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[17006] ガンダールヴは夢を見る。/2
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/07 13:19
はじめに
最新話更新日:10/07/07
話数が多くなって来たので、投稿スレッドを分割致しました。
こちらは五章からの内容となります。
以前のスレッドはこちら↓
[12870] ガンダールヴは夢を見る。/1
http://mai-net.ath.cx/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=zero&all=12870&n=0&count=1

注意事項
□ 本SSはライトノベル等で掲載できる程度のグロテスクな表現があります。注意してください。
□ 又、本SS公開開始時において原作17巻時点までの設定でプロットを構成しておりますので
  一部原作とは乖離している設定となっております。(主にワルド関係)
  どうぞご留意願います。(10.01.24追加)

以下、prologue。



































prologue


シオメントはイーヴァルディに尋ねました。
「おお、イーヴァルディよ。そなたはなぜ竜の住処に赴くのだ?あの娘はあんなにもお前を苦しめたのだぞ?」

イーヴァルディは答えました。
「わからない。なぜなのかぼくにもわからない。ただ、ぼくのなかにいるなにかが、ぐんぐんとぼくをひっぱていくんだ。」



(スノーリ・ストゥルルソン著『イーヴァルディの勇者』より)



















[17006] 5-1:お休みが必要だと思うんです
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/04 21:11










ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、伝説の系統魔法 "虚無" の担い手だ。





"神の左手・ガンダールヴ" と謳われ、あらゆる武器を操り、更に不死の体を持ち未来を知る強力無比な使い魔を従えるメイジでもある。

自身も、侵攻してきたアルビオン空中艦隊をたった一発の魔法で撃退できる程の力を秘めているメイジであった。

家柄も王族の血筋に連なる公爵家であり、トリステイン貴族に限れば恐らく、学院一身分が高い人物だ。

更に容姿も申し分なく、可憐なその外見は下級生には絶大な人気を誇りつつある。

更に更に、彼女が住む王国の支配者である女王陛下とも固い? 友情と信頼で結ばれており、困難な極秘任務をこなすなどの実績も上げている。

表立っては魔法が使えない事になっているのだが、それを抜きにしても最近急に華麗になった彼女の生活は

他の生徒にとっては羨望の的であった。

そんな彼女が。

そんな、華麗で可憐で、実は伝説なメイジで、同じく伝説の使い魔でありしかも竜殺しの "イーヴァルディの勇者" を従えて

その上最近は恋人まで出来た、でも皆には内緒なのと行った具合で年頃の少女の妄想が現実になったかのような、幸せ一杯なはずの彼女が。

何かに怯えるような表情を浮かべて、夕日の差し込む自室の冷たい床にあろうことか正座をさせられていた。

彼女のすぐ隣ではメイジを圧倒し、古の竜を屠り、城一つ簡単に攻め滅ぼせるであろう凶悪な戦闘能力を持つ使い魔が

主人と同じように何かに怯えるような表情を浮かべて、肩を落としながら正座をさせられている。

恐らくはハルケギニア最強の一角と言っても差し支えないであろう二人は、共に同じ向きに正座をしながらせわしなく目を泳がせて

その恐怖の対象を必死に視界から外そうと試みていた。

決して上を向くことのないその視線の先に、先程から三組の綺麗な足が見えている。





「さぁて、じっくりと説明してもらおうかしら?」


「お仕置きは必要」


「そうですよ! サイトさん、わたし達に黙って一体いままで何処に行ってたんですか!」





足の主は、キュルケとタバサ、そしてシエスタであった。

小柴勇魚の奇襲のお陰だったのか、何度も "忘却" を使っていたルイズが連続して "世界扉" を唱えたにもかかわらず

今度は無事意識を保って光の門を維持することができ、魔法学院の寮に帰ってこれた二人であったのだが。

部屋に戻ってくるや、簡単に他の女に唇を許してしまった才人にルイズは激怒して、なによあれは! と早速才人に詰め寄った。

才人にしてみれば青天の霹靂ではあったが、まるで怒りに我を忘れ暴走するイノシシのようになったルイズには当然言い訳など通じず

直接的な制裁が行われていた所に、隣室にいたキュルケとタバサが騒ぎを聞きつけ部屋にやって来たのだ。

それからすぐに、 "ルイズが極秘任務? から学院に戻ったらしい" との噂が流れ、それを聞きつけたシエスタが

部屋に押しかけてきて説教の輪に加わったという訳である。

その間二人はずっと正座をさせられ、不在の間どれだけ心配したかキュルケにお説教をうけていたのだった。

一方、タバサはそれ程多くを口にしなかったが、一貫して「お仕置きは必要」と言っている所を見るとかなり怒っているようだ。

正座をしながら目を泳がせる二人は、決してタバサの顔を見ようとはしない。

無論、彼女が怖いからだ。

ある種、主人であるルイズにとってピンチであるらしく、才人の左目が先ほどからルイズと "繋がって" いる。





『なあ、ルイズ。タバサが超怖い』


『わたしもよ、サイト』


「ちょっとぉ、聞いてるの? ほんと、アンタたちが黙っていなくなるから焦ったのよ?
 タバサなんてガリアに情報が漏れたかもしれないって、必死に行方を探っていたんだから」


「お仕置きは必要」


「サイトさん! 大体、その荷物はなんですか?! もしかして二人で呑気に泊りがけで買い物にでも行ってたんですか?!」





ビシ! とシエスタが指さした先、テーブルの上には才人とルイズが地球からのおみやげとして持ち帰ったビニール袋の山があった。

中身はコンビニなどで買い求めた飲み物や食品に、量販店で買った洋服、果てはシャンプーやリンスまでと様々な物が詰め込まれている。

そのどれもがハルケギニアでは決して手にはいらないものであり、ビニールの袋でさえこちらでは物珍しさから高値で売れるであろう品だ。





「いや、実はな? 息抜きに、ちょっとルイズの魔法で俺の故郷に……」


「えー! ずるい! ずるいずるいずるい、ミス・ヴァリエール!
 ずるいです! わたしもサイトさんの故郷に行ってみたかった!」


「そうよ! どうしてあたし達に一声かけてくれなかったの?!」


「いいじゃない、別に! 大体、なんでアンタ達まで誘わないといけないのよ!
 サイトだってね、たまにはご主人様とゆっくりお休みが欲しい時もあるわよ!
 それに、すぐに帰ってくるつもりだったんだから」


「お仕置きは必要」


「すぐにって、泊まりがけのお出かけはすぐに帰ってくるとは言わないわよ?」


「そうですよ!」


「お、落ち着けって! それにはワケがあってだな……」


「正座は崩しちゃダメ」





キュルケとシエスタに詰め寄られるルイズを庇おうと、才人が代わりに説明しようとしたところで

立ち上がろうとした彼の痺れる足をタバサはちょいと杖でつついた。

長時間正座をしていた才人の足の先から背中までに、なんとも耐え難い痺れが襲いかかる。

ぬぐあ! と思わず悲鳴を上げ、才人が悶えた。

しかし、タバサの攻撃は止まない。

非情にも才人が正座の姿勢に戻るまで、その攻撃は続いたのだった。





『だ、大丈夫? サイト』


『なん、とか、な。だが、今のでわかった事があるぞ』


『なになに?』


『この姿勢で足が痺れたときはな、結局この姿勢を続けるのが一番しびれない』


『……不毛ね、それ』


「――で? ちょっとのお出かけがこんなに時間がかかったのはなんでよ?」


「あ、ああ。その、ルイズの精神力が原因だったんだ」


「原因? ミス・ヴァリエールの精神に何か異常でもあったんですか?」


「やめてよ、その言い方! それじゃ私、なんだか精神異常者みたいじゃない!」


「お仕置きは必要」


「まて! 待ってくれタバサ! 話を最後まで聞いてくれ!
 なぁ、キュルケ。魔法って精神力を溜め込んで使うものだろう?」


「ええ、そうね」


「ルイズの場合、その精神力を長期間に渡って蓄積しながら使うんだけど、それが無くなってさ。
  "世界扉" の虚無魔法が使えなくて、それで回復のために一泊したんだよ。」


「あら。私たちの場合は、ちょっと休めばすぐまた魔法が使えるのに?
 そりゃ、スクウェアスペルクラスになれば一ヶ月位期間をおかないとダメなものとかあるけど……」


「へぇ。メイジの魔法って何でも出来そうなのに、意外と制約があるんですね」


「ええ、そうよ。お料理だって、三日間煮込むものとかあるでしょう?」


「あ、なるほど。その例えはわかりやすいです」


「まあ、そんな所だ。ちょっと休んで回復する程度の精神力じゃ "世界扉" は維持出来そうになくてな。
 いや、まて! タバサ、お仕置きはまだだ!
 で、な? 俺たちも無断で何処かに外泊したのは悪かったと思ってるからこうやってお土産をだな……」





才人はそう言って、後ろにあるテーブルの方を顎でくいっと指し示した。

両手はきちんと正座をする膝の上に載せている。

これは別に深く反省しているわけではなく、少しでも大きな動きをするとあの地獄のような痺れが襲ってくるからだった。





「あら。そういう気が利く所は大好きよ、ダーリン。でもね? お土産よりもっと簡単な話があるわ」


「な、なんだ?」


「あたし達もダーリンの故郷に連れて行ってくれればいいのよ。ねぇ、ルイズ?」


「そうです! お願いします、ミス・ヴァリエール!」


「……無理よ。ちょ、ちょっとまってタバサ! お仕置きはまだ! まーだ!」


「どういう事よ? あ、まさか……ダーリンの故郷をあなた、独り占めするつもりじゃないでしょうね?!」


「ずるい! ミス・ヴァリエール、ずるいです!」


「そ、そんなことしないわよ!
 ……簡単な話。 "世界扉" を使ってサイトの故郷にはいつでも行けるわ。
 だけど、私の精神力を大きく使うような虚無魔法は無駄遣いできないし、しないと決めたのよ。
 少なくとも、タバサの件が片付くまではね」





そのルイズの言葉に、詰め寄っていたキュルケとシエスタは思わず口を噤んだ。

お仕置きをする為に杖を持っていたタバサも、その言葉を聞いて無言の怒気を和らげる。





「そういうことだ。俺も、どの虚無魔法が大きく精神力使うかまでは把握してなかったしな。
 せいぜい、 "エクスプロージョン(爆発)" がとんでもなく精神力が必要だって程度しか知らなかったし……
 心配させたのは悪かったけど、アレは不可抗力なんだよ」


「……どうする?」


「納得は行きませんけど、そういう事なら……」


「……そういう事ならいい」


「わかってくれてよかったよ! いちち、ルイズ、立てるか?」





三者三様にとりあえずは怒りを鎮めたように見てとった才人は、正座を崩して立ち上がった。

タバサももうそれを咎めようとはせず、キュルケとシエスタも不満げな表情を浮かべつつも何も言わない。

そんな才人の行動を横目に確認して、ルイズも体の重心を苦しげにゆっくりと前へずらす。

足首から上へ痺れが襲ってこないよう、全神経を集中させているので才人の呼び掛けは耳に届かないようだ。

おい、ルイズ、大丈夫か? と心配した才人が彼女の肩に手をかけた瞬間、彼女はぴぃ! と妙な声をあげる。

それからまるで、下手な操者に操られるマリオネットのような動きをルイズはして、目に涙を溜めながら才人を睨んだ。





「あ、あ、あ、う、うう、ちょっと、触らないで!」


「わ、わり。お前本当に大丈夫か?」


「大丈夫なワケないでしょ! いい?! 触ったら殺すからね!」


「わあったよ、だからそんなに怒らないでくれ」


「自業自得」


「ひゃぁあ! タ、タバサ! お願い! 杖でつつかないで!」


「お仕置きは必要」





思う所があるのか、才人よりも若干荒々しく杖でルイズの足をつつくタバサであった。

それを見たキュルケがルイズの足をつつこうと杖を取り出した所で、才人はあわてて主人を守るべく

場を取り持つように、話題を地球からのお土産に変えた。





「と、いう訳でさ。皆納得してくれた所で、お土産に俺の国の食い物買ってきたからみんなで食べないか?
 な? どれもハルケギニアじゃ手に入らないものばかりだし!」


「わぁ! いいんですか?」


「ふぅん? ダーリンの国の食べ物ねぇ。興味あるわ」





才人の言葉に、ルイズの足をつついていたタバサの杖の動きがピタと止まる。

"ハルケギニアじゃ手に入らないものばかり" というフレーズが彼女の琴線に触れたらしい。

光源が不明な反射光を眼鏡から発し、タバサはゆっくりと才人に向き直った。

その顔は無表情な上、眼鏡のレンズが白く光っているので美しい蒼い瞳も見えず一体何を考えているのか、流石の才人も読み取れない。

ただ、お仕置きを行う手が止まった所を見ると一定の興味を引いているのは確かな事のようだった。





『サイト! 早く助けて! 足が、足が!』


『あと少し! タバサが興味を示してるからあと少しの辛抱だぞルイズ!』


「……美味しい?」


「ああ、きっと美味いぞ! 特に菓子はこっちの物よりもずっと甘くて味が濃いはずだ!」





タバサは杖を振りかざした体制のまま、数瞬の思考に耽る。

一見茫洋とした彼女の脳内では思考が目まぐるしく行われている筈だ。

やがてタバサはおもむろに杖を降ろし、一言興味ある、とだけ呟いたのだった。

才人は思わずガツポーズを小さく取って、そそくさとまだ痺れる足をそのままにテーブルの上に載せているビニール袋から

食品を取り出して並べ始めた。





「よし、決まりだ! 今用意するから、その辺に座っててくれ。
 あ、シエスタ。悪いけど水とグラスを人数分用意してくれるか?」


「え? あ、はい、わかりました。すぐに用意しますね!」





才人の弾む声にシエスタは先程までの不機嫌な声を一転、明るく朗らかな返事をしてメイドらしく背筋を伸ばしニッコリと笑う。

先日のホットドッグの件もあり、才人のお土産にはかなり期待している様子で、足取りも軽くそそくさと部屋を後にしたのだった。

才人は食品以外の物が入ったビニール袋をとりあえずはベッドの奥の方に放り投げながら、手早く準備を進めていく。

袋からすべての食品を取り出して並べ終えた後は人数分の椅子が部屋に無いので、隣室のキュルケの部屋にある椅子を二脚借りて

ルイズの部屋に持ち込む事にした。

それからまるで執事のように甲斐甲斐しく、手馴れた様子でタバサとキュルケを椅子に座らせた所で才人は

ルイズが未だ肩をプルプルと震わせながら、正座を続けていることに気がついた。





「おーい、ルイズどうした? もうそんな格好しなくていいんだぞ?」


「なにも、好き好んで、続けてるわけじゃあ、ない、わよ!」


「じゃ、なんでだ?」


「……この格好を辞めようとしたら、すっごい痺れが全身を襲ってくるの!」


「……不毛だな。でもすっげぇわかるよ、その気持ち。だけどさ、受け入れなくちゃ何時までもその格好のままだぞ?」


「あんたに言われなくてもわかって、るうううっ、わ、よ! しゃ、喋るのもすこし辛くなってきたわ」



「手伝ってあげよっか?」





二人の会話に、キュルケが優雅に椅子から立ち上がり割り込んだ。

赤い朱がさす唇の端を少し持ち上げて、燃えるような瞳を輝かせゆっくりとルイズに歩み寄る。

妖艶な雰囲気すら漂わせるその姿を、ルイズはこの時地獄の底から自分を燃やそうとやって来た炎の悪魔に見えた。





「い、いいわ! 遠慮する!」


「遠慮なんて。あたしと貴女の仲じゃない。
 ヴァリエールとツェルプストーの確執すら乗り越えたあたし達の間に、そんなものは必要無いわよ?」





髪をかきあげながら、キュルケはうふん、と微笑む。

常日頃から多くの男達を虜にしているその仕草は、完成された色香を漂わせていたが才人の目にはどう見ても

獲物を前にした蛇にしか見えなかった。

当然同じことをルイズも感じているので、極力体を動かさないようにしながら彼女を睨みつけ、その言葉を強く否定するのだった。





「嘘おっしゃい! あんたはただ、私が苦しむのを見て楽しみたいだけでしょう?!」


「そんな……心外だわ? ねぇ、ダーリン、酷いと思わない? 女の友情ってどうしてこうも崩れやすいのかしら?」


「わっぷ、キュルケ、いきなり抱きつかないでくれよ!」


「ちょっと! 心外だわ? ってなんで疑問形なのよ! て、いうかサイトから離れなさいよ!」


「うふふ、あなたが私達を引き剥がせばいいじゃない。さあ、ダーリン。あんな起伏に乏しい体のヒス持ちなんて放っておいて
 こっちであたしとイイコトしよ?」





キュルケはルイズを挑発しながらも、才人をズルズルとベッドの方へ引き摺る。

才人は不覚にも、腕に感じる豊かな双丘の感触に思考を奪われ、抵抗をする事を忘却してしまった。

そんな彼に意外な救世主が現れる。

不意にベッドにもつれ込もうとした二人を、大量の氷の礫が襲いかかったのだ。





「きゃあ!」


「いででで!」


「盛るのはダメ」





タバサだ。

彼女もまた椅子から立ち上がり、杖をかざして二人に氷の礫を飛ばしていた。

若干キュルケにぶつける礫が多いのは先程の "起伏に乏しい体" 発言が原因なのだろう。

結局、しこたま氷の礫をぶつけられフレイムと共に礫が溶けてびしょびしょになったベッドを乾かす羽目になったキュルケであった。

そんな彼女を尻目に開放された才人がタバサと一緒にルイズの悲痛な訴えを退け、無理やりに立たせた所で

シエスタが水とグラスを部屋に運んできた。

こうして準備が整い、いよいよささやかな食事会が開かれるのだったが……





「……あんまり美味しくはないわね」


「わ、わたしは好きですよ? サイトさん」


「味は濃い。だけど、折角香辛料を使っているのに油が良くない」





マルトー親父の作る暖かな食事に慣れているキュルケやタバサには、コンビニ食品の食事は珍しくはあっても美味とは感じないらしい。

食事は誰かが作り、そして食べるといったサイクルが基本であるハルケギニアにおいて、保存食でもないものを長期に保存・輸送できる

コンビニ食品はただの冷めた料理でしかないのだ。

それは貴族でないシエスタですら「出来立て」を普段から食べているせいか、やはり美食のご馳走には成り得なかったのである。

もちろん、暖かな地球の食べ物を持ち帰れる事ができればよかったのだが、当の才人達にそんな余裕は無く行動そのものも

隠密行動であった為せいぜいコンビニで食べ物を買う程度が精一杯であった。

加えて、魔法学院で使われる様々な食料品にはメイジが関わっている事も多い。

例えば油などが良い例で、直接メイジが特定の味わいを醸し出せるよう魔法を使って精製した品や、代々受け継ぐ専用の魔具を用いて

地球の高級品にも負けないほどの品を生産し、税収を上げる貴族などがいて意外と高級品の種類が豊富であった。

事食品に関しては、直接税収に結びつく為各地の貴族主導による品種改良をも盛んで、特に高位の貴族や王族用の品目は

直接メイジが関わっている事が殆どだ。

そういった品々をここ魔法学院では日常的に取り扱っている為、やはりコンビニの、冷めた食品程度では

物珍しさ以上の評価を得ることは難しかった。





「うーん、やっぱちゃんと料理したものじゃないとビックリさせられないかぁ」


「ごめんねぇ、ダーリン。でも、このパンはとっても柔らかくてビックリしたわ」


「この包装してある紙もすごい」





苦笑いを浮かべる才人に、キュルケとタバサは思い思いに慰めの言葉をかけたのだった。

二人の言葉に続くようにシエスタは気まずい話題を才人の故郷についてのものに変えた。





「わたしには珍しい味だし、不味くはないんですがやっぱり温かい物がいいと思うんですよね。
 サイトさんの国では皆こういったものを食べてるんですか?」


「いんや。これはな、一人暮らしの平民……つっても貴族はいないんだけど、料理をする時間の取れない平民が買うような
 できあいの食い物なんだ。ちゃんとした料理だともっと美味いぞ。な、ルイズ?」


「ええ。向こうで食べた "ちぃずやきかれぇ" って奴は本当に美味しかったわ。
 あんな風にふんだんに香辛料が使われているお料理なんて、生まれて初めてだったもの」





予想外の才人の回答に、キュルケとシエスタは驚いた。

たしかに不味いとは思うものの、使われている香辛料や食材、パンの柔らかさからそれなりの身分の者が食べる料理だと思っていたからだ。

しかし、才人の話によれば、これは一般の平民が食べるようなものだと言う事になる。

少なくとも、ハルケギニアでは平民がこれほど柔らかいパンや大量の香辛料を口にすることは殆どない。





「へぇ。つまり、いま私たちが食べているものってこっちでいう平民用の食べ物なんだ?」


「うーん、まあ、そうかな? ルイズが向こうで食ったものも平民用というか、誰でも食べられるものではあったけどな」





才人の言葉に、ルイズが腕組みをしてふふん、と勝ち誇った方に笑う。

その鳶色の目は、才人の故郷のご馳走を食べたのは私だけなんだから! と声高に宣言していた。

ムカッ! としてキュルケとシエスタがルイズを半目で睨んでいると、タバサが一言杖を取り出して「反省していない?」とつぶやく。





「してる! 反省してるわよタバサ! だから、その杖しまってよ!
 ね? あ、そうそう! 問題が解決したらみんなで食べにいきましょう? ね? ね?」


「あら。中々素敵な提案ね、ルイズ。じゃ、美味しいお料理を食べるのは、ダーリンの故郷に行ってからって考えるとして。
 それはそうと。ねぇ、ダーリン」





勝ち誇った態度を一変させて必死に取り繕うルイズを見て微笑んでから、キュルケは才人に向き直り急に真顔になった。





「ん? なんだ?」


「もうすぐ夏期休暇でしょう? その間、何か大きな出来事って起こる?」


「んー、俺達の中で誰かが危険な目に合う、って事はなかったと思う」


「そう。なら、予定通りにしましょうか、タバサ」





キュルケの言葉にタバサは無言で頷いた。





「どういう事だ?」


「ダーリンたちがいない間にタバサと相談したんだけど、歴史の通りに事態を進めたいなら
  "前" と同じ行動をした方がいいんでしょう?」


「ん、まあそうだな」


「最初、タバサと一緒に夏期休暇の間も一緒に行動しようかと思ったのだけどね。
 それだとタバサの行動に、ガリア本国が不審に思う可能性があるんじゃないかって思うのよ」


「ああ、そういうことか。たしか "前" はお前もタバサも里帰りはしてたようだしな」


「だからね、留学組の私達は明後日ここを発って里帰りをする予定にしたのよ。
 そういうわけで、留守の間はルイズの事頼んだわよ?」





キュルケはそう言って、才人の手を取り浮気はしないでね、ダーリンと付け加えウインクをして見せた。

はは、と乾いた笑いを浮かべその手を引き抜いた才人だったが、今度は別の白い小さな手が微熱から取り戻したばかりの手を握る。

少し冷たいその手はタバサのものだ。

一同は意外なタバサの行動に、目を白黒させた。

そんな周囲の戸惑いも意に介さず、タバサは今日みたいな事にはならないよう、しっかり見張っててと才人に伝えさっと手を離したのだった。

キュルケが才人の手を握った瞬間から、怒りの咆哮を上げようと隙を伺っていたルイズの胸にタバサのその一言が刺さる。





「う、悪かったわね」


「当然よ。あんたはもう、落ちこぼれの "ゼロのルイズ" じゃいられないのよ?
 もうちょっと自覚してもいいと思うわ。あたしはともかく、タバサが可哀想じゃない」


「わかってるわよ。……ごめんね、タバサ」


「もう気にしていない。それよりも、しっかり護衛をお願い」


「おう、任せとけ。あ、そうそう。なあ、こっちは自信あるんだ。食ってみてくれないか?」





才人はそういうと、地球製のデザートの数々を勧めた。

コンビニのジャンクとはいえ、ハルケギニア製のものよりも遥かに甘く、濃厚な味わいの物ばかりだ。

特に年頃の女の子はこのような品に目がない。

それは地球でもハルケギニアでも、貴族でも平民でも変わりはしないことを、才人はこの日確認したのだった。



それから数日後。

タバサやキュルケは既に帰郷の為に学院を発った、夏期休暇に入る前日での事。

学院の広場でルイズとシエスタは険悪な雰囲気の中、才人を挟んで睨み合っていた。

広場の向こうに見える正門には帰郷する生徒達でごった返している。

迎えの馬車がひっきりなしにやってきては、それぞれの領地やトリスタニアに向けて出立していた。

才人はその様子を、まるで現実から逃避するように眺めていた。

"グリムニルの槍" の能力なのか、遠目にもやけにはっきりと生徒たちの浮かれた顔が見える。

無理もない。

トリステイン魔法学院の夏期休暇は二ヶ月半もあり、生徒たちにとっては一大イベントでもあるのだ。

笑顔、笑顔、笑顔。

まぶしい位の、爽やかな笑顔の海だ。

手には大きな旅行かばんを抱え、初々しいサマードレスに身を包んだあの一年生なんて、すごく幸せそうに笑っている。

……いい笑顔だなあ。

故郷にカレシとかいるんだろうか。

ほんと、無邪気で幸せそうな笑顔だ。

それに比べて……





「いいじゃないですか、ミス・ヴァリエール。お願いします、わたしも一緒に連れて行ってくださいな」


「ダメったらダメ! あんたは学院付きのメイドでしょうが! 大人しくタルブの村にひとりで帰りなさい!」





才人は思う。

何もこんなにクソ暑い中、喧嘩しなくてもいいじゃないか。

ああ、強い日差しが目に沁みる。





「でも……夏期休暇の間ずっとサイトさんがミス・ヴァリエールの身の回りのお世話をするんでしょう?」


「当たり前じゃない。こいつは私の使い魔なんだから」


「そんなの、その、可哀想です。 わたし、サイトさんにもお休みが必要だと思うんです」


「サイトは、私の護衛でもあるんだからしょうがないでしょ!」


「でも! ……でも、ですよ? いつもいつもサイトさん、ミス・ヴァリエールにこき使われていてなんだか可哀想で……
 わたしが一緒に居れば、身の回りのお世話をしてあげられますし……
 サイトさんもきっとミス・ヴァリエールの護衛に集中できると思うんですよ」





この日、元々は帰郷する予定だったシエスタはいつものメイド服ではなく草色のシャツにブラウンのスカートを身につけていた。

その手には大きなカバンがぶら下がっている。

そんなシエスタの一理ある説得に、ルイズは思わず出しかけた言葉を飲み込んだ。

確かにそのとおりではある。

しかし、しかしだ。

夏期休暇は二ヶ月半にも及ぶ。

その間、サイトと二人きりで一緒に過ごしたいと思うルイズは、その申し出をなんとしても断りたかったのだ。

それに、夏は乙女を大胆にする。

折しも、地球のホテルでみたあのポルノコンテンツの記憶が、ルイズの中で色々と、それはもう、色々と妄想を膨らませる結果となっていた。

つまり、ルイズ的に夏なのだから誰にも邪魔されず "大胆" になりたかったのだ。

その為にはシエスタに叩きつけられた言葉を、理論的に粉砕しなくてはならない。

ルイズは必死にその言葉の穴を探る。

僅かな隙を見逃すまいと、強い日差しの下頭をフル回転させるのだった。

その結果は……





「ふ、ふうん? 一体あんたは、私とサイトの、どっちの "身の回りのお世話" をするつもりなのかしら?」


「勿論サ、ミス・ヴァリエールですわ!」


「あんた! 今即答でサイトって言いかけたでしょ!」


「オホホ、そそんな事はございませんわ」


「嘘おっしゃい! そもそも、あんたはまだサイト専属メイドにもになってないんだから、妙な行動でもして目をつけられると困るの!
 この前そう話したでしょう?! どこにガリアの間諜が潜んでいるのかわからないんだから」





結果は、半ば子供の喧嘩じみた言い争いにしかならなかった。

少なくとも才人にはそう見えていた。

一方、ルイズはルイズでこれでうまくシエスタをやり込めたと得意げに、いつものように腕を組んでニヤリとする。

そんな彼女をシエスタは軽く睨んで、特に慌てもせずルイズに聞こえるよう独り言のようなものを口にした。





「それ、ホントかなあ。ホントにそう思っているのだけなのかなぁ……」


「な、なによ」


「べ、べーつーにー」


「言いたい事あるなら言ってご覧なさいよ!」


「最近、ミス・ヴァリエールがサイトさんを見る目がなんだかとっても怪しいなって思うんです。
 サイトさんの故郷に行った時、なんかありました?」





不意打ち、とはまさにこの事で、それまでどこか心の隅にあったあの一夜の事が鮮やかにルイズの中に蘇った。

主に、連れ込み宿でのことが。

さらに具体的に言うと、あの、才人には内緒で見た、裸の男女の睦み合いの映像が。

普通に「才人と連れ込み宿に入ったの!」と言える事が出来れば、シエスタに圧倒的な差がつけられるはずではあったが

今のルイズにはそう公言するには些か無理があった。

彼女の中で才人への気持ちははっきりとしてはいるものの、やはり世間体や身分の差などの問題は依然として解決してはいないのだ。

なにより、十六才の貴族の乙女が結婚もせず、ブリミルへの誓いの言葉も無く、両親の許しも得ないまま

「才人と連れ込み宿に入ったの!」などと公言する事は、はしたない事極まりない行為であった。

まして、他人の情事を事細かに見たなどとは口が避けても言えようはずもない。

ルイズは顔を真赤にしながらも、必死に視線をそらしながら取り繕う。





「別に、なにも、ないわよ!」





明らかに何かあったな、とシエスタはその態度から読み取り奥歯を少し噛んだ。

それからじっとりとルイズを観察した後、どう反応すべきか彼女は考える。

シエスタも、ルイズと同じように恋に必死なのだ。

ヤっちゃった、風でもない、かな?

リリーの話によれば、 "そういう関係" になった男女って変に隠そうとはしないらしいのよね。

すっごい余裕があるって言ってたし、ミス・ヴァリエールのこの態度は……たぶん違うとおもう。

ようし、こうなったら……





「ふう、しかし今日は暑いですわねぇ」





何を思ったか、シエスタは急に呆れて肩を落とす才人の方へ向き直り、着ていた草色のシャツの胸元をパタパタとさせた。

当然才人からシャツの中が見えるように。

こうなったら、サイトさんを味方に引き込んで意地でもついていってやる、と作戦を変えたのだ。

チラチラと見える深い谷間は、男の本能をくすぐる。

つまり、才人はその魅力にあらがえず、意志に反してついその峡谷を覗いてしまっていたのだ。

そんな才人を見たルイズはムっとして、思わず彼の脛を蹴り飛ばしそうなるが

愛されているという余裕がそれを許さなかった。

ふん!

才人は、私の事を誰よりも愛してるんだから!

つい、他の女に目を奪われることがあっても、同じことを私がすれば誰も敵うはずがないのよ!

息巻いてルイズは才人の側につい、と寄り添い……





「ええ、本当に」





と言いながら自身のブラウスのボタンをキュルケがするように幾つか外し、胸元をパタパタとさせたのだった。

才人からチラチラと見えるその中身は、まさに爽やかな風が駆け抜ける春の平原そのもので何処までも地平線がひろがるかのようだ。

ルイズのその仕草に愛らしいものを感じた才人は、先程まで見えていた峡谷の事を忘れ優しく微笑む。

しかし、その行為はただただ、ご主人様の矜持を傷つけるだけであった。

直後、才人の微笑を誤解して逆上したルイズは、 "加速" の詠唱と共に強烈な回し蹴りを才人の股間に放ち

くぐもった悲鳴を上げて崩れ落ちる愛しい使い魔を、容赦なく何度も踏みつける。

その攻撃の意味を、才人はシエスタの胸元に目が行ってしまったからだと誤解して必死に弁明を試みるも

当然その言葉はルイズの怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならなかった。





「う、がああ、お、おちつけって! 男ならつい、目が行っちゃうもんなんだよ! 本能ってやつなんだよ!」


「うっさい! この、この、この!」


「み、ミス・ヴァリエール! やめてください!」


「邪魔しないで! こいつにはまだまだ躾けなきゃいけないことがあるんだから!
 この、この、このぉ! 私の気も! 知らない! で! この!」





シエスタがその鬼気迫るルイズの様子に怯えつつも、必死にすがりつきながらなだめる。

ルイズはそんな事もお構いなしに、強い初夏の日差しの下延々と才人を蹴り続けた。

彼女にとって、普段気にしている胸を見られふっと笑われた(実際には違うが)事はなにより許しがたい事であったのだ。





「ふー、ふー、ふー」


「お、落ち着いたか?」





やがて、体力の続く限り蹴りを放ったルイズが息を荒げながらも落ち着くと、ボコボコになった才人は恐る恐る声をかけた。

そんな才人にルイズは尚も足りないといった調子でギロリと睨む。





「そ、そんなに睨むなよ」


「そうですよ、こればかりは仕方ないんですから」






ルイズの怒りの原因を微妙に履き違えたシエスタが、勝ち誇ったかのように彼女を窘めた。

当然、鎮火しかかった火に油をくべる行為にしかならない。





「むきー!」


「ルイズ落ち着け! シエスタも、挑発するんじゃない!」


「ご、ごめんなさい……」





流石の才人もすこし強めにシエスタを窘め、迅速にルイズの胸を灼く怒りを鎮火させる為バタバタと暴れる主人を取り押さえたのだった。

ボコボコになっていた顔は、すっかり元に戻っている。

"グリムニルの槍" ってこんな時すっげえ便利だよな、などと考えつつも腕の中で暴れるルイズを抑えながら才人は木陰を探した。

日は随分と高くなりつつあり、日差しも一層強くなっていく初夏。

暑いからいけないんだ。

暑いから、みんな怒りっぽくなってるんだ。

才人は暴れるルイズを抱え上げ、シエスタとともに木陰に移動してゆっくりと、優しく彼女をなだめた。

しばしの時が流れ、ルイズの怒りも治まり、険悪な雰囲気ではあるものの広場には平穏が戻る。

才人は肩を落とし、シエスタが気を利かせて汲んできた水を受け取り、それを一気に煽った。

同じくシエスタから水を受け取ったルイズも水を一気に煽り、改めて落ち着いた声で今度は才人に険悪な声をかける。





「で?」


「ん? 何?」


「あんたの意見として、この子どうすんのよ?」


「んー、この国が "前と同じ" 未来に向かっているなら、シエスタは連れてはいけないかな」


「えー! そんな!」


「どういう事?」


「今日お前にさ、極秘任務の指令が姫さんから下るんだ」


「姫様から?」


「そ。たしか、密書を携えたフクロウが来るんだけど……
 もしその出来事が起こらなければ、シエスタと一緒にヴァリエール領に帰る事にしてもいいんじゃないかな」


「やった!」





喜びのあまり、思わず飛び上がるシエスタ。

対照的に、ルイズは歯を剥きながら才人に食って掛かる。

文字通り、喉笛を噛みちぎらんばかりの勢いだ。





「なんでよ!」


「そりゃ、お前、 "前" にヴァリエール領に帰る時一緒だったからだ。
 極秘任務の指令が下らない場合、結構未来が変わってしまっている恐れがあるって事だろ?
 だから、タバサの件に極力影響が出ないよう、俺たちはなるべく "前" と同じ行動を取らなきゃ」


「う、それは、そうだけど……」


「さ! そういう事で、早く行きましょうミス・ヴァリエール!」





弾む声をあげながら、シエスタは才人の手を引いた。

ルイズにはそれを咎める体力と気力はすでに残ってはいないらしい。

何も言わず肩を落としてこころの中で、自分が夢見ていた甘い夏期休暇に一人別れを告げていたのだった。

そんな対照的な二人を前に才人は空の一角をじっと睨む。

既に人ではないその目が、何かの姿をはっきりと捉えたらしい。





「いや。そうも行かないようだぞ? シエスタ」


「え?」


「ほら」





才人はそういうと、空を指差す。

丁度王都トリスタニアの方角であった。

ルイズとシエスタは才人が指差す先、初夏のどこまでも青い空を目を細めて睨んだ。

二人の視界の先にやがて黒っぽい点が青に浮かび上がり、徐々に点は鳥の形を取る。

鳥はまっすぐこちらに向かって飛んでいるようだ。

ルイズがその鳥がフクロウである事を確認した頃、才人は宣言するのだった。










「と、いう訳で帰郷は中止だな」


















[17006] 5-2:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄1
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/06 14:33










白い石造りの建物が夕日によって茜色に染められた王都、トリスタニア。





サン・レミ聖堂が夕方六時の鐘をうち、中央広場では人々が足早に家路へと着いていた。

そんな人の波に逆らい住宅が密集する地区から遠ざかるように歩く三人組の姿が、そんな人々の目をひいていたのだった。

一人は、儚げな印象を抱かせるようなうら若い娘で、三人の先頭を歩いている。

すこし短めのブルネットの髪はウェーブがかかり、夕日を浴びて赤毛のような色に見えた。

背は低めでそのメリハリの効いた体のラインは非常に蠱惑的であり、遠目に彼女を見た下品な傭兵達が口笛を吹いて茶化している。

若い娘は飛んでくる口笛や野次にはまるで意に介さず、平然として住宅街のある地区とは反対の方向にスタスタとその足を運んでいた。

そんな娘の背に更なる卑猥な野次が飛ぶ。

彼女が向かう先は、酒場や娼館のある歓楽街であったからだ。

傭兵たちは彼女がそこで働く酌婦だと思い、下品な笑いを吐きながら彼女を茶化し続けた。

投げられる野次にも止めなかったその歩みはふと、背後に剣呑な気配を感じて若い娘は足を止める。

それから後ろを振り返り、困ったような表情を浮かべて後ろをついてくる人物に穏やかな、鈴の音のような声をかけた。





「トマ、やめて。あの人達はちょっとわたしをからかっただけなんだからね?」


「でも、姉さん! あいつらは、姉さんを娼婦かなにかのように!」


「いいから。こんな往来で剣に手をかけるなんて、警邏の方に見つかりでもしたら大変よ?」





若い娘はゆっくりとした落ち着いた声で、後ろを歩いていたもう一人の人物、トマと呼ばれた少年に優しく諭すように微笑んだ。

トマと呼ばれた少年は娘よりも若干背が高く、背中まで伸ばした彼女と同じブルネットの髪を頭の後ろで縛っている。

娘も目を引く容姿でありその体つきも非常に女性的で魅力的だったが、この少年も又道行く人々の目を引いた。

主に、女性の視線を。

端正な顔立ちに、凛々しく釣り上がった眉毛。

白い肌はまるで大理石のようで、背筋も魔法衛士隊の一員のようにピンと伸びている。

細いがしなやかな身のこなしは、まるで貴族のように洗練されたものだった。

そして、その腰に一振りの剣。

少年は先程からその綺麗な顔に敵意を張り付かせ、剣に手をかけながら姉を茶化した傭兵達を睨みつけていたのだった。

傭兵たちは少年の事などまるで目に入っていないかのように、遠くで口笛を吹いたり嬌声を上げてみせたりしている。

トマは悔しそうに傭兵達を見ながらも、姉の言葉に従って剣の柄に置いていた手を退けた。





「さあ、あんな人達の事なんて放っておいて、お店に行きましょ」


「……はい、姉さん」


「頑張って働いて借金を返さないと、死んだ父様や母様に顔向けなんてできないわ。そうでしょう?」


「そうだね。ごめん、姉さん。僕も……」


「いいのよ、トマは。元はと言えば、わたしの婚約が原因だもの」





若い娘はそう言って優しく笑ったまま、トマの頭を撫でた。

頭を撫でられたトマは険が張り付いた顔を崩して、クスリと笑い返す。

いよいよ沈みつつある夕日が、王城の塔の間からそんな二人を照らし出していた。

この日最後の夕日を受けた美しい姉弟の佇まいはまるで絵画のようで、中央広場を行き交い家路に付く人々の目を引き足を止めさせる。

微笑みあう二人の様子は、まるでその空間だけが穏やかで柔らかな世界であるかように、見る者を和ませるのだった。

そんな、名画のような光景を裂くように。

いや、名画に染み付いた、スープの染みのように。

もう一人、二人について歩いていた人物が無粋にも口を開きその光景を台無しにしてしまう。





「大体なあ、お前弱い癖になんでそんなに喧嘩っ早いんだよ? 剣を抜いて挑むってのは殺されても文句は言えねぇんだぞ?」


「うるさい! 大体、どうしてお前なんかが付いてくるんだ!」


「うわ! 一昨日助けてやったのにそりゃねぇよ!
 俺だってなあ、仕事じゃなきゃこんな事しねえって。それもこれも、お前が弱っちぃからだろ?」


「うううう、うるさい! 姉さんは僕が守るんだ!」


「わぁった、わぁったから、そう怒鳴るなよ。
 ほれ、早く店に行こうぜ? 日が暮れて遅刻すると俺まで給金をスカロン店長に差っ引かれちまう」





名画を台無しにしたスープの染みのような男は、長身という程ではなかったが三人の中では一番背が高い。

顔立ちも前を歩く二人のせいか特にこれは、といった特徴を道行く人々に抱かせず

たまに女の子から黄色い声を上げられるトマの背に、男の嫉妬をまぜた視線を送りながら背を丸めて最後尾を歩いていたのだった。

ただ、違う意味ではこの男も人々の目を引いている。

トリステインでは珍しい漆黒の髪に奇妙な服装をしていて、その背には体格に不釣合な片刃の大剣を背負っていたからだ。

大剣を納める鞘は背負った状態でも抜きやすいよう、皮の留め具で保持するタイプであるらしく所々が抜き身の刃が見える為か

鞘の上から布をグルグルに巻かれていた。





「サイトさんの言う通りよ、トマ。助けてもらったのに、どうしてそんなにサイトさんを邪険にするの?」


「だって、姉さん! こいつは……」


「だから、何度も言ってるだろ? 俺は、ルイズ一筋なんだって」


「嘘つけ! お前、何かと姉さんの胸ばかり見てるじゃないか! あんなペタン子一筋なんて、到底信じられないね!」


「ちがう! ルイズは決してペタン子なんかじゃない! スレンダーって言うんだ、スレンダーって! はい、復唱!」


「だれが復唱なんかするか! いいか、僕は忘れないぞ!
 お前が姉さんの自己紹介を聞いていたとき、ずっとその胸を見ていた事をな!」


「そ、それはだなあ、お前も男ならわかるだろ?!」


「いーや、わからないね! どうせお前も姉さん目当てで護衛を引き受けたんだろ!
 姉さんは騙せても、僕は騙せないんだからな!」


「トマ! いい加減にしなさい! サイトさんも、トマに構ってないで早く行きましょう?
 このままだと本当に遅刻しちゃうわ」





娘は言い争いを始めかけた二人にピシャリと言い放って、再びスタスタと今度はすこし足早に歓楽街の方へと歩き始めた。

トマはギリ、と白いきれいな歯を剥いて男を一瞥し姉の後を追う。

男は、平賀才人は、はぁぁぁ、と深くため息をつきボリボリと忌々しそうに頭をかいて、二人の後を追うのだった。










魔法学院から王都トリスタニアまでは徒歩で二日。

ルイズと才人はとある任務を告げる書状を伝書フクロウから受け取り、身分を隠すために

馬車ではなく歩いてトリスタニアの街へ向かっていた。

結局シエスタは一人で里帰りをすることになり、才人と二人きりになれたルイズは上機嫌で手早く荷造りを行い

その日の内に学院を出立する運びとなったまでは良かったが、歩きの旅など殆どしたことのないルイズはすぐに疲れた、とか

お肌が日に焼けちゃう、などと愚痴を吐き始める。

才人はそんなルイズの気を紛らわせようと、いい機会だとばかりにある事を提案していた。

それは……





「なぁ、ルイズ。俺、すこし考えたんだ」


「何? 突然」





才人は大量の荷物を抱え、前を歩くルイズに声をかけた。

魔法学院を発って丁度一日が経過した、お昼すぎでのことである。

ルイズは才人に沢山ある自分の荷物を持たせている事に少し引け目を感じているのか、その手には小さな荷物がぶら下がっていた。





「これからやる任務はさ、特に危険は無いしお前にとっても色々と社会勉強になるから
 多少困難な状況になるかもしれないけど、俺は口を出さない事にしようと思うんだ」


「どういう事?」


「つまり、今回は何が起こるのかお前には言わないって事」


「ちょっと! なんでよ、それ!」


「言ったろ? 特に危険は無いし、お前にとっても色々と社会勉強になるからだよ。
 事前に何が起きるか教えとくと、お前のためにならんしさ、何より……」


「何より?」


「精神力が溜まる。任務をやってる時のお前は結構悩んだりしてたからな。
 アルビオンとの戦いを前に、それは悪いことじゃないだろ?」


「う、そりゃ、そうだけど……」


「な? いいだろ? こうやって、文句一つ言わずにご主人様の大量の荷物を抱えている、健気な使い魔のささやかなお願いなんだし」


「……わかったわ。確かに、ちょっとした事であんたの "知識" 使って困難を切り抜けるのも良くない事よね。
 いつの間にか頼りっきりになっちゃうかもしれないし、それは悪くないかも。
 一応確認するけど、危険な事にはならないのね?」


「ああ。 "前" と全く同じならな。もし危険な事が起きても俺がキッチリ守るよ」


「ならいいわ。考えてみれば、変に事情を知って未来に影響が出ても困るし。
 タバサの事が解決するまではなるべく "前" と同じようにする、って事でもあるんでしょ?」


「そ。悪いな。流石に "危ない" 事ならアドバイスするんだけど……
 お前の障害を前もって排除しすぎるのも、後々マズい事になりそうだってこの前の "世界扉" の件で気が付いたんだ」


「……気にらないけど、仕方ないわよね。まったく、何が伝説の系統よ。
 悩んだりして心を震わせないと精神力が貯まらないなんて! お陰でレビテーションを使うにも気を使うったらないわ!」





ガァ! とルイズは青く高い初夏の空に吠えた。

才人はそんな彼女の背を見ながら、やれやれとため息を付く。

それからその背にかかる眩いピンクブロンドをぼんやりと眺めながら、才人は考え込んだ。

ルイズは、 "前" よりもずっと……そう、ずっと成長している。

前と違って、アルビオン戦役の前である今の状況で既に虚無魔法を沢山使いこなしつつあるし

俺たちの信頼関係も以前の同じ時期に比べればずっと強固だ。

俺自身、更なる力も得たしこれからの戦いも最悪、歴史通りに進めれば少なくとも負けることはない。

……デルフを失うのはいやだけど。

そうだ。

今の所は順調だと言ってもいい。

なのに……

才人はそう考えながら、自身の内にある得体のしれない不安が湧いて来るのを感じた。

不安は彼に語りかける。

足りない。

何かが、足りないと。

なんだ? 何が足りないと俺は感じているんだ?

力か?

ルイズとの信頼関係?

違う、多分そんな事じゃない。

才人はなんだか居心地が悪いような気がして、気を取り直すキッカケにするようによっこいしょと荷物を持ち直した。





「大丈夫? 重くない?」





そんな才人の様子を見てルイズが気遣う。

才人が抱える山のようになった荷物の殆どは、ルイズの着替えなどが詰まったカバンだ。

いくら以前とは違い、虚無魔法を多く使えて自分の気持に素直になり、才人との絆が強いとはいっても彼女が未だ

世間知らずのお嬢様である事実は変わらない。

そんな彼女に届いた女王陛下直々の任務は、トリスタニアの街に潜む不穏分子の存在を調べる為の間諜であった。

トリステイン王国は未だ神聖アルビオンと戦争状態であり、国境では小競り合いの戦闘が続いているのだ。

そんな中アルビオンによる女王誘拐未遂事件が起こった。

これは、見方を変えると暗殺も可能であった状況とも言える。

この事態を重く見たアンリエッタと宰相マザリーニは、城下に潜む不穏分子やアルビオンとの内通者の炙り出しに

本腰を入れて取り組んでいたのだった。

その一環としてルイズに回ってきたこの任務は、アルビオンの密偵による治安撹乱を未然に防ぐためのものだ。

身分を隠し、トリスタニアの街で不穏分子の情報や街の噂を収集する役目を与えられている。

地味だが非常に重要な任務だ。

そんな極秘任務にルイズは山のような荷物を持って挑もうとしていたのだ。

中身は当然、彼女の綺羅びやかな衣服や装飾品の数々。

どれも平民が身につけるようなものでなく、とても目立つ。

才人は心配するご主人様の問い掛けに、深い溜息で返事をした。





「なによ! 心配しているってのに失礼しちゃうわね!」


「あのな? お前の任務は、なんだ?」


「何? 急に。間諜よ、間諜。昨日説明したでしょ? それにあんた、知っているじゃない」


「ああ、そうだ。で、このお前の荷物、どう思う?」


「……重い? 半分は無理だけど、もうちょっと持とうか?」





再び心配げに才人を気遣うルイズ。

やべ、超可愛い。

一瞬、才人の頬が緩みかけた。

それからすぐに、いやそうじゃなくて! と我を取り戻す。

お前な、間諜って仕事をなんだと思っているんだ、と言いかけて才人は口をつぐむ。

そうだ。

ここでうまく説明しても、ルイズの為にはきっとならない。

平民の生活に溶け込んで間諜を行う経験は、貴族であるルイズには貴重な体験だ。

俺は黙って見守ってやるべきなんだ。

こんな、身分を隠しての間諜として常識の欠片もない程荷物を持っていこうとしても。

たとえ、高級な貴族用宿に泊まろうとしても。

たとえたとえ、任務の為の金が足りない! と愚痴を吐いても。

たとえたとえたとえ、つい手を出したギャンブルでその金をすべてスって、スッカラカンになっても、だ。

……最後のは俺が最初に手をだしたんだけどな。

才人はなんだかお父さんみたいな考えだなこりゃと思いつつも、何でもないとルイズに笑いかけた。

ルイズは才人のその笑みの真意を理解できないまま、ホントに大丈夫? と呑気に心配をするのだった。










――と、いう訳で。

無事、トリスタニアに到着した二人は。

"前回" と同じようにまず財務庁を訪ね、任務を知らせる手紙と一緒に入っていた手形を金貨に換え。

口は出さないと決めたものの、前回と同じ行動ならと思いつつ貴族的思考から全く離れないルイズを見かねた才人が

仕立屋に連れて行き、粗末な平民の服を見立てて彼女に着せて。

その格好と資金不足に不満を漏らすルイズを、才人が懸命に宥めている内に言い争いとなり。

わかっちゃいるけども。

結果がわかっちゃいるけども、才人は自身の財布の中身をすべてルイズに使われてしまうと知りつつも、賭場に彼女を誘って。

やっぱり今回も目を獣のようにギラつかせて賭け事にハマったルイズに、活動費も自分の財布の中身も、すべての金貨をつぎ込まれ。

無一文になり中央広場で「あんた、こうなると知ってて黙ってたわね!」となじられ、惨めに座り込んでいる所で予定通り

宿兼酒場『魅惑の妖精亭』のオーナーである、スカロンにスカウトされる二人であった。

才人と同じ黒い髪にオイルをなでつけ、割れた顎とツンと尖った小意気なヒゲに厚ぼったい唇。

派手な紫のサテン地のシャツからはモジャモジャの胸毛をのぞかせ、クネクネとしなを作って気味の悪いお姉言葉を操るスカロンは

すこし特殊な酒場を営んでいる。

その酒場は愛らしい給仕の女の子を大量に雇い、色とりどりの派手な格好をさせて酌婦として客に奉仕させるのだ。

もちろん、如何わしい行為は行われない。

あくまで綺麗な女の子が、綺麗な格好をして、お客様にお酌やお話の相手をしながら楽しい一時を提供する、といったお店である。

そんなお店でルイズは働くこととなり、才人も又雑用としてルイズと一緒に雇われる事になるのだった。

そこまでは才人が知る未来と同じ出来事である。

店に案内される道すがら、才人はスカロンの容姿に懐かしさを感じながらもルイズとは兄妹で、親の(本当はルイズの)博打で

一文無しになった上に行く当てもなく困っていたとこれも又、以前と同じような話をでっちあげて事を進めた。

それからルイズは派手な格好をさせられ『魅惑の妖精亭』で働く妖精の一員として、順調に "前回" と同じように

トラブルを起こしつつも、労働やお金を稼ぐ事の大変さを学んでいく。

才人はその様子を厨房の奥でひたすら皿洗いを行いながら暖かく見守り、より絆を深めるべく彼女を影から支えてやるつもりだった。

その、つもりだったのだが……

『魅惑の妖精亭』で働き始めて二日目の夕方での事だ。





「やめて下さい! お願い! やめて!」





店で出すワインの在庫がすこし心許ないので、スカロンに言われ才人が発注書を手にワインを扱う商人の館まで才お使いに出ていた時。

サン・レミ聖堂が夕方六時の鐘をうち、白い壁を夕日で赤くそめた王城がみえる中央広場で才人は女の子の悲鳴と

野太い複数の男の怒号が聞こえてきて、急ぐその足を止めるのだった。

声がする方に目をやると、どこか見覚えのある女の子が屈強な男に手を引かれている。

その男の足元には剣が転がっており、刀身が夕日を反射してキラキラとその場にそぐわない美しい輝きを放っていた。

剣の光を目に受け、思わず手で遮りながらも才人は記憶を辿り、その女の子が誰であったかを思い出そうとした。

あの子はたしか、スカロン店長のお店で働いていた……

いや、そんなことより!

男と女の子の視線の先で、男の仲間らしきこちらもイカツイ男達が四人、倒れている誰かを囲んであろうことか集団で蹴り飛ばしていたのだ。





「おい、やめろよ。よってたかって何してんだよ」


「あぁ? なんだお前。スッコんでろ!」





思わず止めに入った才人に、男たちは地に倒れ伏している者を蹴るのを辞め一斉に才人を睨みつける。

ガラの悪そうなその風体は傭兵、ではなくゴロツキの類のようだ。

チラと倒れている者の方をみると、髪は長いがその服装からどうやら男らしいと判別がついた。





「喧嘩にしちゃ、ずいぶんとみっともないな?」


「なんだぁ? お前も俺達に喧嘩売ってんのか?」


「まさか。そんな面倒臭い事するかよ。お前らが乱暴をやめればこっちも退散するさ」


「うるせぇ! 邪魔するんじゃねえ!」





男達の一人が、問答無用で才人に殴りかかった。

男の風体が現す通り、随分と喧嘩早い性分のようだ。

才人は慣れたような動きで男の拳を難なく躱し、ちょんと足を引っ掛けてやった

男はバランスを崩してしまい、どたんと大きな音を立てて無様に地面に転がる。

その才人の行為に、他の男たちは気色ばんだ。





「でめぇ、やんのか?!」


「殴りかかって来たのはそっちだろ」


「絡んできたのはてめぇだ!」


「お前らが嫌がる女の子の手を引いて、その子の連れを集団で蹴たぐっていたからだろ」





しかし、才人の言い分は男たちに聞き入れられそうにもない。

じり、とゴロツキ共は蹴り飛ばしていた男から離れ、今にも襲いかからんと徐々に才人を取り囲む。

この時意外にも才人に躍りかかろうとするゴロツキ共を、女の子の手を引いていた一際屈強な男が制止した。

どうやら彼らの兄貴分らしい。

その男は抵抗する女の子の手を難なく拘束し続けながら、才人に小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。





「おいおい、俺たちは被害者なんだぜ?」


「うそコケ」


「俺たちはな、このお嬢さんに借金の返済の催促をしにきたんだ。
 そしたらおめぇ、いきなりそこのガキが剣を抜いて切りかかってくるじゃねえか。
 そんな危ねぇ真似しやがるもんだから、ちょっとばかり "社会勉強" をさせてやってたのさ」





そう言って、男は足元に転がっていた剣を倒れている男にむかって蹴り飛ばした。

剣はがらんと音を立てて倒れ伏している男の側に転がっていく。

倒れている男はうう、と呻いてわずかに顔を上げ剣を確認したがその手にとろうとはしなかった。

チラとみえたその顔と声から、倒れている男はまだ少年のようだ。





「だったら、もういいだろ? 十分傷めつけてるじゃないか」


「よかねえ。まだ商談が残ってら。こっちのお嬢さんに、借金を返してもらわねえとならねぇんだからな」


「お金は! 今月の分はキチンと返したじゃないですか!」


「あぁん? 利子だよ、り・し! 足りねえ分は体で稼いで貰うって約束だろう?」





男は話は終りだとばかりに、踵を返して強引に女の子のの手を引く。

恐らくは騙されてしまったのだろう女の子は、ガクンと体ごと引っ張られながらもさらに抗議の声を上げた。





「そんな話、聞いてない!」


「当たり前だ。言ってねぇからな。ひひ、ほら、行くぞおぐ!」





屈強そうな男は台詞も言い終わらぬ内に、手を引かれていた女の子の眼前でいきなり数メイル程吹き飛んだ。

その背中を才人が蹴飛ばしたからだ。

ちゃんと女の子の手を離してから吹き飛ぶよう、脇の下に一発ボディブロウを素早く入れてからの蹴りだったので

男は一人でくぐもった悲鳴を上げながら宙を舞う。

突然手を引いていた男が悶絶しながら吹き飛ぶ様をみて、ポカンとしていた娘がはっと我を取り戻し、慌てて振り向くと

さっきまで制止に入った男の子に凄んでいたいかついゴロツキ共が、目を離したその一瞬でボコボコにされ

まるでゴミ捨て場のゴミを山積みにするように、ひとまとめに折り重なっていたのだった。

ありえないその光景を目の当たりにして女の子がえ? と自失している傍らで、才人は何事もなかったかのように両手をパンパンと打ち

ありもしない埃を払ってから倒れている少年に手を差し伸べた。





「大丈夫か? ケガはないか?」


「う、ぐ……」


「ほれ、手をかしてやるから。まったく、ひでぇ連中だな」





少年はすこし呻きながら顔を上げて、才人が差し伸べた手を確認する。

そして。

パシン、と音が鳴った。

少年が、差し伸べていた才人の手を乱暴に払ったのだ。

あっけにとられる才人を、その少年は大きなブラウンの瞳で強く睨みつける。





「トマ!」


「余計な、お世話だ! 姉さんは僕が守るんだ!」





ヨロヨロと立ち上がりながら少年は、傍らに落ちていた剣を拾い上げて女の子と才人の間に立つ。

見た目、年の頃はルイズとそう変わらない。

屈辱と敵意に歪めたその顔は、それでもギーシュよりもずっと端整な顔立ちだ。

そう、少年はいわゆる美少年である。

それも、とびきりの。

彼の顔を改めて見た才人は理由もなく、先程までの義侠心を何処かに放り投げ、嫉妬の炎を燃やす。

へーへー、ようございますね、ハンサムってやつは。

剣を構えるその姿、すごく様になってるよ。

特に、お姉さんを背に剣を構えるなんて、なんだか禁断の愛って感じで胸に迫る物があるよね。

ああ、そうさ。どうせ俺は猿ですよ、猿。

ちくしょう、腕っ節ならまけないぞ?

才人は思わず卑屈な心境に陥り、剣先を向けられているにも関わらずブツブツと何やら呟きながら地面にのノ字を書き始めてしまった。





「な、なんだよお前! ふざけているのか?!」


「……うっせえ。ちょっとハンサムだからって、エばってるんじゃねーや」


「んな?! なんだと、この!」





何やら勝手にいじけている才人の言葉に少年は過剰に反応し、あまり腫れていない端正な顔を赤くして怒り始めてしまう。

そんな彼の怒りを鎮めたのは、意外にも女の子であった。

女の子が怒って才人を罵倒する少年の後頭部を突然乱暴にガツン! とその小さな拳骨をお見舞いしたのだ。

少年はアダ! と声を上げて、思わず剣を取り落とし両手で殴られた後頭部を押さえる。

それから恐る恐る後ろを振り返った少年の眼前で、女の子は両手を腰に当て眉を釣り上げて

すこしおっとりとした口調で少年にお説教を始めるのだった。





「バカ! 助けてくれた人になんて言い草なの!」


「で、でも、姉さん……」


「でももででおも無い! ごめんなさい! 本当にごめんなさい! この子、わたしの弟なんです!」





女の子は少年を押しのけながら才人の目の前までやってきて、今度は手を体の前で重ね丁寧に何度も何度も謝罪を重ねて

才人にペコペコとおじぎを始めた。

その仕草は謀らずも、非常に栄養が行き渡っている彼女の胸をとてもとても強調させ、才人の視線を釘付けにしてしまう。

女の子の後ろで殴られた頭をさすっていたトマは、思わず目を奪われている才人の様子を見て反射的に食ってかかった。





「お前! 姉さんをなんて目で!」


「トマ!!」


「あ、いや、ご、ゴメン! 俺、つい……」


「気にしないでください。仕事柄、男の方のそういった視線って慣れっこですし。
 あ、そういえばお礼もまだでしたね。助けていただいて、本当に……あれ?」


「あ、気がついた? 俺もスカロンさんの店で働いているんだよ。君の名前は知らないけど、顔は覚えててくれてたみたいだね。
 いや、偶然通りかかってよかった! あは、あはははは……」





気まずい。

というか、女の子の豊かな胸に目を奪われてしまったなどとルイズの耳に入れば、きっときついお仕置きを受けてしまう。

才人は後悔と共に冷や汗を流しつつも、未だにその胸から目が離せないでいる情けない自分を呪った。

女の子はそんな正直な才人の視線をさして気にしてなさそうにしてクスリと笑う。

その柔らかな雰囲気はどこか強い母性を才人に感じさせるのだった。





「たしか、ルイズさんのお兄さんで厨房で働いているんですよね?
 あ、ごめんなさい。お礼がまだでしたよね?
 本当にありがとうございました。 私、エメって言います。こっちは弟のトマ」





エメと名乗った女の子はニッコリと笑い、後ろで才人を睨むトマにも挨拶とお礼をするよう促した。

しかし、トマは露骨にイヤな顔をしてフン! とそっぽを向いてしまう。

余程才人の事が気に入らないらしい。

その憎らしい態度に才人はすこしだけムっとしながらも、改めて自己紹介を行う事にした。





「俺は平賀才人って言うんだ。よろしくな」


「ヒルガサイトさん? 変わった名前なんですね」


「……サイトって呼んでくれ。それより、大丈夫?」





もちろん、トマの傷のことではなく、エメの事である。

男たちの先程の様子から、一度目や二度目のトラブルではないと判断しての才人の問い掛けだ。

その意図は正しくエメに伝わり、彼女は弟と同じブラウンの瞳をすこし潤ませて消え入るような声で返事をした。





「はい……」


「なんか、事情があるみたいだね」


「ええ、ちょっと……」





言葉を濁す彼女に才人はそれ以上質問を投げかける事をしなかった。

『魅惑の妖精亭』で働く者の中には、他人には言えない事情を持つ者も少なくない。

あまり根掘り葉掘り聞くのも良くないことだと思ったからだ。

その代わり、彼女の心労をすこしでも和らげてやるべく才人はある提案をする事にした。





「物騒だし、妖精亭まで送ろうか?」


「ほんとうですか?! それはとてもありがたいです!」





エメはそう言って、朗らかに笑う。

その後ろでは、うーとまるで番犬のようにトマが敵意むき出しの視線を才人に向けていた。

トマの敵意にすこし肩を竦めてから、行こうぜと声をかけ二人を連れて元来た道を戻る才人だった。



以上のように、長く前置きを説明したわけではあるが、兎にも角にも陰ながらルイズの成長を優しく見守る心づもりであった才人は

二人を妖精亭へと送り届けた折、ワインの仕入れの発注を終えたと勘違いしたスカロン店長に事情を説明する事になり

それならば明日からサイトくんが送り迎えをしてあげてね、うちの大事な妖精さんになにかあっては困るから、と

新たな仕事を割り当てられ困惑するのだった。

ルイズの、怒りのこもった視線を浴びながら。










才人はこの時、ただ単に多少面倒な仕事が増えたのだという認識だったのだが、後にその認識を正す羽目になるのであった。

そして場面は、才人が二人と出会った時と同じサン・レミ聖堂の鐘が鳴り、茜色の夕日が沈む冒頭に戻る。


















[17006] 5-3:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄2
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/10 00:31










皿洗いは無の境地に通じるものがある。





きっと何を言っているのか理解出来ないだろうが、とにかくそうなのだ。

際どい衣装を来た女の子が、次々と汚れたお皿を持ってくる。

身を乗り出してお皿を置く女の子の胸元につい目が行く事に自己嫌悪しつつも、才人は素早くその皿を受け取り流し場の水桶の中に放り込んだ。

それから、軽く汚れを落として皿洗い用の布で皿を挟むようにゴシゴシと洗う。

これを何も考えられなくなるまで、繰り返し、繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し





「新入りさん、これもお願……うわ!」





新たに汚れたお皿を運んできた女の子の声で、才人は "無の境地" からはっと我に帰った。

ついさっきまで異常なほどの量が山積みされていた皿が綺麗に無くなっている。

かわりにピカピカに洗われて綺麗になった皿が山積みされていた。

思考を停止し、ひたすらに皿洗いを続ける内に "グリムニルの槍" がその行為を戦闘の一種だと判断したのか

体の疲労の再現を止め、力をずっと供給していたのだった。

才人はこの時、無限に手を動かし続けられるハルケギニア最強の皿洗いマシーンと化していたのだ。





「あいかわらず凄いわね! こんなに素早くお皿を洗える人が入ってきてくれて、本当に助かるわ」





汚れた皿を運んできた女の子が、感心しながら重ねた皿を才人に手渡した。

胸元が大きく開いた草色のワンピースに黒く長い髪、そして黒い瞳の可愛らしい女の子だ。

活発そうなイメージを与えるすこし太めの眉とその表情は、好奇心で彩られていた。

彼女の名はジェシカ。

信じがたいことに、オカマ筋肉で気持ち悪いあのスカロン店長の娘である。

レベルの高い女の子が多い『魅惑の妖精』亭においてナンバー・ワンの看板娘でもあり、ついでにシエスタとは母方の従姉妹だったりする。





「そりゃ、どうも。ほれ、こんな所で油売ってないでさっさと接客に戻れよ」


「いーの、あたしは」


「よくねぇって。いくらスカロン店長の娘だからって、お前ここの看板娘だろ?
 看板娘がフロアに出ないでどうするんだよ」


「休憩よ、休憩。……それより、人が話しかけてるんだからこっち向きなさいよ」





才人は話しかけてくるジェシカとは反対方向を向いて、器用に受け取った皿を洗っていた。

まるでジェシカの姿を一切視界に入れまいとするように。





「やだよ。お前の方向くと "痛い" 事になるし」


「は? なにそれ。いーから、こっち向きなって。お給金、差っ引いちゃうよ!」





お給金、という単語を聞いて才人は渋々ジェシカの方を向く。

そして目に入ってくるのは彼女の大きく開いた胸元と豊かな胸。

そこから視線を移動させることが、どうしてもできない。

あああ、くそ。

俺の馬鹿! エロ犬! 駄犬!

才人は歯を食いしばり、目を瞑った。

瞬間。

何処からかワイングラスが飛んできて、見事に才人のこめかみに直撃し、ぱん! と音を立てて割れた。

才人は特に倒れるわけでも、痛がるわけでも、騒ぐわけでもなく、むしろまたかといった調子ではぁ、とため息をつく。





「……なるほどね。ルイズがたまにグラスを投げている気がしてたんだけど、こういう事だったんだ。
 グラス代、お給金から引いとかなきゃ、って! 血! 血が出てる!」


「いや、気にしないでくれ。俺が悪いんだ。給金も俺の方から引いといてくれ」





ジェシカは慌てて近くにあった布を取って、頭からダラダラと血を流しながらまいったなあ、と呑気に笑う才人に駆け寄る。





「あー、大丈夫、大丈夫。俺、こう見えて相当頑丈なんだ」


「バカ! 血が出てるじゃない!」


「もう "直って" いるよ」


「嘘おっしゃい! 見せ……うそ、そんな」


「な? 俺すっげえ頑丈なんだぜ?」





才人はそう言って、呆然とするジェシカから布を受け取り血を拭きながらニヘヘと笑った。

血を拭うと、その下からは傷一つない肌が現れる。

傷は才人の言う通りすっかり消えていた。

才人はポカンとするジェシカを余所に手馴れた手つきで飛び散ったグラスの破片を集め、血のついた布を流しで手早く洗い

それから何事も無かったかのように再びジェシカとは反対方向を向きながら、皿洗いの作業に戻った。





「あなた、相当の変わり者みたいね?」


「なんだよ、それ」


「だって、普通ワイングラスを頭に投げつけられて怪我までしたらもっと痛がるか、騒ぐわよ。
 なのにあんたは怒りもしないでヘラヘラしてて。
 ねぇねぇ、あんたってさ、ルイズと兄妹って嘘でしょ?」


「そんな、事ないよ。親父が遊び人でな、俺は最初の奥さんの子供なの」


「あー、それで顔つきも髪の色も違うんだ? でも……やっぱり怪しいわね。
 お兄さんが他人の胸見ただけで、怒ってグラス投げつけてくる妹なんて変だもの」


「妹はブラコンなんだよ、ブラコン」


「ぶらこん?」


「異性の兄弟相手に異常に好意を抱くこと。ほら、接客に出てるエメの弟みたいなのを言うんだよ」


「へー、そういうのぶらこんって言うんだ? あなた、結構物知りなのねえ。
 でもエメの弟……トマって言ったっけ? いつも店の裏手で待ってるカッコイイ子。
 あの子はお姉さんにワイングラスを投げつけたりしないわよ?
 もしルイズもトマと一緒なら、あたしにグラスを投げつけてこないとおかしいし。
 ……そうねえ、ルイズの場合、どっちかっていうと嫉妬ってかんじ?
 あ! もしかして、道ならぬ関係になったもんだから駆け落ちしたとか?!」





ジェシカは好奇心が強い性格なのか、執拗に才人とルイズの関係について質問をした。

勿論、彼女やスカロンの事を覚えている才人は、本当のことを話しても大丈夫だと思ってはいる。

しかし下手に協力をしてもらえるようになると、平民の間に紛れ込んで頑張るルイズの為にならないと考えたので

やはりここは適当に誤魔化すのだった。





「だからー、ちがうって! ほら、もう行けよ。そろそろ客も増えてくる時間だろ?
 休憩はおしまい!
 看板娘は店に出るから看板娘なんだしさ」


「まーまー、そんな事言わずに。このお店で働く子はみんなワケ有りなんだし?
 過去を詮索するような野暮チンは居ないから安心していいんだって」


「ここに一名、その野暮チンがいるけどな」


「あたしは口固いもん。ねぇねぇ、だからさ、あたしにだけ、本当の所をコッソリ教えてくれない?」





ジェシカはつい、と才人の腕を優しく取り両手で抱きしめて甘えるようにそう言った。

才人はあさっての方向を向きながら、腕を包む柔らかで弾力のあるクッションを必死に感じまいと努力をする。

ねぇ、いいでしょう?

ジェシカの甘い吐息が耳にかかる。

他所を向いている事をいいことに、思いっきり顔を近づけてきているらしい。

『魅惑の妖精』亭ナンバー・ワンの称号は伊達ではなく、そのテクニックは男の心理を知り尽くしていた。

おい、やめろよ! と才人が思わず振り向くと、目に飛び込んでくるのは彼女の顔……ではなく、己の腕を飲み込んでいる胸元であった。

あ、と声を上げると同時にジェシカは才人から素早く離れる。

そして。

ごん!





「……ごめん」


「……気にすんな。目を奪われる俺が悪いんだ。しかし、流石にエールのジョッキはグラスよりも痛いな。
 割れないから片付けなくていいし、給金差っ引かれないのは助かるけど」





はは、と苦笑いを浮かべ才人は先程洗った布を直ったばかりのこめかみに当てる。

傷はすぐに跡形もなく消え、手早く布を洗った才人は何事も無かったかのようにエールのジョッキを拾い上げ慣れた手つきで洗った。

そんな才人にジェシカはますます好奇心を刺激されるのであった。



さて。

何やら面白そうな相手を見つけ目を輝かせるジェシカとは対象的に、面白くないのはルイズである。

先程から未発達な胸をからかってきた客と揉めて、助けに入ったスカロン店長に「ここで他の女の子のやり方を見学していなさい」と

店の隅に立たされていたのだ。

何よあいつ。

そんなに、大きな胸がいいっていうの?

私がこんなに苦労してるっていうのに鼻の下なんか伸ばしちゃって。

酔っ払った客にお尻や足を触られるし、店長には怒られるし、嫌な奴にもニコニコしろって言われるし。

私の、ご主人様の魅力を一番理解しているはずのあんたが、そんなチチだけ女の胸に目を五秒も奪われるなんて!

あ! また!

ビキ! という音を、ルイズは聞いた。

背中が大きく開いてスカートの丈が短い、可愛くも大胆なワンピースに身を包んだ彼女は

白いこめかみに青筋を立て、肩を怒らせながらプルプルと震えさせる。

乳か。そんなにデカい乳がいいのか! あんにゃろう。

まだ見てる! さっさと視線を外しなさいよ! 目を瞑るとかやりようがあんでしょうが!

――! なによあの女! サイトに色目使って!

ちょ、サイト! そこでなんでニヤけんのよ!

うぬれぇ、こ、今度はこのワインの空きビンを……

実際はルイズが思うほど才人はニヤケもしてはいないし、女の子も色目を送ってはいない。

しかし恋する乙女の目というものは、才人が他の女の子と関わるだけでどうしてもそう見えてしまうものなのだ。

鬼の形相でルイズは、同じく店の隅にあったテーブルの上に並べられていたワインのビンを投擲すべくがしと掴む。

そのテーブルに一人ついて、遠目に女の子を眺めながら静かにワインと食事を楽しんでいた老人が、慌ててその手を掴んだ。




「こ、こら! お嬢ちゃん! このビンは儂のじゃ! 投げちゃいかん! それにまだ半分も飲んどらんぞ!」


「は、離して! お仕置きが必要なの!」


「お仕置きが必要なのはお嬢ちゃんじゃ! さっきから儂のグラスやジョッキを投げおって!」


「いいから! は、離して! 手を、離しなさい!」


「いーや、離さん! こ、こりゃ! 暴れるんじゃない! また店長に怒られるぞい?」


「貴様! その手を離せ!」





ワインのビンを巡ってもみ合っていたルイズと老人は、その声にビクっと肩と震わせ動きを止める。

喧騒に包まれていた店内もその大声によって、一瞬で静寂に支配された。

そんなに怒らなくても、とつい思ってしまうほど怒りと憎しみが込められた声だったからだ。

果たして声は、ルイズと老人に向けられたものではなく別の席でのトラブルが原因だった。





「離して、ください。お願いします」





消え入るような声が静かになった店内に響く。

鈴のような声の主はエメだ。

店の中央の席で体格の良い男に腕を掴まれ、今にも泣き出しそうな表情でその手を離すよう懇願していた。

男は先日才人がのした借金取りの一人で、強引に少し腫らした顔をエメに近づけている。

そんな彼女と男の隣でトマが剣の柄に手をかけて借金取りを睨みつけていた。

先程の声はトマのものだった。





「お店には、来ないでってあれほど……」


「なんだよ、客として来る分には俺の勝手だろう?」


「貴様! 最初から姉さんが目的だったくせに!」


「なんだあ? この店はそれが売りなんだろうが。お目当ての子がいちゃ悪いってのかよ?
 おい、店長はどこだあ!? 店長を出せ!」


「ごぉぉぉめぇぇぇんなさぁぁぁい! お客様ぁん、いかがなさいましたぁあん?」





うぉえ! という声が店のあちこちで上がる。

トラブルを収拾すべく、店の奥から男の店長を出せ! という声に反応して筋肉達磨のオカマが気持ち悪いしなを作って現れたからだ。

その気持ち悪い容姿に借金取りの男は少したじろいだが、すぐに威勢を取り戻した。





「お、おうおう! この店は客にイチャモンと付ける給仕がいるのかよ?!」


「すぅぅぅいませぇん! この子、こちらのエメちゃんの弟なんですぅ。ほら、トマくん裏手でおとなしく待っていようね?」


「う、うるさい! 僕を子供扱いするな! それに、こいつは姉さんに付きまとっている借金取りのゴロツキだ!」


「おい、坊主。今は俺はこの店の客だぞ? なあ、店長さん?」


「そうよ、トマくん。ほら、お願いだから。お姉さんはミ・マドモワゼルにまかせて、ね?」





そう言ってスカロンはパチン、とウインクをしてみせた。

うぉえ! という声が店のあちこちで上がる。

エメの手を握る男もすこし気分が悪そうに、反対側の手で口元を抑えた。

トマは他の客の視線とお願いと言外に言うエメの表情に、唇を噛みながら剣の柄から手を離して

渋々と踵を返し、店の外へと向かう。





「さ、エメちゃんも向こうのお客さんをお願い。ここはこのミ・マドモワゼルにま・か・せ・て」


「おっと、店長。俺はこの子の酌がいいんだがな?」


「き、貴様!」





男がぐいとエメの手を引くと同時に、店の外に出ようとしてたトマが再び大声を上げて戻ってきた。

そして今度は剣を抜いて、男を睨みつける。

店のあちこちからきゃあ! と女の子が悲鳴が上り、店内の空気はより緊迫した物へとかわった。





「おいおい、この店の給仕は客にイチャモンを付けるばかりか、客に剣をむけるのかあ?」





男はさして動じず、わざと店内に響くような大声で叫ぶ。

どうやらエメへの嫌がらせの一環として、店の営業も妨害すつもりらしい。

周りを見渡しながら他の客を鋭く睨みつけ、視線が合うと何見てんだこらぁ! と凄んだ。

そんな男をスカロンが気持ち悪いしなを作りながらも、必死に男をなだめる。

しかし、借金取りの男はますます興奮して大声を張り上げた。

巧妙にも、街の警邏を呼ばれないよう男は決して暴れたり誰かに暴力をふるったりはせず、ただ声を上げて騒ぐ。

スカロンにしても荒事には慣れているものの、相手が手を出してこない以上こちらも乱暴な対応をするわけには行かない。

男の罵声はなおも続き、店の中はとてもではないが誰かと楽しくおしゃべりしたり、食事を楽しむような雰囲気ではなくなっていた。

楽しいひと時を期待して店にやってきていた他の客達が、居たたまれなくなって席を立ち始めそそくさに店をでようとしたその時。

この状況を打破できる、救いの主が現れる。





「なんだ、トマ、お前俺が店終わるまで待ってろって言ったのに我慢できなかったのか?」





店の奥から片刃の大剣を片手に、場違いなほどにこやかに剣を構えるトマの元へ才人がやってきたのだ。

随分と呑気でどこか間抜けにも思えるその声は、店にいた者の視線を一斉に集めた。





「な、なんの話だ!?」


「なんだよ、とぼけちゃって。約束したじゃないか。
 お前、顔はいいのに腕っ節はからきしだから、今度剣を教えてやるってさ。さ、行こうぜ!」





笑いながら才人はガッシリとトマの肩を抱いた。

トマは顔を真赤にして怒りながら、は、離せともがく。





「サイトさん?!」


「サイトくん?」


「あ、て、てめえは!」


「さ、行こうぜ! あ、エメ、今日はもう上がっていいんだってさ。な? スカロン店長!」


「え? ああ、ええ。ええ、そうね、エメちゃん、今日は用事があったのよね。お疲れ様。また、明日ね!
 お客さん、ごめぇんなさぁいねぇ! この子もう今日はおしまいなんですぅ! ミ・マドモワゼルがお相手するからゆ・る・し・て!」





そう言ってスカロンは両手で拳をつくり、それを両頬に添えてパチンとウインクをした。

うぉえ! という声が店のあちこちで上がる。





「さ、行こうぜ」


「は、はい!」


「待て! 俺はまだ、こいつに用が」





そう言ってエメの手を離そうとしない男の腕を、ゴツい大きな手がつかんだ。

スカロン店長の手である。

ミシリ、と音がするほどて腕を強く握られ、男は思わず握っていたエメの手を離してしまった。

才人はじゃ、あとは宜しく店長! と爽やかに笑い、もがくトマの肩を抱いてズルズルと引きずりながらエメと一緒に店を出ていくのだった。





「ま、待てよこの!」


「おきゃくさぁあん! 今日は、本当に、御免なさぁいねぇ! ルイズちゃぁん!」


「は、はい?」


「厨房にいって、『魅惑の妖精が作る素敵なステーキセット』を作ってもらってきて! このお客様に、私からのお・わ・びよぉん!」


「うっぷ、は、はい」


「それと、ジェシカちゃん!」


「はい! ミ・マドモワゼル!」


「他のお客様にワイン一本ずつサービスしてあげて! みなさぁん! イヤな事は忘れて、妖精さんと楽しく過ごしましょうねぇ!」





思いがけぬスカロンの大盤振る舞いの宣言に、店内の客達がわぁ! と一斉に湧き立つ。

それを合図として、店の女の子たちがいつもよりすこし大胆に相手をしていたお客にいやーん、怖かったぁとか

さぁ、飲んでくださいね! などと語りかけ悪くなった雰囲気を巧みに修復する。

こうしてそれ程間を置かず、店の雰囲気は無事元に戻った。

借金取りの男はというと、スカロンに万力のような力で抱きつかれ何か言おうと口を開くたびに

あぁぁあん、怒っちゃいやぁぁあん! と気持ち悪い声を上げる筋肉達磨に頬ずりやキスの "お詫び" をされていた。

ルイズが出来上がった『魅惑の妖精が作る素敵なステーキセット』を持ってくる頃には、すっかりスカロンの腕の中でグッタリとして

流石の彼女もつい同情をしてしまう程の有様となっていた。

男はこの後、店長が直々にステーキを……それも口移しで食べさせてもらえるサービスを受け、息も絶え絶えに退散しする事になる。

他の客達はそんな男の背に、同情に満ちた視線をなげかけるのだった。



一方、才人はというと。

無事エメとトマを自宅へ送り届け、店に戻ろうとした所でエメに引き止められていた。

借金取り達は昼間は人の目もありあまり無茶なことはしないのだが、夜となれば話は変わる。

その事もあって、エメは身入りも良い夜の仕事を選びトマと共に『魅惑の妖精』亭へ働きに出ていたのだと才人に説明したのだった。





「だから、今夜一晩だけでもお願いできませんか? サイトさんがいてくれるととても心強いんです」


「姉さん! こんな」


「トマ? 誰のせいでお店に戻れなくなったの?」


「う……」


「サイトさん、助けてもらった上に身勝手なお願いだとわかっています。だけど……」


「いや、いいよ。困ってる人を見過ごす程、俺も腐っちゃいないし」


「本当ですか!? よかった!」


「かわりに、明日ルイズに俺が店に戻らなかった理由を一緒に説明してくれよな?
 ボコボコにされるのはかまわんのだけど、わだかまりは残したくないんだ」





才人はそういって、大げさに何かに怯えるように震えてみせた。

その仕草にエメはまぁ、と言って朗らかに笑う。

対照的にトマは忌々しげに才人を睨みつけている。

エメはひとしきりに笑った後、じゃ、わたし着替えてきますねと言い残して寝室の方へ消えていった。

『魅惑の妖精』亭からそのまま才人と自宅へ戻ったので、淡いピンク色の胸元が大きく開いた店の衣装のままだったからだ。

才人はというと、先程からジェシカにしていたように明後日の方向を向いてエメと話していたのである。

別にエメの胸元を見てしまってもワイングラスは飛んではこないのだが、代わりにトマが才人に食って掛かる為の措置であった。

二人の家は貸家で、かなり狭くてボロい。

入り口の扉を開けるといきなり食事などをする食堂兼居間があり、才人はそこでエメに引き止められていたのだった。

この部屋からは台所と寝室へと行けて、寝室の入り口にはすこし腐りかけた木の扉が設えてある。

おそらくはトマもそこで寝泊まりしているのだろう、部屋はそれだけであった。





「……変な事考えるなよ? 姉さんには指一本触らせないからな」


「考えてねえよ。お前もあんまりエメに面倒かけるなよな」


「なに?! 貴様なんかに」


「ほら、すぐそうやって怒る。今日もそれで迷惑かけただろ?
 店に大きな被害が出たらどうするつもりだったんだ、お前。」


「……だって、姉さんを守る為には仕方ないじゃないか!」


「それが原因でエメが店を追い出されたら元も子もないだろうが。
 あの男、俺がこの前広場でのした借金取りだろ? たぶんそれが狙いだったと思うぜ」


「じゃあ、僕は……」


「男の思惑にまんまと乗って、エメに迷惑をかけただけ。
 いんや、エメだけじゃないな。スカロン店長やほかの女の子に客にもだ。」


「……」





トマは才人の言葉にうつむいて黙り込んでしまった。

敵意を向ける相手から自分の行いをたしなめられ、自覚して後悔するあたり悪い人間ではないのだろう。

単純なのだ。

素直、とも言ってもいいかもしれない。

こいつはこいつなりに、姉さんの事を考えているんだろう。

ただ、姉さんの事しか考えていないのがマズいんだよなぁ……

才人はうつむくトマの様子を見て、そう考えていた。





「借金あるんだろ? もうちょっとさ、考えて行動した方がいいぞ」


「そんなこと! お前なんかに言われなくても……わかってるさ」


「そっか、ならいいや。別に説教するつもりでもないしな」





トマは一瞬激昂しかけたが、その言葉尻は消え入るような小さなものであった。

気まずい空気が部屋に流れる。

やがてエメが寝室から戻ってくると、その空気を察して怪訝な表情を浮かべどうしたのとトマに尋ねた。

トマが才人になにか失礼なことを言ったのではないかと、勘違いをしたらしい。

何でもないよとトマが答えようとした所で、不意に入り口の扉が外から荒々しく叩かれた。

トマとエメは、はっとして入り口の扉を険しく睨む。

扉はとてもノックとは思えないような乱暴さで、何度も何度も外から叩かれている。

二人の様子からどうやら借金取りがここに来たようだな、と才人は判断してデルフに巻いていた布をほどき始めた。





「おーい、エメ! いるんだろう? 話があるから出てこいよ。
 店じゃ具合が悪いらしいからな、わざわざ来てやったぞ!」





扉の向こうから、野太い男の声。

夜分にも関わらずまったくの遠慮のないその大声は、知性をまるで感じさせない。

どうやら『魅惑の妖精』亭で嫌がらせをしていた男が、エメたちが家に帰ったと仲間に伝えたらしい。

トマは舌打ちして剣に手を伸ばす。

その手を才人は布を解いたデルフを担ぎつつ遮った。





「屋内でそんなもの振り回すつもりか? さっき考えて行動しろって言ったばかりじゃねえか」


「でも! だからってあいつらは話してわかる相手じゃ」


「話し合いでなんとかなる相手じゃないって事は俺でもわかってる。
 いいか? こういう時はな、エメ!」


「は、はい!」





借金取りの男の声に、体をすくませていたエメは突然才人に声をかけられ少しうわずった声で返事をした。

その表情は不安と動揺と、恐怖に染まっている。





「この家、裏口はある?」


「え?」


「裏口だよ、裏口。借金取りどもを家に入れるつもりはないんだろ?」


「あ、ええ、はい。台所から裏の路地に出ることができます」


「よし。そっからとりあえず逃げよう。外なら俺もデルフ……この段平振り回せるしな。
 トマ、テーブルのそっち側持て。扉にたてかけて破られないようにして時間を稼ぐんだ!」


「わかっ……僕に命令するな!」


「いいから早く!  "考えて行動しろ" っての! これで三回目!」


「う、うるさい! いくぞ? 持ち上げるぞ? せぇの!」


「よっ、とっと、お前力ねぇな!」


「ほっ、とぉ、け!」





才人とトマはぎゃーぎゃーと言い争いをしながらも、居間にあった大きなテーブルを罵声と激しいノックがする扉に立てかけた。

そうしている間に扉はノックから、何かが体当たりをしているかのような音を立て始める。





「こっちです、サイトさん!」


「わかった。トマ、行くぞ!」


「うるさい! 僕に命令を」





才人はトマの話を最後まで聞かず、脱兎の如く駆けた。

エメの脇を走り抜けざまに彼女の手を取り、台所に駆け込んで裏口であろうすこし狭い扉を乱暴に開ける。

外にだれか待ち伏せをしていないかを素早く確認して、エメの手を引いたまま裏路地を走った。

後ろからはトマが抗議の言葉をあげながらついてきていた。

トマの抗議を無視して、才人はエメの小さな手を引いたまま狭く曲がりくねった裏路地を走り続ける。

角を左に曲がり、十字路を右に。

行き止まりのすこし高い塀を乗り越えて他人の家の庭に侵入し、番犬の吠える声に驚きながら再び反対側の路地へ出る。

やがて、エメたちの住む下町と貴族たちが住む区画の境目に流れる大きな川に出た。

上流側には橋が見える。

才人は川の土手を降り、貴族達の住む区画へとかかるその橋へと走った。

握っていたエメの手は、橋の下に来てようやく開放されたのだった。





「はぁ、はぁ、はぁ、もう、ダメ、走れ、ない、わ」


「はっ、はっ、はっ、もう少し、姉さんを、気遣え、この、バカ!」


「そんな余裕あるか。あいつらに金を借りてるエメの立場上、あんま派手に暴れるわけにもいかねぇだろ」


「はっ、はっ、あんな奴ら、に、遠慮なんて、必要、ない!
 それに、なんで、お前は、息切れ、してないんだよ!」


「鍛え方が違うだよ、お前とはな」





才人はいまだ呼吸が落ち着かないトマの端正な顔に自分の顔を思いっきり近づけて、ニカっと笑う。

トマは汚い顔を近づけるな! とその顔をはたこうとしたが、ヒョイと才人に避けられてしまい

そのままバランスを崩して尻餅をついてしまった。





「それにしても、才人さんは、すごく、体力があるんです、ね!」


「ん? まあ、一応こう見えても本職は剣士だからな。
 そこらのメイジよりかは強い自信があるぜ?」


「うそつけ! どこをどう見たら、お前が『メイジ殺し』に、見えるんだよ」


「まったくだ。つまらん嘘など、つくものではないな少年」





背後で第三者の男の声。

才人は振り返りながら、反射的に背のデルフへ手を伸ばし鞘の留め具を外す。

同時に火球が視界に飛び込んできた。

"ファイヤー・ボール" の魔法か!

瞬時に判断をした才人は、背から抜きつつあったデルフをそのまま袈裟に "ファイヤー・ボール" へ斬りつける。

火球は二つに割れながら、あっけなくデルフの刀身に吸い込まれていった。

追撃が来ないことを確認し、素早くあたりを伺う。

人影は、一つだけ。

デルフを構えながら魔法が飛んできた方向を見ると、土手の上に黒いマントを羽織った男らしき人影が二つの月に照らされていた。

その手には一メイル程のシンプルな杖が握られている。





「ほう。魔法を吸収するとは、変わった剣を使う」


「ふん、不意打ちとは随分余裕の無ぇこった。何者だ?」





睨みつけた先の影は、二つの月の光を逆光に浴びてその表情は見えなかった。

背は才人よりもひと回り高く、声は低い。

才人の問い掛けに男は抑揚のない声で答えた。





「それは失礼した。大口を叩く平民につい、杖が出たのだ。
 しかし、メイジを前にしていまだその態度とは恐れ入った。どうやら先程の言葉はホラではないようだな」


「質問に答えろ」


「いいだろう、教えてやる。どうせお前はここで死ぬのだ。
 俺は「煤火」のドニ。そこの姉弟に金を貸している金貸しに雇われた、用心棒みたいなものだ」


「はっ、金で働くメイジかよ!」


「今の世はそう珍しい事ではなかろう。それよりも、仕事の続きをさせてもらうぞ? 死ね」





メイジの男はそう言って、杖を才人に向けた。

先程の "ファイヤー・ボール" よりも、更に数段小さな火が杖の先からほとばしり、才人に向かってゆっくりと飛んでくる。





「ふん、バカにしてんのか?! こんな種火、デルフで!」





デルフでその小さな火を払うべく、才人がそう叫びながら斬りつけた瞬間。

種火は突如大きく膨らみ、火球というよりも爆炎を上げて才人を包み吹き飛ばした。

その炎はすさまじく、炎の尾を引かせながら才人を空高く舞い上げたのだった。

才人の視界が炎の赤一色に染まる。





「サイトさん!!」





エメの悲鳴のような声が遠ざかりながら聞こえ、次いですべての音は水音に変わった。

川の中まで吹き飛ばされ、才人は水中に落ちたのだ。

幸い川は浅く、才人はすぐに起き上がりデルフを構えることができた。

追撃は……無い。

その行動は歴戦の勇士にふさわしく、攻撃を受けたにも関わらず動揺は一切見られない。

しかし、その心中は行動とは裏腹に激しく混乱していた。

ばかな!

デルフで吸収できない魔法?!

そんなもの、今までなかったぞ?!

土メイジが飛ばす岩石とかならまだわかる。

岩石をコントロールする魔力を吸い取れば、岩が元の勢いで飛んでくるだけだから。

だけど、炎は違う。

魔力を、魔法を吸い取れば炎は消える。

消えるはずなのに……あいつのあの魔法は消えるどころか、あそこから更に爆発しやがった!

才人は混乱しながらも、メイジを見た。

不可解な火の魔法を使うメイジは、才人の事など見向きもせずゆっくりと土手を下り

姉弟のいる橋の下を見ていたのだった。

どうやらあの魔法で才人を仕留めたと思っているらしい。

反撃のチャンスではあったが、才人の視線は別のモノに釘付けとなっていた。

駄目だ!

そいつに、剣を向けちゃだめだ!










急いで起き上がった才人が見たモノは、剣を抜いてメイジに斬りかかるトマの姿だった。


















[17006] 5-4:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄3
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:84697acd
Date: 2010/03/13 17:38










それは子供の頃誰もが見る、悪夢のような感覚だった。





体はまったく言う事を聞かず、小指一つ動かせない。

声も上げられず、誰かの叫びは遠い彼方から聞こえてくるようだ。

暗い人型の影はゆっくりとこちらにやってくる。

影は炎を操るようで、幾人もの大の男を一瞬で打ち倒す者を先程目の前で焼いてみせた。

それも、いとも簡単にだ。

精一杯の虚勢で構えた剣先は小刻みに震え、やけに重く感じる。

空には二つの月。

本来闇であるはずの夜のトリスタニアを、明るく照らしている。

しかし、己がいる場所にはその柔らかな光は届かない。

逃げ込んだ橋の下、同じようにいつも柔らかに笑う姉もその影に恐怖と絶望を感じているのが背中越しにもわかる。

それでも姉は、恐怖によって足を竦ませたまま自分の名を叫び逃げるように声をあげていた。





「姉の方を無傷で連れてくるようにと言われているんだが、弟は何も指示されていないしな。
 少年、今剣を引けば命だけは見逃してやる」





影はそう低くつぶやくように言った。

トマは震えながら剣を構え続ける。

姉を守るという強い意志の現れだけではない。

恐怖によって、それ以上動けないのだ。

カチカチと歯を鳴らし、同じリズムで「煤火」のドニと名乗ったメイジに向けた剣先が震える。





「……そうか。ならば仕方ないな。メイジに剣を向けると言う事の意味を教えてやろう」





一歩ドニは前に出て、だらんと下に向けていた杖をゆっくり持ち上げた。

杖の先に小さな火が集まり、やがて球状となる。

火の魔法 "ファイアー・ボール" だ。

火球が人の頭程の大きさとなった時、ドニは杖振る。

ボゥと炎は音をたててトマの体を焼かんと飛んだ。

その光景は恐怖で目も閉じることができないトマにとって、とてもゆっくりと感じられる。

影との距離は十メイルも離れてはいない。

炎はすぐに少年の体を焼くだろう。

目も閉じる事ができないトマはささやかな抵抗を行う為、カチカチと根が合わない歯をくいしばる。

そして。

火球は少年を焼くことはできなかった。

何かが空気を斬り裂きながら川の方から飛んできて、目の前を火球を飲み込みながら通過したのだ。

え? と混乱しながら何かが飛んでいった先を見ると、片刃の大剣が地に刺さっていた。

それが才人が持っていたデルフリンガーだと認識した瞬間、今度は川の方からどぉ、と大きな水音が上がる。

慌てて振り返ったトマが見たものは、斜めに傾いた巨大な水柱。

ざざと大量の水が落ちていく音と共に、今度は正面で何かが地を滑るような音がした。

めまぐるしく視線を移動させ、再び元の位置に戻したトマが見たものは「煤火」のドニが立っていた場所に

才人が一人、どこに隠し持っていたのか短槍を地面に突き刺している姿だった。

逆手に持っていた槍を地面から引き抜きながら才人は上空を睨む。

トマはその視線の先を追うため慌てて橋の下から才人の近くへと駆け出し、夜空を見上げると

赤い方の月を背にして「煤火」のドニが宙に浮いていたのだった。





「驚いたな。あれをまともに食らってそれ程動けるとは」


「俺も驚いたぜ。まさか、避けられるとは思わなかった。
 お前、戦闘メイジだろ? 当然ただの用心棒じゃねえよな?」





才人の問いに、ドニは沈黙で返す。

貴族=メイジである事が一般的であるハルケギニアにおいて、貴族籍でありながら領地を持たないメイジは多い。

そのようなメイジ達は主に家督を継ぐ事のない次男坊や三男坊だったり、領地経営に失敗して国替えを余儀なくさたり

又は何らかの問題を起こして領地を没収された者が多数を占めていた。

才ある者は各地の有力者が抱えている魔法が関係する産業への参画を求められたり、王宮へ出て役人になったりするのだが

中には才無く "落ちぶれて" 行く者も出てくる。

そういった者は傭兵どころか下っ端の警備隊にも入れず、街の裏稼業での用心棒をやったりするのだが、ドニの魔法はどう見ても

"落ちぶれた" 者のそれではなかった。

特に戦闘メイジならば尚更のことである。

国家にとって最も必要とされるのは直接的な軍事力である戦闘メイジであり、たとえ常備軍に就かなくともそれだけの実力者が

諸侯軍や大傭兵団へのスカウトも受けず、街の用心棒などに就くのは不自然な事なのだ。

更に、軍事費の削減を背景として近年常備軍から傭兵団の雇用を主とした非常備軍への切り替えが各国で進められており

戦闘メイジのスカウトは熾烈を極め、彼らが街で平民相手に力を振るう事などはまずない。

加えてトリスティン王国は現在、神聖アルビオン共和国と戦争中である。

そんな状況下、手練れの戦闘メイジが軍務に就くでもなく、街のゴロツキの用心棒をしている。

アルビオンの間諜として、疑われても仕方のない状況だ。

才人の問いは、その事を暗に示すものだった。

つまり、お前は "何処の国の者" だ? と。





「……ふん、答えられねぇよな。逃げるなら今夜中にしとかねえと、直ぐに衛士隊がお前ん所に行くぜ?」


「……その心配はいらん。試しに衛士隊にでも街の警備隊にでも駆け込んで見るがいい。
 そら、調度良い事にあちらからやってきたぞ?」





ドニが杖を持っていない方の手で川の反対側を指差した。

才人はその方向へ警戒しながら目を向ける。

川の対岸は貴族たちの居住区であり、その向こうには白い王宮が月光に照らし出されて見えた。

月の光を白く輝く王宮の城壁が見える夜空に、黒い点が幾つか浮かび上がっている。

王宮の衛士隊か、はたまた貴族街の警備隊が駆る幻獣の影だ。





「ふん、貴族街の近くでいささか派手に暴れすぎたか。運がいいな、貴様ら。今日は見逃してやろう」


「まて! こんにゃろう、降りてきやがれ!」


「少年、名は? お前のような平民の手練れは初めて会った。名を覚えておいてやる」


「ふん、だーれがバカ正直に話すか。 "イーヴァルディの勇者" とでも覚えとけ!」


「くく、平民のおとぎ話のあれか。なるほど、言い得て妙かもしれんな。
 さらばだ、槍と剣を持つ用心棒よ」





ドニはそう言って、下町の上空を飛び去りそのまま街の中へ消えていった。

その姿が見えなくなるのと同時に、ドサと音をたててトマは座り込んでしまう。

同様にエメも安堵の為かその場にへたり込む。

才人はそんな二人を一瞥し、投げたデルフを回収すべく地に突き立ったままのデルフのもとへ足を運んだ。





「ひでぇぜ相棒! もうちょっと優しく投げてくれよ!」


「すまん、デルフ。焦ってたもんだから、ついな。それに槍だと土手ごと吹き飛ばしちまうし……」


「うわ! 剣がしゃ、しゃべった!」


「なんだトマ。インテリジェンスソードは初めてみるのか?」


「あん? 坊主、剣が喋っちゃ悪いって言うのか?!」


「は、話には聞いた事があるけど……初めてみた」


「いいだろう? やんないぞ?」


「誰がそんなボロっちぃ剣をほしがるか!」


「おうおうおう、ボロとは言ってくれるじゃねえか! 一体誰がてめぇに迫る魔法を消してやったと思ってんだこのガキ!
 大体、弱い癖にイッチョ前に剣なんざ振り回しやがって!」


「な、なんだと!」


「いい争いは後だ。警邏か衛士の連中が来るぞ? エメ、立てるか?」


「そりゃねぇぜ相棒! もうちっと俺にもしゃべらせもが……





トマに文句をいい足りないとばかりにカタカタと震えるデルフを強引に鞘に収め、才人はエメに手を差し出しながら尋ねた。

しかしエメは地面にへたりこんだまま、申し訳なさそうに首を横に振る。





「ゴメンなさい……腰が、抜けちゃって……」


「そか。トマ、お前は一人で立てるよな? エメは俺が背負うから、お前は……」


「だっ、ダメ! ダメだ!」


「あんだよ。非常事態なんだし、背負うくらいいいだろ? 愚図愚図してると、役人に捕まっちまうぞ?」


「違うんだ! いや、違わなくもないけど……」


「なんだよ。はっきりしねぇな」


「その……実は僕も……


「あん?」


だから、僕も腰が抜けちゃって……


「んん? 聞こえないぞ? なんだって? 怪我でもしたのか?」


「だから! 僕も腰が抜けてしまったんだよ!」





夜目にもわかるほど顔を真赤にしてトマは叫んでいた。

才人は腰と額に手を当てて、はぁ、と大きく一つため息を吐く。

頭上では竜騎士隊が駆るドラゴンの翼の羽ばたきの音が聞こえていた。

どうやら貴族街の近くということで、王宮の周りを警備していた竜騎士隊の部隊が直接やってきたらしい。

仕方ない。

ここは大人しく捕まっておくか。

二人を抱えて無理に逃げても、騒動を起こしていた自宅をすぐに突き止められるだろう。

俺はともかく、エメやトマがあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。

後が怖いけど、ルイズに口利きしてもらって釈放してもらうか。

あいつたしか、姫さんからなんか許可証みたいなものもらってたし、なんとかなるだろ。

それに……

地に降り立ち自分たちを包囲しつつある竜騎士隊など目もくれず、才人は「煤火」のドニが消えた下町の空を一睨みする。

あの用心棒もアルビオンの間諜かもしれねぇしな。

才人はそう考えながら、次々と降りてくる竜騎士を見て怯えるエメとトマに心配するなと声をかけた。

結局、この後竜騎士隊によって貴族街の警備部隊に引渡された三人はコッテリと絞られる事になる。

一応連絡と確認をするために『魅惑の妖精』亭にやってきた隊員によって、ルイズが迎えに来た頃には朝になっていたのだった。





















「なんでこうなるのよ!」





早朝。

『魅惑の妖精』亭のとある一室。

部屋、というよりも屋根裏の物置きと行った風情であるその一室で、ルイズは思わず叫んでいた。

つい一週間前までは才人の腕の中で眠りから覚め、彼の匂いを胸に吸い込みながら伸びをして柔らかな朝日を浴びるべく

窓のカーテンを開くといった爽やかで穏やかな朝を迎えていた彼女である。

しかし、その日の朝は最悪のものだった。

まず、寝ていない。

これは地味にイラついて、とても不快なのである。

それから朝方まできわどい衣装に身を包み、身を粉にして働き続けた挙句客とのトラブルを重ね続けて

お給金どころか壊した店の備品の請求書を渡され、ひどく落ち込んでいた。

肉体的にも精神的にも疲労困憊になり、部屋に戻ると今度は才人がいない。

無人の部屋に足を踏み入れた時のルイズの落胆は非常に大きかった。

次いで、もしかしたらあの助けた女の子と一緒にいるのかもしれない、と妬心が湧き上がる。

あんにゃろ!

せめて、今日は頑張ったね、俺はルイズが頑張るところをちゃんと見ていたよって優しく慰めてもらおうと思ったのに!

あいつ、どこをほっつき歩いてんのよ!

涙目になりながらも激高して、思わず壁を蹴り上げた所でルイズの名を呼ぶ声が下から聞こえてきた。

スカロンが、一階の店の方から彼女を呼んだのである。

怒りが収まらぬまま再び店の方へ降りて行くと、今度は街の警備隊の隊員らしい若者が立っていて

事の顛末に心当たりがあるか威けだかに尋ねられ、アンリエッタに貰った許可証を片手に詰所まで案内、というか連行されたのだった。

少し乱暴に詰所に案内されたルイズがそこで見たものは、才人と昨夜の二人が警備隊の隊長に取調べを受けている光景ではないか。

よっと呑気な笑顔で挨拶する才人を見て、怒りと疲労が一気に押し寄せてくるルイズ。

話を聞けば、どうやら貴族街の近くで派手に暴れたらしい。

なにやってんのよ、こいつは。

女の子送っていくだけなのに、どうしてそんな事になってるのよ!

ルイズはきー! となりそうなのを必死に我慢しつつ、慇懃に対応をしていた部隊長に許可証を見せ

自分の身分と任務を耳打ちして明かし、才人を引き取ったのだった。

人が変わったかのように恐縮する隊長以下貴族街警備隊の面々の丁重な見送りを受けながら、ルイズは才人への怒りが

押し寄せる疲労と眠気によって萎えていく事を実感する。

……もう、いいわ。

今はとにかく、サイトの腕の中で眠りたい。

抱っこしてもらって、ぐっすりとあの固いベッドで眠りたい。

タバサやあのメイドの邪魔は入らないし、キュルケもちょっかい出してこないし、そう考えればあそこは天国よ。

私の私たちの、秘密の楽園。

うふふ、そんな二人きりの場所で2ヶ月も一緒に居られるなんて、なんて素敵なのかしら。

それに……

今は私も "平民" なのよね。

貴族じゃないもの、 "間違い" があっても別に不名誉な事じゃないわ。

そうよ、サイトだって毎日 "その気" になっちゃって、寝てる時なんてベッドの中で私の背中に "当たって" いるもの。

私がちょっっっと強引に誘えば、きっと拒めないわ。

うふ、ふふふ、そして、そしてそして、――! そ、そんな事をしろっていうの?! サイト、いや、そんな……

いつの間にか妄想という名の現実逃避を始めたルイズは、頬に両手を当て顔を上気させながら

朝もやのかかる通りで独り言を不気味につぶやく。

疲労と眠気が彼女を正常でない状態に導いていたのだ。





「ルイズ? おーい、エメとトマを自宅に送るから寄り道するぞー? 聞いてるかー?」


「ルイズさん、あんなに怒って口もきいてくれなく……」


「気にすんな。アレは怒っているんじゃない。たまに "こう" なるんだよ」


「そう、なのか? しかし、すごいなルイズさんは。よくあの頑固そうな隊長を説得できたなぁ。
 きちんとお礼も言いたいんだけど……元に戻らないのか?」


「そうね、わたしもちゃんとお礼を言いたいわ」


「まあ、今夜の仕事までには元に戻るだろ。さ、いこうぜ。おーい、ルイズー、行くぞー」


ダメ、よ、サイト、そんな……こんな格好、恥ずかしいわ……これじゃまるで





まるで、熱にうなされているかのようにブツブツとつぶやき、才人達の後に続くルイズ。

疲労と眠気が正常な思考を阻害し、器用にも歩きながら夢を見ていた彼女が現実に引き戻されたのは

『魅惑の妖精』亭に帰ってきてからである。

自室の扉を閉める音にやっと我を取り戻した彼女が見たものは、エメとトマの落胆した表情であった。





「……へ? なんでアンタ達がいるの?」


「は? ルイズ、お前大丈夫か? 一緒に見てたじゃないか」


「何を? えっ?」


「まったく……。しっかりしてくれよ。エメとトマの家が借金取りどもに派手に荒らされてて、大家に追い出されたんじゃないか。
 行く宛もないし俺らの部屋に泊めてやろうぜって俺が言ったらお前、『いい! いいわよ!』って言ってたの憶えてないのか?」





覚えてない。

というか、詰所を出たあたりから眠気と疲労で茫として記憶が曖昧だ。

覚えているのは、才人が私の足をつかんで……あんな、あんな格好で……





「おーい、ルイズゥー? 起きろー。だめだ、こりゃ。今日はこいつも頑張ったんだろうな、半分寝てら」


「……やっぱり、ご迷惑でしたら」


「いいっていいって。あ、トマ、スカロン店長に借りた毛布はそっち置いとけ。そこはネズミの巣の入り口あるから」


「うわああ! ね、ネズミはダメ! ダメダメダメ!」


「なんだよ男のくせに。大丈夫、食い物持ち込まない限りは悪さしやしねえよ。
 あ、コウモリの位置にも気をつけろよ? フンが降ってくるから」


「ひぃ?! 気がつかなかったけど、天井にあんなに沢山!
 ね、ねねね姉さん! やっぱり他を探そう!」


「他って、どこにそんな当てがあんだよ。コウモリもネズミもすぐに慣れるって」


「うるさい! 姉さんをこ、こんな場所で寝かせるわけには」


「あら。わたしは平気よ? トマの方が怖いんじゃなくて?」


「ねぇええさぁぁああん」





ぎゃあぎゃあと騒ぐトマと才人の声で、船を漕ぎ始めていたルイズがハっと起きる。

甘美な妄想の続きを夢の中で見ていた彼女は、現実に引き戻され再び落胆したのだった。

さ、最悪な朝だわ。

つぶやきは、騒ぐ二人の声にかき消されていた。

辛い任務だが、唯一の安息の場であり才人と二人きりで過ごせるのがこの部屋だ。

それが……

一夜明けると住人が一気に二倍にふくれあがり、しかも一人は女の子で忌々しい事に胸が大きい。

きっと、あのメイドよりも大きい。

下手するとキュルケよりも、大きい。

当然、私よりも大きい。

こんちきしょう。

ていうか、最近の才人の周りには常に女の影が見え隠れしているような気がする。

こいつ、背も高くないし、顔も今ひとつだし、ヒゲも生えてないし、どこにモテる要素があるのかしら?

私は好き、だけど。

いや、そうじゃなくて。

そういう話じゃなくて!





「どうしてこうなるのよ!」


「なんだよ、ルイズ。まーた話聞いてなかったのか?」


「聞いてたわよ! そこの二人が行く場所が無いから、この部屋で面倒みるって事なんでしょ?!」


「知ってるじゃねぇか」


「そうじゃなくて! せっかく、しばらくは二人きりになれると思ってたのに!」


「んな事言ったってなあ……」


「やはり、ご迷惑なようですから……」


「う、ぐ……べ、別に出て行けって事じゃないわ! ただ、私は……」


「まぁまぁ。ルイズ、お前疲れてんだよ。最近頑張っていたもんな?」


「そ、そうよ! 私ここのところ、すっごく頑張っていたんだもん」


「だよな。なあ、エメ。今夜は店に出るんだろ? 今日はひとまず寝ないか?
 昼頃起きて、スカロン店長に言われた店の掃除をしながら続きを話そう。
 ルイズもかなりつかれてて、話聞ける状態じゃないみたいだし」


「え? ……ええ、そうみたいですね。ルイズさんさえそれでよければ……」


「それでいいよな、ルイズ?」


「……納得行かないけど、それでいいわ。今はまともな判断が出来そうにないし」





半分目を閉じ頭を前後に揺らしかけながら、ルイズは答えた。

『魅惑の妖精』亭での仕事は、つい最近まで貴族生活を行っていた彼女にとってかなりきつい。

疲労も眠気も限界であった。

才人の提案は緊張のし通しだったエメとトマにも有り難いものだったらしく、毛布に潜り込んだ二人はすぐに寝息を立て始めた。

ルイズもいつも使っている足が折れ傾いたベッドに潜り込み、才人の腕を枕にしてようやく幸せな眠りにありついたのだった。



それから。

日が高く昇り正午を過ぎて、気怠い午後となった頃。

いつもより多くの人数で掃除を行われたフロアの隅の席で、ルイズとエメ、トマそれに仕込みを手早く終わらせた才人が座り

昨夜何があったのかなどを話していた。





「つまり、借金取りのメイジの用心棒が出てきて、貴族街の近くで戦闘になったってわけね」


「そういうこと。結構強い戦闘メイジでさ、妙な魔法を使ってたんだ」


「戦闘メイジが用心棒してたの?! あんたが油断したわけじゃなくて?」


「いんや、あれは戦闘メイジだったよ。普通のメイジに俺の奇襲を避ける事ができるとはおもえないし」


「戦闘メイジ、ってなんですか?」


「文字通り、戦闘に特化したメイジの事よ。
 大概は軍属だったりするんだけど、流石にこんな下町の用心棒をやってるなんて聞いたこともないわ」


「戦争やってる今なら特に、な」


「退役したメイジかなんかのアルバイトじゃないのか?」


「いんや、それはない。退役までいったなら十分な年金も出るし、それにあいつの声は老人のそれじゃなかったろ?」


「それもそうか」


「……なんにせよ、報告をしとく必要があるわね」


「報告?」


「あ! いや、こっちの話。それよりも――エメ、だっけ?
 あんたなんでまたそんな借金背負って危ない連中に狙われてるのよ?」





ルイズの問いに、エメは下を向いて黙り込んでしまった。

そんな彼女をトマは悲しそうに眺めている。





「言いたくないならいいさ。な? ルイズ」


「ダメよ、サイト。こういう事はキッチリしとかないと。あんたも成り行きとはいえ、二人のために命をかけて戦ったんでしょう?
 私も自分の使い……兄が傷つけられてこのまま黙っているつもりはないわ。地獄を見せてやるんだから」


「お、おい、そんな大げさな」


「本気よ? あんたの服、濡れてたけどあちこち燃えて出来た穴が開いてたじゃない。
 あんた相手に戦って、ちょっとやそっとの火の魔法じゃああはならないわ」


「は、はは……いいじゃないか、あれ、お前の服と一緒に買った安物だったし?」


「良くない! 見てなさい、絶対ただじゃ置かないんだから!
 と、いうわけでエメ。それと、トマ。あんたでもいいわ。事情を話してもらうわよ?」


「やめとけって、ルイズ。大体、事情を聞いてどうすんだよ?」


「決まってるじゃない。そいつらの居場所を突き止めて、まるごと吹き飛ばしてやんのよ!
 みてなさい、私のサイトに手ぇだしたらどうなるか、トリスタニア中の女の子が見えるくらい派手に爆砕してやるわ」





黒い陽炎のようなものを背にして鬼気迫るルイズの様子に、才人は戦慄した。

超怖い。

本気で怒っている。

ていうか、最後は何か別の意味に聞こえたのは気のせいだろうか。





「わかりました。事情をお話、します」


「姉さん?!」


「いいのよ、トマ。わたしのせいで、ルイズさんの大切なお兄さんが傷ついたもの。
 サイトさんは大丈夫って言ってたけど、あんな爆発に巻き込まれて無事なはずないでしょ?
 同じお部屋に泊めてもらうわけだし、話さないのは不公平よ」


「いいのか? エメ」


「はい」





エメは尋常ではない様子のルイズにすこし怯みながらも、意を決したように顔を上げそう言った。

そんな彼女を心配そうにトマは見ていたが、姉の決意を察してか何も言わなかった。





「すべては、このアザから始まりました」





そう言ってエメは立ち上がり、干草のような色をした普段着のボタンを外して胸元をあらわにした。

豊かな胸ときめの細かい肌が露出し、その左の胸元に鳥のような形の小さな赤い痣が見える。





「このアザは、『ロワゾー・クイ・シャンテ・ド・シャルム・ブルー(魅了の青い鳥)』というものだと、我が家に代々伝わっています。」


「青い鳥? このアザは赤いけれど……」


「わたしの家は元々はメイジの家系でして、当時はちゃんと青かったって聞いています。
 メイジ以外の血が混じって、段々赤くなっていったのだろうという話です」


「へぇ。エメとトマって元貴族だったのか」


「何代も前の話ですよ。わたしもトマも、生まれた時から平民で当然杖も握ったことは無いんですよ」


「で? そのアザと借金、どんな関係があるワケ?」


「なんでも、当時の私たちのご先祖様はこのアザを持つ人間の精神力を使う、特殊な魔具を使っていたらしくて。
 その魔具を今も研究していらしたとある貴族様が、ある日家にやってきたのです。
 どうもその魔具はこのアザを持つ人間にしか扱えない代物だったらしく、どうしてもわたしの力が必要だとか話されていました。
 しかし、ご先祖様がメイジだったとはいえわたしは魔法も使えない平民でしょう?
 変なトラブルに巻き込まれたくないですし、それを理由にお断りしていましたら今度は結婚を申込まれまして……」


「はあ?!」


「へ? なんでそうなるんだよ?」


「わかりません……。本気だったのかもしれませんし、単にわたしの協力がどうしても欲しかっただけなのかもしれません。
 とにかく、結婚を申込まれ、同時に法外な結納金も持参されて……
 それに飛びついたのが父様でした。」


「父様、ねえ」


「ええ、腐っても元貴族といいましょうか、わたしそういった教育は一応厳しく受けてたんですよ?
 ねぇ、トマ?」


「僕は男だから姉さん程厳しくなかったけどね」





トマは面白くなさそうに、エメの言葉に注釈をつけた。

一般的に元貴族が娘だけに厳しい躾を行うにはわけがある。

嫁の来てのない貴族が、貴族の血筋を持つ平民を妻に迎える事がごくまれにあるからだ。

元貴族の平民にしても、血筋が一部でも再び貴族籍の中に復帰するのでこういった事自体は珍しいことではない。

無論それではお家再興となるわけでもなく、更にその中で実際に貴族と結婚ができる者は殆いないわけなのだが。





「それで? 親父さんが結婚に同意したって流れなんだろ? 大金も手に入るし、借金なんてこさえる風にもみえねぇが……」


「ええ。そこまでは良かったんです。
 わたしも、お貴族様に嫁ぐことができれば生活も楽になるし、トマだっていい奉公先が見つかるかもしれませんから。
 ところが、ある日父様が誰に吹き込まれたのか貴族籍を買い戻すなどと言い出しまして」


「貴族籍を買うって、ゲルマニアのか?」


「いいえ。トリステインのです」


「ちょっと! それ」


「ええ、犯罪……といいますか、絶対実現できないことです。
 いくら元メイジの家系だとは言え、トリステインで貴族籍をお金で買う事など不可能でしょう?」


「まあ、な。平民だ貴族だって意識がすっげえ強いお国だし」


「でも父様は…… "確かな筋だから大丈夫だ!" と言い張りまして」


「それで? 結局買えたの?」





ルイズの問いに、エメは自嘲気味に笑って首を振った。





「もちろん、ダメでした。それどころか、ある日王宮の衛士隊がやってきて父様を連行して行きました。
 一応未遂だった事と、例の貴族様の口利きもあってお金も没収されただけで済んだのですが、莫大な保釈金を要求されまして……」


「それで借金に手を出したってわけか」


「はい……。父様を無事保釈できたのは良かったのですが、この一件でわたしと貴族様の婚約も駄目になりまして」


「そりゃ、そうでしょうね。平民を娶るだけでも世間体が厳しくなるのに、その上犯罪者の娘となると」


「おい、別にエメは悪くねえぞ?」


「貴族社会ってのはそうは思わないのよ。私だってエメが悪いとは思ってないわよ」


「いいんですよ、サイトさん。ルイズさんの言うとおりで、同じことを言われました。
 父様はせめて婚約だけでも思い直してもらえるよう、その貴族様のお屋敷にお願いに行ったのですが」


「が?」


「……あまりにしつこく頼んだのか、無礼討ちとしてその場で……」


「ひでぇ話だな」


「……辛いこと聞いちゃったわね」





気まずい空気が流れる。

特に本当は貴族であるルイズにとって、どこか居心地の悪い話であった。

そんな暗い空気を払拭するようにエメは少し明るい口調に戻して、形の良い眉をあげながら

逆にルイズを慰めるように話を続けるのだった。





「いいんです。欲に目がくらんだ父様が悪いんですから。
 そんな訳で、わたしたちには借金だけが残ったんです」


「そっか……」


「でも、なんかおかしくない?」


「何がだよ?」


「だって。その貴族は始めは魔具の研究をするためにエメの所に来たんでしょう?」


「はい……」


「で、なぜか結婚の話になって。
 そこからエメのお父様が無礼討ちされるまで、あまりに不自然よ」


「どこらへんがだよ?」


「話聞いてると、結婚そのものが魔具の研究の為でしょう?
 なのに犯罪者の娘だからって婚約破棄するだけならともかく、婚約破棄を思い直すよう説得に来たお父様を無礼討ちするなんて。
 それも、保釈金こそ出してはくれなかったけど、口利きまでしたそうじゃない。
 いくら貴族でも、一度助けた相手を普通そんなに簡単に無礼討ちなんてしないわよ?
 妾としてなら、とか借金を立て替えてやる代わりに実験に協力しろ、とかの方が余程自然だわ」


「うーん、そう言われてみれば……なあ、トマ。お前から見て、その貴族はエメに惚れていたか?」





話題を振られたトマは、端から見てわかりやすいほど不快な顔をしながら答える。





「いや、あいつの姉さんを見る目つきは、そんなものじゃなかった。他のメイジと一緒で、動物でも見るかなような印象だったよ」


「ふぅん。エメ、よくそんな奴の所にお嫁に行こうだなんて決心がついたな?」


「そりゃ、どちらかと言えばイヤでしたが条件がとにかく破格だったんです。
 生活も楽じゃなかったし、母様も早くに亡くなっていまして父様もあまり体が丈夫ではありませんでしたし……
 父様やトマの今後の生活を考えると……」


「ってことは、相手は結構お金持ちの貴族だったのね?」


「ええ。会計検査院という所の役人だと聞きました」


「ちょっ、それすごいエリートじゃない!」


「そうなのか? ルイズ」


「すごいもなにも、トリステイン王国の国家予算の収入支出をすべて監督する機関よ、会計検査院って。
 アンリエッタ女王陛下ですら、おいそれと人事を行えないほどの独立性をもっているのよ?」


「へえ」


「一部の特権貴族や税務院の収入収支も厳しく監督するから、そこに務めている貴族ってのは余程のエリートか
 代々専属で務めている門閥貴族位ね」


「あの方、そんなにすごい貴族様だったんですか……」


「ただの嫌味なやつにしか見えなかったよ」


「まあ、会計検査院なんて余程の大貴族か税務院に関わりが無いと知らない人が殆どでしょうね。
 平民がその名を聞いてもピンとこないのは仕方ないと思うわ。
 でも、ますます怪しいわね、そいつ。
 あそこに務めている役人が、実験の為に平民と結婚までしようとするなんてどう考えてもありえないわ」


「へえ、そうなんだ。しかし、ルイズさんは物知りだね」


「え?」


「ほんと。それにすごく、頭がいいし。わたしなんかより、ずっと貴族様みたい」


「そ、そんな事ないわよ?! ほら、お兄ちゃんなんてこんな、バカっぽい猿みたいだし!」


「そ、そうそう! こいつ、たまに鋭いけどいつもはもっとバカなんだぜ?
 手先もおっそろしく不器用だし、たまに寝てる時歯軋りするし!」


「うそっ?! 私寝てるときそんな事してるの?!」


「た、たまにな? ストレス溜まってる時とかやってるぞ?」


「うわぁ……それ、すごく凹むわぁ……」





再び、気まずい空気。

もっとも、今回は先程よりもはるかに呑気な雰囲気ではあった。

女性としてルイズに少し同情しているのか、いつもよりも更に遠慮がちにエメが話題を元に戻すべく口を開く。





「あ、あの……」


「あ、ごめんごめん。と、とにかくね? その貴族にしても、お父様の件にしても
 それに戦闘メイジを雇っている借金取りの件も、アンタたちの周りには色々と不自然な事が多すぎるわ。
 私にちょっとした "ツテ" があるから調べてあげる」


「ほ、本当ですか?!」


「ええ。もしかしたら助けになるかもしれないし。
 それにこっちとしても、正直何時までも部屋に居座られちゃ困るしね」


「俺は別に困らないぞ?」


「私がヤなの! 折角二人きりで過ごせると思った矢先にまったく……


「良かったね、姉さん!」


「ええ! これもきっとブリミル様のお導きに違いないわ!」





手を合わせ、喜ぶ二人を見てルイズは拗ねた表情を崩し、一瞬柔らかに微笑んだ。

どんなに不本意ではあっても、やはり善行は心地よい。

いい事をして感謝されるのも悪くないわね。

そう思いなんだか心が軽くなったように感じたルイズは、ある事に気がついてしまう。





「ちょっと! あんたはいつまでエメの胸元を見てるのよ!」


「え? ――あ!」


「貴様!!」


「ま、まて! 誤解だルイズ! お、おちつけ!」





慌ててはだけた胸元を元に戻し、顔を赤らめるエメ。

気色ばみ、才人に殴りかからんと立ち上がるトマ。

ただならぬ殺気を感じてトマよりも一足早く立ち上がり、逃げる体制を取っていた才人。

そんな彼の裾を神速の速さで掴んだ、少々寝不足でイライラしていて、最近胸がらみの事では過敏になっているルイズ。















丁度その時店に顔を出したスカロン店長が聞いたのは、ルイズのお仕置きによって才人があげた断末魔の叫びであった。






















[17006] 5-5:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄4
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/27 20:32










平賀才人が貴族街の近くで「煤火」のドニと遭遇してから四日程過ぎた。





王都トリスタニア・チクトンネ街にある酒場兼宿『魅惑の妖精』亭では、女の子たちが客から貰うチップの額を競い合う

「チップレース」が始まり才人とルイズは其々に忙しい日々を送っていた。

才人はいつもよりも少し早めにベッドから起きだして、手早く仕込みと店の掃除を行い空いた僅かな時間を利用して店を後にする。

デルフを片手に日課となりつつある、トマの特訓の為だ。

日がそこそこに傾き、二人がいつも利用している路地裏の突き当たりは既にかなり暗くなっている時刻である。

なぜトマの特訓を行っているのかと言うと、少し複雑な状況となったが為だ。





「妙な事になったわ、サイト」





キッカケは才人がエメの胸元を凝視して、ルイズに手酷くお仕置きを受けた日の翌翌日。

王宮からの伝書フクロウから受け取った書状に目を通していた彼女は、美しい眉根を寄せながらそうつぶやいた。

時刻は夕方の六時。

サン・レミ聖堂の鐘が鳴る、中央広場である。

二人が居を構えている『魅惑の妖精』亭の二階は、現在エメとトマが一緒に住んでいる為

王宮との連絡のやり取りは、外で行うようになっていたルイズであった。





「妙なこと?」


「そうよ。一昨日あんたが言ってたメイジの事、王宮に報告したのよ。
 その顛末について、姫さま直々のお言葉でこれに書いてあるわ」


「へぇ。やっぱアイツ、アルビオンのスパイかなんかだったのか?」


「スパイ?」


「ああ、えっと、密偵の事。地球じゃそう呼ぶんだ」


「ふぅん。ま、それはどうでもいいわ。えっとね、これによるとどうもわからなかったみたい」


「わからない?」





ベンチに腰掛けるルイズの前に立っていた才人は、彼女の隣に腰掛けながら片眉を上げ首をかしげた。

ルイズは書状から目を離し、険しい表情のまま才人の方を向いて頷く。

ピンクブロンドの髪が夕日を浴びて赤毛のようになり、服装も平民が着る粗末なものであったが

変わらぬ彼女の美貌に才人は思わず見蕩れてしまい、胸が一瞬だけ高鳴った。

そんな才人の様子に気付かず、ルイズは話を続ける。





「ええ。私の報告を元に、早速あの二人にお金を貸していた商人の館に魔法衛士隊を派遣したようなのよ」


「うん」


「で、違法な営業実態の証拠とか出てきて、商権や資産の没収を行ったまでは良かったんだけど
 肝心の用心棒メイジが何処かに消えてしまっていて捕まらなかったそうなの」


「あちゃあ。逃げられたか?」





言葉に、ルイズは首をゆっくりと振った。





「ううん。それが少し変なのよ」


「変?」


「うん。そのメイジの行方を更に調査をしようとした衛士隊にね、横槍が入ったみたいなの」


「横槍?」


「そう。それも、高等法院からよ」





高等法院とはトリスティン王国の司法を司る機関である。

貴族たちの裁判なども取り扱うその性質上、表に裏に様々な権限を与えられている。

普段はあまり表立って警察権に介入する事は無いが、高等法院の介入自体は決して珍しいことではない。





「なんでそんな所から横槍が入るのさ」


「さあ? ただ、そのメイジは法院直属の組織で追うから手出し無用とだけ一方的に通達されたようね」


「ふうん……」


「姫さまからの書状には、あっちでもう少し詳しく背後関係を調べてくださるようだけど
 私にももう少し詳しく調査をするようにって書かれていたわ」


「詳しくって、あのドニとかいう用心棒は雲隠れしちまったんだろ?
 エメとトマに金貸してた商人もしょっ引かれたんだし、これ以上なにを調べろっていうんだ?」


「まだエメの元婚約者の貴族の件や二人のお父様の件が残っているわ。
 情報が少なすぎてこの二つの調査にはかかれないらしいの。せめて、貴族の名前だとかわからないと。
 それに、これは私の勘だけどエメ達はこれからもなんだかんだと理由を付けられて襲われると思うのよ」


「……だな。話聞く限りすっげえ胡散臭かったもんな」


「放っておくわけにもいかないし、何時までも私たちの部屋に居座られるのもヤだしね。
 私も何時までも外で文書のやり取りをするわけにもいかないし。
 だから、なんとしてももう少し詳しい話を聞き出さないと」


「そんなもん、お前が直接エメに聞けば済むじゃないか」


「だめよ。あんまり根掘り葉掘り聞いて、私の素性がバレちゃったら意味ないじゃない。それに」


「それに?」





返事は直ぐには返っては来なかった。

ルイズは険しい表情に少しだけ拗ねたような感情を追加して、唇を尖らせ僅かに下を向く。

それでいてどこか、サイトに甘えるような雰囲気を滲ませた。





「……あの子、チップレースのライバルだもん。昨日だって二位になってたし。
 変に親切にしておいて、もし私が勝ったら疑われちゃうじゃない」


「……一応、聞くが。お前今何位?」


「……最下位」


「する必要のない心配なんじゃないか、それ」


「そんな事無いわよ! 見てなさい、絶対に一位になってやるんだから!」


「わかった、わかった。じゃ、俺がどうにかして詳しい事を聞き出せばいいわけなんだな?」


「うん、そ。お願い出来る?」


「いいよ。俺がエメにでも直接聞いとくから」


「ダメよ!」


「何でだよ?」


「……あんた、あの子の胸ばかり見るじゃない。そんなの、嫌よ」





才人から視線を逸らし、バツが悪そうに足をプラプラさせながらルイズは言った。

超かわいい。

ナニコレ?

ニヤけると確実に鉄拳制裁を受けそうな雰囲気の中、才人はルイズの言葉に感動を覚えた。

彼女が素直な物言いをする事など、あまり無いからだ。

ルイズにしてみても折角の二人きりの時間ということもあり、精一杯才人に甘えようと考えた結果でもあった。

夕刻の中央広場。

ベンチに座る男女の会話は秘密の任務についてから、いつの間にかありふれた恋人同士の会話に変わっていた。

少し間を置いて、才人ははっと我に返り慌ててルイズの言葉を否定する。





「そ、それはだな! 男として、仕方ないというか、本能だというか」


「――やっぱ、大きい方が好き?」





才人は更に戸惑う。

それまでのルイズならば、何が本能よ! と叫びつつ蹴りの一つでも飛んできていたからだ。

痛いことは痛いが、それで終わりなので才人にとっては楽なものだった。

しかし、今のルイズは。

逆上して "加速" 付きの蹴りを放ってくるどころか、なんと会話の変化球を投げてくるではないか。

やはり『魅惑の妖精』亭での労働はルイズにとって、 "色んな意味で" 得るものがあるらしい。

唇を尖らせながら少し上目遣いに才人を見つめ、不安げに答えを待つルイズを見て才人は内心ドキドキとしながらもそう考えた。

それから、彼女が求めているであろう解答をいかに嘘偽りを交えずに答えられるか思考を巡らせる。

例え本心からでも大きい方が好き? と聞かれてうん、大好き! などと答えるほど、才人も阿呆ではない。

なにより、居心地の良い甘い雰囲気が才人の思考をフル回転させた。





「そ、そんな事はないぞ!
 ああそうさ! 俺は、ルイズのが一番だ! 大きかろうが、小さかろうが、とにかくルイズのが一番!」


「ほんと?」


「ほんと!」


「えへへ、――ん!」





答えは正解であったらしい。

ルイズは嬉しそうな表情を浮かべ、遠慮がちに才人の手と自分の手をベンチの上で重ねながら微笑んだ。

そして、ご褒美とばかりに彼女は目を瞑り、口を僅かにすぼめて才人に突き出す。

耳まで赤く見えるのは夕日のせいか。

全く余裕の無いその表情はどこか滑稽に見えはしたが、彼女の美貌を損なう要素は何処にもない。

やがて中央広場のベンチに座る男女の長く伸びた影は、ゆっくりと僅かに重なるのであった。







と、いうわけで。

エメが駄目ならば同じく事情を知るトマに聞くしか無い才人は、広場から『魅惑の妖精』亭に帰った後

直ぐにトマを捕まえて剣の特訓を申し入れたのだった。

勿論、情報入手の為の口実である。

トマはその申し入れに怪訝な表情を浮かべはしたが、思う所があったらしくこれを了承しその日から二日経った現在に至る。

特訓は夕方と宵闇の間の時刻、人気のない狭い路地裏の突き当たりで行われていた。

日はまだ沈んではいなかったが、建物が密集した路地にはうっすらとしか光は届いていない。

その暗い路地裏の突き当たりで二人はその手に獲物を持ち、対峙する。

トマは抜き身の愛剣を手に。

才人はその辺に転がていた、折れた物干し竿か何かの棒切れを手にして。





「おい坊主! どうせ当たりゃしねぇんだから振り回す事じゃなくて突く事だけに集中するんだ!」


「わ、わかってるよ! 少し黙ってて、気が散るじゃないか!」





トマは才人から目を離さずにそう言って、強く柄を握り直した。

教師は才人……ではなく、デルフである。

才人が教えようとしても何かと反発するので、デルフが口を出し才人が練習相手になるという構図が出来ていたのだ。

二人の距離が緊迫した空気を纏ってジリと縮まる。

才人は半身で棒切れを構え、トマに向かって突き出している棒切れを僅かに上下に揺らしてみせた。

挑発するように、だ。

トマはそれを合図として、疾風のように両手に構えた剣を突き出す。

気合の篭もったその一撃は、果たしてやすやすと横へ回避されてしまった。





「ここだ!」





しかし。

トマもそれを予測していたようで、回避された突剣をピタリと止め、才人が回避した方向へ横に薙いだ。

剣は抜き身。

当たれば大怪我は免れない。

才人が持つ、棒切れ程度で防げる一撃でもない。

トマの顔に浮かぶ表情は勝利の確信か、気に入らない相手を負傷させる期待か。

直後にギィン! と狭い路地に響いた金属音が、そんな彼の表情を曇らせた。

剣が路地を構成する石造りの壁に当たったからだ。





「だから、振り回すなってデルフが言ってただろ? ただでさえ狭い場所だってのに」





ぽこん、と音がして才人の棒切れがトマの頭に振り下ろされた。

間抜けな音の割には痛かったようで、トマは痺れる手から剣を落としてしまい頭を両手で押さえながらその場にしゃがみ込んでしまう。





「おい坊主! アイデアは悪かなかったが、避けられる事が前提の突きなんて壁にしか当たんねえぞ!」


「ううう、くそ、殺ったとおもったのに……イテテ」


「……殺気だけは一人前だったな」


「いいか、坊主! 最初の突きだけに集中するんだ。他は考えんな」


「で、でも……」


「でももクソもねえや! 手前みたいな素人が考えて剣振ってもオーク鬼一匹にも勝てやしねえよ。
 いいか? 下手くそ程剣を振り回したがるがな、体力も力もねえ坊主が振ったところで相手をまともに斬れやしねえんだ」


「うぐ! そ、そこまで言わなくても……」


「なんだあ? 違うとでも言うのか? さっきの一撃がもし相棒だったらその壁ごと相手をたたっ斬っていたぜ?」


「そんな大げさな……」


「あぁん? ド素人の癖に口だけは一人前だな坊主! なんなら試すか?」


「その辺でやめとけ、デルフ。他人様の家の壁をぶった斬るワケにもいかねぇだろ。
 トマ、続きだ。今度はもっと腰を落として膝の位置に剣をかまえてみ?
 そこから相手の胸の辺りを狙って少し上向きに突くんだ。下からの突きってのは結構避けにくいもんなんだぜ?」





そう言って再び棒切れを構える才人。

トマは悔しそうにデルフへと視線を投げかけながらも、才人に言われたとおりに構えて隙を窺う。

気合と敵意を表情に込め眉根を寄せて口の端を固く結んでいても、端正なその顔立ちを損ないはしない。

日がいよいよ傾き、段々と暗くなりつつある路地裏が更に暗くなっていく。

緊張が二人の間に張り詰めて行き、沈黙が――





「きゃあ! トマ、がんばってぇ!」
「そんな猿、さっさとやっつけちゃえ!」
「そうよ! さっきからエラそうに威張っちゃって!」
「あぁん、こっち向いてぇ」


「……なあ、デルフ。俺、泣いていいよな?」


「気にすんな、相棒! 相棒の魅力は俺が一番わかっているからよ」


「慰めになってねえよ……」


「こ、こら! 訓練に集中してくれよ!」


「そうよそうよ! 真面目にやんなさいよ!」
「ちょっと強いからっていい気になってるのよ」
「やぁねえ」
「トマくぅん! こっち向いてえ! 今夜、アタシん所こない? お代はいいからさ!」
「あ、ずーるーい!」





一瞬の沈黙は、トマへの黄色い声援によってかき消されてしまった。

それ所か張り詰めた緊張までがふにゃりととけてしまう。

路地を構成する片方の建物が娼館でもあり、仕事前の娼婦達が二階の窓から才人達の様子を好奇の目で見物していたのだった。

特に、トマは紅顔の美少年である。

端正な顔立ち、ブラウンの大きな瞳に女性もうらやむようなキメの細かい肌とサラサラの髪を背に伸ばして後ろで縛り、剣を振るう。

輝く汗。

雄々しく叫ぶ気合の声。

その様は平民達の間で普遍的な英雄像である、イーヴァルディの勇者を思わせる凛々しい出で立ちだ。

もっとも、彼の相手を務めている人物こそイーヴァルディの勇者本人であるのだが。

まるで絵画のようなトマの姿は、直ぐに噂となり時を経るごとに見物人の女の子の姿が増えていた。

当然、彼への声援も増え続け、才人への罵声も増え続けている。

ちなみに才人の評価は「偉そうな猿」である。

才人はもう小一時間程も彼女たちの謂れなき罵倒に耐えながら、トマとの訓練を行っていたのだった。

あらゆる敵と対峙し、傷つくことも恐れず戦い抜いた強い心が遂にこの時折れてしまい、地面に座り込んでのの字を書き始める才人。

実に惨めな姿である。

伝説の勇者となった者の成れの果てだとは、誰も思いはしまい。





「いいんだ、俺にはルイズがいるんだもん……」


「お、おい! 立てよ! 剣の稽古付き合ってくれるんだろ?!」


「あ~、坊主、相棒がこうなっちまったらもうダメだ」


「そんな……」


「これでもよくもった方だぜ。今朝寝付いた時なんてコッソリ泣いてたもんな」


「ううう、ルイズ……」





トマは半泣きでしゃがみ込む才人を暫く見ていたが、不意に構えを解いてはぁ、と深くため息を付いた。

この日はこれでお開きだと理解したらしい。





「まったく、凄いんだか情けないんだかよくわからない奴だな、あんた」


「凄いに決まってんだろ坊主! 相棒をバカにすると承知しねえぞ!」





デルフがカタカタと鍔を鳴らしながら凄む。

肩を竦めながらトマは、うずくまり地にのの字を書く才人にもう一度視線を投げた。





「そりゃ、あのメイジと戦ってる姿は格好良かったし、凄いと思ってたけど……」


「ったりめぇだ坊主!」


「だけど今の姿見てると……」


「ふん! こう見えて相棒は繊細なんだ! おめえみたいなハンサムに、ブ男の気持ちがわかってたまるか!」


「デルフ……何気にお前も酷いぞ……」





ジロリと壁に立てかけた抜き身のデルフを睨む才人。

恨みがましい視線にデルフは先程と同じようにカタカタと鍔を鳴らして答えた。

才人は気を取り直して立ち上がり、デルフの柄を乱暴に掴んで手早く鞘に収める。

それから、トマに向き直り今日はここまでにしておこうと力なく口にしたのだった。





「なんでだよ? もうちょっとくらい、僕に付き合ってくれたっていいだろう?」


「大分暗くなったし、そろそろ戻らなきゃ。俺も仕事あるんでな」


「ううむ……」


「悪いな、また明日付き合うから勘弁してくれ」


「ちぇ。わかったよ、『魅惑の妖精』亭に戻ろう」


「……明日は、別の路地でいいか?」


「……うん。僕もここは、居辛い」


「あぁん、もう終わり?」
「トマ~、また明日も来てね!」
「まってるからね!」
「なんだったら店に泊まっていってもいいのよ!」





二人は勝手気ままに投げかけられる黄色い声によって追い立てられるかのように、そそくさと路地裏の突き当たりを後にした。

辺りはすっかり暗くなり、狭いを作り出している建物の窓からは柔らかな光が漏れ出している。

ゴミが散らばる小汚い道を、チラホラと酔っぱらいが千鳥足で歩く姿も見受けられた。





「っちゃあ。すっかり暗くなっちまったな」


「あんたが変にイジけているからだ」


「ンなこといったってさあ。」


「なんだよ、女の子の声援位で落ち込んだりして。これでも少しは見直してたのに、幻滅したぞ?」


「ウソこけ。お前、俺の事最初から認めてねぇし」





言葉に、才人の隣を歩いていたトマの歩みは止まった。

数歩歩いてから同じように歩みを止めた才人が何事かと振り返ると、意外にもトマは真剣な表情で才人に視線を合わせて来たのだった。





「んだ? どうした? 腹でも痛いのか?」


「……確かに、僕はあんたを認めていなかった。あの、夜までは」


「ん? ああ、あのドニとかいう用心棒とやりあった日か」


「うん。あの夜の出来事は今でも信じられないんだ……」


「あにがだよ?」


「平民が……魔法を使えない人間が、あんな強いメイジを追い払うことが出来るなんて……
 なあ、一体、どうやればあんなに強くなれるんだ? どうやったらあんたみたいに戦えるんだ?」


「どうやったらって……俺の場合は特殊だしなあ」





トマの突然の質問に困惑する才人。

そんな彼にトマは更に真剣な表情で詰め寄る。

近くで見るトマの顔はどこまでも整っていて、同じ男でもここまで違うのかと知らず才人を落ち込ませた。





「なあ、教えてくれよ。僕はもっと強くなりたいんだ。あんたはとても強いし恐れも知らない。
 どうやったら猿のようにすばしこく動いて、オーク鬼のような力が出せるようになれるんだ?」


「ははは、ホメられているのになぜか傷つくな!」


「僕は真面目に聞いているんだ。頼むよ」


「どうやったらって、言われてもなあ。俺の場合は……うん、そうだな。俺の場合はな、トマ。呪いをかけられているんだ」


「呪い?」


「そ。タチの悪い魔女にとっつかまってな。病気を治して貰う代わりに、妙なトラブルに巻き込まれる呪いをかけられたんだ」


「……僕をバカにしているのか?」





十人が聞けば十人がホラだと判断を下すであろう才人の話に、トマは少し気色ばんだ。

才人はそんなトマの様子になれた調子で、真面目な表情のまま続ける。





「いんや、本当の話さ。妹のルイズに聞いてみてもいいぜ? でな、呪いの副作用でとんでもない力を出せるようになったって訳だ。
 もっとも、剣自体はその前からある人から教えてもらっていたけどな」


「そうだったのか……にわかに信じられない話だけど、あの夜のあんたを見ているからなぁ。取りあえずは信じてやるよ」


「それよりも、あんたってのやめてくれよ。サイトって呼び捨てにされた方が余程マシだ」





才人の意外な申し出にトマは一瞬目を白黒させたが、直ぐに我を取り戻しニヤリと笑った。

本人は意地悪く笑っているつもりだったのかもしれないが、嫌味のないその笑みはどこまでも爽やかだ。

トマは才人に詰め寄ったまま、更に近くへと身を寄せ胸を張る勢いで才人の体を押した。

それから手を腰に当て、才人よりも頭一つ低い体を反らしながら虚勢を張るように顎を突き出す。

挑発するかのようなその態度は憎らしさよりも少年の悪ふざけといった感が強く、ブラウンの瞳に映り込む建物の灯火が

その印象をさらに引き立てた。





「じゃあ、サイト。ついでに聞きたいんだけど……あんたとルイズさんて一体何者なんだ?
 ルイズさんが "ツテ" とやらに連絡をとった途端、あの借金取りは来なくなるし、貸金の商人は捕まるし」


「……しがない平民の兄弟さ。ただ、ちょっとした "コネ" があるだけの、な」


「ふぅん? なんだかすごく、胡散臭いな。大体、兄妹なのに "俺はルイズ一筋だ" とか言っちゃうマヌケだけど手練の兄に
 数日で悪徳商人を潰せる人物にコネを持つ妹って、怪しさ満点じゃないか」


「マヌケは余計だバカ」


「うるさい、マヌケ」


「明日、覚えてろよ。こってりシゴいてやからな」


「ふん、余裕見せて僕に真剣を持たせた事を後悔させてやる」


「……お前、マジで刺しに来てるよな?」


「当たり前だ。サイトならそれくらいやっても問題ないんだろ? 僕にだって、それくらいわかってるさ」





いつの間にか互いの額を押し当てながら軽快に罵り合う二人。

互いに歯を剥き口の端を釣り上げながら威嚇しあうその様は、まるで仲の良い兄弟のようでもあった。

才人は弟が居ればもしかしたらこんな感じなのかもしれない、などと思いつつも頃合いかと判断して不意に一歩下がる。

急に支えを失って多々良を踏むトマに、才人は今まで切り出しかねていた交渉を行うことにしたのだった。





「……なあ、トマ。交換条件といかないか?」


「とと、何をだ?」


「お前達を助けてやる。そのかわり、お前達の事を詳しく教えてくれないか?」


「いきなりなんだよ? それに、なんでそんな事を知りたがるんだ? サイト、あんた本当に一体何者なんだ?」


「……言えない。ただ、悪いようにはならないと思うぜ? お前、俺に剣を習う気になったのはエメを守りたいからだろう?」


「それは……」


「この前の話し聞いてりゃ、金返せば丸く収まるような状況じゃないって俺にでもわかるさ。
 お前のさ、一人前の男として姉さんを守りたい気持ちってのはよくわかる。
 だけどな?
 何でもかんでも一人でなんとかなると思うのは間違いだ」


「でも、僕は――」


「この前の夜だってそうだ。あのメイジにお前が殺されてたら、誰が一番悲しむと思っているんだ?」





才人の話にトマは出しかけた言葉を飲み込んだ。

トマは視線こそ逸らさなかったが、口の端を結んで眉を寄せる。

後悔と悔しさを滲ませるその顔に、才人は柔らかく微笑みながらトマの頭に手を置いた。





「誰かを守りたくて、無茶しちまうのもよくわかるさ。俺もそうだし。
 だけどさ、やっぱ無理をして守りたい奴泣かせるのはすっげえ辛いんだ。
 それに今お前が、エメが抱えている "モノ" は多少剣を覚えてどうにかなるようなもんじゃないんだろ?」


「そうだけ、ど……でも……」


「トマ、俺が助けてやる。男の約束だ」


「男の、約束……か」


「ああ、そうだ。ダメか? 俺じゃ、頼りないか?」





言葉に、トマは視線を伏せて暫し考え込む。

腰に当てていた手もだらんと力なく垂れ、細い肩からは先程までの威勢が感じられない。

辺りはすっかり夜となり、狭い路地を酔っぱらいやこれから酔うであろう男達がけたたましく行き交い始めていた。

路地に多くある小さな酒場からは陽気な歌声や笑い声が聞こえてきて、トマの沈黙を一掃際立たせる。

やがて。

トマは意を決し、顔を上げた。





「わかった。あんたを……サイトを信じるよ。だから、頼む。僕らを……姉さんを助けて欲しい」


「ああ、勿論だ。詳しいことはルイズと一緒に聞かせてくれるか?」


「わかった。取りあえず『魅惑の妖精』亭に戻ろう。随分と仕事に遅れているみたいだし?」


「……ああ。みたいだな。なんせワザワザお迎えが来る位だから、余程忙しくなっちまってるみたいだ」





才人とトマはそう言って、顔を見合わせて笑った。

二人が戻した視線の先にはルイズがお店の衣装に身を包み、必死の形相で走り寄って来る姿が見えていた。





「せぇ、ぜぇ、サイト、遅い!」


「悪り。ちっとトマと話し込んじまった。だけど、収穫あったぜ? 後で話を」


「何、呑気な事言ってるの、よ! そんなの、あと! エメが、ゼェ、妙なメイジに」


「姉さんが?! どうしたんですか!?」





血相を変え、まだ呼吸も整わないルイズにトマは詰め寄った。

ルイズは無理繰りに呼吸を落ち着かせながら、乱暴に肩を掴むトマを押しのけ言い放つ。

トマにとって、最悪な事態を告げるために。

エメを救うために。










「エメがメイジにさらわれたわ!」


















[17006] 5-6:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄5
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/01 07:19









王都トリスタニアをぐるりと囲む城壁の北西に広がる森の中、その屋敷はひっそりと佇んでいた。





貴族街から行き来できる郊外の森は、貴族のみならず王家の人間も乗馬や狩りに利用する場所でもある。

広大な森の中にはトリスタニアに居を構え王宮で働く貴族の別荘も点在しており、平民の森野への立ち入りは許されてはいない。

貴族の間ではここに別荘を持つことが一種のステータスとなっていて、エヴラール・バルビエ副伯の別荘もまたこの森にあった。

彼の屋敷は王家の狩場から比較的離れた南の端にあり、館もそれ程大きくはない。

最も、この森に構える別荘の規模は階級によって王家から厳しく制限されており、副伯である彼の財力が乏しいわけでもない。

貴族間……特に大貴族達が豪華絢爛な別荘を建てそれが競争を呼び、著しく森の景観を損なってしまった時代があった名残である。

別荘をもつにあたり、より王家の狩場や避暑用の別荘に近い場所程高い身分を要求されるのも、王族が乗馬や狩り、避暑に訪れた際

自分の屋敷に立ち寄ってもらえる栄誉を得る機会が増えるためだ。

魔法の才を認められ、異例の出世を重ねて会計検査院に抜擢されたエヴラール・バルビエは、古い家柄と高い財力を有し遂にはこの森に

別荘を構えるなど貴族として申し分のない人生を送ってきた。

唯一副伯という古い系譜だが低い地位が為に、このような森の端に別荘を建てざるを得なかった事だけが彼の矜持を些か傷つけていたのだが

その夜バルビエ副伯は不本意な広さの別荘に在って、上機嫌でベッドに横たわる薄汚くも美しい平民の娘を眺めていたのだった。

部屋は狭くも豪華な装飾品に溢れ、黄金で出来た魔法の燭台により柔らかに灯りが薄暗く寝台に横たわる女の髪を照らし出している。

その傍らに立つ館の主は、ベッドで眠る彼女のウェーブがかかった短いブルネットの髪を愛しそうに一撫でした。





「エヴラール様。やはり、些か強引では無かったのでしょうか?」





声は狭い部屋の入口の方から。

豪華な室内にそぐわない黒いマントを羽織った男が、その部屋の入口の扉の前に立ち館の主に問いかけた。

女の髪を撫でるバルビエ副伯は手を止め、男に向き直る。

四十に近いその深緑の髪は白髪が混じり、体躯は太ってはいないものの入り口の男よりもずっと小さい。

副伯は細い目とよく手入れされた口ひげ、何かの薬品によって後ろに撫で付けられた髪が神経質な印象を見るものにあたえる容姿であった。

一方、バルビエ副伯に声をかけた男は深く黒いローブを羽織り、その顔おろかどのような格好をしているのか判別がつかない。





「構わん。どういった経緯かわからんが、王宮が色々と嗅ぎまわり始めたからな」


「やはり先日私が報告した者が、王家の間諜であったのでしょうな」


「うむ。あの日の翌日、早速例の商人の元にヒポグリフ隊が派遣されておったしな。
 平民の申し出程度で王宮直属の部隊が動く事はまず無い。間諜であったと見て間違いはなかろう」


「しかし、そうであれば何故殊更このような強引な手で? 僭越ながら、娘をこのタイミングで攫うのはかなり不味かったのでは」


「あの商人から私の名が表に出ることは無いが、この者からは私の名が表に出る恐れがある。
 それに、リュシモン殿から計画を急ぐようにと釘を刺されたばかりだしな」


「では……」


「そうだ。明日の夜、作戦を決行する。 "青い鳥" でないのが残念だが、どうせ使い捨てだ。問題はないだろう」





そう言ってバルビエ副伯はベッドに横たわるエメの胸元に手をかけ少し強引に引いた。

際どい『魅惑の妖精』亭の衣装に身を包んだ彼女の胸元はアッサリとあらわとなり、大きな乳房が二つ外にこぼれ出す。

男であれば誰もが鼻の下を伸ばし息を呑むであろうその光景に、バルビエ副伯は奥歯を噛み少し忌々しそうに彼女の胸元を見ていた。

そこには小さな、赤い鳥が翼をひろげている。





「 "魅了の赤い鳥" (ロワゾー・クイ・シャンテ・ド・シャルム・ルージュ)。シャルム・ブルーでないとは言えホンモノだ。
 不完全なまがい物ではあるが、 "血脈" を持つ事にはかわりあるまい」


「 "予備" の方は良かったのですか?」


「 "魅了の青い鳥" は甘くさえずる為、その多くは一族の女に宿るとある。
 それにどうせ一度きりの勝負だ、痣があるかどうかもハッキリしない弟にはそこまでの価値はない」


「わかりました。出過ぎた真似をしまして申し訳ございません」


「いい。お前はよくやってくれている。ドニ、それよりも気がかりは王家の間諜だ。
 お前が殺し損なったのだから、かなりの使い手なのだろう?」





窓の無い室内で、ゆらりと影が揺れた。

黒いローブの男は、その影よりも暗い色の感情を吐露するかのように間をおいて低い声で主の問いに答える。





「は。メイジ……かどうか判別がつきませぬが、私の炎では傷を負わせられませんでした」


「ほう……あれをどうやって防いだのだ?」


「いいえ。まともに受けた上で立ち上がって来たのです」


「ふむ……体の中に水の精霊を飼っているのか、もしくは先住魔法で治癒能力を高める魔具を埋め込んでいるのかもな」


「そうだとしたら厄介ですな。
 戦闘に特化したメイジの中には体内に先住魔法ゆかりの品を仕込み、杖を持たず任務にあたる者も珍しくありませぬ故」


「なに。お前の炎を最大でくれてやれば恐らくは殺せるであろう。やりようはあるのであろう?」





更に影が揺れる。

主を前にして、影の主は激しい殺意を此処にはいない誰かへと放った。

生暖かい室内の空気は湿り気を帯びたかのように、ほんの少しだけ息苦しさをましたかのような錯覚をバルビエ副伯は覚えていた。





「は。街中では騒ぎを大きくしてしまいますが、ご命令とあらばいくらでも」


「ならば次は確実に仕留めろ。何、騒ぎになった所で問題はない。
 いずれにせよ、作戦の決行は明日だ。街で多少暴れようと、次があるならばもはや些事であろうよ」


「は」





声の色は歓喜。

強敵と存分に戦えるという想い、血の匂いを欲する狂気、主の命を遂行せんとする忠義を交えて影は崩れ落ちるように跪く。

そんな影の圧力に息苦しくなたのか、ベッドに横たわり胸をはだけているエメが艶めかしくうめいた。





「ふむ。眠れる鳥が目を覚ますようだ。ドニ、私はこれより仕上げに入る。
 お前は屋敷の周りを固めよ。
 弟の方は私の名を知っているが、それを元に王宮が衛士隊を動かすには今暫くの時が必要となるはずだ。
 万一だれか邪魔者がここへやって来るとすれば、恐らくはその腕利きの密偵であろう」


「では……」


「もし来たら必ず殺せ。目的を王宮に悟られる可能性を残す訳には行かぬ。
 弟の方も居たら殺して構わん。部下のメイジにもそれは徹底させろ」


「かしこまりました。それでは、早速」





言葉を残しドニは音も立てず部屋から出て行った。

残されたバルビエ副伯はその場で体の向きだけを変え、ベッドの上で眠りから覚めつつある女の姿を凝視する。

やがてその大きなブラウンの瞳を覆う瞼がゆっくりと開かれた。





「う……ここ、は……」


「目が覚めたかね?」


「あなたは、エヴラール様……ここは……わたし、えっと……
 ――きゃあ!」





目覚め上体を起こしたエメは直ぐにはだけられた胸元に気がつき、両手で胸を隠しながらバルビエ副伯に背を向けた。

ベッドの上、急いでたわわな乳房の下に潜り込んでいる服を上にずり上げるエメに、副伯は何事もなかったかのように声をかける。





「終わったらついてくるがいい。見せたいものがある」


「エヴラール様、わたしは……」


「夜が空ける頃にはすべてが終わる。お前の知りたい事にもすべて答えてやろう。
 ただし、私がお前に見せたい物を見せた後でな。 "赤い鳥" よ、私が何を言いたいかわかるな?」





かつての婚約者に向けられているとはとても思えない冷たい声に、エメはそれ以上の言葉を紡ぐ事ができなかった。

有無を言わさぬ雰囲気の中、身なりと乱れた髪を整えた彼女はよろよろとベッドから立ち上がる。

足取りはおぼつかない。

ドニに攫われた時、強引に飲まされた秘薬の効果が残っているのだろう。

それでも彼女を素直にさせたのは、バルビエ副伯の冷たい雰囲気ではなく単純にその手に持つ杖の存在であった。

案の定、なんとか立ち上がりはしたものの強い眩暈がエメを襲い、思わずよろけて豪奢なベッドの天蓋を支える柱にすがりついてしまう。





「ついてこい、 "赤い鳥" 」





バルビエ副伯はまだ朦朧としている彼女の様子などお構いなしに、部屋の扉を開きながら早くついてくるよう促した。

エメは気丈にもおぼつかない足取りで、副伯に促されるまま部屋から廊下へと出て壁に寄りかかりながら必死に彼の背を追う。

メイジの血筋とは言え、生まれた時から平民として過ごしてきた彼女である。

理不尽な扱いにささやかな抗議をするよりも、貴族の機嫌を損ねることへの恐怖が勝っていたのだった。

彼女が寝かされていた部屋は二階であったらしく、広い階段を下り書斎の入り口の隣にあった扉から更に地下へと続く階段を降りて行く。

魔具によって淡く照らし出されるその階段は、先程の寝室よりも更に薄暗くかろうじて足元が確認出来る程度であった。

暗い階段を降りていくうちに、酩酊としていた意識は恐怖の為か少しずつはっきりとしてきて、副伯が階段を降りた

突き当たりの扉を開く頃には、足取りもしっかりと歩を進めることが出来るまでにエメは回復する事ができていた。

そんなエメの目の前でぎぃ、と重苦しい音を立てて開いた扉の向こう、何も見えぬ闇の中にバルビエ副伯は躊躇なく進む。

間を置かず魔法のランプでも使ったのだろう、開いた扉の向こうから突然光が溢れた。





「何をしている? 早く入ってこい」





階段の途中で少しだけ目を眩ませていたエメに、副伯の冷たい声が投げかけられる。

エメは我を取り戻し、残り十数段となった階段を慌てて降りて僅かに光が漏れる地下室の入り口へと進む。

この時、彼女の脳裏に過ぎったのは短絡だが端正な弟の顔であった。

不安や恐怖は確かに在る。

もしかしたら、この地下室に閉じ込められて陵辱の限りを尽くされるのかもしれない。

いや、ここで "飼われて" 夜な夜な誰かの相手をさせられるのかも知れない。

それとも、何かの研究の為に妙な薬を打たれるのかも。

次々とよからぬ想像が彼女を襲う。

しかし、その度に可愛い弟が無茶をしでかさないか、副伯を疑っておおきな騒ぎを起こさないかと心配してしまい

不安と恐怖を忘れるのであった。

そんなエメが様々な感情で思考を埋めながらもおずおずと地下室の中へ入るや、耳障りで大きな音を立てて入り口の扉は閉じられた。

音にエメは思わず肩を跳ね上げ、慌てて振り返るとそこにバルビエ副伯が幽鬼のように立っており彼女を更に慌てさせる。





「さて、目的を果たす前に。私も誇りあるトリステイン貴族だ。まずは約束を果たすとしようか。」


「約、束?」


「言ったであろう。お前の知りたい事にもすべて答えてやると」


「あの……わたしに見せたいものって……」


「うむ、これだ」





バルビエ副伯はそう言って、おもむろに懐から魔具のようなものを取り出し、エメに差し出して見せた。

その手に握られていたのは、短剣ほどの大きさで鈍く銀色に光る、先が尖ったシンプルな杖のような筒である。





「それ、は?」


「 "魅了の青い鳥" のくちばしだ。伝説では "剣" と伝えられているがな」


「……これをわたしに見せて、エヴラール様は一体どのようなおつもりで……」


「なに、少々お前に協力して欲しいのだ」


「協力?」


「この伝説の剣に、魔力を注ぎ込んで欲しいのだよ」


「魔力、ですか? でも私は……」


「メイジではないと言いたいのだろう? 大丈夫だ、メイジである必要はない」





副伯はここで初めて笑った。

エメにはその笑みはどこか、魔法のランプによって照らし出されている室内に落ちる影よりも暗く見えた。

笑みは二人の沈黙を加速させてゆく。

魔法をすでにかけられたと錯覚するほど、エメは息苦しさを覚えて言葉ではなく息を吐いた。

次いで新鮮な空気を胸に吸い込むが、地下室であるためかホコリっぽくて湿った、まるで墓地のようなにおいに思わず眉をひそめてしまう。

それから悪い予感と予想を膨らませながら、彼女は質問を続けることにした。

このまま沈黙が続けばきっと良くないことが起きると感じたからだ。





「では……わたしは一体、どうやって……」


「……少し面白い話をしてやろう。お前の先祖は中々高名な魔具職人のメイジでな。
 特に一族間でしか使えない、特殊で強力な魔具を使うことで有名だったのだよ」


「それが……」


「私はずっとそれを個人的に研究しておってな。ある日古い文献からお前の痣…… "魅了の青い鳥" の事を知ったのだ。
 その文献はたまたま骨董を扱う商人から手に入れた、この "くちばし" と対になっていたモノでな。
 商人はどう見ても剣には見えないコレを "伝説の剣" だと言って売り込んできたのだが……
 その由来にたまたま興味を抱いた私は、やがて "魅了の青い鳥" の真実へとたどり着いたというわけだ」


「真実、ですか?」


「うむ。知っておるかね? お前の先祖はこの "くちばし" を "剣" に変えて、たった一人で一軍を相手に戦い勝利したこともあるのだよ。
 最も、それが原因で当時の王家に危険視されて、長い年月をかけ表に裏に地位や財産を排除されていったようだが。
 当然記録もすべて消されてしまい、 "魅了の青い鳥" は忘れ去られてしまったのだがね」


「そんな話、わたしには関係」


「関係ある。最後まで聞きなさい。いいか? お前の一族の事を危険視した王家は、真っ先にこの伝説の剣を献上させたらしい。
 この "くちばし" の力は絶大だったようでな。
 更に稀代の天才と言われた当時のお前の先祖しか作れなかったようで、こいつを献上させた後すぐにお前の先祖は
 暗殺されてしまったようだ。
 くく、大方お前の父親のように公爵にでもとりたててやると唆され、愚かにも唯一の武器を手放したのであろう。
 結局 "くちばし" は一振りしかこの世に残らなかったのだが、使い手はちがったという訳だ」


「まさか……では、父様に貴族籍を売り込んでいたのは――」


「私の手の者だ」





あっさりと告白したバルビエ副伯の悪びれもしないその言葉に、エメは一瞬言葉に詰まる。

父を陥れたのは自分だと、これ程あっさり告白するとは思っても見なかったからだ。

いや。

彼女の言葉を詰まらせたものは意外な副伯の態度ではなく、激しい怒りなのかもしれない。

エメは相手が貴族であることを忘れ、思わず声を荒らげる。





「なぜ……なぜそんな!!」


「すべてはお前を手に入れるためだ」





告げられた真実に、エメは恐怖をも忘れ彼女には珍しく今度は激高した。

バルビエ副伯はそんなエメを変わらず薄く笑いながら見つめている。

そんな彼にエメは更に怒りと疑問をぶつけるのであった。





「どうして! 婚約までして、黙っていても私はいずれエヴラール様の」


「ふん、そんな話を本気にしていたのか? あれは方便だ。
 どこぞのバカ者がアンリエッタ女王誘拐に失敗して、城下での監視の目が厳しくなってしまってな。
 貴族とはいえ迂闊に平民をかどわかす訳にもいかなかったのだよ」


「そんな――」


「幸いお前の父親は野心も欲もあり御しやすかったのでな、利用させてもらった。
 もっとも、あのまま本当に結婚してしまえば私の経歴に後々汚点が残る。
 そこで "無理な買い物" に手をだしてもらって一度投獄し、詳しい事が明るみに出る前に釈放されるよう取り計らったのだよ。
 あとはこちらが用意した貸金商人にまんまと金を借りさせて、次に借金のかたにお前を身売りさせ哀れな元婚約者を私が "妾" として
 買受ける予定であったというわけだ」


「酷い! あんまりです!!」


「ふん、何を言うか。本来ならば、例え妾としてでも平民などに手を出す真似はしたくも無いというのに。
 それに元はと言えば、お前の父親の欲がすべての原因ではないか。
 まったく、これだから平民というものは救えん。
 あの男も真実に気付きのこのこと私の前に金の無心などをしに現れて、見当違いな脅迫をしなければ死なずに済んだものを」





副伯の告白に、エメは息を飲んだ。

すべては、目の前の男が仕組んだ事だった。

自分を手に入れる為に。

巷で噂になっている、アンリエッタ女王陛下の誘拐騒ぎさえ無ければきっと有無言わさずさらわれていたのだろう。

逆を言えば、だからこそこのような事になったのだ。

父が投獄され、死んだのも。

自分と弟が理不尽な借金取りに怯えて暮らしていたのも。

すべて、目の前の男のせいなのだ。

真実は、激高するエメの怒りを更に駆り立てた。





「それで……どうして! どうしてそんな、毛嫌いする平民相手にこんな酷い事をなさるのですか!」


「ふふん、その胸の痣だ。君の一族のだけが持ちえる、特別な力……というよりも血その物にこの剣は反応するのだよ。
 つまり、ロワゾー・クイ・シャンテ・ド・シャルム・ブルー…… "魅了の青い鳥" にな」





言葉にエメは息を飲む。

怒りで白濁する頭が、スーっと急激に晴れて行く。

かわりにじわりと再び恐怖と絶望が思考を染めていった。

聡明な彼女は悟る。

つまり、バルビエ副伯がエメに望む物とは。

副伯は暗く笑いながら続ける。





「案ずるな。文献によればシャルム・ブルーの持ち主は僅かな血液をくちばしに垂らすだけで力を発現できたという。
 お前の痣、シャルム・ルージュはその色が示す通り "混ざり物" ではあるがまったく効果が現れないわけではないはずだ」


「い、いや……」


「手に入れた文献には "混ざり物" の血の利用の仕方もきちんと載っておってな。
 なに、単純に量を増やせばいいらしい。そうだな、たしかワインの瓶一本分の血液があれば十分なのだそうだ」





暗い笑いは、残忍な冷たさを伴って目の光と歯の白さだけが暗い室内に映えた。

エメはたまらず逃げ場も無いであろう地下室の奥へと駆け出すべく、踵を返すも見えない壁に阻まれているかのように動きを止める。

薄暗い地下室にいつの間にか目が慣れ、僅かな光に照らし出されたそれらをこの時初めて見たからだ。





「ほう、意外だ。自ら苦痛を伴なう方法で私に協力してくれるというのか?」





バルビエ副伯の弾む声。

嬉しそうな明るい声をエメはこの時始めて聞き、そして始めて自分の考えは甘かったと後悔をした。

彼女が見た物とは

――いびつな形の台

――ピラミッド形の椅子

――大量の太い針が付いた鳥かご

――様々な拘束具に囚われたままの腐りかけの、白骨となってしまった、吊るされた腕のみとなった、哀れな犠牲者達の成れの果て。

凄惨な拷問の傷痕である。

室内にある道具のすべてに褐色の染みが張り付き、そこかしこには変わり果てた人間のカケラが転がっていた。

臭いは全くせず、その為かどこか現実味のない光景であったがエメはたまらずその場で嘔吐をしてしまう。





「む、床を汚すな。まったく、これだから平民は……」




バルビエ副伯はすこし困った声色でそう言いながら杖を振った。

地下室に立ち込めかけたすえた臭いと吐瀉物が渦を巻きながら立ちどころに消えていく。

恐らくは吐瀉物を様々な成分に分解し、別の成分へと錬金してみせたのだろう。





「エヴ、ラール様……貴方は……」


「気にするな。 "研究" には犠牲者はつきものだ。すべては "魅了の青い鳥" の為である」


「こんな……」


「なに、すぐに慣れる。臭いはしないだろう? 私はきれい好きでな、まめにこの部屋の空気を入れ替えたり
  "被験者" から臭いがでないよう薬品を振りまいているのだよ。
 ああ、そうだ。
 言い忘れていたが、 "青い鳥のくちばし" は生き血にしか反応せん。だから、いきなり死ぬようなことはない。
 なるべく、痛くしないから安心したまえ。――そう、なるべくな」





エメの背後の声が、いつの間にか耳元から聞こえて来ていた。

両肩に優しく添えられた手がやたらと暖かく感じる。

体が動かない。

声も、それ以上出せなかった。

それは悪夢のよう。

抵抗しなくては。

抵抗しなくては。

抵抗、平民のわたしが、メイジに抵抗?

いいえ、逃げなければ。

はやく、はやくはやくはやく。

どうやって?

どうやて逃げる?

誰か!

誰か、だれかだれかだれか!!

まとまらぬ言葉が、一瞬の中で大量に頭の中を満たす。

そしてその全てが絶望によって消えていく。

強い絶望とショックの為意識を失いかける彼女を現実へと引き戻したのは、副伯の変わらず弾む声であった。










「さあ、始めようか。大丈夫、 "殺しはしないから" 」


















[17006] 5-7:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄6
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/09 07:22










その夜は二つの月の内、赤い月がやけに大きく見えた。





血のような赤を帯びた月光は、まるで夕日のように白亜の王城を茜色に染め地を照らす。

弱い光とはいえ、巨大な白い城壁による反射によって城に近い場所にある貴族街もまた赤く染まっていた。

そんな赤い夜の街を疾駆する馬影が二つ。

才人とルイズ、そしてトマが乗る馬である。

二人に急を告げたルイズは、『魅惑の妖精』亭へと戻る道すがらトマからバルビエ副伯の名を聞き出すと

エメをさらったメイジの行き先に心当たりが浮かんだのか、すぐさま部屋に戻り隠していた杖と許可証を取り出してきたのだった。

流石に杖を手にした彼女を見てトマは目を白黒させていたが、せっぱ詰まった状況の中どういう事かと聞くような真似はせず

『魅惑の妖精』亭を飛び出し再び駆ける彼女の後を才人と共に無言で追った。

ルイズが白く背中が大きく開いた妖精の衣装のまま向かった先は、果たして貴族街の警備隊の詰め所であった。

血相を変え呼吸も乱れたまま詰所に駆け込んだ彼女は、優雅に部下とハーブ・ティーを飲んでいた隊長にアンリエッタの許可証を再び提示して

馬を二頭徴発し、愛想笑いを浮かべて何事かといぶかしげる隊長を尻目に馬に跨る。





「あの、ミス、今度は一体……」


「説明は後! いいこと? 今夜王家の森付近で騒ぎが起こるわ。
 あんたたちにはそこでの警察権なんてないんだから、大人しく馬をよこしせばいいの!」


「は、はい!」


「サイト! トマ!  "話" は付いたわ! そっちの馬で行くわよ!」


「行くって、どこにだよ?」


「森よ。理由は後で話してあげる。今は急がないと!」


「あの、ルイズさん。その、僕、馬には……」


「わかってるわよ! あんたはサイトの後ろに乗りなさい、早く!」





焦ったような、怒っているかのような剣幕で急かされて、サイトとトマは慌てて警備隊の隊員が引いていたもう一頭に跨った。

ルイズはその様子を確認するや、すぐに馬の尻に鞭を入れ走らせる。

続いて才人も馬の尻に鞭を入れ、彼女が駆る馬の後を追った。

先頭を走るルイズの馬は、トリスタニア北西の城門へと向かっている。

その城門の先には王家が狩りや避暑に使う森が広がっており、貴族達の別荘も多く建っている。

どうやらルイズはその森に向かっているらしいと、才人は馬を操りながら考えていた。

先導するルイズが操る馬は、彼女の特技であるだけにかなり速い。

後に続く才人とトマが乗る馬も決して遅くは無かったが、二人乗りという事もあって徐々に距離が開きつつあった。

やがてルイズは才人達よりも先に、森へと抜ける城門へたどり着いた。

門は夜分ということもあり、固く閉じられている。

彼女は馬から飛び降りると、肩をいからせながら門を守備している兵士に近寄った。

兵士はまるで商売女のような出で立ちのルイズを見て、一瞬ニヤけたがすぐに職務を思い出し手にしていた杖を構える。





「止まれ! こんな時間に何奴だ?!」


「門を! 門を開いて頂戴!」


「なんだ、お前。門は明日の朝まで開かぬ。それにそんな格好で……怪しいな、ちょっとこっちに来い!」


「いいから、今すぐ――もう! これ! 私は! 王宮の! 女官なの! いいからとっとと隊長呼んでこないとクビにするわよ!」





怒鳴りながらずい、と兵士の目の前にアンリエッタの許可証を突き出すルイズ。

兵士はその書状を暫く眺め、最後の王家……それも女王直々の署名を見るやみるみる内に顔色を青くした。

彼ら城門を守る兵士に限らす、トリステインで働く兵士や役人はまず最初に王家の署名の見分け方を叩き込まれる。

特に女王を始め王家の者直々のサインなどはある一定のルールを孕んでおり、緊急時には末端の者に提示しても

その効果を発揮できるようになっていた。

無論、偽造防止の為に階級によって開示されるサインの見分けなど色々と細かい決め事があるのだが、ルイズの持つ書状は本物である。

兵士は突然、バネ仕掛けの玩具のように直立不動で敬礼の体制を取り非礼を詫びた。





「申し訳ありません、ミス!」


「いいから! さっさと門を開いて!」


「ミス……それが、その……」


「あによ! クビになりたいっていうの?!」


「いえ、滅相もございません! 実は、門を開く為の "鍵" を隊長が持っていまして、その、我々では……」


「その隊長はどこ!?」


「それが……今日はもう自宅に戻られました……」


「はぁ?! いいわ、他に門を開ける者はいないの?!」


「副隊長ならば……しかし、副隊長殿も今日はその、私用で既に……」


「どうなっているのよ!! あんたたち、この城門の守備部隊でしょうが! まったく、隊長と副隊長揃いに揃って」


「申し訳ございません!」


「まったく、姫さまに報告しとかなきゃ。
 いいこと?! さっさと隊長か副隊長を呼んできなさい。十分待ってあげる。
 もし間に合わなかったら、あんたクビよ、クビ。その時はついでにこの門も実力行使で破るから、その責任もとってもらうからね!」





兵士は青ざめた顔を更に青くし、短く裏返った声で返事をするとドラゴンから逃げるかのようにその場から走り去った。

丁度その兵士と入れ違うように才人とトマが追いついて来て、馬から降り閉じた門の前でイラつくルイズの元へ駆け寄る。





「ルイズ、どうした?」


「どうしたもこうしたも、門を開くことが出来る奴がいないのよ」


「あちゃあ……」


「そんな! 姉さんはこうしている間にも――」


「わかってるわよ。今呼びに行かせてたわ。でも時間が惜しいのも事実だしね、サイト。
 あと十分程して門が開かなかったらこの門を例の槍で破壊しましょ」


「おいおい、流石にそれはまずくねえか?」


「いいのよ、守備部隊が機能していない門なんて必要ないでしょう? 責任は隊長が取るだろうし、あんたは心配しなくていいわ」





ルイズはそう言い捨てると、黙り込んでしまった。

トマはというと、実はメイジであるとわかったルイズには近寄りがたいのか、少し離れた場所で門を焦れたように睨んでいる。

実に気まずい、ピリピリとした雰囲気だ。

ルイズもトマも、焦りに焦っている。

勿論才人にも焦りはあったが、この二人のように我を見失いかけるほどではない。

才人は恐らくはこの先待ち受ける戦いに、その焦りが大きな落とし穴になりかねないと感じて

せめてルイズの気だけでも紛らわそうと彼女に努めて、少し明るく話しかける事にした。





「なあ、ルイズ。そう焦るなよ」


「……わかってるわよ。でも、仕方ないじゃない」


「何が?」


「あの子……私の目の前でさらわれたのよ?」


「仕方ないだろ。お前、その時は身分偽ってて杖も持ってなかったんだし」


「でも! 私は……貴族よ」


「だからなんだよ。殺されるってわかってて突っ込むのが貴族なのか?」


「敵に後ろを」


「見せてねえよ、お前は。ただその時、行動に移すワケにはいかなかっただけさ」


「……きっと、助け出して見せる」


「ああ。俺とお前……ついでにトマの力でな」





うつむくルイズに才人は優しくそう言うのだった。

彼女の焦りの正体は、エメを助けることができなかったという罪悪感から来ているらしい。

それはルイズのせいではないと言葉の上では多少納得したようであったが、やはり気持ちが整理できないのか

ルイズは唇を噛み俯いたままであった。

才人はそんな彼女の様子を見て、話題を変えることにした。





「そういやさ、俺たち何処に向かっているんだ? バルビエって奴の屋敷に乗り込むんだろ? 貴族街に無いのか?」


「違うわ。向かっているのは、そのバルビエの別荘よ」


「別荘? なんでまた……そもそも、なんでお前がバルビエの別荘なんて知っているんだよ」


「子供の頃、一度だけ……ワルドの別荘に招待されたことがあるのよ。婚約が決まって、その顔合わせの時にね。
 バルビエの別荘にはその時の帰りに立ち寄った記憶があるの。
 たしか、森の道に痛んでいた馬車の車軸が壊れて、修理させてる間に逗留したのがバルビエ副伯の別荘だったわ」


「よく覚えてるな、そんな昔のこと」


「そりゃ、王家の森でのしきたりを初めて教えてもらった日だし、それに――婚約者と始めて会った日だったしね。
 大公ともなると、こうやって下の身分の者の厄介になってあげることも大事なんだって父様が言ってたわ」


「へぇ。まあ、大公ともなると色々と大変そう "だった" しなあ」


「あら、そのあたりの記憶は残っているのね」





ルイズはそう言うと、悪戯っぽく笑った。

焦りは消え、花のような可憐な笑顔だ。

才人は彼女の微笑にニヤリと笑い返して、腰に片手をあてた。





「まぁな。虫食いになっちまったけど、まだまだ覚えてるぜ? たとえば」


「何コソコソ話しているんだよ才人! ルイズさん、門はまだ開かないんですか!」





波に乗ってきていた才人とルイズの会話は、開かない門に焦れたトマによって中断してしまう。

どうやら才人がルイズと会話しているのを機に会話に割り込んで、すこし話しかけづらかったルイズに門の事を聞きたいらしい。

焦り続けていたトマは、ずっと彼女にまだ門は開かないのかと問いたかったのだろう。

ルイズは再び険しい表情に戻り、トマの方へ美しい鳶色の瞳を向けた。

その表情からは焦りは大分消えている。





「門を開く鍵を持つ隊長がここには居ないのよ。今そいつを呼びに向かわせているから、もうすこしの辛抱よ」


「でも! こうしている間にも姉さんは! その隊長は今どこなんですか?!」


「自宅だそうよ。まったく、城門の守備部隊の隊長が詰めていないなんて怠慢もいい所だわ。
 報告してやるんだから」


「それよりも、ルイズ。本当にそのバルビエって貴族がエメと別荘に居るのか?」


「証拠はないけれど確信はあるわ。
 大体状況からいってエメを手に入れたがっている人物なんてそいつしか居ないじゃない」


「ルイズさん、別荘というのは? もしかしたら、貴族街にある自宅の可能性があると思うんですど?」


「あのね。貴族ってのは後ろめたい事を王都の、それも王家のお膝元である貴族街の自宅で堂々と行うと思う?
 そもそも貴族街の屋敷は大きいけれど割り当てられる土地は狭いわ。
 貴族街にある、かのヴァリエール大公の別宅のお屋敷に入ったことあるけれど、それでもせいぜい大きな宿程度の広さしかないのよ?
 そんな大貴族でさえ狭い屋敷を利用しているのに、副伯ごときがそれ以上大きな屋敷に住んでいると思う?
 手狭なのよ、貴族街って。
 妙な事をしていればすぐに噂になるわ」


「それで別荘、ってわけか」


「ええ。王家の狩場でもあるあの森の別荘ならば、街からも近い上副伯程度の地位で建てる別荘なら森の外れになるだろうし。
 なにより、人目も気にしなくていいしね」


「姉さん……」





トマはルイズの説明に納得しながらも、心ここにあらずといった様子で門を見つめた。

傍目にもかなり焦っているようである。

才人はそんな彼の肩を叩いてから、振り向いた所で絹糸のような髪をわざとくしゃくしゃとした。





「わ、な、何を!」


「落ち着けって。気持ちはわかるがな、焦ってもはじまらねえだろ」


「でも!」





才人は言葉をさえぎるように、背にしていたデルフを抜いてトマに差し出す。

ところどころ刃こぼれした厚い片刃の刀身が鈍く、赤い月光を反射して怪しく光る。





「ほれ、貸してやる」


「え?」


「おう、相棒! 折角出番かと思ったのにいきなりそれはねぇぜ!」


「頼むよデルフ。いいか、トマ。相手はメイジだ。
 あのドニとか言う奴は俺が引き受けるが、バルビエってのも貴族なんだろ?」


「ああ……」


「エメを取り戻すなら、お前も戦う事になるかもしれねえ。もっとけ。デルフが魔法からお前を守ってくれる」


「あ、ありがとう」





トマは礼を言いながら、おずおずとその体格で扱うにはかなり大きなデルフリンガーを才人から受け取った。

ずしりとしたその重みに、受け取った直後にすこし腕が下がる。





「仕方ねえな。ふん、不本意だが今回は守ってやる。感謝しろよ? 坊……」


「どうした? デルフ?」


「坊主、おめ……」


「?」


「……まあいいや。いいか? お前さんの体格と腕力じゃ俺様をとっさに鞘から引き抜くなんて無理だ。
 このまま俺様を持っといて、相棒の馬に乗り込みな」


「あ、ああ。わかった」


「ちょっと才人、そのボロ剣を他人に貸してあんたは大丈夫なの?」


「ああ、俺にはこれがあるからな」





才人はそう言って、地面から槍を一本、作り出して見せた。

細く2メイル程のシンプルな形の槍である。

トマは大地からいきなり出現した槍を見て、目を開いて驚いた。





「サイト、お前もメイジだったのか!」


「いや? メイジは "妹" のルイズの方さ。俺のは手品だ。あ、ルイズの事も含めてこの事は口外すんなよ?」


「お前たち兄妹は一体……」


「話はそこまでよ。どうやら隊長がやっと来たらしいわ。
 私は話をつけてくるから、あんたたちは馬に乗ってここで待ってて。
 いい? 門が開いたらすぐさま森の道なりに馬を走らせて。
 最初の分かれ道を左に進んで、まっすぐ行けば副伯の別荘へと出るわ。私もすぐに追いつくから先行して」





才人の刺した釘も何処へやら、一時焦りを忘れ呆然とするトマの台詞をルイズは遮り隊舎の方へ顎をしゃくった。

二人がそちらの方を振り向くと遠くに赤い月光に淡く照らされた人影が二つ、慌ただしくこちらに走り寄ってきている。

才人達がたむろする場所へやって来る時間も惜しいのか、その人影を見ていた二人を置いてルイズも彼らの方へ駆け出した。

恐らくは門の守備隊の隊長と彼を呼びに走った兵士の二人に合流したルイズは、ニ、三なにか言葉を交わした後

門からすこし離れた場所にある守備隊の詰め所の方へそのまま消えていった。




「トマ、俺たちも用意しとこう。ほら」





残された才人は馬に跨りながらトマに早く馬に乗るよう促す。

トマははっと我に返り、抜き身のデルフを片手に馬によじ登ろうとしたが、片手で体を引き上げることができず手間取ってしまう。

才人はそんなトマの手を取ってやり、強引に引っ張り上げた。

その少年の体は驚くほど軽く、背にした体はわずかに震えている。

無理も無い

これから初めてメイジと戦うというのだ。

姉の事があるとはいえ、平民である彼に恐怖が無いといえば嘘であろう





「心配すんな。俺やルイズがついている」


「あ、ああ」


「デルフ、トマを頼んだぜ?」


「任せとけ相棒! おい、か弱い子猫ちゃん! 俺様がしっかり守ってやるから大船に乗ったつもりで居ろよ!」


「だ、誰が子猫ちゃんだ!」


「なんだあ? れもんちゃんが良かったか?」


「何がれもんちゃんだ! 今時どんなにラブラブな恋人同士でもそんな恥ずかしすぎる呼び方はしないぞ!」


「おう、それでいいぜ子猫ちゃん! いい塩梅に震えがとまったな!」」





才人は二人のやり取りになぜか肩を落としながらも、それだけ悪態が付けるなら大丈夫そうだなと背に向かって声をかけた。

言葉にトマ一瞬口を開いて何か言おうとするも結局何も言わず、かわりに才人の腰に回した左手に少しだけ力を込める。

やがて、門は重苦しい音を立てながら開き始めた。





「いくぞ、トマ。振り落とされるなよ?」


「サイトこそ、道間違えるなよ!」





何気なく後ろを振り返った才人とトマの目が合う。

トマの大きなブラウンの瞳に赤の強い月光が入り込んで、キラキラと輝いていた。

その端正な顔を歪めさせていた恐怖と焦りもかなり薄くなっている。

何故か才人はこの時始めてトマの容姿に見とれてしまい、思わず顔に朱を差してしまった。





「なんだよ?」


「……うるせぇ。だから色男ってのはキライさ」


「わはは、相棒! 昔っから男色の英雄ってのも少なくねぇって言うし、そう照れるもんじゃねえぞ?
 あの嬢ちゃんも相手が男なら許して……いや、だめだな。それでもブッ殺されるか」


「な?! サイト、お前そんな目で僕を……」


「なわけねえだろうが! デルフ、茶化すなよ!」





歯を剥いてデルフに怒鳴った才人は、プィっと前を向いて再び開く門を見る。

高揚する心は強敵に挑む期待の為か、背後の美少年に不覚にも見とれてしまった為の自責か。

ゆっくりと大きな音を立て開く両開きの門は、馬一頭がやっと通れる程の隙間を作り出していた。

才人は頭を一度振って張り付いた耽美な意識を追い払い、馬に鞭を入れまだ完全に開いていない門の向こう

森の闇の中へと走らせるのであった。







赤い月の光も届かぬ闇の森を走る馬は一頭。

跨る者は二人。

才人は背に片手でしがみつくトマの事など気にも留めず、闇の中とにかく馬を走らせた。

道は豪華な貴族の馬車が往来するためか意外と広く、月光により照らされる森の道を進みルイズに言われた通り最初の分かれ道を左へと進む。

それからどの位馬を走らせただろうか。

やがて進む方向にわずかな、木々から漏れる赤い光ではない人の営みの光が点のように見えてきた。

恐らくはルイズが言っていたバルビエ副伯の屋敷の灯であろう。

才人がもうすこしだ、と後ろのトマに声をかけようとした時である。

いきなり眼前に赤い爆炎が広がった。

馬は突如出現した炎に慌てながらも、その勢いのまま炎と爆風の中に飛び込んでいく。

同時に闇の森に広がる炎と共に周囲の木々が均等に地に倒れて土へと変わり、炎を中心とした広く大きな円形の広場が出現した。

巨大な炎と広場はまるで巨人が起こした焚き火のようで、二つの月をも燃やさんと夜空を照らし出す。

その広場の中心で燃え盛る巨人の焚き火の中から、薪が弾けるように一筋の火線が弧を描いて道なりに落ちた。

トマを抱いた才人である。

才人は爆炎を見た瞬間、とっさに背後の自分より小柄なトマを抱き炎から庇いながら馬から飛び降りたのだった。

地に落ち転がる才人の体はそこかしこに酷い火傷を負い、衣服にはほんの少しだけ火が残っている。

対照的に咄嗟に庇われ抱きかかえられていたトマは、多少の火傷を負ったものの殆ど無傷で

うめきながら才人の体の下から這い出し自分を庇った彼の惨状をみるや、あわてて才人の服に残る火を手で払い消した。





「いちち、トマ、怪我無いか?」


「ば、馬鹿! 他人の心配をしている場合か! 酷い怪我してるじゃないか!」


「いいんだよ、俺は。それよりもお前はどうなんだ?」


「ああ、サイトが庇ってくれたから少し髪の端が焦げた程度で済んだ。そんなことより、じっとしてろって」


「そういうわけにはいかねーだろ。ほら」





心配するトマを押しのけながら立ち上がる才人が指差した先には、消えつつある炎に照らされて人影が三つ浮かんでいた。

あれほど大きかった先ほどの炎は見る影もなく、地面に所々小さく散らばり円形の広場となてしまった森の道にふたたび月光がふりそそぐ。

三つの影を確認したトマは、才人に抱きかかえられ地に落ちた時も手放さなかったデルフを構えながら生唾を飲み込んだ。

才人もまだ煙が立ち上る衣服もそのままに、トマを庇った時に放り出した槍の換えを作り出す。

炎は爆炎に突っ込み広場の中央で息絶え転がる馬を執拗に焼いていたが、やがてすべて消えてしまった。

それを見計らったように三つ並ぶ壁の真ん中の人物が一歩前に出て、人の言葉を発した。





「また会ったな、イーヴァルディよ」


「ドニか」


「今度は邪魔は入らぬ。お前たち、手出しはするな。横にいる者は任せる。確実に殺せ」





殺気が膨らみ、場に満ちる。

それに呼応した才人が槍を構え、続いて隣のトマがデルフを両手に持ち前に突き出した。

一瞬の静寂と緊張の後、まず動いたのはドニではなく彼の両脇にいた二つの影であった。

影はドニの命令に足音も立てずトマに向かって走り出し、杖を突き出す。

しかし、硬くデルフを構えるトマに向けて詠唱の言葉は紡がれる事は無かった。

一人が突然走っている途中で倒れこみ、その異変に足を止めたもう一人も糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちたからだ。





「な、なんだ?!」


「うぬ?」





困惑するトマとドニ。

唯一何が起きたかを知る才人は、その姿を確認して僅かに笑う。

はたして崩れ落ちる二つ目の影の後ろから、柔らかな月光に映える白い影が新たに現れた。

『魅惑の妖精』亭の白くきわどい衣装にその身を包んだルイズである。

杖を持っている方の反対の手には、その衣装と同じように白く輝く刀身の短剣。

"毒竜の牙" と呼ばれる麻痺の秘薬を仕込んだ暗殺用のものだ。





「悪いけど、あんたたちの相手をしている暇ないの。邪魔しないでくれる?」





ドニは "背後" からその声を聞き取るや、考えるよりも先に疾風のような速さで身をよじった。

彼の脇を白い短剣が後ろから通り過ぎる。

いつ、どうやって移動したのか。

つい先程まで地に倒れる部下の側にいたはずのルイズに、ドニはそのまま距離をすこし開けながらも

短剣を突き出し体勢を崩している彼女に杖を向けた。

杖の先から火球がほとばしり、ルイズに迫る。

決して避けられぬ最高のタイミングだ。

しかし、火球が焼いたのは白い影でなく5メイル程先の地面であった。





「才人、あいつは任せるわよ。不意打ちを避けるくらいだから、手こずりそうだし。
 それに私の魔法も温存しときたいし、エメも心配だからね」


「おう。トマも連れて行ってやってくれ。俺たちの馬はディナーにされちまった」


「わかったわ。トマ、ついてらっしゃい」





愛らしいその声にドニはあわてて再び才人たちの方へ振り向いた。

先程まで自身のすぐ側にあった姿をそこに確認し、暗いローブの中で目を開く。

まただ!

一体どうなっているのか!?

たしかに、たしかにさっきまで "そこ" に居たはずなのに……

ドニは内心、彼には珍しくも激しく混乱していた。

そんな彼の眼前では "魅了の青い鳥" の弟が遠目にもわかるほど困惑しながらも、あの妙なメイジと共に馬に乗り込んでいる。

先程焼いた馬とは別の、恐らくはあのメイジが乗ってきた馬であろう。

普段の彼であればこの機会を逃さず魔法を打ち込むのであるが、この時のドニは判断を誤り慎重になりすぎていた。

逆に一刻でも早くエメを助けたい才人達には願っても無い、僅かな時間でも在る。

やがて馬に乗り込んだ二人が才人の隣まで歩を進め、黒く焦げたもう一頭の馬を挟むようにしてドニと対峙した。

その馬上から前を見据えたまま、小さなメイジがその使い魔に声をかける。





「アイツの横を駆け抜けるわ。ちょっかい出してこないよう、けん制なさい」


「あいよ、ご主人様もくれぐれも油断しないようにな」


「ふふん、もちろんよ」


「お、おい、サイト」


「あんだよ、トマ」


「サイトやルイズさんが普通じゃないのはわかっているけどさ……死ぬなよ?」


「なんだ、らしくないなお前。心配すんな、どの道俺は当分 "死ねない" しな。お前こそ、デルフ無くすなよ?」





才人はそう言って、馬上の二人を見上げニカっと笑いかけた。

歯を見せ、人懐っこく笑うその笑顔にトマは釣られて笑い、ルイズは愛しそうに微笑んで返す。

次の瞬間。

神速の速さで才人は手にした槍をドニに投擲した。

槍は、 "グリムニルの槍" は甲高いうなりをあげてドニの足元へ吸い込まれ、轟音と共に派手に爆ぜた。

同時にルイズたちが乗る馬が、舞い上がった土煙とパラパラと落ちてくる土砂の中へ踊り込む。

一方ドニはというと、槍を回避する為に上空へと逃れていたが予想外のその威力に再び驚愕していた。

しかし。

彼も戦闘に特化したメイジである。

一拍間をおき、すぐに冷静さを取り戻した彼は屋敷の方を向いて土煙の中から出てくるであろう馬を狙い撃ちすべく杖を構える。

が、その思惑はあっさりと破られてしまうのだった。





「お前の相手は、俺がしてやるよ」


「な?!」





宙に浮く自分の目の前に、細身の槍を振りかぶった才人の姿。

慌てて体を下に移動させ、横薙ぎの一閃をドニは避けた。

そのまま土煙の中へと一時退避する。

才人は姿をくらましたドニなどお構いなしに、今度は上空から地に向けて手にしていた槍を投擲する。

再び雷鳴に似た爆音を立てて再び土砂が水柱のように空中へ舞った。

地へ落下しながら才人は、土煙の中を抜けバルビエ副伯の屋敷へと続く道を駆ける馬影を確認して胸をなでおろす。

それから着地と同時にもう一度槍を作り出し、副伯の屋敷へと続く道を塞ぐように移動して敵の気配を探った。

後方、屋敷の方向には気配はない。

前方の土煙の中からは人の気配こそ感じないものの、強い殺気のような物を才人は感じ取った。

しかし、相手は攻撃してこない。

こちらの位置は間違いなくバレている。

なぜだ?

なぜ、攻撃してこない?





「驚いたぞ、イーヴァルディ。まさか、これほど強力な攻撃をしてくるとは思っても見なかった」





掛けられた声は、何処か余裕を感じさせた。

才人は声のする方角を頼りにその槍を三度投擲しようとして、ある異変に気がつく。

声が壁に阻まれているかのように遠い。

更にうっすらと晴れゆく視界の先に、大きな土の壁が出現していた。

壁は才人を囲むようにぐるりと四方にまるく作られている。





「一つ、良い事を教えてやろう。俺の系統は "土" だ。
 ガリアの火竜山脈に近い地方で生まれでな、主筋の貴族が鉱山経営をしていてよくこういった "事故" が起きたものだ」





言葉に才人ははっとする。

夜なので良く見えないが、明らかに周囲の土煙の質が変わっている。

しかも晴れていくどころか更に濃密になっている事に気がついた。





「今度は空気の壁でなく、丈夫な土の壁で "閉じ込めた" から今までの比ではないぞ? 死ね、イーヴァルディ」





しまった!

ルイズ達を追わせまいとここに陣取って動かなかった事が仇になった!!

そう胸中で一人ごちて、才人はルーンを強く輝かせながらその場を跳び去ろうとする。

しかし、それもかなわない。

逃げようとする才人を阻むように、地面から触手のような土の手が足に絡みつく。

土系統の魔法、 "アース・ハンド" である。

慌てて才人が力任せに片足の "アース・ハンド" を引きちぎった時、何かが足元に投げ込まれた。

それは小さなガラス瓶で中には粉状の物が入っている。

投げ込まれた時の衝撃で小瓶はあちこちひび割れ、今にも砕け散ってしまいそうだ。

これから何が起きるのか理解している才人の目の前で、小瓶の中の粉状の物が激しく光を放ち始める。

やがて小さな激しい光がひび割れた小瓶を内部から破壊してしまった時。

ドニが作り出した閉じた空間の中でその火花が、蔓延する炭塵に錬金された土煙に燃え広がり、火花が火に。

火が炎に。

炎が爆発に変わる。

炭鉱などで起こる、炭塵爆発が再現されていく。

その威力は凄まじく、学院の塔ほどもある巨大な火柱が土の壁の内側、才人をすっかり包み込んだのだった。










ルイズとトマが振り返りその巨大な火柱を見たのは、バルビエ副伯の屋敷を目の前にした時であった。


















[17006] 5-8:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄7
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/17 23:19










爆炎の塔は王家の森の夜空を紅く染め上げ、月にまで届きそうな程高くそびえて消えた。





バルビエ副伯の屋敷にたどり着き、質素な門扉に伸ばした手を止めて天を焦がすその炎をルイズは見つめる。

唇を噛み眉根を寄せ美貌を曇らせたその表情はどこか、焦りと不安がにじみ出ていた。

彼女の隣で同様に出現した炎の塔を見ていたトマも、ルイズと同様にいやさらに焦りを色濃く顔に映して夜空を見上げる。





「ルイズさん! あれは……」


「……サイトは魔法が使えないわ。あれは恐らく、あのメイジの物でしょうね」


「助けにいかないと!」


「サイトなら――大丈夫よ。それに目的を見失っちゃだめよ? 私達はエメを助けにきたんでしょう」


「っ! で、でもあんな炎を受けたら、いくらサイトでも!」





トマの言葉をルイズは無視して再びバルビエ副伯の屋敷の門扉の方を向いて、ゆっくりと伸ばしていた手を扉に当てた。

静寂を取り戻した夜の森に、錆びた鉄の擦れる音が響き渡る。

門はあっさりと開いて、館までの小さな中庭が目の前に現れた。





「ルイズさん!」


「行くわよ、トマ。エメが待っているわ」


「でも! サイトさんの事が心配じゃないんですか?!
 姉さんだって、誰かを見捨ててまで助け出されてもきっと悲しみます!」


「……心配してるに決まっているじゃない。そんなの、当たり前よ」


「だったら!!」


「――だけど、それ以上に信頼してるの。そんなの、当たり前じゃない」





ルイズは小さくそう言って、自身の迷いを振り切るようにさっさと門の中へ入っていった。

トマは何かを言おうとして口を開いたがそれ以上言葉を紡げず、渋々彼女の後を追う。

しかしすぐに立ち止まってしまい、もう一度炎の柱があった夜空を見つめた。

その表情は心配と不服で彩られている。





「おう、坊主! 相棒なら心配いらねって。夕方に言ってたろ?
 タチの悪い魔女にかけられた呪いのおかげで、簡単には死ねない体になってんだ。相棒は無事さ。
 それに、嬢ちゃんの気持ちも察してやれよ」


「デルフ……うん、そうだな。今は、姉さんが先だ。僕がどうかしてたよ」


「わかりゃ、それでいい。ほれ、はやく行かないと嬢ちゃんに」


「トマ! はやく来なさい! いい加減切り替えないと、置いていっちゃうわよ!」





トマがデルフと話している間に門と館の間、中庭の中央まで進んだルイズが少し八つ当たり気味にがなった。

慌てて駆け寄ろうとしたトマだったが、またもその足を止める。

今度はバルビエ副伯の館の方を見て。





「驚いたな。ドニの魔法の音を聞いて見物に出てみれば、まさかネズミが二匹入り込んでいたとは」


「バルビエ! 姉さんを何処にやった?!」


「……薄汚い平民の分際で私に話しかけるな。口の利き方をしらんゴミめ」





ルイズがトマから屋敷へと視線を戻すと、いつの間に開いたのか先程まで閉じられていた屋敷の入り口が開け放たれていた。

開かれた扉の向こうは薄く明かりが灯っていて、その光を遮るように少し背の低い四十歳位の男が立っていた。

逆光となりその表情は見えないが "両手に" 杖を持っている事が伺える。

右手には普通の木製のような杖。

左手には美しい銀色の杖。

館の中から漏れる光が銀の杖をキラキラと鈍く光らせる。

ルイズはとっさに杖を持っていない方の手を横に差し出して、後ろのトマに手のひらを見せた。

高圧的にゴミ呼ばわりされ、何かを言い返そうとしているであろうトマに黙っているよう暗に示す為だ。

目の前の男の物腰から、平民であるトマが何を言おうとややこしくなるだけだという判断からの行為である。





「バルビエ副伯ね?」


「いかにも。失礼だがかような夜分、ミスのような如何わしい格好のレディの訪問を受けるような不徳はしていないつもりだが
 一体どのような要件かな?」


「私はアンリエッタ女王直属の女官よ。副伯、あなたにかどわかしの嫌疑がかけられているわ。
 アンリエッタ女王の名において、あなたとこの館に対し警察権を行使するから聞かれたことには嘘偽りなく答えなさい」


「ほう……また随分と妙な者が来たな。
 まあ、いいだろう。一体どのような了見で私にそのような嫌疑が?」


「とぼけても無駄よ。さっさとエメを返しなさい!
 彼女をさらったメイジがここへ来る道中邪魔した事からも、黒幕があんただって明白なのよ!」


「これはまた、随分と乱暴な言いがかりだな。道理も何もあったものではない。
 確かに今夜、私が雇っているメイジに屋敷に近づく者を排除するようにと命令してはいるが
 それ以外では彼が余所で何をしようが私が関知するところではないのだよ。
 そもそも、君が証拠として考えている事柄は、随分と根拠に弱いものだとは思わないかね?」


「……ええ、それは私も同感よ。無茶苦茶な内容で、言いがかり同然だってわかっているわ。だけどね?」





言葉を一旦区切って、ルイズはバルビエ副伯をその美しい鳶色の瞳で強く睨みつけた。

白く際どい衣装は赤みの強い月光をたたえて、彼女の薄いピンクブロンドと同様の色合いを醸し出しどこか幻想的ですらある。

肩は震え、食いしばられた真珠のように白い歯が口の端から見え、杖を握り締める左手はギリと音を立てた。

そして、トマを制する為に横へと突き出していた右手の平をぎゅっと握り締めながら、彼女は憤怒を言葉に紡ぐ。





「私の、サイトを、傷つけた奴を、許しておくはずがないでしょうが!!
 黒幕があんたなのはわかってんのよ! ガタガタ言わずにエメを出しなさい!」





沈黙。

静寂。

ルイズは溜め込んでいた怒りを言葉に乗せ、ここぞとばかりに外へと発露させている。

トマとバルビエ副伯は驚愕を顔に浮かべながらも、ルイズのあまりにあまりな言い分にあきれ返った。





「あの、ルイズさん?」


「うっさい! あんたは黙っていなさい!」


「……まさか、そのような理由で今夜ここへ来たのかね?」





冷たい、あきれ果てたような両者の視線を前後から感じて、ルイズは少しだけ冷静さを取り戻した。

それから今の己の姿を取り繕うように、腕を組んで目を細めながら口を尖らせる。





「ふん、状況から行ってアンタ以外に犯人なんて居るはずないじゃない。
 証拠なんて "これから" 集めればいいのよ。
 言ったでしょ? 手始めにこの屋敷から検めるってね。
 大体私はね! こんな茶番とっとと終わらせて、早くあのメイジの所に戻ってボコボコにしてやらないと気がすまないの!
 さっさと元の生活に、アイツと二人で水入らずの生活に戻りたいの!
 わかる?! あんたが私の邪魔をしてんのよ!!
 しらばっくれるなら、屋敷ごとあんたを灰にしてやるわよ!?」





苦々しく言い放ち、最後には再び語尾を荒げバルビエ副伯を睨みながらビシっと指をさすルイズ。

副伯はそんな彼女を暫く呆れ顔で眺めていたが、唐突に含み笑いを始めた。





「あによ!」


「ク、ククク、そんなつまらん理由で今夜邪魔が入ったのか。
 ちと困らせてやろうと思ったが、まさかこんな小娘の逆恨みからここを突き止められていたとは夢にも思わなかった!」


「うっさい!」


「まあ、いいだろう。
 どうせ屋敷を調べられたらバレてしまうし、口封じもせねばならん。時間も惜しい。」


「じゃあ、やっぱりここにエメが居るのね?」


「うむ、君の読み通りあの平民の娘はこの館の地下室にいるぞ?
 まだ生きてはいるが……早くいかないと手遅れになる。
 そら、はやく助けに行ってやれ」





副伯は意外にもあっさりと事実を認め、一歩下がり屋敷の中へ入るよう顎でシャクってみせた。

余裕たっぷりなその態度にルイズは訝しげ、何か罠があるのではと怒りで白濁させながらも思考を巡らせる。

対照的に副伯の言葉にいち早く反応したのはトマで、たまらず駆け出しルイズの脇を走り抜けて

無防備にも副伯のすぐ側を通って屋敷の中へ消えていった。

バルビエ副伯は口の端を上げながらも特にその場から動かず、両手に杖を持ったまま屋敷に入るトマの姿を見送る。





「……何を考えているの? かどわかしの罪をあっさりと認める程正直者には見えないけれど」


「なに、罪を認めても問題ないからな」


「私達をここで口封じするからって事なんでしょうけど、お生憎さま」


「その手もあるが…… "これ" が仕上がったのでな。
 別にお前達を殺す必要もないし、明日には女王陛下すら私の意のままとなるのでね」





副伯はそう言って、両手に持った杖の内銀色の杖を掲げてみせた。

僅かな光を反射していた杖が鈍く、青白く光り始める。

何かされる?!

とっさにそう判断したルイズは、白い麻痺の短剣を副伯へ突き立てるべく "加速" を短く詠唱した。

動けるのは一瞬。

しかし、その一瞬は副伯の背後に回り込み強力な麻痺の短剣をほんの少し背中に掠らせるには十分な時間である。

果たして "加速" が発動し、ルイズに一瞬の時とガンダールヴをも凌ぐ超高速移動の力が与えられた。

虚無の圧倒的な力を発現させたルイズは、腰の短剣へ手を伸ばそうとして異変に気がつく。

体が、動かない。

否、体が段々と動かなくなって行く。

なぜ?

疑問と共にルイズに与えられた一瞬は終わり、次の数瞬の内に彼女は意識もあっさりと手放した。

最後に覚えていたものは青白く輝く銀の杖であった。









「姉さん! 姉さん、どこ?!」





一方トマは屋敷の中を走り回り、姉の姿を探し続けていた。

副伯が地下室に居ると言っていたことは覚えているものの、勝手分からぬ貴族の屋敷である。

トマは厨房や食堂へ足を踏み入れ無駄に時間を浪費しながらも、それ程間を置かず書斎の隣にあった扉を開け地下室への入り口を見つけた。

薄暗い地下への階段からは少しカビ臭い臭いが吹き上がって来る。

僅かな躊躇を振り払いつつもトマは足元も確認しないまま、その階段を駆け下りた。

魔法のランプのようなものが等間隔で配置されたその階段は、深く薄暗く地下へと続いてまるで地下牢のようである。

やがて足を滑らせかけながらも階段を降りるトマの眼前に、薄汚れた頑丈そうな扉が出現した。

荒い息と転げるように階段から降り立った勢いもそのままに、トマはその扉を押す。

扉は少々重かったがあっさりと、不快な音を立てて開く。





「姉さん!」





叫びながら地下室の中へと身を滑り込ませたトマは、その光景に絶句し立ち尽くしてしまった。

心臓は暴れ馬のように跳ね上がり、重いデルフを思わず手放しそうになる。

部屋は大小のランプで照らし出され、降りて来た階段よりも明るかった。

そこにあったのは、様々な拷問道具とそれらに繋がれたままの人間の死体とその破片。

しかし、そのどれもはトマの視界に入ってはいない。

トマの視界にあったのは、部屋の中央に吊るされた姉だけであった。





「姉さん!」





少し間を置いて目の前の事実がやっと意識に届き、悲痛な叫びをあげながらもトマはデルフを放り出して姉の元へ駆け寄る。

エメは両手を地下室の天井に張り巡らせられた梁から鎖で吊るされており、所々鞭打たれたのか着衣が無残にも艶めかしく裂かれていた。

トマの呼びかけには反応はなく、短めのスカートから伸びる白い足には何か赤い蔦のようなものが絡み付いている。

蔦は吊るされたエメの足元にある奇妙な箱の中から生えており、箱の側面の蓋が開いてそこに彼女のものと思わしき血が滴っていた。

どうやら絡みついた者の血を抜き取る魔具か魔法生物らしい。

トマは姉の白いふくよかな足に絡みついた蔦を真っ先に外そうと試みたが、まるでエメの足の一部のようにびくともしなかった。




「姉さん! 姉さん! くそ、離れろ! こいつ、離れろよ!」


「う……」





トマの呼び掛けにエメは僅かに呻いて答える。

息も絶え絶えではあったが、それでもその声は生きているという事実をトマに認識させるには十分なものであった。

トマはその声に焦りを強め、更にに強く強引に蔦を引っ張ってみる。

蔦はメリメリと音を立ててゆっくりとエメの足から剥がれかけたが、同時にその痕から血が流れ始めた。

どうやら蔦から細い根のようなものが無数に生えていて、エメの足に深く食い込んでいるらしい。

トマは出血した姉の足を見て慌てて手を蔦から離し、次に姉を吊るしている鎖を外そうと試みた。

しかし、足に絡みつく蔦がエメをわずかにではあるが引っ張っている事と、高い位置で固定されている為に試みは上手くいかない。





「くそ、何か、方法が……そうだ! デルフ! デルフで蔦を斬って……」


「おいおい、やめとけ坊主! 相棒じゃあるまいし、足に絡みついた蔦だけ斬るなんて芸当がお前にできるか!
 それにその絡み付いている奴は恐らく魔法生物か魔具の類だ。迂闊に壊すと剥がれなくなるぞ?」


「じゃあ、せめて鎖だけでも!」


「バカ! 斬鉄の方がもっと難しいに決まってら! 余計なことせずに嬢ちゃん呼んでこい!」


「ルイズさんを?」


「おう、嬢ちゃんならその魔具だかなんだかの魔法を解除出来るはずだ。それに鎖も魔法で何とかなるだろうしな!」


「そ、そうか! じゃ、早く呼んで――」


「……マ……」





デルフの助言を聞き、放り出してしまていた大剣を拾い上げながら一目散に階段を駆け上がろうとしていたトマの背中に

かすかな、苦しげで消え入りそうな声が届いた。

声の主は朦朧と意識を取り戻したエメである。





「姉さん! まってて、今助けを」


「ト、マ、聞い、て。エヴラール様は、……副伯は」


「だめだ姉さん! 傷に触るからしゃべらないで!」


「彼が持つ、銀の "くちばし" は、 "青い鳥" の血で、覚醒、するの」


「姉さん?!」


「トマ、わた、しの事はいいから、逃げて。お父様が恐れていた、事に、な――」


「何を恐れていたのかね?」





聞き覚えのある声に、トマは後ろを振り返らず姉の元に駆け寄ってデルフを地下室の入り口へ向け構えた。

やがて扉が開いたままの入り口の向こう側、暗い階段からすこし背の低い影がゆっくりと現れる。

館の主、エヴラール・バルビエ副伯その人であった。





「バルビエ、よくも姉さんを! ルイズさんはどうした!」


「……エメ、君の父親は何を恐れていたのかね? もしかして、青い鳥についてあの男は何か知っていたのか?」


「エヴ、ラール様……もう、やめて、くだ、さい……」


「答えろ! バルビエ!」


「うるさいな。あの娘ならほら、この通り」





そう言ってバルビエ副伯がすこし体をずらすと、その背後の階段に茫としたルイズが立っていた。

目は虚ろで空の一点を見つめ続け、そこに意志は全く感じられない。





「ルイズさん?!」


「流石は "魅了の青い鳥" のくちばしだな。詠唱も無しに一瞬で魅了できたぞ、エメ。
 だがすこし "縮んで" しまった。どうやら使えば使うほど元のくちばしに戻っていくらしいな、これは。
 エメ、 "計画" は万全を期したいのでな、悪いがまた血をもらうぞ」





ルイズを見るトマの視線を塞ぐように、バルビエ副伯はずらした体を元の位置に戻して

手にしていた銀の杖をエメにむけて掲げてみせた。

トマは副伯の背後に立つルイズの様子を気にしながらも、姉を守るべくバルビエ副伯に向けてデルフを構え、歯をくいしばる。





「トマ……にげ、て……」


「そうはいかない。君の父親が恐れていた事とやらを是非知りたいし、 "青い鳥の生き血" もまだまだ必要だ。
 君の口ぶりからそこの小僧も痣を持っていると見てまちがいなかろうしな。
 ふふ、私は運がいい。これだけ血があれば、女王陛下どころかリシュモン殿も操れるだろう」


「な?! バルビエ! お前、この国の貴族じゃないか!」


「いかにも。しかし、何れあの大国アルビオンにのみ込まれる運命を持つ国でもある。
 陛下はお前達平民の為、領土の為と徹底抗戦をなさるつもりらしいが……
 ふん、愚かなことだ。気高い志だけで戦には勝てぬ。
 だからこそ、私のような有能な者が陛下の側で助言を行う必要がある」


「お前……」


「ふん、まあ平民のお前に言ったところで理解できまい。取りあえず私の人形となってもらおう」





バルビエ副伯はそう宣言すると、持っていた銀の杖を取り出してトマに向けた。

杖は青白く光り、その光に同調するようにトマの体もうっすらと青く光る。





「む?」


「……な、なんだなんだ?! バルビエ! 僕に何をした!」


「まさ、か……効かない?! そんなばかな!」


「おう、坊主、今がチャンスだ! とっととそいつをとっちめな!」





副伯はトマに "魅了の青い鳥" の効果が効かないと判断するや、慌ててもう片方の杖を振りかざした。

トマも一瞬の逡巡の後この機を逃さず、デルフを正面に構えたまま体制を低くして副伯へと駆ける。

先に行動が終わったのはバルビエ副伯であった。

氷の槍、 "ジャベリン" を三つ作り出した副伯が姿勢を低くし己に迫るトマへと槍を飛ばす。

狭い地下室、距離もそれ程離れてはいない。

しかも相手はひ弱な平民である。

氷の槍は決して避けられぬ速さで目の前の無礼な平民に殺到し、串刺しにするはずであった。

しかし。

槍はあっけなく、まるで砂に吸い込まれる水のようにトマが持つ魔剣に吸い込まれてしまった。





「な?!」


「こ、のおおお!」





トマは石畳の床につきそうな程低く、這うように副伯へと迫る。

姿勢は低く。

剣を下から突き上げるように!

二の次の剣は考えずに、突け!!

心の端でそう叫びながら、不意の事態に慌てる副伯の喉元に向けて渾身の力を込め、トマは重い片刃の大剣を突き上げた。

副伯は咄嗟に身を捩って躱そうとするも、鋭い切先は彼の肩に刺さり激痛が全身を走る。

地下室にがらん、と副伯が持っていた銀の杖が転がる音が響き、やがて荒い息遣いが二つその音を塗りつぶした。





「うが、あ、おのれ、平民!」


「や、やった!」


「――あ……え? え? ここは?!」





副伯が銀の杖を落とすと同時に、階段の方から間の抜けたルイズの声がトマの耳に届く。

どうやら杖を手放すと、杖の効果が切れてしまうらしい。

バルビエ副伯は凄まじい憎悪を視線に乗せトマを睨んでいたが、ルイズの声を聞くや己の不利を悟り舌打ちをした。





「お、おのれ! こんな、こんなガキに私の計画が……!!」


「観念しろ、この悪党め!」





トマの言葉に怒りが炎のように燃え広がる。

しかし状況は副伯に罵倒を投げる時間すらも与えていなかった。

魔法を封じられた上女王の密偵まで元に戻っては勝ち目はない。

ここは一旦引くべきだ。

なんとかリュシモン殿と連絡をとって匿ってもらわねば、私の立場どころか命すら危うくなる。

激痛と憎悪で表情を染め上げながらも、バルビエは冷静にそう判断して刺されたままの剣を自ら後ろへ移動して引き抜き

なんとか落とさずに握っていた自分の杖を振り上げて "レビテーション" を詠唱した。

呪文は直ぐに完成し、未だ状況を呑み込めていないルイズを突き飛ばしながら副伯は猛烈な勢いで階段を上に飛んで行く。




「あ!」


「きゃあ!」





トマはバルビエ副伯が落とした杖を拾い上げ、階段から転げて尻餅をついているルイズを助け起こした。

短いスカートはまくり上げられ、無様にも両脇をリボンで固定するタイプのパンツを露にしていたルイズは

いちち、と言いながらも差し出された手を掴んでよろよろと立ち上がる。

それからすぐに先程の自分の体勢を思い返し、顔を真赤にしてトマに食ってかかった。





「み、みみみた?! 見えた?!」


「ルイズさん! そんな事よりも姉さんを頼みます!」


「え? トマ? あ、ここって……え、エメ!! トマ、これは一体……」


「話は後で! 今は姉さんを! 足に絡み付いている魔法の道具がルイズさんじゃないとダメだってデルフが言っていました。
 僕は副伯を追います!」


「あ、ちょ、トマ! 待ちなさい! こら! せめて見たか見てないか位、こら!」





ルイズの制止も聞かずトマは再び走り始める。

階段を駆け上がり館の外へ出て逃げた副伯の姿を追うが、既にその姿は跡形もなく消え去っていた。

眼前に広がる森は闇を湛え、空には二つの月。

トマは悔しさに口を固く結んで何処か、副伯が逃げた痕跡を探して辺りを伺う。

もしや、逃げずに館の屋根にでも登って反撃の機会を探っているのかも、と屋敷を観察していた時である。

門の向こう、トマたちがやってきた道が伸びる夜の森の方角から、耳をつんざく様な爆音が轟いた。

突然の轟音にビクンと肩を跳ね上げてそちらを向くと、夜空に先程見た爆炎の塔が再び出現しその光と月の光を背景に

森の鳥達が夜空に逃げまどっているシルエットが浮かび上がる。

どうやらまだあのメイジと才人が戦って居るらしい。





「サイト……」


「わはは、相棒の方は派手に暴れているらしいな!」


「なあデルフ。サイトは……本当に大丈夫なのか?」


「ああ、多分な。しかし相棒も因果なもんだ。
 どうしてこう、でかいドラゴンやら亜人の軍勢やら厄介な敵ばかり抱え込むんだろうな?」


「僕がそんなこと、しるかよ!」


「ま、そうだがな。……おい坊主、取りあえず姉ちゃん取り戻したことだし相棒ん所いくか?」


「え?」


「あのメイジ追うって言っても、この暗さで飛んで逃げられちゃ追いようがないだろ。
 相棒ん所に行こうぜ!」


「で、でも……流石にあんな炎を撃ってくるメイジ相手に僕一人が行っても……」


「バカ、何も坊主が戦う必要はねえよ。俺様を相棒に渡してくれればいい。
 あの槍は威力こそあるが、人間のメイジ相手だと大味すぎて結構やりづれぇんだ。
 それに相棒は槍についてはもっぱら投げるばかりだからな、多分手こずってるのもそのせいだろうさ」


「そ、そうなのか?」


「ふん、最初から殺す気でやってりゃ相棒ならあの程度瞬殺よ、瞬殺。
 まったく、妙な体になっちまってからこっち、相棒はなにかと直ぐに槍ばっか使って面白くねえ!
 大体、あんなもんに頼るから見ろよあのザマを。昔の相棒の方が余程強かったぜ。
 しまいにゃ俺様をこんなヒョロっ子にレンタルする始末だし!」


「デルフ……お前、もしかして妬いているのか?」


「うるせえ! いっちょまえの口聞くんじゃねえこのヒョロっ子!
 お前なんかお人形遊びでもしてればいいんだ!」


「お、怒るなよ、僕が悪かったよ。
 ……そうだな、バルビエの手がかりが見つからない以上、サイトの方に行こう。
 あ、でも僕、馬は乗れない……」


「……なあ、坊主。その杖、お前なら使えるんじゃねえか?」


「え?」


「俺様は持ち主の事はある程度 "わかる" んだ。おめ、色々と秘密かかえてんだろ? 例えば、 "青い痣" もっているとかな!」


「――!」


「理由は聞かねえから安心しろや。言いふらして面白い話じゃねえしな。
 それよりもだ、もしその杖使えりゃ "レビテーション" も使えるようになるんじゃねえか?」


「僕が……メイジになれる?」


「わかんね。だから試してみようぜ。そうだな、あのエバったおっさんはどうやら杖に生き血をかけていたようだし
 ちっとだけ垂らして様子見るってのはどうだ?」


「わ、わかったよデルフ。ぼぼ、僕がメイジに……」





トマは突然の話に戸惑いながらも、デルフを地に突き立てて持っていた銀の杖を見つめた。

杖は月光を反射し、トマの手の中で鈍く光っている。

暫しの逡巡の後、トマは意を決して左手の平をデルフの刀身に押し当てた。

美しい少年の眉根が歪み、直ぐに刀身を握る手を離して銀の杖を血が流れ出したその手で握り直す。

直後。

杖を中心として風が巻き起こり、青白い光がトマの体を包み込んだ。





「わ、わ、これ、なんだなんだ?!」


「坊主?!」





デルフの声は強くなる杖からの風にかき消されていく。

風は強風となりまるで竜巻のようにトマを包み込んだ。

トマは慌てて杖を手放そうとしたが、なぜか杖から手を離すことが出来ない。

うっすらとたまらず瞑っていた目をあけると、なんと銀の杖がどろりと溶けて手にまとわりついているではないか。

溶けた銀の杖はトマの左手を伝って全身に這い上がって来る。





「うわー! うわー! で、デルフ! た、助け」





声は更に強くなる竜巻の凄まじい風切り音によってかき消されてしまう。

それからどれ程時間が経ったであろうか。

やがて風もおさまり、後に残るのは静寂と一つの影。

影は、銀光煌めく出で立ちの影は、無言で側に突き立っていた剣を握るや赤い月光が強く降り注ぐ夜空へと音もなく飛び立つ。

その姿はまるで美しい鳥のように優雅で、まるで絵画を切り取ったかのようであった。

そんな幻想的な光景を無粋な歓声で彩る魔剣の声。





「おでれーた! 流石の俺様もこれは予想できなかったぜ坊主!」





しかし夜空を行く銀の影は、手にした魔剣の言葉に反応しない。

かわりに口を開け、声を発する。

声は言葉では無く、信じられないほどの美しい調べであった。

調べは夜の森に透き通るように響きわたり、風が走るように木々がざわめき始める。





「な、なんだなんだ?! おい、坊主! どうなってんだ? おいって!」





デルフの言葉にトマは変わらず反応しなかった。

一心不乱に美しい調べを口にのせて唄うばかりである。

もしこの場にルイズやタバサが居れば、唄の正体に気がついたのかもしれない。









目覚めた "魅了の青い鳥" は、魔剣を手に狂おしく唄いながら夜空を飛び続ける。

















[17006] 5-9:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄8
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/27 19:23










「煤火」のドニは酷く戸惑っていた。





久々に出会えた手応えのある相手の存在に、である。

まだ少年とも見て取れる敵は、彼が得意とする炭塵爆発の魔法を三度放っても未だ殺せずにいた。

一度目は奇襲で。

二度目は念入りに。

三度目は混乱の最中。

敵はその度に何事も無かったかのように立ち上がり、奇妙な槍を振りかざして挑んでくる。

馬鹿な?!

これは何かの間違いだ!

何故あの炎を、爆発をまともに受けて立ち上がれるのだ?!

目の前に迫る敵が投げた槍を必死にかわし、空中へとドニは逃れた。

槍はドニが先程まで居た場所で爆ぜ、大きな土柱を上げる。

その威力に内心戦慄しながらも、次に来るであろう敵の攻撃と次の魔法の詠唱に備えた。

僅かな隙を見せればたちまち敵の攻撃の圧力に飲み込まれてしまう。

イーヴァルディと名乗った敵は恐ろしく素早く、タフネスで、その外見に似あわぬ殺気を纏っていた。

一体何者であるのだろうか?

どうすればあんな……

思考は続かない。

魔法でも使わない限り常人では到底跳べぬ高さまで跳躍してきた敵が、眼前に迫っていたからだ。





「ちぃ、しつこい!」


「この! ああ、クソ! 今のは惜しかった!」





どこか余裕のある敵の言葉に舌打ちしながらも、ドニは未だ土煙舞う大地へと移動する。

その土煙を利用しもう一度燃える石の粉、炭塵を錬金して敵に四度爆炎の魔法を使うために。

化け物め。

いいだろう、お前が死ぬまで何度でも燃やしてやる!

ドニは久しぶりに味わう憔悴と恐怖を増大する殺意で塗り潰して未だ舞い散る土煙の中、空から落ちてくる怪物の姿を睨みつける。

一方、才人の方もドニと同じように酷く戸惑っていた。

相手は手練の戦闘メイジであるとはいえ、かつて戦ったワルドや暴君といった強敵よりも遥かに格下の相手である。

その相手に苦戦を続ける己の胸中に、才人は問いかけ続けていた。

何故だ?

何故俺はこの程度に相手に苦戦しているんだ?

手加減して戦っている?

いや、違う。

デルフがいないから?

槍を扱う事に慣れていないから?

……いや、そうじゃない。

じゃあ、なんだ?!

答えは出ない。

……俺の戦い方が雑になっている、のか?

むー、地上戦ならすぐ終わるんだろうが、アイツもそれをわかっているのか直ぐ空中に逃げやがるし。

奇襲、かけづらいよなあ。

高く宙に跳んだ才人は地に落ちながら思案にふける。

そんな彼の隙を突くように土煙舞う地面から、鉄の矢がいくつも飛んできた。

恐らくはドニが錬金で作り出した物を飛ばして来たのだろう。

慌てて身を捩ってかわそうとする才人。

しかしドニのように空中を自由に飛べるわけではない彼は、捌ききれず脇腹に一本矢が刺さってしまう。





「ぐ、こ、こんなもの!」





脇腹に刺さった矢を苦悶の表情を浮かべながら引き抜き、捨てる。

傷口からは血が吹きがすぐに止まり、やがて傷そのものも消えるのだった。

その異常な自然治癒力は "グリムニルの槍" の力による物である。

いちち、くそ。また食らっちまった。

前と違ってこんな風にダメージ受けても直ぐ治るからいいけどさ。

……いいけど?

才人は胸中でつぶやいた言葉にはっとした。

知らず、負傷する事を肯定していた自分に気がついたからだ。

次いで己に巣食っていた不死身故の歪な余裕と慢心を見つける。

不死性は才人に "絶対に負けない" という意識をいつの間にか強く深く植え付けていた。

特にメイジにはそれが顕著で、才人にしてみれば相手の魔法を受け止め続け、精神力が切れるかひるんだところで

攻撃に転じても良しとどこか考えていた節さえもあった。

この時、才人に不死身の体を与え強大な槍を作り出すこの魔具は、逆に才人にとって枷となりつつあったのだ。

その証拠に心が震えていない。

ルイズを守ろうとする時ほど、ルイズが傍らに居る時ほど、虚無の唄を聞いている時ほど心が震えては居なかった。

その事実は才人の体に如実に現れる。

ルーンを通じて "グリムニルの槍" から力を取り出している為、そのルーンの力の源である心の震えが無ければ

取り出せる力も強いものではなくなってしまう。

土煙が立ち込める大地に着地した才人は、舌打ちをしながらすかさず横へと跳んだ。

同時に才人が着地した場所で爆発が起きる。

爆風は水平に近い角度で跳躍した才人の足を舐めたが、先程よりも規模は小さいものであるらしく炎が才人を襲うことは無かった。





「ふん、よく避けたイーヴァルディ! 褒めてやる!」


「ありがとうよ! そら、お釣りだ!」





悪態をつきながらも才人は手にしていた槍を声のする方角へ投擲する。

先程の爆音に似た轟音がして、今度は炎ではなく土柱が夜空に上がった。

才人は空中に逃れているドニを確認しながらその場を移動し、今度は奇襲を掛けること無く再び舞い上がった土煙の中にその身を潜ませる。

……俺は虚無の使い魔 "ガンダールヴ" だ。

力の源は魔剣・デルフリンガーでも、 "グリムニルの槍" でも無い。

"心の震え" なんだ。

心を震わせないと勝てる相手にも勝てなくなる程弱くなっちまう。

呟いて目を閉じる。

想うはルイズの美しい顔。

さらわれたエメの安否。

闘志と戦闘の高揚で心地よく昂ぶっていた心が不安や心配、愛しさなどといった不安定な気持ちで満ちていく。

果たしてルーンの白い輝きは徐々に強くなっていった。

しかし。

足りない。

これでは、この程度ではまだ足りない。

"ディスペル" の詠唱時間を稼ぐため、巨大な水の竜巻を押しとどめた時。

ルーの救出に向かっていた時。

アルビオンの時。

ルーガルーの時。

フーケのゴーレムの一撃を受け止めた時。

いずれの時の心の震えにも届かない。

エメが心配でないわけではない。

しかし、今は "虚無" に目覚めその強力な魔法をも習得したルイズがエメの救出に向かっている。

危なっかしい所がある彼女だったが、才人はそんな "虚無" の担い手であるルイズを信頼していた。

皮肉にもその信頼が安心となり、才人の力を削ぐ。

"ガンダールヴ" の強大な力は主を守る為に存在し、その虚無の詠唱を背にしない限り真価を発揮出来ない。

才人は唇を噛み、誰よりも理解していた筈のその事実を改めて実感した。

同時に、ただ一つの例外が閃光のようなひらめきとなり脳裏をつく。

そうだ!

アレならば、もしや……





「どうした、イーヴァルディ。もしかして諦めたのか?」





突如投げかけられたドニの言葉に、才人は思考を一時中断し夜空を見上げた。

土煙はいつの間にか殆どおさまっており、月を背にしたドニの姿がハッキリと見える。

同様に才人の姿も相手にハッキリと見えているのだろう。





「うるせえ! チョロチョロと逃げ回るお前をどう仕留めてやろうか考えていた所だ!」


「ふ、そうか。だがそれも無駄になったな」


「何?!」


「お前が考え事をしている間に少し細工をさせてもらってな。
 土煙が随分早く収まったと思わないか?」


「な、まさか」


「今度は規模がでかいぞ? ここら一帯まるごと吹き飛ばしてやる」





空中に浮くドニはそう口にしながら発火の為の薬品が入った小瓶を取り出し、無造作に地に向かって投げた。

才人は慌ててルーンを強く輝かせ、その場を離れるべく駆け出す。

いくら不死身だとはいえ、強大な爆炎を何度も受ければいつかの時のように意識を失ってしまう恐れがある。

これ以上強力な魔法を受けるのはまずい!

小瓶の落下地点から逃げるように才人は走った。

しかし無情にも小瓶は地に落ち、小さな火種が発生して炎を作り出し、炎は爆炎となって才人に迫る。

轟、という音を背に聞いて、才人はまるでスローモーションのような一瞬を振り返り見た。

爆炎がゆっくりと近寄ってくる。

自身の体もゆっくりと動いている。

実際はゆっくりではないが、才人の意識が現実と自身の体よりも遥かに速く動いていたが為に起こった現象であった。

ああ、くそ!

間に合わない!

そう感じた一瞬の最中。

すべての炎が突如、空中に向かって方向転換を始めた。





「いで! な、なんだなんだ?!」


「む、これは一体?!」





意識の速さが現実と同じものに戻った才人は、突然の出来事にたたらを踏み転びつつも、突然方向を変えた炎の行方を追う。

一方、ドニも完成した筈の自身の魔法が突如生き物のように爆風の向きを変え、移動を始めた事に驚愕してその行先を探っていた。

爆炎はまるで身を捩る大蛇のように空中の一点へと向かい、やがて丸く一纏まりになりぐるぐると回転しながら

僅か二メートルほどの球状になってゆく。

その様はまるで小さな太陽のようであり、傍らにはいつからそこにいたのか銀色の影が一つある。

影は、銀の影は、月と爆炎が凝縮された火球に赤く照らし出され、夜空に神秘的に光り輝いていた。

遠目にもわかるほど長くきめの細かいブルネットの髪。

細く白い肩が露出した、左手のみ袖のある奇妙な銀光瞬くビスチェドレス。

袖のない右手には無骨な片刃の大剣。

そして。

才人もドニも思わず見とれてしまう程の、美しいが意志の見えない顔。





「――トマ、か?」





返事はない。

銀の麗人は大きなブラウンの瞳を半ば塞ぎ、夜空に凛と浮かび続ける。





「わはは、相棒! えらい苦戦しているようだな!」


「デルフ! とするとやっぱりトマか!」


「おう! ちょいと様子がおかしくなっちまたがな!」





不意にするり、と空中に居るトマの手の中からデルフが滑り落ちた。

才人は慌てて落下するデルフの元に駆け寄り、器用にも地に落ちる前に柄をキャッチして受け止める。





「デルフ、どういう事だよ?!」


「わかんね。バルビエとかいうおっさんが持ってた妙な杖に坊主が血をかけたら、ああなっちまった」


「はぁ? なんだそれ?」





才人はデルフの全く要領を得ない説明に、すこしイラつきながらもう一度宙に浮くトマを見上げた。

トマは相も変わらず茫として夜空に火球と共に浮き続けている。

絵画のようなその光景に才人は一瞬見惚れてしまいそうになるが、今はそんな時ではないと頭を振りトマに声を掛けようとした。

その時である。

いくつもの鉄の矢がトマに向かって地上から天に飛翔していった。

何時の間にか地に降り立ったドニが、トマを敵であると判断し魔法を使ったのであろう。

矢は新たな敵を排除すべく、夜空に浮かぶ麗人に襲いかかる。





「トマ!」





思わず叫んだ才人だったが、すぐにその表情を驚愕で強ばらせた。

無数の矢がトマの体を貫く寸前、一斉に停止して元来た方角へ引き返して行ったからだ。

ドニは予想外な反撃に慌てて "レビテーション" を唱え、自身が放った矢の群れから宙へ逃れた。

トマはそんなドニの様子など気に止める風もなく、何事も無かったのように夜空に浮き続ける。





「あれは…… "カウンター" ! なんでトマが先住魔法を?!」


「しらね」


「しらね、じゃねえよ! どういう事だよデルフ?!」


「めんどくせえな、ほれ、青い鳥がどうだとか前に言ってたろ?
 バルビエってのがそれ絡みの、血を垂らして使う魔具を持っててな。坊主がそれに血を垂らしたら」


「ああなった、って事か? しかし、あの姿は……」


「わはは、おでれーたか? 相棒! 俺様もおでれーたぜ!」





言葉を飲み込みながら才人はすっかり変わってしまったトマを見上げた。

認めたくは無かったが、胸がルイズを想う時のように締め付けられドキドキと高鳴る。

ば、バカ!

あんな格好してるけど、あれは男だぞ?!

みろ! ルイズよりも、タバサよりも、ずっとずっと胸もないし。

女装したトマにときめいてどうすんだよ!

そもそも、俺にはルイズという大事な……

言い聞かせるようにそこまで思考を進めた時、ドキンと更に強く胸が跳ね上がる。

高鳴りはそのまま続き、息苦しさを覚えた才人は思わずトマから目を離そうと試みる。

しかし、それすらもできない。

混乱しながらも才人は頭をもう一度振って、自身に巣食った耽美で甘い感情を必死で追い出そうとした。

一方、特に女性関係については今ひとつ意志の弱い才人の他にもう一人、月夜の麗人に胸を高鳴らせている人物がこの場に存在した。

ドニである。

彼は己の魔法を跳ね返した新たな敵を同じ空中に在って、憎々しげに睨みつけながらも激しく動揺していた。

なんだ、この感情は!

ありえない!

何が起きたのだ?!

いや、 "俺は何をされたのだ" ?!

戦闘中にこのような感情が昂ぶるなど、ありえない!

それに、先程のアレは……以前一度だけみたことのある、先住魔法の "カウンター" ではないか!

あの敵は、あいつはエルフなのか?

ドニの見つめる先、銀のドレスに身を包んだトマは小さな太陽と共に夜空に浮かび、涼しげに目を半分伏せて茫洋としている。

銀のドレスが月光をキラキラと反射して輝いて見えるその姿は神々しく、魂を抜かれてしまうのではと錯覚を覚えるほど惹きつけられた。

焦がれるような強い恋慕の情が心の奥底から止めどなく湧き出し、そのすべてを否定するようにドニは一瞬強く目を瞑った。

そして次に目を開いた瞬間、何かを振り払うかのように杖を振って火球を作り出す。

"カウンター" で跳ね返される事は理解している。

しかし彼を蝕む甘い感情の正体を知るために、そうせずにはいられなかったのだった。

火球はすぐに完成し、銀の麗人へと猛スピードで飛んでゆく。

果たして火球はトマには当たらなかった。

だが "カウンター" によってドニへ向かって反射もしてはこない。

火球はトマに直撃する直前、先程の爆炎と同じように突如方向を変え、暫くトマの周りをぐるぐると回った後

小さな太陽に飲み込まれたのだった。





「一体……本当にどうなってんだ?」


「ありゃあ……相棒、坊主のアレはとんでもねえ事になってるかもしれねえな」


「どういう事だ、デルフ?」


「 "カウンター" ってのは先住魔法だろ?」


「ああ、だけどあれはその土地の精霊と契約しなきゃ使えねえ魔法だけどな」


「そこだよ、相棒。もしかして坊主はこの地の精霊と契約できてるんじゃねえか?」


「はあ? まさかあ。エルフ以外で精霊と契約できる人間なんて聞いたこともない。
 それにあいつメイジですらねぇんだぞ?」


「坊主が使ったもんがそういう魔具じゃねえのか? ってことだよ相棒。
 坊主が血を垂らした代物は、詠唱も無しに人を操れるようになる魔具だってバルビエとかいうおっさんが口を滑らせてたしな」


「おい、精霊は人じゃねえ」


「だぁから! 鈍いな相棒は。これだから天然スケコマシは……」


「だ、だれが天然スケコマシだよ!」


「んなことよりも。アレは人どころか、精霊すらも操れる代物じゃねえか、って事さ。
 それこそ魔法もロクにつかえないトマでさえっていう、とんでもねぇな」


「ううむ……」


「ま、坊主に直接聞けばわかるさ。見ろ、決着がつきそうだぜ?」





デルフの言葉に才人はやっとの思いで視線を外せていたトマの姿をもう一度見た。

トマは相変わらず空中で茫洋としていたが、不意に袖のある左手を掲げ小さな太陽となった火球をドニに向かって飛ばす。

巨大で凄まじい密度を持った火球はドニに向かってまっすぐ飛び、程なく何かにぶつかる事無く空中で爆ぜた。

同時に辺りが白一色に染めあげられる。

音が一瞬消え果て、その後から衝撃波と共に爆音が走った。

才人は思わず腕で頭を保護し、叩きつけられる爆風に吹き飛ばされないよう踏ん張った。

次にゆっくりと薄目を開けてその光景を目の当たりにし、戦慄する。

まるで世界樹のように空高くそびえる火柱がそこにあったからだ。

火柱はドニが今まで作り出していたそれなど足元にも及ばず、かつて戦った暴君の猛烈なブレスを才人に連想させた。

一方トマは相も変わらず意志の見えない表情のまま、その美しい貌を炎に照らし出されながら、かざした左手をほんの少しだけ下に移動させる。

手の先、才人の槍によって酷く地形が変わった森の道には、爆炎の直撃から間一髪で地に逃れたドニの姿があった。

ドニは熱風に半身を焼かれたのか、ローブの一部がボロボロになり荒く肩で息をしながらフラフラと立ち上がろうとしている。

トマは無表情で口を僅かに開き何かを呟くと、それに呼応するようにかざした左手の銀の袖が生き物のようにウネウネとうごめいた。

二の腕の辺りまであった袖は、艶めかしく動きながらも左手の平に集まって行き、やがて棒状にその形を変えて行く。

程なくトマの手の中には、見事な細工が施された刺突剣が現れた。

トマは剣をかざしたまま、半開きになっていた口を更に開いて何か囁き始める。

囁きは徐々に大きな透き通るような声となり、やがて才人の耳にも届く程の大きさとなり夜の森に染みこんだ。

――それは、唄であった。

思わず聞き入ってしまいそうになる美しい調べは、森をざわめかせる。

いや、ただ美しい調べである唄ならば異変は起きなかったであろう。

唄を聞いた才人は突如、その場に膝を折って座り込んだ。





「相棒?!」


「――あ、あ、あ」





呼吸もろくに出来ない様子の才人は、口を大きくあけ涎を垂らしながら体をブルブルと震わせる。

強烈な恋慕と極度の性的興奮。

繰り返し襲い来る、満たされた飢餓感と足りない幸福感。

欲しい!

あれが、あいつが、トマが欲しい欲しい欲しい欲しい!!

鼓動が早鐘のように飛び跳ね、頭の中が白一色となり、はち切れそうになった股間が生々しく尽きぬ性欲を駆り立てる。

僅かに、ほんの僅かに残った理性の隅で才人は理解する。

先程までトマを見て湧き出ていた感情の正体を。

声だ。

あの声は、 "魅了" の効果を持っているんだ!

それもとびきりの。

恐らくトマはずっとあの唄を歌っていたのだろう。

そして、この唄は精霊さえも虜にするほどの効果を――





「相棒! おい、しっかりしろ相棒!!」


「デ、ルフ……おま、え、平気なのか?」


「はぁ? よくわからね。どういう事だ?」


「あの、唄、だ。あれ、が、すべてを、 "魅了" して、いるんだ。せい、れい、さえも」


「坊主にメロメロになっちまった精霊が、力を貸しているってのか?」


「た、ぶん……」


「へっ、そりゃすげえ! それでか、あのメイジも唄を聞いた途端悶えだしてしまいにゃ倒れちまったぜ?」


「は、そりゃ、よかった……っ、デ、ルフ。悪いけ、ど、トマに、唄を辞めるよう、言ってくれないか?」


「うはは、相棒! イきそうなのか? 我慢だ相棒。あとで嬢ちゃんにこっぴどくお仕置きされるぞ!」


「ちゃ、かすなよ! たのむ、コレ、すっげえキツイんだ!」


「ち、根性のねえ。男ならこの場で堂々と自慰を始める位じゃねぇと」


「デルフ!! 洒落に、ならねぇんだって! 繋いでる理性が、消えそうで、そうなった、ら、ほんとにそうしちまいそうだ!」





才人の悲鳴のような声に、デルフは事態の深刻さを悟り夜空に在って "魅了" の唄を唄うトマに声をかけた。

しかし、その呼びかけにトマは反応しない。





「おい、デ、ルフ?」


「だーめだ相棒。ありゃ、呑み込まれちまってる」


「へ?」


「よくあるこった。素人が難しい魔具に手を出すと、力やら何やらに精神を呑み込まれるって話はな」


「は、ぁ?!」


「ほれ、相棒も趣は違うが "ダブル" の時に呑み込まれかけてたろ? アレとにたようなもんだ」


「ど、どどど、どうすん、だよこれ! 俺、イっちゃうぞ?!」


「知らね。イけばいいんじゃねぇの。気持ちいいんだろ?」


「そういう、問題じゃない! くそ、どうすりゃ、いいんだよ!」


「魔具の効果切れるのを待つか、一か八かあの魔具をブッ壊すかだな。精神取り込むようなもんは大概壊せば元にもどるし」


「あの、剣か?」


「いんや。銀色の部分。ドレスもだな。よかったな、相棒! 女の服脱がすのは得意なんだろう?」


「ん、なわけ、あるか! トマ!! 頼む! やめてくれ!!」





悲痛な叫びに、トマは初めて反応して唄う事を辞め才人の方を見た。

その顔は相も変わらず表情が無い。

才人はその顔に意思の疎通が上手くいったのかと顔を強ばらせ不安になったが、やがてゆっくりと地に降りてくるトマを見て

ほっと胸を撫で下ろした。

しかし、地に降り立ったトマを確認するや再びその顔を強ばらせる。

トマは変わらず茫洋とした体で、今度は才人に向かって左手の剣を向けて来たからだ。

そして、もう一度紡がれる魅了の唄。

青い鳥のさえずりは、今度は先程よりも更に強く甘く辺りに響き渡る。





「うあ! や、めろ!!」


「相棒!!」





才人は思わず地に頭をうずめ、その場に丸く蹲った。

肩は小刻みに震え、体中からは汗が噴き出てくる。

苦痛の為ではない。

凄まじい快楽の為である。

それらが渇望となり、意識がただ一点に集約して行く。

うずめていた頭を上げ、才人は地に立ち麗しき唄を歌うトマを恍惚と眺める。

口の端からは涎が垂れ、更に甘くなって行く唄をほしがるかのように震える手をさしのべた。





「相棒! おい、しっかりしろ!」


「あ……う、あ……」


「ええい、くそ! 俺様の声が耳に入ってねえ! こうなったら……」





デルフが愚痴を吐いた後、才人はもう一度頭を地に伏せた。

それを切っ掛けにしたのか、甘い魅了の唄が響き渡る中すくと足取りも確かに立ち上がる。

同時に銀のドレスに身を包み、一心不乱に唄うトマに向かって猛烈な勢いで駆けた。

まるでマスケット銃の弾丸のようなその動きは稲妻のごとく鋭い。

しかし。

次の瞬間、鈍く重い音と共にトマの少し手前で才人は派手に吹き飛ばされてしまうのだった。





「くそ!  "カウンター" か!」


「痛ぅ! な、なんだ?!」


「おう、相棒、目が醒めたか? まったく、唄の虜になるなんて情けねえ。神の盾が聞いて呆れるぜ」


「で、デルフ?! お前……」


「ふん、ちょいと体を借りたぜ」


「あ、そ、そっか。お前そんな事できたんだっけ」


「そんな話は後にしろよ相棒。ほれ、坊主が目の色変えたぜ?」





"カウンター" によって吹き飛ばされ、地に寝そべったままであった才人はデルフの言葉に始めてその異変に気が付いた。

唄が止んでいる。

慌てて体を起こした才人が見た物は、トマが左手の剣を空に掲げている所だった。

その行為に呼応するかのように周囲の木々がざわめき立ち、枝がボキリとひとりでに折れトマの周りに集まってくる。

枝の数はみるみるうちに増えてゆき、やがて空を埋め尽くす程になっていった。





「坊主はよほど相棒の事が嫌いらしいな」


「冗談言ってる場合か! くそ、さっさとあのドレスをひっぺがさないと!」


「おう、相棒! やっとその気になったか。うはは、坊主も案外喜ぶかもしれねえな!」


「茶化すなって! くるぞ!」





苛ついた言葉をその場に残して才人は横に走り始める。

その影を縫うかのように、無数の枝が地に刺さった。

トマの周りに浮く枝は、まるで生き物の様に才人目がけて飛んでゆく。

才人は一時も立ち止まらず、トマを中心に弧を描くように走りながらその距離を徐々に小さくしていった。

その間も絶え間なく枝が猛烈な勢いで飛びかい、才人を襲う。

二人の距離が五メートル程になった時であろうか。

才人はルーンを輝かせながら一気に円の中心にいるトマの方へと飛んだ。

相も変わらず茫洋としているトマは、才人を迎撃すべく枝を更に飛ばす。

枝は唸りを上げて飛び、顔をガードしていた才人の右手にいくつも刺さり、狙いが甘かった物は脚や肩に刺さった。

しかし、才人は止まらない。

体中に枝を刺されながらも、トマへとその勢いのまま突き進んだ。

狙うはトマの着る、銀の服。

目をやられないよう、ガードしていた右手をそのドレスへと伸ばす。

二人の距離はほんの一メートル程になっている。

才人がやった! と思った瞬間、しかしその目論見はあっさりと崩れ去っていた。

先程と同じように鈍い音を立てて、才人は一気に十メートル程も弾かれて吹き飛んだからだ。

強力な "カウンター" によって弧を描きながら宙を舞う才人を、トマは無表情に眺めつつも剣を向けた。

そこに一切の慈悲も、感情も、表情もなく。

ざざざ、と音を立てて地に落ちた才人に無数の枝が殺到する。















銀に輝く麗人はその様を無感動に眺め続け、ただその場に立ち全てを魅了し続けるのみであった。























[17006] 5-10:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄9
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/27 19:23










いつ以来だろう。





これほど体が傷ついたのは。

薄れてゆく視界の中、才人は必死に意識をつなぎ止めながらもボンヤリとそう呟いた。

わけの分からない魔具に意志を飲み込まれたトマを元に戻す為に、なんとか奇襲を仕掛けたまではよかった。

しかし、そんな才人を先住魔法である "カウンター" が待ち構えていた。

あらゆる攻撃をはじき返す、強力な魔法である。

本来は何日もかけてその土地の精霊と契約を結んで始めて行使できる、かなり上位の魔法でもある。

そんな強力の魔法を、平民で魔法が使えないはずのトマがいとも簡単に使っていた。

全てはその身の纏う、 "青い鳥のくちばし" という魔具の効果らしい。

"青い鳥" はその美しい唄を聞く全てのモノを、人を、精霊をも魅了し、使役するのだ。

そして……





「くそ、魅了されないモノは、問答無用で、敵扱いってか!」


「きっと、あの魔具の防衛機能だろうさ! しかしおでれーたぜ! まさか相棒を "カウンター" ではじき飛ばすたぁよ!」





"カウンター" により吹き飛ばされ宙を舞いながらもごちる才人の後を、小魚の群れがついて行くように無数の木の枝が飛んで行く。

果たして、地に落ちた才人にその全ての枝が剣山のように突き立った。

その攻撃を境に、森に静寂が戻り今度は風が吹いてざぁと木々をざわめかせる。





「……相棒、生きてっか?」





デルフのおずおずとした声に反応はない。

仰向けに倒れている才人は両手を顔の前に交差させ、なんとか頭への直撃を防いではいたものの

その他の部分は隙間無く枝が刺さっており、誰がどう見ても即死間違いなしと思うであろう有様であった。





「……相棒? ウソだろ? おい……」





再びかけられた不安げなデルフの声に、顔を覆っていた両腕がずるりと動いた。

腕に刺さった枝が他の枝に当たり、カラカラと音が鳴る。





「で、ルフ。い、生きて、なんとか、いきている、ぜ。
 くそ、久しぶりに、意識が、飛びそう、だ」


「相棒! さすが、そうこなくちゃな!」


「で、も、もう限界、かも」


「諦めるな相棒! 追ってすぐ嬢ちゃんがここにくるからよ!」





嬢ちゃん、という言葉に才人はうっすらと開けていた目を大きく開いた。

それから何かを言おうと口を開けるも、出てくるのは血ばかりである。

ダメだ!

今のトマは見境なしだ。

もしここにルイズが来たら……

想像して、才人はまだ血反吐が出て来る口を閉じ歯を食いしばった。

左手のルーンの輝きが次第に強くなっていく。

立たなくては。

トマを止めなくては。

そうでないと、ルイズに類が及ぶ。

想いは心の震えとなり、才人に力を与える。

そして、僅かに力を取り戻した才人は、よろよろと力無く立ち上がるのであった。





「あ、相棒! 無茶すんな!」


「デ、ルフ、お前、あとどの位、俺の体を操れる?」


「何いってんだ、おめ、喋るのもやっとじゃねえか!」


「いいか、ら! 試したい事があるんだ」


「……ふん、最近はあのクソ忌々しい槍ばっか使ってたからな、ため込んだ魔法もそう無ぇ。精々あと数秒だ」


「それで、十、分だ。いいか、デルフ。今から説明する事、よく聞いてくれ、よ?」





息も絶え絶えに才人はデルフにある "作戦" を説明し始めた。

デルフはその内容を聞いて黙り込む。

その間、トマは立ち上がった才人を見て表情一つ変えず、再び左手の剣を空高く掲げ枝を集め始めていた。

森の木々はざわざわとうねるように揺れ、トマの周りにはみるみるうちに大量の木の枝が集まってくる。





「できるか? デルフ」


「そりゃ、簡単だが……相棒、ホントにそれやって大丈夫なのか?


「やらなきゃ、ルイズが危ない。合図したら頼むぞ?」


「まったく、相棒はいつもいつも無茶ばかりしやがる。なんの為に "戻って" きたんだか。
 ……心はちゃんと震わせてろよ?」





才人は答えず、苦悶に染め上げていた顔に僅かな笑みを浮かべさせトマを見た。

視線の先にいる麗人は、剣を高く掲げたまま表情もなく無言で才人を見つめていた。

その顔はどこまでも美しかったが、同時にどこか哀しげで才人の心を打つ。

大きすぎるダメージの為か、あの魅了の唄は聞き取れない。

体の再生速度もかなり遅くなってきている。





「……トマ、折角強くなれたのに悪いな。その服と剣、壊すぜ」





血泡混じりにかけた言葉に返事はない。

やけに赤い月の光が、銀の影を淡く照らし出している。

銀の剣を掲げ、同じく銀のビスチェドレスに身を包んだトマは赤く鈍く月光を反射し、まるで絵画のように美しくその場に立っていた。

……まるで、なにかの物語の一場面だな。

才人は半ばその姿に見惚れ直しながらそう呟いて、意を決し最後の攻撃に移った。

視界が外界と同じように赤く赤く染まってゆく。

同時に荒れ狂う力が心の内から湧き出て、体が軋んだ。

デルフを掴む左手のルーンの光は不吉なまでに激しく赤く輝き始める。

知らずうめき声が口から漏れ力が全身に満ちていくと同時に、体中に刺さっていた無数の枝が全て勢いよく抜けた。

やがて才人に起きた異変は彼自身に留まらず、足下の土や雑草に広がってゆく。

水に小石を投げ入れた時の波紋のように、才人を中心として数メートル程の大地が一瞬で砂に変化して行ったのだ。

ぎ、ぎ、と声を漏らしながら才人は赤くなった視界の中、下を向いていた頭を上げてトマを見据え叫ぶ。





「いくぞ、デルフ!」





絶叫と同時に、才人の姿が消えた。

突如消えた相手にトマは一度、瞬きをしてその姿を追おうとした瞬間。

ゴキン、という重苦しく凄まじい音がして、気が付くと目の前に居るはずのない才人の姿があった。

赤い月光やドニの火柱よりも遙かに禍々しく赤く輝く左手は、デルフを強く握ったままトマの細い腰に回され

右手はつい先程まで才人に向けていた刺突剣を握りしめ血を滴らせている。

その光景をもし見た者がいたならば、ダンスを踊る男女のシルエットの様であったと答えるだろう。

無論、そのような暢気な状況ではない。

ドレスを着るトマを抱き寄せる才人の顔は、無理矢理 "カウンター" を抜けた時に傷を負ったのか血まみれであった。

才人はトマの腰に回した左手のルーンの輝きを元の白い物へと変えながら、無表情で暴れるそぶりも見せないトマに

血まみれの顔をずいと近づけ、ニカっと歯を見せ笑い宣言をする。





「俺の勝ちだ」





同時にバキン、と言う音。

トマの持つ剣がまるで生き物の様に才人の手の中でうねっている。

そのうねりを無理矢理に鎮めるかのように、才人の手の中から幾重にも赤く光る筋が這い出して剣に絡みついた。

トマはたまらず剣から手を離したが、才人は右手の中の剣を今度はトマのドレスに押しつけ、挟むように光り輝く左手でトマを強く抱きかかえる。

麗人は抱きかかえられながら激しく暴れたが、やがてくたりと力無く才人の胸に倒れ込んだのだった。





「……相棒、終わったか?」


「ああ、終わった」





答えて才人は胸に抱き止めているトマの背中越しに、右手に握る品を見つめた。

そこには一筋の銀の槍が握られている。

"グリムニルの槍" の力で槍に変えられた、 "青い鳥のくちばし" である。

トマの "カウンター" を破り懐に潜り込む為に才人が取った行動は、 "ダブル" を使う事であった。

勿論 "グリムニルの槍" を制御するルーンを使う以上、その間は全意識を槍が暴走しないように向けねばならない。

過去に一度槍を暴走をさせた事のあった才人は、これまでも意識さえしっかり持つ事が出来れば

ルーンが無くてもある程度は暴走を押さえ込めるのではないか、と踏んでいた。

事実、過去にこの槍を扱っていた "ガンダールヴ" は結果はどうであれ、一定の期間は一つのルーンで扱っていたはずである。

しかし強い意志の力で暴走を押さえ込む行為は長くは続かないと体感的に知る才人にとって、 "ダブル" での戦闘行為は無理な話でもあった。

そこで "ダブル" を使っている間、デルフに体の操作を預け "カウンター" を無理矢理突破した後

すぐにルーンを制御に戻すという荒技を試したのである。





「まったく、相棒は本当に無茶ばかりしやがんな」


「は、こうやってお前と、無茶やるのも悪くないだろ?」


「わはは、言うじゃねえか相棒! 惚れ直したぜ!」


「うるせえ、剣に惚れられても嬉かないや」


「なんだ、坊主にはドキドキし通しだったくせによ」


「うっせ。ほら、トマ起きろ。おーい」





才人はそう言って胸の中のトマの頬をペチペチと叩いた。

しかし、トマはまるで人形のように眠り続けて居る。

その寝顔は相も変わらず美しく、才人は思わず妙な気分になりそうになり、デルフを握ったままトマを抱いていた左手の力を抜いた。

支えを失ったトマは、その場に崩れ落ちるように倒れ込む。

ほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じながらも、才人は倒れ伏したトマを見下ろしふんと鼻息を一つ鳴らしたが

ある事に気がついてうげ! と声を上げ一歩後ろへたじろいだ。

地に横になり、尚意識の戻らぬ美少年が全裸であったが為だ。

否、それだけではない。

僅かに、ほんの僅かだが、胸がある。

ちがう!

あ、あれは横向きに倒れているからそう見えるだけだ!

必死に目の前の事実を否定しようと頭を振る才人の足下で、意識を取り戻しつつあるのかトマはうん、と呻いて仰向けに体を転がした。

その行動は混乱する才人を更に追い込む。

無い。

男に有るはずのアレが、ない。

ない?

うん、無いな。

――もしかして、こいつ……





「なんだ? 相棒、もう辛抱たまらねぇのか?
 襲うんなら嬢ちゃんが来ない内にしとけよ! とばっちりで俺様まで灰にされちゃかなわねえからな!」


「で、ででで、デルフ? こ、こいつ、と、トマは……」


「ああん? 坊主がどうかしたのか?」


「お、おん、お、おおお」


「女だな。それがどうかしたか?」


「でええええるふうう!! お前、知ってたのか?!」


「ああ。相棒がこいつに俺様を貸した時からな」


「言ってくれよ!!」


「あん? まさか相棒、気が付かなかったのか?」


「普通気がつかねえよ!」


「いや、普通気が付くだろ。
 相棒、坊主があんなナリになってまで相棒を助けに来たってのに、そりゃあねえぜ?」


「いやいやいや、そもそも、こいつ魔具に操られていたじゃねえか!」


「……はぁ、ちっとは気が利くかと思えばこれだ。嬢ちゃんも苦労するわな」





デルフはあきれ果てたようにそう言って、カタカタを鍔を鳴らした。

才人は暢気に笑うデルフに己の行為の不可抗力を訴えて、必死にしょうがないじゃないか! と食ってかかる。

やがて言い争いに発展してゆく二人の足下で、意識を取り戻しつつあったトマが艶めかしく呻いた。

その呻きに才人はデルフとの口論を止め、慌ててボロボロになった上着を脱いで "少女" の男と殆ど変わらない、青い痣のある

胸元にかけて注意深くその目覚めを見守った。

やがてトマは目を覚まし、ぼやける目をこすりながら上体を起こして辺りをキョロキョロと伺う。

才人がかけた上着は無情にも体を起こした際、何処にも引っかかる事もなく、はらりと下に落ちてしまっている。

まだ意識が混濁しているのか、トマはそんな事も気がつかずボンヤリとしたまま口を開いた。

形の良いその口から出て来たのは、あの唄ではなく人の、しかし凛とした美しい声であった。





「ここ、は?」


「おう、坊主! 目が醒めたか?」


「デルフ……僕は……、ん? サイト?」


「よ、よよよう!」


「なんだよ、そんな面白い顔して」


「わー! わー! 立つな! こっち来るな!」





才人は立ち上がるトマを全力で拒否するかのように両手を振って、慌てて回れ右を行う。

そんな才人にトマは段々とハッキリしてくる意識の中で怒りを覚え、いつものように気色ばみすこし乱暴に才人の肩を掴んだ。

少女はまだ、気が付かない。





「おい! 折角助けに来たって言うのに失礼な奴だな。こっち向けって」


「わはは、相棒! 坊主がこっち向けってよ! 向いてやんなよ!」


「五月蠅い! トマ! 服! 服だ!」


「ふくぅ? 服が一体何だって……」





美しい声でさえずる青い鳥は、突如沈黙する。

やがて、自身の体を見ていたトマはゆっくりと顔を上げて、掴んでいた才人の肩を更に強く握った。





「……見た?」


「みてないみてないみてないみてない!」


「うはは! 相棒、嘘はいけねえや! 『無い、トマにアレが無い~』 って大騒ぎしてたじゃねえか!」


「んな?!」


「し、ししししてねえ! 断じて見てねえ!」


「ひでぇ男だな、相棒! さっきまで坊主見て涎垂らして股間膨らませていた男の台詞とはとても思えねえぜ」


「な、ななななななな」


「馬鹿! そんな誤解を受けるような事……大体俺はな、ダメージ受けすぎて今にも意識がぁ!」





ごん、という鈍い音が辺りに響いた。

才人は台詞を最後まで口にすることなく、その場に倒れ伏してしまう。

崩れ落ちる才人の背後には、全裸のトマが拳大もある石を手に顔を真っ赤にして立っていた。

その日、散々魔法攻撃を受け続けていた才人は、トマの攻撃によって遂に意識を手放す事となったのであった。







後日。

開店前、『魅惑の妖精』亭にて。

才人とルイズは、店の片隅にあるテーブルを挟んでエメとトマの "姉妹" と数日ぶりに再会を果たしていた。





「よう、久しぶりだな。エメ、その後の傷の調子はどうだ?」


「はい、ルイズさんに塗っていただいた秘薬が良く効いたらしく、お医者様も痕も残らないだろうって」


「そりゃよかった! ルイズ、お前ほんと用意いいな」


「そりゃあ、すぐ怪我する "お兄ちゃん" 持ってればねぇ。
 もっとも、お兄ちゃんはそんな心配も余所にすっごくお盛んなようだけ、ど!」





ゲシ! とテーブルの下で強く足を踏まれ、才人はおぐ、と思わず呻く。

あの夜以来、ルイズはずっとこの調子なのである。

理由は勿論……





「る、ルイズさん。僕とサイトはあの夜、別に何も……」


「ふぅん? あんなに嫌っていたサイトを庇うんだ? ますます怪しいわね」


「いちち、だーかーら! ルイズ、信じてくれよう」


「し、信じられるワケないでしょうが! なんとかエメの応急処置を終わらせて、引き返してみればあんたは上半身裸!
  "エトマール" は全裸でそこにいたのよ?!」





エトマールとは、トマの本名である。

事件の後改めて問い正されたエメの説明によれば、 "青い鳥" の痣の伝説はエメ達姉妹の家に代々伝えられてはいたのだったが

その中でも青い痣を持つ女子が生まれた場合、決して世に出ないよう殺してしまう習わしがあったと言う。

これは痣と "くちばし" がもたらした一族の没落が原因で、これ以上王宮に目を付けられぬようそうしていたのだろうとエメは語った。

元々かなりメイジとしての血は薄まり、ここ数代は痣が出ても赤い物ばかりで特に問題は起き無かったが、とうとうトマの時に青い痣が現れ

殺すかどうか迷った両親はトマを "男" として育てる事にしたのだった。

以来、トマの秘密を知るエメは何かとトマの面倒を見、トマもまたその影響かエメによく懐いた。

そしてある日、バルビエ副伯が姉妹の元に現れる。

父親はトマの事を話すか悩み、その苦悩を察したエメは赤い痣を持つ自分ならば王宮に目を付けられる事もなく

何事もなく貴族に輿入れして、家族に良い生活を送らせる事ができると父親を説得した。

勿論トマは反対をしたのだが、そもそも青い痣の事がその貴族から王宮に漏れれば何をされるかわからない身分である。

結局エメの強い意志に折れ、バルビエ副伯にはエメの事だけを話す運びとなった事が姉妹の真実であった。





「大体、エメもエメよ。どうして最初から本当の事を話してくれなかったの?」


「その……ルイズさんは王宮の方と繋がりが有りそうだったので……」


「あー、言えないわな」


「うむむ」


「で、でも! そんな僕らの為に色々と世話を焼いてくれた事は凄く感謝しています!」





相も変わらず男装をしたトマが、慌ててルイズを庇う。

髪もいつものように背に纏め、トマの事を知らない者がみれば美少年であると認識するような出で立ちだ。





「……わかったわよ、信じてあげる」


「あ、ありがとうございます!」


「それより、トマ。隊舎の住み心地はどうだ? 二人じゃ狭くないか?」


「その辺りは大丈夫だ。むしろ、今まで住んでいた貸家の方が狭いくらいさ」


「そりゃよかった。……ここだけの話、アニエス隊長には昔、俺に剣を教えてくれた人だからな。お前もこってりしごかれとけよ?」


「本当か?!」


「ああ。だが、これは本人にも内緒だからな? 口外すんなよ?」


「わ、わかった! そうか、サイトは隊長に……」





トマは嬉しそうに何かを呟き、下を向いてしまった。

そんな彼女の様子を見て、エメは柔らかに微笑む。

それから、改めてルイズの方を向き直り礼を重ねて口にした。

二人は事件の後、ルイズの紹介で最近設立されたアンリエッタ女王の近衛隊である『銃士隊』に抜擢されていた。

『銃士隊』は先の誘拐事件により、メイジ不審に陥った女王が魔法衛士隊を再編して設立された隊で、隊員は全員平民出身の女性である。

その銃士隊にトマは銃士として、エメは隊の補給を司る輜重隊に配属されたのであった。

無論アンリエッタによる、二人の素性を知った上での采配である。

ルイズはあの夜の事件の事を、才人の力の事を除いてすべてありのままにアンリエッタに報告していた。

その上で報告書の最後に、二人を銃士隊へと推薦したのだ。

憐れな姉妹がこれ以上苦しまぬよう、そしてあの薄汚い安住の部屋にこれ以上姉妹が居座らせないようにする為に私情をちょっぴり含ませて。

二人の素性は王宮にとってあまり好ましくない物であるとは理解していたが、そんな事を気にするような

アンリエッタではないという信頼もある。

果たして、アンリエッタからの返事は二人を銃士隊へ配属させる旨の内容が書かれていた。

同時に手紙には二人へ王家を代表しての謝罪の意を添えられており、言伝を聞いた二人は目を丸くして驚き

エメなどはその場で卒倒してしまい、ちょっとした騒動となってしまう有様である。

結局事件自体は逃げたバルビエ副伯の行方は知れず、酷く荒れた森は魔具を使って女王陛下への反乱を企てた副伯によるものとして

一応の決着を見ていた。

ちなみに森で涎を垂らしたまま気絶していたドニは、目を醒ましよろよろと立ち上がった所で追ってやって来たルイズに発見され

半裸で寝転ぶ才人と全裸でおろおろするトマを見て、頭に血が上っている状態のルイズから八つ当たり同然に "加速" 付きの拳でボコボコにされ

なかば何をされたのかと同情される程の状態で、王宮の兵士に引き渡されていた。





「まあ、いくつか疑惑が残ってるけど、これで一見落着って事ね。
 バルビエを逃したのは痛いけれど、後は王宮の方で上手くやってくれるそうよ。
 ま、何はともあれあんた達がちゃんと王宮での生活に慣れてきてるようで良かったわ」


「はい、おかげさまで。ところでルイズさん、あの "青い鳥のくちばし" はその後どうなりましたか?」


「気になる?」


「ええ、まあ」


「安心なさい、そこの角を曲がった所にある鍛冶屋に持って行って、装飾品の材料にしてやったわ。
 只であんな銀の塊を手に入れられるとあって、すごく喜んでいたわよ。
 しかもお礼にあんたが今ぶら下げている刺突剣までこさえてくれたし、万事めでたしってワケ」


「よかった……」


「まあ、一応元はあんたの一族の宝だったし?
 その剣の装飾に例のくちばしの一部を使ったけれど余計な事だったかしら?」


「い、いえ! ほんと、お心遣いに感謝してもし足りません」


「いいのよ、エトマール。それよりも、ほんっっっとうにあの夜、サイトと何も無かったのよね?」


「だ、だから! 俺を睨むなよルイズ!」


「ぼ、僕を睨まないでください、ルイズさん! 本当に! サイトとは何も無かったんですってば!」





暫くは身を乗り出して、再び才人とトマを交互に睨み付けていたルイズであったが

やがてわかったわよ、信じてあげるともう一度先程の言葉を口にすると、腕を組んでドカと椅子に座り直した。

明らかに納得しては居ない様子である。

そのまま気まずい空気が場を支配しかけたが、エメが場を取り持つように再びルイズへ感謝の言葉を口にした。





「本当に……ありがとうございます、ルイズさん」


「ふん! 私もこれでチップレースに本腰を入れる事が出来るわ!」


「あ、たしかレースって今日まででしたね。ルイズさん、頑張ってくださいね」





エメの朗らかな言葉にルイズはプィっと明後日の方を向いて、唇を尖らせた。

白く背中の大きく開いたいつもの衣装を身につけてのその仕草は、子供っぽくもあり彼女特有の愛らしさもある。





「エメが居なくなったんだから余裕よ!」


「……ルイズ、嘘はいかんぞ、嘘は」


「今何位位なんですか? 姉さんが居なくなって余裕って事はもしかして、ダントツ一位?!」


「……まあ、ダントツってのは合ってるな。だがトマ、それ以上聞いてやるな」





なんとか場の空気を居心地の良い方向に持って行きたいと、ルイズの自慢話に過剰に食いついたトマは

才人の言葉にはっとして口を押さえた。

相も変わらず明後日の方向を向いて腕組みするルイズの美しい眉はピクピクと痙攣を始めている。





「最下位よ! 文句ある?! これから逆転するんだから何位でも一緒よ!!」


「あは、ははは、が、頑張って下さい……」


「ルイズ、俺はお前がナンバー・ワンになれると信じているからな!」


「うっさい! この、浮気者! わ、私ともまだなのに、こんな男女とだなんて!」


「ルイズさん、設定! 設定! お店でそんな大声で "浮気者" だなんてダメですよ!」


「いっ、してねえ! 浮気してねえし! お、俺だってこんな男っぽい奴よりも、ルイズみたいな可愛い子が良いに決まってるだろ!」


「……ホント?」





ピタリと激昂しかけていたルイズの動きが止まる。

その顔は怒りから、僅かに頬を桜色に染めた美少女のそれに変わっていた。

対照的にトマは才人が思わず口走った言葉が少々矜恃を傷つけたらしく、すこしムっとして才人を睨んだ。

才人はそんなトマの視線に気付く風でもなく、主の怒りを一刻でも早く静めるべく首を何度も縦に振り続ける。





「ああ、本当だとも! この中でルイズが一番可愛いし!」


「そんなこと、私が一番可愛いだなんて……」


「そんな事あるぞ! ここにいる、誰よりもルイズが可愛い! うん、間違いない!」





才人の言葉に、ルイズは怒りを忘れ両頬を手で押さえながらイヤン、としなを作り始めた。

その誰がどう見てもバカップルぶりに、エメはニコニコと不思議な圧力のある笑みを浮かべて才人を眺め

対照的にトマはジットリと才人を睨み続ける。

そんな二人の様子の事などお構いなしに、才人は必死にルイズの機嫌を取り続け、ルイズもルイズで手放しに褒める才人の言葉を聞く度に

イヤンとまるでスカロン店長のようにしなと作り、悶えた。

その様はだれがどう見ても完全無欠なバカップルである。

ワケありの兄妹にすら見えはしまい。

やがて、目の前のバカップルにあきれ果てたのか、エメとトマは申し合わせたかのようにすっくと立ち上がり、ではと口にした。





「さて、トマ。そろそろ戻らなくちゃ。わたし、隊のみんなの食事の準備があるもの」


「そうだね、姉さん。僕も今日は訓練を頼み込んで抜けてきたんだ。もう戻らないと」


「あ、そうなの?」


「ええ。ルイズさん、重ねてありがとうございました。このご恩は一生忘れません」


「サイトも。本当にありがとう」





トマはそう言って、才人に右手を差し出した。

才人は少し寂しげに笑い、その手を握るべく右手を伸ばす。

その手を横から掴む手がある。

エメだ。

エメは才人の握手をしようとする右手を取り、そのまま豊かな胸に抱え込んだ。





「んな?!」


「才人さん、トマを……いいえ、エトマールを守ってくれてありがとうございました。
 他にお礼は出来ませんが、その……」





顔を赤らめながら口ごもるエメから、才人の手を取り返す手がある。

トマだ。





「ダメだよ、姉さん。サイトはペタン子が好きなんだ。ほら、中央広場で僕が復唱させられてただろう?
 胸の大きな姉さんじゃ、サイトは見向きもしないさ」


「あら……残念ね」


「サイトはね、胸の無い子が好きなのさ。 "僕のような" 、ね」





トマは――いやエトマールはそう言ってウインクをし、エメと共に悪戯っぽく才人に笑いかけた。

才人は今度はエトマールに右手を抱きかかえられながらも、言葉一つ口にすることなく冷や汗をかいてその場に固まっている。

隣にいるであろう、何故か無言の主を直視できずに。

その後ささやかな復讐を遂げた姉妹は、どす黒く気炎を上げるルイズと恐怖に凝り固まっている才人にそれじゃと言葉を残して

軽やかに『魅惑の妖精』亭を後にした。

それから間を置かず、二人と入れ違いに店にやって来たスカロン店長が見たモノは、いつものようにボロ雑巾のようになった才人であった。

結局、その日のチップレースはルイズが奇跡の逆転を遂げ、才人は普段より強くルイズに "魅了" される事となる。

"以前" と同じように、薄汚い屋根裏部屋で行われたささやかな二人だけの晩餐にて、ルイズがチップレースの景品でもある

"魅了" の魔法が掛けられた、魅惑の妖精のビスチェを身に纏っていた為だ。

この時、ルイズを見て才人は "魅了" 状態であるにも関わらず、ほんの少しだけ不本意ながらも不貞を犯してしまう。

美しい衣装に身を包むルイズを前にして、つい月夜に浮かぶ銀の麗人の唄を思い返してしまっていたからだ。

あの時の自分はその姿に、その歌声に、目の前の愛しい少女を忘れ去ってしまう程の感情を覚え魅了されていた。

アレは、果たして不貞となるのだろうか?

他人に強制された気持ちであっても、不貞であろうか?

――俺は、この先本当にルイズだけを見つめ続けて居られるのだろうか?

意志は、堅いはずの俺の意志は、本当に……

突如湧いた疑問は、目の前のルイズを見ると音もなく消え去っていく。

才人はその事実に、胸を撫で下ろして改めて自分が愛した少女のいつもと違うドレス姿と会話を堪能する。

僅かな不安を心に残したまま。














そんな才人の心を悟ってか、壁に立てかけられた伝説の剣は人知れずため息をつくのであった。





















[17006] Interval_episode/ガリアの蒼い星は暁に瞬く (IF短編・改訂1)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/09 07:43
■はじめに

このお話は、まとめに使っているブログの10000HIT記念に書き下ろしたものです。
過去のIFものと同じように「ガンダールヴは夢を見る。」の設定を使った別作品の短編だと思って下さい。

設定は才人が死んだ世界でのアフター物で、IF設定です。
すこし説明が曖昧な部分があります。













 突然で悪いのですが、私(わたくし)は天才だと思うのです。



 名前はアンネロゼ・シモーヌ・オルレアン。
 ガリア王国の由緒ある公爵家の姫君。
 虚無の系譜と "剣の系譜" を併せ持つ由緒正しいメイジの家柄です。
 百年くらい前までは始祖の系統 "虚無" というのは伝説でしか無く、よく一族の恥みたいに言われていたらしいけれど今は違います。
 特に我が家のように虚無と剣の系譜を持つ家の場合、魔法が使えない子供が生まれると諸手を挙げて喜ばれ
 それはもう大切に大切に育てられるのです。
 かく言う私も虚無の使い手であり、いずれはガリアの女王となるのかもしれませんが、とりあえず今は
 只の一留学生という身分を楽しんでおります。
 留学、と先程口にしましたが、私は今トリステイン王国のトリステイン魔法学院に留学中です。
 ここは元々その名の通り、トリステイン王国のメイジ達を集めてちょうきょ……教育をする場であるのですが
 なぜ外国人の私がここにいるかといいますと、それは "虚無" であるからなのです。
 どういうことなのかと申しますと、ここでしか虚無の魔法は学べないからなのです。
 更に更にどういうことか、と申しますとここに居る虚無の講師は元アルビオン女王であり、 "剣" を王配にしていた虚無の使い手の一人
 ティファニア・テューダーその人が教鞭を振るって居るからなのです。
 元々アルビオンで女王として君臨いた彼女は、ハーフエルフと言う事もあり王位をその子供に譲るとここへ教師として赴任して来ました。
 今から大雑把に数えて六十年程前の事です。
 人間ならとっくにしわしわのミイラになっている筈なのですが、あんちくしょう、未だに若若の水水しいお肌のバインバインです。
 エルフの血を引く彼女の血のお陰で嘗ては一度滅んだ王家が復活し、なおかつ生まれてくる子供達は皆超美形のナイスバディな上
 長命が保証されて実に妬ましい限りです。
 正にちーとと言う奴です。
 一応同じ "剣" の血を引く親族として、すごく不公平な感じです。
 でも、アルビオンにいるいとこの美形兄弟を見ていると、なんだかすごく耽美な妄想をかき立てられ、思わずヨダレが出て来てしまいます。
 ともかく。
 "虚無" の系統を持つ者は、ここトリステイン魔法学院で "虚無" の魔法を習うのです。
 私以外は。
 私ことアンネロゼ・シモーヌ・オルレアンの場合は、ちょっと違います。
 なぜならば、私は天才なのです。
 かの始祖の再来と言われた "虚無のルイズ" が遺した書を極秘に入手し、入学前に全ての虚無魔法を会得していたからです。
 美しい金髪やでっかいおっぱいが取り柄のあんにゃろうとは、出来がちがうのです。
 私の家系は胸に栄養が行かない分、頭に栄養が行くのです。
 "ガリアの蒼" はあんな雑魚とは違うのです、雑魚とは。
 でもそこは王家、美姫というポイントは必ず押さえて生まれてくるシステムなので御安心下さい。
 ではなぜ、私のように美姫で天才な虚無の使い手が今更こんな辺鄙なエロマン学院長の居る学校に留学してきたのか。
 それは実家に半ば放り出されたわけでは決して無く、虚無の魔法の研究の為なのです。
 なんでも "虚無のルイズ" の代で虚無魔法が復活したのは良いのですが、彼女だけが突出した才能を持っており
 各国のパワーバランスが著しく崩れた時期があったとか。
 そこは彼女の伴侶であり使い魔であった "剣" を当時のトリステイン、アルビオン、そして我がガリアの女王の王配とする事により
 王家の繋がりを密接にして虚無魔法の共有をここ、トリステイン魔法学院で行う協定が出来たのだそうです。
 ……早い話、 "剣" のチ○コで全部つなげちゃったというワケなのです。
 全ての虚無を会得し、新たな虚無を生み出すべく学院に留学した私の使命は三つ。
 この学院で新たな虚無の研究に励む事。
 虚無と比べて今一進まない、かつて最強と謳われた "剣" の研究を行う事。
 卒業までに決して実家に寄りつかない事。
 以上三つの事柄のみが天才公爵息女アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンを拘束できる枷なのです。

「……それが宝物庫に忍び込んだ――いや、宝物庫の扉を吹き飛ばした理由ですか? ミス・アンネロゼ」
 そうですミス・コルベール。
「ミス。貴女は先日もグラモン君に暴行を加えて問題になったばかりでしょう」
 あれはあの優男が私にキモい言葉で口説いてきたからなのです。
 あの手の輩には肉体言語で言い聞かせないとわからないのです。
「だからって、いきなり顔の形が変わるまで殴る事はないでしょう」
 チ○コには容赦など必要ないのです。
「チ○コはやめなさい、チ○コは。
……ともかく、貴女は研究者である前にここの生徒でもあるのだから、正規の手続きを行って中の物を取り出すようにしなさい」
 エロマン学院長が扉を開けたいならチキュウ製のエロ本が必要じゃ、などと妄言を口にするのが悪いのです。
「あのクソ……失礼。そう、そういう事だったのね、ミス。よろしい、今回の事は不問にしておきます。
それにいまからあたしが特別に宝物庫の中から必要な物を取ってきてあげましょう。そのかわり……」
 他言無用ですね? わかります。ガリア王家の者ならばこの位の駆け引きなど児戯にひとしいのです。
「よかった、話が早くて助かるわ。それで貴女は何が必要だったのかしら?」
 虚無の系譜と "剣の系譜" を合わせ持つ、私(わたくし)天才公爵息女アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンが必要な物とは……







「おでれーた!」
 天才である私の手にかかれば造作もない事なのです。
「お嬢様、この喋る剣は一体……」
 何ですかアラン。剣の系譜であるあなたが "デルフリンガー" を知らないとは、なんとも嘆かわしいのです。
「デルフ……って、たしか "我らの剣" が暗殺者に狙われた時に砕けた魔剣じゃないですか。これどう見てもレイピアですよ?」
 黙らっしゃい、このネズ公。チン○のくせに生意気言うんじゃないのです。
「チン○はおやめ下さい! 大体、お嬢様が 『学院には執事を連れて行けないから』 などと言いつつ
僕を自作虚無魔法でネズミの姿に変えちゃったじゃないですか! コレ、本当に元に戻れるんでしょうね?!」
 私専属執事であるお前が一緒に来なくてどうするのです?
「執事って、こんな姿じゃ身の回りのお世話などできやしませんよ!」
 細かい事は気にしないのです。お前もコッソリ私の着替えを覗けて幸せそうではないですか。
 それともなんですか? ネズミではなくゴキブリがいいですか?
「……このままで結構でございます、お嬢様」
 お前は素直で本当に良くできた執事なのです。褒美に、この剣の事を教えてあげるのです。
 確かに、デルフリンガーは一度砕けました。
 しかし、私の研究の結果それによって "彼" の記憶や人格が消えたりはしていないとわかったのです。
 そこで、天才である私がその記憶を "リコード" をアレンジした魔法で吸い出し、実家からちょっぱって来たこの剣に焼き入れたのです。
 この学院に保管されていたかつてのガンダールヴの愛剣は、今ここに蘇ったというわけなのです。
「まったく、おでれーた! おう、嬢ちゃん、俺様が気を失ってからどれ位時間が経ってんだ?」
 ざっと百年位なのです。
「そうか……じゃあ、相棒は」
 相棒? 虚無のルイズの使い魔、ガンダールヴことヒラガ・サイトの事です?
「ああ。そうか……百年もか……。なあ、嬢ちゃん、相棒はその後どうなったんだ?」
 それを今から研究しに "戻る" のです。
「戻る? お嬢様……また妙な魔法を開発したんじゃ……」
 なんですか、アラン。妙な魔法とは心外なのです。乙女のグラスハートが傷つくのです。
 これだからデリカシーの無いチンコは嫌いなのです。
「○! お嬢様、せめて一文字位隠して下さい!!」
 お前も本当にお父様やお母様のように口うるさいのです。
「取り込み中に悪いが嬢ちゃん、相棒のその後を知る為に "戻る" ってどういうことだ?」
 良い質問なのです。さすがは伝説の魔剣。
 インテリジェンスソードの "インテリジェンス" は伊達ではないのです。
 特別に優しく説明してあげるのです。
 かの虚無のルイズが遺した魔法の内、禁呪とされた魔法がいくつかあるのです。
 中でも大魔法として厳重に封印されていたのが "時間移動" なのです。
 それが記された書物はいくつかの断章にわけられ、各国の王家が厳重に保管しているのです。
 いかに天才である私(わたくし)であっても、その魔法だけはまだ会得していないのです。
 更に、王家に見せてくれと頼み込んでみてもけんもほろろに門前払いなのです。
「そりゃあ、お嬢様の悪名はハルケギニア全土に知れ渡っておりますからねぇ……」
 うるさいのです。
 大体、その悪名も元はといえばお父様が、私のラブリーな悪戯の数々を記した書物を各国の王族に送って
 『娘がそちらに現れたら大変危険だから速やかにあらゆる手段を講じて領内から追い出して下さい』 などと注意するのが悪いのです。
「ノイマン様のお屋敷を全てお菓子に変えたり、モーガン夫人を裸でパレードさせたアレらの何処がラブリーなんですか!」
 モーガン夫人は私の胸の成長を鼻で笑ったのがいけないのです。
 ノイマン伯父様だって、一度で良いから甘い物をたっぷり食べたいと仰ったからこそ、望みを叶えてさしあげたのです。
「ノイマン様は糖尿病です! 知っているじゃないですか!
おかわいそうに、ご自慢の名画まで巨大なビスケットにされてしまい十日も寝込まれたのですよ?!」
 お陰でダイエットに成功したのです。
 ともかく、その時間魔法を書物で会得出来ないのならば自分で作ってしまえと思い立ち、つい先日遂に完成したのです。
「嬢ちゃん、おめ、そんな事ができんのか?」
 私は天才なのです。
  "世界扉" と "加速" 、 "瞬間移動" それと "サモン・サーヴァント" の原理を利用したら思ったより簡単に作れました。
 自分の才能が怖いのです。
「へぇ、そいつはすげえ!」
 もっとも、過去に戻る為には魔法だけではダメなのです。
 戻りたい地点にまつわる物が無いと、遡行時間座標が上手くわりだせないのです。
 因果と言う奴なのです。
「それでデルフリンガーを……」
 アラン、ねず公の割には鋭いのです。褒めてあげます。
「僕はネズミじゃないです! お嬢様が僕をネズミに変えたんじゃないですか!」
「へぇ。嬢ちゃん、色々できるんだな。これも虚無魔法かい?」
 そうです。私(わたくし)は天才なので、私にしか使えない究極の虚無魔法だって使えるのです。
「おでれーた! そんな担い手、見た事ねぇぜ!」
 照れるのです。
「よう、究極の虚無魔法ってどういうのだ?」
  "確率操作" です。
「確率?」
 先程の因果の対になっているような存在なのです。
 つまり、全ての事象をコントロール出来るようになるのです。
 我々人間には原因があって結果が起きるという、 "因果" を普段観測しています。
 しかし、実際はすべて "確率" によって起きたそれらの事象を観測しているに過ぎないのです。
 1+1は2である "確率" が限りなく百パーセントに近いというだけで、実は2と言う答えは
因果によって定められているわけではないのです。
  "確率操作" はこの確率に干渉し、1+1をゼロにも十にもしてしまうのです。
 どんな出来事もゼロパーセントを百パーセントにだってできます。
「そいつはすげえ! でも、そんな魔法があるならわざわざ俺様を復活させたり、新しい時間移動魔法を作る必要がないんじゃねえか?」
  "確率操作" はそれこそ、大魔法なのです。
 いくら私が天才だからといって、そうそう使えるものでは有りません。
 大体、週一回が限度なのです。
「……ちなみに先週はご自身の体重を六リーブル(約3k/g)程軽くするのにお使いになられました」
「……坊主、おめ、苦労してそうだな……」
「アランと申します、デルフリンガー様。ちなみに僕のこの姿もお嬢様の "確率操作" で変えられてしまいました」
 仲良くするのです。
 デルフ、アランも一応はヒラガ・サイトの血を引いているのです。
「そうなのか?」
「ええ。僕は彼が手を出したメイドの子孫なので、魔法は使えないんですけどね」
 本当にアランのご先祖は節操のない○ンコなのです。
「お、おお、お嬢様! ○で隠してさりげなく僕の "剣" でない方のご先祖様の悪口言わないで下さい!!」
 冗談なのです。
 ただ、その胸の大きさに嫉妬した私のご先祖さまのメモを思い出して、ちょっと悪態付いただけなのです。
 ともかく、今から当初の目的通り私(わたくし)の研究の為、過去へ遡行します。
「研究?」
 虚無と比べて今一進まない、かつて最強と謳われた "剣" ことヒラガ・サイトの研究が今の私の目的なのです。
「お嬢様、今から過去へ行かれるのですか?」
 そうなのです。
 王配となってからの "剣" の記録はある程度残っているのですが、それ以前……ド・オルニエールでの生活の記録が
何故か殆ど残って居ないのです。
「ティファニア殿下にお訊ねすれば十分なのでは?」
 まったく、これだからネズミは浅はかなのです。
「僕をネズミにしたのはお嬢様です!」
 小さな事をちゅうちゅうときにするななのです。
 いいですか? アラン。
  "剣" が没してすでに数十年が経っているのです。
 彼を直接知る王族も、もはやあのおっぱいのみ。
 世は再び貴族によるものとなり、彼に関する記録も徐々に消失し、酷い場合は改竄されたりもしているのです。
 特にもっとも彼にゆかりあるここ、トリステイン王国ではその傾向が強いのです。
 先代国王 "瀑布の恐王" ことアンリ王が崩御して、それまで苛烈だったトリステイン貴族達への支配は
今や百年前よりも酷く、緩くなってしまっているのです。
 それに伴い、平民出身であった "剣" の歴史改竄や隠蔽が横行し始めている昨今、正しい記録を権威ある者が纏める事は急務と言えるのです。
 そしてそれこそが虚無の系譜と "剣の系譜" を持つ我々王族の使命なのです。
 そんな重要な使命を、あのような胸にばかり栄養が行く者に任せたのでは心許ないのです。
 この大役は私のように天才でなくてはならないのです。
「権威ならテファニア殿下の方が……」
 だまらっしゃい。
 そもそも、あのおっぱいは甘すぎるのです。
 チキュウ製のチョコよりも甘すぎるのです。
 彼女が "剣" の歴史を編纂した所で、貴族達に良いように言われてしまうのがオチなのです。
 その点、私ならば安心なのです。
 なぜならば、私が書いた物に文句つけようものならば、その場で素粒子まで分解してやるからなのです。
「……お嬢様ならやりかねませんね」
 だからこそ、伝聞ではなく直接行って確かめる必要があるのです。
 誰にも文句の言わせない物を書くには、真実をこの目で確かめる必要があるのです。
「なるほど、そのようなお考えでいらっしゃったのですか。僕、お嬢様の事を誤解していました」
 もっと褒めるのです。
「僕はてっきり、過去に戻ってティファニア殿下の弱みでも握るおつもりなのかとばかり……」
 それも目的の一つなのです。
 あのおっぱいがどんな格好で "剣" と睦んでいたか、じっくりと観察して記録に残してやるのです。
「お、お、お嬢様!それはまずいです! ものすごくまずいです!」
 大丈夫なのです。
 百年もすれば立派な学術書なのです。
 その間も、話題性に引き寄せられた平民達がこれを買いあさり、識字率も上がり "剣" の真実もきちんと世に広まるのです。
「理論武装は完璧だと思うのですが、またいつかのように殿下を本気で怒らせるような羽目になりませんか?」
 ……その時はアランを私の姿に変えて逃げるのです。
「非道い! 僕が殿下に殺されちゃうじゃないですか!」
 心配するなです。その時はお前に "ガンダールヴ" のルーンも刻んでやるのです。
 それを使って、おっぱいが我を取り戻すまで凌ぐのです。
「やですよ! そんなの!」
 まったく、ぐだぐだと五月蠅いネズ公なのです。
 もういいです、ここでお前と議論してもらちがあかないのです。
 さっさと過去へと出発するのです。
 華の乙女に与えられた時間は有限なのです。
「あの……お嬢様が過去へとお出かけになられている間、僕のエサ……じゃない、ご飯は誰が?」
 何言っているのですか。お前も来るのです。
「えええ?! 僕もですか?!」
 お前は私の身の回りの世話をする執事なのです。
「だから! 今は無理です!」
 大丈夫なのです。もし猫にでも食べられちゃっても "確率操作" ですぐ生き返らせてあげるのです。
「いやだ! 絶対にいかないからなロゼ! 僕を共犯に仕立てて殿下のお仕置きの身代わりにする気満々じゃないか!」
 おおう。久々にアランの地が出たのです。
 懐かしくも甘酸っぱい思い出が蘇り、ちょっと照れてしまうのです。
「五月蠅い! 行くならお前だけで行けよ! 僕を巻き込むな!」
 私の執事がつとまるのはお前だけなのです。
 帰ったら何でも一つ "確率操作" で願いを叶えてやるから大人しくついてくるのです。
「……本当? あ、でも元の姿に戻してやるとかいうオチじゃないだろうな?」
 安心するのです。それはカウントしないのです。
 おっぱい対策も別の方法を考えるのです。
 お前に危害を加えられる事のないようにするのです。
「信じてもいい?」
 信じるのです。ガリア王国第五王位継承者である私、アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンの名にかけて、約束は守るのです。
「……ロゼが権威に誓うなんて信じられない」
 では、秘蔵のチキュウ製ビーエル本にかけて誓うのです。約束を違えたのなら、二冊程火竜山脈の噴火口に投げ入れるのです。
 ううう、想像しただけでもおぞましい光景なのです。
「さあ行きましょうか、アンネロゼお嬢様」
 相変わらずアランは頭の切り替えがすばらしいのです。
 それでこそ私(わたくし)の執事なのです。
 それじゃ、さっそく "時間遡行" を使います。用意はいいですね?
「勿論です」
 それでは。
 じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……
「なんだそれ? おいアランとやら、いったいお嬢ちゃんは何を口にしてるんだ?」
「これはお嬢様の呪文の詠唱です」
「なんだか妙な響きだな」
「なんでも最近のマイ・フェイバリットだとか。お嬢様の場合、詠唱の文言はあまり意味がないそうなんです」
「はぁ? どういうこった?」
「なんでも、魔法の詠唱とは精神の集中をもって "確率" と "因果" に働きかけるのが本義らしく
それらに直接アクセスできるお嬢様の場合、詠唱などしなくても "結果" が引き出せるのだとか」
「……よくわかんね。おめ、頭いいんだな」
「僕もよくわかりません。この説明も、お嬢様に丸暗記させられただけですので」
「おめ……苦労してんだな」
「慣れですよ、慣れ。考えようによってはデルフリンガー様の方が厳しい状況かもしれませんよ?」
「どうしてだい?」
「デルフリンガー様は剣ですから、お嬢様から物理的に逃げる事ができません」
「……意味がわからねぇが、絶望するような事だとは伝わったぜ」
「恐縮です」
「話題を戻そうや。寒気がして仕方ねえ。で、結局お嬢ちゃんは詠唱無しに呪文を使えるんだろう?
なんでまい・ふぇいばりっととかいう呪文を唱えてるんだ?」
「さあ、私はお嬢様の執事です。そのような理由など、検討もつきません」
「いや、でも……」
「デルフリンガー様。一つ、ご忠告を。お嬢様の行動に意味を見出そうとしてはいけません。すぐに精神を病みますよ?」
 ぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいの……
「なあ、アランとやら。もしかして、俺様すごくヤバイ奴にとっつかまったのか?」
「さあ。私はお嬢様の執事ですのでお答えのしようがありませんね。
あ、でも安心して下さい。こう見えてもお嬢様は他者の命を奪うような非道を行ったりはあまりなさいません。根はお優しい方なのです」
「そうか、なら一安心だ」
「お嬢様は非道ではなく外道なのです。
命を奪って手打ち(おしまい)にするような事は、ガリア王家の伝統に反すると常々申しておられます」
「……なあ、アランとやら。なに遠慮はいらねえ、ちょいと俺様をブチ折ってくれねえか?」
「私はお嬢様の執事です。そのような真似はできません。ゴキブリにでも変えられてしまったら目も当てられませんからね」
 ――ちょうすけ! ふう、成功なのです。さあ、この光の鏡をくぐるのです。
「お嬢様、デルフリンガー様をお忘れ無く」
 おおう、よく気が付くのです。危うく忘れ物をしてしまう所でした。
 コレがないと時の狭間に落ちかねないのです。
「いっそ落ちた方がよかったかもな」
 ふふ、デルフリンガーは中々良い事を言うのです。
 それもなかなか楽しそうなのです。今度グラモンで試すのです。
「いけませんお嬢様。オルレアン様より、決して学院の生徒を実験材料にするなとあれほどきつく申し渡されたではないですか」
 ケチ。もういいです。そんな事より、早く鏡をくぐるのです。さあ、デルフリンガー。お前はこの鞘に収まっていなさい。
 アラン、お前は特別に私の肩に乗る事を許すのです。
「では失礼して」
「やれやれ。……お前さんに関わってからこっち、本当に退屈しねえな相棒。」





 と、言うわけで。
 私(わたくし)アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンは過去へと旅立つのです。
  "剣" こと、ヒラガ・サイト事を知る為に。
 己のルーツを辿る為に。
 なによりも、この胸を震わせる好奇心を満たす為に。
「しかしお嬢様。出歯亀も趣味だったなんて、流石の僕も初めてしりましたよ?」
 アラン。向こうに着いたらゴキブリにかえてやるのです。













[17006] Mischievous_episode/trick_2(オマケ)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/23 17:16
以下気分転換に書きなぐった "オマケ" その二です。
悪ふざけになるのかもしれません。
読まなくても本編とはまったく関係ないので問題ないです。
むしろ、本編とまったく趣の違うおふざけを見て興ざめしてしまう方は見ない方がいいかと思われます。
エイプリルフール用でしたが、今更完成しちゃったのでつい公開。


下記のオマケSSの設定は前回のオマケを踏襲しています。
IF_after物で、ルイズのご都合虚無魔法によりチキュウとハルケギニアがネットで通じたりしているアレです。
ハルケギニア側はルイズ自身が展開する魔法により接続を維持しておりますので、彼女無しでは皆接続が途切れてしまいます。
PCはチキュウに行って、大道芸やエキュー金貨を "忘却" を使いながら現金(EN)に変え、サイトが買ってきました。
勿論、本編にも原作にも関係のない、この場限りのご都合設定です。
というか、粗だらけなので細かいことは気にしないでいただきたいです。
なんのゲームやってるかはいわずもがな。
PC版です。



















才人    >よーっす。
Louise   >おそい!
しえしえ  >あ、やっと来ましたね。
スノーリ  >こうですか
才人    >わり。なかなかこの部屋見つからなくてな。
Louise   >ラグ出てるの?
才人    >いんや。お前の "接続" 魔法は問題ないよ。求人区じゃなくて、新人区探してたんだよ
しえしえ  >わ! サイトさん、カッコいい!
才人    >へへ、やっぱデルフみたいなもん使いたいしな。シエスタはライトボウガンなのか?
しえしえ  >はい、メイドとしてはサポート色を出したいなあ、と思いまして。
Louise   >……ねぇ、サイト。
才人    >なんだ?
Louise   >あんた、私をダマしてない?
才人    >どういう事だよ?
Louise   >だって、私があんたに何使うんだ?って使う武器を聞かれたとき確かに「一番強そうなの」って言ったでしょう?
才人    >ああ。
Louise   >シエスタはまだわかるわ。ルーはとっても大きな、両手剣を背負っているわね。あんたはあのボロ剣みたいな剣だし。
才人    >ああ、そうだよ?
Louise   >なんで私だけこんな、不恰好でごついハンマーなのよ?
才人    >何言ってるんだよ! ハンマーすっげえ強いんだぞ!
しえしえ  >そうですよ! 大きなカニや大きなドラゴンを狩る時にいつも重宝されるらしいんですよ!
Louise   >……それ位、ここまで育てて来たからわかるわよ。でも、なーんか釈然としないのよね。まあ、いいわ。これからわかるものね。
スノーリ  >みんな ちゃっと はやいね
才人    >まあな。ルー以外はいろいろやってて慣れちゃってるし
Louise   >すぐに慣れるわよ。っていうか、ルー。あんた、まさか練習期間はずっとひとりで採集してたんじゃないでしょうね?
スノーリ  >さいくつも してた
才人    >……戦力になりそうにねぇな。
Louise   >……まあ、こういった機械を扱うのは最近からだし、しょうがないかもね。
スノーリ  >それよりも
才人    >ん? なんだ?
スノーリ  >どうして みんな べつべつのへやで ぱそこんを そうさするの?
才人    >ああ、キュルケやタバサ達用に実験してるんだよ。
スノーリ  >じっけん?
Louise   >私の "接続" で "もんはん" のネットワークに侵入する為の慣らしって事よ。距離が近いとそれだけ楽だしね
才人    >つくづく、お前何でもアリになってきたなあ……
Louise   >ふん、私に不可能は無いのよ! このくらいお茶の子サイサイなんだから!
しえしえ  >その割にはキャラクター作って、細かい事覚えるの面倒だからあと育てといて! ってわたしに丸投げしてましたけどねえ。
Louise   >こら! それは才人には内緒にしててって言ったじゃない!
才人    >ルイズ、お前……だから今更ハンマーがどうだとか言い出したのか……
しえしえ  >大変でしたよう? 三人のキャラをHR11になるまで一人で狩るのって。
才人    >三人?
スノーリ  >わたしも らんくあげ たのんだの えへ
しえしえ  >だって、ルーさんまったく敵と戦おうとしないんですもの……
才人    >ルイズだけじゃなくてルーも戦力にならないって事か……
Louise   >しょ、しょうがないでしょ! 最近話し相手の居ないアンリエッタ王妃に呼び出されてばかりだったんだから!
才人    >怒るなよ、別に責めちゃいないんだから。もとはと言えば、みんなHR11まで練習! って事にしたおれが悪いんだし
しえしえ  >ルイズさんの都合に合わせて、みんなで最初から遊んでればよかったですねえ
スノーリ  >みんなで とくさんきのこ とるのたのしそう
Louise   >終わったことをグチグチ言っても始まらないわよ。最近忙しかったのは事実だし、キュルケやタバサも待ちかねてるし。
才人    >特にタバサからの催促はすごいよなあ。毎日シルフィードが催促の書簡もってくるんだぜ? 急ぐ気持ちもわかるだろ?
しえしえ  >楽しみにしてますものね……
スノーリ  >いるくくぅ さいきん やつれてきた
Louise   >そりゃ、毎日ガリアとトリステインを往復してりゃ流石の韻竜でもねぇ……
才人    >とにかく、シルフィードの為にもさっさとテスト終わらせようぜ。あと三日もあれば大体のネットワークを把握できるんだろ?
Louise   >ええ。そこは任せて頂戴。あとは距離だけだから、三日も遊んでいれば慣れて長距離でも "接続" を実行できると思うわ。
才人    >じゃ、とりあえずクックでも狩って慣らしとこう。ルーは……戦った事ないよな?
スノーリ  >うん
才人    >ルイズは?
Louise   >大きなイノシシならなんとか勝てたわ! あれは大きかったわよ、サイト!
しえしえ  >クエスト張りました~
才人    >……頑張ろうな、シエスタ。
しえしえ  >はい! クック程度なら、わたし一人でも大丈夫ですし。
Louise   >私だって、大きな茶色のイノシシを何匹も倒したのよサイト!
才人    >そっちのイノシシかよ! ルイズ、お前さては一日どころか数回遊んで直ぐシエスタに丸投げしたな?!
Louise   >大丈夫、操作は一発で全部覚えたわ!
スノーリ  >わたしも ぜんぶ きのことれるとこ しってる
才人    >……頑張ろうなシエスタ。
しえしえ  >はい! 散弾も調合分合わせてたっぷり持ってきてるし、まず大丈夫ですよ!
才人    >――え?
しえしえ  >えっ?
Louise   >何?
才人    >散弾?
しえしえ  >ええ、散弾です。よく当たりますし、すっごい便利なんです!
才人    >シエスタ、もしかしてお前、パーティ組むの初めてか?
しえしえ  >え? ええ、だって初めての相手はサイトさんとって決めていますもの。
Louise   >ちょっと! 何どさくさに紛れてきわどい事言ってるのよ!
スノーリ  >わたしも ぱあてい はじめて きのこ たくさん とれるかな?
才人    >……もういいや。おーい、みんな、いくぞー。
Louise   >シエスタ、戻ったらちょっとこっちの部屋にいらっしゃい
しえしえ  >やだなー、冗談ですって、冗談! あ、今日のお茶受けはクックベリーパイですよ?
スノーリ  >ほしい! いまから たべましょう!
しえしえ  >だめ。ルーさん、ちゃんと時間はまもりましょうね? それにこの前みたいに食べると太っちゃいますよ?
才人    >おーい、行くぞってば。
スノーリ  >だいじょうぶ。 まほうで すがたを かえているだけだから みためは どんなにたべても かわらない
Louise   >むかっ
しえしえ  >むかっ
才人    >おーい、○ボタン押してくれよう
スノーリ  >押した
しえしえ  >押してます~
Louise   >えっと、これ?
才人    >わかんねえよ、部屋別々だし
Louise   >ちょっと、まって。

「ねえ、サイト、これ? このボタン?」
「……そうだ」
「ありがと。このゲームパッドっての? 結構記号がついたボタンが多くて苦手なのよね」
「わざわざ部屋を移動してまで聞きに来るようなことか?」
「いいじゃない、ここ、わたしの家なんだし」



しえしえ  >……ごめんなさい、散弾があんなに味方にとって邪魔になるなんて、初めて知りました。
才人    >まあ、予想通りだったけどな。
Louise   >なによあのでっかい鶏は! あんなのに勝てるわけないじゃない! 私ばかり狙って来るし!
スノーリ  >きのこ せっかく あつめたのに くえすと しっぱい しちゃった
才人    >……攻撃は的確に俺に当たっていたから、慣れれば余裕だよ、ルイズ。
Louise   >そう? でもおかしいのよね。あんたは空高く吹き飛ばせるのに、アイツは吹き飛ばせないもの。
しえしえ  >味方に攻撃を当てるのと、敵に当てるのでは動きが違うんですよ
Louise   >なるほど! それであんなに怒ってたのね!
才人    >……ルイズ、支給品の音爆弾をいきなり投げるのは辞めような?
Louise   >なんでよ? 私知ってるのよ? 支給品は持ち帰れないから、さっさと使わないと勿体ないじゃない!
才人    >そっすね
しえしえ  >あ! サイトさんがいじけた!
スノーリ  >さいとさん げんき だして きぶんてんかんに いっしょに きのこ とりにいこ?
Louise   >感じわるぅ。言いたいことあるなら、ちゃんと言ってよね!
才人    >ごめん、ちっと心が折れそうになったんだ。
しえしえ  >サイトさん……元気を出して! あとで、ゆっくり慰めてあげますから!
Louise   >こら! この、色ボケメイド! 何どさくさに紛れて言ってるのよ!
しえしえ  >いいじゃないですか! ルイズさんは昨夜サイトさんとたっぷり楽しんでるんだし!
Louise   >え?
才人    >え?
スノーリ  >え?
しえしえ  >ちょっとくらいわたしにも使わせて下さいよ!
スノーリ  >たのしむ? いま げえむ してるよ?
Louise   >な、の、覗いてたのあんた?!
しえしえ  >知ってます? このお屋敷、かなりあちこちガタきてて、すっごく壁薄いんです。
Louise   >ああああああああああああああああああああああ
スノーリ  >あ るいずさん あ きい から ゆびはなしたほうが いいよ?


才人    > 悪り。ギーシュに呼ばれたから俺ちょっと落ちるわ。










続かない。



[17006] intermedio4-1/復讐は夜風となり
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/09 07:42










エヴラール・バルビエ副伯は、夜の森を "レビテーション" で低く木々の間を縫うように飛翔していた。





右手で押さえた左肩からは血が滲んでいる。

食いしばった歯は白く、口はしかし苦痛ではなくどちらかというと、忌々しそうにその端が歪められていた。

彼の脳裏によぎるものは憤怒。

無理もない。

トリステイン王国と戦争中の敵国、神聖アルビオン共和国と通じてアンリエッタ女王を操る計画が台無しにされてしまったからだ。

しかも無力で浅ましく、愚か者だと日頃蔑んでいる平民に怪我まで負わされての事である。

今頃屋敷の地下に繋いでいた平民の女から、女王直属の女官が全てを聞き出して居る頃だろう。

忌々しい。

あの女、後でじっくりと "楽しもう" などと思わずさっさと殺しておけばよかった。

それにあの女の弟のガキ。

ああ、忌々しい。

まさかあのような魔法を無力化する魔剣を携えていようとは!

副伯の脳裏に平民の姉弟と女王の女官だと名乗った、妙な格好のピンクブロンドの小娘の笑顔が浮かんだ。

三つの笑顔は自身に向かい、声高に嘲笑を始める。

くそ! くそ! くそ!

何がおかしい!

俺はエリートだ!

お前達のようなゴミとはちがう!

忌々しい! 本当に忌々しい連中だ!

脳裏に浮かんだ幻影を罵倒する為に、とびきりの言葉を探して副伯は呻いた。

しかし、浮かんでくる汚い言葉はすべて足りない。

お前は娼婦だ、キチガイだ、屑だ、淫売だ、家畜だ、非人だ、オークだ。

思い付く限りの罵声を口にするも、どれも彼の怒りの度合いに相応しい物ではなかった。

腹の底が、まるで煮え立った大鍋のように熱い。

眼球が痙攣し、思考は白濁している。

程なく、行き場を失った怒りが臨界を超え絶叫となって副伯の口から飛び出た。

同時に轟音が遙か遠くから響く。

バルビエ副伯はぎょっとして、 "レビテーション" での移動を一旦辞め木の陰に隠れて辺りを伺った。

人の気配はない。

空を見上げると、巨大な火柱が夜空を焦がしている。

どうやら彼の部下が未だ、誰かと戦っているらしい。

その事実は副伯を更に苛立たせた。

ドニめ。

あの、無能め!

大口を叩いた割に苦戦しているではないか!

お前がさっさと仕事をこなし館に戻って来なかったから "こう" なったのだ!

左肩の痛みも忘れ力の限りに握った拳で、副伯は背にしていた木の幹を殴りつけた。

ぺし、と情けない音と共に肩の痛みがぶり返す。

副伯は思わず呻いて、杖を軽く振り治癒の魔法を紡いだ。

魔法の効果はすぐに現れ、左肩の痛みがみるみるうちに消え去ってゆく。

しかしそれに呼応するかのように痛みが占めていた部分へ、怒りが染みこんできた。

忌々しい! くそ! なぜどいつもこいつも俺の邪魔をする! 無能だ! 無能だらけだ!

ドニの奴も無能だ! 戦争を継続したがる女王も無能だ! 俺の邪魔をするあいつらも無能だ!

くそ! くそ!





「くそ! よくも! この恨み、決して忘れはせぬぞ!」


「同感だ」





怒りにまかせた独白に応じたのは男の声であった。

副伯は肩を跳ね上げながらも、声のした方角へ弾かれたように振り向いた。

いつからそこに居たのか、暗い夜の木々の合間に立つ長身の影が見える。

影は静寂を纏い、顔には銀の仮面。

背は高い。

刺突剣を握る右腕とは対照的に、だらんと垂れた左腕の袖が隻腕である事を示していた。

バルビエ副伯はそれが誰であるかと考えるよりも早く、 "レビテーション" を唱えながら影とは反対側に身を翻す。

しかし。

いつの間にか自分の背後に出来ていた "闇" を見て、 "レビテーション" の詠唱を途中で辞めてしまった。

闇は空高く、森の木々を超えてそびえ月光を遮っていたからだ。

それが巨大なゴーレムであると副伯が気が付いた時、背後から隻腕の影が再び声を掛けてきた。





「エヴラール・バルビエ副伯だな?」


「だ、だれだ!」


「 "風" 。理由あって、本名は名乗れぬのだ。それよりも……」





どん、と足に軽い衝撃を受けてバルビエ副伯は突然姿勢を崩し、その場に倒れ込んでしまった。

なんだ?

何が起きた?

くそ、無様にも木の根に足を引っかけたか?!

ええい、くそ! くそ! くそ!

なんと、なんと無様な!

内心で一人ごちてすぐさま立ち上がろうとするも、なぜか立ち上がることができない。

蔦でも絡まっているのかと思い己の足の方を見やると、其処に有るはずの物が無かった。

バルビエ副伯がその現実を受け入れる間も無く、背後の隻腕の影が抑揚の無い声で台詞を続ける。





「杖も。逃げられると私が大目玉なのでね」





今度は杖を持っている右手にどん、と軽い衝撃。

副伯は眼前で右手が消失する様を見て、目を開いた。

自身に加えられた危害にショックを受けたわけではない。

今までにこれほど鮮やかな "エア・カッター " を見た事など無かったからだ。

バルビエ副伯の僅かに残ったメイジとしての矜恃がそうさせたのか、この時真っ先に脳裏に浮かんだのは

屈辱でも、敗北感でもなく、メイジとして相手の技量に目を奪われるほどの驚嘆であった。

すこし離れた位置でぼとり、と音を聞き副伯はやっと我に返る。

そして悲惨な現実を直視する事となった。

遅れて両足から、次いで右手から痺れに似た鈍痛が這い上がってくる。

やがて間を置かず鈍痛は激痛に変わり、この時バルビエ副伯は自分が何をされたのか初めて理解した。

たまらず悲鳴を上げようと口を開けた瞬間、今度は口内に粘土のような土の塊が出現する。





「うご! おおおお!!」


「うるさいねぇ。大声出すんじゃないよ、みっともない。立派なお貴族さまなんだからさ」





今度は若い女の声である。

声は副伯の頭上、遙か高い位置から聞こえてきた。

それがゴーレムを作り出した本人の物であると気付く余裕すらなく、両足と右手を失った副伯は悶絶し悲鳴を上げる。

そのくぐもった悲鳴をかき消すように、先程とは比べものにならない程巨大な火柱が轟音と共に遠く夜空にそびえた。





「……相変わらず派手に暴れるな、あの使い魔は」


「うあああああ!」


「副伯、貴方は運が良い。恐らくはあの使い魔の主人を "泣かした" りしなかったからだろうが
 アレと敵対して五体満足で逃げおおせたのは、誇るべき事であると思うね」


「何言ってんだか。あんたの左腕は自業自得だとわたしは思うけどもね」


「そう言うな "土" 。あの使い魔を見てまさか、あのような力を秘めているとは誰が予想しえるのだ?
 お前だってそれで以前痛い目をみているではないか」


「そりゃまあ、そうだけどさ。
 ――ええい、ぴーぴーと五月蠅い! ちょっと "水" ! さっさと黙らせなさいよ!」





いつの間にかゴーレムから降りてきた女は、悪態をつきながら地に倒れて激痛の為に暴れているバルビエ副伯を軽く蹴飛ばした。

そんな彼女の脇にもう一つ暗く人影が現れて蹲り、暴れる副伯に手を伸ばす。

するとピタリとバルビエ副伯の動きが止まり、口に粘土を詰められたまま上げていた悲鳴も聞こえなくなってしまった。

蹲った影はそのまま仰向けに動きを止めた副伯の顔をのぞき込む。

濃い紫色のローブを纏いまるで森の闇そのもののような影は、隻腕の男と似たような銀の仮面を付けていた。





「旦那、聞こえるかね? 痛みはもう感じないはずだ。おっと、自己紹介がまだだったな。
 私は "水" 。まあ、水と言っても "毒水" なのだけどもね。
 旦那には恨みは無いのだがこれが "報酬" なんでね、勘弁願いたい」


「 "水" 、余計な事は喋るな。それに "報酬" はまだだ。私の用事が済んでいない」


「これは、失礼。薬は効いているから、じっくりとどうぞ。
 ただし、くれぐれも反応が無いからといってこれ以上傷つけないで下さいよ?
 前も似たような依頼をしてきた癖に、反応がないもんだから激昂して滅茶苦茶にした依頼人が居たのでね」


「わかっている。こんな状態になっても、きちんと耳は聞こえているし目も見えているのだろう?」


「ええ、そうです。血もちゃんと止めましたから、失血死の心配もないですよ」


「なんでもいいから、早く済ましておくれよ。
 あの使い魔の戦闘に巻き込まれでもしたら目も当てられないよ」





少し苛ついた声で "土" と呼ばれた女は "風" と名乗った男を急かした。

隻腕の男はそんな女の様子など無視して、蹲り副伯を覗き込んでいた "水" を押しのけ屈んで

バルビエ副伯にその顔を近づけ仮面を外した。

その間、副伯は只一言も口にすることも動くことも許されず、ただただ三人のやりとりを動かぬ眼球で観察するしかなかった。

唯一彼にとっての救いだったのは、つい先程まで全身を襲っていた激痛が綺麗に消えていたことである。





「お初にお目にかかる。私はジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと申します。
 裏切り者の元魔法衛士グリフォン隊隊長と言えばピンとくるかな?」





返事はない。

辺りにはワルドの言葉だけが木々のざわめきに混じるばかりである。





「ふむ。薬がきちんと効いているならば、苦痛はもう無いはずだ。
 副伯、貴方は以前トリステイン王立魔法研究所に籍を置いていたことがありましたな?」


 腕が! 私の足が!! おのれ貴様! 何故お前がここに居る? アルビオンに寝返ったのではないのか?





遠くに出現していた火柱が消え、暗闇が戻った森の中。

人形の様になった副伯の瞳に宿る感情を読み取ったのか、ワルドは口の端を僅かに上げて深くゆっくりと鼻を鳴らした。





「ああ、そうでしたな。何故私がここに居るのか、それから説明して差し上げましょう。
 何、簡単な話なのです。
 卑怯な裏切り者の常と申しますか、今はレコン・キスタではなくトリステイン女王アンリエッタ陛下に肩入れをしている
 さるやんごとなきお方にお仕えしているのですよ」


 それがどうした! なんの事だ!?


「その方の命令でね、私はこの国に巣食うアルビオンへの内通者の "掃除" を行っているのです。
 なんせレコン・キスタの内部につい最近まで居たものでね、名簿の作成など実に簡単な物でした」


「そんな事、何も反応できないそいつに話してもしょうもないだろ、 "風" 。
 とっとといつもの恨み言を言って済ましておくれよ」


 なんの事だ?! 私には関係の無いことではないか! ああああ! おのれ! おのれおのれ! よくも、私の手足を!!


「直ぐ終わる。――失礼、連れは少し気が短くてね。
 そんなワケで、皮肉な巡り合わせか裏切り者の私がこの国で掃除屋をやっているのですが、実はこれにはもう一つ
 私の個人的な理由があるのですよ、副伯。
 つまり私はその理由の為に祖国を裏切り、レコン・キスタを裏切り、恥も無く再びこの国に舞い戻って薄汚い仕事に勤しんでいるのです。
 時に副伯。貴方は先程も言ったように、トリステイン王立魔法研究所に勤めていた時期がありましたね?」


 それがどうした! くそ、殺すならさっさと殺せ!





罵倒は目と口を開き、仰向けに倒れている体から外には出なかった。

手足を襲っていた激痛は既に感じては居ない。

無論、暴れることすらできない。

何をされたのか皆目見当がつかなかったが、意識と体を切り離されたのだとは理解していた。

この時バルビエ副伯は地に倒れ、己を見下ろす三つの影をただただ、見つめることしか出来なかった。

その内の一つ、もっとも近い位置にあるあごひげを湛えた若い男の瞳に暗い感情がゆらりと灯る。





「調べは付いている。貴方は、そこである暗殺計画に関わった筈だ。
 下らない、そしてつまらない嫉妬の為にとある発見をした女性研究員を暗殺するため、当時の貴方は暗殺者の手引きを行った。
 違いますか?」


 し、しらん! そのような昔のことは


「暗殺者の名はギョーム。貴方の同僚だ。これは本人に直接聞いた事です。
 ここまでお話すれば察しが付くでしょう?
 そうです。私はその女性研究員の息子なのですよ、エヴラール・バルビエ副伯。
 これは任務である前に、私の復讐なのです。
 直接母に毒を盛ったギョームの方は、この手で既に復讐を遂げてみせました。
 まだ幾人か、黒幕が残っては居ますがいずれ……」


「 "風" の旦那、私の報酬の話を忘れないで下さいよ?」


「分かっている、 "水" 。
 ――副伯。貴方も憎き母の仇の一人ではありますが、この者との契約もあります。
 直接手を下せないのが非常に残念ですが、精々この世で長く、地獄を味わっていただきたい」





ワルドはそう言い放ち、すくと立ち上がってその場を後にした。

その後を "土" と呼ばれた女性が追う。

そしてその場には物言えず手足を切り落とされたバルビエ副伯と、 "水" と呼ばれた濃い紫色のローブを纏った男だけが残された。

ざぁ、と森がまるで生き物のようにざわめく。

まるで残された二人を遠ざけようとするように。





「それじゃあ、旦那。始めましょうか?」


 な、何をする?!


「そんな不安そうな顔をしないで欲しいね。何、 "簡単には死にはしない" 。
 さっき旦那に注入した秘薬は意識と体を切り離す他に、生命活動をギリギリまで抑える効果があってね。
 切り落とされた手足の感覚ももう感じないだろう? ああ、心配しなくていい。血もちゃんと止まっているよ。
 生きたままのメイジの肉体は、凄く良く効く秘薬の材料になるんだよ。
 まずは生命活動にあまり影響のない部位から頂くとしようかね?」


 や、やめろ……やめてくれ!


「大丈夫、痛みは感じないはずさ。狂死されてはこちらが困るからね。
 出来る限りやさしくするから、すこしの間辛抱して欲しい、副伯の旦那。
 ……おっと、作業の前に私の顔につける秘薬を塗っておこうかな。
 そろそろ効果が切れる頃合いだ。
 ふふ、副伯。私は夢中になるとつい、時間を忘れてしまう性格でね。すこし不快だろうが、辛抱してくれたまえ」





"水" と呼ばれた男はそう独り言のように呟くと、おもむろに銀の仮面を外して見せた。

その素顔を見た副伯はたまらず声にならぬ悲鳴と絶叫を上げる。

しかしその音無き叫びは、魅了の唄が止んだ森のざわめきに掃き散らされてゆく。

副伯が見た "水" の素顔は、皮膚のない人の顔であった。

それはまるで、死に神と言うよりも残酷な悪魔のような顔であり、副伯にとってまさしく悪夢その物を形にしたかのような存在であった。

"水" は副伯の声にならぬ絶叫を感じ取ったのか、すこし不快な表情を浮かべながらもやがて任務の報酬を受け取るべく

作業に取りかかるのであった。







一方ワルドはそんな、凄惨な現場から半ば逃げるかのように距離を置き "水" と呼ばれた男の作業が終わるのを待っていた。

腕を組み、背を木の幹に預けて目を閉じてはいたがどこか落ち着かない様子である。

そんな彼が背を預けている木の幹を挟んで、 "土" と呼ばれた女―― "土くれ" のフーケも又、ワルドと同じように背を木の幹に預けていた。

こちらも腕を組んでいたが、その美しくもきつい印象を持たせるつり上がった目は、背後のワルドへと注意が向けられていた。





「……顔色が優れないね?」


「ふん、見もせずによくもそのような事が言えるな」


「見なくてもわかるさ、ワルド。
 まあ、復讐とは言えアレに悪趣味な方法で始末をさせる気持ちは、わからないでもないけどさ」


「ふん、当然の報いだ」


「しかし、よくあの鶏ガラの宰相が裏切り者のあんたを使う気になったもんだね?」


「他に汚れ仕事をこなせそうな者が居ないのだろう。
 皮肉な話、いまのトリステインの王宮には信用に足る強力なメイジが居ないのだ。
 それこそ、裏切り者を使った方がまだマシに思える程にな」


「ふぅん、其処まで腐っていたとはねぇ。麗しき女王陛下がメイジ不審に陥っている噂は、あながち間違いでないって事かね」





フーケの言葉にワルドはふん、と鼻を鳴らして嘲るような笑みを浮かべた。

そんなワルドの態度に応じるように、フーケも又ここには居ない誰かを嘲るように微笑む。





「我らの後ろ盾がウェールズ皇太子殿下だと言うこともあるさ。
 それにこういった仕事は外部の人間の方が使いやすい。
 今のトリステイン王国の内情では尚更だ。
 いざとなれば私をアルビオンの暗殺者として処分する事もできる。
 何より、私の場合は忠誠でなく "利" で動いていることをあの宰相も皇太子も承知しているからな。
 忠誠に燃える人間よりも扱いやすいと判断したのだろう。
 特に今回は内通者の名簿と引き替えに、マザリーニが独自に調べ上げた母の事件の容疑者のリストが出て来たから
 裏切る心配は無いと踏んでいるのだろうさ」


「は! なかなかどうして食えない宰相じゃないか。鶏ガラとは良く言ったもんだね」


「鳥の骨だ。……このリストを握りつぶしていたのはリッシュモン――高等法院の長だ」


「そいつが次のターゲットなのかい?」


「いや。こいつは女王陛下への生け贄にするらしい。見せしめという物が必要だと言うわけだ」


「へぇ。あのお姫様も結構やるじゃないか」


「ふん、大方我らの事は知りはしまいさ。其処までは "汚れて" はいまい」


「ワルド、あんたはそれでいいのかい?」


「何、あの世間知らずのお姫様の事だ。取り逃がす事もあるだろう」


「獲物を横からかっさらうってわけかい」


「そうだ」





ワルドの短いその返答を聞いたフーケは、暫く黙り込んでいたが不意に背にしていた木を回り込みワルドの正面に立った。

それからおもむろに身長の高いワルドを見上げながら、彼の残った右手を両手で握り大事そうに抱え込む。

普段の彼女からは想像もつかない、かなりらしくない行動ではあったが、ワルドは特に驚きもせずその行動を注意深く見守っていた。

果たして、次に紡がれたフーケの声はどこか苦しそうな物であった。





「ねぇ、ワルド。 "復讐者" の先輩から言わせて貰うけどさ」


「うむ?」


「思っている程、スッキリしないもんだよ」


「……知っているさ。だが、いかに後悔しても後戻りはできん。 "知っているだろう" ?」


「……ああ、知っているさ。痛い程に、ね」





フーケはそう呟いて、握った手を離した。

それから何かを振り払うかのように、乱暴にワルドの唇を己の唇で塞ぐ。

夜風が吹き抜け、森の木々が狂おしく何かを求めるかのようにざわめいた。









ワルドはそんな彼女の行動に、ほんの少しだけ背に回した右腕の力を込めてやるのであった。


















[17006] intermedio4-2/女王陛下の狐狩り
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/12 16:08









『魅惑の妖精』亭はその日も繁盛していた。





チップレースが終わり一区切りがついたものの、店にやってくる客にしてみればそんな区切りなど関係無いのは当然で

相も変わらず才人は皿洗いに、ルイズは接客に忙しい毎日だ。

そう、二人は"青い鳥" の姉妹が屋根裏部屋を出て行ってからこっち、事件らしい事件も起きず実に平和で穏やかな日常を

満喫する事ができたのである。

もっともルイズにしてみれば次々と起こる才人が "以前" 経験した事件を初体験し、それなりに刺激的な毎日でもあったが。

すなわち、店にたかりにやって来た徴税官の一言で、キレたルイズが魔法を使い店の者にバレバレであった身分が改めてばれてしまったり。

たまたま店に遊びにやって来たタバサとキュルケ、ギーシュと彼と仲直りしたモンモランシーがやって来て店で働くルイズが茶化されたり。

キュルケとタバサの友情の始まりの物語を皆で聞いたり。

そこへ久々の休暇でハイになった王軍の士官とその手下が店にやって来て、傲慢に振る舞いながらキュルケに絡み、決闘騒ぎになったり。

結局決闘はタバサが引き受け、王軍の士官を手下もろとも "エア・ハンマー" で吹き飛ばしアッサリと勝負がついたり。

しこたま飲み食いしたキュルケが眠いから泊まると言い残し、お代をルイズにツケてタバサと共に『魅惑の妖精』亭の二階へと消えたり。

そこへ先程の士官が決闘の仕返しの為、一個中隊を引き連れてやって来て大乱闘騒ぎになったりといった具合である。

もっとも最後の乱闘騒ぎでは、 "前回" はボコボコにされてしまった才人とルイズであったが、 "今回" はその圧倒的な力の差を

余す所無く発揮し、逆に一個中隊全員をボコボコにしてしまうのであった。

そんな、一見順調に "同じ未来" へと進みつつある日常の中で、才人はある悩みを抱え込んでしまっていた。

タバサの母親救出の為、未来をそれまではなるべく変えないようにすると決めた才人であったが

一つ引っかかる "事件" がこれから起こるからだ。





「なあ、ルイズ。いい加減、機嫌なおしてくれよぅ」


「うるさい!」





喧噪に包まれる店内、厨房の片隅で転がる才人をゲシ! と踏みつけるルイズ。

白いこめかみに青筋を立て、非常にご機嫌ナナメといった様子だ。

"青い鳥" の姉妹が才人にささやかな復讐をした日からずっとこの調子なのである。

無論、彼女達の真意をわかっているルイズではあったが、苛つきの原因はそれだけではなかった。

先日の王軍士官が連れてきた一個中隊との大立ち回りの一件で、店の女の子達の間で才人の株がうなぎ登りになっていたからだ。

徴税官をこっぴどく痛めつけて追い返した自分の評価もかなり良い物に変わってはいたが、才人は "特別" であった。

何せ魔法が使えない平民である才人が、メイジも混じっている王軍の一個中隊を素手で全員叩きのめしてしまったのだから。

平民であればその事実は誰が聞いても心躍るような出来事であろう。

ましてや年頃の女の子がその現場に居合わせたのである。

それも、複数人で。

案の定、才人の圧倒的な強さを目の当たりにした店の女の子達が、日頃の才人とのギャップも相まって

夢中になってしまったのも無理もない話である。

あれ以来店に出ている女の子達が何かと才人につきまとい、世話を焼きたがり、あまつさえルイズに彼、どんな女の子が好みだろうかなどと

いった相談がよりにもよってルイズの元へ、ひっきりなしに舞い込んできていたのだ。

それがルイズにとって非常に面白くない。

というか、常に噴火寸前の火山のように怒りのマグマが渦巻いている状態となっていた。

そしてそのルイズの状態こそが、才人の悩みの種となっていたのである。





「あ、あんた……最近妙にモテるからって、調子にのってない?!」


「滅相もございません」


「今日だって、私以外の女の子を五十三回も見たわ! それに、ジェシカやジャンヌの胸の谷間を二十六回も見たりして!」





声を震わせ台詞と共に、グリッと才人を踏みつけた足に力を込めるルイズ。

ミシリという音を才人は耳にしながらも、どうやってルイズの機嫌を直して貰おうかと途方に暮れていた。

なにせ、ルイズの言葉通り女の子(の胸)につい目が行ってしまっていたことは事実だったからだ。

事実は引け目となり、自己嫌悪として才人を苛む。

しかし、それ以上に男としての本能に打ち勝てない自身が情けなくなる才人であった。

だからこそ、ルイズの行き過ぎた嫉妬にも才人は特別不快に思うことは無い。

むしろ愛情表現の一種として捉え、他の女性に目をやってしまった自身への罰も兼ねて嬉々として受け入れている節もある。

なまじ "前" の人生の中でルイズと共に過ごした時間もあり、彼女の欠点すらも易々と受け入れてしまえる土壌もあった。

そんな才人の態度は、彼を注意深く観察する女の子達に大人びた、余裕ある物にみえてしまい、知らずますます株を上げてしまう。

その様子をルイズは間近で見聞きし、更に嫉妬の炎を燃え上がらせる。

そして才人に当たる。

耐える、というか余裕を持って受け入れる。

女の子達の株が上がる。

ルイズが更に苛つく。

悪循環であった。





「わたしの、気も、しらないで! このこのこのこの!」


「うげ! ル、ルイズ! 痛い! 落ち着け! 実は、大事な話がああ! いでぇ!」


「何が、大事な! 話よ! 私の、方が! 大事、でしょうが!」





取り付く島もないとはこの事である。

ぐりぐりぐりぐりぐりと踏みつけられながら才人は、これから起きる『魅惑の妖精』亭で起きる最後の事件についての説明を

この時とうとう諦める事にしてしまうのだった。

このような状態のルイズに、これからアンリエッタとキスをするような状況になるとは、口が裂けても言うわけにはいかない。

間違いなく逆上してしまい、 "爆発" を店の中で見境無く唱えだしてしまうだろう。

無論、キス自体はなんとか阻止するつもりではある。

しかし、今の才人がまったくルイズに信頼されていないのは明白であった。

なにせ、先日デートとしてトリスタニアの劇場へ足を運んだ際、ルイズは演劇などそっちのけで周りの女の子の視線を伺い

視線が合おう物ならばまるでエサを手に入れたばかりの餓狼の様に唸り、時にはしゃー! と威嚇をする始末であったからだ。





「お、おちつけって! パンツ、パンツみえてんぞ!」


「いいのよ! パンツでも! 私だけ見てればそれで!」


「サイトー、これ、おねが……うわ! なにやってんの?! そんなプレイ、お店でやっちゃだめよ!」


「ちがう! ジェシカ、断じてそれは違う!」


「うっさい! 取り込み中よ!」


「ルイズ?! ……まったく、仲がいいのは結構だけど今は仕事中よ。はやくフロアに戻んなさい」


「そんな事言って、あんた私が居ない間、サイトに言い寄るつもりでしょう!
 知ってるのよ、厨房に入る子はみんなシャツのボタンを一つ、外して入っているの!」


「う、ちゅ、厨房は暑いからよ!」


「元々胸元が大きく開いているじゃない! あ! もしかして私への当てつけ? 当てつけなの?! きー!」


「そんなつもりはないって、考えすぎよ? ……そりゃ、武器になる物は有効に使う主義だけどさ」


「やっぱり! うぬれぇ!」


「ちょ、落ち着いて! 杖こっちに向けないでよ! てか、どこにそんなもの隠し持ってたのよ!」


「る、ルイズ! 落ち着け! 流石にそれはマズイ!」


「あんたは黙ってなさい! 敷物は敷物らしくそこで大人しくしてればいいのよ!」





ぐりぐりぐり、と才人を踏んづける足に力が更に籠もる。

ぐえ、と潰れたカエルのようなうめき声を上げて、イーヴァルディの勇者は手足をバタつかせて苦しんだ。

ジェシカはそんな二人を見て、腰に手を当てはあと深くため息をつく。





「ねえ、ルイズ。あのね? みんな、必死なのよ」


「なにがよ!」


「だってさ、ルイズはいつもサイトと一緒に居られるじゃない。
 屋根裏部屋にさ、二人きりで過ごして彼と同じベッドで寝ているんでしょう?」


「そりゃ、まあ……」


「それ、すっごい有利よねぇ。店の女の子……ナンバーワンの私でさえも覆せない程有利な状況じゃない。
 ねぇ、ルイズ。みんな、そんな貴女が羨ましくて仕方ないの。貴女にすこしでも追いつきたいと必死なのよ」


「私が羨ましい? みんな、私に追いつこうと?」


「そうそう!」





すげぇ……

才人は厨房の床に倒れ伏せながらも、逆上したルイズをなだめつつあるジェシカの手腕に思わず感嘆の言葉を口にしかけた。

いつの間にか踏みつけられていた足は降ろされ、多分、本気ではないだろうがジェシカに向けていた杖もだらんと下げられている。

見上げるルイズの背からは、怒気がみるみるうちに萎んで行くのがよくわかった。

ルイズを持ち上げ、いかに才人に近しい位置にいるかその有利性を冷静に指摘しつつ、さりげなく自身や店の女の子達にも

才人を射止めるチャンスがある余地を作り出してゆく。

実に見事でしたたかな論調である。

才人はそろり音を立てないように立ち上がり、暫くはジェシカの説得に聞き入っていたが、ふと彼女がアイコンタクトを

送ってきている事に気がついた。

どうやら今のうちにどこかへ逃げるよう、合図を送ってきているらしい。

すげぇ……

ルイズを宥め、自身にもチャンスを作り出す一石二丁の説得が、俺を逃がす事によってポイントも稼げる一石三丁になった!

これが『魅惑の妖精』亭ナンバーワンの実力か!

思わず、ルイズの後ろでぐっと親指を立ててジェシカの手腕を褒め称える才人。

およそ、争いの元凶となっている人物とは思えない程暢気な感動である。

そんな才人にジェシカは器用にもルイズを褒め称えつつも、怒りの合図を送ってくる。

才人は彼女の合図を受けてやっと自分の置かれた状況を思い出し、慌てて音も立てず店の裏口から逃げ出したのであった。

ルイズに気取られぬようそっと裏口に扉を閉めて外に出ると、すっかり嗅ぎ慣れた裏通りの悪臭と共に気持ちの良い風が吹き抜け

才人の黒髪を撫でた。

ルイズの折檻から解放された才人はその風に一瞬、ほっとした表情を浮かべたが次の瞬間険しい表情を浮かべる。

空気がいつもと違う。

どこか張り詰めたかのような、剣呑な気配が街を覆っている。

才人は少しの間、警戒するように辺りを伺ったがだがしかし、すぐにその警戒を解いてしまった。

ある人影を確認し、これから何が起きるかを全て理解したからだ。

人影はすっぽりとフードを頭に被った女性で、暗い裏路地のむこうから才人の姿を確認するといそいそと駆け寄ってくる。





「あの、もし。この辺りに『魅惑の妖精』亭というお店がありますか?」


「ありますよ、 "姫さま" 。ここがそうです。」





才人の意外な返事に影はびくん、と体を震わせ動揺した。

それからすぐに踵を返して逃げるように去っていく。

才人は慌てて女性を引き留め、女性に自分の姿がよく見えるようフードに顔を近づけた。





「あ、ま、まって! 俺ですよ、俺! ルイズの使い魔の!」


「え? あ! 貴方は……」


「お久しぶりです、姫さま。ここでは何ですから、俺達が逗留している宿の部屋へあがりませんか?」


「え? え?、ええ。でも何故……あ! そうでしたわ、貴方は "未来を予知する剣" をお持ちになっていたのですわね」


「そういう事です」


「ふふ、わざわざ出迎えてくれていたなんて、ますます頼もしいですわ」


「恐縮です。さあ、こちらへ。ここに居ては兵士に見つかりますよ。用事があるのは、ルイズでなく俺でしょう?」


「まぁ。そこまで知っているのならば、話が早くて良いですわね。ええ、そうです。お願いします」





才人はまだジェシカとなにやら話し込んでいるルイズに見つからぬよう、こっそりと『魅惑の妖精』亭の二階にある屋根裏部屋に

女性……トリステイン王国女王アンリエッタを案内した。

アンリエッタは屋根裏部屋に通されると、粗末なベッドに腰掛けかぶったフードをめくりながらほう、とため息をつく。

そんな彼女のすこし疲労の色が見えるその美しい横顔に、水の入った木のカップが差し出された。





「どうぞ。ワインではありませんが、一息つきますよ?」


「あら、ありがとう。貴方は本当に良くできた使い魔さんね。ルイズがうらやましいわ」





アンリエッタは微笑みながら才人が差し出したカップを受け取り、一気に煽った。

ぷは、ともう一度今度は先程よりも大きく息を吐いてカップを才人に戻すと、彼女の顔に現れていた疲労がほんの少し和らいだ。

その様子を見た才人は頃合いだと判断し、早速アンリエッタがここへやって来た目的の話を始めるのであった。





「まったく。 "狐狩り" の護衛を俺に頼む為、こっそり視察の公務から抜け出すなんて無茶も良い所ですよ?」


「――本当に何でもお見通しなのですね?」


「何でも、と言うわけでは無いですけれどね」


「うふふ、流石に "未来から召喚された" だけはありますわね」





アンリエッタの言葉に才人はぎょっとした。

それから悪戯っぽく笑う彼女をしばし見つめた後、ある事に気がついてあちゃあと頭に手を置く。





「ウェールズ皇太子殿下から聞いたのですね?」


「うふふ、当たり。まったく、ルイズも貴方も人が悪いですわ。わたくしだけのけ者だなんて」


「すいません、騙すつもりはなかったんです。あの時は、ああでも言わないと信じてもらえないと思いまして」


「あら、そうかしら? わたくし、そんなに暗愚に見えまして?」


「普通、僕は未来からきました! なんて話、誰も信じませんよ。
 ルイズだって信じてもらえるまでかなり時間がかかりましたしね」


「そうかしら? なんとも、素敵な話ではありませんか」


「思っていらっしゃる程ロマンチックではありませんよ。
 さあ、姫さま。ここにお召し物がございますので、着替えて下さい。すこし、小さいかもしれませんが」





才人は苦笑いを浮かべつつも、ルイズがカモフラージュ用に買っておいた平民の服を取り出した。

本来ならば今日の為にアンリエッタの体型に合わせた物を用意したかったのだが、ルイズの機嫌を伺っている内にこの日がやって来たので

"前" と同じようにルイズの服を着て貰うほか無い。





「……本当、貴方のような部下がもっと居れば、トリステイン王国も今のようにならなかったでしょうね」


「俺のは気が利くんでなくて、 "知っている" から出来る行動ですよ」


「そうかしら? なんとなく、ルイズが夢中になる気持ちもわかりますわ」


「からかわないで下さい。ささ、お早く。俺、あっち向いていますから」





そう言って、アンリエッタに服を渡すと素早く後ろを向く才人。

人前で着替える事が当たり前の王族は、才人達が持つような羞恥心が無い。

目の前でいきなり着替えられると、いかに "見慣れた" 才人とて目のやり場に困るのだ。

程なく背中の方から、しゅるしゅると衣擦れの音が才人の耳に届き始める。

音はふと時の遡行者に "前" の記憶を呼び起こす。

王配として、最初に伽の相手をしたのがアンリエッタであった。

思い出されるのは甘く淫靡な快楽と、心を引き裂かんばかりの罪悪感。

目的を渋々ながら理解しつつも、いくなと無言で訴えるルイズの涙。

想い人と遂に結ばれた、アンリエッタの後悔混じりの涙。

かなり虫食いとなってしまったかつての記憶は、鮮明に才人の心の内に蘇り嫌悪・悦楽・後悔・愛情とあらゆる感情と感覚を呼び起こす。

才人はそれらを二度頭を振って追い出し、側にあったデルフリンガーを手に取りながら気を紛らわせようと

後ろのアンリエッタに声を掛けることにした。





「姫さま、ちょっと小さいかもしれませんがご勘弁を」


「かまいませんわ。少し、胸が、苦しい位であとは、大丈夫です」


「一応確認しますけれど。今夜の "狐狩り" は高等法院の古狐なんですよね?」


「……ええ、そうですわ」


「よかった。じゃあ、俺の知る未来と同じです」


「貴方が知る未来では、わたくしは無事狐を狩れまして?」


「結果を他人に話すと、未来が変わる恐れがあるのであまり言いたくは無いのですが……無事、狩れますよ。
 その内劇場での演目に成る程見事に」


「まあ! ……もうこっちを向いても大丈夫ですわ」





アンリエッタに促され、才人は再び彼女の方を向いた。

……やはり前回と同じように、胸のボタンがはち切れんばかりとなっている。

ごくり、とつい生唾を飲み込み才人はどうしても "そこ" から目が話せない自分に嫌悪を覚えた。

いかん!

こんなんだからルイズを苛立たせてしまうんだ!

しっかりしろ、俺!

ブンブンと今後は先程よりも頭を大きく降り、気を取り直して才人は言った。





「では移動しましょうか。ここに居てはルイズがその内やってくるでしょうし。
 姫さまのそのようなお姿は、見られたくはないんでしょう?」


「ええ、そうですわ。貴方は本当、よく気が付く使い魔さんなのね」


「言ったでしょう、 "前" に姫さまからそう聞いたんですよ」


「うふふ、それはそれでなんだか奇妙な感じですわ。ねぇ、使い魔さん。これからわたくしはどうなるのですか?」





質問に、才人はギクリとした。

このまま "前" と同じように事が進めば、恋人同士に偽装し、恋人同士のように肩を寄せ合い

果ては兵士の目を欺く為にキスまでする事を思い出したからだ。

なんて答えよう?

ありのまま話すか?

いや、でも……





「? 使い魔さん?」


「あ、し、失礼。姫さま、それがその……前回は皇太子殿下はお亡くなりになっていまして……」


「……ええ、あの方のお手紙で、本来ならばそうだったと書いておりましたわ」


「それが、今は喜ばしい事に生きておいででしょう? だからその……」


「? どういう事ですの?」


「その、殿下がいない前回では、恋人同士のフリをしまして……」


「まあ、名案ね!」


「肩を寄せ合い、兵士の目を欺く為に唇を重ねる羽目に……」


「目的の為には仕方ありませんわ」


「ひ、姫さま?! しかし、それでは……」


「お国の為ですもの、上辺のキスぐらい些事ですわ。
 それに皇太子殿下に貴方が遠慮する必要はありませんわよ?
 お優しいあの方ならば、きっとわかって下さいます。
 使い魔さんの事もかなり買っておいででしたし、だいじょうぶでしょう。さあ、そろそろ行きましょうか?」





どぎまぎする才人を余所に、アンリエッタは再びフードを深く被って屋根裏部屋の入り口の扉に手を掛けた。

その表情は明るく、希望に満ちている。

才人の知るウェールズを失い、政争に明け暮れ、未曾有の国難に当たっていた前回の彼女とは似ても似つかぬ表情であった。

年相応の生気と華やかさに満ちあふれ、瞳は夜にも関わらず輝いている。










才人はそんな彼女を見ながら、せめてキスだけはなんとか回避しようと胸に誓い屋根裏部屋を後にするのであった。

















[17006] intermedio4-3/奪った者、奪われた者、そして奪う者
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/12 16:22










やけに雨音が耳に五月蠅い夜であった。





その、雨が降り出すほんの少し前での事。

才人とアンリエッタは『魅惑の妖精』亭を抜け出した後、兵士達の目をかいくぐって木賃宿に身を隠し

粗末な部屋に二人、他愛も無い話を "前" と同じように交わしていた。

壁も屋根もあまり上等な宿ではないようで、外の様子がよく伝わってくる。

部屋は暗く薄汚れ、『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋よりも更に酷い有様であった。

そんな暗い部屋を仄かに灯すランプは、ベッドに腰掛けるアンリエッタと軋む椅子に腰掛ける才人を照らし出す。





「ねぇ、使い魔さん。ルイズは元気?」


「はい、すごく。貴族として育ったあいつにとって、平民に混じっての生活は中々刺激的であるようです」


「あら。それはなんとも、羨ましいですわね」


「姫さま程ではないですが、気苦労もそれなりにあるようですけどもね」


「うふふ。その様子ですと、貴方が知る "前のわたくし" は相当愚痴を貴方に聞かせたようですわね」





部屋と同じように粗末なランプの炎が、ゆらりと揺れる。

照らし出されていたアンリエッタの顔に影が妖しく動き、少し悪戯っぽく笑うその表情は美しくも妖艶に見えた。





「ええ、かなり。
 王宮では "狐" のような連中が跋扈し、姫さまの女王としての資質を問う声が満ち溢れ、頼れる者はごく僅か。
 信頼できる者に至っては、ルイズと銃士隊隊長のアニエスさんだけ、まったく女王になどなるのではなかったと
 よく愚痴を漏らしておいででした」


「アニエスの事まで……て、今更ですわね。貴方は未来から召喚されたもの。
 ねぇ、使い魔さん。お名前は?」


「才人と申します。ヒラガ・サイト。俺の国では姓が先に来るので、名はサイトです」


「サイト……変わった名前ですわね。
 ではサイトさん。こうして二人で居る時は貴方はわたくしの事をアンと呼んでください」


「わかりました。兵士達の前で "姫さま" だなんて、すぐにばれてしまいますからね」





才人はそう言って、ルイズにするように歯を見せて笑った。

屈託のないその笑顔にアンリエッタも微笑みを浮かべてまあ、と口に手を当てた。

ランプの炎が再びゆらりと揺れ、部屋の影を踊らせる。

芯の調節ネジが壊れているのか、どうにも炎が安定しないようだ。





「……本当、女王になどなるものではありませんわ」


「名君ほどそう思うものらしいですよ?」


「あら。お世辞でもうれしいわ。
 でも、ルイズが毎日送ってくれる報告書のお陰で、平民達の声や考えていることはよくわかるけれど
 その内容を見ているとわたくしが名君だなんてとても思えないですわ。
 遠征費の捻出にしても、貴族達は協力的ではありませんし、どうしても増税に頼らざるを得ませんし。
 そうなると平民達にも負担が……」


「遠征……やはり "今回も" アルビオン本土に攻め込むのですか?」





問いに、アンリエッタはじっと才人の顔を見つめた。

揺れるランプの炎は彼女の美しい瞳に光を照らし出す。





「……このまま本土防戦を続けては、いつか国力の差にトリステイン王国は押しつぶされますわ。
 幸いアルビオンの主力艦隊は先日壊滅したばかり。攻め込むならば今しかありませんもの」


「外交で解決、と言うわけには行かないのでしょうね」


「ええ。条約を破って我が国に不意打ち同然に攻め込み、一国の女王を誘拐しようなどと企む国を相手に
 今更外交など、誰が信じることが出来るでしょう?
 アルビオン政府は信頼どころか、一言の言葉すら信用出来ませんもの。
 最低限の約束すら守らぬ相手に外交など、妄言も甚だしいですわ。
 貴族は領内を荒らすオークには言葉が通じないからこそ、杖を持って当たるのです」


「……きっと、恨まれますよ。敵にも、味方にも」


「……それが女王の仕事です」





呻くような、アンリエッタの声。

年端もいかぬ女王は、苦しげに仕事だと答えた。

彼女以外にだれも代わってやれることのない、仕事。

トリステイン王国の王。

一度戦争を行えば幾千の兵士や貴族の命を机の上で散らせ、それを恐れれば今度は幾万の平民の命を机の上で失う仕事。

アンリエッタの頭の上に乗る冠は、それを強要する呪いの品であった。

才人も状況的に遠征は変えられぬと良く理解している。

しかし、 "前" と違う今どうしても知りたい事があった。

アンリエッタが遠征についてどう考えているか。

もしかしたら、ウェールズの領地を取り戻す為の戦いを仕掛けようとしているのではないか。

もしそうであるならば、それは間違いだと伝えたかった。

避けられぬ戦だとしても、一人の女が一人の男の為に幾千の命を捧げるなど才人には許せるものでは無いからだ。

それ故、才人の言葉は更に幼い女王の心をえぐるように続く。

つめの甘い、暢気な普段の彼からは想像も付かない程鋭く。





「…… "前" は、殿下を失った姫さまが、殿下の死体を使った誘拐事件をキッカケに復讐心に取り付かれての遠征でした」


「……貴方は、わたくしが殿下の為に遠征をしようとしていると?」


「俺が知るあなたの本質は、愛に生きる人でしたから。…… "前" はその事実が一生あなたを苦しめていましたよ」





ジリ、とランプの炎が揺れた。

陰影濃く浮かぶ才人の寂しげな、それで居て懐かしむような表情に一瞬侮辱されたのかと怒りがこみ上げかけたアンリエッタは

胸の奥底が熱くなるかのような錯覚を覚えた。

才人の言葉は侮辱ではない。

心の底から、自分を心配してくれての物なのだと理解したからだ。

アンリエッタはこみ上げてくる不思議な気持ちを余所に、胸の奥にある感情を一つ一つ整理していく。

ウェールズの為の戦。

その言葉を自問するために。

しかし。

彼女の口から出た言葉は、意外なものであった。





「ねぇ、サイトさん。貴方は剣をその手に戦うのでしょう?」


「え? ええ、そうです。俺は魔法が使えません」


「ではその剣で、人を殺めた事はありますか?」





アンリエッタの質問に、才人は口を堅く結んで目を閉じた。

"前" の人生の中で殺めた者達を思い起こす為に。

やがてその目はゆっくりと開かれ、揺れるランプを映し出す黒瞳は真っ直ぐにアンリエッタの姿を映し出す。





「あります。
 戦いの最中で、不意打ちの応撃で、こちらから不意打ちで、助からぬ者への慈悲で、色んな場所で幾人も」


「そう……もし、よろしかったら教えて下さいまし。
 その方々の大切な人々の恨みを、貴方はどう受け止めましたか?」





アンリエッタは才人を見据えて、真剣な面持ちで質問を重ねた。

才人は息苦しそうに息を一つ吐いて遙か昔、いつか答えを出した物を胸の内に探る。

その孔だらけになった記憶に在って、何一つ消えなかった苦々しい思い出と共に。





「俺が殺めた者を想う人々の恨みは、そのまま受け止めました。
 罵声をじっと浴び、殴られるままに殴られ、しかし命までは差し出してやらず卑怯にも幸せに愛する人と生きてゆきました」


「それが、奪った者の答えなのですか?
 わたくしは、机の上で散る幾千の命にそうやって報いを受ければよいのですか?」


「……いいえ。奪った者に答えなど、そもそも用意されてはいませんでした。
 答えは奪われた者にのみ用意され、奪った者には終わらぬ後悔と懺悔が待つのみです」





才人が口にした答えに、アンリエッタは目を伏せて膝の上にある己の手を見つめた。

奪った者に答えなど、用意されてはいない。

当たり前だ。

理由はどうあれ、大切な人を永遠に奪われた人々の怒りや悲しみを注ぐ手段などありはしないからだ。

そして自分が今下している決断は、そんな人々を大量に生み出して行くだろう。

しかし、決断を覆してもそういった人々は増えていくのは目に見えている。

タルブ地方で家を焼かれた人々、戦死した領主の家族。

自分はそういった人々の怒りや悲しみも、同時に背負っているからだ。

アンリエッタは無言の内、己の頭に乗る王冠の重みに改めて戦慄する。

王とは、そういった人々の想いを背負う者なのだ。

王とは、そういった人々を生み出していく者なのだ。

救いのない、暗黒の夜道のようなその運命にアンリエッタは更に想いを馳せた。

そんなわたくしにとって、唯一の光。

もしあの方を失いでもしたら、きっと……

そこまで考えた所で、アンリエッタは顔を上げて再び才人を真っ直ぐに見つめた。

先程の才人の問いに答える為に。

王として、奪う者として、一人の女として。





「…… "前" のわたくしは復讐に取り付かれ、遠征を行ったのかもしれません。
 今だって、あの方の事と遠征を切り離して考えているとも言い切れません。
 しかしたとえそうであっても、我が国は現実に先程申し上げた通りの状況です。
 私情は私情。遠征は国の事情を鑑みた、女王としてのわたくしの判断なのです。
 それに "今の" わたくしは、貴方が知るわたくしではありませんわ」


「……失礼しました」


「いいのですよ。 "今回" は『恋するアンリエッタのわがままで行われた遠征』だと言われるでしょう。
 うふふ、たとえ真実がどうであれ、わたくしは暗愚な王としてそしられる運命なのでしょうね」


「姫さま……」


「今はアン、でしょう? サイトさん。
 気にしないでください。わたくしは大丈夫。
 なんと言っても、 "今回" は大切な半身とも言える、ウェールズ様が生きておいでですもの。
 どんなに辛い事があろうと、耐えて見せますわ」





アンリエッタはそう言って、ニッコリと笑って見せた。

しかし。

気丈に笑う彼女の心を映すかのようにジリジリとランプの炎は大きく揺れた。

才人がそんな、どこか悲痛な笑顔を浮かべるアンリエッタに何かを伝えようとした時である。

ぽつ、ぽつ、と屋根の方から何かが落ちてくるような音がした。

どうやら雨が降り始めたらしい。





「……雨、降ってきたようですね」


「ええ。――ねぇ、サイトさん。ちょっと、こっちにいらして?」





先程の会話からどこかバツの悪さを覚えていた才人は、雨をキッカケに話題をかえたのであったが

アンリエッタの言葉に再び胸をざわめかせた。

彼女がこちらへ、と示した手は同じベッドの上だったからだ。





「あの、えっと……」


「どうかしまして? ふふ、大丈夫。襲ったりはいたしませんわ」


「い、いえ! そんなつもりは……」





才人は慌てて彼女の隣に移動する。

そんな才人の手をゆっくりとアンリエッタは取り、そのまま彼の手を見つめたのであった。





「……姫さま?」


「ごめんなさい」


「え?」


「先日の誘拐事件の事ですわ。操られていたとはいえ、サイトさんにわたくし酷いことを……」


「ああ、そんな事でしたか。大丈夫、俺、こう見えてもすごく丈夫ですから」


「……雨の音を聞いて、今思い出したのです」


「もの凄く忙しい毎日ですからね、仕方ないですよ」


「……仕方ない、ですか。誰かを傷つけて、仕方ない、で済ませていいのでしょうか?」





アンリエッタの呟くような台詞に才人はぎょっとする。

どうやら先程の話を引きずっているらしい。

才人は握られた手を握り返しながら、残る手をアンリエッタの肩に置き彼女の目を真っ直ぐに見つめた。





「そのお気持ちを忘れなければいいのです。
 誰かを傷つけてしまったのなら、出来ることをしてそして謝ればいいじゃないですか。
 過ちを犯さない人間なんていません。
 失政を一度も犯さなかった王だっていません。
 俺の場合は俺自身、姫さまを恨んだりもしていませんし何も問題ないですよ」


「しかし、死んだ衛士達は……」


「あれは姫さまではなく、アルビオンのメイジがやったことです」





アンリエッタは才人の言葉に暫く黙り込んでしまった。

やがてふっと自嘲的な笑みを浮かべて握っていた才人の手を離し、今度は肩に添えられている手にその手を当てた。





「……ごめんなさい。わたくし、卑怯な女ですわね。
 きっと誰かに慰めて――貴女は悪くないって言って欲しかったのですわ」


「いいんですよ」


「え?」


「俺やルイズ、アニエスさんが姫さまについています。
 それに "今回" はウェールズ皇太子もいらっしゃいます。皆、姫さまの支えとなりたいのです。
 愚痴ぐらい、俺達の前では気軽に吐き出せばいいじゃないですか」





才人はそう言いながら、先程のようにニカっと笑ってみせた。

そんな屈託無く笑う親友の使い魔に、アンリエッタは何かの糸が切れたのかふにゃりと顔を歪めて

才人の胸に王冠の乗っていない頭を投げ出してしまう。

才人はルイズにいつかしたように、そんな彼女の頭を優しく撫でてやった。

やがて狭く粗末な部屋に響くのは、誰か鼻をすする音。

先程から降り始めた雨は、まるで声にならぬ少女の泣き声を外へ漏れぬようするかのように強く激しく屋根を打ち付け始めている。

その夜はやけに雨音が耳に五月蠅い夜であった。







トリステイン王国の西部海岸には、ダングルテールという地方がある。

アルビオン訛りではアングル地方と呼ばれるこの辺境は、つい百年前まではアルビオンからの入植者による自治区であった地域だ。

しかし現在では見る影もなく、ぼろぼろに朽ちかけた漁師の村ばかりが点在しているにすぎない。

かつての繁栄を色濃く残しているものは、入植者を祖とする住人達の独立独歩の気風のみである。

土地は痩せており農作物の収穫は多くはない。

ここで暮らす者達の命を繋いでいるのは漁業であり、僅かばかりの魚を捕りながらなんとか餓死者を出さずに冬を越す有様だ。

通常このような土地では、領主が貴重な財産である "平民" 達が余所へと流れていかぬよう手を打つのが常である。

しかしこの地方の領主は暗愚なのか、それとも他に理由があるのか何も手を施さず領地が荒れるがままとなっていた。

トリステインに限らず貴族と平民の間には確たる身分の差があり、平民を蔑む貴族も少なくない。

しかし一方では両者が協力して産業に当たることも珍しくはない。

漁業も例外でなく、漁師達は通常ならばメイジによって作られた船や漁具を使って漁に出る。

夜海面を強く明るく照らす魔具や、自動的に風を捉える帆やマストなど備えた漁船。

魚を大量に引き寄せる秘薬入りの撒き餌や、魚群を探し出す魔法の地図。

どれも普通の平民には一生かけて稼いでも、買うことの出来ないような代物ばかりだ。

そんな高級品を領主は漁業に当たる領民に漁に出る許可証と共に貸し与え、不漁が続くなら対策に自ら奔走する。

嵐にあった船が戻らぬ場合は先頭を切って捜索に当たる領主も珍しくはない。

なぜならば、領地に住まう平民こそが税収を生み出し、ひいては領主の繁栄に直結しているからだ。

王宮に勤めるメイジは才覚一つでどこまでも昇って行ける為、平民を蔑む傾向が強くはあるが

逆に地方に領地を持つ貴族で平民を強く蔑む者は、実のところそれ程多くは無かったりする。

無論、比較の話であり身分差意識は大概の貴族には大なり小なりは抱いている。

とは言え、こういった領地を持つ貴族にとっては税の収支はそれだけ重要であり、平民を無闇に搾取するような統治は

むしろ己の無能をさらけ出し、恥であると考える事が一般的であった。

しかしここダングルテール地方はそのような一般的な領主による統治は行われず、荒れ放題であった。

漁師達はボロボロになった粗末な船を漕ぎ出し、孔だらけの網を海に投げ入れ、僅かばかりの収穫に一喜一憂する日々を送る。

時には海魔に怯え、時にはオークの襲撃で村一つ丸ごと略奪される場合もある。

酷い時には領主に頼るのではなく、有志を募って自分達でオーク退治を行う有様だ。

そんなダングルテール地方の住人達も、二十年前まではそれでも今よりかは "まし" な生活を送っていた。

"ダングルテールの虐殺" 。

公式には疫病による住民の全滅とされている事件の、別の呼び名である。

この事件によりこの地方の住人の殆どは秘密裏に、そして無差別に殺されてしまったのだ。

その理由はブリミル教総本山のあるロマリア連合皇国で起きた宗教改革、「実践教義」を信仰する新教徒にあった。

当時のトリステイン王国はロマリア連合皇国との密約により、この地方に多く住む新教徒達を虐殺し村々を燃やし尽くしたのだ。

無論如何に為政者である貴族達の権力が強大であるとはいえ、このような暴挙が許される筈はない。

表向きには疫病の蔓延による焼却処分として記録されている。

真実を知る者の多くは炎に焼かれ、生き残った僅かな者達も痩せた土地で目立たぬように暮らす他なかった。

余所の土地に移ろうにも、疫病の地の出身と言うことでそもそも受け入れて貰えない上に、普段から領主の目が光っているからだ。

そう、この地はまるで巨大な監獄であった。

真実を知る住人達は何処へも逃げる事もできず、領主の目に怯え、過去に憎悪し、明日をも見えぬ生活に絶望しながら生きてゆく地。

それが現在のダングルテール地方の姿である。

アンリエッタが最近設立した近衛隊『銃士隊』隊長であるアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランは、そんなダングルテール地方の生まれだ。

どういった経緯で監獄を抜け出し近衛隊隊長になったのかは不明だが、『メイジ殺し』と呼ばれるその戦闘技量は確かな物であった。

今年で二十三才になる彼女は、短く切った金髪と薄いグリーンの瞳、そして何よりもその鋭い眼光と凛々しい佇まいが印象的である。

そんな元平民である彼女はアンリエッタの "狐狩り" の夜、その人生の中で一つの節目を迎えていた。

トリステインの地下に秘密裏に掘られた地下道にて、アニエスは一人自身の荒い息づかいを耳に苦悶する。

はあはあと細い呼吸音が暗い地下道内に反響し、辺りには血と何かが焼けたかのような臭い。

ガシャンと音を立てて膝を折ったアニエスの体には無数の傷が刻まれており、着込んだ鎖帷子が熱く焼け彼女の白い肢体を焼いていた。

息も荒く四つ這いになり、呻く彼女の傍らには男の死体。

トリステイン王国高等法院の長であり、 "ダングルテールの虐殺" の黒幕の一人であるリッシュモン卿の変わり果てた姿だ。

彼こそアンリエッタの "狐狩り" の獲物であり、アルビオンと通じ女王の誘拐事件を引き起こした張本人の一人である。

今宵、アンリエッタが張り巡らせた罠にかかったリッシュモンは本性を現し、隙を突いてこの地下道へ逃げ込んだ。

そしてアニエスは一人、地下道でリッシュモンを待ち構えて復讐を遂げてみせたのである。

憎い仇の血でその手を染めた彼女の胸に去来するのは、復讐の歓喜ではなく苦い罪悪感であった。

絶大な忠誠の下、アンリエッタの手足となり誘拐事件の内偵を進めていた彼女だったが、唯一主に不義を働いたのが

この地下道の存在であったからだ。

つまり彼女はここで復讐を遂げる為、あえて地下道の存在をアンリエッタに報告しなかったのだ。

全てはこの瞬間の為に。

そして、彼女は傷つきながらも本懐を遂げた。

アニエスは暗い地下道の中直ぐ側の死体に目をやると、ぺっと血混じりの唾を吐き捨て再び立ち上がる。

同時に激痛が体中を襲い、思わず声が漏れた。





「くそ、こんな所で死んでたまるか。まだだ。まだ、残っている。」





声は地下道に反響し、まるで彼女の心の闇に吸い込まれるようでもあった。

足がぶるぶると震え、体中が血まみれだ。

歩を進める足のかしゃん、と鳴る拍車の音が耳にうるさい。

息が遠く、遠くなってゆく。

前がよく見えないのは暗い地下道の為か、血が足りない為か。

死んでたまるか。

アニエスの脳裏に赤い光景がよぎった。

燃える家。

燃える畑。

燃える男。

燃える女。

燃える友人。

全てが燃えている。

村が、畑が、家が、人が、故郷が炎に沈んでいく。

脳裏に残る炎はそのまま復讐の炎となり、彼女を内側から焼いた。

かしゃん、と拍車が鳴る。

死んでたまるか。

死んで、たまるか!

まだ、残っている!

私のすべてを焼いた、あいつらが残っている!

かしゃん、と拍車が鳴る。

殺す。

必ず殺す!

憎悪は生へと渇望となり、彼女の足を進めさせた。

その度にかしゃん、と拍車が鳴る。

音はまるで、彼女を縛る枷が鳴るようでもあった。

しかし。

傷は深く激痛は彼女の憎悪をかき立てはしたものの、それ以上に意識を繋ぐ気力と体力を奪っていた。

やがてアニエスは力尽き、再びガシャンと鎧が鎖帷子と擦れる音をたてて膝を折らせる。

くそ、こんな所で……死んで……

意識が遠のく。

足は、腕が、まぶたさえ思うように動かせない。





「ふむ。どうやら私は先を越されたらしいな」





男の声。

敵か?

反射的に銃へ手を伸ばそうとしたが、忠実であるはずのその手はピクリとも動かなかった。

アニエスに出来ることと言えば、暗闇の向こうにいつの間にか現れた人影をうっすらと確認する事だけである。

男は長身。

銀の仮面。

……隻腕。

何、者、だ?

そう口にしようとして、彼女は意識を手放してしまった。







アニエスが次に目を開いたのは、隊舎の自室であった。

傷ついた体はすっかり治っておりベットの脇で看病をしていた、最近入隊したばかりの見習いに状況を聞くと

なんでもチクトンネ街の排水溝に血まみれで倒れていた所を、通りがかった市民に発見されたそうだ。

何故? と一瞬疑問に想ったが、意識を失う寸前の記憶を掘り起こし恐らくは最後に見た人物が助けてくれたのだろうとアニエスは考えた。

あの男は一体誰だったのだろう?

あの地下道の事は報告していなかった。

てっきり、リッシュモンの手の者だとばかり思ったが……

そういえば先を越されたと言っていたな。

もしかして私と同じ地の出身の者か?

いや、しかし……





「隊長? まだ、どこか傷の具合が悪いのですか? 医療メイジの方を呼んできましょうか?」


「ん? ああ、その必要はない。すこし、考え事をしていたのだ」


「そうでしたか」


「それよりエトマール。お前、訓練は良いのか?」


「ミシェル副隊長の命令で僕ら訓練兵が交代で隊長の看病をしているので大丈夫です。
 それに、もうすぐ交代がやって来ますし」


「そうか」


「僕、隊長が意識を取り戻したとミシェル副隊長に報告してきます」


「ああ、少し待て。水を一杯、飲ませてくれないか?」





アニエスはベッドから上体を起こし、看病をしていた見習い兵にテーブルの上にあった水差しを指さした。

エトマールと呼ばれた見習いは、ハイと返事をして水差しから木製のカップに水をなみなみと注ぎ、注意深くアニエスに手渡す。

病み上がりの人間が飲むには多すぎる水が入ったカップを見て、アニエスは少し苦笑いを浮かべたが何も言わず一気に煽った。

水は美味であり、彼女に人心地つかせ同時にやっと生の実感を覚えるのであった。

今度こそ副隊長の下に報告をするため、部屋を出て行く見習いの背を眺めながらアニエスは呟く。





「これで、一つ。だが、終わりではない。始まりなのだ」





つぶやきは、暗い炎となり胸を焼いた。

炎の中には闇の中で見つめた、男の無念の死相。

夢にまで見たその顔は、意外にも酷く後味の悪いワインのようであった。

ワインはアニエスの心の中、野焼きの炎の様に広がる。

なぜか胸が悪くなってしまった彼女は、再び水を飲もうと手にしていたカップを煽り、すぐに先程一気に飲んでしまったのだと思い出した。

アニエスは空になったカップを見つめながら、水でなく酒を次ぐように言えば良かったと後悔するのであった。

それから数日後。

主であるアンリエッタと共に、お忍びで『魅惑の妖精』亭に訪れた彼女は "狐狩り" の夜に知り合った少女と再会し

妙にソワソワする主君と何処か間の抜けた、ひ弱そうな少年が居心地の悪そうに頭をかく姿を目にする。

その出会いは彼女の人生にとって一つの区切りとなるのだが、当の本人がそうであると気が付くのは今回も遙か未来

いくつかの区切りをつけ続け、 "奪われた者" として答えを出した後となる。









果たしてそれまでは、ダングルテールの炎は彼女を焼き続けるのだ。

















[17006] 6-1:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで(改訂1)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/20 06:07









王宮からトリステイン魔法学院にアルビオン侵攻作戦の発布がなされたのは、夏休みも終わり二ヶ月が過ぎた頃である。





同盟中の帝政ゲルマニアはこれに同調、ガリア王国は中立声明を宣言し世はいよいよ本格的な戦争へと動き始めていた。

間諜の任務を終え、『魅惑の妖精』亭から学院に戻り表面上は普段と変わらない生活を送っていたルイズと才人は

発布から一月も経ったある日、 "予定通り" やって来たルイズの姉であるエレオノールを出迎えていたのであった。

つまり、ルイズは侵攻作戦へ参加の旨を実家に手紙で報告し、それを知った父親であるヴァリエール公爵から

軍に参加するのはまかり成らぬと強く手紙で反対され、無視していたらルイズの姉が彼女を実家へと連れ戻すべく

魔法学院にやって来たというわけである。

勿論、この事は事前にキュルケやタバサを交えてどう対応するかを相談していたのだったが、いくつか悩ましい問題が残り

ルイズと才人は頭を抱えていた。

一つ、ルイズの虚無の事を家族に話しても良いか。

一つ、 "以前" よりも親密になっている、才人の事をどう報告するか。

前者はアンリエッタに口止めされている事もあり、又侵攻作戦前でもあるのでこれは満場一致で黙秘することとなったのだが

後者はルイズにとって、非常に重要な問題でありしかしキュルケやタバサには到底相談出来ることではなかったのだ。

無論、相変わらず "護衛" と称して広すぎるルイズのベッドに潜り込んでくるタバサの隙を突いて才人と二人で

どうすべきか相談したルイズだったが、結局時期も時期でありまた才人が武功も名声も得ていない今は恋人としての紹介は

辞めておこうということで決着がついた。

もちろん、ルイズはそのことについては不満しきりではあったが。

そして、その日がやってくる。

非常に気位の高いエレオノールは朝早く学院にやって来るや否や、ルイズを捕まえて従者用の馬車を用意させ

良くできた従者を演じる才人と身の回りの世話をさせるメイドとして、 "たまたま" その場にいたシエスタを

強引に馬車に押し込み、自身はルイズと共に乗ってきた二頭立ての豪華な馬車に乗り込んで、強い口調でお説教を始めたのであった。

エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。

ヴァリエール公爵家三姉妹の長女であり、ルイズが苦手とする人物の一人。

今年二十七才になる彼女は、モデルのような長身で父親譲りの金髪とルイズと同じ鳶色の瞳の持ち主だ。

ちなみに胸も、ルイズと同じくスッキリとしている。

美しい顔立ちは高貴な印象を抱かせるのだが、ルイズよりも更にきつくつり上がった目が彼女の気位の高さを物語っていた。

実際、そのきつい性格が仇となり先日婚約者から「もう無理」という言葉と共に、婚約解消を言い渡されてしまった程である。

馬車が向かう先は勿論、ルイズの実家があるヴァリエール領。

道中ヴァリエール公爵家三姉妹の次女であり、姉と妹とは似ても似つかぬ程穏やかな性格のカトレアと合流した一行は

彼女が所有する大きな馬車に乗り換えての移動となり、結局公爵家に到着したのは夜もふけてからであった。

トリスタニアの王城もかくやと思わせる程立派なヴァリエール城では、留守にしている公爵に代わり公爵夫人が姉妹を出迎え

才人とシエスタには "前" と同じように納屋のような部屋をあてがわれ、その夜これまた "前" と同じようにシエスタが酒を飲み

性格を豹変させ、従者として扱われている才人の様子を見に来たルイズと一悶着を起こしてしまう逗留となるのであった。

ここまでは才人にとっては "予定通り" である。

もっとも、シエスタとルイズの喧嘩などは予定通りに行わせたと言うよりも、そんな事があるとはすっかり忘れてしまっていて

何も対策を行わなかっただけであったが。

それから日付も変わり。

一見、才人の知る未来へ向かい順調に進んでいたルイズの里帰りは、意外な方向へと向かい始める。

早朝、アルビオン侵攻に際して軍団編成の指令を王都で受けたヴァリエール公爵が城へ帰ってきた。

公爵は非常にご機嫌ナナメと言った様子で、何ヶ月ぶりかの家族との朝食の席にて愚痴を口にしていた時だ。

侵攻作戦に反対する公爵がルイズに自宅謹慎を申しつけたのだが、これにルイズは "前" とは違い激しく反発したのである。

国力の差、兵力の差、なにより娘を戦場に送りたくはないという親心を理由としての公爵の言ではあったが

作戦の結果を知るルイズには、例えそれが正論であっても受け入れる事は到底出来るものではなかったのだ。

何より。

ワルドの一件で自棄になっていると思われ、婿をすぐに取るよう言われた事が彼女の矜恃を傷つけた。

激昂したルイズはテーブルを叩きながら立ち上がり、目を白黒させる家族の前で如何に自分の使い魔が有能であるかを口にする。

本当は自分は虚無であること、強力なメイジとなった事を言いたかった。

しかし、アンリエッタの言いつけもあり、それを口にする事はできない。

必然、才人と一緒ならば戦場に出ても問題ないといった論調となっていく。

曰く、才人の力は万軍に匹敵する。

曰く、才人にはスクウェアメイジが束になっても敵わない。

曰く、アレに敵う者は人おろかドラゴンでさえも、このハルケギニアには存在しないだろう。

ルイズはそれはもう、才人を褒めた。

褒めて褒めて、褒めちぎった。

恋人としての色眼鏡もあったし、実際に才人と過ごした冒険の思い出もある。

怒りで頭に血が上っていたこともある。

更に言うならば、演説する自分の言葉に酔ってしまい、燻っていた城に到着してからの才人の扱いへの不満も相まって

周囲が見えなくなってしまっていたこともある。

何よりも、恋人として紹介をしたいがそれが出来ない反動としての行動であった。

早い話が、 "やらかした" という奴である。

制止するエレオノール、片眉を上げて黙って話を聞いていた公爵夫人とカトレア、目を白黒させる公爵を余所に

ルイズの使い魔を讃える演説は更に続き、暫くして我を取り戻したルイズがその場の空気に気付いてハタと口をつぐんだ。

皆、奇異な目で自分を見ている。

家族の、使用人達の視線が痛い。

感じ取れる感情の色は、同情、驚愕、心配。

朝の穏やかで気持ちよい日差しが朝食をとっていたサロンに満ちて、静寂が場を支配していた。

が、ルイズにはその心地よい雰囲気がいたたまれないものへと変わってしまっていた。

時間にしてほんの少しの間を置いた後であろうか。

うぉほん、と公爵が取りなすように大げさに咳払いを一つし、それを合図にルイズはすごすごと自分の席に腰を降ろす。

同時にエレオノールが激しくルイズをなじり始めたが、意外にもそれを制止したのは公爵その人であった。

公爵は席を立ち、十メイル以上もあるテーブルの脇をゆっくりと歩いて娘の下へと向かう。

バツの悪そうに、それでいて不満げな表情を浮かべているルイズを公爵は優しく抱きしめてから、ニッコリと笑いかけた。

公爵の笑みにルイズは自分の想いが父に届いたと思わず感激して、花のような満面の笑みを浮かべる。

やった!

サイトの事が、父さまに伝わったんだわ!

この様子ならばいずれきっと、サイトとの交際……ううん、結婚だって許してくれる!

ニコニコと笑いかけてくる父親に、ルイズはとても嬉しくなりぎゅ、と父親を抱きしめ返してその胸に頭を埋めた。

公爵はそんなルイズの頭を優しく愛しそうに撫でながら、私の小さなルイズがそこまで言うならば、と口にして……





「で、俺は今からお義父……公爵の部下とこうして決闘する羽目になってるわけか」


「ご、ごめん……」


「まったく、なんの為にお前に未来の事話したと思ってるんだよ……」





才人はため息を一つついて、バツが悪そうに視線を逸らすルイズから公爵の前で跪いているメイジ "達" へと視線を移した。

一人ではない。

綺麗に四角の陣形を組んでいる、公爵子飼いの二個中隊である。

妄言としか思えない娘の言を真に受けて、本当に軍を相手に決闘させる公爵も大概だなと、才人はごちた。

中隊を構成するのは全てメイジであり、その数は百五十八名。

丁度、公爵家が擁する常備軍の直属士官の数でもある。

トリステイン王国の軍制はその身分によって一応の基本構成が決められており、諸侯はそれに沿った常備軍を編成する義務があった。

とは言っても、すべての諸侯が平時は金食い虫でしかない常備軍を維持できるわけではない。

必然、有事に兵となる傭兵や義勇兵、民兵を除いたトリステイン貴族による士官を中心とした構成となる。

特に公爵ともなると軍団クラスの維持・編成能力を求められる為、平時から擁するメイジの数も多くなるのであった。

無論、人口の違う他国とはその編成数はかなり違ってくるのであるが、王国の一般的な軍とは以下のようになる。

まず、魔法の使えない兵士の分隊が五名。

五名からなる分隊が四つ集まり、それをメイジの指揮官が一人ついて小隊となる。

二十一名からなる小隊が四つ集まると中隊となり、中隊長としてメイジが一人。

これに副官のメイジと衛生兵兼軍医として水メイジが一人。

更に八十七名の中隊が四つ集まると大隊となり、そこそこの家柄の貴族が隊を率いることとなる。

三百七十一名からなる大隊は、指揮官として最も家柄の良い貴族を筆頭に副官とこの貴族専従の麾下支援小隊が配属されるのだ。

トリステイン王国の貴族であるならば、軍属となった場合あるいは有事には殆どがこの組織のどこかに配置される。

そして、大隊より先は王族や一部の高級貴族によって編成されることとなる。

大隊が四つ集まると連隊となり、辺境泊や侯爵クラスがこれを率いる。

規定兵数は千八百五十八名。

メイジの数は最低でも百五十八名は必要となり、指揮官である貴族には副官、事務官、専従の麾下支援中隊が配属される。

更に王家の者や元帥、公爵ともなればこの連隊を五つ集めた軍団を編成する事が出来、副官が一名、事務官三名、参謀が五名配置されるのだ。

実際には兵科により配置されるメイジの数や系統、身分などはかなり変わるのだが、以上がトリステインの軍制の基本であった。

これはトリステイン王国正規軍の話であり、戦にもなれば同数の補給部隊である輜重隊が編成され数の上では二倍にふくれあがる。

又、傭兵や志願してきた義勇兵が正規軍に編入される為、あくまでも数字は基準でしかない。

さて。

才人の目の前の二個中隊は、果たして全てメイジからなる部隊であった。

彼らは別に一兵卒に甘んじているわけではない。

常備軍として魔法の使えない兵士や傭兵を常に雇うわけには行かない諸侯は、有事には指揮官となるメイジ達を

平時には城を守る兵として、あるいは己の子飼いの兵として編成し、オーク討伐や治安維持部隊として利用しているのだ。

軍団を編成する必要のある公爵ともなると、その数は八百にも上る。

無論、平時から全てのメイジを兵として扱うわけにはいかない。

大多数の常備軍のメイジ達は、普段は主の領内の各地に散らばり拝領した土地の統治を行っているのだ。

かといって彼らを兵として全く手元に置かないわけにはいかない。

有事にすぐに対応できる部隊を用意しておくのは当たり前の話でもあった。

必然、戦闘に特化した精鋭を手元に置くこととなる。

そういったメイジ達が、才人の目の前にいる二個中隊なのだ。

才人の視線の先では公爵の指示が終わったのだろう、やたら気合いの入った答礼する声が聞こえ、ザっと音を揃え

一糸乱れぬ動きで跪いていた者達が立ち上がり、遠目にもわかるほど血走った視線を向けてきた。

殺気が二十メイルも離れた才人とルイズの所にまでビリビリと伝わってくる。

どうすんだよ、あれ。

あの人たち、みんな俺を殺る気マンマンじゃねえか。

才人はじっとりとルイズを睨み、それから練兵場の脇に作られた閲兵用の櫓(やぐら)の方を見上げた。

櫓からは公爵夫人とルイズの二人の姉、そしてシエスタがこちらに視線を投げかけている。

何故シエスタがヴァリエール家の者と櫓に居るのかというと、朝、慣れぬ昨夜の飲酒で二日酔いになった彼女が

何度目かの洗顔をしようと邸内を歩いていた所、突然エレオノールに呼び止められ、近くで見学しては危ないから特別にと

練兵場の閲兵櫓に連れて行かれ、そのまま給仕をさせられていたからであった。

最初は才人やルイズを交えて、ここで何か素敵な催し物でもやるのかしら? と笑顔であった彼女だったがやがて物々しい雰囲気となり

兵士の殺気がこもった声に怯え始め、対峙する才人を見つけて今では涙をうかべている。

才人はそんなシエスタに同情しながらも、すべて自分に向けられっているメイジ達の敵意に肩を落としつつ

陣を組むあちらと比べてやけに寂しい自陣を見渡した。

何も、無い。

当然といえば当然だが、味方の兵士一人すらいない。

只一つ、才人の後方にいつも魔法の的にされている人形が一つ据えられて、この日ばかりはルイズの着物が着せられていた。

決闘のルールは単純明快。

この人形をルイズに見立て、眼前の二個中隊の攻撃から見事守って見せよとの事であった。

もっとも、相手は人形ではなく、主君の娘をたぶらかしたと思われている才人を殲滅対象として捉えているようだが。

才人は肩を落としたまま人形から隣にいるルイズに視線を移した。

何も語らなかったが、勘弁してくれよ、とその目で語りかける。

ルイズはそんな才人の目を見てたはは、と引きつった笑いを浮かべた。





「ご、ごめんね? でも……でも! 私、がまんできなかったのよ。わかって……ほしいな?」


「かわいい口調で甘えてもダーメ」


「う……でも! あんたなら、あのくらいの人数何でもないでしょ?」


「殺す訳にはいかねえだろ。オークの群れじゃないんだぞ? 怪我させないで打ち負かすってすっげえ難しいんだぞ?」


「う……」


「まったく。……あっちに水メイジもいるな。なあ、ルイズ。公爵の部下にスクウェアの水メイジは居ないよな?」


「え? えっと、スクウェアメイジなんて、王軍の精鋭にもそういないわよ。
 たしか……父さまの軍医もやってる水メイジはトライアングルのメイジで、他の衛生メイジはライン位だったと思う」


「そか。なら、あまり派手な怪我はさせらんねえな。そら、そろそろ離れて。あっちはしびれを切らしてるぜ?」


「……きをつけてね?」


「心配いらねえよ。いざとなったら "前" みたいにお前かっさらって逃げるから、杖とか身につけていてくれよ?」





才人の言葉に、ルイズは頬を染めた。

なんだか、自分が囚われのお姫様で才人がここから連れ出してくれる、といった類の妄想が頭によぎり

それもいいわねとつい考えてしまったからだ。





「ルイズ! そろそろ始めるぞ! そこから早く離れて早くこっちに来なさい」





いつの間に練兵場から移動したのか、公爵が夫人らと共に閲兵櫓からルイズに声をかけた。

遠目にもルイズが才人に随分執心している様子が公爵に伝わったようで、その声は苛ついた物であった。

急かされ慌てて、しかし名残惜しそうに才人を見ながら櫓の方へと走り去るルイズ。

……かわいい。

才人はそんな彼女には珍しい、しおらしいその様子に思わず頬が緩んだ。

だが、ルイズの後ろ姿を見送りながら閲兵櫓にいる公爵の顔を確認するや、緩んだ頬は引きつり笑いになってしまう。

激しい敵意に満ちた目。

苦虫を何十も噛みつぶしたような表情。

食いしばった歯が口の端から見えている。

それは、愛しい娘の心をたぶらかした、憎き馬野骨に対する父親の憎悪の表情であった。

才人の背中に怖気が走る。

あの顔は、本気で怒っている顔だ。

ううう、心証良くなるまで目立たないようにしたかったんだがなあ。

才人はルイズにプロポーズし、両親の元へ結婚の許可を貰いに行った日のことを思い出して暗澹とした気持ちになってしまった。

孔だらけの記憶に残る、辛い一夜。

三日三晩怒り狂った公爵に追い回され、その間にルイズやカトレア、エレオノールに説得された夫人の取りなしでやっと認めて貰えた日。

あの日も公爵はあんな顔していたな、と才人はぼんやり考えながら知らず落とした肩を更に落とし、ため息をつくのであった。





「双方用意はいいな? では、これより始めよ!」





肩を落とす才人の様子を遠くから確認したのか、公爵は今更後悔しても遅い、決して許さぬとばかりの口調で

娘の使い魔の "力試し" の合図を宣言した。

同時に、ザッ! と規則正しい軍靴の音を立て殺気立った二個中隊は閲兵櫓の公爵から才人の方へ向きを変え

杖を掲げて一斉に魔法の詠唱を始める。

次に後方で指揮をとる隊長の号令の下、長く横に伸びた陣から一歩、火球を作り出していたメイジ達が何十も陣の先頭に進み出た。

才人はと言うと、ゆっくりと背にしたデルフを抜いて左手に持ち、右足を半歩下げて半身に構え、困ったようにメイジ達と対峙している。

双方の距離は二十メイル程。

最初に攻撃を仕掛けたのは、メイジ達だった。

火球を作り出していたメイジ達が、隊長の号令で一斉に才人に向け "ファイアー・ボール" を放ったのだ。

何十もの火球は、その一つ一つが人一人焼き殺すには十分な威力が込められており、まるで吸い寄せられるかのように只一点

左手で片刃の大剣を持ち、情けない表情を浮かべて茫洋と立つ才人へと殺到してゆく。

炎達は次々と互いを押し合い、あるいは重なって膨れ、主君の愛娘をたぶらかした愚かな平民を焼き尽くす筈であった。

轟、と炎が燃え広がるかのような音と共に、才人が立っていた場所に大きな火炎が渦巻く。

閲兵櫓に居たシエスタが小さく悲鳴を上げ、釣られてエレオノールとカトレアは眉をひそめた。

公爵は最前列で冷たくその光景を眺め、ふん、と鼻を鳴らす。

隣に座る公爵夫人はちらと満足げな夫を見やって少しだけ眉根を寄せた。

次に夫人がその視線を動かした先は、憐れな平民ではなく娘のルイズであった。

一番下の、わがままで泣き虫である末娘がさぞ悲しんでいるのだろうと考えたからだ。

だが当のルイズは、意外にもあれほど入れ込んでいた使い魔が消し炭になったにも関わらず、無表情であった。

おや? と感じたその時。

夫人の脳裏に、ピリピリと何かが瞬く。

どういう、ことかしら?

あれほど声高に誇っていた己の使い魔が、あれほどの炎に包まれ死んでしまったというのに。

なのに、この子は……

そこまで考えて、脳裏に瞬く感触がいつか幾度も感じた物であると夫人は思い出した。

それは、戦いの記憶。

決して油断してはならぬと己にささやきかけてくる、一流の戦士だけが持ち得る予感。

まさか!

そう思わず口に出しかけ、かつて、そして今もトリステインで最も強いメイジは、初めて娘の使い魔の方を見た。

あれほど燃え広がっていた炎は、徐々に小さくなっている。

夫である公爵はまだ気が付いてはないが、アレは魔法が効力を失い消えて収束しているのでは……ない。

やがて渦巻いていた炎はそのうねりも早く、水が瓶に吸い込まれるかのように一点へと消えていく。

そこには、片刃の大剣を左手で持ち真っ直ぐに付きだしている黒髪の少年の姿。

ばかな!

公爵夫人は思わず身を乗り出し、信じられぬその光景を確認しようとした。

しかし、先に立ち上がり櫓から落ちんばかりに身を乗り出した公爵に阻まれ、視界がさえぎられてしまう。





「ばかな! そんな、たしかに!」





珍しくも激しく動揺して驚愕を口にする公爵を夫人は押しのけながら、ちらと見えた娘の使い魔をもう一度、よく確認する。

――使い魔は、メイジでもないあの平民の少年は、まったくの無傷であった。

そんな、ばかな。

もう一度、今度は夢に見るように呟く。

瞬間、背に重みを感じて夫人は我に返った。

普段から、いや子供の頃から決して乱暴にじゃれついたり、まして自分の背にのしかかるような粗相をしなかった長女と次女が

はしたなく自分と夫の背にのしかかり、あの少年の姿を確認しようとしていたのだ。

二人のその表情は、形は違えど浮かぶ感情は一つ。

夫や、自分が浮かべているであろうものと同じ驚愕である。

動揺は閲兵櫓の上だけでなく、訓練場に展開する多くの精鋭メイジにも見られた。

みな口々にそんな、ばかな! などとお互いの顔を見合わせている。

普段ならば激しく叱責すべき様相であるが、この時ばかりは公爵も夫人も彼らを見咎める余裕など持ち合わせていなかった。

否、この場に居る全ての者が目にした現実をそのまま受け止められる余裕など、持ち合わせてはいないであろう。

唯一人、大人しく公爵の隣に座り、少し不機嫌な顔で座るあの使い魔の主以外は。





「落ち着け! 馬鹿者ども! 次! 風!」





動揺が広がる隊へ怒号のような命令が飛ぶ。

どうやらいち早く驚愕から立ち直った隊長が、声を張り上げたらしい。

彼は有事には公爵の副官として軍団を指揮し、共に戦場に立つ優秀なメイジである。

主君の前に見苦しくも動揺した隊員と自身を恥じつつ、目の前の敵に激しい敵意を再び燃やす。

おのれ!

如何なる手品を使ったかはしらぬが、よくも公爵様の前で我らに恥を!

怒りは彼だけでなく、隊全体へと広がり一団は再び秩序と落ち着きを取り戻す。

だが、彼らはこの時大きな過ちを犯していた。

あれほどの火球を凌いだ相手が、この期に及んで力無き平民だと未だ認識していたのだ。

号令に素早く反応した風のメイジ達が前に出て、燃やし損なった相手を切り刻むべく "エア・カッター" を繰り出そうとした時である。

彼らの視界から、少年が消えた。

いや、正確には消えたわけでなく、真っ直ぐに中隊へと走っているだけなのだが、見る者の意識が視界に追いつかなかったのだ。

まるで矢が己に向かって飛んできているのを、眺めるかのように。

ただその左手を赤く赤く輝かせる光だけが、見る者の目に付いた。

赤い光の筋は、真っ直ぐに陣形を割り、一気に隊長の下へと伸びた後、白い輝きに変わる。





「ごめん、ちょっと、痛いかも」





少年は白く強く左手を輝かせ、右手で隊長の足を掴みながら上を向き、小さくそう口にしてバツが悪そうに笑う。

その言葉を隊長と閲兵櫓の夫人は聞き、一瞬呆気にとられた。

なんだ?

どうしてあいつが、ここに、いるんだ?

陣の間を、どうすり抜け……

足を掴まれた隊長は、まるで少年の動きのように意識の中、疑問だけが脳裏に飛び交う。

しかし、少年の言葉の意味する所は果たして夫人だけが理解する所となる。

次の瞬間、才人は隊長の足を持ち上げ無造作に振った。

近くに居た副官やら護衛兵やらが、まるで人形のように振り回される隊長によってなぎ払われる。

貴族用の軽鎧同士が鈍く大きな音を立ててぶつかり合い、木の葉のように次々と人が宙に舞う。

才人はそのまま二度三度と隊長を振り回し、魔法を使おうかと躊躇う一団へ目を回し気絶した彼を小石のように投擲した。

うわぁ! と悲鳴があがり、精神を集中していて逃げ遅れた数名を巻き込みながら才人に投げ飛ばされた隊長は練兵場の木壁を破って

よく手入れのされた植え込みの中へと消えて行ってしまった。

難を免れた者は、仲間と共に猛烈な勢いで投げられた隊長を見送り、ただ目を丸くして立ち尽くす。

そんな彼らの隙を逃さず、矢のような動きで一気に距離を詰め手当たり次第にメイジ達を殴り倒していた才人は

今度は手近にいたゴツい大男を蹴り倒して足を掴み、その足を引き抜いてしまわぬよう注意を払いながら再び振り回し始めた。

メイジ達は陣形を組んでいたことが災いしてか、同士討ちを恐れあらかじめ唱えていたスペルを発動させることが出来ずに

ただあり得ぬ光景を目の当たりにしながら、暴風のような才人の力に次々と呑まれていく。





「散れ! 散開して距離を置くのだ!」





誰かの叫びにメイジ達の反応は素早かった。

隊長を失い混乱の中にあっても、一斉に才人から四方へ距離を取り始める。

すばやいその動きは精鋭たる所以ではあったが、黒髪の使い魔は信じられぬ方法で距離を置くメイジ達に追撃を加え始めた。





「うわあ!」


「うそだろ?!」


「わ、わ、わ、あが!!」





才人の容赦ない常識外れの追撃に、メイジ達は避ける間もなく先程の隊長のように練兵所の外へ次々と木壁をぶち破りながら吹き飛んでゆく。

悲鳴が、絶叫が、何よりばかな! と信じられぬ物をみたかのような叫び声が練兵場に木霊した。

無理もない。

才人は追撃として、手当たり次第に気絶し地に倒れているメイジを投げつけていたのだ。

それも恐ろしく正確に。

間断無く。

人のそれとは違う "グリムニルの槍" が成せる技であったが、その場に居合わせた者にとってはただ、あり得ぬ光景にしか見えないだろう。

魔法の使えぬ少年が、鎧を着た兵士達を小石のように投げている。

逃げ惑う、ヴァリエールの精鋭。

閲兵櫓の上に在って、公爵は悪夢のようなその光景に唇を震わせ眺めていた。

ばかな。

そんな、ばかな。

驚く公爵の目の前を "レビテーション" で空中に逃れた者に向かって、副隊長が弾丸のように飛んで行く。

なんだこれは! これは一体、あの者は一体何なのだ?!

こんな、でたらめな戦い方など、ありえない!

拳を握りしめ、国内でも有数の練度を誇っていた自慢の隊がボロボロにされていく様を、公爵は夢の中にいるかのように眺めていた。

一方、夫人の方も公爵と同じ種類の驚愕を覚えてはいたが、少し違う感情を抱いて眼下の光景に驚愕していた。

才人は一見、只闇雲に暴れている風に見えていたが、その動きがメイジとの戦い方をよく熟知している事に気がついたのだ。

すなわち、魔法を唱えようとしている者への攻撃を優先して行い、武器の投擲が間に合わぬ場合は恐ろしいまでの素早さで

距離を詰めて相手を昏倒させ、更にその者を盾とし、他のメイジに魔法の発動を躊躇わせ隙を作り出す。

そこから盾にした、気絶しているメイジを相手に投げつけて再び文字通り目にも止まらぬ速さで縦横に練兵場を駆ける。

動きは疲れなど存在しないかのように、息継ぎの間すら無い程目まぐるしく緩急が繰り返され、ここから目で追うのがやっとですらあった。

夫人はそんな才人を見て戦慄する。

あの者は、ただ力が強く素早いだけではない。

どうやったのか、何度できるのかわからないが、魔法を無効化する術を持っているだけではない。

メイジ……それも多くのメイジを同時に相手にしての戦いに、慣れているのだ。

きっと、この場に居るだれよりも実戦を経験しくぐり抜けているのだろう。

信じられない。

あれがルイズの使い魔?

夫人はふと、 "メイジの実力を計るには使い魔を見ろ" という言葉を思い出す。

あんな、怪物のような強さを持つ者を使い魔として従えられるメイジが居るというの?

夫人は思わずもう一度、末の娘を見やった。

使い魔の主は相も変わらず口を尖らせて不機嫌そうに、眼下に暴れる少年を見つめている。

とてもあんな怪物を従える強力なメイジには見えない。

メイジとして、「烈風」としての自分から見ても、そんな恐ろしいメイジには見えない。

公爵夫人は一度強く目を瞑り、動揺気味に揺さぶられてしまった心の内を鎮めた。

目の前の、非現実的な光景をありのままに受け入れる為に。

結果はもう出ている。

ルイズが戦争に行くにしろ、行かないにしろ、アレがルイズの使い魔であるという事実は覆らない。

なれば、これからも自分はあの者と関わりを持つことになるだろう。

ヴァリエールの者として、ルイズの母として、「烈風」としてあれ程の力を持つ者にどう接するべきか。

受け入れるのか。それとも、なんとかして排除すべきなのか。

今日の出来事によってすくなくともこの先、彼の存在を無視してルイズと接する事は出来なくなってしまった。

答えを夫人は胸の内に探し出す。

公爵夫人が次に目を開いた時、練兵場での決闘は既に終わりを迎えつつあった。

立っている者が数える程となってしまっており、その僅かに残った者達も魔法を詠唱する間もなく少年が持つ剣ではなく拳で

次々と昏倒させられていく姿が見えた。

もはや彼らの敗退は免れないだろう。

才人は一度も手にした大剣を振るってはおらず、現実離れした光景ではあったが誰の目にも、手を抜いている事は明らかだった。

しかし、彼らもトリステインにあって数少ない精鋭でもある。

鎧を着た人を投げつけられ、地に昏倒しながらも何とか意識を保っていた数名が、才人の後方、守るべきわら人形に向かって

"ファイアー・ボール" を詠唱したのだ。

アレを燃やせば、いや、傷の一つでもつけることが出来れば、我々の勝ちだ!

この "決闘" でのアイツの勝利は、我々に勝つ事ではない。

あの、ルイズお嬢様に見立てた、人形を守る事なのだ。

アレに毛筋ほどでも傷を負わせれば、それでよい。

"ファイアー・ボール" を唱えた兵士達はヨロヨロと立ち上がり、勝利を確信して口の端を上げる。

そこに名誉も矜恃も無く、しかし戦士としての執念だけが勝ちへとむかわせていた。

しかし。

いつ、その手にしたのか。

どこから取り出したのか。

使い魔の右手の中に、ハルケギニアでは珍しくなった長い馬上槍。

少年はあらぬ方向へ高く跳躍し、見る者が槍についての疑問をさて置き、才人が何処まで高く跳んだのか確認する頃には

その槍は既に投擲された後であった。

槍は速く恐ろしい唸りを上げて奔り、人形の五メイル手前で火球を阻むように地に落ち……爆ぜた。

その音はまるで、雷鳴。

水に大岩が落ちた時に上がる水柱のように舞い上がる土砂。

閲兵櫓の上で見守る者達。

練兵場の木壁の隙間から遠巻きにコッソリ見物していた使用人達。

練兵場で地に伏せる者達。

夫人とルイズを除き、その場に居合わせた者が思わず悲鳴を上げるほどの轟音と爆風が辺りに広がった。

土煙が練兵場に立ちこめ、すぐに計ったかのように風が舞い起こり綺麗に払う。

恐らくは夫人が起こしたであろう風により、視界がクリアになるとそこに現れたのはわら人形の前を深く大きく横たわる

谷のようにえぐれた地面が姿を表した。

丁度わら人形を横切るように裂かれた大地は、才人の投げた槍の威力を如実に物語る。

その光景に皆、息を飲む。

目の前の現実を否定していた公爵も、もはや言葉すら出せずにいた。

勝利を確信しヨロヨロと立ち上がっていたメイジ達は、あり得ぬ光景に我を忘れ、結局次の詠唱を行う前に

いつのまにか接近してきたのか、才人を視界に捉えることなく念入りに昏倒させられてしまう。

決闘が開始してから、僅か数十秒での幕切れであった。





「ね? 言った通りだったでしょう?」





言葉に、閲兵櫓にいた全ての者が練兵場に出来た谷から視線を外す。

夫人が、公爵が、エレオノールが、カトレアが、才人の事を知るシエスタまでも皆一様にルイズの声に振り向くと

腰に手を当て誇らしげに立ち上がった彼女の姿が見えた。










皆の視線を一身に集めたメイジは、使い魔がいつもするようにニカと笑ってみせたのである。


















[17006] 6-2:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/22 16:54










「なんでこんな事に……」





馬の手綱を引きながら、才人は知らず愚痴を口にした。

見上げると、二体の巨大なゴーレムが同じく巨大な跳ね橋を降ろすべく、極太の鉄の鎖をゆっくりと送り出している。

間近で聞く、重い鎖が擦れ合う音と跳ね橋と鎖を繋ぐホイールる音がガラガラと鳴り響いた。

時刻は昼過ぎ。

才人の "決闘" から数時間程経った頃であった。

跳ね橋はどぉんと大きな音を立てて、城内と堀の向こうを繋ぎ、才人は道が出現したことを確認して振り返る。

そこにはルイズの姉であるカトレアが微笑みを浮かべて立っており、その後方には心配げな表情のシエスタが見えた。

場にルイズの姿は無い。

彼女は今、城の自室で大人しく謹慎しているのだ。

今頃は父親である公爵と、色々と話をしているのであろう。

才人はその様子を想像して、今度は胸の内で今朝から何度も呟いた言葉を反芻した。

どうしてこうなったんだ?

無論、答えは返ってはこない。







「父さまの嘘つき!」





広いヴァリエール城の食堂に、ルイズの怒りに満ちた叫び声が響く。

時刻はようやく朝から昼の日差しに変わろうかという頃か。

非現実的な "決闘" の後、公爵と夫人、エレオノールとカトレアは一度食堂に集まり、お茶を用意させてそれぞれの心を落ちてかせていた。

ルイズはというとその席には着かずシエスタと共に才人を労う為、けが人を救護する軍医と公爵家常駐の水メイジを横目に練兵場に残り

才人やシエスタと他愛も無い話や痴話喧嘩に興じていた。

それは案外楽しい一時であったらしく、そのまま小一時間程三人は練兵場で話し込んだのだったが、使用人がやって来たのをキッカケに

歓談は中断され広い城の食堂へと移動することとなったのである。

広い城内を移動中ルイズは常に笑顔で、まるで羽根があるかのようにその足取りは軽い。

これで父さまが才人の事を認めて下さる。

思い出しても痛快だったわ!

あの父さまの、母さまの、姉さまの、ちぃ姉さまの顔!……ついでにシエスタも。

ルイズは才人の戦いぶりに痛く満足し、上機嫌で城内を歩く。

練兵場までやって来て公爵様がお呼びです、と口にした年若い女性の使用人は決闘の光景を見ていたのか、食堂へと案内する最中

しきりに才人の事をチラチラと盗み見をし、頬を染めついと才人にさりげなく近寄り色々と尋ねてきたのだったが

それを咎めたりしないほどこの時の彼女の機嫌はよかった。

かわりにシエスタが才人の腕を取り、必至にこのメイドから守ろうと激しい口論を繰り広げようとも一向に気にしない程に。

やがて食堂の入り口にたどり着き、案内するためなのか才人を口説くためなのかよく分からないが三人を呼びに来たメイドが

お連れしました、と扉に声を投げかけると、ぎぃと音を立てて両開きの大きな食堂の入り口はゆっくりと開く。

扉の向こうには十数メイルもある長い食卓が据えられており、上座の公爵を筆頭に夫人と姉達の姿が屋内にもかかわらず遠目に見えた。

壁沿いには何十人者使用人が傅き、三人を出迎える。

ルイズは一刻も早く才人を認める言葉を貰う為、才人とシエスタを置いて足早に公爵の元へと近寄り

父さま、私の使い魔は如何でしたか?! と声をかける。

公爵は愛しそうに娘を見つめながら立ち上がり、ルイズを抱きしめニッコリと笑った。





「ルイズ。私の可愛いルイズ。お前の使い魔が、すばらしい力を持っていることはよく分かった。
 疑ったりして悪いことをしたね、父を許しておくれ」


「いいのです、父さま! 普通、サイトを見てあんな力があると気付ける者は居ないでしょうし」


「ほう、サイトと言う名前なのかい? お前の頼もしい使い魔は」


「はい、父さま。何度も私の命と名誉を守ってくれた、かけがえのない名前ですわ」


「そうか。ならば、後で礼をいわねばな」


「うふふ、きっとサイトも喜びますわ。でも私、嬉しい! 父さまがサイトを認めて下さって、これで胸を張って戦場に征けます」


「その話なんだが、ルイズ。……やはり、お前を作戦に参加させる訳にはいかん」





言葉にルイズの表情は固まり、空気が凍る。

帰って来た返事は彼女の期待とは正反対のものであった。

沈黙。

だれも言葉を口にはしない。

いや喋らないのではなく、誰もが次の発言者の叫び声に備えていた。





「父さまの嘘つき!」


「ルイズ!」


「約束したじゃない! 決闘に勝てばサイトの力を認めてくれるって!」


「たしかに。お前の使い魔の力は認めるよ、ルイズ。
 何せ私の自慢の部隊を叩きのめし、死者こそ出なかったが重傷者が五十名以上も出して名実共にたった一人で壊滅させたのだからね。
 ふふ、お陰で私はこの後、責任を取って自害しようとした隊長と離隊届けを提出した六十名を説得せねばならぬ。
 ああ、隊長の事は心配しなくてもいいよ? 魔法で今眠らせているから大丈夫」





激昂し、父親に食ってかかるルイズをエレオノールはたしなめた。

が、力無く笑う公爵の様子にルイズと共に出しかけた言葉を思わず引っ込めてしまう。

よく見ると公爵は、自慢の部隊がああも無残に蹴散らされ、暗く濃いオーラを背負ってどよんと肩を落としている。

白くなりかかった金髪も、いつもよりもずっと白っぽく見えた。





「そ……そう。隊の方々には、ちょっと気の毒でしたわ、ね?」


「ふふ、ルイズは優しいな」


「さい……サイトはあれでも手加減してたのだけれど、もっとするよう、言っておくべきだったかもしれませんわ、ね?」


「わかってたよ、ルイズ。お前の使い魔は、あの大きな剣を一度も振るわなかったじゃないか」


「わ、わかってくれるなんて流石は父さま! サイトも父さまに認められたくて、つい張り切っちゃたの、よ?」


「そうかそうか。つい、張り切っちゃったのか。そんなノリで私の自慢の隊は壊滅しちゃったのか」


「げ、げ、元気だして父さま! ワルドなんて私を裏切った時サイトを怒らせて、虫の羽根をむしるように腕を千切られたのよ?
 それに比べれば今朝の事なんて、じゃれあいみたいなものなのよ、サイトには」


「ルイズ、それ、もしかしてフォロー? それともトドメを刺してるの?」


「も、もももももちろん、父さまをお慰めしているのですわ、エレ姉さま」


「ふふふ、本当にルイズは優しいな。そうか、お前の使い魔はあの不埒者にもきちんと罰とあたえてくれていたのか。
 なるほど、スクウェアメイジのあ奴でさえ、そのような扱いができる化けも……使い魔なのだな」


「そうよ! だからね? それ程強いサイトが側にいるもの、きっと戦場に出てもだいじょうぶよ! ね? いいでしょう、お父様?」


「だめだ」


「父さまの嘘つき!」


「ルイズ。そもそも私は従軍を認める約束はしていないぞ。勝てばその力を認めるとは言ったが、人となりはわからぬ。
 それにもしかしたら、子爵のように寝返るやもしれん。なにより、彼は貴族ではない。
 トリステインに忠誠を誓っていない彼が、金や地位でアルビオンに釣られないという保証はないではないか」


「サイトはそんな人間じゃない! あいつは、頼りがいもあるし、私に忠実だし、いつも命をかけて守ってくれるもの!」


「とにかく、駄目なものは駄目だ。行くならあの使い魔一人だけで行かせなさい。
 お前も随分あの使い魔の力に魅せられているようだが、婿でも取ればすべて丸くおさまるだろう。
 今朝の話した通り、謹慎をしてすぐに婿を取れ。これは命令だ」





公爵の強い口調に、ルイズは更なる抗議の言葉を思わず飲み込んで悔しそうな表情と涙を目に浮かべた。

その様子を才人は遠く、広い食堂の入り口に立ち黙って眺めながら、まぁ親ならそんなもんだよなあ、等と暢気にも呟く。

"結果" から言えばルイズは確かに従軍すべきだ。

しかし、親としての気持ちを考えれば公爵の言も理解できる才人であった。

こりゃ、説得は無理だな。

今夜にでも様子見てルイズを連れ出すしかねぇ、か。

才人がそうボンヤリと考えて居た時である。

目に涙を浮かべ、俯いて黙り込んでいたルイズが不意に才人の方へ僅かに向いた。

悔しそうなその表情のまま、キっと才人を睨む。

別に才人に八つ当たりしているわけではない。

美しい大きな鳶色の目は語る。

才人!

今すぐ、ここから私を連れ出して!

要求は、正確に才人に伝わった。

どうやら父親への当てつけに、目の前で城を立ち去りたいらしい。

それも力尽くで。

本気かお前? と困惑気味に目で返事をする才人に、ルイズの表情は更にきついものとなる。

彼女の要求はどうやら本気らしい。

やれやれと才人は頭をぽりぽりとかき、さりげなくシエスタを抱えて走り始められるよう一歩下がり、広い食堂内を見渡した。

……うん、ルイズの背後、あの窓を破って外に出ればいいか。

たしか馬小屋は……えっと……くそ、思い出せねぇ。

ま、いいや。ルイズに誘導してもらおう。

でも、本当にいいんだな? 本当に――わかったよ、そんな目で睨むなって。

鬼のような表情となりつつあるルイズに急かされ、才人は呼吸を整え主の無言の命令を実行に移す。

つま先に力を入れ、茫洋とした表情に意志を込めたその時である。

公爵夫人がついと優雅に、しかし一分の隙も無く才人の方を振り向いた。

完全に不意を突いたつもりであった才人は、思わずびくんと僅かに体を震わせてつま先に力を入れたまま、その場に立ち尽くす。

夫人は才人が僅かに発した闘志に似た強い意志に反応し、こちらに振り向いたらしい。

未来のルイズとよく似たその顔立ちは、一種凄みを感じるほど美しく険しい雰囲気を纏っている。

やばい!

読まれた!

才人は今、自分が何をしようとしたのか完全に読まれてしまったと理解し、このまま強引に事を進めるかどうか迷った。

シエスタとルイズを抱えて、あの公爵夫人の追撃を逃れられるか?!

……無理。

そこはかとなく、死の予感がする。

死なない体になってるけど、あの公爵夫人ならそこをどうにかしそう。

俺、死にたくない。

それにルイズを盾になんかしたくねぇし。

ごめん、無理。だからそんな目で急かさないでくれないか、ルイズ?

再び茫洋とした表情に戻りながら、才人は体の力を抜いてまだなの?! と急かすルイズに無理っす、と合図を送る。

そんな才人を確認して、夫人は何事も無かったかのように公爵の方へと視線を戻す。

それからほんの少しの間続いた食堂の沈黙を破るのであった。





「ちょっとお待ちになって下さいな、あなた。」


「なんだ? カリーヌ」


「それではルイズがあまりにも可哀相です」





意外な夫人の言に、食堂に居た全ての者の顔に驚愕が張り付いた。

ルイズもまさか母が庇ってくれるとは思ってもおらず、信じられないと行った調子で顔を上げる。





「お前まで……何を言い出すのだ?」


「そ、そうですわ母さま!」


「エレオノール、あなたは黙ってなさい」





弾かれた様に公爵の言に乗って会話に入って来たエレオノールに夫人は冷たい、鉄のような言葉でぴしゃりとたしなめた。

性格なのか、研究員を仕事としている彼女の職業柄なのか、なにかと首を突っ込みたがる彼女を早めに牽制する夫人。

強くたしなめられたエレオノールは、まるで叱られた子犬のようにしゅんと小さくなってしまう。

彼女の事を "よく知る" 才人はその様子を遠目に見て、いつもああなら義姉さんもすごくもてるだろうになどと

不埒な事を考えながらも苦笑いを浮かべる。





「あなた、確かに今のルイズの様子は貴族として、母親として、引っかかるものがあります。
 しかし、よく考えても見て下さい。
 今のこの子は "誰にも止められない" のですよ?
 もし、一時の気の迷いを起こしてあの使い魔に「ここから連れ出せ」と命令したら、誰がアレを止めることが出来るのですか?」


「それは……おま」


「まあ! 公爵様は引退したこの私をあてになさいますの?」


「い、いや、そんなことはないぞ? うむ。 その時は私が……」


「あなた、お年を考えてくださいな。現役の戦闘メイジの精鋭が束になってすらあの有様。
 まして、彼が最後に投げた槍の一撃をどう防ぐのですか」





夫人の言葉に公爵は黙り込んでしまう。

その言は確かに一理あったが、それよりもルイズに対して覚えていた引け目が公爵を沈黙させた。

きっと、あの使い魔が娘を連れて逃げ出せば手も足も出せないだろう。

先の決闘の件も、よもやあんな形でルイズの使い魔が勝利するとは思わなかったし、はっきりとはしてないが

"約束" を反故にしてしまったような形で娘を城に止めるのは心苦しいのも事実だ。

しかし。

目に入れても痛くないほど可愛い我が娘を、戦場に笑顔で送り出すような真似が出来る親など、何処にいよう。

恨まれても良い。

嘘つきとそしられてもいい。

嫌われても……いや、ルイズはそんな子ではない。

一年前、私の声が届くペーパーナイフをプレゼントした時あんなに喜んでいたではないか。うむ。

しかし、最近は急に声が届かなくなったようなのだが、おかしいな。

壊れたのだろうか?

いや、そうではなく。

兎に角、これは道理よりも感情が先に立って良い話なのだ。

公爵は考えを整理し、もう一度父親としてのエゴを取り戻し口を開く。





「しかしだな、親として娘を戦場になど……その為には命など惜しくはない。
 それにカリーヌ、ではどうすべきだとお前は言いたいのだ?
 よもや、お前までルイズを戦場に送れと言い出したいわけではあるまい」


「もちろん、私もこの子の母親です。出征には反対ですわ。
 しかし、この子の意にそぐわぬ形で作戦の不参加、城への謹慎、婿取りを同時に行ったとあらば、この子の性格ですもの
 きっとあの使い魔に命じて城から力尽くでも飛び出してしまうにちがいありません。
 その時、誰にも止められないと申し上げているのです」





夫人はそう口にしてチラリと才人を見た。

ギクリ、と才人とルイズは同時に肩を跳ね上げる。

そんな二人を小さくなっているエレオノールの隣で、カトレアは興味深げに眺めていた。

まあ、そうなの? といった調子で僅かに微笑んで。





「ふむ……」


「ですから、お互い納得の行くよう、きちんとお話しになるべきではと申し上げているのです」


「いや、しかしだな……」


「父さま、母さま、すこしよろしいでしょうか?」





公爵の困ったようにどもる言葉を遮る、小さい鈴のような声。

普段はおしとやかで、思慮深く、まして決して両親の議論に割って入らないカトレアが珍しく話に入って来たのだった。

彼女の人徳の成せる技か、エレオノールの様に夫人にたしなめられもしない。

カトレアは優しい顔でルイズと食堂の入り口に立つ才人を一別し、それから夫人と公爵を見て話を聞いて貰えないかと目で訴えた。





「なんだ、カトレア」


「父さま、仮にも命をかけて "決闘" をさせた者に対して、先の翻意は私も些かどうかと思いますわ」


「カトレア、お前まで!」


「先程からお話を伺っておりましたが、どうやらルイズは出征の許可よりも使い魔の彼を父さまに認めて欲しいのではないかと。
 父さまの先程の言ですと、要は力だけで無く彼の人となりも知りたいのでしょう?
 ルイズだって、父さまにお気に入りの使い魔の事を力だけでなく、人間性も認めて欲しいようですし。
 わたしは難しい事はわかりませんが、父さまが彼の全てを認めて差し上げれば、ルイズの心も大分落ち着くかと思います」


「うん? そういう話だったのか? ルイズ?」


「そう! そうな……ううん、出征に参加する許可が欲しいの、父さま」


「おお、おお、そういう事だったのか! うむ、お前の気持ちを察してやれぬ鈍い父を許しておくれ、愛しいルイズ。
 うむ、うむ、いや、幼き頃より魔法が使えなかったお前が、とうとうあのような力強い化け……使い魔を従えられたのだ。
 皆に認めて貰いたい気持ち、父はわかるぞ。うむ」


「違う! 出征の許可を……」


「うむ? 違うのか? しかし、許可は断じて出すわけには……」


「父さま、続けて良いでしょうか?」


「あ、ああ。うぉほん。続けなさい、カトレア」


「ですから、先程母さまがおっしゃったように、このままではルイズが暴発するのは目に見えております。
 その時、彼を止める術は恐らくは無いでしょう。
 そこで戦の事は私が口出しできませぬが、使い魔の人間性を確かめるのならば、一つ良い案がございますの」


「む? どういう事だ?」


「つまりです。父さまがあの使い魔を認めて差し上げれば、ルイズの心の重荷が一つ減ります。
 しかし、今ここで上辺だけ認めると言ってもこの子は信用しないでしょう。
 ですから、彼の人となりを確かめる試験のようなものを執り行い、その間戦についてはじっくりとお話になられてはいかがでしょうか?
 もし彼の人となりが証明され父さまがお認めになれば、ルイズの心は軽くなり父さまのお言葉も届きやすくなるかと」


「……ふむ。一理ある。ルイズ、それでどうだ?」





ルイズは公爵に尋ねられ、カトレアの言葉を反芻し、む……と考え込んだ。

そもそも "決闘" に勝ったんだから、こんな案は必要ないじゃない!

……でも、もしこれを呑めば、父さまやみんなにサイトの全てを認めて貰える、のよね。

……全てを認めて貰える。

みんな、サイトの事を?

認めて?

それってつまり?

――恋人として?! あ、いやいやいや。落ち着くのよ、ルイズ。

認めて欲しいのは出征の方!

……でも、 "前" は結局認めて貰えなかったようなのよね。

どうせ、強引にここを出て行くなら、サイトの事だけでも……

上手くいけばこ、こここ、恋人として公認してもらえるかも?!

皆の視線を集め、眉間に皺を作り出しながら考え込んでいたルイズは、しばし沈黙を続けた後不意にふへへ、と表情を崩してしまった。





「決まりのようね、あなた」





夫人がそんなルイズを見て、少し呆れたように家族一同共通の感想を口にした。

かくしてカトレアの提案は採用され、又一つ才人の知らぬ未来へと世界は進み始める。

才人はと言うと、ルイズが不気味に微笑んだ瞬間あちゃあ、と額に手を当て肩を落とすのであった。

そして、冒頭に戻る。







ラ・ヴァリエール公爵家の三姉妹の次女、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌは侯爵でもあった。

病弱な彼女を不憫に思った公爵がその領地の一部を分け与えたからだ。

よって、カトレアは厳密にはヴァリエール家の者ではなく、ラ・フォンティーヌ家の当主であり立派な領主でもある。

ラ・フォンティーヌ領の主である侯爵と言う肩書きはいかにも厳めしく聞こえるのだったが、実際の彼女はルイズと同じ桃色の髪に

儚げで可憐な容姿、そしてヴァリエールの女達の中にあって唯一良く栄養が行き渡った胸の持ち主だ。

幼い頃より病弱で、医者曰く "芯が良くない" らしく、その原因が分からぬまま今日に至る。

その為か幼い頃より一歩も領地を出たことが無い彼女は、母親や姉、妹とは違い非常に大人しい性格であった。

柔らかで不思議なその雰囲気はルイズにとって憧れであり、また動物などにもよく懐かれ彼女が連れ歩く生き物は日増しに増えていくのである。

そんな、彼女がルイズに出した "才人の人柄を見極める課題" とは、自身が普段常用している薬を用立てて来るという物であった。

ただの薬ではない。

妖精が作るという、魔法の薬である。

カトレアの説明によれば、ここ数ヶ月薬を手配している領内のとある村からパッタリと音信が途絶えてしまい

そろそろ手持ちの分が切れそうだったのだとか。

村はラ・フォンティーヌ領の外れにあり、そう危険な土地でもないのだが薬の入手自体は難しく、村の者もかなり気難しいので

村人達と交渉し無事薬を持って帰ることが出来れば、才人の人柄も信じてよいのではなかろうか、といった内容であった。

無論、才人が城に帰ってくるまでの間はルイズには外出禁止の措置がとられるのであるが。

この課題、実はそれ程難しくはない。

村はヴァリエール城から一日程馬を走らせれば辿りつける距離であるし、公爵とは違いカトレアは

対象を排除する事を前提とした試練を、他人に課すような事は決してしないと誰もが知しる所である。

しかし、公爵や夫人はその提案を一にも二にも賛意を示し、ルイズもカトレアの提案とあっては

無下にして強引に城を出て行くことも出来ず、渋々とながら従う事にしたのだった。

公爵としては才人を一時的にでも城から追い出すことが出来るし、戻ってくるまでの数日間じっくりとルイズを説得することが出来る。

夫人の言う通り、今の様子ならばもしかすると本当に使い魔に命じて、強引に城を出て行くかもしれない。

それならば、と言うことでとりあえずはカトレアの案を飲む事にしたのであった。

さて。

どうしてこうなるんだ? と頭を傾げる才人は蚊帳の外、とんとん拍子に "課題" の為の準備がなされ、あれよあれよという間に

才人は馬を引いて、巨大なゴーレムが操作するヴァリエール城の城門の前に立たされていた。

時刻は昼過ぎ。

ルイズは城の本館の外に出ての見送りは許されず、才人を城門まで見送りに出て来たのはカトレアとシエスタのみである。





「じゃ、行ってきます。フェルタン村の村長にこの書類を見せればいいのですね?」


「ええ。気難しい方が多い村だけど、みな善人です。
 話せばきっと分かって貰えると思うし、ルイズの為にも早く帰って来てあげてね。
 可哀相に、あの子あなたを見送れない事を酷く悲しんでいたわ」


「はは……まぁ、仕方ない事です。シエスタ、悪いけど俺が居ない間ルイズ……お嬢様の事頼むな?」


「はい、分かりました。サイトさんもお気をつけて」





シエスタの返事はいつもの彼女の物であったが、その表情は不満と心配で彩られていた。

朝の決闘騒ぎや先程の公爵とルイズのやり取りを見て、貴族への反感が高まり何故サイトさんが、という思いを抱いていたからだ。

才人はそんなシエスタの気持ちを察してか、俺の事は心配いらないと口にして馬に跨がろうと鐙(あぶみ)に足をかける。

しかし、そんな才人を呼び止める声。

カトレアである。





「あ、ちょっとまって。そういえば、名前もまだでしたわね。あなた、サイトって言う名なの?」


「ええ、ヒラガ・サイトと申します。俺の国では姓が先に来るので、サイトが名前です」


「サイト……珍しいけれど、良い名ですね。トリステインの人間ではないみたいね、あなた?」


「ええ。ここから、ずっとずっと遠くの国の出です」


「やっぱり。わたし、こう見えても結構するどいのよ?」





カトレアは鐙に足をかけたままの才人を見ながら、コロコロと笑った。

出発に際し、彼女の突然の雑談に才人は心中で首を傾げながらもその笑顔につられて微笑む。

この人は無意味に他人に語りかけるような人じゃない。

一体、なんだろう?

才人の疑問を余所に、カトレアはゆっくりと言葉を紡ぎ続けた。

細く、消え入るような声であったが、何故か良く通り優しげな声で。





「ねぇ、サイトさん。本当に早く、帰って来てあげてね?
 わたし、わかるの。あの子、今朝女王陛下に認めていただいて、直々の女官に任命されたり頼りにされているって言ってたけれど
 そうなったのもきっと、あなたの助力があったからだと思うの。
 ルイズにはあなたが必要なのよ」


「ルイズ、お嬢様は俺が居なくても立派な貴族ですよ。
 いつも "敵に後を見せない者を貴族と呼ぶ" とか言って、俺が居なくてもどんな相手に立ち向かうんです。
 俺はそんな彼女の後をついて歩いて、魔法避けの盾となるだけです」


「まあ! 素敵!」


「は?」





カトレアは突如、瞳を輝かせその豊かな胸の前で両手を合わせながら満面の笑みを浮かべた。

どの辺りが素敵だったのか、才人は計りかねて間抜けな声を上げ首を傾てしまう。





「あなたとルイズはまるで、お姫様とそれを守る騎士のよう!
 わたし、思うんですよ?
 貴族の条件とは、大事なお姫様を命がけで守れる人だって。
 知ってる? このお城やヴァリエールの領地は、かつて王様の娘であるお姫様を命がけで守ったご先祖さまが頂いたものなの」


「はぁ」


「あの子は凄く強情だし、自分で決めたことは頑として曲げないわ。
 だからきっと、父さまの説得には応じないでしょう。
 ずっとずっと、あなたが戻ってくるのを首を長くして待っていると思うの。
 ……あのね? 私はルイズが決めたことならば、戦に行くことを止めるべきではないと思う。
 勿論征って欲しくは無いけれど、それとこれとは別。
 もっと、姉さまもお父様も貴族としてのあの子の自立を見守ってあげるべきなのよ」





カトレアはそう言って、再びゆったりとした雰囲気へと戻り優しげに微笑む。

つまり、ルイズの為に早く戻って来いと言うことか、と才人は考えた。

どうやらカトレアは場を取りなす為、荒事を避ける為に自分が提案した事が、結果として二人を引き裂いてしまった事を

彼女なりに気にしているらしい。

才人はそんな彼女の心情をキチンと汲み取り、心配ないとばかりにニヤリと笑いながら軽やかに馬に跨がる。





「出来る限り、早く戻ってきます」


「そうしてあげて。もたもたしていると、婿までとらされてしまうわ。
 そんなの、お姫様を守る騎士としてはおいやでしょう?」





馬に跨がる才人を見上げ、カトレアは少し羨ましそうな表情でそう言った。

才人は歯を見せながら笑い、答える。

"前" は気が付かなかったが、いつも大人であったカトレアが案外お姫さまとそれを守る騎士といった構図に憧れる

少女のような一面を発見し、つい気取った口調で。

その言葉はカトレアの心に深く留まり続け、ルイズへの羨望と騎士への憧れを育てる結果になるとは知らずに。

カトレアは才人が残したその言葉を反芻し、いつか自分も誰かにそう言って欲しいな、などと考えながら小さくなっていく馬影を眺めた。

それから、城で謹慎しているルイズがまるで本当のお姫様のように思えてきて、嫉妬を覚える。

いやだわ。

わたし、何を感じているのかしら。

可哀相なのはルイズなのに。

……でも、ほんと、一度でいいからあんな風に言われてみたいな。

そう思いながらカトレアはこれが最後とばかりにもう一度、才人の去り際の言葉を思い返した。










「もちろん、俺のご主人様は誰にも渡しません。俺は、あいつを守るしか能の無い使い魔ですから」


















[17006] 6-3:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/30 09:00










「なんでこんな事に……」





パキン! と地に落ちた枝を踏み折りながら、才人は知らず愚痴を口にした。

ここ数日よく口にするようになった台詞。

そのせいか、既視感を覚えた才人は何となく辺りを見渡した。

夏の盛りが過ぎ秋も深まっているとは言え、周囲の木々は生命力に溢れうっそうとした葉を茂らせている。

視界と行く手を塞ぐ枝を才人は乱暴にかき分け、細く下へと伸びた僅かに轍のように筋が伸びる獣道に歩を再び進めた。

何かの鳥がギャアギャア! と警戒信号の鳴き声を上げ羽音も近くに飛んでく。

才人は飛び立つ鳥につられて上を見上げた。

空はやけに高く青く見え、雲の合間から南を目指す渡り鳥の群れが見えてなんとものどかだ。

それから改めて視線を進行方向に戻すと、どこまでも続く急な坂道……というよりも崖に近い傾斜がついた名ばかりの道が

蛇のようにうねって藪の中を伸びる。

才人はため息を一つついて、背中のデルフリンガーの鞘をあちこちに引っかけながら再び崖を降り始めるのであった。







フェルタン村に才人が到着したのは、ヴァリエール城を昼前に出立してから翌日の昼過ぎ程であろうか。

幾度か馬を休ませながらも夜を徹しての旅程である。

隣国ツェルプストー領から最も遠い位置にあるラ・フォンティーヌ領の中でも、更に外れに位置するフェルタン村は

風光明媚な丘陵地で畑と農家が点在する非常にのどかな場所だ。

カトレアが言っていたように気難しい者が多いらしく、道行く年老いた農婦に村長の家への道を尋ねると

ムスっとした表情のままある方角を指さして、わかったか? とばかりにジロリと睨まれ、才人は思わず先行きに不安を覚えた。

しかし一応道を教えてくれるあたり根は善良な者ばかりなのだろう、才人はその後何人もの村人に睨まれながらも

無事村長の家にたどり着くことができた。

村長の家は他の村人の家よりもほんの少しだけ大きく、それ以外は特に変わった所がない比較的質素な造りで

畑が直ぐ近くにあるらしく、丁度昼食を終えて畑仕事に戻ろうと家から村長が出て来た所であった。

村長と鉢合わせた才人は馬から降り、挨拶もそこそこに早速カトレアから預かった書類を渡し、薬について尋ねる。

村長はかくしゃくとした痩せた老人で、始めはほかの村人と同じく無愛想に才人の話を聞いていたのだが

書類を受け取りカトレアの名を聞くや否や、人が変わったかのようににこやかになり、半ば強引に才人を今出て来た家に招き入れたのだった。

村長の家の屋内は特に変わった所も無く、さして大きくも無いテーブルの席へと座るよう促された才人は、急にフレンドリーになりすぎた

村長に戸惑いながらも言われるがまま腰を降ろす。

それから気難しい村人がこれほど豹変するほどカトレアは領主として慕われているんだな、などと才人がボンヤリ考えていると

村長が対面に座りながらにこやかに、しかし少しぎこちなく薬の件でいらしたのですね? と切り出してきた。





「ええ、カトレア……様が使う、妖精が作る魔法の薬をいただきにきたのですが……」


「左様でしたか。いんや、遠い所わざわざ……お疲れになったでしょう?」


「はは、このくらい。しかし、安心しましたよ。
 音信不通になったと聞いていたものだから、オークにでも襲われたのではと心配していたんですよ?」


「いや、その……連絡入れなかったのは申し訳ないんですが、その……」





バツの悪そうに口ごもる村長に才人は首をかしげた。

丁度その時、村長の妻であろう老婆がお疲れになったでしょう、村特産のハーブ茶です、と言いながら木のトレイに

白い湯気の立つ木のカップを二つ載せて、家の奥から運んできて才人と村長の目の前に置いた。

村長は一口そのハーブ茶を口に含み、ほう、とため息をつく。

才人もつられてハーブ茶を一口すすると、なんとも言えない甘く華やかな香りが口中に広がり、本当にこれハーブ茶なのか?!

と内心驚いて二口、三口と続けてすすった。

そんな才人を見て村長はニヤリと笑い、ずい、とテーブルごしに顔を近づけて来る。





「ふふ、旨いでしょう? 」


「ええ、すごく。ハーブ茶というよりも、何か甘い飲み物のような香りと味ですね」


「この村特産の乾燥ハーブで入れたお茶でしてな。丁度昨日乾燥が終わったもんで、味も格別ですよ。
 ……もっとも、それが原因でカトレア様にご迷惑かけてしまっておるわけですが」


「? 薬と何か関係があるのですか?」


「ええ、実は……このハーブ茶に使う乾燥ハーブと、 "ラ・カンパネラ" という花を原料にカトレア様に献上する薬を作っておるのです。
 両方ともこの辺りでしか取れない材料なんですが、特にこの "ラ・カンパネラ" という花が厄介でしてな」


「厄介?」


「ええ、この花は昔から "妖精花" とも呼ばれておりましてな、この村から西に少し行くと深い谷があってそこでしか取れんのです。
 更にこの谷は村では "囚われ谷" と呼ばれておりまして。
 ドライアドっちゅう、これまた厄介な木の精霊の住処になっとるんですわ。
 人間には近づくことが出来ない場所なもんで、ほとほと困っておったんです」


「え? じゃ、今まではどうやってその、 "妖精花" を?」


「この乾燥ハーブと引き換えに、持って来ていたんです」


「誰が?」


「その、ドライアド本人が。毎年この時期にやって来て花と乾燥ハーブと交換して行くんですよ。
 ところが今年はどうしたもんか、いつもより早く先月にふらりとやって来て交換してくれと言われましてな。
 残念だがハーブは採りいれたばかりでまだ乾燥も終わってないからもう一月待ってくれと頼むと、それっきり音沙汰なくなってしもうて……」





村長はそう言うと、肩を落として申し訳なさそうに身を縮めた。

どうやら妖精花は木の精霊から入手する以外、他に術が無いらしい。

才人はラグドリアン湖の水の精霊を思い出し、腕を組んだ。

人と精霊とでは時間の概念自体が違う。

精霊が「今はダメなのか。じゃ、ちょっと待つか」と思っていても、そのちょっとが百年、二百年である事は十分考えられるのだ。

更にプライドも高く、モンモランシーの実家の例はともかく、ちょっとした事で怒って姿を消すことも珍しい事ではない。





「うぁ……先住は色々と難しいですからね。」


「いんや、ドライアドに限っては恐らくになりますが大丈夫ですよ。
 愛想がいいと言うか、精霊というよりも妖精に近いとか本人がゆーとりました。
 ただ縄張り意識が強くてですな、アレの住処である "囚われ谷" に人間が入り込むと生きては出てこれんっちゅう話です。
 そこが唯一の欠点といいますか、ドライアドの厄介な所でして」


「じゃ、なんで……ヘソを曲げたって話じゃないようだけど」


「恐らくはなんかあったんでしょうて。
 こんな年もたまにありましてな、そんな時は谷を少し降りた所まで乾燥ハーブを持っていくとドライアドが出てくるんです
 だけんど、ちと今は時期が悪くて……なにせ今年はヒュイルが大発生しとりましてな。
 作物を荒らされん内にと言うことで、ここの所ずっと村人総出で刈り入れを行っておるんですわ」


「ヒュイル?」


「これくらいの、砂粒ほどの大きさの害虫です。
 ほら、季節の花々の茎なんかによく何匹も張り付いている、あの緑色の」


「ああ、見たことあります。あれ、農作物にもつくんですね」


「ええ、アレはああ見えて中々の悪食でして、何でも食い荒らすんですわ。
 今年みたいに大発生した時にほっとくと、一晩で作物がダメにされる事もあるんですよ。
 いんや、村のもんが北の森でそれを早めに見つけることができてほんに良かった。
 お陰で虫の大群が村に来る前に、村総出で刈り入れをやっておる真っ最中でして。
 連中、羽は無いもんで移動はゆっくりですから、なんとか間に合いそうなんですよ」


「それで連絡も寄越さずに……」


「そういう事になります。いや、ほんに申し訳ない。
  "囚われ谷" までは中々道が険しくて、老人ばかりの村のもんに行かせると時間もかかりますし。
 カトレア様には本当に申し訳ないんですが、わしらも作物が食い荒らされれば税も納められないし、冬も越せなくなりますでな」





村長はそう言うと、一口ハーブ茶を啜ってもう一度今度は大きくため息をついた。

才人も同じようにもう一度ハーブ茶に口をつける。

芳醇な甘い香りが口いっぱいに広がり、どこか焦る気持ちが安らぐ。





「村長さん、薬は作るのに時間がかかるのですか?」


「え? いんや、材料さえあれば薬自体はすぐに出来ます。
 といいますかな、効用自体は "ラ・カンパネラ" の花の成分だけなんです。
 ただ、味というか臭いというか、とにかく不味くて。
 その為に乾燥ハーブを追加しとるようなもんで、その由来から "妖精が作る魔法の薬" という触れ込みになっとるんですわ」


「じゃ、その "ラ・カンパネラ" とかいう花があればいいんですね?」


「ええ、ええ。だけんど、先程申した通り人が近づけぬ谷にしか花は……」


「じゃあ、話は簡単ですよ。俺が行ってきます」


「そんな、カトレア様の使いの方を行かせるなど……後数日で刈り入れが終わるで、それまで村の宿でお待ち頂ければ……」


「悪いんですが、俺、急いでるんですよ」


「まさか! カトレア様のお体の具合が」


「ああ、いや。俺の都合です。どうしても早く薬を持って帰りたいんですよ。
 村長さん、俺に行かせてくれませんか? この通りです」





才人はそう言って、深々と頭を下げる。

村長は慌てて才人に頭を上げるよう言いながら、そこまで言うのならばと "囚われ谷" までの詳しい道筋と

木の精霊・ドライアドの呼び出し方を説明し始めるのであった。







"ラ・カンパネラ" は釣り鐘のような花を咲かせる釣鐘草の一種で、鮮やかな紫色をした小さな花であると村長は言った。

地球ではバラ科のピンクの花であるのだが、花の名に疎い才人が地球での花の名など覚えている筈もなく、すんなりと花の特徴を覚えて

フェルタン村の西、 "囚われ谷" へと足を踏み入れたのはそれから一時間程経った頃であった。

ヴァリエール城から乗ってきた馬は村長の家に預けて、徒歩での移動である。

背に大剣、手には乾燥ハーブが入った袋を持ち至って軽装で森を抜け谷の入り口までやって来た才人だったが

既にその道程の厳しさにげんなりとしていた。

何せ、森の道は荒れ放題で木々の枝が道をふさぎ、それらをやっとの思いで "避けながら" 進むと今度は細い獣道のような道が

谷底に向かって藪の中を伸びていたからだ。

ドライアドは木の精霊である。

それ故、道中は決して木の枝や植物を無闇に切り落としてはならないと才人は村長に何度も注意を受けていた。

道に生える草や落ちているちょっとした枝を踏む程度なら問題はないようだが、夏の間目一杯伸ばした木々の枝を避けながらの移動は

非常に骨が折れる作業である。





「なんでこんな事に……」





パキン! と地に落ちた枝を踏み折りながら、才人は知らず愚痴を口にした。

その辺から飛び立つ鳥につられて上を見上げると、空はやけに高く青く、雲の合間から南を目指す渡り鳥の群れが見える。

そこに厄介な障害物など何一つ無い。

折ってはいけない小枝も、切り倒してはいけない木も空には無い。

視線を進行方向に戻す。

折ってはいけない小枝や、切り倒してはいけない木が視界一杯に広がる。

なんの嫌がらせなのか、細く足場の悪い崖のような谷を降る道はそんな障害物の足下を縫うように伸びていた。

才人は幾度目かのため息をついて、慎重に歩を進め始めた。

"目的地" まであとすこし。

村長の話によれば、谷を少し降ると大きな木が生えた台地のような場所に出るらしい。

そこが精霊と人の世界の境界であるらしく、ドライアドの住処への入り口を示すのだそうだ。

そこから先は再び下へと降りる谷となるのだったが、人が立ち入ってはいけない領域なので決して足を踏み入れぬよう

重々才人に注意を促していた村長であった。

果たして、時には木によじ登り道を迂回し、時には這いつくばって枝を避けていた才人はその台地へなんとかたどり着く。

崖から張り出すように現れた小さな広場には、今まで行く手を塞いでいた木々の枝や藪が全くなく、ぽつんと一本だけ木が生えていた。





「ふぅ、どうやらここが終着駅らしいな。あとはこの木の根元で座ってまってればいいんだよな?」





誰に向かってでもなく、才人は手順を口にして広場の木の根元に腰を下ろし、乾燥ハーブは入った袋の口を開けた。

甘く爽やかな香りが広がり、これまでの道程の厳しさを忘れさせリラックスした気分になる。

背にした木の枝の合間から漏れる太陽の光がなんとも心地よい。

ほんと、良い匂いだなこれ。

ルイズにお土産として持って帰ってやろう。

これだけ良い匂いだもん、精霊もわざわざ村まで交換しにやって来るのもうなずけるな。

……匂い袋というか、芳香用の小瓶に入れて部屋に置いとくといいかも。

――だけど……

眠く、なるから、

柔らかな香りと木漏れ日は、徹夜で馬を駆って村まで来た才人をうとうととさせる。

辺りに人や動物の気配はない。

野鳥のさえずりと、冬が近い季節にも関わらず春風のような心地よい谷風。

思考はいつの間にか夢にかわり、才人はとうとう眠ってしまった。

"グリムニルの槍" で再現されている体には、本来睡眠や食事など必要ない。

しかし "人" としての才人を維持するためには、なるべく人間の生理現象を再現する必要があった。

つまり戦闘状態でないかぎり、才人は人と同じようにものを食べ、女性の裸に欲情し、年を取り、目を閉じて夢をみるのである。

その寝顔はルイズと同年代の青年になりかけた少年の面影を残し、とても安らかだ。

メイジを片手で一蹴し、巨大な韻竜を屠り、亜人の軍勢を蹴散らす伝説の使い魔だと、その主と一部の人間を除けば誰も信じはしないだろう。

才人が寝台とした木の上では小鳥がチチチと鳴き、枝がざわめく。

心地よいそれらの子守唄を、才人はどれほど長い間夢心地に聞いただろうか。

不意に、音が消える。

僅かな変化であったが、頬にヒリヒリとした空気を感じ取った才人は目を醒まし辺りをうかがった。

広場は相変わらずのどかな情景であったが、何かが違う。

なんだ?

寝ぼけてるのかな、俺。

太陽は……まだ高いな。

長いこと寝てたわけじゃなさそうだな。

……妙な夢でも見たかな?

才人がそう考えて、伸びをした時である。

広場から更に谷下に伸びる道の先、あるいは才人が背にした木の向こう、崖の下から女の悲鳴が木霊してきた。





「いやああああ!! だ、だれか!」





悲鳴は切実に、しかし誰も居ないとわかりきっている諦めも混じって何度も上げられる。

才人は慌てて崖からせり出した形で広がる広場の端から身を乗り出すと、眼下に谷底が見えてそこを女性が走って行く姿が確認できた。

多分、若い。

髪は長く、キュルケよりも青みが差した赤毛だ。

足に怪我でも負っているのか、すこしぎこちない動きで走っている。

その後をくさび形にオークの群れがゆっくりと追いかけていた。

恐らくは女性に悲鳴を上げさせている原因であろう。

オーク達は手に様々な武器を持ち、獲物を嬲るつもりなのかゆっくりと逃げる女の後を追っているようだ。

なぜここに人が?

なぜ、オークの群れが先住の住処に?!

先住の住処を荒らす亜人なんて、聞いた事もないぞ?!

俺、道を間違え――いや、それよりも!

まずい、あの子、このままじゃ……

寝ぼけた才人の頭に様々な疑問が瞬時に湧き、思考が混沌とする。

いくつもの問い掛けが目まぐるしく耳の奥に聞こえたが、次の瞬間には体が勝手に動く才人であった。

大地に右手を当てシンプルな投げ槍を作り出し、力を加減しながら谷底へと投擲する。

全力で投げて崖崩れでも起こしてはたまらないからだ。

槍は唸りを上げて逃げる女とそれを追うオークの群れの間に落ち、ズドンと大砲の様な音を立てる。

"グリムニルの槍" としてその威力は見る影もない物であったが、オーク達の足を止めるには十分であった。

才人はオーク達の足が止まったのを確認し、まだ谷底まで十メイル以上もある崖へその身を投げ出す。

耳に風切り音が響かせ落下しながらも、背のデルフリンガーを保持する鞘のボタンを外して一気に大剣を抜き放ちルーンを輝かせる。

大地が迫り来る中、才人はオークの数と女の位置を確認した。

女は槍が巻き起こした音と衝撃によって前のめりにこけてしまっているようだ。

あちゃ、もうちょっとオーク寄りに投げれば良かったかなどと暢気に考えながらも、着地した才人は落下のスピードを維持したまま

向きを水平に変えてオークの群れの中に飛び込んだ。

数は十五。

一匹、デカいのがいる。

多分、オーグル。

断片的な思考とは裏腹に、才人は稲妻のような動きで瞬く間にオーク達を斬り伏せていった。

堅い竜の鱗を、ゴーレムを、大地を槍の投擲で爆砕させるその膂力で振るう剣撃はすさまじく、才人がデルフリンガーを振るうたびに

オーク達はまるで紙細工のように両断され、宙に舞う。

身の丈もある大剣を軽やかに横に薙ぎ、縦に振り、袈裟に切りつけ、しかしその剣筋は見えず瞬く間に亜人を屠っていく。

切り上げられたいくつかのオークの半身や武器を持ったままの腕は、クルクルと空中を飛び文字通り血の雨を降らせた。

その雨の合間を才人は疾風の様に駆け抜ける。

オーク達はいまだ、何が起きたのか理解していない。

ナニカが降ってきて地に落ち弾けて、気が付けば前に居た仲間がバラバラになって飛び散っていた。

一体、なにが――

疑問と状況が脳裏に浮かんだ次の瞬間には、己が雑に両断される。

視界が激しく回転し、ふわりと体が浮く。

遠のく意識の中、最後の記憶に在るのは白い光と黒髪。

た、ぶ、ん、にん――げ……

才人に斬られたオークの認識はそのような物であった。

白痴なのではない。

意識が追いつかないのだ。

あまりの疾さに。

あまりに鮮やかな剣閃に。

人の領域を遙かに超えた、その力に。

痛みを、怒りを、恐怖を、闘志を、絶望を抱く前にただ疑問だけを抱いて絶命する。

オーク達にとって不幸だったのは、才人が "躊躇" するのは人間だけだということであろう。

それは身勝手な博愛であるし、才人もよく理解している。

しかし。

ここ、ハルケギニアでは人とオークは決して相容れぬ存在であった。

一方が略奪者。

一方が被害者。

互いにそのどちらかにしかなれぬ存在。

その認識を違えば、大事な人を骨も残さず略奪し尽くされることを才人は知っていた。

領地を得て経営した経験のある才人にとって、オークとは大事な領民を襲う災害以外の何者でもない。

昨日向けられていた笑顔が消える。

老若男女関係無く。

それも村ごと。

かつての悲しみが、怒りが、決意が才人の胸に蘇り激しく心を震わせていく。

更に疾く。

更に剣閃は鋭く。

左手は強く強く輝く。

血の雨は肉を伴って更に激しく大地に降りそそぎ、しかしただの一滴も剣士を濡らすことはなかった。

才人がデルフをどれほど振るった頃か。

時間にしてほんの数秒であったのかもしれない。

群れの後方にいたオーグルを縦に両断した所で、その後に居たオークの一匹が声を上げた。

恐怖ではなく、警戒の合図だ。

ナニカがいる、注意しろと。

しかしその合図に答える者はいない。

既に "彼" を除き、ある者は首を跳ねられ、ある者は血の雨と一緒に空から降ってきていたからだ。

割れるオーグルの向こう、凄惨な光景を目の当たりにしてそのオークは唯一、敵の姿を目にする。

それは小さな人間。

ハルケギニアでは珍しい黒髪で、左手に握られている大きな片刃の大剣。

その手の甲は白く輝いて、対照的にその背後では赤い血と肉がバタタと音を立てて降り注いでいる。

一体、お前――

思考は続かない。

視界にあるはずの少年の姿が消え、すぐに視界が激しく回転して、浮遊感の後大地に叩きつけられた。

そのオークは他の仲間と同じように、そのまま疑問だけを胸に絶命したのだった。





「こんなもんかな?」





ベっとデルフを振って付着したオークの血を払いながら、才人は辺りを見渡した。

敵意や気配は感じない。

他の群れの斥候がどこかに居た場合、なるべく派手に殲滅した方が牽制効果を生むので "雑" に戦った才人であったのだが

どうやらその気配りも無駄であったようだ。

才人はオークの死体からなるべく綺麗な布きれを千切り、デルフを拭いて鞘に納めて改めて未だ転けたままの女性の元へと歩み寄った。





「大丈夫? 足に怪我してるようだけど?」





先の戦いぶりから怖がられているかも知れないと考えながらも、恐る恐る手を伸ばす才人。

女性はまだ幼さの残る少女といった年の頃であった。

青みが混じった赤毛は紫に近く、長く伸びて上体を起こしていても地に着いている。

肌は白く、手足も細い。

顔立ちもどこか気品があり、平民の娘ではないようだ。

女の子はさしのべられた手には目もくれず、ただ呆然と才人とその向こうの光景を交互に眺めていた。

やべぇ。

もしかして、俺、化け物かなんかと思われてるか?

この後きゃああ! とか叫ばれちゃう?

十分すぎるほど発揮した自らの怪物性の事などすっかり忘れ、才人はさしのべた手もそのままに不安に駆られる。

沈黙は続く。

その間、不安はますます大きく膨らみ、いたたまれなくなってつい返事を急かしてしまうお人好しであった。





「ねぇ?」


「あ、え? ああ! ご、ごめんなさい! あなた、すごく強いのね!」


「ま、ね。立てる?」





女の子は慌てて才人の手を掴み、立ち上がろうとするが少し体を浮かした所で眉根を寄せ、つ! と呻いて手を引っ込めた。

引っ込められた手は足へと伸び、よく見ると薄く刃物がかすったかのような傷が、白いくるぶしに赤い筋を作り出している。





「いたた、ごめんなさい。くじいたわけじゃないから、すこし時間をおけば立てると思うわ」


「オークの剣か矢かなんかが掠った傷?」


「うん」


「まずい!」





才人は血相を変えて女の子の足をつかみ、くるぶしに顔を埋める。

きゃあ、と再び谷に女の悲鳴が上がった。

しかしそんな彼女の様子などお構いなしに才人は暴れる女の子を無理矢理押さえつけながら傷口に口を付け始めた。





「ちょ、何すんの! この、変態! ロリコン! ブサイク!」





容赦ない罵倒と反対側の足による蹴りが才人の頭に猛襲する。

血を吸い出す為に足に顔を近づける度に細い指でバリバリと引っ掻かれる。

端から見れば変態その物だ。

だが才人は、そんな事もお構いなしに変態行為を続ける。

傷口に口を付け、血を啜り吐き出す。

オークの武器には毒が仕込まれていることが多い。

僅かなかすり傷でも命取りとなる。

説明している時間は多分無い。

走っていたから体中に毒が回ってもおかしくないけど、こうやって元気があるって事は傷を受けて間も無いはずだ。

今ならまだ間に合うかもしれない。

才人は焦りつつも、女の子の罵声と抵抗に必死に耐えた。





「やめて! そりゃわたし、すっごく可愛いけれど、まだおっぱいも小さいし、経験もないし、こんな所でなんて絶対いや!
 まして人間とだなんて絶対に、いや!! 離して! この淫獣! ケダモノ! むしろゲテモノ! 臭いのよアンタ!」


「いでぇ! これ位でいいだあ! やめ、ほら辞めたから!」


「この! これだから人間は!」


「ちがう! 毒! オーいだだ! 引っ掻くなって! オークの武器には毒が塗ってるうううだああ! 蹴るな!」


「え?」





ピタリと止む、罵倒と暴力。

顔中に赤い筋を作り出しながらも、はぁと肩を落とす才人。

そうなの? とその瞬間全てを察していながら "あんたが悪い!" と目で訴える少女。

焦ったとは言え、説明しない自分も悪いのだけど、もうちょっと俺の行動を観察して欲しかったと目で訴える才人。

仕方ないじゃない! と目で更に訴える少女。

じっとりと目を細める才人。

沈黙。

暫くして、少女は才人の視線の圧力に負け遂にプイっとそっぽをむいて、小さくごめんなさいと口にした。





「ま、俺も悪かったしな。おあいこって事で」


「そ、そうね。でもありがとう。お陰で助かったわ。えっと……」


「才人。ヒラガ・サイトって言うんだ、俺」





そう自己紹介し、いつものように才人は笑った。

笑顔に女の子は安心したのか、ふにゃりと柔らかく花のように笑顔を浮かべた。

そして、才人と同じように自己紹介を始める。

しかし。

彼女の言葉は才人の笑顔を凍り付かせるのであった。










「あたしはドリアーヌ。ここらを支配しているドライアドの僕であるニンフ(妖精)よ。
 しかしあんた、度胸ある人間よね。もう二度と人間界には戻れないってのに、谷底に降りてくるなんて」

















[17006] 6-4:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/05 08:46










「なんでこんな事に……」





つぶやきは力無く、穏やかで暖かい谷風に掃き散らされていった。

前を歩く十才位の女の子の、ふくらはぎまで伸びた青みが差す鮮やかな赤髪が目にいたい。

木の先住、ドライアドの領域である "囚われ谷" の谷底はその道程からは予想だにしない程広く、花が一面に咲き誇り

小川が流れ、柔らかな光が差し込む非常に居心地の良い場所であった。





「こっちよ、お兄さん」


「ああ……」





快活な少女の声に、才人はこの世の終わりを迎えた者のような声で応じた。

声だけではない。

その表情も、雰囲気もどよんと暗い影を纏っている。

少女はそんな才人にぷぅと頬を膨らませて、腰に手をあてた。





「もう! いつまでしょげてんのよ! ヤっちゃったもんは仕方ないでしょ?」


「だって、さあ。
 なぁ、本当に、本当に、ほんっっっとぅに、あそこから上に登っても帰れなかったのか?
 今ならお前が "冗談でした☆" とか言い出しても、俺、怒らないぞ? むしろ大喜びしちゃうぞ?」


「本当よ」





少し不機嫌に即答した少女の言葉に、才人はガクっと肩を落とした。

そんな彼をドリアーヌと名乗った少女は、冷たく目を細めて一つ小さく鼻を鳴らす。

それから腰に当てていた手をひらひらと降り、トドメとばかりに口を開いた。





「信じられないって言うなら確かめてきたら?
 もっとも、この谷の上は世界の境界しかないからね。そこに足を踏み入れたら今度こそ帰れる保証なんてないわよ?」


「う……そんなつもりじゃ」


「じゃ、大人しくついてきなさいな。
 折角助けてくれたお礼に、このわたしがドライアドに掛け合ってあげるって言っているのに失礼しちゃうわ」


「なあ、ドライアドって木の精霊なんだろ? 世界間の移動とかできるのか?」


「……あんた、そんな事も知らずにドライアドの領域に進入してきたの?
 強くて勇気のある人間ねって思ってたのに、実はただのバカなのね。
 あーあ、幻滅しちゃった」


「うっせ。お前だってあそこで死ぬよりかは良かったろうが」





才人の言葉にドリアーヌはうぐっと出しかけた悪態を飲み込んだ。

そのままぐぬぬと唸り、少しの間必死に言葉を探していたが、やがてぷぃっと前を向いてスタスタと歩き始める。

慌ててその後を追う才人。

彼女の不機嫌さを物語るかのように長いその髪が左右に揺れる。

まずい。

怒らせてしまったか?

ちょっと、言い過ぎた、かな?





「わ、悪かったよ。この通り、あやまるから怒らないでくれよ」


「……ま、いいわ。バカでも根は良さそうだし。
 根が腐っていると、良い葉は生えてこないものね。
 どんなに小さくて頼りない種であっても、しっかり愛情をかけてあげるからこそ、強く育つもの」


「へ? なんの話だ?」


「お花の話よ。それで? 一応、ドライアドの事を説明しておいた方がよさそうね?」


「あ? ああ、頼む。ドライアドってさ、木の精霊なんだろ? 縄張り意識が強いとは聞いてたけど」


「うーん、まあ、そうなんだけど。
 ほら、 "外" だとどうしても他の先住や人間と干渉しあう事になるでしょ?
 ドライアドは極端にそういうの嫌うのよね。
 だから、こうやって住処を世界の狭間に作って引きこもっているの」


「あれ? フェルタン村で聞いた話じゃ、友好的で乾燥ハーブを自分で取りに来てたらしいけど?」


「ああ、あれね。それ、わたし。ドライアドの名代としてお使いに出てただけ。
 先住です! て言っとかないと、人間に何されたもんかわからないし。
 最近の人間界は幼女趣味の奴が増えたって噂だし、ほら、わたしって愛くるしい女の子でしょう?」


「……いや、えっと、それは」


「あ、そもそもあんた何しにここに来たのよ?」





次々と話題が変わるドリアーヌの話に、才人は少々困惑しながらも懐にしまっていた袋を取り出し掲げて見せた。

ドリアーヌは袋を見ると、あ、それはと口に出して驚きの表情を作る。





「乾燥ハーブを持ってきたんだ。俺、妖精花で作る薬がどうしても欲しくてさ」


「ふぅん? どっか具合悪いんだ? どこも悪く無さそうにはみえるけど。あ、もしかして頭が悪いとか?
 まいったわねえ、妖精花はバカにはきかないわよ?」


「ちがう! 俺の具合が悪いんじゃなくてさ、知り合いが必要なんだ」


「――! あんた、もしかして、それ、その知り合い、恋人だとかじゃないでしょうね?!」





返答に突然、ドリアーヌは才人に詰めより背伸びをして、その幼い顔を才人の鼻先にまで近づける。

才人は鼻先に彼女の吐息を感じながらも、その気勢に少し驚いて一歩後ずさった。

ドリアーヌはそんな才人を追い詰めるかのようにもう一歩足を踏み出し、どうなの!? と更に問い詰める。





「その、その人とはそんなんじゃないよ」


「その人 "とは" ぁ?!」


「こ、恋人の姉さんなんだ」





恋人という単語を耳にした瞬間、ドリアーヌはあっちゃあ! と声を上げて頭を抱え蹲った。

才人はその行為が何を意味するのかさっぱり理解出来ず、座り込むドリアーヌにどうした? と恐る恐る声をかける。

もしかしてこいつ、俺に気があったのか? とお気楽な考えが脳裏によぎったが、どうも様子がおかしい。

やがてドリアーヌはその長い髪が地にとぐろを巻いて触れてしまう事もお構いなしに、座り込んだまま才人をじっとりと見上げた。





「……あんた、やっぱ帰れないわよ」


「なんでだよ!」


「ドライアドはね、すっごく欲しがりで、嫉妬深くて、惚れっぽいの。
 特に恋人が居る人間の男を見かけると、 "領域" に引っ張り込んで死ぬまで囲ってしまう程なのよ?
 ……ま、大概のドライアドは引きこもってるから見かける事すらないんだけど」


「うげ!」


「あんた、大人しくしてればそこそこブサイクだし、引き合わせて助けて貰ったの~、だから出してあげて~って言えば
 ドライアドも許可してくれると思ったんだけど……」


「誰がブサイクだ! 誰が!」





思わずガウ! と噛みつく才人に、ドリアーヌはやれやれと肩をすくめ首を振った。

それからすくと立ち上がったが、その視線は相も変わらずじっとりと半目で才人を見つめており、小さな口の片端を上げて

呆れたような、バカにしたような声色でため息混じりに言葉を続けるのであった。





「……そんな細かい所気にする余裕、あんたにあるわけ?」


「……無いです」


「はぁ……最悪だわ。前回迷い込んで来た人間も恋人だか嫁だか居てね。
 案の定ドライアドが気に入っちゃって、そのまま情夫にされちゃって。
 たしか、三百年位囲われてたわね」


「へ? そいつ、人間なのに、か?」


「時間の流れが違うのよ。ドライアドの領域じゃある者は速く、ある者はゆっくりと時間が流れるの」


「うわ! じゃ、俺は……」


「外に出てみないことにはわからないわよ? 百年経ってるかもしれないし、一瞬しか経って無いかもしれないし」


「うう……で、その、囲われてた人、どうなったんだ?」


「死んだわ。二十年位前かな? ヤりすぎでね、衰弱死しちゃったの。
 ほんと、人間って儚いもんよね。
 そりゃ、毎日昼夜時間を問わず激しかったけども。まったく、ドライアドも困ったものよね。
 毎日毎日汗と欲望が染みついたベッドのシーツを替える、私達ニンフの身にもなって欲しかったわ。
 ……ま、最後の方はシーツの上で "いたす" 事は殆ど無かったから、ちょっとしたお掃除で済んだのだけども。 
 マンネリしてくるとすごいのよ?
 私達ニンフの中から年長者が何人か選抜されて一度に……」


「わかったわかった! ドライアドがどんな奴なのかわかったからさ、どうにかならんのか?
 俺、なんとしても帰らないといけないんだ」





ドリアーヌの肩を掴み、必死に訴える才人。

腕を組み、眉根を寄せて目を瞑りながらドリアーヌはうーん、と唸る。

花畑のような草原に佇む二人に暖かい風が吹いて、才人の黒髪と長いドリアーヌの青が差した赤髪を揺らした。

のどかで心地よい情景であったが、才人の心中は暗く澱んだ空気に満ちていった。

どれほどの時間そうしていただろうか。

不意に組んでいた腕を降ろして、難しい表情をニパっと笑顔に変えたドリアーヌが、何とかなるわよと言った。





「ほ、本当か?!」


「ええ。いい案が浮かんだわ!」


「た、助かったぁ。俺、どうすればいい?!」


「簡単よ。発想の転換、って奴ね。うん」


「おお! それで?!」


「あんた、諦めてドライアドの男(モノ)になっちゃいなさいよ。それで問題解決!」


「してない! 解決してないぞそれ!」





才人は思わず掴んでいた小さな肩をブンブンと前後に揺らし、それではダメだとばかりに訴える。

ドリアーヌは激しく体を揺さぶられつつも、めんどくさい男ねえ、と目で語りながらも再びうーんとそのまま考え込み始めた。

再びのどかな沈黙が続く。

暖かい谷風が吹き抜け、どこかで鳥が鳴いた。

静寂は焦る才人一人をじわり圧迫する。

そんな無音にたまりかねて、才人はドリアーヌを急かそうと言葉を探し始める。

しかし、その沈黙を破ったのは才人でもドリアーヌでもなく、第三者であった。

柔らかな谷風が吹き渡る花畑に二人、考え事をしている所へドリアーヌが先導していた方角から、女性の何か叫び声が聞こえてきたのだ。

才人とドリアーヌは同時に声の方へ振り向くと、遠く草原の向こうに誰かが手を振っている姿が確認できた。

人影は背は高かかったがドリアーヌと同じ髪の毛の持ち主で、顔立ちもよく似ており一目で彼女と同じニンフという妖精だと才人にもわかった。

恐らくは先程ドリアーヌがちらと言っていた "年長者" というやつであろう。

走り寄って来る彼女は良く張った胸と細い手足、才人よりすこし低いがドリアーヌよりも遙かに高い背の持ち主であり

それらを除けばドリアーヌとよく似た、というよりも同じ容姿である。

そんな大人になったドリアーヌと表現できよう女性が、必死の形相を浮かべながら才人達の目の前まで走り寄ると

強い調子でドリアーヌになにやらまくし立て始めるのであった。





「ドリアーヌ! こんな所に!」


「ドリアーヌ? どうしたの?」


「何を暢気な事を言ってるのよ! ……だれ? そいつ。人間? まあ、ドリアーヌ。まあまあまあ、小さなドリアーヌ。
 だめでしょ、そんなの拾って来ちゃ。ドライアドに見つかったら、また乱痴気騒ぎに駆り出されるじゃない。
 私、やぁよ、ソレとくんずほぐれつに睦み合うの。捨ててらっしゃい」


「もう、違うてば。コレね、わたしを助けてくれたの。なぜかドライアドの領域にオークの群れが紛れ込んでてね」





女性の名も少女と同じドリアーヌと言うらしい。

才人はまるで小さな子供に拾われてきた汚い生き物のような扱いに、少々憤りを感じて唇を尖らせたのだったが

とりあえずは二人のやり取りを黙って見守ることにした。

ドリアーヌの様子と話から察するに、ドライアドの領域と呼ばれる谷底は、地球は勿論ハルケギニアの常識が通用しないかもしれない。

下手に会話に介入して、予想だにしない理由で彼女達の機嫌を損ねてしまっては元も子もない。

そう判断しての事である。

ただし、じっとりと隣の小さなドリアーヌにはなんだよその言い草、と冷たい視線は送っての判断だったが。





「あんた、オークに襲われてたの?!
 て、そうそう! はやく戻ってらっしゃい!
 そのオークの大群が村に向かってやって来るって話になってるのよ!!」


「なんですって! それ本当なのドリアーヌ?!」


「ええ。村じゃみんな、その対応で蜂の巣をつついたような騒ぎになってるわ!
 わたしは乾燥ハーブをフェルタン村に取りに行ってくるから、あんたも早く村にもどんなさい!」


「えっと、あの、そのハーブなら俺が……」





ここで初めて才人は二人の会話に割って入った。

どうもかなり切羽詰まっているようで、用途はわからないがフェルタン村の乾燥ハーブが必要であるらしい。

才人が懐から乾燥ハーブが入った袋を取り出し掲げてみせると、大人のドリアーヌは目を丸く開いて才人をじっと見つめた。

しばらくまるで値踏みするかのように上から下まで眺めた後、はっと状況を思い出したのか口元に両手の先を当てて

驚いたように、それとすこし大げさに感謝の言葉を口にする。





「まあ! まあまあまあ! あんた、それをわざわざ? ありがたいわ! ありがとう!」


「えっと、俺、妖精花が欲しくて」





才人の言葉は最後まで紡げず、かわりに台詞を遮るように大人のドリアーヌはベっと素早く才人の手から袋を奪い取った。

え? と呆気にとられる才人の眼前で、大人のドリアーヌは袋の中身を確認すると、満面の笑みを浮かべて小さなドリアーヌに向かい

嬉しそうに語りかける。





「やった! このハーブがあればオークが村にやって来る前に "あれ" が作れるかも知れないわ!
 ほんと、ありがたいわ! これでわざわざ人間界に行かなくて済むわね!」


「あの、それと俺、人間界に帰りた」


「ドリアーヌ! さあ、帰るわよ! みんなコレを持って帰るのを首を長くして待っているんだから!」


「そうねドリアーヌ。でも、今までこんな事なかったのに……」


「あなたはまだ若いからそう思うんでしょうけど、たまにこんな事があるのよ? 原因はわかんないけどね」


「へー、そうなんだ?」


「あのぅ、俺……」


「あら。何コレ? 人間? もう、ドリアーヌ。もうもうもう、小さなドリアーヌ。
 だめでしょ、そんなの拾って来ちゃ。ドライアドに見つかったら、また乱痴気騒ぎに駆り出されるじゃない。
 私、やぁよ、ソレとがっぷりしっぽりに絡み合うの。捨ててらっしゃい」


「おい!」





才人は思わず声を荒げてしまった。

その剣幕に大人のドリアーヌはえ? 何この人? といった様子で首を傾げ、きょとんとする。

どうやら冗談ではなく、本気でこの短時間で才人の存在を一度忘れてしまったらしい。

才人は出しかけた罵倒の言葉を飲み込みながら、隣に居た小さなドリアーヌにどういうことだ? と言外に尋ねた。





「ドリアーヌはね、いつも "こう" なのよ。
 醜い物や好みじゃない物、イヤな事はすぐ忘れちゃうのよね。
 まあ、そんなんだからよくドライアドの "お楽しみ" に駆り出されるのだけれど。
 あ、誤解しないで、わたしはそうじゃないから」


「……しっかり、イヤだって言ってたドライアドの乱痴気騒ぎのことは覚えているようだけど?」


「本音はイヤじゃなかったんでしょ。ノリノリだったって話だし」


「……なあ、俺、そんなにブサイクなのか?」


「あら。意外と繊細なのね。人間のくせに」


「何々? どういうこと小さなドリアーヌ?」


「あ、こっちの話よ。えっと、この人オークに襲われていたわたしを助けてくれたの。
 外に出たいらしいから、お礼に村へ連れて行ってドライアドに外に出してあげてってお願いしに行く所だったのよ」


「ふうん? そうね、コレならドライアドも欲しがりはしないわよね。
 じゃ、特別にあんたも村に入れてあげるから、はやく来て! オークの群れも結構近い所まで来てるし!」





そう言って、大人のドリアーヌは踵を返して乾燥ハーブが入った袋を手に元来た方角へと走っていってしまうのであった。

後に残されたのは、小さなドリアーヌとイジけて蹲り、地面にノの字を書く才人である。

小さなドリアーヌはもう一度腰に手をあてて、すんと鼻を鳴らし惨めったらしく座り込む才人を見下ろして一言

いくわよ、と才人に声をかけるのであった。

暖かい風が言葉に合わせたかのように吹きわたる。

柔らかな日差しは花々が咲き乱れる谷底の草原をキラキラと光らせた。

しかし、才人の胸の内は暗くどんよりと曇っていたのであった。







"囚われ谷" に住むニンフ達の村へは、それから小一時間ほど歩いた場所にあった。

村は谷の両側の崖が特に狭まった場所に作られており、岩を積み重ねた城壁のような壁と厚い木の門が村の入り口を守っていた。

妖精の住処と呼ぶには中々物々しい外観で、高くそびえる城壁のような壁の上ではドリアーヌと同じような容姿をしたニンフ達が

弓を携えて慌ただしく行き来している。

村と言うよりもまるで要塞だな、という感想を才人が抱いているとゴゴン、と目の前の門が重苦しい音を立てて内側へ開き

門番をしていたニンフがさっさと入れとばかりにあごをしゃくって、二人を中へと招き入れた。

門の内側の村は特に変わった所もなく、木と石で出来たハルケギニアでよく見る平民の家が点在する光景が広がっていた。

あわただしくニンフ達が行き来する門から続く道の向こうには、貴族が住むような立派な屋敷が見える。

恐らくはドライアドの住処なのであろう。





「なあ、ドリアーヌ」


「なあに?」


「もしかしてドライアドってあの屋敷に住んでいるのか?」


「ええ、そうよ。あんた、そこまで説明しなくちゃダメなほどバカじゃないと思ってたけれど?」


「うっせ。いや、そうじゃなくてさ。木の精霊なんだろ? ドライアドって」


「え? やっぱりバカなの? 今まで何度もそう言ってるし、あんたもドライアドは木の精霊って知ってるんじゃないの?」


「だあ! だから! なんで! 木の精霊が! あんな屋敷に住んでるんだよ!
 普通はさ、こう、すっごいでかい大樹に住んでいたりして、ぽぅと光りながら出てくるとかするんじゃねぇのかよ!」


「はぁ? なんでそんな所に住まなきゃならないのよ?」


「木の精霊だろ!」


「わたしはそのしもべの妖精よ」


「お前じゃねえ! ドライアドの事だ!」


「まったく、人間ってほんと、無知ねえ。精霊や妖精だって、心地よいベッドに眠りたいに決まってるじゃない。
 木の精霊が大樹に住処を作らなきゃいけない理由でもあるわけ?
 あ、あのお屋敷は木造だし、見方を変えれば木の中にすんでるかもね」





とめどなく続いていくドリアーヌの台詞を余所に、才人は顔を引きつらせながら一人暗澹として思う。

うすうす気が付いていたのだけど。

こいつ……いや、こいつらとは微妙にコミュニケーションがとれない。

会話が噛み合わないことがしばしばある。

人間ではない、妖精だからか?

才人は思わず額に手をあてながら、隣で一方的に喋り始めたドリアーヌの言葉を聞き流しつつも、現在の状況を整理することにした。

彼女と会話をしていると、どうも頭が混乱してきて落ち着かないからだ。

えっと、まず。

俺は妖精花を貰いにここに来たんだよな。

で、オークに襲われてたこいつを助けて、ドライアドの領域に入ってしまって。

ドライアドの領域は一度入り込むと外には出られないらしくて。

助けたこいつは、ニンフとかいうドライアドのしもべの妖精であるらしい。

あと、ニンフは年齢の違いこそあれ皆同じ容姿と同じ名前を持っていて、ちょっと会話が成り立ちにくい。

それから、外に出してくれとドライアドに頼むためにこの村に来て。

で、今この村はオークに襲われようとしているらしくて。

そうそう、あの大人ドリアーヌが言ってたけれど、その対策に乾燥ハーブが必要らしい。

あ!

乾燥ハーブ……あの子に持って行かれてしまった!

うわぁ……俺、何やってるんだよ……

と、凹んでる場合じゃない!

才人は慌てて、隣で得意げにドライアドと木の関係について勝手に喋り始めていたドリアーヌに声を掛けた。





「なあ、ドリアーヌ!」


「でね、ドライアドはその体に……ん? 今度はなによ? 言っとくけど、ドライアドは人面大樹じゃないからね?」


「あ、そうなんだ? いやいや、そうじゃなくて。
 俺、外に出たいんだけど、元々は乾燥ハーブと妖精花を交換して貰いにきたんだよ」


「ふうん? そういえばそんな事言ってたわね」


「……さっきの子に乾燥ハーブ渡しちゃったんだけど、妖精花は誰に貰えばいいんだ?」


「妖精花はわたしがもってるわよ。わたし、こう見えてもニンフの中じゃ一番お花を育てるのが上手いの」


「そうなんだ? じゃあ、乾燥ハーブも渡したんだし、くれよ、妖精花」


「……いいけれど、今は無理よ?」


「――え?」


「はぁ、これだから人間は無知で困るのよね」





ドリアーヌは吐き捨てるようにそう言って、肩をすくめてゆっくりと首を振った。

仕草は非常に憎らしい物であったが、まだ幼さの残るその容姿のせいかどちらかと言えば才人を苛つかせるというよりも

不安にさせる仕草であった。

そして、その不安は的中する。

目の前の妖精は、既視感を添えてすんと鼻を鳴らしながら呆れた様子で才人の心に闇を落としたのだった。










「妖精花はね、妖精しか触れないから "妖精花" なのよ?」


















[17006] 6-5:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/19 02:05










「なんでこんな事に……」





無意識に口をついて出た言葉は、すっかり馴染みつつある愚痴であった。

時刻は夜。

才人は一人、豪奢な天蓋のついた巨大なベッドに腰掛け、薄暗く部屋を照らすランプを見つめる。

ランプはごく普通の仕組みで明かりを灯すものであったが、真鍮と金の装飾が施されなんとも見事なできばえである。

部屋は広く、ランプを始めとした調度品もそのどれもが、他では見ることは出来ないような品ばかりであった。

まるで象でも寝られそうな程広いベッドに一人腰掛ける才人は落ち着かないのか、何度も見渡したはずの部屋をもう一度見渡し

ベッドの脇にあるナイトテーブルにその視線を止め、腰を上げた。

ナイトテーブルには銀の水差しとカップが置いてあり、落ち着かない気持ちを静めるべく才人はカップに水を注ぎ一気に煽る。

同時に、ぶは! とカップに煽った水を戻してしまった。

水差しに入っていたのは、強い強壮用の酒であったからだ。

才人は激しく咳き込みながらヒリヒリとする喉をさすり、足早にバルコニーへの扉を開くべく窓の方へと移動する。

ランプに照らされ、あるいは自然に妖しく発光している薄絹のカーテンを押しのけながら扉を開けると

心地よい谷風がびゅおと音を立てて室内に入り込んできた。

部屋に充満していた香が新鮮な空気によって散らされ、あれ程強く香っていた甘い芳香が薄まっていくのを実感して才人は胸を撫で下ろす。

しかし、先程の酒の効果かすぐに喉と胸が熱くなるのを再確認して、才人は思わず眉をしかめた。





「まったく、ドライアドの奴……夜這いかける気満々じゃねえか」





愚痴と言うべきか、それともどこかで聞いている誰かに聞かせたいのか、才人の呟きは誰かと話しているかのような声であった。

それから眉をしかめたまま目を瞑り、左手のルーンを僅かに輝かせる。

たちまちルーンの輝きを察知した "グリムニルの槍" が、強壮酒の成分を分解し才人の体を万全な状態へと導いた。

才人は胸と喉の不快感が消えたことを確認すると、ルーンを鎮めて落ち着かない室内からバルコニーへと足を進める。

どうも部屋の中に居る気にはなれなかった。

これからされるかもしれないドライアドの誘惑や、香炉から染み出る官能的な芳香から逃れる為ではない。

深くえぐられた心が重く、窒息しそうな程暗い影を噴き出していたからだ。

バルコニーの手すりに手を掛け、才人はドライアドの屋敷から一望できる "囚われ谷" の村へと目を向ける。

眼下の村は所々にかがり火が焚かれ、昼間と同じようにニンフ達が慌ただしく行き来していた。

才人が視線をゆっくりと上げると岩で出来た高い塀の向こうに、草原を埋め尽くしている無数の明かりがみえた。

群れ、というよりも軍勢と言えるほどの数のオークである。

かがり火の数から判断するに、数千程の規模になろうか。

恐らくは夜の内に総攻撃を行う為であろう、オーク達は後続の群れが到着するのを待っているようであった。

一体、誰があんな軍勢を……しかもオーク達を統率しているんだ?

一体、どうしてこんな軍勢が? カトレアの領地に数千ものオークが居たとは考えられないし……

一体、どうやってドリアーヌ達はアレを追い払おうって言うんだ?

疑問がいくつも湧き、すぐに胸の闇に吸い込まれていく。

闇は "些細な疑問" など簡単に飲み込みながら激しく渦巻いて才人を苛む。

植え付けられた "闇" の種は見る間に生長し、今や宿主である才人を飲み込まんとするほど大きくなっていた。

才人はバルコニーの手すりに手を突いたまま俯いて小さく呟く。





「ルイズ、俺は……」





呟きに答える者はいない。

才人の脳裏に浮かんだ笑顔はこの時、なぜか手の届かない気がした。







「妖精花はね、この領域に満ちるドライアドの魔力を吸って花を咲かせるのよ。
 このドライアドの魔力というのは、変化を好んでね。
 わたし達ニンフなら問題ないんだけど、 "外" からやって来たあんたが触るとたちまち魔力があんたに流れ込んで
 花が枯れちゃうってわけ」





妖精花に自分は触れないと聞かされ、呆然とする才人にドリアーヌは更に言葉を続けて説明をした。

それからすん、と小さく鼻を鳴らしてもういいでしょ、行くわよ? と才人を促す。





「ちょ、まってくれよ!」


「なあに? さっさとドライアドに掛け合って外に出ないと、オークの襲撃に巻き込まれちゃうわよ?」


「そんなことより、なんで俺が妖精花に触れないんだよ!」


「は? あんたバカ? バカなの? もう一度説明しなきゃダメな程バカなの? ああそう、バカなのね」


「うっせ! そうじゃなくて、妖精花が妖精しか触れないなら、なんでフェルタン村の人間に渡せるんだよ!」


「そりゃ、渡す前……というか、領域の外へ出る時に花の魔力が固定されるからに決まってるじゃない。
 ここじゃ不安定な花の存在が領域外に出ることで……て、おバカなあんたに説明してもわからないでしょうね」





ドリアーヌはそう言うと、もう一度今度はバカにするように鼻を鳴らし才人をじっとりと睨んだ。

そんなのわかるか! と才人は叫びそうになったが、台詞を遮るようにドリアーヌは踵を返し再び屋敷の方へ

スタスタと歩き始めてしまったので、渋々出しかけた怒りを飲み込み後を追う。

険悪な感情と残った疑問を胸に抱いたまま、才人が屋敷の前に立ったのはそれから半刻も歩いた頃である。

屋敷は大きく、ハルケギニアの貴族のそれのような造りではあったが、他にこれといった特徴はみられなかった。





「さ、ここよ。いい? 余計な事口にしちゃだめよ?」


「ああ……」


「なによ、まだ怒ってるの?」


「まーな」


「やあねえ、心の狭い男って。だから人間って嫌いよ」


「うっせぇ。なあ、兎に角花は貰えないのか?」


「……あんたが外に出れたら、わたしが日を置いて持って行ってあげるわ」


「日を置いてって……どれ位なんだ?」


「うーん、今年の分はアレで十分だから来年って事になるわね。
 ドライアドは私達ニンフであっても、無闇に外に出ることは許可しないし。
 ああ、大丈夫。来年はあんたの分も余分に持って行ってあげるから」


「そんなに待てるか! どうしても今必要なんだ、頼むよ」


「……そんな事言ったって、ドライアドの許可がないとどうしようもないんだし」


「じゃあさ、ドライアドがいいって言えば良いんだな?」


「まぁ、そうなんだけど……辞めた方がいいわよ?」


「なんでだよ?」


「なんでって……んー、どう説明したらいいかなあ?」





ドリアーヌは屋敷の門の前でうーんと腕組みをしてなにやら考え込み始めてしまう。

どうやらまだ何かドライアドには問題があるらしい。

しかし、一刻でも早く妖精花を持って帰りたい才人はやってみなくちゃ分からないだろ、早く中に入ろうぜと声を掛けながら

考え込む彼女の前を通り生け垣で出来た門を潜った。

そんな才人を見てドリアーヌは、考え事を中止して大きなため息を一つつき、足早に門を潜って才人を追い越すのであった。

彼女はそのまま屋敷の扉まで歩くや大きな扉を叩き、中から出て来たメイド姿のニンフに何やら話しはじめる。

恐らくは才人に助けられたことなどを話しているのであろう。

会話は短く才人がドリアーヌに追いつく頃には終わり、メイドとドリアーヌは屋敷の扉を改めて開け放ちながら

才人について来てと声をかけ屋敷の中へと招き入れた。

彼女達に連れられて客間と思われる一室に通された才人は、僅かに緊張を覚えながらもソファに腰を下ろす。

……なんとかドライアドに頼み込んで、妖精花を貰い元の世界に帰る必要がある。

その為にはルイズの存在を悟られてはならない。

知らず体が強ばる。

ぎゅ、と拳を握りしめながら室内を見渡していると、程なくガチャリと音を立てて部屋の入り口の扉が開いた。





「まったく、この忙しい時に来客だなんて……あなた? ドリアーヌを助けてくれた人間というのは」


「は、はい! 俺、平賀才人と申します」


「名前なんてどうでもいいわ。あたしは外にいるオーク鬼共を何とかするのにいそがしいの。
 どーせ外に出たいって話なんでしょ? んー?」





現れたのは妙齢の女性であった。

目も醒めるような深緑の長い髪に、体のラインがくっきりと浮かび上がるビスチェドレス。

グリーンの瞳が印象的な顔立ちは大人の女性の色香に溢れ、垂れた目元は見る者にゆったりとした印象を与えられるものの

どこか圧迫感に似た息苦しさを感じさせる雰囲気を纏っていた。

恐らくは彼女が屋敷の主であり "木の精霊" であるドライアドなのであろう。

水の精霊とは全く違う、というよりもドリアーヌと同じようにどこからみても人間としか思えないようなその姿に

慌ててソファから立ち上がっていた才人は内心本物か? とついいぶかしげるのであった。

そんな才人を値踏みするように、ドライアドは柳のように細い腰に手を当てながら顔を近づけ上下にせわしく視線を動かす。

あきらかに香水ではない、新鮮なバラような花の香りが才人の鼻をつんとくすぐる。

それは彼女の体臭であろうか。





「あ、あの……」


「んー……いらない。好みじゃないわね、あんた。いいわ、出て行きなさい」


「本当ですか?! 俺、ここから出られるんですか?!」


「ええ、いいわよ。良かったわねえ、ブサイクで。体もそんなにたくましくないし。
 やっぱオトコは顔と体よねー」





ドライアドはそう言ってカラカラと笑った。

才人はあまりにあっけなく出た領域の外へ出る許可に喜ぶよりも、ブサイクと断じられたくましくないと評価されたことに

肩をガックリと落としてしまう。

しかしそれも僅かな間での事であり、すぐに気を取り直しもう一つの目的を遂げるべく顔を上げるのであった。





「あの! それとですね……」


「なあに? あたし忙しいって言わなかったっけ?」


「すいません、すぐにすみますから。
 えっと、俺、元々乾燥ハーブと妖精花を交換して貰いにここへ来たんです」


「あら、そうなの? でもハーブはさっき戻ったドリアーヌが持ってきたけれど……」


「それ、俺が持ってきた奴です。お願いです、どうか妖精花をくれませんか?」


「彼の言葉は本当ですわ、ドライアド」





必死に頼み込む才人の言葉に合わせて、ソファの後に立っていた小さなドリアーヌが言葉は真実であると助け船を出す。

ドライアドは二人の言葉にふむ、と口元に人差し指を曲げて当て甘噛みをした。

仕草は優雅で色香に満ちたものであったが、苛立ちも多少混じっていて才人の心中を粟立たせる。

沈黙。

じっと才人を見つめるドライアド。

じっとドライアドを見つめる才人。

そんな彼の表情を読み取ってか、ドライアドは突如ふふんと妖艶な笑みを浮かべ、少し待ってなさいと言い残し部屋を出て行ってしまった。

残された才人はソファから立ち上がったまま、後にいる小さなドリアーヌの方を向いて無言で花を貰えるのか? と尋ねた。

ドリアーヌは軽く肩をすくめながら、さあ? とジェスチャーを行って答える。

どうやら才人に渡す花を取りに行ったわけではないらしい。

そもそも、妖精花はその魔力を固定しなければ領域の外からやって来た才人には触ることができないとドリアーヌは言った。

花の魔力が固定されるのは領域の外へ出る時だとも。

つまり、ここで手渡されることはまず無いと判断できる。

じゃあ、何をしに部屋を出て行ったんだ?

ルイズの事、ばれた……とか?

それともやっぱり花を取りに行っていて、ドリアーヌに手渡しながら「外までついていってあげなさい」とでも言うのだろうか?

疑問は希望的観測と悪い予感を伴って次々と才人の胸の内に湧き出る。

しかし、それらの予想は全て当たりはしなかった。

戻って来たドライアドが手にしていたのは、花ではなく何か透明の液体が入った小瓶であったのだ。

ドライアドは部屋に戻って来るなり才人にまあ、お掛けなさいなと口にして座らせ、自身も才人と対面するようにソファに腰掛けて

足を大きく組んだ。

ビスチェドレスから白い足がにゅっと露わになり、才人からは太ももから臀部まで艶めかしく見えるような足の組み方である。

う、と思わず目を逸らす才人を見てふふんと口の端を上げながらドライアドは、手にしていた小瓶をソファーテーブルの上に置いて

満足げにソファの背もたれに上体を押し当てるのであった。





「飲んで?」


「え?」


「これはね、あたし特製の魔法のお薬。飲んで?」


「あの、俺、花……」


「ニブい子ねえ。
 さっきちょっとあと十年位囲えばマシになるかな? って思っちゃったけど、辞めといて正解だったようね。
 いいこと?
 いまあたしは忙しいの。外で集結しつつあるオーク鬼どもをさっさと追い払う必要があるの。
 妖精花をあげるのは良いけれど、あなたじゃ触れないのよ?」


「それは、聞きました。あの、厚かましい話なのですが、ドリアーヌ……ニンフの誰かに外まで送って貰えれば……」


「ええ、厚かましいわね。さっき忙しいって言ったでしょ?
 このあたしが忙しいんだから、ニンフも忙しいに決まってるじゃない。
 それにあなたを送った後、その子はどうやって帰るの?
 またオークに追われるかも知れないのに」


「あ……」


「だから、飲んで?」


「えっと、あの……これは?」


「あなたおバカ? おバカなの? もう一度説明しなきゃダメな程おバカなの? ああそう、おバカなのね。
 まったく、しょうがない子ねえ。これだから人間のブサイクはヤなのよ。
 良い? わかりやすくぅ、説明するとぉ、これはぁ、あたしがぁ、作ったぁ、魔法のぉ、お薬。
 さっき言ったでしょう?」


「おい! そうじゃな――そうじゃなくてですね、何の薬なんですか? これ」


「簡単に言えば、あなたがあたしの領域の一部となる薬ね。
 これを飲めば花に触れる事ができるようになるの。ただ……」


「ただ?」


「あたしやドリアーヌ達に、あなたの "全て" が伝わっちゃうけどね。
 領域の一部になるって事は、この世界を作り出したあたしやドリアーヌ達と一体になるって事だもの。
 まあ、他に害は無いから安心なさいな」





そう言って、ドライアドは悪戯っぽく微笑んだ。

対照的にうげ! と顔を引きつらせる才人。

背後では深く深くため息をつく小さなドリアーヌの気配。

再び沈黙。

いやその沈黙の中、才人と背後のドリアーヌは無言の内に顔も合わせず会話を行われていた。

すなわち、そら見た事かと唇を僅かに尖らせながら薄目で才人を睨むドリアーヌ。

仕方ないだろ! と引きつった表情の才人。

あらぁ? なあに、何か問題でもあるのぉ? と無言で会話に参加してくるドライアド。

静寂に支配された室内は、無言の罵倒と愚痴、好奇心に満たされる。

そんな中、才人はどうすべきか一人考えていた。

目の前の薬を飲めば、ドライアドにルイズの事がバレる。

ドリアーヌの話だと、ドライアドに惚れられて引き留められるかも知れない。

しかし、飲めば領域の外に出ることが出来る。

そうだ。

いざとなれば、力尽くで出ていけばいい。

妖精花は隙を見てドリアーヌに取ってきて貰い、それからコッソリとルーン全開であの崖まで走れば済む話ではないか。

うん、そうだ。

カトレア義姉さんには悪いけれど、花の調達がもし無理でも諦めて手ぶらで外に出てもいいんだ。

"前" はこんな事は無かった。

薬を持って帰らなくても、カトレア義姉さんの命に関わる物ではないだろう。

ルイズだって "前" と同じようにヴァリエール城から連れ出せばいい。

……それだとすっげえ情けない話になってしまうけれど、このままここで一生を過ごすよりかはずっとマシだ。

うん。

花が手に入るかはともかく、これを飲んでも本質的には事態の主導権は俺に在り続けるな。

うんうん、そうだよ。

飲んでも――問題ない。

才人はソファーテーブルに置かれた小瓶を眺め、ゴクリと一つ生唾を飲み込んだ。

決心は付いた。

ゆっくりと小瓶へ手を伸ばす。

そんな彼に前後からどうすんの? 飲むの? と好奇心混じりの視線が注がれ続ける。

テーブルへ伸ばした手は小瓶をつかみ取り、反対側の手は封として差し込まれている木製の栓を引き抜いていた。

ぽんと音が鳴り、何とも言えぬ甘く濃い香りが立ちこめる。

一拍おいてもう一度ゴクリと生唾を飲み込む才人。

次の瞬間、才人は一気に小瓶の中身を煽った。

鼻の奥から濃縮された花の香りのような芳香が立ち上り、視界が白く染まってゆく。

不快感は無い。

むしろ気持ちが安らぎ、心地よい香りが意識を見る間に薄めてゆく感覚であった。

うたた寝をしているような、又は疲れ果てて泥のように眠ろうとする時のような強烈な眠気と浮遊感。

おい。

まさか。

起きたら何年も経ってました、ってオチじゃ――

僅かな不信感を乗せ、変わらず妖艶に微笑むドライアドの美しい顔を睨んでる内に視界が白くなっていく。

いや、それだけではない。

部屋が、ドライアドの笑みが、視界が歪んでいく。

グネグネと曲がり、あるいは上と下が融合し、そして視界が一気に白から青へと変わった。





――あんた誰?――





忘れようもない、愛しい声。

視界を埋める青を遮るように現れたのはルイズの怪訝そうな表情。

覚えている。

これは俺が召喚された日の景色だ。

才人は気が付くと、広い草原と青空の下仰向けに寝そべっていた。

これは、夢か? やけにリアルだな、と考えながらまだボンヤリとする頭を振り上体を起こす。

同時にギン! と音を立てて剣が側に突き立った。





「君。これ以上続ける気があるのなら、その剣を取りたまえ」





声の主はギーシュ。

やれやれ、今度は……ギーシュと決闘をした時の記憶か。

才人は立ち上がり、剣を握る。

しかし握った筈の剣は "破壊の杖" へと変わり、同時にギーシュが風船のように膨らんで三十メイルもある巨大な土のゴーレムに変化した。

――フーケのゴーレム、か。

ルイズは……いた。

んだよ、その顔。

うーん……どうやら "これ" は "最初の" 記憶らしいな。

才人は一人納得しながら、いつの間にそうしたのか "破壊の杖" を肩に担いで狙いを定めた体勢のまま

フーケのゴーレムに向けてトリガーを押してみせる。

"破壊の杖" から白い煙を上げてロケット弾が飛び、爆音を響かせた。

爆風に思わず目を瞑っていた才人が次に目を開くと、そこはアルビオンであった。

今度は随分と飛んだな、と才人が考えている間にも目の前の景色が目まぐるしく変わっていく。

雨の中、ウェールズの生きた死体と共に魔法を唱えるアンリエッタ。

目の前に広がる七万の軍勢。

立ちふさがるエルフ。

巨大なゴーレム。

砕け散るデルフリンガー。

裸で噴水に腰掛ける、ルイズの美しい背中。

年老いたルイズの泣き顔。

風景はやがて消え、記憶にある人物の顔だけとなる。

ルイズの笑顔、泣き顔、怒り顔、様々な表情。

いや。

タバサのも、アンリエッタのも、ティファニアのも、キュルケのも、ギーシュやマリコルヌ

それからコルベールといった面々の様々な表情もあった。

そんな中見覚えのない顔がいくつかあり、その内の一つがついと進み出て才人の前に立つ。





「ねぇ、貴方は今満足してる? 幸せ?」





顔は才人と同年齢程で、どこかタバサに似ていた。

君は……

才人はそう尋ねようとして、ハッとする。

辺りはいつの間にかどっちが前でどこが下か分からないほどの闇に包まれており、才人は愛らしいドレスを着ている

タバサによく似た少女と二人きりになっていたのであった。





「ねぇ。黙ってないで、答えてくれない?」


「あ、ああ。ごめん。君は……」


「……貴方は今、幸せ?」


「え? えっと、うーん……わからないよ。幸せになろうともがいてる所だし」


「そう?  "私達" を否定するために戻った割に随分と楽しそうじゃない」


「え? ――君は」


「貴方と母さん……タバサの娘よ。名前は   。まさか忘れちゃう程薄情な父親だとは思いたくないけれど?」


「父さん!」





混乱する才人に突如、背後から少年の声がかけられた。

声に振り向くと、腰に小さな衝撃を受け才人は思わずよろけてしまう。

視線を下に移すと、そこにどこかアンリエッタの面影を残す少年が才人に抱きついてニヘヘと歯を剥き笑っていた。





「父さん! 父さんは僕のこと、覚えているよね!」


「あ、え、君は……」


「僕だよ!    だよ!
 ねえ、父さん! 父さんに貰った『瀑布の恐王』って二つ名、僕は凄く気に入っているんだ!
 国民や臣下のみんなは凄く怖がっていたけれど、それでも僕はこの二つ名が大好きだったんだよ?」


「ふーんだ! お父様に頂いたあたしの『    』の方がずっとかっこいいもん!」


「……パパ? わたし、      の事も忘れちゃったの?」





闇の向こう、才人に抱きつく少年の脇に金髪の少女と黒髪の少女の姿も現れる。

皆十歳程の少年少女であり、どの顔も見覚えのある面影を残していた。

俺は、知っている。

この子達の名を、顔を、知っている。

なにしろこの子達は俺の……子供達なのだから。

君の名前は……

しかし、才人はパクパクと口を開き少年の名を出そうとするも、何も出ては来ない。

記憶に残っていない名を、口にする事はできないからだ。

原因は果たして、以前精神が "若い才人" に取り込まれかけた時の後遺症か、それとも……






「無駄よ。その人は覚えてはいない。私達のことなど、何もね」


「えー! なんでだよ!」


「ちょっとぉ、何て事言うのよ!」


「パパ? そう、なの……?」





才人の背後で一番最初に現れた少女――タバサとの間にもうけた年長の娘の言葉に、少年達は一斉に声を荒げもしくは

不安げな言葉を才人にかける。

俺は……






「……ごめん、俺……」


「その人はね、私達の事、いらないって思ってるのよ」


「ちがう! 俺は――」


「違う?  "今度" はたった一人、ルイズおばさましか愛さないのでしょう?
 それはつまり、私達は "生まれてこなくてもいい" って事じゃない」


「えー! そうなの? 父さん?」


「お父様……それ、本当なのですか?」


「いやぁ、パパ、わたしの事嫌いにならないでぇ」





少女の言葉を強く否定した才人に、少年達は群がりすがるような目で才人を見上げた。

才人は少女に反論できぬまま、少年達の顔を見た。

その顔は、よく知っているはずの顔は、先程まであった顔は。

よく見えない。

なにも、ない。

ただ、ぼんやりとぼやけて見えるだけである。

俺は……





「ちがう、俺は……」


「違う? 何が違うの?」


「酷いよ父さん!」


「酷い! お父様!」


「パパ、ひどい!」


「俺は……俺は! ただもう一度、ルイズを泣かさないように……
 それに!
 未来で生きていたお前達が消えたりしないって!」


「理由になってないわ。
 ルイズおばさまが泣かないならば、私達はこの世界で生まれなくても良いって事?」


「それ、は……」





そこから先の言葉は出なかった。

才人にしがみついていた子供達はいつの間にか消え去り、暗闇の中タバサの娘が立っているだけである。

俺……





「俺は、別にお前達が生まれなきゃいいって思っているわけじゃない!」


「じゃあ、 "今度も" お母さん……タバサを愛してくれるのね?
 アンリエッタ姫を、ティファニアを、シエスタを抱くのね?
 ああ、そうそう、そうよね。
 貴方を愛する女の人全てを抱いてあげないと不公平よね。
 ふふ、 "今度" は兄弟姉妹が沢山増えそうで凄く楽しみだわ」


「いや、それ、は……」


「何? じゃやっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?」





青い髪の少女の言葉に、才人は全身の力が抜けていく気がした。

少女の顔は既に "わからなく" なっている。

いや、顔だけでなく姿その物がぼやけてみえた。

ちがう。

そうじゃない。

俺は只、ルイズを泣かせたくなかっただけだ。

泣かせ続けた人生をやり直すチャンスを与えられて、縋っただけだ。

ただ、それだけなんだ……

気が付くと才人は音もなく膝を折って、その場に座り込んでしまっていた。

少女の姿は既に闇の中へと消えている。

闇は才人を押し潰さんと重く背にのしかかり、鼻から、口から、あらゆる場所から才人の体内へ侵入してきた。

それは後悔、嫌悪、慚愧、憎悪と変わり、黒く汚らしく才人の心の中で荒ぶっていく。





「う、俺、俺、俺はただ……」


「くく、何を今更。
 あれ程派手に "過去" に干渉しておいて、未来をほんの少し変える程度で済むはずがなかろうに」





闇の中、痛み無き痛みについ漏れ出た声に答える者がいた。

蹲っていた才人が顔を上げると、暗闇の向こうからチリンと鈴のような音を立てながら黒い子猫が歩み寄ってくる。





「……ノルン?」


「どうした? 伝説の勇者。イーヴァルディの勇者。神の左手。神の盾。伝説の使い魔。我らの剣。ハルケギニアの英雄。
 うーむ、どれも捨てがたい呼び名じゃの。
 しかしそのどれもに相応しくない、随分と情けない顔しおって」


「なんで、お前が……」


「さて、何でじゃろうな。そんな事よりもほんに、情けないのう。
 お主、まさか『未来を変える』と言うことは『変えなかった未来』を捨てると言うことだと認識しておらなんだか?」


「これは……これは!! お前か! お前がこんな――」


「くく。わしに当たるでない、このバカタレ。
 そんなわけなかろう? わしはお前の記憶に棲む、"時の魔女" の残骸にすぎんよ。
 それよりも、じゃ。
 どうじゃ? お主やルイズの都合で "時をいじくる" とはどんなに罪深いか、よく理解出来たかの?」





闇色の子猫はそう言ってくつくつと笑った。

くぐもった女の笑い声は、小さく大きく才人の耳に残る。

うるさい!

お前に、お前なんかに俺の何が!

そう叫ぼうとして、才人は口を開いた。

しかしやはり、それ以上言葉が出てこない。

何よりも、言葉をぶつける為の相手は既に消えていた。

暗闇の中、才人は一人あぐらを組んでじっと下を見つめ続ける。

丸めた背が闇の中に溶けていってしまいそうな程小さく、惨めに思えた。

それからどれほどの時間そうしていただろうか。





「あなた、気に入ったわ。
 うふ、なかなかどうして、所々虫食いになってるけれど結構魅力的な人生歩んできてるじゃない」





突如かけられた声に才人はハッと頭を上げた。

視界が漆黒から目に痛いほどの白へと変わっており、思わず手をかざしてしまう。

しかし、光避けにかざした手を柔らかな誰かの手によって取り払われ、代わりに何かが才人に覆い被さってきたのだった。

何かはどうやら人のようで、自身の体に跨がっているらしく胴体に重みを感じる。

同時に頬に髪の毛と思われる感触と、甘いバラの花の香りのような匂いが鼻を付いた。

才人はその香りに、あぐらを組んで座っていたはずがいつの間にか仰向けに寝ている自分に気が付いた。

相変わらず眩しくて目が開けなかったが、次第に五感がハッキリとしてきて今まで見てきた物が夢か幻のような物であったと実感する。





「すべて……とは行かなかったけれど、あなたの事は十分理解出来たわ。
 ヒラガ・サイト。いいえ、私のサイト……
 うふふ、なんて面白い人間なの、あなたって」


「う…… ドライアド、か?」


「そう。あたしはドライアド。あなたの半身であり、あなた自身であり、この世界の主。
 同時に、あなたもこの世界の主なのよ?
 だって、あなたはあたしの一部をその体に宿したもの」


「おまえの……一部?」


「そう。大丈夫よ、サイト。
 ここで全てを忘れましょう。
 あなたの闇も、希望も、罪も、愛も、全てを忘れてここに居ましょう。
 ここにはあなたを苦しめる者はいないわ。
 あるのは永遠の安らぎと快楽。ねぇ、目を開いて? あたしの勇者様」





才人はドライアドの声に促されるまま、目をゆっくりと開いた。

驚いたことに、あれ程眩しかったにもかかわらず時刻は既に夜となっているようで、暗い室内をランプがボンヤリと照らし出している。

覆い被さって来ているドライアドの向こう側には、今才人が寝ている寝台の天蓋が見えた。

ここは、何処だ?

ハッキリしない頭で才人は辺りを見渡そうとしたが、才人に覆い被さっているドライアドの手によって強引に正面を向かされてしまう。





「あたしだけを見ていなくては、あなた自身の闇によってすぐに押し潰されるわよ?」





甘い花の香りが増す。

目の前には、木の精霊ドライアドの妖艶な笑み。

体に覆い被さる彼女は一糸纏わぬ姿で、まるで蛇のように艶めかしくうごめいている。

才人は状況を理解するや、慌てて覆い被さっているドライアドを押しのけた。





「きゃあ!」


「な、なな、なにすんだよ! いや、俺になにをした?!」





狐に追い立てられるウサギのように素早くベッドから飛び降りた才人は、ドライアドに向かって叫ぶ。

一方突き飛ばされたドライアドは、ベッドの隅で起き上がり裸のままぷぅと頬を膨らませじとりと才人を睨んだ。





「何って、飲んだでしょう? あの薬」


「お、俺を騙したのか?! あの夢は、お前が仕組んだのか?!」


「まさか。あれは正真正銘、この領域と一体になる為の魔法の薬よ?
 飲んだ者の全てがさらけ出されるから、潜在的に避けてた現実も見えてしまうけれど……
 それはあたしのせいじゃないわ」





ドライアドはそう言うと、裸のままベッドに腰掛け足を組み妖艶に笑った。

才人は珍しくも目の前の美女の裸には特に反応せず、もてあました負の感情を何処にぶつけるべきか迷い続ける。

そんな才人の鼻を甘い花の香りがくすぐった。

先程よりも強い。

ふと、側にあったテーブルの上に置いてある香炉が目に飛び込んできて、香りの元がそれであると理解した。

どうやらドライアドが発する香りと同じ匂いの香が焚かれているらしい。

匂いは甘く、部屋に満ちている。

一瞬、香炉をドライアドに見立ててどこかに投げつけ、負の感情をぶつけようかと考えたがすぐに何をバカな事をと我に返った。

ドライアドはやり場のない感情をもてあます才人の様子を余裕たっぷりに見つめながら、まるで全てを見透かしたかのようにクスクスと笑う。





「うふふ。大丈夫、あたしに全てを委ねて?
 領域と一体になったのだもの、普段押し込んでいる知られたくない、知りたくない事を無理に見せられて
 心が一時的に混乱してしまってるだけよ。
 大丈夫、その痛みはすべてあたしが取り除いてあげる。
 永遠に、ね。
 さあ、なにもかも忘れましょう。
 争いも、使命も、痛みもないこの世界にずっと居ましょう」


「うるさい! 兎に角、薬は飲んだ!
 俺はもうこの世界から出て行けるんだから、お前とはこれでお別れだ!」


「あら、残念ね。でも、今のあなたの状態で果たして戻って幸せになれるかしら?」


「何を」


「タバサ、だっけ? あの子との娘、お母さんにそっくりね。
 彼女、なんて言っていたっけ?」





激昂した感情が一気に冷める。

――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?

夢現に言われた言葉が、胸を深くえぐる。

怒気を萎ませ、下を向く才人にドライアドは変わらず微笑みながらすくと立ち上がり、意外にも部屋の出口へと裸のまま歩き始めた。





「今夜はそっとしておいてあげる。
 外にいるオークどもをなんとかしないといけないしね。
 一晩じっくりと考えなさいな」


「何を、だ?」


「あなたの子供達に問いかけられた事への答えを、よ。
 勿論、ここで全てを忘れるっていう選択もあるわよ? 今夜は "なにもしない" から安心なさい」


苦しげな才人の問いに、ドライアドは扉を開きながら愛しそうな眼差しを才人に送り答える。

それからパタンと扉が閉まる音と濃い花の香りを残して、ドライアドは部屋を出て行った。

才人は力無く、ヨロヨロとベッドに腰掛けて頭を抱え込む。

――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?

問いは時を経るにつれ、鮮明な声となって頭に響いていった。

才人は答えを見いだせずに、ただ頭を抱えて息を吐くばかりである。









部屋に満ちる甘い香りは、まるで才人を蝕む闇のように感じられた。

















[17006] 6-6:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/26 19:03










昔からそうだった。





母親や、友人。

ハルケギニアに召喚されてからはルイズやタバサに、何かとあなたはどこか抜けているわねと良く言われていた。

その言葉はいつも半ば諦め混じりに発せられ、自身もそんなもんか、しょうがないといった感じで受け入れてきた。

最初の人生を終え、二度目の人生を手に入れた後もそれは変わらず、しかし望んだ未来が手に入るのならばと

全く気にも止めないでここまで歩いて来た。

今夜。

そんな自分がこれほど情けなく、惨めで恨めしいと思うなど誰が予想できた事だろう?





――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?





夢、あるいは幻の中で娘に問いかけられた言葉。

自分がここにいるのは、ただルイズを泣かしたくない……ルイズが泣かない人生を共に歩みたかっただけだ。

娘や息子達を愛していなかったわけではない。

いや。

今だって、愛している。

ルイズもこちらに来た時の手紙で彼らが消えてしまうことは無いと……一度歩んだ未来とは別の未来が生まれるだけだと言っていた。

その言葉を信じて安心してさえ、いた。

しかし。





――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?





問い掛けは深く才人の心をえぐる。

そんな事はない、と親であるならば誰もが答えるであろう。

生まれ変わっても、お前達の親として生きたいと人の親ならば誰しもが答えるであろう。





「じゃあ、 "今度も" お母さん……タバサを愛してくれるのね?
 アンリエッタ女王を、ティファニアを、シエスタを抱くのね?
 ああ、そうそう、そうよね。
 貴方を愛する女の人全てを抱いてあげないと不公平よね。
 ふふ、 "今度" は兄弟姉妹が沢山増えそうで凄く楽しみだわ」





鮮烈に蘇る、娘の言葉。

本人の物ではないが、今の才人には娘が本当にそう言ったのかどうかなどは問題ではない。

ルイズの為に生きれば "この世界での" 子供達の存在を否定してしまう。

子供達の親で在ろうとするならば、 "前" となんら変わりないルイズを泣かせる人生となってしまう。





――どうじゃ? お主やルイズの都合で "時をいじくる" とはどんなに罪深いか、よく理解出来たかの?





次いで記憶の残滓によって現れた幻であろう "時の魔女" ノルンの言葉が蘇る。

才人は一人、ドライアドの屋敷の二階にあるゲストルームのベランダで、夜風に当たりながら己を見失いつつあった。

眼下には村の内外で焚かれるかがり火が点在して見え、慌ただしくニンフが、オークが行き来している。

特に村の入り口を守る岩の壁の上では、弓を携えたニンフたちが集結しつつあり刻一刻と緊迫した状況になっているのが

ここからでも見て取れた。

普段の才人ならば、義に駆られ率先してデルフ片手に村の防衛に参加したであろう。

しかし。

心を闇に沈め、己の内に湧いた――いや、 "避けていた現実" を目の当たりにした才人はとてもそんな気にはなれなかった。

ドライアドやドリアーヌ達も、才人の力を "理解" している筈なのだが助力を求めてくる様子はない。

恐らくはあのオーク達の襲撃は自分達の力だけで十分対処できる事柄なのだろう。

その事に気付いて、己の闇とじっくり向かい合える事は今の才人にとって唯一の救いであった。





「ルイズ、俺は……」





呟きに答える者はいない。

びゅお、とかがり火のコゲ臭い香りを孕んだ暖かい谷風が吹き抜ける。

風は心地よい物であったが、才人にはそう感じるだけの余裕など与えられてはいなかった。





「あ! いたいた。おーい、あんた! こっち! こっちだってば!」





谷風に当たりながら血を流し沈む心を眺め、娘の幻の問い掛けに苦悶していると、下から脳天気な声が聞こえてきた。

才人は身を乗り出しベランダの下を覗き込むと、何かを抱えたあの小さなドリアーヌが立っているのが見える。

どうやら彼女も又、オーク対策に駆り出されたのか何やら道具の運搬を任されているようであった。

才人はすこし八つ当たり気味に不機嫌な声で、ドリアーヌの呼びかけに応じる。





「……なんだよ?  "知ってる" だろ? 俺は今一人になりたいんだよ」


「知ってるって言っても、感情までは共有したりしないんだからそんなこと分からないわよ。
 ねね、それよりも。
 あんた、もう領域の外に出られるようになってるんでしょ?
 花、持ってきてあげたわよ!
 もうすぐオークの攻撃が始まりそうだから、ちゃっちゃと脱出しちゃいなさいよ」





ドリアーヌは才人の不機嫌な態度など気に留める様子もなく、無邪気な仕草で懐から一輪の花を取り出し

ずいとベランダにいる才人の方へ差し出した。

夜の為か花の色までは分からなかったが、少女の手の中で釣り鐘のような形の花弁が見える。





「……明日でいいよ」


「は? なんでよ。あんなに帰りたがってだじゃない。ルイズって娘も待ってるんでしょ?」


「そう、だけどさ……今は、あいつの顔をまともに見る自信がねぇんだよ」


「どういうことよ?」


「……知ってんだろ? 俺が未来から "やり直しに" 来たこと」


「んー、まーね。私達ニンフも、この領域の一部だし」


「夢の中でさ、昔の……子供達に 『私達が生まれてくる必要はない?』 って聞かれちゃって。
 俺、答えられなくて」


「んー、よくわかんない。わたし、人間じゃないもの」





才人は苛つきながらも、ドリアーヌに悩みを打ち明けた。

なぜ、ドリアーヌに話したのかは分からない。

記憶を共有しているからか、それとも特に理由もなく誰かに吐露したかったのか。

理由はいくつも用意できたが、この時の才人にとってそれは些細なことであった。

愚痴に近い形でも闇を吐き出したからか、幾分か心が楽になった才人はほんの少し笑顔を取り戻して

先程までの態度をを恥じるかのように、バツが悪そうな表情を浮かべ、ベランダの下にいるドリアーヌに言葉を続ける。





「だよな。忘れてくれ。花、ありがとな。取りに降りようか?」


「いや、その辺を飛んでるフクロウにお願いするからいいわ。そのままそこにいて?
 あ、それとね?
 もし……もし良かったらオーク鬼を追い払うの、手伝って貰える?」


「! 攻撃が始まったのか?!」


「ううん。まだ。
 あの乾燥ハーブを元にオーク鬼を追い払う魔法の香をいつも作って焚くらしいんだけど、ほら。
 ドライアドがあんたに構ってたものだから、作るのに手間取っちゃって。
 もうちょっとで出来るんだけど、多分オーク鬼の集結の方が早く終わっちゃいそうなのよねえ」


「あのごつい門が突破されそうな程、オーク鬼どもが居るのか?」


「うーん、多分、大丈夫。
 だけどあっちはなんか妙なもん持ち込んでるのよ。見た事のない、へんな荷車みたいなの。
 年長のドリアーヌも見た事無いって言っててね。
 だから、こっちも一応、万一に備えてあんたに声かけてるわけ」


「……わかった。もう少し心が落ち着いたら俺も行くよ。
 でも今は勘弁してくれないか?」


「ええ、良いわよ。あんたの力は心の昂ぶりに依存するみたいだし?
 見えた記憶は最初から一度死ぬまでで、それ以降は何故か見えなかったけど……いまもそうなんでしょ?」


「俺がこっちにもう一度やって来てからの記憶が見えなかった?」





ドリアーヌの言葉に、才人は怪訝そうな表情を浮かべた。

虫食いとなった記憶以外に "見えなかった" 記憶があるって事か?

どういうことだ?





「ええ。正確には、あんたの体をなんとかするぅ~ってルイズって娘が泣いていて
  "時の魔女" とやらに会いに行くあたりまでだけど。
 まあ、たいした問題じゃないわよ、安心して?
 今のあんたは心配しなくても、ちゃんと領域の外に出ることができるわ。
 じゃ、わたしはこの辺で。もう、行かなくちゃ。フクロウはすぐに見つかると思うから、そのままソコにいてね?」





そう言い残して、ドリアーヌは慌ただしく走り去ってしまった。

どうやら、才人に万一にそなえての助力を頼むことが彼女の目的であったらしい。

小さいながらも、人間との交渉を任されているだけあってちゃっかりしてら、と才人は考えながらも

先程僅かに引っかかったドリアーヌの言葉を思い出す。

俺の記憶が……ノルンに会ってからの記憶が見れなかった?

体を "グリムニルの槍" に変えてからの記憶は見れないって事か?

どういう事だろ。

人、というか生物でな無くなったからと言うことだろうか。

……いや、いまはそんな事、どうでもいいか。

才人は少しの間心の闇を忘れかけていたものの、すぐにあの問いを思い出し再び深く気持ちが沈んでいくのを実感する。

そして、今夜幾度となく繰り返してきた自問が再び才人を埋め尽くす。

自分はどうすればいいのか。

どうすべきなのか。

親として、もう一度王配としての未来を歩むのか?

馬鹿な!

ここに来てそんな道選ぶのなら、そもそも過去に戻って来たりはしない!

でも……

自問は堂々巡りであった。





「くく、どうじゃ? お主やルイズの都合で "時をいじくる" とはどんなに罪深いか、よく理解出来たようじゃの?」





聞き覚えのある声と台詞に、才人は慌てて振り向く。

そこにはいつの間に降り立ったのか、一羽のフクロウがバルコニーの手すりの上にとまっていた。

くちばしには小瓶付きのヒモがくわえられている。

小瓶の中身は先程ドリアーヌが持っていたであろう、可憐な花がいくつか入っていた。

恐らくフクロウはドリアーヌが寄越した使いと見て間違いない。

しかし、先程の声は……





「まったく、なんてなさけない面をしとる?
 やけに "未来" が不安定になってしまったと思って調べて見れば……
 お主、何をこんな所で悠長な悩みを抱えこんどるのじゃ」


「ノルン! お前……」


「ふん、お人好しめ。お主を探し出し、連絡を取るのにこのわしが黒猫以外の生き物に頼ることになるなど……
 ほんに、世話の焼ける男じゃのう。
 くく、まぁいい。そこがまた、ソソられるのであろうな。
 しかし、伝説の使い魔よ。随分とつまらぬ事で悩んでおったようじゃが?」


「な?! 何がつま」


「あー、あー、反論はせんでよいぞ? 言い分など、とうの昔……いや、未来かの? ええい、どっちでもよいわ。
 頭の悪いお主の言い分など、既にお見通しじゃ。
 ほんに、英雄やら伝説の勇者やらは昔からおなごの奸計に弱いのう。
 まんまと木の精霊などの術中にはまりおって」





フクロウは器用にも小瓶がぶら下がったヒモをくわえたまま、これまた器用にも嫌みたっぷりな雰囲気でため息をつく。

その仕草は間違いなく "時の魔女" と呼ばれるノルン(……といっても猫の姿ではあるが)であると才人に示していた。





「……どういうことだ?」


「くく。お前を引き留めておく為の方便じゃよ、あの夢はな。
 心の闇を無理矢理引きずり出して、繰り返し見せ続け心が疲弊した所につけ込む。
 中々えげつない方法じゃが実に効果的じゃて。
 ひひひ、昔はわしもよく使うた手法じゃよ」


「でも……あの問い掛けは、娘の言葉は無視できない」


「なんじゃ? どのような問い掛けなのじゃ?」


「…… 『私達が生まれてくる必要はない?』 って奴さ。俺は……」


「ふん、くだらんのう。親であるべきか、恋人であるべきか、今頃悩んでおるのか。
 まったく、そんな理由で新たな未来の行き先をポコポコと作られてはこっちがたまらんわ。
 大方一穴主義を貫きたいが、かの子供達も生まれ出でるようにしたいなどと、都合の良い方法を模索しておるのじゃろ。
 大体じゃな、悩んで悪戯に時間を浪費するくらいならば、本能の赴くまま節操なくあちこちに種をまけば良いではないか。
 ひひ、その時はご相伴にあずかりたいものじゃて」


「そ、そんな事出来るわけないだろ!」


「ならば、答えは出ておろう?」


「……そんな簡単なもんじゃねえよ」


「そうかの」


「そうだ」


「……ふむ。ま、わしとしては何でも良いがの。ただ」





フクロウはそこで一旦言葉を句切り、バルコニーの手すりを伝って才人のすぐ側まで移動した。

それからくわえていた小瓶のヒモを才人へ渡しホウ、と咳払いするかのように鳴いてみせる。

仕草はノルンには珍しく、どこか照れを隠すかのようなわざとらしい物であった。





「お主、何の為にここに居る?
 ここで悩むのは良いが、足を止めておれば全て丸く納まるわけでもあるまいに。
 考えて結論が出るのならば、幾らでも考えるがよいぞ」





何の為ここに?

新たに加わった自問は、なぜか暖かかった。

俺は、ルイズの為に……いや、妖精花を手に入れる為にここへやって来たんだ。

少なくとも、こうやって悩む為じゃない。





「くく。そうじゃ、その意気じゃ。
 おお、おお、乱れておった "ここの未来" がまとまり始めたわ。
 まったく、あれほど多くの分岐を増やされる此方の身にもなって欲しいものじゃて」


「ノルン……」


「礼には及ばんよ、わしの愛しいお人好しよ。
 ひっひ、なにせそう遠くない未来にわしはお主の身を危険に晒す事になるからの。
 これはその "埋め合わせ" じゃ。ま、わしの都合もあったのじゃがな。
 くく、精々高く買っておけよ?」


「え? それは一体」





出しかけた才人の問いを遮るようにノルンはホウ! と一つ大きく鳴いて、翼を羽ばたかせ夜空へと消えて行ってしまう。

どうやらそれ以上は話す気が無いらしい。

残された才人はバルコニーで一人、ノルンが残した言葉を反芻する。

"時の魔女" はいくつか気になる言葉を残していったものの、才人はその中から希望を一つ手にしていたのだった。

そうだ。

ここで立ち止まっても、なんの解決にもならない。

どうしたらいいか、まだわからないけれど……

俺がここに、この時に戻った目的はルイズを泣かせない為だ。

それが子供達を "ここではいらない" と断じる行為なのかも知れない。

それでも……

このままここで悩んでも、何も解決はしない。

今は只、前にしか道は延びていないんだ。

……俺はいずれ、選択を迫られるだろう。

そしてその答えは……そう、あの日に戻った時から出ている。

今はそれを、あの子達を目の前にして押し通すだけの強さは俺にはない。

押し通そうとしてもきっと、心が自責の念で潰れてしまうだろう。

でも。

いつかはそれを、子供達を前にして口にしなければならない。

例えここにはいない、幻であっても俺は内に棲む子供達にハッキリと言わなくてはならない。

そう。

これはケジメだ。

俺がワガママを貫いたが為の。

生まれてくるはずのあの子達が居ない未来を選択しようとしている、人でなしである俺のケジメなんだ。

それができるのかどうかはわからない。

単なる自己満足でしかないのかもしれない。

しかし、それでも俺は前に進むしかないんだ。

そこから目を逸らしたまま、前に進んではいけなかったんだ。

醜い、己のエゴを直視して前に進まなくてはいけなかったんだ。

才人は胸に闇を灯したまま、いくつかの答えを導き出していた。

気が付くと、知らず握りしめていた左手の甲が輝き始めている。

光は心に巣食った闇を払えはしなかったが、不思議な暖かさを伴って次第に強くなっていった。

びゅおと音を立てて、かがり火のコゲ臭い香りを孕んだ暖かい幾度目かの谷風が吹き抜ける。

風を頬に感じながら才人は部屋の方へと踵を返して、ベッドの脇に立てかけてあったデルフリンガーを手に取り

妖精花の入った小瓶を大切に懐にしまった。

室内の甘い香は長時間バルコニーへの扉を開いていた為か、すっかり消え去っている。

その時であった。

遠く村の入り口の方から響く、怒号のような声。

どうやらドリアーヌが予想した通り、オーク鬼の攻撃が始まったらしい。

才人は左手を輝かせたまま再びバルコニーの方へと戻り、そのまま軽やかに大地へ飛び降りるのであった。







「うわわわわわ! きた! きたきたきたきた! ドリアーヌ、オーク鬼共が来たわ!」


「ダメよドリアーヌ! 落ち着いて! ほらほら、弓を射るのよドリアーヌ!」





多少の年の差による違いがあるとはいえ、同じ顔と言っても差し支えのないニンフ達がこれもまた同じような弓を一斉に構えた。

場所は村の入り口にある、岩を積み重ねた城壁のような壁と厚い木の門の上。

堅く閉ざされた門の外には、無数のオーク鬼が蠢き村の中へ侵入して略奪の限りを尽くさんと壁をよじ登ろうとしている。





「ほらほらほら! 射るのよ! 弓でよじ登ってくるオーク鬼を射るの!」


「怖い! 怖いわドリアーヌ!」


「もう少しの辛抱よ! ドライアドの香が完成するまで持ちこたえるの!」


「ふぇえええん、もうやだあ! 数が多すぎよぅ!」


「泣く暇あったら、弓を射るのよ!
 いい? あんたたち。魔法で直接攻撃しちゃだめよ? すぐにバテるから。
 魔法は、矢の補充や傷の手当てなんかに使った方が効果的なの。
 わかったら、バテてきているドリアーヌと交代してオーク鬼を射って!
 あ! そこのあなた!」


「は、はい!」





門の上で戦闘経験のない者を指揮していたニンフに、頭上から呼び止められた小さなドリアーヌは弾かれた様に空を見上げた。

その手には火矢を使われた時の為の水桶がぶら下がっている。





「水桶はもう良いから、矢をありったけ持ってきて! この勢いだと足りないわ!」


「わ、わかりました!!」





小さなドリアーヌが急いで、しかしよたよたと水の入った思い水桶を邪魔にならぬ位置に置き

矢束を取りに村の倉庫へと駆けようとした時である。

門の上が突如一層慌ただしくなった。

その様子は尋常ではなく、何事かとついドリアーヌは足を止めてしまう。





「みて! みてみてみて! あれ! 何あれ!」


「大きな荷車に、大きな丸太! 先があんなに尖って……まさか!」


「え? 何々? 分かっちゃったの、ドリアーヌ?」


「あれ、門にぶつける気よ! すごく、すごくすごくまずいわ! みんな、あれを攻撃して!」





誰かの叫びに、突如出現したオーク鬼の攻城兵器へ向かって一斉に矢が放たれる。

無数の矢は破城槌に集中したが、徐々に門へと迫る勢いを削ぐことは出来ずガコン! と恐ろしい音を立てて門にぶつかってしまった。

オーク鬼の破城槌は雨のように降り注ぐ矢などお構いなしに、一旦そのまま後方へと下がり再び城門目がけて前進を始める。

先住魔法である "反射" を門にかける事が出来るだけの術者はニンフの中にはいない。

彼女達は先住の精霊とは言え、妖精に近い下位の存在である。

従って、戦い方も人間に近い物であった。





「止めて! あれを止めて止めて止めて! みんな、射て! ほら、あそこ! アレを動かしてるオーク鬼を射るのよ!」





矢が破城槌を押すオーク鬼へと集中する。

しかし、オーク鬼達も事切れた仲間を盾にしながら破城槌を構わず押し続けた。

ガコン! と城門に破城槌がぶつかる音。

同時に、めきゃりと音を立てながら破城槌の先端が門の向こう側に頭を出していた。

恐らくは、次の一撃で城門は破られてしまうだろう。

ニンフ達も精霊の一種であり、魔法が使えはする。

だが、数では彼女達を遙かに凌ぐオーク鬼の侵攻の前では、魔法による優位性などあてには出来なかった。

それ故彼女達は高い岩の壁と門で村を防衛しながら、ドライアドの香でオーク鬼を追い払うと言う作戦を何百年も続けてきたのである。

今回も、その作戦で上手くいくはずであった。





「もう持たない! ドライアドの香はまだなの?!」


「さっきお手伝いしてるドリアーヌの報告じゃ、あと三十分くらいだって!」


「だめよ! だめだめだめ! そんなに待てない!」


「きた! 見て! アレが門に向かってきたわ!」


「いやあ、オーク鬼に捕まるのだけはいやあ!」


「泣かない! みんな! 攻撃! 直接魔法つかって攻撃してもいいから、とにかくアレを止めるの!」





号令の下、一斉に矢と魔法が飛び交う。

しかしどの攻撃も破城槌の前進を止めることができない。

そして遂に、バガン! と一際大きな音を立てて門が破られてしまった。

小さなドリアーヌはその瞬間を目の当たりにする事となる。

先程頼まれた矢束を取りに走り、戻って来たタイミングで門が破られたからだ。

眼前に巨大な門をなぎ倒しながら、オーク鬼達の破城槌が姿を現す。

立ちこめる埃の中、破城槌の足下からわらわらと無数のオーク鬼が駆けてきて、まず目に付いた小さなドリアーヌへと殺到する。

手には鈍器のような巨大な鉈やメイスが握られており、それらを振りかぶりながら向かってくる無数のオーク鬼は悪夢のようであった。

小さなドリアーヌは矢束を抱えたまま、恐怖のあまりに足を竦ませてその場で立ち尽くす。

十メイル、五メイル、三メイルと徐々にオーク鬼達が近寄ってくる。

そしてついに、振り上げたメイスが届く距離にまでオーク鬼が接近してしまう。

オーク鬼は憐れな最初の犠牲者の血を想像してか、ニタリと下衆な笑いを浮かべメイスを振り下ろすべく獲物を握る手に力を込めた。





「ドリアーヌ!」





誰かが叫んだ。

その叫びは、小さなドリアーヌの耳には届かない。

彼女の目には時間が止まったかのように全てがゆっくりと流れていた。

恐怖で足が竦んでいる。

そんな恐ろしい光景とは裏腹に、柔らかな谷風が砕かれた城門から吹き込む。

風はオーク鬼達を追い越し、小さなドリアーヌの頬を優しく撫でて後方へと吹いた後、猛烈な勢いで吹き戻って来た。

戻って来た谷風は冷たく、目の前の悪夢をいつか見たようにバラバラにしながら門から外へと吹いていく。

それは、まるで何か幻のような光景であった。

風は小さなドリアーヌの目の前で、嵐と変わっていったのだ。

嵐は門を打ち壊した大きな破城槌を、小枝のようにへし折りバラバラにしながら夜空高くまで吹き飛ばし。

まるで竜巻を横に寝かせたかのような嵐の暴風は、門から中へと殺到していたオーク鬼を残らずなぎ払った。

遅れて、耳をつんざく雷鳴。

小さなドリアーヌは思わず目を瞑り、両手で耳を塞いでしまった。

そんな彼女の肩にぽん、と優しく触れる手の平の感触。

うっすらと目を開ける彼女が見たものは、輝く左手と身の丈もある片刃の大剣を持ち、ゆっくりと門の方へ歩いて行く少年の背中であった。





「何? 一体、何がおきてるの?!」


「みて! あれ!」





小さなドリアーヌと同じように、突如巻き起こった暴風と雷鳴に思わず悲鳴を上げて目と耳を塞いでしまっていたニンフ達は

岩を積み重ねた城壁のような壁と厚い木の門の上で、村の外の異変に目を丸くしてその光景に見入ってしまう。

彼女達が見た物とは、門から一直線に大地ごと無数のオーク鬼達の群れをなぎ払った "痕" であった。

それは、まるでそこだけ道が出来たかのように。

ケーキを真っ二つにわったかのように。

ただ一筋、何かが全てをなぎ払いながら通過した "痕" がそこにあった。

その光景に驚いていたのは、ニンフ達だけではない。

オーク鬼達も又、何が起きたのか理解出来ず攻撃の手を休めて一時呆然とする。





「悪いな、ここは立ち入り禁止なんだ」





双方の驚愕によって起きた静寂の中、茫洋としたなんとも暢気な声が響く。

オーク鬼とニンフの視線が、声がした破られた門へと注がれる。

無数の視線の先、声の主は一人門の前に立ちはだかっていた。

片刃の大剣を握るその左手は闇を裂くように強く輝き。

その右手には銀色の槍。

闇色の髪が谷風に揺れる。

その姿は、小さな非力な少年であった。

その姿は、伝説の勇者そのものであった。

次の瞬間、わぁ! とニンフ達の歓声が沸き上がる。

ぐおお! と数千ものオーク鬼達の雄叫びがそれに続く。

そんな光景を夜空からフクロウが優雅に翼を広げながら、どこか楽しそうに眺めていた。

くつくつとくぐもった笑いを器用に発しながら。





「くく、これでよし。そうこなくてはの、お人好しのイーヴァルディ?」











その言葉はどこか、冷たくも愛しそうであった。


















[17006] 6-7:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/28 05:33









「なによ、これ……」





高くそびえる岩壁の上、誰かが呟く。

村を守る城壁のような壁は、よじ登ろうとし弓で射られたオーク鬼の血で所々赤い染みが雨垂れのように筋となっていた。

そんな壁の上でニンフ達は弓を構えたまま、矢を射かけることも忘れ眼下の光景に息を飲む。

そこに、圧倒的なまでの力が在ったからだ。

ヒラガ・サイト。

彼女達が一番最近に手にした "記憶" の持ち主である。

チキュウという別世界に生まれ、魔法によってここハルケギニアに召喚された者。

幾多の戦いを経て、八十四才で一度はその生涯を終えた男。

彼は一人の女にもう一度その人生を捧げる為、死の淵より時を超え再び剣を取った使い魔。

その生涯は、力は、伝説に相応しいものであった。

やり直しの人生を歩む彼の記憶を見ても、強力な力を持つ人間のメイジ以上の剣士であった。

いや、 "人間のメイジ以上の剣士" でしかなかった。

だが。

目の当たりにした彼の力は、そんな生やさしいものではない。

白い筋のような剣閃が幾重にも奔り、彼に肉薄していたオーク鬼が数体まとめて細切れになりながら剣圧に弾かれ吹き飛ぶ。

振るう剣筋が文字通り見えないどころか、彼の姿を視認するだけでもやっとだ。

いや、恐らくは "門より内側にオーク鬼を入れない" という目的が無ければ、その姿を確認する事すらできなくなるであろう。

オーク鬼達もそれがわかっているのか、数で攻め寄せ砕いた門の内へ彼ごと押してなだれ込もうと、先程から攻め手の密度を増してきている。

二メイル程のでっぷりとした巨大な亜人が歪な武器を手に、何十も束になって押し寄せる圧力は如何ほどのものか。

村を守る門はとうの昔に砕かれ、弓と魔法を多少使える女ばかりのニンフ達は醜い豚のようなオーク鬼に数で押し切られ

体を、命を、すべてを蹂躙されるのは時間の問題であるはずであった。

そんな、力の摂理を鼻で笑うかのように。

門を守る彼は、容易く "肉の壁" のように押し寄せるオーク鬼の群れを押し返す。

手にした槍の末端を握り、棒きれを振るように横に薙ぐとオーク鬼達は弧を描きながら、草刈りの草のようにアッサリと押し寄せていた

勢い以上の速さで後へ吹き飛んでいった。

まるで、夢であるかのようなありえない光景である。

彼は強い。

記憶を共有したのだから、そこは疑いようもない。

しかし、記憶に在る "彼" ではあの数のオーク鬼を押しとどめるなど不可能だ。

なぜならば。

如何に伝説のルーンをその手に刻んだとして。

如何に剣を極めたとして。

あんな、数で攻め寄せる獰猛なオーク鬼の群れを、たった一人で押しとどめる事は物理的にまず無理だからだ。

確かに七万の軍を足止めした経験が彼にはある。

しかし、 目の前の敵はその時とは違い司令官の存在もハッキリせず、ただ数に物言わせ押し寄せるばかりの存在だ。

彼が七万の軍を足止めできたのは、道理に適ったからだ。

そう。

力でどうにかなる事柄には限界がある。

それは川の流れを一滴残らず押しとどめようとするような行為。

それは空から落ちてくる雨粒をすべて受け止めるような行為。

如何なる力があるとは言え、如何なる疾さを持つとは言え、それらを行う事は何人であっても不可能なのだ。

目の前で無秩序に押し寄せんとする数千を超えるオーク鬼の群れを、たった一人で押しとどめる行為も又同様である。

同様で、あるはずなのだ。





「きゃあ!!」





雷鳴のような音に、高い壁の上で眼下の戦いに魅入っていたニンフ達が一斉に悲鳴を上げた。

音に一瞬目を閉じてしまったものの、すぐに何が起きたかと確認しようと瞬きを繰り返す。

どうやら砕けた門を守る彼が、一際厚くオーク鬼が押し寄せようとしていた一角にあの槍を投げたらしい。

初めて見た時のように、彼の攻撃は真っ直ぐに筋を引いてオーク鬼の群れごと大地を裂いていた。

――そう、槍だ。

"記憶" にはそんなもの、出ては来なかった。

最後に確認できるのは、ハルケギニアの月が輝く夜。

二度目の人生を歩む彼が、長年馴染んだ学院の外に足を踏み出した辺りまで。

その耳は音を失い、その目は視界を失いつつあった頃の記憶だ。

そこから先の記憶はポッカリと抜けてしまっている。

彼が "ああなった" のは、恐らくその抜けた記憶の中なのだろう。

その記憶は彼がここに来るまで、外の時間でおよそ数ヶ月前の事である。

たった数ヶ月。

それだけの時間で一体、どのようにすれば "ああ" なるのだろうか?

弓を射かけることも忘れ、眼下の暴風にような力の嵐にニンフ達はただ驚愕を胸に見とれるばかりである。





「くそ、なんだよこいつら!  "普通" じゃねえ!」





一方、思うがまま力を振るっていた様に見えた才人は、身の丈もあるデルフリンガーを羽根ペンのように軽やかに扱いながら

どこか焦ったかのような声色で愚痴を吐いていた。

オーク鬼が三匹、才人へと襲いかかる。

ぴゅお、と風を斬り大剣が数筋の光閃を放ち僅かな時間を置いて、三匹のオーク鬼は十程の肉片となった。

そんな仲間の破片を一欠片の躊躇もなく踏み潰しながら、今度は五匹固まって才人へ突貫してくる。

才人は忌々しそうに舌打ちを一つして、新たに作り出していた槍の端を持ちデルフを振るように横へ薙いだ。

鋼鉄の槍は三日月のようにしなり、骨を砕く音を立てながら三百リーブル(百五十キログラム)はゆうにあるオーク鬼を

五匹まとめて吹き飛ばす。

吹き飛んだオーク鬼は、後方へ押し寄せる仲間を巻き込みながら大砲の弾のように飛んで、寄せるオーク鬼の群れの勢いを

僅かに押し返すのであった。

しかし。

オーク鬼は何事も無かったかのように息絶えた仲間を、仲間の残骸を踏み越えてひたすら才人と門の奥を目指し

雄叫びを上げて殺到してくる。

目の前の死をかたどったかのような力のことなど、お構いなしに。

なぜだ?!

なぜ、こいつらは怯まないんだ?!

動きに淀みが全くない!

こいつらは目的以外、何もみえちゃいない!

操られている?

落ち葉を掃くようにオーク鬼を駆逐していく才人は、その戦いぶりとは裏腹に疑問で思考を染めていた。

困惑に近いのかも知れない。

オーク鬼も白痴ではない。

亜人、という呼称の通り人間と同じように感情があり、時には破城槌のような物も作れるほど知能もある。

決して人とは相容れぬ存在であり一般には害獣ようような扱いではあるが、二本足で立ち火や道具を使う歴とした知的生物である。

それなのに。

目の前のオーク鬼達は、才人の見せる力の暴威に全く怯んではいなかった。

一般的なオーク鬼であるならば、仲間がああも無残に斬られ派手に宙を舞えば怖じ気づくか、少なくとも怯んでも良いはずである。

その動きをみても、死を恐れぬ程練度が高いというわけではないようだ。

才人は魔法か何かで操られている可能性を疑ってはいたものの、それは違うとも肌で感じていた。

雄叫びを上げ、襲いかかってくるオーク鬼達からは、その精神を誰かに支配されている印象を受けなかったからだ。

彼らはどちらかというと、死や恐怖という概念がすっぽりと抜けてしまっている印象を才人に与えていた。

まさか!

そんな、一部の感情だけを消し去る魔法なんて……

戦意を高揚させる魔法や薬なら話はわかるんだけど……

剣閃を同時に何十も重ねながら、才人の困惑はますます深まっていく。

そんな才人の膨らみつつあった困惑を沈めたのは、一本の矢であった。

才人へと襲いかかってきた数匹のオーク鬼達が一瞬で細切れにされ、鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちた後方から

再び数匹のオーク鬼が仲間の破片を乗り越えようとした時である。

ストン、とその胸に矢が飛んできて刺さり、それを呼び水に無数の矢がオーク鬼へ襲いかかった。

戸惑いを打ち払おうとすこしやけくそ気味に槍を投げようとしたその手が止まり、才人は思わず矢が飛んできた方向を見上げる。

矢はやっと自失から回復したニンフ達のものであった。





「ちょっと! もう! あんた! 援護するから、もうその槍投げるのはやめなさいよ!
 もうもうもう! 谷を荒れ地にするつもり?!」





村を守る壁の上、目があった一人のニンフが才人に向かって叫ぶ。

どこか見覚えのある顔(とは言っても皆同じ顔をしているのだが)と口調から、恐らくは才人が持ってきた乾燥ハーブを受け取った

あのニンフであろう。

才人はしばし呆然としてごめんと呟きかけたが、ふとある事を思い出し台詞と呟きを大声に変えた。





「援護はいい! それよりも、魔法を頼む!」


「はあ? もう! もうもう! ダメよ魔法は! 私達じゃ、すぐにバテてしまうわ!
 あんなに沢山、魔法だけで相手にしてたらわたし、壊れちゃう!」


「ちがう! 俺に魔法を撃ってくれ! デルフに魔力を貯めるんだ!」





グオオオ! とあがるオーク鬼達の雄叫びの中、才人は声を張り上げながらデルフを掲げて見せた。

それからすぐに振り返り、再び降り注ぎ始めた矢の嵐を抜けて殺到してくるオーク鬼を斬り伏せる。

才人と話したドリアーヌは、その意図を理解出来ぬまましかし周囲の者に声を掛け指示を伝え始めた。

指示を伝えられたニンフ達は、口々に本当に? 本当にあっちじゃなくてこっちに撃つの? とかしましく確認をしていたが

下から才人が早くしてくれと催促の怒鳴り声をうけて、おずおずと才人に向かって魔法を撃ち始めるのであった。

たちまち風の刃や木の枝の矢が才人へと飛ぶ。

才人は器用に風の刃をデルフに吸わせかけたが、次いで飛んでくる無数の木の枝を見て慌てて横に跳んで逃げてしまった。

先住魔法によって撃ち出された木の枝は、才人がつい先程まで居た場所へとなだれ込んできたオーク鬼達を無残にも貫いていく。

ニンフ達は最初に風の刃が吸収したのを確認して安心したのか、逃げた才人の事などお構いなしに次々と魔法を撃ち始めた。





「わ、わ、たいむ! ちょ、ちょっとやめろ! バカ! やめろって!」


「まぁ! まぁまぁまぁ! 言われた通りにやったのに、何よその言い草!」


「風の! っと、刃とかなら吸収できるけど、木の枝の矢……っこの! は吸収できねぇよ!」


「始めにいいなさいよ!」


「知って……! 行かせるか! この! お前ら、俺の記憶を "知って" いるんだろ?」


「もう! もうもう! そんなどうでもいい細かい所、知った事じゃないわよ!
 わたしの記憶じゃないんだし、他人の記憶を見て印象に残る所なんて精々、夜な夜なあんたがいろんな女の人と
 あーんな事やこーんな格好させて、たぁっっっぷり楽しんでいた記憶位よ!」


「わあああああ!! 領域と一体になるとか大層なこと言っといて、何俺のプライバシー覗いてんだよ!!」


「後! オーク鬼が来てる! 頑張ってれもんちゃん!」


「そうよ! 頑張ってれもんちゃん!」


「れもんちゃん、これ終わったられもんちゃんが好きな、犬のような体位で相手してあげるからね!
 しっかり頑張るのよ!」


「もう! もうもう! あなたたち!
 抜け駆けはずるいわ! わたしも混ぜてね、れもんちゃん!」


「うるせえ! お前ら後で覚えてろ!
 この! くそ、キリがねえ。 もういいから、風の刃とか物を飛ばさない奴をたのむ!」





才人は耳まで赤くなりながらも、更に剣速を上げて押し寄せるオーク鬼を切り裂き半ばやけくそ気味にがなった。

ニンフ達は先住魔法を操るのであるが、デルフが吸収できるのは "魔法によって作られた存在" だけである。

すなわち、 "ファイアー・ボール" や "アイス・ジャベリン" のような魔法ならば吸収できるのだが、小石や岩を魔法によって

動かし撃ち出すような攻撃は吸収できないのだ。

果たして、間を置かず才人へと無数の風の刃が飛んで行く。

今度はデルフリンガーについての記憶を確認してから魔法を撃っているらしく、ニンフ達は一斉に魔法を撃たず

吸収しやすいよう順番に魔法を発動していった。

才人は迫り来るオーク鬼を斬り伏せながらも器用に大剣を振りかざし、デルフリンガーに魔力を貯めていく。





「この位でいいか……。もういいぞ!」


「なに? なになになに? あなた、何をするつもり?
 ソレ、イザと言う時に持ち主を操る魔剣でしょう?
 今のあなたには必要無いとおもうのだけれど?」


「こう、すんだよ!」





ニンフ達の場をわきまえていない質問に、才人は律儀にも声を張り上げて答えた。

同時に強く輝いていた左手のルーンが赤く禍々しく変わる。

門とそれを守る才人を押し潰すべく、にじり寄っていたオーク鬼達も目の前の怪物の変化に警戒も露わに手にした武器を構え直した。

周囲にキィィ、と高い耳障りな音。

赤い光は音に同調するかのように徐々に強く濃くなっていき、壁の上、あるいは所々で燃えているかがり火よりも強く辺りを照らす。

浮かび上がる才人の表情は苦しげであり、デルフリンガーを握る両手はカタカタと小刻みに震えている。

なに?

何をしようとしている?

異様な才人の変化に、双方共ある者は目を奪われ、ある者は警戒の為動きを止める。





「――いくぞ、デルフ」





呟きは合図であった。

バガン! と何かが炸裂するような音を立て、才人の姿が文字通り消える。

かわりに矢のように速く動く赤い光の筋だけが、夜の大地に映えて見えた。

岩の壁の上、ニンフ達が目にした光の筋は爆音を響かせながら紙の上でペンを奔らせるかのような疾さで

縦横にオーク鬼の群れを引き裂いていく。





「なに、これ」





高くそびえる岩壁の上、誰かがもう一度呟く。

呟きはなぜかビリビリと轟音が頬を撫で辺りに木霊する中、二度目の自失に囚われた誰もが耳に出来た。

ニンフ達は赤い光の正体を "知って" いる。

アレは "ダブル" だ。

二つのルーンを共鳴させ、ガンダールヴの力を何倍にもする能力。

そう、平賀才人の記憶を得た彼女達は誰もが知っているはずの力だ。

しかし。

目の前の光景は。





「なによ、あれ」





砂塵のように、あるいは水しぶきのように、オーク鬼が、オーク鬼の欠片が滅茶苦茶に宙に上がっているのが夜目にも見える。

光は血のように赤く、残像のような尾を引いて凄まじい勢いで無軌道に地を奔っていた。

オーク鬼達はある者は混乱の中赤い何かに首を跳ねられ、ある者は門を抜けようとして群れの一番後方へと去った筈の赤い光に

八つ裂きにされながら宙を舞う。

光は逃れられぬ死その物であった。

屠った者の血を浴びたかのような赤を纏い、恐ろしい音を立てながら敵対する者をことごとく斬り伏せ、砕き、磨り潰し、引き裂いてゆく。

オーク鬼を、数の有利を、道理をすべて飲み込みながら、赤い光は―― "ダブル" を使っている才人はオーク鬼の群れを蹂躙した。

時間にして一分にも満たない間での出来事か。

デルフリンガーに貯めた魔力を使い切ったのか、才人は群れの一番奥から門へとまっすぐに戻り再びその姿を現す。

赤かった左手は先程と同じように白く輝いて、しかし苦しそうに肩で息をしている。

この時完全に自失してしまったニンフ達の目に映る光景は、数千もあったオーク鬼の群れは今や動く者は少なく

かがり火に無残な屍を累々と映し出す地獄のような光景であった。

所々でまだ動いているオーク鬼を数えても、数十ほどしか残ってはいないだろう。





「はっ、はっ、はっ、さすが、に、ルイズが、いないと、きつい!」


「ちょっと! ちょっとちょっとちょっとあんた! なに? なになに? 何をしたの?!」


「はっ、なに、って、しってるだろ、うが。 "ダブ、ル" だよ」


「しらないわよ! あんな事できるなんて、しらないわよ!」


「はっ、はっ、あと、に、しろよ! 残りをなんと、か、しないと!」





才人は息も荒く、ゆっくりとデルフリンガーを青眼に構えた。

切っ先の向こうから残ったオーク鬼達が半狂乱になり武器を掲げて迫り来るのが見える。

やはり、どこか変だ。

これだけの力の差を見せつけられた後であっても、あいつらは "怯まない" 。

やはり操られている?

どこか、他にオーク鬼を操っている奴がいるのか?

考えて、才人はぎゅっと目を瞑る。

再び湧いて出てくる疑問と荒くなってしまった偽りの呼吸を鎮める為に。

まぶたの裏に映し出されるのは、愛らしい主人の笑顔。

才人は想う。

ただ一つ、己が決して見失うべきでない目的を。

何の為にここに居るのか。

誰の為に剣を振るうのか。

左手の輝きは、誰を照らす光なのかを。





「情けねえ。これ位で息が上がるなんてな、ルイズ。
 俺、やっぱお前が側にいないとなにも出来ないよ」





呟いて目を開いた才人の呼吸は、既に落ち着いていた。

左手のルーンは再び強く輝き、体が羽根のように軽くなる。

迫るオーク鬼までの距離は百メイルほど。

帰ろう。

あれを蹴散らして、主の下へ帰ろう。

才人はデルフリンガーを強く握りしめ、大きく息を吸った。

瞬間、ん? と片眉を上げて辺りを見渡す。

オーク鬼の腐ったかのような臓物臭や血の臭いといった悪臭が胸に入ってくるはずであったが、鼻を突いたのは

覚えのある甘く濃い花の香りであったからだ。

この匂い……たしか……

思考は戦場に似つかわしくない匂いの正体にすぐにたどり着く。

香りはドライアドが発するあの匂いであった。

花の芳香はあれよという間に強くなっていき、辺り一帯に満ちていく。

これが、ドライアドの言ってた "オーク鬼を追い払う香" ってやつか? と才人が辺りを見渡しながら考えていると

ほんの十メイル程にまで迫ってきていたオーク鬼の残党が一斉に苦しみ始める姿が見え、そのままオーク鬼達は散り散りに踵を返して

どこぞへ走り去ってしまった。

同時に後方と頭の上でわっと歓声が上がる。





「やった! やったわ! オーク鬼を追い返した!」


「この匂い! ドライアドの香よ!」


「んー、でもでもでも? もう必要無かったんじゃない?」


「そう、そうそうそう! そうよねドリアーヌ。
 もう一度魔法をぱぱーっと撃っちゃって、あたしのサイトがずごごーって蹴散らしちゃえば終わってたもの!」


「まあ! まあまあまあ、ドリアーヌ! いつから彼、あなたのサイトになったのかしら?」


「だって、だってだってだって、だってそうじゃない? 彼、間違いなくドライアドのモノになるんだし。
 それに、あたし達ニンフはコノ世界の一部ですもの。
 だから、だからだからだから、ドライアドのモノはあたしのもの、あなたたちのモノもあたしのもの!」


「ちょっと! そんなの……ん? と、いうことは、あたしのモノでもあるわけ?」


「んー、ということは、彼、あたしのモノ?!」





つい先程まで修羅場であったのがウソのように、村を守る岩壁の上でかしましく黄色い声を上げるニンフ達に才人は苦笑いを浮かべた。

それから珍しく無口なデルフリンガーをザクリと地面に突き立て、それを背にずるずると腰を下ろしてしまう。

"グリムニルの槍" の体とは言え、 "ダブル" の強烈な反動か強い疲労感が体中を支配していた。





「おつかれさま。すごく驚いたわ、あなた、信じられないほど強かったのね」





地に突き立てたデルフリンガーを背もたれにして、目を閉じうつむいていた才人は顔を上げる。

いつの間にそこにやって来たのか、あの小さなドリアーヌが目の前に立っていた。

甘く濃い花の香りが混じった谷風が彼女の青みが所々に差した長い髪を揺らし、美しい顔に柔らかく微笑みを浮かべている。

夜空に散らばる星と相まって、その光景はハルケギニアの生活も長い才人が見ても幻想的な情景であった。

周囲に散らばるオーク鬼の残骸が無ければ、きっと夢か何かと疑ったろうな、などと才人は考えながらも

向けられた幼い妖精の微笑みにニカっと笑って答える。





「言ってなかったっけか? 俺、こう見えても結構強いんだぜ?」


「ふふん、その台詞、誰にでも言ってたわよね?  "知ってるわよ" 。
 まったく、とんだスケコマシよねえ、あんた」


「んだよ、その言い草」


「だって、そうじゃない? これだけの力を見せといて、その笑顔でその台詞。
 天然でやってたなら相当なもんよ、あんた」


「う……そんな、こと、ないよな?」


「そんな事あるわよ、現にわたしも結構ドキドキしちゃってるし」


「うへ、からかうなよ。でもまあ、ここでは俺、ブサイクらしいし大丈夫だろ」




才人はそういうと、気怠げに再びうつむいた。

小さなドリアーヌは何気なく胸の高鳴りを才人に伝えていたのであったが、疲労の為かはたまた全くの対象外であるのか

どうやら才人の方にまともに取り合う気が無いことを察すると一つ、おおきくスン! と鼻を鳴らし頬を膨らませるのであった。

そんな少女の気も知らず、才人はうつむいたまま傍らにいる妖精に少し改まった口調で言葉を続ける。





「……色々とありがとうな。俺、ドライアドに捕まらない内にさっさとここを出て行くよ」


「……わたしこそ、助けてくれてありがとう。
 さ、こんな所でヘバってないで行くならさっさと行きなさい。
 じき他のドリアーヌ達が壁から降りてきてここへやって来るわ。きっと、ドライアドも。
 絶対皆、あなたに夢中になってると思うから捕まったら大変よ? 多分ミイラになるまでに二日とかからないわね」


「はは、そりゃ困るな。俺は帰らないといけないんだ」


「そうそう。
 黙ってたけれど、ニンフもドライアドと同じように惚れっぽいの。
 わたしの気が変わらない内に、早くお行きなさいな」





少女の姿をした妖精は、そう口にしてすこし寂しそうに笑う。

才人は再び顔を上げそんな彼女に意外そうな表情を浮かべたが、小さなドリアーヌの背後に人影を確認して慌てて立ち上がり

地に突き立てたデルフリンガー鞘に納めた。





「花の入った小瓶、もった?」


「ああ、ここにある」


「小瓶もこの領域の一部だから、あんた以外の人間に触らせてはダメよ?
 外に出る時に人が触れるようになるのは花だけだから、誰かに渡す時はあんたが取り出しなさい」


「わかった。じゃあな」





別れの挨拶は短く、かわりに才人はドリアーヌの頭に手をあててくしゃりと撫でる。

それから悪戯っぽく笑い、もう一度じゃあなと声をかけ左手を白く輝かせながら走り去るのであった。

谷風は甘く花の香りを孕んで才人を追いかけるように吹きわたり、次いで壁から降りてきた他のニンフ達が息を切らせてやって来る。





「ぜぇ、ドリアーヌ! 小さなドリアーヌ! サイトは?! わたしのサイトは……あぁん、行っちゃったぁ」


「いいのよ、これで。あれは私達の手に余る人間よ?」


「そんなあ……ドライアドが怒るわよぉ?」


「怒らないわよ」


「なんでそんなこと、わかるのよ?!」


「だって……」





小さなドリアーヌはそこで言葉を句切り、まだ才人が去っていった方角を名残惜しそうに見つめる他のニンフ達に背を向けた。

しかし彼女も又、すこしだけ振り返て寂しそうに、哀しそうに呟くのであった。

先程、言葉を口にする不思議なフクロウから聞いた事実を。











「だって彼、 "大いなる意思を殺す槍" の持ち主なんですもの」

















[17006] 6-8:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/01 22:58










人の心には闇が潜む。





それは特別なことではなく、誰しもがそうなのだ。

そして、大概の者はその闇を直視してはいない。

否、認識すらしてはいない。

故に、闇は "潜む" のである。

なぜか。

それは直視すべきでないからだ。

それは触れるべきではないモノだからだ。

それは、そっとしておいて欲しい心の一部であるからだ。

平賀才人が夢現に見たものは、そんな闇であった。

戦士として、誰かを護り続けた男として、誠実な性根を持って逃げてはならぬと彼は闇を直視してしまった。

勇者はその行為が傷口に塩を塗り込むような行為であると気が付かない。

いつか、乗り越えられる強さが身につくと信じて疑わない。

心に潜む闇とは、暴れるほどに絡め取られるクモの糸のようなものだ。

才人は甘く優しい夜の谷風を切り裂いて、主の下へ帰るべく花畑の中を風のように走っていた。

対峙し見てしまったが故、胸の奥心の深い場所で根を張りつつある闇に気が付かないままに。

闇はやがて心を砕き、その精神を蝕むであろう。

ただ、才人にとっての救いはその成長が非常にゆっくりとしたものであった事だ。

勇者は気が付かない。

眩しい程の主の光を、焦がれるように求め続けるばかりに。

使い魔は気が付かない。

その光が落とす濃い影が、己の闇であることに。

才人は走り続け遂にあの飛び降りた崖へとたどり着き、一息にフェルタン村で "境界" だと教えられたあの小さな広場へと跳んだ。

辺りは星一つ見えない闇である。

よし。

あとは森を抜け、村で薬を調合して貰うだけだ。

どれ位の時間が経過しているのか分からないけれど、考えても始まらない。

今は目の前の目的を……





「またそうやって私達から目を逸らすのね。酷い父親」





森を矢のように駆ける才人は、ザザと木々がざわめく音の中確かにその声を聞いた。

思わず足を止めてしまい辺りを見渡す。

視界は全くの闇である。

才人はここで初めて異変に気が付いた。

夜の闇とは言え、つい先程まで走っていたにも関わらずあまりに "濃すぎる" のだ。

視界が黒一色で埋まり、自分がいままでそんな闇の中をどうやって疾走していたか判断も付かない。

いや。

視界だけでなく、音も無い。

地を駆ける音、耳にする風切り音、木々のざわめきすらも消えてしまっている。

ただ一つ、甘い花の香りだけは鼻を突いて消えはしなかった。

まさか……

才人ははっとして、香りがドライアドのものだと思い出し思わず背にしたデルフrンガーに手を掛ける。





「ちがうわ。ドライアドは力尽くで引き留めるようなことはしない」


「だれだ? 何処に居る?!」


「目の前よ、お父様」





闇の中、返事と共にいつの間にそこにいたのか青髪の美しい少女が立っていた。

眼鏡はしていなかったが、その顔はタバサとうり二つである。

しかし背まで伸ばした髪が決して彼女ではないことを才人に示していた。





「お前……なんで……」


「まぁ。自分の娘に "お前" だなんて……
 お父様、ちゃんと名前で呼んでくれなくてはイヤですわ。さあ、私の名前を呼んでくださいまし。
 いつもの優しい声で    と。
 慈しむあの眼差しで、私を見てくださいまし」





少女はそう言ってクスリと笑う。

対照的に、才人はゆっくりと頭を振って呻くように答えた。





「ごめん。その……覚えていないんだ」


「そう。酷い父親ね」


「ああ。でも、後悔はしていない。俺はその為に戻って来たのだから」


「あら。今度は開き直るの?」


「……好きに罵ってくれて良いよ」


「まさか! 大好きなお父様をどうして罵れましょう。
 例え裏切られても、憎まれていようとも、必要とされなくても、私はお父様を愛していますわ」


「じゃあ! じゃあ何故出てくるんだ?!
 なんで俺を苦しめるような……くそ、ノルンの仕業か?! それともドライアドか?!」





才人は思わず声を荒げてしまい、自身のその声に内心驚いた。

俺は何故こんなに激昂しているんだ?

おかしい、感情が制御できていない……

こんな事、言うつもりは無いのに……

予想外の己の反応に困惑しながら、才人は心が軋む音を聞いた。

少女はそんな才人の剣幕にショックを受けた風に口元に両手を当てて、息を飲んでいる。





「あ……」


「そんな……ひどい……私はただ、お父様に会いたいだけだったのに……」


「ご、ごめん……」


「お父様、ひどい……ひどいですわ」





少女の顔は既にぼやけてしまっている。

才人が思わず手を伸ばすと、少女はゆらりと揺れて手応えもなくそのまま掃き消えてしまった。





「まって! まってくれ! 俺、俺は」


「ふふ、お父様、安心なさって。私は消えたりはしません。
 お父様にどんなに疎まれようと、哀しい想いをさせられようと、決してお父様のお側を離れたりはしませんわ。
 だって、私はお父様の……」





闇の奥から少女の声が才人の耳に届く。

その声は記憶の彼方で聞いた事があり、初めて聞くような声でもあった。

闇の中、再び一人で佇む才人。

視界を満たすのは黒、黒、黒。

漆黒の世界である。

外界のその色は己の心その物のような気がして、才人は思わずその場にへたり込んでしまった。

偽りの体に虚脱感が満ちていく。

目的を見失ってはいない。

早くルイズの顔が見たい。

しかし。

今だけは……

今だけ、少しだけ、休すませてくれ……

鼻をくすぐる甘い花の香りは、軋む心を静めて眠気を抱かせた。

才人は苦しい胸の内とは裏腹に、心地よい香りに身を委ねへたり込んだまま目を閉じる。

やがて睡魔が彼を支配するのに、それ程時間はかからなかった。

眠りに落ちていく感覚の中、闇の中で才人はもう一度今度は別の声を聞く。





「大丈夫。ソレは "領域" を出る時に見る、悪夢みたいなモノよ。
 ドライアドの領域で見聞きしたモノはすべてドライアドの物だから、それもじきに忘れるわ」


「ドリ、アーヌ?」





薄まる意識の中で才人はあえぐようにその名を呟いて、そのまま深く闇の中に落ちて行くのであった。

次に目を開けた時は、闇ではなく緑色の木陰の向こうに茜色の空が見えた。

鮮やかな朱色の空に渡り鳥の群れが見えて、なんとものどかな光景である。

一瞬朝であるのか夕暮れであるのか才人は判断に迷ったが、日の傾いている方角から夕方であると認識するのに

それ程時間がかかりはしなかった。

それから地に腰掛けた体勢のまま辺りを見渡すと、そこは "囚われ谷" とこちら側の世界の境界であるあの広場であるとわかる。

徐々に増す現実味を帯びた覚醒が、今までの出来事が夢であったかのように思え才人は急に不安に駆られわしわしと懐をまさぐり

出て来たヒモの付いた小瓶と中の可憐な花を確認するや胸を撫で下ろすのであった。





「よく分からないな。俺、何時寝ちまったんだ?」





随分と板に付いてきた気がする独り言を吐きながら、才人はもう一度座ったまま空を見上げた。

ええと、俺は……

何故ここで寝てしまって居たのか、どうやって妖精花を手に入れたのか、記憶をたぐる。

しかし、容易い筈のその作業は何故か上手くいかない。

あれ?

なんでだ?

詳しく思い出せない……

才人は茫と空を見上げたまま、まだ胸の奥に残るしこりを感じ取り強い脱力感を覚えてもう少しこうしていようなどと考えた。

すごく苦しい夢をみたような気がして、もう少しのどかな空を眺めていたかったからだ。

"妖精花" は手に入れた。

乾燥ハーブと引き替えに。

あ、そうそう。

オーク鬼に追われる女の子を助けようとして、 "囚われ谷" へと降りて。

そこから……そこから、なんだっけ?

才人は頭を振り、記憶にかかったモヤを振り払おうとする。

しかし、どうしても思い出せない。

何かすごく深刻で苦しい思いをしたような気がするんだがなあ、などと考えながら視線を地に落としていくと

どこかで嗅いだ事のある甘く濃い花の香りがふわりと漂っていることに気が付いた。

えっと……なんだっけ? この香り。

心地良いような、でも胸がざわめくような……

俺、まだ寝ぼけてるのかな?

どうも上手く記憶を取り出せないでいた才人は、気を取り直すべく立ち上がり大きく伸びをする。

谷の下へと降りた後はぽっかりと記憶に穴が空いてしまっていたが、喪失感は小さくそれ程気にはならなかった。

んー、と伸びをした才人は元来のお気楽な性格である為か、次の瞬間には定かではない記憶の事など忘れてしまい

早く花を持帰らねばと村への帰路につくべく体を翻す。

その時である。

視界の端に映り込んだ赤が、才人の目を引いて思わず立ち止まる。

不思議と気になり足を止めて赤の正体を確認すると、それは小さな可憐な花であった。

なぜ今まで気が付かなかったのか、所々に青が差した赤いその花は懐の小瓶の中にあるものと同じ妖精花だ。

甘い花の香りと共に柔らかな谷風が下から吹き上げて、釣り鐘のような花弁を揺らしている。

才人は不意に寂寥感に襲われ、暫くその場でじっと花に魅入ってしまった。

花はまるで恥じるように、あるいは別れを惜しむようにゆっくりと風の中花弁を揺らしている。





「……じゃあな。色々とありがとう。」





なぜその言葉が口を突いたのかわからない。

しかし、それが特に間違ったことではないと才人は確信する。

最後に見た花は言葉に応えるように優しく風に揺れ、 "囚われ谷" の妖精はひっそりとその姿を才人の記憶に止めたのであった。







才人がヴァリエール城に帰って来たのは、それから丸一日と半日程過ぎてからの事である。

公爵とその夫人、長女のエレオノールは朝の日差しが差し込むサロンでの朝食の席にて、悩ましい表情を浮かべながら

才人が持ち帰った土産のハーブ茶を口にしていた。

対照的に次女であるカトレアはニコニコとしてハーブ茶を楽しみながら、公爵の目の前に置かれた小瓶を見つめている。

公爵は目の前に置かれた小瓶の中身を知っているのか、苦虫をいくつもかみしめてううむと何度も唸り続けていた。

ちなみにルイズとはと言うと、公爵の昼も夜もない "説得" に癇癪を起こして暴れた為、自室謹慎中である。





「ルイズの代わりと言うわけでは無いのですけれどお父様。
 如何でしょうか? これでルイズの言い分をお認めになって下さいますの?」


「うう、む……」


「ねぇ、カトレア。そ、そのお薬、一粒私にくれない?」


「エレオノール。なんですか、貴女は。体の悪い妹の薬を何だと……」


「お、おおお母様、じょ、冗談ですわ!」





公爵夫人はきつく睨み付けられたエレオノールは、名残り惜しそう公爵の前に置かれた小瓶を見つめながら言葉を濁した。

そんな妻と娘の様子など目も入らないかのように、公爵はもう一度先程からそうしていたようにううむ、と唸る。





「しかし、まさか彼がフェルタン村で作るいつもの魔法の秘薬じゃなくて、 "花咲く妖精の妙薬" を持ち帰ってくるとはね。
 この秘薬中の秘薬を一体どうやって手に入れたのかしら?」


「姉さま、フェルタン村の近くには精霊の住処である "囚われ谷" という場所がありますわ。
 人間には立ち入りできる場所ではないのですが、恐らくはそこで手に入れたのでしょう」


「知ってるわ。
 でも、それが本当なら良く生きて帰って来れたわね……
 アカデミーも "囚われ谷" へ調査のために何度か人を送ってるけども、帰ってこれた人間なんて一人もいやしなかったもの」


「そのようですわね。
  "囚われ谷" の精霊はとても気難しくて、いくらかの交流のある村人達ですら滅多なことでは近寄ろうとしない場所だとか」


「ううむ……」





"花咲く妖精の妙薬" とは、ヴァリエール領となる遙か昔からこの地方伝わる幻の秘薬の名である。

その長い歴史の中、数百年に一度位の頻度でフェルタン村から時の領主へ献上される秘薬中の秘薬であった。

言い伝えではあらゆる病を治し、いかなる傷であってもたちどころに塞いでしまうとされ、古い文献では白痴をも治癒すると

書かれている伝説の薬である。

フェルタン村では年に一度やって来る精霊から入手する、ラ・カンパネラという酷い悪臭がする "妖精花" で魔法の薬を作るのであるが

ごく、極々希に非常に良い香りのする "妖精花" を精霊が持ってくる年がああり、それを材料に作る薬が "花咲く妖精の妙薬" と

呼ばれるようになると今に伝えられる。

伝承の通りに本来赤く仕上がる筈の小さな丸薬は、赤の中に青が差した模様を浮かび上がらせ薬を入れておく小瓶の中に所狭しと詰まっていた。





「お父様?」


「ううむ……」


「もう、先程からそればっかり」


「仕方ないではないか。この私とて本物は見た事はないのだからな。
 カトレア、これは本当に "花咲く妖精の妙薬" なのか?」


「さぁ。それが本物であるか、お父様でも見た事無いのですからわたしも確証を持ってはいませんわ。しかしなが」


「じゃあ、私がアカデミーに持ち帰っ」


「エレオノール?」


「なんでもないわ、カトレア。続けて?」


「ふふ、はいお姉さま。
 お父様、しかしながらそれを先程飲みましたが、まるで生まれ変わったかのように体の調子が良くなりましたの。
 少なくとも、いつものフェルタン村のお薬よりもずっと効用が良い物でした。
 村長が添えた書状にも、 "花咲く妖精の妙薬" である旨記載されておりましたし、わたくしは本物だと思います」


「おお、おお! カトレア、お前体の調子が良くなったのか?」


「ええ、お父様。こんなに体が軽いのは生まれて初めて。
 効能が伝承にある通りならば、体の芯まで治癒しているのかも知れませんわ。
 そうでなくとも、これほど良く効く薬がこれだけあれば、しばらくはお薬の心配は必要ないでしょうし。
 ふふ、今ならば社交界の会合にも顔を出せるような気すら致します。これも "彼が" 秘薬を持ち帰ったお陰ですわね」





珍しく強い生気に満ちたカトレアの笑顔と言葉に、公爵は目に涙を浮かべて幸せそうにうんうんと頷いていたのだったが

彼が、とカトレアが強調したことによって再び不機嫌な、悩ましそうな表情に戻りううむ、と口にするのであった。

そんな公爵の様子を夫人は呆れたような、それでいてすこし可笑しそうな表情を浮かべてただ黙って夫を見つめる。

エレオノールはと言うと、ハーブ茶が気に入ったのか何杯目かのカップを口に付けて物欲しそうに小瓶と公爵夫人の顔を交互に見ていた。





「それで、お父様。如何なさいますの?
 お父様のお気持ちは分かりますか、彼は……ルイズの使い魔はこちらの要求通りにフェルタン村から魔法の薬を持ち帰りました。
 それも、最高のお薬を。
 貴族として、ヴァリエール家の者として、今度は此方が約束を果たす番だと思うのですか……」


「……そうだな。確かに、 "花咲く妖精の妙薬" を持ち帰った事については評価してやらねばならん。
 私の部下として、貴族待遇で取り立ててやってもいい程だ。
 なにより、その薬でカトレア、お前の病が治っておるのかもしれんのだ。
 私情は持ち込むまい」





公爵はそう言ってカトレアに優しく微笑んだ。

同時にエレオノールはむせてしまい、口に付けていたカップを落としそうになる。

公爵夫人はそんな長女の様子に再教育の必要性を感じつつも、夫の真意を察してかほう、と優雅にため息をついて見せた。





「では……」


「だがな、カトレア。ルイズは私の大切な娘なのだ。
 ルイズだけではない、お前やエレオノールもだ。
 私はヴァリエール公爵として、約束を果たしルイズに出征の許可を与えなければならないだろう。
 カトレア、たとえそうであってもだ。
 私はヴァリエール公爵である前に、人の親なのだ。
 あの子を一人前の貴族として扱ってやりたいお前の気持ちもわかるが、私はきっと死を迎えるその時まであの子やお前達の父であるのだよ。
 これは公爵である私の体面や貴族の名誉などを気にする問題ではない。
 親としてルイズを出征させるわけにはいかん。たとえ、約束を破る事になってもだ」





公爵は優しい声できっぱりと言い放つ。

その言葉に強い意志をカトレアは感じてか、少し影を差しながらも諦めたような表情を浮かべてそれ以上言葉を発することはなかった。

エレオノールはと言うと、さもありなんと優雅にハーブ茶のカップを口に運ぶ。

夫人もそれに続き、同時にカップから口を離した所でエレオノール、あとで話があります。今日この席でのお前の態度の事でです。と宣言し

彼女を酷く動揺させた。





「そんな……ひどい……お父様……」





声にその場にいた者が一斉に振り向く。

いつからそこにいたのか、ルイズが自室から抜け出してサロンの入り口に立っていた。

先程の公爵の言葉を聞いたのであろう、その表情は落胆と怒りに彩られている。





「約束したのに……お父様! 酷い!
 結婚しろだの、危ない使い魔だからもう会うなだの、お父様は私をなんだと思ってるの?!」


「ルイズ! それは」


「親としてって言いたいんでしょう?! でも、私だって言い分はあるわ!
 征かないと、この国が滅びるかも知れない。そうなれば結局戦火が領地に及ぶのよ?!
 何より、私は、私は、私、は……」





虚無の使い手なのよ! と叫びたかった。

しかし、残った理性がそれを阻む。

果たして。

肩を振るわせ、ルイズが次に叫ぶように口にした言葉とは。





「サイトを愛しているのよ!」


「んな?!」


「ぶっ、ケホ、ケホ、る、るるるるるるルイズ?! 何を言い出すのこの子は?!」


「本気よ!」


「る、るる、ルイズ? 冗談だろう? パパに冗談だっていっておくれ、私の可愛いルイ」


「もういい!
 ――もう、あんたはあんたで何を今更! つべこべ言わずに、さっさとやんなさい!
 ――いいから! はやく!!」





同時にドゴン! と派手な音を立ててルイズが立っていた場所に近い壁が崩壊する。

ドラゴンか何かが外へ向かって壁を壊しながら移動したように、一直線に大きな穴が各部屋を貫いているのが見えた。

そんな大きな穴から左手にシエスタを抱えた才人が、申し訳なさそうにヒョッコリと顔を出す。





「る、ルイズ! 落ち着きなさい! パパが悪かったから、落ち着いて!」


「衛兵! すぐに門を閉じさせなさい! ヴァリエール烈風隊に伝令! 城門前に集結!」


「はっ、奥様」





公爵と夫人は外に向かって一直線に貫かれた穴を見て、ルイズの使い魔が何をしたのか、ルイズが何をしようとしているのか理解する。

ルイズはイッ! と歯を剥いて見せ、現れた才人の首に腕を回しあろう事か家族の前で使い魔と口づけを交わした。

その情熱的な様子はどう見ても、当てつけやおふざけには見えずエレオノールと公爵は息を飲みその場に固まってしまう。

静寂の中、ぴちゃりと小さく音を立てて才人の口を強引に吸っていたルイズは、やがてぷはぁと息を吐いてその口を離しキっと公爵を睨んだ。

あまりの出来事に、公爵夫人ですら目を丸くして沈黙の支配に身を委ねてしまっている。

いや、唯一カトレアだけは一切の動揺を見せずにコロコロと笑っていた。





「あ、あの……俺……」


「……って! ミス・ヴァリエール! ずるいです! わたしも、えい!」


「あ、ちょ、こら!!」





才人は複数の視線に段々と怒気が込められてくるのを感じて、弁明を試みようとしたのであったが

その口を今度はルイズを押しのけ左手で抱えていたシエスタにふさがれてしまう。

口づけは一瞬。

すぐにルイズがシエスタを引っぺがしたが、ちゃっかり舌まで入れられてしまった才人は己のふがいなさに肩を落とす。

しかし、状況はそんな才人を置き去りに険悪な方向へと加速していく。

シエスタとルイズが自分の体にまとわりつきながら口論を始める中、視線に込められている怒気が更に……否、急激に強くなる。

特に夫人からの物が、暴君を彷彿させるような圧力だ。





「き、きき、貴様! 成敗してくれる! ルイズをは、離せ!」


「え、あ、お、落ち着いてくだ」


「いいのよサイト。さ、早く行きましょ!」





怒気と殺気を体中から噴き出させながら、公爵は杖を抜いた。

対照的に公爵夫人は内側に怒気を押し込めていき、強烈な圧力と意志を込めて才人を睨み付けている。

そんな夫婦の末娘は、才人の右手側から首に腕を回したまま、恨みがましく父親を睨み。

彼女の両親の怒りを一身に背負う少年のような老人は、困惑しながらも左手にシエスタをまとわりつかせて

その怒りに油を注ぎ込んでいた。





「うう、なんでこんな事に……」


「ルイズ! そいつから離れなさい! おのれ、よくも私の娘をたぶらかしおったな!」


「ルイズ。そこをどきなさい」


「イヤよ! サイト、モタモタしてないではやく!!」





言葉に才人は我を取り戻し、ルイズとシエスタを抱え上げて矢のように外壁に開けた大穴に駆け込んだ。

ルイズの台詞に我を取り戻したわけではない。

夫人の、暴君と同等かそれ以上に膨らみ内側に押し込めていた圧力が、殺気に変わりつつあるのを感じ取ったからである。





「まて! おのれぇ、だれぞ! ボドワン! ボドワンを呼んでこい!」


「公爵様! ボドワン様は先日の決闘で未だその傷が癒えず……」


「ええい、くそ! そうであった! もうよい、この私自ら……」


「おお、お父様! いけませんわ、万一お怪我でもされたら如何なさるのです!
 もう!、ルイズ! おまちなさい!」





才人が飛び出した壁の穴から、公爵は歯を剥き怒りも露わに身を乗り出す。

そんな父親の身を案じてか、比較的冷静であったエレオノールが怪我でもされたら大変なことになると必死に制止していた。

外壁に開いた穴の先、まるで村娘をさらう山賊のように両手に女の子を抱えて馬のように走る才人が見える。

は、離せ! と無茶をせぬよう娘に拘束される公爵の後方で、公爵夫人は才人の背を見てため込んだ怒りを吐き出すように

一つ大きくため息をついた。

それからおもむろに踵を返して、座っていた席から立ち上がり一連の騒動をニコニコと眺めていたカトレアのもとに歩を進める。





「カトレア。あなた、こうなると分かっていましたね?」


「いいえ、お母様。
 ある程度の予感はしていましたが、まさかこんな事になるとは夢にも思いませんでしたわ」


「まったく、我が家の娘達には本当にこまったものね」


「うふふ、だってお母様とお父様の娘ですもの、私達」





カトレアはそう言いながら楽しそうにコロコロと笑う。

そんな娘に夫人はもう一度大きくため息をついた。

背後では公爵が娘をとうとう振り切り、ルイズの名を叫びながら穴から外へ飛び出してしまったようだ。

それを受けてか、夫人はやや呆れた口調でカトレア、と改めて娘の名を口にした。





「はい、お母様」


「今すぐにおまえの "馬車" でルイズを追いかけなさい。
 無理に連れ戻そうとせず、一度城に戻るよう説得をするのです。
 よいですか? あれの使い魔はとても凶暴です。
 決して無理矢理連れ戻そうとせず、 "説得" するのですよ?」


「お、お母様! 私も一緒に行き」


「お前はこの後、私の部屋でじっくりとお話をするのですよ? エレオノール。
 先程までの態度は、淑女としてすこし目に余るものがあります。
 バーガンディ伯爵との件もまだ詳しく聞いていませんしね?」





公爵夫人は優雅にエレオノールの方に視線を流しながら、そう口にした。

エレオノールは思わずひっと短く悲鳴を上げ、ヘビに睨まれたカエルのようにその場に硬直してしまう。

引きつった彼女の表情を確認した公爵夫人は、視線をカトレアに戻しわかりましたか? と確認した。





「はい、お母様。
 ふふ、いくらなんでもルイズを学院まで歩いて帰らせるわけにもいきませんものね」


「……急ぎなさい。公爵様は私の方で引き留めておきます。
 だれぞ! 烈風隊に伝令。公爵様に至急館に戻るよう伝えなさい。私の名を添えるのを忘れないように。
 ああ、それとカトレア」


「? はい、お母様」


「今回の一件、ルイズの肩を持つならちゃんと最後まで面倒を見なさい」


「どういう事でしょう? お母様」


「恐らくはあの使い魔は……」





言いかけて、その台詞を遮るように雷鳴が轟いた。

う、と頬を撫でる轟音にカトレアは眉をひそめるも、公爵夫人は微塵も動揺せずそれどころかため息を深くつくのであった。





「……と、いった感じで城門を破壊して出て行くでしょう。
 壁よりも門の方が修理が難しいと言うのに、まったく」


「……そのようですわね、お母様」


「ですから、カトレア。 "花咲く妖精の妙薬" を何粒か置いていきなさい。
 ヴァリエールは此度の戦には兵を出さぬ故、莫大な税を戦費として払う必要があるのです。
 城門の修理費など、出せようはずがありません。
 ですからそれを売って、修理費に充てます」


「分かりました。ついでに、ルイズにも何粒か渡しておきますわ、お母様」


「……貴女は説得に赴くのですよ? それを忘れないように」


「はい、お母様」





カトレアはコロコロと笑いながらも歯切れ良く返事をして、足取りも軽やかにルイズの後を追うべくサロンを後にした。

生まれた時から病弱で、いくら医者に診せても体の芯が良くないのか、治す手立てがなかったあの娘が……

夫人はそう思い、つい目に涙が浮かんでしまっていることに気が付いて慌てて小指で目尻をぬぐう。

それほどその時のカトレアは生命力に満ちて、華やかな雰囲気を醸し出していたのだった。





「では。私達もまいりましょうか、エレオノール?」


「ひ?! ひゃい!」





胸の内の感情とは真逆の、鉄の掟を口にする時の声色で公爵夫人はコッソリ部屋を出て行こうとした長女に声をかけ

優雅にサロンの入り口へと歩をすすめる。

しかし一度だけ才人が出て行った外壁の穴へ視線を流して、この日何度目かのため息を大きく深く、胸の外へ吐き出す夫人であった。

かつて、『烈風』と呼ばれた頃の声色を伴って。











「まったく。あの子は一体、誰に似たのかしら?」

















[17006] intermedio5-1/蝶の羽ばたきは嵐となりて
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/07 21:46










「姫さま、こんな時に一体何の用かしら?」





少し不安げなルイズの言葉は、才人にとっても同様に不可解な疑問でもあった。

ルイズと共にヴァリエール城から逃げ出し、カトレアに学院まで送って貰ってから丁度三日目の事である。

神聖アルビオン共和国との戦争は、総力戦となってゆく趣が出て来たトリステイン国内にあって

学院にも学徒出征の勅令が届いた頃。

同時にルイズと才人にも女王アンリエッタから王宮に出頭せよと、命令書が届いていた。

夏に行った間諜任務以来、アンリエッタの私生活での慰めを目的として幾度か出頭命令書を受領していたルイズであったが

今回ばかりはいつもの息抜き目的ではないと感じ取り、緊張した面持ちで女王の私室に案内をする女官の後を歩く。

一体、なんなのかしら?

今は侵攻作戦の準備で姫さま、私なんかと会ってる暇なんてないでしょうし……

サイトの記憶にある、 "アルビオン戦役" の内容はずっと前にお伝えしてるし……

て、いうか。





「ねぇ、サイト。あんた、ちゃんと前々回に姫さまに謁見した時、 "戦争" のことちゃんと全部話したのよね?」


「ん? ああ、後年の研究によってわかった事も含めて、あれで全部だったぞ?」


「んー、じゃあなんで姫さまは私だけじゃなくてあんたも呼んだのかしら?」


「さあ?」


「……あんた、やっぱなんか私に隠してない?」


「なんだよ、突然」


「夏の "狐狩り" で姫さまと一緒に居た一件、私アレがどーも怪しいって思えてならないのよねえ?」


「だ、だから! なんもなかったって! 説明したろ?
 姫さまを探す兵士の目を眩ます為に、 "前" は……なんかあったけど、今回はなんも無いようにしたんだって!」


「じゃあ、なんで姫さまがあんたと目を会わせる度にあんなにむず痒そうにするのよ?」


「そんなこと、知らねえよ! 大体だな、ウェールズ殿下が居る姫さまに俺がなんかできる筈がないだろ?!」


「それはまあ、そうなんだけど……なーんか引っかかるのよねぇ」





二人は前を歩く女官に聞こえぬようヒソヒソと言い争いを始めたのであったが、やがてそれも女王の私室の前に到着する事により

強制的に中断する事となった。

女官は二度大きな扉をノックをして、ミス・ヴァリエールをお連れしましたと室内に声を掛ける。

すぐに中から覚えのある細く可憐な声が返って来て、扉は厳かに開かれ果たしてルイズと才人はアンリエッタの私室の中へと

足を踏み入れたのであった。





「げ!」


「うげ!」





同時に上がる、二人の気まずい声。

儀礼に則り、室内に数歩足を踏み入れ会釈した二人は頭を上げるや顔を引きつらせ、その場に固まってしまう。

その後方ではパタン、と静かに両開きの扉は閉められ、アンリエッタが持つ唯一の私的な空間はたちまちのうちに

沈黙と気まずい空気に満ちるのであった。





「二人とも、よく来てくれましたね。
 さあ、そんな所に立ってないで此方にお座りになって?」


「姫さま! これは……」


「ふふ。それも含めて、説明してあげるわ、ルイズ。さあ、サイトさんこちらに。
 今日のお茶はサイトさんが先日持ち帰った品だと聞いておりますが、これは凄く良い香りですわね。
 たしか、ラ・フォンティーヌ女侯爵の領地にあるフェルタン村のものだとか。
 今度もっといただけるよう、お願いしてみようかしら。ねぇ、公爵?」


「陛下! このような者に、そのようなお言葉は!」


「良いのです。
 彼は私の命を、名誉を、そして今この国を護って下さる、かけがえのない友人なのですから」


「し、しかし……」





そう。

ルイズ達を絶句させ、その場に立ち尽くす事となった原因は予想外の先客の存在であった。

恐らくは、今現在二人が最も会いたくない人物であろうその先客とは。





「お、おおお、お父様! どうしてここに……」


「どうしても何も、ルイズ。
 家を飛び出したお前が戦に参加させぬよう、陛下に直訴する為こうして推参したのだ」


「本当は戦が終わってから改めてルイズのご両親とお話をする予定だったのだけど……
 丸一日も待たせてしまってごめんなさいね、ヴァリエール公爵。
 わたくし、どうせならルイズとサイトさんに同席して貰おうと思ったの。でも戦の準備で中々手配できなくて」


「いえ、陛下。そのお心遣い、誠に痛み入ります」


「姫さま! 一体どういうおつもりですか?!」


「ルイズ! 陛下の御前であるぞ!」


「よいのです、ヴァリエール公。
 ルイズ、悪いようにはしませんから、まずはそこにお座りになさい」





広い私室に設えられた、豪奢な応接の為の椅子に座っていたのはルイズの父親であるヴァリエール公爵であった。

アンリエッタはその正面にあたる己の隣の席に座るようルイズに促し、公爵が持参した豊かな香りのハーブ茶に口を付けた。

本来、女王の隣に座る事など家臣には決して許されぬことである。

しかしそれ程ルイズを信頼している、もしくはルイズを大切にしていると公爵に知らしめる意図がアンリエッタにはあり

その意図を汲み取った公爵も特に窘めも咎めもせず、ルイズも渋々ながらアンリエッタの隣の席に腰を下ろすのであった。

一方、才人はというと敵意丸出しの公爵の目を見ぬよう、必死に視線を泳がせながらルイズが座る席の後ろに直立不動の姿勢で控えて

だらだらと偽りの体に冷や汗を流していた。

何より空いている席はルイズの正面、公爵のとなりの席である。





「あら? サイトさんもお座りになって?」


「いっ、いいえ姫さ……陛下! 俺、自分はルイ……ご主人様の後でこうやって控えております」


「うふふ、いつも通りでよいのですよ? ほら、そちらに……」





アンリエッタは柔らかく笑いながら、空いた席に手を差し伸べる。

女王の私室にあって、応接に使われる椅子は四脚。

テーブルを挟んで二脚ずつ、片側にはアンリエッタとルイズが座り、もう片側にはヴァリエール公爵が鬼の形相で座っている。

公爵も憎き相手とすこしでも近くに居たいのか、才人が平民であることも忘れ、隣に身分違いの者が座る事に何も言わない。





『何してんのよ、話が進まないからさっさと座んなさいよ』


『いやだ! た、たすけてくれルイズ!』


『ムリ。お父様の前でこれ以上姫さまになれなれしくしている所、みせたくないもの』


『そんな……』


「サイトさん?」


『ほら! 姫さまにこれ以上お言葉を煩わせると、お父様が……うわぁ……あんな顔で怒ってるの、初めて見たわ』





心の昂ぶりが、ルイズとの意識の共有を可能にする。

才人は最後に縋るか細い糸のような繋がりに助けを求めるも、状況は刻一刻と悪くなるばかりだ。

娘をたぶらかし、大切な城を破壊し、子飼いの部隊を壊滅させ、目の前で主君に二度も言葉を煩わせた相手に対する怒りはどれほどの物か。

鬼の形相で睨み付けてくる公爵の隣に、才人は出来損ないのゴーレムのような動きで腰を下ろして決してその顔を見ぬよう

じっと正面に座るルイズの美しい顔を見つめる事に集中する事にした。

アンリエッタがその様子に少し可笑しそうに微笑んで、さてそれでは本題に入りましょうと宣言をするや公爵はいの一番に口を開く。





「陛下。先にお伝えした通り、娘の従軍をお認めにならぬよう、お願い致します。
 我がヴァリエール家は此度の戦に派兵しない代償として、きちんと税を納めております故。
 これをお認めになる義務は陛下にはあるはずです」


「お父様! 私の従軍は命令されたからじゃないわ! 私が自分の意志で従軍するの!」


「二人とも、落ち着いて。ヴァリエール公爵。あなたが娘を想うそのお気持ちは、よくわかりましたわ」


「陛下、では……」


「しかしながら、ルイズには是が非にでも参加して貰わなければなりません。
 ……いいえ、何が何でも参加させます。
 なぜならば、ルイズが居なくてはこの戦は必ず負けるからです」


「陛下! お気は確かですか?!
 戦はまずは数です。次に物資と地の利、それから策と兵の質が続きます。
 一騎当千の兵が百人いるだけでは、到底アルビオンとの戦を決定づける理由にはなりませぬ。
 ましてや、ルイズは最近やっと魔法が使えるようになった身。とても戦場でお役に立てようはずがございませぬ!
 陛下はルイズの使い魔の力を当て込んでおられているのかもしれませんがしかし、それならば尚更
 使い魔だけを戦場に送り込めばよいではないですか!」


「お父様! それはあまりにも」


「ルイズ、いいからここはわたくしに……。
 ヴァリエール公、違うのです。
 先程も申しました通り、この戦は "ルイズが居なくてはならない" のです。
 今からその理由を説明してさしあげましょう」





アンリエッタはそう言って一口フェルタン村のハーブ茶をすすり、おもむろにアルビオンでの手紙の一件やルイズの虚無の事

才人の正体に至るまで、彼女が知る全ての秘密を公爵に打ち明け始めた。

無論その中にはルイズを通じて、あるいは幾度か王宮に二人招き出来る限り詳細に聞き取ったアルビオンとの戦争の行方もある。

その内容に誰よりも驚いたのは、公爵ではなく才人であった。

否、驚いたというよりも焦ったとする方が正確なのかもしれない。

何せこのような出来事は彼の知る "未来" では起こらなかったからだ。

俺は間違えた、のか?

それとも、ほんの少しだけ歴史が変わっただけなのか?

もし、間違えたのだとしたら……

いや、しかし、流れとしては特に変わっていない、と思う。

言い知れぬ不安が才人の体に染みこんでくる。

一方、隣に座る公爵は公爵で最初こそ出来の悪い作り話であると決めつけ、それでも黙って主君の話を聞いていたのだったが

ルイズの虚無によるアルビオン艦隊の撃退や女王誘拐の詳細と才人の活躍、 "狐狩り" で得た情報に話が及ぶ頃には

目を開き絶句して、アンリエッタの言葉に聞き入るしか術を持たなかった。





「……と、いうわけなのですよ、ヴァリエール公爵。
 サイトさんが未来から召喚されたという事実は、既にわたくしやルイズの目の前で幾度も証明されておりますわ。
 彼がこれから起こる事柄を "知っている" という事実は、ルイズが "虚無の担い手" である事と同等かそれ以上の国家機密ですの」


「……にわかには信じられぬ話ですな、陛下」


「しかし事実なのです、公爵」





公爵は主君であるアンリエッタ女王、その隣に座るルイズ、そして才人と半ば虚ろになった目で順番に見つめ大きく息を吸った。

傍目にも明らかに混乱をきたしている。

しかし、その混乱は同時にアンリエッタの話を信じかけている現れでもあった。

才人の力を目の当たりにした事のある公爵にとっては、アンリエッタの話はむしろ得心のいく内容に思えたからだ。

ただ一つ。

話の中心人物が自分の末娘である事実を認めきれずにいるが故、公爵はどうしても話を真実として受け入れられずに視線をせわしなく動かす。

"メイジの実力を計るには使い魔を見ろ" という言葉が示す通り、もし、ルイズがあのアルビオン艦隊を吹き飛ばしたのだとすれば。

この使い魔の力は納得いくものであろう。

しかし……

理性と感情の狭間で公爵の混乱は続く。

そんな父親を見かねてか、あるいは分かって貰えるよう必死であるのか、ルイズが声をかけた。





「お父様、黙っててごめんなさい。姫さまに……陛下に決して口外せぬよう、かたく口止めされていたの」


「ルイズ……」


「公爵。よいですか?
 先程話した "歴史" では、ルイズの虚無魔法を用いなければ我々はあの浮遊大陸に上陸できず、恐らくは敗戦を喫するでしょう。
 裏を返せばルイズが居ればこそ、無傷で軍をあの浮遊大陸に上陸させることが出来るという事でもあります。
 ですから、ルイズには何が何でも戦に加わってもらう必要があるのです」


「……なるほど、お話はよく、わかりました。
 正直信じられるような話ではございませんが、こやつ……この使い魔が召喚されたその時から
 未来を言い当てていたという事実は信じましょう。
 しかし。しかしですぞ?
 仮にその "歴史" 通りに戦が動くとしてですな、我が軍は結局はロンディニウムを攻略出来ずに敗走しておるのでしょう?」


「ええ、最終的にはロンディニウムの南、サウスゴータの町で大規模な裏切りが発生して、我が軍は敗走しております。
 しかしながらその最中、突如現れたガリア艦隊によって敵主力は壊滅、それにより戦には勝利していますわ。
 ねぇ、サイトさん?」


「あ、え、ええ。そうです。
 敗走にあたり、いくらか問題は発生していましたが、ルイ……ご主人様は傷一つ負わずに戦は終わります」


「問題、だと?」





公爵は瞳から驚愕と動揺を一瞬で怒りに塗り替え、キっと才人をにらみつけた。

才人は思わず体をのけぞらしてひぃ、と情けなく声をあげてしまう。

才人の言う "問題" とは勿論……





「その事はわたしくしから。公爵、落ち着いて聞いて下さいね?」


「……御意、陛下」


「実は、サウスゴータからの退却時、七万に膨れあがったアルビオン軍の追撃を押しとどめ時を稼ぐ為
 司令部はルイズただ一人に殿を命じるのです」


「なっ――」


「もっとも、サイトさんの機転によりそれは回避され無事退却に成功するようなのですが……」


「おのれ! し、し、司令部……総司令官は確かド・ポワチエであったな?!」 


「お父様! 落ち着いて!」


「公爵」





アンリエッタの前置きの事など忘れ、公爵はみるみる内に激昂し顔を赤くする。

主君の御前であることもすっかり忘れてしまい、杖に手を掛けながら押っ取り刀で立ち上がろうとする公爵を

ルイズとアンリエッタは少し強めにたしなめた。

ルイズはともかく主君の強い口調は冷水のように冷たく、頭に血が上ってしまった公爵であっても我を取り戻させるには十分であった。





「はっ、も、申し訳ございません」


「もう。公爵、落ち着いてくださいまし。これから起こるであろう "歴史" での話です。
 それに、もしその通りに事が運ぼうとも、ルイズには先程サイトさんが申しました通り怪我はありませんわ」


「陛下、たとえそうであっても、 "今回" も無事で居られるとは私には……」


「ええ、わたくしも同感です。
 ですから、こうやって公爵と、ルイズと、サイトさんを交えてある提案をしようと考えたのです」


「提案?」


「はい。先程説明した通り、サイトさんが知る "歴史" ではわが軍はルイズの "虚無" を使い浮遊大陸へほぼ無傷で上陸を果たし
 その後王都攻略の足がかりとして、サウスゴータへ至った所で大規模な反乱が起き、敗走しています」


「そうでしたな。その後、今は中立宣言を出しているガリアが突如参戦、とのようですが」


「ええ。しかし、この参戦は当てになどできませぬ。
 なぜならばこの戦はそもそも、ガリア王ジョゼフの謀が原因であるからなのです。
 なぜ "前" は参戦してきたのか理由は分かりませぬが、黒幕が彼である以上結果だけを見て安堵はできないでしょう」


「なっ?!」


「無論、この件につきましては此方でも調査しましたわ。
 まだ確証は得られてはおりませんが、確かにいくつかそれと思わせる情報などが入手できましたの。
 それもまた、サイトさんから聞いた "歴史" の裏付けとなっておりますわ」


「ううむ……しかし、なぜジョゼフ王が……」


「ヴァリエール公爵。理由など、今は脇に置いておきましょう。
 ともかくです。ガリアの思惑がハッキリしない以上、たとえ歴史通りに事が運んだとて "今回も" 参戦してくるとはかぎりません。
 いいえ、もしかするとアルビオン軍への援軍として戦に加わる未来すら、我々に用意されているのかも知れないのです。
 ですからわたくしは速やかにロンディニウム攻略を行えるよう、サウスゴータでの敗走、ひいてはルイズを危険な目に会わせる原因となる
 反乱を押さえる計画を立てましたの」


「計画……でございますか?」


「ええ。わたくしは此度の戦に臨むにあたり、王室直属の秘密組織 "ゼロ機関" というものを設立致しました。
 これは我が国のどの組織にも属さず、わたくしの持つすべての権限を代行する組織です。
 たとえ司令官であるド・ポワチエ大将であってもこれに命令を下すことは出来ぬ故、ルイズとサイトさんを
 このゼロ機関のエージェントとして従軍していただくつもりではあったのですが……」


「が?」


「先程も申しました通り、軍部はルイズを "虚無" の兵器か何かとしてしか見なかった結果となるようでしょう?
 そんな中でサウスゴータでの反乱を押さえる特殊任務など、こなせよう筈がありません」


「ふむ……つまり陛下。そのゼロ機関という組織をもって、サウスゴータで起こるであろう反乱を未然に防ぐ御心でありますか?」


「はい。この反乱はラグドリアン湖の精霊の秘宝・アンドバリの指輪によって引き起こされたもののようなのです。
 そうですね? サイトさん」





予想外にも急に話を振られ、才人は思わず裏返った声で答える。

アンリエッタの話は才人にとっても突飛で、未来が本当に変わってしまったのではないだろうかと考え事をしていたからだ。

未来が変わる。

それは、勝利で終わる筈のアルビオン戦役の結果が変わりかねないと言うことを意味する。

先程アンリエッタ自身が言っていたように、今回はガリアが神聖アルビオン共和国側につく可能性だってある。

いや。

元々黒幕はあのジョゼフ王であるのだから、むしろその方が自然じゃないか。

何より、タバサの母親の事もある。

疑問は思案の中でグルグルと渦巻き、不安を煽ったが同時に今はそれどころではないと才人は気持ちを切り替えた。

胸に宿った不安は変わらず大きく膨らみ、裏腹に才人はそれを表に出さぬようにしてアンドバリの指輪について説明をはじめた。





「え、あ、はい。後年の調べによりますと、サウスゴータの水源にアンドバリの指輪を使われ
 これを飲んだ兵士達が操られてしまったとの事でした」


「ううむ……」


「と、言うことらしいのですよ、公爵。
 サウスゴータの水源から連なる井戸や河を利用しなければよいのですが、それですと此方の軍の補給もままなりません。
 さらにたとえこれを見破っていても、敵が他の手段で兵士を操るかもしれませぬ。
 そこで、です。
 ゼロ機関……いいえ、ルイズとサイトさんには、このアンドバリの指輪の奪還任務に就いて貰うことにしました」


「んな?!」


「奪還任務、ですか?」


「ええ、そうよルイズ。
 アンドバリの指輪は神聖アルビオン共和国の初代皇帝、オリヴァー・クロムウェルが所持しているとの情報を得ております。
 あなたとサイトさんにはこれを奪還する任務についてもらうわ」


「陛下! いくらなんでも無茶です! ルイズと、その使い魔だけでそんな……」


「公爵。勘違いなさらないで?
 アンドバリの指輪奪還作戦に、ゼロ機関のみであたるわけではありませんわ。
 ……いいえ。むしろ、奪還任務の応援のために加わる、と考えていただければよろしいかと」


「応援?」





怪訝そうな表情を浮かべ、身を乗り出していた公爵は自分と全く同じように身を乗り出し 「応援?」 と

呟いていた隣の席の少年に気が付いて思わず顔を見合わせた。

恐ろしい使い魔であるはずの少年は、何か見てはいけない物を見たかのように、あわててプィっと顔を逸らす。

胸の内に再び宿る、怒りの炎。

しかし、今はそれどころではないと冷静に主君の話の続きを待つ。

アンリエッタは言葉を切ったまま、そんな二人の様子を苦笑しながら眺めて、同じく身を乗り出し意外そうな表情を浮かべる

隣の席の親友に視線を移した。





「ええそうよ、ルイズ。
 此度の戦は一点、 "前回" とはまったく違う点があるの。
 貴女ならわかるでしょう?」


「……ウェールズ皇太子殿下、ですか?」


「そう。 "歴史" では本来皇太子殿下はニューカッスル城陥落時に死んでしまっている筈なのだけど、今回は存命しておられます。
 また、我が軍のアルビオン侵攻に際しては公式に "反乱軍の掃討" を依頼して頂き、大義名分の一助をお願いしております。
 そして我が方としてもこれに答え、皇太子殿下へ兵を送る義務があるのです」


「それで、殿下にゼロ機関をと言うわけですか?」


「ええ、そうです公爵。今現在、殿下には寡兵しかありません。
 しかし、大義名分と引き替えに増援をおくるべき我が方としても、殿下にそれ程多くの兵を預ける余裕はないのです。
 幸い、殿下も今この場で話した "秘密" をご存じなので、殿下にはアンドバリの指輪の奪還をお願いしたのです。
 いかが? 公爵。
 安全な任務とは決して言えないですが、何千もの軍と正面から戦う戦場に出るよりかはずっとましな任務ですわ。
 なにより、ルイズにはサイトさんがついております。
 たとえロンディニウムのお城の中で孤立したとて、サイトさんと一緒ならば逃げる事は容易いでしょう」


「それは確かに、そうですが……」





公爵は私情を必死で排除しながらアンリエッタの提案を吟味する。

真っ先に思い出されたのは、才人の力であった。

――確かに、あれだけの力があればルイズ一人を護りその場から逃走する事など容易いであろう。

事実、ヴァリエール城ではカリーヌの部隊を蹴散らし、門をアッサリと破壊してそのまま逃げられてしまった。

何より、主君直々の要請でありこれに応えるのは臣下として……いや。いやいや、そうではない。

そうではないのだ。

私は、娘をあの血生臭い戦場へ送りたくないのだ。

飛び交う必殺の魔法。

目の前で死ぬ戦友。

人を殺す感触。

あんなものが日常的に溢れる場所へ、どうして可愛い娘を置いておけると言うのだ?

恐らく陛下は戦場ではなく、城にでも忍び込む任務にルイズを送る心づもりであろう。

だが、しかしだ。

そこもまた、戦場であることには変わりない。

見つかれば命の保証などなく、捕まればどんな辱めを受けるかわからず、そこから逃げ出すには人を殺め、仲間を殺められねばならぬだろう。

公爵は考えて、チラリと才人へ視線を送る。

あれ程恐ろしい力を発揮していた使い魔は、目が会うと顔を引きつらせて再びプィっと視線を逸らしてしまう。

なんとも頼りないその姿に思わず体の力が抜けそうになる公爵であったが、そんな一面だけ見て人物の全てを評するほど、暗愚でもなかった。

果たして、公爵はしばしの思案の先に答えを見出す。

それは……





「分かりました、陛下。ルイズ、従軍をみとめよう」


「父様!」


「公爵……秘密をうちあけてよかったですわ。わかっていただけたのですね?」


「ただし! ただしですぞ、陛下。条件がございます」


「条件、ですか?」


「はい。ヴァリエール公爵としてのものでなく、ルイズの父親としての条件でございます」


「……して、その条件とは?」


「しばし、この者と二人きりで話をさせてください」


「へ?」


「げ!!」





公爵の提示した条件とは、実に意外なものであった。

何を考えたか、才人と二人きりで話したいと言い出したのである。

才人にとっては悪夢そのものであったが、アンリエッタとルイズにとっては容易い事この上ない条件を公爵は願い出たのだ。

当然、その願いは即座に聞き届けられ、アンリエッタとルイズは女王の私室から一旦退室する運びとなった。

女王自ら部屋を貸してやると言い退室するなど、前代未聞の出来事である。

公爵は一瞬、それを諫め自らが才人を伴って出て行くと言いかけたが、機先を制したアンリエッタがこれはお礼ですわ、と口にした為

そのまま頭を下げて主君と娘と縋るように主人に着いて行く使い魔を見送るのであった。

当然、使い魔は部屋の扉の所であきらめなさい! と怒鳴られ蹴飛ばされて尻餅をつきながら部屋に押し戻される。

かくして女王の私室には公爵とその娘の使い魔が残された。





「何をしておる。こっちにこい」





声は厳しく、冷たい。

当然ながら敵意も混じっていた。

才人はおずおずと立ち上がって、席を立ち女王を見送った姿勢のままである公爵の元へ歩を進める。

同時に公爵も才人へと足早に歩を進め、手が届く範囲まで才人に近寄るといきなり胸ぐらを掴んでぐいと顔前に引き寄せたのだった。

その表情は鬼そのものである。





「名は?」


「あ、ひ、平賀才人ともうし、ます」


「ヒリガル・サイト? 性を持っておるのか。貴族の出か?」


「い、いいえ。平民だけの国の生まれ、です」


「そうか、平民か。ふん、メイジ以上の力はあるようだからそこはどうでも良いわ。
 約束しろ。それが出来ねば、この場で殺してやる。
 そうすればルイズも戦場に出ようなどと思うまい」


「約、束ですか?」





情けない表情で質問に答える才人の顔に公爵は、鼻の先が接触するほど自分の顔を近づけて凄むように睨んだ。

掴まれた胸ぐらは万力のような力で固定され、才人は顔を近づけてくる公爵から身動き一つ出来ずにただ

その迫力に冷たい汗を背中に垂らす。





「二度は言わぬ」


「は、はい。約束します!」


「よいか。良く聞け」


「はひ!」


「決してルイズに杖を抜かせるな。」


「……はい?」


「決してルイズに命を殺めさせるな」


「え、あの……」


「立ちはだかる者は全てお前が殺せ。それが誰であろうとだ。
 知己の者であろうと、友であろうと、恋人であろうと、ルイズの敵として立ちはだかる者が居たならば残らずお前が殺せ。
 ルイズが敵をその視界に入れるよりも早く、すべてお前が殺せ。
 敵がルイズの姿を見る前にお前がこの全てを討ち殺せ。
 一切の慈悲も無く、ルイズの敵となった者をすべて瞬きする間も無くお前が殺すのだ」


「……はい」


「決してあの子を "汚すな" 。
 白い肌に傷を付けないだけでは赦さん。
 あの子の視界に汚らしいモノを入れてはならぬ。
 醜い、人の悪意がむき出しになる戦場をルイズに見せるな。
 血と臓物など、もっての他だ。
 あの子の行く手に戦場が在ったならば、お前が目に映る全てを壊し、殺し、更地にして道を拓け。
 よいか?
 その血に濡れた穢らわしい躰を盾にして、ルイズをあらゆる穢れから護れ。
 お前がルイズの代わりに全ての汚濁を飲み込むのだ」


「はい」





公爵の言わんとすることを察し、才人はいつの間にか強く短く返事を繰り返していた。

その目には先程までの感情は消え失せて、暗い闇と強い意志が宿る。

ルイズを守る。

それはただ怪我をさせない、と言うことではない。

人の死は、むき出しの悪意は、理不尽な暴力は大きな爪痕を見た者にも残す。

つらい経験は人を大きく成長させるものではあるが、なにも戦場に出てこの世の地獄を見ることもない。

そんな経験など、ルイズの笑顔に影を差させるだけでしかない。

公爵はそれらすべてをルイズの代わりに才人に背負えと言っていた。

貴族としてではなく、親として。

口にした言葉は身勝手で、人としても最低であろう。

しかし才人に言うように、公爵も又この時ルイズの事を想う家族の分まで "汚濁" をその身に浴びていた。

胸ぐらを掴み目に憤怒を宿して殺せと口にしている男は、ヴァリエール公爵でも、貴族でも、父親ですらなく

純粋な "護る者" として才人の目に映るのであった。

否。

父親としての愛情が成せる姿なのかもしれない。

親とは、この位身勝手で、子の事を想う者なのだろう。

これが当たり前なんだ。

なのに、俺は……

俺、は?





「ええい! 聞いておるのか!」





苛ついた公爵の声に才人ははっと我に返る。

反射的に聞いています! とは答えたものの、胸の奥からにじみ出かけたナニカに酷く心を乱していた。

何か、とんでもなく大切なものを思い出しかけた気がした才人であったが、今はそれどころではないと再び目に意志を宿す。

公爵は半ば呆れながらもそんな才人の胸ぐらから突き放すように手を離し、ふん! とルイズとよく似た仕草で鼻を一つ鳴らした。





「まったく、少しは良い貌になったかと思えばこれだ」


「す、すいません。でも、俺、ご主人様を守る為なら何でもするつもりです」


「当たり前だ。よいか? 決して惑うでないぞ?」


「はい」





力強い才人の返事を受けて、公爵はほんの少しだけ表情を和らげ今度は優しく才人の肩に手を置いた。

それからほんの僅かに口の端を上げて、先程とはうって変わって穏やかな声を才人にかける。





「……持ち帰った薬の件は礼を言うべきであるな。
 よくやった。父親として、心から礼を言おう。
 お前のお陰でカトレアは健康な体を手に入れることが出来たのだ。
 ……ありがとう」


「へ? あ、いえ、俺はその……」





公爵の意外な言葉に、才人は頭をポリポリと掻きながら照れてしまう。

先程までの様子とは真逆の優しい声であった為か、一層才人を安堵させ緊張をほぐして照れさせた。

瞬間。

頬に強い衝撃を受けて部屋の風景が視界を流れた。





「だ、だだだだが! アレは、アレだけは許さん! あ、あ、あのようなキスなど――絶対に許さん!
 カトレアの一件もある故、これで勘弁してやるがもし! ルイズに邪な感情を抱いてみよ!
 如何なる手段を用いてでも、地獄に送ってやる!!」





不意打ちに頬を思いっきり殴られ、才人は無様に床に転がりながらもひぃ! と声を上げる。

そんな才人に再び鬼の形相となった公爵は、才人を殴った拳を突き出しこの日一番の大声で怒鳴りつけていた。

流石にこの大声は部屋の外にまで響いたようで、扉の前で待機していたルイズとアンリエッタがバタン! と勢いよくドアを開けて

何事かと部屋に駆け込んでくる。





「公爵?!」


「父様?! サイト?! 一体……」


「おお、ルイズ! それに陛下も。今丁度話が終わり、お呼びする所でしたぞ」


「そ、そうですか。しかし先程の剣幕は……」





部屋を出る前からは想像もできないほどにこやかになった公爵は、未だ床に尻餅をついている才人を助け起こし肩を組んでみせる。

その様子を見てアンリエッタとルイズは絶句し、陸に上がった魚のように口をパクパクとさせた。





「こ、公爵?」


「お、父、様?」


「なあに、先程の怒声は気にしないでくだされ。
 これこの通り、娘を守ってくれと男同士で話しておった所です。のう、ヒリガルよ?」


「お、俺はひ、ひらガァ!!」





お前は喋るな。

笑え。

そう言うがごとく、肩に回された公爵の腕が首へと及びギリギリと音を立てて締め付けられた。

要求に才人は顔色をカラフルに変えながらも、器用に歯を剥き、笑ってみせる。

笑いはどうみても引きつった表情であったが、いち早く状況を察したルイズはそれ以上何も追求せず

才人と同じように引きつった笑みを浮かべる。

アンリエッタも同様にここは空気を読むべきだと判断し、左様ですかと言って口に手を当ておほほと乾いた笑いを浮かべた。

公爵も場を取り持つように、ワハハと豪快に笑う。

一見、非常に和やかな雰囲気となった女王の私室を確認してか、廊下に控えていた衛兵は静かに乱暴に開いていた扉を閉めた。

パタンと扉が閉じる音と共に、偽りの笑いが一斉に消え去る。

後に残るのは気まずい沈黙。

それから数時間。

公爵が知ったルイズの虚無や才人の秘密などの "国家機密" の取り扱いについてや、戦やアンドバリの指輪奪還任務についての

詰めた話が行われたのであったが、その間才人の首に回された公爵の腕はほどかれることはなかった。










締め付けるその力もまた、一瞬たりとも緩むことなく。

















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