www.infovlad.net
www.pyongyangology.com
www.pyongyangology.com
North Korea Today  
www.pyongyangology.com
NKT Home arrow 安部桂司先生論考集 arrow 「月刊日本」掲載論文 arrow 外交に求められる二重人格性
2010/07/09 Friday 00:45:03 JST
 
 
外交に求められる二重人格性 プリント メール
2007/08/30 Thursday 19:13:00 JST

外交に求められる二重人格性
-ヤンコフスキー家の人々に学ぶ-
安部桂司 (「月刊日本」2007年9月号記事)

 

1:歓喜の後に奈落の底へ、そして再び歓喜?

 参議院選挙で自民党は歴史的大敗を期した。選挙で大勝利した民主党が喜ぶのは当然だが、朝鮮総聨に結集している在日朝鮮人の喜びもひとかたではなかった。朝鮮総聨に結集している在日朝鮮人は、安倍晋三内閣の敵視政策の下に呻吟させられてきた。経済制裁は「親日国家」北朝鮮を直撃した。医薬品を筆頭に日本製が、ある部分で北朝鮮社会を支えていた。在日朝鮮人の北朝鮮との往来は、日本製の物の流れを形成していた。延吉の貿易商は、北朝鮮ほど日本製品を大切にする国は無いだろうと述べていた。それには万景峰号の往来も支えていた。

 それから、赤色支那との交易品にも、日本からの資材が支えていた。安倍内閣の経済制裁は北朝鮮の社会を直撃したのである。北朝鮮社会の受けた打撃の大きさは、中国「毒」薬 北朝鮮も拒否(『AERA』07.8.13-20)などの報道からも推察される。日本から医薬品が届かない隙間を赤色支那の偽薬品が埋めているらしい。

 朝鮮総聨の呻吟は、参議院選挙前に配布された幾つかの文書から類推が出来る。朝鮮総聨は6月28日に、中央常任委員会声明を発表している。その内容は中央会館の競売問題に関してだが、「安倍政権発足後、反共和国、反朝鮮総聨の敵視政策が強行される中、RCCの債権回収という経済的問題が政治問題に変質し、RCCが法と常識、慣例を完全に無視した強圧的な姿勢をとることになった」と、安倍首相へ憎悪の目を向け、その政治姿勢を「現在の国際的な流れに反する時代的錯誤的愚行」だと断じている。

 この苦境の朝鮮総聨へ暖かい手を差し伸べたのが日共である。その機関紙で「従軍慰安婦」の「強制連行はなかった」と主張する自民、民主両党の国会議員名を列挙し、『ワシントン・ポスト』紙への意見広告に、米国の権力中枢も不快感を示したと報道した。この日共の姿勢は、敗戦後に米進駐軍を「解放軍」だと規定した昔を思い出させる。朝鮮総聨は日共の報道を受け、その報道内容を下部組織に流している。

 2004年5月の朝鮮総聨第20回大会は小泉首相の祝辞を戴き、歓喜の渦に包まれたものである。それから三年、政権は小泉純一郎から安倍晋三へ、2007年5月の第21回大会は中央会館の競売問題を抱えて沈鬱のなかに迎えている。


2:先ず、お互いの共通利益を探り

 安倍晋三首相が就任前に「北朝鮮は日一日、状況が厳しくなっている。瀬戸際外交には冷たい態度で臨めばいい」(平成15年6月14日横浜市内で開かれた自民党神奈川県連の会合での講演)と発言したことを引用した、「北朝鮮には圧力をかけ続けるしかない」は、『正論』誌の8月号に掲載された、西岡力教授の文章である。

 西岡力教授は、金正日政権を「暴力団と同じことをやっている」と、認識しているらしい。その認識は安倍首相と共有している強調しているが、その内容は「安倍内閣の北朝鮮政策は、金正日に時間稼ぎを許さない、彼らが拉致、核問題を解決しなければ、締め付けを強めて行くこと」を、基本とする主張となっている。西岡力教授は、安倍内閣の「拉致問題における今後の対応方針」を多くの国民が理解し、支持することを求め、この方針が参議院選挙で大きく取り上げられることを願っている。

 一方、安倍内閣の以前の歴代政権を、その北朝鮮への対応で西岡力教授は批判している。例えば、「小泉総理は自国民をなんとしてでも助けようという意志がなかった」と、その外交姿勢は、数ある外交案件の一つとして拉致問題を扱っていた、と批判している。この西岡力教授の文章は、支那の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)するとの昭和12年の政府声明を思い出させたものである。

 支那事変の失敗は「蒋介石相手にせず!」に象徴される帝国の対外政策にあった。帝国陸軍の北支平定作戦は成功裏に進捗していただけに、粘り強く蒋介石政権を相手に、お互いの共通の利益を拡大して行くべきであった。後に、「爾後国民政府ヲ対手トセス」(1938年1月16日)の第一次近衛声明は、日支事変終結への道を自ら閉ざすことになった、と批判されることとなる。

 近衛外交は国際共産主義運動の影響を少なからず受けていたことが、後に明らかにされる。いわゆる「ゾルゲ・スパイ事件」である。それは蒋介石の国民政府の弱体化を一番願っていたのが延安の毛沢東であった背景がある。蒋介石に代表される支那のブルジョアジーは、大陸の近代化を目指しており、帝国とは共産主義を「敵」とする共通の利益を保持していた。赤色帝国ソ連は近衛声明を受けて新生滿洲国へ、張皷峰事件、ノモンハン事件に象徴される軍事的圧力を強めてくることとなった。


3:二重人格の国と思え!

 拉致問題を抱えた北朝鮮以上に難儀な外交を要求されるのが、反日暴動と「毒」藥物を含有した食材を輸出する赤色支那であろう。その赤色支那で事業展開している㈱小島衣料の小島正憲社長が、この7月に『中国ありのまま仕事事情』(中経出版)を著した。小島社長がビジネスで赤色支那と17年間付き合ってわかったことを列挙し、分析した書籍である。

 小島社長は岐阜県人である。古来、美濃からは戦に長じた人物を排出している。戦国時代は言うに及ばず20世紀の戦争に於いて、ノモンハン事件からインパール作戦まで勇名を馳せ、太東亜戦争随一の名将といわれた宮崎繁三郎将軍も岐阜の在出身である。「宮崎は戦うために育った軍人であった」と、伊藤正徳に絶賛されている。そして小島社長も戦う経営者である。

 小島社長は、赤色支那を「よい面と悪い面、礼賛される面と脅威とされる面、あるいは表の顔と裏の顔という両面をあわせもっている二重価格」であると認識し、その両面に臨機応変に対応してきたという。それは小島社長自身が善良な日本人という側面と、悪辣な資本家という側面をもつ二重人格者であったから、対応出来たのだそうである。

 その赤色支那では、2003年のSARSの発生、2005年の反日暴動、など進出企業は危機管理を要求される事態が発生している。その危機の発生時における社員への指示には、宮崎将軍に共通するものを感じる。宮崎将軍には「借家選定上の要領」というメモが残されているが、『中国ありのまま仕事事情』を読むと、共通しているのである。天下国家論や学究的・理論的分析はさておいて、事に対して実際的観察を重視しているからであろうか。


4:北東アジアにおけるソ連崩壊の意義

 赤色帝国ソ連は、日本人には災禍しかもたらさなかった。帝国崩壊のどさくさに乗じて満洲と朝鮮半島北部に乱入し、帝国の臣民に乱暴狼藉の限りを尽くした。1945年の夏は、沖縄の死闘を別にすれば、広島・長崎への原爆投下とソ連赤軍の満・鮮への乱入が特筆される災禍として記録されている。そして帝国崩壊後、新生日本へ北方から軍事的圧力を加えてきた。

 そのソ連がいわゆる赤色革命で成立するや、露西亜帝国時代の支配階級である貴族は国を追われた。その貴族にヤンコフスキー一家がいる。いわゆる白系露西亜人であるが、亡命露西亜人の大半はハルピンに居を構えたが、ヤンコフスキー一家は帆船で清津に亡命してきた。

 咸鏡北道の朱乙温泉は、その湯量から熱海・別府に匹敵する温泉場であった。それに咸北の気候風土はスコットランドに似ており、その地を別荘地として開発したことでもヤンコフスキーは知られている。そして朱乙の別荘地を上海、香港在住の英仏の商人に売り込んだと伝えられている。

 そのヤンコフスキー家に付いて格好の書籍が、同じくこの7月に遠藤公雄氏の調査によって刊行された。遠藤公雄氏の『ヤンコフスキー家の人々』(講談社刊)は、帝国へ乱入した赤軍の通訳を務め、清津から脱出する日本人へ救いの手を差し伸べてくれたヤンコフスキーという従来のイメージから窺い知れない、白系ロシア人の受難の歴史を述べている。

 従来、ソ連赤軍が清津に侵入するや、ヤンコフスキーはゲーペーウーの腕章を付けて日本人の前に現れた。貴族であり、赤色革命に追われて清津に亡命してきたヤンコフスキーというイメージを、赤軍中佐で日本人の前に現れたことで、あれはスパイとして潜入していたのだと一新する。清津へ亡命してきた時のヤンコフスキー家の当主はユーリーであり、帝国の敗戦時は66歳であった。だが、ヤンコフスキー一家の努力で清津から、取り残されていた日本人の引き上げが(清津公立工業学校4回生、加納富久氏の証言)速やかに進んでいる。難民化した日本人の為に赤軍と掛け合い列車を手配してくれたのである。

 この時にゲーペーウーの腕章を付けて、赤軍中佐の肩書きで現れたのは、三代目のワレリーか、その弟のアルセーニー或いはリュウリャであったろうか。帝国の敗戦時ワレリーは34歳、アルセーニーは31歳、リュウリャは25歳であった。三人とも侵入してきた赤軍の通訳を努めている。国境を越えて侵入した赤軍を迎え撃って激戦となっていた琿春に赴き、帝国陸軍へ降伏を呼びかけたのは、ワレリーとリュウリャであった。

 だが、腕章はともかく赤軍中佐の肩書きは明らかではない。それはソ連の赤軍侵攻時に通訳として活躍したヤンコフスキー一家の面々も一段落するや、次々と逮捕されてラーゲリに送られているからだ。人民の敵として処罰されたのである。逮捕を唯一免れたのはアルセーニーであった。アルセーニーは平壌から京城へ脱出し、後に東京で生活する。東京からアルセーニーが釈放されていた兄ワレリーへ送った手紙には、英語の他数カ国語を解することが自分を救った、という内容だった。それに東京は暖かいと付け加えていた。


5:様々な二重

 二重人格、二重生活、二重価格、二重基準、二重国籍、二重スパイなど、二重が付くとあまりよいイメージが浮かばない。その中でも、二重人格と二重スパイは、悪いイメージが付きまとう。米国の外交に対して、特に北朝鮮への対応ではダブルスタンダードだと非難されている。朝鮮半島の非核化を提唱しながら、金正日が核実験を行うと、北朝鮮の核保持を認める外交姿勢へ転換した、と見られている。それに従軍慰安婦問題でも、米軍の進駐する処に性を職業とする女性は居ないのか?米議会での非難決議など二重基準の見本であろう。

 だが、軍事的に自立していない日本は、米国の外交政策へ口を挟める力に限界が生じている。そこを金正日は突いてきた。今日本の対北政策は間借り角に差し掛かっている。北朝鮮との交渉に求められるのは、西岡力教授の唱える「圧力をかけ続ける」という一本調子で、国益が守れるものだろうか?金正日政権を暴力団と同等に扱うことは、「蒋介石を相手にせず」に通じる誤りを招きはしないだろうか?

 スパイの世界では、ダブルスパイが最高の情報をもたらすものである。小島社長が二重人格だと自覚しているから、SARS、反日暴動の赤色支那で企業活動を広げることが出来ている。日本の外交に求められるのは、米国のダブルスタンダードを怒るより、韓国保守派とも金正日とも提携する心構えであり、小泉前首相の外交姿勢を貶すことではなかろう。

 今求められているのは、北朝鮮との間での共通利益の探索である。

 
 
www.pyongyangology.com
Top! Top!
www.pyongyangology.com