の腹へと決まった。それに蹈鞴を踏んで後ろへと下がる侍従。幾度か蹈鞴を踏んだ後に後ろへと跳躍し、距離を取る。


「やはりこれが原因か」
「これは恐れみました。気づきましたか、その刀の効力に」
「刀の効力?」


 恭也がどういう事だ、と士郎が奪った刀を見ながら呟く。それに士郎が刀を握りながら侍従の女を睨んで。


「概念。それはそうであると言わざるを得ない物。それ自体が「そうである」という法則で動いてる物だったか。これにはおおかた「刀が感じた衝撃をそのまま接触した物に返す」とか、そんな感じか? 単純な力じゃないみたいだしな。お前が怪力であるならば素手で戦った方が速い。わざわざ刀で戦う事がおかしい」
「お見事。さすがは御神の剣士。予備知識はあるとはいえ、そこまで推測なさいますか。おおかた正解と言わせていただきましょう」
「お前は人形だからいくら壊れようとも気にはしない。だが人間はそうもいかない。…人形らしい武装だな」


 侍従の女が拍手をしそうな勢いで言葉を紡ぐ。それに士郎が吐き捨てるように嫌悪感を醸し出しながら侍従を睨む。それに侍従は微笑むだけだ。
 睨み合いの沈黙は一瞬。それを打ち破ったのは、戦場より少し離れた場所より、人質の桃子と共に鑑賞する男。


「負けたか!? 負けたな!?」
「はい。申し訳ありません」
「いや、構わない。さすが御神。強いな御神は!! 素直に拍手をして褒めてやろう!!」


 馬鹿に見える程、男は手を叩き愉快そうに笑う。それに士郎達の顔が忌々しそうに変化する。隣でこちらを心配するように見る桃子がいる所為で尚更感情を逆撫でされる。
 今すぐにでもその顔を殴り飛ばしたい衝動にかられながらも、それは出来ない。今はあちらが設定したステージで踊るしかない。その中でどうにかして桃子を救出しなければならない。
 そう考える士郎を嘲笑うかのように、男は拍手を止め、やれやれ、と言うように肩を竦めた。


「まぁ、良い。負けようが負けまいが、所詮「剣術ごっこ」はこれでオシマイだ」
「なにっ!?」
「もう遊びは終わりと言う事だよ」


 男がそう告げるのと同時に侍女の様子が変わる。侍従服のスカートの下から次々と機械の部品が飛び出す。その光景に恭也と美由希は一瞬呆然とした。一体何が起きている、と。
 その中で、唯一士郎だけが活動出来た。その機械の部品を見て、士郎は目を驚愕に見開かせて――。


「走れっ!! 恭也ッ!! 美由希ッ!!」
「掃討いたします」


 士郎が叫ぶのと同時に宙でパーツが組みあげられ完成するのはガトリングガンと呼ばれる兵器。士郎の叫びと同時に駆け出していた恭也と美由希はそれに驚愕の表情を浮かべる。そして三人が瓦礫を壁にして、そこに逃げ込むのと同時に、銃弾が発射された。
 ビルの壁が銃弾を遮る。その轟音に美由希は悲鳴を上げながら耳を押さえ、恭也と士郎も耳を押さえながら顔を不快気に歪める。暫くしてその音が鳴り終わる。弾を撃ち尽くしたのか、と思い、士郎が立ち上がろうとして。


「弾はまだあります。少なくとも、その瓦礫を破壊するだけは。どうぞご賞味あれ。そして、さようなら」


 二度目の銃撃の音が響き渡った。侍従の言う通り、何発も撃たれたビル壁はもう今にも壊れそうである。逃げられもしない、今から逃げよう物ならば狙い撃たれて蜂の巣だ。
 撃たれる前に仕掛けられるか? いや既に距離もある。それにあの空中でパーツであった筈のガトリングガンを形成したのだ。リロードも人の手で行うのより明らかに速いだろう。
 そして結局は蜂の巣だ。絶体絶命。それが三人の心の内に浮かんだ思い。美由希は涙が零れた。こんな所で死ぬのか、と。恭也も悔しげに地面に手をついた。歯軋りでもしているのだろうか、俯いたその表情はわからない。
 士郎もまた無念そうに瞳を閉じた。心の中で捕らわれた妻に、そして自宅に置いてきたなのはに謝罪の言葉を紡ぐ。二度目の銃撃音が止まった。絶望する士郎達の耳に届いたのは三度目の銃撃音…――では無かった。


 ――キィンッ!!


 高らかに鳴り響いたのは金属が切り捨てられる甲高い音。思わず士郎は顔を上げた。銃撃は来ない。その銃撃を撃つ筈のガトリングガンは真っ二つに切り捨てられている。
 一体何が、と思った瞬間だ。侍従の女がその場より飛び退いた。ガトリングガンの残骸が地に落ちる音が響く。


「な、何だっ!?」


 男が驚愕の叫びを上げるのと同時に「何か」が走る。ソレは男の身体を突き飛ばし、そして男の身体が突き飛ばされたと思えばそこにいた筈の桃子の姿が消えた。一体、何が、と思った時に、隣に気配が産まれるのを感じた。桃子を背負うように抱えた小さな姿。桃子とよく似た髪を風に流し、コートを纏った少女。


「…なのは?」


 それは、先ほど思い浮かべた末娘の姿であった。なのはは桃子を背から降ろし、鞘に収めた小太刀を握る。士郎が父親に託された形見の小太刀。その小太刀は、本来鍔がある部位に埋め込まれた宝石を淡く輝かせ、光を放っている。


「…高町なのは」


 ぽつりと侍従の女が呟く。その顔に浮かんでいた笑みは消え、そこにあるのは怪訝そうな顔。突き飛ばされた男が立ち上がり、なのはに向けて指を差して。


「き、貴様…っ!!UCATから概念兵器を手に入れていたのか!?」
「違う」


 男の叫び、なのはは応える。ゆっくりと立ち上がり、一歩、二歩、前に出てその場に立つ。凜とした視線が男の視線と真っ直ぐに向かい合う。そして小太刀を構えながらなのはは告げる。


「これは託された物。不破恭也と不破雪花によって残された御神の為の…私の為の刀。御神を守護する為に私に託された想いだ」


 なのはの言葉を聞きながら士郎はなのはに一体何があったのか、と考える。先ほどの動きは何だ。明らかに「神速」、つまりは「御神の剣士」の物に士郎は思った。
 だがしかし、なのはには御神流は教えていない。動きは恭也が見せたようだが、それを模倣したとでも言うのか? 
 なのはと対峙する男が眉を寄せて表情に困惑の色を表す。士郎も困惑していた。なのはの言葉の意味が掴めない。隣でなのはを見やる恭也と美由希は士郎より困惑した顔でなのはを見ている。無理もない。まったく彼等には事情がわからないのだから。


「私からも聞くよ。どうして御神家に復讐を?」
「貴様…概念戦争の事を知りながらも聞くかっ!?」
「一応ね」


 なのはの問いかけに男は怒りの色を表しながら問いかける。それに、なのはは何でもないように呟く。それに、男が目を見開かせ、そして次には憎悪の色を表情に浮かべた。


「…一応、だと。貴様…っ…貴様は自分の世界が他人の世界を滅ぼし、その復讐の理由を、一応だとっ!?」
「御神家が滅ぼしたわけじゃない」
「共犯者だっ!! 共に裁かれなければならないっ!!」
「それでも今の御神には関係ない。お父さんの代から佐山家との繋がりはあったけれど、概念戦争との繋がりは無いよ。だから一応だよ。私は理解するつもりは無いよ。私はやっぱり関係ないと思うし、過去の人の、しかも知らない罪で裁かれるのは御免だよ。そして私はただ家族を護るだけ。今を護るだけ」


 ただキッパリとなのはは拒絶の意志を継げる。理解するつもりは無い。だから一応と彼女は告げる。なのはの言葉に男の顔が醜く歪む。まるで悪鬼のようだ。その表情のまま男は命じる。ただ、殺意を持ってして命令を自らの人形に告げる。


「この小娘を殺せぇえええっ!!!」


 そして、侍従が手にしたのは二丁の拳銃だ。スカートの下よりパーツが飛び出て空中で形成され、侍従の手に収まる。響く銃撃音。それになのはが走り出す。


「なのはっ!!」


 士郎の叫び声が響く。それに、なのはは一瞬振り返り、士郎、恭也、美由希、桃子。そこにある姿を全員を見据えて、1つ、頷く。
 大丈夫だ、そう言わんばかりになのはは頷いて。


「そこにいてっ!!」


 ただ、それだけ。それだけ告げるとなのはは戦場の中を駆け抜けていく。
 廃ビル地帯に銃声が響き渡る。それに打ち消されてはいるが、確かに、その地を駆け抜ける音は聞こえる。態勢を低く、地を這うように走るのはなのは。
 なのはを狙って銃を放つのは一人の女、その身に纏った侍従服の裾を翻しながらなのはを狙う。放たれる銃弾。それを回避すべくなのはは動く。
 侍従はなのはの動きを予測し、先回りに撃っているが、なのはにはそれでも当たらない。


「何故だっ!?」


 その光景を見て、侍従の主である男は驚愕の叫びを上げる。たかが子供、例え御神の血筋を継ぐ子供であろうとも、所詮は子供である筈だった。呆気なく、その屍を晒すヴィジョンが男の脳裏には移っていた。
 しかし、今、なのはは男の予測を裏切るように動き続けている。何故だ、何故だ、と男は呟き続ける。そして状況は変化する。侍従の女が立ち止まる。同時に、なのはの動きも止まる。
 怪訝そうに、侍従の女はなのはを見つめる。その視線を真っ向から受けたなのはの顔には、何も表情が浮かんでいない。無表情だ。


「…何なのですか。貴方は」


 侍従の女が問いかける。以前とあまりにも動きが違い過ぎる。竜徹の訓練で鍛えたと言っても、この2週間でこれほどまでに強くなれるのか? と。それになのはは何も答えない。ただ手に握りしめた概念刀を構え、警戒するように視線を向けるだけだ。
 侍従の女が、それに合わせて拳銃を向ける。それに、再びなのはが動き出す。侍従も再びその動きを追うように銃を構えながら動く。
 今度は銃撃が響かない。ただ、地を蹴る音、地を滑る音、地を移動する音だけが響き、互いに手の内を探るように。
 その光景を、士郎は観察していた。やはりなのはの動きは「完成」された御神の剣士の動きに近い。しかし? 何故? 一体なのはに何があった? だが士郎にはわからない。わからないからこそ困惑する。だから士郎はなのはを見つめるしか無い。
 思わず、拳を握りしめる。今すぐにでもなのはを助けに行きたい。だが…士郎はいま、この場を離れられない。戦う事の出来ない桃子がいる為だ。今、まともに戦えるのは自分だけだ。恭也と美由希はまだ腕が完全に回復仕切っていない。
 なのはは、それに気づいていたのだろう。だからこそ桃子達を士郎に託し、今、なのはは侍従の女と対峙している。それを歯がゆい思いを抱きながら士郎は見つめる。どうか、彼女が無事であるように、と神に祈る。
 なのはは地を駆ける。やけに調子がよい。それに少々の疑問を覚えるも、足を止める訳にはいかない。そんな余裕は無いのだ。


(…不味いな。この人、強い)


 侍従の女と対峙するなのはは思わず心の中で呟く。最初はこちらの動きに戸惑っているようだったが、次第にこちらの動きに合わせてきた。最初はなのはも戸惑っていた。こちらの動きに何故か違和感を相手は覚えていたように攻撃はことごとく外れた。
 だが今は段々とこちらの動きに合わせてきている。だが、なのはは移動しながら考える。これも魔導師であったなのはが持ちうるマルチタスクの恩恵である。並立して思考する事により、回避と思考を両立させる。そしてなのはの頭の中では相手の戦力の分析をしていた。結果、相手の方が強いという事実だ。
 だが、勝機が無いわけではない。それになのはは思わず口元を緩めそうになる。いつだってギリギリの戦いを強いられてきた。最初にフェイトと戦った時。次にヴォルケンリッターと戦った時。リインフォースと戦った時。どんな状況もいつもギリギリだった。
 そのギリギリの緊迫感がなのはの闘争本能に火を付ける。戻ってきた。そう実感する。失った筈の戦場を今ここに取り戻した。


(いつだって、どんな時だって、ギリギリの敵が相手だった)


 なのはの動きに合わせた侍従の放った弾丸がなのはの頬をかすめる。それに小さく舌打ちをしながら回避に専念する。だが、次第に、衣服を掠め始める。だが、それでもなのはの心に恐怖は湧かない。
 いや恐怖が湧かないわけではない。恐ろしいと思う。だが、その恐怖から逃げるわけにはいかない。いつだって向き合ってきたのだから。


(もう慢心はしない。私は怖い。そうだから常に最善を選び取る)


 自分にとっての最善を選び、そして勝ち取る。どれだけ勝ち目が低くても、わずかな可能性にかじりついてでも勝ち残る。地を這い蹲る結果になろうとも、どれだけ惨めであろうとも。今出せる全力を以てして勝利する。敗北には何も残らない。故に。


(負けない…。負けるわけにはいかない!!)


 だからこそ、呼吸を合わせてくるなら来れば良い。


(それが、貴方の慢心)


 討ち取れると思うな。相対する者を測り損ねるな。自分に慢心するな。されど不遜たれ。相手は己に負ける。己は勝利を手にする。生きて、勝ち残って、そして私は笑って見せる。護る為に。ただ、それだけを賭けて。


「――詰みです」
「ッ!?」


 眼前に銃口が突きつけられる。なのはの目が見開かれる。狙いは心臓。回避した所で直撃は免れない。ついに完璧に呼吸を読み取られた。なのはの動作に合わされた銃口は、確実に彼女を捕らえる。


「おやすみなさいませ」


 そして侍従のトリガーが引かれた。鳴り響く銃撃音はどこまでも高らかに響く。


「フィン展開!!」
「――ッ!?」


 その瞬間、桃色の閃光が走った。しかとなのはを捕らえた筈の銃弾は地に突き刺さる。なのはは既にその場を離脱している。先ほどはなった桃色の閃光は消え失せている。


(これは、一体!?)


 驚愕。当たると思った筈の銃弾が外れた事により侍従はただ驚く。先ほどまでの行動パターン、相手の動きからして回避出来ない、確実に仕留められるコースに弾を放った筈だ。
 だがそれでもその弾丸は彼女を捕らえる事が出来ず、今、彼女の姿は消えている。一体どういう事だ、と。だが侍従の身は対御神として強化された身。高速機動による戦闘ならば、こちらが負ける筈が無い、と。
 すぐさま状況を確認。周囲の情報を取り込み、なのはの動きを捉える。先ほどの急加速は何なのかはわからないが、それでも修正は完了している。そして――侍従は見切った。


「そこですっ!!」


 放たれた銃弾。そこに驚愕の表情を浮かべるなのはの姿がある。


(取りました!!)


 確信する。確実に撃ち抜いたと、そうとすら思った。だが、次に彼女の予測が出来ない光景が発生する。桃色の光。再びその光が煌めいた。その輝きは、恐らく、この身朽ち果てるその時まで覚えているだろう。
 そうとさえ覚えた。その光は守護の光。ただ、護るという意志を込めて形成された意思の結晶。


「ラウンドシールドッ!!」


 描かれたのは円形の何か。もしも知識がある物ならばそれをこう呼ぶのだろう。「魔法陣」と。そして更に知る者ならばこう言うのだろう。「ミッドチルダ式」の魔法だと。
 なのはを狙った弾丸はその光の盾に弾かれる。だが弾くのと同時に盾が消失する。なのはのリンカーコアはまだ癒えきってない証拠。だが、それで十分だ、となのはは疾走する。


「ハァァアアアアアアアッッ!!!」


 咆哮を上げながらなのはが迫る。それに侍従はただ驚愕するだけだ。予測不能、理解不能。この者は一体なんなのだ、と。


「ッ!? 貴方は、一体っ!?」


 何なのですか!? と戸惑いの疑問の声は途切れる。問う前になのはの剣線が走ったからだ。地を踏みしめ、身体の捻りを最大限に利用し、下から上へと描く剣線。侍従の持つ拳銃を切り裂き、回転。斬鉄の音が響き渡る。
 本来なら刀では銃を斬るなど不可能である。だが、それを可能にするのが、なのはの持つ概念刀「不破・雪花」の片割れ「雪花」の効果。希望を写し取るその刀は、なのはの望む物を切り裂く。ただ、なのはの望みを完遂する為に、その刀は振るわれる。そう、脅威を断つ、と。ただそれだけを込めてなのはは小太刀を振るう。
 武装を奪われ、半ば呆然とする侍従。すぐに気を取り戻し、身を引こうとした侍従になのはは刀の切っ先を侍従の首に突き立てる。


「貴方の負けです」
「…馬鹿な…こんな事が…」
「私にはあって、貴方には無かった物がある。だから貴方は負けた」


 なのはの言葉に侍従の女はなのはへと視線を向ける。理解不能のそれを求めるように。


「力があれば勝てるんじゃない。私には確かに人に無い力がある。だけどそれを目的の為に為すのは…意志。ただ、それだけ。貴方は役割を果たすだけ。そこに意志はない。使命はあっても意志はない。だから貴方は負けたんです」


 諦めない。護る。その意志を以てしてなのはは彼女を下した。例えどれだけ不利な状況であろうとも退かぬという意志。それが限界以上の力を引き出す。それに侍従は思わず、衝撃を受けるのと同時に納得してしまった。
 今まで知る事の無かった事を知った。意志とはそんなにも強い物なのかと。与えられた力が、蓄えられた知識が、それが勝利の鍵だと思っていた。だがそんな物は所詮あるだけである。ある物を使うだけでは勝てない。明確な意志を以てして、それを使い、最善を導き出す。それが侍従には無く、なのはにあった力。


(…最初から、敗北していたというわけですか。意志など、私には存在しない)


 思わず眩しいとさえ思ってしまった。視角機能に異常は無い。それでも、眩しいと感じてしまった。目の前の彼女に。叶わぬ存在に。ただ、敗北の念を抱きながら。
 そして彼女は見てしまった。彼女の主が、その手に拳銃を構え、こちらに狙いをつけているのを。狙いはなのはだ。それに気づいた士郎が叫んだ。


「なのはッ!! 避けろッ!!」
「え?」



 なのはが振り向いたのと同時であった。男の手にした拳銃の引き金が引かれ、銃声が、響き渡った。なのはは避けようとしたのか、身体を僅かに動かし…――侍女を突き飛ばした。
 侍女がなのはによって突き飛ばされ、なのはの腕を銃弾が貫いた。


「……ぁっ…ぐ……!」


 ぼたぼた、と、血が落ちる音が響いた。なのはが腕を押さえてその場に膝を突く。その様子を呆然と見つめる侍女。その視線の先には拳銃を構えた主の姿がある。
 何ら不思議ではない。彼が復讐したいと申していたのだ。だからこれは当然の結果である。私に気を取られていた為に彼という最も警戒しなければならない者を疎かにした。
 だが、それに何故、呆然としている私がいるのだろうか。それがただ、理解出来ない。


「なのはッ!!」
「動くなっ!! その小娘が死ぬぞっ!!」


 士郎達が駆け寄ろうとしたが男の叫びに動きを止める。それに士郎達が思わず唇を噛み締める。そして男は忌々しそうに顔を歪めながらなのはへと近づいていく。
 そしてなのはに近づけば、膝を突いたなのはを踏みつける。それによって勢い良くなのはが地面に叩き付けられる。


「がっ…!?」


 叩き付けられた痛みになのはが痛みを堪えるような声を挙げた。なのはを踏みにじりながら、男はギリッ、と歯軋りを立てる。ふと、なのはは見上げるように睨みながら、声を漏らした。


「何で…」
「…ん?」
「何で、この人まで撃とうとした…?」


 なのはの問いに男は驚いたように目を丸くした。それから男は狂ったように笑い始めた。なのはの腕を踏みしめる足に力が込められる。それになのはが苦痛に表情を歪める。そしてそのまま男は狂ったように叫び始めた。


「道具をどう扱おうが俺の自由だ!! お前が、いなければっ!! こんな不愉快な思いはせずに済んだッ!! いつも、いつも御神はそうだ!! 関係ないとほざいておきながら常に近い所にいて、守護者を気取る!! いつだって!! いつだってっ!!」


 血走った目でなのはを何度も踏みつける男。なのはの顔が苦痛に歪み、歯を噛み締める。だが、気丈にもなのはは悲鳴を上げなかった。必死に歯を食いしばり、男を睨み付ける。


「貴方、は……ただ怨んでるだけじゃないの……?」
「…なに?」
「まるで…嫉妬、してる」


 なのはの言葉に、男が蹴り上げ、転がったなのはの撃ち抜かれた腕を更に踏み付ける。今度は耐えきれなかったのかなのはの悲鳴が上がる。苦痛に喘ぐ姿に、美由希は口元を思わず抑えた。
 恭也が憤怒の表情で今にも飛びだそうとしている。桃子に至っては顔が真っ青で今にも気を失いそうだ。感情を完全に押し殺した士郎が歯軋りに音を立て男を睨み付ける。


「嫉妬…そうだなぁ。そういえば、貴様はよく似ている。あの男の妹に」
「…あの、男…? 妹…?」
「御神恭也。俺の世界の御神家の小僧。そして、その妹の御神菜乃花。あぁ、憎らしい奴だ。いつだって俺の邪魔をする。俺は関わりない、という顔をしながらいつだって全てに近い位置にいた!! あの御神恭也は!! あぁ、あぁ忌々しいっ!!」
「…俺の、世界?」


 苦痛に顔を歪めながらもなのはが問いかける。それに男は、ふんっ、と鼻を鳴らして。


「そういえば貴様には何も知らなかったなぁ…。偽物」
「…にせ、もの?」
「そうだ! お前はな、俺の世界の偽物なんだっ!! この世界は俺たちの世界、Top-Gの偽物なんだよっ!! 最低のG、Low-Gは!! つまりお前は本物を殺した!! 滅ぼした!! 親殺しだ!! 他のGも全て滅ぼした兄弟殺しだ!! 悪魔のGだなッ!!」


 男は愉快そうに笑う。そして、なのはの腕を踏みにじりながら更に言う。


「偽物が本物に逆らうな模造品如きが。模造品は模造品らしく廃棄してやる」
「――な…に…?」
「何だ? 聞こえなかったか? 偽物が本物に逆らうなと言ったんだよっ!! この劣化物――」


 男の言葉は最後まで言えなかった。その周囲を支配したのは殺気。男の憎しみすらも飲み込む殺気だ。思わず男は殺気に呑まれて、蹈鞴を踏んだ。そして瓦礫に躓いたのかその場に尻餅をつく。
 殺気を放ったのは士郎でもない。恭也でもない。美由希でもない。ましてや桃子でも、侍従でもない。


「――偽物だから? 偽物だから…死ね? 逆らうな? 劣化物?」


 撃ち抜かれた腕を抑えながらなのはは立ち上がった。俯いる為か、前髪が隠れてその瞳が見えない。そして、なのはから放たれた濃厚すぎる殺気が、男を萎縮させる。子供が何故こうも殺気を放つ事が出来る。おかしい、こいつは一体なんだ、と男は狼狽する。
 なのはは完全にキレていた。怒るという行為すらあまり起こさないなのは。だが、今現在、本心に正直になりつつあるなのはは感情的になりやすい。そのなのはの前でこの男は侮辱した。「偽物」に対して。
 脳裏に浮かんだのは、親友の顔だ。その友の名を、フェイト・T・ハラウオン。


「偽物だから何ッ!! 生きる資格が無いって!! 逆らう資格も無いって!! ただの劣化物だって、そう言うのっ!! 違う!! 偽物だから、じゃないっ!!!!」


 穢した。彼女という存在を。否定した。あの子の存在を。彼はフェイトなど知らないだろう。だが、偽物に対しての言い分は認めるわけにはいかない。
 その差異で親友がどれだけ悩んでいるのか、なのはは知っている。それに対して、ただ、支える事すらも出来ない自分を悔やんだ事が何度もある。
 今となってはそれで十分。それだけで十分と思えるようになった。踏み込める物ではない、と。だが、だからこそ、なのはは許せなかった。目の前の男の言葉に。


「巫山戯ないで…ッ!! 偽物だから死ねと言うのならば本物だから生きるとか!! 違う!! そんなの違うッ!! 命はそんな物じゃないッ!! 偽物も本物も関係ない…ッ!! 生きようとする人に、偽物も本物も関係ないっ!! ただ生きようとする意志1つ1つが大事なんだっ!!」


 この撃ち抜かれた腕の痛みが何だ。こんな物、認められない痛みに比べればどれだけ軽い物か。私は怯えていた。家族になれるか、と不安になっていた自分が。そして、家族でいて良いと言われた自分がどれだけ心救われたか。居場所があるということが、どれだけ救われた事が。
 だったら、フェイトの感じた幸福はどれだけの事なのだろうか。
 偽物と否定され、一度は心を壊したと思った程傷付いた彼女が、今望まれて生きている場所で、どれだけ救われたのだろうか。想像なんて出来ない。家族という居場所が出来ただけでこれ以上の無い幸福に包まれたなのはにはわからない。わからないからこそ、それは尊いのだとわかる。


「皆生きたい!! そんなの同じだっ!! そのために色んな悪い事をするかもしれない!! 罪を犯すかもしれない!! 悪い事は悪い事だよっ!! でも、それを全て否定するなんて間違ってる!!
 もし世界の全てが、人の全てが悪に罰を与えると言うなら私はその間に立って見せる!! 悪を裁き、だけども悪だからと言って理不尽にも裁かせない!! 例え貴方の復讐が正当な物だったとしても、私はそれを行わせない!! 受け止めて!! 何が正しいのかを探す!! それでもぶつかり合うしか無いなら全力でぶつかり合うよっ!! この世界に、絶対正義も、絶対悪も無い!! ただ生きたい意志が、人を生かしてるんだっ!! そこに正しいも間違っているも無いよっ!! それで誰かを傷つけても私は怯まない!! 恐れない!! それが、生きるって事だと思うから!!」


 ただ正しいと認めずにただ間違っていると認めずに、ただ、全てを受け止めて判断する。
 それは傲慢までの正義感。貪欲な程までの身勝手。対極に位置する物なれど、その矛盾を内包しなのははここに立つ。全てを認め、また認めず、全てを許し、また許さず。
 ただ全てを判断するのはなのはの意志によって決められる。なのはの目の前で起こる事が正しいのか、正しくないのかはなのはによって判断され、なのはによって行われる。
 理不尽までの傲岸不遜。だが、それを認めぬ者すらも寛容する聖者。人は光と闇を抱える。だが、高町なのはの光はより光輝き、その闇もまた暗く深い。故に、良くも悪くも、彼女は中心点となる。讃えられ、疎まれ、その感情の中心となる。


「認めなくて良い!! 私は、認められたいわけじゃない!! 認めるなら勝手に認めて、認めないなら認めるないでいい!! 私に望むよ!! 認めさせる為に!! その為の力を!! 身勝手? 好きに言えば良い。私は全て受け止めるよ!! 刃向かうなら刃向かって来てよッ!!私はただ私の力を以て全力で向かい撃つから!!!」


 告げた信念はここに。だからこそ、彼女は声を高らかに叫ぶのであろう。


「悪魔でも良いよ。悪魔らしく!! 私は私らしく生きるから!!!」


 誰よりも優しくて、誰よりも傲慢で、誰よりも強くて、誰よりも孤独。
 悪魔はただ、一人の舞台劇で踊る。それに刃向かう物は地に伏せさせ、従う物は観客席でその寸劇で笑いを誘う。
 ただ一人、一人でありても悪魔は踊る。ただ、自らが正しいと、ただ間違っていると、全てを認めながらも踊り狂う。


「だから、貴方は認めない!! 偽物だからと否定するという貴方を認めない!!!」


 一歩、強く踏み出し、犬歯を剥き出しにして今にも男に飛びかかろうとする。それに男は怯えた悲鳴を上げた。目の前にいる子供はただの子供ではない。自身の理解の範疇にいない、外れた存在だ。
 彼女の言う通り、彼女は悪魔なのかもしれない。それが、彼に恐怖を与える。


「こ、殺せッ!! その化け物を殺せェッ!!!」


 なのはの後ろで呆然としていた侍女に命令を下す。それになのはが侍女に視線を向ける。


「…貴方は見捨てられても、従えるの? 私に負けたのに、まだ戦うの?」
「…それが命令ですので…」
「だったら私が命令してあげるよ。敗者が、勝者に逆らうの?」


 その言葉に侍女は動きを止めた。本来ならば、主に従うのが正しい在り方だ。だが、それは本当に正しいのだろうか? 私は、ただの人形だ。意志無き者だ。だから、他人に使役されなければならない。使役される事が我が幸せなのだから。
 だが、今の主は、本当に相応しいのだろうか。今、主の命に従えば、恐らく自分は勝てない。そして、目の前の少女に従えば――――。


「矛盾した命令。どちらに、私は従えばよろしいのでしょうか?」
「なっ!? 何を言っているのだっ!? お前の主は私だぞっ!!」
「……貴方はどうしたいの?」


 慌てふためく男を無視し、なのはは静かに問いかける。その様子に侍女は目を伏せる。


「私は感情が、経験がありません。私は主に従う事が使命であり、それが至上の喜びです。しかし、今私を「使役」出来る「資格」を持つ者は二人います。故に、私は動けません。ですから、私はどうすれば良いのでしょう? 私には選ぶ事が出来ません」
「な、何を、何を言っているのだっ!!」


 男の叫びはあまりにも滑稽で醜い。それになのはは一瞥をしただけで、再び視線を侍女の方へと移した。その瞳と真っ向から、侍女は向かい合う。先ほど述べたとおりに。


「だったら問うよ。どちらが上かな? 私か、彼か。優先すべきを選んで。判断基準は何でも良いよ。そして…私を選ぶならこの手を取って」


 なのはは手を差し伸べた。ただ、笑みを浮かべて。それは、見る者によっては天使、あるいは悪魔へと姿を変えるだろう笑み。たとえ、天使であろうとも、悪魔であろうとも構わない。
 侍女は思う。彼女ならきっと…従うべきに値する、と。何より、私という存在が彼女という存在に魅せられている。ならば、既に答えなど決まっている。


「はい。我が主、高町なのは」


 そして、侍女はなのはの手を取り、従属の意を示すかのように跪くのであった。

 


 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 12
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/17 20:35
 男はただ恐怖していた。男はだから逃げ出した。這い蹲るように、ただ恐怖から逃れる為に男は駆け出した。なのははそれを見つめていた。追って捕まえなければ、と思う。だがその思考がどこか鈍い。
 そしてゆっくりとなのはの身体から力が抜けていく。それを支えたのは侍女だ。


「ぅ…っ…ぁ…れ?」
「血の流しすぎです。今、応急処置をします」


 そう言って侍従はなのはを座らせた。撃ち抜かれた腕に負担にならないように支えながらゆっくりと。座ったなのはの肩の傷口を手当てしていく侍従。その様子に安全を確認したのか士郎達がなのはの下へと寄ってくる。


「なのはっ!!」
「お静かに。傷口に触ります」
「うっ…な、なんだか貴方に言われるのは微妙な感じが…」


 思わず美由希がなのはの名前を呼ぶと、侍従がぴしゃり、と美由希を窘める。それに美由希が思わずジト目になって侍従を睨むという形になる。その視線に侍従は気にした様子もなく、スカートの中から医療道具を出してくる。それに思わず恭也が呟く。


「…なんでも出てくるんだな」
「なんでも、というわけではありませんが、最低限装備は常備しておりますので」
「まぁ、良いじゃないか恭也。何はともあれ、なのはは生きてるんだし、治療も出来るんだ」


 ポンッ、と恭也の肩を叩いて士郎が言う。それに恭也は少し納得がいかないような表情を浮かべるのだが、一応納得したように後は何も言わなかった。なのはの傍らに桃子がそっと座る。そしてなのはの顔を覗き込む。


「なのは…大丈夫?」
「お母さんこそ…怪我無い?」
「…馬鹿。自分の心配しなさい」


 触れられるならばなのはを抱きしめたかった。だが今、なのはは怪我をしている。無理に抱きしめるのは良くないだろう。代わりにと言うようになのはの頬をその手で撫でてあげる。なのはがくすぐったそうに顔を歪める。だが、嫌がった様子はなく、和らいだ様子だ。
 なのはの治療もおおかた終わった頃、美由希がふと呟いた。


「あの人、逃げちゃったね…」


 その言葉に誰もが顔を伏せた。だが、なのはと侍従だけは顔を上げていた。そして、なのはは美由希を真っ直ぐに見つめて。


「ねぇ。そんなに復讐したいの、お姉ちゃん」
「…なのは…」
「私は、して欲しくないよ。誰にも。そんなの悲しいだけだから」
「わかってる、けど…あの人は御神家を」
「でも、駄目だからね」


 なのはが強い口調で言い切る。それに、美由希は複雑な感情を得る。なのはの言う事もわかる。だが、家族を、親戚を殺された怨みは静かに根付いている。それを、掘り起こしてしまったのだ。そう簡単に、鎮められる物ではない。
 それに、なのはは美由希を真っ直ぐ見つめたまま告げる。明確な意志を以てして。


「するんだったら、全力で止めるから」
「なのは…」
「お姉ちゃんがどう思おうとも、絶対止めるから」


 なのはの言葉、美由希は複雑な感情を抱いたままではあったが頷いた。わかっている。わかっているのだ。だが、胸に抱いた複雑な感情を押さえ込むのは難しい。そんな美由希の肩を叩いたのは士郎だった。


「美由希」
「…お父さん」
「俺からも言うぞ。止めとけ。こうなったらなのははテコでも動かん。お前が復讐するなら本気で向かってくるぞ。恭也も、わかったな」
「……わかってる」


 美由希と一緒にするな、というように恭也は返すが、顔を背けているので本心はどうだか知らない。それに桃子がクスクスと笑みを浮かべている。士郎も、ふぅ、と溜息を吐いて。


「まったく、本当、我が儘な子になりやがって」
「…嫌いになった?」
「…いいや。まったく。憎たらしいけど、可愛い奴だよ」


 ぽんっ、となのはの頭を撫でて士郎は言う。それになのはが目を閉じて穏やかそうに士郎に身体を預ける。それを士郎は受け止める。するとなのははそのまま士郎に身体を預けて力を抜いた。そんななのはを支えて、士郎は瞳を閉じる。


「いつの間にか…こんな大きくなってたんだな…」


 そう呟いた士郎に、桃子が微笑みながら、同意するように頷いた。それに恭也と美由希は少し顔を見合わせた後に、微笑を浮かべて妹の姿を見守った。なのはは何も言わなかったが少し頬を赤らめる。
 その家族の光景を侍従の女がただ微笑ましそうに見つめていた。その家族という光景にただ無言で見つめていた。




    ●





 男は逃げていた。怯えていた。だから逃げていた。
 男は逃げていた。恐れていた。だから逃げていた。
 男は逃げていた。逃れる為に。だから逃げていた。
 男は逃げていた。生き延びる為に。だから逃げていた。


 だが、男は惨めだった。道具には裏切られ、模造の人間に反抗され、怯え、砕かれた。
 そして、こうして生き延びている。惨めに。愚かに。
 追ってこれた筈だ。あの悪魔が俺を見逃す筈がない。だが、俺は生きている。
 何故だ。何故だ、何故だ。何故だ何故だ何故だ何故何故何故ッ!!!


 逃げてもどうでも良いという存在だと言うのか。
 追う価値すらも無い卑小な存在だと言うのか。
 巫山戯るな。巫山戯るな。模造品ごときが、劣化物ごときが。
 見下すな、見下すな。見下すな、見下すなッ!!


「殺してやる…」


 それは、呪詛のように。


「殺して、殺し、殺して、殺し殺し殺してやる、ここ、殺してやる」


 それは、壊れたように。


「殺して、殺シて、殺シテ、殺シテやル。殺シテヤル。殺シテヤル…」


 だから、男は逃げる。
 殺してやる為に。俺を脅かす存在を排除する為に。俺が生き延びる為に。俺が恐れぬように。
 俺の存在という物を刻み込んでやる。俺という存在の価値をわからせてやる。
 後悔させて、絶望させて、何度も、何度も殺してやる。その存在そのもが死ぬまで何度でも殺してやる。何度も、何度も。


「殺シテヤルッ!! 御神、殺ス…ッ!! 殺スッ!! あのガキ…殺シテヤルッ!!」


 血走った目で、何度も転びながら、這い蹲りながら、ふらつきながらただ男は進んでいく。ただ、目的の為に、愚かなまでに。ただ、ただ1つの目的を追って…。
 そして、闇の向こうにその男は消えてゆく。呪詛をまき散らしながら、いつか安息の日を求めて。
 ただ深い闇の向こうへと消えてゆく…。




    ●





 とある室内の中に音が産まれた。その音の発生源は携帯電話である。流れるメロディに気づいたのは携帯の持ち主である青年。紫色の髪に金色の瞳。身に纏うのはUCAT局員の制服、そして白衣。彼は傍にあった携帯を手に取り、慣れた手つきでそれを開く。
 着信先の相手を相手を確認し、彼は、おや、と小さく呟く、口元に笑みを浮かべながら通話ボタンを押して電話を繋ぐ。それを確認した後、携帯を耳に当てる。


「もしもし。私だが?」
『はぁーい。ドクター。今、終わりましたよー』


 青年の携帯から聞こえたのは少女の声だ。それに青年はぴくっ、と眉を上げた。それから自らが座っていた椅子を回転させ、壁に背を預けるようにして携帯を持ち替えて耳に当て直す。青年の顔に浮かんだ表情の名は、愉悦。


「ふむ…。そうかね。「彼女」は生きているかね?」
『今美しい家族愛を熱演中ですよー。羨ましいですー。私も帰りたいですー』


 電話の相手のブリッ子ぶったような口調にドクターと呼ばれた青年は苦笑を浮かべた。ヤレヤレ、と言わんばかりに肩を竦めてから、ふぅ、と溜息を吐き出す。


「悪いが、代わってくれるかね?」
『えー、ドクター冷たいー。まぁ、いいけど。はい、姉様』


 ドクターと電話をしていた少女が若干つまらなさそうに呟く。だが駄々を捏ねる事無く、電話を近くにいたのだろう「姉」と呼ぶ人物へと渡したようだ。
 そして携帯電話からは先ほどの少女とは別の声が聞こえて来る。先ほどの少女から比べればもう少し年齢を重ねたぐらいの少女の声。


『ドクター。私です。高町なのはは健在です。多少の負傷を追いましたが生存しています』
「そうか。で、どうだい? 彼女は「強い」かね?」
『「強い」です。あれがドクターの言う「意志」の強さですか? あれが私達に欠けている物ですか?』
「感じてくれたかね? 意志の強さを。そう。君たちに欠けているのはまさにその「意志」さ。高町なのはは貫いてくれたようだね。ふふふふ、さすがに「悪役」が期待しただけの事はある。さすがだね」


 電話の先の少女の問いにドクターはただおかしそうな様子で笑う。心底、楽しげに。脳裏に思い浮かべる姿、さり気なく見てきたその姿は自分の目を引く。そして飽きさせてくれない。故に彼女は素晴らしいのだ、と。
 だがふとドクターは表情を変える。眼を細め、耳を澄ませるかのように沈黙する。その沈黙に電話の向こうの少女が「ドクター?」と怪訝そうな声でドクターを呼ぶ。対してドクターは口元をつり上げるように笑みを浮かべ、電話の向こうの女性へと告げる。


「悪いが、高町なのはの治療と運搬を頼めるかい?」
『何かありましたか?』
「何。楽しい楽しい宴だよ。是非に彼女をご招待したい。…あぁ、それから「彼女達」にも連絡を頼む。特に高町なのはには「アレ」が必要だろうしね」
『…なるほど。予想よりも少し早かったですね。了解しました』


 ドクターの言葉に少女は納得したように返答を返す。ドクターが頼むよ、と最後に少女に言葉を投げかけて通話を切った。ドクターが携帯電話を仕舞うと僅かに感じる振動音。それにドクターは小さく口元に笑みを浮かべて立ち上がる。


「さぁて、始まるね。最低か、最高か。悪か、正義か。この世界の命運はどちらの手に委ねられるのかね? まさにクライマックスだ。終わる為の、そして新たな始まりの為の宴が始まるよ」


 小さく再び振動音が響き渡る。それは、戦の音。それを耳にしながらドクターはただ口元に笑みを浮かべて笑うのみであった。
 そのドクターに歩み寄る1つの影があった。小柄な影だ。白色の装甲服の上にコートを纏い、白に近い銀髪を揺らしながら小柄な影はドクターへと近づいていく。


「ドクター。上で戦闘が起きた。万が一の為に地下へ避難を」
「いや、私は上に上がるとしよう。それが「ここ」での私の仕事だろう? では行こうかね、チンク。我らが戦場へ」
「…Tes.ここではこの返答でよろしいかな?」
「実に結構」


 ククッ、と喉を鳴らすかのようにドクターはチンクと呼んだ少女と共に部屋を後にする。振動音は確かに響いている。ふむ、と小さく呟き、手にグローブを填め、握りしめる。
 チンクはコートの袖から何本かのナイフを取り出し、指に挟むようにして構える。そしてドクターとチンクは同時に駆けだした。彼らの戦場へと赴く為に。





    ●





「さ、帰ろうか」


 既に夕日も沈みきり、夜になろうとしている。なのはの治療も済み、休憩も終わった所だ。これから家に帰ろう、と士郎が提案した。それに誰もが反対する事無く頷いた。
 ふと、その時だ。士郎は僅かな気配を感じて振り向いた。その手を小太刀にかけ、警戒するように気配の方向を睨み付けながら声を荒らげる。


「誰だっ!!」
「――敵ではありません」


 士郎の声に反応し、すぅ、と音もなく現れたのは一人の少女だ。紫色の短髪に切れ目の鋭い瞳。身に纏うのは白の装甲服。なのははその装甲服に見覚えがあった。あれはUCATの局員が装着する装甲服だ、と。
 見学の際に一度見たことがある程度のものだが、よく覚えている。それはつまり、この少女がUCATの関係者だと言う事がわかる。では、この少女は何者なのか? と思考を巡らせてなのはは少女を見つめる。年齢は自分よりも上、だいたいクロノと同じか、それより少し上ぐらいの年齢だろう。
 少女の背後からまた別の少女が現れる。なのはと同い年ぐらいか、少し下ぐらいの眼鏡をかけた少女だ。先に出てきた少女と同じ装甲服の上に白衣を纏い、茶色の髪を結んでいる。その少女はどこか小悪魔じみた表情で笑いながら前に出て。


「私たちはUCATの協力者でーす。敵じゃないですよー?」
「UCATの…?」
「はい。クアットロ、と言いますわ。以後、よろしく」
「私はトーレです」


 UCATと言われてこの者達の正体を把握出来るのは事情を知るなのはと、なのはから事情の説明をされた士郎のみだ。それ以外の面々はどうにも事態について行けていないのか、困惑の視線をトーレとクアットロと名乗った少女達に向ける。
 その視線にトーレは気づくような素振りを見せたが、すぐにその視線はなのはへと向けられる。ジッ、と真っ直ぐにトーレはなのはを見つめながら言葉を紡ぐ。


「時間がないので手短に話しますわ、高町なのは」
「は、はい?」
「現在、UCAT本部は「軍」による襲撃を受けている」
「えっ!?」


 クアットロと名乗る少女と、トーレと名乗る少女から告げられた事実になのはは眼を見開かせた。「軍」。それはUCATに敵対する謎の組織としかなのはは聞いた事は無い。だが、今はそんな事はどうでも良い、となのはは思考を巡らせる。
 重要なのはUCAT本部が襲撃されているという事実はわかった。全竜交渉部隊はどうした? もしかしてまだ解散したままなのか? だとしたら? ここから向かう? だが、あまりにも時間がかかりすぎないか? 間に合うのか? もし間に合わなかったら? なのははグルグルと思考を回す。そのなのはの思考を遮るように轟音が響き渡った。何の音か、と空を見上げてみれば一台のヘリが空に浮かんでいた。


「…高町なのは、どうしますか?」
「…どうしますか、って」
「疲れているならばお休みいただいても結構です。もう戦いたくないというのならばどうぞお戻りください。――貴方に、戦う意志はありますか?」


 トーレの問いかけになのはは一瞬の逡巡。だが、なのはの中で既に答えは決まっているようなものだった。
 12月24日。聖なる日、クリスマスに迫る世界の終末の日。それを防ぐ為に戦うUCATの存在。そしてそのUCATに敵対する存在がいて、今、戦闘になっている。そう。それだけで十分だ。自分が行くべき理由は。なのはは決める。この世界を守る為に。この世界を守り、そして…。


「…お父さん。お母さん。お兄ちゃん。お姉ちゃん」


 なのはは家族を見渡す。誰もが不安げな表情でなのはを見ている。明らかに心配をかけている。それもそうだ。先ほど負傷したばかりで、本来なら休むべきだろう。自分だって好きこのんで、望んで戦っている訳じゃない。
 だけど、今、自分が望む戦場がそこにある。自分が叶えたい場所の為の戦場がある。自分が選びたい未来の為の戦場がそこにある。ならなのはに行かない理由は無い。ここでUCATに倒れてもらう訳にはいかない。
 私の為にも。そして私が大好きなこの家族の為にも。そして…私の大事な友人達が住まうこの世界を壊させる訳にはいかない、と。


「…ごめん。私、行ってくるよ」


 決意は揺るがない。なのはの言葉に、美由希と桃子が何かを言いかける。だがその二人を制するように恭也と士郎が二人を抑える。美由希と桃子が自分達を押しとどめた二人へと視線を向けたが、口惜しそうに瞳を閉じて力を抜いた。
 士郎がなのはへと視線を向ける。なのはも士郎と真っ向に視線を合わせる。互いに交錯する視線。ふと士郎が口元を笑みに変える。だが眉は寄せられたままで、困った、という顔をしている。まるで仕様がない、と言うかのように。


「早めに帰ってこい」


 ただそれだけ。士郎はその一言に万感の思いを乗せてなのはに告げた。なのはもまた頷いて返す。当たり前、と言って笑うかのように笑みを浮かべて、なのはは大きく返事を返した。
 なのはは視線を移す。なのはが視線を移した先にはなのはが先ほど下した侍女がいる。彼女はどことなく不安そうな顔を浮かべてなのはを見ている。なのははその侍女に笑いかける。


「私の家族をよろしくね。私が居ない間、貴方に任せるから。また、襲撃がないとは癒えないし、ね?」
「…! はい! わかりました!」
「違うよ、そこはTes.だよ。契約の言葉、貴方は私に誓ってくれる?」
「…Tes.! 勿論でございます」
「なら、安心だ」


 侍従の返答になのはは笑みを浮かべて頷く。もう一度だけ、なのはは士郎へと視線を向ける。士郎はなのはの意図がわかったのだろう。侍女を頼む、と。士郎はなのはの頼みに頷く。
 士郎の返答を見てなのははありがとう、と言うように頭を下げて、前を向く。そこにはトーレとクアットロがなのはを待っている。なのはは二人に対して頷く。


「行きましょう。UCATへ!!」
「はい」
「それじゃ、ご案内いたしますわ」


 トーレがなのはの身体を掴み、ふわ、と空に浮かぶ。同時にクアットロも空へと浮かび上がり、空へと浮くヘリへと向かっていく。なのははふと、視線を下ろす。そこにはなのはを見送る家族の姿がある。
 ――守りに行こう。
 そう、守りに行くのだ、となのはは呟く。そして決意する。ここには守りたいものがたくさんある。だから壊させる訳にはいかない。そして壊そうとする者達にそれを伝え、阻み、守っていこう。
 ヘリのハッチが開く。操縦桿を握るのはUCAT局員の制服を纏った、トーレと少し似た雰囲気を持つ少女。その彼女の後ろにはUCATの装甲服を身に纏った緑髪の長髪の少女が手招きしている。


「トーレ! クワットロ! 早く早く! もう始まっちゃってるわよ!?」
「ドゥーエ姉様!!」


 軽い調子で告げる緑髪の女性、ドゥーエの姿を確認するとクアットロは勢いよくドゥーエへと抱きついた。ドゥーエも満更じゃない、という様子でクワットロを抱き返す。
 その間になのはを抱えていたトーレもヘリへと乗り込み、ハッチが閉じていく。それを確認すればヘリは空を駆けだす。
 なのはは空を飛翔するその様を窓から見つめていたが、ふと周囲に目を向けて問うた。なのはが問うのは現在のUCAT本部の状況だ。


「UCAT本部はどうなってますか?」
「私が答えましょう。……と、その前に初めまして高町なのは。私はウーノ。ウーノさんと親しく呼んでくださって結構です」


 なのはの問いに答えたのはヘリを操縦する少女からだ。彼女は無表情のまま告げる。なのはもそれに頷く。なのはが頷いたのを確認するとウーノは状況を説明し出す。


「現在、UCATは「軍」と交戦中。しかし、どうやら自動人形達のネットワークが乗っ取られ、一部が「軍」に荷担し、状況は不利に追い込まれています」
「じゃあ、ウーノさん、後どれくらいで着きますか?」
「可能な限り早く、とお答えしておきます」


 言うことは終わった、と言わんばかりにウーノは口を閉ざし、ヘリの操縦に専念し出す。なのはもウーノの邪魔をするのは憚られたので、それ以上、ウーノに声をかける事は無かった。
 かわりに声をかけてきたのはクワットロだ。彼女は救急箱と似た箱を取り出しなのはの方へと歩み寄り、なのはの腕を取って明るく声をかける。


「はいはーい、なのはちゃん、って気軽に呼ばせて貰うわよ? 治療する傷見せて? 一応、応急処置はしているようだけれど、念には念をね?」
「あ…すいません」
「あら、敬語なんていりませんわ? 気軽にクワットロ、クワちゃん、クワッチとでも好きに呼んでくださいな」


 クワットロはそう言いながらも、手慣れた手つきでなのはの応急処置した包帯を取り、傷を見た後、趙が使っていたのと同じ符を用意し出した。恐らくは治癒用の概念が込められているのだろう。
 しかし手際の良い。なのははここでようやく疑問を覚えた。何故UCATの関係者がこうもすぐに自分の前に現れたのだろうか? と眉を寄せる。眉を寄せたなのはに気づいたのか、なのはに歩み寄ってきたのはドゥーエだ。


「何故、私たちが貴方にこうも早く接触出来たか? 疑問に思いました?」
「え…? あの…」
「ふふふ。これでも人の表情を見て何を考えているのかはわかるのですよ。職業柄でもありますが。まぁ、お答えすると、私たちは正規のUCAT局員じゃなくて、とある方の私兵なんですよ」
「とある方?」
「UCATに所属している、我らがドクターですわ」


 ドゥーエの説明に出てきたとある方、という謎の人物になのはは首を傾げる。ドクター、という事は恐らく医療班の人なのだろうが、医療班で会った事があると言えばなのはは趙しか知らない。


「ちなみに趙医療室長とは関係がありませんからね? 貴方がまだお会いになっていないお方ですわ」
「…じゃあ、何であなたたちは私を?」
「興味を」


 ドゥーエがなのはの問いにまず、一言を返す。その顔には笑みがある。まるでこれから楽しいものが見られるような、そんな顔をする。彼女はポケットに手を伸ばし、そこから何かを握り取り出す。


「そして期待を。貴方にドクターは期待しておられますわ。――翼をもがれた鳥はどこまで飛ぶ事が出来るのか」
「…っ…!?」
「貴方はもがれた翼でどこまで行きますか? 羽ばたかない翼は重荷なだけ。なら切り落としますか? それとも抱えますか? それとも――」


 ドゥーエは手の中にある「ソレ」をなのはに見せるように開いた。ドゥーエの開いた手の中に収まっていた「ソレ」になのはは眼を奪われた。「ソレ」の事をなのはは良く知っている。そう、何故ならばそれは――。


「再び、空を舞いますか? エース」
『…Master』
「レイジング…ハート…」


 ――唯一無二の、自分の相棒であったのだから。


 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 13
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/17 20:33
「――監視カメラの映像は!?」
「駄目です! 細工されていて、その時間帯だけ映像が消されています!!」
「何か証拠は残ってないの!? 犯人の手がかりは!?」
「何も残ってません!!」
「――くそぉっ!!」


 ダンッ!! と力任せに壁を叩く音が響き渡る。ここは時空管理局技術課の一画。そこで声を荒らげるのは黒い管理局の制服、執務官および執務官候補生である事を表す制服を纏った金髪の少女であった。少女の名はフェイト・T・ハラウオン。
 彼女がここまで怒りと苛立ちを顕わにするのは珍しい。むしゃくしゃに髪をかき混ぜ、どうしようもならない感情に折り合いをつけようとする。だがそれが失敗して口から悪態しか零れなさそうでどうしようもならない。


「フェイト、落ち着け」
「これが、落ち着いていられるの!? クロノ!? なのはは行方不明で、それに加えて、レイジングハートまで紛失して、落ち着いてなんかいられないよっ!!」


 そう、そこは…フェイト・T・ハラウオンの親友である高町なのはのデバイス、「レイジングハート」が保管されていた区画だったのだ。
 そう、だったのだ。もうそこにレイジングハートの姿は形も影も無い。映像もなく、証拠もなく、何一つ残される事無くレイジングハートは姿を消した。
 フェイトは心の中で悪態を付きながら、ゆっくりと膝をついた。口から零れるのは嗚咽だ。クロノは崩れ落ちる妹の姿を、ただ唇を噛み締めて見守る事しか出来なかった…。





    ●





 怒声、悲鳴、銃声、様々な声が響き渡る戦場を駆ける影があった。ドクターだ。白衣を翻し、彼は戦場をかける。手につけたグローブからは僅かな煌めきが光る。眼を凝らしてみればそれが糸だと言う事はわかるだろう。ドクターはそれを振るい、自らに襲いかかってくる自動人形達の動きを束縛していく。


「ふっ! やれやれ、重労働は身に堪えるね! 思わずテンションが鰻登りだっ!!」
「余裕そうですね。ドクター」


 そのドクターの背後に付き添い、彼を守るように従うのはチンクだ。彼女もまた手に持ったナイフを投擲し、自動人形達の拳銃を払い、無力化しようと試みる。しかし自動人形達も更に武器を展開し、正直キリがない。
 だが、チンクが無力化している間に、更にドクターの糸が自動人形達を縛り上げていく。そのまま彼等は戦場へと向かい、駆け抜けていく。ドクターの目の前に隔壁が見えた。それは外へと通じる為の隔壁の1つ。
 隔壁へと真っ直ぐに駆け抜けながらドクターはチンク、と彼女の名を呼んだ。チンクは頷き1つで返答とし、両手に握ったナイフを全て投擲する。そしてナイフが壁に衝突し、地に落ちるその瞬間を狙って彼女は叫ぶ。


「IS「ランブルデトネイター」!!」


 チンクが叫ぶのと同時に刃が爆弾へと変貌し、爆裂音が響き渡り扉を破壊する。扉を破壊した爆発の煙の中をドクターとチンクは飛び込み、煙を抜ける。抜けた先は屋外だ。その先には戦場の声が高らかに響いている。
 ドクターはチンク、と再び彼女の名を呼んでチンクを抱き寄せた。チンクはそれに抗う事無くドクターの腕に収まり、ドクターはチンクを抱えていないもう片方の手を振り、そこから糸を伸ばし、彼は周囲にある背の高い建造物に糸をくくりつけ、助走と共に糸を巻き上げる。角度、速度、糸の長さ、それ等全てを一瞬の内に計算し、彼はチンクと共に空を舞う。


「アァ~アァァアアアアアア~~~~ッッ!!!!」
「ちょっと!? 何注目浴びるような真似してるんですかドクターッ!?」
「なぁに、これをやるときは必ず言わなければならないだろう!! というわけで、とぅっ!!」


 戦場では愚行とも言える行いにチンクは非難の声を上げる。ドクターはそんなチンクの非難を華麗に無視し、背の高い建造物にくくりつけていた糸を離し、今度は別のものへと向けて糸を伸ばした。
 ドクターの眼下、そこには白銀の武神がいる。ドクターはその武神に糸を巻き付け、今度は急降下していく。チンクは身に受ける風を感じながら服の袖からナイフを取り出す。ドクターが更に糸を引き絞り、速度を緩めて地に着地。
 そしてドクターとチンクは駆け出す。向かうのは白銀の武神の足下へ。そこには一人の女性が奮戦していた。ドクターが移動の際に利用した白銀の武神の操手。彼女はドクターとチンクの姿を確認し、驚きの声をあげた。


「ジ、ジェイルさん!? 医務班の貴方が何故此処に!?」
「やぁ、シュビレ君。なに、私とてニートだの何だの言われる訳にはいかないのでね。仕事をしに来た訳だよ」


 ニィッ、とドクター、いや、ジェイルと呼ばれた青年は口元を歪める。


「此処こそが、今の私の「戦場」だ。戦闘も出来て治療も出来る、なら私がここに立つのは必然だろうさ!!」


 そしてジェイルは両手のグローブを振るう。伸ばされた糸が黒の装甲服を纏う「軍」へと襲いかかる。更にチンクがナイフを投げ、牽制する。時にはナイフを爆弾と変え、チンクは敵の侵攻を食い止める。
 最初は呆気取られていた白銀の武神の操手、シュビレは困惑し、ジェイルとチンクを見ていたが、自分が動きを止める訳にはいかないと武神を操り出す。動きを止めていた白銀の武神に意志の光が込められ駆動する。
 動き出した武神に合わせるようにジェイルは銃弾舞う戦場に飛び出した。白衣を翻し、糸を紡ぎ、結び、黒の装甲服の者たちの動きを止めていく。彼は腕を振る。まるで指揮者のように。彼は支配する。彼は踊るかのように身体を揺らし、戦場を指揮していく。
 それに追従するようにチンクが続く。チンクは時に体術で、時にナイフで、時に爆発で敵をなぎ倒しながら進む。だが黒の軍勢の勢いは留まらない。だがそれでもジェイルもまた動きを止めない。両手を振るい、軍の軍勢を縛り上げていく。


「後悔しろよっ!! 正義の味方!! 己の後悔に呑まれて消えてしまえ!!」


 ふと、ジェイルはその叫びを聞いた。ふむ、と呟き、ジェイルは戦場を見渡す。黒の軍勢達の勢いに白の軍勢が押されている。白にあるのは困惑、恐怖。そして黒にあるのは嘲笑と滲み出るような憎悪。
 彼らは言う。後悔せよ、後悔せよ、と。我等の屍を積み重ねる事で貴様等は後悔するのだと。ならば倒せ、と。そして後悔せよ、と彼らは告げてくる。貴様等は何も知らない。知らないからこそ、そして後悔せよ、と。
 だがジェイルは彼等の声に意を介さぬかのように跳躍、黒の軍勢へと糸を向け、また一人、また一人と縛り上げていく。


「やれやれ、重労働だ」


 ジェイルはぼやくように呟く。そんなジェイルに向けて銃弾が殺到する。チンクが前に出て、コートを翻す。翻ったコートが銃弾を受け止め、はじき飛ばす。チンクは眉を寄せてジェイルを睨む。


「ならドクターは下がって局員の治療を。…治療しても立てるかどうかはわからないが」
「そうだね。未知というもの、理解が出来ないものは怖いものさ。ああ、私だって恐ろしい。恐怖は足を竦め、踏み止まらせてしまう。難儀なものだね――まぁ、私はそれでも求めに行くがね。私が私が故に」


 ククッ、とジェイルは喉を鳴らして笑う。戦場はまだその声を鳴りやませない。高く、大きく、その熱は高まり、大きくなっていく。
 チンクは走る。ジェイルもまた走る。だが行く先は違う。ジェイルは倒れ伏した白の装甲服の者たちの下へ。まだ立てる者には符を与え、重傷者の傷口をほんの数十秒で判断し、後方へと下がらせるように指示を下す。同時に腕を振るう、指揮者のように。そう、彼は今まさに指揮者となっていた。
 何とかジェイルによって体勢を立て直すのと同時に、黒の軍勢を抑えにかかるのはチンクだ。彼女はコートの中からありったけのナイフを取り出し、黒の軍勢へと投げつける。


「手加減はしない。――散れっ!!」


 チンクの号令と共にナイフが次々と爆発し、それが連鎖し、更に巨大な爆発を生み出す。明らかなオーバーキル。それに黒の軍勢の足は少しは止められるか、とチンクは期待するも、爆煙を突き抜けて向かってきた影に眼を細める。振るうのは日本刀。受け止めるのはナイフ。
 ぼろぼろの黒の装甲服に日本刀を構えた少女。チンクの視線と少女の視線が交錯する。そしてチンクは怪訝そうに少女を見る。その身体にはあまりにも傷がなさ過ぎる、と。まるで傷を負っていないかのような、いやしかし、それならばボロボロの装甲服はどうしてだ? 思考は巡るも、その思考は他ならぬ少女によって断ち切られる。


「散るわけにはいかない。――貴様等が後悔し、その後悔に敗北する時まで! 我らが勝利の為に!!」
「生憎だが、私は後悔に負ける程、柔な育て方はされていないぞ」


 キンッ、と甲高い金属音と共にナイフが振り抜かれ、日本刀を構えた少女が一歩下がる。
それにチンクもまた一歩下がり、ナイフを補充して構える。戦声は高らかに声を上げていく。留まる事を知らず、燃えさかる焔のように。





    ●





 空を駆ける。プロペラを勢いよく回し、空を行くのはウーノが操るヘリだ。そのヘリの中、なのはは壁に背を預け、手の中にある相棒へと声をかける。
 レイジングハート。インテリジェントデバイスと呼ばれる「魔法」を扱う為の「杖」。魔法行使の補助演算、魔法式の保存や、魔力貯蔵や圧縮スペースなどの機能を秘めた、まさに魔導師の為の手足となる物。更にレイジングハートはインテリジェントと呼ばれるタイプのもので自意識を備えている。
 なのはの脳裏には様々な問いが浮かぶ。何故レイジングハートがここにあるのか。そしてレイジングハートを手にしていたドゥーエは一体何者なのか? そしてドゥーエ達を私兵として扱っているドクターとは何者なのか?
 巡っては答えは出ず、ただなのはは益にならない問答を繰り返す。だが、ドゥーエは答えない。彼女はレイジングハートを渡しただけで質問に答える事はなかった。答えは自分で知りなさい、と。
 ドゥーエは答えない。ならばと言って吐かせる手段などなのはは持ち得ていない。自分が望み、だが相手が望まなかった。ならば押し通す。だが押し通す為の手段も、方法もなのはは得てはいなかった。
 だが、ドゥーエはいずれ答えをなのはに導くだろう。何故ならば知りなさい、と彼女は言った。ならば彼女は自分が知る事を望んでいる。レイジングハートを手渡したその理由も、レイジングハートをここに持ってきた理由も。故に押し通すべき相手はドゥーエではない、と。


「…レイジングハート」
『……はい』


 久しく聞いていなかった彼女の声。あぁ、懐かしい、となのはは感じる。全ての始まりから苦楽を共にしてきた相棒。最早、半ば半身と言っても過言では無かった。そう、レイジングハートが全ての始まりだった。
 ユーノと、レイジングハート。そう、出会えたからこそなのはは答えを出せるこの場所へと来た。出会わなかった未来など想像が出来ない。もしも、といつかはユーノは言っていた。もしも自分が魔法と出会わなかったらどうなっていたんだろう、と。
 そんなIFはなのはは嫌だし、今が幸せだと思う。…間違ってはいたけれど、後悔はするけれど、でもここで戦場に立てる事が出来る事をなのはは不幸だと思ったことはない。むしろ幸運だ。こうして自分は生きていられる。自分に真っ直ぐに。


「私、さ。多分…この先に答えを見いだせると思うんだ」
『……』
「あの日、私が撃墜したあの日から、あの日まで間違ってた答えを正して、あの日に止まった時間を動かせると思うんだ。…ねぇ、レイジングハート。今度はきっと間違えない。貴方は…最後まで付いてきてくれる?」


 なのはは決めていた。これから何が起きるかなんてなのはにはわからない。だが、なのははきっと恐らく、と確信している事がある。自分の在り方はあらゆる意味で他人と合わない。協調性が大事なのはわかっている。だが、わかっているからこそなのははそれを踏み砕く重さを知っている。
 だからこそなのはは覚悟を決める。裏切れないものがある。守り抜きたいものがある。そしてそのために優先順位をつけていくだろう。そうやって割り切って、例えそれが悪であろうとも正義であろうとも自分は貫いて生きていく。
 だから、己に付いてくるというものに覚悟を問う。わかっている。これから赴く先の未知が決して平坦な道じゃないという事を。正しいも、過ちも、その全てを抱えてなのははただ自分の思うとおりに歩くと決めたのだから。そこに付いてくるというのならば、覚悟を問う。


『…私は――』


 問われた覚悟にレイジングハートは――。





    ●





 レイジングハートは、唐突に自分のメモリーが読み込まれたのを感じた。人間でいう、ふと思い出す、という現象と同じようなものだろう。
 あの日、撃墜事故のあの日からレイジングハートは悔やみ続けていたのだ。どうしてもっと強く進言し、なのはの行動を諫めなかったのか、と。それが自身の欠損に繋がったばかりか、なのはから魔法を奪いかけたのだ。
 なんという未熟。レイジングハートはただ使われる為の道具ではなかった。インテリジェント。意志を持つ機械。あぁ、確かにレイジングハートは道具だったかもしれない。だがなのはと出会い、なのははレイジングハートを「相棒」とした。唯一無二の信頼する相棒として。
 それがどれだけ誇らしかったことか。たった3年。しかし、されど3年。レイジングハートはなのはと共に過ごし、その経験を積み重ね、それをパターン化し、そして自らにも「心」にも似たようなパターンが生まれている事に気づいた。一度、自分の整備を主に行っているマリエル・アテンザに問いかけた事もある。


 ――『機械にも、心は生まれるのですか?』、と。


 それにマリーは笑って答える。あるかもね、と。
 なのはも答える。物には魂が宿るものだよ、と。
 あぁ、ならば、とレイジングハートは自覚した。自分は、生きているのだ。例えその身が鋼鉄で出来たものだとしても。この心は鋼鉄によって生み出されたものではない。人との触れ合いが、その心がレイジングハートに与えた。目覚めさせた。
 故にレイジングハートの後悔は尋常なものではなかった。どうして進言しなかった、と密かに過去のなのはのバイタルデータを確認した事もあった。訓練スケジュールを見直す事もあった。経験が足りなかった。そう言ってしまえば簡単な事。しかし、されど、レイジングハートには役目を果たす事が出来なかった。
 自らの改造プランを考案した事があった。だが、なのはのリンカーコアの不調を耳にしてそれすらも無意味になるのか、と思えば、レイジングハートは己の機能を全て停止してしまいたい衝動に駆られた事もあった。
 痛み。この鋼鉄の身体に、プログラムで設定された人格に感じる事の無い、必要の無い軋み。感じるたびにプログラムを掻き乱したくなる程の衝動に駆られる。そう、それはまるで質の悪いウィルスのようだ。いや、正しくてそれはウィルスなのだろう。本来のプログラムを狂わせるバグなのだから。
 だが、それでもレイジングハートは頑なにそのバグを修正しようとしなかった。そして、彼女はいつしか保管されるだけで何もない無意味な日々を送った。思考も意味を成さず、ただ衝動が来て、自己保存プログラムが発動し、繰り返し、繰り返し。
 回路が焼き付きそうになるほどまで繰り返し、壊れそうになるまで繰り返し、その繰り返しの中でただレイジングハートのメモリーが呼び出すのは主の笑顔。主の怒る顔。主の泣き顔。主の日々成長していくその姿。


『やぁ、レイジングハート』


 そこに、彼女が現れた。ドゥーエ、と名乗った彼女が。何食わぬ顔でレイジングハートの保管区域に入り込み、レイジングハートに声をかけてきた。


『君の主が新たな戦場を見いだしたよ。巻き込まれ、悩み、惑い、苦しみながらも、彼女は歩き出したよ。例え魔力が無くても、その意志で、その足で』


 何を、とレイジングハートは思った。それは、もう私は不要だと言う事? それは最早、私の存在には何の意味もないという事?
 絶望。そう、それはレイジングハートにとっての絶望だった。もう、機能を維持しているエネルギーすらも鬱陶しくなってオーバーロードさせたくなる程であった。自己保存プログラムを食い破ってでも自らを自壊させたい衝動。


『機械としては欠陥。だけど…実に興味深いわね。主、共々ね』
『どうするレイジングハート。君の答えを出しに行く? 貴方が望むなら貴方の主の下に導くわよ?』


 …しかし、私に何の意味がある?


『私は何も知らないわよ。意味だなんて、貴方が出すのよ。もう貴方はただ扱われるだけの機械じゃないのだから。レイジングハート、名は体を表すとは良く言ったもの。貴方が諦めた時、それはまさに貴方が死す時ね』
『どうする? 答えを求めるのも、意味を求めるのも貴方次第。私はただ道の1つを指し示すのみ。選びなさい、既に貴方の主は選び、答えの為に歩み出しているわよ?』





    ●





『…我が身は、不屈の心。…されど、その心を生み出してくれたのは貴方です。マスター。私は道具だった。私は諦めさせない為の力。その為の杖で、ただの道具だったのでしょう。その名に恐らく偽りはなく、私は自分の存在がそうだったと断言出来る』
「…うん」
『でも…今は違います。それは誰かに与えられた願いかもしれません。だから今、これから私の言う事はバグで、もう、私は壊れているのかもしれません。本来の役割から外れた、デバイスとして欠陥機なのかもしれません。
 それでも――私は不屈の心。主と共に在り、最後まで共にあり、私か、主が尽き果てるその時まで諦め続けない者。主に希望を、夢を、願いを持たせ羽ばたく為の翼、未来へ届ける為の力に私はなりたい…私は、そうなりたいのです…!!』


 ややノイズが混じった機械音声は、やはり自身が壊れている証なのだろうか。だがそれでもレイジングハートは構わなかった。間違いなどと思ってなどいなかった。むしろ、これで清々したようにも思える。
 ただの力ではなく、ただの道具でもなく、支え、押し上げるためのその力に、遠く高く羽ばたく為の翼になりたい。あの日々を、なのはが雄々しく空を舞ったあの日々を。あの笑顔を、いつまでも、尽き果てるその時までメモリーに納めたい。
 機械に身で分相応かもしれない。だがそれでも、それでも――。


「金属は生きている」


 ふと、なのはは声を漏らした。


「…私のこれから赴く戦いにはね、そうであると定められた法則があるんだ。実際にはそうじゃないけど、だけどそうであると定められる力があるの。その中の1つに、金属は生きている、っていう概念があるんだ」


 なのはは語る。伝えるように。言い聞かせるように。


「でも、さ。生きてるから魂って宿るの? だったら死んだ人の魂は? 生きてたから残るの? じゃあ…生きるって何だろうね、レイジングハート」
『…難しいです』
「にゃははは、私も、だよ。わからないよ。レイジングハート。生きるってどういう事なのか、って。…でもさ、レイジングハートの言葉を聞いて、私、1つ思ったよ」


 ぎゅっ、となのははレイジングハートを握りしめる。優しく、だけど強く。


「願う事だよ、レイジングハート。誰がそう望ませるのかもしれない。誰かがそう仕組んだのかもしれない。だけど、そこから始めて、そして自分の意志でそれを選んで、その選んだ通りに生きていく事が、生きてるって事なんだと思う。
 勿論全てが叶う訳じゃない。だって皆がいろんな事望んでるから。笑ったり、怒ったり、悲しんだりして、いっぱい願いがあって、いっぱい夢があって、いっぱい、いっぱい溢れてるんだ。だから、皆が生きてるってわかるんだ。自分も、皆も。
 …だからね、レイジングハート。私、今すっごく嬉しいんだ」
『…Master?』
「生きよう。レイジングハート。私と一緒に、一緒に未来を見に行こうよ。一緒に未来を歩んでいこうよ。貴方は道具なんかじゃない。誰がどう言おうと、貴方がどういう存在であろうと――貴方は私の唯一無二の相棒だ。私が生きている事を教えてくれる貴方に、私と生きてくれる貴方にそれ以外、表せる言葉が無いよ」


 ノイズが走る。レイジングハートにはそのノイズの意味は掴めない。だがそれは決して不快ではない。それはプログラムを加速させる、回路を加熱させる。あぁ、欠陥なのかもしれない。だが、それでもそれで良い。
 この焼け付くような熱こそ、このプログラムを加速させるバグこそ、そう、それこそ今の私自身なのだと。レイジングハートはそうなのだと判断する。これでこそ、私なのだと。


「高町なのは! もうすぐ戦闘区域に突入します! ヘリでこれ以上の接近は困難ですので出撃を!!」


 操縦席でウーノがなのはへと告げる。同時にハッチが開かれていき、トーレが先にハッチへと身を乗り出す。ウーノは操縦し、ドゥーエとクアットロはなのはを見ている。どうやら出撃するのはトーレだけのようだ。
 トーレはなのはを見る。なのははゆっくりと立ち上がり、一歩、また一歩とハッチの方へと向かっていく。風がなのはの髪を弄び掻き乱していく。その風の音に混じって聞こえてくる銃声や悲鳴などの戦の声が聞こえる。


「…怖気付いたか?」
「…まさか」
「…私の手は必要か?」


 トーレがなのはに問いかける。その笑みには不適な笑みが浮かんでいる。まるで試すかのようになのはを見ている。なのはもそれに笑って返す。
 ふと、なのははドゥーエへと視線を向けた。そして次にクアットロへと視線を向け、ウーノを見、そして瞳を閉じる。


「もう、十分すぎる程貸してもらいました。ここに連れてきてくれて、私の怪我を癒してくれて、レイジングハートを連れてきてくれた。もうこれ以上に望む事なんてないですよ」
「それで足手まといになられても困るぞ?」
「なりませんよ。期待には応えなきゃいけませんし、私も応えたい、って思いますから」


 ドゥーエさん、となのははドゥーエを呼ぶ。ドゥーエは笑みを浮かべながら、何、となのはに相づちを返す。
 なのははレイジングハートを首にかける。いつもそこにあったように。いつもと変わりないように。いつもそうであったように。ここが、彼女の定位置。これが私と、彼女の在り方の1つ。


「私の翼は確かに、一度もがれました。でも、もう、折らせません!!」


 力強く、なのははドゥーエに笑みを浮かべて応えた。そしてなのはは床を蹴る。ハッチから空へと身を投げ出す。恐怖心は一瞬、懐かしい感覚に笑みすら浮かんでくる。
 風の抵抗が来る、浮いたのは一瞬。そして彼女は自重と重力に引かれて大地に落ちていく。なのはは風を感じるように両手を広げたまま告げる。


「レイジングハート! バリアジャケットは1から再構築するよ!! 今の私に相応しいバリアジャケットを!!」
『All right』


 なのはの声に応えるかのようにレイジングハートが応える。そして変化が現れた。
 なのはの全身を包み込むように光が走る。なのははその光の中で自分のイメージをレイジングハートに伝える。そう、全てをもう一度、1から始める為に。
 設定されていたバリアジャケットを一時設定から除外、バリアジャケット再構築開始。使用者のイメージを反映、設定構築……形成完了・展開開始。
 光を抜けて、なのはが空に再び現れる。なのはが纏っているバリアジャケットはUCATの装甲服に類似したものとなっていた。前開きしたスカートが風に舞い靡く。
 腰にはベルトが巻かれ、そこになのはが手にした概念刀「不破・雪花」が吊り下げられる。腕は刀を振るう事を考えてなのか軽装で、手のひらから肘までを覆う手袋のみ。
 なのはの流していた髪がツインテールに結ばれ、結ばれた髪がまた風を受けて靡いていく。
 なのはのブーツから光が溢れる。桃色の光が広がり、翼を形成する。それはなのはの飛行魔法。レイジングハートが自動展開で展開し、なのはに空を飛ぶ術を与える。あぁ、何もかもが懐かしい感覚。なのはは思わず頬を緩ませた。
 胸が疼く。形無き器官が悲鳴を上げているようだ。だが気にならない。この燻りが私の過ちを教えてくれる。ならば超えてゆこう。ならば抱えてゆこう。それが私なのだ、と。


「行こう、レイジングハート! 私たちの戦場へ!!」
『Yes!! all right my master!!』


 未だ本調子とは言えない。かつての輝きは未だそこには蘇らず。されど、不屈の翼がここに蘇る。


 



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 14
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 15:03
 UCATと軍との戦いは激化の一路を辿っていた。一度解散した全竜交渉部隊の面々の幾人かが次々と戦線に復帰したが、それに相対するように軍もまた主戦力を展開し、戦火は広がるばかりだ。
 倒れ行く局員達にジェイルは軽傷のものには治癒用の符を与え、重症の者を戦線から下げる、と駆け回っていた。時に軍の部隊や自動人形の足止めにも駆け回り、その額に粒のような汗を浮かべながら奮戦していた。


「早く下がりたまえ!! 死にたくなければ、ねっ!!」


 ヒュンッ、と風切り音が鳴り糸がしなる。一体、つり上げた自動人形をそのまま引っ張り軍の部隊を横倒しにしようとする。一度はドミノのように倒れるが、倒すだけでは意味が無い。息を吐く間もなくジェイルは指揮者のように激しく腕を振り、次々と糸で拘束。
 ふぅ、と吐き出す息には疲労と熱の色が濃く、ジェイルは鬱陶しげに紫色の髪をかき上げる。僅かに滲む汗が自分の疲労状況を教えてくる。やれやれだ、とジェイルは肩をすくめる。今まで自分が守っていた局員達も何とか状況を整えたようだ。ならば次へ向かおうか、とジェイルは駆け出す。
 ふと空を見上げる。黒の影が墜落する。それを見てジェイルは忌々しげに舌打ち。墜落したのはUCAT側の武神が一機「荒帝」だ。3rd-Gの概念核武装を有した全竜交渉部隊の戦力の1つ。だが、それを翻弄する白亜の機体が悠然と空に浮かんでいるのをジェイルは確認する。


「テュポーンかね!」


 かつては3rd-Gの概念核を納めていた武神ではあるが、3rd-Gとの全竜交渉で荒帝に敗北し、概念核を失われたが「軍」によって徴収されてしまった機体。まさに因縁対決、と言う所なのだろう。機体を含め、更に搭乗者達も含めて。
 己の知る「真実」。脳裏に過ぎるのは一人の男の顔。そして知った世界の真実。故に彼は知る。荒帝とテュポーン、それらを操る担い手達の因縁を。そして故に彼は待つ。この戦場を一転させる可能性を持つ者たちを。


「でなければ――意味が無いじゃないかっ!!」


 振るう。糸が舞い、捉え、縛り上げ転がす。テュポーンが急降下し、衝撃波をまき散らしながら向かってくる。それを迎え撃とうとしているのは――風見千里。10th-Gの概念核を納めた概念武装、G-Sp2を構えて衝撃波をかち割ろうとしているのだろう。
 まったく無茶をする。そう思うのも一瞬。急にテュポーンがその進路を変える。いや、変えさせたのだ。光の奔流がテュポーンを吹き飛ばし、UCATを囲む森へと叩き飛ばしたのだ。その光の放出先を見て、ジェイルは思わず吹き出さざるを得なかった。まるで空を飛ぶかのように手を水平に広げた武神が、一人の人間に掲げられるようにしてこちらに向かってくるのだから。


「くは、くははははっ!! やってくれる、いやはや、やってくれるじゃないか佐山!! 単車に武神を運ばせた!? そういえば、あれは確かヴァイオレット君かね!? ならばつまり重力制御か!? いやはや、いやはや笑わせてくれる!! 私は後10年はこれで戦えるぞ!!」


 愉快愉快、あぁ愉快だとも。まさにそう言わんばかりにジェイルは笑う。笑って、そして振るう。彼の感情の昂ぶりに合わせて糸が踊る。糸が舞う。糸が捉え、地に叩き伏せる。ここで武神の援軍は頼もしい、と。
 そう思ったジェイルの前に悲鳴が届く。おや? 悲鳴? と首を傾げれば…こちらに向かってくるヴァイオレットの姿がある。拳を握り、こちらに向かって突撃してくる。アスファルトを勢いよく抉りながら、だ。それに白も黒も皆、関係なく逃げ出す。


「うぉぉおおおいっ!?!? これは、少しマズイ、とぉっ!!」


 ジェイルは糸を伸ばす。伸ばす先は――荒帝。荒帝の一部に糸を巻き付け、勢いよく巻き上げる。巻き上げる。ぎゃりぎゃりとグローブから不快音が鳴っているが気にしている暇は無い。そのままジェイルが糸を引くままに空を飛び、その背後をヴァイオレットが通過していく。
 糸を調節し、速度を緩めて荒帝の上に立ちながらジェイルはほっ、と息を吐き出す。ふと視線を戻せば、平謝りしているヴァイオレットが見えた。武神がぺこぺこと謝っている姿は何ともユニークだ。
 かと思えば、今度は風見千里の泣き声と出雲覚の悲鳴が聞こえてきた。見ればバイクのタイヤに削られている出雲がいる。削っているのはもちろん風見だ。その傍らには佐山がいる。これでようやく全竜交渉部隊集結か、とジェイルは息を吐き出す。


「やれやれ…緊張も何も無い連中だね、本当に」
『人の上に乗っかりながら何言ってるんですか貴方は!? っていうか誰!?』
「おや、ヘタレの飛場竜司君じゃないかい。怪我はないか? これでも医者だが…あぁ、すまない。流石に天才と称される私でも君の頭の治療は無理だがな」
『うわー! 何だろう、初対面だけどこの人は絶対佐山さんと同種の人だーっ!』


 飛場の叫びにやかましい、と言わんばかりにジェイルは耳を塞ぎながら荒帝から降りる。ようやくそこで荒帝が起き上がろうと動き始める。既に周りは黒の軍勢に囲まれつつある。まだ状況は悪いまま、か、とジェイルは溜息を吐く。


「ドクター」


 そこに声をかけてきたのはチンクだ。やや煤けた頬やコートは戦闘の後だ。よく見れば所々血が付いていて怪我をしているのがわかる。


「チンク、ずいぶんと手強いのと遭遇したみたいだね?」
「えぇ。戸田の者に捕まりました。あれは私と相性が悪いです。二度と相手にしたくありません」


 ジェイルの問いかけにチンクがげんなりとした様子で返す。それはされておき、とチンクが告げる。周囲では黒の軍勢が襲いかかろうと気を貯めているようだ。先に動いたのは大型人形の二機。手に持ったバールを回し、こちらに振り下ろそうとしている。
 だが、チンクは怯まない。ジェイルもまた何かを察したかのように…口元をつり上げた。





 ――瞬間、桃色の閃光が戦場に轟音を奏でさせた。桃色の閃光は大型自動人形の両腕をバールごと破壊し、その余波で自動人形が轟音と共に崩れ落ちる。





「彼女が、間に合いました」


 チンクが、ジェイルが空を見上げる。いや、誰もが空を見上げた。白の軍勢も、黒の軍勢も、そう、誰もが空を見上げたのだ。空より放たれた光を放った者へと。
 空に浮かぶのは――一人の少女。金色の音叉のような頭を持つ杖を構え、ダクトの部分から残滓魔力と熱の排除を行う。その煙に紛れながら舞い降りて来た。
 白のUCATの装甲服と同デザインの衣を纏い、金の杖を紅の宝玉へと戻し、首下に揺らす。その代わりに両手に握るのは小太刀。


 ――高町なのは。


 誰がその名を呼んだ。ジェイルか、チンクか、それとも佐山か、あるいは…。
 いいや、誰でも良い。彼女は自らの名を呼ぶものに応えるように小太刀を掲げ。


「高町なのは、UCATの皆さんにご助力いたします!!」


 高らかに自らの意志を宣言するのであった。





    ●





 間に合った。それがまずなのはの思った事だ。そして次に思ったのはリンカーコアの調子。先ほど放った「ディバインバスター」は本来の出力よりも低出力だった。更にはチャージにも時間がかかっていた。まだリンカーコアが安定していない為だ。
 「ディバインバスター」ならあと2発…いや、1発が限度か、とリンカーコアの調子を確かめながらなのはは小太刀を握りしめる。誰もがなのはに視線を向けている。白と黒、どちらとも驚愕の感情を向けてなのはを見つめている。
 だが、その中で唯一、その表情を歓喜に歪める者たちがいた。


「高町君!! 来てくれたか!!」
「佐山さん」
「へっ、ナイスタイミングで現れるじゃねぇか。ていうか今の何よ?」
「出雲さん」


 なのはに声をかけてきたのはまず佐山。彼は表情に喜悦を浮かべてなのはを歓迎する。それに続いたのは出雲だ。鼻を擦るように親指を鼻に当て、なのはに疑問を問う。なのははたった1、2日だけ顔を合わせていなかっただけだが、何となく胸に来るものがある。
 そして…最後の一人。


「…なのはちゃん」
「…風見さん」
「…ありがと。助かったわ」
「…はいっ!!」


 あぁ、となのはは思う。風見を見て、出雲を見て、佐山を見て、確信したのだ。
 もう、大丈夫なんだ、と。私を含めて、皆、ここにいる皆、あの時は惑っていた私達は大丈夫だ、と。戦える、と。そして戦うべき戦場がここにある、と。


「…佐山さん。これからの予定は?」
「うむ。私はこれから新庄君の下に行くつもりだ。なにせ2日間も会っていないのだ。――まったく、そう考えれば軍の輩は無粋で極まりない」
「にゃはは、相変わらずで何よりです。…なら、佐山さんは行かせた方が良いですよね?」


 不破・雪花を構えながらなのはは佐山に言う。佐山はなのはの言葉に、うむ、と頷く。


「そうだね、この争いを終える為に…私は行かなければならない」
「なら、私は道を作ります。作らせてください。良いですか?」
「求めるべき事かね? まぁ私はこう言うがね。――助かる、とね」
「いえいえ、こっちこそですよ」


 なのはは不適に笑みを浮かべる。そのなのはに並ぶように立つのは出雲だ。彼は彼の固有武装である6thの概念核武装「V-Sw」を肩に担ぎながら佐山と、そして風見に視線を向けて告げる。


「なら、千里。お前も行けや。俺も露払いしてやる」
「え? わ、私が!?」
「おぅ、行ってこい」


 くしゃり、とV-Swを持っていない片手で風見の頭を撫でながら出雲が言う。その出雲に風見は軽く頬を赤らめた後、ふぅ、と息を大きく吸い、よしっ、と勢いよく声を張り上げ、佐山へと視線を向ける。


「佐山、行くわよ」
「うむ。新庄君が私を待っているのでね。早急かつ迅速に向かおうではないか!」


 佐山の言葉に風見は苦笑する。だが、これが佐山だ、と風見は思う。これで良い、これでようやく全竜交渉部隊だ、と。そこに至れるのだと風見は確信する。
 風見は軍との戦闘が起きる前、7th-Gの概念核を納めた「四老人」の一人、長男・一光との戦闘を経験していた。二度にわたる戦闘。だが、一度目の戦闘で風見は自らの解消しきれぬ疑問を抱えた心で挑み、相棒であるG-Sp2を大破させたばかりか、出雲に生死を彷徨わせる重傷をも負わせてしまった。
 風見には過去がない。正確に言えば概念戦争に関わる為の過去を持っていない。佐山の祖父、飛場の祖父、覚の家族、新庄の両親、原川の父親、ヒオの家族、皆がそれぞれが概念戦争に関わっていた。だが、風見はごく普通の一般人だったのだ。
 それがある切欠を持って、出雲と出会い、そしてG-Sp2に選ばれ、全竜交渉部隊に選抜された。だが、それは間違いだったのではないかと自身に疑問を覚え、そして諦めかけた。自分は相応しくないのだ、と。
 …理由を並べ立てる程までに、自分は弱かった。そう、それが全竜交渉部隊という力を得て、強くなったと勘違いしていたのだ。だからこそ、佐山の解散という言葉に怯えた。一人では何も出来なくなる、というのを本能的に知っていたからだ。
 その怯えが風見を敗北させた。そして風見に改めて見直させたのだ。そして彼女は答えを得たのだ。戦うべき理由を。どう在るべきか。その答えを。得た答えは、ただひたすらに己を果たしに行く事。己を果たさぬものが何を評価されるのか、と。そう、だからこそ自らの意志で、選び、行くのだ、と。
 そして風見は得に来た。全竜交渉部隊という枠組みを。そこにいる仲間達と、再び仲間へと至る為に。ただ自分を尽くし、そして果たす為に。そして今、自分は託されたのだと風見は心を震わせる。この馬鹿を新庄の下へ。そう、それが己の成すべき役目。


「佐山さん! 風見さん!」


 声がする。風見の弱さに気づいていたのだろう、そして佐山がそれを見切った事もわかっていたのだろう。誰よりも佐山の考えを、全竜交渉部隊に必要な者を知っていた少女が叫ぶ。
 なのはが、呼んでいる。笑みを浮かべ、いつの間に手に入れたのか、見たこともない概念刀を構えながら。


「――負けないでっ!! 負けませんからっ!!」


 それは、今、自らが手に握る相棒が一光に告げた言葉と同じ。もう、負けない、と。志同じくする者達が、「仲間」がここにいる。後悔しろと叩き付けてくる者たちが居ても、ただ諦めずに未来を信じて向かう者たちがいる。だから、応える。


「――当たり前よっ!!」


 応えたのは自分の声。だが、佐山だって同じでしょ? と風見は思う。そう、私達は負けない、もう二度と、と風見は唇を笑みの形へと変え――黒の壁を突っ切った。





    ●





 風見が行った。佐山と共に。
 見送る。故になのはは動いた。佐山と風見の動きを留めようとする者たちを抑える為に。
 脳裏に焦がれるような痛みが走る。だが、気にしない程度の痛み。だがなのはは疑問に思いながらも意識を戦闘のものへと組み替えていく。
 一歩、踏み出す。行った。風見が、佐山が吹き飛ばす壁。それを自分も崩す為に走った。


「行くよ…レイジングハートッ!!」
『All right』


 足に翼が広がる。駆ける。走り抜ける。早く、駆け抜け、追い抜く。風を、そしてなのはは迷い無く不破・雪花を振るう。不破は一切の破を許さない守護の剣。それを人へ振るい。雪花は人の希望を力と成す、故に武装へ。
 振るう。振るい、加速し、次の獲物へ、切り捨て、次へ。切る、切って、走り、跳び、切り、蹴り、殴り、加速。
 あぁっ、と声が漏れる。叫ぶ。喉を引き絞り叫ぶ。振るう。潰し、切り捨て、なぎ倒し、押し倒し、蹴り付ける。
 視界が段々と色を失っていく。動きが鈍くなっていくのを感じる。だがそれでも動く。奇妙な感覚を奇妙だと捉えても、それでもなのはは止まらない。


「道を、開けてっ!!」


 そう。行かなきゃいけない人達がいるんだ。だから邪魔はさせないと。だから退け、と。
 なのはは駆ける。色が抜けてきた世界の中で。奇妙に思いながらも足を止める訳にはいかないと半ば思考を止めて。
 その中でなのはは見た。執拗に佐山と風見を追う影を見た。行かせない、となのはは行った。風にスカートが、髪が靡く。それを気にせずになのはは加速し、そしてこちらに気づいた少女が舌打ちをする。


「邪魔を、」
「行かせ、」


 互いに呼吸を吸い。


「するなっ!!」
「ないっ!!」


 交錯した。二刀の小太刀が、一刀の刀が噛み合う。なのはの意識は佐山と風見へ、同じく少女も意識を向け合う。だが、互いに覚える感情は相反。少女は苛立ちを。なのはは安堵を。しかして、互いに判断するのは同時。


「「邪魔ッ!!」」


 弾き合う金属音。一歩引き、相手も引く。そして行く。向かう。一歩、踏みだし小太刀を振るう。切り上げる剣先に対し、切り下ろす刀が噛み合い、なのはが押さえつけるようにもう片方で挟み込む。互いに押し比べになり、奥歯を噛み締めた事によって不快の音を立てる。
 ぎゃりっ、と決して心地よい音ではない音が響き、なのはと少女の剣が線を幾多も宙に刻む。少女が咆吼を上げ、怒濤の連閃を繰り出す。対してなのはもその全ての連閃を小太刀で受け止めていく。
 甲高く、断続して響く金属音。互いに一歩も引かず、譲らず、なのはは少女と切り結ぶ。
しかし、段々と少女の顔が歪んでくる。疑惑、困惑、そして、驚愕へと。


「――まさかっ!! 貴様、不破かっ!?」
「っ!? っ、とっ!!」


 不破。その名になのはは一瞬動きを緩め、頬を刃が掠る。そのまま一歩引き、なのはは改めて少女と向き合う事となる。
 その少女の名は…戸田命刻。幾度無く全竜交渉部隊の前に姿を現した事がある軍の一員が一人。その戦闘力は軍の中でも群を抜いている実力者だ。
 その彼女はその表情に驚愕を浮かべながらなのはを見ている。まるで確かめるかのようになのはは顔を凝視され、眼を細めた。


「…菜乃花…?」
「……?」


 呟かれた名になのはは動きを止める。それは自分の名前だった。いや、だが、何かが違和感がある。何か、違う、と。


「…そんな筈があるか…アイツは死んだ…死んだんだ…!!」


 ギリッ、と。命刻は歯を噛み締めて呟いた。まるで噛み締めて何かを堪えるように。なのはには命刻が何に堪えているのかはわからない。だが、変わらない事実は1つだけ。この少女が敵だと言う事。


「…貴方が、私に誰を重ねてるかは知らない。だけど、ここから先へは通さないよ」
「…なら1つだけ問おう。…貴様は…御神か? それとも不破か?」  
「…御神でもあり、不破でもあるよ。そしてその因縁を断ち切る事を託された者だよ」
「…そうか。貴様の言う因縁が何のことだか知らないが…貴様もUCATに荷担するならばここで後悔すると良い。そして、私たちに負けて行け…!!」


 命刻が刀を構え直しながらなのはに告げる。後悔? となのはは首を傾げそうになるも、今は戦闘中だ。思考は最低限になのはもまた小太刀を構える。
 そして再び剣が振るわれる。剣閃が煌めき、弾き、切り結び合う。剣舞に終わる気配は見えない。





    ●





 戦場の熱は留まらない。しかし、状況はUCATにも傾いてきた。ジェイルは戦闘をチンクに任せ、負傷者の治療に回っていた。符はどこに入っているのか、と言わんばかりにジェイルの懐から飛び出し、軽傷者を回復させ、軽傷者に重傷人を運搬させていく。
 珠のように浮かぶ汗を拭い、チンク、と彼は叫び走り出す。チンクもそれに答え、ナイフをばらまいて爆発し、次の負傷者達の下へと向かう。


「行かせるかっ!!」


 そこに黒の軍勢が迫る。チンクが応戦し、ジェイルもまた糸を振るおうとする。だがしかし、数が多い。


「ちぃっ、眼を付けられたか!!」
「ドクター! これ以上は私だけではっ!!」


 ここまでか、とジェイルは舌打ちを零そうとした瞬間、風が駆け抜ける。それは黒の軍勢を擦り抜けるように走る。風が吹き抜けた後には倒れ伏す軍勢の数々。何が、と思ったのは一瞬。その風の正体を悟ったチンクが歓声を上げる。


「トーレッ!!」
「弱音とは、まだまだだなチンク」


 フッ、と不適な笑みを浮かべてチンクの横に立つのは、なのはと共に戦場へと赴いたトーレだ。彼女の両手には光の刃が展開され、それで敵を切り倒してきたらしい。彼女が来てくれれば頼もしい、とチンクは安堵する。
 ふと、ぐるりとジェイル達を囲むように黒の軍勢が迫る。ジェイルがやれやれ、と溜息を吐き、肩をぐるり、と回し、首を鳴らせる。


「私はこの戦いが終わったら休暇届を申請したいが…通ると思うかね?」
「無理でしょうね」
「えぇ。ですから、今出来る事をしましょう。ドクター」


 そうだね、とドクターが笑って返答を返すのと同時に、それは来た。
 奇妙な歌詞。しかもラップ。歌うのは一人の男。三人は思わず顔を見合わせる。そして…溜息。


「…いろんな意味で終わりましたね。なんか」
「楽になるから私としては構わないが…敵さんも不幸だね」
「…しかし相変わらず訳のわからない歌詞ですね」


 メンチェゲダー! とよくわからないシャウトの声が聞こえた。思わず三人は脱力しそうになる。無論、その歌手は注目を集めている。勿論注目と行っても珍奇なものに向ける好奇の視線だが。それに気づいているのか、気づいていないのか男は投げキスをしている。うぇ、とチンクが呟き、トーレが眼を閉じて口元を抑えた。


「…ドクター並の変人奇人が多いんだよなぁ…胃に悪い職場だ、本当」
「…まったくだ。それであれで2nd-G最強なのだと言うのだから性質の悪い」
「変人奇人なのは否定しないが、あれと私は別だ。私はもっと崇高なものだよ」


 ジェイルの弁明をトーレとチンクは華麗にスルーする。惚れ惚れする程の空気扱いだ。
 黒の軍勢から、誰だ貴様は、と問う声が聞こえる。それに答える男の名乗りはいまいちよくわからない。簡単に前フリというか、その後に結論来ていないだろうか? とトーレとチンクは頭を唸らせる。
 余裕そうに見えるが、実際、名乗りを上げている青年が注目を集めているので余裕だが。そして彼が「全・米・土・下・座! しかも全裸で!!」と大きな、そう、とても大きな声で名乗りを上げ、そして肝心の名を言おうとしたところで。


「…っレイパー!!」


 驚愕の名が来た。黒の軍勢の誰もが殺気だった。逆に白の軍勢には困惑が浮かんでいた。ジェイルは大爆笑。これに笑う以外の何をしろ、と言わんばかりに大声で笑っている。  その横では、おい、とチンクがトーレに声をかけている。なんだ、とトーレはどこか気怠そうに言う。


「……まさか、というか、遂に、犯罪者が出たな」
「なに…今更だ。…さて、ドクター。笑ってないで戦闘準備お願いします――ハーフタイムは終了ですから」


 そして、トーレは風となった。一陣の風は戦場を切り裂きながら駆け抜ける。それを追従するようにチンクがナイフを投擲し、戦闘が再開される。





[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 15
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/17 15:55
 なのはと命刻は刀を合わせる。互いの身を切り裂かんが為に振るう。刀と小太刀が交錯し、なのはと命刻の視線が絡み合う。互いの瞳に浮かべるのは打倒の意志。呼気が勢いよく吐き出され、甲高い金属音が奏でられる。
 命刻の心にあるのは苛立ち。今、ここで足止めされているという事。自分たちの悲願を叶える為の力になれない事。そして、相対する少女の幼さ。まだ10を数えて間もない年齢だろう。されどこの戦場に立つ。己の前に立っている。それが命刻にとっては苛立たしい。


「何も知らない子供がっ!!」
「何も知らなければ、ここには居ないっ!!」
「何も知らないからそこに居るのさ!! そして後悔する!! 世界の真相を知って!! お前達が信じてきたものが崩れるその瞬間に!!」
「さっきからっ!!」


 なのはが命刻の刀に小太刀を重ねる。ギギッ、と刃と刃が噛み合う音を奏でながらなのはは命刻に食らい付く。命刻が踏み止まり、なのはが押し切ろうとする。なのはの振るう雪花に埋め込まれた賢石が光を帯びる。
 雪花が写し取るのは希望。なのはの願いを汲み取り、雪花はその出力を上げていく。命刻が歯を噛み締め、僅かな呼気と共に声を上げて拮抗させる。なのはは命刻を睨み付けながら吼えた。


「後悔しろと、何も知らないと、上から目線で! 人を見下してっ!! そんなんじゃ伝えたい事も…伝わってこないよっ!!」
「何をっ!!」
「願いがあるんでしょう!? その願いを、歪めているのは、叶えさせようとしていないのは貴方自身じゃないのっ!? 他人に願って、他人に頼って、自分で納得させようともしていないっ!! そんな人の言葉が届く訳がないっ!!」
「っ!?」


 命刻の刃が一瞬ブレる。その隙をなのはは見逃さない。足に桃色の翼が羽ばたきを帯びる。命刻の刃を二本の小太刀で押さえつけるように地に下ろさせる。そして足を上げ、レイジングハートに意志を送る。
 プライヤーフィンは本来、飛翔用の魔法だ。だが、このように使う事も出来る、となのははプライヤーフィンで蹴りを加速させた。無理な体勢から放つ蹴りで本来ならば威力は出ない。だがプライヤーフィンの加速によって命刻の顔面になのはの蹴りが炸裂する。


「がっ!?」
「貴方達が何も知らないと私たちに言うなら、そしてそれを知るべきだ、と思っているなら、こんな方法じゃなくて、もっと別の方法があったんじゃないのっ!? 人にされて嫌な事は人にしちゃいけないんだよっ!!」
「っ! ならば問おうっ!! ある日突然、理不尽に全てを奪われた!! その奪った相手にお前は何を思うっ!! 憎いだろう!! 全てを奪ったんだ!! そう、全てを!! そんな相手に、優しく声をかける事は出来るか!? 出来ないだろう!? なら、それが答えだっ!!」


 命刻は体勢を立て直し、自らも拳を振るってなのはを殴りつける。命刻の拳を受けてなのはが後ろへと下がる。口の端を切ったのか、血がなのはの口から零れていく。なのはは口に入った血をペッ、と唾液と共に吐き出しながら命刻を睨む。
 そしてなのはが何かを告げようとした瞬間だった。男の声が戦場に響き渡る。その声は「軍」の長、そして9th-Gの元大将軍と名乗る。命刻がなのはを睨みながら告げる。


「知れ…! お前達が私たちに与えた痛みを! 10年前に忘れた私達の痛みを!!」





    ●





 ハジの言葉の始まりは、世界の答え合わせをしよう、という台詞から始まった。
 そしてハジは語った。この世界の「真実」を。それを前提として話を始めよう、と。
 ハジが皆に示したのは世界創造のシミュレートだった。なのはも一度見たことがある。あれは確か、全竜交渉部隊が解散する前、鹿島という技術課の人に説明されたものと全く同じものだ。
 概念は元々混沌の状態にあり、今の状態を維持してはいなかった。全ての概念の母体とも言える母因子。その中に納められていた10の概念。それが1stから10thのGを産む要因になった、と。
 母因子である母体概念が飽和爆発し、10の概念核はそのまま離れていこうとした。しかしそれを引き留めるものがあった。それが10のG が外に飛び出した際に発生した反発力を持って生まれたLow-Gなのだと。これが今の概念創造の主論だ、と。
 だがこれにはまだ謎があるのだ。プラスの概念が世界を作るのはまだ良い。だが、何故マイナスの世界、つまり今のLow-Gが出来たのか? それは闇の中であった。
 しかし…今、ハジによって世界の真実が明らかにされた。なのはは、それをただ黙って聞いていた。
 Top-G。母体概念が崩壊した際、その全てのカケラを集め、進化させ新たな姿を得た、全てのGの特性を秘めた最高のG。それがTop-Gなのだ、と。そしてそれに応じるかのようにマイナスの力が発生する。それはTop-Gと隣り合うように発生する世界、それこそ――Low-G。
 つまり…Top-Gが生まれ、その反発力として、それに相反するものとして、全てを間逆にして移した世界こそが……この、Low-Gなのだと。そしてLow-Gが発生した事により、概念戦争の発端となった世界の崩壊時刻が生まれ、概念戦争が始まった。

 ハジは更に告げる。自分たち、「軍」の正体を。それは…Top-Gにおいての「UCAT」。つまり、真のUCATだと言う。そして…Top-GはLow-Gによって破壊された、と。
 10年前に起きた関東大震災がその影響なのだと彼は告げる。その戦闘の際にTop-Gは破壊された。
 故に彼は告げるのだ。眼前に立つ佐山御言の本物――戸田命刻や、テュポーンを駆り、飛場竜司と相対する彼の本物――長田竜美。サンダーフェロウと相対しているヒオ・サンダーソンの本物――アレックス。そして…田宮詩乃。彼らこそがこの世界を継ぐべきだと。導いていくべきだと。

 そして大阪での、関東大震災の原因となった戦いの発端が語られる。
 元々、Top-GとLow-Gは条約を交わしていたのだ。世界崩壊時刻まで決着を待つ、と。その契約を結んだものこそ、佐山の祖父である佐山薫その人であった事。
 Low-Gが未熟であった時代、Top-Gの人間がマイナス概念の漏出を恐れて、それを破壊出来る為の保険である格納私設としての「バベル」を作り上げた。そして長い間、忘れられた「バベル」尊秋田学院の広大な書庫を作り上げた衣笠天恭によって発見された。そして…全てが始まった。
 そしていつかなのはが聞いた始まりへと、概念戦争へと至るのだとなのはは理解した。

 そしてまだ真実の暴露は終わらない。
 Top-Gは決戦後、Low-Gを併合させる為にマイナス概念をある人物に作らせようとした、と。だが、その人物によって未完成のマイナス概念が暴走させられた。そしてそれが関東大震災へと至った。
 そしてその人物こそ――新庄由起緒。そして新庄は彼女と、Top-Gにいる本物、新庄由起雄と結ばれ、その際に生まれた子供が…新庄運切。。故に新庄は男性と女性の身体を持つのだと言う。時間によって入れ替わるその肉体を。
 そして新庄の母親である由起緒はTop-Gに亡命した。Top-GにLow-Gの併合の為の場所を与えようとしていたのだ、と。だが、Top-Gはその未完成のマイナス概念によって消滅した。そして活性化したマイナス概念を押さえ込む為にプラス概念を解放しようとしている。
 だが、それでは駄目だとハジは言う。そうすれば全てのマイナス概念もまた共鳴反発するのだ、と。そしてTop-GのようにLow-Gもまた消滅するだろう、とも。軍は逆にプラス概念を全て消す事によって対応するマイナス概念を対消滅させようとしている、と。


『どうたLow-G! 貴様等の罪が解ったか? 貴様等は母たるTop-Gの偽物であるばかりか他のGを滅ぼし、更には母たる、自分たちの”本物”であるTop-Gを滅ぼし、その上――、自分たちの世界に大震災を起こした!!』


 ハジの叫びが響き渡る。感情に声を震わせ、訴えかけるように彼は告げる。


『全G居留地の者よ、今までLow-Gが隠していた真実が聞こえるか? 貴様等が自分のGの概念を預けるべきGは他にあったのだ! そのGでは全Gの人々がマイナスの苦痛なく住める筈だった。しかし偽物共は自分達の命欲しさに自ら決めた条約を破り、もう一人の自分達を滅ぼし、なおかつ自分達のGに被害を与えながら……――それを隠した!!
 全竜交渉とは何だ!? 自分たちの本当の罪を隠したまま、全Gと交渉して事後承諾を得る交渉ではないのか!? マイナス概念の活性化も何もかも、十年前にTop-Gが滅びてバランスが崩れたからに過ぎない! それをLow-Gは明かすことなく、自分達を概念戦争の勝者として交渉しているのだ! 無知な馬鹿共を交渉役にしてな!!』


 ハジの叫びに黒の軍勢達が答える。Low-Gの罪を責め、滅ぼし、そして残されたTop-Gの子達に全てを託せ、と。
 解ってください、と軍の一員であり、Top-Gの遺児が一人、田宮詩乃は願う。彼女の持つ意思疎通の賢石が光を放つ。
 黒の軍勢が走る。あの世界は素晴らしかった、芳醇だった、そして信じていた。あの世界が全てを統べ、概念など気にせず平和に暮らす事が出来ると信じていたんだ、と。
 だから、滅びろ。滅びてくれ、と彼らは叫ぶ。戦場が一気に黒が盛り返した。黒が進撃する。黒は進む。滅びをもたらす為に。
 なのはは…俯いていた。その俯くなのはに命刻は眉を寄せ、刀を下げながら見据える。


「…わかっただろう? 理不尽に全てが奪われ、壊れていくその痛みを…!」


 訴えかけるように命刻はなのはに言う。なのはは俯いたまま、何も言わない。
 そして……――。




「――ふざけないでくださいっっっ!!!!」





 その叫びが戦場を支配した。白の軍勢も、黒の軍勢も、誰もが彼女に眼を奪われた。眼前に居た命刻もまた、驚きに眼を見開く。息を荒らげながら彼女は命刻を睨む。


「認めるよ。それは罪だ。絶対、謝って、償って、そしてちゃんと罰を受けなきゃいけないものだって! でも、それでも巫山戯ないで!! こんな伝え方で、こんな遣り方でっ! 貴方は満足ですか!?」
「なっ…」
「私は知らない。60年前、そして10年前、その人達がどんな思いを持って戦争をしていたのかなんてわからない! どんな思いを持って戦争をしていたのかなんて解る事はない!! だけど、わかる為の全竜交渉があった!! その為の全竜交渉部隊があった!! そして…あなたたち、軍が居た!! 私は…その全てを悪いとは思わない!!」
「…どういう意味だっ!? 滅びを、滅ぼされる事を肯定するのか!?」
「うるさい、本物!! 偽物、最低、劣化物と私たちを見下し、上から目線で押しつけられて誰が、はいそうですか、なんて従える!? あぁ、確かに私たちは何も知らない。自分達が偽物だと言う事も、因縁も、罪も、何もかも知らなかった!! だから知る為に抗ってきた!! そして…これからも抗っていくよ!! 私は世界を救ってくれるならUCATだろうが軍だろうが、どっちだって良い!! だけど…軍…貴方は、私を怒らせたっ!!!!」


 響く、その声は高らかに響く。戦場に、そして遠く彼方の、そう、UCAT本部にまで。仕掛け人は…ジェイルだ。彼は賢石を発動させる。この為に事前に用意していた賢石。込められた概念は、声は通ずる、と。届け、とジェイルは笑う。彼女の声を届けろよ、と。


「生まれた事を後悔しろと言うのなら、巫山戯るなと私は叩き返すよ。そうじゃなきゃ私たちは罪の重さに潰されてしまう。それが自然で、正しくて、そうするべきなのだとしても認めて良い物じゃない!! 滅ぶべき!? なら滅ぼして良いよ、それでも私は抗って見せるよ!! それでも私には――守りたい世界があるんだ!!」


 叫ぶ、なのはは叫ぶ。脳裏に多くの人達を移しながら。


「私には私の帰りを待ってくれている家族がいる!! 私が愛してるのは、この世界なんだ!! その世界を否定するのなら、私だって否定してするよ!! 偽物? 本物? だからどうだって言うのさっ!! 生きたいという意志に偽物も本物も無いよっ!!」
『…吼えてくれるね。君は…何者かね?』


 通信からハジの声が聞こえる。なのははハッ、と鼻で笑ってハジに返答を返す。


「高町なのはだよ、ハジさん。第一印象で私に大嫌いって言われる人は初めてだよ?」
『それは結構。…しかし、君がそう言うなら私もこう返そう。その全てを奪ったのは君たちLow-Gなのだよっ!! 私たちだけじゃない、他の全Gの者たちだってそうだ。君たちに! 世界を奪われたのだ! 君のように愛おしく思う世界を!! なら私たちにも復讐を行う正当な権利があるだろう? そしてそのように略奪を繰り返し、真実に蓋をしたLow-Gに世界を任せる事など出来るものかっ!!』
「なら、壊せば良いよ」
『…何?』
「まだるっこしいなぁ、全部壊せば良いじゃない! 憎いんでしょう!? …聞こえる!? 聞こえてるよね!! なら私は言うよっ!! 私は…Low-Gの罪を肯定する!! Low-Gがあって良かったって!! 今、私は生きてて良かったって言うよっ!! 滅ぼしてごめんなさい、だけどそれでも私は生きたかった!! 謝るけど、私はそれ以上の事は出来ない!! だから……私は、高町なのはは言うよっ!! Low-Gに住まう者として…私はLow-Gの存在を肯定し、その世界の復讐の権利を正当に認めるよ!!」


 一瞬にして戦場がざわめいた。黒も白も、誰もが困惑の色を見せた。ハジでさえ、驚きに眼を見開かせている。


「その上で告げるよ!! それでも、私はこの世界を守る!! この世界を滅ぼさせやしないっ!! その復讐はやらせない、と!!」
『何を、何を君は言っているのかね? 子供の戯れ言はそこまでにしていただこうか?』
「わからない? なら言うよ。憎しみも、悲しみも、全部私が受け止めるよ!! そして、その上でその憎しみも、悲しみも撃ち抜いてやるっ!! 私はLow-Gの為に戦うよ。他のGの人達の思いを踏みにじってでもこの世界を守る!! だから復讐すれば良い…!! その上で全てを私は叩き潰すよっ!!!!」


 なのはの叫びに真っ先に動いた者がいた。――命刻だ。明らかな怒りを顕わにして彼女は刀を振るう。なのはの小太刀が命刻の刀と噛み合う。


「――巫山戯るな」


 なのはは命刻との剣舞を続ける。そして、命刻は吼える。


「巫山戯るなぁぁあっっ!! 何だ、何だその理不尽は!! 結局、お前は無かった事にするというのか!! そうしてまで、そうしてまでこの世界が大事かっ!! 私たちが失ったものだっ!! あぁ、大事だろうさ!! だから踏みにじるというのか!! 私の、私たちの思いをっっ!!」
「そうだよ。憎い? だったら、殺してみなよっ!! 私はLow-Gの命も、未来も全部背負ってやるっ!! そして守るんだ!! ごめんね、世界を滅ぼして!! それでも私は生きるからっ!! 全部踏み台にして、それでも生き抜いて行くからっ!! だから、だから来なよっ!! 復讐する相手がいるよ? 貴方達の涙を私は笑って踏みにじるよ。私たちの為に滅びてくれて、ありがとうってねぇっ!!!!」
「――貴様ァァァアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!」


 命刻の刀に激情が乗る。なのはに向けて熾烈な剣撃が放たれる。なのははそれを危なげに切り払っていく。命刻の叫びに同調するように黒の軍勢が声を上げた。誰もが怒りを顕わにしていた。誰もが涙を流していた。誰もが憎しみに染まっていた。


「子供だからって許されないぞ…!」
「踏みにじるだって? 俺たちの思いをなんだと思ってやがる…!!」


 黒の軍勢から声が上がる。だが、それに答えるなのはは嗤う。見下すような冷笑だ。鼻で笑うかのようになのはは黒の軍勢を見回す。


「滅ぼされる方が悪いんだよ? 負けたら全部失っちゃう。当たり前の事でしょう?」


 誰もが沈黙した。誰もが絶句した。そして…黒が爆発するかのように声を挙げた。巫山戯るな、あぁ、巫山戯るなと。その開き直りの理論に誰もが激昂した。
 黒が走り出す。黒が駆け出す。ただ一人、ただ一人の少女にその全ての怨みと憎しみ、憤りを与えようとする。なのははそれをただ静かに見つめる。レイジングハート、と呼びかける。それに答えるようにレイジングハートも光を放つ。


「行こう。―――私を徹しに。ここが、私の戦場だよ」





    ●





 なのはの叫びに動いたのは黒の軍勢。そして、白は動けない。疑問と困惑が彼等の力を奪う。本当に自分たちが為している事は正しいのか? どうしてあの少女はそこまでこの罪だらけの世界を愛していけるのか? どうしてあのように全てを受け止めるだなんて言えるのだろうか?
 そんな中で、深い地下の中に小さな声が生まれた。それは本当に小さな声。だがそれでいて願うような声で。請うかのような声で。


「止めて…! 誰か止めて…!! 違うっ、違うんだよっ!! なのはちゃんは本当はそんな事を言う子じゃないんだよっ!!」


 新庄だ。彼女は体を震わせながら、涙と共に声を上げる。


「本当は凄く優しい子なんだよっ! 誰かの為に泣いて、誰かの為に本気で怒れる子なんだ!! だから本当はそんな酷い事は言わない!!」


 新庄は叫ぶ。高町なのはと触れ合った時間は短い。されど、その中で彼女がどんな人間なのか知っている。彼女は誰かの為に自分を押し殺せる人間だ。そして、今もまた自分を押し殺している。本当はきっと泣きたいと思っているに違いない。
 だけど、泣いて謝ったって許されるものじゃない。差し出せるのは、本当に大事な世界だけ。だから彼女は押し殺す。全てを押し殺して、悪ぶって、全てを受け止めようとしている。そんなの、絶対に無理なのに。
 世界の罪を一人で背負おうとしている。だから新庄は叫ぶ。こんなのは間違っていると、こんなのは正しい在り方じゃないと。本当は優しい筈のあの子が、悪役になろうとしている。あぁ、それは奇しくも彼女の傍らにいる人と同じ在り方だ。
 でも、その悪の在り方は違う。同じベクトルに向いているけれど、違う。あれは正しい悪じゃない。悪を叩き潰す悪じゃない。純粋な悪だ。滅ぼされるべき悪だ。人を蔑み、踏みにじる悪魔そのものだ。


「どうしてっ!? どうして彼女がそんな悲しみを背負わなきゃいけないの!? どうして彼女がそんな憎しみを背負わなきゃいけないのっ!? そんなの、間違ってる、間違ってるよっ!! どうして…っ!! どうしてだよっ!!」


 悪が悪であらなきゃいけない。悪にならなくて良い筈の少女がただ悪となる。人の思いを踏みにじる。きっとそれは本心じゃない筈なのに、そう振る舞って、世界に抗おうとしている。だけどそんなの叶えられる筈が無い―――。


『…ディバイン』


 だが、その新庄の言葉は…。


『バスタァーーーーーッッッ!!!!』


 桜色の砲撃と共に打ち消された。黒の軍勢を吹き飛ばす桜色の砲撃。それによって倒れ付す黒の軍勢。起き上がる気配が無い。一瞬にして何十人、いや何百人の人間が吹き飛ばされた。
 なのはの手にはいつの間にか、あの黄金の杖が握られている。ダクトから排熱を行うように煙りを吐き出し、その煙を踏み越えながらなのはは踏みにじる。軍の思いを、滅ぼされた者達の思いを。圧倒的な暴力という力で。
 おぉ、と声があがる。悪魔を打倒せんと黒の軍勢が勇猛に立ち向かっていく。それを迎え撃つのは無慈悲を装う慈悲深き悪魔。その心を押し隠し、全てを呑み込み、喰らわんとする悪魔。自らの涙も、誰かの涙も全て呑み込み、受け入れようとし、そして全てを破壊していく悪魔。


「…止めて…」


 祈るように。


「誰か…」


 新庄の声が。


「あの子を止めてぇっ!!」


 高く響いた。





『――UCATの諸君に告げる』





 ――そしてその祈りは叶えられる。


『――今こそ言おう。……佐山の姓は悪役を任ずると!!』


 彼が、来た。新庄は顔を上げる。涙が浮かんだ瞳、その瞳のままくしゃり、と顔を歪めて。


「佐山君…っ!!」





    ●





「佐山っ!!」


 ゆっくりと立ち上がり、通信機に声を向けている佐山に風見は声をかける。
 先ほどまでの状況は最悪だった。ハジに明かされた過去の中の1つに、佐山の母親に関する情報があったのだ。
 佐山は母親に心中を図られた記憶がある。それ故に母親に対してずっと憤りの無い感情を抱いていたのだ。――しかし、それは真実では無かった。彼の母親は「軍」の過激派によって殺され、彼女は佐山を護って死んだのだ、と。
 佐山は自分の両親、祖父に関する事を聞くとストレス性の狭心症に襲われる病を患っている。故に、それは強烈だった。立っていられぬ程の激痛が佐山を襲い、佐山の足を止めた。ただ音だけが佐山に知覚出来る全てだった。
 そして佐山は聞いた。高町なのはの叫びを。新庄運切の祈りを。


(――私は…何をしている?)


 新庄君が泣いている。それだけでも起き上がらなくてはいけない理由だ。そして、新庄君は何故泣いている? 高町なのはの所為だ。高町なのはは何と言った? 全てを受け止める? 全ての感情を受け止める? 自らで全ての罪を背負う?


(――偽善のつもりかね? あぁ、あぁ、自らを犠牲にして全てを救おうとでも言うのかね高町君!! それを悪だと任じ、突き進むつもりかね!! 君は優しく、それは正しいだろう!! だが、その方法は頂けないっ!!)


 過つ正義には、正しき悪を以てして応え、そして消えてゆく。もしくは後に託す。それは未来へと繋ぐ為の犠牲。必要悪。消え去るべき悪。消される為に存在する悪。
 まだ心臓の痛みは消えない。佐山の体を絞るような痛みが胸から広がっていく。そう、それは佐山の体を軋ませ、佐山の足を止めさせる。だが、ここで止まる訳にはいかない。その悪役は…自らが潰すべき悪だ。そう、この戦場で何よりも佐山の理念、悪役となり、悪をそれを上回る悪で潰すというのは佐山の在り方。
 ならば、と佐山は床に手を突く、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、通信機を手に取った。そして、彼は告げる。自らは悪役を任ずると。


「――六十年と十年の時間を経て、本当の交渉をここで行おう」


 その声を、誰もが聞いていた。


「いいか! 諸君! 攻勢に転じよ! 弾倉と刃に抗いの声を、防具に憤りの声を詰めろ。それら意思表示として交渉を行うのが今宵一晩のやり方だ。――そしてよく聞け諸君!」


 今まで、全てを導いてきた悪役の宣誓を。


「――Ahead! Ahead! Go Aheadだっ!! 過去をもって死ねという連中の襟首を掴み、今生きていることを知らせてやる打撃を入れてやれ!」


 彼は叫ぶ。自らの役が任ずるがままに。


「全竜交渉部隊代表、佐山御言はその権利をもって宣言する。ここに全竜交渉のことごとくを改めて開始すると。我々は如何なる力にも屈しないと。我々は間違い、しかし正しくなっていくと。そして我々は――、生き恥を曝そうとも最後まで全てを果たすと!!」


 そして、と彼は息を吸う。軋む胸を押さえ、声を引き絞るかのように声を挙げる。


「一人で全ての罪を背負い、一人で全ての感情を背負い、一人満足しようとしている馬鹿者の肩を掴み、こちらに引き込めっ!! その小さな体に全てを背負い傷付こうとしている少女と肩を並べ、その道を塞ぎ、叱りつけてやれっ!! あまり――我等を舐めるな、と!! そして死なせるな!! 本来の任を外れた馬鹿者に本来の任を与えてやれっ!! 彼女を世界の礎にするのには対価が安すぎると教えてやれっ!!」


 なのはが小太刀を振るい、黒の軍勢を切り倒しながらもその声を聞いた。


「――では命令だ。総員、私が交渉を終えるまで生き延びろ。そして高町なのはを死なせるな。少なくとも私よりも生き延び、死なせるな。何故なら私は死なないからだ。その上で私は命令する。
 ――かつて神はこう言った。相手に施されたならばそれを相手にもしなさい、と。だから――死ねと望んでいる奴らにはそれを返してやれ!! その代わり殺すな。死なすつもりで生かしてやれ。何故ならばその慈悲も保存法則に従い敵が返してくれるからだ!! いいな? 徹底的に生かし尽くせ!!
 ――そして、自らの分を弁えないガキに自らの役目を思い出させろっ!! 良く出来た子供には褒美を、悪い子供には躾けだ!! 死んでも良いと、罪を全て背負ってやるだと言う虚け者の頭を叩き、教えてやれ! そして理解を示したなら褒美をくれてやれっ!! 彼女への報酬は――我等の護りたい世界と同義だっ!!」


 そして、一息。


「…返事はどうした?」





『――Tes.』





 それは、まるで水滴が波紋を広げるように…。


『――Tes.!!』


 大きなうねりを呼び覚まし、大波となって高らかに響き渡る。唱和する。白の軍勢が震えていた体に喝を入れて立ち上がる。応、Tes.と応答の声を叫び、自らの手に武器を取る。
 答えは返る。聖なる誓いが幾多にも響き渡る。我は誓う。我は契約しよう、と。悪役は我等に任じた。悪役に連なる我等は――完遂する事がまた、望みに繋がると知っているからこそ。


「そうだ…!」
「死なせるな…!」
「大人がへばってちゃ格好悪いよなっ!!」


 彼等の痛みは、酷く重く、痛い。背負うのも辛い。全てを投げ出したくなってしまう程に辛い。
 だが、それでもそれを背負おうとする少女の姿を見た。その心を押し隠し、その小さな体で全てを受け止めようとしていた。
 痛みを受けたものも、その痛みを受け止めようとする少女も――死ぬべきではない。報いなければならない。全てに報いる事が出来ずとも、それでも我等は報いなければいけないと。
 白の軍勢が奮起する。そして――神は彼等を見捨てなかった。
 援軍。援軍が来たのだ。かつて5th-Gの交渉ではヒオ・サンダーソンの駆るサンダーフェロウの利権をかけて争った、悪臭の異名を取る米国UCATのオドー。その補佐に付いているロジャー。そしてそれに並ぶように立つのは、かつて佐山達と1st-Gの概念核を巡って争った1st-Gの魔女、ブレンヒルト。更に10年前の関東大震災、その際に活躍した独逸UCATの魔女、ディアナが並ぶ。
 その後ろには米国UCATの所属を表す装甲服を纏った兵達が向かってきている。おぉ、と白の軍勢は歓喜の声を挙げる。まだ戦える、と。まだ諦める訳にはいかない、と。


『――何が契約<テスタメント>だっ!!』


 だが、それに応える声も勿論存在する。ハジだ。彼もまた叫ぶ。佐山の宣誓に抗うように。
 いくら言葉を重ねた所で罪は無くならない。滅ぼしたものは還らない。だからこそ、ハジは悪役に対して叫んだ。――過去の弾劾の正義を吠えると。


『我等を死なせない? 生かす? 生かすだと!? 生かすとは馬鹿げた話だ! ――その自惚れが六十年前も十年前も滅びを読んだのだろうが!! 貴様等は正義の照れ隠しに悪を謳うだけだ。だがその正義は偽善でもなく、――単なる誤魔化しと自惚れだぞ偽物の世界よっ!!』


 黒の軍勢がその勢いを盛り返す。白と拮抗する。互いに譲れぬものをかけて。


『――よく考えろ。偽物、偽物、偽物、世界を歩く全て、世界を動かす全て、そして世界そのものまでも偽物ならば聖なる言葉も誠意も偽物だ! 全天と全地、大空と大地、深淵と海原も風も光も何もかもが否定を求めている世界だぞここは!!
 ――しかし聞け。もはや思いの宿る場所はここしかない。そしてここの住人は幾つもの罪を犯している。――その七つの罪状分を聞かせてやろう!!
 ――Low-Gの罪を聞くがいい。それは第1に崩壊時刻の発端となったこと! 第二に十のGの破壊という隣人殺し! そして第三にTop-Gの破壊という親殺し! 第四にはもう一人の自分達の殺害を行い、第五には己の世界に災害を起こした自傷だ! 第六にはそれらを隠蔽した誤魔化しに――、最後の第七には罪を隠して世界を麾下に収めようとした罪がある!
 ――叫べ皆よ創世を開くため、七つの罪に対して判決の喇叭を鳴らせ!!』


 ハジの応えるように、黒の軍勢が声を挙げる。


「……Judgment!!」


 聖罰、聖罰、と彼等は叫ぶ。七つの罪に対して七つの応答を響かせて彼等は吠える。





『――必要の無きものは世界に生まれる必要もありませんわ』





 ふと、その声は響いた。ハジは振り向く。声は近い、と。そして居た。新庄を護るかのようにいつの間にかそこに立っていた装甲服を身に纏った女性。緑色の髪を流し、笑みを浮かべながら。


「必要の無いものならば、生まれる筈はありません。されど生まれた事が罪だと言うのならばここで消えるのも道理。――されど預言いたしましょう。UCATは負けません。偽物が必ずしも、本物に負けるとは確定されては居ないのですから」
「――何者だ!!」
「ドゥーエ、と申します。でも、その名にさして意味はありませんわ。強いて言うならば私は―――嘘つきですから」


・――嘘から出た真実。


 概念の条文が追加される。自らの顔をさするように女性は手を振るう。その間にも女性は変化する。その骨格が、その顔が、その髪が、全てが一瞬にして変わっていく。新庄が目を見開く。ハジもまた目を見開く。そして…そこに立っていたのは――佐山御言。


「――さて、本物が来るまで暫し付き合って貰おう。大将軍殿? あぁ、しかし。「佐山御言」? 別に倒してしまっても構わないだろう? 早く来なければ、新庄君は私が護らせていただくよ?」


 そうしてドゥーエは、いや、「佐山御言」はハジへと向かって駆け出した。





    ●





 なのはは聞いていた。彼等の叫びを。彼等の思いを。胸が熱く滾る。あぁ、ここはこんなにも思いに満ちている戦場だ。そこに私は立っている。


「おい、なのはよ」


 V-Swを肩に担いだ出雲がなのはの横に並ぶ。2人の周りには黒の軍勢が集まっている。それを見回すように見ながら、出雲はくしゃり、となのはの頭に手を置いて、なのはの頭をなで回す。


「子供は格好良い大人の活躍見て、それに見惚れてろ」


 ニッ、と笑みを浮かべて出雲が前に出る。V-Swが光を放ち、黒の軍勢へと光を叩き付けていく。ふと、なのはは上空に気配を感じた。テュポーン、そしてアレックスだ。2つの巨体はなのはを押しつぶそうと直進してくる。
 だが、それを押しとどめるのは――荒帝とサンダーフェロウだ。テュポーンと組み合うように荒帝が森へと落下し、軌道を逸らす。サンダーフェロウがアレックスに対して突進をしかけ、またも軌道を逸らす。


『やらせませんよっ!!』
『彼女には指一本触れさせませんの!!』


 飛場とヒオの声が届く。はは、となのはは声を漏らす。ふと、なのはは背後に気配を感じて振り向く。そこにはジェイルがいる。その傍らに付きそうようにチンクとトーレが並ぶ。なのははジェイルが自分が気になっていた「ドクター」なのだろう、と推測し、怪しげな視線を向ける。それにジェイルが返すのは不敵な笑みだ。


「快い戦場だと思わないかね、高町なのは」
「……そうですね」
「君は、自らの答えを持っているかい?」


 えぇ、とジェイルの問いかけになのはは頷く。その両手には不破・雪花が握られ、なのはは不敵な笑みを浮かべる。


「…思ってくれるのは嬉しい。ですけど…私はそれでも、全ての罪を、思いを喰らいに行きますっ!!」


 そして、悪魔も再び戦場へと向かい、その力を振るう。小太刀を振るい、舞うかのように彼女は戯れる。なのはを見送ったジェイルとトーレ、チンクも再び戦場へと向かう。
 悪魔は竜と戯れる。UCATと軍、偽物と本物、その争いは――最終局面へと向かっていた。




[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 16
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/17 20:34
「――どけぇぇええええええええええええええええっっっ!!!!」


 UCAT内の廊下を神速のごとく、勢い良く駆け抜けていく影がある。その影とは――佐山御言だ。
 彼の顔はまるで鬼のような形相を浮かべ、眼を合わせた者全てに畏怖を与える。黒の軍勢もその彼の形相に萎縮し、思わず道を譲る。
 その後、なんとか意識を取り戻したかのように銃で狙おうとするも、佐山の後を追うように続く風見によって撃墜される。


「ちょっ、佐山! こら、先走り過ぎ…って聞こえてないわよね、絶対っ!!」


 あぁもうっ、と風見は速度を上げる。佐山があの状態になったのは――自分の「偽物」が新庄を守っているという事実。
 断じて許しておけん、おのれ偽物、肖像権の侵害で訴えてやる、だの何だの呟いたかと思えば、現在のあの状況だ。
 にしても早い。風見は背にある概念武装「X-Wi」を用いて加速する。光を吸収し、力と変える風見の武装。それを使っても追いかけているというのはどういう事なんだ、と。
 概念だとか、いろいろな事象を自ら覆している馬鹿な後輩に呆れ返る。ふと、脳裏に今日のテレビ、録画予約してないや、と。
 だがこの状況ではメールは送れないだろう。諦めるか、と溜息。


「…いや、諦めたら、そこで終わりだよね」


 だったら終わらせよう。テレビが始まるその前に。くすっ、と小さく笑みを浮かべて風見は飛ぶ。そのスピードを上げて佐山の元へと追いつく。
 佐山はただ真っ直ぐに前を見据えて走っている。そこにしか目的がないと言わんばかりに。良い事じゃない、と風見は頬をつり上げる。
 私たちは確かに軍の、ハジの言う通り何も知らない無知な馬鹿なのかもしれない。だから間違えて、その悔しさを知る。時にはそれに押しつぶされそうにもなる。
 だけど、それでも私たちはそれを背負っていかなければ生きていけない。だから強くなる。強くなっていく。
 時に一人で、時には仲間と共に。頼る事の大切さを、頼られる事の尊さを身を改めて知っている私たちだからこそ。


「佐山」
「――何かね。今は言葉を吐く為の呼吸も惜しい」
「勝てるわよね?」
「何を当たり前の事を」


 くだらん、と佐山は告げる。あぁ、らしいな、と思いながら風見は佐山と駆けていく。


「風見」
「何よ、言葉を吐く呼吸も惜しいんじゃなかったの?」
「――ここを、頼む」


 佐山の見据える眼前、そこに一人の老婆が立つ。真っ白な戦闘用コートを纏った女性だ。
 その横を佐山が駆け抜けていき、風見が足を止め、G-Sp2を構えて牽制する。女性は佐山に見向きもせず、風見へと視線を向ける。


「ほぅ…。出雲の眷属を待っていたんだけど、面白いのが来たね。聞いてるさね? あたし達のGの概念核を封じたG-Sp2を持つ女の子の話をね。
 あたしゃ10th-Gのヨルス。期待外れのヨルス。そして出雲・覚の祖母さね。――相手をしてもらうさね? あたし達の世界そのものを持っているからには、覚悟を確かめないといけないからね」


 ヨルスと名乗った女性に対し、風見はへぇ、と呟きを漏らし、眉を立てた。改めてG-Sp2を構え直し、風見は不適に笑う。


「そうなの。でもごめんなさい。覚は10th-Gのことをあまり話さないのよ。だから残念だけど、――アンタなんか知らないし、今は馬鹿な後輩達に認められてすっごく恥ずかしくて照れ隠しに暴れたいの。…手加減無しだからそっちも覚悟を決めて」
「ほほ、いいねぇ、いいさねその言葉。久しぶりにいい子だ、いい子さねアンタは。…泣かし甲斐があるってもんさ」


 ヨルスが両袖の口から、機関銃を滑らせ、それを手に握る。グリップを握るのと同時に風見が駆ける。射撃と突撃。
 まったくの同時のタイミングで音は鳴り、二人の戦いは幕開けた。





    ●





 地上の戦いも終わりの気配を見せない。更に激化の一路を辿っている。だが、確かに来るだろう終わりへと向けて戦場は動いている。


『マスター! 術式構築完了ですっ!!』
「ありがとう、レイジングハートッ!!」


 デバイスモードに戻り、首にかけていたレイジングハートの声になのはは素直に感謝と賞賛の意を込めて礼を告げる。レイジングハートが煌めきを帯び、魔法の発動を宣言する。


『Divine saber』


 不破・雪花にまとわりつくように展開される桜色の魔力。それは次第に硬質化していき、1つの形を取る。小太刀を包むようにして出来たのは二本の長剣。
 ディバインセイバー。レイジングハートが現在のなのはのスタイルを考慮して作り上げた、今、最もなのはの力を発揮出来る魔法。
 なのははそれを強く握りしめ、プライヤーフィンで加速し、黒の軍勢へと向かっていく。
 魔力刃を纏った不破・雪花が唸りを上げる。なのはは一切の破、つまり死を許容しない。
 その意志を希望と変えて、雪花がその出力を向上させていく。動きは精細を欠かず、洗練されていく。
 世界の色が落ちていく。モノクロに近づく世界。色が抜けていくにつれ、敵の動きがスローに変わっていく。その感覚になのはは戸惑う。
 だが、それも一瞬の事。プライヤーフィンによって加速し、距離を詰め、的確に敵の防御を擦り抜けて刃を振るっていく。


「おぉ…っ!!」


 そこに迫るのは命刻の刃だ。なのははディバインセイバーでそれを受け止め、命刻との視線を交わす。
 命刻の刀はディバインセイバーによってじりじりと刀身を疲弊させられていく。それに命刻は顔を歪めて舌打ちを1つ。
 命刻が下がる。同時になのはのディバインセイバーが命刻を裂く。かなり深く斬った感触を感じるが、なのはは驚愕する。
 命刻の動きは止まらない。まるで何事も無かったかのように刀を振るう彼女に、なのははすぐに気を取り戻して命刻と相対する。


「それが、貴方の力っ!?」
「そうだっ!! 私に託された…不砕の力だっ!!」


 攻撃が利かない。つまりはそういう系統の概念だとなのはは判断する。ならばいくら武器の相性が良くとも、命刻を戦闘不能に陥らせるのは難しいか、となのはは判断する。
 ならば、となのはは命刻の鍔迫り合いを行う。命刻へと真っ直ぐに向かって行き、命刻の刀とディバインセイバーを噛み合わせる。
 だが命刻は刃をすぐに離して、自らの身体で受け止める。なのはによって斬られた部分がすぐさま再生を開始するが、それが彼女の致命的な隙。
 なのははすぐさまレイジングハートに指示を送る。胸元にかけられたレイジングハートがなのはの意志に応え、命刻の身体の桃色の光が纏わりつく。


『Chain Bind』


 桃色の光は鎖となりて命刻の身体を縛り上げる。突如、自らの動きが拘束された命刻は動揺し、眼を見開く。


「なっ…!? なんだ、これはっ!?」
「動き回られたら厄介だから…貴方はここで封じさせて貰います」


 かといって、なのはのリンカーコアはまだ快調な訳ではない。むしろ不調だ。術式の構成が甘い。あまり押さえつけられてる時間は無いか、となのはは歯噛みする。
 だが命刻の足を止めている数分。その数分があれば軍の勢力を削る事が出来る。
 そう思い、なのはは戦場へと戻ろうと歩を踏み出しかけた時だ。森。UCATの周囲に広がる森の方向からその声は来た。


「命刻義姉さん!」


 田宮詩乃。その声はなのはにも届いた意志疎通の概念で声を届けていた張本人。彼女は捕らわれた命刻を見て、その声に悲痛の感情を乗せる。
 なのはは沸き上がる感情を噛み締める。あぁ、私は大事なものを踏みにじっている。彼女の大事なものを踏みにじっていると。
 彼女たちの思いも、願いも、全て踏みにじる。そうして自分の守りたいものを守ろうとしている自分は酷く愚かしく、醜いのだろう。
 思いが届かない苦しみを知っているというのに。願いが叶わない悔しさを知っているというのに。
 だが、それでもなのはは止まれない。止まらない。止まるつもりもない。ただ感情は軋みを与えるも、動きを止める事はない。
 壊れそうな軋みを抱えても、それでも守りたいものがある。そして軍は少なくとも今は敵だ。そして詩乃の持つ概念は正直厄介だ。
 それは迷いを与え、迷いは刃を鈍らせる。だからこそ、今は、少なくとも今は――。


「っ! 詩乃っ!! 逃げろぉっ!!」


 命刻がなのはの意識が詩乃に向いた事に気付いたのだろう。命刻もまた、悲痛な叫びで詩乃に訴える。軋みが酷くなる。
 感情がなのは自身の心がなのはの身体を引きちぎりそうな程の軋みをもって訴える。お前は正しくない。間違っていると。
 命を守る? ハジの言った通り、Low-Gの人間がそんな事を言う資格はないのかもしれない。元々滅ぼした筈の世界の人間がそんな事を言う資格はないのかもしれない。
 ――だけど、それでも命は大事なものだから。それだけは絶対に譲れない。軋んで、苦しんで、絶望するだけの人生でも、可能性がゼロじゃなかったら手は伸ばしたい。
 勿論、全ての人間が救える訳じゃない。なのはが守りたいのはほんの一部の人間だ。だけど、だからといって全てを投げ出せる程、なのはは非情にもなれない。
 だからなのはは踏みにじる。思いを押しつけ、生きろと丸めた背中を叩いて起き上がらせる。
 幸せには出来ない。だけど…死という終わりしか本当に救いがないのだとしても。命を捨てて欲しくはない。あぁ、それがたとえ自分の我が儘だったしても。
 一歩、なのはは踏み出す。そして速度を乗せる。詩乃が息を呑み、命刻の瞳に殺意が灯る。身体が軋む。命刻の殺気を受けて、後悔や恐怖が軋ませていく。
 身を内側から食い破ろうとするような錯覚。だが、それを噛み締めてなのはは更に一歩、踏み出す。


「あぁ…っ!!」


 吼える。意識を奪い、倒す。刃に込めるのは抗いを。そう、抗う為にこの刃を振るう。死をもたらすこの戦場に少しの命でも残るように。
 死を強要する者達に生きたいと、生きろと意志を叩き付ける為に。ただ、己の我を通す為に。


「詩乃ぉぉおおぉっ!!」
「っ…ぁっ!?」


 叫びと、竦む顔と。軋みが酷くなる。だが、それを押し殺して駆けようとし――チェーンバインドを砕いてこちらに疾走してきた命刻への対応が遅れた。


「しまっ…!?」
「詩乃に、触れるなぁぁあっ!!」
『Protection』


 なのはに一瞬の隙。だが、レイジングハートがそれをカバーし、障壁を張る。が、その障壁の力は弱い。
 リンカーコアがブレるような感覚になのはは顔を顰めた。点滅するかのようにプロテクションの光が弱まっていく。


(ま、ずっ…こんな、時に…っ!!)


 魔力切れとは違う。リンカーコアの疲弊状態。魔力が上手く発散されず、吸収も出来ない。いわば呼吸不全のようなものだ。
 ディバインセイバーの刃が消え、プロテクションもかき消える。なのはの胸に掻き毟るような痛みが走り、命刻の刀を止めるので精一杯になる。


「詩乃っ、早く逃げろっ!!」


 だが、命刻の意識はなのはには向いていない。ただ詩乃へと向かっている。ただ一心に詩乃を守る為に命刻は叫ぶ。
 だが、それに対して詩乃は命刻の言葉に従うのではなく、逆に彼女に反抗するかのように叫んだ。


「どうしてっ!? どうして命刻義姉さんは私を遠ざけようとするのっ!?」


 詩乃の叫びは、咄嗟の感情の爆発だったのだろう。なのはと相対していた命刻の表情が苦しげに歪むのをなのはは見た。
 二人の間にどのような関係があるのか、なのはは知らない。だが、ここは戦場。――それは致命的な隙。


「レイジング…ハートォッ!!」
『Jacket purge』


 レイジングハートの保管魔力によって形成されたバリアジャケットの切り離し、炸裂させる。
 それによって命刻の身体が吹き飛び、詩乃の視界を封じる。その一瞬があれば良い。なのはは再び世界がスローになる感覚を身に投じる。一歩、二歩、踏みだし――。


「――ぁっ!?」
「ごめんなさい。私は――貴方達を押しのけてでも守りたいものがあるんだ」


 ドンッ、と。詩乃の身体に衝撃が走る。なのはが魔力による強化を含めた全力。それを込めて放った拳が詩乃の鳩尾に叩き込まれる。
 なのはのジャケットパージによって吹き飛ばされた命刻はその光景を眼にし、喉を絞り上げるように声を上げた。


「詩乃ぉぉおおおっっ!?!?」
「ぁ…っ……」


 かくん、と。詩乃の身体が崩れ落ち、なのはがそれを抱える形となる。そこに迫るのは憤怒と憎悪に感情を燃やす命刻。
 なのははすぐさま動こうとするも、詩乃の身体が重くのしかかってすぐには動けない。マズイ、となのはは思う。だが動けない。
 ――そこに一発の銃弾が叩き込まれる。命刻の足が止まり、なのはの前に一人の女性が舞い降りる。
 薄紫色の髪を揺らし、金色の無感情に近い瞳。白の装甲服を纏った彼女になのはは目を見開く。


「ウ、ウーノさん!?」
「Tes.ご無事で何よりだと言わせていただきます。彼女は…クワットロ」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃーんっ!!」


 命刻を牽制するように拳銃を向けるのは、なのはをこの地まで送り届けてくれたウーノであった。
 彼女はいつの間にか装甲服を身に纏い、この戦場へとやってきていた。ウーノはなのはが抱える詩乃へと視線を向け、クアットロと名を呼ぶ。
 そうすれば陽気な様子で、どこからともなく装甲服を纏ったクアットロがポーズ付きで現れる。ピースサインを片目に当てるようにしながら現れた。
 そんなクアットロに対し、ウーノはただひたすらに冷静な仕草で顎を向けて、詩乃を示すようにして見せて。


「運んでやりなさい。――今宵の戦場は命を大事に。ならば、我らドクターの配下の名の下に親切な治療をしてさしあげましょう。それが今宵の遣り方なのですから」
「えぇ。お任せください。それでは急患一名、ご案内~」
「貴様等、詩乃を離せぇぇえええええええええええっっ!!」


 命刻が激高しながら迫る。それに対してウーノが両手の拳銃を乱射し、牽制する。しかし再生の概念を持つ命刻は止まらない。
 そのまま一気にウーノへと迫るが、その間になのはが割って入り、命刻の刃を受け止める。一撃、二撃、命刻の捨て身の攻撃になのはは確実な防御を重ねて防いでいく。
 その間にも再びクアットロの姿が詩乃と共に消えていき、命刻が眼を見開き、その感情の矛先はなのはとウーノへと向けられる。


「ウーノさんっ!! ここは私に任せて他の人達を!!」
「Tes.よろしいので?」
「私は大丈夫です! 助けを必要としている人達の下へ!! 私は大丈夫ですっ!!」


 命刻との鍔迫り合いをしながらなのははウーノへと叫ぶ。それにウーノはもう一度頷き、拳銃を構える。目標は――なのは。
 ごり、となのはの背骨辺りに拳銃を向ける。なのはが疑問に思ったのは一瞬。ウーノは引き金を引き、なのはの身体に弾丸が放たれる。
 命刻が突然の奇行に一瞬呆然とする。なのはも眼を見開く。互いに何が起きたのかわからないまま、一瞬時が止まる。


「きゃぁあああぁぁ…? …あ、あれ? 身体が…」


 驚きに悲鳴を上げるなのはであったが、すぐにその表情は疑問に変わる。なのはが感じたのは痛みではない。むしろ、力が漲ってくる。
 一体これは何なのだろうか? と疑問に思う。その疑問に即座に答えたのは、弾丸を放ったウーノ自身だ。命刻へと弾丸を無造作に放ちながら彼女は告げる。


「Tes.1st-Gの概念を用いた私の特製弾です。「元気注入!!」と刻み込んだ回復弾はいかがでしょうか?」
「心臓に悪っ!? 死ぬかと思ったんですけど!!」
「Tes.――あなた様は殺しても死ななそうですが」
「ど、どど、どういう意味ですか!?」
「Tes.失礼、つい本音が。忘れてください」


 こ、この人…!? となのはは思わず怒鳴りそうになるが、命刻が迫り、その叫びは飲み込む。鈍い金属音が鳴り、なのはは歯を食いしばってそれを押しとどめる。


「それでは高町なのは様。良い戦場を」
「あ、後で覚えていてくださいねっ!!」
「Tes.お礼の品は期待しています」


 最後の最後まで飄々とした様子でウーノは去っていく。その姿に何とも言えないような苛立ちを覚えるが、逆にそれで肩の力が抜けた。
 あぁもうっ、と口の中で呟きを入れながらなのはは命刻を見据え、彼女との剣舞を続けるのであった。





    ●





 UCAT地下6階。概念核が収められているパレットがある鉄扉の前。そこで殴り合いを続けるのはハジ、そして「佐山御言」に扮したドゥーエ。
 ドゥーエは不敵な笑みを浮かべながらハジとの戦闘を繰り広げており、ハジは忌々しげに槍を振るう。


「ほほぉ、さすが大将軍と名乗るだけはある」
「ぬかせ! 偽物がっ!!」
「偽物でも本物を越えてしまうかもしれないね――どう思う? 新庄君」
「え? あ、えと……ボクは本物が良いかなぁ?」
「――絶望した!! だがそこで終わらないのが私だ、ふふふ、底辺から這い上がって君の心を虜にしてみせよう。障害があるからこそ燃えるものではないかね?」
「うわぁ…偽物なんだけど佐山君にしか見えない言動に頭痛がしてきた…」


 ハジの振るわれる槍をドゥーエは危なげ交わしていく。白髪交じりのオールバックの髪がその形をやや崩し、ハジの振るう槍によって何本かの毛が宙に舞う。
 纏う装甲服にも大少なりの傷がついており、激戦の様子を表している。ふっ、とドゥーエが呼吸を吐き出し、ハジの腹に右拳を叩き付ける。
 ハジの表情が歪むも、ハジも槍を振るってドゥーエをはじき飛ばそうとする。ドゥーエはそれを装甲の厚い部分で受け止め、吹き飛びながらも体勢を保つ。


「さて、どう思う? ハジ君」
「何!?」
「偽物でも足止めには十分のようだ。残念だね。そして私の本物に負ける。預言しよう、例え私に勝てたとしても――貴様は「佐山御言」に敗北しよう」
「巫山戯るなぁっ!!」
「巫山戯てなどいないさ。――新庄君との約束を「本物」が果たさぬ訳がない。ここに来て、交渉を果たすさ。それは決定事項だっ!!」


 ドゥーエがハジの頭部を狙ったハイキックを放つ。が、それは片腕で押しとどめられてしまう。衝撃はあったが、ハジの体がやや傾くだけに終わる。
 くぬっ、とドゥーエが顔を歪めたその瞬間、ドゥーエのガードよりも早く叩き付けられる槍。そのままドゥーエは槍に投げ飛ばされ、壁へと叩き付けられる。
 短い吐息と共に血が吐き出される。そのままドゥーエの姿が佐山御言のものから本来の女性の姿へと変わる。ドゥーエは血を拭いながらも苦笑を浮かべて。


「あ、あらら…やっぱり本物に敵いませんか」
「ふん。偽物が本物を凌駕する事など出来る訳がない」
「――いいえ、出来ますわ。本物にも、偽物にも等しく与えられるもの。それが本物も、偽物も関係なく、誰にも勝利をもたらします」


 壁に手を付き、吐き出された吐血を拭いながらドゥーエはハジに不敵に笑って見せる。ハジが怪しげな視線を向ける中、ドゥーエは告げる。


「何かを為すための…意志! それこそが本物も偽物も、その全てを垣根を越えて万人に勝利をもたらすでしょう!」


 何を、とハジが叫ぼうとした瞬間だった。その影は来た。影は一瞬にしてハジの懐に入り込み――。


「――粗悪な偽物が失礼した。これはほんの少しばかりの…「本物」からの謝礼だっ!!!!」


 叩き込まれる。腹に力を込めて堪えるも、その衝撃は並ではない。ハジがその勢いに蹈鞴を踏んで後ろへと下がる。
 そこに立つ影にハジは敵意を以て睨み付ける。スーツを身に纏い、ネクタイを緩めているその姿を。


「あ…!」


 新庄が歓喜の声を漏らす。そこに立つ姿は…彼女が待ち望んでいた姿だったのだから。


「…9年…」
「…ぅん…」


 9年。佐山が呟くその言葉に新庄は声を震わせて頷く。
 1つの昔話。それは一人の少年のお話。
 かつて彼は母に手を連れられて「大事な人に会いに行こう」と手を引かれていた。だがしかし、母の死によってその人と会う事は叶わなかった。
 1つの昔話。それは一人の少女のお話。
 かつて彼女は大事な人が迎えに来てくれると言われ、それでもずっとその迎えは来なくて涙に枕を濡らした日々。そして今尚、敵わなかったその迎え。
 今、2つの物語は交錯する――。


「……君の、名前は?」
「……新庄。…新庄・運切」
「そうかね。――では新庄君」


 佐山は告げる。それは笑みと共に。


「君の望む佐山御言が迎えに来たよ」


 …あぁ、それは―――。


「うん……うん…!!」


 ずっと待っていた迎えであったのだから。止まらぬ涙を拭いながら新庄は何度も頷いて。
 そして、佐山は視線を向けた。そこにはハジが立っていた。佐山は構えを取り、ハジと睨み合う。


「来たか、愚かなる交渉役。…自分に酔って底辺へと落ちていくがいい。うん」
「はは…、言われずとも落ちていくとも。しかし人間、下を見ればきりがない。だからこう言っておこう。――君はこれから愚か者に負け、超愚か者となるのだと」


 廻る。廻っている。終わりへ至る為の歯車が、熱く、激しく、火花を散らしながら廻り行く…。



[17236] 第1章「過去、現在、そして未来」 17
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/03/19 14:38
 甲高い金属音が連続して響き渡る。刀と小太刀、振るわれるのはその長さが異なれど同一の刀という部類の武器。振るうのは二人の少女。なのはと命刻だ。
 方や、激情を乗せて。
 方や、抗議を乗せて。
 振るう。互いにぶつかり合う。薙ぎ、裂き、交わし、その意志を、その技を、その力を違いに打ち付け合う。


「おぉ――ッ!!」


 刀に激情を乗せるのは命刻。それを受けるのは小太刀に抗議を乗せるなのは。ここに来て構図は武器の特製と、使用者達の感情が大きく左右していた。
 小太刀はリーチが短いが、それ故に手数が多く、更に防御に適した刀だ。故になのはは受ける側へとなる。彼女の目的はこのくだらない戦の終結。
 対して、刀を振るう命刻は、目の前で詩乃を連れ去られ、奪われたその不甲斐なさと、それを目の前で成した敵がいるという事実。故に怒濤の攻めがなのはへと与えられる。
 火花が散る。互いの呼気が重なり、甲高い音がただ奏でられる。一際、甲高い音が鳴り響き、なのはと命刻が鍔迫り合いをする。


「く、そぉぉぉおっっ!!」


 命刻の刀は激情が乗るが故に精細を欠くが、荒々しいその刀は命刻の特性もあってか止めるのは至難の業である。だがそれでもなのはは為し得る。
 なのはの刀の本質は護る事にある。御神の信念は守る事に特化しているのだから。故に、護る為の戦いになのはは敗走はあってはならないのだ。
 攻の刃が牙を向き、守の刃がその牙をいなす。食らい付こうとするも、裁かれ、命刻の苛立ちは募るばかりだ。


「――何故だっ!!」
「なに、がっ!?」
「どうして、お前があの人と同じ太刀筋なんだっ!! 私たちを護ってくれたあの人と…恭也さんと同じ太刀筋なんだぁっ!!」


 命刻の声には震えがあった。命刻の叫んだ名に、なのはは眼を見開かせる。命刻の叫んだ名がなのはにとっては聞き覚えのある、忘れられない名だったからだ。
 「恭也」。その名はなのはにとっても特別だ。自分の兄の名でもあり…そして自分の祖父であり、そして…もう一人の「自分」。つまりTop-Gの自分。
 恐らく、命刻が呼んだ「恭也」は本物の自分の事なのだろう。つまり、「恭也」は命刻と共に居た時期があった?


「恭也って…御神恭也を貴方は知っているのっ!?」
「!? 貴様…知ってっ!?」
「答えてっ!! 何故貴方が私の本物を知っているのっ!?」
「…!? お前が…恭也さんの偽物…? ……それを、知っているのか、知っていて、貴様はぁぁああっっ!!」


 轟、と命刻の気合いと殺気が膨れ上がる。なのはは舌打ち1つと共に命刻の刃を受け止める。命刻はそのままなのはを切り裂こうと力を込め、押してくる。
 なのははそれを必死に歯を食いしばりながら押さえ込む。どうにかして命刻を戦闘不能に出来ないか、と考えるが、バインドで押さえ込むか、命刻の能力を超えるだけの一撃を叩き込むしか思いつかない。
 思い浮かぶ魔法はある。ディバインバスターがその筆頭だ。だが、後一発ぐらいが限界だろうし、確実に当てられるとも思えない。だが、このまま降着状態を続けている訳にはいかない。


「どうして…どうしてお前は踏みにじられるんだっ!!」
「ぐっ…!?」
「お前だって、踏みにじられたくないから私の前に立っているんだろう!? なら、解らない訳じゃないだろぉっ!!」
「――…だからってぇっ!!」


 喝、となのはの口から気合いの籠もった吐息と声が放たれる。それは一瞬、命刻の身体を竦ませ、その竦んだ瞬間、なのはは世界が完全に色を失い、モノクロになるのを感じる。
 身体の動きが鈍い。ならば、となのはは自らの四肢に翼を広げる。それはなのはの親友の使っている魔法とよく似ている。それは動きを加速させるための補助翼。
 モノクロの世界の中、なのはの魔力光が煌めき、世界が白く染まっていく。動きが通常と同じ感覚に戻る。だが、命刻の動きはスローのままだ。
 なのははまず、刀を弾く。命刻の手からスローで刀が飛んでいく。そのまま切り下げた刀を切り上げ、命刻の身体を裂く。肉を断つ感触に眉を顰めるも、止まれない。


『 Divine  saber 』


 レイジングハートの魔法がいつもよりも遅い感覚で展開される。だが、構わずなのはは小太刀を握る。そして、クロスさせるようになのはは振り下ろし――。


『 Saber  impact 』


 ――クロスし、交差するその瞬間に閃光を炸裂させる。そこで世界が一気に色を取り戻す。急激な酔いがなのはを遅い、酷い頭痛がするも何とか踏み止まる。
 炸裂した魔力刃の一撃に命刻は眼を見開いて吹き飛ぶ。吐息と共に血が吐き出され、その四肢が力なく大地へと倒される。


「…っ…は、ぁ……! く……私、は…それでも…踏みにじってでも護りたいものがあるんです…その為に、覚悟は、決めてるんですっ!!」


 命刻は動かない。これで仕留めたか、となのはは思う。だが、なのはの願いも叶わず、命刻はゆっくりとその身体を起こそうとしている。
 本当に厄介な相手、となのはは内心ごちる。だが、それでも止まれない理由がある。なのはは再び不破・雪花を構えようとして。


『命刻っ! 義父さんがっ!!』
「…なに…!?」


 命刻が通信機から響いた竜美の声に眼を見開かせた。その通信機の声はなのはの耳にも届いた。義父さん、というのが誰だかはわからないが、何かトラブルが起きたようだ。
 命刻はその通信に歯噛みし、なのはを睨み付けると、忌々しげに唇を噛み締めながら一歩引いて。


「…いずれ…詩乃は取り返す…。必ずだ…っ…!!」
「ぁ…っ!」


 言うだけ言えば、命刻は背を向けて駆け出す。急なその命刻の動きになのはは一瞬付いていけず、すぐに後を追おうとするも身体が上手く言うことを利かない。
 そのまま膝を尽き、不破・雪花が手から離れて、なのははそのまま倒れ込む。リンカーコアの焼け付くような痛みと、身体全体を襲う疲労感がなのはの身体を動かさせない。


「…勝った…の、かな…?」


 は、と息を吐き出しながらなのはは呟く。段々と意識が黒く塗りつぶされていく。あぁ、駄目だこれ、と何となく感覚的に理解した。
 レイジングハートの呼ぶ声が聞こえる。だが、その声に、声を返す気力も無くなっていく。まるで栓が抜けてしまったようだ。
 ごめん、と心の中で呟くのが精一杯で、なのははそのまま力なく瞳を閉じた。視界が黒く塗りつぶされ、なのはの意識は遠く彼方へと投げ出されていった。





    ●





 ――なのはの意識が落ちる時より、少し時間は遡る。


「では問おう、交渉役」


 地下にてハジと応対した佐山。自らと相対する佐山にハジは問いかけを投げかけた。それはハジが示した八つの大罪についての釈明。
 1つ、崩壊時刻の発端。
 2つ、十のGの破壊という隣人殺し。
 3つ、Top-Gの破壊という親殺し。
 4つ、もう一人の自分達の殺害。
 5つ、己の世界に災害を起こした自傷。
 6つ、これらを大罪の隠蔽。
 7つ、事実を隠蔽し、世界を麾下に収めようとした罪。
 そして8つ。人々が集まる首都や居住区に仕掛けられた爆弾。その起爆スイッチを握り、ハジは佐山に降伏を迫った。
 かつてと同じ間違いをするのか、それともかつての間違いを反省したという証明をここに行えるのか、と。
 それに佐山は応えた。――押したければ押したまえ、と。ただ無表情に佐山はそう告げたのだ。その態度はあまりにも傲慢に思える。
 その返答にハジが覚えたのは――失望。故に、彼はボタンを押そうとした。UCATの傲慢さを証明する為に。世界を変える為に。誰もが忘れぬように。
 汚名は自らが被ろう。そして、ハジはボタンを押そうとした。そう、確かに彼は押そうとしたのだ。


「しかし驚きだ。――ハジ君、君がそんなにLow-Gの人々を殺したいとはね」


 だが、そのボタンは佐山の一言によって制止させられる。ハジが制止するのを見て佐山はは問う。ボタンを押したいのだろう? と。
 だが私は押して欲しくはない。Low-Gの人々の命を奪っては欲しくはない、と。ハジは結局は理由をつけてLow-Gの人間を殺したいだけなのだろうと。
 無論、ハジとて反論する。自分はLow-Gの人間も大切に思っているのだと。本来ならばこのボタンを押したくないのだ、と。

 だが…誰が信用する事が出来ようか。ハジの言動を真実とし、信じて、頷く事が出来るだろうか?
 佐山は更に告げる。自分はLow-Gの人間の代表なのだと。故に彼らは殺して欲しくないと願う。だが、佐山は代表が故に、一般人達を交渉材料にする事には出来ない。
 これは最早交渉ではない、と。ただの脅迫なのだ、と。互いに理解を示せぬまま、互いに互いの主張を押しつけあうだけの意味のないものだ、と。

 そして示された7つの大罪。佐山は言う。――現状で答えられる問題ではない、と。
 確かにそうだろう。ハジの言葉には証拠がないのだから。Top-G、そのG の存在も、Low-Gの世界の本物だと言えるということも、何一つ証拠がないのだから、と。
 証拠も検分も為せない交渉には応じられない、と。佐山は他のGにも不利になる可能性を示唆し、ハジを糾弾した。
 そして――。


「成程な。――話をまともにする気はないということか。…ならば"軍" は貴様達を試していた、と言っておこう。それははぐらかされた、とも

 ――交渉は決裂した。
 ハジは概念核を奪取する為に佐山と新庄を突破しようと概念核のパレットが収められている鉄扉を目指す。そこに立ちふさがるのは――。


「アブラム様!?」
「サルバッ!!」


 ――UCATの実働部長、アブラムが立ち塞がる。ドゥーエは驚愕と疑問を。ハジはその声に憎しみを込めて彼のそれぞれの名を呼ぶ。
 アブラムとハジ。この二人には因縁がある。アブラムは――9th-Gの王、サルバその人なのだ。
 彼は本来のアブラム、八代竜王の一人の名を騙り、このLow-Gへ移り住んだ。本来のアブラムの婚約者を自分の妻として迎えて。
 故にハジは憎悪する。ハジは9th-G出身にして、アブラムとは本来義兄弟になる筈だった。ハジの妹がアブラムに嫁ぐ事によって。
 だがハジの妹であるサハルナズは死に、9th-Gも滅びた。そしてハジはTop-Gへと至り、今に至る。


「アブラム様! 何故此処にっ!? お下がりくださいっ!! その体では――」
「すまんな、ドゥーエ君。君の心意気は有り難い。――だが、譲れぬものがあるのだよ」


 ドゥーエの叫びにアブラムは口元に笑みを浮かべて告げる。ハジを止めようとするアブラム。だが既に重傷を負っていたアブラムはほぼ動けない。ただ立ち尽くすのみ。
 そんな彼を救ったのは……彼の妻であるアルナズであった。
 アルナズは民間人だ。故にハジはアルナズに手をかけようとはしなかった。そこで争いに一時の停滞が発生する。誰も動けぬ中、ハジは問うたのだ。


「この男は、……貴女を騙し続けたのだぞっ!」


 彼は貴方にとって本当のアブラムでは無いのだ、と。だから庇う必要は無いのだ、と。その男はアブラムの名を語る9th-Gの裏切り者なのだから、と。しかし…アルナズはハジの言葉に首を振った。


「私は目が見えぬゆえ、人を信じねば生きていけない女です。そして私が利いていたアブラム・メサムは医学の人間であり、ファリドゥーンと呼ばれた方でした。それなのに――私の許にやってきたのは体格の大きな、手指も太く硬い戦士でした」


 微笑みながら彼女はハジに告げる。ハジが言うようにアブラムは…サルバであり、本来のアブラムでは無い、と。だがそれでも…アブラムはアルナズに幸せを与えてくれたのだと。
 そこに、嘘は無いのだと。彼女は笑って告げたのだ。ハジはその言葉に、堪えきれないように二人を纏めて吹き飛ばそうと槍を振るう。そこに疾走する影が割ってはいる。


「お分かりですか、ハジ様…!」


 立ち塞がるのは、先ほどハジに吹き飛ばされたドゥーエだ。彼女は自分の身を挺してアブラムとアルナズを護る。両足に力を込め、槍を受け止めながら彼女は不敵に笑ってみせる。


「――意志は…偽物も本物も関係なく…誰かを幸せにする事が出来るのですよっ…!!」


 ドゥーエの言葉に、ハジは歯を剥いて、ドゥーエに目標を切り替える。彼女へと向けて槍を突き刺し、そのまま後ろの鉄扉を破壊し、概念核を奪取しようとする。
 だが、それを阻止する者が居た。佐山だ。彼はふぅ、と小さく息を吐き出し、ハジを睨み付けながら告げる。


「彼女には後で私が用あるので殺して貰う訳にはいかない。故に――痛い目を見せよう」


 佐山はそう告げ――ハジに右拳をまず叩き込み、顎をかち上げる。浮いたハジの身体に更に駄目押しの一撃が与えられる。
 吹き飛ぶハジ。そのダメージは軽いものではない。佐山の拳はハジの胸骨を砕き、折れた事によって発生する圧迫感がハジの呼吸を不完全のものとする。
 だが、ハジは諦めない。ハジの瞳、そこには9th-G系列の概念の「停止」の概念が収められた闇色の瞳がある。魅入られしものは動きを止め、そのまま崩壊していく必殺の瞳。


「ぁ…っ!」


 新庄は本能的に気付く。それは危険だ。それは彼を殺すものだ、と。そして、新庄は自らの武装、機殻杖「Ex-St」のトリガーに指をかける。
 ――ふと、思い出す。かつて新庄は似たような状況でトリガーを引く事が出来なかった。その時も佐山が戦っていたのだ。新庄の為に。
 その時、新庄はトリガーを引く事が出来なかったのだ。佐山に当たってしまうかもしれない。敵を殺してしまうかもしれない。その恐怖が身を竦ませ、新庄の行動を許さなかった。
 だけど…と新庄は指に力を込める。獏が、夢を見せる獣が問うかのように過去を見せる。それに対して新庄は――。


「力は、間違えないよっ!!」


 ――トリガーを引いた。Ex-Stから放たれた白の光によって吹き飛ぶハジの身体。しかし、執念なのか、まだハジは止まらない。槍を短く握り、佐山へと迫っていく。
 装甲服を着ていない佐山ではそれは一発でも急所に当たれば致命傷になるだろう。彼が死んでしまうかもしれない。新庄に死の恐怖が襲う。
 そして新庄は叫んだ。――死なないで、と。
 応、と佐山が新庄の叫びに応えるように構えを取る。思い出すのは、自らが積み上げ、研鑽し続けてきた技術。基本を忠実に、ただ一点へと佐山は意識を集中させていく。


 ――勝ちに行こう。


 応、と佐山は自らの中で浮かんだ問いかけに頷く。その佐山の脳裏で二人の少女の顔が浮かぶ。片方は新庄、片方は…なのはだった。それに続くように全竜交渉に関わる多くの人たちが脳裏に過ぎる。


 ――終わらせに行こう。


 身体の全てを打ち出す一撃。握るのは――かつて砕いた左拳。幼い頃、自らの力に耐えきれずに砕けた左拳。握れば未だに幻痛が襲う左手。それを、固く、強く握りしめて。
 それが一番、自分の信頼したもの。かつてはそれで砕いた。だが…それでもこれこそが自分の基本にして、信頼に値する一撃なのだと。


「逆らうか! ――母の死の意すらわからなかった小僧が!!」


 あぁ、そうだとも。佐山は応える。心臓には狭心症による圧迫が来る。身体が軋む、心もまた軋んでいく。身体を支配しようと痛覚が広がっていくが、それでも佐山は臆さない。
 負けないで、と言われた。愛しい彼女に。そして自分とよく似たあの少女に。ならば…彼女達に、佐山と共に戦ってきてくれた戦友達に捧げるものはただ1つ!!


「この歪みと軋みこそが――」


 身体は軋む。自分の在り方は酷く歪んでいるのだろう。だが――それが自分だ。それが当たり前で、それを抱えながら生きていくのが自分なのだと。


「――私だとも!!」


 そして、全てを終わらせる左の正拳突きがハジの身体に叩き込まれた。吹き飛ぶハジの身体は鉄扉に叩き付けられ、その意識を奪う。
この一撃が、「軍」との戦闘を終わらせる終演の一撃となった。




    ●





「――終わったわねぇ」
「そうだなぁ…」


 呟きを入れたのは風見だ。風見の傍らには出雲がいる。
 10th-Gとのヨルスとの戦闘を辛くも勝利を収めた風見が駆けつけた時には、ほぼ全てが終わっていた。疑ってはいなかったが、一安心と言った所だろう。
 戦闘が終わって、およそ1時間ぐらいだろうか。軍の残党は既に撤退し、UCATの部隊も各の時間にふけっていた。
 風見はふと視線を反らす。そこには佐山に膝枕をするように自らの膝に佐山を乗せ、優しく彼の髪を撫でている新庄がいる。


(…まぁ、今回はアンタも色々ときつかったみたいね)


 穏やかそうに寝息を立てている佐山の姿を見ながら風見はふぅ、と溜息を吐いて出雲に肩を預けた。新庄と佐山の姿を見ていると、ちょっと見せつけられた気分になる。
 だからという訳ではないが、なんとなく今は寄りかかりたい気分だった。風見が肩を預けてくるのに対し、出雲は何も言わずに風見の頭を撫でるのであった。
 その二組の二人組を見つめる影があった。それはヒオだ。ヒオはふんふん、と鼻を鳴らして視線を向けている。そして、ふと、隣に立っていた原川へと視線を向けて。


「…は、原川さんっ!」
「却下だ」
「な、何も言ってないですのーっ!?」


 ヒオが何か言う前に既に却下し、原川は不満の声を上げるヒオの額に手を添えて押しとどめながら視線を移す。そこには天井をぼんやりと見上げて座り込んでいる飛場がいる。
 飛場が視線を向けているのは概念核のパレットが収められている鉄扉だ。そこに寄り添うのは美影だが、あの二人もまた言葉がない。
 ショックを受けているのかもしれない。飛場は、最後の最後で長田竜美によって撃墜させられてしまったのだから。義姉さん、と飛場が彼女の事を呼ぶ事から、なにかしら因縁があるのだろう、と原川は察する。
 やれやれだ、と原川は肩を回した。こき、と骨が鳴り、自らも疲労しているというのを実感する。


「…まだこれから忙しくなる、か」


 軍によって暴かれた真実は今まで交渉を終えてきたG に大きな影響を与えるだろう。最悪、再び再交渉していく形になるかもしれない、と原川は予想する。
 世界はまだまだ動乱の中にある。今の一時はただ、本当に一時の終幕でしかないのだと原川は思い、重苦しい息を吐き出すのであった。





    ●





「アブラム様…ご無事で何よりです」


 各々の時間を過ごす全竜交渉部隊の面々の姿を横目の視界に収めながらドゥーエはアルナズと共に壁に寄りかかっているアブラムと声をかける。
 ドゥーエの声にアブラムはその口元に穏やかな微笑を浮かべて告げる。


「すまんな。結局、君の好意を無駄にしてしまった」


 アブラムの謝罪は、ドゥーエがハジを止めようとして立ちはだかろうと向かっていた時に合流した彼女が自分を気遣い、押し留めてくれた好意を無駄にした事への謝罪だった。
 アブラムの謝罪にドゥーエはいえ、と首を振って返す。ふふ、と小さく笑みを浮かべて。


「いえ。…生きていれば、それでまだ可能性は潰えませんから」
「…そうか。ならば、生きている事に、生かしてくれた君に礼を言うべきかな」
「いえいえ。むしろ私が礼を告げるべきでしょう。――生きていてくださってありがとうございます、と」


 謝罪も御礼も受け取らない、とドゥーエは淡く微笑んだ。そうか、とアブラムは返し、息を吐き出す。傍らのアナルズがそっと、アブラムを労るようにその手を握って。
 その光景にドゥーエは僅かに笑みを浮かべる。そうしていると、何やら遠くから誰かが駆けてくる音が聞こえた。視線を向ければそこに立っていたのは自分の妹だ。

「ドゥーエお姉様!!」
「あら、クワットロ」
「あぁっ! お姉様がこんな怪我を!?」
「…心配なら不要よ、私は大丈夫…。それよりもアブラム様をお願い。私、もう治癒用の符も何もなくなっちゃったから」


 あわあわと慌てる妹の姿を見ながらドゥーエはふぅ、と小さく息を吐き出す。地上にいる自分の姉妹達は大丈夫であろうか、と。





    ●





「あぁ、ウーノさんっ!! もう一発、もう一発!!」
「元気のご様子なので必要無いと判断します。ついでに邪魔です。はい」
「あふぅんっ!?」


 地上ではウーノがなのはにも使った「元気注入!!」弾を使って疲労困憊な者達の回復に当たっていた。彼女が治療した先では群がるように局員達が這っている。
 ウーノが回復した矢先、次の患者へと向かおうとするのを押し留めようとし、彼女によって踏みつぶされる者達も居たが、なんというか、幸せそうだ。


「……あれは、天然なんだよな?」
「……多分な」


 チンクはウーノが作り出している光景に苦笑を浮かべて見つめ、トーレは肩が凝ったのか、首を回し、肩をぐるりと回しながら呟いた。
 ウーノが引き金を引く度に増殖する職員達にチンクは引き攣った口元を隠す事が出来ず、とりあえず視線を逸らしておいた。そこでふと、チンクは顔を上げて。


「ところで、ドクターはどこに行った?」
「何。彼女を連れて既に医療室へと向かったよ」


 チンクの問いにトーレは肩を竦めるようにして答える。チンクはそれに、あぁ、と納得して頷く。そういえば彼女の姿は見なかったな、と。
 その時、ふと、トーレがクククッ、と喉を鳴らして笑い始めたのを見て、チンクは思わずギョッ、とする。一体、急にどうしたというのか? と言うように。


「いや、何。ここは挑み甲斐のある者達が多いなぁ、とな」
「……バトルジャンキーが」


 チンクは呆れたように溜息を吐きだす。個性が豊かな姉妹を持つと苦労するものだ、と思いながら。結局、どこに視線を向けてもアレなので、チンクは瞳を伏せるのであった。





    ●





「――んぅ…?」


 なのははゆっくりと瞳を開いた。目に映ったのは白い天井。先ほどまであった外の光景ではない。それを確認してなのははぼんやりとする。
 自分はどうなったのだろうか、と考えるも、思考が上手く回ってくれない。ただぼんやりとしていて、何も考えられない。


「――寝ていると良い」
「……? …ジェイル……さん?」


 声をかけられた。なのははその声の方へと視線を向ければ、そこには装甲服を脱ぎ、スーツに白衣姿となったジェイルがいる。彼はふっ、と笑みを浮かべて。


「ひとまず終幕さ。今は休むと良い。――君の戦いはまだ終わった訳じゃないのだからね」


 だからおやすみ、と告げられる声。なのはの意識は再びまどろみの中に落ちていく。彼女の疲労はまだ意識を取り戻せる程までには回復していないのだから。
 再びなのはは瞳を閉じた。少しすれば寝息を立てるなのはの姿にジェイルは口元を緩める。次第に押さえられないように肩を震わせて。


「…あぁ、最高だよ、君は。興味は尽きないね。まったく…仕掛けた甲斐があったというものだよ」


 楽しくて仕様がない、と言わんばかりにジェイルは笑う。そして笑いを噛み締めるようにしながらジェイルはなのはの眠るベッドから離れていった。
 彼の仕事はまだ終わった訳ではないのだから。ジェイルは白衣を翻しながら次の患者の下へと向かうのであった。
 戦は一時の終幕へ。未だ争いは終わってはいない。これは一時の休息。次の戦場が為の時間。しかし、今は彼等に安らぎの眠りを…。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 01
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/04/18 18:37
 物事にはいつだって始まりがあるが、始まりは終わりと同義だという事を忘れてはならない。
 それは対極に値するものだが、所詮はどちらも同じ意味を孕むものなのだ。
 始まり、終わり、終わればまた始まり、始まれば終わる。それはまるで輪廻を描くように。
 世界は廻る。始まりと終わりを孕みながら。そして世界は、終わりへの歯車を回し続ける…。





    ●





 ――軍とUCATとの戦闘が終わり、1週間の時が流れていた。
 傷付き、負傷した職員達の治療も一段落が付き、情勢はとりあえずは落ち着きを取り戻した。
 UCAT本部は次第に復興の兆しを見せ始めていた。その工事の風景をヘルメットを被り眺めている少女がいた。
 高町なのはだ。彼女は壊れた建物を眺めて、何か思いを馳せるように視線を向けていた。なのはに気付いたのか、手を振る職員に手を振ってなのははその場を後にする。
 その後ろでなのはに手を振った職員が他の職員によって逆さ吊りの刑に遭っているが、逆さ吊りされる男は実に満足げな顔であったという。
 それに気付いているのかいないのか、なのははヘルメットを脱いで、小さく息を吐き出しながら歩いていく。


「復旧現場なんて見て楽しいか?」
「…チンクさん?」
「チンクで良い。敬語もいらない」


 なのはに声をかけてきたのはUCAT職員の制服を纏ったチンクだった。なのははチンクの言葉に最初は目をぱちくりと。そして少し間を置いてにゃはは、と笑った。
 じゃあ、よろしくね、と改めて挨拶をし直し、チンクもそれに応える。そしてなのはは先ほどのチンクの問いに応えるように復旧現場に目を戻しながら答える。


「…随分壊れたなぁ、って見てたんだ」
「戦闘があったんだ。壊れるのは当たり前だ」
「それはそうだね。でも、改めて見て置きたかったんだ。――自分の手の届かない場所を」


 なのはの言葉にチンクは眉を寄せる。なのはの言葉の意図を捕らえかねた為だろう。それはそのままで取れば自分の無力を嘆いているとも取れるが、その雰囲気は感じられない。
 なのはは再び復旧現場を見つめる。そこには慌ただしく動く人たちがいる。復旧の為に声を張り上げ、機材を運び、元の形に戻そうとしている者達。


「私には、どう足掻いても直せないから。だからあの人たちの努力を覚えておこう。そして自分にしていける事を精一杯やろう、って。そう思えるように、目に焼き付けておきたかったんだ」
「…自分に出来る事か。お前に出来る事は何だ?」
「敵を撃ち抜く、切り払う事だけだよ。まぁ、戦闘があれば壊れるのは当たり前だし、直す為にあの人たちがいるんだし。なら互いの仕事を果たすだけだよ」


 もう用は無い、と言うようになのはは復旧現場に背を向けて歩き出す。その隣を並ぶようにチンクが歩いていく。なのはは特に何も言わずにチンクと歩いていく。
 2人が一緒に歩いていると、よく女性局員達が彼女達の頭を撫でてお菓子を渡してくれる。なのは素直にお礼と共に受け取るが、チンクはどこか複雑そうだ。
 そのまま両手にお菓子を抱えながら歩いていたなのはだったが、ふとチンクへと視線を向けて声をかけた。それにチンクはロリポップを口の中で転がしながら応える。


「そういえば、何か用でもあった?」
「ん? あぁ、ドクターが呼んでいた。ここの所、忙しかったが、ようやく時間が取れそうだ、とな」
「――そうなんだ」


 すぅ、と瞳を細めてなのはがチンクに返す。雰囲気が子供相応のものから研ぎ澄まされた刃のように鋭いものへと変わる。それをチンクは肌で感じる。同時に納得もする。
 自分たちは本来、UCATすらも知らなかった「ミッドチルダ」の事を言及しており、更に彼女に管理局に安置されている筈のレイジングハートも持ってきたのだ。
 怪しまれて当然か、とチンクは吐息する。まぁ、怪しまれるような行動をした自分たちがそもそもの原因なのだからそれは気にしない。


「では、行こうか」
「うん」


 チンクの呼びかけになのはは応え、UCATの廊下を並んで歩いていくのであった。





    ●





 ジェイル・スカリエッティの自室。UCATの中にある居住区の一部屋に彼の部屋はある。その部屋の中でジェイルはコーヒーを入れ、まずはその香りを楽しむ。
 うむ、と小さく頷いてからジェイルはコーヒーを口に運ぶ。感じる苦みと酸味はとても心地よい。なかなか、と評価を下し、ジェイルは椅子に座る。
 こんこん、とノックの音が響く。おや、とジェイルは小さく声を漏らし、コーヒーを傍においてドアをノックした者へと呼びかける。


「誰だい?」
「ドクター。私です。チンクです。高町なのはを連れてきました」
「あぁ、ご苦労。入ってきてくれたまえ」


 ジェイルは一度座った椅子を再び立ち上がり、何かなのはでも飲める飲み物は無いか、と考え、そういえばまロ茶があったな、となのはの分を用意しておく。
 それと同時になのはがジェイルの部屋へと入ってくる。ジェイルはかけたまえ、と来客用の椅子を抱えながらなのはに渡す。
 なのははそれを受け取り、テーブルの傍に椅子を置いてそこに座る。椅子に座ったなのはにジェイルは満面の笑みを浮かべて。


「来てくれて嬉しいよ。高町君。君とはずっと語り合いと思っていたんだ」
「私もです。ジェイルさん」


 互いの顔に浮かぶのは笑み。だが、ジェイルは満面の、なのはは探るような笑みだという相違がある。
 さて、とジェイルもまた自分が先ほど座っていた椅子に腰を下ろし、なのはを観察するように見つめる。なのははその視線に真っ直ぐ応えるように見返す。


「さて、世の中にはレディファーストという言葉がある。君からの質問を受け付けよう。高町なのは君」
「…なら、聞きます。ジェイルさんはミッドチルダの人間ですか?」
「Yes」


 なのはの問いに、ジェイルは鼻を鳴らすようにして答える。楽しげな様子になのはは少し目を細めるものの、すぐに気を取り戻してジェイルを見つめて。


「次に。何故ミッドチルダの人間がUCATに?」
「縁があってね。あれは…10年以上も前か。私は出会ったのだよ。とある次元世界から嘱託魔導師としてやってきていた――御神恭也に」


 がたっ、となのはが勢いよく席を立った。今の言葉が信じられない、と言わんばかりに目を見開いてジェイルを見つめている。ジェイルは落ち着け、と言うように掌をなのはに見せる。
 なのはがゆっくりと席に座ったのを見て、ジェイルはまロ茶を差し出す。まぁ、呑め、と。なのははゆるゆるとした動作でまロ茶を手に取り…パッケージを見て一瞬迷いが生じたもの、プルタブを開ける。
 まずは一口。喉にまロ茶がゆっくりと伝っていき、その感触と味がなのはを落ち着ける。ふぅ、となのはは息を吐き出してジェイルを見つめて。


「…御神恭也は…管理局に関わっていたんですか?」
「君の「本物」だろう? ならリンカーコアがあっても不思議じゃないと思わないかね? Low-Gの御神恭也?」
「…っ!」


 どこまで、となのはは思わず呟く。ジェイルはなのはの様子を観察して楽しんでいるようだ。。
 なのはは怪しむようにジェイルを睨む。だがジェイルは揺らぐ事が無い。だからこそなのはは問う。答えを得る為に。


「……どうして知っているんですか?」
「調べたからね。君が恭也の妹にソックリだと言うのに、まさか、という確信に近い予感を覚えてね。調べさせて貰った。君の血液を手に入れる機会に恵まれてね。――あぁ、ちなみに君を最初に見たのはプロジェクトFの残滓がいるという話を聞いてね。興味があって調べたら、なんと! と言った所さ」


 プロジェクトF。その名になのはの瞳に鋭利な光が宿る。場の空気が一瞬にして張り詰めてなのははジェイルへと半ば殺気を向ける。
 だがなのはの殺気を受けてもジェイルは飄々とした様子で笑みを浮かべている。楽しくて仕様がない、と言わんばかりだ。


「…どうして私がプロジェクトFを知っているのか、君の友人、フェイト・テスタロッサを生み出した技術を知っているのか、興味が沸いたかな?」
「……」
「簡単な事さ。――あれの雛形の理論を完成させたのは私だから。つまり私は彼女の生みの親でもあると言えるのかな?」


 空気が震えた。なのはを中心にして魔力が解き放たれ、室内に風が巻き起こる。なのはの感情の昂ぶりによってだ。
 フェイトが自らの出生に苦しんでいる事をなのはは知っている。彼女が生まれた事、そのものは否定するつもりは無いが、その技術は忌むべきものだとなのはは思っていた。
 その計画の雛形を完成させたのは、目の前の男だと言う。なのはは自然な動作でレイジングハートに手をかけていた。


「あくまで理論を完成させたのは私だが…別にあれは特段、珍しい技術でも無いのだよ? 高町なのは君。私も彼女とは同類と言うべき存在だからね」
「…どういう意味ですか?」
「わからないかね? 私もまたプロジェクトF と同等の技術で生み出されたという訳なのだよ。まぁ、細部は違うがね」


 ククッ、と喉を鳴らしながらジェイルはなのはに自らの出生を告げる。なのははそれが本当なのかどうかは確かめる術が無い。故に、その視線は睨み付けるようなものとなる。
 真実を見極めたい。だが、それを自らに見つける術はない。ただ小さな綻びでも見逃さない、と言うようになのははジェイルを見据える。
 ジェイルは一度体勢を崩し、椅子の背もたれによりかかるようにし、足を組んでなのはを見る。その顔からはやはり笑みは消えない。


「違法は前例があり、それが忌避された、もしくはその可能性を示唆され、違法としたのか、とにかくそれを為す術は既に完成されているものなのだよ? 私が雛形を完成させた、と言っても人の欲望は果てないものだ。私が作らなくてもいつかは誰かが作っていたさ」
「……」
「それでも私を憎むかい? まぁ私も喜んでやっていたからね。プロジェクトFの雛形の理論作りは」
「…その所為で苦しむ人が生まれたんですよ? その人達に対して何か思う事は無いんですか?」
「親近感だね。先ほども言ったが、私も同類だ。仲間がいるのは嬉しい。似ているという事は親しみが湧く。同じという事は安らぎだ。その為に苦しんでいるのだとしても、私は彼らの存在を祝福するよ」


 ジェイルの語る価値観になのはは目を細める。そして瞬時に理解する。彼と私の価値観はまったく異なるものだ、と。
 だがジェイルの言いたい事はなのはとてわかる。価値観は違うが、考え方は理解出来る。だからこそ、まず自分の感情を落ち着ける。
 まロ茶を口に運び、まずは一息。そこから再びジェイルへと視線を向けて問いかけを投げかける。


「…私を捕らえるかね? 次元犯罪者として」
「…今は止めておきます。貴方には聞きたい事がありますから」
「そうかい。なら私は君に答えよう。君に私の事を知って貰いたいからね。――故に教えてくれたまえよ。君という存在を。私は君という存在が知りたい」


 ジェイルは笑みを浮かべてなのはに告げる。ジェイルがなのはに望むのは対話だ。それはなのはとて望む所。ならば、となのはは魔力を収めていく。


「…色々と聞きたい事があるんですけどね。というか増えました。…何から聞けば良いのやら」
「好きに質問してくれたまえ」
「…御神恭也は、貴方と出会った時、幾つでしたか?」
「ふむ…およそ、18、19だったかな? そう、10年前には、だ」


 なのははジェイルの問いかけに、そうですか、と呟きを居れる。そして同時に思考が混乱する。何故自らの祖父が10年前にはまだ青年なのか? と。
 しかし答えは出る事はない。だが現実として高町なのはの本物としての御神恭也は自らの祖父なのだ。それは変わる事の無い事実だ。


「…ジェイルさんは、私の祖父が御神恭也だというのは知っているんですか?」
「あぁ、知っているよ? 君は稀有な存在だろ? 近親に自らの「本物」がいる。それこそ新庄君ほどではないにせよ、君はLowとTopの血を引いた人間なのだよ。君の異常性もそこにあるのかもしれないね?」
「…異常性?」
「やけに御神の剣士として様になっているじゃないか。君が小太刀を握ったのはほんの2週間程前だというのに、今では立派な御神の剣士だ。これは異常だ。異常以外の何者でもない」


 ジェイルは笑みを浮かべながらなのはに告げる。それは確かに、となのはも思う。その異常性は確かに「本物の自分」を祖父に持ってしまったが故なのかもしれない。


「…でもおかしいじゃないですか。どうして私の祖父が本物の御神恭也だとして…どうして貴方が出会った御神恭也は…」
「青年なのか? それはあまりにも簡単過ぎる答えだが、あまりにもわかりにくい」
「…知っているんですか?」
「おっと。生憎、ここからは全竜交渉の規約に引っ掛かってしまうので先は言えないね。だがしかし、確実に言える。既に君は真実への鍵を手にしている。君がそれに気付けばTop-Gが何故崩壊したのか、その事実を得る事が出来るだろう」
「……貴方は…どこまで…」
「どこまで? さぁて、どこまでだろうかね?」


 くくっ、となのはを茶化すようにジェイルは笑う。そのジェイルの嘲笑になのはは苛立ちを募らせる。真実は確かに目の前にある。だがそれを理解する鍵がなのはには無い。
 それを目の前でちらつかせるようにこの男は笑う。あぁ、忌々しい事この上ない、となのはは思わず歯を噛み締めた。


「貴方の目的は…何なんですか?」
「…目的、ねぇ」
「私にヒントを与えて、レイジングハートまで持ってきて、私に何をさせたいんですか?」


 ジェイルはなのはの問いかけに、一瞬笑みを消す。ふむ、と表情を無くした顔でどこかぼんやりとしたように彼は呟きを入れる。


「…高町君。人は何故生まれ、何故死に行くのだろうね?」
「……?」
「何のために生き、何のために死に、怯え、苦しみながらも1つの意志であろうとするのだろうか? 私達はどうしてこんな苦しみを覚えながらも、それに抗うかのように恐怖し、限りある生に縋り付かなければならないのだろう?」
「……何のために…」
「私はそれが知りたいだけだ。言うならば…宿命、というべきかね。それこそ私の求めるべきテーマだ」


 きし、とジェイルの体重のかけた椅子が軋む音を上げた。ふぅ、と息を吐き出すジェイルの姿はまるで疲れているようにも見えたのはなのはの錯覚なのか。


「だからこそ知りたいのだよ。この世界の行く先を。生に縋り付き、滅びを重ね、罪を重ね、怨まれ、憎まれ、疎まれ、歪みながらも突き進むこの世界の行く先をね」
「……」
「そして君の行く末もだ。君は逃げない。君は突き進むだろう? 何故なら君は……この世界を、そしてその人生を…愛しているだろう?」


 あぁ、とジェイルは息を吐き出しながら。


「何とも幸せな事じゃないか。だから君の行く末は見てみたいのだよ。なぜならそれは私の行く先の道と同じではないかね? 高町君」
「…同じ…」
「こんな苦しみながらも生きるのは…幸せになりたいからだろう? そして私の幸せとは…我思う故に我はあり、だ。好きなように生き、好きなように死んでいく。誰にも囚われず、かつ、誰にも触れながらも私は私で有り続ける為に。比較が必要なのだよ。だから――私はここにいるのだよ」





    ●





 なのははジェイルの部屋を後にした後、何気なく外へと足を向けていた。UCAT本部から出ればそこには広大な森が広がっている。
 未だ戦闘の爪痕を残してはいるが、それでも生命の力強さを感じさせてくれるような光景がそこにあった。空には日が既に沈み、夕日が顔を出している。
 なのはは何気なしに空へと昇る。レイジングハートがプライヤーフィンを発動させてくれた。それにただ無心で空に昇る。
 踊るようになのはは空を駆け、廻って、巡って。その中でなのはは思考を巡らせていた。
 なのはは、死にたいなんて思ったことはない。死んで楽になるとか、考えた事はない。
 苦しくて、辛くて、時には泣き出したくなる事があっても…確かに生き続けてきた。
 私を支えてくれる人がいて、私を笑わせてくれる人がいて、私が幸せを感じられる今がある。
 そう。だから私は戦っていられる。死に抗える。滅ぶ事を、終わる事に抗える。
 私は幸せだ。幸せなのだ。どんなに泣いても、どんなに苦しくても、それを帳消しにして、それでもお釣りが来るような幸せがここにある。


「…私は…幸せになりたいよ」


 辛い事は嫌いで、泣きたくなるような事も嫌いで。だから友達との楽しい日々が好きで、自分が必要とされる日々が嬉しくて、それがずっと巡っていて欲しい。
 改めて強く感じる気持ち。こうして空を飛んで風を感じるのが好き。誰かに必要とされるような自分が誇らしい。


「…うん。そうだよね。それで…良いんだよね。うぅん、そうじゃなきゃ嫌なんだ」


 どんなに言い繕っても、どんなに綺麗事を言っても、それを耐えられるだけの幸せが無いと動けない。少なくともやっぱり自分はそんな人間だ。
 本当に好きな事で、好きに、思うように。辛い事はある。誰だってそう考えるだろう。幸せな事は一番なのだから。
 だからぶつかり合う。だけど傷付け合うだけじゃ悲しくて辛いから伝え合っていかなきゃいけない。
 だけど皆が同じように、だけども別のものを望む。だからすれ違って、伝わらなくて、悲しい事や辛い事が起きてしまう。


「…ねぇ、レイジングハート?」
『…何ですか?』
「私ね、ありのままが好きだよ。ありのままである事が。だからさ、私…凄いワガママになっちゃうけど、良いよね?」


 偽った幸せもまた幸せなのかもしれない。気付かないで、騙し続ける優しさも必要なのかもしれない。だけど、自分はそれでもありのままが好きみたいだから、となのはは思う。


「…気に入らないよね。やっぱり。負けたくないよ」
『…Master』
「認めたくない事は――最後まで認めないよ。本当の最後のその一瞬まで」


 夕焼けに染まる空。なのははその空を背に不敵にその笑みを吊り上げさせる。





「だって―――私、幸せだって胸張りたいもん」





    ●





 真っ直ぐに撃ち貫く力は胸に宿る。折れず、曲げず、届く力はただ愚直なまでに。
 それは一本の道となる。それこそが彼女が歩む道。それは…いずれは終焉へと辿り着く道。いつかは折れてしまうかもしれないもの。
 されど…もう決めてしまったのだ。誰でもない彼女自身の意志で。その終わりすらも自らの意志で決めるために。





 リリカル・クロニクル =世界の終わりに悪魔と竜は戯れる=

 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」





 悪魔は媚びない。悪魔は従わない。悪魔は自らの意志のみで傲慢に振る舞う…。



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 02
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/04/19 21:52
 なのははある場所を訪れていた。それはUCATの地下だ。彼女にはどうしても確認しておきたい事があって此処を訪れていた。
 かつん、かつん、と廊下に響く自分の足音を耳にしながらなのはは地下へと進んでいく。その歩みに迷いはなく、彼女はその場所へとたどり着く。
 そこは1つの部屋だ。だがその部屋には様々な概念が仕掛けられている。それはまるでこの部屋に何かを閉じこめているかのようだ。
 いや、実際には閉じこめているのだろう。故にこのように概念が施されているのだから。なのはは小さく息を吐き出しながらそっと、その部屋の扉をノックした。


「…誰ですか?」


 扉の奧から声がする。それは少女の声だ。なのははその少女の声にもう一度息を吸い、その扉の奧にいる少女へと声をかけた。


「ちょっとお話したい事がありまして来ました。――田宮詩乃さん」





    ●





 田宮詩乃は戸惑っていた。その原因は目の前に座る少女。その少女の姿はあまりにも自分の知る「彼女」の姿に似すぎている。
 更に言えば彼女がそもそも自分をここに捕らえさせた人物だと言う事が詩乃に動揺を与えてしまっている。だが、詩乃の動揺も気にした様子もなく彼女はただそこにいる。
 詩乃が囚われている部屋は最低限の生活は送れるようにはなっているが、椅子など来客用のものがある訳ではなく、互いにベッドに腰をかけて話し合う形になってしまっている。


「…まずは名前から。私は高町なのはです。田宮詩乃さん、ですよね?」
「え、えぇ…」


 なのは。その名前に少しだけ詩乃は眉を寄せる。やはり思い出されるのは「彼女」の姿だ。やはり良く似ている。あの彼女と。
 だが纏う雰囲気は似ているようで違う。彼女は優しかった。明るくて元気で、まるで太陽のような印象を持っていた。
 彼女も似ていると言えば似ている。だがどちらかと言えば彼女はまるで沈み行く夕日のようなイメージだ。明るくも、どこか切なさを呼び起こしてしまうような…。
 そこまで思い、詩乃は何を考えているのか、と首を振った。こんな事を考えていてもどうしようもないのに、と。


「…私に似たような人が、詩乃さんの知り合いにいるんですか?」
「え…あ、その…」
「その人って、御神菜乃花、って言う人ですか?」
「!? ど、どこでその名前を…」


 なのはが何気なしに呟いた言葉に詩乃は驚きを見せてなのはを見た。Low-Gの人間はTop-Gの事を意図的に隠していた。それ故に知っているとは思わなかったからだ。


「…私の本物に教えて貰いました」
「…え…?」
「私が聞きたいのは、その私の本物の事です。…田宮詩乃さん。御神恭也を知っていますか?」
「…!? 貴方が…恭也さんの偽物…」


 なのはの問いかけに詩乃は茫然としたようになのはを見つめる。そしてその驚きの顔は次第に納得の色へと変わっていき、その表情は怪しむものへと変わる。


「…でも、どこで貴方は恭也さんの事を? 恭也さんは…10年前のTop-Gの崩壊の時に…」
「…亡くなったんですか?」
「…あの人は…新庄さん、えと、新庄運切の両親の護衛を務めていて…そのまま…」
「…新庄さんの両親の?」


 なのはは詩乃から告げられた情報に眉を寄せ、目を細める。どうして御神恭也が新庄の両親の護衛を務めていたのか? 疑問が過ぎるが、10年前の事だ。詩乃が知っているとは思えない。
 それに聞きたい事はそこじゃない。これはあくまで確認だ。戸田命刻も知っているならば、田宮詩乃も知っているのではないか、と当たってみたのは正解だったと。


「…その御神恭也って、幾つぐらいでしたか?」
「えと…だいたい18歳ぐらいですけど…」
「…そう、ですか」


 やはり間違いは無いようだ、となのはは確信して溜息を吐く。つまりは10年前に存在していた「御神恭也」は確実に青年で、だけど、その10年前に青年であった筈の「御神恭也」は自分の祖父として60年前に存在している。
 この矛盾点はどういう事なのか? なのはは考える。まるで「恭也」が2人いるようにも思えるが、そんな事はあり得ない筈だ。
 異なる時代に存在する「恭也」。これは一体どういう事なのか、となのはは思考を巡らせるも、答えは出る事はない。


「…あの…」


 悩み耽っていたなのはにおずおずと詩乃は声をかける。それになのはは思考に潜らせていた意識を浮上させて詩乃と視線を合わせた。


「それで…貴方はどうして恭也さんの事を知ったの…?」
「…遺言を託されたんですよ。御神恭也さんに」


 自分の祖父だと言う事は敢えて伏せる。これを言えば面倒な事になるだろうから、となのはは思ったからだ。正直自分でもわからないのだ。
 それを聞いた詩乃は少し驚いたような顔をした後、なのはを真っ直ぐに見据える。膝の上に置かれた手は強く握られていて。


「……どうして…」
「…?」
「…どうして貴方は、全部知っていても、あんな事が言えたの?」


 詩乃はなのはの言葉の全てを聞いている。自ら悪役になろうと、Top-Gの人間に対して挑発とも取れる言動の全てを。
 全部知っていて、それでも尚、彼女はどうしてあんなにも自らの意志を貫き通せたのだろうか、と詩乃は疑問に思ったのだ。
 その詩乃の問いかけになのはは何度か瞬きをした後、瞳を伏せて小さく息を吐き出した。


「…幸せだから」
「…え?」
「今が凄い幸せで、それを壊されたくなかったんです。ただ護りたかった。確かに…申し訳ないって程度じゃない事をこの世界はしてしまった。だけど…私はこの世界が好きなんだ。詩乃さんがTop-Gを大事に思うように、私だってこの世界が好き」
「……」
「それを許せない、って思うならそれで良いです。だけど…正直に言えば、私は迷惑です。私達は何も知らない。ただ目の前に危機があって精一杯やってきました。自分たちなりに、この世界を護ろうとして、良くしようとしてきた。それを否定されたくない」


 だから、となのはは小さく呟きを入れてベッドから腰を上げる。立ち上がり、詩乃と向き合うように視線を向けて。


「…だから真っ向から全部、受け止めます。詩乃さんの苛立ちも、悲しみも、憎しみも。そして認めて欲しい。私達がここにいても良い。そんな未来が選べるまで」


 そっとなのはは胸に手を当てる。思い出すのはフェイト、そしてヴォルケンリッター達との戦いの日々の記憶…。


「言葉にしなきゃ伝わらない。だけど言葉でも届かない思いがあります。だから私は言葉も、力も、感情も、全部と向かい合っていきます。私には…そんな方法しか思いつかないから。それが正しいって思うから、私はそうして生きていくんです。それが、私らしい生き方ですから」


 浮かぶのは笑みの表情。それはとても力強い笑みだ。その表情に詩乃は思わず見つめてしまう。それは見ていてとても魅力的な笑顔だ。
 思わず惹かれてしまうような、そんな笑み。そんな笑みが出来るのはきっと心から笑っているからだろう、と詩乃は思う。そうなのだと理解する。
 あぁ、だからこそ詩乃は羨ましい、と思う。そんな笑顔を自分も出来たら…そして義姉さん、命刻にもそんな笑顔をして欲しかった。
 皆、どこか何かを抱えている。だからこそ心の底から、本当に笑えているのかどうかはわからなかった。皆、そう、皆そうだった。
 昔は…そこにあった筈の笑顔は無くなった。全てはLow-Gが全てを壊してしまったのだから。だからこそ…それは許してはいけない筈だった。
 忘れる事など許されない。知ればお前達だって笑えなくなるだろう。そしてそれがお前達の罪だと、それを突きつけるのが軍だった筈だ。
 なのに…彼女は違う。彼女は心の底から笑っている。自分の行いが正しいと胸を張れている。それは憎しみを感じる前に強いな、と感じてしまう。


「……貴女は、強いね」
「…強くなりたかったんです。嫌いになりたくないから」
「…嫌いに?」
「嫌いなものばかりだったら、きっと生きるのが辛いですよ。人だから嫌いなものはやっぱり出来る。だけど…出来るだけ、些細な事でも好きだと思えるようになればきっと、とっても幸せになれると思うから」


 それは例えば、友達と話す何気ない日々。
 それは例えば、家族と過ごすかけがえのない時間。
 それは例えば、ふと目にしたものを愛おしく思える瞬間。
 それは例えば、目的に向かって進んでいく事への達成感。
 その1つ1つが輝いていけるなら、きっと人生だって輝いていける。何気ない事の全てが輝くならその人生はつまらないものになる事なんてあり得ない。


「幸せは、やっぱり自分で感じなきゃ得られないから。誰かに貰った幸せは、やっぱり私が感じたからで、それを得るためにはきっと何かしなきゃいけないし、してあげられたらもっと良いって、私は思います」
「…ぁ…」


 誰かに貰った幸せ。だけど、それを幸せだと感じるのは自分。
 あぁ、と詩乃は声を漏らす。それはなんて、それはとても、それは…納得の行く言葉なのだろう。
 幸せである事。幸せでいて欲しいと願ってくれていた人がいた。その人はきっとそれを正しいと思って私にしてくれたんだろう。
 だけど、じゃあ…私はあの人に、命刻義姉さんに何をしてきたのだろう。あの人が幸せになれるように何かをしてきたのだろうか?
 何もしてあげられてないんじゃないだろうか。自分は…何もしてあげてなかったんじゃないだろうか。
 そう思うと胸が苦しくなった。どうしようもなく目尻が熱くなる。え、と思うと同時に涙が零れていった。
 なのはが驚くような顔をしているのが詩乃には見えた。だけど詩乃は何も言えない。どうして自分が泣いているのかもわからない。
 ただぽろぽろと、ぽろぽろと涙が零れていく。何をしてあげられたのだろう、何もしてあげられてない。思えば思う程に涙が零れて…。
 その涙を拭うようになのはが手を伸ばす。そっと伸ばされた手は詩乃の涙を拭う。


「…悲しいんですか?」
「…悲しい…のかな…」
「…わかりません。だけど、理由も無く流れる涙はないですから」
「……」
「それはきっと、詩乃さんの思いですよ。だから…流した方が良いと思います。我慢しないで、全部。じゃないと溜まっちゃって苦しくなっちゃうから」
「…っ…」
「…邪魔なら、出て行きますから」


 すっ、となのはが手を離そうとする。だが、その手を詩乃は反射的に掴む。何かに縋っていないと不安で仕様がなくなる。ただ手が震えて、喉の奥が震えて、掠れた声が漏れて。
 なのはは自分の掴んだその手を優しく握り返す。包み込むように、繋ぎ止めるように。その存在を確かに感じさせるように。


「…泣いて良いんです」
「……っ…ぅ…ぁ…っ…!」
「大丈夫。大丈夫ですから…」
「あっ…ぁ、ぁぁっ…! ぁ、あぁ、あぁぁああああああっっっ!!」


 なのはの言葉が詩乃の心を縛りを解き放つ。解き放たれた詩乃の心は叫びとなって零れていく。
 ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で繰り返す。些細な事でも幸せな事。あぁ、それは当たり前になってしまえば輝かないけれど、だけど本当はとても大事な事。
 あの人は優しい。そう、優しいんだ。自分が傷付いても誰かが傷付かなければそれでも笑っていられる人じゃないか。
 本当は臆病で、だからこそ優しくて、だからこそいっぱい、いっぱい傷付いて。それでも、震えながらでも立ち上がっている。
 護られてきたんだ。ずっと、その背中に。ずっとあの背中が自分を護ってきてくれたんだ。震えても倒れず、崩れ落ちなかったあの背中が。


「義姉さん…! 命刻…義姉さん…!! ごめん…なさい…!! ごめんなさい…!!」


 私が弱いから。私がずっと弱かったから。だから傷付いて、それでも頑張ってきてくれたあの人の背中が。
 気付いてあげられなかった。気付いてあげるべきだったのに。なのに…私の目も曇っていたのかも知れない。
 私も私で一杯一杯だったのかもしれない。だけど、こうしてUCATに捕まって、もう何も出来ない。そんな立場になって、解放されてようやく気付けた。
 あぁ…私達は悲しかったんだ。ずっとずっと悲しくて泣いていたんだ。だから苦しくて、憎んで、そうじゃなきゃずっと泣いてしまうから。泣き続けるのは乾いてしまうから。心の全てを吐き出してしまうから。
 心の全てを吐き出してしまったら、得るものが無い私達には何も残らないから。だから欲しかったんだ。だから、ずっと、ずっと――。


「…辛かったんですね」
「…っ…ぅん…っ!!」
「…悲しかったんですね」
「…う…んっ…!」


 握ってくれる手の温かさが。握り返せば、握り返してくれるその手の感触が。受け止めてくれるその全てが…。
 望みたかった。望んでいた。そして望んでいる。私は…私達は、ずっとあの時に失った時の傷を癒してくれる何かを求めていた。


「…辛かったよぉ…! 悲しいよ…っ! だから…だからっ!」
「……はい」
「うぅ…っ、うぁあっ…うぁぁああっ…!!」
「……ごめんなさい。…私は、返す事は出来ないし、だからと言って何かを差し出せる訳じゃない。だから…全部、全部叩き付けてください。それは全て受け止めますから。全部、真っ直ぐに。必ず」


 詩乃は叩き付ける。それは弱々しい拳だったが、それはひたすらに重い。泣きじゃくるように涙を流しながら詩乃はなのはの胸に拳を叩き付ける。
 なのはは堪えるような顔をしながらその手を受け止める。受け止めて、包むように握って。
 暫し、詩乃の泣き声だけが部屋の中へと響き渡る。それは一人の少女の泣き声。「軍」として訴えた彼女とは違う、一人の彼女という存在の叫び。
 それは同じのようであって、少し違う。そしてその叫びはただなのはに響くように伝わる。響けば震え、震えは軋みとなってなのはに苦痛をもたらす。
 だけど受け止めると決めた。憎しみも、悲しみも。そして…そこから始めていく。自分が思うように。望むように。だからなのははただ受け止め続ける。彼女が泣き止むまで、ただ、何も言わずに…。





    ●





 …どれだけ時間が経っただろうか。響き続けた詩乃の叫びは止まっていた。詩乃は目に泣いた跡を残しながらも、落ち着いたのか今では鼻を少し鳴らすだけだ。
 なのははそんな詩乃を見つめている。詩乃は少し気まずげになのはから視線を逸らす。そして一息。一度瞳を拭ってあげた顔はとても晴々したものだった。


「…貴方はやっぱり強い人ですね」
「…そんな事ないですよ」
「…そんな事ありますよ。…いいなぁ。私もそうだったら…もっと早く気付いてたのかもしれないのに」


 そうすれば命刻義姉さんはもっと笑ってくれただろうか。何かが変わっていただろうか。もっと他に結末があったんじゃないかって詩乃は思う。
 だけどそれは最早過去の事。それはあり得ない未来。現にこうして自分はこうならなければ気付く事は無かったのだから。


「…今からじゃ、遅いかなぁ」
「…どうでしょう。でも、まだ終わってない。Low-GとTop-Gとの戦いも、各Gとの戦いも、世界も。本当の最後まで何一つ終わってないんですよ」
「…うん。そうだね」


 まだ終わってない。そう、まだ決着は付いていないのだ。ならばまだ時間はある。まだ機会はある。そう、それなら…と詩乃は思う。


「…なのはさん」
「なのはで良いですよ。敬語もいりません」
「…じゃあ、なのはちゃん。お願いがあるんだ」
「…何ですか?」
「…命刻義姉さん、貴方と戦っていた人がいるでしょう? あの人は凄く私の事を気にしてくれて、護ってくれた人なんだ。そしてきっとこれからも護ってくれる。護ろうとしてくれる。その為にきっと戦い続けると思う。
 …でも、本当はあの人は臆病で、それでいて優しいから。だから本当は戦いに向いてない人なんだと思うの。命刻義姉さんがどう思うかわからないけれど…だけど、もう、義姉さんは戦わなくても良いと思うの。戦わされる戦いは義姉さんにはもう、あって欲しくない」


 命刻が自ら刀を取るなら…詩乃は拒まない。義姉さんが望むなら、と笑って送り出してやろう。
 だけど自分の為に、我が身を削ってでも戦うというのならば…詩乃は、今の詩乃なら言えるだろう。だから、今、彼女はなのはに託す。


「…命刻義姉さんを止めて。もしも義姉さんが自分の為に戦うなら戦ってあげて欲しい。だけど…もしも私の為に戦うというのなら…絶対に止めて欲しい。もう私は足手纏いにはなりたくないの。命刻義姉さんには…命刻義姉さんの道を歩んで欲しいから」
「…詩乃さん」
「…だから、勝手だとは思うし…こんな事言ってたら裏切り者だと思われちゃうかもしれない。でも…それでも私は命刻義姉さんが大切なんだ。――私の家族だから」


 だから、と詩乃はなのはを真っ直ぐに見つめて。


「…お願いしても、良い?」


 詩乃の瞳が不安げに揺れる。なのははその瞳を真っ直ぐに見つめる。暫し、詩乃となのはの視線が交錯する。
 どれだけ間を置いただろうか。詩乃と視線を合わせていたなのははゆっくりとその表情を変えていく。――そして微笑みへと変わる。


「…えぇ、わかりました」
「…良いの?」
「詩乃さんは私にそう望んで、私もそうしてあげたいな、って思ったから。だから…やってみようと思います」


 なのはは力強く告げる。誰かに強制された訳ではなく、誰かに同調し、自ら力を貸したいと望んだが故に。だからその返答もまた力強い。
 なのはの返答に詩乃はそっと胸を撫で下ろす。そして思う。まだ自分は何か出来る。まだ自分はこの言葉を、思いを伝える事が出来る。何かする事が出来る。
 足手纏いかもしれない。だけどそれでも足掻きたい。足掻く事が出来る。それは…きっととても幸いな事。


「…ありがとう、なのはちゃん。本当に…ありがとう」
「御礼は良いですよ。まだ何も果たしてないんですから」
「…うぅん、それでも、私は今、御礼が言いたいんだ。…だからありがとう」


 詩乃もまた微笑む。言葉を、思いを受け止めてくれる彼女の存在はとても力強く、暖かく、そして頼もしい。
 それはきっと恐らく、なのはの力。恐らく、彼女の親友であるフェイト・T・ハラウオンも感じたのだろうなのはの力。
 曲がる事無く、ただ真っ直ぐに真っ向から全力で。受け止めてくれる彼女はとても魅力的なのだろう。
 きっと本人はそれを自覚してはいないんだろうけど、と詩乃は思わず思う。きっとソレは無自覚だからこそ輝く力。それが高町なのはという少女なのだろう。


「…じゃあ、御礼の代わりに私からもお願いしたい事があるんですけど、良いですか?」「…え? 何?」
「…Top-Gの話が聞きたいです。それから…御神恭也について教えてくれませんか?」
「…恭也さんについて?」


 なのはは頷く。その顔は真剣な表情で詩乃は思わず息を呑む。きっと何か理由があるのだろう。これだけ彼女が真剣になるだけの理由が。
 …命刻義姉さんの事に応えてくれた彼女だ。ならば自分もまた応えない訳にはいくまい、と詩乃は思い、頷く。


「うん、別に良いよ。…そうね…じゃあ、何から話そうかな…」





    ●





 あの人は、優しかった。
 あの人は、不器用だったけれど。
 あの人は、それでも優しかった。
 あの人は、私の頭を良く撫でてくれた。
 あの人は、あまり表情を変える事は無かったけれど。
 あの人は、それでも微笑む時はとても優しかったのだ。
 あの人は、とても強くて、優しかったからとても大好きだった。

 あの人は、御神恭也はそんな人だった……。
 …じゃあ、話すよ。あの人との思い出。私の知っている恭也さんの事を…。




 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 03(修正・微改訂)
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/05/01 22:40
 それはまだ…平和が謳われていた時代だった。
 そこは道場。壁に立てかけられているのは木刀や竹刀といったものが立てかけられている。
 そこで向かい合うのはまだ幼い少女と、一人の青年が向かい合っていた。青年は無手なのに対して少女が手に持つのは木刀だ。
 サイズは小太刀のものなのだが、それでもまだ少女で言えば普通の木刀と変わらないぐらいだろう。それを真剣な顔つきで構えながら少女は青年を見据える。
 青年は動かない。ただ静かに少女を見据えているだけだ。少女もまた青年を見つめる。互いに動かない時間。それを破ったのは――少女からだった。


「やぁぁああっ!!」


 少女が声を上げて青年へと斬りかかる。青年はその木刀の軌道を易々と見切り回避する。
ただ回避するのではなく、最小限な動きでだ。
 それに対して少女は青年へと再び斬りかかる。だがそれを最小限で青年は避けきる。斬りかかり、避けて、また斬りかかる。繰り返される動作の応酬。
 だが終わりはいずれはやってくる。からん、と音を立てて木刀を落とした少女は息を荒く吐きながら道場の冷たい床に身を投げ出す。


「はぁ…はぁ…っ…全然…当たらない…!!」
「当たり前だ。…当てられる訳がないんだ。だからそう落ち込むな。お前にはまだ早い」
「うー……」


 身を投げ出した少女は怨みがましい視線で青年を睨み付ける。それに青年は少し困ったように眉を寄せる。ぽり、と指で頬をかいている。


「竜美を虐めるなーっ!! アレックスキィィイックッ!!」


 そんな青年に対して飛びかかる影がいた。その影の存在に気付いた青年はこれもまた最小限の動作で影を避け、その影の首根っこを掴む。
 青年に首根っこを掴まれてぶら下げられるのは金色の髪を短く切った少年だ。彼はジタバタと暴れながら青年の拘束から逃れようとしている。


「ぬぉおおっ!! 離せ、離せーっ!!」
「…虐めている訳じゃないんだがな…」
「悪の手先の言葉など信じるものかーっ!! この正義の味方のアレックスが成敗して…」
「アレックス。あっちにお菓子があるんだが、皆で食べるか?」
「前言撤回なのである!!」


 青年が指差しで告げた棚のお菓子を視線に入れた金髪の少年―アレックス―はすぐさま前言撤回を宣言するのと同時にお菓子の棚へと全力疾走していった。
 その姿に青年は苦笑を浮かべて振り返る。道場の隅、青年と少女の稽古を見つめていたその影に青年は笑みを浮かべる。





 …そう…。
 こんな感じだった。いつも、竜美さんがあの人と稽古をつけて貰って。そんなあの人にアレックスが飛びかかって、私と命刻義姉さんがそんな光景を見守る。
 そんな日々が…あの人の、御神恭也の周りにはあった。不器用だけど、どこか優しかった。そんな日々が……。





    ●





「…恭也さんはね、剣術家の生まれで、家は代々ボディーガードの仕事をしてたんだって。それで私達の両親の護衛とか勤める事があってよく顔を合わせてたの」
「…そうなんですか」
「…うん。やっぱりTop-Gもそういう所はLow-Gとか、他のGとかと変わらないよ。大人の汚い事情、って言うのかな。…私もまだよくわかってないんだけど、聞いた話だから」


 誰かが何かを唱え、それが認められれば必然とそれに対する何かが付随する。栄誉を得れば、それに対する賞賛と共に妬みもまた生まれる。
 詩乃達の親達はTop-GのUCATに所属していて、その地位もかなり高い位置に居たようだ、と詩乃は話した。そしてそれ故に狙われる立場でもあったと。
 だからこその護るための力が御神恭也だったのだろう。そして詩乃達は必然と恭也と時間を共にする事が多かったのだろう。


「…後は…恭也さんの妹が私達と年齢が近かったから。そういうのもあったから仲が良かったのかな」
「…御神菜乃花…」
「…うん。優しかったよ。喧嘩とか嫌いで、喧嘩とかしてたらすぐに止めに入って。でも恭也さんと違って運動音痴だったけどね」


 まるで自分、となのはは思う。喧嘩を止めた、と言っても記憶に残っているのはすずかとアリサの事ぐらいだが。だが運動音痴だった所などはまるで自分のようだ。
 御神恭也が自分の本物である事はもう疑いようの無い事実だが、話を聞けば聞く程、御神菜乃花が自分にソックリのようにも思えてくる。


「パソコンとかに詳しかったりしたんだ。算数もいっぱい教えてもらったりしたよ。…代わりに国語とか駄目だったけど」
「…へぇ…」
「…良い子だったよ。本当に。…凄く優しかった。明るかったし…」


 そう告げる詩乃の声は懐かしむような声であるのと同時に…悲しみを宿していた。その言葉の意味を気付けない程、なのはは鈍くはない。
 もういないのだ。御神菜乃花という少女は。そして御神恭也という青年も、またいない。もはやこの世には生きてはいない。死者でしかない。思い出すだけしか出来ない記憶の存在。


「…ごめんね、なんかしんみりしちゃって」
「…いえ、仕様がないですよ」
「…うん。ありがと。気をつかってくれて」
「聞いたのは私ですから。…辛い事を思い出させるような事してごめんなさい。…それでも御神恭也の事を知りたかったから」


 なのはは座っていたベッドから腰を上げる。これ以上は詩乃も話すのは辛いだろう、と思ったからだ。恐らくだが、まだ詩乃にはその事を思い出して話せるだけの余裕はないだろう、と。
 人の死はそんな簡単に覆せるものではない。更に言えば故郷が最早存在していないのだ。だからまだ詩乃にはきっと辛いだろう。それが話せるようになるのは…全竜交渉が終わり、また幾年かの時間が必要だろう。


「色々お話してくれてありがとうございます、詩乃さん」
「…うぅん、いいよ別に。…でも、どうして恭也さんの事を知りたいの?」
「…ちょっと理由がありまして。彼がどんな人なのか知りたくて」
「…そっか。…私の印象は不器用だけど優しい人だったかな」
「そうですか…」
「…あ…。後は、そうだな……よく、悩んでるみたいだったかな」
「…悩む?」


 詩乃のその言葉になのはは思わず眉を寄せる。詩乃は思い出すような仕草をしながらそっと口にする。


「うん、なんか気付いたら考え事してるみたいでぼんやりしてたんだ。恭也さんに聞いたら「悩み事があるんだ」って言われたの。何を悩んでるのか、って聞いたこともあるけど…「自分がどう生きたら良いかわからない」って言ってたかな…」





    ●





 なのはは詩乃との会話を終えた後、地下から出て休憩室に向かっていた。そこで缶ジュースを適当に選んで購入する。
 それを口につけながらなのはは詩乃との会話から見えてきた御神恭也という人物に対しての印象を思い浮かべる。


(…やっぱりお兄ちゃんかな。お兄ちゃんと似たような人なんだろうな)


 詩乃から聞いた話から思い浮かべるのは自分の兄の姿だ。名も同じで、妹が自分と似ている、更に第一印象も似ているとなれば兄が連想される。
 という事はやはり御神恭也は自分の兄である恭也と似たような印象を持っていたのではないか、となのはは推測する。
 頭を回す為に冷たさと甘味を求めてなのはは再びジュースを口に含む。ほどよい甘さがなのはの味覚を刺激する。


(…自分の生き方について悩んでた、か…)


 そこはまるで自分のようだ、と思える部分もある。自分の生き方について悩んでいたというのは自分もまた同じであるからだ。
 同じ、となのはは思った所でふと思い出す。御神恭也は属託魔導師として管理局に赴いた事もあった筈だ、と。
 つまり…それは本当に自分と同じだったのではないだろうか、と。魔法と出会い、自分の生き方をどうすれば良いのか迷っていた? そうだとすれば納得は行くが…。


(…駄目だ。全然情報が足りない)


 それとなく詩乃に「ミッドチルダ」の事を知っているかどうかを訪ねたが、詩乃は知っているようには思えなかった。聞かされていないだけと考えれば納得がいく。
 では…御神恭也は誰かに「ミッドチルダ」の存在を話していたのだろうか? そんな疑問がなのはの脳裏を過ぎる。
 自分だったら…、兄だったら…、と想像は巡る。だが巡るだけで答えを得る事は出来ない。答えへと至る為の重要な情報があまりにも足りなすぎる。
 思わず苛立ちにジュースの縁を噛む。がり、と鈍い音が響いてなのはの歯に嫌な感触を与える。思わずなのはは眉を寄せて、苛立ちを抑えるようにジュースを口に含んだ。


「――お悩み事かね!? 高町君」
「ぶふはっ!?」


 突然、天井から逆さまの状態で現れたジェイルに対してなのはは思いっきり口に含んでいたジュースを噴出させた。ジェイルはそれを振り子の要領で回避する。
 ぶらりぶらりと揺れるジェイルを前に、膝をついて咳き込むなのは。噴出の仕方が悪かったのか、鼻に入ってしまったらしく、それに気持ち悪さを感じる。
 ジェイルは天井裏から自分をつり下げていた縄を外し、なのはの前に華麗に着地する。その仕草になのはが真っ先に行ったのは、ジェイルの顔面を容赦なく蹴り飛ばす事だった。


「何なんですか貴方は!? いきなり天井裏から現れるだなんて何考えてるんですか!?」」
「ふっ、天才の考える事は常に誰にも理解されない…。寂しい事だとは思わないかね? 高町君」
「…くっ…この…っ!」


 思わず苛々としてくるこの対応になのはは拳を握りしめる。本気で殴ってやろうか、となのはが思うが、それに勘づいたのかジェイルは白衣のポケットに手を差し込み、なのはへと何かを差し出した。
 差し出されたのは手紙だった。それになのはは怪訝そうな顔を浮かべて瓶へと視線を向ける。これは何だ、と言うかのようにジェイルへと視線を向ける。


「趙前医務室室長の遺品から、君に宛てられたものだ」
「…え? 趙先生が…私に?」


 なのはが脳裏に思い浮かべたのは、UCATに来た当初、自分を治療してくれた女医の姿だ。結局、なのはは彼女に会ったのは最初の出会いが最後だった。
 彼女は7th-Gとの交渉後、つまり軍の襲撃後に亡くなっているのを発見された。なのははその報は7th-Gとの交渉の結末を佐山達から聞いた時には知っていたが、少し胸を痛めるだけで、忙しさの中に埋もれていった。
 だが今になって思い出されるのは、彼女が自分に対して残した遺品によってだ。


「君に何かを託そうとしたのだろう。これは君宛だから私は内容は知らないがね」


 ジェイルはなのはに手紙を手渡す。なのははそれを受け取り、両手で包むようにしながら瓶を握る。手の中に収まった手紙を少し見つめた後、なのははそれをポケットにしまった。


「…わざわざありがとうございます」
「なに。後任として前任者の遺品整理ぐらいはやらんとね。見つけたのはつい先ほどだがね」


 用は済んだ、と言わんばかりにジェイルは背を向けて歩き出す。その背になのはは慌てて声をかける。


「ジェイルさん!!」
「何かね?」
「御神恭也の事について知ってるなら教えてください! 私、御神恭也の事が知りたいんです!!」
「…知ってどうするというのだね?」
「終わらせるんです。御神の因縁を。…御神の因縁はまだ終わってない。それを終わらせる為には真実を知らなきゃいけない。それを知って、どうするのか考えなきゃ終わらない。ただ戦うだけじゃ本当の終わりじゃないから」


 なのはの言葉にジェイルは足を止める。背を向けたまま、ジェイルは何かを考えるかのように天井を見上げた。ただなのはは足を止めてジェイルの返答を待つ。


「…君とはある意味、対極の存在ではあったね」
「…え?」
「以前の君を考えると良い。…まぁ、私はそれしか言えないがね。私が知る恭也はあくまで御神恭也だけで、不破恭也を私は知っている訳ではないのだから」


 妙な言い回しを残し、ジェイルは再び歩き出す。そのジェイルの言い回しになのはは思わず眉を寄せ、そっと唇を撫でた。
 御神恭也と不破恭也は同一人物。それは恐らくは間違いない筈。だが問題なのは御神恭也は10年前に死去している筈で、なのに不破恭也は60年前には存在している。
 この矛盾の答えをなのはは見いだしてはいない。その答えへの手がかりは趙から託された手紙にあるのだろうか、となのはは思い、ポケットを撫でた。





    ●





 かさり、と封を開く音が響く。
 なのはは自室に戻り、趙に宛てられた手紙の封を開いた。そこには何の変哲もない手紙と写真が入っていた。
 なのはが最初に手に取ったのは写真だった。そこには趙が映っていた。その写真には超以外の人間もたくさん写っていた。
 皆が楽しそうな、そんな明るい表情を浮かべている。その面々を見て、不意になのはは一人の男に目を奪われた。


「お兄ちゃん…!?」


 そこに映っていたのは兄と瓜二つの男。咄嗟に兄だと呼んでしまったがなのはは理解する。彼こそが…御神恭也、そして不破恭也なのだと。
 そして不意になのはは恭也の隣に並ぶ女性へと目を奪われる。黒髪の長髪の女性だ。気さくな感じで、明るい雰囲気が写真越しでわかる。
 恭也と肩を組んで親しげな様子で映っている2人。なのははその女性を見て、何となくわかった。何故なのかはわからないが、それは何となくわかった。


「…お婆ちゃん…」


 写真に写っているのは自分の「本当」の祖母なのだと。
 実際にはなのはは不破雪花とは出会った事はない。何故ならば彼女もまたもう既にこの世を去っているからだ。士郎が物心つく前にこの2人はまた死しているのだから。
 だからなのはは直接的に自分の祖母と顔を合わせた事がない。本当の祖母。会った事のない、本物の自分の伴侶。
 一体どんな人だったんだろうか、となのはは疑問に思うも、その疑問を解く為の手がかりは余りにも少ない。


「…趙さんの手紙…」


 ふと、なのはは視線を趙の残した手紙へと向ける。何か書いてあるだろうか、となのはは写真と添えられていた手紙を手に取った。



『 高町なのはへ

 この手紙が渡ってる時にはもう私はいないだろう。遺書なんだから当たり前なんだが。
 この遺書と同封されている写真を見ればわかるだろうが、この手紙を残したのは不破恭也、そして不破雪花についての事を教える為だ。
 教えるとは言っても私はあえて言う事は絞る。なぜならもうこの手紙を読む頃にはUCAT、そして全竜交渉の面々に加わってるだろう。
 だから敢えて多くは言わない。アンタが知りたい過去はアンタが自分で追う必要があるからだ。だから少し私の思い出話をしようと思う。
 私が恭也と出会ったのは、佐山がボディガードとして彼を連れてきたときが初めてだ。
 その時に恭也と一緒に付いてきたのが、アンタの祖母である不破雪花だ。なんというかデコボコな2人でね。だからピッタリ嵌ってるってのが印象かね。
 何て言うか当てられるっていうのかね。本当、人前でいちゃいちゃと、ってのが良く記憶に残っているよ。
 恭也は物静かな奴なんだが、それを引っ張って振り回すのが雪花、みたいな構図だったな。
 まぁ、そんな感じの奴等だったよ。恭也と雪花は。 』



 なのはは趙の手紙を一度そこまで読み、ふぅ、と一息吐き出す。趙の話を聞いて思い浮かべるのは自分の兄と、その恋人である月村忍の姿だ。
 あんな感じなのかな、と思い浮かべながらなのはは手紙を読み進める為に、再び手紙に視線を落とした。


『 恭也についてはだいだいこんな感じだ。良く飛場と稽古してたり、佐山と話してたり…まぁ、その中で一番話をしているとしたら、恐らく、衣笠だろうね。
 私も詳しくは知らないが、どうもアイツ等知り合いだったみたいでね。なんかそれで良く話をしてたりしてたよ。
 私が言えるのはこれぐらいかね…。これ以上話すと、色々と余計な事を言ってしまいそうだ。昔を思い出すと口、いや、筆か。これが饒舌になってしまうからね。


 最後に高町なのは。正直に言うと私は後悔がある。だがその後悔は言わない。ただ後悔したんだ。その後悔を抱えて生きるのは辛い。
 だから、アンタは後悔するな。アイツのように、恭也や雪花のように後悔しないで満足して生きろ。アイツ等の孫ならそれぐらい為してみろ。
 後悔しても、それを精算して、何も抱えずに、抱えてもそれを苦に思えないなら…それはきっと素晴らしい人生になるさ。
 アンタの人生に幸運がある事を祈ってる。

     趙 晴 』



 …そして手紙は終わっていた。そしてなのはは疑問に思う。


「…不破恭也と衣笠天恭が…知り合いだった?」


 益々わからなくなった。衣笠天恭もまた経歴のよくわからない人だ。この2人の接点とは何なのだろうか。
 やっぱりわからない。不破恭也と御神恭也。異なる時代に居る筈の同一人物…。


「…待って」


 そこまで考えて、なのははある考えを脳裏に思い浮かべる。なのはは趙の写真に手を伸ばし、それを見つめた後、なのはは勢いよく部屋を飛び出した。
 向かう場所は決めてはいない。だがとにかく確かめなければ。自分の考えが正しければ全ての納得がいく。それは余りにも滑稽な話だが、思いついた話、これしか可能性は考えられない。
 勢いよくなのはは走っていく先、そこでなのはが見つけたのは佐山と新庄の姿があった。なのははそのまま2人の方へと駆け寄っていき、荒く息を吐き出しながら声をかける。


「佐山さん、新庄さん!!」
「ん? 高町君じゃないか。どうかしたのかい?」
「はぁ…はぁ…、っ…調べて、欲しい事が、あるんです…!!」
「…調べて欲しいこと?」


 なのはの疑問に新庄が何なのか、と問うかのように相槌を打つ。それになのはは呼吸をゆっくりと取り戻すようにしながら2人を見つめて。


「不破恭也の…一番古い記録が欲しいんです。何でも良いんです。とにかく不破恭也がいつからこの世界にいるのか知りたいんです…!」
「…何?」
「そうすれば…わかるんです! 多分ですけど、根拠も何も無いですけど…!!」


 恐らく、不破恭也は、御神恭也は…――。





「10年前、Top-Gの崩壊の時に60年前に…タイムスリップしたんです!!」





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 04
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/05/11 21:53
 尊秋多学院。佐山達が通う学院。その中に存在する巨大な書庫、その名を衣笠書庫という。
 その場所で集う者達がいた。その者達は全竜交渉部隊の面々と高町なのは。彼等は思い思いに椅子に座ったり、壁によりかかったりなどの姿勢で向かい合っている。


「――…タイムスリップ、ねぇ」


 そんな中で口を開いたのは風見だった。彼女の顔には明らかな怪訝の色がある。それはまるで信じられない、と言うような口調だ。


「…概念、なんてものを知ってる身でも、なんていうか…SF過ぎるっていうか…」
「…しかし調べた資料から換算すれば辻褄は合う。10年前、高町君の「本物」と思われる御神恭也が何故、不破恭也として、つまり高町君の祖父として60年前に存在していたのか。年齢の一致を考えれば辻褄が合う」
「だけどさ…ならどうしてそのなのはちゃんの本物が過去にタイムスリップしたって事になるのよ?」


 風見の疑問に答えるのは佐山だ。彼はなのはの依頼があった後、すぐさま8号を通じて情報を集め、検証した。そして出た結果はなのはの予想を裏付ける結果だった。
 不破恭也、旧姓は御神。年齢はTop-Gで彼が死した筈の年齢とほぼ同一。そして同一人物だという証拠がある以上、彼が時間旅行をしている事は間違いない。
 それは認める。それは確かにそうだと言える。だが…肝心のそのタイムスリップの要因は何なのか? それが風見の抱いた疑問でもあり、同時に皆が抱いた疑問でもある。


「…Top-Gの崩壊と何か関係がある、って事だよね」


 新庄が思わず呟く。確かに、そう考えるのが自然だろう。実際、Top-GはLow-Gによって攻められ、崩壊したという話だが、実際、何がどのように起き、そして滅びへと至ったのか佐山達は知らないのだ。
 だからこそ、そこに何かがある。そこに隠された何かがある。そこに真実がある。ならばそれを追うべきなのだろう。
 そしてもう一つ…。なのはがもたらした情報によって明かされた重大な事実。


「…そして…それが衣笠天恭の正体を知る手がかりにもなる」


 この書庫の名にもなり、過去、各Gを滅ぼした八大竜王の長として君臨した謎の人物。その正体を知る手がかり。


「…不破恭也と衣笠天恭が知り合いだった、か」
「…そうだとするなら、御神恭也に60年前に知り合いがいる筈がない。ならば…また衣笠天恭もまた未来から過去へと遡った人物だという事だろう。10年前のTop-Gの崩壊の日、不破恭也と共に過去に飛んだのだろう」


 原川の呟きに、佐山が朗々とした口調で告げる。腕を組み、皆を見渡すように視線を向けて彼は告げる。


「…ならば衣笠天恭の正体もまた特定が可能かもしれないな」
「…えと、衣笠天恭の情報を纏めると…八大竜王の長で、神州世界対応論を提唱した人で、そもそもの概念戦争のキッカケを作った人。そして…ゲオルギウスの制作技術を提唱した人。あとは…バベルを見つけて…」


 新庄は改めて呟いて思う。改めて口にしてから纏めていく。ふと不意に新庄は思う。そして不思議に思い、何かが急速に嵌り出す。
 バベル。Low-Gに存在するTop-Gが過去にLow-Gに建造したと思われる概念創造施設。それを見つけた事により始まった過去の遺物。
 そのバベルを見つけた衣笠天恭。彼が未来の人物だとしたら彼はバベルを知っていたと考えるのが自然だろう。つまりUCATの人間で…。

 どくり、と心臓が跳ねる。

 衣笠天恭が提唱したのは何だ? ゲオルギウスの制作技術だ。ゲオルギウスとは佐山の母、佐山論命が佐山に残した概念武装だ。
 概念を増幅・反転をさせる効能を持つ武装で、何故か佐山と新庄以外の装備を拒む。そして本来は左右一対らしいのだが、片方は失われているらしい。
 最近の情報でゲオルギウスの片方は衣笠天恭が有しており、彼が良く知る「書斎」に隠したという話だ。それが恐らくこの衣笠書庫ではないかと言われていて…。

 また、どくりと、心臓が跳ねる。

 そして新庄は聞いた。何かが閃きそうなその一瞬の瞬間、引き絞るような声を。


「――佐山君!?」
「っ…大丈夫だ、新庄君…。私は…大丈夫さ」


 胸を押さえ、佐山は苦しそうに呟く。その佐山の手をそっと新庄は握る。でも、と新庄は疑問に思う。佐山は確かに狭心症を患ってはいるが…それは家族の時を思い出した時だけで…。


「…あ、あの、佐山、さん? ヒオ…その、もしかして、もしかしなくとも…凄い事…気付いてしまったんじゃ…」


 ヒオが怯えたように声を出す。それに皆もまた気付いたように視線を向ける。
 衣笠天恭の情報を纏め、それが合致する人間を捜せばその人物は不意に出てくるだろう。そしてそれに気付いたが故に、佐山は心臓を抑えた。
 誰もが気付いた。そして、誰もが何も言えなかった。胸を抑えながら佐山は瞳を閉じる。そして息をゆっくりと吸い、吐き出すように言葉を告げた。


「…あまりにも、その条件が合致する人間を私は知っている」


 その言葉に込められた想いは何なのだろうか。それはまだ確定的ではないが、最早確定していると思うまでに、あまりにも合致し過ぎている。
 はぁ、と佐山が震える吐息を吐き出す。崩れ落ちそうな佐山を新庄は抱き留める。その新庄に対して佐山は微笑みかけながらも、自らの手を拳へと変える。


「……佐山先輩…衣笠天恭ってもしかして…」
「…あぁ…。衣笠天恭の正体は……――」


 飛場の静かな問いかけに、佐山はゆっくりと息を吸い、引き絞るように息を吐き出しながらその答えを紡いだ。


「――私の父、佐山浅犠だろう」


 佐山の呟きと共に、佐山の頭上に居た獏が反応を示す。それは獏が皆に過去を見せようとしている動作――。





    ●





 なのはは見る。戸惑いを覚えながらも、佐山から聞いた獏の話を思い出した。
 ここは過去なの? となのはは疑問を覚える。自らの意志で動かぬ体。ただ見せられるだけの映像。
 そして見えてきた映像は光の結界が作られていく世界だった。結界魔法とは違う。空は白く、空気そのものが光を帯びているかのような不思議な世界。
 僅かに届く歌になのはは耳を澄ませる。それは聞き覚えのある清しこの夜だ。何故、となのはが疑問に思った直後だ。
 その世界の中央を駆けてくる影があった。それは四つの影。そして次第に先頭を行く影がなのはの視界に映ってくる。


 ――新庄さん!?


 そこでなのはは驚きに目を見開く。そこに居たのは幼い新庄の姿だったのだから。そしてその新庄を追うように駆けてくる3つの影。一人は女性、一人は男性、そして…。


 ――お兄ちゃん…違う!


 現れたのは、御神恭也だ。無表情に近い表情のまま、駆け抜けていく。なのはは駆けていく4人の姿を見つめる。ふと、そこでなのはの視線は男性が抱える2つのアルミケースだ。
 それに意識を取られていると、前を走っていた新庄が転びそうになる。それを男性が支えて転ばないように手助けをする。
 新庄はどこか戸惑いのような表情を浮かべながら男性に御礼を言う。それに男性は笑って返す。そして男性はふと、女性へと視線を向けて。


「急ごう、由ーさんが笑って送ってくれたんだ。必ず間に合わせる。じゃないと合わせる顔が無い」


 はは、と男性は軽く笑って駆ける。その視線は新庄へと向いて。


「由ーさんと、アイツの夫が僕達に預けた子だ。――必ず外に届けなくちゃ。そうだろう? 御神恭也」
「…あぁ。あの人が任せてくれた。なら、俺は運切を護るさ。佐山浅犠」
「…今更だが、僕を怨むかい? 君は」


 駆けながら男性―佐山浅犠―は目を細めて恭也へと問いかけを投げかけた。それに対して恭也は首を振る。ただ彼は真っ直ぐに前を見据えて。


「憎まないさ。あの人達が選んだ結末を俺が憎んで何になる。悔しさはあるが、憎もうなどとは思わない。…思いたくない」
「…そうか。だが、無理はしなくて良い。それが僕の役目だ。憎むなら憎んでくれ」


 浅犠の言葉に、恭也はただ静かに頷いた。なのははその恭也の顔を見つめて思う。あぁ、この人は――私と同じだけど、真逆なんだ、と。
 なのはがもしも同じ状況に立たされたら、きっとなのはは素直に怨むと言うだろう。だけど怨みたくはないから何か方法を探そうとする。
 だが御神恭也は違う。彼は最後の最後まで自戒して、溜め込んで、我慢して。だけどそれでも自分の願いを歪ませないように真っ直ぐだ。
 それはなのはとは逆の応えでありながら、結果は同じ。ただ吐き出すか、吐き出さぬか。恐らくかつての自分は御神恭也と近かったのだろう。
 望みたい未来の為に、自分を曝しながらも世界を作ってゆくのか。それとも自分を隠しながら世界を作ってゆくのか。ただ、それだけの違い。


「あ…! 皆…」


 ふと、女性が喜びの声を挙げた。なのはは恐らく、この人が佐山のお母さんである論命さんなのだと理解する。
 彼女の喜びの声。――だがそれを嘲笑うかのように虚光の爆発が迫る。それは4人を押し流そうとする。彼等は走る。だが、それが間に合う事は無い。


「飛べ! 御神恭也ッ!!」
「ッ!!」


 浅犠が叫ぶ、ほぼ浅犠と並んで走っていた恭也が半ば無意識に地を蹴った。だが、そこで恭也は見たのだ。浅犠が左手を伸ばす。その伸ばされた手は――新庄を抱いた論命を押し出していた。
 彼は笑っている。これで良い、と満足げに。だが、それを見た恭也は――。


「――待て、佐山浅犠ッ!!」


 彼は思わず浅犠へと手を伸ばす。だが、飛んだ事によって前へと進む体は止まらない。だが、浅犠へと手を伸ばす動作は本来なら、彼が抜け出せただろう結果を狂わせる。
 そして…光が閉じる。全てが消えた場所に残されたのは女性の悲嘆の叫び声。それを聞いているのは幼い新庄で……彼女はただ、そこに残された佐山浅犠の左腕を見つめていた。





    ●





 意識が現実へと戻ってくる。衣笠書庫の古くさい本の香りが鼻を擽る。なのははその感覚に思わずふぅ、と息を吐き出す。


 ――これが、始まりなんだね。


 これは1つの終わり。だが、それは同時に始まりだったのだ。自分の宿命の始まり。自分が受け継いだ願いの始まり。
 だが肝心な所はまだわかっていない事ばかりだ。どうしてTop-Gは滅びたのか? 何故Low-GはTop-Gを滅ぼそうとしたのか?
 ハジの言っていた事は全て真実だったのだろうか? いや、違う、となのはは首を振る。それならば御神恭也が佐山浅犠と共に行動する事はない。
 彼と自分は確かに真逆だが、それでも単純にLow-GがTop-Gを滅ぼそうとしていたのならば、例え敗北したとしても最後まで抗っている筈だ。
 きっと、まだ知らされていない何かがあるのだろう。だからなのはは確信する。きっとまだ何かわからない事がある。だからそれを知っていかなきゃいけないんだろう、と。


「…っ…ぁ…」


 そこに、不意に声が響いた。なのはが視線を向ける先は新庄だ。新庄は泣いていた。堪えるように胸を左手で掴み、その左手、正確には左手に付けている指輪をそっと押さえる。
 その指輪は過去の映像の時に見たもの。佐山浅犠の指に収まっていた筈のもの。そう言えば、となのはは新庄があの指輪を大事に持っているのを見たことがある。
 その新庄を優しく支える人がいる。佐山だ。佐山は自らの左手を新庄の手に重ねて、右手で新庄の肩を抱く。そこでなのはは気付く。佐山の指に収まっている指輪にだ。
 その指輪はあまりにも新庄のしているものと似ている。ならば、恐らくあれは――論命さんの指輪なのだろう。お揃いのデザインの指輪で、左手につけている指輪。その意味を知らないなのはではない。


「…大丈夫かい? 新庄君」
「…っ…僕は…大丈夫…。佐山君は…?」
「…私は、大丈夫さ」
「…でも、軋んでるよね?」
「…あぁ。軋んでるよ、新庄君」


 ただ2人は支え合うように抱き合う。他の面々は空気を読んだのか、それぞれ明後日の方向を向いて沈黙した。
 なのはもまた何も言わない。今は言うべき空気ではない、となのはもまた口を閉ざす。
 どれだけ皆が沈黙していただろうか。ようやく落ち着いたのか、佐山と新庄は互いに距離を取って――その視線をなのはへと向けた。


「さて…高町君のお陰で重要な事がわかった」
「…重要な事?」
「――ゲオルギウスの所在だよ」


 なのはの問いかけに、佐山は頷きと共に答えをもたらした。





    ●





 本を整理する音がただ静かに流れている。ここは衣笠書庫の中の準備室だ。本を整理しているのは原川とヒオの2人だ。
 佐山は過去、衣笠天恭を追った際、彼がゲオルギウスの片割れを佐山の良く知る場所に封印した、と言い残した。それが佐山は衣笠書庫だと当たりをつけていた。
 更に風見がもたらした情報、それは衣笠書庫の管理人である老人、ジークフリート・ゾーンブルクが毎日、決まった時間や暇な時などにピアノを弾いているのだと言う。
 音楽室は完全防音設計であり、廊下にも響く事はない。しかし、かつて、ある少女が飼っていた小鳥の鳴き声が準備室には届いた事があるのだと言う。
 しかし美術室には音楽室の音はやはり響かないのだと言う。そのことをかつてジークフリートは壁が共振しているのかもしれない、と言っていた。
 だが、もしもだが、奧に隠し部屋が存在するとすればどうだろうか? それならば音が通じて聞こえたのも納得が行く、と。
 故に準備室の整理を始めたのだが、本の並びにも仕組みがあった場合、それを完璧に戻すように本を出す事が出来るのは引っ越しのアルバイトをしていた原川のみだ。
 故に原川が本を整理するのをそれぞれが思い思いに時間を過ごしていた。佐山は新庄と、出雲は風見と、飛場は美影と。その中でなのはは一人でぼんやりとしていた。


「なのはちゃん」
「? 新庄さん? どうかしました?」


 不意になのはに声をかけてきたのは新庄だった。新庄の傍らには佐山がいる。佐山と新庄はなのはと向かい合うように立って。


「…いや、なんとなく声かけたくなって」
「はぁ…」
「…なんか、僕等って不思議な繋がりがあるんだね」


 新庄が何かに思い馳せるような表情を浮かべてなのはに言う。それになのはは確かに、と考える。新庄は昔はTop-Gにいて、命刻達と共に居た時期もある。
 その時期には自分の「本物」である御神恭也が傍にいて、その御神恭也が過去を遡り、不破恭也となって、佐山の祖父のボディーガードとなった。
 佐山の両親と新庄の両親にもまた何かしらの関係性があり…と、なかなかに奇妙な縁がある。だが、だからこそここにいるのだな、と納得出来るものでもある、となのはは思わず頷いて。


「…私は下手すればこの場にいなかった可能性もありますからねぇ」
「うん、そうだねぇ」


 なのはがもし撃墜していなかったら、なのはがもしも家出していなかったら。可能性は幾らでも数えられる。ただ、現実としてあるのはなのははこうして佐山達と共にある。
 なのはは思わず、いつかユーノと話した話を思い出していた。もしも、なのはが魔法と知り合っていなかったら。それはあまり考えたくない、と。今が幸せだから、と。
 だが、なのははそれによって大事な者を傷付けて、自分も傷付いた。だけど、だからこそようやく気付けた。本当に大事な事に。だからやっぱり良かった、となのはは思う。


「考えたくないですよね。もしも出会えなかったら、なんて」
「…そうだね。新庄君と私が出会えなかったら私は今でも燻ったままで居ただろうしね」
「…そうなんですか?」


 佐山の漏らした呟きになのはは少し意外そうな顔をして佐山へと問う。佐山は最初からこうなのだとなのはは正直に言えば思っていた。


「私も春まではこのような概念戦争などというもの、そのものを知らなかったからね」
「…そうだったんですか」
「あぁ。…それまでの私は本気になれる事が見つからなくてね。学生、という身分だが、学業にも力を入れる事が出来なくてね」
「…へぇ…なんか私もそんな感じでしたよ」


 佐山の話になのはは自分の昔を思い出して同調するように告げる。そうすれば少し新庄が眉を寄せて。


「…やっぱり似てるのかなぁ…? でも似てないよ…でも、うん…?」
「似てる? 私と佐山さんが?」
「ふむ。私が言い始めた事なのだがね。高町君はどう思う?」
「…似てる、ですか…。……とりあえず、私は佐山さんみたいな奇天烈な人じゃありませんから」
「奇天烈? 私としてはその小学生とは思えないような思考回路が奇天烈に思えるが?」


 なのはの返答に佐山はしれ、と軽く返す。それになのはは口元に笑みを浮かべながら佐山を見た。そう、ニコニコと笑ってだ。だがその背後の威圧感がそこはかとなく危険な香りを放っている。
 それに対する佐山はいつもの佐山だ。だがなのはの威圧感に対してこちらも威圧感を放っているようで、間に挟まれた新庄は思わず左右を見渡して、あうあう、と慌てふためいている。


「佐山さん、寝言は寝てからですよ?」
「高町くん、そんな当たり前な事を指摘するのは自分の常識の低さを露呈しているものだよ?」
「あはは、意味わかってないのかなぁ…。寝てから言ってくださいよ。何なら寝かせてあげましょうか?」
「私は新庄君の尻枕でないとなかなか寝付けなくてね…」
「ちょ、なのはちゃん、なんでそんな喧嘩腰!? そして尻枕ってなんだーっ!! 僕はそんな事はしないよっ!!」
「大丈夫だ新庄君。私の枕は新庄君の尻の感触を寸分狂う事無く再現した…」
「ゥアッパーッ!!」


 新庄が妙な叫びと共に佐山の顎に見事なアッパーを叩き込む。なのははその光景を見ながら、ふと、笑い声を零した。あぁ、本当に退屈しない日々だ、と。


(…ねぇ、ユーノ君。やっぱり…どんな事があっても私は貴方と出会えた事、後悔しないよ)


 思い出されるのは、見舞いに来た彼の悔やむ顔で。ごめん、と謝っていた。こんな事になったのは自分の所為だから、と懺悔する彼の姿。


(…全部終わったら、皆に顔向け出来るように、胸を張れるようになったら言いに行こう。――私は、幸せだよ、って)





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 05(微追記・修正)
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/05/12 19:32
 どれだけの時間が過ぎただろうか。原川がようやく書庫の整理を終えて見えてきたものは、ほぼ均等になっているのだ。同じ幅の本棚からそのまま抜いたならば当たり前だ。


「だが、正確すぎる」


 そう呟くのは本を整理した本人、原川だ。彼の前に詰まれた本は全部で六列。その内の四列が他の二列よりも本一冊分ほど下に窪んでいる。
 そしてその四列、そして二列がほぼ、いや、まったくの高さなのだ。これは明らかに作為的なものを感じる、とその場に居た皆は思う。


「…ゲームであったよね? こんなの」
「ゲーム…?」


 ふと、皆が頭を悩ませる中、新庄は不意に呟いた。それに相槌を打つのはヒオだ。ヒオは何やら考え込むような態度を取る。しかし段々とヒオの顔が深刻そうなものに変わっていくのに気付いた新庄がヒオ? と彼女の名を呼ぶ。
 するとヒオは明らかに慌てた様子で顔を上げて、アタフタと手を慌ただしく動かして叫んだ。


「金髪押し掛け系でしたら、ヒオ、今のままでも大丈夫ですよのよ!?」


 は? と誰かが吐息と共に声を零す。それに一瞬、場が静まり返ったのと同時に隣に居た原川がこめかみを押さえるようにそっと手を添えて。


「俺は全然大丈夫じゃないぞ、ヒオ・サンダーソン」
「え? あ、じゃ、じゃあジャンル的にヒオは駄目ですの!?」
「落ち着け。いいかヒオ、掌に込めって書いて舐めてみろ」
「あ、それ知ってますわ。日本のシキタリで、それをすると落ち着けるんですのね?」
「違う。そんなことをしてる自分が馬鹿だとよく解るだろうヒオ・サンダーソン」


 原川の言葉の刃にざっくりと心を断たれたヒオは俯く。皆がどこか呆れたような空気を醸し出す中、一人、首を傾げていたなのはは不意にヒオに視線を向けながら呟く。

「…金髪押し掛け系って何ですか?」
「え? えと、それは、ですね…」
「待て、お前は小学生相手に何を説明しようとしているヒオ・サンダーソン。高町なのは、気にするな。ちょっと頭が病気で奇怪な事を口にしただけだ」
「ひどーっ!!」
「うるさいぞヒオ・サンダーソン。…で? どういう事だ、新庄」


 なのはの問いかけにヒオがどう答えようか、と悩んだ瞬間に原川の鋭いツッコミが入り、問答が強制的に中断させられる。半ば涙目のヒオを軽くスルーして原川は話題の方向を下に戻そうとする。
 新庄が説明するのはブロックゲームの事だろう。なのはも新庄の話を聞く限りそう思う。だが、途中でまたヒオが何か口走りそうになった所で原川のツッコミが入り、強制的に黙らせる。


「ようは、この本棚には、一冊空いて未完成な棚と、全部詰まって完成している棚の二種があると?」


 ツッコミによって頭をはたかれたヒオが頭を押さえながら自問するように呟く。しかし、と言うようにヒオは皆に問いかけを投げかける。


「でも…何の本が足りないんですの?」


 ヒオの問いかけに再び皆が頭を抱え出す。衣笠書庫にある本は膨大だ。そこから特定の本を探し出すのは正直に言って無理だ。


「…なんかアイデアある人。こうなったら言ったもん勝ちよ?」
「…ん」
「はい、美影。何?」
「そこの地球儀。その棚だけ変。地球儀の横に本が詰まってる」


 本棚の一列。そこは地球儀の横に本が収められた棚がある。これにも何らかの仕掛けがあるのではないか、とそこは原川も手を出していない。
 確かにここまでピッタリに本の段差が同じとなると、この棚が不自然に見えるのは当然の帰結。
 ここまで意見を出したところで、思案するかのように腕を組んでいた佐山がゆっくりと目を開き、言葉を口にした。


「本棚は九列が左右2つの合計十八列。そして左最上段の一列が完成されている他、今のところ六列あたり二列が密度高く完成されているわけだね。――ならば、荒っぽく比率計算すれば…」
「穴の空いた棚と空いていない棚の比率は四体二ですよね? 棚は左右十八列だから…穴の空く棚は十二列。空かない棚が六列。…ですよね?」


 佐山の言葉を遮るようになのはが顔を上げて言う。佐山を遮ってなのはが口にした事に誰もが口を開けてなのはを見る。随分と計算が速いな、と。


「…算数は得意なんで。あ、続けてください、佐山さん」
「ふふふ…私の台詞を遮ってくれるとは…後で君とはお話をしないといけないみたいだね?」
「お話ですか? 良いですよ。飛場先生式で良いなら」
「何でだから2人とも喧嘩腰!? そんなになのはちゃん、似てるって言われたのが嫌だった!?」
「新庄さんも、佐山さんと似てる所ありますよね」
「そんな馬鹿なっ!?」
「どういう事なのかきっかり説明して欲しいのだが? 新庄君」
「…いや、でも、そう、違う! それでも僕は変態じゃないっ!!」
「おい、三人とも。話を戻せ」


 なのはと佐山の睨み合いから、新庄が巻き込まれて騒ぎ出した三人に原川が疲れたようにツッコミを入れる。
 なのはと佐山はそれで平然といつもの状態に戻るが、新庄がその2人の切り替えの良さに半ば驚きながら、渋々、と言った様子で話を戻す。


「…つまり、穴が空く棚が十一列か、穴の空かない棚が五列、どっちかになるわけね?」
「そういう事だ。そして、十一、という数字に心当たりは無いかね?」
「…あ。衣笠教授の神話大全」

衣笠教授の神話大全。それは衣笠天恭が十一の神話について記したものだ。その全ては実は全Gが対応しているという神話について綴られているものだ。それならば確かに鍵として持ってくるならば納得が行く。


「…確かにあれは十一冊。しかも著者は衣笠教授のものなら…」
「で、でも…どういう風に本を入れれば良いのかわからないよ?」


 新庄が疑問を口にする。それに一度、皆が沈黙するが、すぐに佐山が腕を組み直し、ふぅ、と息を吐き出して告げる。


「それも簡単だ」
「…あ! 地球儀ですのね! いえ、世界と、そこにある十一の神話!!」
「ほぅ、ヒオ君はわかったのかね?」
「はい! 左上の地球儀を差kんこうにして、この二枚の本棚を世界地図に見立て、十一個の神話を世界地図の的確の位置に置くんですの。衣笠教授の書斎の入り口は、全てのGの神話を俯瞰するものだったんだと思いますの!」





    ●





 ヒオは立ち尽くしていた。
 本棚には衣笠書庫の神話大全が収められ、書斎への扉が―――開かれていなかった。
 あれ? とヒオは疑問に思う。自分でもかなり自信の合った推測だったと思ったのだが、外れていたのだろうか? いや、でも…、とヒオが困惑してオロオロするのと同時に。


「あっれぇーっ!? どーして開かないのかしら! ヒオが折角良いアイデア出したのに!!」
「おかしいですよね風見先輩! 折角ヒオさんが頑張って答えを出したのに!!」


 不意に、風見と飛場がヒオ以上に困惑した様子で頭を抱えて叫びだした。だがなのはは確かに見た。2人の口元がこれ以上にないぐらいに釣り上がっていたのを。
 ふと、なのはは視線を移す。そこには哀れみの視線でヒオを見つめる新庄がいた。新庄はなのはの視線に気付き、達観しきった表情で首を振った。
 そして、2人は静かに十字を切った。――哀れな子羊に、アーメン。


「あ、いえ、その、これはヒオが間違っていたからで、その―――」
「どーしてなのかしら!? 飛場、ヒオのためにもちょっと頑張りましょう!」
「そうですね風見先輩、どう頑張るのか解りませんがヒオさんのためにも頑張りましょう!」
「あ、あの、だから、ヒオが間違ってて――――」


 ヒオが何とか2人を諫めようとしているが、2人は何やらノリノリで、今度は「ふぬぁぁああ!」やら「ぬぁぁああっ!」と気合いのこもった声を挙げながら本を入れ直し始める。
 それにヒオがようやく自分が弄られているという事に気付き、何とか救援を請おうと原川に縋り付く。だがその原川は疲れ切ったように天を仰ぐだけだ。
 さて、どうしたものか、となのはは思う。きっと、という勘で、根拠は無いがなのははこれで正しいと思っている。この本の並びはきっと正解なのだ、と。
 だが、きっと何かが間違っているのだろう。だが、その何かがなのはにはわからない。


「…何か、音はするのよねぇ?」


 ようやく巫山戯るのを止めて、風見が普通に本を入れ直しながら呟く。確かに、本を収めると何かが押されるような音が。
 だが、それでも本棚の門は開かない。どうして? 何故? 皆が首を傾げる中、一人、首を傾げていなかった出雲が暢気な様子で呟いた。


「どうしたもこうしたもねぇ、って。間違ってるんだから。だから開かない。――合っていて開かなかったら、どうしてだろう、って言い方もありだけどよ」
「…あのね覚。皆が考えてるんだから…」
「何かが間違ってるんだろう。だから開かない。だから開かないんだ。だったらどうしようも出来ないだろう。きっと、俺たちには何かが欠けてるんだろうさ。開ける為の何かが」


 出雲の言葉に確かに、となのはは頷く。答えがこれで合っているのだとしたら…何かの要素が欠けているのだろう。その要素は今の自分たちには無いもので、それを追い求めなければ開かない。
 本棚の前で皆が首を傾げる。だが、答えは出ない。ただ、無為に時間だけが流れてゆく。


「…今日は解散するとしよう。このままここに居ても、出雲の言うとおり、今の私達では開かない。ならば開くための何かを求めなければならないだろう」
「…それって、やっぱり過去よね?」
「……そうだな。そういう事になるだろう」


 そして、その日、佐山の解散の一言でそれぞれの面々は衣笠書庫を後にしていくのであった。





    ●





 衣笠書庫からの解散の後の話だ。
 その後は事態は慌ただしく動いていった。Top-Gの存在が明らかになった事によって、全竜交渉を疑問視する声が挙げられ、各Gが居留地に閉じこもってしまった事。
 更に、日本UCATに対する各国UCATからの追求が起きて、半ば全竜交渉部隊は身動きが取れない状態になった。
 更には佐山達は学園祭の準備も始まり、日常と全竜交渉部隊としての生活に追われる事となる。
 そんな中、学校を半ば休学している状況のなのははと言うと……。


「…よいしょ、と」


 なのははUCATの居住区に割り当てられた部屋、そこで荷物を纏めていた。着替えなどを詰め込んだバッグを肩から下げて部屋を後にする。
 鍵を閉めて、鍵をバッグの中に入れれば、ふぅ、と息を吐き出す。ふと、なのはは頭上に手を伸ばす。そこには、獏がいる。
 いつもは佐山の頭の上にいる獏だが、今日はなのはの頭上にいる。それには当然、訳がある。
 荷物を抱えて歩き出したなのはは段々と見えてきた人影に軽く手を振った。それに気付いた人影の一人、ウーノがなのはの鞄を手に取った。


「あ、ウーノさん。別に良いですよ。自分で持ちますから」
「Tes.お気にせずに」
「良いんだよ、高町君。どうせ詰んでしまうのだから。身長の低い君では届かないだろう?」


 ウーノに取られた鞄に少し申し訳なさそうに告げるなのはだったが、それを軽く流すウーノと、どこか暢気な様子で声をかけてきたジェイルに反論され、口を閉ざす。
 身長が低い、という一言に半ば殺気を交えてジェイルを睨み付けたなのはだったが、はぁ、と溜息を吐き出して。


「…わかりましたよ、もう。好きにしてください」
「あぁ、では好きにさせて貰おう。ウーノ」
「はい。準備は出来ていますので」
「…ありがとうございます。ウーノさん」
「私に御礼は言わないのかね? 高町君」
「野垂れ死んでて結構ですよ?」


 ジェイルと目を合わせずになのはは簡潔に言い切り、ウーノの背を追う。その背をやれやれ、と言いたげに肩を竦め、苦笑を浮かべたジェイルが追いかけていく。
 彼等が向かった先には車が一台止められていた。その運転席に座るのはトーレで、助手席にはチンク、後ろにはドゥーエとクアットロが乗っている。


「待ってましたよー。なのは」
「うん、お待たせ。クアットロちゃん」


 見た目の年齢が近い為か、2人は既にタメ語で話している。故にちゃん付け。チンクもちゃん付けされそうになったが、本人の断固なる拒否によって彼女は呼び捨てである。
 それ以外は、皆、さん付けである。さて、しかし何故こうしてジェイル達がわざわざ車を用意してなのはを待っていたのか。


「じゃあ、行きましょうか」
「――第97管理外世界の観光に…!!」
「御神家の跡地に行くんですよ!!」


 ポーズを取りながら決めたジェイルになのははレイジングハートを無詠唱で起動し、アクセルシューターを全弾叩き込んでおく。
 だがジェイルはそれを奇妙な回転するような動きで回避する。何やら「ゲ○ダン!!」などと叫び、途中途中でポーズを取る。
 その奇妙な動きに嫌悪感を感じたなのはは遠慮無しにフラッシュインパクトを直接叩き込んでおいた。錐揉み回転をしながら吹き飛ぶジェイル。たまやー、とクアットロが楽しげに呟いた。


 そう、なのははこれからUCATを離れ、独自に御神家の過去を探りに行こうとしているのであった。
 それ故に、佐山から役立つだろう、と獏をレンタルし、こうしてジェイル達が足を用意してくれる、という事になったのだが…。


「ちょっ、トーレさん!! 制限速度、制限速度っ!!」
「制限? 私に制限など存在しない…! あるのはただ、速さの限界への境地…!! 誰も私の前を走らせるものか!!」
「きゃー! はやいはやいーっ!!」


 まだここはUCATの敷地内。故にそこは森が広がっている山道な訳なのだが、そこを100キロは超えているのではないか、というスピードで駆けていく車。
 なのははシートベルトをしっかりと付けているが、それでも不安なのでレイジングハートでいつでも防御魔法を展開出来るようにしている。
 ウーノは平然と、ドゥーエは流れる景色に目を向け、クアットロははしゃいでいる。チンクは瞳を閉じて眠っているようだ。その中、ふと、隣に視線を向けるとやや顔色が悪いジェイルがいる。


「…あの、ジェイルさん?」
「…何かね? 高町くん。ここにポリ袋はあるが?」
「いやーっ!! 誰か止めてーっ!! むしろこの人どうにかしてーっ!!」
「いや、君の所為でもあるんだがね…。あぁ、頭が…!!」
「クネクネしないでください!! 気持ち悪い!!」
「気持ち悪い…私が気持ち悪い? そうか…私は気持ち悪かったのか。うぇぇ…」
「いやぁぁあーーーっ!! もう、降りろーーーーっっ!!」


 ぎゃーぎゃーとなのはの騒ぐ声が車内に響き渡る。こうして、騒がしく、賑やかになのはの過去を巡る旅が始まるのであった…。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 06
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/05/13 22:30
 ただ、空を見上げていた。
 空を見上げているのは一人の少女だ。名を――戸田命刻と言った。「軍」の構成員にして、Low-Gの佐山御言の鏡面存在。つまりTop-Gの遺児。
 UCATとの戦いから時が過ぎ、「軍」の各所にセイフハウスや非常時の荷物置き場を設置している。そこへと訪れながら、命刻は考えていた。あの日の夜の戦いの事を。


 ――私は…負けたのか。


 負けた。命刻の心に残るのは深い敗北の傷痕。自身を負かしたのは自らの鏡面存在ではなく――憧れた人の鏡面存在と名乗る少女。
 高町なのは。まだ幼いながらも、信念を固め、自ら前に進む力を持っている少女。対峙した命刻はそれを惜しく思い、愕然とし、そして敗北した。
 彼女は強者だ。真っ直ぐに自分の思いを貫ける人物。確かに命刻の心をなのはは穿ったのだろう、その強さを以てして。
 それに対して命刻は、あの日、詩乃を害されたという激情から冷め、冷静になって考えるようになってからはなのはに対する憎しみは湧いてこなかった。
 代わりに沸き上がるのは敗北感だ。詩乃があれからどうなったのかはわからない。わからないからこそ、不安になる。
 彼女は辛い思いをしていないだろうか、と。だが、命刻には1つだけ詩乃の現状を僅かながらでも得る事が出来た。


「…わぅ」
「…何だ、シロ」


 シロ、と命刻が名を呼んだのは透けた姿を持つ大型犬だった。それは犬霊。詩乃の持つ「意思疎通」の概念の力によって具現化された存在だ。
 故にシロは詩乃と共に在ろうとする。それは詩乃が呼応し、具現化させた存在だからだ。だがしかし、そのシロは詩乃の下へと行こうとはせず、ただ命刻の傍にいる。
 それはまるで命刻を一人にしないかのように。彼女の身を案ずるかのようにシロは命刻から視線を逸らす事はない。
 恐らく詩乃は自分の心配をしているのだろう。あぁ、だからこそ命刻は瞑目した。広がるのは苦味を伴った後悔の味。


「…守る為には…どうすれば良いんだろうな…? なぁ、シロ」


 問うように命刻は呟いた。そんな命刻をシロはただ見つめている。返答を返す事はない。はぁ、と命刻は吐息を零す。
 自分は、弱い。守りたい者を結局は守りきれなかった。自分の弱さが、甘さが、詩乃を案ずるが故に突き放す事が必要だったのに、突き放せなかった自分。
 そして現状、自分たちは敗北した。少なくとも命刻はそう思っている。だが、だからこそ命刻は燻っている。


「…このままで、良いのか…?」


 大事な存在。それは命刻にとって詩乃だ。詩乃を守るためにこの世界に自分たちを認めさせ、そしてその上で過去の賠償を行い、居場所を作る為に。
 きっと、そこで自分たちは世界を大きく揺るがす事になるだろう、と思っていた。だからこそ詩乃には離れて欲しかった。そうなれば嫌でも動乱の中に呑まれていくから。
 そうすれば命刻は心預けられる人を失う。自分はそういう性分だ、と。それで良い、と思う自分がいるのは確か。だが、それはあまりにも暗く冷たい未来。
 だがそうしなければ守れない。グルグルと命刻の思考は回る。はぁ、と溜息を零し、ふと視線をずらす。そこは道路。ここは山中だ。
 とりあえず山を下りるか、と道路の方へと視線を向けて、命刻はソレを見た。
 強烈にタイヤを擦る音を響かせながら超特急で山を駆け下りていく一台の自動車だ。そして命刻は見た。見てしまったのだ。


「…何故…」


 ぎりっ、と。歯を噛み締めて。


「お前は…!」


 握りしめた拳は色を失っていき。


「揺らがないとでも、言いたいのか!!」


 「軍」との戦闘があって、世界は揺らいでいる筈だ。今まで隠してきた真実はそれほどまでに重大なものなのだから。
 だからこそ、彼等とて動きはまだ取れないと思っていた。考えていた。その矢先に――彼女は動き出した。
 それは命刻の心に深く楔を穿った人物。命刻は歯を噛み締めながら胸中でその名を呼んだ。


 ―――高町なのはっ!!


 命刻は刀を握りしめ、駆け出した。超特急で駆け抜けていく車を追いかけるかのように。その背を犬霊が付き添うように追走を始めるのであった。





    ●





 ――夢を、見ている。
 向き合っている男と女がいる。なのははその男を知っていた。鮮明になる度になのはは確信する。その姿は間違いなく自分の知る男のものだと。
 だからこそ、なのはの違和感は募るばかりだ。その男の年代はまだ恐らく30を越えたぐらいの頃だろう。だが…その髪はまるで初老のように老けきった白髪へとなり、車椅子に乗っている。
 その男の前で向き合っている女は、泣きそうな顔で笑っている。泣きそうなのに笑っている、というのはどういう事なのだろうか。


「…泣かないで」


 不意に女が呟いた。声は震えていた。
 一体、これはどういう場面なのか、となのはは疑問に思う。


「これからは、ずっと一緒」
「…俺だけで良い」
「私が嫌だもの」
「…士郎をどうする?」
「私は良い母親じゃなかったわ」
「…すまない」
「だから、泣かないで」


 そっと、女は男を掻き抱くように抱いた。男はその瞳から涙を零していた。震える手を、そっと彼女の背に回して、縋り付くようにその鎖骨に顔を埋めて。


「…幸せだったよ、恭也。そして、これからは続く子達の為の幸せの手助けになるから」
「……」
「恭也は頑張った。そして…これからも頑張るんでしょう? だから、一人にさせないよ。一人だと恭也は迷っちゃうから。鈍っちゃうから」


 だからね? と。


「これからも、ずっと一緒。死すら私達を別つ事はない。この魂も、この身も、私という全てを貴方の為に。貴方と共に」
「…すまな…」


 言葉は続かない。重ねた唇。涙を触れ合わせるように頬を擦り合わせて。
 それはまるで聞きたくない、と言うように。だが、それは答えを待つように。

「………ありがとう」


 消え入る様な声で告げて、彼はそっと瞳を伏せた。彼女もまた、微笑みを浮かべて瞳を閉じた。


「…愛してる」


 そして、彼の胸元にぶら下がった何かが煌めきを放つ。その煌めきから光の奔流が放たれたその瞬間―――なのはの意識は覚醒へと促された。





    ●





 なのはは目を開いた。ぼんやりとした頭はまだなかなか働いてはくれない。自分はどうしていたのだろうか、と思っていると、自分の頭の上で獏が動くのを感じた。
 まるで前足で軽く叩くかのように獏はなのはの頭の上で手を動かす。そしてなのはの意識は鮮明になる。
 そうだ、気絶してたんだ…と思わず溜息。トーレの運転の前には不屈のエースも形無しであった。気持ち悪い、と思いながら辺りを見渡すと誰もいない。
 おかしいなぁ、と思いながら外に出る。ドアが開いて外から新鮮な空気が入り込んでくる。そしてその中で見たのは――。


「ははは、くらいたまえ!! 雪玉十六連弾!!」
「ふふ、甘いですわドクター! 秘技、Matrix避け!!」


 仲良く雪の平原で戯れるジェイルとクアットロの姿だった。
 なのははふぅ、と息を吐き出す。手元にある雪玉に手を伸ばす。素手な為に少々冷たいが、固く、固く、固く、ひたすら固く雪玉を作っていく。


「何やってんですかぁっ!?」
「ガフッ!?」
「あべしッ!?」


 限界にまで固めた雪玉をなのはは遠慮無くジェイルとクアットロに投げる。ジェイルは脇腹に直撃し、クアットロは眼鏡に直撃していた。
 そのまま雪の平原に倒れ込む2人、なのはは肩を震わせながら2人を睨み付ける。ジェイルは飄々としていたが、クアットロは目を押さえて雪に顔を押しつけていた。どうやら眼鏡が目に直撃したらしい。


「私が気絶してる間に何してるんですか!? というかここは何処ですか!?」
「何、ちょっとした休憩さ。――主に私の」


 再びなのはが雪玉を投げつけるが、ジェイルは全力で逃げ出す。それをなのはは雪玉をかき集めながら追いかける。HAHAHAHAHA! と外人風に笑いながらジェイルは逃げ、なのはの雪玉を華麗に避ける。


「くっ! 当たれっ!!」
「見える! 見えるぞっ!」
「何がですかっ!!」
「遊びでやってんじゃないんだよーっ!!」


 とりあえず雪玉という間接的なものでは当たらないのでソバットを叩き込んでおくなのはだった。
 良い感じにソバットが決まったのか、ジェイルが雪の平原に倒れ込む。なのははせっせとジェイルに雪を被せた後、ふぅ、とやりきった笑みを浮かべて。


「……鬼だな、お前」
「あ、チンク」


 そんななのはに対してチンクは苦笑を浮かべて歩み寄ってくる。ほら、とチンクがなのはに差し出したのは手袋だ。なのはの手はすっかり冷え切っていて、なのはは御礼と共にチンクから手袋を受け取る。


「ドクターが割と限界で、お前も気絶していたのでな。悪いが勝手に休憩を取らせてもらった。後の運転はウーノが変わってくれるようだから安心しろ」
「…トーレさん達は?」
「ん? あそこだ」


 くいっ、とチンクの親指が指した方向を見るなのは。そこにはかまくらを作って中でモチをやいているウーノ、ドゥーエ、トーレの姿がある。


「…何でモチ焼いてるの?」
「…いや、ドクターが用意してたらしい」
「こんなこともあろうかとガファッ!?」


 起き上がろうとしたジェイルの頭を踏みつけてなのははふーん、とどうでも良さげに呟いた。
 チンクがなのはの応対に苦笑をしながら、ふぅ、と場の空気を紛らわすように息を吐いて。


「…ところで何か魘されていたようだったが」
「…え?」
「…獏が夢でも見せていたのか?」


 チンクがなのはの頭上でへたれている獏へと視線を向けた。そしてなのはは先ほど見た夢の内容を思い出す。なのははそっと獏へと手を伸ばして。


「…夢を、見てたよ」
「…過去の夢か?」
「うん」
「どんな夢だ?」
「…不破恭也と不破雪花の、お爺ちゃんとお婆ちゃんの…よくわからないけど」


 くしゃ、と前髪を掴むようにして持ち上げて。


「…きっと、死ぬ間際、かな。私が見たのは」


 それはよくわからない。胸が痛くて、落ち着かない。心が震えている。一体何故? どうして? わからない。わからないからこそ震える。
 それを堪えるように瞳を閉じて息を吐き出す。そんななのはに対してチンクはただ静かに見据えている。そうか、と小さく呟いて。


「…とりあえず、何だ。モチでも食うか」
「うん。そうだね。少しお腹空いちゃった」


 にゃはは、と誤魔化すようになのはは笑ってトーレ達がいるかまくらの方向へと向かっていく。なのはの隣を歩くチンクはなのはを心配げに見つめるのであった。





    ●





「――はッ!!」
「――シッ!!」


 響き渡るのは金属音。雪の平原にて舞い踊るのは2つの影。不破・雪花を両手に握るなのは。それに挑みかかるのはトーレだ。
 互いに防護服を纏ってはいない。食後の軽い運動、という事でトーレに誘われた稽古だが、その稽古は今や互いの実力を鬩ぎ合わせる決闘へと変貌していた。
 トーレの武器は手足から伸びるエネルギー翼「インパルスブレード」だ。全身を撓らせ、格闘技と混ぜ合わせた動きになのはは冷静に対処していく。
 トーレのブレードとなのはの小太刀が鬩ぎ合う。だが、トーレがすぐさま手を変え、足を変えなのはへと迫る。なのはは小太刀を用いて逸らし、ステップで回避し、トーレの攻撃を巧みに捌いていく。


「っ、見事です!」
「貴女も!」


 互いの顔に浮かぶのは愉悦。白の平原が続くその地にて2つの影は踊り回る。だがなのはは魔法を使っていなければ、トーレもまだ完全の本気ではない。2人にとってこれはあくまで「稽古」なのだ。


「…あれって稽古って言うのだから、本当、バトルマニアですよねぇ」
「…まったくだな」


 呆れたようなクアットロの呟きに同意を示すかのように頷くチンク。いつの間にか復活したジェイルはモチを醤油につけながら2人の稽古を観戦している。
 ウーノはせっせとモチを焼いて、ドゥーエがそれを皿に盛りつけてクアットロとチンクへと渡しながら言う。


「良いじゃない。楽しそうなのだから。トーレも生き生きしてるみたいだし」
「そうだね。個性を持つという事は良い事だと私は思うよ。そしてそれに向かって直向きな努力を出来るのは素晴らしい事さ」


 モチを呑み込みながらジェイルがドゥーエの言葉に同意するかのように笑みを浮かべながら告げる。
 2人を見つめるジェイルの視線は、まるで眩しいものを見るようにも見える。楽しそうに、焦がれるように、惹かれるように彼は2人を見つめる。


「…良いなぁ」


 不意に零した言葉は、誰にも聞き取れなかった。ジェイルはただ見つめる。その在り方の好ましさを胸に焼き付けるかのように。





    ●





「――ひどいな」


 ぽつりと、小さく呟く声が聞こえた。
 周囲に香るのは濃い血の香りと肉の腐った腐臭。思わず鼻を押さえてしまう程の匂いだ。
 一般人ならば悲鳴を上げて逃げ出してしまいかねない程の悲惨な光景を見つめて小さく吐息する。
 ふと、視線を巡らして、見たのだ。そこに原型を留めていない肉片に比べて「腕」だという形を残したものが。
 かつかつ、と音を立てながら腕へと近づいていく。そして、その腕へとつけられた刻印を見て、目を細める。


「…龍…」


 ぽつりと呟いた名。そこには複雑な抑えきれない感情の震えがある。ふぅ、と溜息を吐き出して前髪を掻き上げるようにして持ち上げて。


「…兄さんから連絡があった後に、これ、か」


 呟く声には不安げな色が零れていた。話された内容は正直、滑稽を通り越して呆れていた。だがしかし兄の説得からとりあえずは、と思っているだけだったが、いざこうなると事実なのではないか、という疑いが濃くなってくる。
 やれやれ、と言いたげに首を振った。揺れるのは黒髪。そして手に握られているのは――二刀の小太刀。


「……何があったんだ。一体」


 忌々しげに呟く。目の前の悲惨な光景は―――事実上、ある組織の壊滅を告げていた。
 表の者達では辿り着く事の出来ない闇の底。そこで静かに、何かが動き始めていた。静かに、だが、確かに…。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 07
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/05/17 20:35
 さく、と雪を踏みしめる音が響く。音が響いた周囲は雪に埋もれている。雪化粧される街並み。その中で、ただそこだけが異質な空気を放っていた。
 その建物とは――御神家屋敷跡。寂れたその屋敷はその経緯故にか住む者もおらず、ボロボロとなって打ち棄てられている。
 なのはは屋敷を見上げていた。かつて祖父と祖母が居たのだろうこの屋敷を。父も暮らしていたのかも知れないこの屋敷を。姉が、兄が、少しでも時間を過ごしたこの屋敷を。


「酷いものだね。近隣の住人からは幽霊屋敷として噂されているそうだよ。肝試しの格好の的じゃないか」
「本当に出そうだから怖いですけどね」


 ジェイルと軽口をたたき合いながらなのはは屋敷の門をくぐり抜けて屋敷の奧の方へと向かっていく。なのはと共に来ているのはジェイルだけだ。他の面々は車で待機している。
 邪魔はしない、となのはに気を使ってくれたようだった。それは有り難いと思う。ならば、何故ジェイルがいるのかと聞かれれば彼は不破恭也を知っている者だから。


「興味があるだろう? 過去に遡った知人がどのように生を終えたのか」
「…そうですね。滅多にある事じゃないですからね」


 きしきし、と玄関から中へと入っていく。中は流石に汚れていたので靴は脱がない。土足のまま家へと上がっていく。
 廊下が軋む音を聞きながらなのはとジェイルは屋敷の中へと進んでいく。その道中、見えるのは生活の面影を残す家具や壁の傷など。
 それになのはが思うのは寂しさだ。ここにはかつて人が住んでいた。だが、それは一瞬のウチにして無くなったのだ、と。失われて、もう二度とは得られないのだと。
 胸に宿るのは痛み。そっとなのはは胸を抑える。僅かに呼吸を乱し、ふぅ、と深呼吸をする。


「大丈夫かね?」
「大丈夫です」


 軽いやり取りの後、2人は再び沈黙する。軋む音は止まず、寂しさによって生ずる痛みは止まらない。ここには悲しさしか残ってない錯覚に陥りそうになる。
 そのまま無言で進む中、なのはは長く続いた廊下から出る両開きの扉を開いた。その先に広がっていたのは道場だった。自分の家にもあるような道場。あ、と思わずなのはは声を漏らして。


「…道場だね。まぁ、あって当然か」


 そう言ってジェイルは中へと進んでいき、壁に立てかけられていた木刀の1つを握る。だがそれは腐っていたのか、少し壁を殴っただけでぽっきりと折れてしまう。
 昔はその木刀で誰かが訓練に勤しんでいたのか、と思うともの悲しい。なのはは何気なしに道場の中央まで来て、コートの下に隠していた不破・雪花を抜く。
 一振り、そこから始まるのはただ一人の剣舞。今まで為してきた動きを再現するかのようになのはは小太刀を振るう。なのはの表情には何も浮かんではいない。ただ無心で小太刀を振るう。


「かつては、ここで誰かが、こうして、いたんでしょうか?」


 小太刀を振るい、舞うように動きながらなのはは問う。傍らにいるジェイルに対して。


「そうだろうね。誰もが自らの流派に誇りを持って訓練を挑んでいたのかも知れないね。または仕様が無いという思いでやっていた者もいたかもしれない」


 ジェイルは答える。何かを求めるように小太刀を振るうなのはに対して。
 なのはは一歩、踏み出す度に床が大きく軋む音を奏でる。なのははそれを振り払うように不破・雪花を振るう。剣閃の軌跡は描かれ続ける。は、となのはは短く息を吐き出して。


「どうして、失われなければならなかったんでしょう?」
「さてね。それはテロを起こした龍にでも聞いてくれたまえ」
「…消えるべくして、消えたんでしょうか?」
「既に起こった事実に仮定は意味を成さない。そうだと思えばそうなのだろうし、当事者から話を聞かなければ真実は得られない。それは、君が選べば良いものじゃないか?」


 だん、となのはが強く一歩を踏み出して小太刀を振り下ろした。風が動きを止めたように静けさが戻ってくる。なのはは僅かに乱した息を吐きながら天井を見上げた。


「…もう、起こってしまったから変えられない。だけど、だからって忘れて良い訳じゃない。捨てれば良いってものじゃない」


 手に握った不破・雪花を強く握りしめながらなのはは呟く。どんなに認めたくなくとも、どんなに否定したくとも、それは既に起こってしまった変わりの無い事実。
 だからそれをどうするのか。怨むのか、憎むのか、受け入れるのか、それは人それぞれで。きっと概念戦争もそうなのだろう、と。
 だからぶつかりあっていかなければいけない。だからこそ、正しく変えていく為に、後悔が無い、皆が納得出来る答えを得るために過去が知りたい。


「変化のキッカケは何だと思う? 高町君」
「…変化の、キッカケ?」


 不意に、隣に立ったジェイルになのはは疑問を浮かべる。変化のキッカケ、と呟いた彼の意図は何なのか、と。
 ジェイルはなのはを見下ろす。ふっ、と口元に笑みを浮かべるようにして見せて。


「動く事だよ。だから今、世界は変化し続けている。いや、不変などはありはしない。いつか必ず変わってゆくものだ。だから望んで歩くしかない。自分が得たい何かを得る為に。だから君はここに来たし、私もここにいる」
「…ジェイルさん」
「なら、行こう。高町君。君が得たい答えを得る為には探さなければいけないのだろう。君が得たい未来を得るための真実を。世界を変化させる為の術を」


 喉を震わせるようにジェイルは笑う。それになのはは一瞬、キョトンとする。暫しそうしていたなのはだったが、小さく体を震わせて吹き出した。それはまるで笑いを堪えきれない動作にもよく似ていて。


「そうですね。足を止めてても何も変わらないなら、前に進みましょうか」


 なのはが笑いながら言葉を紡ぐ。―――瞬間、なのはの足下が抜けた。恐らく腐っていたのがなのはの動きによって限界だったのだろう。そしてなのはが浮遊感に、あ、と声を漏らした瞬間、なのはの脇に両手を差し込むようにしてジェイルが抱きかかえる。
 そのままジェイルはなのはを両手で抱いたまま、なのはの足下が抜けた穴を見つめる。そこには何かの蓋があった。


「…これは何だろうね? 高町君」
「…あの、とりあえず降ろしてくれませんか?」


 やや頬を赤らめてなのはがジェイルに言う。助けてくれた為に過激な反応は返せないが、正直振り払いたい。この体勢は恥ずかしい事この上ない、となのはは身を揺らして。
 それにジェイルがなのはを自らの隣に立たせるようにして降ろして、膝を床に降ろして蓋へと伸ばす。軽く叩いてみたり、揺すってみるもその蓋は固く閉ざされている。


「…ふむ。何だろうね、この蓋は?」
「さぁ…」


 ジェイルが疑問を零し、なのはもまた見当が付かずに蓋へと伸ばす。なのはが蓋へと触れる。その瞬間だ。変化が起きたのは。その変化はまず淡い光だった。
 何、とジェイルが零すのと同時に光は強くなっていき、がちり、と言う音が鳴り響き、光は消え失せる。その一連の流れを見ていたジェイルとなのはは思わず顔を見合わせて。


「…どうやら、君に反応したようだね」
「…という事は」


 ここにこの蓋を残したのは必然的に一人しか考えられない。――不破恭也、彼しか。
 なのはは蓋を押す。すると蓋は小気味よい音を立てて開く。蓋の下には地下の奥深くへと伸びるような階段が見えた。なのはは体を滑り込ませて蓋の下へと入り込む。


「…この地下には何があるのだろうね?」


 なのはと同じように蓋の下へと身を滑り込ませるジェイルはなのはに問う。なのははわからない、と言うように首を振る。だ、なのはの答えは決まっている。なのははジェイルへと視線を向け。


「…行きましょう」


 ただ一言。その一言と共になのはとジェイルは闇へと呑み込まれるように続く階段を下りて行くのだった。





    ●





 かつん、かつん、と2人の階段を下りる音だけが静かに反響して消えていく。暗闇に沈む階段を照らすのはジェイルが取り出した懐中電灯だ。本人曰く「こんな事もあろうかと!」だそうだ。
 階段を下りていくなのはとジェイルの間に言葉は無い。ただ彼等は無言で階段を下りていく。しかし、長く続く階段に無言の時間は途切れる。


「一体どこまで降りるんだろうね?」
「さぁ? わかりませんよ」
「この先には何があるのだろうね?」
「だから、わかりませんって」


 そんなどうでも良いようなやり取りを続けながら2人は階段を下りていく。ただ階段を下りていく足音だけが反響する音が響くだけ…。
 どれだけ降りただろうか。階段が終わり、少し間が広がった場所へと出る。そしてなのはとジェイルの前に現れたのは鉄製の扉だ。古くさい、やや錆びている扉。その扉には開ける為の取っ手などが見あたらない。
 ふむ、と呟きを零したのはジェイル。彼はなのはへと視線を向ける。なのはもジェイルの視線による訴えの意味を理解したのか、扉へと近づいていく。
 これは恐らくなのはの、不破恭也の偽物の為に用意された場所なのだろう。先ほどの蓋もそうだった。ならばここもまたなのはに反応するのではないか、という予想。


「…ん…」


 そして、なのはがそっと扉に触れるのと同時に扉は淡い光を放ち、なのはを迎え入れるように開いていく。それに、なのはが吊られるように一歩を踏み出す。
 それに続いてジェイルも入ろうとして、彼を阻むように光が壁を形成する。おや? と言いたげにジェイルは光の壁を見つめる。なのはは思わず足を止める。


「…どうやら私はここまでのようだね?」
「…やっぱり、ここは私にしか…」
「そうだろうね。…高町君」


 なのはの呟きにジェイルは同意を示し、そして何かに気付いたように目を細めた。なのはもジェイルの変化に気付いて部屋へと視線を向けた。
 一言で言い表すならば、白い。ただ白の一室と言っても良い。白の光。白の壁。白の床。白に埋め尽くされた部屋。


「…ぇ…?」


 そこに腰掛けるようにして一人の女性が座っていた。黒衣のコートを纏ったような出で立ちだ。その姿に、ぎょっ、となのはが目を見開く。
 なのはが驚いている間に、女性はなのはの存在に気付いたのか、ゆっくりと顔を上げた。そしてなのはの存在を認識するのと同時に笑みを浮かべた。


「…やぁ、待ってたよ。君が来るのを」


 それは親しみを込めた声だった。その声になのはは更に困惑し、遂に表情にまで表してしまう。それに女性は楽しげに笑顔となる。なのはは震えた声を零して困惑を露わにする。


「…なん、で」
「君の名を、教えてくれる? 私の名前は知ってる? いや、知ってるか。ここに入れるという事。そして、君の持つ「ソレ」が教えてくれる」


 なのはの問いのような呟きに対して、女性は楽しげに語る。すぅ、となのはに指された指。なのはは半ば無意識にコートの下にあった「不破・雪花」を握る。その仕草に女性は淡く微笑み。


「初めまして。彼の後継にして偽物さん。――恭也の妻、不破雪花だよ」


 驚愕のなのはを前にして彼女―不破雪花―は微笑む。何故、という疑問がなのはの脳裏を駆け巡る。彼女は死している筈だ。記録上も、獏の夢からもそれはわかっていた。獏の夢は断片的だったが記録上では確かに彼女は死人だ。
 なのに関わらず、目の前にいる彼女はいる。更に摩訶不思議なのは、彼女はまだ20の後半を数えたぐらいの年頃だと言う事。
 おかしい、正にその一言に尽きる。どうして、と疑問が巡り、だが答えは出ずにただ空回りを続ける。
 その仕草に不破雪花は微笑みを浮かべる。彼女は口元を吊り上げるように笑って声を挙げた。


「そう混乱しなくて良いわよ。きっと君の認識は間違ってない。確かに私は死人。ここにいるのは幽霊のようなものだと思って頂戴」
「…お婆ちゃん…なんだよね」
「…お婆ちゃん? …そう、貴方は士郎の娘なんだね? そう…あの子の。良い奥さんに恵まれたかしら?」


 お婆ちゃん、という呼び方に対して彼女は嬉しそうに微笑んでなのはを見た。それは本当に嬉しそうで、なのはは理解する。この人は、本当に自分の父を愛してくれていたのだろう、と。
 だからこそ、過去に見た光景が思い出される。それだけ愛していた息子を置いて彼女が死を選んだ理由は何なのだろうか、と。そして何故幽霊のようなものとしてここにいるのか、と。


「…お父さんは、凄く美人で優しいお母さんと結婚したよ」
「そう…。それは良かった。……で? 貴方の名前は?」


 士郎の話に彼女は口元を綻ばせ、何かを噛み締めるようにそと瞳を伏せる。暫し間を置いた後、再び雪花はなのはに名前を問う。


「…なのは。高町なのは」
「…そう。その名もまた因果なのかもね」


 ふぅ、と吐息を吐き出す。そして腰を下ろしていた雪花はゆっくりと立ち上がる。彼女はなのはを見据えて。


「何故私がここに居るのか。ここは何なのか。それを知りたいかしら? いいえ。知りたいからここに来た。違うかしら?」
「……そうです。知りたいから、ここまで来ました」
「…そう。なら…」


 彼女は微笑む。そしてとん、と軽くステップを踏んでくるり、と回る。そうすれば凜、とした音が響き渡る。それと同時にまるで世界が震えたような感覚をなのはは感じる。
 そして吹き出すのは闘気。その気を放つのは―――紛れもない、眼前の不破雪花で。


「――私と戦いなさいな」


 いつの間にか、雪花は背中側の腰に二刀の刀を左右に分けて十字に交差するように腰に差していた。
 そして膨れあがる闘気がびりびり、となのはに叩き付けられ、彼女の震わせる。そしてなのはは理解する。本気なのだ、と。つまり――戦うしかない、と。戦う以外の答えは無いのだ、と。
 無意識になのはは小太刀へと手をかけた。不破・雪花へと。だが…そこでなのはは違和感に気付く。そして驚愕する。まるで沈黙しているように力が感じられない。
 何が、と思う間に雪花がなのはの眼前へと迫っていた。ひゅ、となのはは息を呑んで後方へと飛ぶ。なのはの前髪を掠り、小太刀が抜き放たれ、振り抜かれる。
 一歩、二歩、となのはは大きく飛ぶようにして息を整える。コートを勢いよく脱ぎ捨て、ベルトから吊した不破・雪花にもう一度触れる。やはり力の鼓動が感じられない。


「――無駄よ。それは抜け殻。その概念刀の力は同一にして自身よりも大きな存在、つまり私に押さえ込まれている。概念刀の力は使えない」
「なっ…!?」
「力を取り戻したいなら、私を倒すしかないわよ。もしくは尻尾巻いてこの部屋から逃げるか?」
「何でこんな事を!!」
「何故? 資格があるのか問うのよ。なのは」


 再び小太刀が振るわれる。速い剣閃だ。竜轍並、いや、下手をすればそれ以上の太刀筋になのはは無力と化し、ただの刃となった不破・雪花を振るう。
 右の小太刀が来る。なのははそれを左の小太刀で迎撃。だが次いで左の小太刀が来て、それをまた右の小太刀で返す。右が来て、左で返し、左で来れば、右で防ぎ、右で攻めれば、左によって絡め取られる。動きを封じられ、慌てた所に右が来て、左で防ぐ。
 連続して奏でられる金属音は不快感さえも呼び起こす。傍目から聞いていればなんと耳障りな音な事だろう。だが、不破雪花は高揚した表情を浮かべてなのはと切り結ぶ。


「資格、って…!?」
「――御神の真実を知る為の力。恭也が残し、恭也が願い、恭也が望んだ「未来」の担い手かどうか…見極めさせてもらうよ」


 まるで獣のように歯を剥いて笑みを浮かべて雪花が加速する。それに合わせてなのはも加速する。次第に小太刀で切り結ぶ感覚が遅延していくのをなのはは感じる。点滅するかのように色がモノクロとカラーで切り替わる。
 次第に色が抜け落ち、モノクロへと化す。まるで水の中を動いているかのように体の動きが鈍い。その鈍い動きの中、思考だけは通常の通りに動く。だから雪花の動きが読める。
 遅延する時間、その中で互いに小太刀をぶつけ合い、金属音が高く鳴り響き、互いに身を引いた瞬間になのはの世界は再び色を取り戻す。


「――ははっ!! 神速の扉は開いてるって事ね!?」


 楽しい、と言わんばかりに雪花がなのはに斬りかかる。すぅ、と息を吸い、力強く吐き出すのと同時に左右の小太刀が突きの連閃を繰り出す。
 なのはは再び世界の色を失わせる。1つ、また1つとなのはは小太刀を捌いていく。感覚に戸惑いはあるが、今は戦いに意識を集中させろ、となのははモノクロの世界の中で小太刀を振るう。


「いい、いいよ! 筋が良いよ! センスも良い! はは! 楽しいね!! 若い原石を見ちゃうとさ!!」
「くぁっ…!!」
「ほらほら、付いていけなくなってきてるよ!? ――私を倒さずして、御神の深奥に触れる事は罷り通らぬ。ならばこそ、見せてみなさい、なのはぁ!!」


 ぎぃん、と甲高い金属音と共に距離が取られる。雪花は笑みを浮かべ、なのはは歯を噛み締めた苦悶の表情。再び開いた距離は、次の瞬間、一瞬にして消え去り、再びなのはと雪花は剣舞を繰り広げる。
 まだ、戦いは始まったばかり―――。
 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 08
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/05/19 22:59
 舞い踊るように小太刀を両手に握り、舞うのは女剣士が2人。なのはと雪花。互いの獲物で相手を切り裂かんと振るう。
 だがその刃は互いに互いを切り裂こうとするが故にぶつかり合う。だが交錯は一瞬、すぐさま次の一手、次の次の一手、次の次の次の…。
 鍔迫り合いの音は連続して響き渡る。聴覚を狂わせるのではないか、という不快な音が奏でられる中、なのはは唇を噛み締め、雪花は執拗に攻める。
 いつの間にか雪花が一方的になのはを嬲る結果となっていた。なのはも必死に食らい付こうとしているが…彼女には雪花相手には決定的に足りないものがある。


「貴方は強いよ」
「ぃっ…! こ、のぉっ!」


 強く雪花が小太刀を振るい、なのはの握る小太刀を震わせる。その反動になのはは顔を歪め、何とか体勢を立て直そうとする。
 雪花は体勢を立て直そうとするなのはに対して、縫うようにして小太刀にて突きを繰り出してくる。小太刀は通常の刀より短いが故に出来る高速の連続突き。
 なのははそれを捌くしかない、が、また1つ、また1つとなのはの頬や肌には赤い線が走る。


「でもね。御神の剣士同士で戦うのならば――貴方はまだ素人も同然なんだよ」


 切り落とし。なのはの不破・雪花を真上から叩くようにして雪花が小太刀を振るった。衝撃の瞬間、なのはの手には強烈な衝撃が来て不破を取りこぼす。


「御神流――【徹】」


 なのははその衝撃に以前、自分の兄、恭也と行った模擬試合を思い出す。手が痺れる程の衝撃を受けた木刀による一撃。これの正体はつまり、これなのだ、と。
 痺れた手を振りぬき、握っていた雪花を振るう。だが、その雪花も今度は宙に舞い上げられる。甲高い金属音が鳴り響く。あ、と声が漏れたのは、半ば茫然とした声で。


「――これで、終わり?」


 ゾッ、と。なのはは言いようの無い悪寒に襲われ、痺れた腕を振り抜くようにして後方へと下がる。あ、と声が始まり、長く、細く、絞るように叫び声を上げた。


『Accel Shooter』


 なのはの叫びに答えるようにレイジングハートが光を放つ。浮かぶのは合計8つの誘導弾。現在のなのはが扱える最大限の誘導弾。それが一斉に雪花へと放たれる。


「恭也も使ってた「魔法」とやらね。――でも残念」


 響くのは静かな金属音。それは納刀の音だ。鞘に二刀の小太刀を収めた雪花に迫るアクセルシューター。


「御神流―――『虎乱』」


 正に一瞬、と言うべきか。なのはの誘導弾は一瞬にして雪花によって切り裂かれた。何が起きたのか、なのはは一瞬理解が出来ない。
 ふぅ、と雪花は息を吐く。だらり、と降ろした腕。力の抜けたような体勢。だがそれでいて隙が無い。なのはの吐息に震えが帯びる。


「――初見ならともかく、御神の剣士に二度同じ手が通じるとは思わない事ね。わかっていれれば避けられる。どうすれば良いかわかる。それを理解する為の神速であり、それを打破する為の神速よ。故に御神の名には最強の称号が与えられたのよ?」


 わかるかしら? とまるで教え説くように雪花は告げ、半ば茫然としていたなのはの腹部に強烈な蹴りを叩き込む。
 容赦のない蹴りはなのはの腹にめり込み、体の回転を惜しみなく使ったその蹴りはなのはの足を宙に浮かし、ジェイルが立っている入り口へとなのはを蹴り飛ばした。
 軽くバウンドする程の勢いでなのはがジェイルの足下まで転がり、口元を抑えて咳き込む。すぐさまジェイルが介抱するが、なのはの呼吸は落ち着かない。


「駄目駄目よ。駄目駄目。まだまだ。落第よ」


 なのはの落とした不破・雪花を握り、それをなのはの前に突き刺さるようにして投げる。なのはは痛みと呼吸の苦しさによって浮かんだ涙を拭う事も出来ずに小太刀を見つめる。
 雪花は再び部屋の中央に腰を下ろし、小さく口元に笑みを浮かべて軽くなのはに手を振った。


「また来なさい。知りたいのなら。勿論、尻尾巻いて逃げても良いわよ? どうせ、どちらにせよ大局には変わらないかもしれないから」
「…っ…どう、いう…意味…?」
「答えられません。答えて欲しかったら私に勝ちなよ。なのは。それじゃあね」


 ひらり、ひらり、と揺れるその手をなのははぼんやりと見ていた。そして視界が急に高くなる。ジェイルがなのはを横抱きにしたのだ。
 普段のなのはならば振り解いただろう。だが、今は弱っている事もあって静かにしていた。ジェイルはなのはを横抱きにしたまま階段を上がっていく。
 かつん、かつん、と階段を上る音がなのはの耳に届く。ただ、歯を噛み締める程の悔しさと無力感を感じながらなのはの意識は闇へと沈んでいった。





    ●





 夜。月光に照らされているのは尊秋多学院。年末祭の準備に追われている学生達は夜遅くまで準備に勤しんでいる。
 その作業する中、休憩をするように肩を並べる2人の生徒が居た。佐山と新庄だ。佐山は何気なしに天に浮かぶ月を見上げている。その隣の新庄は不意に、ねぇ、と佐山に声をかけて。


「…何だい? 新庄君」
「うん…なのはちゃん、どうしてるかな、って」
「…自分の祖父の過去を追う、か。まるで私達がやったみたいだね」
「そこで、なのはちゃんは何を知ってくるんだろうね?」


 結局、あの後、衣笠書庫の準備室にある扉は開いてはいない。何か手段がある筈なのだが、それも思いつかない。それ故に過去の資料が欲しいが、祭りの準備と各国のUCATの牽制に遭い、それも難しい。
 その新庄の問いに佐山は、あぁ、と声を漏らした。空を見上げながら彼は気の抜けたように。


「…知った所で、私達には関係ない事かもしれない」
「…え?」


 何で? と問うように新庄は疑問の声を挙げながら佐山の顔を盗み見た。彼はいつの間にか視線を降ろしていた。自然と、新庄と佐山は向かい合う形になる。


「…どうしてそう思うの?」
「…何故だろうね。どうして不破恭也はわざわざ息子の高町士郎を概念戦争に関わり合いにならないようにしたのだろうね?」
「…え? それは…」
「真相はわからない。だが、何かが引っ掛かるのだよ。そこが。息子を危険な目に遭わせてたくない、という親心だったのかもしれない」
「…それがどうしたの?」
「新庄君。確かに私達はTop-Gという存在を知り、軍と戦った。…だが、考えてみたまえ。「龍」は私達の前に姿を現した事がったかい?」


 新庄は佐山の問いに眉を寄せる。そう言えば、と思い返せば龍という組織と接触したのはなのはと関わり合いになった時に一度だけ。
 それ以外にはUCAT全体を含めても「龍」という組織と接触したという情報は無かった。だが、それがどうしたというのだろうか?


「規模が小さかっただけかもしれない。だが、龍の手の者は何かしら御神家に拘っているようにも見えないかね?」
「それがどうかしたの?」
「――まるで、そうし向けているようじゃないかい?」


 ぴく、と。新庄の眉が跳ねる。それは不意を突かれた困惑。思わず脳が回らず、思考がこんがらがる。


「ま、待ってよ佐山君! それってどういう…」
「何。裏の世界ではそこそこ「龍」の名は知られている。だが、概念戦争には「龍」の名は余りにも出てこない。――まるで、「龍」を概念戦争から切り離そうとしているかのようにも思えないかね?」
「う、穿ち過ぎじゃない? どこにもそんな証拠は…」
「無いね。だが、思うのだよ。高町君の在り方を見ていると」


 ふぅ、と佐山は吐息を吐き出す。困惑する新庄を尻目に佐山は一息と共に告げる。


「必要以上に敵を作ろうとする。その中で、彼女は世界を害する全てを斬り捨てようとしているのかもしれない。もしかしたら、かもしれない。そんな曖昧な言葉だが、どうにも彼女の在り方を思い返すと、そんな考えが浮かんでしまうのだよ」


 それは、佐山とは異なる悪役。佐山の悪役はそこに新たなる正義を産み出す為の悪だ。正しき間違い。過つ正しさを穿ち、新たに未来を切り開く、それこそ佐山の姓が任ずる悪役だとする。
 ならば、高町なのはが任ずる悪役とは何か? それは全てに怨まれ、全てに疎まれ、全てに憎まれる。だが同時に、それは全てに思われ、全てに敬われ、全てに愛される。
 正も、負も、全てを受け止め、そしてその先に自らの意志で世界を作っていくという彼女の在り方はまるで世界の意志を束ねているかのようで。


「もしそうなのだとすると…戻ってきた時の彼女は私達の味方ではないだろう」
「…え? ど、どうして…?」
「――彼女は、味方であり、敵であり、何にでもなり得るが、しかして何にもならないからね」


 だからこそ、と佐山は呟いて。


「彼女は誰よりも正しく、だがそれでいて間違えていなければならないのだから」


 佐山が、悪役を自ら任じ、率先して世界を作り替える開拓者、「正しき悪役」だとし。
 新庄が、夢想に近い正義を望み、それ故に世界の理の反逆者、「過つ正義」だとするならば。
 高町なのはは、率先して世界を作り替える「正しさ」を持ちながらも、夢想に近い正義を語る。間違いながらも、だが正しい。だが、あまりにも夢想すぎる者こそ彼女なのだ。


「…私と新庄君が対面の存在だと言うのなら、彼女はその中間にいるのだろう。正しくも過ち、悪でありながら正義である。矛盾を抱えながらも突き進む事を良しとする。傲慢にして清廉。誰もが理解しえない孤高の存在」
「……そう、なのかな? 大袈裟だよ」
「大袈裟かな?」


 自らの言葉を確認するように呟いた佐山に、新庄は言葉を返す事が出来なかった。反論出来ないのだ。彼女はやろうと思えばUCATにすら敵に回すのだろう。
 あの軍の戦いの時、確かに彼女はそうしたのだから。どんなに願いを踏みにじっても、どんなに疎まれ、憎まれ、刃を向けられてようとも。
 折れず、屈せず、媚びず、その胸に抱いた不屈の心を貫き通す。きっとそうして行く。新庄はわかっているのだ。佐山の言いたい事が。


「…佐山君」
「…何だね?」
「…そうだとしたら…なのはちゃんは…」


 だからこそ、わかってしまうのだ。新庄は自らの体を抱くように両手を回して呟くように告げた。


「…いつか、消されてしまいそうだよ」


 灰は灰に。塵は塵に。そして…夢は夢に。彼女の存在はあまりにも夢想過ぎる。だからこそ彼女は拒絶されてしまいそうだ。この現実から。
 いつか自らの抱える矛盾を肥大させて、周囲を巻き込み、その果てに排除されてしまう。余りにも正しく、あまりにも間違っているからこそ。


「…新庄君」
「……何?」
「夢は、追えば消えないものさ」


 それはまるで安心させるように。佐山は新庄の肩を抱き寄せながら呟いた。新庄は佐山にされるがままに彼に肩を寄せて。


「彼女の夢は私達の夢だ。だから…消させないさ。なのは君の夢は――私と新庄君の交差点に等しいのだから」





    ●





 ゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした思考の中、目を開いたなのははただ天井を見上げる。見上げた天井は自分が乗ってきた車内だ。
 ふと窓の外へと視線だけ向ければ暗いのがよくわかる。夜、と小さく呟いてなのはは自分がどうなっているのかを確認した。自分の頭はどうやら何かの上に乗っかっている状態で自分は寝そべっているようだ。
 なのはは目を上へと向ける。そこにはシートに背を預けて、肘をついて手に顎を乗せながら空を見上げているジェイルがいた。どうやらなのははジェイルの太ももの上に頭を乗せているようだ、と気付いた。


「…ジェイルさん」
「…ん? あぁ、気がついたのか。気分はどうだい?」


 ジェイルは今、ようやく気付いたと言うようになのはへと視線を降ろした。何気なくジェイルの手がなのはの髪を撫でる。なのははそれに対して何も言わない。
 ただ、何も言わずに天井を見上げている。ぼんやりとした瞳にはまるで光が無いようにも見えて、ジェイルはその瞳をジッ、と見つめている。


「…負けた」
「…あぁ、君は負けたんだ」
「…負け、ましたか」
「あぁ、完膚無きにまでね」


 そうですか、と声がする。なのははその言葉を境に言葉を発さない。そのなのはの頭をジェイルはただ撫でる。髪を梳くように、頭を撫でるように。優しく、優しく…。
 つぅ、と。なのはの瞳から涙が零れた。ぼんやりとしていたなのはの表情が一気に歪み、歯を噛み締め、目を擦るように手を顔に持っていき、顔を覆い隠す。


「負け…ました」
「…あぁ。負けたね」
「…勝てる気、しないです」
「…君は弱かったね」


 なのはは、負けた。
 不破雪花に負けたのだ。完膚無きにまで。そして見せ付けられたのだ。概念刀の力も無く、魔法も中途半端にしか使えなかったとはいえ、それでも負けた。
 負けて、そして思わず見えてしまったのだ。――自分の敗北する未来が。どう足掻いても勝利出来る未来が無いのだ、と。
 どんな魔法を使おうとも避けられれば終わりで、雪花と斬り合えば相手に良いようにされてしまう。
 完全に魔法が使えようとも、どんな強固なバリアジャケットを作ったとしてもあれは防げない。雪花は明らかにそういう領域の存在なのだ。


 だから――なのはは悔しかったのだ。


「…負けちゃった…よぉ」
「……」
「…わからないままだよ」


 なのはにはどうすれば良いのかもうわからない。雪花に勝つ為のヴィジョンが見えないのだ。だからこそなのはは悔しくて涙を流す。止め止めもなく溢れていく。
 勝ちたい、負けたくない。だからこそ、勝つ未来が見いだせない自分が歯痒くて。だから、涙が止まらないのだと。
 そのなのはの涙を拭う手があった。なのはは涙に濡れる瞳で見上げる。そこには自分と視線を合わせるジェイルがいて。


「足を止めたくないのかい?」
「当たり前、じゃないですか…っ…」
「でも、どう勝てば良いのかわからないのかい?」
「私…わからないよ」





「なら、聞けば良いじゃないか」





 そっと。ジェイルの手がなのはの頬を撫でる。ジェイルは淡い微笑を浮かべて。


「…聞く?」
「不破雪花は君を待っている。それは君はわかっているだろう?」
「…ぅん」
「君に勝って欲しいんだ。だから突き放しもするし、期待もする。ならば、不破雪花は君に何を求めているんだい?」
「…強くなって欲しい」
「そうだ。じゃあ、高町君はどうすれば勝てると思う?」
「…わからない」
「そうだ。わからない。――なら、私が教えてあげようか?」


 なのはとジェイルの視線が絡み合う。


「…教えて…くれますか?」
「君が望み、私が望むなら。君は望んでくれるかね?」
「…どうして?」
「私も知りたいからね、不破恭也の事は。――今は、それで良い」


 そっとなのはの頭を撫でて。


「今は休むと良い。君も緊張したんだろう? ――何せ、相手は君のお婆さんだ。私にはわからないが…きっと、そういうものなのだろう?」
「―――――」
「だから、今は休むと良い」


 ぽん、と。ジェイルは優しくなのはの頭を叩いた。そのまま撫でるような感触になのははゆっくりと瞳を閉じていく。
 すぅ、と。寝息が聞こえ始める。なのはの瞳は閉ざされ、小さな寝息が一定のリズムで吐き出される。
 なのはの髪を梳くように撫でていたジェイルは瞳を閉じながら、子守歌のように1つの歌を歌い始めた。
 その歌の名は「清しこの夜に」。その歌は聖なる歌。静かなこの夜に、神の子を祝うその歌を。


(…君はこんな所で終わる筈がない。きっと目が覚めれば君は歩き出すだろう? そう、だからこそ私は君と共にここに来たのだから。全ての興味の先に―――君がいるだろうから)


 だから、と。ジェイルは聖歌を口にしながら瞳を閉じる。思い馳せるのはただ一言。


(頑張れ、高町君。――でなければ、面白くないだろう?)


 あぁ、あぁ、聖なるかな、聖なるかな。静かな夜に聖なる歌は静かに、小さく木霊した…。



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 09
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/07 22:12
「幾つか手はある」


 ジェイルの言葉はそこから始まった。ここは御神家屋敷跡から少し離れた旅館だ。旅館に備え付けられていた浴衣を身に纏い、なのはと向かい合うジェイル。
 なのはもまた浴衣へと着替えていて、髪を流している。他の面々は思い思いに旅館に散っていて今、ここにはなのはとジェイルしかない。


「1つ、諦める」
「それは根本的な問題の解決になってませんから駄目です」
「だろうね。ならば2つ、君が御神の剣士として完成する」
「…時間が圧倒的に足りません」


 なのはは段々と苛々してくる。ジェイルの言葉の意図が捕らえきれない。彼は一体何を考えてこうして出来もしない手段を提案してくるのか。だがこれは今までの対応を考えればただはぐらかしているだけ。こちらが苛つくのを嘲笑っているのだろう。
 そう思えば怒鳴り散らしそうになった感情にブレーキがかかる。ふぅ、とんなのはが息を吐き出してジト目をジェイルに向けると、ジェイルは降参と言わんばかりに両手を挙げる。それまでどこか巫山戯ていた顔だったジェイルの顔が真剣なものとなる。


「…これはあくまで理論上の話だ。それでも聞くかい? 成功する確率があるとは言えないし、私が想定する結果が本当に発生するかもわからない。100%賭けになると言っても良いだろう」
「…実証が無いんですか?」
「無いよ。何故ならばそれは特定の条件下のみで可能で、今のところ、それに該当するのが君だけなのだから」
「…教えてください。賭けでも良いです。時間が無いんです」


 なのははジェイルを真っ直ぐに見つめて告げる。ふむ、とジェイルは小さく呟きを入れて顎を撫でる。じっくりとなのはを観察するように見ていたジェイルだったが、ふぅ、と一息を吐いて。


「良いだろう。ならば説明しよう」





     ●





 ごとん、と音と共に自販機から缶ジュースが出てくる。それを手にとってプルタブに指をかける。空気の抜ける音と共に蓋が開き、缶の中にあるジュースを口の中に含む。ジュースを飲んでいるのはチンクだ。
 チンクの足が向かう先、そこにはトーレとドゥーエが座っている。彼女等もまた浴衣を羽織っている。彼女達がいるのは遊技場だ。旅館と言えば卓球台。現在はウーノとクアットロが試合をしている。


「ちょっ、ウーノ姉様! 手加減してください! 私は文官ですっ!!」
「試合に情けなど不要です。さぁ、潔く果てなさい」
「さっきから顔面狙ってるのはそういう訳ですか!?」
「Tes.最も効率的に敵を打破する方法です」
「ルールを守ってくださいぃぃぃいっ!! これポイント先取で勝敗決まりますから!!」
「Tes.落としたら1ポイント、頬で2ポイント、目で3ポイント、眼鏡で10ポイントでよろしいですか?」
「何そのルール!? というか眼鏡ポイント高っ!!」
「レンズが割れれば一撃必殺なので」
「誰が割らせるか……ってさっきから回転がかかって、ツイストしてる!?」


 …そんな2人の微笑ましい試合光景から目を逸らす3人。ずず、と示し合わせたように互いに飲み物を呑む音が揃う。そしてほっ、と吐き出す息のタイミングもまたピッタリだ。


「…しかし、これからどうなるのかな」
「これから、というと?」
「なのはだよ。…話を聞けば、今のままじゃ勝てないって言われてるんだろう?」


 チンクは疑問を口にするとトーレがジュースを持ちながら腕を組む。ふむ、と声を漏らして何かを考え込むように。


「だが、諦めるようなタマでもあるまい」
「それにドクターが何か策略っぽい事をしてたみたいだしね」


 トーレの呟きに続けるようにしてドゥーエが言う。それを告げればまた一口、ジュースを口に運んでドゥーエはほっ、と息を吐く。


「まぁ、方法が無い訳じゃないのよね」
「なに? そうなのか?」
「ドクターが研究してたものがあるんだけどね。まぁ、特定条件下じゃなければ発現しない現象だからドクターも半ば捨て置いた理論なんだけどね」
「どんな理論だ?」


 疑問の声を挙げるチンクとトーレの疑問に答えず、ドゥーエはジュースを一気に煽るように飲み干す。飲み干した缶を口から離し、ほぅ、と息を吐いた後、缶をゴミ箱へと投げる為に立ち上がる。
 缶をゴミ箱に投げると先に投げられていた缶とぶつかって音を奏でる。こき、と首を鳴らしてドゥーエは改めてトーレとチンクへと視線を移して。


「突拍子もないトンデモ理論よ。……だけど、その理論が正しければ…――高町なのはの前には神すら平伏すでしょうね」





    ●





「――本当に、そんな事が可能なんですか?」
「さぁてね。これはあくまで私の推測で、実証が無いお話だ。君にそんな兆候は見られなかったし、もしかしたら私の考えすぎという事もある。だがもしも私の理論が正しければ、君は…」


 気分を良くしたように口を開いていたジェイルだが、不意にその口を閉ざした。なのはは震えていた。小さくその体を震わせ、浴衣の裾を握っていた。顔色は決して良いとは言えず、青白さが顔に滲み出ていた。
 そんななのはの様子を伺うように視線を向けていたジェイルだったが、興味を無くしたかのようになのはから視線を逸らす。ジェイルが視線を向けた先には窓があり、そこからは夜空が覗いていた。
 煌めく星屑。そして月。僅かにかかる雲。そんな夜空の姿を見つめながらジェイルは静かに口を開いた。


「ちっぽけだね。高町君」
「…いきなりなんですか?」
「あそこに輝く星の光は何万年も前に輝いた光らしいよ。ここに届くまで長い旅をして僅か一瞬、あんな小さな光の為に輝いていると思うと馬鹿げていると思わないかい? 星の光なんて」
「……」
「だけど、私はそんな星が嫌いじゃない。むしろ、好きなのかもしれないね」


 なのははジェイルを見た。そこに居たのは、空虚だった。ジェイルの金色の瞳は何も移していない。星の姿も、光景も、感情も。その瞳には何も無かった。ただあるのは金色の闇だけ。虚無の瞳だけ。


「…以前、話した事があると思うがね、高町君。私はフェイト・テスタロッサと同じような生まれだ。彼女が「アリシア・テスタロッサ」を望まれた存在だと言うように、まぁ私も製造理由というのがあってね」
「製造理由って…」
「間違ってはいないだろう? まぁ、その為に生まれた訳だが…フェイト・テスタロッサは失敗だった訳だ」
「…っ…」


 ぎり、となのはは歯を噛む。それはまるでフェイトを愚弄されているように聞こえてなのはの感情を逆立てる。だが、それでもなのはが直接的な行動に出なかった。否、出れなかったと言うべきか。
 なのはは呑まれていたのだ。ジェイルの闇とも言えるような空虚なその瞳に。その空気に。故になのはは食ってかかる事が出来なかった。ただ不愉快げに眉を顰めるのみ。なのはの様子に気付いているのか、気付いていないのか、ジェイルは話を続ける。


「…あぁ、羨ましいな」
「…え?」
「欲しかったなぁ、その在り方が。ただ求められる訳でもなく、刷り込まれた物でもなく、それしか信じられぬ訳でなく、自ら選び、信じ、生きていく。迷って、苦しんで、足掻いて、無様でも、泥臭くても、そんな生き方が……、っ…!」


 そこまで口にしてジェイルはハッ、とした顔で口元を押さえた。なのはを伺うように視線を向け、そしてどこか唖然としているなのはを見て眉を歪める。それからはぁ、と溜息を吐き出して苦笑を浮かべる。


「失敬。どうも要らん事を口走ったようだね」
「…ジェイルさん、貴方は…」
「……UCATに来てから尚感じた。私は所詮、定められた生き方の中でしか生きられない。人は自らの知る事しか知らない。それは正しくて、それを理解する事は出来ない。理解できたつもりになって、結局は何も変わらない。私は変わったと思ってもそれは結局私の定められたものへと行き着く」


 はは、と笑い声を漏らしながら語るジェイルの姿になのはは思わず胸を締め付けられた。それは、その姿はあまりにも見ていて痛々しい。彼は笑っている。それは楽しそうに、だけど、諦めたように。
 それは狂っていると言っても良い。本心からそれは笑えていない。心の1から10が同じ心には絶対にはなれない。仕組まれて、操られて、それは自分自身の意志で笑っていない。まるで操り人形。そしてその操り糸を切り離す事も出来ず。


「…私の夢はね、高町君。生命操作技術の完成だ」
「…それって」
「言わば、生命を自由自在に操る技術だ。人の命を救い、延命する。聞こえは良いが、所詮はそんなのは蓋を開ければ永遠に生きたいという死に怯えた愚者の欲に塗れた汚れた願いにしか過ぎない。そんな技術が完成すれば世界は崩壊する。どれだけ隠しても、闇はいつか光にテラされる。私は、世界を壊す為に生まれたんだ、そう思えば笑いたくて仕様がなくなる。研究を止めたい、とは思わないんだ。不思議な事にね。刷り込みなのか、それとも私自身が望んでいるのか正直わからない。わかりたくないのかもしれないし、興味が無いのかもしれない。ただ私はきっと喜んで世界を壊すだろう、と確信している」
「…何故、そんな話を私に?」
「……」


 なのはの問いかけにジェイルは一度、口を閉ざす。それから何かを言い篭もるように口を動かし、結局何も言わずに無為に時間だけが流れていく。なのははそんなジェイルの挙動を不審そうに見つめるだけだ。
 どれだけの間を置いたのか。ジェイルはふぅ、と息を吐き出してなのはを真っ直ぐに見つめて。


「最初は、ただの興味だったんだ」
「え?」
「御神恭也の偽物である君が、どんな風に生きていくのか。ただ観察するつもりだっただけだ。…だが……そうだね、私は、君が好きになったんだろうね」


 は? と。なのはは思わず呼吸を止めた。好き、と告げたジェイルはいつもと同じような表情でなのはを見ている。なのはは思考を停止したままだ。ジェイルの意味が捕らえきれない。
 だが、少しずつ思考が動いてくるとそれがどういう意味で、何を思ってジェイルがそんな事を口にしたのかを考える。真っ先に浮かんだのはからかわれてる? という疑問だ。あぁ、そうなんだ、となのはは思えば波だった心が落ち着いて。ここは適当にあしらうべきなのだろう、と。


「…やだなぁ、からかわないでくださいよ」
「からかってるつもりは無いがね」
「な…っ…!?」
「私は君に惹かれてる。今までの誰よりも、君を見てると思う。君の生き方が余りにも眩しいんだ。そして恋い焦がれる。だから手を貸したいと思うし、君の行く先を見たいと思う」


 素面で言い切るジェイルになのはは何故か逆に落ち着いてくるのを感じた。なのはとて恋人という関係を知らない訳じゃない。知識では知っているし、恋物語を知らないという訳ではない。
 だが、緊張は無かった。何かがピッタリと嵌るようになのはは落ち着くのを感じた。訳がわからないが、それでも落ち着いた自分は冷静になって物を考えられる。逆に何かが吹きれたのかな? とも思ったが、やはりわからない。


「私は私の全てを含めて、君の事を見守りたいと思うし、君がこれから何をしでかしてくれるのかと楽しみにしている。君は私にとって最高のサンプルであり、私の心を震わせてくれる」
「…サンプルって酷い言い方ですね」
「だが、正直に言おう。私はそれしか知らないし、君に偽るつもりもない。君をこの世界に引き込んだのも私だしね。覚えているだろう? 君の撃墜事故を」
「…! あの起動兵器は…ジェイルさんが?」
「あぁ。テストも兼ねてね」


 怨むかい? と問うようにジェイルはなのはを見る。その姿になのはは目を細める。ふぅ、と息を吐き出して立ち上がり、ジェイルの方へと歩み寄っていく。
 ぱぁん、と。頬を平手で打つ音が響いた。ジェイルは軽く顔を背け、なのはは平手を振り切った体勢でジェイルを見つめる。ジェイルがなのはへと視線を戻すと、なのはは長く深い息を吐き出して。


「…これでチャラにしてあげますよ」
「…この程度で許してくれるのかい?」
「ジェイルさんには、まぁ、感謝してますから。その分は全部帳消しにして、それでこの一発で許します」
「…はは、お優しい事で」
「…違います。確かに許せないけど…だけど、だからと言って私は誰かを怨み続けるなんて出来ないだけですから」


 そう告げてなのははジェイルから視線を逸らそうとする。だが、ジェイルは表情を消してなのはを見据えて告げた。その一言はなのはの思考を一時停止に追い込んだ。


「でも、感情はそんな簡単に納得してくれるものかい? 本当は私を許せないんじゃないのかい?」
「――――っ!!」


 鈍い音が響いた。なのはがジェイルに向かって震ったのは拳だ。ジェイルはその拳を今度は掌で受け止める。なのはが力を込めているのでその手は震えている。なのははジェイルを睨み付けている。その瞳には隠しきれぬ怒気が見える。
 なのはは肩で息を荒く吐く。明らかに興奮しているその姿をジェイルはただ静かに見つめる。対してなのははそのジェイルの瞳を見てこう思う。――気にくわない、と。


「何でっ、貴方はっ!」
「……」
「怨みたくないって! 言ってるじゃないですか!! 何で煽るんですか!? 何で、何でっ!?」


 なのはは再び拳を振り上げる。今度はその拳がジェイルの胸元へと叩き込まれる。その拳にジェイルは僅かに顔を歪めるが、今度はなのはの手を止めはしない。なのはは何度もジェイルの胸を叩いて、そのままジェイルの胸ぐらを掴み、歯を噛み締める。
 ジェイルの浴衣を握りしめて、なのはは体を大きく震わせる。まだ興奮から収まらないのか、なのはの肩は上下を続けている。そしてなのはは叫んだ。それはまるで血を吐くかのような叫びだ。


「痛かった!! 凄く痛かった!! 皆に迷惑かけて、どうすれば良いのかとか全部わからなくなって!! リハビリも苦しくて、辛くて!! 魔導師としてまた空を飛べるのかどうかとか色々な事を考えなくちゃいけなくて!! 苦しかった!! 凄く苦しかったんだよ!! 全部、全部貴方が…っ…!!」


 はっ、となのはは荒く息を吐き出して言葉を止める。そのまま髪を振り乱すようにして頭を振って。


「――私は、こんな醜い私なんて嫌なのにっ!!」


 良い子にならなきゃいけない。理想であらなきゃいけない。それは過去に形成した人格。なのはは理想を追う。そこに幸福があると信じて、どんな我慢だって出来る。そうして突き進む事が出来るのがなのはの強さだ。
 信じ切ってしまえば、痛いのも、苦しいのも、怖いのも、押し込めてしまえる。そうすれば理想の道が見えてくる。そうすれば頑張った分だけ幸せになれる。そう信じて、叶える為に頑張って、叶って、自分は幸せになった。
 だが、だがだ。なのはは気付いたのだ。気付いてしまったのだ。目の前の青年が自分にとって、毒のような存在なのだと。自分は望める。望めてしまう。だけどその分だけ支払う代償が大きくなって、我慢しなきゃいけない事がどんどんと重くなっていく。それはそう、ジレンマだ。
 彼は教えてくれる。自分の知りたい事を。だがその分だけ、なのはは知りすぎてしまう。この概念戦争に巻き込まれたのも彼がキッカケで、彼の下にいるドゥーエ達の導きで戦場へと至って、こうしてなのはは更なる力を望める。望めてしまう。だからこそなのはが抱く理想が高く、遠くなっていく。それは決して届かない理想ではないけれど、でも、遠い。


「理想と違う事がそんなにも苦しいことかい?」
「だってそうじゃなきゃ幸せになれない!」
「人を怨むのがそんなに醜い事かい?」
「だって人を傷付けるもん!」
「人を傷付ける事はそんなに醜い事かい?」
「だって痛いもん!」
「痛みが無い人生が本当に幸せかい?」
「痛いのは嫌だよっ!」
「君は傲慢だな。君は知るな、と言う。ただ笑っていろと君は言うんだな?」
「痛みなんて知って何になるの!? 苦しいのは嫌だよ!! ジェイルさんはどうして私を苦しめるのさ!! 私、…嬉しかったよっ! 自分の為に生きて良いんだって!! 幸せになっても良いんだって!! でも、でも…苦しいよ…っ!! 重いよぉっ!! 好き勝手に生きるって、こんなに、苦しいなんて知らなかったよぉっ!!」


 なのはの瞳から涙が零れ落ちる。それは挫折。あまりにもその理想は高い。届かない訳ではないけれど、それでも支払うものはやはり大きくて。だけど、彼は望んでも良い、という。それは嬉しいけれど、同時に苦しくて、重たくて。
 なのはの慟哭を聞いてジェイルは頷いた。そっとなのはの手を握り、空いた片手をなのはの背へと回した。どこかぎこちないその手の動きになのははびくり、と身を震わせる。


「そうだ。苦しい事だ」
「っ! 嘘! わからない癖に! わかった風に言わないでよっ!! ジェイルさんに私の何がわかるって言うのっ!!」
「わからない。言ったろ? 知ったつもりになるだけだ、と。だから私は知ったつもりなだけで何もわからない。――だけど、それを限りなく「知っている」に近づけたいと思っている」
「どうしてっ!?」
「君が、私の理想になってくれるからだ。そうすれば私も幸せになれる。その結果を見て満足が出来る。私は諦める事しか出来ない。抗う気もしない。それはやっぱり私の願いだからだ。だが、私はそれでも夢を見たい。夢は夢で良い。夢は理想にならない。だが、なって欲しいと思うのは…傲慢だろうか? 残酷だろうか? …いや、傲慢で、残酷なのだろうね。だって私は今、君を泣かせてるから」


 ジェイルは膝をつく形でなのはと視線を合わせる。見つめあう形になる2人。なのはの瞳には涙が浮かんでいて潤みを帯びている。その瞳を見つめながらジェイルは告げる。


「私は夢が見たい。君の叶えたい夢が見たい。それを見て私は満足が出来る。私は私に諦めを感じている。だからこそ諦めを感じない君の諦めない力になりたい。君の全てを見てみたい。そうすれば……私の最高の夢になる。それは幸せな事だ」
「…ぁ…」
「君の幸せが私の幸せになってくれる。だから私は君を知りたい。君を知る事が君の力となるなら。君を留める涙を止められるなら、君を戸惑わせる迷いを断ち切れるなら、私は君の全てを受け止めたい」


 そして、2人の間には時が止まったような沈黙が流れた。なのははただジェイルを見つめているし、ジェイルもまたなのはを見つめたまま動かない。そのままただ無為に時間だけが流れていく。
 はらり、はらりとなのはの涙は止まらない。そしてなのはは小さく唇を震わせたかと思えば、瞳を閉じた。ぎゅっ、と強く、固く瞳を閉じて小さく体を震わせた。


「……ばか……」
「…ん?」
「…ばか、ですよ、ジェイルさんはばかです。こんな、私、まだ小学生なのに、子供なのに、そんな子供に何言うんですか?」
「君はただの子供じゃないだろう? 稀代の天才魔導師にして、最強とされた御神の剣士の血筋だ。だから君に私は理想を見れる」
「私、途中で諦めちゃうって思わないんですか?」
「君はそんな弱くはないと私は思う。弱かったとしても、君なら立ってくれるんじゃないかと夢を見られる」
「そんなの、ただ重たいだけですよ」
「だけど君は君自身がそう願ってくれるんじゃないかな、と私は思う」


 ジェイルの言葉を聞いて、なのはは、そうですか、と消え入りそうな声で呟いて。
 そして、ゆっくりと顔を上げた。そこにはぼろぼろと先ほどよりも涙を零すなのはが居た。肩で息をして、瞳を閉じて何かに堪えるように声を押し殺している。そんな姿を見てジェイルは僅かに笑みを浮かべて。


「…君は、やっぱりただの子供なのかい?」
「…いいえ、私は魔法使いで、御神の剣士です」
「いいや、それでも君は諦めてしまうかもしれない」
「諦めません。私、頑張れる子だから。そうすれば幸せになれるって思うから」
「君の望みはあまりにも高くはないかい?」
「でも、きっとその分だけ幸せになれると思ってます。……だって…」


 すぅ、となのははそこで一度言葉を切る。震えそうになる唇を必死に堪えながら、なのはは確かにその言葉を口にした。


「馬鹿みたいに、私を信じてくれる人がいるから。だから…嫌でも、辛くても、信じて良いかな、って、思えますよ」


 泣き笑い、まさにそんな表情でなのはは告げた。堪えるような表情を浮かべたまま、体を震わせてなのはは微笑む。歯をかちかちと震わせながらも、それでも笑っている。苦しそうにも見えるが、だけど彼女は笑うのだ。
 そんななのはをジェイルは抱きしめた。その髪を梳くように、その体の震えを受け止めるように。なのはが感じるぎこちなさは消えない。だが、そのぎこちなさがどことなく心地よさを感じるのは何故なのだろうか。


「…ねぇ、ジェイルさん」
「…なんだい?」
「夢のその先で…待っててくれますか? 足を止めそうな現実でも信じてくれますか? こんな私だけど……本当に、信じて、くれますか?」
「…あぁ、信じよう」
「…本当に?」
「あぁ。だから聞いて良いか? 苦しい現実を乗り越えてきて貰って良いかい? 夢のその先で君を待っていたい。…本当に君を信じて良いだろうか?」
「……ぅん」


 それは、消え入りそうな返事だった。なのははえへへ、と小さく笑いを零した。


「どんなワガママでも、許してくれますか?」
「許さないワガママなんてあるなら言ってみてくれたまえ。君のワガママはきっと私にとって楽しい事だと思うんだ」
「…そっか…。……なら…ジェイルさん?」
「…ん?」
「名前で、呼んで? ジェイルさんはもう、他人じゃないよ。知り合いでもない、もう、そんな単純じゃ嫌だよ」
「…可愛らしいワガママだ」


 くくく、と喉を鳴らせるようにジェイルは笑ってなのはの頭を撫でた。なのははその感触に目を細めて、ジェイルに体重をかけるように体勢を崩した。その頬には涙がこぼれて、まだ苦しそうに息を荒らげているが、確かな笑みがそこにはあって。


「…なのは君」
「…わぁ…なんか変な感じする。…で、何ですか?」
「呼べと言ったのは君だろう? まったく」


 くしゃくしゃ、とジェイルはなのはの髪を軽く乱暴気味にかき混ぜる。なのははそれを首を振って振り払う。だがジェイルから離れようとしない仕草にジェイルは思わず鼻を鳴らして口元を緩める。


「…ねぇ、ジェイルさん」
「なんだい?」
「…私ね、自分勝手に生きるって決めて良かったと思う。だけど、怖かった。きっと私は凄いワガママになっちゃうから、皆に嫌われちゃうんじゃないかな、って」
「…そうなのか」
「気にしない、って、やっぱり出来ないなぁ、だって一人は凄く寂しいんだもん。でも、私はそれじゃ駄目になるんだ。そうじゃないと寂しいのが嫌で、また我慢して…」
「…あぁ」
「…だからね。だから、ね…今…すっごく嬉しいよ…泣きたくなるぐらい嬉しいよ…。私、本当に信じて貰ってるんだなぁ、って思うと…一人じゃないって思うと嬉しいよ…」


 ありのままの自分。それはきっと凄いワガママな自分で、だけど、それを我慢して生きるのはきっと前の自分。だからありのままに生きる事は止めたくない。だけど、一人は冷たい。寂しい。だから怖かった。
 その恐怖を解くように、ジェイルの言葉は有り難かった。それは同情の言葉でも何もない。それは、また彼自身のワガママなのだから。そう、我がままに、自分のままで真っ直ぐに求めてくれる。それは…何という幸福なんだろう、と。


「…一人にさせないさ、君は私の理想を叶えてくれるなら」
「…うん、叶えてみせるよ。私の願いだから」
「あぁ、楽しみだなぁ。私はそんな夢が見たかった」
「私も、そんな夢のような自分になりたいよ」


 そのまま、2人は瞳を閉じて体を預け合う。とん、とんとジェイルがなのはの背を優しくリズムをつけて叩く。何気なしにジェイルが口ずさんだのは地球に住むようになってから歌うようになった「清しこの夜に」。
 なのはもその歌にあわせて小さく歌う。それは決して大きな声ではない小さな口ずさみ。だが、2つの声は確かに静かに歌を歌っていた…。





    ●





 きゅっ、となのはは靴紐を結び直して旅館の入り口を出る。既に朝日が昇っている。その朝の日差しの眩しさに思わず手を翳す。晴れ渡る空に浮かぶ太陽は雪によって白化粧した街を明るく染める。
 その光の下、なのはを待っているのは運転席に座っているウーノ。助手席で窓から身を乗り出して腕を出した体勢でこちらを見ているドゥーエ。その後ろの席にはボロボロのクアットロを挟むようにチンクとどこか不満げなトーレがいる。
 そして、開いたドアの前でジェイルが立っていた。ジェイルはそっとなのはに手を差し伸べた。


「……さぁ、行こうか?」
「……うんっ!!」


 互いに浮かぶのは笑み。なのははジェイルの手を握り、そのまま彼の手を引くようにして車へと乗り込んだ。向かうは御神家屋敷跡。再戦の時は間近に迫っていた…。



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 10
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/09 22:45
 そこに至るまでの道のりは無言だった。白に染められる景色を抜ける。朽ちた屋敷を抜け、再び暗闇の道を進む。ただ響くのは2人の足音だけ。なのはとジェイルは進む。御神邸の屋敷跡を。
 再び2人でここを訪れる。ウーノ達は待機している。その間、なのはとジェイルにかわされた言葉はあまりにも少ない。2人は進む。その足取りに迷い無く階段を下りてゆく。
 なのはが先に最後の段を降りる。そこには閉ざされた扉がある。ジェイルもなのはに続くように降りて扉を見つめる。なのははふぅ、と息を吐き出してコートを脱いだ。腰には不破・雪花が指されている。首もとにはレイジングハートが揺れている。
 なのはが脱いだコートをジェイルは受け取る。そのコートのポケットには佐山から預かった獏が入っていた。獏はポケットから出てジェイルの頭の上へと乗る。獏を目で追っていたなのははジェイルと一瞬交錯し、そして互いの顔に浮かぶのは笑み。


「行ってきます」
「あぁ、行ってきたまえ」


 何でもないようにジェイルは見送る。なのはは黙って進む。そして扉が再び開かれる。扉の先にあるのは真っ白の概念空間。白一色しかない空間に立つのは2人。なのはと、雪花と。
 雪花はなのはに背を向けるようにして立っていた。そしてなのはに気付いたかのようにゆっくりと振り返る。その手には小太刀が既に握られていて。なのははそれを確認して不破・雪花を抜き放つ。


「…もう来たんだ」
「…えぇ」
「…ふぅん? たかが1日で私に勝つつもり? たった1日で何が出来るの?」
「何も。だけど…叶える為に、届かせる為に、ここに来たつもりです」


 なのはは構えを取る。射抜くように真っ直ぐに雪花を見据えてなのはは小太刀を構える。なのはが構える様を見せられれば、雪花はふふ、と小さく笑いを零して同じように構えを取る。
 それ以上の言葉は要らない。行くよ、とも合図の言葉も無く互いに、同時に一歩を踏み出した。そして互いの間合いに入った瞬間、小太刀が振るわれる。一撃、二撃、互いに刃を合わせる乱舞は衝突音を連続として奏で、その速度を増していく。


「っつ、ぁぁあっ!!」


 最初に引いたのはなのはだ。 いや、引かざるを得なかったと言えるだろう。なのはの技量では雪花と切り結ぶには実力不足。だがそこを雪花は情もなく突く。なのはへと繰り出された斬撃はなのはの私服を掠り、袖を切り刻む。
 なのははバックステップを踏んで雪花から距離を取ろうとするも、雪花が更に踏み込みを入れる。後ろに走るのと、前に走るのでは速度が違う。なのはは後退しながら斬り合うも、その体にはまた1つ、また1つと傷が刻まれていく。


「こんな様で私に勝つつもり!?」
「くっ…!」
「甘い甘い!! 考え方が甘いよ!!」


 雪花の言葉になのはが歯を噛み締め、雪花が振るう小太刀を受け止める。お、と雪花の関心する声が聞こえるが無視。雪花の小太刀と鍔迫り合いを続けながらなのはは息を吸い直して、キッ、と雪花を睨み付ける。


「…じゃあ…出し惜しみ無しで行きます!!」


 なのはが勢いよく雪花の小太刀を弾く。弾くのと同時になのはは不破・雪花を収める。それに怪訝そうな顔をした雪花の顔はすぐに驚愕へと変わる。それはなのはが懐から取り出した何かを握ったのを見てからだ。
 なのはが雪花の驚きの顔を見るのと同時に胸から浮かび出るのは光の球体。なのはは手の中のソレを胸へと押し当てるように当てる。


「リンカーコアに…! 貴方、気付いて―――ッ!?」


・――名は力を与える。


 雪花の驚愕の声と同時になのはは脳裏にその声が響く。それは概念条文。なのはのリンカーコアがまるで呑み込むように握っていた何かを呑み込む。それは――賢石だ。概念を封じ込めた結晶体。
 賢石を呑み込んだリンカーコアの光が急速に輝きを増していき、そしてなのはの体を包む。その光を纏い、なのはは身を震わせる。魔力の奔流が迸る。あ、とも、お、とも取れぬ叫びがなのはの喉から絞り出されるように上げられる。


「レイジングハートッ!!」
『accel Fin』


 再びなのはは不破・雪花を解き放つ。なのはの足下には飛行・加速用の翼が開く。そして――なのはは一瞬にして雪花の懐へと飛び込んだ。雪花が驚く顔が見れるのと同時に菜乃花は小太刀を振るう。当然雪花も対応してくる。
 だが、今度はなのはの両手にもアクセルフィンが現出する。それは強制的になのはの動きを加速させていく。今度は逆に雪花が歯を噛み締め、なのはの連撃を防ぐ形となる。


「…リンカーコア。それは周囲の魔力素を魔力へと変換する器官。言わば魔導師の心臓だ」


 その光景を見守っていたジェイルは不意に呟きを漏らす。


「リンカーコアという器官には謎が多い。その生成プロセスも謎に包まれ、情報などあってないようなもの。…だが、私はUCATにて「概念」という存在を知ったとき、思いついた」


 それは自分の考えを纏めるように。それは先日、なのはに説明したように。


「リンカーコア。意味は連結する核。連結先は世界。仮定に仮定を重ねるならば、魔力素とは世界から零れ出た意志。意志ならば無意識も含め、どの世界にも存在し、ある事が出来る。そこから適正量を抽出し、自らの力となす。それがリンカーコアの仕組みなのではないか、と。
 つまり、ならば、だ。ならば直接リンカーコアに「賢石」などの概念の結晶体を取り込ませる事が出来たのならば? それはつまり…概念を自らの物とする事が出来る。今、なのは君がそうしているように」


 なのはが取り込んだのは2nd系列の概念の賢石だ。名は力を持つという概念。故になのはのアクセルフィンはその意味からなのはの加速を手助けしている。その分だけ、リンカーコアの負担は跳ね上がっているだろう。
 それがなのはが全身から放っている魔力が証拠だろうし、このまま行けば自滅の可能性もあるだろう。だが、そのかわりに得られる力は絶大だ。まず概念空間の展開が不要だ。何故ならば彼女そのものが概念となっているようなものだから。
 故に、彼女は概念空間を必要としない。その力は自らの為だけに。それは正に世界すら喰らってみせる悪魔の所行。


「く、このっ!!」


 悪態を零しながらも雪花の速度は上がっていく。だが、なのはも翼を大きく広げて加速していく。光、それはそう、もう光だ。なのはは光と化していた。体は軋む、リンカーコアからは悲鳴のような音が聞こえている。
 そう、決して概念の吸収は魔力の供給ではない。賢石レベルであっても魔力素として適正である濃度を大幅に振り切っているのだから。だからリンカーコアに貯蔵出来る魔力はいつもより少ない。更に魔力素と概念を混ぜ合わせる事によってリンカーコアには負担がかかっている筈だ。


「なのは君だからこそ可能なのだよ。外部からの魔力を集束させる技能に特化した彼女だからこそ可能な芸当だ。呼称するならば…「概念魔法」と呼ぶべきだろうかね?」


 莫大な魔力量と、特化する才能。それ故になのはが可能とする魔法。
 なのはの加速に段々と雪花が付いて来れなくなっていく。なのはは一瞬の隙をついて雪花の腹へと蹴りを叩き込む。アクセルフィンによって加速した蹴りは雪花を勢いよく蹴り飛ばす。
 雪花が地面を転がるも、すぐさま体勢を立て直す。唇の端からは鮮血が零れ、決して軽く無いダメージだと言うのはわかる。だが、その雪花と対峙するなのはもまた顔色が悪い。肩で息を荒くし、魔力の奔流は揺らめき、安定していない事が見て取れる。


「…ぐ…ぁ…無茶、するじゃない…」
「…勝たなきゃ…駄目、ですから…」
「…そういう所、恭也にそっくりね」


 不意に、雪花は唇を緩めた。なのはに対して向ける瞳には慈愛と懐かしさが満ちている。


「無茶ばっかりして、一人で抱え込んで…最後には結局、ボロボロになって…」
「……」
「…ねぇ、なのは。貴方が知りたいっていう真実はね? 恭也が必死になって、ボロボロになって守ろうとしたものなんだよ。貴方がどういう道を選ぼうが、きっと貴方の勝手。だけどね…」


 すぅ、と雪花は小太刀を構える。その構えから先ほどとは違う威圧感をなのはは感じた。まるで空気をビリビリと震わせるかのような威圧感がなのはへと叩き付けられる。


「だから、全力で私は守るよ。私が認めないと、恭也が守ろうとした夢に触れさせない」
「……お婆ちゃん」
「なのは、全力で来なさい。これで決着にするわ」


 雪花が宣言する。それは、この戦いへの決着へ。




「―――御神流奥義之極『閃』」




 そして、雪花の姿が掻き消えた。少なくともなのはにはそう思えた。そして感じるのは死の予感。あぁ、これは防げなかったら自分は死ぬな、という直感的な感覚。死の感覚はなのはの背筋を大きく震わせた。
 本気だ、と肌が、いや、なのはという存在すべてが感じる。雪花が込めた想いが伝わってくるようだ。ここまで、彼女は恭也を愛して、そして望んできたのだろう。自らに課した役割を果たす為に。
 故に、なのはは、思う。


(――全部、受け止めたい)


 だから、負けたくない。だけどどうすれば良い。もう既に彼女は迫っている。止めなければ、防がなければ。でも、方法が思い浮かばない。アクセルフィンでは駄目だ。プロテクションやバリアジャケットでも無理。
 なら、相殺するしかない。これから繰り出されるだろう彼女の最大の攻撃を。だけど、どうすれば相殺出来る? わからない。どうすれば良いのか。だから、ならば、いっそ忘れてしまおう。


(私は、全部、受け止めたいんだっ!!)


 そして、なのはの手に握っていた不破・雪花に衝撃が来た。同時に不破・雪花に罅が入ったのをなのはは感じた。今は無力と化した概念刀は、同じ概念を持つのであろう雪花にその力を封じられている。それ故になのはの力にも耐えられなくなってきているが故に罅だったのかもしれない。
 だが、そこにある力は確かに変わらない。不破は砕けない。雪花は望むための力。砕け得ぬ思いを、望む為の力へと変えて。そして―――。


『―Go Ahead!! My Master!!』


 絶対に挫けぬ、最高の相棒の励ましがある。不屈の心はこの胸に。故に、怯えもしない。引くこともしない、と。
 そして、次の衝撃で不破・雪花が砕け散ったのをなのはは感じた。迫るのは刃の感覚。なのははその感覚に死を感じながらも叫んだ。


「負け、られないんだぁぁああああああああああっっ!!!!」


 不破の名は、一切の破を許さず。
 雪花の名は、希望を力へと変えて。
 不屈の名は、諦め得ぬ力となりて。
 集束する。なのははその身の内に砕けた不破・雪花の欠片を取り込む。故に手にあった感覚はもう無い。ならば―――作れば良い。


『Divine Saver』


 なのはの魔力と、不破・雪花の概念と、名は力と持つ概念。その全てが混ざり合わさる。聖なる剣はなのはの両手に光り輝く。それは刃の形などなしていないただの光。だがそこにある感覚は確か。
 迫る感覚に対してなのはは光を振るう。衝撃音が聞こえる。次の気配が迫る。それをまた光で斬り返す。白の空間の中でただ光だけが走り巡る。なのはは叫ぶ、そして聞こえる。雪花の叫びが。そして、最早何かが見えるという領域を彼女達は突破した。
 まさに光と光の激突。光速の世界で光と小太刀は切り結ぶ。音を置き去りにして光となった2人はただ斬り合う。外部から見ていたジェイルにとってそれはもはやただ光が走っているにしか見えないその光景にも決着の時が来る。
 雪花はもはや感覚だけで切っていた。そう、この感覚こそ御神流奥義之極「閃」。神速すらも越える超連続の斬撃。最早頭は何も考えていない。ただ斬る事だけしかない。だから斬る。斬る、ただそれだけの為に。
 そして、その感覚に終わりが来る。雪花は衝撃を感じた。そして、理解した。―――自身の持っていた小太刀が断ち切られたのを。刀身の半ばから綺麗に折れてしまった小太刀の姿を見て雪花は理解する。


(――あぁ、そうか。なのは、貴方は、私を越えていけるんだ)


 そして―――雪花の体に衝撃が来た。
 衝撃波が走り、雪花の体が吹き飛ぶ。白の空間をバウンドしていく度に彼女の腕から零れた鮮血が白の空間を汚していく。そのまま暫く転がっていた雪花は仰向けに倒れるように大の字に体を広げた。
 なのはの魔法は非殺傷設定が施されている。だが、いくら非殺傷設定とはいえ雪花の受けた魔力ダメージは尋常ではない。小太刀を砕かれた瞬間に腕も破片で切ったのか血が溢れて力が入らない。それ以前に体の痛覚そのものが麻痺しているようだ。
 雪花は天井を仰ぐ。白しか無いその空間で聞こえるのは彼女の吐息と、もう一人の少女の吐息。


「…お婆、ちゃん」


 青白い顔で、体を引き摺るようにして雪花の傍に腰を下ろすなのは。その両手は痺れているかのように力を失っている。だが、その手でも尚、雪花の手を取ろうとなのはは手を伸ばす。
 雪花の手と、なのはの手が触れ合う。雪花はなのはの顔を見て淡く微笑む。なんとか手に力を入れてなのはの頬をそっと撫でた。


「…強いね、私と、恭也の孫は…。もう一人の恭也は…」
「……私、全部受け止められた?」
「…うん。…もう、満足だ。凄い、安心してる」


 ほぅ、と力を抜いたように雪花は息を吐き出す。一度瞳を閉じて全身から力を抜く。なのはは雪花の手を握る。離してしまえばまるで雪花が今にも消えてしまいそうに感じたから。いや、既に、雪花の体は消えかけている。
 足下からゆっくりとその体が光の粒子となって消えていく。なのははそれをジッ、と見つめていた。自分がゆっくりと消えていく感覚に雪花はふっ、と笑みを浮かべて。


「…大丈夫、私は、もう本当は死んでる筈で、ここにいるのは幽霊みたいなもので、これで成仏出来るの」
「……」
「だから…泣かないで? なのは…」


 なのはの頬には雫が流れて行っている。涙だ。なのはは泣いている。それを雪花は自分が消えていくからだろう、と思った。だが、なのはは小さく首を横に振った。涙を流しながらも、なのはは微笑んで。


「…嬉しいの。だから、泣かせて?」
「…嬉しいの?」
「…うん。受け止めて、安心してくれたんだよね? だから、凄く、嬉しいよ」
「――――」
「…お婆ちゃん…もう、良いんだよ…。後は、私が…」


 なのはの言葉に、あぁ、と雪花は声を挙げた。なのはの言葉を遮るように声をあげて雪花は手を伸ばす。最早億劫な感覚でも、それでも彼女はなのはの頬を撫でる。慈しむように、優しく。


「…良い、孫を持ったなぁ…」
「…おばあ、ちゃん…」
「なの…は…。私が消えたらこの空間は消える。…そうすれば…後は……全ての…真実があるわ。…それを、どうするかも…全部…なのはが決めて良いわ…」
「…おばあ、ちゃん…っ」
「…ありがとう。私と、恭也の思い、全部、全部…受け止めてくれて」


 ありがとう、ありがとうと何度も雪花は告げる。そして、雪花の姿がもはや透ける程にまでなっていき――。


「恭也…今…逝くよ…」


 ――最後に、彼女は微笑んでその姿を掻き消した。
 なのはの手から感覚が消える。そこにあった存在は今やもう夢幻の如くいなくなってしまった。
 不意に、からん、と音が聞こえた。なのはがそちらに視線を向けるとそこには指輪が転がっていた。2つの指輪だ。それは同じデザイン。婚約指輪だった。
 なのはが手を伸ばす。なんとか震えてる手でそれを握ってなのははそれを見つめる。恐らく2人の指に嵌っていたのだろうその指輪をなのはは握りしめ、胸に押し当てるようにして握る。


「…おつ、かれ…さま…っ…」


 ただ、それだけ言うのが精一杯だった。なのははそのまましゃくりを上げて、何度も涙を堪えようとする。だが、声は収まらない。
 そんななのはの肩をそっと抱くように手を伸ばす人がいた。ジェイルだ。彼はなのはの隣に腰を下ろすようにしてなのはを抱きしめる。なのはは何も言わずにジェイルに体を預けた。


「…凄い、強かったよ」
「…あぁ、そうだね」
「…それだけ、凄く、思ってたんだ」
「そういう事だろうね」
「…凄く、重たいなぁ…」
「だけど、君が背負うと決めた」
「…うん」
「…なら、私はそれを肯定しよう。…だけと疲れたら、休んでも良いさ。だから今は、休め。なのは君」


 うん、と小さくなのはは呟いてその瞳を閉じた。その瞳の裏には恭也と雪花の姿が浮かぶ。彼等から託されたものは決して軽くはない。そして尋常じゃない程の思いが込められている事も、雪花との戦いで痛いほどわかった。
 だから、少しだけ休みたい。走って、走って、走り続けてきたから。今は、ほんの少しだけ。次に走り出せる為に。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 11
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/10 22:20
「まったく。君の無茶は大概だな」
「いたっ、ちょっと、もうちょっと優しくしてくださいよっ!!」


 白の空間。雪花が消え去った空間でなのははジェイルによって治療を受けていた。「こんなこともあろうかと」と取り出したのは格納型概念空間から取り出した医療セット。セットの中から包帯などを取りだしてなのはを手際よく治療するジェイル。
 最初は痛いだの抗議をしていたなのはは逆にその手際の良さに目を向けるようになる。不意にそのなのはの視線に気付いたのかジェイルは顔を上げてなのはを見る。それに合わせてなのはの頭の上に移っていた獏もまた首を傾げて。


「いや、手際良いなぁ、って」
「それが私の存在理由だからね。これぐらい出来なくて生命操作なんてやってられないさ」


 終わったよ、とジェイルが概念空間に医療セットを戻しながらなのはに告げる。なのはは小さく礼の言葉を言って体の感触を確かめるように軽く動かす。そのまま小さく声を出すと共に体を起こす。まだ痛みが残るがそれでも動けない訳ではない。
 さて、となのはは改めて辺りを見渡した。白一色の空間は先ほどまで展開していた概念を消失させ、ただの白い部屋として残っている。雪花との戦いの後は跡形もなく消え去ったこの場所に真実がある、という話だったが。


「…何もありません、よね?」
「どうかな? ただ目に見えないだけかもしれない。とりあえず探して…」


 なのはの疑問にジェイルが答える。だがジェイルが答えている最中でその言葉は途切れる事となった。なのはとジェイルの目の前。白の空間しか無いその部屋が歪み出す。自然と身構える2人。
 だがなのははもう腰に無い感触に僅かな寂しさを感じる。代わりにと手を伸ばすのは自らの半身とも言える相棒、レイジングハート。レイジングハートを握りしめながらなのはとジェイルが見つめる中、歪む空間から何かが現れた。
 それは切っ先だった。それは次第にその姿を露わにしていく。そして重力に任せたようにその身を床へと突き立てた。それは二刀の小太刀だった。機殻に覆われ、鍔の部分にはリボルバーのような弾倉に六つのシリンダーが備え付けられている。つまり二刀合わせて計12個のシリンダーが花開くように付いている。
 リボルバーの上部には宝石のような結晶体がはめ込まれている。なのはとジェイルは突如現れたこの刀に視線を集中させる。そしてそれは不意に光を帯び、なのはとジェイルの前に空中ディスプレイを表示した。その技術は現在のUCATには存在しないミッドチルダの技術。それになのはは目を驚きに開かせて。


「…これ、まさか…」
「…あぁ。まさかだろうね」


 なのはが震えを帯びる声で呟き、ジェイルは感嘆とした息を吐き出して。


「どうやら、デバイスのようだね。更には機殻を施されている」


 ジェイルは視線を空中に浮かぶディスプレイへと浮かぶ。其処に表示されている字を視線でなぞるように見てジェイルは読み上げる。


「概念技術とデバイスの融合機、カウリングデバイス。その試作型…。名は……『Me-Ssiah』」
「…メサイア」
「つまりメシア、救世主という意味だね」


 ジェイルがディスプレイへと手を伸ばす。ジェイルの操作によってディスプレイの表示が変わる。表示されたのはMe-Ssiahの内部にあるファイル。ファイルにはMes-Siahの概要と構造図と注釈、そして…。


「…不破恭也のメッセージだ」
「…お爺ちゃんの」
「君が開きたまえ。なのは君」
「…え?」
「君に託されたものだろう。きっと。ならば、受け取るのは君しかいない」


 ジェイルに促されるようにしてなのはは空中へと浮かぶディスプレイへと手を伸ばす。ディスプレイに触れた手がファイルを開き、中に入っていたのは映像ファイルだった。なのはは再度、それをクリックして映像を再生する。
 表示されたのは不破恭也だった。それはなのはがここに来る道中、獏によって見せられた過去の映像の恭也だった。老人のように白く色が抜けきってしまった髪。


『…これを見ているのはもう一人の俺で、不破・雪花を受け取り、概念戦争に関わった。そして…雪花に打ち勝ったからこそ、この映像を見ているのだと思う。
 ここまで来てくれた経緯は知らない。だが推測するならば恐らくは俺の事を知る為にここへ来てくれたのだろう。まずは礼を言おう。ここまで来てくれてありがとう、と。
 ここまで来てくれた。それならば俺の知る事は全て、このデバイス、「Me-Ssiah」に残しておこう。必要な情報に区分けして閲覧が出来るようにはしているが、俺の一生を詰め込んだ分、やや見にくい所もあるかもしれないが我慢して欲しい。
 …俺の過去については、今、この映像で語り尽くすにはあまりにも長い。だから要点だけを説明しておこう。説明するのはこの概念兵器、「Me-Ssiah」についてだ。
 魔法、という概念は知っているだろうか? もしも知らない場合でもこの兵器は稼働するので、もし説明が必要ならば閲覧用のファイルも用意しているのでそちらを見てくれ。
 まず、この機殻のコンセプトは「魔法と概念の融合」であり、概念と魔法を融合させて使用する為のデバイスだと思ってくれて良い。魔法が何の事だかわからない場合は後で閲覧してきて欲しい。
 話を続けるが、このコンセプトを達成する為には「リンカーコア」と呼ばれる魔法を扱う為に必要な器官が必要な訳だが、このデバイスには「俺のリンカーコア」を搭載している』
「…え?」


 なのはは思わず説明の途中で間の抜けた声を出した。不意に視線は目の前に付き立つMe-Ssiahへと視線を向ける。だが、説明はまだ続いていく。


『どのようにしてこのデバイスを作り上げたか、その製造過程は残さない。これは残してはいけない。故に残さない。これは「ゲオルギウス」と同様の技術を用いて作られたものだ』


 ゲオルギウス、という言葉になのはは思わずジェイルへと視線を向けた。ジェイルはディスプレイに集中していて、なのはの視線には気付いていないようだ。なのはは視線をディスプレイの恭也へと戻し、耳を傾ける。


『だからこの世界に存在するカウリングデバイスはこの一機のみだ。運用方法はMe-Ssiahの内部の俺のリンカーコアの魔力とシリンダーに概念を封じ込めたものを装着して必要な魔法を構築、発動する。これがMe-Ssiahだ。
 魔法の原動力となる魔力素というのは人の意識、つまり意志であり、世界の意志であると俺は研究の末、その結論に至った。生命、広い意味で言えば自ら動く者は少なからず意志を持っている。それが世界にある限り、魔力素、つまり残留意志は残り続ける。それをリンカーコアで吸収するのがリンカーコアの仕組みだ。
 つまり、意志を吸収するというのは世界の個性である概念の吸収も可能である。だがそれは魔力として運用される魔力素とは異なる。取り込む事は出来るが、それは結局はリンカーコアへの負担となる。その負担を軽減させ、更に発展を持たせて使う事を目的とした兵器こそがMe-Ssiahだ。
 この力をもう一人の俺へと託す。願うならば、どうか新庄さん達の願った世界、佐山が守ろうとした世界、そして全ての世界に。…そして、御神と不破の両家、俺の息子、士郎、俺を支えてくれた人たちに幸せがあらん事を願う。君の道に幸いがある事を祈っている』


 そこで映像は途切れた。不意に、なのはの頭上に居た獏が何かの反応を示すように前足を広げた。
 過去が、来る―――。





    ●





 それは、幼い少年の記憶だった。まだ戦う意味も、戦う理由も見いだせない、ただの子供だった時代。
 だが、ある才能があったが故に巻き込まれてしまった事件。自分が知らない異なる「異世界」から来た犯罪者集団に囚われた。


「――君はよくやってくれたわ」


 命と引き替えに自らを助け出した人。惜しまれる中で死んだ彼への贖罪の為に選んだ魔導師という道。





 それは、惑う青年の記憶だった。贖罪の為に戦って、たくさんの命を守ってきた。褒め称えられ、だがそれでも燻る心を抑えられずにいた。
 自分の住まう世界で着実と迫る崩壊時刻。そのために動き出す人たち。惑う青年は道を定められずにいた。


「――貴方は、もう自分を許して良い」
「――許しなさい。許して良いと言われてるなら、貴方は貴方を許すべきだと私は思うわ」


 かつて、自分が守れなかった人の伴侶が告げた救済の言葉。
 信じられず、逃げ出した場所で叱りつけながらもその罪を雪いでくれた恩人が居て。
 その恩人が願う世界。それを知った青年は刃を向けるべき道を定めた。償うべきだった人は笑って送り出してくれた。





 それは、突き進む男の記憶だった。タイムスリップという異常な体験をしながらも、何とか未来へと繋げようと突き進んだ。
 時には崩れ落ちそうになった時、支えてくれた最愛の人となった女性。流れ落ちた場所で自分を拾ってくれた、自分の事情を知っても変わらず愛してくれた人がいてくれた。
 後の恩人へと繋がるだろう者達との絆。続く戦争の最中、必死に命を守ろうと足掻き続けた。


「――恭也は、私が愛した人だもん。だから最後までやれるよ」


 たくさんの人に道を導かれながら男が歩いた軌跡。その後には多くの命があった。だが、それでも男はまだ足りないと戦場を駆け巡る。少しでも過去の遺恨が未来へと残らぬように刈り取る。
 それが己の刃のあるべき姿だと定めて男は突き進む。





 そして…―――。





「――グッ…ガハッ…! ゴホッ、ゴホッ!!」


 咳き込む音と共にびちゃり、と鈍い水音が響き渡る。血を吐き出したのは恭也だった。口元を抑えるその姿はなのはも見たことがある白髪の恭也の姿だった。苦しげに吐息を繰り返しながら恭也は睨み付けるように虚空を見る。
 しばらく荒く呼吸を繰り返していた恭也は安定した息を取り戻していた。だが、その姿に力は無く、まるで燃え尽きる寸前の蝋燭の火にも似ていた。ボンヤリとした様子で天井を見上げながら恭也は呟く。


「…俺は…結局…守りたいと思ったものを、守れなかったのかもな…。雪花を、俺の最後に付き合わせて、ワガママに付き合わせた…。士郎も、捨てたようなものだなぁ…俺が捨てさせたのか…」


 それを聞いているなのはは思わず思う。きっとそれは違う、と。彼女はきっとそれを望んで死んだんだ、と。雪花と戦ったなのはだからこそわかる。だから恭也は謝るべきじゃない、と叫びたかった。だが過去の映像にその声は届くはない。


「……駄目だな…雪花。俺は…お前がいないと、後ろしか見えないよ…」


 求めるような声は切なくて、恭也は何かを掴むように拳を胸に当てる。もう彼女は居ないのだろう。彼女は恭也の作り上げた者、恭也の思いを護り上げる為に番人のような存在となり、今まで残っていた。
 本来、守らなきゃいけないだろう人を置いてまで。本当に守りたい人を頑なにまで思って。だからこそその言葉は吐いてはいけない。だけども吐露してしまう本人だってそれはわかっているのだろう。


「……わかってるさ。俺がどれだけ足掻こうとあの未来は変わらない。きっと俺だって俺なりに精一杯やった先にTop-Gの崩壊があったんだ、とわかってても…それでも…」


 はぁ、と吐き出す息は弱々しい。鼓動も弱々しくなっていく。命の灯火が消えそうになっていく。


「…新庄さん…俺は、運切の為に、生き残ったTop-Gを含めた全Gの者に、これから罪を背負うだろうLow-Gの者に、何かを残せたのか…?」


 かつての恩人の名を呼びながら恭也は問う。だが、答えを返すものはいない。最後の力を振り絞るように恭也は胸元の宝石を握った。それはデバイスだった。それは淡い点滅を繰り返して。


「……構成術式…起動…」
『All light』


 淡い光が恭也を包んでいく。その光はゆっくりと恭也の体を分解していく。光の粒子となって消えていく恭也の胸元には淡い青色を放つ球体が浮かぶ。彼のリンカーコアだ。それは恭也の体が消えてゆくのに反比例して輝きを増していく。


「…マイナス概念に犯されて朽ちた身だ…。ならば、骨の髄まで持っていけ…。……手にするのは、もう一人の俺しかいない…。どうか、良い奴だと良いな。俺と違って…強くて…守りたいものを守れる…そんな奴が…」


 ごほ、と息が漏れる。だが、その感覚はもはや億劫で、それが逆に楽にすら感じられる。


「…俺は…そんな奴の力になれるなら……」


 良いなぁ、と。
 ただその一言だけ残して、彼は消え去った。いいや、確かに彼という存在は確かに残っている。その傍らに置いてあった「Me-Ssiah」の中に取り込まれるようにして。恭也のリンカーコアを得て完成したMe-Ssiahはそのプログラムを構築し、完成させていく。
 そして、全てのプログラムが完了したその瞬間、Me-Ssiahは静かに構築完了を告げ、静かにその光を落とした…。
 そこで、過去が潰えた。意識が現実へと引っ張り戻される――。





     ●





 過去から戻ったなのはは、そのまま勢いよくMe-Ssiahへと手を伸ばした。Me-Ssiahを握った瞬間、Me-Ssiahが息を吹き込まれたように起動する。まるで叫ぶような音を立てながらMe-Ssiahは震える。


「…無駄に、するもんか」


 震えるMe-Ssiahを握りしめながら、なのはは呟く。その声もまた震えていて、俯いた顔には涙が伝う。こんなにも切なくて、こんなにも頑張って、こんなにも報われなかった。彼が悪い訳じゃないのに、抱え込んで、そのまま持ち去ってしまった。
 雪花があそこまで強かったのはわかる。強くなければ恭也を救う事が出来なかったからだ。だから雪花は強かった。新庄さんの両親も強かった。実力だとか、そう言うものじゃなくて、心の問題で。
 きっと彼に足りなかったのは心。きっと、軋む心を彼は結局持て余してしまったのかもしれない。痛みから逃げて、でもその痛みから逃げた事を恥じて、でも、逃げる事で得られるものに幸福を感じて、それを得て、また苦しんで。
 喜んで良い筈なのに。幸せになっても良い筈なのに。ゴールしたって良いのに。彼はそれを決して決めようとはしなかった。決してそうはしなかった。あぁ、その姿は…まさに自分だったじゃないか。
 かつて家族に愛されてないと思いこんで、愛されようと理想を定めて、でも定めれば定める程に高くなる理想にいつしか満足する事が出来なくて、ゴールも決められず、ただ上へ、上へと空を目指すように飛んでいた。
 そして、墜落した。絶望して、心が死にかけて、バラバラになって、でも生きたくて、幸せになりたくて。そうして足掻いた先に…彼がたどり着けなかった答えを自分は得る事は出来た。
 それが彼にとって幸福になるものなのかなんてなのははわからない。でも、それでも証明する事は出来る。


「貴方の残したものが…守るから…! 手にするのが遅くて、失っちゃったものもあるけど…! 絶対、絶対私、幸せになるからっ!!」


 じゃないと、報われないじゃないか、と。なのはは叫ぶ。自らの力となって少しでも彼が救われるならば…自分は、この力を惜しみなく振るおう。そして守る。守りたいと願われた者を、守りたいと願った者を。
 彼が、そして自分が願った幸福を。誰かと共にあり、願った誰かがそこにいる未来を得る為に。その為に戦い、散って、そして今、その為に戦おうとしている。だからこそ…そう、だからこそ。


「だから、一緒に行こう! 迎えに、来たよ!! 貴方を!!」


 Me-Ssiahは震える。なのはの声に歓喜を示すかのように。なのはは感じる。手に馴染む、と。これは自分の為にある為のものなのだと。そこから伝わってくる彼の思いが、嫌でもなのはの涙を流れさせた。





    ●





 御神恭也。後に不破雪花と婚約後、不破恭也と至る。
 幼少時、まだ幼かった彼は異世界「次元世界」から逃げ込んできた犯罪組織の残党に人質として取られた。その際に事件の解決に当たっていた時空管理局員が殉職。
 その時の経験から属託魔導師としての道を選び、御神恭也は時空管理局に入局する。だが本人の私生活の面からも考慮され、本格的な局入りは本人の今後に委ねられる。
 青年時、迫る世界の崩壊時刻に動き出す世界に迷いを抱くも、殉職した局員の妻と当時Low-Gから亡命してきた新庄由起緒に諭され、属託魔導師を辞退。以後、UCATに所属しその力を惜しみなく振るうも、Top-Gの崩壊後、過去へと遡る事となる。
 以後、自らが飛ばされた先であった不破家の協力を得ながら未来への布石を打つために護国課に入り込み、概念戦争の渦中を駆け巡る。だが、その後、マイナス概念に体を犯される。最後にその身を「Me-Ssiah」の材料として彼の人生は幕を閉じている。


「…改めて纏めると、彼も数奇な人生を歩いているね」


 ウーノが運転する車内。そこでジェイルはウーノ達への報告も兼ねて纏めた彼の過去を語る。ジェイルの隣に座っているなのはは俯いたまま反応を返す事はない。その胸元にはレイジングハートと「Me-Ssiah」が揺れている。
 Me-Ssiahもまたデバイスである。故にその状態を待機モードへと戻す事が出来る。色の無い結晶体は車の振動に合わせてレイジングハートともにゆらゆらと揺れている。


「…トーレは興味があるんじゃないかい? 君の制作には恭也のデータを元にしている所があるからね?」
「…どういう事ですか?」


 不意に、なのはがついに反応を示す。後ろの席にいたトーレへと一瞬視線を向けた後、ジェイルへと視線を向けて問いかける。


「何、トーレは私が生みだした「戦闘機人」と呼ばれる生体兵器、と言うべきかね。まぁ、私の研究の一環で、そこで属託魔導師であった恭也に私は幾度無く接触していたのだよ。彼の身体能力は興味深いデータだったのでね」
「…兵器って」
「無論、弁明上はそうだが、彼女達は人間だよ。人間は人間だからこそ強い。機械のように安定した強さもまた必要だが、同時に不確定要素を取り込める人としての強み。それを併せ持ったのが彼女達だ」
「…ウーノさん達もそうなんですか」


 なのはは全員へと視線を向けて、そして溜息を吐き出す。その仕草を見ていたジェイルは口元を吊り上げてなのはへと問いかける。


「…軽蔑するかい?」
「…ジェイルさんが彼女達をどうでも良いように扱うなら。でも少なくとも、ジェイルさんはそんな風には見えない」
「どうだろうね? 私としてはよくわからないのだがね」
「私達にとってお父さんのようなものよ、なのは。だから、そんな風に怒らなくても良いのよ?」


 後ろの席からぽんぽん、となのはの頭を撫でながらクアットロが告げる。それに同意するようにチンクとトーレが頷いて。


「そうだな。まぁ、人に迷惑ばかりかけるような人だが…それでも、私達に優しいしな」
「私は別に普通の人に生まれたい、と思った事はない。戦闘機人である私が私だ。それを不幸だと思ったこともないし、幸福になれるだろうという道はいつだってドクターが示してくれる。勿論、それが与えられるだけのものじゃない。自分で考えろ、とドクターは言ってくれるからな」
「だから、私はここにいるのよ。自分の意志で、自分が幸せだと思う場所に」


 チンクとトーレの言葉に同意するようにドゥーエが助手席から振り返って告げる。ウーノは運転している為、返答こそ返さないものの、その表情に淡い微笑を浮かべているのがミラー越しになのはには見えた。
 それに、なのははふぅ、と溜息を吐き出す。そして一度瞳を閉じて、再びゆっくりと開いて。


「…幸せだと思う場所、か。…私は、お爺ちゃんをそこに連れて行けるかな…? 私は…私の幸せだと思う場所にたどり着けるかな…?」
「たどり着けるさ。そこは、君と私の幸福の境界線上だからね」
「えぇ。そして、私達の、ね」


 なのはの弱音にジェイルとドゥーエが楽しげに笑って返す。その表情を見たなのはは、今度は力を抜くように息を吐き出して、先ほどからぼんやりとしていた表情を笑みの表情へと変えて。


「……帰りましょう。ジェイルさん。私達が、望める場所に」
「あぁ、行こう。私達が望む場所に。…だから、今は休もう。泣くのは力がいる。ならば力一杯に泣いて、疲れて、眠って、全て洗い流してしまえば良い。――君には、それが出来るのだから」


 くしゃり、となのはの頭を撫でてジェイルが告げる。それになのはは軽くくすぐったそうな顔を浮かべたものの、すぐに瞳を閉じてジェイルへともたれ掛かる。
 その光景を見ていたクアットロは目を輝かせ、チンクとトーレに両側から脇腹に肘鉄を入れられて声もなく崩れ落ちた。その様子をミラー越しに見ていたドゥーエは小さく含み笑いを零すのであった。
 ウーノが運転する車は揺られていく。向かうのは帰るべき場所へ。帰りたい場所へ。望める場所へ。望む場所へ。…つまり、彼等の居場所へと…。



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 12
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/13 00:54
 町外れの校外。寂れた橋の上。その橋に項垂れるようにして寄りかかる少女が一人。少女の名は戸田命刻。傍らには犬霊であるシロを置いて彼女はどうしようもなく空を仰いだ。仰ぎながら彼女は考える。どうして自分はここにいるのだろうか、と。
 高町なのはの姿を見つけた瞬間、思わずカッとなって彼女の後を追った。追いつける筈もないのに、息を切らせて追ったのは何故なのだろうか? 改めて考えてみる。さぁ、と吹く風が命刻の髪を優しく撫でて。


「…わからないのか」


 自分はどうしたいのか。自分は何を望んでいるのか。何を望みたいのか。どのような答えが自分には与えるべきなのか命刻は惑う。それは与えられぬ者。自ら選ばなければならないもの。
 だが、命刻の確固たるものだった信念は敗北を覚えた。守るべき者を失って、負け犬の烙印を押されてしまった。いや、まだ負けた訳ではない。だが導いてくれた人を失ったのは確かで。だからこそ、命刻は不安なのだろう。


『私、は…それでも…踏みにじってでも護りたいものがあるんです…その為に、覚悟は、決めてるんですっ!!』


 それはあの日、高町なのはが叫んだ言葉。何かを踏みにじってでも守りたいと思うもの。命刻には確かにあった。例え何を犠牲にしようとも得なければならない答えだった。そうであるのが正しいと思ってきた。
 だが、あの日、それは崩れおちた。行き着くのは敗北感。まだ負けたわけではない。だが命刻の心は確かに敗北したのだ。それはハジを倒した自分の偽物であり、自分を打ち破った高町なのはに。


「…なぁ、シロ。私はどうすれば良いんだろうな…? 私は、何のために戦えば良いんだろう…?」


 何のために。命刻はわからない。今まで、誰かに頼った理由で戦っていたから。今、一人になって命刻は何のために戦えば良いのかわからない。自分がどうしたいのかもわからず、何を得たいのかもわからず。
 はぁ、と吐息を吐き出して命刻は空を仰いでいた視線を降ろして橋の下の河へと視線を向ける。流れゆく河の姿は変わらない。ただ水は流れてゆく。ひらり、と1つの木の葉が水流にのまれて、流されて消えていった。
 私も、あの木の葉のように流された末に消えてしまうのだろうか、とどうしようもない思考が溢れてしまう。はぁ、と吐き出す息は重苦しい。
 そんな時だ。命刻は不意に聞こえた声に顔を上げた。耳を澄ませて命刻はその声を聞き取ろうとする。


 ――これは…悲鳴!?





    ●





 もう季節は冬だ。この時期、この周辺は滝などが凍り付き、名所とも呼ばれる場所が多数見られる。それを目当てとした観光客だった。ただそれだけだった。だから彼等は訳がわからなかった。
 目の前で、友達だった男が一人倒れている。彼は真っ赤に染まっていた。仰向けにひっくり返り、大の字で倒れている。腹から中心にまるで食いつぶされたように肉体が「無い」。
 当然だ。だって、何故ならば…――彼の腸は目の前の「化け物」に喰われてしまったのだから。
 あまりの光景に声が出ない。くちゃり、くちゃりと音が響く。ぽたり、ぽたりと涎のように垂れていくのは友だった男の鮮血。その真っ赤に染まる口が付いている顔はまるで人のようだが、あまりにも大きい。
 体は人のようにも思えるが、獣とも取れるような体つきをしている。だがあくまでそう見えるだけでその姿は鋼鉄で出来ていて、ロボットとも見れる。だからこそ現実感がない。あぁ、自分は夢を見ているのだろう、と。
 そして―――男の意識は頭から口に呑まれて消えた。くちゃり、くちゃりと肉を咀嚼する音がただ響く。


「…なん、だ…あれは…?」


 その姿を命刻は見ていた。悲鳴を聞きつけて命刻が見たのは惨劇。まさに虐殺と言うべきその光景に吐き気を覚える。それを堪えながらも虐殺者へと視線を向ける。そこには武神と思わしき巨体がいる。
 くちゃり、くちゃりと肉を咀嚼しているその姿は醜悪だ。何だ、あれはと命刻は恐怖する。赤黒い装甲はまるで血の色を連想させて、醜悪さを加速させている。あれは何だ? あれは知らない? あれは武神なのか? だが自身が知る武神とはあまりにも異なりすぎている。
 命刻の思考は巡る。だが、その命刻が思考を止めたのは、その巨体が自分に気付いて振り返ったからだ。


「―――ッ!?」


 巨体が迫る。命刻を喰らわんとその口を大きく開く。命刻は咄嗟にバックステップを踏み、後方へと下がる。その瞬間、命刻がいた場所は一気に「喰われた」。岩、土、その全てを関係なく咀嚼する音が響く。
 あ、と命刻は声を漏らす。怖い、と。この存在は畏怖に値する。見たこともない。こんな残虐で、醜悪な敵なんて見たことがない。勝てる? 勝てない? いや、それ以前の問題だ。自分には、誰もいなくて。
 逃げろ、と本能が囁いた。自身の刀では武神は切れない。再生するのも喰われてしまえば意味がない。いや、捕まってしまえば、永遠に喰われる事を繰り返される? あのように何度も咀嚼されて、自分は―――。


「アァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?!?」


 命刻は走った。命刻は駆け抜ける。命刻は再生の概念を司る賢石を埋め込まれている。故に死ににくい。いや、死なないとも言える。何故ならば命刻が得た賢石は彼女の両親が作り出した限りなく「不死」に近い概念なのだから。
 だから命刻は死をあまり恐れていない。どうせ死なないのだから。それが命刻の極限の力を出すのに躊躇させる要因になっていたのは確か。だが、今、彼女は死よりも恐ろしい未来を予想した。それはそう、正に地獄。
 だから命刻は何よりも、今までの自分よりも明らかに早く駆け抜けた。駆けて、駆けて。
は、は、は、と息が何度も短く漏れる。肺が締め付けられるように苦しい。だがそれでも走る。武神の巨体ならば探すのが困難になるように手近にあった森の中へと逃げ込んで。
 がさがさ、と木々を駆け抜けて命刻は進む。やがて音がそれだけになる。命刻は近くの木に手を添えて辺りを見渡し、耳を澄ませる。迫ってくる音はない。逃げられた? 疑問の後、間をおいても気配は感じられない。
 ほっ、と思わず息を吐いた。不意に辺りを見渡したらシロがいない。置いてきてしまったのか? と考えて、再び辺りを見渡そうとした時に命刻の眼前に絶望が降り立った。
 1つ、2つ、3つ…。合計で三体。それは、まったく同じ姿をした先ほどの武神だった。それは命刻を取り囲むようにして森を踏み荒らしていく。命刻が茫然とする中、武神達はその口を大きく開いた。まるで笑っているかのようだ。


「…ぁ…や……」


 がくり、と腰が抜ける。何のために戦えばよい? 何のためになら自分は戦える? 自分は弱いのに。誰かがいないと駄目なのに。ほら、こんなにも弱い。私は弱いんだ。だから、だから。


「…や…義父さん…詩乃…竜美…アレックス……だ、誰か…っ…や、やだっ…!」


 ぎょろり、と武神の瞳が彼女を見つめて。最早、悲鳴にならない声が漏れようとして―――。





『――Divine Buster Extension!!』





 武神の一体を桜色の閃光の奔流が呑み込んだ。命刻は、あ、と小さく声を漏らして空を見上げた。そこには桜色の翼をはためかせ、白の装甲服を模したバリアジャケットを展開したあの少女―高町なのは―の姿があった。





    ●





 なのははレイジングハートを構えながら上空から命刻を囲む武神を睨み付ける。デザインはまったく同じ。だが、良く見れば肩に記されているナンバーが違う。だがナンバーの他に書かれている漢字が同一な事から、おそらくは同一規格の量産型。
 しかし、あんなデザインの武神をなのはは見たことが無ければ、命刻を襲っている所を見るからに「軍」のものではない事はわかる。そもそも、なのはがここに駆けつけてこれたのは妙な概念反応を捕らえ、ジェイル達に先行してこの場に来たからだ。
 そして来てみれば命刻が襲われている光景。なのはは迷い無く武神の一体をディバインバスターで破壊する。地に倒れ付した武神は半身を砕かれ、地に転がっている。だが残った2体の武神がなのはを見上げた瞬間、武神の口から声が挙げられた。


『タカマチナノハ!』
『ミカミノムスメ!』
『ミツケタ!』
『ミツケタ!』
『ミツケタミツケタ!』
『コロスコロスコロセコロセコロセクラエコロセクラエクラクラクラエッ!!』
『ミツミツケミツケタコロスミツミツケタ!!』


 その声に、なのはは目を見開かせる。まさか、と口の中から声が出かかり、脳裏に一人の男の姿が浮かぶ。


『タカマチ、ナノハァァアアアアアアアアアアアアッ!!』
「ッ!? 後ろ!?」


 眼下の2体とは違う、口元を真っ赤に染めた武神がその背の翼を広げてなのはに迫る。なのはは咄嗟にレイジングハートを構える。レイジングハートがなのはの意志に答えてなのはの周囲にバリアを展開する。


『Protection!!』


 そのバリアに阻まれ、なのはへと振り抜かれた武神の拳は防がれる。なのはは器用に打撃の瞬間、バリアを弾くような角度に展開し、攻撃を受け流す。だが、今度はなのはを噛み砕かんと口が迫る。
 アクセルフィンを羽ばたかせ、なのはは勢いよく宙を舞う。ガチン、と勢いの良い音が響き渡る。後方に羽ばたきながらなのはは叫ぶ。


「貴方…! 『龍』の!?」
『シネヤァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 なのはの声に返ってきたのは狂った機械音声の叫び声のみ。なんとかアクセルフィンを羽ばたかせて逃げようとするも、今度はなのはを取り囲むように2体の武神がなのはの進路に立ち塞がる。


『シネシネ!!』
『コロシテヤル!!』
『ココデクタバレッ!!』


 3つの方向から同一の声が聞こえる。それはなのはを殺そうとその拳や、戦斧を振るう。なのははそれを巧みな飛行技術で回避しながらも、その額に汗を浮かび上がらせた。そして三機の武神の動きが巧みな連携でなのはを追い詰めていく。


「この、ままじゃ!!」


 じり貧だ、となのはは唇を噛み締める。そして一瞬の集中力の断絶。なのはがハッ、とした瞬間には遅い。なのはの眼前に迫るのは武神の拳。不味い、と思った瞬間だ。防御魔法を展開しようとしたその瞬間――掻っ攫われるような衝撃がなのはを襲う。


「だらしないぞ、高町」
「ッ! トーレさん!!」


 なのはが自分を抱きかかえて高速で離脱したトーレの姿を確認して驚きと喜びの声を挙げる。そして次の瞬間、武神を取り囲むように現れる無数のナイフ。ナイフはなのはとトーレの眼下、命刻がいるその傍にチンクが投げたもの。そこから無数のナイフを上へと目指してばらまくように投げるチンクの姿がある。


「砕け散れッ!! ランブルデトネイターッ!!」


 そして、轟音が響き渡る。3機の武神はチンクの能力によって爆裂したナイフの爆発に呑まれてゆく。爆風がなのはとトーレへにも襲いかかり、2人の髪を勢いよく掻き乱す。


「…やったか?」


 トーレが小さく呟く。なのははそれに答えず、ただジッとチンクが巻き起こした爆発の後を睨む。そして次の瞬間、各部をボロボロにされながらもなのはとトーレへと全速力で迫る三体の武神。


「ッ! いかんっ!!」


 トーレが両手両足にエネルギー刃を展開させ、それを肥大化させていく。トーレの腕の長さを超えるだけのエネルギー刃が展開され、それが武神へと向けて振り抜かれる。それは武神の拳を受け止めるが、すぐにトーレが力負けして流される。だが、確実に1体は受け流した。
 トーレが止められたのは一体。残る2体がなのはへと迫る。なのはは意を決したように握っていたレイジングハートを待機状態へと戻す。そして、掴むのはレイジングハートとは違う、色の無い結晶体を握る。


「――力を貸して! Me-Ssiah!!」
『――Get Set』


 それは男の声。恭也の声だ。それが応えると共に結晶体が光を放つ。結晶体は2つに別たれ、その中心にパーツが現出し汲み上げられていく。花弁を開くようにシリンダーがリボルバーに装填される。柄をなのはが握るのと同時に刃が現出し、二刀の小太刀を形成する。
 なのはは迫る2体の武神を睨み付ける。どうすれば良い、と思考は一瞬。なのはの思考を察知したようにリボルバーの1つ、シリンダーが深く差し込まれ、輝きを放った。


・――名は力を持つ。


 2nd-G系列の概念が封入される。名は力を持つ。ならば、となのはは選択する。小太刀を包み込むかのように桜色の魔力刃が展開されていく。それはディバインセイバー。神聖なる剣を意味するその剣は神を断つ剣となる。
 つまりそれは「武神」を断つ剣と。解釈によってその能力は変わる。故になのはは意識する。この剣は神断つ剣なのだと。なのははそれを構え、武神へと向ける。だが、これだけじゃまだ足りない、と。なのはは桜色の魔力を全身に纏わせる。概念魔法を行使する際に漏れ出した魔力だ。


「まだだよっ!!」


 なのははシリンダーの1つに賢石を詰め込んだ。2nd-Gの概念を展開している小太刀とは逆の小太刀のシリンダーに詰め込んだ賢石はシリンダーの中へと吸い込まれ、シリンダーがリボルバーに装填される。


・――光とは力である。


 それは風見の飛行ユニットである「X-Wi」にも用いられている概念。それが姓名に力を与える概念と相乗し、力を増幅していく。神を断つ剣は光を力と定義する概念によってその刀身を大きく肥大化させていく。
 それはそう、武神すらも真っ二つに断てる程の大剣。重さは無い。何故ならば、これは光なのだから。怖いな、となのはは一瞬思う。もしMe-Ssiahがなければ自滅しているだろう魔法。Me-Ssiahの補助があっても発動を意地するのは難しい。飛行魔法を浮遊程度の意地が限界。バリアジャケットオフ。これで、何十秒かは展開出来る。
 ―――短い。だが、それで十分。一太刀で終わる。


「――行くよッ!!」


 マルチタスクでディバインセイバーの展開を意地しながらアクセルフィンを羽ばたかせてなのはは小太刀を振るう。だがいつもの調子で振るうだけでなのはの巨剣は軽々と振り下ろされる。
 それは武神の一体を捕らえる。一体、肩のナンバーが「00」と記された武神がもう1つの武神を盾にしたのだ。音はない。すっ、とまるでバターを斬るように抵抗なく武神のボディを切り裂いていく。
 ゴォオン、と。鈍い音と共に武神が真っ二つとなる。崩れ落ちていくパーツ。盾にした武神も無事ではなく、片腕を失ったようだ。その片腕を失った武神をトーレが相手をしていた武神が抱えて飛翔する。


『アァァアアアアアアアアアッ!?』
『ウデガ!? ウデガァァアアアアアアアアアアアッッ!?』
『マップタツニサレタァァアアアアアアアアアアッッ!? イタイシヌシナナイデモイタイイタイァァァアアアアアアアアッッ!?!?』
『オノレオノレオノレェェエエエエエッ!! タカマチナノハァァァアアッッ!!』
『ミカミノムスメメェェェエエッ!!』


 二機の武神が交互に同じ声で悲鳴と悪態が混じり合ったような機械音声を響かせて逃げていく。なのははディバインセイバーを解除する。その瞬間、シリンダーがリボルバーから排出されて勢いよく蒸気を吐き出す。
 なのはの額にはうっすらと汗が浮かぶ。息は荒く、肩は上下している。一気に魔力が奪われたのと、Me-Ssiahの予想以上の力。だがその代価としてのリンカーコアへの負担。恐怖と疲労がなのはを襲う。


「…高町、大丈夫か?」
「…トーレさん。私は、大丈夫。…それよりも」


 不意に、なのはは視線を降ろす。そこには唖然とした表情で自分たちを見上げてくる命刻の姿があった。命刻の姿を確認しながらなのははぁ、と溜息を吐き出した。何だか、面倒な事になってきなぁ、と。





     ●





 海鳴市、ハラウオン家。そこでコーヒーを啜る音が響いた。コーヒーを飲んでいるのはクロノだ。彼はマグカップに注いだコーヒーをゆっくりと口に含み、ふぅ、と小さく息を吐いた。
 そのクロノの隣に座っているのはクロノの恋人であるエイミィだ。彼女もクロノと同じデザインで色違いのマグカップを手にし、それを両手で軽く弄ぶように握り直したりしながらクロノと同じように溜息を吐いた。


「…フェイトちゃん、塞ぎ込んじゃったね」
「…あぁ。仕様がないさ。なのはが行方不明になったんだからな」


 エイミィの呟きにクロノは思い声を漏らし、リビングから各自の部屋へと繋がる廊下へと目を向ける。フェイトの部屋はその奧にある。フェイトはそこから出てこようとはしない。管理局の仕事も休みを取っている。当然、学校にも行っていない。
 今の精神状態ではマトモに仕事することは出来ない、とリンディに半ば強制的に有給を取る事になったフェイト。幸いというべきなのか、彼女の有給はほとんど消化されていなかったので長期間の休みを取るには何も問題は無かった。
 だが、学校は違う。なのはが心配なのはわかるが、まさかここまでフェイトがなのはに対して依存しているのだと気付いたとき、クロノは将来の危機感を感じられずにはいられなかった。


「…はやては学校こそ休んでいないが、それでも堪えてるみたいだな」
「酷いのはヴィータちゃんだよ…。全然元気がなくなって、フェイトちゃんと半ば同じ状態だよ」
「…ユーノの奴も、おかしくなったみたいに仕事してたしな。何でもない、と言う奴がシャマルに強制的に入院させられる訳がないだろうに。あの馬鹿は…」


 なのは。たった一人欠けただけで上手く回っていた輪が崩れてしまったようだ。クロノはそう感じていた。フェイトとヴィータが塞ぎ込み、はやてとユーノが影を帯びるようになってしまった。
 それに引き摺られるようにしてクロノやエイミィ、そして八神家ではシグナムとシャマル、ザフィーラも吊られるようにして暗くなってしまう。あの家にはまだ生まれたばかりのリインフォースⅡがいる。それが悪影響にならなければ良いが、とクロノは溜息を吐き出す。


「…今思えば、何かと僕たちはなのはに支えられていたんだなぁ、と改めて思うよ」
「…特にフェイトちゃんは、ね…」


 フェイトが少し度が過ぎる程、なのはに好意を示しているのはクロノとエイミィとて知っていた。それが友情の範疇から越えなかったからあえて注意しなかっただけで、それはある種、恋慕にも近い感情であったのは認める。
 フェイトにとってみればなのはとは初めての友達であり、自分を真っ直ぐに見てくれた救世主のような存在だったのだろう。それがいなくなってしまった。それはフェイトにとって彼女の親であり、全てであったプレシアを失った時ほどの衝撃だろう。


「……どうして、なのはちゃん、あんな目にあっちゃったんだろう。私達がもっと見てあげれば…」
「…僕たちは、忘れていたんだろうな。彼女がなまじ優秀な魔導師だから。だから、大人として扱ってしまった。大人びていたのもあるが、だけどもそれでも彼女は子供だった、という事を、本来は僕たちがフォローしてやらなきゃ駄目だったんだろうな」


 うん、とクロノの言葉にエイミィが小さく頷く。2人の間に沈黙が降りる。残されるのはただ、重たい空気のみで。


「…あ、クロノ君。ちょっとテレビ入れてくれる?」
「ん? あぁ、構わないよ」


 ふと、空気を変えるようにか、エイミィが話題を変えてテレビを示す。エイミィの意図に気付いたのか、クロノはテーブルの上に置いてあったリモコンを手にとってニュース番組のチャンネルを開く。
 そして……その流れる映像にエイミィの手からマグカップが滑り落ちた。目を皿のようにまんまるに見開き、息を引き攣らせている。クロノも震える手が隠せない。特集番組で組まれたのだろう番組の内容はこうだ…。


『世界各地で起きる猟奇殺人事件』


 それは、2人に不安を呼び起こさせるのには十分すぎる程の内容だった…。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 13
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/13 00:46
 その空気はひたすらにまで重かった。なのはと命刻。正面に向かい合うように座る2人の間に流れるは重い。思わず息苦しい、と皆が思ってしまう程までにその空気は重かったのだ。
 なのはの隣にはジェイルが座り、逆隣にはクアットロ、ドゥーエと座っており、ジェイルの隣にはウーノ、トーレ、チンクと続く。更にドゥーエの隣では犬霊であるシロが寝そべっている。
 沈黙がただ重い時間が流れるだがそのままではいられない。そう思ったのは、なのはか、命刻か、或いは両方か。不意に顔を上げて声を挙げる。互いの視線が向き合い、まず最初に口を開いたのはなのはだった。何を言えば良いだろう、と悩むかのように唇が動き、言葉が紡ぐ。


「…お久しぶり、ですかね?」
「…久しぶり、という程、時間を置いたか? …まぁ、良い。それより…」
「?」
「何故、私を助けた?」


 命刻の問いかけになのはは一瞬、目を瞬きさせる。それから特に間を置く事無くなのははさも当たり前のように命刻へと告げる。


「だって、殺されそうだったし」
「…いや、あのな? 私はお前の敵だぞ?」
「敵だから殺さなきゃいけないんですか?」
「…お前…」
「別に命刻さんが弱いとか、相手にならない、とかそういうのじゃなくて、私はただ死んで欲しくないって思ったから助けただけですよ」


 何でもない、と言うようになのはは告げる。そのなのはの態度に命刻は思わず唖然とし、はぁ、と溜息を吐き出した。力を抜くような吐き方だ。疲れたような、呆れたような顔をして命刻はなのはを見る。


「…今、私がお前に刃を向けないとでも?」
「向けるつもりならどうぞ。全力で叩き潰しますけど」
「……つくづく、変な奴だな。お前は…」


 だが、と命刻はその呟きを心の中で零す。だが、その在り方はきっと強い。強者の在り方なのだろう。他者を気にせず、自らの在り方を突き進めていけるその姿は。それに命刻は羨望を覚えてしまう。自分などとは違うのだ、と思わされてしまう。


「…それで? 私をどうするつもりだ?」


 命刻は軽く開き直りにも近い気持ちでなのはに問うた。彼女はUCAT側の人間だ。先ほども言ったとおり、本来であれば敵対している間柄だ。更に相手は複数人。こちらは一人。抗いようがない。特に、一度敗北している相手を前にするとだ。
 命刻の問いかけに皆の視線がなのはへと集う。つまりは命刻の処遇はなのはに委ねられたと言う意志の表れだ。なのはは皆の視線が自分に集まった事に気付いているのか、気付いていないのか、ゆっくりと瞳を伏せて。


「…どうしたら良いんですかね?」
「…は?」
「いや、そりゃ私は確かにUCATに協力している身ではありますけど…でも、今のところ、実際Low-Gがしてきた事を考えるとTop-Gの方が正しい、って思う訳ですし。それに今、UCATはごたごたしてますから、なんというか面倒くさくなりそうですし…」


 すぅ、となのはは目を細めて。


「それに、厄介事が起きてますしね」
「厄介事? …さっきの武神の事か? お前はアレが何か知っているのか?」
「命刻さんこそ、心当たりありませんか? Top-Gの生き残りで、不破・御神家に怨みのある人って」
「…な…ちょ、ちょっと待て! あの武神はTop-Gの生き残りが作った…!?」


 命刻が明らかに驚いたような表情で立ち上がってなのはを見る。なのははそんな命刻をただ静かに見つめ返す。暫し沈黙していた命刻だったが、ふと腰を下ろして両手を握り合わせて。


「…どういう事なのか、説明してくれないか?」
「…わかりました」


 命刻の問いかけになのはは静かに語り出した。自分と「龍」の関係。御神と不破に纏わる概念戦争関係の話。自分と不破恭也の関係。知りうる限りの事を話した。そのなのはの話を命刻は黙って聞いていた。
 そしてなのはの話が終わる。なのはの話を聞き終えた命刻は、そうか、と小さく呟きを零す。俯いた彼女の顔からはその表情が伺えない。だが、どこか気落ちしているように聞こえるのはなのはの錯覚なのか。
 そんななのはの疑問は解消される事はなく、命刻は顔を上げてやや躊躇うように口にした。


「…心当たりが無い訳じゃない。…「軍」がまだ纏まっていなかった時期があってな。いわゆる過激派という存在が居た訳だが…その過激派の筆頭と言えたのが王・偉(ワン・ウェイ)という男で、SPの仕事を主にしていた一族で、御神家、不破家とは半ば商売敵というか、険悪な仲だったのは知っているが……」
「だけど、過激派は佐山さんのお母さんを襲撃した後、ハジさんが処罰したんですよね?」
「あぁ。…悪いが、そこら辺は私はよく知らない。義父さんが王・偉をどうしたのかなんて聞いた事がなかったからな」


 命刻の返答になのははそうですか、と呟くように返す。2人の間に沈黙の時間が流れる。
その沈黙を破ったのはなのはだ。命刻さん、となのはは命刻の名を呼ぶ。命刻は自らの名を呼ばれた事で顔をあげてなのはと再び視線を交わし合う。


「…命刻さん。ハジさんが言ってましてたよね? ハジさんはLow-Gの人も大事だと思ってる、って」
「…あぁ」
「命刻さんは、さ。…Low-Gの人が憎い? …Top-Gの人でありながらもLow-Gを守ろうとしたお爺ちゃんを許せない?」
「……憎いのかな?」
「…ねぇ、もう一回聞かせて貰って良い? 命刻さんは何のために戦うの?」


 なのはの問いに命刻は答える術が無い。何のために戦うのか、その戦うべき理由を命刻は失ってしまっている。だから刃に力は無い。無力だ。無力な故に彼女に為せる事は何一つとしてない。
 そんな命刻の考えが顔に出ていたのだろうか。なのはは不意に、もう一度命刻の名を呼んだ。命刻はそのなのはの声に先ほどとは違う雰囲気を感じた。なのはは、ジッ、と自分を見ていた。真っ直ぐに澄んだ瞳だ。


「ねぇ、命刻さん」
「…な、何だ?」
「…どうして、答えてくれないの? ねぇ、命刻さん、あの時、私と刀を合わせたよね? 互いに譲れないものがあったから、戦わなきゃいけなかったんだよね? じゃあ、今はもう無いの?」
「…そ、それは…」
「じゃあ、もう私は命刻さんと戦わなくて良いの?」


 何故、と命刻は思わずそう言いかけた言葉を呑み込んだ。不意に、なのはが下がれ、と言うようにジェイル達に手を振る。なのはの意図を察したのか、ジェイル達はなのはと命刻から距離を取った。シロもまた距離を取っている。
 何故、と命刻は訳がわからない。だが、訳がわからないでも体は反応する。なのはがMe-Ssiahを起動して命刻へと斬りかかった。命刻は咄嗟に袱紗に収まっていた刀を抜く。同時に甲高い音が鳴り、鍔迫り合いが始まる。


「な、きゅ、急に何を…!?」
「何故。そう思う?」
「…っ…!?」
「私だって思うよ。何故、って。何故戦わなきゃいけないのか、って。何故ってわからないんだよ。私は命刻さんじゃない、だから命刻さんが何を考えているのかわからない。だからわかろうと思う。ねぇ、命刻さん。きっとね、そうやって理解していけるんだと思う。自分も、相手の事も。ねぇ、命刻さん。私ね、何故って思うよ? 命刻さんは、私と戦いたいの?」


 戦いたいの? という言葉に命刻は思う。戦いたいのだろうか? と。


「命刻さんは何を望むの?」


 鍔迫り合いから斬り合いへ。
 何を望むの? という言葉に命刻は思う。何を望みたいのか? と。


「命刻さんは何が欲しいの?」


 甲高い金属音が連続して響く。手に衝撃が走る。
 何が欲しいの? という言葉に命刻は思う。何が欲しかったのか? と。
 衝撃が来る。押されていると理解する。何故押されているのだろうか? 考える。考えて、命刻はごく当たり前の答えに辿り着く。それはきっと、なのはと戦う理由を見いだせずにいるからだ。
 刀を向ける理由はある。敵だから。詩乃を傷付けたから。だけど、それは自分が無力だったからで。


「1つ、聞きたい」
「何?」
「詩乃は、元気か?」
「うん、元気だよ」


 そうか、と命刻は答える。剣舞は続いていく。やや命刻はやはり押されている。刀に乗せる力が鈍い。対して、なのはが振るう刀の勢いは留まらない。何故なのか、と命刻は考える。考えて、何となくそれに気づき始める。


「私は、詩乃を守りたかった。詩乃の居場所を用意してやりたかったんだ」
「そう」


 上段から来た小太刀を打ち払えば、回転するかのように逆側の小太刀が迫る。


「私は臆病者だから。だから、戦う事しか出来ないんだ」
「そう」


 それをなんとか受け止めて、今度は受け止めたまま、柄で迫ってきた小太刀を柄を狙って肘鉄を打つ。なのはは咄嗟に手を止めて拳で受ける。彼女の顔が苦悶に歪んだ。


「だから、私は戦うんだ。でも――もう、戦う理由はないのかな?」
「じゃあ、どうしたいんですか?」
「どうしたい?」


 足が来た。桜色の光を放っている翼がはためく。いつぞやの蹴りを思い出す。手を上に上げて防ぐ。骨が折れるのではないか、と言わんばかりの衝撃が命刻を襲う。


「私は、わからないんだ」
「わからないんですか」


 じゃあ、となのはは呟く。再び剣舞が始まる中、なのはの言葉は紡がれる。


「私は思うんです。きっと貴方は優しい。戦いに向いてない」
「そうかな?」
「私は思うんです。きっと貴方はそれでも戦える人なんだと」
「そうかな?」
「私は思うんです。だけどやっぱり貴方は弱い人なんだと」
「そうだよ」
「私は思うんです。だから貴方は前に進めない人なんだと」
「そうだよ…」
「だから、私はこう言います」


 交差させるように小太刀が重なり、命刻へと迫る。命刻は振り下ろすようにして刀で受ける。


「だから、きっと貴方は望めば強くなれると」
「なれないよ」
「きっと貴方は誰かに優しくする事が出来る、と」
「出来ないよ、私には出来ないよ」
「傷付ける事を恐れる人は、きっと誰かの痛みを理解してあげられるから」
「私には詩乃の痛みがわからなかった!」
「自分の痛みにしか目を向けていない貴方に―――わかるもんかっ!!」


 命刻の刀に強い衝撃が走った。半ば勢いだけでなのはは命刻の刀を押し切った。迫る、なのはが迫る。命刻は受ける。下がる、受けて、下がって。


「言葉にしようとしましたか!? 詩乃さんに伝えようとしましたか!? 自分の痛みを伝えましたか!? わからない、わからない!! わからない事ばっかりじゃ怖いでしょう!? じゃあ、どうしてわかってやろうとしなかったんですか!!」
「―――」
「わかってって。わかってって! 言うだけじゃわからないんですよ! だから、言葉にしていきます! 言葉で届かないなら、別の何かでも良い!!」


 だから、となのはは吐き出すように声を荒らげ、踏み込みと共に命刻の刀に小太刀を振り下ろす。命刻の手には今までにない衝撃が走り、命刻の顔が苦痛に歪む。


「だから、問います!」
「くぁ…っ!」
「貴方は詩乃さんに戦わされていたんですか!?」
「!?」


 なっ、と声が出かけて小太刀を受け止める為に歯を噛み締め堪える。


「詩乃さんが貴方に戦わせなければならなかったんですか!? 詩乃さんはそんなに弱くて、手を引いてあげなければならなかったんですか!?」
「あぐっ…!」
「そんな詩乃さんは、最低な人だって言う事で良いですか!? 救われるべきもない、愚かな人!! それが、田宮詩乃って言う人間ですか!?」
「―――違うッ!!」


 今度は、命刻が返した。打ち払うようになのはの小太刀を押し返し、踏み込む。


「詩乃が私を戦わせた訳じゃない!」
「いいえ、詩乃さんが弱かったから貴方が戦わなきゃいけなかった!!」
「違う!!」
「いいえ、違わない!! 実際に貴方は戦った! 誰のため? 詩乃さんの居場所の為! 詩乃さんを守るため!! 詩乃さんは貴方を利用していた!!」
「違うっ!! 詩乃は、そんな奴じゃないっ!!」
「じゃあ、答えてみてくださいっ!! 否定してみてくださいよっ!!」


 なのはが強く踏み込み。それに応えるかのように命刻もまた前へ出た。


「詩乃は、優しい奴だ! 気遣いも出来るし、料理も出来る、優しくて、私なんかと違う!! だから私は戦ったんだ!! そんな詩乃が不等な扱いを受けるのは間違いだろう!?」
「それは、本当に?」
「そうだ! そもそも、私達の世界もそうだ!! 私達の世界は何か悪い事をしたのか!? 私達の世界は全ての世界を受け入れようとしたのに!! なのに、何で滅ぼされなきゃいけなかったんだ!!」


 もし、あのままだったら自分はどんな生活を送っていたんだろう? 普通に学校に通って、詩乃と、竜美と、アレックスと楽しく生活していたかもしれない。あぁ、もしかしたらそこに佐山御言などと言った面々もいたのかもしれない。
 それは、きっと幸せな世界だったのだろう。自分が今、こんな辛い思いをすることもなく、こんな事に悩む事も無かった筈。なのに、現実としてTop-Gはもう滅びてしまって無くて、その未来はもう無い。あり得ない。


「それは、わかりませんっ! でも…それを求めようとしている人達がいます!!」
「全竜交渉部隊の事か!?」
「命刻さん。私達に、いつも正解だけの人生なんて無いんですよ!! だって、絶対間違えるんだ!! 知らないから!! だって私達が知れる事なんて、本当に些細な事だから!!」


 だから、となのはは踏み込む。鍔迫り合いが再び。刃を押し合いながらなのはは命刻を見て。


「だけど、それを積み重ねればそれが広がっていく! 誰かに届く!! 誰かに届けよう、って思わなくても、知ろうと思えば、それは絶対何かに影響を与えるよ!! だから、命刻さんっ!!」
「っ、くぁ…っ!?」
「諦めるなんて……本当に最後まで取っておいた方が良いと思います!! じゃないと勿体ないじゃないですか!! 諦めて、諦めて、諦めてっ!! そんなの、何か残せますか!? 後悔だけじゃないですかっ!! 後悔しかなくても、後悔だけなんて嫌だっ!! そんなの、本当に何も無いじゃないですか!!」
「…っ…!!」
「ねぇ命刻さん…教えて欲しいという私の思いは、どうすれば貴方に届きますか? 知って欲しいという思いはどうすれば貴方に届きますか!? 何で示せば良いですか!? 私は私が望む限り、貴方に届けるからっ!!」


 鍔迫り合いで、なのはは押し込む。命刻が蹈鞴を踏む瞬間になのはは命刻の刀を握る手に小太刀の柄を叩き込む。溜まらず命刻は刀を握っていた指を解く。骨が折れたのを命刻は感じて顔を顰めた。


「私は! 戦う事が好きな訳じゃない! 誰かを傷付けるのも好んでやってる訳じゃない!!」
「―――あぁ、私もそうだ!」
「でも、私譲りたくないものがあるんです!!」
「あぁ、私にもあったよっ!!」
「じゃあ!!」
「あぁっ!!」


 命刻の折れた指は再生される。なのはと命刻が一度、距離を取った。そして再び互いに同時に踏み込み行く。


「同じですねっ!!」
「同じだったなっ!!」


 刀と小太刀が交錯し、


「命刻さん! 皆、きっと同じですよね!!」
「きっと、同じだったんだなっ!!」
「だから! ねぇ、命刻さんっ!!」
「何だっ!?」


 言葉と言葉が交わされ、


「私のお爺ちゃんも、佐山さんのお父さん達も、命刻さんのお父さん達も、同じかな!!」
「―――きっと、そうだろうなっ!!」


 意志と意志が通じ、


「私も、誰か傷付けるのって怖いですよ!!」
「お前も、同じなのか?」
「同じじゃないですか?」
「いいや。―――きっと、同じだっ!!」


 2人の顔には、笑みが浮かんだ。そして、小太刀と刀が同時に宙を舞った。それは音もなく大地へと突き刺さって、向かい合うなのはと命刻は。


「知りたいって、思って良いですか?」
「あぁ。だから、私も良いか?」
「えぇ。知り合いましょう。私はそうしたいと思います。命刻さんは?」
「きっとそうすれば良い。私はそう思う」
「そうすれば、どうなりますか?」
「そうなれば、きっと」
「笑える世界がありますかね?」
「うん。だって――もう、笑ってる」


 そして、命刻は体をくの字へと曲げた。込み上げてくるのは笑いだった。腹の底から吐き出してしまうような笑い声だった。


「なぁ、高町なのは」
「何ですか?」
「きっと―――簡単なんだな」
「いいえ。―――貴方が馬鹿なだけです」


 そうか、と。命刻は笑った。笑って、笑って、涙を流すまで笑っていた。


「なぁ、高町なのは」
「何ですか?」
「私、馬鹿だな」
「えぇ。馬鹿です」
「うん、馬鹿だ」


 何が一人なんだろう? 一人にさせてくれない人がいてくれたじゃないか。その人はどうしてここにいる? 自分が詩乃を守ろうとしてくれたから? いいや、きっと存在しているその時からなのだろう。
 それはあまりにも単純明快な事実。だけど、今、ようやくにして命刻が得たシンプルな結末。


「…私は、私の理由が欲しかったんだな。戦う為の理由が」
「…理由は、ありますか?」
「あぁ」


 私は、と声が漏れて。


「私は、もっと、望める人になりたいな」
「どうして?」
「それは、望めるお前が生き生きしてるから。そうすれば、私ももっと生き生きしてられるだろうか? 詩乃に嫌われる事なんて無かったのかな…?」
「…ほら、後悔してる。だから言ってるでしょ。やろうよ。後悔してしまったけど、きっとまだ間に合うものはあるから」


 地味に生きたいと思っていた。それはそうすれば煩わしい思いをしなくて済むと思っていた。いっそ空気のような存在になりたかったのかもしれない、と命刻は漠然と思う。自分は何も出来ない。それは、まだ変わらない。
 だけど――――変えたいと願った。望める場所にいて、望める事をして。そして…望めるように追われるように。


「…ねぇ、命刻さん?」
「…何だ?」
「私は、命刻さんにもっと解って欲しい」


 ニッコリと。満面の笑顔でなのはは告げた。あぁ、と命刻は思う。話をしよう、と。それだけで自分は言葉を交わすという意志を示す事が出来る。示された道。だけど、それを今度は自分で示せるようになれれば。


「…そう、だな。…あぁ、そうだ。分かり合おう。少しずつでも、きっと、いいや、私は…そうしたいんだ」


 そうすれば…私は少しでも変われるだろうか、と。
 そうしたら…今度は詩乃を泣かせるような事はないだろうか、と。
 …あぁ、そうか。私は、詩乃が泣くのが嫌だったんだ。だって、詩乃は…。


「…笑った方が、可愛いからな」
「? 何がですか?」
「詩乃が、だよ」
「…あぁ、なるほど。それは、そうですね」


 同意が来れば頷いて。そう、笑って欲しかったんだ。そうすれば、自分もまた笑っていられるような気がするから。
 そんな当たり前で、そんなごく普通で、そんな簡単な事を今日という日に命刻はようやく理解出来たのかも知れない。
 なぁ、詩乃。命刻は呼びかける。きっとこの声は届かない。だけど、届いて欲しいと思うから口ずさむ。


「私は、お前の事を、もっと知らなきゃいけないんだな。じゃないと…何したって、守れないんだな」


 通ずるという事を。繋げていくという事を。分かり合っていく事を。他者に怯えて、自らの意志を伝えようとしなかった。他者の考えを本当の意味で理解しようとしなかった。そんな臆病な自分を変える一歩。


「じゃあ――――お話しようか?」


 彼女が導いてくれた、そしてこれから、きっと自分の足で選んで行ける未来の選択肢なのだろう、と。命刻は、小さく笑って頷いた。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 14
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/23 20:41
「――さて、一段落ついた所で良いかね? 2人とも」


 なのははMe-Ssiahを回収し、命刻もまた刀を収めている所にジェイルが声をかける。命刻となのはの視線は自然とジェイルへと向く。ジェイルはいつものどこか胡散臭いような微笑を浮かべながら腕を組んでいる。


「件の武神の件についてだが――私の推測が正しいならば厄介な存在だぞ?」
「…どういう事ですか?」
「武神の肩に名と思わしき漢字が記されていたね? あれは、蚩尤と読むのだよ」
「シユウ?」
「中国神話に登場する神ですわ。獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、頭に角があるなどと言われていますわね。砂や石や鉄を喰らい、超能力を持っていたと伝承が残ってますわ」


 なのはの疑問の声に答えたのはクアットロだ。指をぴん、と立てて得意げに説明している。それに捕捉を付け加えるように説明を引き継いだのはウーノだった。


「そして、蚩尤にはこのような伝承があります。―― 同じ姿をした兄弟が80人程いたと、と」
「…それって」
「同じ姿の武神が複数体。ならばその伝承を象っていると見るべきだろう。そして命刻君。先ほどの話を聞いていると、その武神は人を捕食していたのだろう?」
「……あぁ」
「つまり、かつての3rd-Gと同じだよ。――武神の部品として人間を捕食しているのだろうよ。その武神はね。伝承通りなら80人。伝承通りの数でなくても、部品として喰われるのは確定している」


 な、と声を漏らしたのはなのはだ。真っ先に心に浮かぶのは嫌悪感だ。そして次に許容出来ない感情が広がっていく。噛み締めた歯が鈍い音を立てて、誰もがなのはの怒気を感じ取った。


「…その目的はあまりにもハッキリしているだろう。――理解しているだろう? なのは君」
「…私を、殺す為ですか?」
「君は以前、恐らく王・偉を敗北させたのだろう? まぁ、その時の戦闘についてはトーレ達から報告を受けているから経緯を知っている訳なのだが…」


 そこでジェイルは言葉を切ってなのはを見つめる。それはまるでなのはに「どうする?」とでも問うようにも思える。なのはは暫し、答えを口にする事はなかった。何かに堪えるように俯いたまま拳を握りしめる。
 どれだけそうしていただろうか。沈黙を破る為になのはは動き出す。その瞳に揺るぎのない光を宿しながら。そしてなのはは答える。自らの答えを。


「――終わらせます。御神の因縁を。それが私に託された役目だし…それに、放っておけない。このままアレを放っておいてその存在がUCATにバレたらTop-Gの立場が悪くなる」
「高町なのは…お前…」
「どんな理由があってもTop-Gの人間が虐殺をしているだなんて知れたら結局それはTop-Gに対する心象を悪くするしかないし、それを行わせたLow-GひいてはUCATに怨みが募る。だから、全部私が持っていきます」


 それは凜とした声で告げた決意。だから、となのはは呟きを零して。


「…でもいずれ、きっと佐山さん達の耳にも届く。だから…―――」





    ●





 風が吹いている。そこは山の中の森だった。坂を削ってただ屋根をつけたような建物。そこは「軍」の拠点の1つ。そこにはUCATとの戦闘に敗走し、未だ捕らえられていない「軍」の残党が幾人か集まっていた。
 そこに足を踏み入れる存在がいた。命刻だ。彼女は悠然とした足取りで進んでゆく。そこにはなのはと出会う前の彼女の姿はない。そんな命刻の前に姿を見せたのは赤と青と白で彩られた機竜と白の巨人。
 機竜と、そしてその機竜の背に乗ってこちらに気付いたかのように視線を向けてくる女性に命刻は、ふっ、と笑みを浮かべた。


「久しぶり。竜美」
「えぇ、久しぶりね、命刻。元気になったみたいね」
「見ていたのか?」
「えぇ。見ていたわ。でも、見ていただけ。で? どうする?」
「どうする、とは?」
「ハジ様がいなくなった以上、「軍」の長は貴方よ。私はそう思ってる」
「―――」
「私は性分じゃない。アレックスじゃ自由が利かない。詩乃が居ない。運切は敵側。ならばTop-Gを背負うのは貴方よ。命刻」


 竜美の問いかけに命刻は息を呑んだ。その動作を観察するように竜美は見る。そこには今まで、命刻には感じられなかった気配があった。そう、それはきっと昂ぶるもの。身の底から湧いてくるような感情。
 決めたのね、と竜美は思った。決めたのだと悟ったとき、竜美は心の底から笑みを浮かべた。それに答えるように命刻は顔を上げた。そこにはやはり、竜美が今まで見たことのない命刻の顔があって。


「なら、好都合だ。竜美。アレックス。協力してくれるか?」
「えぇ。何を?」
『我が輩に何を望む?』
「答えと、終わりと、始まりと。それがどんな物になるか私にはわからない。私達の望むものなのか、私の望むものなのか。――それとも、UCATが望むものなのか。私にはわからないけれど…」


 ふぅ、と。命刻は息を吐き出して。


「前に、進むための時間は今からでも遅くないんだ。だから、私は今から歩こうと思う。走っていきたいんだ。そして―――詩乃に会いに行こう。答えの先、始まった新しい世界で。私は、そこで詩乃に会いたいんだ」


 だから―――。


「だから手伝ってくれ。竜美、アレックス。あの日、失ってしまったものを取り返すつもりで。それは決して手に戻らないもので、凄く悲しくて、自分一人じゃ支えきれないものだけど。だから――私達なら、きっとそれ以上のものを得られると思うんだ」


 願うのだ。命刻は、願う。それは一人では届かないものだと教えられたから。それは一人では得られないものだと理解したから。だけども、それでも、きっとそれは自分が何よりも望める、幸いなものなのだろう、と。
 詩乃がいて、竜美がいて、アレックスがいて。そして――運切もいる。両親はもう居ない。あの世界は、故郷はもう無いけれど、良く似た世界がある。違うけれど、同じ物がある。それは慰めにしかならないけれど、だから思い出が大切になってくれる。
 思い出はただ自分を軋ませる。痛いよ、と。悲しいよ、と。だけどだから伝わって欲しい。お前達が奪ったのはそんなもので、それを得ているお前達は幸せなのだからと。だから私達の悲しみをわかってくれよ、と。
 だから、と。護りに行きたいのだ、と。だから、と。知らしめてやりたいのだ、と。だって私の世界は―――そう、正に盟主に相応しい世界だったんだから、と。私達の両親が作ろうとした世界はそんなにも輝いていたものだったんだと。


「そうして積み重ねていけば、いつか誰かが答えてくれる」


 そう、彼女が言ってくれた。そして彼女は実際に応えてくれた。
 その時の胸の震えを命刻は忘れられない。叫びたくなって、泣きたくなって、だけど心の底から笑い出せるような曖昧で、ちぐはぐで、矛盾が篭もっている答え。だけどそれは自らが感じた1つの答え。


「世界を揺るがしに行こう。私達の世界を壊したこの世界に罪を突き付けて、そして、全てを受け継ぐ世界が―――最高も、最良も越えていけるような究極の世界になるように」


 そう。


「私の感情は――今、それを望むんだ。理屈とか何も関係なしに、私は、そんな世界が欲しいんだ」


 だから。


「だから、私に力を貸してくれ。私と一緒に戦ってくれないか?」


 彼女は問うた。
 風が髪を靡かせる。風の吹く音はざわめきを呼び起こす。


「えぇ、勿論よ」
『共に戦おう、命刻』


 答える声は2つ。


「…言うようになったじゃねぇか。命刻。今のお前なら手貸してやろうと思うぜ?」


 続くように聞こえたのはテュポーンとアレックスの整備を行っていた老主任の声だ。「軍」の自動人形の整備も彼が手がけている。命刻にとっては頼りになる目上の人の一人で。その人が手を貸してくれると言ってくれた。


「俺も!」
「なら、俺もだ!」
「じゃあ、俺もだっ!!」


 それは、3つ、4つ、いや、もっと増えていく。と答える声は連声する。命刻の問いに答える声は重なり、重なって続いていく。了解、と、応答を示して。その意志は命刻と共にあると告げるように。
 あぁ、と命刻は答える。再度、あぁ、と声を震わせて命刻は答える。あぁ、と全身を振るわせて命刻は強く答える。


「――ありがとう、皆」


 不意に、命刻は詩乃、と声なき呟きを紡ぐ。
 私は、もう大丈夫だ。だから、きっとお前も大丈夫なんだろう、と。だから――次会う時は2人とも新しい私達なんだろう、と。それはきっと、とても素晴らしい事なんだろうな、と。





    ●





『――というわけで、こっちは上手く纏まったよ。なのは』
「うん、わかったよ。ありがとう命刻さん」
『良いさ。――礼だと思って受け取ってくれ。それじゃあ、クリスマス前には会おう』
「…うん、それまで元気で」


 ぴっ、と。なのはは通信機の通信を切った。使い終わった通信機を傍に置いた。不意になのは周囲を見回す。そこは地球には見られない光景。そこは「ミッドチルダ」。なのはは今、ミッドチルダにいる。
 ミッドチルダと言っても管理局などとは一切関わりのない―――非合法の研究施設。そこになのはがいる理由。それは至って簡単だ。その研究施設の主が他ならぬ彼なのだから。
その彼がいるだろう部屋を目指してなのはは歩く。
 自動ドアがスライドし、その部屋の中央で指の動きが最早残像が出来ている勢いでキーボードを叩いている狂喜の顔を浮かべたジェイルへとなのはは近づいていく。ジェイルはなのはに気付いたのか、キーボードを叩く指を止める。


「…ジェイルさん。命刻さんからの連絡が来ましたよ」
「そうか。なら…計画は予定通りに?」
「えぇ。…準備は出来てますか?」
「あぁ。―――さて、世界の終末まで残す時間は2週間。行くのかね?」
「えぇ。決着を。それぞれの決着を、私の望む形を得るために」





    ●





 高町なのはからの連絡が音沙汰なくなってから約1ヶ月の時が流れていた。佐山達は学園祭の準備とUCATの雑務に追われる生活を続けていた。その間にUCATには大きな動きがあった。
 まず第1に各Gが全竜交渉の正否を巡って、それぞれの居留地に閉じこもってしまった事。第2に各国のUCATが日本UCATに責任問題を迫っているという事だ。
 これによって各国UCATとの協力体制が取れず、日本UCATは米国UCATの協力を得て復興に当たっていた。その状況下では佐山達は当然身動きが取れずにいた。本来ならばすぐにでも8th-Gと全竜交渉と、新庄の母である由起緒の過去を追いたかったのだが、それも叶わなかった。
 ただ時間だけが過ぎてゆく。そんな彼等の前に彼女が再び現れたとき、事態は大きく動き出す…。


 その日、佐山はUCAT本部にいて今までの資料を纏めていた。少しでも手がかりを得るためだ。あの日、なのはから得た情報によって明らかになったもう片方のゲオルギウスの在処。だがその鍵を開く為の材料が足らず、結局は放置されている。
 それを開けるための情報が手元に無いのか、佐山は今までの情報を検証していたのだ。それを手伝っているのは新庄だ。新庄は手に持っていたレポートを一度机の上に置いて。


「…なのはちゃん、なかなか帰ってこないねぇ」
「そうだね。何か手こずっているのかもしれないね」
「…無事だと良いけど」
「無事だろうさ。彼女ならね」


 新庄が佐山の返答に何かを言おうとして、結局唇を閉ざして何も言わず、別のレポートへと手を伸ばした。そんな時だった。佐山と新庄がいる部屋にノックと共に8号がやってくるのは。侍従服を揺らせながら彼女は佐山へと視線を向けて。


「佐山様! 大変です!!」
「何事かね? 8号君?」
「高町なのはが帰還しました。――Top-Gの暫定代表、戸田命刻からの親書を預かっているそうです」





    ●





『 全竜交渉部隊交渉役、佐山御言にTop-G暫定代表、戸田命刻は要求する。
 世界崩壊時刻である12月24日に備えて、その前に全G代表を集めての会議を開催する為の場を用意する事。そこでLow-Gの裁判会議を開きたい。
そこで全世界の意志を1つに統一したい。Top-Gは先ほどの戦闘の際にも告げたように「マイナス概念の活性化に対して全概念を消失させ、各GがUCATの支配を逃れることで自由な新世界を生きること」を望む。
 会議開催の為の対価としてTop-Gは可能な限りの情報をそちらに提供し、その妨害を許しはしない事をここに戸田命刻の名に誓う。Top-Gは逃げも隠れもしない。だが、私達はTop-Gの意志を継ぎ、「全てのGが共存出来る」事を望む。無論、Low-Gにもだ。
。そして私達、Top-Gが交渉役の相手として選ぶのは全竜交渉部隊交渉役、佐山御言であり、それ以外の者の交渉は取り付けない。
 世界に数々の思惑がある事から我等は姿を明かす事はしないが、その使者として高町なのはに託す事とする。
   戸田 命刻 』


 佐山はその手紙を読み終え、そっと封を閉じた。その手紙を丁重に仕舞ってから佐山はなのはへと視線を向けた。なのはは淡い笑みを浮かべて佐山の前に座っている。佐山の隣には新庄が居て、その後ろには全竜交渉の面々がいる。


「…さて、なるほど。親書の内容は理解したよ。高町君」
「えぇ。で? その返答は?」
「――快諾しよう。これは私としても望む方向だ。そこで世界の答えを得ようじゃないか」
「…そうですか。良かった」


 なのははホッ、としたように笑みを浮かべた。だが安堵を浮かべるのはなのはだけではなかった。佐山達もまた安堵していた。これで相手が正式に自分たちと認めた以上、他国のUCATと言えど妨害は難しくなってくるだろう。
 交渉相手に全竜交渉部隊を選ぶというのは当然の帰結だ。それは今まで彼等が過去を追って来た人物であり、相対してきた当事者なのだから。だからこそそれを情報としてしか知らぬ他のUCATに任せる事をしないとTop-Gが自ら告げたのだ。
 そこでもしも他国のUCATがTop-Gの存在を抹消などと言う動きを見せた場合、それこそ各Gはそれを認めないだろう。結局待つのは世界の滅びだ。だからこそ、全竜交渉部隊が動くしかないし、それを認めざるを得ないだろう。
 もしも抹消を望むならば全Gとの戦争になるだろう。例え物量で上だったとしても質が違う。決して勝利は得られないだろう。――犠牲は大きいだろうが。それでも世界さえ救ってしまえば概念核の利益は無くなる。争う意味がなくなるのだ。


「…まぁ、そもそも、概念核の利権を得ても、それももうすぐ解放にせよ、対消滅させるにしろ、意味のないような事もするんですけどね」
「だけども国はそれでも利益を求める。国という生き物はそういうものなんだよ。高町君」
「厄介なものですね。でも――それすら越えていくのが全竜交渉部隊でしょう? 国なんて枠組みは小さすぎる。スケールが違うんですよね」
「そういう事だ」


 はは、と笑う佐山となのは。その笑いに皆の笑いも自然と浮かんでくる。それは未来に見いだせた希望の一筋だった。
 皆は笑う。だが、佐山は笑いながらもその視線をなのはへと向けていた。そして誰にも気付かれぬように佐山は溜息を吐くのであった。





    ●





「これで良かったのかい?」
「えぇ」


 UCATの廊下を歩きながらなのはとジェイルは言葉を交わす。UCATの空気は慌ただしく動いているように思えた。それもそうだろう、なのはがもたらしたTop-Gの親書によって正式に交渉役として定められたのだから。
 だからこそ世界の滅びに関しての再検証を行わなければならなくなったからだ。だから皆が慌てて動き出している。その人の動きの流れを見ながらなのははふぅ、と一息を吐く。


「時計の針を早める、か。Top-Gが正式に交渉の態度を示したことで―――他のGも黙っていられなくなるだろうね。だからきっと彼等は来るだろう。再交渉の為にね」
「緊張して動きが取れなくなると言うのなら、だったらその緊張を解決させてあげれば良い。ただ、それだけの事です。そうすれば動くことが出来る。――そうすれば、目を逸らす事が出来ますから」


 そうしてなのはが足を向けた先、そこは以前、なのはが訪れた場所。以前は別の人と出会う為にやってきた場所だったが、今の目的はまた別の人と出会う為だ。
 こんこん、とノックをする。その音に気付いたのか、その部屋の主は来訪者にこう声をかけた。


「ん? どちら様かな?」
「どうも。ハジさん。高町なのはです。貴方に聞きたい事があって来ました。――お時間頂けますか?」


 軍の総大将、ハジがそこに居た。彼は眼帯に隠されていない瞳でなのはを興味深そうに見つめるのであった。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 15
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/15 22:05
 慌ただしい動きが見える。それは焦りによるものだ。それは手にしたチャンスが今正に覆されそうとされているが故に惑う彼等の姿だ。怒声が響き、諦念の声がそれに紛れて呟かれる。
 希望が失われる。例えソレがどれだけ欲深く、身勝手な願いだったとしてもそれを求める心は英雄が平和を求める心と何ら変わりはないだろう。望み、欲するという点ではそれは所詮、同一のものなのだから。


「――落ち着きたまえ」


 それを抑える声は冷静だった。机に肘をつけるようにして顔の前で口元を隠すようにしながら紛糾する会議の場を制する。誰もがその声に耳を傾ける。一瞬にして静寂が生じたのは声を発した者がその場を取り仕切るものなのだから。


「確かに、この状況は我等にとって利は無い。本来ならば近々開かれる予定であった会議において日米独UCATから全竜交渉の利権を全て奪い取り、我等の下に概念核を集わせる。そうして世界の覇者へと至る。その計画が頓挫しかけているのは確かだ。――だが諸君、やる事は変わりないのだよ」


 ニヤリ。正にその声の主は口元をその音が似合うように歪めた。会議が一瞬の沈黙の後、同意を示すように、希望を見つけたように喜色を帯びて話し合う。それは未来に浮かぶ輝かしい未来を想像しての事だろう。
 その光景を見ていた声の主は静かに笑みを浮かべる。その瞳の奧に浮かぶのは喜色。―――そして、嘲笑であった。


「…お膳立ては済ませましたよ」
『了解。それでは計画通りに。――また後で。お姉様?』
「えぇ。では手はず通りに。――よろしくね、クアットロ」





    ●





「王・偉? あぁ、知っている。知っているとも」
「なら、教えてください」


 UCAT本部の地下。軍の長であったハジが囚われた部屋に訪れたなのはとジェイル。ハジは彼等の問いかけに何度か瞬きをした後に答える。その答えになのはが更なる問いを返す。
 なのはの問いにハジはふむ、と髭を撫でるように触れながら沈黙する。どれだけの間をおいたのか。なのははただジッと待っていた。ハジはなのはへと視線を向ける。もう一度、ハジはふむ、と呟いて。


「狡猾な男。頭はキレる。だが些か思考が過激だ。有能ではあったが危険。そんな奴だったな。故に裏の世界では名を轟かせた。それが簡単な彼の人物像だね、うん」
「…「軍」に所属していたんですか?」
「あぁ。子供達の護衛という瞑目でね。――だが、奴は逃げた。過激派の一部を扇動して佐山論命を殺害した。故に始末しようとしたのだがね。上手いこと逃げられた。追っ手を出そうにも軍は纏める時間が必要だった。故に放置せざるを得なかった」


 ハジから語れる情報になのははなるほど、と頷く。そして思う。やはり王・偉の人物像は自分の想像する人物像と噛み合う部分が多い、と。そしてもう一つ問うようになのははハジの顔を見直して問う。


「御神・不破家との関係で知っている事はありませんか?」
「御神・不破の両家と二分して護衛を受け持っていたと言っても過言ではない。だが、本当に重要な役職の護衛に王は任を与えられる事は無かった。故に不破・御神の両家を疎ましく思っていたね」
「…そうですか。ありがとうございました。色々と答えてくれて」


 なのははハジの教えてくれた情報に対して心の底から感謝するように頭を下げた。そんななのはを見て、ハジは一息と共になのはへと声をかけた。


「高町なのは、だったね。恭也君の偽物、か」
「…お爺ちゃんを知ってますか?」
「あぁ。知ってるとも。――彼とは新庄由起緒の下でよく話をする機会があってね」
「そう、なんですか?」
「良く悩みの相談も受け付けたよ。稽古も付けてあげた。正に天才と呼ぶべきだったかな」


 懐かしむようにハジは語る。その姿を見てなのはは思わず、問いかける。


「ハジさんは…」
「ん?」
「…本当に、優しい人なんですね」
「…どういう意味かな?」
「…きっと、全部知ってたんでしょう? だから私に話す。違いますか? ――わかってるんでしょう? 私が全竜交渉の決着にこれ以上関わるつもりがないって事を」


 ほぅ、とハジはなのはを見る目に興味の色を含める。対してハジを見つめるなのはは問いつめるように見据える瞳。互いに視線が交錯し、最初に沈黙を打ち破ったのはハジだった。彼は低く笑うようにして声を漏らして。


「初耳だ、と言っておこう。どうだね?」
「信用ありません。これでどうですか?」
「……」
「……否定しなかったでしょ? ハジさん。私のお爺ちゃんが「不破恭也」だって事を。なのに普通に話してる。それはわざとですか?」
「…やれやれ。そういう所は恭也にソックリだね」


 強情だ、とハジは呟いて肩を竦める。だがその表情には穏やかな笑みが浮かんでいるのは恐らくはなのはに恭也の影を見いだしているからなのだろう。なのははきっとそうなのだろう、と思ってハジを見る。


「…君は、悪役なのだね」
「どうでしょうか? 私は自分を悪役だとは言いませんよ」
「ならば純然たる悪かね? 悪役を任ずる者ではなく、悪なのだと」
「…面白い解釈だね、ハジ殿」


 なのはの返答にハジは頷きながら言う。そのハジの言葉にジェイルは納得というように笑みを浮かべて頷く。そのジェイルを横目で一瞥した後、なのははふぅ、と溜息を吐く。別に否定する訳でもなく、肯定する訳でもない。


「ワガママを言うのは、子供の特権でしょう? そして、私はその特権を惜しみなく使うし―――これから生まれてくるだろう人達にもっと多くのワガママが言えるようになって欲しい」
「それが例え世界を壊す事になったとしてもかね?」
「壊れるだけの世界は私が壊す。私じゃなくても、きっと誰かが壊す。だって、その先、その先ってずっと続いていく。いつか来る終わりにだって、皆はいつかの始まりを夢見るんだ。だから終わる事に対して向き合える。終わるしか出来ないなら、誰もそこから目を向けないから」


 そうでしょう? となのはは笑う。その笑みを浮かべてハジは笑みを浮かべる。そしてハジは小さく拍手をした。まるでその答えを褒め称えるように。


「君は正しくて恭也の正逆だね。――恭也と同じでありながら、恭也とはまったく別の道を行くのか」
「私はお爺ちゃんみたいに我慢強くないですから。我慢は大事だけど、それでも抱え込むだけなのには意味がない。だからこれから行く道は私のだけじゃない。少なくともお爺ちゃんと…そして…」


 そこでなのはは言葉を切る。視線を向ける先にはジェイルがいる。彼はなのはの視線を受けて微笑む。なのはも、ジェイルの笑みを浮かべて微笑み。


「私を、私と同じ物を望んでくれる人達との、境界線にある道なんです。望む為の、望める為の。私が、私であるが故に私が決める道」
「その先に君は何を欲するのか、問うても良いかね?」
「明日ですよ。普通にご飯食べて、好きな事して、大事な人がいて、辛いことも苦しいことがあっても最後には全部笑って終われる。そんな明日を欲して私は行くんですよ」


 なのははハジへと視線を戻して力強く答えをハジに告げる。その答えを聞いていたハジは頷いた。噛み締めるように、何度も、何度も。彼は頷く。そうして彼は口を開いた。


「――平凡な夢だ。平凡だ。平凡すぎるね、うん」


 ―――だけど、それは…。


「良い夢じゃないか」


 きっと、多くの人が望める夢なのだろう。だからこそ、そんな未来を本気で願って戦う彼女にはこんなにも輝きが満ちているのだろうか、とハジは思う。
 そう、なのはは眩しいのだ。その在り方は明らかに真っ直ぐで輝かしいものだから。だからこそ、ハジは本心からなのはを褒め称えたのであった。





    ●





 ハジの下を後にしたなのはとジェイル。なのはは無言のまま、ジェイルは通信機を片手に歩いていく。不意にジェイルが通信機を下げた。そして隣を歩くなのはへと視線を向けて。


「ドゥーエとクアットロが上手くやったそうだ。―――始まるよ」
「えぇ」


 ジェイルがなのはに笑みと共に告げる。それに応えるなのはは平静だ。いつもと変わらぬ仕草で返答を返す。そこには緊張をしている様子も、高揚している様子もない。ただの自然体だ。
 そう、これから始める事は別に緊張する事でもない。ただ単純明快。シンプルな事なのだから。だからなのははそのまま自然体で前へ、前へと進んでいく。
 そして、その道中に彼は立っていた。背を壁に預けるようにして腕を組みながらなのはの行く先に立つように彼はそこに居た。その姿を確認したなのはは足を止めて、その人の名を口ずさんだ。


「…佐山さん」
「…行くのかね?」
「…あぁ、やっぱり佐山さんは気付いちゃう、か」


 佐山の問いかけになのはは少し苦笑をして呟いた。だがそれには別に驚きは無かった。きっとこの人なら気付くだろうなぁ、となのはは思っていたから。だから驚きは無かった。変わりにあったのは予想通りという諦め。
 なのはを見つめる佐山の瞳にはやや呆れの色が見えたように感じたのはなのはの錯覚か。だがその錯覚を確かめる事は出来なかった。佐山から呆れの色が消え去ったからだ。


「世界相手に喧嘩を売るつもりか?」
「えぇ。――全竜交渉の邪魔はさせない。だから私はこれ以上、全竜交渉に参加しない。だから全竜交渉に害為す全てを私が排除します」


 それは、なのはの断固たる意志だった。佐山はなのはのその言葉を聞いて、ふぅう、とやや長めの溜息を吐き出した。腕を組むのを止め、なのはと真正面から向かい合うように見つめる。なのはもまたその視線に答えるように真っ直ぐに佐山と視線を合わせて。


「勝算は?」
「負けないですよ。…決着付けてきます。そのために佐山さん達の決着の邪魔も許さない。だから、ごめんなさい。見逃してくださいね」
「駄目だと言っても行くのだろう? 私を打ち倒してでも君は」
「えぇ」
「…本当、君は馬鹿だな。馬鹿だ、馬鹿。お節介にも程がある。それでいてワガママだ。あぁ、本当に厄介な奴だ。…何故、そうまでする?」


 佐山は問いかける。なのはがこれからやろうとしている事は自分が望む事。だが、それは望んではいなかった事。望みはしたものの、叶う筈がないという事はどう見ても明らかだった事だ。
 それを、彼女は自らの意志で行うというのだ。自分自身のワガママの為に。


「…昔の私は、悲しい事や痛い事があるだけで嫌だったんです。だけど、結局プラマイゼロなんですよね。悲しい事があるから喜びがプラスになってくれるんでしょうね。悲しみがある事が不幸なんじゃなくて、悲しみを不幸だと嘆く事しか出来ないのが不幸なんだな、って、今はそう思えるから。だから、今まで背負ってきたマイナスの分だけ一気にプラスに変えて行きたいから」
「だから、戦うのか?」
「えぇ」


 そうか、と呟く佐山。なのはは笑みを浮かべている。ジェイルはそんな2人の様子を観察している。暫し、場が静かとなる。佐山は何も言わないままなのはを見つめ、なのははそんな佐山に対して視線を返している。


「…頑張れ、とは言わないし、ありがとうとも言わない。それは君が望んだ事であり、私は望まない事だ」
「えぇ」
「――だから待っているよ。高町君。全ての答えを束ねたその先で。そこに至る君を私は待っていよう」
「――えぇ、行きますから。佐山さん。だから待っていてください。全ての答えが束ねられたその場所で」


 こつん、と互いにぶつけられたのは左の拳。軽く触れ合わせた拳はすぐに離れ、なのはと佐山はすれ違う。互いに背を向ければ歩き出す。まるでそれは互いの道が異なる道だと彼等が語っているかのように。
 なのはも佐山も振り返る事はない。だが、佐山はすれ違う際になのはの後ろへと立っていたジェイルへと視線を向けた。佐山の視線を受けたジェイルはいつも通りの表情だ。そして彼等は互いの言葉を交わす事無くすれ違った。
 ジェイルも歩き出す。なのはを追うように。佐山は歩いていく。2人に背を向けて。互いに振り返る事はない。ただ、前だけ見て進んでいく。その先にきっと、振り返れば見えるだろう人がそこにいるだろうだから。





    ●





 ミッドチルダ某所。ジェイル・スカリエッティの研究施設の地下。そこでキータイプの音が響く。ピアノの鍵盤のように設定されたキーボードを高速で叩くのはウーノだ。目まぐるしく変わるウィンドゥを忙しなく見つめるウーノの手は止まる事はない。


「――間もなく、ですか」


 そうして、その呟きと共にウーノが手を止めた。ウーノの手が止まるのと同時に空気の抜けるような音と共に扉が開いてチンクとトーレが中へと入ってくる。2人の纏っている装甲服はボロボロで、まるで戦闘をした後のようになっていた。
 そんな装甲服の汚れなども気にせずチンクとトーレはウーノの下へと歩いていく。ウーノはキーボードから手を離して傍にあったコーヒーメーカーに手を伸ばした。そこには既に作られたコーヒーが入れられてあり、それを備え付けていたカップに注ぐ。


「悪いな。ウーノ」
「助かる」


 カップに注がれたコーヒーを手に取り、チンクとトーレはやれやれ、と言いたげに肩をグルグル回しながら体を解す。装甲服のアレ具合から、相当に激しい運動をしていた事は確か。そこでコーヒーを出されるのは嬉しい限りだ。


「今日のは「辛辣爽快! これが本当の辛口コォォォヒィィィッだっ!! 『レッドマウンテン!!』」の豆が売られていましたので。それをアレンジしてみました。名付けてバーニングマウンテンですね」
「――ゴファァアッ!?」
「――ギャァアアッ!? 目が、舌が、口が、顔がァア"ア"ア"ア"ッッ!?」


 それが普通だったら、の話だが。
 顔を真っ赤にしたトーレが勢いよく吹き出したコーヒーがチンクの顔面へとぶちまけられ、チンクが真っ赤になった顔を押さえながらのたうち回る。もう女性としては上げてはならない悲鳴を上げている。
 そんな2人の様子を意に介した様子もなくウーノは自らのコーヒーカップにいれてあったコーヒーを口に含む。そしてそれを一気飲みすると、ふぅ、と一息ついて。


「――爽快ですね」
「その一言で済ませるな!! お前の舌はどうなってるんだっ!?」
「失礼ですね。人を化け物のように呼ばないでください。私の肉体改造レベルは貴方たちより下なんですよ? あ、ちなみにこの「コォォォヒィィィッ」の発音の最後は「ト」と聞こえるように言うのが正しい隠れた読み方らしいですよ?」
「どうでも良いわっ!!」


 何とか復帰したトーレがウーノに対して文句を言うがウーノは気にした様子もなくコーヒーを呑んでいる。コーヒーって辛い物じゃないよな? 苦いものだよな? いや、辛口
ってのはあるのはわかるが、そういう意味じゃないだろ? とトーレがぶつぶつ文句を呟く。
 チンクは…動かなくなった。口から白い靄のようなものが出ているが恐らく数分で復帰するだろう、とトーレは放置する事にした。視線はチンクから45度傾いて固定されているが。


「…随分と騒がしいですね」


 そんな騒ぎの中、トーレ達が入ってきた扉から入ってくる者がいた。それは女性だ。トーレ達と同じ装甲服を纏っている。長く伸びた髪はサイドポニーに纏められた金髪。瞳は真紅。浮かべる表情はどこか呆れたようなもので。


「えぇ。どうやら不評のようでして…。まったく、飲み物を吹き出すなんてはしたないですよ。トーレ」
「あれを飲み物と定義している貴様が信じられん」
「そんな事はありません。どこからどう見ても飲み物じゃないですか」
「見た目はそうでも中身が罰ゲームだっ!!」
「表記に何らミスはありません。中身が罰ゲームだなんて失礼な事を言わないで欲しいです」
「……材料の比率が明らかにおかしいだろっ!? なんだ、このハバネロ配合種使用って!! コーヒーにハバネロなんて必要か!? って配合種って何だ!? しかも何で更にこれをアレンジしてるんだよっ!?」
「常に人は発展を求めねばいけないのですよ、トーレ。辛くないコーヒーは辛口コーヒーではない。正にその通りではないですか。貴方もどうですか?」
「…いや、結構しておきますよ。ウーノ。…それより、データは取れましたか?」


 差し出されたコーヒーに苦笑いを浮かべて首を振って丁重にお断りする女性。彼女の問いかけにウーノはコーヒーをもう一口、口につけた後、ウィンドゥを幾つか展開する。
 そこには女性とチンクとトーレがそれぞれ戦っているデータが集計されている。それを女性は目を細めて見据える。暫く見つめていたが、ふぅ、と女性は溜息を吐いて。


「私の内部のデータと合わせても、問題ない数値にはいきましたね」
「えぇ、当然です。私とクアットロ、ドクターが手がけたんですから」
「………そ、そうですか」


 女性の額に汗が浮かぶ。名前だけ聞いてると不安になってくる面々だ。いや、実際かなり不気味だったし…、と呟きながら両手を体に回して抱きしめるようにする女性。少しその体は小刻みに震えていた。


「…だが、これで私も、更に力になれます」


 不意に、女性は目を閉じた。すぅ、はぁ、と息をゆっくり、大きく吸って吐く。再び開いた瞳には力強い光が篭もっていた。抱くように回していた手を降ろし、力強く握りしめる。
 それはまるで自分の体の感覚の動作を確かめるような動きだ。その女性の動きをトーレは笑みを浮かべて見る。そこに、ドゥーエのウィンドウに着信音と共に何かが現れる。それは手紙の形をしている。
 メールだ。ウーノは手慣れた手つきでメールを開いて中身を確認する。確認し終われば、2人へと視線を向けて。


「…ドクターからの連絡です。ドゥーエ達が任務達成したようです」
「…そうか。なら…始まるな」
「えぇ」





 ――彼等の戦いの幕開けは、近い…。  





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 16
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/19 13:42
 なのはが使者を務めたことによってUCATも大きく動きを見せるようになった。他国のUCATの反応が気になる所ではあったが、今はそれを押してでも進めるべき事があると佐山の主張からそれぞれがそれぞれの為に動き出した…。





    ●





 佐山と新庄はある家を訪れていた。その家は田宮家と良い、佐山が幼少の頃、育てられた佐山の家と言える場所である。ここには佐山の母である論命もまた過ごしていた部屋がある。そこは今は開かずの間として閉ざされているという。
 2人は、今日、その部屋を開けに来たのだ。田宮家は佐山達の住まう秋川市付近を治める自警集団を勤めている。簡単に言えばヤ○ザな訳だが。そんな家の住人もまた常人ならざる人が住んでいる訳で…。


「いらっしゃい。若、切ちゃん」
「やぁ、ご無沙汰しているよ。遼子」
「お久しぶりです。遼子さん」


 佐山と新庄を迎え入れたのは遼子と呼ばれた女性だった。和服を着こなしたその姿はとても魅力的に思える。浮かべる笑みも邪気の無い愛嬌のあるものだ。和服美人、と言っても過言ではないだろう。
 だが、この遼子という女性は只者ではない。どのように只者ではないのかは、佐山が「遼子を家族と呼ぶには自分はまだまだ未熟」と言う程の人物なのだ。
 さて、そんな遼子と呼ばれる女性に案内されながら2人は進む。時折、遼子が和服の裾を踏んで倒れそうになったりという事態もありつつも、3人は「開かずの間」とされた部屋へと迫っていた。


「でも、遼子さん驚きだなっ。久しぶりに来た若が、いきなり昔の部屋を開けて欲しいなんて言い出すなんて。それに切ちゃんも一緒だなんて」


 遼子は嬉しそうに、無邪気に笑いながら言う。切、と呼ばれた新庄はやや照れたような笑みを浮かべている。彼女の切、という呼び方は佐山と新庄がまだ出会った頃、新庄は自らの体の秘密である「時刻によって性別が入れ替わる」という奇特な体質を隠す為に「運切」という名を別けて名乗っていた頃の名残だ。
 今でも、概念戦争に関わりのない遼子には新庄は「切」として通っている。それに対して僅かながら罪悪感を感じている訳だが、それを振り切るようにして新庄は前に出る。


「もう、見てもいいだろうと思ったのだよ遼子。そこに踏み込ませてくれた理由の1つは、新庄君との生活もあってね」
「そうなんだ」


 佐山の言葉に遼子が嬉しそうに言う。新庄は思い出す。遼子はかつて、母が死んだ佐山に対して慰める為に一緒に寝た事があるのだという。遼子は死んだ佐山の父に恋していた。それ故の結果だったと遼子が以前語っていたことを新庄は思い出す。
 その結果、今の佐山を形成する要因の1つにもなったという事を新庄は知っている。佐山の母がいつか佐山に語った「いつか、何か出来る人になれば良いね」という言葉。それが佐山を悪役へと至らせた理由。遼子との諍い、自分が望まれていないのではと言う不安。そして、今、彼が得た場所。


 ――なのはちゃん。


 思わず新庄はその名を呼んだ。自分を除けばきっと佐山が一番に関心を置いている人。佐山と同じでありながら、また別の道を行った彼女。佐山と同じであるが故に世界に大きな影響を与える。
 だがそれは佐山にとって良い影響を及ぼしていると新庄は知っている。それを時に嫉妬する事もある自分に対して自己嫌悪を覚えたりもしたりするが、佐山となのはは自分のような感情は無いだろう、と思っている。


 ――あれはどちらかと言えば戦友みたいな、競い合うみたいな、同種みたいな…。


「ところで切ちゃん」
「ふぇ!? は、はい!?」
「あれ? どうしたの?」
「え、いや、その、考え事してて! だ、大丈夫です! そ、それで何ですか?」
「? そう? …まぁ、いいや。切ちゃん、お母さん見つかったんだって?」
「…はい。新庄由起緒って言います」
「…へぇ、そうなんだぁ」


 遼子の声には、どこか懐かしむようなそんな声があった。普段は無邪気で天然が入った遼子は時としてその雰囲気を大きく変える時がある。新庄はそれを肌で感じ取っていた。


「やっぱりなぁ…。何となく、そんな気がしたの」
「…遼子さん」


 遼子は佐山の両親を知っている。――そしてそれは、かつては共にいた由起緒の事を知っているという事を意味していると。


「いい? 切ちゃん? 尊秋多学院の校定の西側にね? 卒業生が手形のオブジェを残してるの。…そこに由起緒さんの手形もあるんだけどねっ? ――知ってた?」
「い、いえ。知りませんでした…。……教えてくれて有り難う、遼子さん」
「いいのいいの。罪滅ぼしみたいなものだから。遼子さんも尊秋多の卒業生じゃないのに何でそんな事知ってるんだかね。それに、いろいろな事情とは無関係に切ちゃんに良くしてあげたいから。――だから、行こうか。この奧に。遼子さんが案内してあげる。――少しでも知ってる遼子さんが」


 段々と廊下が狭くなっていく。佐山が少し横に身をずらして3人は奧へと進んでいく。新庄の位置はちょうど遼子と視線をあわせられる位置にある。不意に、遼子が新庄と視線を合わせてきた。その眉はやや下げられているのに新庄は気付く。


「いい? 切ちゃん。ずっと昔ね? 遼子さん、すごく嫌な子だったときがあるの。自分が相手にされていないことを逆恨みして、自分を良くしようともせず、プライドから恥ずかしがって相手を追いかけようともせず、ただただ他人を隠れて怨んだときがね。――そんな風にしてたら、皆、周りからいなくなっちゃった」


 それは、普段の遼子とは結びつかない口調だった。悔やむような、それでいて突き放されたような口調で語る遼子の過去。それを語る遼子の口調がそうなるのは、それが突き放された過去だったからだろうか。


「そ、それは遼子さんのせいじゃないよ! 関東大震災で…」
「それでも、遼子さんは悔やむんだなぁ。…どうして最善の遼子さんを見せることが出来なかったのかって。だけどまぁ、そんな思いすらも、恨みの後から出てきたもんなんだけどね。…由起緒さんがいなければ、私達…、浅犠さんと論命さんと私なんかの、家族みたいな付き合いって変わらなかったんだろうなぁ、って」


 その言い方に新庄は想像する。それってつまり、と。過去、佐山の父である浅犠の隣に居たのは…。


「あの…僕のお母さんと、佐山君のお父さん達って、…どういう関係だったんですか?」
「由起緒さんと浅犠さんの手形オブジェは2つ並んでるの。…論命さんhば1つ離れてね。――自身を持って、若。浅犠さんは論命さんを最後には選んだものっ。そりゃ由起緒さんがどっかに行って、結婚報告を送ってきた後だったけど、でも、遼子さんはこう思ってるもの。―――浅犠さんは、残り物みたいに人を選ぶことはないって。遼子さんがそう思ってるくらいなんだから、若ならもっと思って良いよね?」


 新庄は遼子の言葉を受ける佐山へと視線を向けた。佐山の手は左胸へと添えられている。狭心症は彼の体に軋みを与える。だがその軋みを押さえ込むようにしながらも佐山は真っ直ぐに遼子を見る。
 それがまるで返答したかのようだった。きっと佐山はそうした形で遼子に伝え、遼子もそれをしっかりとわかっているのだろう。少し羨ましいな、と言う思いが新庄の胸に宿る。


「切ちゃんは安心してね?」
「え?」
「遼子さんは、切ちゃんと若における由起緒さんいはならないから。昔、若が子供だった頃にそうしようとして、無理だって解ったから。責任とか、面倒だもんねっ」
「…色々と苦労をかけるね。遼子」


 遼子の言葉に佐山は静かに返す。遼子はいいのいいの、と手を振る。彼女の告げた言葉の為だろうか。その言葉がどうしても自分を納得させるかのような言葉にしか新庄には聞こえなかった。
 だが、それを敢えて問うような事はしない。だから、新庄はまだやや震えを帯びていた佐山の手を握るように手を伸ばした。狭心症を抑え付けていた名残のある手を握りしめながら、3人は進んでいく。
 そうして、彼等が辿り着いた先。そこは屋敷の離れにある一部屋。廊下の突き当たり一杯に木の引き戸があり、その前に鍵束を握った遼子が立って振り返る。彼女の普段は浮かべられている笑みは消え、そこには真剣に2人を見つめる瞳があって。


「どー…、してもこのドアの奧を見たいの? 若も切ちゃんも」
「どう答えたら見せてくれるかね?」


 佐山の問いに、遼子は答えない。今度は笑みを浮かべて、ただ沈黙する。新庄は思わず不安を抱く。まさか開けてはくれないのだろうか、と。そんな不安を過ぎった新庄は思わず佐山を見た。
 佐山は真っ直ぐに遼子を見つめている。そんな中、遼子から不意に視線を逸らして伏せた佐山は新庄に向けてこう告げた。


「新庄君。いいかね? ――ここは新庄君の出番なのだよ」
「…ぇ?」


 どうして、と佐山の言葉に新庄の心の中に浮かんだのがまずそれだった。そうして佐山と遼子の顔を交互に見合わせて、そして新庄は思い出す。思い出して、それがまるでパズルのように組み上がっていく。
 どうして、が、まさか、に変わる。思いの変化と共に新庄は言葉を口にする。真っ直ぐと遼子を見据えて。


「――開けて、そして見せて遼子さん。佐山君の許可はもう取ってあるんだから」
「もう取ってある? …切ちゃん、まるで若より偉いみたいだし、まるでこの屋敷の持ち主みたいな言い方するんだね?」
「こういう言い方は嫌だし、今の嫌みったらしい言い方は僕を試しているのだと信じてるからね? 遼子さん。――来たよ。新庄の姓を継ぐ者が。…そう、遼子さんが僕のお母さんに一歩引いたのも、このせいかもしれないよね」


 それは、何故ならば。


「――新庄要あってこその田宮家だったんだから」


 新庄は一息と共に更に言葉を続けた。
 それは過去のお話だ。まだ概念戦争が起きていた頃、つまり戦時中の最中の話だ。遼子の先祖である女性が居た。名を田宮僚という。彼女は戦火に巻き込まれた際、ある一人の男に避難用のバスを譲られ、その命を救われたという。
 その男こそ――新庄要。佐山薫の親友にして、新庄の曾祖父。


「…開けて遼子さん。田宮家の当主が気遣いで封じている過去を、佐山の当主は痛みを感じてても見たいと思っていて、新庄の当主も開け放ちたいと思っているから。…今まで有り難う。新庄という姓を、大事に思ってくれていて」
「――それは、至極当然のことにございます」


 凜、と。遼子が今までの態度を更に変え、着物の袖を左右に払う。風を払うように袖を払えば彼女は身を低く、正座をする。ドアの前で遼子は座した身を一度正して、深く、深く土下座した。


「新庄の先代様は私ども田宮家の由来を知っておられませんでした。後々、どこかへ去った後で佐山翁から聞いたようではありました。ゆえに…田宮家先代、先々代以来、新庄様と向き合うのは初めてになります。――何なりとご命令を、新庄家当主の御方」





    ●





 夜の闇に沈む尊秋多学院。未だ学祭の準備が行われているのか、ところどころ光が灯っている。だが、その世界は偽りであり、だが正しくもあり、やはり偽りである。そこには1つの概念空間が展開されていた。概念空間では震えが世界を揺るがす。
 響く音。それが全ての震えの原因。震えの原因たるのは槌だ。半ば鉄塊と呼ぶべきそれを振り回すのは黒肌の禿頭の男、名をロベルト・ボルドマンという。UCATの一因であり、6th-Gの帰化二世である。その彼の手にある槌の名は「ヴィーマ」。その破壊力は並ではない。彼が槌を打ち付けた先には痛々しいまでの破壊の跡しか残らない。
 そのボルドマンに対峙するのはV-Swを構える出雲だ。出雲の出で立ちは学生姿のままだ。装甲も何もない。代わりにあるのは趙が残した肉体強化や加速の為の符が所々に貼り付けられている。
 出雲の健在の姿を見据えて、ボルドマンは地を蹴った。地を蹴るのと同時に彼は声を張り上げるようにして叫んだ。


「――勝負だ! 六十年前の絶望と、二年前の決着を再びつけ直そう!!」


 破砕する。何もかもが破砕され、飛沫となって吹き飛ぶ。出雲はその飛沫を身に受けながらも回避する。そして破砕されかけた大地を踏みしめて前へと出る。お、と発音から始まり伸びてゆく声は咆哮。V-Swがヴィーマと衝突し、金属音を奏でる。


「そんなにこのV-Swが欲しいのかよ? 人が年末祭の準備してんの邪魔してまで!」
「当たり前だっ!! 6th-Gの決定だ。…1ヶ月前の「軍」突入で解ったこのLow-Gの罪と真実に対し、6th-Gは二年前の交渉の再度執行要求を決定した!!」
「それで二年前と同じように戦うってのか? 丁寧に言うけど短絡じゃねぇですかよ!?」


 出雲がV-Swを上段から振り下ろすようにボルドマンへと向ける。それに対して打ち上げるようにしてボルドマンがヴィーマを振り下ろす。衝撃が走り、周囲に再び衝撃が吹き抜ける。
 出雲は思い出す。まだ全竜交渉が始まる前の話だ。その前に交渉を終えていた6th-G。彼等が恭順する経緯となった戦いに出雲は参加していた。6th-Gは10th-G残党と協力してG-SpとV-Swを強奪しようとしたが、結局、自分と風見の妨害に遭い、自決用の試作型ヴリトラも破壊された事でLow-Gに恭順した。
 当時のボルドマンとも出雲は戦った記憶がある。だからこそわかるのだ。今、目の前に相対しているボルドマンは本気なのだと言う事を。


「Low-Gは、Top-Gという重大な大前提を隠して我々と交渉した!! 二年前の決着と条約は、その大前提が間違っていた! 貴様等Low-Gは我々の庇護者や協力者ではなく、その振りをした大罪者だった!! 我々は大罪者には準じぬ!! 大罪者は大罪者として交渉の場につき直すといい!!」
「ったく、よぉっ! Top-Gが態度を表明したからって慌てすぎじゃねぇのかこのハゲがっ!! だからもう一度って事かよ! あの時の戦いってのを!!」
「全居留地が、その閉鎖の奧で何を考えているか解るか!? このまま大罪者によって不自由な生活を強いられるより、…改めて戦争被害者として訴えた方が得だと!!」


 打撃が再び来る。出雲はそれを押し留めるようにV-Swで防御する。今度はボルドマンの猛烈なラッシュだ。出雲を責め立てるように槌を振り回しながらボルドマンは叫ぶ。


「六十年前、我々はLow-Gに滅ぼされ、多くの仲間達が服従した。それは、もはやこの世界しか住む場所がないということと、もはや戦争を避けるべきだという思いからだった。――また戦争を行えば、この世界と、何も知らずに住む人々を失うことになると。だが、貴様等は、この世界よりもいい世界があることを隠し! 更にはその世界を滅ぼしたことまで隠した! …もしもそれを知っていたならば!!」
「知っていたら、どうなってたって言うんだよっ!!」
「我等は戦う事を止めなかっただろう!! 大罪者に拾われるくらいならば滅びを望むのが6th-Gの心意気! 我等の世界の概念が大罪者を守るために使われるのなど、見ていきたくない…!!」


 ボルドマンが叫ぶ。その声には憤りがあった。あぁ、確かに許せぬだろう。納得がいかぬだろう。だからこそ彼は戦う。それは理解しよう。
 だが、彼の叫びに対してまた憤りを感じる者がいた。吠える。彼は吠えた。そう、今正にボルドマンと応対している彼は腹の底から吠えるように声を挙げてV-Swを振り抜いた。ヴィーマを握っていたボルドマンの手に衝撃が来る。


「おい、ボルドマン。てめぇ、軍の襲撃時の事を覚えてるか?」
「何?」
「ふざけないでくださいってよぉっ!! 叫んだガキがいただろうっ!!」


 出雲の速度が跳ね上がる。何故、とボルドマンが疑問に思う。だが体は咄嗟に槌の柄を短く持ち、コンパクトに振るう事で対処する。V-Swは第二形態へと変じ、加速用の符は腕へと貼り付けられている。それによって動作を高速させているのだ。
 ちぃ、とボルドマンは舌打ちする。その中で出雲は叫んだ。大地をしっかりと両足で踏みしめて振り抜くように大剣を横に凪ぐ。


「俺は難しい事はわかんねぇけどよぉっ!! だけどよぉっ、アイツの言った事が、そうなんじゃねぇのかよっ!!」
「っ、どういう、意味だっ!!」
「認めるぜボルドマン。俺たちが悪かった。俺たちの世界がアンタの世界を滅ぼしたさ。だけどな、俺たちは、それでも生きてぇんだよっ!!」


 出雲の叫びと共に振り抜かれた一閃はボルドマンの両手を痺れさせる。どこにそんな力があるのか、とボルドマンが歯噛みする。加速用の符によって出雲の速度は跳ね上がる。再度、次の攻撃の動作に移りながら出雲は更に叫ぶ。


「復讐したきゃ勝手にしろ! 死にたきゃ勝手に死ねっ! でも、言ってやるぜハゲッ!! 俺は、テメェが嫌いじゃないんだぜっ!!」
「ッ!?」
「だから―――くだんねぇ事に傲っていつまでも後ろ向きになってんじゃねぇぞクソハゲがぁぁああああああっっ!!!!」


 打撃が行った。V-Swとヴィーマが正面からぶつかり合う。その衝撃によって長い間、衝撃に曝されていた出雲とボルドマンの両手からそれぞれの武器が落ちた。
 ヴィーマが地に落ちて飛沫が上げられる。まるで出雲とボルドマンを遮るかのように。そしてボルドマンは見た。打ち上げられたV-Swがゆっくりと自分の方に向かって落ちてくるのを。
 ボルドマンは、無意識に手を伸ばしていた。求めるように、だ。2年前、仲間達と共に欲して求めた世界。そして手に入れる事が叶わなかった世界。それが、今、目の前にある。
 そして、ボルドマンは掴んだ。――だが、ボルドマンがそれを持ち上げる事は叶わなかった。出雲が軽々と振り回していたはずの大剣はまるで信じられないような重量を自分に与えてくるのだ。


「なっ…?」
「6th-Gの概念核の意志は、まだ俺の事を主人だと思ってくれているんだよ。――ボルドマンよぉ、6thの概念核は6th-Gが大好きなんだよ」
「…なら、何故…!?」


 出雲の言葉に疑問をボルドマンは叫ぶ。ならば何故、V-Swはこんなにも重い。自分ではまるで持たれる事を拒絶されているようで。


「お前等の思考は心中で終わり。二年前からそうだ。そして今や、都合悪いことあったら横に逃げようとしてやがる。だがよ、6th-Gの破壊と再生ってのは――死んで終わりとか、横に逃げて誤魔化すことなのか?」
「――――」
「でも二年前はまだ死のうってつもりがあったわな。しかし今やそれもねぇ。二年前なら死んでは駄目だとV-Swが力を貸したかもしれねぇが、今のアンタ等にゃ力を貸すわけもねぇ」
「…それは、二年前、自決しようとした我等を救ったのは…」
「さてね。それは自分で考えろや。…ついでに言っておくと、あの時、俺を連れ出してくれたのは千里だぞ?」


 まるで自慢するかのように出雲は口の端を吊り上げてボルドマンへと告げて。


「俺は千里と生きる。将来設計はバッチリだ。俺の妄想だけどな。だけどよ、俺はその未来を生きる。世界と死ぬつもりもねぇ。悪いところは直して、変えていくんだよ。変わらなくて駄目なら、変わって行かなきゃいけねぇんだよ。ハゲ」


 ぐっ、と出雲は拳を握るのをボルドマン半ば放心して見ていた。そして、出雲が拳を振り上げて――。


「ガキでもそうしてるんだ。だったら大人の俺達がやらなくてどうするんだよ、ボルドマンよ。アイツも――なのはも、そうしてるんだぜ」


 ――拳が振り抜かれた。頬に衝撃が来てボルドマンは吹っ飛んだ。そして手からV-Swが抜けた感触があった。重さが消えた手を宙に彷徨わせながらボルドマンは思う。


(それが、6th-Gのやり方、か)


 自分はこのまま消えたくないと思った。Low-Gに帰化してしまえば自分たちの世界も、何もかもが消えてしまう、と。
 だが、それは違うのだな、とボルドマンは思った。それはきっと、伝えられるもので、消えてしまうものではなく、1つになっていくものなのだろう。
 それは目には見えないかもしれないが、だが、どこかで確かに息づいているものなのだろう。――あの少女が、全ての罪と罰に向かいながらも立ち塞がった姿をボルドマンは思い出す。
 あぁ、確かに、大人げないな。地に仰向けで叩き付けられたボルドマンの顔には苦笑とも取れるような笑みが浮かんでいた。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 17
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/19 13:49
 室内のライトの光が照らすUCATの訓練室。そこで小太刀を振るう影がある。それはなのはだ。運動着に着替えた彼女はMe-Ssiahを起動して型の稽古を続けている。額には汗が浮かび、全身にも僅かに汗ばみが見られる。
 ふっ、ふっ、と規則正しく息を吐き出しながらなのはは動く。まるで息の動きに合わせるように。構え、凪ぎ、振り抜き、振り下ろし、構え、凪ぎ、振り抜き、振り下ろし。連続として繰り返される動作。
 体に染みこませ、それを無意識に覚え込ませる。なのはの額に浮かんだ汗が彼女の動きによって跳ね、訓練室の床へと落ちていく。風を切る音が連続として響き、それは一際大きい動作と振り抜きによって止まる。


「…ふぅ…」


 天を仰ぐようにしてなのはは両目を閉じて息を吐き出した。手にあったMe-Ssiahを強く握りしめたかと思えば、Me-Ssiahは光を生じて結晶体となってなのはの手の内に収まる。なのはは入り口へと足を向けた。そこには自分が持ってきたタオルがあった筈だから。
 だがそのタオルは自らの手で取る前に何者かによって投げつけられた。ふわり、と宙を舞うタオルをなのはは片手で受け取る。そこには白衣を纏ったジェイルがいる。なのはは自然にありがとうございます、と告げて汗をタオルで拭う。


「なのは君」
「なんですか?」
「お客さんだよ」


 お客さん? と首を傾げたなのは。ジェイルの後ろ、そこには一組の男女がいた。その2人になのはは思わず驚く。その2人はなのはがあまり関わる事の無かった男と女だったから。


「…大城至さんに、Sfさん?」


 なのはが確かめるように名を呼ぶ。そこに居たのは全竜交渉部隊監督勤める男、大城至と、その侍従である自動人形のSfだ。なのはの声に2人からの返答は無い。サングラスによって隠された瞳は何を見て、何を考えているのかをなのはに伝える事はない。隠された意志を見据えるようになのはは至と視線を合わせる。


「…私に何か用ですか?」
「少し、な」


 なのはの問いに返ってきたのは、無愛想な男の声だ。至はなのはに視線を合わせたまま肩を竦めて。


「ついでに見てみたかっただけだ。――あの御神恭也の偽物とやらをな」
「…お爺ちゃんを知っているんですか?」
「知りたいか? なら知るな。お前には必要のないものだ」


 むっ、となのはは思わず至を睨み付けた。その顔には明らかな不快の色がある。だがその不快の色はすぐに怪訝の色へと変わる。それは些細な動作だった。至は何故か、右足を庇うような動作を見せたのだ。
 彼の手には杖がある。それは不自由な足を補う為のものなのだろう。そして彼は右足を患っている。だから右足を庇ったのだろう。だが直立している状態で何故庇うような動作が出る? いや、あれは庇っているのではなく、反応した?


「至さん…貴方は…」
「知らん。知らんと言ったら知らんし、知るなと言ったら知るな。知る必要がないと俺が言ったらお前は知る必要がないと頷けば良い。子供はそういうものだ」
「…大人って勝手ですね」
「子供が要らん事をしていることに気付かせてやるだけだ」
「それは至さんの優しさ? 不器用ですね。でも腹が立ちます」


 なのはは、ふぅ、と溜息を吐いて至から視線を逸らす。彼は語らないだろう。だが彼はきっと自分の祖父である恭也と出会っている。そしてきっと戦ったのだろう。その果てに――今の彼の姿があるのだろう、と。
 知るな、と言ったのは、きっと自分がそれに対して何かを思う事をさせないため。自分は祖父には様々な思いがある。だからそこから至るへと何か気をかけてしまうだろう。恐らくそれを、同情と呼ぶのだろう。少なくとも至にとっては。
 ならば、となのはは思う。なら聞かない事にしよう。思って、納得して、それで良い。


「答えは私の心の中に、で良いですか?」
「お前の答えはお前のものだ。俺の答えじゃない。俺の答えでないものをどのような答えにしようとも俺の知った事か」


 なのはは思う。きっと彼は苦しいんだろう。きっと悲しいんだろう。だからその全てを自分に溜め込んで、抱えて消えていくのだろう。そうしなければ立っていられなくなるから。
 じゃないと、泣いてしまうから。泣いてしまえば誰かがまた泣いてしまうから。だから彼は泣かない。あぁ、となのはは思わず声を出す。今、初めて言葉を交わしてなのはは思った。この人はきっと私と同じだったんだな、と。
 だからこそ、理解が早かった。この人がどんな人なのか。そして傍らにいるのがSfなのかを理解した。だからこそなのははどうしようもなく、この人の傍に居たくなかった。そしてそれは相手も望んでいる筈だろう。
 自分には差し伸べられる手がなかった。だから一人、強くなれた。鎧を纏う事が出来た。だが、彼には居たのだろう。差し伸べられる手があって、誰かが励ましてくれて、誰かが一緒に泣いてくれて。それが心を突き刺す刃になろうとも知っていなくて。
 同情するぐらいなら、こんな理不尽すらも消して欲しい。なのははきっとそう思っただろうし、至もきっとそう思ったのだろう、と。


「…私、貴方が嫌いです」
「奇遇だ。俺もだ。俺はクソガキが嫌いだ」
「私も、貴方みたいな大人は好きになれません」


 この出会いは果たして何の意味があるのか? なのはは思う。だが意味を求めるという事になのははこの出会いに自分は意味を持たせようとしているのだと思う。この出会いは決して無駄ではない、と。
 だから意味を付けた。それは反発と拒絶。この人のようにはならない、と。それはかつての自分で、自分が異なった場合の道を行った場合の人で、だからこそ、その人に同情してはいけない。だから、嫌おう。精一杯。


「…ふん。やはりクソガキだな。聞き分けが良い所は評価してやるがな」
「…それで、私に何の用でしょうか?」
「俺は頼まれただけだ。無理矢理な。だから、報せに来ただけだ」


 至の言葉と共にSfが動きを見せた。Sfがなのはへと差し出したのは5羽の折り鶴だ。なのははそれを受け取って折り鶴へと視線を降ろす。その内の一羽はその身を折っている。だが4羽の折り鶴は開いたまま…。


「先ほど、出雲様がボルドマン様に勝利された瞬間にその1 羽は羽を閉ざしました」
「…そういう意味、ですか。しかし、何故それを私に?」
「優等生だからな。だからお前はハブられる。お前が優等生だから誰もお前に話はしたくないものさ。悪事の話などな。だが俺は報告してやる。お前が知って、だが何も出来ずに歯を噛む姿をな」
「…知ってるんですね。私の為そうとしている事を」
「――結局、あの男と同じだからな。お前は。だから俺はお前が大嫌いだ。高町なのは」


 至の言葉と共に、なのはに手渡された折り鶴が反応を見せた。先ほどの話からすればこの反応が示すものは1つ――。


「…世界は、楽しそうですね。至さん」
「あぁ。だが俺はつまらん方が好きだ。――物好きな奴だな」
「それは私? それとも貴方?」
「誰が答えるか。自惚れておけ馬鹿が」


 至の言葉になのはは忌々しそうに顔を歪めて舌打ちをする。しかし、すぐに力を抜いて息を吐き出す。そっと握るのは両手。押さえ込めるように握った両手はまるで祈るかのように似ている。
 至はその姿に何も言わず、またSfも何も言わない。その3人の姿をやや遠目で見ていたジェイルは小さくその口元を綻ばせるのであった。





    ●





 夜空を駆け、行く影がある。それは空を飛翔する。月夜を背後に背負うようにしながら2つ、駆ける。駆けるのは白の装甲服に槍を手に持つ少女。風見だ。風見は行く。相対する影に食らい付くように。また、その影も自分へと食らい付かんと速度を増す。
 出で立ちはまるで魔女。箒に乗る姿と相まってそれは完全なる魔女だ。だが魔女の手の内にあるのは杖ではなく一本の長剣だった。知る者ならばその剣の名をこう呼ぶだろう。――グラム、と。それは1st-Gの概念核を収めた概念核武装。
 風見が相対している相手にして、グラムを有する事を持つ事を許される者。それは実はあまり多くはない。そして風見は相手を知っている。彼女は自分と同じ学校の生徒で、かつては争った事のある相対者であって、そして交渉の果ての味方であり、そして今の敵である。
 風見は名を呼んだ。ブレンヒルト、と。名を呼ばれた1st-Gの魔女は風見へと視線を向ける。その手にあるグラムを風見へと向けて。


「礼を言っておきましょうか? グラムを持ってきてくれて、と」
「別に。必要だと思っただけよ」
「私が動くことを予知していたのかしら?」
「ボルドマンが動いたし、何となく、ね。だから、きっと必要になると思った。これから向き合っていくなら――もう一度過去を見直す必要があるでしょう、そして検証しなきゃいけない」
「そう。Top-Gという存在が判明した以上、私達は決めなければならない。だから、決めるためにここに来たわ。佐山に問うつもりだったけど、そこに貴方が来た。ならば私は貴方に言うわ。――再戦を。私達の戦いが間違いだったのか、正しかったのか。確かめさせて貰うわ!!」


 力と力が激突する。激突の瞬間、風見は眉を顰め、ブレンヒルトは唇を噛む。そして衝撃の勢いを利用して再度、2人は距離を取る。その間際、ブレンヒルトは手にマジックを取る。もう片方の手にはグラム。そのグラムの刀身に彼女は文字を記す。
 今、風見とブレンヒルトがいる空間には概念が満ちている。それは1st-Gの概念だ。文字は力を持つ空間において、ブレンヒルトがグラムに記した文字はその意味を現実とし、力と変える。
 機関銃、と。それを目にした風見は抗議の声をあげるも、ブレンヒルトは止まらない。光の弾丸が風見へと解き放たれる。風見はG-Sp2を握りしめ、加速する。風見の飛翔の速度は速い。故にブレンヒルトの放つ機関銃は当たる事はない。
 弾が追う。風見は飛翔し、前へ行く。風見が通った後には銃弾によって穿たれたアスファルトが無惨に残る。撃ち抜かれた車が引火し、爆音と共に大きな炎を上げた。それに気にする事なくブレンヒルトは更にグラムに一文字を加え、「重機関銃」とする。


「倒れなさい! 風見ッ!!」
「だ、れ、がっ!!」


 ブレンヒルトの叫びに対して風見が吐き出すのは力を込めて一文字ずつ抗いを込めた叫び。背中のX-Wiが光を吸い込み、力と変わり風見に更なる速度を与える。その速度にブレンヒルトは追い付かない、と判断したのだろう。
 グラムを下げ、代わりに傍にいた黒猫へと手招きする。それはブレンヒルトの使い魔だ。


「なに? ブレンヒルト」
「手伝いなさい」


 黒猫の背にブレンヒルトは「加速」と記した。へ? と黒猫が疑問の声をあげたのは一瞬。彼はブレンヒルトによって箒の先端へと投げ飛ばされた。黒猫は悲鳴と共に箒の先端にしがみつく。全身の毛を逆立てるようにしながら彼は叫んだ。


「これはまさしく現在進行形のペット虐待…!」
「何言ってるの。貴方はペットじゃなくて私の家族よ。――今だけだけど」
「だ、だったらDVだよっ!! ドメスティックバイオレンスァァアアアアアアアア!?!?」


 加速する。風を切り裂く音がして、風が身を打つのが身を軋ませる。だがそれでもブレンヒルトは行く。手にした重み、握っている以上、彼女には譲れない思いがある。譲ってはいけない意地がある。
 先行く風見が不意にこちらを見た。頷き1つ、ブレンヒルトもまた頷いた。かつて敵として戦い、味方として戦い、そして再び敵として相対している。そこには単純な敵意や恨みが在るわけではない、もっと複雑なものがある。それを互いに理解しているからこそ、彼女達は告げた。


「「――勝負ッ!!」」


 2人は行く。速度の先、辿り着く果て、決着の向こうを目指して。まるで空に打ち上げられるように2人は空を行く。ビリビリと空気が震え、風の圧迫感、重力の枷が重く体にのしかかる。
 加速のまま空へと上がる。そして両者は互いに空の一定の位置で止まる。上へと向いていた視線は下へと。そこには広がる景色がある。街の灯りだ。人の生活の営みの光景だ。は、と息を呑んだは果たして風見か、ブレンヒルトか、それとも両者か。
 そして夜景に気を取られるのは一瞬、ブレンヒルトと風見が同時に動く。ブレンヒルトはグラムに再び文字を記す。記された文字は「重連追尾円陣弾」。右肩に背負うようにしてブレンヒルトは構える。
 瞬間、グラムの刃先を抑えていた機殻が展開される。それは光を放ち、ブレンヒルトの背後に円陣が開かれる。そこには無数の「・」が穿たれている。風見の疑問は一瞬。ブレンヒルトの円陣から100をも越える数の弾丸が放たれる。


「グラムは1st-Gの全て! 機構など書かずとも、そのものを書けば具現化出来る!!」


 墜ちなさい、とブレンヒルトは無言の圧力を風見へとかけた。風見はG-Sp2で加速するも、追尾弾は振り切れない。風見は空へと上がった体を地上へと向ける。追尾する光の波を引き連れて風見は地上スレスレを飛んでゆく。
 空と違い、地上には様々な障害物がある。風見はその中をすり抜けるようにして飛んでゆく。するとどうだ。風見を追う誘導弾は風見の動きについて行けず、障害物に当たって消え去る。
 だが轟音が連続として響く。風見はG-Sp2を離さない、と言わんばかりに強く握る。身を前に倒すようにして風見は弾を振り切っていく。そして最後の弾が消えた。風見は盾を地につけて滑るようにして着地。


 ――ブレンヒルトは!?


 風見の思考は一瞬。風見は見た。自身の背後。そこにいるブレンヒルトがグラムに「カタパルト」と記すのを。それとほぼ同時に彼女の箒を加速させていた猫の背に「実体弾」と記したのを。


「え、嘘だよね、ブレンヒルト、嫌だよ、僕そんな、散りたくないぃぃいいいっっ!!」


 ブレンヒルトは無言で猫の首を鷲掴みにしてグラムの刀身に添えた。――猫が行った。
その身を弾丸と変え、風見へと迫る。風見は思わず迎撃の態勢を取ろうとして逡巡する。


(…私、猫結構好きなんだよなぁ)


 その迷いは砲撃を止め、代わりの動作を生んでいた。思い出すのは自分の恋人の事。G-Sp2に風見の指から出る血が文字を記す。そう、「対実体弾用金属バット」と。風見は勢いよくそれを振り抜いた。
 振り抜かれたG-Spは寸分の狂いもなく猫をジャストミート。猫は強烈なライナーとなってブレンヒルトへと叩き返される。ブレンヒルトは舌打ちと共に構えを取る。迫る猫の背にマジックが添うようにして。
 マジックが猫の背に記された「実体弾」という字に斜線を消す。無効化された意味によって猫は本来の姿を取り戻す。彼はくるり、と回転してブレンヒルトの背に乗って。


「ね、ねぇねぇっ! 僕、色々と言いたい事があるんだけどいいかな!? いいかな!?」
「えぇ、わかってるわ。実体弾を打ち返すなんて非常識な人間よね」
「血も涙もないのかぁあああああっっ!!」


 猫の叫びは夜空に消えてスルーされる。2人は動く。風見が砲撃し、ブレンヒルトがそれを回避し、今度は砲撃を返す。それを風見は盾で防ぎ、ブレンヒルトへと肉薄する。打撃音。ブレンヒルトのグラムと風見のG-Spがぶつかり合い、響き合う。
 響き合う音は連続する。しかし、段々とブレンヒルトが押されていく。やはり本分ではない事では勝てないか、とブレンヒルトは唇を噛み締める。だから風見が攻めてきているというのはわかる。


「これで、終わりなさいっ!!」


 グラムが弾かれ、大きく振るわれる。それは戻せない、とブレンヒルトは理解した。風見が槍を構え直す、間に合わないだろう、と風見は思った。だからこれで決着と出来る。彼女は半ば確信していた。
 だが、その確信はブレンヒルトが戻したグラムが防いだ事によって覆される。何故? と風見が疑問に思った瞬間、風見は見たのだ。グラムの刀身に書かれているその二文字を。
「短剣」、と。


「最初から、こうしていれば良かったわね」


 淡い笑みを浮かべているブレンヒルト。それは勝利を確信した笑みだ。つぅ、とグラムの先端が風見の腹へと向けられる。ブレンヒルトが記した文字は「八八ミリ砲」、と。
 ぞっ、と風見は自らの血の気が引く音を聞いた。そしてブレンヒルトは笑みを浮かべたまま。


「流石に、この距離じゃ打ち返せないでしょう?」


 そして、砲撃が放たれた。
 響き渡る衝撃音。風見が砲口と自らの間に差し込んだ盾は風見を守るが、だがそれでもまだ足らない。風見はG-Sp2の加速を後方へと向ける。それは衝撃を逃がす為の動作。
 だが、衝撃からは逃れられない。風見は煽られるようにして吹き飛ぶ。不味いな、と思う。今ので体が大分軋んだ。ダメージこそ軽減出来たものの、どこか骨がいかれたかもしれない。
 風見の体は反射で動く。迫る建物の壁を砲撃で破砕してその中へと飛び込む。だが、心は別の事を考えていた。
 負けるのかな、と風見は思った。負けてしまうのだろうか、と風見は思った。ここまで頑張ってきた。真実を知って、自分を強く鍛えて、過ちも越えてココまで来た。だけど、それは今、途方もない大きな過ちによって潰されようとしている。
 負けるのかな、ともう一度風見は呟く。負けたらどうなるのだろう? と考える。そうすればブレンヒルトは佐山の下へと行くだろう。今、佐山は非武装だ。何故ならば彼は田宮家にいるから。
 そんな状態だったら、頷いてはいけないものにも頷かなければならない。アイツなら頷かないかもしれないけれど。だがそれは。


(アイツに、迷惑かけるのよね)


 自分が買って出た戦場だ。なのに敗北し、そのツケを佐山へと回す。あぁ、それは、なんて…。


(情けない事ね)


 力を入れる。、今、自分は握っているのだ。自らの力を。G-Sp2を。ならばまだ。まだ戦える筈だ。いいや、戦える。戦わなければならないのだ。


「――まだ、やれるわよ。G-Sp2。だから…行きましょう」


 風見は見た。G-Sp2のコンソールには「イコウ」と自分を誘う文字が表示されていたのを。風見は望んでくれているのだと感じていた。ありがとう、と。だから、風見は空気を振るわせるような衝撃に咄嗟に行動を取っていた。
 空気を裂いて来るのは砲撃だ。それも無数で、とてもじゃないが避けきれるとは思えない。やってくれるじゃない、と風見は舌打ちと同時に記した。まず、G-Sp2の盾に「床」と記し、手が伸ばせる範囲でペナント風のポスターを拾い上げ、「大当たり」と記す。
 それを宙に放り、身を盾の下に隠すのと同時に衝撃が来た。それは爆砕の音だ。ただそれしか感じられない時間はどれだけ流れただろうか。あの野郎、と風見は思わず悪態を吐く。
 そして、衝撃が止む。辺りには噴煙が待っている。ゆっくりと、風見は息を吐き出した。


「…覚は、勝ったかしら?」


 自分がここに来る前、ボルドマンの呼び出しによって行ってしまった自分の恋人。恐らく、彼も戦ったのだろう。自分と同じように。だから思う。彼は勝ったのだろうか? と。そして、その口元を風見は緩めた。


「そんなの、決まってるわよね」


 だから、さ。


「勝つわよ。G-Sp」


 決着を。風見は晴れる噴煙の先、ブレンヒルトの姿を見た。トドメを刺す気なのだろう。箒とグラムを連結させた砲をこちらに向けている。そこまでやるか、と風見が呆れを思う。だがそれで良い、と風見は思う。
 驚きにこちらを見るブレンヒルト。まるで何故、と問うているようだ。だがブレンヒルトの驚きは更に変わる。自分のした事に気付き、歯噛みしたのだ。


「なかなか格好良いわ、風見。だけど――これで終わりにしましょうっ!!」


 竜砲。グラムに記された文字はその意味を誤る事無く、正しく解放した。風見が飛翔する。砲撃は同時に放たれ、世界は光に包まれた。爆風が街を抉り、吹き飛ばしていく。世界が破砕されていく。
 ブレンヒルトは閃光に瞳を閉じた。やったか? と思う。だが光の爆音の中にかすかな音を聞いた。音を聞いた瞬間に爆発光とは別の光を見た。それは翼。折れず、屈せず、羽ばたいた翼。


「――風見ッ!!」


 風見が来た。そして、そのまま行った。自分の体にG-Sp2を押しつけるようにして空へ、空へと昇り始めた。なんとか間に入れた盾と記したグラムによって圧迫感のみで済んでいるが、それでも気持ち悪い。
 空へ、空へ。高く、高く。昇り行く。眼下の街の景色が段々と遠ざかっていく。肌は寒さを感じ、震えている。雲を突き抜け、なおもまだ高く彼女達は昇っていく。


「風見…っ!!」


 ここが、彼女の翼が届くところなのか、とブレンヒルトは思った。そしてそこから導き出される次の攻撃の解答をブレンヒルトは得ていた。だが、彼女の翼の推力に抗う術を今、ブレンヒルトには得られない。
 そしてブレンヒルトは見たのだ。今、風見は瞳を閉じているのだ。自分の声には反応も見せない。それはつまり、目も見えないし、耳も聞こえないのだろう。それはそうだ。あの衝撃を真っ正面から突っ切って来たのだから。


「…見えるかしら?」


 風見が問う。うっすらと焦点の合わない目でブレンヒルトを見て。


「あそこが、きっと私達の住む街」


 風見が指しているのは、自らの真下。そこには確かに自分たちの生活している場所があるのだろう。ふと、ブレンヒルトは世界を見る。こんな戦いが起きていても、世界は変わらずに光を持っている。
 なんと、小さい。自分も、風見も、世界に比べればなんと些細な存在か。だがそれでも彼等は世界を揺るがし続けてきた。そして、これからも揺るがし続けるのだろう。


「…この、馬鹿女」


 ブレンヒルトの呟きが聞こえたのか、否か。だが、風見は宣言した。


「――行くわよ」


 そして、落下が始まった。既に風見の上昇した地点は成層圏を越えている。ここから落下し、地面へと叩き付けられる。あぁ、とブレンヒルトは内心で呟きを零す。グラムでG-Sp2を受け止め、落ちて行く感覚を身に覚えながら。


(まったく、非常識ね)


 そして、流星のように彼女達は地へと落ちていった。





    ●





 なのはは、ふと、自分が預かった折り鶴を見た。先ほど反応があった折り鶴がその身を畳んでいた。恐らくは決着を付けたのだろう、と。
 その折り鶴から視線を外し、なのはは視線を上げた。外にいるなのはが見たのは、空に1つの流星が落ちていく。白の流星は地へとその身を叩き付けるように落ちていった。


「……」


 その流星に、なのはは何も言わずに背を向けて歩き出した。その手に握ったMe-Ssiahは力強く握られていた…。



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 18
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/23 21:06
 冬の町。その町を行くのは2つの影。それは飛場と美影だ。彼等は飛場の単車を押しながら町を行く。既に時刻は夜。バイクの音は嫌でも耳につくだろう。故に彼等は押して歩いている訳だ。
 飛場がハンドルを握り押して、美影は後ろからサイドカーを押すようにして歩いている。そんな美影を時々気にするように飛場は振り返る。そして決まったように少し眉を寄せて問いかけようとして、やはり何も口にしない。
 美影は特殊な出自の生まれだ。3rd-Gの数少ない人間であり、王族の一員である。3rd-Gは謎の子供の出生率の低下により、年々、その人口を減らしていた。美影はそんな3rd-Gの出生率を改善する為に「進化する自動人形」へと体を移された過去を持つ。
 ここ最近まで彼女の体は自動人形としての側面が強かったが、ご覧の通り人間としての進化を始め、今では歩くぐらいならば一人でも出来るようになり、料理にも手を付けているという。
 それは共に生活し、彼女の傍らにいる者として飛場は喜びを感じていた。だが、喜びを感じるのと同時に言いようの無い寂しさと違和感を感じていたのも事実だった。
 今までは美影は何をするのにも、飛場の存在が傍らにあった。だが、今の美影は飛場を必要としない場面が多くなってきた。それを飛場は嬉しさと同時に違和感を感じて、戸惑っていた。
 先ほどの美影を心配げに見て、何か言いかけてはやめるという行動もそれの現れなのだ。今の美影は一人で何かしようとしている。それを妨げてはならない、と。だからこそ気遣いは過ぎればただの害悪にしかならないと。
 やめてばかりだ。美影に尽くしていた時間が減っていく。それが美影との繋がりを薄くさせているのではないか、と飛場は考えて首を振った。まさか、と。そんな事は無い、と。


(変わろうとしてるんですね。美影さんは)


 新しい自分。新しいことを初めて新しく見えてくる自分。それを変化と呼ぶのだろう。美影は目まぐるしく変化している。自分だけと傍に居た頃と違い、全竜交渉の面々を始めとした多くの人に触れて。
 それは可能性の数々だ。美影には無い、だが美影にも持ち得るかもしれないという可能性の数々。それに触れ、見て、覚え、感じて、美影は変わろうとしているのだろう。
 ならば、と飛場は思う。自分はどうなのだろうか? これからどうすれば良いのだろうか? 自分もまた変わっていかなければならないのだろうか? そうでなければ美影の隣に居る事は出来ないのだろうか?
 思考は巡る。思考に気を取られていただからだろうか、飛場は一瞬、反応が遅れた。最初に気付いたのは美影で、え、と疑問の声を挙げ、そこでようやく飛場も顔を上げられた。そして上げた先に居たのは―――思いがけない人物で。


「…竜美、義姉さん?」
「えぇ。久しぶり。竜司君。ご無沙汰しているわ」


 そこには自分の義姉にして、Top-Gの残党であり、自分の対面存在である竜美が立っていた。
 反射的に飛場は身構えていた。後ろの美影も警戒するように竜美を見た。だが、竜美は構える事なく自然体のまま立っていた。


「争う気はないわ。時期じゃないもの。だけどね、それは遠くないわ」
「…僕は、争う気ないですよ。今も、これからも」
「…どうして?」
「戦う理由が無いじゃないですかっ!!」
「…そう。だから、理由を告げに来たわ。時間がないから」


 そう告げる竜美は笑みを浮かべた。だが飛場は思う。そこにいる竜美の笑顔はまるで、本心から笑っているようには思えなくて。
 …何故、そんなにも泣きそうなのですか、と。声に出したくて、だけど出したら彼女はきっと隠してしまう、だろうと。彼女はきっと泣こうとしない。泣こうとしない理由があるから。
 それは、何となく、もしかしたら彼女の言う戦わなければならない理由なんじゃないか、と思って。


「――Top-Gの崩壊の日、私は一人の敵を殺した。たった一人、されど一人。最初に殺した一人。今でも記憶から離れない人…」


 ぞくり、と飛場は背筋を震えさせた。直感だった。耳を塞げ、と。ここから話す話は自分は聞いてはいけない事なのではない、と。だがそれでも耳を塞ぐ事が出来なかったのは、その理由を知りたかったからという矛盾したもので。


「――飛場竜一。貴方のお父さん…。そう、竜司君。私ね、貴方の仇なんだ」


 そして、飛場は表情を抜け落とした。どこかに置いてしまったかのように飛場は表情を失った。告げられた情報が脳の中に入ってこない。殺した、仇、父、一気に入ってくる単語をようやく噛み砕き、理解出来たとき。


「…嘘だ」
「……」
「…嘘、ですよね? あんな強くてエロかった父さんが殺された? 殺した? 竜美義姉さんが? …嘘だ…嘘だっ!!」


 何でこんなにも自分が否定しているのか飛場にはわからなかった。荒く吐き出した、ひ、と声にならない声と共に吐息を零す。涙が浮かんでくるのがわかった。泣きたい訳じゃない。だが、きっと泣きたいんだろう、と思う。
 だが泣いてしまったらそれは認めてしまう事になるんじゃないか、と飛場は涙を堪えた。そして、見て、見てしまった。気付いて、気付いてしまった。
 竜美は笑っているのだ。それは自分と同じように涙を隠すように笑っているのだと気付いたのは何故なのか。何故、と。何故っ、と。飛場の心は加速して。


「僕と、戦わなきゃいけない理由は…」
「――待ってるわ。竜司君。もう、時間はない。だから…もう少し、我慢するから」
「竜美義姉さんっ!!」
「だから……また会いましょう」


 飛場の問いを遮るように答えて竜美は飛場と美影の横をすり抜けるようにして行ってしまう。待って、と飛場は言いかけて、声が引き攣って出ない事に気付いた。ひっ、と喉を引き攣らせるような声が漏れて、ハンドルを握っている手が尋常じゃない程の力になっている事に気付いた。


「リュージ君…」
「…ひっ……ぁ…っ…」
「……リュージ…くん…」


 あ、と伸びた叫びが飛場の喉から上げられた。ただ、泣きたかった。堪えるように小さく、だがそれでも確かな力が込められた震えた声。零れる涙を拭う事も出来ず、震える体に力を込めて飛場は泣いた。
 その飛場の背に、美影は手を伸ばそうとして、けれど出来ず、唇を噛み締めてようやく彼の手に手を添える事が出来た。だが飛場はそれを意に介さぬまま泣いていた。それが、ただ歯痒くて、寂しくて、怖いと美影は感じた。
 変わっていかなければならないのだろうか。変わらなければ、と急かすように飛場は追い立てられる。理由を得てしまった彼は今は泣く事しか出来なかった。そんな彼に、ただ手を添える事しか出来なかった美影もまた震える事しか出来なかった…。





    ●






「1st、6thは決着は付いた。残るGだが、2ndはその状況から前者の2つのGのように自らの庇護を訴える厳しい。5thはヒオ君を残すのみとなっている。7thもまたこれに準ずる。8thと9thは未交渉。残るは3rd、4th、10th…」
「でも、残ったGの全てが出てくる訳じゃない…」


 ジェイル・スカリエッティの私室。そこのベッドの上に腰を下ろしながら作業机に座り、キーボードをタイプしているジェイルと会話をするのはなのはだ。仕事をする時の癖なのか、ジェイルは作業をしている時は部屋の灯りをつけるのを嫌う。
 だからこそジェイルの私室はパソコンのモニターから零れる灯りのみとなっている。ジェイルのキーボードを叩く音が響き、ほぅ、と言う音が漏れた。


「高町君、2つ、動きがあったよ?」
「何ですか?」
「長田君が飛場君と接触したようだよ。どうやら、彼の父を殺したのは彼女らしいね」
「…もう一つは何ですか?」
「原川君がヒオ君を置いて出て行ったそうだ」
「…原川さんが?」


 なのはが眉を寄せる。恐らく疑問を覚えたのだろう。それは原川とヒオの今に至る関係を知らないからなのだろう。故に、ジェイルは簡単な説明をなのはにした。
 ヒオと5thの関係。5thの全竜交渉の一連の流れ。その中で出会った原川とヒオの関係についてジェイルはなのはに語った。そして恐らく、と前置きを置くようにして。


「大方、ヒオ君に釘を刺したのだろう。幸いな事に彼女は守られるべき立場にある。故に今、Low-G側として立つのは彼女の身を危険に曝すだけさ」
「だから、関わるな、と?」
「ヒオ君はメンタル面に少々難ありだからね…」


 ジェイルの言葉を聞いていたなのはだったが、不意に立ち上がった。目指すのは扉だ。それにジェイルは視線を向ける。


「関わるつもりは無いんじゃなかったかい?」
「えぇ。関わりませんよ。信じてますから。だけど…ジッとしているのが辛くて」


 訓練してきます、と言い残してジェイルの私室を後にしていくなのは。そのなのはの背を見送ってジェイルはふむ、と呟いた。


「…変わらないところは変わらない、か。いや、それがなのは君の本質か。いやはや…本当に憧れるものだね」


 くくっ、と喉を震わせるようにしてジェイルは笑う。そして新たに開いたウィンドゥにはある1つの情報が記されていた。それはまた新たなもう1つの動き…。


「…出雲に境、か。これが最後の過去を巡る旅になるのか」


 そこには佐山と新庄が田宮家を出て、そのまま8th-Gの交渉と新庄由起緒の足跡追う旅に向かったという連絡事項であった。





    ●





 海鳴市、ハラウオン家。暗い室内の中、一人の少女がベッドの中で体を丸めるようにして動きを止めていた。
 息は浅く、その髪には艶が失われ、半ば人形のようにも見える少女の名はフェイト・T・ハラウオン。彼女の瞳は光を移す事無く、ただ暗い部屋を映すのみ。
 彼女は確かに光を失ったと言っても過言ではないのだろう。彼女を救い、導き、共に歩んできた友達を彼女は思いがけぬ形で失ってしまったのだから。そしてその行方も知れず、自分は残された。


「…なのは…」


 わかっている。彼女だけが特別じゃない。自分を思ってくれている人がたくさんいるのをフェイトはわかっている。だが、それでも、それでもなのはが居ないと苦しくて、どうしようもなくなる。
 フェイトにとってなのはという存在はフェイトの心にかなりの存在を置いていたのだ。だからなのはという存在を失った心は一気に欠けて、半ば崩壊へと向かっていたのだ。
 故にフェイトは動かない。繰り返すのは思い出の回想と、後悔の連鎖。このままではいつ自殺してもおかしくないほどまでにフェイトの心は落ち込んでいた。


(――予想通り、と言った所ですか)


 そんな時だ。フェイトの脳裏に誰とも知れぬ声が響いた。え、と思うのは一瞬で、次にフェイトが思ったのは「誰?」という疑問。闇を見つめて反応が無かったフェイトはようやくそこで反応を見せて。
 念話。しかし誰? と疑問に思う。この声の主は自分の知るものではない、と。


(…貴方は、誰ですか…?)
(名乗れません。ただ1つ、フォローはしないとと思いまして)
(…フォロー…?)
(大丈夫。高町なのはは戻ってきますよ)
「えっ!?」


 フェイトは勢いよく身を起こした。すぐに飛び出すように窓へと視線を向けた。だがそこには誰もいない。ただ月が浮かぶ空が見えるだけだ。居ない。だが、でも念話は聞こえていて、確かになのはは帰ってくると伝えてくれて。


(どこに、どこに居るんですか!? 貴方は何を知ってるんですか!? なのははどこに居るんですか!? なのはは無事なんですか!?)
(申し訳ありませんが、ただ帰ってくるとしか言えません。――だから、もう泣いていないでください。高町なのはは望みません。だから、立ち上がってください、フェイト・T・ハラウオン)
(……貴方は…)


 そして、念話が途切れた。あ、とフェイトの呆けた声が漏れ、フェイトはしばらく空を見上げる事しか出来なかった。
 その中、フェイトは見た。空を走る流星を。あ、と声を漏らして流星を見送った後、フェイトはぎゅっ、と胸元に手を置いて、強く握って。


「なのはは…帰ってくる…?」


 それは、希望の言葉。だけど確証も無い言葉。だが、それでもフェイトの心には1つ、響いた言葉がある。
 涙を拭う、拭って、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そして勢いよく両手で頬を叩いて瞳を閉じる。自分を落ち着けるようにしてフェイトは息を吐き出して。


「…なのはは、私が泣いたら困ってくれるかな?」


 …きっと、困ってくれるんだろうな。だけど、それは嬉しいけど…。
 嫌だな、と思う。自分は泣いてばかりじゃきっと駄目だ。なのはに頼ってばかりじゃ駄目だ。弱くて、泣き虫で、すぐにふらついてしまう自分だけれども…。


「…なのは…なのはは、今、何してるの…?」


 どこに居るかもわからない親友。だけど、なんとなく想像出来るのは何かに対して一生懸命に、真っ直ぐ向き合っているだろうその姿。
 並びたいな、と思う。その背中に追い付きたいな、とフェイトは思う。自分と向かい合って、助けになってくれたあの時から、彼女と肩を並べたい。友達でいたい、と。


「…頑張らないとね」


 帰ってくる、と。それなら、信じよう。信じられるものじゃないけど、でも、なのははきっとここで足を止めていると喜びはしないだろうから。それは、やっぱり自分も嬉しくはなくて。
 よし、と思うとフェイトの腹から抗議を上げるように腹の虫が鳴いた。しばらく立ち尽くしてフェイトは頬を朱に染めた。そういえば最近、まともにご飯を食べていなかったか、と。
 朝食はもう少ししたら母さんが作ってくれるだろう。あぁ、その前にお風呂にも入ろう、と自分の腕やら髪の匂いを嗅いでフェイトは思う。自覚すると羞恥心が湧いてくる。そうしてようやくフェイトは動き出すのであった。





    ●





「あまり勝手な事をされても困るのだがな…」
「これぐらい良いでしょう?」


 海鳴の空を行く影がある。それは金髪の女性と、それに並ぶようにして飛翔するトーレだ。トーレの顔にはやや呆れの顔があったが、すぐにふぅ、と溜息を吐き出して首を振った。


「主人と良い、お前と良い…何だかんだ言って強情だな」
「主従というのはきっと似るものなんですよ」
「それはペットの話だろう」


 トーレはやはり呆れたように女性へと告げる。女性はそれに、はは、と小さく笑い声を漏らしたが、すぐに前を向いて。


「私なりの誓い、です」
「誓い?」
「えぇ。必ず…主は彼女の、彼女達の元へ帰らせる、と。それが私の誓い。だから私はマスターを守ります。それが、この体を得た意義であり、変わらぬ私の願いでもありますから」
「…その再確認、と言った所か?」


 えぇ、と女性は笑って返す。そうか、とトーレも笑って返して。2人は前を見据える。もうすぐ夜は明けようとしている。その光を見つめながら女性とトーレは目を細める。


「…行くぞ、もう少しで私達の出番も来る」
「えぇ、決着を付けにいきましょう。居場所を、守るために」
「あぁ、そうだな…――」





 ――レイジングハート。





     ●





 闇に紛れる影があった。もう少しで日が明けるだろう、という時刻。その姿を隠すように闇の中に向かうのは鋼鉄の巨人だ。
 鋼鉄の巨人が去った後には惨たらしい血の後が残る。そして足音は響く。1つ、2つ、いや、もはや数えるのも億劫な程の鋼鉄の巨人は歩いていく。ただ1つの目的を求めて。


『モウスコシダ』
『コロスノダ』
『コロサナケレバ』
『コロソウ』


 呟かれる言葉は1つの意志を以て纏められ、闇に紛れていく。世界は着実に決着への道を歩み始めていた…。





 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 19
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/27 00:47
 人よ。過去を知りたまえ。
 人よ。過ちを知りたまえ。
 人よ。原罪を知りたまえ。
 人よ、そして君は絶望するかもしれない。
 だが、人よ。おぉ、人よ。
 人よ。未来を望みたまえ。
 人よ。正義を望みたまえ。
 人よ。贖罪を望みたまえ。
 人よ、そして君は希望を抱くだろう。
 いざ、人よ。あぁ、人よ。
 さぁ、遡る力に抗う力はあるか?
 さぁ、自らを望み行く心はあるか?
 さぁ、世の流れに逆らう意志はあるか?
 人よ、あぁ、おぉ、人よ。人よ。君は今、何を望み、ここに居て、その先を目指すのか。
 終わりか? それとも、始まりか?
 それは同じにして異なり、正しくて否定されるだろう。だが、それは起源である。
 行くのか人よ。その道を。それは誰もが1つずつ持つものであり、そして、同じ物であることを。
 人はそれをこう呼ぶのだろう。――明日、と。





     ●





 その日、空には無数の影が行く。
 その日、地には無数の影が這う。
 その日、世界は静かに震えていた。
 水面の底、水底で世界は水面を食い破ろうと荒れ狂う者共。権益か、欲望か、展望か。彼等は望むは先へと進む意志と夢。


『各隊に告げる。我々の目標はTop-Gの代表の使いである「高町なのは」という少女だ』


 概念を用いた通信を行う者共。彼等はターゲットである少女を確認した。まだ幼いその少女の容姿に誰もが息を呑み、手を震わせた。その反応を見越してか、彼は言葉を更に続けた。


『惑う者もいるかもしれない。だが、これは我等の為、そして世界の為だ。全てを救うなど望む事は愚か極まりない。それは神の領域だ。我等は人だ。だが、人故に神は越えられず、だが越えてゆく為の道を行かなければならない。その道はこの少女の死で彩るのだ!!』


 おぉ、と。あぁ、と答える声がする。世界を憂う者、権益に瞳を輝かす者、それぞれがそれぞれの夢を抱き、空を、地を行く。
 迫るのはUCAT本部から外れた山中。リークされた情報によると高町なのははそこにいるらしい。何故、とは問われても、命令の一言で押さえ込まれる。世界の為だという言葉に罪悪感を打ち消す免罪符とする。
 その者共を見つめる指令は冷たい微笑を浮かべた。くるり、と背に預けていた椅子を回転させる。その指令が振り返った先、そこには一人の男がいた。そして男の両手両足は縛り上げられている。
 男は歯軋りした。その瞳には隠しきれない屈辱の念が見え隠れし、半ば憎悪に近いものになっている事だろう。故に吐き出される言葉は低く、ドスの入ったものとなっている。


「…貴様…」
「怒らないでいただきたいな。中国UCAT代表」
「…その姿で言葉を口にしないでいただきたい。偽物」


 偽物、という言葉に唇を笑みに歪ませて指令を下していた男の姿が変わる。姿が変わった男は一人の女性となる。緑色の髪を揺らし、自らの手を口元に当てるようにしてクスクスと笑って。


「失礼。これでよろしかったかしら?」
「…何が目的だ? これは罠か? 日本UCATは随分と姑息な真似をする」
「いいえ。UCATは関与していませんわ。これはあくまで私達の願い。そのために貴方たちが邪魔であり、そして必要なのですよ」
「必要? 何を必要だと言う」
「提示するのですよ。未来への道を。世界を変えるのは、冷たい方程式などではない、いいえ、そもそも、ロジックでさえないという事ですよ」


 では、と女性は画面へと視線を戻した。


「もっとシンプルで、単純に。そうでありたいと願う事なのですから」





    ●





 そこは奥多摩の山中。山から川が流れる地。森を別つように流れる川の中心。そこに一人の少女が川の岩場の上に座っていた。その少女とは高町なのはだ。身に纏うのは普通のコートの出で立ちだ。
 ただ雪の降り積もったその地にてなのはは座っていた。瞳を閉じ、寒さを堪えるように息を吐き出す。その耳には携帯電話が当てられていて、その向こうの声の主はヒオのものだった。
 鼻を啜る音が携帯から聞こえる。どうやらヒオは泣いているようだ。それに応対するなのはは眉を動かさない。ただ静かにヒオの話を聞き入っていた。突如、前触れもなくかかってきた通話になのはは驚く事はない。


「…なるほど。大体の事情はわかりました」
『…なのはちゃん。私、どうしたら良いのかもうわからなくて…』


 電話の向こうから聞こえてくる声はとても情けなく、弱々しい声だった。だがなのははそれを責める事ではないと思う。そして思う。それはきっと昔の自分なのだから、と。
 ヒオの話を纏めると、原川が出て行った。それはヒオにこれ以上、全竜交渉に関わらないように忠告しての事であった。そして原川は出て行った。ヒオを一人残して。
 ヒオは不安なのだろう。原川が出て行った。原川が離れていった。原川は自分を押し留めようとしている。危険だから、と。だがそうされては自分はどうすれば良いのだとヒオは嘆くのだ。
 自らは望む場所がある。だがそこはとても危険な場所で、原川も行くなと言い、そして彼は出て行った。だからこそ何をして良いのかわからなくなる。原川に傍に居て欲しい、だが、それでも一緒にいられなくなってしまう。現に今、原川はヒオの隣にはいなくて。


「…ヒオさんは、原川さんが好きなんですね」
『え? あ、その、……ぇと』
「ねぇ、ヒオさん。ヒオさんはさ、誰かに何かを望みたいですか?」
『…え?』
「原川さんと一緒にいて欲しい? じゃあ、原川さんがうんと言えばヒオさんは満足?」
『……一緒に、居て欲しいですわ』
「じゃあ、そう望む原川さんが望むヒオさんは、今のヒオさんでいて欲しいんですか?」
『…そう望む原川さんが、今の私で…?』
「ヒオさんはさ、原川さんにどんな自分を望むの? 原川さんにどんな人物を望んで欲しいの? それはきっと原川さんがヒオさんを突き放した理由に繋がると思う」
『…私が、望むもの…望んで欲しい物…』


 電話の向こうでなのはの声を反芻するようにヒオは呟く。その呟きを聞いていたなのはだったが、不意に、眉を寄せた。目を細め、全身に力を入れる。


「ヒオさん、ごめんなさい。ちょっと用事入りました」
『え? なのはちゃん?』
「大丈夫ですよ、ヒオさん。きっとヒオさんなら見つけられますよ。ヒオさんも全竜交渉部隊の一員ですよね? なら、大丈夫です」
『――――』
「だから、探してください。きっと答えは見つかります。見つかれば踏み出せます。だから、諦めないでくださいね」
『あ、なのはちゃ―――』


 ぶつり、と携帯の通話が切れる音が響くと同時に響く甲高い金属音。なのはへと放たれたのは一発の銃弾。それを防いだのは―――淡い桜色の魔力光の障壁。川にぽちゃん、と音を立てて落ちたのは1つの弾丸。そこから導き出される解答はただ1つ。
 なのはがふぅ、と息を吐き出す。奇襲には備えていた。下手な攻撃なら自動防御で用意に防げる。Me-Ssiahをそっと撫でてなのはは思う。さて、と。
 その瞬間、森を掻き分け、迫る装甲服の集団。そして空より飛来するのは武神と機竜の群れ。世界各国から集った戦力。全竜交渉を疎う者達。なのははゆっくりと頬を持ち上げた。笑みの形に、だ。


「…既に世界は解答の出し方を選び出しました。だからこそ、不要な式は要らないのですよ。だから…―――もう止めませんか? 世界は皆、全ての遺恨を消し去ってハッピーエンド。その終わりの何に不満があるんですか?」


 なのはの問う声に答えは返ってこない。なのはに奇襲は通じないとわかったのだろう。だからこそ、全兵力を持ってしてなのはを殲滅するつもりなのだろう。無言で構えられる武神や機竜の火器がなのはへと照準を向ける。
 なのはは動かない。ただ静かにその場にあるだけだ。その表情には余裕が見て取れる。それに薄ら寒いものを感じた者もいたが、それでも攻撃は放たれた。一斉に放たれた火器はなのはへと火を噴く。
 そして世界は爆音に包まれた。なのはは動かなかった。そして彼女は全ての火器をその身に受けた。周囲を囲んだ兵は緊張に息を呑む。まさか、と思うものが大半だったろう。目の前の爆発を受けても尚、生きていられる人間が居るわけがないと。
 舞い上がる粉塵。そして―――声がした。


「――選びましたね? 貴方たちは最後に選んでしまった。でもそれは私の所為だから」


 それは少女の声。それは謝罪の台詞を紡ぎ、装甲服に酷似した衣装を纏ったなのはが粉塵を吹き飛ばすように姿を現す。その手にはMe-Ssiahが起動し、握られている。
 身構える兵を前にして、なのはは憂いを帯びた顔のまま、静かに頭を下げて。


「好きなだけ怨むと良いですよ。全ては、私の意のままに。世界の答えは全竜交渉部隊の手に。だから、私は謝らない」
「何…!?」


 疑問の声は一瞬。誰かが気付いた。世界が明るさを得ていたのだ。その明るさはまるで太陽が近づいてきたのではないか、と錯覚する程の明るさだ。何が、と誰もが空を見上げて、見たのだ。そこには小型の太陽があるという事に。
 光の発生源、そこには一人の女性が居た。レイジングハートだ。なのはと似たような装甲服を象った衣装を纏い、黄金の赤き宝玉を付けた槍、かつての自分自身であったエクセリオンモードと酷似したものを構え、狙いをつけるように定める。
 レイジングハートの持つ槍から光が溢れて荒れ狂う。おい、と誰かが呟いた。そんな彼等に対してなのはは憂うような表情のまま、口元だけを笑みに変えて。


「――ここで、朽ちてください」


 その台詞と共に―――上空の女性、レイジングハートは槍に装填された弾倉からカードリッジを排出していく。それはただのカードリッジではなく、概念を封じた賢石を封入したカードリッジだ。


・――光は力を持つ。
・――文字は力を持つ。
・――名は力を与える。


 展開される概念。魔法陣に刻まれた文字が力そのものを持つ。それによって増大した出力が更に太陽を輝かせる。その輝きが力となりて循環される。駄目押しのように付け加えられた2ndの概念がその名の意味通りに力を与える。


「スターライト…ブレイカァァアアアーーーーーーッッッッ!!!!」


 そして、世界を砕く星光が大地へと向けて放たれた。





    ●





 誰もが直感した。その光に呑まれれば己の命など容易く砕けてしまうだろう、と。だから誰もがその光に魅入られた。太陽が降りてくる。正にそんな錯覚を抱くような光量だった。それは世界を確かに呑み込んだ。
 そう、光は確かに世界を呑み込んだ。そして、ふと気がつけばいつもの空を見上げていた。何故? と誰かが思った。それは誰かの思いであるのと同時に、大多数の者達の思いであった。
 武神や機竜は墜落し、一機残らず地に付しているが、それでも死した者は一人もいないようである。体は痺れたように動かない。痛みはある。体を動かすだけで走るような痛みだ。
 だが、誰一人として命を奪われた者はいない。何故? と誰かが思う。その誰かの思いに答えるように彼女は答えたのだ。


「…謝りません。だから好きなだけ怨んでくれて良いです。でも――それでも私は望む世界がある。結果がある。だから、ここで倒れてください。私の望む世界の為に倒れてください。ただ、それだけです」
「…は、傲慢だな、君は」


 なのはの言葉に応えた男は隊長格の男だった。彼はスターライトブレイカーを直撃した痛みを堪えながらなのはを見上げて。口から出るのはどこか辿々しい日本語だが、なのははそれを確かに聞く。


「認めよう。俺たちは俺たちの利権や利益、そんなものしか見えないのかもしれない。だがな? やっぱりよ、我が身が可愛いし、全世界の遺恨を受けても尚、それでも世界を救えるって思ってられるのかよ…!?」
「……」
「答えてくれよ、少女よ。お前達、日本UCATが作ろうとしてる世界ってのは本当に成功して、そこには本当に芳醇な世界が待っていてくれるのか…!?」


 男の問いになのはは瞳を伏せた。確かに、この世界は数々の遺恨を受けてきた。世界を滅ぼし、芳醇であった世界を隠し、更にその世界すらも滅ぼし、その世界の残した遺産を今、自らの世界を救う為に使おうとしている。
 それが本当に許される事なのか? それは本当に成功する事なのか? 知らないが故に彼等は不安になる。そこに情報としてしか知らない彼等だからこそ疑心暗鬼を呼び、その選択肢を疑問視してしまう。


「…確かに。この世界の遺恨は並のものじゃない。普通だったら、消してしまえば楽なものかもしれない。――でも、だからなんだ」
「…何?」
「私は知っている。世界の為に命を賭けてでも良くしようとした人達を。そしてそれを託された人達がいて、私もまたその一人だって。願ったんだ。悔しくて、苦しくて、辛くて、それでも歯を食いしばって世界を救おうとした。そんな人達の思いが、私が受け継いだものが…私の心に命じるんだ」


 胸元を掴むようにしてなのはは告げる。伏せた瞳をゆっくりと開き、男を真っ直ぐに見据えて。


「叶えるよ、って。越えてゆくよ、って。願われたものを叶えて、為しえなかった事を成していきたい。そこに未来があるって信じて散っていった人達の思いを、願いを、私は裏切りたくないと思って、それを自分の思いにしたいと思ったから」
「その先が本当に世界があるというのか…!?」
「無い訳が無いよ。――だって、皆、そう望んだんだから。その結果を得るために、皆が皆、悪役になって引き受けて、数々の痛みを残して、今、こうしてそれを引き継ぐ為の私達がいる。越えていく為の私達がいる。今よりももっと新しい、芳醇な世界の為に」


 だから。


「生きてください。その世界を私はなんとか作ってみます。その先はきっと世界は大変になって賑わうと思います。そうしたら…今よりももっと新しい何かが見えてくると思います。過去を消すんじゃなくて、過去すらも抱いて新しい場所にいける、って」
「――――」
「私は、所詮子供ですから。政治もわからない。大人の都合も事情もわからない。ただ望む力があって、欲しい世界がある。その欲しい世界を得た後は、きっと私は何も出来ないから。その先には大人が必要です」
「……君は」
「ワガママを言うのは、子供の特権ですよね? 夢を大きく見るのも子供の特権ですよね? だから、私はどこまでも大きな夢を見て、その世界を叶えて見せます。その為に生まれて来た、その為にここまで望まれて、引き継いできたんだと私は思うから。その大きくなった世界を纏めていくのはきっと―――楽しい事だと思いませんか?」


 なのはは笑みを浮かべて告げる。そして沈黙が流れた。
 それは何をキッカケにしてだったか。一人の笑い声だった。忍ぶように笑った声。誰もがその声に集中した。笑ったのはなのはと会話を交わしていた隊長格の男で。


「…おい、皆。覚えてる限りで良い。昔の夢を言って見ろ」


 隊長格の男の問いが響く。暫く沈黙していたが、小さく答える声が来た。


「…俺、昔、宇宙飛行士になりたかったぜ」
「俺、正義のヒーローになりたかった」
「マンガの主人公みたいになりたかった」
「俺、こう見えてもパティシェ希望だったんだぜ?」


 少しずつ声は増えていく。その声を耳にしながら男は言う。


「…その夢は、でかかったか?」
「……」
「その夢は叶わなかったものが多かったな?」
「……」
「でも、本気で叶えようとしている奴がいるんだとよ。俺たちが願った願いよりも明らかに大きくて傲慢な願いを持ってる癖によ。俺ぁ、言ってやるよ。んなもん無茶だ、ってな。――でもよ、もしも叶ったらどうよ?」


 なぁ、と。


「俺たちも、まだ、なんか夢見て良いみたいだぜ?」





    ●





 レイジングハートのスターライトブレイカーを受けて打ち倒された軍勢を映すモニター。そこから笑い声が小さく、だが次第に大きくなっていく様をドゥーエは見ていた。その瞳はただなのはへと向けられていて。
 ふと、不意にドゥーエの隣で動く気配があった。中国UCAT代表の男だ。彼は呆れたように溜息を吐き出しながら画面を見つめている。


「…夢、ですか。そんなもので生きていけるならば人は苦労はしない」
「そうですね。世界は決してそんな優しいものじゃない。――だけど、見てて思いませんか? この世界はもっと優しくなれると」
「……」
「今以上に世界は芳醇になれるかもしれない。そうすれば夢見る場所は増えていきますよ。そうすればもっと世界は動くでしょう。荒れて、過去以上の遺恨が生まれるかもしれない。だけど、その分だけの希望も見えてきませんか?」


 クスッ、と小さく笑い声を浮かべてドゥーエは隣に座る男へと視線を向けた。その視線を受けて男は小さく息を吐いて。


「…子供のような人だな。貴方は」
「見た目通りの年齢ではありませんから」
「…あの人と同じ…いや、それでも逆か…」


 何気ない呟きが零れ、沈黙が流れた。不意に男が動きを見せた。既にその身の束縛は解かれ、ポケットに手を伸ばした。そこには煙草が入っていた。それを一本口に咥えて。


「…一本、よろしいかな?」
「えぇ、どうぞ」
「谢谢」


 煙草に火が付けられ、煙が上がっていく。口からふぅ、とゆっくりと煙が吐き出され、また口に煙草を咥える。その間、ドゥーエと男の間には会話は無くて。


「私は、昔、英雄になりたかったのですよ」
「…そうなんですか?」
「私の国は大家族主義です。私の姓も多くあるもの。――それ故、あの人は輝いて見えた。あの人のようになりたかったと私は思ったのですよ」


 不意に男が胸元からロケットペンダントを取り出した。そこには幼い、男だと思われる少年と、その少年を抱き上げる少女の姿だ。その少女の姿をドゥーエは横目で確認して、男からモニターへと視線を向けるようにして。


「…いつから、私はあの人から目を背けるようになっていたのでしょうかね」
「…夢の終わりを知ってしまったからではないからですか?」
「…そのようなものでしょうか?」
「…でも」


 でも、とドゥーエはもう一度繰り返すように呟いて。


「その人の見ていた先はきっと――あの子と同じだと思いますよ」


 モニターには笑い声が響いていた。大きな声だ。いつの間にか小さな笑い声は大きなうねりとなって皆を笑わせていた。その映像を見ていた男は小さく、ふぅ、と息を吐き出して。


「…まだ、私も若いという事ですかね?」
「まだお年には見えませんけど?」
「…目を背けたつもりでも、彼女の後を追っていたのでしょうね。だから私はこの地位にいる。諦めを抱いても、諦めきれずに夢を追って…」
「…後悔されますか?」
「していたかもしれません。けど、今は…」


 モニターを見て、彼は小さく口元に笑みを浮かべて。


「後悔せぬ結果が、望めるかもしれませんね」





    ●





 なのはは見ていた。笑い合うその人達を。希望を抱くその様を。それはきっと良かったと思って良いのだろうか、となのはは思う。この光景は喜んで良いものなのかと思う。結局、力を見せ付けて、抑え付けたようなもの。
 心は軋む。過去から形成された心は軋みを上げるも、なのははそれを僅かに身を折って抑えるように胸元を握る事で堪える。そんななのはの肩に手を置いたのはレイジングハートだった。
 彼女は淡く微笑む。まるで心配ない、大丈夫、そう告げるかのようで。なのはもそれに応えるように笑みを浮かべた。


『なのは君』


 そこに、不意に声がした。ジェイルの声だ。通信機から聞こえてきた声になのはは顔を上げて。


『お出ましだよ』


 そして空。風を切り裂いた。飛行するのは無数の武神の影。その姿は醜悪にして同一。音に気付いたのか、誰もが空を仰ぐ中、奴は来た。肩には「蚩尤」の文字が見えたのをなのはは見逃さなかった。
 武神は滞空を続けながらその数を集めていた。誰もがその武神の姿に目を奪われていた。その数は既に100に達しようとしている程の大規模なものだったからだ。なのははそれを細めた目で見据えて。


「…来ると思ってた。これだけの人が集まり、そしてなおかつ私がいる場所。ジェイルさんの計算通りだ」
「マスター…」
「…うん。行こう。レイジングハート」


 なのははMe-Ssiahを握る。そんななのはを心配げに見つめた後、レイジングハートは瞳を伏せて深呼吸する。そして息を吐き出し、杖を勢いよく振り抜くと同時に。


「Tes.! My Master!!」
「うん、行くよッ!!」


 Me-Ssiahとレイジングハートの持つ槍が輝きを帯びる。瞬間、世界は隔離された。概念空間とは異なる魔法による封時結界。それはなのはとレイジングハートを中心に広がっていき、残されるのはなのはとレイジングハートと、蚩尤の群れ。


「――終わりにしよう。ここで、全部!」


 因縁を巡る戦いに、終止符を穿つ為に。なのははMe-Ssiahを振り抜いて叫んだ。


『タカマチ、ナノハァァアアアアアアッッ!!』


 応えるように蚩尤から声が響く。幾多ものの武神に名を呼ばれるのは怖気の走る光景ではあったが、なのははそれでも臆さない。Me-Ssiahを羽根を広げるようにして構える。 その背後でレイジングハートが立つ。彼女は槍を回して、瞬間、槍は光となって消え去る。残されたのは赤の宝玉。それはレイジングハートの胸元に呑み込まれるようにして消えて。


「マスター…我が力は貴方と共に!! 我が身、新たに得た力と共に!!」
「うん…。うん…っ! 行こう! いいよ、レイジングハート!!」


 なのはの声に答えるようにレイジングハートが頷く。


「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放たん。風は空に、星は天に、そして不屈の心は主と共に…」


 レイジングハートが謡うように告げる。さすればレイジングハートの体は光を帯びていく。レイジングハートの全身に光の線が走り、なのはとレイジングハートの足下に魔法陣が描かれる。


「我、主と共に在りし不屈の心にして、潰えぬ明星なり!!」


 レイジングハートの放つ光がその光量を増し、レイジングハートの纏っていた衣服が光となって消える。その光は次第になのはの方へと集束していき、なのはが両腕を広げた状態で叫んだ。


「レイジングハート・ルシファーッ!!」


 それは、新たな身を得た彼女の名。そして―――。


「「ユニゾン・インッ!!」」


 光が爆発するように辺りを照らした。桜色の光。爆発した光を突き抜けるようにして空へと昇るのはなのはだ。
 瞳は赤紫へと、茶髪の髪は薄い金色へと変わっている。更に風貌も変化が見られる。バリアジャケットの上に鎧を纏っているようにだ。赤い宝玉が埋め込まれた胸部装甲、スカートのようにアーマーが左右に展開される。腕部には手甲。脚部には鉄靴。
 そして背にはバックパックがついている。長い砲筒と翼がつけられたものだ。翼がゆっくりと広げられる。それはまるで武神の翼にも似ている。翼が開くのと同時に翼から桜色の光が溢れ出し、なのはを空へと押し上げる。


『カウリングデバイス・タイプユニゾン『レイジングハート・ルシファー』とのリンクを接続。システム良好』


 Me-Ssiahからの機械音声になのはは、ん、と小さく応える。


「――さぁ、行こうか、レイジングハート!!」
『Tes.!!』


 鋼の翼が羽ばたく。それに合わせて蚩尤の群れも動き出した。桜色の残光を残しながらなのはもまた蚩尤へと突撃した。




 



[17236] 第2章「終焉の鐘は鳴り響く」 20
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/07/04 12:02
『一度地に塗れたからといって、その追放によって天界を空にしたほどの強大な軍団が、死力を尽くし再び空に昇り、故郷を再びこの手に取り戻せないなどと、誰が信じられるだろうか?』――ミルトンの「失楽園」より。





 誰が信じられるだろうか? 人の身で神を打倒する者など。
 誰が信じられるだろうか? その者はかつて全てを失う程の絶望を得た者だと。
 誰が信じられるだろうか? その者は未だ年若く、まだ約10年程しか数えていないと。
 誰が信じられるだろうか? 否、誰も信じられぬ。それはあり得ぬ事だ。
 だが、しかし。
 現実は乗り越える為にあるように。
 理想は叶える為に存在しているように。
 夢は現へと。幻は実へと。彼の者は塗り替えていく。誰の意志も正否も問わず、誰の真偽を意図せず、ただ己の意志と力によって道を切り開いていく…。
 空に閃光が走った。桜色の光尾だ。光の尾を引いて飛んでゆくのは翼を広げた天使。否、堕天使と呼ぶべきなのだろう。その名、その経歴、彼女の意志、夢、願望、全てを含めてそれは堕天使と称されるべきものだろう。
 天使とは本来、神の使いとされている。神の意志に従い、神の代行者として従う。ならば堕天使の意とは反逆する事にある。それは神に対してであり、更に自分という存在に対してでもあり、世界に対してでもあり。それは自らの意志で世界を作っていく神の所行に相反する大罪。
 その堕天使の中でもかの有名な魔王である「サタン」と同一視され、更に明けの明星という偉大な名を冠する偉大なる堕天使の名を象る相棒を引き連れた彼女は正に堕天使と言うべき在り方をしている。
 世界の全てに反逆してでも、彼女には守りたい者があり、譲れない物があり、叶えたい願いがある。だからこそ臆せず、彼女は空を舞う。その背に一度は折れ、されどかつての輝きを越える翼を背に。


「Me-Ssiahッ!!」
『Divine Saber』


 なのはの呼びかけに対してMe-Ssiahはタイムラグをほぼゼロにして応える。桜色の光剣。その名に込められた意味は神断つ剣。Me-Ssiahの弾倉にシリンダーが装填される。瞬間、世界に概念条文が追加される。

・―――名は力を持つ。


 名は力を与える。神を断つ剣と意を定義された剣は迫る蚩尤をあっさりと切り裂いていく。だが以前のように光は力を持つ概念を追加していない為にただ切り裂く事しか出来ない。
 だがそれで十分。なのはは空を舞い、迫る蚩尤に真っ向から向かっていく。拳が来ればその拳を避け、その腕を走るように踏みけり、間接部を狙って刃を突き刺す。突き刺せばそのまま翼を羽ばたかせて突き破る。
 鈍い音を立ててまた蚩尤の腕が一本落ちた。その度に無数の蚩尤から叫び声が聞こえる。なのははそれに意を介せずに次の蚩尤へと飛びかかるようにして翼を羽ばたかせる。
 だが相手もただ黙っている訳ではない。なのはに対して降り注ぐのは銃弾。そしてミサイルだ。


『Valkyrie Cape』


 それに対してなのはが展開するのはなのはが纏っている鎧から展開される障壁だ。戦女神の羽衣の名を冠するその鎧は魔力こそ食うものの、その防御力は高い。だがそれでも攻撃を受け止めれば衝撃は来る。
 銃弾を受け止める衝撃になのはは眉を顰める。完全に防御が出来ている。出力に関しては問題ない。むしろ絶好調な程だ。リンカーコアは問題無い。だがそれでも耳を劈くような音を衝撃はやはり不愉快だ。
 銃弾は受けるなのはだったが、流石にミサイルほどとなると真っ直ぐに突っ込むのは迂闊。――だからこそなのはは翼を羽ばたかせる。森に突っ込むように地上へと落下していく。Me-Ssiahの弾倉からシリンダーが抜け、別のシリンダーが装填される。


・―――重力は下に落ちるものである。


 なのはの落下速度が跳ね上がる。それはまるで空から落ち行く流星のように。だがなのははそのまま着地し、地を踏み砕いた。踏み砕くインパクトの瞬間に頭上を下とマルチタスクを総動員して認識。大地が爆ぜるようにして小規模のクレーターが発生するもなのはは無傷。
 なのはは翼の光を消し、地を勢いよく蹴った。レイジングハートが魔法による補助を行い、なのはは地を踏み砕きながら森の中を勢いよく駆け抜けていく。地を蹴り、枝を蹴り、木の幹を蹴る。その度になのはの鉄靴の後が残されてゆく。
 森に身を隠すようにして移動するなのはに対して蚩尤が放ったのは―――周囲を蹂躙し尽くす全武装による殲滅放火だ。


『シネェェエエエエエエエエエエエエッッ!!!!』


 一瞬にして森が抉られていく。鼓膜を破っても尚まだ足りないと言わんばかりの轟音が連続として響く。その結果、得られていくのは穿たれた大地だけだ。そこには草木の根すらも掘り起こし、命無き死の大地へと変えていく。
 地を抉った事により噴煙が舞う。だがそれでも気にせずに蚩尤達は攻撃を続けていく。大地が更に穿たれても尚気にしない。ただ破壊と蹂躙の為に蚩尤達は狂ったように攻撃を繰り返す。
 その攻撃のリズムが崩れたのは―――噴煙を切り裂いて現れた桜色の光球による反撃。


『Accel Shooter!!』


 それはなのはではなくレイジングハートの独立させて発動させた魔法だった。それは蚩尤の重火器の一部を穿ち、爆発させる。だがそれで終わらない。重火器を穿った光球は更に空へと舞い上がり。


『Turn! Gear Change!!  From low to second!!』


 光球の形状がやや鋭角なものへと変わる。すると先ほどよりも光球が速度を増して蚩尤へと迫った。先ほどよりも鋭角的な軌道を描きながら突き進んでくる光球は蚩尤の頭部を撃ち貫いた。


『Gear Change! From second to a third! From third to top! From top to high top!! control out! Fire!!』


 更に光弾は加速し、制御を失い直進するだけの弾丸へと変わる。アクセルを車のギアに見立てて意味を与えたアクセルシューターは最早直射弾と変わらぬ効果を発揮し、蚩尤の武装やボディを穿ってゆく。
 だが、それでも蚩尤達はまだ動いている。なのはの唇から舌打ちが零れる。地を勢いよく蹴り、空を下だと認識してなのはは空へと吸い込まれて行くように落ちて行く。翼が再び開く。桜色の閃光を噴出させてなのはは自由自在に空を舞う。
 なのはの瞳は探す。迫る銃弾を翼を羽ばたかせ、障壁で防ぎ、レイジングハートに迎撃させながらなのはは探していた。無数に迫る蚩尤達の中からある一機の機体を。


『推測だが』


 脳裏に蘇るのはジェイルの声だ。


『例の武神の連携は、おそらく自動人形のネットワークに近いものがあると推測する。だがそれは1つの意志によって動かされている事は間違いなしだ。ならば命令を下す指揮官機、つまり、王・偉本体を倒せばネットワークは断たれ、その瞬間、蚩尤は沈黙するだろう』


 それはジェイルが数少ない蚩尤の情報を得て推測した蚩尤の攻略方法であった。蚩尤は確かにその物量も恐ろしいが、動きに迷いが無いのもまた厄介である。だが、だからこそそこに付け入る隙がある。
 奴の狙いはなのはにある、という事が、だ。だからこそなのははこの戦場で一人で戦う事を選んだ。元々そのつもりでもあったなのはにとっては好都合だ。自然とMe-Ssiahを握るなのはの力が強くなる。


「レイジングハート!! もっと魔力を持っていって良いからもっと撃って!!」
『Tes.狙い撃たせていただきます!!』


 誘導弾の処理をレイジングハートに任せながらなのはは空を舞った。まだ、機会は来ない。迫る武神の腕を斜めに交差させるようにして切断し、その切断した武神の腕をなのはは思い切り蹴り飛ばす。
 レイジングハートの補助も加わったなのはの身体能力に加え、重力は下に落ちるという概念を得ているなのはの蹴り飛ばした蚩尤の腕は勢いよく落下していき、別の蚩尤へとぶち当たる。衝突音が聞こえ、蚩尤の一機が落下していく。


「次ッ!!」


 まだ、戦いは終わりの気配を見せない。





    ●





 ウーノはレイジングハートを通して送られるなのはのバイタルデータを閲覧していた。そこから表示されている情報は戦闘続行には問題なしと告げられている。だが明らかにゲージが減っている事からそれが消耗を表しているのだろう。
 それとは別にウーノは別のウィンドゥを展開して様々に展開されるバイタルデータに対して適切な処置を施し、それを指示として送る。それを実際に治療として行うのはジェイルだ。チンクやトーレも手伝いはしているが、彼女達が出来るのは軽傷の者達だけだ。
 故に手の空いたチンクがウーノの下へと向かっていき、彼女の見ているウィンドゥを覗き込むように視線を向けて。


「ウーノ。なのははどうだ?」
「Tes.善戦しております。ただ魔力が予想の2%以上削られています」
「…そうか」


 チンクの感嘆の息はどういう意味を孕むのか、それはチンク自身にもわからなかなった。チンクが思い出すのはレイジングハートが新たにレイジングハート・ルシファーとして生まれ変わった後のテストの記憶。
 一度、なのはとレイジングハートがユニゾンした状態でチンクはトーレと組んで戦ったが――手も足も出なかった。トーレは善戦こそしたが、自分は誘導弾を捌くので十分であった。
 それは本人の特質というのもある。チンクは奇襲及び大量破壊を目的とした能力だ。対人戦でも効果を発揮しないという訳ではないが、それでもなのはには勝てなかった。
 あれは相性などという問題ではない。全てを超越した存在だ、とチンクはなのはとレイジングハートがユニゾンした状態を称している。
 概念の変更によって様々な戦闘スタイルを構築が出来、更にはその身1つで武神や機竜と張り合おうと思えば可能。ジェイルは、「あれは正にチートだね」と軽く笑っていたのをチンクは思い出す。


「だが、その反動は決して楽なものじゃない」
「その為のレイジングハートです」
「だが、彼女とて無限にフォローが出来る訳では…」
「アイツはアイツのやる事をして、私達は私達のやる事をするだけだ。それだけだろう、チンク」
「トーレ」


 トーレも手が空いたのか、トーレも2人へと歩み寄りながら言う。


「…しかし、ドクターには苦労をかけるな。ドゥーエとクアットロがいれば良いんだが…」
「2人は中国だから無理だ。色々と工作もあったからな」
「…ドクターは気にならないのかな?」


 チンクの何気ない呟きは彼女の疑問だった。チンクは何かとなのはとジェイルの距離感を最近得た知識からなんとなくそういうものなんだろうな、と感じていた。言うならば互いに好き合っている状態だろう。
 だからこそ、チンクが見聞きしてきた情報との齟齬が彼女に疑問を持たせる。ジェイルはなのはが好きなのだろう、ならば好きな人が無理をして戦場に行くのを心配しないのだろうか? 失う事に対しての恐怖は無いのだろうか?


「…チンクはまだまだですね」
「…何?」
「信じてる。信じるというのは一番難しく、一番身勝手で、一番有り難い在り方なのでしょう。でも、互いに互いの道を選んで、その境界線上を選ぶ2人なら。それが、きっと一番幸いな在り方なのでしょう」


 ウーノの言葉に、不意にチンクは視線をジェイルへと向けた。そこにはいつもと同じ何食わぬ顔で治療を施しているジェイルの姿が見える。信じているから、何も変わらない? また彼女と会えていると信じているから、変わらなくて良い? わざわざ特別にする事でもないと彼はそう言っているようで。


「十人十色、千差万別。世界は無限の可能性に溢れてるのですよ、チンク」
「…それは、わかってるよ」


 ただ、とチンクは呟いて。


「…強いなぁ、あの2人は」
「いいえ。ただの我が儘で身勝手なだけですよ。――だから、安心して背中を預けられるのでしょうね」


 互いに身勝手だから。だけど目指す場所は同じで、埋め合うように傍に居られるから。
 ウーノの言葉を受けてチンクは今度は苦笑すら浮かべた。やっぱりわからない、と。理解は出来ないと、自分にはそう考えられない、と。
 だから、それはきっと2人にしか無い絆なんだろうな、とチンクは考えて思う。いいな、と。それは自分には理解出来ぬ事ではあるが、確かな幸せなのだろうな、と。


「…勝つよな」
「勝ってくるでしょう。いいえ、勝ちます」
「それとも、信じられぬかチンク? 私達を敗北させ、ドクターと姉妹が全力を注ぎ作り上げ、それを使いこなす高町の事を」
「生憎、私は臆病ものなんでな」
「いいさ。それも個性だ」


 ぽん、とトーレはチンクの頭に手を置いて撫でる。おい、とチンクは嫌そうな顔をしてトーレの手を払いのけようとして。


「あ…」


 そんなウーノの言葉を共に、なのはのバイタルデータに一気に変動が見られた。魔力値が一気に減少したのだ。ゲージが見るからに減っていき、体に与えられたダメージがレッドアラートへと変わった。


「―――なのはッ!?」


 届かぬと知りながらも、チンクは焦燥に駆られた声で彼女の名を呼んだ。





    ●





 一体、どれだけの腕を切り落としたか。
 一体、どれだけの足を切り落としたか。
 一体、どれだけの胴体を両断したのか。
 一体、どれだけの重火器を撃ち抜いたか。
 荒れ地と変化した森の地、無数に切り落とされた武神の一部。そこに膝を突いたなのは。吐き出す息は荒く、体の所々からは血が滲み出ている。吐き出す吐息には時折血痰が混じる。大地を少量のなのはの血が汚す。
 空にはまだ無数の蚩尤が構えている。なのはは睨み付けるように空を見上げる。数はやはり減ったが、それでも多い。恐らくは半分以上は撃破した。だがそこから敵の動きが変わったのだ。


「…自爆…攻撃…ね…」


 かは、と口の中に溜まった血を吐き出しながらなのはは呟く。なのはの纏っていた鎧は損傷が見られ、バリアジャケットも吹き飛んだ箇所がある。そこから血が滲み、ぽたぽたと音を立てて落ちていく。
 そう、敵は武神そのものを爆弾に変えて突撃させてきたのだ。武神ほどの質量を持つものが一気に爆発をし、なのははその防御にかなりの魔力を回してしまった。衝撃によって聴覚が上手く機能しきれていない。なんとかレイジングハートの補助で立ってはいられるが、それでも危うい。
 万事休す、まさになのはの状態はそう称するに値する状況だった。――だが、それでもなのはは立った。震える子鹿のような立ち方だが、それでも立ち上がり、空に上がる蚩尤達を睨み付ける。


『マスター…申し訳ありません…』
「…いい、大丈夫だよ、レイジングハート…」


 はぁ、はぁ、となのはは息を吐き出す。一歩、二歩と揺らめくように前へと歩き空を見上げる。そして、なのはへと突撃してくる蚩尤の群れ。構えられるのはありったけの武装だ。


『シネヨヤァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!』


 迫る。少しずつ迫る蚩尤。四方から銃弾が放たれ、天空から押しつぶすように拳を構えた蚩尤が迫り、その距離がゼロになり…。





 ―――これで…終わりにするから。





 桜色の閃光が奔った。それは大地に描かれた巨大な魔法陣だった。それはなのはを中心として蚩尤全てを魔法陣の上に乗せるように広範囲に広がっていた。なのはに放たれた銃弾はレイジングハートがヴァルキリーケープに魔力を注いで防御に回す。
 そして形成された魔法陣から伸びたのは桜色の戒めの鎖だ。それは魔法陣の至る所か伸び、蚩尤を一機たりとも残さずに捕らえていく。一機、また一機と蚩尤はその戒めに囚われ、動きを束縛される。


『ナニィィィイイイッッッ!?!?』


 まさか、という事態に蚩尤から怨嗟の声が挙げられる。それになのはは、血をペッ、と吐き出して、唇の端を吊り上げるようにして。


「予測はしてたんだよ。ちょっと弱った振りをすればそこに付け入る、って。まぁ、その弱った振りを出来る攻撃をさせるのにちょっと苦労したけど」
『自爆とは予想外でしたしね』


 はは、となのはは笑う。だが、その目は明らかに笑っていなかった。


「……問うよ、王・偉。私が数えた武神の数は全部で80体。伝承通りに合わせた? それとも伝承通りの数しか用意出来なかった? うん、そんな些細な事はどうでも良いや。王・偉…私の為に、80人も越える犠牲を出したんだね?」


 もう一度、はは、となのはは笑った。つぅ、となのはの頬に伝うものがあった。それは、涙だ。


「…それを、捨て駒のように使って、更に自爆させた…。悪いって、言えないよね。憎いんだもんね。私が。御神が、不破が、お爺ちゃんが、お婆ちゃんが。憎くて、憎くてしようがなくて、狂っちゃったんだよね」


 はは、はは、となのはは笑う。嗤って。嗤って。


「…もう、…たくさんだよ―――ッ!!!!」


 吠えた。叩き付けるようにしてなのはは叫んだ。瞳から涙を止め止めなく流しながら未だ戒めを解こうとしている蚩尤を睨み付けてなのはは叫んだ。


「憎んで、憎まれて、傷付けて、傷付けられてッ!! 怨んで、妬んで、悲しんで!! それが力と変わって、また新たな憎しみが生まれて、また、増えていって!! もう、そんなのたくさんだっ!! もう、たくさんだっ!!」


 たくさんだよ、となのはは叫びすぎて途切れそうになった声で呟いた。


「…だから、終わりにしよう。終わりにしたいんだ。終わりにさせて欲しいんだ。いいや、終わりにさせるんだ…っ!! だから…」


 すぅ、となのはは息を吸う。一度瞳を閉じる。涙は止まらない。体の震えも止まらない。心は軋んで、胸が痛みを帯びる。


「――宣言する。私は、貴方を殺す。殺すよ!! 殺して、全部終わらせる。終わらせて…そして……ずっと、忘れないよ。忘れないよっ! 貴方という存在が居たという事をっ!! 私の存在に組み込むから!! だからっ!!!!」


 胸部装甲に埋め込まれた赤の宝玉が光を帯びた。そして膨れあがる桜色の光が大地を砕く。なのはの体が宙へと浮き、魔力の奔流が鎧へと取り込まれていく。それは鎧を修復し、更にその姿を変貌させていく。
 それは更に鋭利なものへと変わっていく。なのはの頭に角を模したような髪飾りが付けられ、手甲は爪のように尖りなのはの手を覆う。鉄靴はまるで爪のように。翼もまた大きく開き、桜色の翼を広げた。
 更には装甲の背部からチェーンのような物が伸びる。それはまるで尻尾のようだ。それがうねるように宙へと振るわれる。


『Limit Release. Over Drive!! Mode「Satan」!!』


 空気が震えていた。
 世界が嘆くかのようだった。あぁ、いや、世界は嘆いていたのかも知れない。
 平伏すべき魔王が降臨してしまった事を。その魔王が涙を流していたから。だから世界もまた泣いていたのかもしれない。
 だから、となのはは先ほど強く叫んだ言葉を繰り返した。強く握るのはMe-Ssiahだ。Me-Ssiahもまたその身を震わせていた。そしてコアが力強く輝き出した。


「願うよッ!! どうか、それで―――貴方は救われてくれませんかっ!?」


 どうか。


「私は貴方を忘れないからッ!!」


 どうか。


「貴方の痛みを知って私は泣くからッ!!」


 どうか。


「貴方を思い出して後悔するからッ!!」


 どうか。


「貴方を繰り返さないように頑張ってみるから!!」


 どうか。


「私はっ、…私はっ!! 貴方の事をきっと良くは思えないけれど、それでも貴方の為に花を添えられると思うからッ!! 私も憎いけど、でも…―――同じだからッ!!」


 だから。


「Me-Ssiah…ッ!! 私、あの人の涙を止めたいよッ!! あの人の憎しみを止めたいよッ!! それが私の救いだとするなら、その為の偽らぬ、違わぬ力になって!!!!」
『――――』


 瞬間、歌が響いた。
 Me-Ssiahから流れる声。それは2つの声だった。女と、男と。
 清しこの夜に。響き渡るのは聖なる歌。励ますように、慰めるように、優しく、優しくその歌は響き渡る。
 それは祈りの為の歌。聖なる歌を奏でる救世主はそのコアを点滅させた。歌を終えた2つの声はなのはに対してこう告げた。


『――Go Ahead!!』


 行け、と。なのはは幻視した。自分の両肩をそっと押してくれる恭也と雪花の姿を。
 握りしめる。うん、と。涙混じりの声でなのはは呟いて。


「私は、きっとこれからもこの涙を止めないよ。だから―――泣いたままで、いっか」


 ねぇ、と。無意識になのはは呟いて。


「ずっと、飽きずに、私の涙を拭ってくれる人は、この先にいるかな?」





    ●





「――――」


 それは、不意に。
 聞こえた訳じゃない。別に幻聴や、奇跡や夢みたいな、本当にマンガみたいな事が起こった訳じゃない。だが、それでも、きっと彼女は今、何かを問うたんじゃないかと。
 ジェイルは腰を上げた。治療の為に動かしていた手を一度止め、ふっ、と口元を緩めるようにして笑みを浮かべて。


「ここに、いるよ。なのは君」


 何故、こうも焦がれて。
 何故、こうも求めて。
 何故、こうも愛して。
 何故、と繰り返される疑問に答えが欲しい。
 だが、それすらも何故、で良い。
 きっと君は私に対していつも何故? と思わせてくれるだろう。
 君はいつだって規格外で、いつだって王道外れた道行く者。
 神すら殴り飛ばして、だけど殴った掌が痛くて泣いて、殴られた訳でもないのに相手の痛みを想像して泣いて、謝ったりする愚かな存在で。
 でも、だからこそ愛おしくて。理解できない愚かさを、何故、と彼女に問うて求めて、意味無き人生だと思う道に意味を見いだす彼女に触れたくて。


「私はここにいる。だから…」


 意味を求める道しか歩めぬ私に、無意味な道にも意味があると信じた君の道との交差点があるとしたら。
 そこは――――紛れもない自分の幸福だ。


「――おいで。私の傍でずっと泣いて良いよ。私は君を許すから、なのは君」





    ●





・――文字は力を持つ。
・――名は力を与える。
・――金属は命を持つ。
・――光とは力である。


 Me-Ssiahの弾倉にシリンダーに一気に装填され、概念が注入される。桜色の光はなのはの周囲を荒れ狂うように沸き立つ。世界が震え、大気が唸りを上げ、大地がひび割れていく。なのはは身を捩るように大きく髪を振り抜き、四肢に力を入れて吠えた。


「アァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!」


 吠える。その咆哮は世界をまた震わせていく。なのはの声に応えるように。


『魔法式は全て文字で作り上げたものだ! ならば、私を構成するものも全て力として持っていけ!!』


 レイジングハートが熱暴走してぼやける意識の中で必死に演算を続けていく。自らに与えられたコアが軋みをあげる。ユニゾンを解除すれば、明らかに自分も吐血して重傷の判定を受けるのは確定だ。
 だがそれでも砕けぬ訳がある。退けぬ訳がある。


『我が名、レイジングハート…! 主と共にありし、不屈の力だッ!!!!』


 文字が力を持ち、名は力を与え、金属は命を持ち、その全てを以てなのはの力へと変わって行く。三重の概念の重ね掛けによる強化によってMe-Ssiahに浮かび上がる光は異常なものとなっていく。
 結界が、砕ける。なのはの力に耐えきれず、レイジングハートの処理が追い付かずに結界が解けて行く。色が正常に戻っていく世界、だがなのははその世界をモノクロに見ていた。
 神速。なのははその状態へと入っていた。思考だけがただ早く、早く進んで行く。


 ―――いたいね。


 なのははMe-Ssiahを構える。Me-Ssiahから桜色の光が膨れあがり、なのはは紫電を発するMe-Ssiahを羽ばたくようにして振り抜き、空へと舞い上がる。


 ―――かなしいね。


 空へと舞い上がったなのはの姿を誰もが見ていた。その姿に、ただ、視線を送っていた。
 見惚れているのか、畏怖しているのか、それは誰にもわからなかった。だだ、目がそらせなかった。


 ―――くるしいね。


 なのははMe-Ssiahを振る。するとなのはの前方に魔法陣が形成される。集束していく光。なのはの涙も、なのはの全身から発露していく光も、何もかも吸い込んでいく。


「泣け! なのは君!」


 ふと、なのははその声を聞いた。地上からの声だった。


「誰が許さなくても良い! 君が泣きたいなら泣け!! もしも許しが欲しいなら――私が許そう! その全てを!!」


 誰もが声を発せぬ中、彼だけはその顔に笑みを浮かべて叫んだ。その顔を見て、姿を見て、なのはは力を抜いたような笑みを浮かべた。唇が小さく動き、何かの音を発しかけて、結局は唇の動きだけに終わる。
なのはは見据える。なのはの眼下にいる蚩尤の群を。そして見えた。――――それに、なのはは笑みを浮かべた。泣き笑いのような笑みだ。


「―――ありがとう」


 なのはは一度瞳を伏せ、そして、再び開くのと同時に勢いよく叫んだ。


「穿て、星光!! 願いを乗せて奔れッ!! この祈りを、届けてッ!!」


 魔法陣に集った光が紫電を帯びる。明らかな過剰出力だ。だが、それでも。


「スターライト…ブレイカァ――――ッッッッ!!!!!!!」
『Starlight Breaker Luciferion』


 なのはは、迷いもなくその光を解き放った。
 その光は呑み込んで行く。―――抵抗をやめたように動きを止めた蚩尤達を呑み込んで。世界が白の光に染まる中、爆音と爆風が一気に世界を揺るがした。





    ●





 静寂に染まって行く世界。
 なのはが放ったスターライトブレイカールシフェリオンが穿った巨大なクレーターの下に空から落ちて行く影がある。世界を穿った本人であるなのはとレイジングハートだ。気を失っているのか、彼等は力無く落ちて行く。
 そこに伸びる糸があった。それは2人を優しく包み込むように糸を編み、その落下の速度を緩めた。レイジングハートを抱き留めたのはトーレだ。すぐさまウーノが駆け寄り、レイジングハートの治療を行う。
 一方、なのはは糸を操った本人であるジェイルの下へと抱き寄せられた。横抱きにされた体勢でぐったりとなのははジェイルに体を預ける。そのなのはを抱きながら、ふぅ、とジェイルは溜息を吐き出す。


「…おつかれ様。なのは君。…良い答えは、得られたかい?」


 ジェイルの問いに、なのはからの返答は無い。無理もないか、とジェイルは思ってなのはの体を抱き直すようにして力を入れ直す。
 すると、なのはが身動ぎと共に瞳を開いた。薄くぼんやりと開かれた瞳はジェイルを映して、唇だけ動かしてジェイルの名を呼ぶ。そして、掠れるような声で彼女は言った。


「………最後、の…」
「…ん?」
「……蚩尤の、動き…止まってた…。…諦めて、くれたのかな…? …許して…くれたかな…? …認めて…貰ったかな…?」


 なのはは震える手でジェイルの頬に手を伸ばして問う。ジェイルはなのはの好きにさせながら、そっと耳元で囁くようにして。


「…もう、彼は答えてくれないよ。だから―――救われろよ、なのは君。それで良い。それで後悔しても良い。良かったって笑っても良い。何でも良いさ。だから、泣きたい時に泣けば良いさ。さぁ…―――泣いていいよ、なのは君」
「……ぅ…ん…っ……ぅんっ…!! うんっ!! うんっ!!」


 ぎゅっ、と瞳を固く瞑ってなのははジェイルの白衣の顔を押しつける。片手で白衣を引っ張って、声を押し殺して泣く。そんななのはをジェイルは優しく抱きしめるのであった。あぁ、と。やはりその涙は理解が出来ないなぁ、と笑みを浮かべてジェイルはただなのはの体を抱きしめるのであった。



[17236] 第3章「終わりのクロニクルへ」 01
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/06/30 23:03
 音が響く。
 電話の着信音だ。電話へと視線を向けたのは士郎だった。彼は電話の音に気付き、先に電話を取ろうとした桃子を制する。彼女は洗い物をしていた手を拭おうとしている体勢で止まり、笑みを浮かべて、お願いします、と言った。
 士郎は電話を取った。もしもし、高町ですが、と決まり文句のように告げると。


『…お父さん?』
「…なのはか?」


 久しぶりの娘の声だった。士郎は少し目を瞬かせて受話器を耳に押し当てる。その表情は硬い。なのはの声が低いように聞こえたからだ。それは気のせいなのか、もしくは、声を低くする訳があっての事で。


『…終わったよ』
「―――」
『…私が、殺したよ』


 あぁ、と。士郎は咄嗟にそれしか浮かばなかった。そうか、とも言えず、うん、とも言えず、え、とも言えず。何も言えずに士郎はただ立ち尽くした。ただ脳裏にはなのはの言葉がリフレインする。
 そして、どれだけの間を置いただろうか。士郎はゆっくりと息を吐き出すようにして、受話器を強く握りしめて。


「…あぁ、わかった」
『…うん』
「………」


 何を言えば良い、と士郎は思う。今のなのはは危うい。それはわかる。わかるが、きっとなのはは自らの意志で選び、その後悔すらも呑み込んでゆくと、そう決めて殺したのだろう。
 それを隠さず、押さえ込まず、吐き出すようにしてこうして電話をかけてくれている。だから何か言わなければならない。だが、慰めも、遠慮も、きっとそれはなのはを傷付けるだけだろう。
 向き合わなければ、と士郎は思う。守らなければ、と士郎は思う。はぁ、と吐息を重く吐き出して、沈黙の時間を打ち破る。


「…なのは」
『…なに…?』
「…俺は、いつだってここにいるからな? 電話すれば答える。お前の家で待ってる。だから、いつでも帰ってこい。お前の話、俺は聞きたいから」
『――――』
「…ここにいるからな」


 そして、電話の音が切れる音が士郎の耳に静かに届く。通話が切れるその瞬間、なのはの声が小さく「ありがとう」と呟いたのを確かに士郎は聞いた。
 受話器を戻して、士郎は重く溜息を零し、握り拳をそっと壁に押し当てた。そこに額を乗せるようにして。その士郎の仕草を、ただ桃子は目を細め、唇を引き結んで見守る事しか出来なかった…。





     ●




 携帯が音もなく落ちた。何気なしに携帯を取りこぼした手をなのはは見つめる為に翳す。翳した手が光を遮った。その手をぼんやりと見つめる。自らの手を光を遮るように翳したまま、なのはは動かない。彼女が居るのはジェイルの私室のベッドの上だ。彼女の体には包帯と共に回復用の符が張られている。
 蚩尤との戦いはなのはに多大なダメージを与えた。その為になのははこうして治療のために大人しくしている。否、大人しくしているのではない。ただ、大人しいのだ。なのははぎゅっ、と手を握るも、またすぐにその力を抜いて手をベッドの上に投げ出すように下ろして。


「…あかい…」


 薄く開いた瞳は力無く閉じられる。そのままなのはは動かなくなる。瞳を閉じて、ただ規則正しい呼吸を続ける。それはまるで眠っているかのようでもある。しかし、なのはは何を赤いと称したのか?
 彼女の手には赤い色など一切無い。そこには汚れの1つもない。だがなのはには見えてしまうのだろう。殺したのだから。自らの意志で確かに、人を殺した。それがなのはに幻を見せる。
 そう。――そのテがマッカにソまる幻を。


「……っ…」


 息苦しそうになのはは寝返りを打つ。その度に身が軋むような痛みを受けるが、なのはは気にせず身を丸めた。目を閉じ、耳を塞ぎ、何かから身を守るように。ぎしぎし、と内側からなのはを揺らすように軋みはやってくる。
 は、と漏らした吐息は苦しげで、シーツを掴む手には力が込められている。藻掻くようになのはは身を揺らしてベッドの上を這い蹲る。額には汗が浮かび、唇は硬く引き結ばれる。
 ふと、音がする。それは扉を開く音だ。扉を開いたのは誰かだ。誰かはそのまま扉を閉めてなのはの眠るベッドへと歩み寄ってくる。その歩調のリズムはもう聞き慣れたものでなのはは薄く瞳を開いた。


「随分と苦しそうだね」
「………」


 なのはに声をかけるのはジェイルだ。彼は自然な動作でなのはの眠るベッドに腰をかけてなのはの手の上に自らの手を重ねた。なのはは思わず振り払おうとするも、ジェイルがそれを握るために振り払えなかった。
 暴れようとしたのは一瞬。なのはは大きく息を吐き出した後、呼吸を整えるように浅く呼吸を繰り返す。暫し、それを繰り返すなのはの様をジェイルは静かに見下ろしていた。
 なのはが落ち着くと、なのはは脱力したようにベッドの上に突っ伏した。吐息を静かに吐き出し、体に篭もる熱を感じながら小さくなのはは呟く。


「…ごめん…」
「別に。もう慣れた。相変わらずだね。自らの弱みに触れられようとすると反射的に拒絶しようとする癖。君は誰にも好かれながら、その深奥には誰にも踏み込ませない」
「……人間観察はもういいよ…。もう、自覚してる」
「君も頑固だね。泣きたいなら泣けば良い。嬉しいなら嬉しいと言えば良い。辛いと言いたいなら辛いと言えば良い。それが君の望みだ。ならば何故君は軋む?」
「それが人間、だからじゃ駄目ですか?」
「なるほど、ね」


 違いない、とジェイルは笑う。なのははジェイルの顔を薄く開いた瞳で見ていたが、ふと視線を自分の手を握るジェイルの手を見る。アカにソまるテをニギる手をソめてしまうかのようで。


「おっと。離してはいけない」
「―――や…っ…!」
「離したら君は後悔する。だから、離さないよ」


 爪を立ててジェイルの手を強く握る。あぁ、なんかおかしくなってる、とどこか脳裏の奧で自分が自分を客観的に見ているような感覚を得る中、なのははジェイルの手に傷をつけていく。
 離せ、と手は訴えている。でも、離したくないんだよね、と自分を見ている自分は言う。内と外でやっている事が違う。ジェイルの手に本当の血が滲み出てきて、なのははひぅ、と喉を引き攣らせるように声をあげた。


「…ひっ…ぅ…っ…」
「そうだ。泣けば良い。君は愚かだなぁ、そんな自分が嫌いなんだろ?」
「…うぇ…っ…」
「でも、良いじゃないか。それが君なんだ。私はそんな君が嫌いじゃないよ」


 とく、とく、と。聞こえてくるかのように鼓動の音が耳に届く。それが言いようも涙を流させる。爪を立てていた手を両手で握るようになのははジェイルの手を掴んで嗚咽を噛み殺す。


「…ごめん…なさい…」
「気にしなくて良いさ。君が泣きたい時に泣けるならね」


 いいさ、と念を押すようにしてジェイルはなのはに告げる。手は離さない、ただ感じられる温もりをなのはは離さないように、宝物のようにジェイルの手を握る。


「…ジェイルさんは…泣いてくれないんですね」
「あぁ」
「…どうして…?」
「君が君を嫌うからさ。なのは君は自分が好きじゃないだろう?」
「…かも、しれないです」
「決して好きとは言えないだろう?」
「…うん」
「だからさ。だから私は泣かない。君が私を泣かしてしまったなんて思わないように。君は後悔を抱えすぎる。だから私は君に泣かされない」
「…じゃあさ?」
「…何だね?」
「ジェイルさんは、さ。じゃあ、泣かないの?」
「――――」


 なのはの問いかけに、ジェイルはふむ、と小さく呟いて。


「泣きたい、と思った事はないからね。涙が出る程に、私は昂ぶれない」
「…そっか。…羨ましいな」
「私も、君が羨ましい」


 そっと、ジェイルはなのはの頬を撫でた。なのはの流した涙をそっと指で掬い、その指についた雫を撫でるようにして指を摺り合わせた。


「互いに持たないものを欲しがる。隣の芝生は青いと言ったものさ」
「…そうなのかな?」
「君が憧れるのは不変のものだろう? 約束された安寧。幸せなその瞬間を永久に望む。幸せなままで居たい、そうだろう?」
「……嫌だなぁ、全部見透かされてるみたいで…」


 嫌だな、ともう一度なのははジェイルの言葉に対して呟く。だがそれに対してジェイルは微笑みを浮かべる。楽しくて仕様がない、と言わんばかりの笑顔だ。


「だが、君が望むのはそういう事だろう? だから、君は私の傍にいてくれる」
「………」
「私は変わらないからね。いや、変わるかもしれない。だが1つ、君への関心は変わらないだろうと思う。君は私の望みの体現で、私の好奇心の向かう先であるからね」
「…ジェイルさんが望むのは、変化なんですか?」
「そうさ。私は変われない。変われないから、変われる者達に、変わってゆく者達が愛おしくて溜まらない。私はそういう意味では嫌いなもの、というのは退屈くらいなのかもしれないねぇ」
「…私は、変わってるのかな?」
「いいや。…いいや、変わらない為に君は変わるんだろうね?」


 え? となのはは顔を上げてジェイルを見て。


「そういう事だろう? いつだって君は同じ位置を望むんだ。自分にも、周りにも。だから君は動く。だが世界も動く。だから君の理想は絶対に叶わない。だから君は自分が嫌いだ。どんなに頑張っても報われない、幸せになれない、幸せになりたいのになれないから君は自分が嫌いだ」
「―――」
「だから、私は君が好きなんだよ。妥協点が無いからね。だから君はずっと変わってゆく。私を飽きさせてくれない。永遠を求める君は、刹那ですら止まる事が出来ないのだから。変わる事の出来ない私には、それが眩しくて仕様がない。だから私は君の背中を押すんだ。それが私の願いだからね」


 ジェイルの言葉になのはは暫し唖然とジェイルを見つめていたが、ふと、むっ、としたような口になって体を起こした。そして何を思ったのか、繋いでいた手を振り払ってジェイルに背を向けてしまう。
 おや? とジェイルはなのはの動作を不思議そうに見る。だがなのはは振り向かない。まるでジェイルと顔を合わせないようにしているようにも見える。何をしているのやら、とジェイルは肩を竦めて。


「…君は何をしてるのかね?」
「…いちいち反論出来ないような事をベラベラと語る貴方がムカツクだけです」
「それでニヤけてしまう自分を見られるのが嫌かね?」
「だ、誰がっ! ニヤけてませんよ!!」
「なら、こっちを向きたまえ」
「断固、拒否します」
「あぁ、ならば言おう。――私はそれでも君が見たいんだ。なのは君」


 ジェイルの一言になのはは動きを止めた。それがいけなかった。なのはの体はジェイルの手によって押され、仰向けの状態にベッドに倒れる。すると自然と覗き込むようになのはを見たジェイルと視線が合うのは必然で。


「うん、笑ってるね」
「っ…! このっ…!!」
「笑えたね」


 思わず殴ろうと拳を握ったなのはだったが、その拳は止まる。そして力無く手が開き、あ、と口から小さな声が零れた。あぁ、そういえば、もう泣いてないな、と思った。もう、我慢してないな、と。
 手を見る。マッカに見えた手はもう赤くない。何故? 自分は苦しかった筈なのに。忘れちゃいけない筈なのに。苦しまなきゃいけない筈なのに。それが自分の選んだ道だから。


「忘れる、というのは苦しみから逃れる為の手段だ。だが、君は不変を望む。だから君は忘れない。君はずっと苦しみ続ける。永久に幸せにあろうとすることは、常に不幸だと言う事と同じだ」
「…ぁ…」
「だから、忘れさせたいんだ。私が君に忘れさせよう。私を見ると良い。私は君に見せよう。君の幸福の先を。君の不幸の影を遮る。君が望むものこそ、私の望むものなのだと、何度も、何度も見せ付けよう。君が私にそれを望んでくれる人だから、私もここに居たい」


 何度目かわからない息を呑む音。は、となのはは息を吐き出して、全身から力を抜いた。


「……大嫌いだ、ジェイルさんなんて。疲れる…」
「光栄だ。君は君が大嫌いだ。だが、君は君の幸せを一番に願っている。――ならば私の幸せも君は願ってくれるだろう?」
「…勝手に思いこんでれば良いじゃないですか。知らないっ」


 ぷいっ、となのははジェイルから顔を背けてベッドに顔を埋めた。それに対してジェイルは吹き出したように笑いを零して、なのはを覗き込むのを止めて天井を見上げた。


「安心すると良い。私は君を許すよ。だから私の許しを必要としなくて良い。私は君と共にあろう。私は君に幸せを諦めさせないから」
「……」
「だから、君は私の変わらぬ幸いであってくれよ」


 頭を撫でる感触。なのははそれに力を抜いて甘受した。ずるいよ、と心の中で呟きながら。振り払う事も、手放しで喜ぶ事も出来ず、ただただ、拗ねたようにしたまま、それを望むように許して。
 離さないで。言葉にするのは簡単。だけどきっとそれに簡単にジェイルは答えてくれるから嫌だ。だから何も言わない。だけど、それは怖い。その手を離して欲しくないと思ってしまうから。


「大丈夫。君は――とても可愛いよ」
「――――ッ!?」





    ●





 瞬間、通りすがりのUCAT局員は見た。桜色の閃光に吹き飛ばされて回転していく白衣のジェイルの姿を。





    ●





「ばか、ばか、ばーか、ばーかッ、バーカッ!!」


 はぁ、はぁ、と荒らげた息を零しながら構えたMe-Ssiahを待機状態に戻してなのははその場にへたり込んだ。顔が熱い、胸がドキドキして止まらない。Me-Ssiahを握る手に力が入らない。


「…うぅ…馬鹿ぁ……」


 こんなんじゃ、シリアスになれないよぉ、と泣き言を呟いてなのはは震える唇を押さえた。嫌でもわかる。確かになのはの唇は――――。


「マスター!? 何事ですか…って…」


 ふと、轟音を聞きつけて飛び込んできたレイジングハートがなのはを見る。そして怪訝そうな顔を浮かべてなのはを見る。言うな、と言うようになのはは思わずレイジングハートを睨み付けるが、レイジングハートは空気を読めずに。


「なんで笑ってるんですか?」





    ●





 瞬間、通りすがりのUCAT局員は見た。困惑のまま、顔を真っ赤にして笑ったまま、Me-Ssiahを構えた魔王から逃げ出すレイジングハートの姿を。





    ●





「…騒がしいなぁ」


 UCATの休憩室の一角。そこで休憩を取っていたのはナンバーズの面々だ。呟きを零したのはチンクで、手にはジュースが握られている。遠くから聞こえてくる喧噪に耳を澄ませて眉を寄せている。


「良い感じの悲鳴ですね」
「こう、必死さが伝わってきて、ホラー映画で逃げ惑うキャラとかに使えそうですわね」


 追われている本人が逃げているのはホラー映画も真っ青な恐怖の大魔王なのだが。まぁ、そこら辺は会話に出すと自らも巻き込まれると判断したのか、4人は得にそれ以上、何も言う事は無かった。


「…しかし、クアットロ。何故盗聴器なんて設置してあるんだ?」
「Tes.後学の為ですわ」
「…あのな…」
「まぁまぁ、私達は戦闘機人とはいえ、恋しちゃいけないなんていわないでしょ?」
「…それはそうだが…」


 チンクがクアットロの用意した盗聴器を視線で示して問う。それに対してクアットロはごく簡潔に返す。そのあまりの清々しさにトーレが溜息を吐いている。そんなクアットロをフォローしたのはドゥーエだ。


「そう、恋って良いわよねぇ…」
『は?』
「……趙さん……」


 ぽつり、と呟いたドゥーエの言葉に他の姉妹の動きが止まる。ほぅ、と熱の篭もる吐息を吐き出すドゥーエの隣に居たクアットロがチンクへと視線を移し、チンクもまたトーレへ、トーレはウーノへと移していく。ウーノはこく、と小さく頷き、そのまま音を立てずに4人は席を移す。
 ドゥーエはそれに気付いていないのか、ただほぅ、と息を吐き出してどこか虚空を見つめている。その仕草を見守っていた4人だが、不意にドゥーエから視線を外して。


「…あつ、あついなー、まったくあついなー!」
「そうですわねー、もう、他所に行ってほしい熱さですわねーっ!」
「…クアットロ。そこまで露骨に言うな…。しかし、無糖のコーヒーが甘いな」
「…Tes.同意します、トーレ」


 4人がそれぞれ仰ぐように手を動かしながら言う。無論、周囲の温度が上がった訳ではない。ただ気分的なものだ。感情によって体温が上昇する現象が起きているだけ。はぁ、と自らの不毛さに気付いた4人は溜息を吐き出して。


「しかし、なのはとドクターはわかるが、ドゥーエはどういう事なんだ? いつの間に中国UCAT代表の趙・羽氏の事を?」
「私もわかりませんよー…。あぁ、お姉様。一体何があったのかしら? 想像力が掻き立てられるのは良いのですけど、間近で乙女されますと…」
「…しかし、いくら私達と言えど、年齢差を考えるとな…」
「チンク。こういう言葉があるらしいぞ? 愛あれば年の差なんて、てな」
「それに、概念技術があるここでは年齢は些細なものかと」
「……まぁ、巨乳手つかず人妻なんて人もいるわけですから、年齢差なんて些細な事です」


 はぁ、と同時に溜息を吐き出すナンバーズ。自分達ではまだ理解に及ばない所だ、と言わんばかりだ。ぼんやりとするナンバーズの耳には、遠くでレイジングハートの悲鳴が虚しく響くのを捕らえた。


「…平和だなぁ」
「…平和だな」
「…平和ですわー」
「…平和ですね」





     ●





「マスターッ!? 私が何をしたというのですかーっ!?」
「うるさい、黙れ、消し飛べぇぇえっ!!」





 



[17236] 第3章「終わりのクロニクルへ」 02
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/07/04 11:36
「やぁ、元気かね? 高町君」


 休憩室。そこで何をする訳でもなくぼんやりとしていたなのはに声をかけたのは佐山だった。その隣には新庄がいる。新庄の視線はなのはの体に巻かれている包帯に向いているように見えて、なのはは包帯を撫でるように触って。


「まぁ、こんなボロボロですけど、一応元気です」
「…なのはちゃん」
「お説教なら聞きませんよ? 新庄さん」
「お、お説教って…! 自分がどれだけ危ない事したのか…」
「わかってますから、良いって言ってるんですよ」
「―――…はぁ…まったくもぅ…」


 新庄はなのはののらりくらりとした態度に何か言いかけて、肩を脱力するように下げて首を振った。そこには明らかな諦めの色がある。それに対してなのははやや申し訳なさそうな顔をするが、説教はごめんなので謝る事はしない。
 さて、と。言葉を発したのは佐山だ。彼はなのはへと視線を向けて。


「君のお陰で世界は私達に命運を託してくれたようだ」
「そうですか。…あぁ、そういえば境行きはどうだったんですか?」
「あぁ。順調だったよ。8th-Gとの交渉も終えた。…あぁ、それと9th-Gの交渉だが…」
「――私が仲介役として、義父さんを代表代理として交渉を終えてきた」


 凜、と。その声になのはは驚いたように顔を上げた。あ、と間の抜けた声を漏らすなのはが見たのは一人の少女、スーツを身に纏った命刻だった。何故ここに? という疑問が浮かぶも、すぐに納得する。
 命刻はなのはの体へと視線を向ける。そこに巻かれている包帯に少し眉を顰めたが、ふぅ、と息を吐き出し、なのはへと視線を向け直して。


「お疲れ様、と言うべきなのかな。なのは」
「いいえ、自分が好きでやった事ですから。それにしても、随分と動きが速いですね」
「何。早い方が良いだろう。実際、世界の崩壊時刻は私達を待っていてはくれないからな」


 命刻の言葉になのは、佐山、新庄は静かに頷く。この時、既に崩壊時刻とされているクリスマスまで残された時間は確かに少なくなっている。故に、自然と緊張が高まっている。それはUCAT全体にも見られる傾向だ。
 だが、その為の全竜交渉の総決算とも言える世界会議がある。全ての世界が一同に介し、Low-Gの罪を精算し、その上で世界をどのようにしていくのかを決めていく会議。全ての決着…。


「…しかし、それが終われば、どのような結果にしても終わり、なのかぁ」
「そういえば、そうなりますよね」
「そうだな。――む? なかなかこのまロ茶というのはイケるな」
「ふむ。戸田命刻。貴様もその味の良さがわかるか。つまり貴様も新庄君の尻に魅力を感じられるなゴフッ!?」
「ちょっとその煩い口閉じよーかっ! 佐山君!」
「ちょっとやかましいな。黙ってろ、佐山」


 両脇から肘鉄をいれられて佐山の体が僅かに浮く。くぬっ、と佐山の苦悶の声が漏れ、佐山がそのままぐったりと椅子にもたれかかる。その姿を見ていたなのはは、はは、と呆れたような笑いを零す。
 終わり、という言葉になのはは考える。終わらせる為に自分は戦ってきた。別に戦いが好きで戦ってきた訳じゃない。守りたいものがあって、譲れないものがあったからここまで戦ってきた。その終着がもうすぐだ、という現実。


「…僕にしてみれば大体1年、か。短いのか、長いのかよくわからないや。ただ…凄い密度の濃い1年だったなぁ」
「私は2ヶ月ぐらいですけど、新庄さんと同じ思いですよ」
「…私も、色々とあったな。そして多くを知った。知って良かったとも思えるようになった」


 それぞれが思い出すのは、各自が歩んできた道。様々で、色々な事があったのはそれぞれ同じだ。それぞれが抱く過去を思い出しながら、彼等はほぼ同時にほぅ、と息を吐いた。あのさ、と新庄が声を挙げて皆を見て。


「なんかさ。1年前まで、こんなに自分が変わる、なんて思わなかったよ」
「私もだよ。新庄君。本気になれずに燻っていた私が今では遠い過去の事のようだ」
「私も…今のような考え方をするなどとは、夢にも思わないだろうな」
「…色んな事がありましたからね。それぞれ、皆…」
「あぁ。色々な事を知り、思い、願いを抱いた。そして、その決着が付けられる」
「…その事で、1つ良いか?」


 皆がこれから始まるだろう最後に思いを馳せる中、命刻が声を挙げた。そこにはやや戸惑ったような表情が見られたが、ふと、命刻は真っ直ぐに視線を3人へと向けるのであった。





    ●






 ―――それは後に残される年代記。その年代記の最後の手前。世界が1つに纏まったとされる日。全竜交渉の最後の交渉にしてLow-Gの罪を裁く全竜法廷。
 Top-Gという存在が明かされた後に発覚したLow-Gの罪を問い、そして世界の行く末を定める会議。Low-Gの提唱する全概念解放によるプラス概念とマイナス概念の均衡化。Top-Gが提唱するのはプラス概念の消滅によるマイナス概念の対消滅化。
 どちらにも得がある。選ぶのはもはや自分がどのようにしたいか? であろう。そしてこの交渉に参加したものは口を揃えて言う。――世界の決着をつけるなんて言って大袈裟なものを想像するな。あれは、ただの馬鹿だ。そして俺たちも馬鹿だったな、と。





    ●





 尊秋多学院の屋上。そこで白衣のポケットに手を突っ込み立つジェイルが屋上に立った。そこから見える景色は尊秋多学院の年末祭の光景が広がっている。
 行き交う人、楽しげに腕を組み歩くカップルの姿や、友達と集って馬鹿をやっているグループが見える。皆が皆、楽しそうに振る舞っている。当然だろう、祭りなのだから。得てし得て祭りとなれば人は皆、騒ぎ、楽しむものだ。
 その人の流れを見ていたジェイルは不意に気配を感じた。一瞬、身を強ばらせたが、彼は諦めたように息を吐いた。


「…ジェイルさん」


 名を呼ぶ声がする。それはなのはの声だった。なのははやや息を切らせている。ここまで走ってきたのだろう。何故、と問う事はしなかった。何故ならば彼女が息を切らせている原因は自分にあるからだ。


「…良いのかね? 会議に参加しなくて。君は結局、関わる側になったのだろう?」
「…うん。命刻さんに頼まれちゃったから。私も、そう望んだし」


 そう、尊秋多学院の地下に広がる衣笠書庫では、今まさにLow-Gへの質疑応答が行われている最中だ。これから世界の解答を定める為に。佐山達も皆そこにいる。だが、なのはとジェイルはここに居る。


「会議は気にならないのかい?」
「…だって、結果はどうなるかなんとなくわかるし、何にせよ、私には終われば良いよ」
「…受け入れる、と?」
「違うよ。皆で作ってきたんだ。だから…きっと、皆が望んだ形になるよ」


 さぁ、と風がなのはの髪を撫でた。ジェイルの白衣がはためく。冬の風は少々、肌には冷たい。それになのはが思わず両腕をさすって寒さを堪えるように息を吐き出す。その行きは白く、手はややかじかんできた。
 それはジェイルも同じだろう。なのに、彼は何とも無さそうに空を見上げている。ジェイルは言った。自分は昂ぶる事はない、と。涙が出る事ない、と。確かにジェイルが涙を流す様など想像する事はなのはには出来ない。


「…ねぇ。ジェイルさん」
「…何かね?」
「もう、逃がさない。だから答えて」


 すぅ、となのはは自らを落ち着かせるように息を吸った。そして、ジェイルを見て。


「終わったら、貴方はどうするつもりなの?」


 瞬間、空気が凍てついたような錯覚をジェイルは得た。自分は呼吸を止めているかのようだ、とジェイルは思う。あぁ、聞かれてしまったよ、と心は嘆きを止められなくなる。


「…終わったら、とは?」
「…全竜交渉が終わったら、だよ」


 なのはの問いかけの声に、沈黙が降りてきた。言葉を発し終えたなのははジェイルを見上げるように見た。ジェイルは、なのはと視線を合わせようとはしていなかった。ただ真っ直ぐに空を見上げている。吹く風だけが、ただ2人を揺らせて。


「…答えてよ…」
「……」
「…これから、どうするつもりなの?」


 終わった後。全てが終わった後、なのはは海鳴に帰る。家族が待っている。向き合いたい人達がいる。だけどなのははわかっている。―――そこには、彼はいないのだ、と。
 自分は恐らく、かつて自分が居た日常に戻る。そこには前のような生活はない。けれど、そこにあったものは確かに取り戻したいものばかりだからこそ、自分はそこに戻るのだろうとなのはは思っている。
 だがそうなれば…ジェイルとはお別れだ。ジェイルは次元犯罪者。時空管理局からその身を追われているのだから。必然的に、なのはとジェイルが隣に居るのは難しくなる。不可能、と断言しても良い程に。


「…どうするつもりも、帰るよ」
「…帰るんですか?」
「あぁ」
「…それで?」
「…言ったろ? 私は変わらない、と。だから…全てが終わった後、次に会う時は敵かもしれないね? 君は管理局で、私は犯罪者だ」


 はは、と零した笑いが虚しく響いた。空に溶けるように消えていく笑い声はまるで無理をしているかのようで。なのはには嫌でもそう聞こえた。聞こえてしまった。だからなのはは手を伸ばした。ジェイルの手を掴む。
 ジェイルの手が一瞬強ばった。そんな手を、なのはは包むように優しく握る。するとジェイルの強ばった手がゆっくりと力を抜く。なのはの手を握り返すように握って。


「……ジェイルさん」
「……」
「今、自分がどんな顔してるか、わかってる?」
「…さて? どんな顔だい?」
「―――泣きそうだよ?」


 なのはが告げた瞬間だった。ジェイルは目を見開いた。息を止めるように息を大きく吸い、そのままで固まる。なのはの手を握っていた手が更に強く握られ、震え出す。あ、と声が漏れ、あぁ、と伸び、あああ、と伸び出す。
 慟哭だ。それは、紛う事なき慟哭だった。そう、ジェイルは泣いていた。泣いていたのだ。彼は。仮面が崩れるように泣き顔を露わにするジェイルの姿をなのははただ、ジッと見ていた。


「…なのは、君…」
「……何ですか?」
「…君に、出会わなければ良かったのかも知れない」


 なのはの表情が歪んだ。悲痛の表情へと、だ。だが、それはジェイルも同じだった。互いに互いが痛みを得た表情のまま向かい合う。ジェイルはなのはと視線を合わせぬように空を見上げたまま言葉を綴る。


「…君を落とさなければ…君に興味を抱かなければ、恭也に出会わなければ、こんな、思いは抱かなかった…。君さえいなければ……!」


 そこでジェイルは言葉を句切り、歯軋りが明らかに聞こえる程までに歯を噛み締めて。


「―――そんな訳が無いのになぁっ!! なのに、私という存在はそれを許してくれないよなのは君!!」


 ジェイルがなのはの握っていた手を強く握る。離したくない、と言うようにジェイルは泣きながら訴えるように叫んだ。その顔には明らかな悲痛に溢れていて、親とはぐれてしまった子供のような泣き顔に良く似ていて。
 不安げに歪められた眉と、どこへ向ければ良いのかわからない焦点の定まらない瞳。全身が震えているその姿はまるで抗うようにも見えて。なのはは握っていたジェイルの手を両手で包むように握って。


「終わりたくない…。終わりたくないよ、なのは君…。…終われば、私は、また、同じだ…。…何故問いかけたんだい? なのは君…私は、最後まで夢を見たかった。私は…!」
「―――変わりたかったんですよね? 本当は…」


 慟哭するジェイルに対して、なのはは諫めるように優しい口調でジェイルに言った。あ、と呆けたような声を出してジェイルはなのはへとようやく視線を落とした。


「ジェイルさん、貴方には本当しかなかったよ」
「……なのは、君」
「嘘ばっかりで、自分にすら嘘を吐いてた私とは、本当に真逆だ」
「…私、は…」
「それしか知らなかったから? だから、ずっと我慢してたんだよね。ジェイルさんは―――凄く、軋んでるね? 今、凄く」


 ジェイルの手が震える。力を込めすぎている為だ。なのはもそれに抗うように力を込める。両手を絡み合わせ、握り合わせながら力比べをするようになのはとジェイルは向かい合う。


「ジェイルさん、やっぱり、貴方は私と同じだね。私とは真逆だけど…同じだ。私が嘘を吐き続けて嘘でありつづけるように、本当を言い続けて本当を続けていくんだね? ジェイルさんは。嘘も、裏表も、何も無いまま」
「私は、嘘を吐くよ?」
「手段の嘘じゃない。言葉の嘘じゃない。貴方は―――絶対に貴方自身を偽らない。だから、わかる? ジェイルさん。貴方は今、だから軋んでるんだよ?」
「…軋む…私は…軋む…?」


 茫然と。正にそんな表情を浮かべてジェイルはなのはを見た。なのはは微笑む。うん
と頷いて。


「どうして軋むのか、わからない訳、ないよね?」
「…それは、私が私でなくなろうとしているのか?」
「そう。それはどういう意味かわかる?」
「――――」
「泣いて、いいよ。ジェイルさん。貴方は泣けないのかもしれない。でも、泣いてみせなよ。嘘でも、自分を騙して、泣いて、そこから始めよう?」
「…いいのかい?」


 ジェイルは問うた。変わって良いのだろうか? と。自分は変わっていけるのだろうかという不安がある。だがそこには―――諦めていた、叶うことがないと思っていた自分がいる。
 そう、あまりにも諦めて、何もせずに、ただ望んでいただけのものが手元に転がり込んでくる。それに戸惑いを覚えるだろう。それは半ば無償で与えられたものなのだから。自分の力ではなく、そう、それはなのはによってもたらされたもので。


「…私は、さ。嘘つきだから。本当の思いって届けるのが凄く苦手」
「…臆病でもあるからね」
「うん。一人は嫌い。寂しいのは嫌。…わかって、って。ずっとこれからも叫び続ける。でも嫌われるのは嫌だから嘘を吐いていくと思う。ずっと、ずっと。だけど、ジェイルさんは私の嘘の奧を見てくれる。私を、見てくれる」
「…君の思いの行く先には私の夢があるからね。誰よりも傲慢で、誰よりも人らしく、誰よりも我が儘に。自らの望む世界を作っていくから」
「ありがとう。――私は、ジェイルさんが好きだよ」


 それは、花開くかのように。なのはの笑みはそれは愛でるべきだと思われるような笑みだった。ジェイルが目を離せなくなる程までに美しい。それは何故なのか、と問われれば答えは1つ。笑いたいから、となのはが望んでいるからに他ならないからだろう。
 笑いたいと、微笑みたいと彼女は望むのだろう。では何故? その表情は繕う訳でもなく、ただありのままにその姿を曝している。それは…好きという言葉に行き着き、そして答えを得る。


「…はは…」


 それは、掠れたような、そんな小さな笑い声だ。


「…くく…はははっ…」


 目を瞑り、堪えるように固く目に力を寄せて、体を震わせる。


「…君は、私に嘘を教えてくれるのか?」
「教えるよ。生まれてこの方、皆、騙し続けてきた私が教えてあげる。私が貴方に本当の私を出していく喜びを教えて貰ったように。嘘を本当のように思う事で得られる幸せを。―――望んで、ジェイルさん。本心からじゃなくても、いつかそれが本心となれるように。それを幸いにしてあげられるようにしてあげたいよ」
「……なら……ならば、だ。なのは君。私は君の隣にありたい。だが、私はその隣にある事が出来ない存在だと思っているよ。だが私は嘘を吐きたい。私は何があっても――君の隣に居たいのだと」
「うん。なら、私はそれを本当だと思って行動するよ。ジェイルの嘘が本当になるように――ずっと、一緒にいよう。例え本当に引き離されても、私は、貴方を思うよ。そしていつか全ての垣根を砕いてでも貴方の傍にいるよ。私の心がそう望むから。貴方が吐けない嘘を望むなら。私は私に望み、貴方の願いを叶える事を、高町なのはという存在をかけてここに誓うよ」


 うん、となのはは小さく頷いて。


「変えてみせるよ。不変のその時にある貴方を。刹那に流され行く私が、刹那に流されないようになったように。貴方をそこから連れて行く。変わらない、変われないと縛りつける貴方という殻から。存在がなに? 望めない? ――望ませてみせるよ。言ったでしょ? 私は、ジェイルさんの幸せを願える人だよ? ジェイルさんが軋むなら、私はずっと軋ませ続けるよ。その痛みが、私達に忘れさせないよ。私達の幸いの在り方を」


 だから、と言葉を続けようとしたなのはの言葉は止まる。いいや、遮られたのだ。なのはでさえ予想だにしない方法で。なのはには何が起こったのかよくわからない。ただ目の前にはジェイルの顔がある。口は何かに塞がれている。
 え? と思って、理解して、そして時が止まったかのようになのはは動きを止めた。次第にその顔には朱に染まっていき、瞳は見開いた状態で固定される。やだ、となのはは思う。それは否定や、拒絶ではなく、驚きによるもので。


「…ん…」


 身を強く抱き寄せられる。すれば深く、繋がりが求められる。や、と声が漏れそうになって、だがそれすらも呑まれるように吐き出す事が叶わない。ぱたぱたと手が宙に彷徨うに揺れていたが、すぐにその手はジェイルの背に回された。
 もう、なんかいいや、と。なのはは瞳を閉じた。――言葉すらももどかしかった。ただ、もう、これで良い。言葉はいらない。ただ触れ合う事だけでわかれるような、そんな錯覚。あり得る訳がないのに、それがあり得てしまいそうで。


「―――…ぷは…」


 不意に、感覚が離れた。口が酸素を求めて開き、息を吸い込む。それによって自らの唇が塗れているのだとなのはは嫌でも自覚して、ふと、薄く瞳を開いてジェイルを見上げるように見た。
 そして彼の表情を見た。それを見て、なのはは笑った。笑って、はは、と笑い声を零した。そこにあった彼の表情は涙を流しながらも、確かに笑っていたからで。


「…涙の味、だね」
「泣いているからね。私が。…君が泣いていないよ…これじゃ、逆だね」
「だってジェイルさんと私は反対だもん。だけど、これから、きっと変わっていくよ」
「変わったら、反対じゃなくなるよ?」
「そうだね」
「一緒にいる理由はなくなるんじゃないか?」
「そうなってみればわかるよ。でも、なんかなぁ。思うんだよ」
「何をだい?」
「一緒に変われば、結局、私達はもう、1つだから離れても、またなんかまた戻れそうな気がするよ」
「…そうか。確かに、簡単な事だからね」
「わ、ちょ、ジェイルさん、二度目はなし! 待って待ってっ、心の準備ぐらいさせ――」


 ん、と。なのはの声は再び呑まれた。あぁもうっ、と心の中で悪態を吐きながらも手はジェイルの背へと回される。色々と思う事がある。年齢差とか、自分の年齢とか、親にどう説明しようか、などなど。
 だが、結局はどうでもいいや、と思ってしまう。触れる温もりが。湿りを帯びる唇が。それを感じてしまう自分は思考を緩やかにしてしまう。脳が感覚に対して神経を注いでしまうかのように思考が緩慢になる。


(私は、――――私だもんね)


 誰がどう言おうとも、彼が教えてくれた幸いを貫き通そう。それが、どんなに苦しくても、どんなに難しくても、きっと、最後の時まで、自分らしく笑っていられると思うから。





 



[17236] 第3章「終わりのクロニクルへ」 03
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/07/04 22:28
 年代記は綴る。全竜法廷、その会議において何が誓われ、何が明かされ、何が生まれたのか。
 会議は佐山の世界の哀悼の意を捧ぐ事から始まった。今まで失ってきた全ての者達に。望んだ世界の為に尽くし、今、こうしてここまで我等を運ばせてきた先立達に敬意と感謝を込めて。
 初手は1st-Gだった。1st-Gの代弁者は問うた。今、他Gの住人が暮らす居留地からはいつ抜け出す事が出来るのだろうか? と。
 新世界において新たな居場所は確かに用意されるのか? 概念解放された世界、その先に本当の幸いたる世界は存在するのかと。
 それに応える佐山は言った。それは不可能である、と。だから、と前置きをして佐山は1st-Gの代弁者に問うた。ならばどうすれば良い、と。そして答えは返る。ならば馴染む為の賢石を。世界に馴染む為の。
 そうして作られた先の世界。第二世代が受け継ぐ世界が――真の意味で幸いな世界である事を望む、と。ならば、と佐山は言った。ならばもしもLow-Gが世界の担い手である事を認められたならば、その暁には新しき世界で1st-Gを異種族帰化推進委員会のリーダーに任命したいと。

 2nd-Gの代弁者は問うた。概念戦争中、2nd-Gは戦争の準備を進めていた際に暴走した概念核の対処としてLow-Gに対して救援を求めたが、それは間に合わず、結果として2nd-Gは滅びたという。
 世界が圧倒的に対処が間に合わない速度で滅びに向かったとき、その時、Low-Gはどのような対処を考えているのか、と。そして佐山は答えた。何も考えては居ない、と。
 だから、と前置きをして佐山は告げた。ならば世界に対しての滅びを想定し、行動しよう。そして何かが起きた時に諦めずに行動しよう。だから2nd-Gもまた共にあれ、と。そして歴史を残さないか、と彼は言った。今までの全ての世界の侵してきた愚を繰り返さぬように、それを伝える為の歴史を。そしてそれを纏めるリーダーには2nd-Gがなれば良い、と。

 3rd-Gの代弁者は問うた。この会議において佐山が語り、そしてこれからも語られるだろう世界の行く末に嘘はないのか。そしてそれが嘘だった場合、誰が責任を取るのか、と。この場でその証明をしてみせろ、と。
 佐山は言った。互いが互いにそう望むのであればこの会議の結果は裏切られる事はないだろう、と。だだ、それでももしもを考え、約を違えた際に制裁組織を設けるのはどうか、と佐山は提案する。だから、と佐山は前置きをして告げた。ならばその組織には休みを必要としない自動人形と武神戦力を持って関わって欲しいと。他のGからも人員を募り、オープンな組織を作れば良いのではないか、と。

 4th-Gの代弁者は問うた。おしごとほしいの、と。佐山は言った。それならば君たちの特性を生かした治療で奉仕して欲しい。だから、と前置きを告げて佐山は言った。ならば君たちを主体とした医療体制、医療機関の設置に尽力したい、と。
 …尚、この際に4ht-Gは何故佐山が会議において責め立てられなければならないのか、と問うた。それに答えたのは佐山ではなく風見だった。風見は言った。世界は滅び、居場所を失って残されたLow-Gに新たな居場所を求めている、と。
 だが、皆は等しく世界を失った痛みを得ているのに、Low-Gは世界を失っては居ない。だから、その痛みをこの会議として受ける事によって自分たちは等しくなっていくのだと。
 
 5th-Gの代弁者は問うた。いや、望んだ。与えられた平穏はいらない、と。平穏を得に行きたいのだと。誰かがもし泣いているならば、その誰かに対して手を差し伸べられるようでありたいと。その為に、機竜という一機であったとしても強大な力を持つ者に自由な空を預けて欲しいと。
 そして会議の者達の大多数からの賛同を受け、その願いは立件という形で受理された。そこで佐山は問うた。その為に恐らく使い走りになる可能性があるが、大丈夫か? と。5th-Gの代弁者であるヒオは、大丈夫にします、と笑顔で頷いた。

 6th-Gの代弁者は問うた。それは確認にも近かった。6th-Gは全竜交渉以前からその交渉を終えていた形であり、その帰化した者達は3rd-Gや5th-Gの警護や救助を行う為の人材として世界に派遣されていくだろう、と。
 そして佐山は付け加えるように告げた。元々、帰化していた時間が長かった故に装備や設備の扱いに慣れている6th-Gの人間ならば士官待遇で迎えられるだろう、と。
 
 7th-Gの代弁者は問うた。いや、望んだ。これからも飽きない世界であってくれ、と。7th-Gは全竜交渉によってその全てをLow-Gへと継がせた。だから、その世界をずっと飽きさせない、楽しい世界にしてくれ、と。佐山は尽力する、と答えを返した。

 8th-Gの代弁者は望んだ。自分たちの居場所を。ソレはある種、4th-Gと同じ問いだった。ならば、と佐山は8th-Gの住人であるワムナビが住まう事の出来る中央官制システムを作り、超高速のネットワークを作ろう、と。
 8th-Gは熱エネルギーが生物化した世界だ。思考による熱量で自身を意地している為に、思考させる場を与えれば自然と生きていく事が出来る。更には民間のネットワークに繋げる事によって彼等に遊びの場を与えよう、と。

 9th-Gの代弁者は望んだ。それは6th-Gと同じ事であった。ただ違うのは9th-Gの住人の多くが「軍」の人員である事だ。だが、元々は同じUCATという組織に属し、その技術体系が多く違う事はない、ならば6th-Gと同様に士官待遇で迎えられるだろう、と佐山は言った。

 10th-Gの代弁者は言った。多くは望まない。どのような結果でも受け入れよう。だから私達の世界を大事に思い、これからも世界を楽しく、そして大事にしていってくれと。佐山は世界の意志の全てがそれを望むから安心したまえ、と告げた。それに誰もが同意するように頷いた。


 そして――――。





「Top-Gの代表、戸田命刻だ」


 最後に。全てのGの特性を持ち、盟主として相応しき世界であった筈の生き残りである彼女の番が来た。対峙する佐山と命刻。それは同時に本物と偽物、鏡合わせの存在の対峙でもあった。


「まず、前提として。私達がこの世界の終末に対してどのような手段を講じているのか、それはもう周知としているな?」
「あぁ。それは既に会議の前にも確認している。1ヶ月前。「軍」の襲撃によって明かされた話だ」
「ならば、決めよう。提示された手段は2つ。世界としてあるか、個々としてあるのか、だ。――私は感情となろう。敗北した者達の憤りとなって問いかけよう」
「――ならば私は理性となろう。そしてその2つを以てして60年と10年にわたる因縁に決着を付け、新たな世界へと進むために」
「「過去と、未来の話をしようか」」


 互いに顔に浮かべたのは笑みだ。


「まぁ、その前に提示しておく事がある。もしも、Top-Gの提示した手法において世界が作り替えられるならば、今まで全竜交渉において得られた諸権利は、UCATを解散せず、今の首脳陣を処罰し、我等が変わりに率いる事で継続とする」
「全竜交渉を肯定する、と?」
「お前達は確かに罪人だ。だが、それでもその罪を償おうとした事は認められるべき筈の事だ。それに世界が互いにぶつかり合い、本気で出し合った答えだ。ならば、尊重されるべき答えだと私は思う」


 命刻の言葉には意味がある。つまりそれはTop-Gが全竜交渉を肯定する事によって全竜交渉によって得られる諸権利はそのまま残り、Low-G側に有利に働くという事が無くなった事。
 ならば純粋に残るのは、理性か、感情か、だ。仕方なかった、だから前に進もうという理性か、悲しかったな、辛かったなと慰め合い世界を動かそうとする感情。


「しかし、Top-Gの手法では、我等とは前提条件が異なる為に全竜交渉を続行出来ないと思うが?」
「その時は私達の代わりにLow-Gに補正を行ってもらうさ。間違いがあったならば正せば良い。そういう事だろう?」


 あぁ、と佐山は頷く。それに命刻は頷き。


「ならば、――確認しておこうか。Low-G代表、佐山御言」
「何だ、Top-G代表、戸田命刻」
「もしもLow-Gが世界に認められ、これから概念解放を行うとするのならば、どうしても確認しておきたい事がある」
「それは何かね?」
「問題を解決する。それは未来があるものの選べる手段だ。だが、最早死んでしまった者には望めないものだ。ならば死者が何を望むのか、お前はわかるか?」
「―――」


 はぁ、と息を吸い命刻は佐山を見た。会議の誰もが命刻の言葉を予測した。簡単に予測できる事だった。それはあまりにも簡単すぎる言葉だったから。


「――私の親は、死んだよ」
「……」
「多くの人が死んだ。それは返らないものだ。―――返してくれれば泣く事もない。全てが蘇れば無かったことになる。それが一番簡単な解決だと思わないか? 佐山」
「不可能だ。が、その不可能を語る貴様は何を問いたい」
「簡単な事だよ。佐山。――お前は、失った感情に対して何を提示する! 私達は失った! 親、家族、世界、その全てをだ! お前達が奪った! 保身の為に、だ! そのお前達が失った私達に何を与えてくれる!? お前は確かに解決の手段を提示してきた。世界の問いに答えてきた。だが、私は全世界の感情の代弁者と問う! 全てを返せ、などとは貴様が言うように不可能だ! ならば最低の世界よ!!」

 すぅ、と命刻は勢いよく息を吸い、叩き付けるようにして佐山へと問いかけた。叩き付ける拳がテーブルを叩き、音を立てる中、命刻は問いを発した。


「失った悲しみは癒えない。それによって涙を流す我等の涙をお前は何によって止め、何をこの世界で産みだしてくれるのだ!? そしてそれは本当に、我等の感情を癒してくれるものなのか!?」


 命刻の問いに会議の場が静まり返った。それは誰もが問わず、だが、誰かが代表して問わなければならなかった事。そしてそれはTop-Gだからこそ問う事の出来る問いかけ。全ての損失に対して、新世界はそれを越える新たな何かを作り出していけるのか、と。


「それに対して、Low-Gとしての答えを返すのと同時に、私はこれからTop-G崩壊の真実をここに述べたいと思う」


 何、と会議に参加していた者達から動揺を表す声がした。Top-Gの崩壊の真実。今まではそれがLow-Gが保身の為にTop-Gを崩壊させたというハジの弁がある。だからこそ、Low-Gは非難される側に居たわけだが…。


「Top-Gの崩壊とは、Low-Gによる一方的な制圧劇などではなく、滅びるべくして滅びたのだと私は知った」
「ほぅ? しかし、今までの資料からはLow-Gで概念創造の研究をしていた新庄由起緒がTop-Gに亡命した事により、Low-Gが実質上、概念創造が出来ず、その報復としてTop-GがLow-Gの居場所として受け入れようとしたマイナス概念の情報を改竄したお前の父、佐山浅犠がそうし向けたからだろう?」
「新庄由起緒は欠けているプラス概念の損失分を、今あるものから逆算することすら出来る人物だった。それが可能な人物がマイナス概念の創造が出来なかった? 疑問に思わないかね。更に、新庄由起緒は1つの謎を残している」


 謎? と命刻は佐山の言葉に眉を寄せて問う。あぁ、と佐山は命刻に応えるように頷き。


「Low-Gには、Top-Gには無い3つのものがある、と。鏡面存在である筈なのに、Low-Gだけにあるものがある。その1つは、聖書神話。2つは、バベルの塔。そして最後に―――新庄君だ」
「…新庄だと?」
「そうだ。今、この会議に参加している者達は知っているだろう? 新庄君が異なる、対となる性別をどちらも有している事を。そしてそれは―――矛盾だ。あり得ない。あり得てはならない。だがあり得てしまう。それが何を意味するのかわかるか? それこそがこのLow-Gを存続させているもの…!」


 佐山が腕を振り抜くようにしながら、勢いよくその正体を叫んだ。


「―――矛盾許容の概念だ!!」





    ●





「本来、概念創造などという神の所行は我等、人には不可能だ。だが、Low-Gならば矛盾許容の概念があるが為に可能となってしまう。だからこそ新庄由起緒は去ったのだ。Low-Gの強硬派がそれによって兵器を作り上げぬように。傲慢な神へと居たらぬ為に。
 だが、亡命した先で新庄は求められた。マイナス概念の概念創造を。だがそれを彼女は拒否した。矛盾許容概念には新庄由起夫氏も、私の父も把握しているようだった。だが、それでもTop-Gは滅びた」
「何故だ?」
「それは――君が一番わかっているだろう? 戸田命刻」
「――…あぁ。そうだ。私達が、盟主に相応しい最高のGだと自負していたからだ」
「そうだ。だからこそTop-Gは止まらなかった。だが、その責任をTop-Gのものにしない為に…」
「佐山浅犠が自ら罪を被る為に改竄した資料を送った、と? それは何故だ?」
「―――佐山の姓は悪役を任ずるからだ」


 いいかね? と佐山は前置きをするように告げた。


「私が境に行き、得た情報は、新庄由起緒が概念創造をLow-Gにさせない為にTop-Gへと渡った。そしてそこで新庄由起夫にマイナス概念の創造の為の技術協力にも頷く事は無かった。代わりに彼女は教会を作ろうとしていた。戦うのではなく、欠けた物を、持つものを等しくして同じになっていこう、と。
 だが世界はそれを望まなかった。故に、誰かが痛みを世界に知らしめなければならなかった。滅びという形で。両者が大事なものをそれぞれ守ろうとして。Top-Gは自らの誇りを以て。Low-Gは自らの世界を思って」
「だが、そんな証拠がどこにある? 確かに納得は出来る。だが、明確な証拠はあると癒えるのか?」
「ある。それが―――高町なのはの祖父の不破恭也の存在であり…」


 すっ、と、佐山が隠すように両手を下げる。そうして再度、上げられた両手を露わにした。そこには――――。


「この、ゲオルギウスだ」


 そう。曝された佐山の手に収まっていたのはゲオルギウスだ。―――左右一対の。佐山の両手に収まるその武装に誰もが目を奪われる。


「先日、私は知った。Low-Gの概念戦争のそもそもの発端、異世界の存在を確認した衣笠天恭が―――マイナス概念を暴走させた概念創造施設、ノアを逆封印という手法によって「何もない時代」へと送り防ごうとした際にその余波に巻き込まれ、過去へと遡った私の父、佐山浅犠であるという事を」
「それが、ゲオルギウスが何の証明となるという?」
「片方のゲオルギウスは私の母が持っていた。そしてもう片方のゲオルギウスは衣笠天恭がこの衣笠書庫の奧に封印していた。2つの時代をまたいで存在しているゲオルギウスがその証拠だ」
「それぞれが別の時代に開発された可能性は?」
「無い。それは…高町君の持つ武装、Me-Ssiahと同じく…このゲオルギウスは―――人体をその素材としているからだ」


 沈黙が響き、誰もが息を呑んだ。何、とその言葉の意味をわかる事が出来ず、問いかけを産む声が聞こえた。


「ゲオルギウスはあらゆる概念を増幅し、また破壊する武装だ。だがそれ故にその素材は概念に囚われないものを必要とする。それは何か? それは高町君が実証している」
「…何だ、それは?」
「意志だ。あらゆる概念を統べ、操るのは意志だ。高町君の持つ内臓器官「リンカーコア」は残留思念と呼べるような微弱な世界に散布された意志を吸収し、それを出力と変えている。その器官は概念を吸収し、力とする事も出来る。
 …武神や機竜を思い出して貰えばわかるが、人の意志を機械に込める事は出来る。だが、それは同時に部品に人を持ち要らなければならないという事実だ。そしてゲオルギウスはある人物が部品となっている」
「それは?」
「高町君の持つMe-Ssiahが、教えてくれたよ。ゲオルギウスの部品となったのは…―――新庄由起夫その人だ」


 瞬間、佐山の頭の上に乗っていた獏が両手を広げるように立ち上がった。過去が来る。





     ●





 上昇していくリフト。過去へと呑み込まれた者達はそれをリフトの上から眺めているような形となる。そこには2人の男が居た。一人は佐山浅犠。一人は新庄由起夫だ。佐山浅犠は拳を握りしめながら、腰を床に落としている新庄由起夫を見た。
 由起夫の手は口元に添えられていた。そこからは鮮血が吐かれていた。だがそれでも由起夫の顔には苦痛が無かった。そこには力を抜いたような表情が浮かんでいて。


「…にわか仕込みでは、どうにでもなるものでもないな」
「…マイナス概念にはいつから侵されていた?」


 浅犠の静かな問いかけに由起夫はふっ、と笑みを浮かべる。いつの間にかだ、という投げやりな答えが返ってくる。それに浅犠は明らかに歯を噛み締める。悔しさ故にだろう。握られた拳が震えている。


「…彼女も、か?」
「…彼女に問えば良いだろう? 私が答える義務はない」


 由起夫がそう告げた瞬間だ。上昇するリフトを追い抜くようにして飛翔する光があった。暗い蒼の光だ。浅犠が自然と身構え、その光を睨み付ける。光は由起夫の隣に膝をつくようにして降り立った。現れたのは――不破恭也だ。


「…由起夫さん…」
「…恭也か。…負けたよ」
「…そうか」


 浅犠が恭也の出現に警戒する中、恭也は浅犠へと視線を向けて首を振った。


「俺には、戦う理由がない。俺の目的はもう終わった」
「…どういう意味だ?」
「俺は、由起夫さんと由起緒さんの望みを叶える為に足止めしていたに過ぎない。少しでも、俺なりのやり方で誰かが救えるように」
「…これが、救いだと言うのか…?」


 拳を振るわせながら浅犠は恭也へと問うた。それに、恭也は浅犠から視線を逸らす。問いから逃れるように視線を逸らした恭也を浅犠は見つめ、静かに、そうか、と呟きを零して。
 そんな浅犠を見て、由起夫は、はは、と小さく笑いを零した。すると自然と浅犠と恭也の視線は由起夫へと向けられて。


「面白いな。彼女から聞いていたよりも、君は、随分と感傷的だ」


 そう言いながら由起夫はゆっくりと体を起こした。そうして由起夫が向けた視線の先に浅犠と恭也も視線を送る。そこには無数の武神と機竜、自動人形が収められた格納庫がある。それを鋭い視線で見ながら浅犠は問う。


「これは、ノアの兵員か?」
「否。実際には――新世界のお手伝いだ。全Gを併合したとき、各Gには世界の警備や救助組織、または警軍としての仕事や持ち場を与える事になる。だが、彼等に役職を与えても、その下部組織の人員が足りなくなる。人がいないGも多いからな」
「だから、人員の代用として、または、一般人が参加する手助けの為に、これらの力を?」
「そうだ。…全て、全プラス概念の恩恵を受けた機械達だ。進化もすれば、治癒もする。だが、この力をもって、Low-Gを攻め落とせという案もあった」
「何故、そうしなかった?」
「これは新世界のものだ。――Top-Gは最高のGとしての誇りを持つ。Low-Gという、最低のGとの戦いにこれらを出すことはない。…まぁ、これらを出すよりも世界は傾いてしまった訳だがな」


 自嘲するように由起夫は笑った。すると、由起夫が咳き込む。そこからは夥しい血が溢れ、咄嗟に恭也が由起夫を支えた。恭也に支えられる形で由起夫は何度も咳き込みながら溢れ出す血を抑えようとする。
 その姿に、浅犠は静かに俯き、すまない、と呟いた。すまない、ともう一度呟く浅犠を制するように由起夫は声を上げた。


「私に言うべき台詞ではないし、謝る所もないさ」
「しかし―――」
「試作段階のものを強引に量産したものだが、武神と機竜の数を大小合わせて三千を超え、自動人形は天使型を基礎に万軍を越える。――これがTop-Gの用意していたものだ。君たちの世界が概念を創造出来るならば、私達は全ての技術力を使って世を豊かにする事で対抗しようと、ね」


 浅犠は、由起夫の言葉を聞いて顔をあげた。彼の体を労るように、だが戸惑うように、由起夫の肩へと手を添えた。すまない、と由起夫は言いながらも恭也と浅犠に体を預けて歩き出す。
 3人が向かうのは上昇するリフトの、その奥側へ。浅犠は前を見据えるように顔を上げて。


「案内してくれ。彼女のところに」
「…それは、恭也に頼んでくれ」
「…何?」
「私にはすることがある。そう、佐山浅犠。君を越える事、だ。今、由起緒は君たちの世界を壊さぬようにとマイナス概念の余波をギリギリまで抑えている。その最後の時まで、ね。そして君も、余波で破壊されぬよう、ノアを封じに来た」
「…なら、どうするというのだ?」
「君に出来なかったことをして、未来を護りに行く」


 由起緒の言葉と共にリフトが上昇を止めた。正面には巨大な壁に見える隔壁があり、その向こうにフロアが見える。そこには搬出大気用の小型格納庫がある。恐らくは概念核を収める為のものだろう。
 左手側が艦橋側。対する艦尾側には、壁の半分ほどの大きさの隔壁扉がある。艦尾の扉がリフトが停止するのと同時にゆっくりと開いていく。その奧にあるものを見せ付けるかのように。
 青白い証明が照らされた広い部屋。そこにあるのは床に設けられた1つのハッチと、奧にある射出機らしい白い機械。その機械を見た反応は様々だった。由起緒は淡く微笑み、浅犠は驚きに眉を顰め、恭也は瞳を逸らした。


「これは…ゲオルギウスの鋳造施設!?」
「そうとも、私が独自に作り上げたものだ。条件が1つ整わず、未だゲオルギウスは作り上げられていない。制作には―――人の身が1つ必要だという条件が」


 浅犠は由起夫の襟首を掴み上げ、自分へと振り向かせるようにして彼の瞳を睨み付けた。彼の言葉の意味は、もう嫌でも理解が出来た。だからこそ、浅犠にはそれが許せなかった。


「…彼女はどうなる!?」
「…言ったろう? 私は君に勝つのだ、と」
「!?」
「由起緒は今までの世界に対して救いの音を鳴らす鐘となる。君はこれから世界を護る手になる。ならば私は、これからの世界、そこに起こる竜達の咎を止める為の槍となろう」


 力を抜いた笑みで由起夫は浅犠へと告げる。襟首を掴んだ彼の手を血に濡れた手で振り解くように外して。


「…運切を頼む。君に会えて良かったよ。会いたくなかったが、…だが会えて良かった」
「…っ! 何故、何故、君は止めないっ!?」


 浅犠は不意に由起夫の肩を支える恭也へと視線を向けた。恭也は瞳を伏せたまま、浅犠と視線を合わせないまま。


「それが、俺の望んだ役割だ。佐山浅犠」
「それで良いのか!?」
「あぁ。――そうだ」


 瞳を開き、恭也は真っ直ぐに浅犠を見据える事で告げた。その瞳に浅犠は何を悟ったのか、力無く腕を落とした。俯いて、あ、と声を出すのを噛み殺すように隠し、拳を振るわせた。
 その浅犠に背を向けるようにして由起夫は歩き出した。恭也も、既に彼に手を貸してはいない。ゆっくり、ゆっくりと鋳造施設に近づきながら由起夫は言う。


「憶えていてくれ。必ず、憶えていてくれ。新庄の姓は、佐山の姓をいつまでも、永遠に想い続けていると。それを憶えているならば…永遠に新庄の意志は佐山とともにあるのだと」


 あ、と浅犠の叫びが抑えきれなくなったように伸び出した。その叫びを聞きながら、由起夫は振り向かず言葉を続けた。


「恭也。…君がこれからどうするのか、私にはわからない。だが、私は君の幸いを、願っているよ」
「…由起夫さん。俺はアンタに、そして由起緒さんに救われた。だから俺は、アンタとの約束を、新庄と交わした約束を違えない。御神の姓は…新庄を守護する事を誓う、と」
「…なら、運切をよろしくな。君にも、頼むよ。―――ありがとう、恭也」


 そして、過去がそこで終わった。――しかし、過去は続いた。





    ●





 向かい合う男が2人居た。そこは山奥だった。月夜が照らす中、ススキが広がるその場所で向かい合う男は衣笠天慶、いや、年老いた佐山浅犠と、また同じく年を重ねた恭也であった。


「…もう、いくのかい?」
「…あぁ。限界だ」


 浅犠の問いかけに恭也は力を抜いた笑みで答えた。その髪の色は既に薄く、肌の色の健康的な色ではない。色が無くなっていくかのような恭也が纏う黒衣が更にそれが際だたせている。
 そうか、と浅犠は無くした片腕を撫でるように触ながら。


「…君も、アイツと同じ道を選ぶのか?」
「俺は竜の咎を止める槍なんかにはなれないさ。俺が出来るのは切り開くだけだ。護るために。それが御神であり、不破である俺の選んだ定めだ。御神の姓は新庄を護り、不破の姓は佐山を想う、と」
「…ならば、君は何のためにその身を捧ぐ?」
「…もしも、いつか、俺を継いでくれるこの世界の俺がいてくれるなら…その願いを叶えてくれる力になりたい。そしてソイツが護りたいと思うものを守り通せる為の力に。誰かの救いに、俺はなりたい。護る事も、不完全だった俺が、護って、救える為の力になれるなら、それは幸せだろう?」


 恭也の言葉に、浅犠はそうか、と小さく呟いた。


「…よく、保ったよ。ノアに居た時からもう君もマイナス概念に侵されていたんだろう?」
「…あぁ。だが、俺にはリンカーコアがあった。そこで矛盾許容概念を取り込む事でなんとか抑制してみたいだが…まぁ、それも限界だな」


 それがこの結果だ、とやせ細った腕で髪を撫でながら恭也は言う。それに浅犠は辛そうに眉を歪めて。


「…寂しくなるな」
「…あぁ。すまないな」
「…いいや」


 いいさ、と浅犠は力無く首を振って答える。そうか、と恭也は小さな呟きを零して。
 2人で空を見上げる。満点の星空だ。そこは山奥があるが為に空気が澄み、星の瞬きが美しく見える。それを見つめながら、浅犠は、なぁ、と問うように声をあげて。


「…御言や、運切は、あれから続く世界は幸せになれるかな…?」
「…なれるさ。なる為に俺たちがこうしてここにいる。そして…俺を継いでくれる奴がいるなら、それは俺の偽物だ。だからきっと―――俺の出来なかった事を全て叶えてくれるよ。俺と同じで、でも、俺と逆だから、俺を越えて、俺を従えて行くから」





    ●





 なのははMe-Ssiahが移していた記憶の表示を止めた。ぎゅっ、とその胸の中央でMe-Ssiahを握りしめながらなのはは空を見上げて。
 その隣に立つジェイルはなのはを見つめる。ふぅ、と息を吐いて視線をなのはから空へと向けて。


「…この世界は、面白いね。かつてはTop-Gの対面存在として生まれ、しかし、過去、Top-Gの崩壊の際に原始の時間へと飛ばされたノアによって産み出され、Top-Gを産みだした、子にして母なる矛盾した世界。一度はループし、そして矛盾を抱えながらも未来へと進む世界」
「…その面白い世界を護ろうとして戦い続けてきた人達がいる。今も、戦い続けている人がいる」


 なのはは、振り向いた。そこには佐山が居た。新庄が居た。命刻が居た。高町君、なのはちゃん、なのは、とそれぞれ3人から名前を呼ばれて、うん、となのはは頷いて。


「続けていこう。面白い世界が面白いままであって、このまま、もっと面白くなる為に」


 行こう、となのはは誘うように、誘われるように呟き、佐山達の方へとゆっくりと歩を進めていった。





    ●





 花がある。それは造花だ。それは全竜裁判の決着を示すものだ。世界はどのような答えを望むのか? Low-Gの概念を解放によって作られる新世界か、Top-Gの概念を消失させることによって護られる世界か。
 そのどちらかを定める投票結果を表す花がある。白はLow-Gで、紅はTop-Gに賛同する者達の票が入れられている。白と赤の花は―――均等に12の花を咲かせていた。そう、それが世界の答えだった。
 均衡からの決着を望もう、と。世界は最早、どちらの答えでも受け入れる、と。――Low-GとTop-Gの出す答えを選ぶ為の、最後の全竜交渉を。世界はそう願い、誰もが応えた。





 ――さぁ、決着を望みに行こう。





   



[17236] 第3章「終わりのクロニクルへ」 04
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/07/06 00:47

 ――世界よ。世界よ。今までお前の流した涙は地に落ちた。





 夜だ。漆黒の空には宝石箱を散らしたように瞬く星の数々。その星を見上げるのは竜美だ。竜美が座っているのはアレックスの背の上だ。足を曲げ、両手を後ろに支えとしておいて、背を曲げて見上げるようにして空を見上げている。


「…ねぇ、アレックス」
『何だ? 竜美』
「明日には、答えが出るわ。世界の、そして、私の…私達の」
『…怖いか?』
「怖い?」


 アレックスからかけられた言葉に竜美は鼻で笑う。怖いのか? あぁ、と竜美は声を出して笑う。その身を抱きしめるようにして竜美は瞳を閉じる。閉じればそこには一人の少年の顔が浮かんで。


「――怖い、のかしら?」
『…竜美』
「…でも、行くわ。そうしないと私…もう、―――待てないもの」





 ――世界よ。世界よ。今までお前が叫んだ痛みは世界を揺るがした。





 同じ時刻にして、空を見上げる少年が居た。自宅の屋根の上に上がり、少しでもその空にある星に近づこうとするかのように。少年が、手を伸ばす。だがそれでも星は手に届く事はない。


「…リュージ君」


 不意に、呼ぶ声がした。竜司、と呼ばれた少年、飛場は振り返る。そこには屋根の上を四つん這いで移動するようにやってきた美影の姿だ。驚きが飛場の目に宿る。だが、それもすぐに笑みの色へと変わって。


「…ここは、冷えますよ? 美影さん」
「…ん…。でも、リュージ君の傍に居たいから」
「…なら、戻りましょうか」
「うぅん。リュージ君はここに居たいから。だから、私もここに来た」
「―――」
「迷惑なの、わかってる。でも…リュージ君が答えが出せるまで、ここで、一緒に考えよう?」


 そっと、飛場の頬を撫でるように美影がその手を伸ばす。その手の感触に飛場は、あ、と掠れた声を漏らして。


「リュージ君を、わかりたい。悲しみは分け合えば半分、喜びは二倍、って聞いたよ。悲しみは重たいから…だから、リュージ君?」
「…美影さん…」
「リュージ君の傍まで、行くよ?」





 ――世界よ。世界よ。だが誇るが良い。





 マンションの一室。眠れぬのか、電気の灯りが消えた部屋で天井をぼんやりと見つめるのはヒオだ。ここは原川のマンションで、ヒオが下宿している場所だ。ヒオの部屋と言うべき場所は押入の下段の部分で、天井はすぐそこだ。


「…眠れませんわ…」


 緊張しているのだろう、とヒオは自らの状態をそう断ずる。駄目ですわね、と想い、ヒオは自分の体を包んでいた毛布をくるめて纏うようにして押入から出た。目指すのはキッチンだ。
 冷蔵庫の中には冷えたミネラルウォーターが入っているだろう。それを呑んで少し体を冷やせば眠れるかもしれない、と。


「…ぁ…」
「…ヒオか?」
「原川さん…も?」


 キッチンに辿り着くと、そこには冷蔵庫を開いていた原川の姿があった。それを確認したヒオは少し驚いたような目で彼を見て、彼の名を呼ぶ。眠っていない彼を見ていると、まさか自分と同じ理由なのではないか、とヒオは思って。


「…緊張か?」
「…多分、そうですの」
「気負う事はないさ。君が駄目でも、佐山の馬鹿を始めとした奴らがいる。負けるとか考えるなよ、ヒオ・サンダーソン。君は君のやるべき事を果たせば良い。全力でやった結果で負けたら仕様がないだろう? ヒオ・サンダーソン。そこで君は泣くのか?」


 原川の言葉にヒオは身を竦ませた。そして、小さくその首を振って。


「泣きませんわ。だって、泣くのは悔しいからですもの。この決着に―――悔しさなんて、残してはいけませんものね」
「だったら、どうする?」
「全力で。持てる全てで、行きましょう。私のままで、私の全力で。認めさせて、認めていけるような戦いにするために」
「――良い答えだ。ヒオ・サンダーソン。なら、寝ろ」


 ひょい、と原川は冷蔵庫から取り出したペットボトルをヒオに差し出しながらそう告げた。はい、と小さく頷いてヒオはペットボトルを受け取って笑みを浮かべた。





 ――世界よ。世界よ。お前の流した涙は恵みとなりて大地を潤した。





「ねぇ、覚?」
「ん?」
「これ」


 夜の外灯が照らす街中、それをゆったりとした歩調で歩きながら風見が隣を歩く出雲へと問いかける。出雲は単車を押しながら風見の方へと視線を向ける。
 風見の手には1つの宝石がぶら下がっている。その宝石を目にして、覚は再度、風見の方へと顔を向けた。そこにはやや、不安げな表情を浮かべた風見が居て。


「なんかさ、終わるんだなぁ、って思っちゃうよ。コレ、渡されるとさ」
「明日がそういう戦いなんだから仕様がねぇだろ」


 そう言う覚の胸元には風見の持つものとは異なる宝石が揺れていた。一度だけ、その宝石へと視線を降ろして、出雲は小さく溜息を吐く。


「…お別れね。近々」
「あぁ、でも違ぇよ、千里」
「…ん?」
「形が変わって、それで一緒にいるって確かめ辛くなるだけさ。――それに、俺たちがいれば、アイツがいたって言う証拠になる」
「――それも、そうか」


 はは、と出雲の言葉に風見は小さく笑い声を零して。


「…そっか。そうだよね…ただ、変わっていくだけなんだ。世界も、未来も、今、この手に握るものも、ね」





 ――世界よ。世界よ。お前の揺るがした世界は人々の行動の先駆けとなった。





 連続とした金属音が響き渡っていた。そこはUCATの地下にある訓練室の1つだった。そこに戦闘服を纏った2人が対峙していた。対峙した2人がその手に持つのは同じ獲物だ。
 それは鏡あわせのように同じ攻撃で、同じ攻撃を返す。弾き、突き、凪ぎ。振るわれるのは槍だ。その槍を振るうのは片目に眼帯を付けた初老の男、ハジだ。
 ハジの相手を務めるのは――命刻だった。


「――シッ!!」


 体全体を使った撓りを使った突き。もはや突撃と言うべき突きにハジが、お、と驚いたように声を出す。ハジの持っていた槍が命刻の槍を受け止める。


「…やるもんじゃないか、命刻。うん、やるもんだ」
「…ずっと見てきたからね。だから、見様見真似ぐらいはね」
「そうかね? うん。…だが、直々に私にこうして教わるという事は、そういう事か?」
「あぁ」


 だってさ、と命刻は槍をくるり、と回すようにして持ち直して。


「私は義父さんの娘だからさ。――背負って、戦いたいよ。そう決めたんだ」





 ――世界よ。世界よ。見ているか。お前は見ているだろうか?





 夜の闇。そこを照らすのは蝋燭の淡い光だ。その淡い光に照らされて闇の中に象られる顔は新庄と佐山の顔だ。蝋燭の光が照らすもの、それは小さなお堂だった。そこには一枚の写真立てが置かれている。
 それを手に取るのは新庄だ。写真に移っているのは一人の女性。それを見て新庄は淡く微笑みを浮かべる。新庄は佐山の手を握りながら、ねぇ、と問いかけから佐山に声をかけた。


「ねぇ、佐山君」
「何だね? 新庄君」
「…ボク、ね? ずっと一人だと思って生きてきたよ。心細くて、寂しくてさ。…でも佐山君と出会ってからいっぱい頼ってきて…。でも、ね? ボクは一人じゃない。お父さんがいて、お母さんがいるからボクがいて。何分かの一の確立で父さんと母さんでこの世界は出来てるんだと思う」


 きゅっ、と。握る佐山の手を離さないようにして。


「もう、姿は見えないけど、言葉は交わせないけど、でも、この世界がある限り、お母さんやお父さんのしてきた事は生き続けていくし、ボクもそこに加わっていく。…世界ってさ。ボク達の体じゃなくて、ボク達がしたことを刻んで生き続ける生き物みたいだね。ボク達がいなくなっても、ボク達はそこにいる」
「――言うならば、世界の遺伝子かね。私達は」
「そうだね。…ボクはこの世界を大事にしていきたい。皆が残してきた世界だから。もう会えない、だけどその会えないから、会いたいと思う気持ちを大事にしたい思いに変えて。…だから、届くよね? ボクのすることは…お父さんや、お母さんに」


 新庄は軽く俯きながら呟いた。佐山の手は気付く。新庄の手がやや震えている事に。佐山はその手を握りしめて、大丈夫だ、と言った。


「届くとも。私達の思いが世界に届かぬ筈がない。新庄君、世界を軋ませよう。私と君なら二倍、いや、新庄君は2人分だから私も頑張れば四倍だ」
「そ、そんなにいらないよ」
「なら、残りの分は私と新庄君の為に使おう」
「…うん。ありがとう、佐山君」


 ねぇ、と新庄は佐山の手を握りながら、もう声の届かないだろう、だけど届けたい人へと声を向けた。


「ボク、――ボクの全てを認めてくれる人と一緒になるよ。幸せになる為に」





 ――世界よ。世界よ。さぁ、なら、では、見せようではないか。





 空を舞う光が走る。桜色の残光を残して空を舞うのはなのはだ。彼女は今、バリアジャケットも無しにただ空を飛んでいる。上へ、下へ、右へ、左へ。無尽蔵にただ空を自由に舞う。


「マスター」


 それを追うようにして飛ぶ影があった。それはレイジングハートだ。金色の髪を靡かせながら彼女はなのはへと追い付いて。レイジングハートに気付いたのか、なのはは空中で制止し、レイジングハートを見て。


「…何? レイジングハート」
「…いえ。マスターは本当に飛ぶのが好きなのですね」
「そりゃ…夢だし。誰でも一度は憧れるんだよ。空を自由に飛ぶ事を」
「…今なら、わかる気がしますね」


 クスクス、とレイジングハートは笑う。人の身を得て彼女は多くを得た。その多くは彼女を人らしくさせていく。そんな彼女の姿をなのはは嬉しそうに見つめて。


「ねぇ、レイジングハート。飛ぼうよ。高く、早く、どこまで。私達を縛るものなんてどこにもないからさ」
「寝ましょうよ。もう遅いですよ? 明日は決戦なのですから」
「いーやーだ。だって…今日はこんなに星が綺麗なんだよ? だから飛ぶよ。私は」
「マスター…」
「…じゃあ、レイジングハートが私を捕まえたら寝るよ。それじゃ、バイバイッ!!」
「あっ、コラッ! 待ちなさい、マスターッ!!」


 そうして2つの桜色の残光が夜空に舞う。幾多もの軌道を描きながら空を走る二対の桜の光を見つめるのはジェイルだ。彼は見惚れるかのようにその光を見つめ続けるのであった。





 ―世界よ。世界よ。お前が産みだしたその奇跡を。






    ●





 告

 全竜交渉会議の結果、先年より因縁のあるTop-GとLow-Gの支持率は同率であると判断されん。
 就いては両者の同意の上、Top-G五名、Low-G五名の代表による戦闘にて禍根の戦に決着をつけられたし。


 一枚の模造紙に墨字で書かれたものの序文だ。そこからTop-G側の代表者と、Low-G側の代表者の名が連ねられていた。
 Low-Gは佐山を始め、出雲、風見、飛場(美影)、ヒオ(原川)と名を連ね。
 Top-Gは命刻を始め、竜美、アレックス…そして――なのは、レイジングハートと名を連ねていた。
 代表者達は東京タワーの下へと集っていた。そこには既に概念空間が展開されており、人は居らず、ただ静まり返っている。


『――よろしいですか? 両代表者』


 概念空間に声が響き渡る。それは概念によって届けられた大城至の侍従であるSfの声であった。彼女は彼女の特性故に全竜法廷の会議議長を務めていた。そして現在の進行もまた彼女によるものから始まる。


『これより、Top-GとLow-Gの代表者決戦を始めます。再度、ルールの確認をします。この概念空間は東京の全域を範囲としております。その概念空間の10カ所に概念核武装を設置してあります。
 両代表者はこの概念核を集め、より多くの概念核を保有出来た代表側が勝利とします。集めた概念核を再びこの東京タワーに集め、奉納する事で奉納した代表側に1ポイントとします。
 無論、概念核武装を用いた戦闘も可能とします。相手から概念核を奪取し、それを奉納する事も可能です。…よろしいですか?』


 Sfの問いに答えは無い。それは無言の肯定だ。
 東京タワーを境目にして、両陣営の代表者達は構えを取る。Low-G側にはゲオルギウスを装着した佐山が腕を組み、構えている。その左右には出雲と風見が並び、その後ろに竜司と腕を絡めるようにした美影が立つ。その更に背後では既にヒオと原川がサンダーフェロウのスタンバイをしている。
 Top-G側には命刻が自然体で立っていて、その隣には竜美がいる。竜美の背後には白い武神、テュポーンが刀を地に突き立てるようにして立っている。その背後にはアレックスが構えを取っている。
 命刻の隣、竜美側とは逆の方ではなのはがMe-Ssiahを鞘に収めてLow-G側を見ている。レイジングハートはなのはに付き従うように一歩引いた場所に立っていて。


『それでは、両陣営。―――良き戦いを。ここに最後の全竜交渉の開始を宣言いたします』


 Sfの開戦の合図と共に動きが始まる。それぞれが散っていったのだ。それぞれが、それぞれのものを得るために。
 佐山は開始宣言直後にサンダーフェロウの背へと飛び乗った。それに続いて風見、出雲が飛び乗り、サンダーフェロウが空へと飛翔した。周囲の建物のガラスを砕きながら空を舞うサンダーフェロウが向かうのは概念核の下へと。


「原川、ヒオ君、急ぎたまえよ」
『全力で飛ばします!!』
『振り落とされるなよ』


 空へと昇り、加速していくサンダーフェロウ。その雄姿を見送ったのは命刻だ。ふん、と鼻を鳴らして。


「――考える事は同じ、か。行くぞアレックス」
『承知!!』


 そして命刻もまた同じだ。彼女はアレックスの背に飛び乗る。瞬間、アレックスもまたサンダーフェロウと同じように空を行った。佐山達とはまた別の方角へと、だ。
 それを見送るのは飛場と美影、竜美となのは、レイジングハートだ。飛場の視線は竜美へと向けられていて、竜美の視線もまた飛場へと向けられていて。


「…なのはちゃん」
「わかってます。――レイジングハート」
「はい。―――行きましょう」


 視線を向ける事無く、竜美はなのはへと声をかけた。それになのはは1つ頷き、瞳を閉じた。そして両手を広げるようにして、まるで何かを受け入れるかのように。
 そのなのはを抱きしめるようにレイジングハートがなのはを包み込む。そして―――閃光。光が周囲を照らしていき、そしてその光を破るようにして飛び出す者がいた。
 白金色の髪を靡かせ、赤紫の瞳を真っ直ぐに前へと向け、黄金の槍を構え、背に桜色の翼を広げ、装甲服の上に甲冑を纏う者、レイジングハートがそこに居た。


「A.C.S…Stand By……OK…Full Boost Count…3、2、1…」


 黄金の槍の一部が開き、そこから桜色の光が溢れ出す。レイジングハートの背のバックパックから広がる翼が光量を増し、撓るようにその翼をはためかせて。


「――Go Ahead!!」


 ――空気をぶち抜いた。加速したレイジングハートが向かう先はサンダーフェロウが駆け抜けていったその先へ。その加速は先に行ったサンダーフェロウを追って加速を続けていく。
 桜色の光の軌跡を見送った竜美が飛場へと視線を向けた。あぁ、と竜美は熱に浮かされたような吐息を吐き出して。


「…ねぇ、竜司君?」
「…何ですか?」
「どうして、ここに?」


 その問いに、飛場は一瞬口を震わせた。それによって体が震えそうになったが、その手を美影が優しく握った。飛場は視線だけ美影へと向ける。視線を向けられた美影は大丈夫、と呟いて頷く。
 飛場も、頷く。そこには笑みがあった。だが、それは竜美と向かい合った瞬間に消えて。


「貴方に、勝ちに来ました」
「……」
「貴方を、倒すために」
「…ぁぁ…」
「貴方と、戦う為にっ!!」
「あぁぁあああっっ!!」


 叫び、吠える。飛場が思いを叩き付けるように叫び、竜美が応えるかのように叫ぶ。竜美の目尻から一筋、涙が零れ、彼女の背後に控えていたテュポーンが動きを見せる。突進の動きだ。
 その突進を止めたのは――概念空間より召喚され、飛場と美影を取り込む事によって完成される武神、荒帝だ。荒帝が刀を振るい、テュポーンもまた刀を振るう。甲高く響く金属音。軋む身と刀と。


『行きます。―――行きます!!』
『うん。――行こう』
「来て、みなさいよっ!!」


 再度の金属音が、高らかに開戦の合図を告げた。





 
 



[17236] 第3章「終わりのクロニクルへ」 05
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/07/07 23:18
 空は自由だ。何者にも縛られる事なく、ただ突き進む事が出来る。望むべき場所へと居たる為に。
 レイジングハートは自分の周囲に障壁を張っていた。それは空気抵抗を限りなく薄くし、ただ前へと進む為の障壁だ。更にカードリッジをロードする事によって5th-Gの概念を展開し、前方を下と認識する事によって加速を続けている。
 レイジングハートは行く。空を。何故行くのか。それは己と共にありし主が望む願いがあるからだ。――届かせて、と。


「そこに、相対すべき者達がいる…」


 だが、追う相手は機竜だ。更には雷の眷属の名を持つ最速の機竜だ。
 だが、それがどうした。レイジングハートは自らの半身とも言える杖を握る。相手は最速? 良いだろう。自分では届かない? 良いだろう。認めよう。まずはそこからだ。
 だが、私の名を忘れるな、と。レイジングハートは杖を握る力を強める。自らの身の内から声がする。それはレイジングハートとユニゾンしたなのはの声だ。なのはは現在、レイジングハートにその身の全てを委ねて、レイジングハートに魔力を注いでいる。
 ユニゾンデバイス側からのユニゾンはユニゾン対象が緊急時の際の非常時の手段として用いられるのが通常のユニゾンデバイスの手法であるが、カウリングデバイスであるレイジングハートは違う。
 なのはを動力として取り込む事によってその性能をフルに発揮する事が出来るのだ。デバイスが人よりも優れる点。それは記憶力であり、計算力であり、人にはない緻密さ。ただ空を飛ぶのではなく、レイジングハートがその処理をフルに行う為にはなのはの補助を一切捨てて、自らが全てを運用すればよい。
 取り込んだ状態であればなのはに対しての補助も何もない。だからなのはは心も身も委ねている。もしもここでなのはがレイジングハートと意志を重ね合わせられなければその性能は著しく低下する。
 だがレイジングハートは知覚する。自分の性能はフルに発揮されている。淀みも迷いもなく、ただ真っ直ぐに向かっていける。それは―――なのはの信頼の証だ。届くだろう、と。届けてくれるだろう、と。


「我が名、レイジングハート…! 認める事から始まり、抗い、認め得ぬ為に……!!」


 諦める事はない。ならば、走れ。届かせろ。ただ、そこに欲するものがあるならば。
 行けるだろう。レイジングハートは考える。いいや。レイジングハートは思う。行くのだ。レイジングハートは誓う。望む戦場へと運ぶのだと。レイジングハートは力を込めた。障壁は更なる薄さと鋭さを持って空気を切り裂き、更に彼女の体を加速させた。


「――見つけたぁッ!!」


 吠える。レイジングハートの視線の先、そこにはサンダーフェロウが先を行く。その尾にレイジングハートは追い付いたのだ。だが、そこでは終わらない。加速は続く。捕らえる、と。
 サンダーフェロウを使った武器の経由。サンダーフェロウと荒帝、これは概念核が無くともその単体の性能から武装を回収せずとも戦える。だが、佐山や風見、出雲と行った面々、得に風見と出雲は概念核武装に頼った戦闘スタイルだ。
 だからこそ、ここで足止める。勝つ為にはそうしなければならない、と。なのはもまた概念核武装を所有せずとも十分に戦えるのだから。だからこそ、追い付くのだ、と。
 そして、レイジングハートは見た。サンダーフェロウの背から何かが飛び出したのを。それを確認した瞬間にレイジングハートは内からなのはの声を聞いた。そしてレイジングハートが光に包まれ、光が消えるのと同時になのはとレイジングハートがそれぞれ飛び出す。


「――さぁ、初の実戦と行こうかしら? ヴァルキュリア」
『Tes.My lord』


 風見が白の機殻に包まれた槍、穂先と柄の中心に宝玉を埋め込まれた槍を構え、背に背負ったX-Viから光を放ちながら飛翔してくる。風見の楽しげな声に応える声は無機質な機械音声。


「カウリングデバイス・タイプインテリジェント…ヴァルキュリア」


 なのはは風見の持つ槍を見て小さく呟いた。それに対して宙に浮かぶ風見はヴァルキュリアを振り抜くようにして構えて。


「アンタがテストしたんだっけ? アンタのテストデータ。見させて貰ったわよ。なかなか参考になったわ。お陰で―――良い気分じゃない」
「風見さんの要望でカスタマイズした後のデータ、見ましたよ。―――楽しそうですね」
「えぇ。当たり前じゃない」
「あはは、じゃあ…」


 なのはは腰からMe-Ssiahを引き抜き、風見は両手でヴァルキュリアを構えるようにして。
 言葉は無く、互いに初速から全速力。空中でなのはのMe-Ssiahが交差するように振り抜かれ、風見のヴァルキュリアを押し留める。空中で押し合い、なのはは足下に展開したフィンの出力を全開にし、風見がX-Wiから発せられる光を強めていく。


「――ここで、墜ちなさい?」
「――冗談。墜ちてもらいますよ?」


 互いに浮かぶ笑みは綺麗なものだ。だが放たれる言葉は物騒で、ここから始まるのは悪魔と戦女神の天駆ける戦場へと変わる。交差していたMe-Ssiahとヴァルキュリアが離れ、空駆ける乙女達の開戦が高らかに告げられた。






    ●





 なのはの追撃を振り切ったサンダーフェロウは地を踏み砕くようにして地に着地する。その眼前にはサンダーフェロウの武装であるヴェスパーカノンが安置されている。それを自らの概念空間に収め、ヒオはホッ、と一息を吐く。


『これで、まず1つ、ですね。原川さん』
「あぁ…そうだな」


 ヒオの安堵の声に原川は小さく頷きを返す。同時に、サンダーフェロウから2つの影が飛び降りるのを見た。1つは佐山で、もう1つは出雲だ。彼等は互いに別の方向を目指して走っていった。
 2人の後姿を確認したヒオは小さく息を吸う。そしてゆっくりと意識を空へと向けて、ヒオは原川さん、と原川の名を呼んだ。


『行きましょう。私達の戦場は…空にあります』
「あぁ。来るだろうな。…いや、そもそもこれを狙ってたのか? この争いは」
『どうでしょう? でも、良いんじゃないですか? ――スッキリしますもの』
「…終わらせる為に、か。あぁ、確かに終わりがスッキリする方が良い』
『えぇ。ですから…行きましょう。空へ。私達の―――相対すべき彼が来ます』


 そしてサンダーフェロウが地を蹴り、空へと昇った。身を回すようにして空でロールし、爆発するような加速と共に空を駆け上がる。目指すのは未だ見えぬもう一人の自分。相手側の機竜―――。


『アレックス…!』
『見つけたであるぞ、我が宿敵、サンダーフェロウ! ヒオ・サンダーソンよ!』


 ――アレックスが来た。もう一人の自分が。
 ヒオは力を込めた。だが、その力をやや抜くようにして息を吐き出し、眼前を見据えて。だがそれでも緊張が抜けきらないのか身は固いままだ。恐らく表に出ていれば汗が出ている事は間違いなしで…。


「ヒオ」
『…な、何ですの?』
「――良き答えを」
『―――』


 原川の声に、ヒオは抜けきれなかった体の力を抜く。ふぅ、と息を吐き出して。


『…原川さん、サンダーフェロウ…』
「…何だ? ヒオ」
『…ヒオ』
『―――行きましょう。良き、答えの為に』


 そして、応えた。ヒオの言葉に原川は操縦桿を握る手に力を込め、その口元に皮肉じみた笑みを浮かべて。


「Get Set…」
『Go ahead!!』


 二機の機竜は空を舞う。何よりも早く、どこまでも届かせる為に。その巨体に、更に巨大な願いを乗せて二機の機竜は空を奔った。





    ●





 徐々に始まりつつあるそれぞれの戦い。1つのモニターでは白と黒の武神が踊り、空では乙女達と機竜による空戦が行われている。東京を概念空間としたこの場所で行われる戦いには多くの者がその行方を見守っていた。
 新庄も観客の一人だ。胸元に手を添え、そこに収まった指輪を握る。それは佐山の母の指輪だ。本来は佐山のしていた指輪であったが、ゲオルギウスを得る為の鍵が新庄が佐山の母の指輪をし、そして佐山が新庄のしていた父親の指輪をしなければならなかったのだ。
 そして指輪の交換は果たされ、戦場へ行く佐山の両手にはゲオルギウスが収まっている。自分の父を材料とした概念武装が。故に新庄はどうか、と願わずにはいられない。


「新庄さん…?」
「…あ、詩乃さん? もう、出たんだ」
「え、えぇ。…命刻義姉さんが戦ってると聞いたので」


 新庄に声をかけてきたのは田宮詩乃だ。詩乃はどこか躊躇するようにしてからモニターへと視線を移す。そこにはなのはと風見、荒帝とテュポーン、サンダーフェロウとアレックスの戦いが繰り広げられていて。


「…世界の運命を決める戦い、だってさ。でもさ、良く見れば、これってお互いの相対したい人と戦えるようになってるんだよね?」
「…そう、ですね」
「…それさ、命刻さんが言い出したんだ」
「え?」
「命刻さんが、皆に、皆の決着をつけさせてやりたい、って。だからこうして乱戦で、でもそれぞれが戦えるように、って手を回したの。いけない事かもしれないけど、でも、必要な事だとボクは思うから」


 新庄はモニターを真っ直ぐに見つめる。は、と息を吐き出して。


「終わらせる為なんだ。だから、全部精算していこう、って」





    ●





 佐山は疾走していた。その手には木刀が握られていた。それは佐山が回収したムキチが入った木刀だ。それを手にすれば疲労はたちまち消え、加速用の符によって疲弊する佐山の体を癒していく。
 佐山は脇目もふらずに疾走していた。目指すのは東京タワーだ。何故東京タワーを目指すのか? それは概念核を奉納すべき場所が東京タワーであり、そこに皆来るだろう、と。それぞれの決着を終えて、終えた奴が後は必要ないとそれを集めておいていくだろう。


「見ているか…!」


 佐山は問う。誰に問うているのか、佐山はただ問う。


「世界すら、自分の因縁の決着付けの演出だ! 個人が世界を動かしている! そ・し・て! その中心は私に集まる!! 快い、快い戦場だ!!」
「――その言葉の中身の1つを訂正して貰おうっ!!」


 突きが来る。佐山を空中から串刺しにしようと槍を振るったのは命刻だ。命刻の手に握られるのはB-Spだ。佐山は前に身を倒すようにして槍をかわす。コンクリートへと突き刺されたB-Spは焔を放ち、コンクリートを溶かすようにして振り抜かれて。


「訂正? 何を訂正しろと?」
「誰がお前を中心にだ。自惚れ馬鹿め」
「馬鹿は貴様だ。私を何だと心得る? ――私だぞ!?」
「意味がわからんわぁっ!!」


 命刻の突きに佐山は木刀でいなす。瞬間、焔が猛ろうとしたが木刀がその身に霧水を発生させ、氷結する。それは氷結の刃だ。ありとあらゆるものを凍らせる氷刃。ありとあらゆるものを凍らせ砕く刃と、ありとあらゆるものを焼き尽くし斬る刃がぶつかり合う。
 概念核と概念化同士の衝撃に加え、水蒸気爆発にも似た爆風が佐山と命刻を吹き飛ばす。吹き飛ばされた2人は互いに正反対のビルの方へと飛ばされ、佐山は身を捻るようにしてビルを蹴り、壁蹴り。そのまま何度か壁を蹴って地面へと復帰。
 同じく命刻もまた地を疾走し始める。佐山の体には既に加速用の符は無い。先ほどの命刻の持つB-Spの焔によって焼かれてしまった。だが自分自身は共にありしムキチが護ってくれた為に無傷だ。


「おい、地味代表」
「なんだ、キチガイ代表」
「ここか?」
「いいや。なら、あそこか?」
「そうだな」
「どうする?」
「行くか?」
「行こう」
「なら、付いてこい」
「は、貴様がな」


 互いに地を蹴った。行くべき場所は黒と白の武神が踊る決着の地へと。





    ●





 駆動する。軋み、音を奏でる。振るわれた刀と刀が切り結び、離れ、再び切り結ぶ。それは剣舞だ。剣舞を舞うのは2体の武神。荒帝とテュポーンだ。
 その二機の状態は一目瞭然。装甲にかすり傷程度を残すテュポーンと、装甲の幾つかを吹き飛ばされている荒帝と。どちらが優勢で、劣勢なのかはもう丸わかりで。


『…くそっ…』


 飛場が歯噛みする。やはり、届かない、と。
 何故、と思う。そしてわかる。弱いなぁ、と。
 悔しい、と思う。だから泣き喚きたい気にもなって、逃げ出したくなる。
 どうして、と思う。結局こうなっているのは目の前で対峙している竜美がいるからで。
 でも、と思う。
 でも、彼女は待っているんだろう。それは彼女が―――勝ってはならない人に勝ってしまったからで。
 本当は優しい。だけど、優しいから。彼女は怨みが似合わない。だからその姿は知れば知る程に痛々しくて、どうにかしたくなるけれど。


『届け…られない…のか…』


 先ほどから己の全てをかけて飛場は挑んだ。だが遠い。強い。それは自分の父の強さを越えた強さで。ずっと破られないように強くなってきたんだろうなぁ、と飛場は感じ取る。
 だから、悔しい。自分は何も越えられない。自分は何にもなれない。英雄にも、救世主にも。何にもなれず、ただ、そこで終わって朽ちていくだけで。


「終わり、かしら?」


 不意に、テュポーンの肩に乗っていた竜美が呟きを零した。飛場は答えを返せない。ただ荒い息を吐き出すだけだ。その言葉に答えを返したい。まだだ、と。まだやれます、と。だがそれでも上がった息は言葉を返せない。


「…終わり、なのね」


 そう、と呟いた彼女に見えたのは明らかな落胆で。あぁ、と。飛場は空を仰ぎ、ちくしょう、と呟いた。終わりになんてしたくない。こんな終わり方で望むためにここに来たわけじゃない。
 テュポーンの刃が迫る。それに飛場も応えようとして―――すり抜けた。
 いや、すり抜けた訳じゃない。消えたのだ。何が? それは荒帝が、だ。何が、と飛場が何が起きたのかを把握するよりも前に飛場を抱きしめる力を感じた。それは美影の腕で。


「…リュージ君」
「…美影さん…」
「…泣いてるよ? リュージ君」


 美影の言葉に、飛場は、あ、と声を漏らした。自分は泣いていた。情けない事に。どうしようもないぐらいに、ぽろぽろと涙がこぼれていって。


「…泣いてるんです」
「……」
「本当は、泣きたい筈なのに…泣けなくて…」
「……」
「泣けなくさせてるのは僕で…僕しかいないのに…っ!」


 望まれているのに。どうして、こんなにも己は無力なのだ、と飛場は拳を握る。竜美は待っている。ずっと。


「終わらせてあげたいのに……っ!」


 叫ぶ。


「終わらせて…っ!」
「…終わらせて?」
「…終わらせて…」


 どうしたいんだろう?


「…寂しいのは、嫌だもんね」
「……」
「竜轍さんも、トシさんも、お母さんもいるけど…それでも、いなくなったら、寂しいよね?」
「…ぁ…」
「お父さんがいなくなって…リュージ君…寂しかったよね…。だから、だよね。――もう、手放さない為に」


 ギュッ、と美影は飛場を抱いた。大丈夫、と告げる。その胸元の賢石が光を帯びる。え、と飛場は振り返った。今までそんな事は無かった、と。進化の賢石は徐々に罅を入れていく。あ、と飛場は声を漏らして。やめ、と停止の言葉を吐こうとして、その唇を指で止められる。


「私は、人になるよ。人になって、リュージ君と一緒にいる。リュージ君が望むものを一緒に見たい。それが私の願いだから。私が、リュージ君と一緒に居たいって思うから」


 だから、ね?


「竜美を、美樹を、迎えに行こう? 私、一人っ子だから―――お姉ちゃん、欲しいよ」


 一緒に、望むよ。





    ●





 その変化は劇的だった。
 金色であった美影の髪がまるで闇を吸うかのように漆黒へと染まっていく。前髪の一房を残して黒く染まった髪が風に揺れる。かしゃん、と美影の胸元にあった賢石が砕ける音がする。
 役目を果たしたのだ。人へと進化する自動人形。人形は自らの意志を望み、その望みが彼女を人へと至らせた。
 飛場は思う。彼女は至った。自分がいて、そして彼女が望むようになってくれて。


 ――僕も、同じ場所へいけるかな…?


 美影のように。彼女が望んだ髪の色はきっと彼女の名を表すもの。それは彼女の母がLow-Gの子として育って欲しいと当てたLow-Gの名前。美影の母が美しいと思った光景をつけた名。美しき影の名を。
 変わったなぁ、と飛場は思う。変わっていけるんだなぁ、と飛場は思う。そう。だからだ。拳が震える。握られているからだ。そこには力が込められている。意志は砕けた。だが再度ここに生まれた。


「――リュージ君」
「――」
「勝ちたい?」
「―――はいッ!!」
「そっか…―――私も、だよ」


 ――望む場所へ、行こうか。


 飛場は呼ぶ。再度、その力を。諦めない為に、何度砕けたって、何度負けたって…譲れない事なのだから。


「――荒帝ッ!!」


 力が、顕現する。
 再び召喚された黒の武神。だがその細部は異なりを見せている。美影の進化が更に強靭な姿を欲したのだ。望むべき場所へと至る為に変わり、得てゆく為に。
 頭部、四肢、胸部、背部、追加フレーム、人工筋肉、装甲…次いで次いでと現れるパーツが一気に合致していく。飛場と美影を取り込み、更に荒帝は形を組み替えていく。
 右腕には鋼の装甲とも言えるプラットフォーム。神砕雷の設置台。左腕には細身の爪を伸ばしたような形状の盾が来る。盾の株には柄があり、勢いよく引き抜けば刃が現れる。
 更にパーツが追加され、フォルムが女性的へと変貌していく。最後に頭部から黒い髪が炎のように吹き出て風に靡いていく。


『美樹義姉さん…』
「……」
『何度負けたって…何度砕かれたって…貴方を負かすまでは…一歩も退きませんよ!!』
「―――ッ!!」


 再度、黒の風と白の風はその身を打ち付け合う。



[17236] 番外編 リリカル・クロニクル第2部予告
Name: 道化◆5a734804 E-MAIL ID:d4ec8ce0
Date: 2010/04/29 16:13
 ――隠されたる真実を知った英雄は地に落ちる

 ――地に落ちた英雄は悪魔へと変じて世界に牙を剥くだろう

 ――悪魔は闇達を率いて真実を世界へと突きつける

 ――亡者が聖なる歌を歌い、失われし女神が涙を流し、そして悪魔が終焉の扉を開く





    ●





 どうしてこうなってしまったのか。
 わからない。わかる訳がない。何故ならばそもそも目の前にある現実すらも信じたくない。
 周囲に報せを送る警告音のアラートが鬱陶しく感じる。赤い非常事態を告げる光が目に痛い。


「…どうして…?」


 その前で自分の前に立ち塞がる少女に問うた。この現状を生みだしたのはそもそもは彼女なのだから。
 彼女は親友だった。
 彼女は恩人だった。
 彼女は戦友だった。
 そう、彼女とは共に時間を共有し、思い出を共有し、そして未来もその関係は変わる事は無いと思っていた。
 なのに…何故? どうして? わからない。わかりたくない。だから涙を瞳に湛えて彼女は訴える。


「――どうしてなの、なのはぁっ!!」


 彼女の叫びに対して、応対する少女はゆっくりと彼女へと顔を向ける。そして、やりきれないような、淡い表情を浮かべて。


「――ごめんね、フェイトちゃん」


 そっと、決別の言葉を口にした。視界が涙で滲む中、自分の声とは思えない声が自分から吐き出され、彼女へと刃を向けていた――。





『――本日付を持って、高町なのはの管理局局員登録を抹消。以降、同元局員をSランク級の次元犯罪者として指名手配する。罪状は本局データベースへのハッキング。重要機密事項の奪取及び漏洩の疑いがあり。発見次第、即座に確保。尚、生死は問わない事とする――』





    ●





「――挑むか? 世界に」


 男が問う。
 少女に問うのだ。
 その意志は本当なのか。
 その意志は意味があるのか。


「それが、私の答えだよ」


 傷付いた少女は嗤う。
 例えどれだけ傷付き、穢されてもなお、その心に宿るのは不屈の力。
願うのは抗い。挑むは世界。一人であろうとも、彼女は世界に牙を突き立てる。


「――ならば、行こう。世界の真実を解き明かしに」


 男は快いと笑う。そして自らも、と彼は歩む。
 差しのばされた男の手。その手の中にあるのは進撃の力。
 少女は、ゆっくりと手を伸ばす。そしてその手を掴み――。


「――うん、行こう。世界の真実を突き付けて……夢を終わらせに行くんだ」


 強く握り、歩き出す。それは彼に引っ張られる訳でもなく、自分が引っ張る訳でもなく、互いに同じ場所を目指して。


「まだ…概念戦争は終わってないんだ。だから終わらせに行かなきゃいけないんだ。報せにいかなきゃいけないんだ。もう世界は答えを見いだした。だからもう眠って良いんだ。――あの夜に、聖なる歌は響いたんだから」


 そして――。


「――行こう、ジェイルさん。この世界を、彼女を、眠らせよう。それがきっと、私達の決着になるから。誰が否定しても、誰が抗っても、私は……次元世界を滅ぼすよ」


 ――悪魔は静かにその鼓動を打ち鳴らす。
 そして時は流れる。高町なのはが姿を消した2年後…。
 それは奇しくも…第97管理外世界「地球」において聖夜とされる12月25日……。


『次元世界の諸君、初めまして。私の名はジェイル・スカリエッティ』


『これから、この世界の真実を語ろう。そしてその上で告げよう。私達は――この世界を滅ぼしに来たのだと』


 それは…概念戦争の裏の渦中に産み出されてしまった世界、「次元世界」の真実…。


「彼女の夢を返して貰うよ。あれは彼女の夢なんだ。この世界の為に磨り減らして良いものじゃないんだ。それがどれだけ命を奪うのだとしても…私は認めない」
「なのは…! どうしてそこまで…!!」
「それが……私の願いだから」


 その日、世界は震撼する。


『本日を以て、時空管理局地上本部は時空管理局から袂を分かち、ミッドチルダUCATとして発足する事を宣言する!!』


 その渦中、世界の滅亡をかけた戦い。悪魔が挑むは世界。そしてかつての戦友――。


「なのは…どうしても、この世界を犠牲にしてでも君は、あの少女を救うって言うの!?」
「言葉にしなきゃ思いは伝わらない。だけど…それを感じてくれる意志がなきゃ理解は出来ないし、分かり合えない。フェイトちゃん…ごめんね。もう私達、分かり合えないみたい」


「邪魔はさせないさ。彼女の選択だ。彼女が選んだ道だ。ならばそれを止めない事が私が私に課した道だ!!」
「なのはちゃんがお願い、って言ったんだ。どれだけ傷付いても、どれだけ泣いても、歩みを止めなかったあの子がお願いって言ったんだよ…っ!!」
「ならば叶えよう。彼女が望み、私達も望むなら――UCAT一同、彼女の力となる事をここに契約しよう!!」


 せめて、屠るならばその手で。誰の手でもない自分の手で――。


「これは…スターライトブレイカー…!? いや、違う…!? 何なの、アレは…!!」
「自分の手で決するって決めた! この選択に一片の後悔も無いよっ!! だから…応えてよ、私の声に、私の意志に応えて、全竜ッ!!!!」


 その日、世界は終焉を迎える――。





    ●





 歌が聞こえる。
 歌を歌うのは一人の少女。
 彼女はただ歌を歌っている。
 それは聖なる歌。聖夜を歌う歌。
 清しこの夜に、聖なるこの夜に。
 彼女が歌うのは、ただ一人の少女の為に。
 そこで彼女が歌い続けている。そこで眠る少女の為だけに。


「……ぁ」


 不意に歌が止む。
 少女が歌を止め、振り返る。振り返る際に揺れた金色の髪が靡いて。


「…そうか。じゃあ、あともう少しだね」


 くす、と歌う少女は眠る少女に笑いかける。


「もう少しで、夢が終われるんだね。貴方の夢、見続けてきた夢、もう見たくない夢、それが終わる為の夢に変わるんだね」


 紡ぎ出す夢が終わる時が近い。


「よかったね…――なのは!!」





 それは終わりと始まりの物語…。一人の少女を巡るエピローグ…。





 リリカル・クロニクル =悪魔なる少女に聖なる子守歌を=





「終わりだね、ジェイルさん…」
「あぁ…ようやくだ」
「…うん」
「…だから、もう休むと良い。君の戦いは終わったんだ」





 ――オヤスミ、だ。なのは君。







 今年度、冬に公開予定!!





























・――以上の話は無かったことになる





 


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