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日蓮正宗日記

私がずっと知りたかったもの=真理

2010年4月14日

私の所属寺院は長野市にある妙相寺となりました。
そして、信徒のリーダーである樋田さんが東京都内に借りたマンションの一室があります。
これを「峯國舎」と呼ぶそうです。
今日はそこへ行ってきました。

もちろん、8日にご本尊を授かったのもこの峯國舎でです。
ですから2度目の訪問ということになります。

今後は妙相寺のご住職が毎週来てくださり、勤行会をやるそうです。
私は勤行会の開始予定時刻よりもだいぶ遅れて到着したのですが、勤行の最中で、はなはだ痛み入りました。

この日の目的は、我が家の仏壇にあった本尊をご住職に委ね、また正宗のご本尊の代金(こういう言い方はふさわしくないのでしょうが、正しい言い回しをまだ知りません)をお渡しすることでした。

さて、ご住職はお経をかなりゆっくりお読みになるのですが、私は全くついていけません。
全くふがいないことですが、私は創価学会にいたわけでもないので、お経を読むのが全く初めてですから、まあしかたないなと思います。

この日は、”あの”脱会支部長竹本さんもいらしていました。
意外に気さくでよくしゃべる人なので、安心しました。
樋田さんと同じく、竹本さんとも気が合いそうだなと感じました。

改めて思うことは、日蓮正宗は、”素晴らしき封建主義”であろうということです。
日蓮大聖人を唯一の信仰の対象とし、その血脈(けちみゃく)を相承あそばされるところの現在のご法主上人を絶対の指導者として仰ぎ、そのお方がお認めになったご本尊をのみ、大聖人のお身代として尊命するわけです。

すなわち封建主義であり、独裁主義であります。

私はかねてより、「独裁主義こそ理想の政治形態である」と考えています。
独裁主義の唯一の問題点は、「独裁者が誤ってしまう」ということだけです。
が、実際には、誤らない人間がいないため、「独裁主義は悪いもの」という評価が定着しているだけです。

また、いわゆる「こわいお父さん」というものが絶滅したなど言われて久しいですが、こういうお父さんというのも、言わば独裁者ですね。
封建社会は終わったわけです。

おかげでどうなったか。
誰も彼もが平等で横並び、めいめいに自分の主張をするから、収拾がつきません。

しかも、主張を固持する本人も不安なわけです。
一言で言えば、「自分が本当に正しいのかわからない」ということです。

正否は多数決では決められないというわけです。

この大宇宙には、唯一の絶対的な真理があるはずです。
多くの宗教家、哲学者、また優れた科学者は、この真理を知りたがったわけです。

この真理さえわかれば、あらゆる迷いは消えるはずです。
私は、これが仏道修行者が求めた人間としての最終目標である「悟り」であると考えています。

が、人間は、自らの自由の故に不自由になっている、つまり主人を失った状態ですね。
ドライバーのいない車です。

だから、日蓮大聖人から血脈を継承するご法主、すなわち大聖人ご自身に”治め”ていただくということなのです。

ところが、主人の命令はしばしばわずらわしく、また主人はしばしな疎ましく感じられるものです。
だから”自由”がいちばん素晴らしい、と考えてしまいがちです。

でも、ドライバーがいなくなったら、車は動かないか暴走するかのどちらかです。
糸の切れた凧とも言えるでしょう。



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