公開された沖縄返還に関する文書=7日、東京都港区
外務省が公表した沖縄返還に関する日米交渉の記録で、1968年当時、米側が沖縄に配備されていた核兵器や米軍基地の「抑止力」を強調し、日本側が求める「核抜き本土並み」返還に強く難色を示していたことがわかった。
公表された文書は、68年5月の、当時の三木武夫外相とジョンソン米大使による会談の記録など。67年に日米が返還に向けた継続協議に合意したことを受けて行われた。
会談記録によると、沖縄の核について説明を求めた三木外相に対し、ジョンソン大使は「沖縄に核がないと共産側に知られれば、核による反撃の可能性を除外して行動しうることになり、戦争抑止力を低下させる」と主張。中国や北朝鮮を例に挙げ、「沖縄米軍基地にどの程度の抑止力を期待するか」と質問している。
一方、会談の直前に外務省国際資料部調査課が行った内部検討の記録には、「わが国自体の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有が当面のぞましかったことは疑いを容(い)れない」との記述がある。沖縄返還は「基地の自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」とも記されており、省内にも「核抜き返還」に異論があったことを示している。(川端俊一、谷津憲郎)