「スト破り」とはどういうものか、皆さんご存知だろうか?ご自分が「スト破り」をやった経験がある方もいれば「スト破り」の被害を被った、という方もいらっしゃるだろう。つまりこういう事である。
ある日、会社で「水曜日はノー残業デーにしよう」とか何とか、そんな「通達」が出たとする。どういう事になるか?8割は通達通りに5時に帰るが、残りの2割は「ここぞとばかりにノー残業デーに残業する」のである。これを「スト破り」という。早い話が「抜け駆け」というやつだ。こういう「行動」で目立つことによって、会社の「覚えをめでたく」し、リストラの順番が自分に回ってくるのを「回避」しようという魂胆なのだ。これがすなわち「スト破りの心理」である。この手合いが日本人には実に多い。かくして「水曜日のノー残業デー」は、1ヶ月も経たぬうちに「なし崩し」に「元の木阿弥」となる。
注)戦時中の「神風特攻隊」もほぼこれと同じ。必ず一人は「お調子乗り(=スト破り)」がいて「志願」する。一人志願すればあとは「なし崩し」。全員がその「お調子乗り」に右へ習えで「嫌々ながら」志願してあの世へ旅立つ。これが日本人だ。
この「スト破り」が、経営者に重宝されるところに、この日本という国の「病根」がある。何よりも問題なのは「残業」「長時間労働」を「忠誠のバロメーター」として社員(ことにホワイトカラー社員)を「評価」して来た、日本の企業文化である。実際に仕事していようがいまいが関係ない。ナーニ、ほとんどの奴らは仕事をしている「フリ」である。部課長クラスは、やることもないくせに10時11時まで会社に残って、何やらだべっている。上司がそんな訳だから「出世」を狙う部下も帰るわけにはいかない。5分で片付く仕事を3時間にも引き伸ばして延々とやっている。エクセルでマクロを組めば一瞬で終わる仕事を、手作業でわざと引き伸ばす。もちろんエクセルのマクロが組めないのも理由の一つ(笑)。かくして全社員がこぞっての壮絶な「残業競争」とあいなる。重要なのは残業代が支払われない場合でもこの「競争」が起こるということだ。いわゆるサービス残業でも本人はまったく意に介さない。全世界が不思議がる日本人の精神構造のひとつである。だが、この「慣習」だけはちょっとやそっとでは「思考転換」出来るものではない。
さてワークシェアリングであるが、この「スト破り」がある限り「理論的に成り立たない制度」なのである。国民の2割が「スト破り」であるような国では、不可能な制度なのだ。
もうひとつ日本での障害は企業である。実際にワークシェアリングを日本で実現しようとした場合、一番のネックになるのが日本の大企業の存在であろう。大企業経営者にとって「同一価値労働同一賃金」が伴なうワークシェアリングは「悪魔のシナリオ」である。理由は「労働を買い叩けなくなる」からである。オランダモデルにおいては、法律上フルタイムの社員とパートタイムの社員の、時間あたり賃金と社会保険の権利は全く同一である。このような制度を日本の大企業が歓迎するかどうか?考えなくとも分かるであろう。
オランダでは1982年の「ワッセナー合意」という政労使三者間の協定により、それが実現されたわけだが、その中で経営者に課せられたものは、@雇用の維持A労働時間の短縮のふたつである。労働者に課せられたものは「労働時間短縮に伴う賃金の一時的なダウン」であった。オランダでは時短の効果として、内需が大幅に回復したが、これは社会保障が完備したオランダだから起こり得たことであろう。日本には社会保障がないに等しいから、賃金が下がった場合、生活を切り詰めても貯蓄に回すことは間違いない。そして何よりも日本人は結局「抜け駆け」して長時間働くのだ。
オランダ人は、政治意識が日本人よりも格段に高く「スト破り」の国民性もない。狭い国土を「干拓事業」で広げたため、国土の殆どが海抜より低く、水害の危険性が高いオランダでは、国民の間の「結束・団結」が強いと言われている。オランダ人の有名な冗談に「世界は神が造った、しかし、オランダはオランダ人が造った」というのがあるくらいだ。
日本で「オランダモデル」を成功させるためには、企業経営者の「思考回路」の転換と、長い間の企業文化が培ってきた労働者の「スト破り」体質の転換が必須だが、私の予想では少なくとも100年はかかるだろうと思っている。