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中田英寿 攻める日本に明日を見た!(1/4)

「岡田武史監督と選手たちは、大会前、テストマッチでなかなか結果を出すことができず、ギリギリの状態まで追い込まれていたと思います。その状況は、九七年に岡田監督が初めて日本代表監督に就任したワールドカップ予選と似ていたような気がします。

 あのとき日本が目指していたのは翌年のフランス大会。五年後に日韓共催ワールドカップを控え、このまま予選で敗退すると開催国枠で初出場という屈辱が待っている状態でした。しかし前任の加茂周監督がなかなか思うような結果を出せず、それまでコーチだった岡田監督が急きょ昇格。まさに背水の陣からのスタートでした。

 そんななか岡田監督は就任第一戦となった対ウズベキスタン戦でチームの中心となりつつあった僕をスターティングメンバーから外しました。そのことは僕だけでなく、他の選手にも大きな影響を与えたと思います。『勝つためなら何でもやる』。そんな監督の決意が伝わってきました。

 その後、無事予選を突破し初出場を果たしましたが、本戦に臨む直前にも日本サッカーの象徴的な存在だった三浦知良選手、北澤豪選手を登録メンバーから外し、大きな議論を巻き起こしました。ここぞというポイントで荒療治をやる、それを恐れないのが岡田監督のすごさだと思います。

 今回も大会の直前合宿で、それまで中心選手だった中村俊輔選手や内田篤人選手などをスタメンから外し、本来MFである本田圭佑選手をFWの1トップに据える大胆なチーム改造を行いました。理想論、戦術論を超え、コンディションと守備への貢献度を優先した現実的に負けないためのチーム作りです。そしてチームとしての練習試合はほとんどできないまま、ぶっつけ本番で臨んだワールドカップ。もし惨敗を喫していたら、日本代表人気のみならず、サッカー人気も急落していたでしょう。しかし初戦のカメルーン戦の勝利ですべてが変わりました。

 なりふり構わぬ試合運びとその結果の勝利によって、日本代表が生まれ変わっていったのです」

 日本が四大会連続出場となったFIFAワールドカップ南アフリカ大会。大会前は、グループリーグ突破どころか、三戦全敗もありうるといわれていた岡田ジャパン。しかしいざ大会が始まってみると、初戦でカメルーンに一対〇で勝利し、二戦目では強豪オランダに敗れはしたものの〇対一と健闘。そして決勝トーナメント進出をかけた大一番、デンマーク戦では本田選手、遠藤保仁選手が豪快なFKを決めるなど三対一で圧勝、日韓大会以来となる決勝トーナメント進出を決めた。

 残念ながら一回戦で〇対〇の延長戦の末、PK戦でパラグアイに敗れたものの、その奮闘は讃えられていい。

 岡田ジャパンは何が変わったのか? フィールドでは何が起こっていたのか? 一次リーグ三試合と決勝トーナメントのパラグアイ戦を生観戦した元日本代表、中田英寿氏を現地南アフリカで直撃。過去三回日本が出場したすべての大会に出場、誰よりもワールドカップを知る男に岡田ジャパン変身の理由を聞いた。

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