小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(49)
ごーまんかまさせていただきます。

⑤.「もし天皇が憲法改正反対を明言なさったら、わしは逆賊になる!」(『天皇論』366頁)という記述は、自ら高唱する「承詔必謹」に明確に反していますので、『天皇論』のリコールを求めます。 
これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、単なる他者支配の手段か、単なる生業の手段か、確認できるでしょう。

17.読者を欺こうとしたら降格! つづき

 「アメノオシホミミは誰が生んだのか」という議論の前提を確認しておきたいと思います。

 この議論は、肉体をもつ人間の血縁関係を神々に当てはめても意味がないという立場の方には無用の議論です。そして、この立場は、一つの見識として十分に成り立つものだと思います。この立場に立った場合には、当然に、皇統は神武天皇から始まり、一貫して男系だったということになります。

 もう一つの立場は、人間の血縁関係を(象徴的に?)神々にも当てはめて考えることで、神代と人代を一体的に理解しようとする立場です。

 「天照大神は女性なのだから、皇統は元々女系だったとも言える」という主張は、後者の立場から出てきたものです。ならば、「生んだ」「生まれた」という人間の血縁関係を基準にすれば、スサノオとオシホミミは当然に親子です。人間の世界では、誰かが「彼は私の子だ」と言葉で宣言したからといって、事実に基づく血縁関係が消滅したり、変質したりすることはありません。したがって、人間の血縁関係を神々に当てはめるという立場に立つ限りは、スサノオとオシホミミの親子関係は否定しようがありません。

 小林さんの議論の本質的な問題点は、天照大神については、「女性」という人間的な基準で論じておきながら、スサノオとオシホミミとの関係については、天照大神の言葉や、天照大神が皇祖「神」とされたきたという別の基準を持ち出して(別の基準にすり替えて)、人間的な基準からは否定しようのない親子関係を無視していることです

 私が、小林さんとの議論で一貫して主張していることは「自分が持ち出した基準に忠実であれ! ダブル・スタンダードでごまかすな!」ということです。

 最後に、いま一度、私の主張を確認しておきます。
 ①.人間の血縁関係を神々に当てはめて考えないのであれば、神話を皇統問題の根拠とすることはできず、神武天皇以来の歴史に基づいて論ずる以外にはない。
 ②.人間の血縁関係を神々にも当てはめて考えるのであれば、イザナギ→スサノオ→オシホミミという男系の血統関係を否定することはできない。
 ③.したがって、どちらの立場に立っても結論は同じで、皇統は男系で一貫している。

○単なる「つぶやき」
 小林さんの論法を見ていて、「やばい!」と思えば、わざと論点をずらして、論争が噛み合わないようにもっていくという手もあるのだな、と気づきました。ただ、それは自分の体面を保つためには良い方法かもしれませんが、論争を成果の少ないものにしてしまう可能性が高いでしょうね。




# by nitta_hitoshi | 2010-07-07 21:29 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(48)
ごーまんかまさせていただきます。

 ④.小林さが親しい古代史の専門家の先生に、「神武天皇は137歳まで生きられたのか?」と聞いてみて下さい。もし、「そうは思わない」と答えたら、勅裁違反ですから、名前を上げて、失望感から激怒し、容赦のない筆致で『サピオ』か『WiLL』で批判して下さい。 
これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、単なる他者支配の手段か、単なる生業の手段か、確認できるでしょう。

ゴーマニスト「降格」準則

17.読者を欺こうとしたら降格! つづき

 高森さんは自著『はじめて読む「日本神話」』において、スサノオの命が出現せしめたはずの男性神が天照大神に属することになった理由を次のように説明しています。
「[天照]大神の[男性神が自分の子であるという]宣告は、スサノオノミコトへの根深い不信感を前提としてなされたと見るほかなく、とても公正なものとは言えないでしょう。ここでも大神の『できそこない』性は明らかです。スサノオノミコトばかりでなく、天照大神も初めは『できそこない』だったのです。その点を素直に認めておく必要があります」81-82頁

 つまり、天照大神が当初不完全で弟(スサノオ)の潔白を信用できず、強引に邪心ありとしようとして、弟の潔白の証明として生まれた男性神を自分の子にしてしまった、というのです。これが高森さんが考えている「スサノオの命が出現せしめたはずの男性神が、結局なぜ天照大神に属することになった」かの理由です。

 その結果、両神の間に対立が生じ、次に和解が訪れることで、天孫降臨へと神話のプロットは進んでいきます。その主役となる男性神について、高森さんは次のように書いています。
「この神[オシホミミノミコト]は『スサノオの本性に基づく強烈なエネルギーをアマテラスの系譜に取り込む』意義を担うとされ(宮崎昌喜「アマテラスとスサノオのウケヒをめぐって」)、その子のニニギノミコトが地上に降りて皇室の祖先となります」(91頁)

 さて、再度、高森さんに質問です。
「とても公正なものとは言えない」「『できそこない』性は明らか」な天照大神の宣言によって、スサノオの潔白の証明として生まれたオシホミミは女系に転換させられたのでしょうか? スサノオの潔白は否定されたのでしょうか? 「スサノオの本性に基づく強烈なエネルギーをアマテラスの系譜に取り込む」ということは、スサノオの系譜の否定を意味したのでしょうか?

 ブログでお答え願えれば幸いです。

○単なる「つぶやき」
 小林さんが「人格口撃」「名誉毀損」などいう言葉を持ち出すようになりました(『WiLL』8号)。「どっちがじゃい!」と言いたいわけではありません。強持てが売りだったゴーマニストが、被害者、弱者の立場で物を言い始めたのが驚きなのです。


# by nitta_hitoshi | 2010-07-06 08:15 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(47)
ごーまんかまさせていただきます。

 ③.自ら高唱する「承詔必謹」の実践として、明治天皇勅裁の「旧譜皇統譜」に反して、天照大神から皇統がはじまると書いてしまった『サピオ』平成22年5月12日のリコールを求めます。
 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、単なる他者支配の手段か、単なる生業の手段か、確認できるでしょう。


ゴーマニスト「降格」準則

17.読者を欺こうとしたら降格! つづき

 「ゴーマニスト」宣言(44)で「子供を交換した時点で男系が女系に転換したのだ、という魔法のような説明でも持ち出さない限り、アメノオシホミミがスサノオの子であること、すなわち、男系の男子であることを否定することはできないでしょう」と書いた後で、少し気になったので小林さんの発言を読み返してみたら、ありました!
 「スサノオは皇祖神か? なんでわざわざ五男神を天照大神の系統(女系)に転換させたんじゃい?」(『サピオ』平成22年3月10日号63頁欄外)
 
 そこで、次の質問は、すっかり頭に血が登ってしまっている小林さんよりも、高森さんにした方がいいと思いますので、「ゴー宣ネット道場」の高森ブログでお答え下さい。

 古典の記述によってスサノオが生んだことが確実なオシホミミが、天照大神の系統(女系)に転換されられたという小林さんの説をあなたはどう思いますか? 性転換(個人の性を変える)ならまだしも、系統転換(親から生まれた事実を変える)などということが可能だと思われますか?

 と質問してみて、ようやく、高森さんが「重要なのは神話のプロット(筋書き)に立ち入ることではなくて、本来、スサノオの命が出現せしめたはずの男性神が、結局なぜ天照大神に属することになったのか。(中略)ここに注目すべきなのです」(『サピオ』平成22年4月14・21日号67頁)と言い出して、自説を置き去りにし、自説の行き着く先を考えることを途中で止めてしまった理由が分かりました。
 彼は自説に固執すると、「お前はスサノオを皇祖神だとでも言うのか」と追求されて、苦しい立場に追い込まれることを避けたかったのでしょう。
 これは、政治的配慮として賢明だったと思いますが、学者としての誠実さという観点からみると、大いに議論の余地があると思います。

○単なるつぶやき
 隔週の漫画は、スピードではブログにかなわず、映像と比較されることによって圧倒的な印象操作力を奪われ、言論の質・精密さでは単行本や月刊誌に劣るというように、これまでの武器がすべて中途半端なものになり、むしろ、弱点に転化してしまったのではないでしょうか。


# by nitta_hitoshi | 2010-07-04 06:39 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(46)
ごーまんかまさせていただきます。

 ②.少なくとも戦前までは、歴代天皇の親王宣下よって皇位継承権を認められてきた伏見宮に対して、「600年、20数代離れている」「歴史上空前の『君臣の分義』の破壊行為」などと批判するのは勅裁に反しますので、自ら高唱する「承詔必謹」のお手本として、掲載誌のリコールを求めます。
 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、単なる他者支配の手段か、単なる生業の手段か、確認できることでしょう。

ゴーマニスト「降格」準則

17.読者を欺こうとしたら降格! つづき

 「天下の主者」を生むことを意図して天照大神など三貴子を誕生させたイギナギ・イザナミを「皇統」のはじまりを置くことは自然なことでしょう。だから、「旧譜皇統譜」においても、系譜の線がイギナギ・イザナミからはじまっているのだと思います。にもかかわらず、天照大神を「世系第一」としているのには矛盾を感じます。それで、「大いに議論の余地がある」(「ゴーマニスト」宣言(41))と書きました。

 おそらく、その理由は、「皇統譜」と名付けられいるものの、代数の数え方については、男系の直系を基準とした「皇統の代数」と、皇位についた天皇を順番に数える「皇位の代数」との二つがあって、しかもそれが概念的に十分区別されずに適用されてしまったため、ではないかと思います。本来は同じく「皇統の代数」を表すはずの「世系」と「皇統」が別物のように記述されているのは、その混乱の証でしょう。

 したがって、二つの数え方を厳密に分けた上で、神代の皇統と皇位を数えることにし、記紀にしたがって神代と人代とを区別すれば、次のような数え方になるはずです。

神代の皇統の代数(「神統第○世」という言い方が適当か?)
 ①イザナギ→②スサノオ→③オシホミミ→④・・・
神代の皇位の代数(「神位第○代」という言い方が適当か?)
 ①天照大神→②オシホミミ→③・・・

人代の皇統の代数(「皇統第○世」という言い方が適当か?)
 ①神武天皇→②綏靖天皇→③・・・
人代の皇位の代数(「皇位第○代」という言い方が適当か?)
 ①神武天皇→②綏靖天皇→③・・・

(注)男系の直系を数えるのに「」、皇位の順番を数えるのに「」を用いるのは『神皇正統記』の用語法

○単なるつぶやき
 かつての小林さんの武器は、隔週というスピードと漫画特有の印象力でした。その利点をフルに活かして、本や月刊誌と渡り合ってきました。しかし、その両方ともがネットのブログと映像に奪われてしまいした。だから、たまらずに、これまで否定しつづけてきたネットの世界に出てきたのだと思います。


# by nitta_hitoshi | 2010-07-03 06:18 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(45)
ごーまんかまさせていただきます。

①.自ら高唱する「承詔必謹」のお手本として、てイザナギ・イザナミを「皇祖」として描いてしまった(=小林さんによれば「勅裁」に背いていることになる)『天皇論』のリコール(欠陥[不敬?]商品を回収し、直して[絵を差し替えて]購入者に無料で配ること)を求めます(理由は「ゴーマニスト」宣言(37)参照)。
 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、単なる他者支配の手段か、単なる生業の手段か、確認できることでしょう。

17.読者を欺こうとしたら降格! つづき

 スサノオが「旧譜皇統譜」の中に現れない理由について、私の考えを述べます。

 もともと、イギナギ・イザナミの目的は「天下[あめのした]の主者[きみたるもの]」(すなわち、地上の日本国の君主)を生むことにあった(『日本書紀』)わけですから、地上の日本国の君主の系統を表す系図には、根国に去り、いわば他国の王家の主となってしまったスサノを記載する必要はない、と考えられたのではないでしょうか。
 そうだとすれば、日本国の君主の系譜に記載されていないからと言って、オシホミミがスサノオの子であるという事実が否定されているわけではありません。それは、お父さんが他家へ出てしまって、自家の系譜から消えたとしても、実の親子であるという事実は変わらないのと同じです。

○単なるつぶやき
 ネットの普及は、論壇に漫画で切り込むという、かつては新しかった手法を、次第に過去のものにしていっているのではないか、という気がします。だからこそ、10年前であれば、情報量で圧倒されていたであろう小林さんとも勝負できたのだと思います。「新しいものほど、古びるのが早い」と感じるのは私だけでしょうか。

# by nitta_hitoshi | 2010-07-02 06:58 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(44)
ごーまんかまさせていただきます。

⑦.《『天皇論』でイザナキ・イザナミを「皇祖神」として描いた事実はありません》、と嘘を言い、明治天皇勅裁の皇統譜に背いて《皇統はイザナキ・イザナミはもちろん、それより前のアメノミナカヌシの神からも連続している》と公言し、小林さんに逆らって《「皇統」と「皇位」を切り離して「超新田教徒」になってしまった》、トッキーさんを社長としてどうなさるおつもりですか?

 その結果を見れば、小林さんに、他人の責任を追及する資格があるのかどうか、他人の出処進退を云々できる資格があるのかどうか、が分かると思います。


ゴーマニスト「降格」準則

17.読者を欺こうとしたら降格! つづき

 シナ男系絶対主義者=クレムリン小林さんは、神話について、こんなことを言っています。
「アメノオシホミミは、スサノオが生んだと神話に書いてある。そんなのは当たり前!
 しかし、それでも、アメノオシホミミは天照大神の子であり、皇祖神は天照大神だ!
 これが決定的に大事なことなのだぞ。」(『サピオ』平成22年7月14日)

 ここでいう「天照大神の子」というのが「養子」という意味なら理解できますが、「生んだ子」という意味なら、理解不能です。「スサノオが生んだ子だが、実は、天照大神が生んだ子で、スサノオが生んだ子ではない。この説明を素直に受け入れることが決定的に大切なのだ」と言われて、「はい、そうですか」と言うためには「完全なる思考停止」(『サピオ』平成22年6月23日号56頁)しかありません。

 この問題の唯一最大の争点は「アメノオシホミミは誰が生んだのか」です。

 小林さんは『天皇論』で「元々、天照大神は女性神である。ならば日本の天皇は女系だったと考えることもできる」と書きました。この主張は、アメノオシホミミが天照大神の生んだ子でなければ意味をなしません。何故なら、いくら天照大神が女性であっても、アメノオシホミミを生んだのではなく、弟の子を養子にしたのであれば、アメノオシホミミは天照大神を母とする女系ではなく、スサノオを父とする男系だからです。
 そこで、私は高森さんの説に依拠して、「アメノオシホミミはスサノオが生んだ子なのだから男系と言えるのではないか」と主張したのです。
 この私の主張を否定しようとすれば、すべきことはただ一つ。アメノオシホミミはスサノオの生んだ子ではないと証明するしかありません。しかし、そんなことは不可能です。それは小林さんも認めているように、「アメノオシホミミは、スサノオが生んだと神話に書いてある」からです。したがって、もう、この時点で論争の決着はついています。

 ところが、誤りを認めたくない小林さんは、「皇祖神は天照大神なのか、スサノオなのか」という別の論点を持ち出すことによって、本来の論点を見えなくするという作戦に出たのです。これが、小林さんが用いた詐術のからくりです。

 ちなみに、小林さんが心の支えとしている田中卓先生ですら、著書の『教養 日本史』(昭和42年)の中で「根の国に行かれることになったスサノオの尊はアマテラス大神に会い、その清明心を証明するために誓約をされる。そしてアマテラス大神は女神を、スサノオの尊はアメノオシホミミの尊などの男神を生まれた。これで、スサノオの尊に悪意のないことが明かとなり、互いに御子を交換された。」(2頁)と書いておられます。

 子供を交換した時点で男系が女系に転換したのだ、という魔法のような説明でも持ち出さない限り、アメノオシホミミがスサノオの子であること、すなわち、男系の男子であることを否定することはできないでしょう。


○単なる「つぶやき」
 小林さんによれば、私の文を読むと、文字には書かれていない「小林よしのりを信用するな!」という言葉が聞こえてくるらしいのです。本当だとすれば、口先では「文章が上手くない」とかなんとか言いながら、内心では「プロ」しか出来ない間接技が使える奴だと認めておられるということでしょうか? 素人だったら「ばか」とか「アホ」とか「カルト」とか、そんな直接的な表現しか使えませんからね。
# by nitta_hitoshi | 2010-07-01 08:50 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(43)
ごーまんかまさせていただきます。

⑥.「わしは天皇の御言葉に反しても、日本の伝統を強制する悪役に徹していこうと思っている」(『天皇論』370頁)という記述は、自ら高唱する「承詔必謹」に明確に反していますので『天皇論』のリコールを求めます。
 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、確認できることでしょう。

 ここで、私が『天皇論』のリコール(回収・訂正・再配布)を求めている理由を説明しておきます。理由は二つあります。

1.『天皇論』は良い本だと思っているから。 
この本は、多くの先人が積み重ねてきた努力の成果を慎重に組み合わせたもので、基本的には非常によい本です。したがって、単に回収するのではなくて、再配布していただきたいと思っているわけです。

2.商売にも倫理が必要だと思っているから。
 小林さんは、男系維持派の人々に「腹を切れ」とか、「南朝を立てろ」などと言って、強く責任を求めています。ならば、自分が強調する「承詔必謹」に、自分自身が反してしまった場合には責任をとるのが当然です。しかも、私は命を差し出せとか、内乱を起こせなどという無茶なことを要求しているわけではありません。ただ、不良(不敬?)品・欠陥品は回収・修理して、無料で再配布するという極当たり前の商業道徳を求めているにすぎません。


# by nitta_hitoshi | 2010-06-30 06:35
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(42)
 ごーまんかまさせていただきます。

⑤.「もし天皇が憲法改正反対を明言なさったら、わしは逆賊になる!」(『天皇論』366頁)という記述は、自ら高唱する「承詔必謹」に明確に反していますので、『天皇論』のリコールを求めます。
 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、確認できるでしょう。


ゴーマニスト「降格」準則

17.読者を欺こうとしたら降格!

 シナ男系絶対主義者=クレムリン小林さんは、「新田均はわしに追い詰められて、ついに『皇祖神はスサノオノミコトだ』とまで言い出した」(『サピオ』平成22年6月23日69頁欄外)、「皇位は天照大神で、皇統はスサノオ」という「カルト解釈」を言い出した(『サピオ』平成22年7月14日号61頁)などと書いています。これは、意図的に大切な説明を省略することで、私が“皇祖神や皇統のはじまりをスサノオだけに限定して、天照大神を皇祖神から外すというとんでもない主張をしている”かのように見せかけて、読者を欺こうとする論法です。

 私の主張は以下のようですが、そもそもの問題意識は、人間的な血縁・親子関係の観点から神話を捉えた場合(そもそも、そのような発想に立たなければ別)、女性である天照大神を皇祖とする神話と、天皇の男系継承の歴史とを、切断せずに説明できる理論はないのか、というところにあります。

 神代の皇統はイザナギノミコトとイザナミノミコトから始まり、両神から、天照大神、ツクヨミノミコト、ヒルコ、スサノオノミコトが生まれ(『日本書紀』)、さらに天照大神との誓約の際に、スサノオノミコトから五男神が生まれ・・・という具合に続いていった。したがって、天照大神はイザナギノミコトを父とする男系の女神で、当然、皇祖神だが、その他の神も皇祖神に含まれる(『日本書紀』の記述に従えば、イザナギ・イザナミ以前のタカミムスビノカミも皇祖神である)。そして、男系継承の観点からすれば、「イザナギ→スサノオ→オシホミミ」という流れになる。
 ならば、何故、「皇統」から見れば間接的な存在である天照大神が、皇祖神の中でも特別な存在とされてきたのか? それは、天孫降臨を計画し、葦原中国で皇位につく者を自らの子孫(現密に言えば、養子の子孫)だと決定された神であると、古来、理解されてきたからだ、と思われる。
 他方、スサノオノミコトは、神代における日本武尊命のような存在(正統の皇統には含まれるが、皇位には就かれなかった。「旧譜皇統譜」参照)ではなかったか。
 したがって、皇位継承の歴史を神代に当てはめて考えるならば、初代の天照大神が、弟の子供のオシホミミを養って第二代としたということで、元正天皇から聖武天皇への皇位継承に似ている(聖武天皇の父は文武天皇であるから“同じ”とは言えないが)。

追伸
 研究者でもなく、専門の知的訓練も受けていないトッキーさんに言うのは酷なのかも知れませんが、「知的に誠実な」引用の仕方というものを知らないようですね。参考文献に上げたところで、どこを参考にしたのか分からないのですから、誠実な引用にはなりません。また、どこから、どこまでを参考にしたかを明示せず、最後に名前だけを出して「確かにその通りで」などと書いても、もちろん、誠実な引用とはいえません。漫画だから大目に見てもらえるのでしょうが、それがどこの世界でも通用すると思ったら、大間違いです。専門論文でこんなことをしたら、学者生命に関わります。嘘だと思うなら、高森さんに聞いてみて下さい。もしも、謙虚に、誠実な引用の仕方を学びたいというのであれば、私の博士論文をお送りしますので、学んで、成長して下さい。

○単なる「つぶやき」
 論争に加わるのであれば、自立した個として責任をとる覚悟が必要だと思います。親分の陰に隠れていれば大丈夫、単なる助っ人・お手伝い、などという甘い考えは禁物ですね。
# by nitta_hitoshi | 2010-06-29 07:20 | 小林よしのりさん批判
お知らせ
「小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言・緊急号外」を、青色文字のように修正します。

 ついに、私に追い詰められて、スタッフのトッキーさんが「秘書みなぼんが見たもん」(平成22年6月26日)で大変なことを書いてしまいました。

①.もちろん『天皇論』でイザナキ・イザナミを「皇祖神」として描いた事実はありません。

 これは完全な虚偽です。『天皇論』の180頁を確認して下さい。「日本の『皇道』は万世一系、神話からの連続性によってのみ成り立つのだ!」と書かれたコマの絵は、イザナキ・イザナミから始まって今上陛下に至っています。
 ところが、その後、小林さんは『サピオ』平成22年5月12日号71頁で「皇統のいろはも知らぬ男系絶対主義者のために当たり前のことを言わねばならないのか・・・ 皇祖神は天照大神です!! 現在の天皇につながる皇統は、天照大神の『天壌無窮の神勅語』によって始まったのだ!」と言い出しました。つまり、今上陛下に連なる皇統は神話からはじまり、その最初に位置する神を「皇祖神」と呼び、それが天照大神だ、と主張し始めたのです。
 しかし、『天皇論』では、明らかにイザナキ・イザナミが皇統の最初に描かれて、「皇祖神」の位置に置れているのです。
 321頁にも同じ絵が出ていますが、こちらの方がもっと決定的かもしれません。なにしろ「歴代天皇表」の中に組み込んであるのです。

 もはや、理屈では言い逃れができなくなり、あるものを無いと言い出したのです。存在しないものをあるというのはカルトだと小林さんは言っていますが、ならば、あるものを無いというのもカルトでしょう。ついに、スタッフからカルトで出てしまいました。
# by nitta_hitoshi | 2010-06-28 23:45 | 小林よしのりさん批判
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(41)
 墜落するゴーマニスト

 ヤフーの検索に「旧譜皇統譜」と入れたら、ウィキペディアの次に「天皇家の系図 皇統譜を公開!」が出てきて、「旧譜皇統譜」の一部が公開されていました。ほんの一部なのですが、大変興味深い史料で、「大いに議論の余地がある」と思いました。
 ところが、シナ男系主義絶対論者=クレムリン小林さんは、これは「決定的な資料」で、「この皇統譜は、明治天皇の勅裁によるものであり、学者・評論家の議論の余地などない!」(『サピオ』平成22年7月14日号62頁)と断言しておられます。

 そうなると、彼にとって大変まずい事が少なくとも二つ起きてきます。一つは、この皇統譜では、神武天皇の横に「皇統第一」と書かれていることです。つまり、皇統は神武天皇から始まることになっているのです。小林さんによれば、これは「議論の余地などない」ことです。ところが、小林さんは『サピオ』平成22年5月12日号71頁で「皇統のいろはも知らぬ男系絶対主義者のために当たり前のことを言わねばならないのか・・・ 皇祖神は天照大神です!! 現在の天皇につながる皇統は、天照大神の『天壌無窮の神勅語』によって始まったのだ!」と書いてしまっているのです。皇統が天照大神から始まる。この主張は、明治天皇勅裁の「旧譜皇統譜」に明らかに違反します。

そこで、ごーまんかまさせていただきます。

 ③.自ら高唱する「承詔必謹」の実践として、明治天皇勅裁の「旧譜皇統譜」に反して、天照大神から皇統がはじまると書いてしまった『サピオ』平成22年5月12日号のリコールを求めます。

 もう一つ、小林さんにとって困ったことは、神武天皇の年齢が「御年百三十七歳」と書かれていることです。これも、小林さんによれば「議論の余地などない」はずです。

 そこで、また、ごーまんかまさせていただきます。

 ④.小林さんの親しい古代史の専門家の先生に、「神武天皇は137歳まで生きられたのか?」と聞いてみて下さい。もし、「そうは思わない」と答えたら、勅裁違反ですから、名前を上げて、失望感から激怒し、容赦のない筆致で『サピオ』か『WiLL』で批判して下さい。

 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、確認できることでしょう。

# by nitta_hitoshi | 2010-06-27 22:41 | 小林よしのりさん批判
< 前のページ 次のページ >