国宝 瑠璃光寺 五重塔(るりこうじ ごじゅうのとう)
屋根は檜皮葺、五重塔の手前にある池に写し出された姿は趣が深い。室町時代1442年
日本三大五重塔の一つ
日本三名塔の一つ
リンク
瑠璃光寺五重塔紹介サイト1
瑠璃光寺五重塔紹介サイト2
瑠璃光寺五重塔紹介サイト3
瑠璃光寺五重塔紹介サイト4
アクセス
山口県山口市香山町7−1
JR西日本山口線山口駅より歩30分
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現在の五重塔のある瑠璃光寺は、もともとは香積寺というお寺があった。大内義弘が菩提寺として建てたお寺である。
大内義弘の死後、弟の盛見(もりはる)が、兄の菩提を弔うために、香積寺の境内に五重塔を建立に着手した。塔が完成したのは1442年で着工から30年以上かかった。
大内家は「大内文化」と称されているぐらい朝鮮貿易なども盛んに行い繁栄していた。特に義弘、盛見(もりはる)の時代は特に経済的にも豊かであった。この繁栄を背景にすばらしい五重塔も生まれたのであろう。
大内家200年が続くが、第31代大内義隆が、家臣のすえはるかた(陶晴賢)の謀反により1551年に滅びてしまう。その陶晴賢も4年後に毛利元就に敗れる。
毛利元就は中国8箇所を所領する大名までなったが、関ヶ原の戦いに破れ、徳川家康に命じられ、萩に移封されてしまう。そして毛利家の萩への移転とともに香積寺も萩に移築されることになった。
寺の移転と同時に五重塔も解体され移築されるはずだったが、地元の人の嘆願書で塔が残ることが認められた。この当時の町民の行動としては珍しいことであるとともに、その嘆願が聞きとどけられたことも珍しい。当時の地元の人の五重塔に対する愛情と気持ちが察せられる。五重塔だけが残ったことになるが、1690年に山口市仁保というところから、現在の瑠璃光寺が移転した。瑠璃光寺の歴史も古く曹洞宗の中国3寺のひとつで末寺も多くあったお寺であったとされている。
五重塔には、阿弥陀如来像とともに、大内義弘の菩提を弔もらうために建立されたことから大内義弘像が安置されている。200年の大内家の繁栄の象徴とも言えるかもしれない。
またそれを守る住民がいて現在も美しく五重塔が輝いている。
(引用 瑠璃光寺五重塔守る会 杉山浩政様 講演会資料より)
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